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今回は、時短勤務の社員をバカにした女性上司を見返した話を紹介します。「育児との両立は大変でしょ?」と言われ…「今から10年近く前の話です。出産前は営業部のエースだった私ですが、育休から6時間の時短勤務で復帰する際に、女性上司(課長)のSに『育児との両立は大変でしょ?』『配慮してあげないと』と言われ、雑務の担当を提案されました。いわゆるマミートラックで正直不満でしたが、受け入れることにしたんです。ただ、Sは私が結婚する前、飲み会の席で『子持ちの女性社員の仕事は雑務だけで十分』『時短のくせに……』と、子持ちの女性社員をバカにしたような発言をしていたことがあったので、Sの提案に引っかかるものを感じましたね。そこで私は、Sに仕事で見返してやることを決意しました。まず私が任された雑務について徹底的に効率化した結果、前任者が1日6時間かかっていたのを、たった2時間で終えることができるようになりました。そして余った4時間で営業のサポートをすることに。Sにお願いし、新人営業マンA君の商談にアシスタントとして同行させてもらうことになりました。A君は私のフォローのおかげで、すぐに契約をとれるようになりましたね。また私はA君に営業のノウハウを叩き込み、彼は独り立ちした後、一躍トップ営業マンになりました。A君の他にも、何人もの新人営業マンをサポート。そんなある日、社長から『大事な話がある』と呼ばれ、行ってみると『営業部の部長になってもらえないか?』という驚くような打診でした。どうやら、私が時短ながら仕事でいろいろと成果を出し、営業部の成績に大きく貢献している、という噂を聞いたようです。そして私は時短のまま営業部長になりました。その数か月後、かつての上司だったSは退職。私の部下でいるのが嫌だったのでしょう」(体験者:40代女性・会社役員/回答時期:2024年12月)▽ この女性はこの後さらに出世し、今は会社の重役になっているそうです。※Googirlが独自にアンケートを実施し、集めたGoogirl読者様の体験談をもとに記事化しています。
2025年03月16日「もう学校に行きたくない」と言っていた娘の気持ちが変わり始めたきっかけUpload By マミヤわが家の娘、しぇーちゃん(ASD/自閉スペクトラム症、現在小学4年生)は、3年生まで特別支援学級に在籍していました。しかし、クラスメイトとのトラブルや、担任の先生との行き違いによって、3年生の2学期から学校に行けなくなりました。娘がこうして学校へ行けなくなるのは2回目のことです。 娘の学校はアプリ経由で欠席などの連絡をするため、メッセージに詳細を書き、しばらく欠席することを伝えましたが、それに対して担任の先生から連絡はありませんでした。先生にも何かご事情があったのだとは思いますが、このような出来事の積み重ねが、「何か困ったことが起きても助けてもらえない」と娘が感じた一因でもありました。娘が学校を休み始めて数日経った頃、学校から連絡がきて面談を行うことになりました。正直なところ気が重かったものの、学校に行ってみると、対応してくれたのは担任ではなく特別支援学級の主任の先生でした。主任の先生からのお話は、特別支援学級の担任の先生が去年の担任の先生に変更になることと、オンライン授業をしてみませんか?ということでした。私は、無理して学校に行かずに家で勉強してもよいと思っていたため、オンライン授業の提案はありがたく感じました。娘にも聞いたところ、やってみるとのことだったので、翌週からさっそくオンライン授業がはじまりました。オンライン授業は順調に続きました。そして特別支援学級の担任も去年の先生に替わり、徐々にクラスが落ち着き始めました。娘のほかにも学校に行くことができなくなっていた子がいたのですが、その子も再登校するようになり、娘も「3学期からまた学校行こうかな。友だちが呼んでるから」と言うようになったのです(授業の時間以外にも、昼休みなどに友だちとオンラインで会話ができたので、その時に友だちがいつ来るの?と言ってくれたみたいです)。3学期になると、娘は自分で決断した通りに、再び学校に行くようになりました。解決しない友だちトラブル……また学校に行けなくなる?そこに先生からの提案がしかし、3学期になっても特別支援学級のクラスメイトX君とのトラブルはなくならず、娘は遅刻早退を繰り返していました。やがて娘は「来年度もX君と同じクラスだったら、学校に行けない」と言うようになりました。私はどうしたらよいものか分からず、担任の先生に相談しました。すると「通常学級で授業を受ける姿を見ていたけれど、しぇーちゃんなら大丈夫だと思うから転籍しませんか?」と言われたのです。Upload By マミヤその時はすでに2月中旬で、来年度のクラス編成会議が行われる数日前でした。急いで決めてほしいと言われ、その日のうちに家族会議をしました。話し合いの結果、「思い切って4年生から通常学級に挑戦してみよう」ということになりました。通常学級への転籍を決めた次の日から、娘は朝から1日中ずっと通常学級で過ごすことになりました。元々、3年生になってから通常学級で過ごす時間を増やしていたからかもしれませんが、娘は遅刻早退することもせずに学校へ通い続けました。そして希望していた通り、娘は4年生から学びの場を通常学級に移すことになったのです(転籍に関する手続きなどは自治体や学校によって異なります)。特別支援学級から通常学級へ。小学4年生になった娘を見て思うことUpload By マミヤ現在、小学4年生になった娘。通級指導教室などは利用しておらず、年に2回、特別支援教育の担当の先生、担任の先生、保護者の3者で面談をする機会をいただいています。もちろん通常学級でも小さなトラブルはありますが、朝は誰よりも早く登校して、休み時間は校庭でお友だちとドッジボールをして遊ぶなど楽しく過ごしています。行き渋りや不登校になることもなく4年生は終了しそうです。小学校入学当初の娘の様子を思い返すと、今でも特別支援学級へ就学することを選んで良かったと思っています。しかし、その後の転校、進級での友だちトラブル、担任の先生との相性など、予想できなかった環境の変化がいろいろ起きました。結果的に、わが家は小学4年生で特別支援学級から通常学級への転籍という大きな決断をしましたが、思いきって動いてよかったと感じています。今後も娘の様子を見守りながら、その時その時にできることをしつつ、柔軟に対応していきたいと考えています。執筆/マミヤ(監修:室伏先生より)マミヤさん、オンライン授業から登校に繋がるまでのご様子や、通常学級への転籍までの経緯について詳しく共有くださりありがとうございます。登校がつらいと感じているお子さんをお持ちの保護者の方だけでなく、特別支援学級への進学に悩まれている親御さんにとってもご参考になったのではないでしょうか。特別支援学級から通常学級への転籍は決して簡単なことではないですが、特別支援学級へ進学する原因となった困りごとが落ち着いてきた、言語発達が伸びてきて通常学級での学習に十分についていけるようになった、コミュニケーションスキルが伸びて周りへの援助をスムーズに求められるようになった、など、通常学級での学習・生活に十分に困りごとが少ないと考えられる場合で、かつ、お子さんと保護者様が希望されていれば可能であることもあります(自治体にもよります)。転籍前には、準備期間を十分にとって、実際に通常学級で過ごしてみてお子さんの様子を観察できることが望ましいです。特別支援学級でのお子さまに合った適切な支援は、身体的にも精神的にも健康的な育ちと、学習面・社会面での学びにとても重要なものですので、その時その時で必要な支援のあり方・学びの場所を、先生方・支援者と一緒に考えていけるといいですね。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2025年03月16日1年生から登校渋り長男は小学校に入学した頃から登校渋りがありました。感覚過敏やこだわりなどがあり、それらを学校では自分で我慢して過ごしていたり、集団行動が苦手だったりとしんどくなることが多く学校が好きになれずに 行ったり休んだりを繰り返していました。当初はASD(自閉スペクトラム症)の診断も受けていなかったので(小学3年生の8月にASDの診断を受けました)、長男がしんどいと話してくれることが甘えなのかどうなのか……どのように捉えていいか分かりませんでした。なので休みがちなことに私も戸惑ったり自分を責めることもあったのですが、長男のペースを見守ろうと思い、長男とも話し合いながら休みを挟んで登校するようにしていました。不登校のはじまり3年生の9月終わり頃、いつものように学校へ行きたくないと朝から泣いていた長男。その時は休んだら明日には行くだろうと思っていたのですが、次の日もその次の日も行きたくないと言い、これは今までと少し違うかもしれないと思いました。休んでから3日経った夜、長男から学校に行きたくない理由を話をしてくれました。「今、体育でやっているキックベースが毎回ルールが変わりついていけない。分からなくて困っていたらクラスの子に怒られた。試合の中なのでその子に悪気はないことは分かるけど傷ついた」「お友だちが忘れ物をした時、自分に借りに来るのがなぜか分からない。貸したり一緒に見たりするのが嫌だ」長男は急なルールの変更が苦手で、周りの目を気にしすぎてしまうところもあり、自分のペースを乱されたりテリトリーに入ってこられるのを嫌がる傾向が人一倍ありました。きっと話してくれたことはきっかけにすぎず、学校生活ではこのようなこともよくあると思うのでいろいろ積み重なって……という感じなのかなぁと思いました。気持ちが楽になるように私が話しても、行きたくない気持ちは変わらない様子でした。こういったことはこの先たくさん起こることだと思うので自分なりにうまく消化できるようになってほしいと思うのですが、当時は焦らずに見守ることにしました。Upload By ねこじまいもみ不登校中に起きた長男の異変休み始めた最初の数週間は、特に何も言わずに静観すると決めていました。そして2週間ほど経った頃に、長男がとても痩せていることに気づいたのです。足の細さには本当にびっくりしました。顔色も良くなく、本人は気づいていない様子でしたが少し元気のなさを感じていました。学校まで歩いたり体を動かしていたことが、どれほど健康的な日課だったかを痛感。私は長男が登校渋りになってから在宅で仕事をしていたので、その日から毎朝2人で散歩したりなるべく話をしたり、ごはんを一緒に作ったりと気にかけるようにしていました。陽の光を浴び、ごはんも食べるようになった長男は少しずつ体調が戻っていきました。Upload By ねこじまいもみUpload By ねこじまいもみ先生との連携、適応指導教室へ担任の先生はとても親身になってくださり、よく家に来て長男と話をしてくれました。事前に、「先生が会いたいと言っているけど、家に来てもらっても良いか」と長男に確認するようにはしていました。長男も一生懸命自分のことを理解しようとしてくださる先生のことが好きだったので、家に来てくれるのを楽しみにしていました。長男と先生が話す時は私は席をはずしていたのですが、今日こんなことがあって面白かったなどたわいもない話をたくさんしてくださったようです。先生にも幼稚園のお子さんがいて、登園渋りがあった際に私の気持ちがとても分かったと電話をくださるなど、私たち親子に寄り添ってくださいました。また、特別支援学級の先生にも繋いでいただきました。結局、特別支援学級は長男が前向きではなかったので見学のみで終わりましたが、特別支援学級の先生も長男のことをとても理解してくださいました。体調の異変が起きてから学校へ行ってもしんどいがずっと家にいるのもあまり良くないと感じた私は、長男が少しでも外へ出たり人に会う機会をと思い、以前から知っていた適応指導教室へ相談へ行きました。また、休みが長引くごとに私自身もいろいろと悩み、気が滅入っていくのも相談へ行った理由の一つでした。心理士さんと私の面談では、本当にいろんな話を2時間半ほど聞いてもらいました。心理士さんの話で印象的だったのは「意外なきっかけやタイミングで、学校へ行けるようになったりすることもあるので焦らずに」「子どもの気持ちをできるだけ尊重したいと思うかもしれないが、お母さん自身のメンタルやほかのきょうだいとの兼ね合いも考えて今後の方向性を決めていくのがベターである」という話でした。そして長男は適応指導教室に通い始めたのですが、何度か行った後に行きたくないとなってしまい、ちゃんと通えたのは1か月ほど。その後もフリースクールなどに見学に行ったのですが、どこも長男は乗り気ではありませんでした。学校へ行けない呪い学校へ行けなくなってから半年ほど経った2月頃、長男とこの先どうしたいかどうしようかという話をしました。長男は「どうしたいか自分でも分からない。分からないけど学校へ行かないとやばいと思っている」と話してくれ、私は「何がやばいと思う?」と聞きました。すると、「勉強も遅れるしみんなに忘れられる。行かなきゃと思うのになぜか行く勇気が出なくて、なんで行きたくないのか理由も分からなくなってしまった。なんだか行けない呪いにかかったみたい」と話してくれました。勉強の遅れは一緒に取り戻せばいいし、クラスの子も忘れることはないと思うし、行かなきゃと自分を追い詰めるようなことは思わなくて良いと話しましたが、本人はその気持ちが拭えない様子でした。また、今行くとみんなに注目されていろいろ聞かれるのではないかというのも心配していました。長男の話を聞いて、最初は何がなんでも行きたくないという気持ちから少し変化を感じたのと、なんとなく今長男は行くタイミングが分からなくなってしまっているのではないかと感じました。そして適応指導教室の心理士さんがきっかけやタイミングで行けるようになることもあると話してくださったことも思い出し、長男に4年生になる4月からもう一度行ってみてはどうかと提案しました。4月ならクラスや先生も変わるし、周りの子たちも環境の変化でバタバタしていて長男が久しぶりに行っても注目されにくいのではないか、長男も途中よりは比較的入っていきやすいのではないかと思ったからです。その後も長男とはたくさん話しました。適応指導教室やフリースクール、特別支援学級も体験したが長男はどれが良いと思うか、私は家族や長男のためにも家にずっといるというのは考えてはいないなど……。長男の思いを聞き、私の思いも話し、どうお互い折り合いをつけていくかを一緒に考えました。その結果、長男の気持ちは4月からもう一度学校へ行ってみようかなという方向に少し傾きました。そして4年生のスタートと同時に登校できるように。案の定、クラス替えなどの変化もあったため何事もなく自然にすんなりと学校生活を始められたようでした。私もいつもと変わりない様子で接することにしていました。Upload By ねこじまいもみ現在の長男4年生になってからも休みながら登校することが多かったのですが今のところ長期にわたって休むことはなくなりました。私は長男が学校へ行った際、過剰に褒めるということはしないようにしています。もちろん褒めるべき時はきちんと褒めるよう心がけていますが、学校へ行ったからあなたはすごい、えらい。行けなかったらすごくないと思わせたくないからです。登校した日は、それがどんなに久しぶりでもいつも通り「おかえり。お疲れさま。頑張ったね」と声をかけ、家でゆっくり過ごせるように心がけています。また長男から学校での出来事を話してくれたら、興味津々でたくさん聞くようにしています。今後もいろいろと変化はあると思いますが、その時その時を焦らずに見守って寄り添えたらと考えています。執筆/ねこじまいもみ(監修:初川先生より)長男くんの登校渋り、不登校、そしてそこからの復帰のエピソードをありがとうございます。のちにASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けたとのことですが、登校渋りが見られた当初の感覚的な困難さや集団生活ゆえの苦しさが本人も(幼さゆえに)うまく言葉にできず、またねこじまさんはじめ周りの大人もまだつかみきれず、はがゆかったことと思います。3年生になり、自分の苦しさを言葉にして伝えてくれた時に、そうした一つひとつのことで消耗していることが保護者や先生らと共有されていくきっかけとなったのはよかったです。そこで、そんなこと気にしてないで頑張りなさいなどとならず、長男くんの苦戦をそのまま受け取ってくださったことも、長男くんにとってとても安心したことと思います。休み始めて家にいる時間が長くなったり、ふさぎこんでいるときが増えると、体調に不調をきたす子もでてきます。体力も落ちてしまうので、まずは散歩から始められたというのもよかったと思います。できれば明るい時間に太陽を浴びながら外を歩けると気持ちも晴れやかになりますし、体力を使うので食欲も戻ってくるし、朝に太陽を浴びると夜になると眠くなるしで、いいことがたくさんあります。適応指導教室(教育支援センター)は、自治体によって小学生の利用の形がさまざまあるので各自治体での枠組みをご確認ください。適応指導教室や自治体の教育相談では不登校のお子さんに関する相談を受けてくださると思うのでそれを利用されてよかったと思います。適応指導教室での過ごし方(プログラムなどのあり方)もさまざまですが、ASD(自閉スペクトラム症)のお子さんの場合、自由だからのびのびできる場合と、何も決まっていないから何をしていいかわからず逆に苦しくなる場合、また通室しているほかのお子さんの数や学年がどうかなどあり、お子さんが心地よく過ごせるかどうかは見学体験してみないと分からないように感じます(これは民間のフリースクールも同様です)。長男くんは4年生の4月という節目のタイミングで学校に復帰することができました。クラスや担任が変わるなど大きな変化の時期なので、そのタイミングに戻るのは戻りやすい時期の一つです。そこから安定して通えるかどうかはそのお子さんによって違いますが、ただ、試してみようと思えたことや本人も学校に行くということを具体的に考え始めた時期だったことも奏功したのだと思います。どのお子さんも4月に試してみることができるわけではなく、そこまでにある程度エネルギーが充電されている必要があります。長男くんの場合、3年時の担任の先生との関係もよかったということもいい影響をもたらしてくださったように感じます。復帰後の声かけについて、「登校できてすごい」など、行く行かないに関して重点を置いた褒めをしないようにされているとのこと、素晴らしいですね。登校できることはすごいことですが、しかしそこだけ言及してしまうと、“行けないのはすごくない”も(言葉にせずとも)伝わってしまいやすく、条件付きの褒めになってしまいます。学校には行ったほうがいいんだろうと思う、まじめなお子さんにとっては、そこに過敏になってしまうと苦しくなるかもしれません。頑張ってきたであろう学校での活動を終えて、家で過ごすときは、ほっとできるように安心できるように心がけてくださっていること、とても素晴らしいです。