制服はいらない。娘なりの中学校入学準備出典 : 前回は不登校の娘と迎えた、小学校の卒業エピソードをご紹介しました。(以下、関連記事参照)今回はその合間にあった、中学校入学準備のエピソードからご紹介したいと思います。2学期の終わりの家庭訪問で、娘は担任から「小6の2学期に中学の制服採寸会がある」と聞かされました。「どうする、制服いる?」と私が聞くと、「先生、私の行く中学の名前を教えて」といってパソコンで検索をし始めました。そして、制服の画像を出してきて「これやったらいらんわ」といったのです。そして私に「体操服もいらん。またそのとき考えよう」と言いました。おそらくどんなデザインであろうと制服はいらなかったのでしょう。感覚過敏の彼女は、制服どころか普通の服装もままならない状態。制服は無理だろうと私も思っていました。そして娘は、自分なりに中学校との距離の取り方を既に考えていました。「入学式は行かない」、「中学生の間に1回くらい行ってみたい」と通学する意思がないことははっきりと言っていました。だから「制服はいらない」といったのだと思います。正直、制服姿が見たかった私ですが、彼女にとって制服は重荷になるだけだと思ったので、もし「学校に行きたい」ということがあればその時に購入したらいいと考え、一切買わないことにしたのでした。小学校を留年したいと言う娘。その真意は…出典 : 小6の3月のことです。娘がふと「小学校と中学校はだいぶ違うの?」と聞いてきました。「そうやね、だいぶ違うね。」と答えると、「小学校を卒業するの不安。留年できたらいいのに。」と言ったのです。ああ、中学校という新しい環境に入るのがとても不安なんだなと改めて感じました。最初は本人も、「どうせ通わないんだから、今までと何も変わらない」と言っていたのです。しかしだんだんと不安になってきたらしく、「中学校の先生ってどんな人だろう」など中学校のことをいろいろ聞いてくるようになりました。そして、「私はまだ小学生をクリアしていない」と言ったのです。小学校の勉強ができていない状態で、中学校に進学するのはとても怖かったようで、小学校をクリアしないと、中学校に行ってはダメだと思っているようでした。「中学へは行かない」と言っていても、心は乱れ思い悩んでいたのだな、と気付かされました。入学式当日、親子で感じた中学進学への未練出典 : あらかじめ中学校には「入学式には出席しません。学校に通う意志もありません。」と私から言ってありましたので、入学式はのんびり家で過ごそうと思っていました。でも娘は朝から熱が出て苦しそうにしています。私も頭がガンガン痛くなり、頭では切り替えたつもりでいましたが、やっぱり親子して入学式を心から追いやるのは難しいな、と感じました。結局この日は、2人して1日中寝込んで終わったのでした。不登校児にとって、進学時期はどういう心理になるのか?出典 : 娘と共に小学校卒業、そして中学校の入学を経て、ふと思い出した話があります。これは、中学校の教員から教育相談の相談員になった先生に聞いた話です。小6や中3といった、進学を控えた学年になると、急に勉強を始めてみたり、3日くらい頑張って学校に行ってみる不登校の子が、増えるそうです。「次は中学だ」、「次は高校だ」ということを意識すると、子ども自身も学校に行っていないことを気にしますし、なんとか「自分はやれる」ということを証明したくて、いろいろチャレンジしてみるのですね。子どものなかでは「進学したい」という気持ちもあります。「小学校は行けなかったけど中学こそ」「中学は行けなかったけど高校には行きたい」…こういう気持ちがあるのも、子どもの心の中では本当のことなんです。だけど、「人並みに進学したい」という気持ちの裏には、「でも行きたくない」という本心が隠れていることが多いです。そして、心のエネルギーがついてこないので、何日かは無理に行ってみたものの、やっぱりダメだったと落ち込んでしまうことが多いそうです。親は子どもの表面的な言葉や行動を見て、「やっとやる気になったのね」と期待するので、また行かなくなった我が子を前に、傷口に塩を塗りこむように責め立てることも多いのだとか。娘も、小5の終わりくらいから「学校って楽しそう」「学校へ行ってみようかな」という言動が目立ちました。けれど、