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2025年03月14日アマゾン「いじめ・不登校ギフトランキング」1位!東京都教育委員会が不登校児童・生徒に提供する VLPでも書籍コンテンツとして提供&自治体数拡大中!株式会社オーバーラップより2023年4月に発売したコミックエッセイ『学校に行かない君が教えてくれたこと 親子で不登校の鎧を脱ぐまで』(はちみつコミックエッセイ)が先日6刷りとなり、再び注目が集まっている。学校に行かない君が教えてくれたこと 親子で不登校の鎧を脱ぐまで | はちみつコミックエッセイ : NHKラジオニュース「マイあさ」に著者が出演!話題再燃!「不登校」に向き合う親子の実体験を赤裸々に描き、じわじわと話題を集めて多くの読者の共感と支持を得てきた本作。社会問題として取り上げられることがますます増えてきた「不登校」は、悪いことなのか?それも1つの選択肢としてとらえられないのだろうか?「不登校」で苦しむ時代を終わりに出来ればという思いも込めて執筆した著者・今じんこが、先日NHKラジオニュース「マイあさ」に出演後、各所で話題が再燃した。x.com : アマゾン「いじめ・不登校ギフトランキング」では1位を獲得!自治体も注目Amazonでは「いじめ・不登校ギフトランキング」で1位を獲得(※2025年2月1日現在)し、「困っている保護者の方に届いてほしい本」として、再認識されている。Amazon.co.jp 人気ギフトランキング: いじめ・不登校 で、ギフトの設定を使用して最もご注文いただいている商品 : 東京都教育委員会が不登校児童・生徒に提供するVLP(バーチャル・ラーニング・プラットフォーム)では本作が書籍コンテンツとして提供されており、2025年1月より静岡県の自治体でも運用が開始されて28自治体と取り扱いエリアを拡大中だ。ほぼ日代表の糸井重里氏も本作に注目し、帯に推薦コメントを寄せており、各所に作品ファンを増やしている。糸井重里氏からの帯コメント「この本が早く時代遅れになりますように」と語る今じんこ。本作が一人での多くの方の目に触れ、家庭と学校と社会が理解しあえる一助になればと願うばかりだ。本書より一部抜粋<書籍情報>【タイトル】学校に行かない君が教えてくれたこと親子で不登校の鎧を脱ぐまで【著】今じんこ【レーベル】はちみつコミックエッセイ【判型】A5判【定価】1,210円(税込)【発売日】2023年4月15日【ISBN/JAN】978-4-8240-0461-1【発行】株式会社オーバーラップ<今じんこSNS>X Instagram livedoorBlog 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2025年02月12日不登校の子どもの卒業式、どんな形が正解?息子が本格的な不登校になったのは、コロナ禍1年目の小学校6年生の時でした。相次ぐ臨時休校や分散登校、マスク登校というこれまでの日常からかけ離れた生活の中で、もともと息苦しかった学校生活がさらに息苦しくなりました。それでも「友だちに会いたい」と頑張って登校していた時期もあったのですが、日々変わりゆく学校の決まりごとに戸惑い、特別支援学級の新しい先生の指導方法が息子には合わず、支援教室にたった一人で取り残されることが多くなり、とうとう限界が来て登校できなくなってしまいました。「卒業式をどうするか」という話を持ちかけられたのは、3学期の始めでした。その頃、特別支援学級に所属はしていたものの、担当の先生とのコミュニケーションが難しく、ほとんど会話ができない状態だったため、提案してきたのは学校管理職である教頭先生でした。私は息子の気持ちと心身の状態が第一だったので、正直卒業式などどうでもよく「息子が出たいなら全力でサポートするけども、出たくないなら出なくてもよい」というスタンスでした。学校側から出していただいた提案はこんな感じでした・頑張って卒業式に出る・卒業証書授与だけでも出る・卒業式終了後に校長室で卒業証書授与を行う・卒業式終了後に体育館にて教職員のみで簡易卒業式を行う全てが出席を前提とするもので、人前や集団が難しい息子の状態を考えるととてもじゃないけれど現実的と思えませんでした。「とにかく卒業式には出てほしい」という学校の意思だけは伝わりましたが、私は「大変申し訳ありませんがどれも難しいと思います」と答えました。すると教頭先生はこのような提案をしてきました。「じゃあお母さんだけ!教職員一同と体育館でお母さんに卒業証書を授与させてください!」それではただの見せ物でしかないように思えました。泣きたい気持ちを抑えながら、「では出れたら出る。これでいいですか?」とその場限りの答えを出しました。学校側も一旦それで納得してくれました。Upload By 花森はなそれぞれの未来へと向かう卒業式小学校の卒業式当日。私はすぐにでも家を出られるよう、メイクも洋服もそれなりに整えた状態で、息子にどうしたいか、最終的な気持ちを聞きました。結果はやはり「行きたくない」とのことでした。式はもうとっくに始まっていましたが、卒業証書と記念品を受け取るためだけに、私は下の娘だけを連れて学校に向かいました。ちょうど学校に着いた頃、卒業生たちがたくさんの拍手と祝福を浴びながら、体育館を出てくるところでした。顔見知りの子どもたちに写真撮影を頼まれて、「おめでとうー!」と言いながら笑顔で何度もスマホのシャッターを押しましたが、心の中ではずっと泣いていました。息子の出席を望んでいた訳ではないのですが、『どうして息子はここにみんなといられないのだろう。みんなと卒業したかったのに』という思いが拭いきれませんでした。息子が「行きたくない」と言ったのは『卒業式』で、みんなと『卒業』はしたい気持ちはあったのです。みんなは地元の公立中学校に進むけれど、息子が進学するのは特別支援学校で、道は完全に別れてしまいます。友だちと笑い合うことのできる、最後の機会でした。卒業式が終わったばかりでお忙しいだろうと思い、廊下で隠れるように卒業証書を受け取りました。教頭先生は「せめてちゃんと授与を……」と最後まで仰ってくださいましたが、私は固辞しました。小学校の半分を、行き渋りや不登校、付き添い登校からの再登校、そしてまた不登校と輝かしい学校生活を送ることができなかった私たちには、この形が一番ふさわしいと思いました。担任の先生に感謝の気持ちをお伝えして、未来への喜びあふれる学舎を後にしました。それが私たちの卒業式でした。Upload By 花森はな特別支援学校の卒業式は…?特別支援学校中等部に進学した息子ですが、環境が変わったからといってすぐに登校できるようになったわけではありませんでした。大人への信頼を失くしてしまった息子が、もう一度『大人』や『先生』に心を許すことは難しく、それでも特別支援学校の先生方は根気強く息子と向き合ってくださいました。小学校高学年の時は、私の付き添いなしでは授業が受けられなかった息子が、登校できた日は1人で1日学校で過ごしてくることができたのです。特別支援学校の先生の細やかな気遣いや配慮が、息子の固く冷たく閉ざされた心を溶かしていくのが分かりました。1人の人間として尊重し、成長をサポートしてくださるその姿勢がありがたくてしょうがありませんでした。中学3年生の3学期を迎え、卒業式が近づいてきましたが、正直なところ、卒業式のことを考える余裕は全くありませんでした。息子も私も、特別支援学校高等部への進学ではなく、外部の通信制高校を受験するための試験対策でいっぱいいっぱいだったのです。作文や面接の練習には先生も付き合ってくださり、なんとか受験を終えることができた私たちは、そこでやっと「卒業式」の話し合いをすることとなりました。小学校の卒業式のことを先生方に話しました。特別支援学校の先生方の意見は「今の息子くんの状態でも卒業式はしんどいんじゃないかなと思うんです。でも、僕たちはここで息子くんとお別れになってしまうので、せめてさよならは言いたいです。卒業証書がもし受け取れそうなら、教室で。担任陣と息子くんとお母さんでお別れ会をしましょう。無理はしなくていいです。息子くんがもし来れなかったら、何人かだけでも息子くんにお別れを言いに行かせてください」と仰ってくださいました。息子の答えは「行きたい。最後やから、先生に会いたい」でした。Upload By 花森はな本当の卒業は、過去からの卒業だった卒業式当日の放課後、私と息子は特別支援学校へと向かいました。教室では、担任の先生だけではなく、これまでお世話になった1年生や2年生の時の担任の先生まで来てくださいました。息子の到着に合わせて、校長先生が教室まで来てくださり、卒業証書授与が行われました。名前を呼ばれると、息子が大きく「はい!」と返事をして前に出て、証書を受け取りました。一度も練習したことがないのに、しっかりとした大きな声で、最後にはガッツポーズまでして。その様子に涙ぐんでいる先生もいらっしゃいました。そのあとは先生方と写真を撮ったり、思い出話をしたり。息子と先生方の思い出は、ほとんどが家庭訪問の時のものでしたが、担任の先生は数少ない登校日に撮った写真を、手作りのアルバムにまとめて「息子くんの卒業アルバムだよ」と渡してくださいました。そこには、先生方の思いがしっかりと感じられました。「息子くんなら大丈夫だよ」「パソコンでゲーム作ったらまた教えてな」「学校にもいつでも遊びに来てくれていいんやで」と楽しく笑いながら、正門前に呼んだタクシーのところまで、先生方がお見送りしてくれました。小学校の卒業式では複雑な思いを抱えながら帰った道を、今度は未来への希望と共に息子と帰りました。今度は間違いなく『卒業』したと思いました。小学校の卒業式の時に感じた、孤独や失望感、学校への未練のようなものも全てこの卒業式で取り払われたような気がしています。卒業式はこれまでの信頼の積み重ね節目として、卒業式というのは大切なものです。もちろん、学校式典としての卒業式に参加できることが理想ではありますが、うちの息子のように集団が難しかったり、人が多い場所とだとパニックになってしまったり、長時間の待機や雑音が気になってじっとしていられない子どももいると思います。多くの児童が在籍する学校では、対応が難しいケースもあるかもしれませんが、「誰のための卒業式か」というのを考えていただけたらなと思います。「ぜひ卒業式に!」と言うならば出席を前提とせず、無理なら無理で、本人の状況に合わせて、『できそうなこと』と『難しいこと』を丁寧に検討していただきたいです。3学期を迎え、いよいよ卒業式のことを学校と話し合う時期になったという方もいらっしゃるかもしれません。全ての子どもにとって卒業式は大切なもので、その気持ちは尊重されるものです。「卒業式に出ない」という選択も、同じように尊重されるべきだと思います。私が学校側に提案していただいたような部分参加や、少人数での卒業式、別室での卒業証書授与、卒業式にもいろいろな形があります。過去の事例なども含め、実現可能なものがあるかどうか学校管理職の方に一度相談してみるのも良いと思います。今春、卒業を控えた子どもたちが後悔のない卒業式が迎えられるよう、心から願っております。執筆/花森はな(監修:鈴木先生より)私は、学校の先生方に「子どもファースト」で物事を考えてほしいと常々感じています。例えば、対人・視線恐怖や社交不安により人前に出るのがはばかれる場合は、個別で卒業式をやるという選択肢があるのです。また、卒業式に参加しなければ証書がもらえないわけではありません。宿題についても一律で出すのではなく、不登校などで授業に遅れているお子さんの場合は、その子のレベルに合った宿題を出すことが望ましいのです。少しでもハードルを下げてできた達成感を味わえることが重要です。また、「中学進学にあたり、IQの結果がないと特別支援の教育委員会で議論できない」といった理由で2年前にやったばかりのIQテストを受けるように言うなど、本人のためを思っているとは考えられないケースも見受けられます。型にはめた教育の時代はもう終わりなのです。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2025年01月30日不登校、行き渋りとは?160人以上が回答!読者アンケート結果や令和5年度の統計結果など不登校とは、心理的な問題や人間関係など、病気や経済的な理由以外で年間30日以上の欠席があり、学校に行けない状態のことを指します。不登校の原因は一人ひとり異なり、さまざまなタイプが考えられます。早期の介入と適切な支援が重要です。行き渋りとは、学校に行きたがらない、または登校に時間がかかる状態のことです。毎日登校していても、本心としては「学校に行きたくない」「学校がつらい」などと感じており、新しい環境への適応の難しさ、人間関係の悩み、学習の遅れなどが原因として考えられます。お子さんの様子をよく観察し、何がつらいのかを一緒に探ることが大切です。Upload By 発達障害のキホン子どもに不登校がある…約25%子どもに行き渋りがある…約31%子どもに不登校があった…約7%子どもに行き渋りがあった…約17%不登校も行き渋りも特にない…約19%※2024年12月16日時点の結果です発達ナビ利用者の皆さんへのアンケートの結果は、「子どもに行き渋りがある」が約31%で、次いで、「子どもに不登校がある」(※発達ナビ利用者へのアンケートのため、年間30日以上の定義を満たしてない可能性もあります)の約25%と続きました。過去に不登校、行き渋りがあった人数も含めると、約8割近くの方が不登校や行き渋りに悩まれているという結果になりました。不登校、行き渋りは発達に特性があるお子さんにとっては身近にある大きな悩みと言えそうです。「令和5年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要」(文部科学省)によると小・中学校における不登校児童生徒数は346,482人(前年度299,048人)であり、11年連続増加し、過去最多となりました。増加の背景としては、「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」など児童生徒の休養の必要性を明示した法律が浸透し、保護者の学校に対する意識の変化などがあげられます。また、引き続きコロナ禍の影響なども考えられます。しかし、特別な配慮を必要とする児童生徒に対しての早期からの適切な指導や必要な支援にもまだまだ課題があると言われています。参考:令和5年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要|文部科学省小学校からの行き渋り・不登校は中学進学後も続き……試行錯誤の結果は【発達ナビ読者体験談】Upload By 発達障害のキホン小3の頃の担任の先生の対応がきっかけで行き渋りが始まったASD(自閉スペクトラム症)の息子さん。その後発達障害をクラスメイトにからかわれるようになり不登校に。中学に進学後も行き渋り、不登校は続いていましたが中学生になった息子さんには小学校の頃とは違う「ある思い」があり……。不登校や行き渋りのさまざまな原因、背景要因、保護者の方も心配されるところです。どのように息子さんが乗り越えたのか……気になった方も多かったようです。不登校からの進学先は?学びの多様化学校(不登校特例校)やフリースクール、通信制高校などさまざまな学びの場所出席日数と内申点に重点を置いている高校などでは受験が難しくなる場合もあります。 ただ、それらを重視しない高校や、不登校でも通いやすいさまざまな高校があります。例えば通信制高校、フリースクール、学びの多様化学校などです。単位制ではない高校の場合、各科目ごとの出席日数が重視されるので、3年間通えるかも考えて親子で相談しながら進路を選ぶことが重要です。通信制高校とは、インターネットやテレビなどの通信手段によって教育を行う高校です。学校教育法第4条において、通信制課程は「通信による教育を行う課程」とされています。さらに、通信制課程における教育の方法等については、「高等学校通信教育規定」に定められています。自分のペースで学ぶことができることが特徴の通信教育。近年では学習時間や時期、方法などを自ら選択してスタートラインも目指すゴールも異なる多様な生徒に対して教育機会を提供しています。参考:高等学校通信教育の現状について|文部科学省フリースクールは法や制度などによって定められた学校でないため、その定義はさまざまです。文部科学省では「不登校の子どもに対し、学習活動、教育相談、体験活動などの活動を行っている民間の施設」と示しています。フリースクールは国からの助成金などはないですが、自治体からの助成金がある場合もあります。例えば東京都では小・中学生1人につき月額最大2万円の助成金が適用されます。※利用料が月2万円を下回っている場合は、利用料と同額となります。自治体によって助成の有無や内容は違うので一度問い合わせをしてみましょう。参考:フリースクール・不登校に対する取組|文部科学省参考:利用者向け東京都フリースクール等利用者支援事業を開始フリースクール等の利用料を助成します!|東京都学びの多様化学校(不登校特例校)とは、不登校児童生徒の実態に配慮して特別に編成された教育課程に基づく教育を行う学校です。不登校児童生徒の学習状況に合わせた少人数指導や、勉強の進み具合によって指導方法を変えるなど一人ひとりの生徒に合わせた支援を行います。また、学校外での学習プログラムの積極的な活用など工夫されたプログラムが組まれている学校が多く見られます。学びの多様化学校(不登校特例校)は、一般の学校と同様に卒業資格や、大学や専門学校等の進学資格を得られるなどのメリットもあります。令和6年度現在、学校数は35校となっています(公立学校:21校、私立学校:14校)。参考:不登校児童生徒の実態に配慮して特別に編成された教育課程に基づく教育を行う学校の概要参考:学びの多様化学校(いわゆる不登校特例校)の設置者一覧|文部科学省専門家が解説!発達障害と不登校、行き渋りは関連あるの?対策や支援の方法などもQ:子どもの発達障害と不登校や行き渋りに関連はあるのでしょうか?A:かならずしもそのような訳ではありませんが、発達障害のない子どもと比較してそのようなリスクは高いと言えます。ASD(自閉スぺクラム症)の子どもは社会性(対人関係)やコミュニケーションに苦手さがあったり、こだわりが強いなどの特性があることが多いと言われています。それらの特性から友だち関係がうまくいかない・環境に慣れないなどのトラブルやストレスが生じ、行き渋りや不登校のきっかけになる場合もあるとされています。Upload By 発達障害のキホンQ:不登校や行き渋り、保護者のできる対策や支援の方法が知りたいですA:不登校に関してはできるだけ早期の対応をすることが重要です。登校したくない・休みたいなどの言葉が増える、朝起きない、食事や着替えに時間がかかる、学校を出る時間が遅れる、遅刻早退が増える、保健室で休む時間が多くなる、休み時間に孤立するなど兆候が見られた場合は何か学校でしんどいことがあるのかな、など本人のしんどさについて話を聞くことが大切です。学校に行くように指示するだけではなく、本人の視点に立ってその気持ちを理解し、学校場面の環境調整や合理的配慮を進めていくことが大切です。Upload By 発達障害のキホン不登校・行き渋り関連コラムはこちらから(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2025年01月19日市の教育センターへ登校渋りの相談小学校入学当初から登校渋りが激しかった長男。1年生の10月頃にスクールカウンセリングを受けました。その時スクールカウンセラーの先生から、市の教育センターに不登校専門の窓口があり、そこへ相談へ行くことを勧められました。また、勉強への苦手さが強いようであれば知能検査の一つである「KABC-Ⅱ」を受けられることも教えてもらいました。当時は正直、いろいろなところへ相談へ行ってもあまり変わらないのではないかとマイナス思考でした。 でもやれることはやっておこうと思い、教育センターに予約をしました。Upload By ねこじまいもみ相談の予約はすぐに取れ、1年生の1月頃に訪れました。 相談員さんはとても理解を寄せて話を聞いてくださり中でも印象的だったことは、「長男は同じ直線を行ったり来たりする常同行動があり、学校ではそれをしないようにしている」と話した時、相談員さんが「落ち着くために動きたくなる気持ちを我慢して過ごしているなんてそれはしんどいよね。本当によく頑張っているんだね」と言ってくださったことでした。この話を今までここまで理解してくれる人がいなかったので、私はすごく嬉しかったし、改めて長男の頑張りを感じました。 さらに、本当に学校へ行けなくなった場合の居場所として教育支援センター(適応指導教室)があることなど教えていただき、何も知らなかった私は少し気持ちが楽になったことを覚えています。Upload By ねこじまいもみ検査結果を一人で聞きに行くと「KABC-Ⅱ」の予約はすぐには取れず、長男が2年生の6月に検査を受けました。検査は認知能力と基礎学力を推定し、学習の得意不得意を知ることができ、学校や家庭での支援に活かすことができると説明を受けました。約2時間の検査を終え、後日私1人で結果を聞きに行きました。長男はそれぞれの力にそこまで大きな開きはなく、全体的には平均だと言われました。 そこまで目立つわけではないが平均下は数字と書き。まさに私が苦手そうだなと感じていたことでした。 また、文章題や入り組んだ話など複雑な情報が苦手そうで、学校でも急な指示や全体の指示が聞けてない場面があるかもしれないと言われました。それも納得でした。さらに検査時の行動観察から、長男は独特な鉛筆の持ち方をしており、それも指摘されました。長男は自分がこうしたいというこだわりが強いため、鉛筆にしろ箸にしろ小さい頃から正しい持ち方を教えるのが困難でした。おそらくもう直せないだろうと思っていたし、本人もそれで良いと言っているのでなにもできずにいたのですが、改めてほかの人に言われると私の力不足だったかなと少し気にしてしまいました。 学校へ行かないと書く機会がグッと減るため、家でも積極的に書くことをやり、枠いっぱいにゆっくり書くことを意識すると字の上達につながるとアドバイスをいただきました。Upload By ねこじまいもみ検査結果に基づいて検査の結果をもとに、長男の認知様式に合った学習の仕方を教えてもらいました。 例えば漢字なら、「山」という字は山の形のようになっていて……とイメージを持たせてあげると覚えやすいことや、画数の多い漢字はパーツを分けて何と何が組み合わさっているかパズルを作って組み立てさせるのも良いこと、算数は問題文を図や絵にして視覚的に導いてあげると良いことなど教えてもらいました。 苦手と思っていることも学習の仕方で苦手ではなくなる場合もあり、個々に合った学習方法が見つけ出せると良いと言われ、私も大変勉強になりました。Upload By ねこじまいもみ検査を受けて良かったこと最初はピンと来ていなかったのですが、検査を受けて良かったと思いました。 のちに発達検査でも同じようなことを言われる特性もあったり、2年生から勉強のつまずきが見られるようになったのですが、検査で教えてもらったことを参考に私も教えたりできるようになりました。また、困った時は担任の先生にもこういうのが苦手なようで……と伝えやすくなり、先生が学習の仕方を提案してくださったり、一緒に考えてくださったりしたこともありました。現在4年生の長男。今でも苦手な単元はこういうやり方だと分かりやすいかな?と家庭学習の際は私の考えを提案してみたり、長男も成長するにつれて自分で試行錯誤し、「このやり方が僕には合ってるかもしれない」と言う場面も出てきました。苦手な科目を好きになるのは難しいし、無理強いすることではないと思いますが、分からなかったことが分かるようになった時は本人も喜んだり達成感を感じたりしています。勉強ができたり分かったりすることが長男にとっては登校へのモチベーションには直接は繋がらないですが、そういったことも何かのきっかけだったり、自信の積み重ねになっていくと思うので、長男に合った方法を模索しながら無理なくサポートしていけたらと日々思っています。Upload By ねこじまいもみ執筆/ねこじまいもみ(監修:初川先生より)長男くんがKABC-Ⅱを受検されたエピソードをありがとうございます。「検査を取る」という場合に、WISC-ⅣやWISC-Ⅴなどの知能検査をはじめに勧められることが多いと思います。WISCの場合、全体的な知的発達の水準や4つないし5つの観点から知的発達に関する得意不得意を見ます。WISCの受検によっても、学習の進め方、得意な学び方に関する事柄も出てきます。ただ、どの検査にも測れるものと測れないものがあり、WISCだけではお子さんのつまずきや困りごとを見るには不十分と専門家や支援者が判断したり、SLD(限局性学習症)が疑われる場合などにKABCも追加で実施されることが多いように感じます。さて、長男くんに関しては、視覚的に捉えて理解することのほうが、言葉での説明によって理解するよりも得意といった結果が出たようですね(※このあたりに関しては、WISCを受検しても同じような助言をもらうこともあります)。コラムに書かれていたように、漢字学習で視覚的イメージを活用したり、図形的に分解して覚えやすくしたりといったやり方がまずあります。そうしたやり方をほかの学習内容に関しても活用・応用していくことになりますが、ここは工夫や経験などによってさまざまなやり方を考え、実際にやってみる(試行錯誤する)ことになります。担任の先生はこうした学習方法に関してさまざまレパートリーをお持ちかもしれませんし、相談員の方もご存知かもしれません。保護者の方だけで考えてやっていくのも1つですが、相談しながら、お子さんに合うやり方を探っていくこともよいと思います。そして、長男くんは4年生になり、自分に合う方法はどんなものか試してみた際に「合う合わない」が分かってきているようですが、だんだん本人が「これは自分に合う」と感触を掴めるようになってきたり、「こうやってみたらできるかも!」と自分で工夫できるようになったりもします。まずは、周囲の大人が、お子さんに合うやり方を提案していき、ゆくゆくは本人が自分に合う方法を理解していく。このプロセスをぜひ歩んでいただけたらと思います。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2024年12月05日きっとまたいなくなる…あきらめた末に提案された居宅介護ホームヘルパーさんに来てもらうことになったのは今から3年前、息子が中学2年生の頃でした。特別支援学校に進学したものの、登校は数日しかできず、やっとのことで見つけた放課後等デイサービスにもフリースクールにも行けず、八方塞がりだった時に知り合った福祉施設の方から「計画相談支援を入れましょう!計画相談支援とは一生の付き合いになりますから!」と言われ、計画相談支援を受けることになりました。計画相談支援とは、ものすごく簡単に説明するとケアマネージャーさんのようなもので、障害福祉サービスの利用に関する相談や利用施設との調整をしてくださいます。サービスを受けるには、まず役所の福祉課に行き、「計画相談支援を受けたい」とお伝えします。そして、どの計画相談事業所を選ぶかを決めるのですが、それには役所で紹介してもらう方法と、自分で探す方法の2つの方法がありました。役所の方には「個人の特性や事情等に配慮はなく、リストにある事業所に順番に連絡していくので、息子くんのケースだとご自身で探されたほうが良いのでは」と言われてしまいました。困り果てた私は再び福祉施設の方に相談したところ、お知り合いの方を当たってくださり、息子のことを担当していただけることになりました。そしてその相談支援員さんから、「居宅介護(ホームヘルプ)」を提案されました。1.障害福祉サービス等の利用計画の作成(計画相談支援・障害児相談支援)サービス等利用計画についての相談及び作成などの支援が必要と認められる場合に、障害者(児)の自立した生活を支え、障害者(児)の抱える課題の解決や適切なサービス利用に向けて、ケアマネジメントによりきめ細かく支援するものです。引用:障害のある人に対する相談支援について|厚生労働省居宅介護居宅において、入浴、排せつ及び食事等の介護、調理、洗濯及び掃除等の家事並びに生活等に関する相談及び助言その他の生活全般にわたる援助を行います。引用:障害福祉サービスについて|厚生労働省その頃の私は、かなり頑なであきらめてしまっている状況でした。学校の先生は定期的に家庭訪問に来てくださるものの、一度「学校の先生」に対する信頼を底の底までなくしてしまった息子にとっては、現状の打開には難しく、また学校のシステム上、年度を超えて関わることは困難で、担当者が変わるたびに全てを1から説明しなければならない段取りに疲れてもいました。誰かを頼ってもどうせまたすぐにいなくなるのだという思いは、息子だけでなく私の中にもあり、それならば、誰にも頼らずに自分たちだけで生きていくしかないのだという決意すら固めていました。ホームヘルパーさんが来ても、きっと何も変わらないのではないか、むしろ来たことでさらに荒れるかもしれないという懸念はありましたが、息子は意外にも了承してくれました。「今の生活を変えたい」という思いは確実に息子にもあったのです。私は居宅介護のために必要な受給者証を取得するために、役所の福祉課へ向かいました。障害福祉サービス受給者証障害福祉サービス受給者証は、障害者総合支援法に基づく障害福祉サービスを利用する際に必要となる受給者証です。障害福祉サービスには大きく分けて、介護に関する「介護給付」と自立や就職に関する「訓練等給付」があります。介護給付には子どもが対象のサービスとして、居宅介護や行動援護、短期入所などがあります。居宅介護は利用者の自宅にスタッフが訪問し、入浴、排せつ、食事などの介護を提供するサービスです。行動援護は、行動上著しい困難があり、常時介護が必要な障害のある方に外出中のサポートを行います。短期入所は普段自宅で介護を担当している方が、病気などの理由で介護が困難な場合に、短期間施設に入所してスタッフが介護や見守りを行うサービスです。利用者が子どもの場合は児童福祉施設などで行われます。 By 花森はなホームヘルパーさんとの出会い受給者証を無事に取得したことを相談支援員さんに報告し、同時進行で探してくださっていたホームヘルパーさんも見つかったので、いよいよ初訪問の日がやってきました。当日は相談支援員さん、担当していただくホームヘルパーさん、そしてその事業所の施設長さんの3名でお越しくださいました。息子は警戒心が特に強すぎるタイプで、相談支援員さんが家にモニタリングに来られてもいつも塩対応。果たして大丈夫なのかな……と思っていましたら、意外にもホームヘルパーさんとは好相性!始まって30分もしないうちに意気投合。偶然にも好きなゲームと好きなシリーズが完全に一致し、残り時間もずーーーっとゲームの話をしていました。相談支援員さんが紹介してくださったのは「年が近くて息子くんの好きなゲームの話ができる男性」でした。実際来られたホームヘルパーさんはとても若くて、私も第一印象は「大丈夫かな……」とつい心配してしまったのですが、とても優しく対応もきちんとされた方で、息子のケアもしっかりとしてくださいました。その頃の息子の重要課題として、一番大きなものが「入浴と歯磨き」。入浴はできて2週間に1度、歯磨きもできそうな時に促して……という感じでした。私が声を掛けてもなかなか聞き入れてくれなかったのですが、ホームヘルパーさんの声掛けだと素直に行ってくれました。思春期の息子にとって、親からの言葉には反抗してしまうのかもしれませんが、他人からの言葉には素直に従えるのでしょう。歯磨きの声掛けは来るたびにやっていただいていると、ほんの少しずつですが息子が自主的に歯磨きをする日も出てきました。そして、入浴のほうも「明日はホームヘルパーさんの日だよ!」と声掛けすることで、入ってくれることが多くなりました。「家に定期的に他人が来る」というのは、こんなに良い変化をもたらすんだなと思いました。Upload By 花森はなやっと踏み出せた!移動支援で広がる世界ホームヘルパーさんがいらして半年が経った頃。息子の希望ではありましたが、利用時間がほとんど息子の話し相手で終わってしまうため、ほかの利用者さんたちがどのような利用の仕方をしているのか伺いました。そこで移動支援の話をお聞きしました。移動支援とは、移動が困難な人に対してガイドヘルパーが行う外出の支援サービスです。これは障害者総合支援法にもとづく地域生活支援事業サービスの一つであり、障害のある人の地域での自立した生活と社会参加を促すことが目的です。屋外での移動に困難さがある場合、外出を控えがちになるかもしれません。そのために、社会生活上の必要な活動が制限されてしまうこともしばしばあります。移動支援では、移動が困難な人に対して社会生活上必要不可欠な外出や、社会参加のための外出支援がガイドヘルパーによって行われます。息子は、学校へ行くことが難しかったため、本当は登校の付き添いを一番お願いしたかったのですが、私たちの住む自治体では通勤や通学に移動支援を利用することはできず、あくまで「余暇」のみでした。「ゲームセンターや映画館、回転寿司などの外出も付き添うことがありますよ」と教えていただきましたが、その頃の息子は外出自体が困難でずっと自宅に引きこもり状態でした。それでも「いいなぁ……僕も行ってみたいなぁ」と息子が言ってくれたので、ひとまず受給者証を取得することにしました。移動支援の受給者証は、居宅介護の受給者証と異なるのです。移動支援では通学時にも付き添ってもらえるの?子どもの通学の場合には、原則として保護者や介護者が移動の支援を行うことになっています。しかし、保護者や介護者が毎日の子どもの通学に付き添うことは現実的に困難です。以下のような場合には、例外的に通学における移動支援のサービスの利用が認められることがあります。2020年度の調査によると、43.8%の事業所で、一定の要件を満たす場合に通学の利用が可能、という報告もあります。出典:地域生活支援事業における移動支援事業の実態調査|厚生労働省ホームページ移動支援には、ガイドヘルパーという資格を持った方などのサポートが必要になります。ガイドヘルパーとは、一人で外出するのが困難な障害者の外出同行や移動を支援する専門職です。わが家に来ていただいてるホームヘルパーさんは、幸いガイドヘルパーの資格をお持ちとのことでした。受給者証が届いたあと、改めて「ヘルパーさんとどこか行ってみたいところはある?」と聞いてみると、すぐに答えは出ませんでしたが、数日後「コンビニに行ってみたい……」と言ってくれたので、次の利用日にヘルパーさんと私と息子の3人で行ってみることにしました。久しぶりのコンビニで、大好きなチキンとおにぎりを自分で選んだ息子の表情は満足げでした。ガイドヘルパーという「プロ」が付き添うことで、外出の不安が軽減されたのです。ガイドヘルパーは、移動支援従業者とも呼ばれ、障害の種別に応じた養成研修を受講し修了することで、資格を取得できます。ただし移動支援事業に従事できる要件は、ガイドヘルパー資格に限定しているわけではなく、市町村によって定められています。移動支援でできること移動支援では、社会生活を送る上で欠かすことのできない外出や、余暇活動等の社会参加のための外出支援を受けることができます。◇社会生活上、必要不可欠な外出の例・金融機関における手続き ・市役所、区役所、警察署 ・日用品の買い物 ・家族の学校行事など◇社会参加のための外出の例・美術館、映画館、コンサート ・体育館、トレーニングジム、プール ・動物園 ・ボランティア活動など By 花森はな「困っています」と親が叫ぶことは子どもたちの未来のためホームヘルパーさんが来てくれるまで、息子と私の世界は閉じたままでした。ですが、思い切って利用してみたことで「もう少し福祉を頼ってみてもいいのでは?」という気持ちが生まれました。これまで同情を毛嫌いし、「息子は不登校で精神障害がありますけど、全然大丈夫!私元気ですよ!」という顔をしていたのを止め、素直に「だから大変なんです!困ってるんですよ〜!」ということを他人に伝えることができるようになりました。これは長い将来、支援を受けて生きていくであろう息子にも重要なことで、私が「困っている」と伝えることで息子の生きやすさに繋がると思いました。また、息子と同じくASD(自閉スペクトラム症)の娘がいるのですが、娘の支援を考える時、迷わず放課後等デイサービスの利用やスクールカウンセリングを活用することができました。今も最大限使える支援を利用させていただいています。相談支援員さん曰く「子どものホームヘルパー利用で一番重要なのはマッチングなんです」とのことで、私も実際このマッチングがうまくいかなかったら、再び支援と繋がろうという気持ちは起こらなかったと思います。ですが、実際うまくいくかいかないかはやってみなければ分かりません。ホームヘルパーさんの支援によって 、息子の表情は明らかに明るくなり、今はひとりで外に出ることもできるようになりました。もしわが家と同じような環境で、現状に行き詰まりを感じておられる方がいらっしゃいましたら、利用を検討してみてもいいかと思います。Upload By 花森はな助けを求める勇気を持ちたいあんなに支援を拒絶していた私が、「居宅介護(ホームヘルプ)」の利用を決意したのは、もう一つ理由がありました。私が、服薬治療中だった病気で手術をする可能性があったからです。相談支援員さんが役所の福祉課の方に相談してくれましたが、本来そういった場合はグループホームでのショートステイが推奨されるようでした。しかし、当時の息子は、家から連れ出すことは不可能な状態でした。息子が入所を拒否して大暴れした場合、無理に入所させることはできず、置いていくことになってしまうかもしれないと説明を受けました。そこで、役所の方とも相談しながらホームヘルパーを通しての見守りはどうかと提案され、ほかに方法はなく受け入れた形でした。幸いにも手術は免れ、現在は経過観察となっていますが、もしまた私に何かあった時、息子が外の人を頼れるようにしておかなければなりません。居宅介護の利用はその第一歩でした。家に他人を入れることに抵抗のある方もいると思います。私も最初のうちは部屋を完璧に片付けたりしていましたが、今はもう洗濯物を端に寄せたり、多少散らかっていても普通にお招きしています。ホームヘルパーさんも「全然お気になさらないでください!」とのことなので、気にしないようにしました!これも大切なことです。他人に弱さを見せること、助けてもらうことは恥ずかしいことではないと言いたいです。こうして不登校サポートや障害児育児をしていると、どうしても謝る場面が人より多く、自らを恥じ入り、消えたくなってしまう日々ですが、全てを一人で抱え込むには無理がありますし、助けを求めてもいいんだと思います。最近は、不登校や発達障害に特化した居宅介護や訪問看護も増えているそうです。どうしても困ってしまったら、どうか「助けて」と言ってほしいです。私も「助けて」と伝え続けます。執筆/花森はな(監修:渡部先生より)計画相談支援事業者は、必要な福祉サービスについて情報を提供し、アドバイスを行って、実際のサービス利用の道筋を作ってくれる、障害児・者にとってのキーパーソンです。息子さんの状況や特性を理解して、「プロ」のヘルパーさんをマッチングしてくれたとのことで、とても素晴らしい事業者さんと出会えましたね。こうやって一歩を踏み出せたのは、「助けて」と伝えることができたからです。成人期以後も、日中活動や暮らしの場面などで、さまざまな支援が必要になってくるかと思います。これからも、困ったときには躊躇せず相談をして、息子さんやご家族の安心につなげていってください。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年11月28日3日、元不登校YouTuberで知られるゆたぼんが自身のYouTubeを更新した。【画像】Youtuberゆたぼん「これから毎日休まずに学校に行って、宿題もやる」突然の宣言にファン動揺「【超ご報告】赤ちゃんが産まれました」とタイトルで動画を投稿。自身の弟となる赤ちゃんが誕生したことを報告した。5人兄弟で唯一の男子だったゆたぼん。動画からは、初の弟の誕生に対する嬉しさが伝わる。この投稿には多くのいいねが寄せられている。
2024年11月03日小2で学校に行けなくなった娘。親子でホームスクーリングを始めることに特別支援学級に在籍している娘は、小学校2年生の2学期、「約束と違う給食指導」や「交流学級の先生が注意する時の大きな声」などのストレスが引き金となり、学校へ行けなくなりました。私は娘の気持ちを尊重していったん学校を休むことを選択し、家での過ごし方を決めてホームスクーリングをすることにしました。それまでは、家の中ではわりと自由にゲームができる環境にしていましたが、ホームスクーリングを始めてからはきっちりと時間を制限するようにして、運動の時間なども取り入れ、1日のスケジュールをたてて過ごすようにしました。そして娘が学校を休むようになってから数日が経った頃、学校から呼び出しを受けて面談をすることになりました。面談に参加したのは私、特別支援学級の担任の先生、そして交流学級の担任で学年主任を兼務されている先生の3人です。私は娘が学校に行けなくなった原因として、「給食指導が事前に約束していた内容と違うこと、交流学級の担任の先生が大きな声で怒るのが怖いこと、特別支援学級では一つの教室をパーテーションで分けて2クラスで使っているが、それが聴覚過敏の娘にはつらいこと」の3点を伝えました(特別支援学級ではイヤーマフを着用しています)。先生方からは給食指導に関する謝罪と、週1回でも保健室登校でもいいから、少しでも学校に通えたら……と言われました。親としては、ホームスクーリングを始めたところでしたし、娘が望むなら不登校でも構わないと考えていたので、「家で娘と話してみます」と返答し帰宅しました。Upload By マミヤ学校の提案に対し、娘の考えは?Upload By マミヤ家に帰って娘に学校の先生との面談の内容を話しました。その時娘は何も言わなかったのですが、次の日に「私、給食がなければ行けるかも……」と言ってきたのです。半信半疑でしたが、娘はその言葉通り、翌週の月曜日から午前中のみ再登校をはじめました。再登校の理由は「友達に会いたい」「たくさん休んだから少し元気になった」そして「ママとすごすホームスクーリングが想像より大変だった」からでした。お休み中はわりとあちこちに行って娘の好きではない買い物に付き合わなければいけなかったり、ゲームの時間制限があったり……といったことが負担だったそうで……。いい感じで日中をすごせているものと思っていた私は、正直すぎる娘の発言に苦笑いをしてしまいました。再登校後にありがたかった学校の配慮。そして予想以上に大変に感じたこととは?Upload By マミヤ再登校を始めた後は、特別支援学級の先生に配慮していただき、授業は4時間目まで受けることにし、交流学級の授業は別室教室(通常の教室に入れない場合に授業を受ける場所)に行かせてもらうことにしました。娘が再登校するようになって、地味に大変だったのは送迎でした。朝に娘を学校へ送ったと思ったら、4時間目が終わる12時にはもうお迎えです。心の中で”幼稚園の年少の時よりお迎え早いな!”と思った日もありました。それでも娘本人が頑張っているのは分かっているので、急かすことのないように見守っていました。そうするうちに、徐々にですが、お弁当を持参して通うようになり、交流学級の教室での授業にも少しずつ参加できるようになっていきました。ちょうどこの頃に、娘が学校を休み始めた時期に予約を入れていた児童精神科の受診がありましたが、再登校できるようになっていたので、特に投薬などは希望せず様子見となりました。しかし、今後も相談できる場所が増えたことで、安心材料になりました。娘はいろんなことが重なり学校に行けなくなりましたが、この時は娘自身がホームスクーリングより学校を頑張るほうがいいと選択し、再び学校に通い始めました。また、娘が再登校しやすいように登校のハードルを下げてくださった学校の配慮にはとても感謝しています。Upload By マミヤ執筆/マミヤ(監修:井上先生より)娘さんが学校に行きたくないということを言われたとき、親御さんとしてはとても不安になられたことでしょう。休み中の生活リズムが乱れてしまうことを防ぐために、学校での時間割も意識したホームスクーリングを実施されたことは、良かったと思います。また、マミヤさんは娘さんとしっかりとお話しされ、娘さんが学校に行きづらい理由を具体的に把握されたことが学校の配慮に繋がったと感じました。この経験から、娘さん自身も自分の苦手なことだけでなく、それに対する対処法や対策を学習できると、その後の自己理解にプラスになるのではないでしょうか。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年10月16日一生懸命甘えさせても、自己肯定感が育ってくれない娘わが家は姉・弟・弟の3人姉弟、3人共にそれぞれ診断が出ています。一番上の娘は現在中学3年生、11歳直前でADHD(注意欠如多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)、LD・SLD(限局性学習症)の診断を受けました。授業中折り紙など別のことに熱中し、気付くとほかの人は別のことをやっていてる……ということが多かった娘。不注意の傾向が強いため、苦手な「ー(マイナス)」がある数学の式は大体間違えます。私が解き方を教えたりして対応しています。私に対してや、信頼している先生にはすごく甘えますが、私が一生懸命甘えさせてもなかなか自己肯定感が育ってくれません。先生たちには「娘はほかの人より愛情で満たしたい器が大きすぎて、いくら頑張ってもいっぱいにならないように感じています」と説明しています。そんな娘は、中学校の一時期学校へ行けなくなる事がありましたが、ある出来事がきっかけで登校できるようになりました。その経験をお話したいと思います。少しずつ積みあがった小学校時代の友だちトラブル。そして娘はストレスで髪を食いちぎるように……娘は、2学年上の近所のお姉さんと一緒に登校していました。こちらは送り出したら一安心でしたが、娘は途中の草花などにいちいち立ち止まるそうで、お姉さんが何度も声をかけて学校に連れて行ってくれたようです。ですので一人で帰る時は寄り道ばかりになり、大人の足で16分の距離を1時間以上かけて帰ってくることもありました。小学1年生の頃、幼稚園の時仲が良かった男の子と一緒に帰るところをほかの男の子たちから「カップルだ」とからかわれ、それ以来男の子が苦手になりました。また休み時間「外で一緒に遊ぼう」と女の子から声をかけてもらった時、「今、本を読んでいるから」と断った娘。それから「女子たちから陰口を言われている気がする」と感じるようになり、クラスで孤立していったようです。仲がいい特定の女友だちの存在が救いでしたが、彼女とは途中でクラスが別れることとなりました。Upload By ユーザー体験談このように、友だち関係でのトラブルが増えて行った娘。小学4年生の時、一緒に学校に行っていたお姉さんが卒業、続いて小学5年生の始めにコロナ禍で休校になった時、限界を迎えました。休校中のある日、末の弟が家のあちこちに髪の毛の束が落ちていることに気づきました。娘がストレスで髪を食いちぎっていたのです。「これはまずい」と思った私は、娘にゆっくりとなにか苦しいことがあるのか話を聞きました。そこでそれまでの友だちトラブル、「もう私、ぼっち確定だ」と嘆くに至った背景を知ることができました。Upload By ユーザー体験談そして、娘は弟が通っていた児童精神科でADHD(注意欠如多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)と診断。そこから小学校に相談をして、スクールカウンセラーの先生に話を聞いてもらったり、教頭先生やほかのコーディネーターの先生などにも様子を見てもらいながら、休校開けはどうにか学校へ通うことができました。担任の先生が優しい女性だったのが幸運だったと思います。そこからは仲のいい友だちと同じクラスにしてもらうなどの配慮を受けながら、学校へ通い続けることができました。中学校へ進学。巡回相談、放課後等デイサービスを利用し環境を整え学校へは通えていたけれど……中学校では通常学級へ在籍することになりました。学校との協力、巡回相談、放課後等デイサービスを利用しながら、娘が苦しくない方法を模索し続けました。放課後等デイサービスには中学1年4月から通い始め、学習面のサポートや居場所を作ってもらえました。他校の友だちができたり、料理や裁縫、小物づくりなどで先生に褒めてもらったり、そこにいくと楽しすぎて120%のエネルギーが出るそうです。放課後等デイサービスに行き始めて半年ほどで驚いたことは、爪が伸び始めたことでした。ストレスで爪を嚙むことがある娘は常に深爪で、きれいに爪が伸びた姿を見ることはないと思っていた私。足、手としっかり伸びた美しい爪を見たときは、とても嬉しく、感動しました。担任の先生は巡回相談以外の時間にも細かく娘の状況を教えてくださいました。1年、2年と仲がいい友だちと同じクラスにしてもらえたおかげで、学校にも安心して行けていました。ですが、中学2年生の10月頃から2ヶ月程、急に不登校になりました。中学2年生の秋、突然学校へ行けなくなった娘原因はこれと言い切ることはできませんが、おそらく体育祭を欠席したことだったのかもしれません。体育は苦手ですが頑張って練習をしていた娘。ですが、当日体温が37度になり、喉頭痛もあったことから「新型コロナウイルスかもしれない」と体育祭には行くことができませんでした。それから朝になるとうつっぽくなったり、微熱が出ることが増えました。コロナは陰性だったにも関わらずです。部屋にこもった娘はこのように話していました。・なぜか気分が上がらない。やる気がおきない。自分がだめだと思ってしまう。・友だちがいる学校に行きたいけれど、勉強が全然分からない。・ママに言われて頑張って苦手な数学の通信教育を頑張っても全部バツになってしまう。頑張っても頑張ってもバツになるからとても悲しい。・パパやおばあちゃんにいろいろ言われている。「やらないならもったいないから通信教育をやめろ」「あの子は学校行かないで大丈夫なのか」「また学校休んでる」など1階で話しているのが聞こえる。部屋で動画を見て聞かないようにしている。少しでも娘の気持ちが楽になるようにと、私の姉二人と姉の息子でグループチャットを作り、なにかやったら写真に載せてみんなから褒めてもらったり、AIとおしゃべりできるアプリを利用したりしました。病院でさまざまな検査をしましたが、身体的な病気はありませんでした。心の問題かもしれないということで、かかりつけの精神科と相談し投薬を調整、12月から朝行けそうな様子であれば、1時間や2時間ほどの短い時間、学校に行くようになりました。私が学校まで送り、帰りは自力で帰り、できたら褒めるを繰り返しました。初めて学校へ復帰した日は、仲良しの友だちと休み時間に抱き合って再会を喜んでいたと、当時の担任先生から教えてもらいました。学校へ行きたいのに、さまざまな苦しみを抱えて行けない娘。やっと友だちに会えてよかった……と感無量でした。Upload By ユーザー体験談「学校へ戻らないと」スイッチが入った娘が始めた「あること」中学3年生に進級する前の3月のことです。娘より年上の従兄は高校に進学を控えていました。従兄は雑談の中で娘に「高校に行くには遅刻も欠席もしちゃだめなんだよ」と言ったそうで、これを聞いた娘は「自分で学校へ戻らないと」と、スイッチが入ったようでした。ある日娘は「春休み中、ママのお弁当を作るね」と言い出しました。インターネットでお父さんのお弁当を作る娘の動画を見て、自分もやってみようと思ったそうです。「今まで7時に起きられなかったけど、もっと早く起きることになるよ?」と言うと「やってみる」と娘。朝6時に起きてお弁当を作る日々が始まりました。パパが「いいな~。ママだけ」と言うので、「じゃあパパの分もおまけで作ってあげる」と夫の分も作ってくれる事になりました。そして4月、学校が始まってからも6時になると自分で起きて野菜を切ったり、炒めたりしてしっかりしたお弁当を作り続けてくれています。中学1年になった弟の弁当も加わりました。娘はお弁当の残りを自分の朝ごはんにして、身支度をして7時40分に家を出発。遅刻することなく登校する生活ができるようになりました。「今のところ無遅刻無欠席だからこれからも頑張る!」と言って……。Upload By ユーザー体験談自分で決めて一歩踏み出した娘なにがきっかけになるか分からないですが、本当に嬉しいです。これがさまざまなやる気につながるように、よく褒めて見守っていきたいと思います。ただ、頑張りすぎて疲れてしまうことも当然あると思います。そんなとき、娘の安全基地でいられるよう、娘の様子には目を配っています。これからどんどん大人になっていく娘。自分の力で自分のやりたいこと、なりたいことに真摯に向き合って、夢をかなえて幸せになってほしいです。自分に自信をもってチャレンジする力を持ってほしいです。その一歩に今、立ち合えている気がします。娘のお弁当に私は毎日幸せと元気をもらっています。イラスト/ネコ山エピソード参考/まんまゆうまま(監修:鈴木先生より)ASD(自閉スペクトラム症)のお子さんはこだわりが強い傾向にあります。そのルーティンをやらないと気が済まないのです。そのために、からかいやいじめのターゲットになりやすいという面があります。今回は従兄との雑談が功を奏したようですね。ちょっとした一言にこだわり、結果登校できたのならばそれで良しとしましょう。そして、お弁当作りもたまたまインターネットを見て自分でやってみようと考えたのは立派なことですね。なお、お弁当作りや無遅刻無欠席もこだわりがあれば継続できますが、ちょっとでも寝坊したり、遅刻したりした場合はその法則が崩れてしまう可能性も秘めています。ASD(自閉スペクトラム症)のお子さんはほかの子同様、自分の思った通りに事が運み、その結果親から褒めてもらうと機嫌よく過ごすことができます。それが継続できるようにお母様は日々娘さんを見守ってあげてくださいね。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2024年09月03日不登校・ひきこもりなどを経験した若者が生き方を創る学び場、NPO法人TDU・雫穿大学の代表・朝倉景樹は、急増中の「大学の不登校」で苦しむ若者たちに、「生きづらさ」を解きほぐす選択肢を届けるクラウドファンディングを開始、2024年10月18日(金)まで受付しています。大学で不登校をしている人が抱えうる「自己否定感」などの「生きづらさ」は、時に命にすら関わる問題ですが、支援も理解も不十分です。そんな彼ら・彼女らに本当に必要な情報を届け、その苦しさを少しでも減らすための取り組みです。★クラウドファンディング『大学の「不登校」を知っていますか?苦しむ12万人に選択肢を届けたい』 『大学の「不登校」を知っていますか?苦しむ12万人に選択肢を届けたい』◆背景現在、大学で不登校をしている学生が推計で約12万人いると考えられます(※1)。そして、この「大学の不登校」は、「甘え」「怠け」などではないため、単なる再登校は本人を追い詰め、命に関わることさえありえます。実際に、2023年に国立精神・神経医療研究センター 松本俊彦医師らが発表した研究(※2)によれば、小中高で不登校を経験した後に自殺してしまった人の実に75%が「再登校者」でした。2023年度推計 大学生の不登校 - 約12万人背景にあるのは、「自己否定感」等の「生きづらさ」の問題です。「自己否定感」とは、ただ自分を肯定できないのではなく、自身の存在そのものを否定し、生きる力すら奪うような感覚です。少なくない若者たちに広がり、苦しめています。不登校経験者の約91%が否定感を感じている彼ら・彼女らに必要なのは、「生きづらさ」をまず解きほぐすことですが、そうした情報や支援は本人たちに届いていません。そこで、TDU・雫穿大学は次のアクションを行うことにしました。◆アクション:必要な情報を届けるアウトリーチNPO法人TDU・雫穿大学(てきせん大学)は、フリースクールの元スタッフであり、社会学者の朝倉景樹が、ひきこもりや不登校などを経験した若者たちと共に立ち上げた学びの場です。長年、当事者研究の手法も使いながら、学生たちが自身の「生きづらさ」を解体し楽になっていく試みを続けてきました。今回のアクションでは、関係機関(各大学の相談室)と連携することで、こうした「生きづらさ」を解きほぐす実践の情報を「大学の不登校」で苦しむ若者たちに広く届けていきます。[アクション(1) 「生きづらさ」を解きほぐす]●一般大学の相談室と連携一般大学の相談室と連携して、情報を今困っている若者たちに直接届けます。この試みは実績があり、既に一般大学の相談室を通して繋がってくれた学生もいます。●特設サイトの充実化現在も公開中の大学の不登校で悩む人に向けた特設サイトをさらに充実させ、SNSや広告等による宣伝で情報を広げます。既に「大学の不登校」で悩んだ末にサイトへアクセスしてくれた人も多くいます。●無料のオープンキャンパスを開催「生きづらさ」を変えたいと願う人が無料で参加できる雫穿大学のオープンキャンパスを開催します。[アクション(2) 「生きづらさ」や教育の問題に関する情報と議論を広げる]もう一つのアクションは、「自己否定感」「生きづらさ」と教育の問題に関する情報と議論を少しずつ共有し広げる下地をつくることです。●若者たちの「生きづらさ」等の資料をまとめたデータベースを制作公開現在雫穿大学には、若者たちの「生きづらさ」の実態を知ることができる統計データや不登校に関する資料、また教育・学びのあり方を深く考える助けになる国内外のオルタナティブ教育の実践についての貴重な資料があります。それら「生きづらさ」「不登校」「オルタナティブ教育」に関する資料を利用しやすいようにまとめたデータベースサイトを制作公開します。また、SNS等でも随時情報を発信していくことで、「生きづらさ」や「教育・学び」についての議論を広げる土台づくりを少しずつ進めていきます。オランダの教育研究者と意見交換この「大学の不登校」をめぐる試みに多くの方のご理解とご協力をいただくために、TDU・雫穿大学は、クラウドファンディング『大学の「不登校」を知っていますか?苦しむ12万人に選択肢を届けたい』に挑戦します。【クラウドファンディング概要とお問合せ先】■プロジェクト名: 大学の「不登校」を知っていますか?苦しむ12万人に選択肢を届けたい■実施期間 : 2024年8月19日(月)~10月18日(金)23:59■募集ページ : ■受付窓口 : クラウドファンディングサイト「CAMPFIRE」■目標金額 : 2,000,000円■リターン : デジタルニュースレター、雫穿大学当事者研究論文集、イベントへのご招待…等■団体名 : NPO法人TDU・雫穿大学■代表 : 朝倉景樹■電話番号: 03-6205-6079/メール: info@tdu.academy ■公式HP : 【法人概要】法人名 : NPO法人TDU・雫穿大学代表者 : 代表 朝倉景樹所在地 : 〒160-0022 東京都新宿区新宿5-11-30設立 : 2021年7月(前身の設立1999年4月)活動内容: ・自分の生き方をつくる学び・当事者研究・自分から始まる表現・自分に合った「働く」を模索するURL : ※1 井出草平等、「大学生の不登校者数の推定と実態把握」『日本教育社会学会大会発表要旨集録 76-77』2010年この研究では2008年の統計であるため、その後の大学進学率の上昇などの点から計算し直した推定値。※2 「精神科医・松本俊彦先生に聞く 「不登校と過剰適応」」講談社コクリコ、2023年 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年08月28日二度目の不登校は「学校が怖い」から始まった小学校3年生の三学期から行き渋りが始まった息子は、5年生の時に再登校できるようになったものの、6年生で完全不登校になりました。不登校からの復活を果たしてからの再不登校は、これまでとは全く違うものでした。まず体が動かない、布団から起き上がることもできないのです。4年生の時なら抱き抱えることができましたが、体の大きな息子は6年生になるととっくに私の身長を超えていて、「学校もう無理や!怖い!怖い!」と布団で泣き叫び、為す術がありませんでした。きっと再登校後の無理もあったのでしょう。以前のような「それでも学校に行きたい」という気持ちは消え去り、コロナの感染不安もあいまって、学校はただただ恐怖の対象になってしまいました。Upload By 花森はなだけど進路は待ってくれない…2つの選択肢しかし小学校の最終学年、学校に行けなくても進路だけは何とか決めなければなりません。地元の公立中学校に通うか、特別支援学校に通うか、そのどちらかです。特別支援学校に関しては、不登校になる前に当時の特別支援学級の先生に「特別支援学校を視野に入れてみるのはいかがですか」とおっしゃっていただき、常に頭の片隅にはありました。しかし、息子の希望は「みんなと一緒にいたい」「みんなと同じ中学校に行きたい」で、私もなるべくその意思を尊重したいと思っていました。そして、夏休みに2つの学校に教育相談に行くことになったのです。教育相談とは、子ども、保護者、教員の悩みごとの解決に向けて行われる相談活動のことです。 By 花森はな行って見て分かった公立中学校の現実教育相談は学校を通して申し込みます。まず先に返信が来たのが公立中学校でした。本来は息子を連れて行きたかったのですが、本人の調子が悪く、私と支援担当の先生2人で伺いました。学校の会議室で、特別支援学級のことや授業ではどのような対応をしてくださるのか一通りお聞きしました。「大人の怒鳴る声がつらく、パニックを起こすのですが、その際対応はしていただけるのでしょうか?」「全て必要な指導ですので、怒鳴らないというのは無理です」「学校に登校できた日は教室に行けずに1日支援教室で過ごしているのですが、可能でしょうか?」「不可です。基本的にはそれでも授業に出ていただくか、別室対応になります」この時点でやはり中学校は厳しいと感じていたのですが……。「もし、中学に行くことができたらクラブに入りたいと思っているんですが……」「特別支援学級の子が入れるのは、特別支援学級のクラブだけです。バスケやサッカーなど普通の部活は加配の教員がつけられないため、入部できません。特別支援学級のクラブでは授業でできなかった勉強や課題をやります」中学校でも、小学校と同じように教員不足を肌で感じました。また、不登校担当の先生はいるけれども、できることは電話での登校刺激のみで、本来の業務の隙間にやっているので、期待はしないでほしいということを重ねて言われました。息子にはたぶん、合っていないのではないかなと思いました。Upload By 花森はなここが新しい居場所になってくれたら……2校目は特別支援学校です。今回は息子にもどうしても行ってほしかったので、なんとか連れていくことができました。特別支援学校はまず、入った瞬間から空気が違いました。先生方がみんな笑顔でウエルカムモード。保護者の私でさえ、地元の公立中学校に見学に行った時に感じた疎外感を全く感じず温かく接していただき、第一印象は「大きな特別支援学級みたいだな」と思いました。「クラスは基本的に5〜7人で教員が3人入ります。学習は習熟度に分けてグループを作ります」「もししんどくなった時はどうすれば……」「クールダウンスペースもありますし、休む場所はたくさんあります。教員もつきますので、一人になるようなことは絶対にありません。息子くんのペースで、一緒に考えながらやっていきましょう」先生のお言葉で、ここだ!と思いました。この学校が息子の新たな居場所になってくれたらいいなという気持ちが瞬時に湧き出ました。それは息子も同じだったようで、私や小学校の先生と離れて、別室で特別支援学校の先生と簡単なテストを受けた息子は「僕もここやったら行けるかな」と言ってくれました。ただ、特別支援学校への進学については、次のようなことから悩みました。 特別支援学校の高等部を卒業した場合、特別支援学校高等部卒となり、制度上は大学入学資格は得られます。ですが、実際に希望する大学の受験が可能かどうかは履修単位などの確認が必要になります。 また、息子が通っている小学校から特別支援学校に進学予定の児童はいませんでした。 通学方法も、スクールバス通学か自力通学という選択をしなければならず、クラブに入れるのは自力通学の子のみなので、一人で外に出ることのできない息子はおそらく無理です。それでも笑顔で迎えてくださったこと、拒絶されなかったのが私たちの中でものすごく大きなことでした。Upload By 花森はな最後は自分でしっかりと考えて結論を公立中学校で聞いた話と自分で実際に行ってみた特別支援学校と、自宅でゆっくりと比べてみることにしました。「友達と同じ中学校には行きたい。でも今の自分には無理やと思う。まず制服が着れない」と息子は言いました。ここ数年で感覚過敏がひどくなり、ボタンのある服が一切無理になり、長ズボンも息がしにくくなるという理由で履けなくなっていました。交渉すれば体操服で通うことも可能だったかもしれません。ですが、一つひとつを交渉して勝ち取っていく元気は、私たちにはありませんでした。今の息子を全て受け入れようという姿勢が感じられた特別支援学校に、入学を希望することになりました。こうして特別支援学校中等部に進学した息子でしたが、実際登校できた日数は3年間で1ヶ月くらいでした。ですが、この進路が間違っていたとは思いません。学校に通えなくても、先生方は定期的に家庭訪問をして、息子とたくさん話をし、信頼関係を築いてくれました。特別支援学校高等部には進まず、通信制高校進学を選択した息子のことを応援してくださり、手厚く受験対策までしていただきました。これは公立中学校に進学していたら得られない支援であったと思いますし、今でも深く深く感謝しています。学校に通えないのにこれからのことを考えなければならない、心がしんどい時に人生の大きな選択をしなければならないのは、とても大変なことです。それがたとえどんな進路でも、自分自身で答えを出せたことが一番重要ですし、後悔が残らないように思います。これからも息子の選択を応援し続ける親でありたいです。執筆/花森はな(監修:森先生より)花森さん、お子さんの進路で悩まれていた体験談をありがとうございます。実際、通常学級に通うべきか、特別支援学級・特別支援学校に行くべきかで悩まれる方は少なくありません。地域によって通いやすさにも差がありますし、お子さんの慣れている環境のほうがいいのか、支援体制の整った環境がいいのか、など、どちらが良いとは一概に言えない部分もあり難しい問題ですね。ただ、やはり特別支援学級・特別支援学校では、教職員に発達障害についての理解があり、お子さん一人ひとりの特性に寄り添ったきめ細やかな指導がしやすいというメリットがあります。結局のところ、お子さんが長い学校生活を送る場として大切なのは、お子さん自身が安心して過ごせるかどうかです。お子さんがのびのびと過ごせるかどうか、見学や相談に行って、実際の空気を知ることが一番ではないでしょうか。限られた時間、限られた情報の中で進路を決める必要がありますが、何が正解かは誰にも分かりません。どんな道を選んでも、よかったと思う点もあれば、残念に思う点もあるでしょう。それでも、進路を考える時に、保護者の方がお子さんの気持ちをしっかり考えてくれたこと、不安を受け止めてくれたことは、これからのお子さんの自信につながるのではないでしょうか。これからの人生も、お子さんが自分の気持ちを大切にしながら決断していけるよう、応援しております。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年07月31日サラダやおひたしにして食べるとおいしい、野菜のキュウリ。1年中、スーパーマーケットなどで売られており、使い勝手がいいため、冷蔵庫にストックしている人もいるでしょう。白飯がススム、キュウリを使ったレシピ料理研究家のふらお(@furafurafufu)さんは、キュウリを調味料などで和えるだけの時短レシピをXに投稿。ふらおさんによれば「副菜なのに、白飯が欲しくなる」おいしさといいます。用意した材料はこちらです。【材料1人ぶん】・キュウリ1本・ツナ缶1個・ごま油大さじ1杯・顆粒だし小さじ1杯・塩小さじ2ぶんの1杯ふらおさんいわく「あっという間に作れる」とのことです。早速、手順を見ていきましょう!まずは、キュウリを薄切りにします。スライサーがあれば、より調理時間を短縮できますね!薄切りにしたキュウリが入ったボウルの中に、油か水を切ったツナ缶と、すべての材料を加えてください。キュウリと材料を和えてお皿に盛れば…。『爆速ツナキュウリ』の完成です!味付けは塩のみですが、ごま油の香りとツナ缶の旨味が相まって、白飯だけでなく、おつまみにもピッタリな一品になるのだとか!ふらおさんが「忙しくて料理をする体力が残っていない時に、試してほしい」とすすめる、一品です。ちなみにふらおさんは、調理中のクスッとする1枚も公開。キュウリをスライサーで細切りにすると…。キュウリの断面が『優しい表情』をしていたようです。もしかしたら、あなたにも、キュウリがほほ笑みかけてくれるかもしれませんね…。簡単にキュウリの時短料理ができるレシピを見た人からは、このようなコメントが寄せられました。・たくさんある、ゴマの使い方に迷っていたので、助かります!・夏バテ気味でも、さらりと食べられそう!・これは、すぐ作りたい簡単な時短レシピ!2024年7月現在、各地で厳しい暑さが続いています。暑くて食欲がなくても、さっぱりとしたキュウリ和えがあれば、ご飯がすすむかもしれません!ふらおさんのレシピを作って、夏を乗り越えてみてはいかがですか![文・構成/grape編集部]
2024年07月17日どうしたら行けるようになるんだろう小学校3年生の3学期より「先生がこわいから学校に行きたくない」と登校を渋り始めた息子は、4年生になっても気持ちは回復せず、次第に学校へ行けなくなっていきました。精神科で処方されたお薬を飲んでも状況は一切改善せず、むしろ悪化するばかりでした。病院「お薬をきちんと飲んでいれば学校に行けるようになります」学校「頑張って登校してください」そのどちらの意見も、息子に向けられているようで、向けられていないような感じがしました。副作用で1日のほとんどを眠り続ける息子を見ながら、私はだんだんと追い詰められていきました。Upload By 花森はなそれでも「学校に行きたい!」という気持ちある朝、私は学校に電話をかけて、「もう無理です。しばらくお休みさせてください」と担任の先生に伝えました。とうとう気持ちの限界を超えてしまったのです。さぁもう学校へは行かないぞ!という決意を密かに固めていたのですが、息子の口から出るのは「今みんな何してるんやろう」「今日の体育何やろうか」「給食何食べてるんやろう」と学校のことばかり。学校へ行くとしんどくて暴れてしまうのに、「学校へ行きたい」「みんなと遊びたい」という思いは強くありました。私は息子のサポートをとことんやろうと決めました。付き添い登校、スタート!学校側からの申し出で再登校に向けて、現担任、前担任、校長、教頭、私たち夫婦で校長室にて話し合いを行いました。そして、息子は特別支援学級に転籍できることになりました。息子が好きな図書の時間、給食だけ、など短時間の登校から始めて、午前中のみ、午後のみと少しずつ学校での滞在時間を時間を延ばしていくことにしました。もちろん最初から全てうまくいった訳ではありません。クラスメイトの一言で気持ちが崩れてパニックになったことも、泣き暴れる息子を抱えて早退した日も、突然廊下を駆けだして学校から出ていこうとしたこともあります。そうした日々を繰り返して、7月頃にはなんとか1日学校にいられるようになりました。Upload By 花森はな友達がいるから頑張れる学校に行けるようになった、と言っても息子が1人で教室にいることは不可能でした。担任の先生や支援の先生は、私の目から見ても手一杯で、学校という場所は本当に人が足りていないんだなと感じました。教室にいられない児童を見る余裕なんて誰にもありません。それでも支援の先生は息子のために、精一杯手を尽くしてくださいました。私も、なるべく皆の邪魔にならないように心を配りながら付き添い登校を続けました。学校へ行くと、放課後は毎日のように友達が家に遊びに来てくれました。それが息子にとって、明日の登校への原動力でした。Upload By 花森はな付き添い登校の終わりと、新たな始まりそんな付き添い登校が終わりを迎えたのは4年生の3学期終盤、2月の終わりのことでした。「買い物とか行けていますか?大丈夫ですか?」と支援の先生が付き添い登校を続ける私を気遣ってくださったことがきっかけでした。確かに当時、家の状況は本当にギリギリでした。家事は最低限、買い物は宅配を利用していましたが、足りないものがあると早朝にコンビニに走り、娘の幼稚園送迎やケアもありました。夜は、前担任の先生のことを「こわい」と言って泣き続ける息子の対応に追われていました。支援の先生がほかの先生と連携して、少しずつ私と離れる時間をつくってくださいました。「1時間だけ帰って洗濯をする」「歯医者に行く」「PTAの係仕事がある」という理由で、息子から離れることは私にとって救済でもありました。そうしていくうちに、息子はなんとか一人で授業を受けられるようになっていきました。始めはあんなに苦労したのに、離れる時はあっという間。きっとその時はそういう時期だったのだと思います。Upload By 花森はな当時の不登校は、支援の先生のお力がなくては再登校に繋がっていなかったと思います。先生には今でも深く感謝しています。不登校は保護者の力だけではどうすることもできません。多くの大人が子どものほうを向いて何ができるかを考えて……それがうまく作用して、子どもの心や体のタイミングとマッチしたら動けるのかなと思います。このバランスが崩れてしまうと、息子はまた動けなくなってしまいます。私が息子の様子から感じるのは、不登校は「解決」するのではなく、「落ち着く」けど「繰り返す」。バケツの水があふれてしまうように子どもの思いがあふれてしまったら、もう戻ることはできないということ。親の私ができることは、そのあふれた水を堰き止めることでも、すくい上げることでもなく、「あふれても大丈夫!!」という環境をつくり上げていくことなのかもしれないと、息子が高校1年生になった今、改めて思います。執筆/花森はな(監修:藤井先生より)不登校のお子さんが増えている今、診察室で相談受けることも多くあります。親御さん、学校・園の先生、児童発達支援施設の方、時には習い事の先生などと連携し、お子さんを取り巻く環境を少しずつ整えていくのが大切です。お子さんのペースを大切にしながら、でも、少しだけ次のステップを踏むことができるように促していくのがポイントです。休んでいる時期があったとしても、お子さんのタイミングで、一人で教室に行っても良いかも、フリースクールに行っても良いかも、と社会との繋がりを少しずつ再構築しはじめます。医療でできることはわずかですが、お子さん、親御さんが息切れしないように共に伴走しながら、不登校の時期があっても大丈夫だよと、スモールステップを踏むことを応援しています。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年06月24日この漫画は書籍『親子で不登校になりました。』(著者 最上うみみ)の内容から一部を掲載しています(全9話)。 ■これまでのあらすじ弟・大樹を失い、本当の気持ちに気づけなかったと後悔するうみ子。これまで抑え込んでいた負の感情が一気に押し寄せてきて精神的に追い詰められた状態に。しかし、息子・ねむの前では明るく気丈に振る舞っていました。半年後、ようやく気持ちが落ち着き、普通の生活が送れるようになるが、今度はねむが不登校になってしまい…。ねむに不登校の理由を尋ねたり、担任の先生に聞いたりしてみても、不登校の理由は不明のまま。うみ子は自身が不登校になった経験から、ねむに寄り添って救ってあげたいと思うのでした。不登校になってからの半年間のねむは、1日中ゲーム漬けで昼夜逆転…さらには外出も食事もしたがらず、健康状態にも不安が募ります。ねむを見守っていくと決めたものの、このままではダメだと頭を抱えるうみ子。自分が不登校だった頃、勉強に遅れを取り大変な苦労をしたうみ子は、せめて勉強だけはなんとかしてあげたいと強く思い、自分が教えようと決意したのでした。次回に続く(全9話)「親子で不登校になりました。」連載は7時更新! 『親子で不登校になりました。』 著者 最上うみみ(竹書房) 「親子で不登校になりました。」はこちら 夫と離婚後、シングルマザーとなったうみ子は職業訓練校に通いながら息子・ねむと暮らしていました。しかし、これまで手がかからず優しかったねむが、ある日突然不登校に。息子の気持ちに寄り添いながらも頑張って学校へ行ってほしいと考えるうみ子。しかし、かつて自分も実母からのネグレクトや学校でのいじめから、不登校児になった過去が…。自身の経験と重ね合わせながら、母として息子の「不登校」にどう向き合っていくのか、同じ悩みを抱えた親子の闘いの物語です。
2024年06月11日「小学生キター!!」5匹の秋田犬と4人の子供を育てる、飼い主(@kodomo4dog5)さんは、このようなコメントとともに1枚の写真をXに投稿。撮影当時、小学生の次女は、家の前でほかの通学班の人たちと合流し、学校に向かうところでした。すると、家の中から、秋田犬のこゆきちゃんがやってきたそうです。窓から身を乗り出し、まさに「小学生キター!!」といっているような、こゆきちゃんの表情をご覧ください。目をキラキラと輝かせ、満面の笑みで登場!見るからにテンションが上がっていそうで、なんとも愛おしいですね。子供たちを前に「一緒に遊ぼうよ!」と誘っているようにも見えます。そんなこゆきちゃんの頬を、ムニッとさりげなくつまむ、次女。こゆきちゃんは、多くの子供たちに会えたことが嬉しくて、次女のことは目に入っていなかったのだそうです。少しシュールな光景に、じわじわと笑いが込み上げてきますね。飼い主さんが投稿した、朝の何気ないワンシーンに、多くの人が癒されたようです。・嬉しそうな顔をしていて、かわいすぎる!・嬉しすぎて、『マーライオン』みたいになっている…。・窓から脚を出す仕草が、なんともいえずかわいい!人間の子供が大好きで仕方がないというのが、こゆきちゃんの表情からよく分かりますね。こゆきちゃんのあどけない笑顔を見て、子供たちもきっと、朝から笑顔になれたことでしょう![文・構成/grape編集部]
2024年06月10日この漫画は書籍『親子で不登校になりました。』(著者 最上うみみ)の内容から一部を掲載しています(全9話)。 ■これまでのあらすじ両親の離婚後、崩壊した家庭で育った主人公・うみ子は、小学校の頃いじめに遭い不登校に。不登校の児童が通うクラスに通い始めるが、そこでも同じような目に遭い「どこにいても一緒」だと気づきます。それならば強くなろうと普通の学校に通うように。その後、順調に社会人になったうみ子だが、20歳の時に突然母が他界。これからは1つ下の弟・大樹と、これまで以上に支え合って生きて行こうと決意。その後、結婚して息子・ねむが誕生。幸せな日々を送るはずが、夫の浮気症な性格から喧嘩が絶えず離婚することに。ねむを育てるために、必死に仕事を頑張るも給料が安定せず苦しい状況…。そんな時、心の支えになったのは弟の大樹の存在でした。しかし、その大樹が突然、最悪の選択をしてしまったのでした。弟の大樹を失ったことで、これまで抑え込んでいた負の感情が押し寄せ、感情のコントロールがうまくできなくなったうみ子。しかし、息子・ねむの前では気丈に振る舞っていました。半年後、ようやく気持ちの整理もできてきた頃…、今度はねむが突然不登校になってしまいました。ねむに理由をたずねてみても、学校に行きたくない理由はよくわからず…。担任の先生に連絡してみても、結局不登校の原因はわからなかったのでした。不登校を克服した経験を持つうみ子は、ねむに寄り添い救ってあげたいと思うのでした。次回に続く(全9話)「親子で不登校になりました。」連載は7時更新! 『親子で不登校になりました。』 著者 最上うみみ(竹書房) 「親子で不登校になりました。」はこちら 夫と離婚後、シングルマザーとなったうみ子は職業訓練校に通いながら息子・ねむと暮らしていました。しかし、これまで手がかからず優しかったねむが、ある日突然不登校に。息子の気持ちに寄り添いながらも頑張って学校へ行ってほしいと考えるうみ子。しかし、かつて自分も実母からのネグレクトや学校でのいじめから、不登校児になった過去が…。自身の経験と重ね合わせながら、母として息子の「不登校」にどう向き合っていくのか、同じ悩みを抱えた親子の闘いの物語です。
2024年06月10日学校は毎日行くところ?うちの息子タケル(ASD:自閉スペクトラム症)は、小学校に上がってしばらくすると、登校渋りをするようになりました。「何が嫌なの?」と聞いてみても理由を言うわけでもないのです。学校で何か嫌な出来事があったとか、ほかに行きたいところがあるとかもない、ただ「今日はお家がいい」と言うだけでした。Upload By 寺島ヒロ当時はまだ発達障害だとは分かっていませんでしたが、前々から少し年齢より幼いところがある子だと思っていたので「学校は毎日行かなきゃいけないところだって分かってないのかな?」と考え、私はあまり厳しく「学校に行け」とは言いませんでした。というのも、当時のタケルは、登校させたとしても帰りたくなるとすぐ学校を脱走して帰ってきてしまう子だったのです。帰り道で迷子になることもしょっちゅうだったので、それぐらいなら家にいたほうが安全だと思っていました。学校の先生は登校させてくれと言うけれど…始めの頃、学校の先生方には、とにかく学校へ来させてくれと言われました。学校に来れば指導ができる、でも家庭までは介入できないからとのことでした。私もできれば登校させたいとは思っていましたが、タケルが動かないときにはどうしようもありません。また、当時は先生方にも発達障害についてはそれほど知られてなく「起きられない、身体が動かない」と言っても、具体的にどういう状況なのか想像してもらうことは難しかったかなと思います。まさに学校とのすれ違い期でした。些細なことでも「行きたくなくなった…」と体調が悪くもなく、するっと起きられた時でも、些細なことで「行きたくない」と言い出すことがありました。靴下がうまく履けない、不快な音がした、窓の外を犬が通ったなど……私たちには些細なことですが、タケルにとっては一大事。「もう行きたくなくなった」と言って脱力してしまいます。仕方がないので「よいしょ」と立たせて身支度を手伝い、学校のそばまで車で運んで、時には先生に車まで迎えに来てもらったりして、ようやく登校させるのですが、やはりすぐに「お迎えに来てください」と学校から電話がかかってくるのでした。Upload By 寺島ヒロ成長したら分かるようになると思っていたけど2年生になるとタケルも、小学校は「行かなければならないところ」と認識したようでした。学校の先生方にも「早く寝るんだよ」「遅刻すんなよ!」と声掛けをしてもらい、自分でも「早く寝る!明日はちゃんと行く!」と言うようになりました。しかし……これが全くうまくいかなかったのです。ASD(自閉スペクトラム症)のあるタケルにとって、学校は「うるさくて眩しくて、待たされている時間の長いところ」。何かが良くなったわけではなく、我慢しているだけなので、やがて、朝起きたときに体が動かなくなったり、しくしく泣き始めたりする日が続くようになりました。発達障害の診断を受けて通級指導教室へ3年生になるとタケルの身辺に変化が起こりました。それは、3年生になるのと同時ぐらいに発達障害の可能性を考えて通院を始めたこと。そして、4年生から通級指導教室に変更、学校も心理士の先生がいるところに転校したことです。通級指導教室の先生は、タケルの「小学校の環境が苦手」であることを理解してくれて、通常学級にいてつらくなった時はいつでも「通級の教室に来ていいよ」と言ってくれました。学校の中に逃げ場を得たタケルは、学校から脱走しなくなり、朝も体調が悪くない限りは進んで登校するようになりました。山の上の静かな中学校へ通級指導教室の先生やスタッフさんのおかげで学校に行けるようになったタケル。しかし、学校がタケルにとって不快な場所であることは変わりませんでした。大きな変化があったのは、タケルの希望で中学受験をすることになり受験塾に行くようになってから、そして受験に合格し中学に進んでからです。小学6年生になってから、タケルは3ヶ月だけ地元の受験塾に通うことになりました。通い始めてすぐ「もっと授業入れて!週7日でもいいよ!」と言いだしたタケル。塾の環境を大変気に入った様子でした。本人が言うには、「学校と違って静かだから」「行くのが夜なので外がまぶしくない」「みんな一緒じゃなくて終わったら次の課題がどんどんもらえるから退屈にならない」とのこと。そう!ついにタケルは、自力で学校に行くのが嫌になる原因を突き止めたのです!「なるほど、そうだったのか!」と進学先に選んだ中学校は、少人数制の中高一貫校。校舎も深い緑に包まれた山の中。学校はタケルにとって「静かに自分のペースで勉強するところ」となり、今までと比べものにならないほどストレスが少なくなりました。Upload By 寺島ヒロ特に「合理的配慮」とか「障害支援」を謳っている学校ではなかったのですが、明る過ぎるのが苦手なタケルのために、席替えの時にはいつも外の光が直接入りにくい、眩しさに耐えられる程度の明るさの席を選ばせてもらえたそうです。朝身体が動かないことは中学生になっても変わらなかったので、遅刻はそれなりに多かったのですが、この学校では比較的落ち着いた学校生活を送ることができました。何が原因なのか本人には分からないことも...タケルが登校渋りをしていた当時、タケルにASD(自閉スペクトラム症)があることはまだ分かっておらず、眩しさや音で非常にストレスを感じる「感覚過敏」も、私たち親は知りませんでした。タケル自身も、快適な環境を手に入れて初めて「うるさかったんだ!」「眩しかったんだ!」と気が付いたようです。ずっと「何が原因なのか分からないが学校に行くと頭がむにゃむにゃする」という状態だったのです。そりゃあ「何が嫌なの?」と聞いても、理由が出て来るわけないよなあ、と、当時を振り返って思うのでした。執筆/寺島ヒロ(監修:室伏先生より)タケルくんの登校渋りのご様子について詳しく共有くださり、ありがとうございました。定型発達のお子さんでも、ご自身の感覚、感情を表現するというのは難しいこともあります。特に、ASD(自閉スペクトラム症)のお子さんは、自身の気持ちや感じていること、状況などを言語化することが苦手なことが少なくありませんし、困りごとが周囲の人から想像、理解してもらえないことも多いようです。タケルくん、ストレスの多い環境でも頑張って通学されていたのですね、頑張られましたね。通学習慣をつけるためにも大事な小学校低学年の時期、学校に行きたくないというお子さんを休ませてもいいのかどうか、迷われたり、不安になられる親御さんも少なくないと思います。行きたくないといいつつも、頑張って通学を続けていくうちに困りごとが薄れてくることもありますし、頑張って通学を継続したことが自信に繋がることもあります。一方で、行きたくないという訴えが、身体や心の重大なSOSのこともあります。環境の調整や困りごとへの対策ができて、学校での生活がより快適に、楽しくなれば一番よいのですが、それが難しい場合には、通学を促すだけでなく、休むということが必要なお子さんもいらっしゃいます。例えば、お子さんと相談して、フル参加すると疲れ過ぎてしまうから、週の一部はお休みするという対策をとっているご家庭もあります。行き渋りへの対応、環境調整、困りごとへの対策、いずれも特性の理解が助けになることも少なくないと思いますので、スクールカウンセラーや、発達に関する自治体の相談窓口、医療機関などへのご相談を検討してみてください。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年06月03日ねこじまさんの長男・まっちくんは、小学校に入学してからすぐに登校しぶりが始まります。以前から常同行動や強いこだわりなどがあったものの、発達検査を受けても特に診断名はつきませんでした。2学期になると登校しぶりはますますひどくなり、大学病院の心理発達科を受診しましたが、解決策は見つけられません。さらに小学校のスクールカウンセリングや教育センターの不登校専門窓口で話を聞いてもらったものの、具体的な解決法を見つけることはできませんでした。そして、今後もし長期的に学校に行けないことがあっても、受け入れ可能な市の施設があることを教えてもらいました。こうして1年生が終わるころ、「怒ったり泣いたり、休んだりするかもしれないけど、学校で頑張るよ」と自分の気持ちを打ち明けてくれたまっちくん。 ねこじまさんは、自分たちのスタイルでやってみようと決意を新たにしたのでした。 え、鉛筆が…!? そして2年生がスタート。ねこじまさんが、まっちくんのことについて新しい担任の先生に伝えると、「みんな一緒ですよ! そんなもんですって!」と言い切られてしまいました。4月末のある日、まっちくんの筆箱を見てみると、なんと鉛筆がボロボロの状態に! どうやらまっちくんは、鉛筆を噛んでしまっているようです。ショックを受けるねこじまさんでしたが、あまり詮索せず、とりあえず様子を見てみることにしました。 クラスも担任の先生も変わる新学年。学校から帰ってくると機嫌が悪くなっていることからも、まっちくんはいつの間にかストレスを感じていたのかもしれません。 こういうとき、怒ったり問い詰めたりせずに、子どもの気持ちを尊重して焦らず支える姿勢を見習いたいものです。子どもが抱える問題に対する解決方法に必ずしも正解はなく、対話を重ねながら一歩一歩前に進むことの大切なのかもしれませんね。 >>次の話 著者:マンガ家・イラストレーター ねこじまいもみ
2024年05月21日タレントの中川翔子が10日、自身のX(Twitter)を更新。不登校で悩む学生にメッセージを送り、ネット上で反響を呼んでいる。○不登校でも「大丈夫」「取り返せる」中川は、「中学で卒業式にも出ず不登校になるのも勇気がいったし、ああもうだめだわたしの人生、て絶望もした、けど母が連れていってくれた通信制高校では単位を自分のペースでとれるから、息がしやすくなり、本校と分校二か所ぶんで卒業証書を貰えて嬉しかった」と自身の経験談を投稿。続けて、「行ってみないとわからなかった、大学に推薦で行った子もたくさんいたし、大丈夫なんだ取り返せるんだ、と少しずつ思えた」と不登校で遅れていた分もカバーできたことを振り返った。さらに、「部活がなかったから青春やれなかったけど歳を重ねるたびに生きてて良かった、の風が吹く日がたくさん増えていく」「あの日死なないで良かった、と思えた未来に繋がれた」と通信高校に行ったことで心が救われ、現在の自分があると明言。自身の経験を踏まえて、「いま悩んでる子どもたち、親御さんに、どんどん選択肢や学びの場や居場所が増えてきている事がつたわったらいいな」と過去の自分と同じ悩みを持つ人々に思いを寄せた。こうした投稿にファンからは、「そうやって辛かった記憶を忘れないで、財産として若者にも伝え続ける。しょこたん本当に尊敬します」「生きていてくれてありがとう」「大事なのは“今”と思えることができた」「娘もいつかこんなふうに振り返れる日が来ると良いな」「しょこたん希望の光をありがとう」「みんなに伝えたいから拡散するね」「悩んでいる人は見学だけでも行ってみて欲しい」「我が家も似ていて共感。息がしやすいって大事」「本当これ。人生の選択肢なんていくらでもある」「多くの人に届いて欲しい」など多くの共感の声が寄せられ、3,900件を超えるリポストで拡散されている。
2024年05月16日新年度は、クラス替えなど多くの環境変化を伴うため、発達障害グレーゾーンの子どもはストレスがかかりやすく、登校しぶりになりやすい時期です。そこで今回、発達障害・グレーゾーンの子どもをもつお母さんを対象に、新年度の登校しぶりの状況や、登校しぶりへの対応で心配なことについてアンケート調査を実施しています。子どもの登校状況〜約8割に「登校しぶり」や「不登校」の経験あり子どもの登校状況については、「登校しぶりをしている」「不登校中」を合わせると57.1%となり、半数以上が現在も子どもの登校に困りごとを抱えています。また、「登校しぶりをしていた時期もあったが、今は登校しぶりはない」との回答を含めると76.7%に、子どもが登校しぶりや不登校の経験があることがわかります。登校しぶりの状況〜約半数が「前年度からずっと登校しぶりをしている」「登校しぶりをしている」と答えた93名(38.8%)に、現在の登校しぶりの状況や登校しぶりに対する心配ごとを聞きました。約半数の46.2%が「前年度からずっと登校しぶりをしている」と、長引く登校しぶりに対応していていることがわかります。一度登校しぶりが始まると長期化の傾向があるようです。まだ新年度が始まって1週間ほどのアンケートでしたが、「新学年になってから登校しぶりをしている」が9.7%と約10人に一人が登校しぶりになっています。発達障害・グレーゾーンの子どもは環境の変化に敏感なため、新年度はとても負担が大きいことがわかります。登校しぶりママの心配ごとランキング1位〜5位登校しぶりママの心配ごとに関しては、「子どものメンタルが不安定になっていること」と回答した人は26.9%、「いつになったら元気に登校できるのか、先が見えないこと」との回答が21.5%でした。子どもの気持ちを心配する一方、子どもをサポートしている保護者も先が見えないことへの不安に悩んでいる人が多いことがわかります。【調査概要】○調査期間:2024年4月12日から4月15日(4日間)○調査方法:インターネット調査○回答者:発達科学コミュニケーション基礎講座の受講経験がある人/受講中の人、メルマガ読者、トレーナー・リサーチャー、セミナー参加者、nicotto塾生、計241名。パステルコミュニケーション(マイナビ子育て編集部)<関連記事>✅発達障害傾向のある人が感じた、3位「曖昧な表現が理解できない」2位「ミスが多い」、1位は?✅「保育園や幼稚園で発達について指摘されたことがある」4割以上、どんなことを指摘された?✅子供の発達に悩む親が不安を感じる我が子の行動、2割は「暴れる・奇声をあげる」、3割を占めたトップは?
2024年05月13日不安感、劣等感、学業トラブル、友達トラブル、いじめ、起立性調節障害……「行き渋り」「不登校」体験談11選!GWの連休明けは新年度の環境の変化での疲労やストレスから「学校に行くのがつらい」と感じるお子さんもいます。行き渋りや不登校にはさまざまな原因や問題が考えられます。今回はそんな「行き渋り」「不登校」について発達ナビ読者から寄せられた体験談をまとめてご紹介します。3歳でASD(自閉スペクトラム症)、DCD(発達性協調運動症)と診断を受けている相談者の息子さん。小学2年生の春から登校渋りが始まり、3学期にはほぼ不登校状態に。「無理はさせたくないけどこのままでいいのか不安」「受容と甘やかしのさじ加減が難しい」「二次障害を防ぎたい」など気になる疑問に臨床心理士・公認心理師の初川先生にお答えいただきました。小学1年生の時ADHD(注意欠如多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)と診断を受けた息子さん。小学5年生の終わりから昼夜逆転生活、家庭内暴力が始まり、中学校1年で不登校に。中学3年生になった今、息子さんの様子は……。9歳でASD(自閉スペクトラム症)、反抗挑戦性障害(反抗挑発症)、LD・SLD(限局性学習症)の診断を受けた現在12歳の息子さん。学業問題からの登校渋り、暴言・暴力などさまざまなトラブルのあった小学2年生から現在の様子や中学選びのポイントなどを教えていただきました。6歳でASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)の診断を受け、小学3年生からは不登校を選んでいるMIKKOさんの娘さん。環境への過剰適応が激しく、周りに合わせられない自分に劣等感を感じていた娘さんが一番苦手な行事は「運動会」で……。翠ママさんの息子さんは現在小学4年生。4歳でASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)の診断を受けました。幼稚園の頃から登園渋りがあり、小学校入学後は友達トラブルなどからますます登校を嫌がるようになりました。翠ママさんが専門職の方々などと一緒に取り組んだ支援の様子などをご紹介します。9歳の時にADHD(注意欠如多動症)とASD(自閉スペクトラム症)のグレーゾーンと診断を受けたみゆねこさんの息子さん。小学4年生になった1学期、クラスメイトとのトラブルで加害者扱いされてしまい、息子さんは追い詰められていってしまいます。担任の先生に相談しても事態は改善せず、息子さんには次第に行き渋りが出るようになり……。現在21歳のるみちゃんさんの娘さんは12歳の頃にASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けています。相手の気持ちを考えたりすることが苦手、正義感が強いなどの特性から友達相手に必要以上の指摘をしてトラブルを度々起こすことも。そんな娘さんが小学6年生の頃にいじめからの不登校になったお話です。3歳でASD(自閉スペクトラム症)、小学1年生でADHD(注意欠如多動症)、LD・SLD(限局性学習症)の診断を受けた息子さん。通常学級入学後、1ヶ月で登校渋りが始まり、通級指導教室に通うも不登校に。特別支援学級へ移籍を勧めても、「このまま通常学級がいい」と言う息子さんでしたが、小学4年生のとき「もう限界なのでは?」という出来事が起こり……。ちゃいぬさんの息子さんは現在中学1年生で発達グレーゾーン。通常学級に入学し、その後、小学2年生で不登校になりました。母子登校や通級指導教室で登校できるようになった矢先、コロナ休校明けに再び不登校、起立性調節障害と診断されて……。知能検査でASD(自閉スペクトラム症)の可能性があると言われ、現在は不登校を選んでいるかいさんの娘さん。そんな娘さんを見て「母親が甘すぎるから行かないのではないか?何とかして学校へ行かせるように」と言うご主人。肉体的にも精神的にも追い詰められたかいさんは「別居を考えている」と告げ……。聴覚過敏と軽度の脳性麻痺のあるZeroさん。小学校中学校の9年間を通常学級で過ごしましたが、いじめがあり一時期不登校に。高校入学後も常にいじめのフラッシュバックと闘いながらの日々でしたが、「発達障害(心理)をもつ自分を理論的に知って受け入れたい」という願いのため大学で奮闘する様子に胸を打たれます。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2024年05月09日株式会社PHP研究所(京都市南区・代表取締役社長 瀬津要)は、2024年5月10日に『不登校の9割は親が解決できる』(小川涼太郎著 小野昌彦監修/税込1,760円)を発売します。近年、急増し社会問題になっている不登校の解決支援サービス「株式会社スダチ」を運営する著者が、平均18日間で再登校率90%という驚きのプログラムを公開します。著者のYouTubeチャンネル登録者数は4万人を超え、メディアや教育関係者からもその実績に注目が集まっています。■本人も「学校に行きたくない」原因がわからない文部科学省の統計によると、2022年度の小中学校における不登校児童は過去最多の約30万人。10年連続で伸び続けており、2年連続で5万人を超える事態に。「不登校の要因」の1位は「無気力・不安」(51.8%)、2位が「生活リズムの乱れ・あそび・非行」(11.4%)で「いじめ」は、最下位の0.2%しかありません。現代の不登校は、いじめなどの明確な理由で学校に行けないというより、「何となく不安」「何となくだるい」といったことが要因なのです。またスクールカウンセラーに相談しても、そのアドバイスは「無理に学校に行かせようとしてはいけません。子どもの気持ちに寄り添いつつ、見守りましょう」といった内容がほとんどで、親や保護者の中には、「黙って見守るだけでいいのか?」「子どもにかける言葉や接する態度で、気をつけることはあるのか?」と気を揉んで、つらい思いを抱えている人も少なくありません。■不登校解決のプログラムを書籍化した理由著者は不登校児に関わるボランティア体験から、「学校に行けなくて悩んでいる人を1人でも多く救いたい」と決意し、2020年4月から「株式会社スダチ」で不登校解決支援サービスの提供を開始しました。これまで約4年間で850名を超える子どもたちを再登校に導いています。不登校児への支援というと、子どもに会って話をしたり、カウンセリングをしたりするイメージですが、スダチでは、子どもに会うことはありません。サポートはすべてメールとオンラインで両親など保護者に対して行っており、毎日子どもの様子を聞いてアドバイスを繰り返すことで、9割の子どもが相談開始後から平均して18日後には再登校するという結果が出ています。今回の書籍化は、このプログラムを親や保護者に伝えることでより多くの子どもたちを救いたいという著者の強い思いによって実現しました。■プログラムの特徴スダチが提供するプログラムでは不登校になった原因を追究することはしません。原因がわかっても解決しないケースが多く、それよりも親をサポートすることで、子どもの「問題解決力」を引き出すことが、再登校への近道だと考えるからです。著者のYouTubeチャンネル「不登校解決TV」は、チャンネル登録者数4万人を超え、再登校できた家庭の体験動画が多数アップされています。本書でも「3カ月不登校だった小2の女の子が23日で再登校。積極的に友達と外に遊びに行くようになった」「引きこもり状態で1年間不登校だった中3の男子が第一志望の高校に合格」など、参考になる体験談が満載です。■再登校できるようになる5つのポイント①子どもの自己肯定感を高める②正しい生活習慣に戻す③正しい親子関係を築く④考える時間を与える⑤マインドセットをする■『不登校の9割は親が解決できる』について親の行動を変えることで子ども変え、不登校を解消できる、魔法のような教育ルールが満載の1冊。【目次より】第1章現代の不登校は何が原因なのか第2章ゲーム・スマホが問題を長引かせる第3章最短で再登校に導ける「5つの条件」第4章最短で不登校を乗り越えられるマインド第5章不登校の子どもへの「魔法の声かけ」■著者・監修者紹介【著者】小川涼太郎(おがわりょうたろう)株式会社スダチ代表取締役1994年3月26日生まれ、徳島県出身。関西大学経済学部卒業。2016年4月、新卒でアビームコンサルティングへ入社。1年目からプロジェクトリーダーに抜擢。2年目には新規部署の立ち上げメンバーを経験し、約2年間で0から50人規模のチームへと拡大。日常の業務の中から「教育が変われば人も変わり社会も変わる」ことに気づき、「教育へ人生を捧げたい」と強く思い、2019年5月に退職し、株式会社スダチを設立。不登校の子ども達に向けたボランティア活動を通して、多くの不登校の子ども達と関わる中で、「本当は学校に行きたいけど行けない、自分でも行けない理由が分からない」という“目的意識がない不登校”で悩んでいる子ども達や親御さんが多くいることを知る。その現状に危機感を感じて、「不登校で悩んでいる人たちを1人でも多く救いたい」という想いから、2020年4月、不登校支援事業開始。2024年3月時点での再登校人数は850名を超え、平均再登校日数は18日。再登校率は90%を超える。本書が初の著書。【監修者】小野昌彦(おのまさひこ)明治学院大学心理学部教育発達科教授筑波大学大学院修士課程教育学研究科修了、同大学大学院博士課程心身障害学研究科中退。博士(障害科学:筑波大学)、公認心理師、専門行動療法士。宮崎大学名誉教授。専門は、教育臨床、障害科学。1988年より不登校の系統的支援方法の研究を開始し、支援契約が成立・維持した公表許可事例50事例中49事例(1事例転校)の再登校、再登校維持、及び社会的自立を支援した。2000年より町、市単位での不登校減少対策に関わる。東京都東大和市不登校対策研究協力校スーパーバイザー(全市不登校数、約4年間で新規不登校発現率半減)、三重県名張市不登校対策スーパーバイザー(全市不登校数、3年間で半減)。他小中学校での減少事例多数。主な著書に、『不登校の本質』『児童・生徒の問題行動解決ツール』『学校・教師のための不登校支援ツール』(以上、風間書房)、『教師と保護者の協働による不登校支援』(東洋館出版社、編著)などがある。タイトル:不登校の9割は親が解決できる著者:小川涼太郎監修者:小野昌彦定価:1,760円(10%税込)判型・製本・頁数:四六判、並製、224ページISBN:978-4-569-85710-7発行:PHP研究所 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年04月26日ねこじまさんの長男・まっちくんが小学1年生のときのお話です。入学式のときから「早く帰りたい」と連呼していたまっちくんは、4月に入学してからすぐに登校しぶりが始まりました。以前から常同行動や強いこだわりなどがあり、集団の中で順番や列を覚えるのが苦手だったまっちくん。発達検査を受けても、特に診断名はつきませんでした。しかし2学期になって、登校しぶりはますますひどくなります。大学病院の心理発達科を受診して医師に悩みを相談しましたが、親の気持ちを理解してもらえず、ねこじまさんはつらい気持ちになってしまいました。まっちくんの登校しぶりで予定通りに事が運ばない日が続いたある日、ねこじまさんの怒りが爆発。小学校の先生は、スクールカウンセラーに相談することをすすめてくれました。 まずは、ねこじまさんだけでカウンセラーの先生に話を聞いてもらったものの、具体的に何をしたらいいのかを教えてほしかったねこじまさんは、モヤモヤした気持ちを抱えたままになってしまいました。 そして翌週、まっちくんと一緒にカウンセリングを受けてみると……。 学校には、僕の好きなものがない まっちくんのことを知りたい先生は、立て続けにいろいろと質問をしてくれますが、警戒心が強いまっちくんはずっと薄い反応でした。しかし、「今好きなものや好きなことを教えて」という質問には、生き生きと話し始めるまっちくん。ただ、この好きなことすべてが、学校にはありません。まっちくんにとって、学校は好きなことができない場所だったのです。 先生は一生懸命いろいろ考えてくれたのですが、まっちくんが受け入れられるような方法を見つけ出すことはできませんでした。 ねこじまさんは、このときのことを「先生が考えるほど、歩み寄ろうとするほど、長男の気持ちは引いていってしまう、そんな印象でした」と振り返ります。 大人や子ども関係なく、相手の心を開き、わかり合うことは難しいものですよね。警戒心が強めのまっちくんにとって、先生に歩み寄られること自体がプレッシャーになってしまったのかもしれません。 まっちくんの気持ちにねこじまさんが寄り添い、一緒に解決策を探すことで、新たな希望の光を見つけ出すきっかけにたどり着けるといいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:マンガ家・イラストレーター ねこじまいもみ
2024年03月05日今回は、日常に役立つかもしれない便利な情報を紹介します!是非参考にしてみて下さいね♪この記事では、アイロンがけを時短するためのテクニックを紹介します。1. アイロンがけを時短する際のコツアイロンをかける際には、素材によってドライアイロンとスチームアイロンを使い分けることがポイントです。綿や麻、絹、ポリエステルなどの合成繊維にはドライアイロンが、ウールやカシミヤ、薄手の綿にはスチームアイロンが相性がよいです。これにより、素材に合わせた最適なアイロンがけが可能となります。さらに、アイロンがけを時短するためのアイテムも活用しましょう。ハンガー型のアイロン台やアイロンミトンなどの便利なアイテムがありますので、ぜひ使ってみてください。また、洗濯方法や干し方もアイロンがけの時短に繋がります。洗濯時には洗濯ネットを使ってシワをできるだけ少なくし、脱水後はすぐに取り出してシワを伸ばして干しましょう。干す際には、衣類を振って大きなシワを伸ばし、手のひらでパンパンとたたくことでシワを少なくすることができます。2. ワイシャツのアイロンがけを時短する方法ワイシャツのアイロンがけにおいても、効果的なテクニックがあります。襟や肩のアイロンがけでは、襟先から中心に向かってアイロンをかけることでシワが寄りにくくなります。肩部分もアイロン台の端に掛けることで平らにし、アイロンがけしやすくなります。袖や袖口のアイロンがけでは、袖口を両端から中央に向かってアイロンをかけることでキレイに仕上げることができます。袖山のアイロンがけには裏から表へと2度かけることで、シワの伸ばしやすさが向上します。身ごろのアイロンがけも、特定の手順に沿って行うことでスムーズに行うことができます。右前身ごろ、後ろ身ごろ、左前身ごろの順にアイロンをかけることで、キレイな仕上がりが期待できます。3. アイロンがけした後のワイシャツのたたみ方アイロンがけが終わったワイシャツは、正しいたたみ方をすることでシワになりにくくなります。まずはアイロンがけをしたワイシャツを冷ますために、ハンガーにかけて30分ほど熱を冷ましておきましょう。その後、ボタンを留めた状態でワイシャツの後ろ身ごろを上にし、袖と身ごろを折りながらたたんでいきます。最後に表にして形を整えたら、たたんだワイシャツがきれいに収納できます。明日の私をちょっと楽に♪今回は、日常に役立つかもしれない便利な情報を紹介しました!ぜひ参考にしてみてくださいね♪(lamire編集部)※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2024年02月03日ねこじまさんの長男・まっちくんが小学1年生のときのお話です。入学式のときから「早く帰りたい」と連呼していたまっちくんは、4月に入学してからすぐに登校しぶりが始まりました。以前から常同行動や強いこだわりなどがあり、集団の中で順番や列を覚えるのが苦手だったまっちくん。発達検査を受けたものの、診断名はつかず、「年齢とともに緩和してくることもあるので、様子を見ましょう」とのこと。結局あまり登校できないまま1学期が終了。2学期が始まると、まっちくんの登校しぶりはますますひどくなってしまいます。そんな中、大学病院の心理発達科を受診して医師に悩みを相談しましたが、親の気持ちを理解してもらえず、つらい気持ちに。ねこじまさんは、もう病院を訪れるのはやめようと決めたのでした。そして10月ごろのある日、下の子の1歳児教室のため、保健センターへ行くことに。保健士さんに個別相談ができる日だったので、どうしても参加したかったねこじまさんは、前日からまっちくんに説明していました。 しかし翌朝、またもや登校しぶりで予定通りに事が運ばず、ねこじまさんは焦ってしまい……。 道端で感情が爆発して ものすごく急いでいるのに、とぼとぼ歩いてほとんど進まないまっちくん。そんな姿を見て、ねこじまさんの怒りは歩道で爆発してしまいました。 このときのことを振り返り、ねこじまさんは「こんなときも行き渋る長男、思うようにいかずに焦っている自分、イライラしている自分、いろいろなことにいら立ちがあったと思います。次男の用事を変更して思うようにいかないことが続き、日頃、抑え込んでた気持ちがあふれちゃったのかも……」と自己嫌悪に陥ってしまったそうです。 学校に入っていくまっちくんの背中に「ほんとごめん……」と涙ながらに謝るのでした。 これまで我慢していた気持ちが爆発して、子どもにぶつけてしまった経験がある人も少なくないのではないでしょうか。後から冷静になり、反省して落ち込むことも多いですよね。 子どものことを大切に思っているからこそ、我慢が募り自分自身を追い詰めてしまうことも。自分がつらくなってしまわないように、意識してリラックスできる時間を確保することが大切なのかもしれません。 著者:マンガ家・イラストレーター ねこじまいもみ
2024年02月03日今回は、日常に役立つかもしれない便利な情報を紹介します!是非参考にしてみて下さいね♪時短で皿洗いを楽にする方法とおすすめアイテムここでは、時短ワザやアイテムを活用して苦手な方に少しでも楽する方法や、手荒れ解決に役立つ方法を紹介します。1. 皿洗いを早くする方法や時短ワザすぐに洗う:使用後すぐ洗うと汚れがこびりついていないため、落としやすくなります。油汚れがあるものとないものを分ける:油汚れのあるものとないものを分け、油の付いていないものから洗うと効率的です。一気にすすぐ:一気にすすぐことで他の食器の泡も一緒に落とすことができます。2. 皿洗いでの手荒れを防止する対策法手に優しい洗剤を使う:合成洗剤よりもオーガニックの洗剤を使うと手荒れしにくくなる場合があります。すすぎに水を使う:お湯で洗い物すると油汚れは落としやすいですが、手の皮脂や角質が剥がれて手荒れが起こりやすくなります。なるべく水を使ってすすぐようにしましょう。手袋を着用する:ゴム手袋を着用すると直接洗剤やお湯に触れず、手荒れを防ぐことができます。3. 皿洗いに役立つおすすめアイテム3選洗い桶:お湯をはった洗い桶でつけおきすることで、こびりついた汚れをやわらかくし、時短に繋がります。キッチンスクレーパー:油汚れのある食器や鍋に残った汚れを取り除く際に便利なアイテムです。水切りカゴ:皿洗い後の食器を置いておくだけで水分が蒸発し、拭く手間が省けます。これらの方法やアイテムを取り入れることで、面倒な皿洗いが少し快適になることでしょう。皆さんもぜひ試してみてくださいね!明日の私をちょっと楽に♪今回は、日常に役立つかもしれない便利な情報を紹介しました!ぜひ参考にしてみてくださいね♪(lamire編集部)※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2024年02月01日今回は、日常に役立つかもしれない便利な情報を紹介します!是非参考にしてみて下さいね♪実はバナナの皮は捨てる前に再利用することができるんです。この記事では、バナナの皮の再利用方法を詳しく解説していきます。再利用する際の注意点もお伝えするので、ぜひ参考にしてください!バナナの皮の再利用方法 | 掃除編バナナの皮を掃除に再利用する方法を紹介します。ぜひ試してみてください。革製品を磨くバナナの皮の内側(白い部分)で革製品を磨く方法です。革に含まれるポリフェノールの一種である「タンニン」が、革をツヤ出しするのに効果的。バナナの皮で優しく磨いたあとは、乾いた柔らかい布で拭き取るだけで、革製品がピカピカになりますよ。アクセサリーを磨くバナナの皮を使ってシルバーアクセサリーや銀食器を磨く方法もあります。内側の白い部分で擦るだけで、くすみや黒ずみがキレイに落ちやすくなります。少量の水とバナナの皮をミキサーにかけることで、細かい部分も磨きやすくなります。柔らかい布に塗布して擦れば、アクセサリーや銀食器が輝きますよ。バナナの皮の再利用方法 | 料理編バナナの皮は料理にも再利用できます。簡単なアイデアを紹介します。スムージーにする栄養豊富なバナナの皮を使ってスムージーを作る方法です。洗った後、ヘタと下の部分をカットし、ミキサーでなめらかになるまでかければ完成です。バナナの皮の栄養を手軽に摂ることができます。肉を柔らかくするバナナの皮に含まれる「フィシン」という酵素は、肉を柔らかくする効果があります。とくにパサつきやすい鶏肉の調理に効果的です。バナナの皮を丸ごと鶏肉と一緒に焼いたり、下に敷いて焼くことで、肉が柔らかく仕上がります。バナナの皮を再利用する際の注意点バナナの皮を再利用する際には、以下の注意点を守ってください。・ 劣化に注意する: バナナの皮は時間の経過で劣化しますので、早めに再利用することを心掛けましょう。カビなど異常が見られた場合は再利用せず、捨ててください。・ 農薬に注意する: 農薬を使用しているバナナの皮は料理に使用しないようにしましょう。無農薬のバナナを選ぶことをおすすめします。明日の私をちょっと楽に♪今回は、日常に役立つかもしれない便利な情報を紹介しました!ぜひ参考にしてみてくださいね♪(lamire編集部)※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2024年01月31日前回、「『心を強くする経験』は、これからの子育てを考える時、一番のキーワードになります」と、花まる学習会の高濱正伸さんに教えていただきました。そのためには、「『そういうこともある!』と、『事件にしない』という形で、親が子どもに状況を提示してあげる必要があります」とも。では、最近増えている不登校は、どのように考えればいいですか? 引き続きお話しを伺いました。■不登校と言っても実態はさまざまある――最近、不登校が増えていることについては、どうお考えですか?「不登校」と一言で言っても、その実態はさまざまです。じつは、「学校が『つまらない場所』だから行きたくない」という子も一定数います。そういった子は、大人になって自立さえできれば、不登校でも問題はないと思います。――「不登校だからダメ」と一概には言えない?もちろんです。ただ、長期の引きこもりの人たちの履歴を見ると、不登校からスタートしている場合も多いので、「入口の対応」という意味では「不登校であるという状態」をどう扱うかは大切です。長期化すると、「外に出るのが怖い」とか「朝晩逆転」といったことに繋がることもありますから。――不登校については、何から考え始めたらいいのでしょうか。一言で言えば、愛です。ラポールです。【ラポール】ラポールとは、フランス語で「橋を架ける」という意味。心が通い合い、互いに信頼し合い、相手を受け入れている状態のこと。今の学校の先生の中には、子どもとの信頼関係が築けていない人もいます。そんな先生のことを、子どもはどう見ているのか?「この人は、授業をやらないとお給料がもらえない人。この人が困るから、黙って授業を聞くしかない」といった目で見ている可能性もあります。先生に悪気がないのはわかります。でも、「そこに、【ラポール】~子どもとの信頼関係~があるのか?」という話です。■今の学校は古い⁉――先生と信頼関係が築けないお子さんにはどんな特徴がありますか?知能が高かったり、才能がある子ほど、ラポールに敏感です。今、そういった子たちが、学校の中に居場所を見つけられないという現実があります。――学校に居場所がない子どもはどうすればいいんでしょうか?私は、この現実を受けて、花まるエレメンタリースクールというフリースクールをつくりました。昨年が一年目で、今は二年目なんですが、手ごたえを感じています。――フリースクルーでの手ごたえとは?昨年からいる(1年目からいる)24人が、先輩面するんです。「俺も暴れていたから、わかるよ」みたいなことを言う(笑)。大人に言われるより、「自分もそうだった」という先輩(そう言っても子どもですが…)の言葉を届けることができることが大きいんです。そういった仕組みを作ることが大事だったんです。「現状の学校に収まりきらないタイプの不登校」に対しては、花まるエレメンタリースクールの教育実践を通して、ひとつの答えが出ました。――どんな答えですか?子どもが心から安心できる居場所を作ればいいのです。要は、「仕組み」の問題なんです。この話も何度もしていますが、今の学校がもう古いんです。先生一人一人には、絶対に悪い人はいないんです。■日本の教育は、何が問題か?高濱先生は、いまの日本の教育の問題点として、「粒のそろった兵隊を作る教育」なところと挙げています。そして高濱さんは、「上の言うことを忠実に聞く兵隊を作るのではなく、これからの教育では『自走する人間』を育てていく必要があるんです」と、言います。■居場所を見つけられない子どもに届く言葉とは――居場所に辿り着けてないご家庭は、どうしたらいいでしょうか?「子どもを癒やすのは何か?」という話です。それは、「大丈夫。あなたは、私の子どもなんだから、絶対に大丈夫」という親の言葉です。この言葉が、効きます。私は本当に、たくさんのいろいろなタイプの親子を見てきました。だからこそ、言えるのです。「あなたは、大丈夫。母さんの子どもだから、大丈夫」という言葉が、もっとも子どもの心に響くのです。子どもは親から「大丈夫!」と言われたいし、その言葉を信じたいのです。毎日、家庭でしっかりと愛情を与えていれば、少々、外でつらいこと、嫌なことがあっても耐えることができます。前話の話にも通じますが、多少の試練は、心の免疫をつけるために必要です。親元にいる時に、心の免疫をつけてあげる、と考えてみてはどうでしょうか?■子どもが不登校になったとき母親がしてはいけないこと――お母さん自身が、子どもに対して「あなたは、大丈夫」と言い切れるエネルギーがない場合もあると思うのです。その時は、どうすれば良いですか?そんな時は、お母さんが孤立しているのです。「孤立した母」というのは、現代の社会が抱える問題です。この問題の解決策として言えることは、「繋がりを持ちましょう」ということです。子育てとまったく関係のない、趣味のサークルに入るのでもいいし、パートに出るのでもいいし、大学時代の友達に会うのでもいい…。繋がりをいくつか作ったなかで、誰か一人でいいから、心を開いて話ができる人、居場所を、お母さん自身が確保するのがもっとも大事です。お母さん自身も、正解が欲しいわけではないでしょう? 「うん、うん、そうだよね」と話を聞いてもらって、安心したいのです。――お母さん自身の居場所を、まずは確保するのですねそうです。昔は、隣近所にそういう人がいたかもしれません。けれども、今は「自分で意識して、居場所を確保しないとならない時代なんだ」と、お母さんがしっかりと踏まえておくことが大切です。子どもが不登校の時、「私がちゃんとしなければ!」と、一人で抱え込んでしまう人がいます。大切なのは、一人で頑張ることではありません。人と繋がり、自分自身の居場所をまずは見つけて欲しいです。――キーワードは「繋がり」ですねはい。居場所は、専門的な相談場所でもいいし、気のおけない友だちとカフェで喋るといった時間(心の置き場)でもいいのです。とにかく、誰かと繋がって、孤立をしないようにする。子どもは、そんな母を見て、安心するのです。「お母さん、楽しそう!」と思うと、子どもも、なんとかなりそうな気がしてくるものですよ。――子どもが、「なんとかなりそうな気がしてくる」って大事ですね私の経験から言わせてもらえば、14歳までに自己肯定感に穴ぼこができなければ、大体のことは大丈夫です。14歳は、昔の元服です。人が育つ本質は、そう変わらないのです。不登校で多少、勉強が遅れていたとしても、自己肯定感さえあって、「やっぱり俺、ちゃんとやるわ!」と本人が言い出せば、大丈夫です。――高濱先生に「大丈夫」と言っていただけると、何だか安心します。「あの問題児が!?」と、いい意味で裏切られる子とたくさん出会ってきました。別人になりますからね(笑)。嘆き悩んでいたお母さん方が、「本当に『大丈夫』でした」とおっしゃる例も、たくさん見てきました。大学に入るのが1~2年遅れたとしても、そんなのたいした話ではありません。■高濱先生は三浪四留!?高濱先生は、東京大学に入るまでに三浪していて、大学に入ってからは四回留年しています。二浪した人からは、「自分が、『人生、回り道した』などと言っていて、お恥ずかしい限りです。すいませんでした」と、謝られるとか…。高濱先生のお話を聞いていると、自分の悩みが小さく感じられます……。次回は、編集部に寄せられたお悩み、「わが子が他の子をいじめていた。その時、母親がすべきことは?」について、高濱先生にお話しして頂きます。■今回お話を伺った高濱 正伸先生の著書 『どんな時代でも幸せをつかめる大人にする つぶさない子育て』 高濱 正伸 (著)/ PHP研究所(1,540円(税込))子どもの人生の選択肢を増やしてあげたい。あの時、子どもに「あれをやらせておけばよかった」と後悔したくない。そんな深い親の愛が時に暴走してしまうことがある…。「どうしてできない!?」と子どもを責めたり、「そんな点数じゃ、○○中学なんて入れないぞ!」と脅してしまったり…。それで、子どもがつぶれては本末転倒です。そんなお母さん、お父さんたちに意識して欲しいのが「伸ばすよりも、つぶさない子育て」。子どもとの適切な距離感がわかり、子育て不安が軽くなる1冊です。高濱 正伸(たかはま まさのぶ)先生1959年熊本県生まれ。東京大学農学部卒。花まる学習会代表、NPO法人子育て応援隊むぎぐみ理事長。算数オリンピック作問委員。日本棋院理事。武蔵野美術大学客員教授。環太平洋大学(IPU)特任教授。
2024年01月16日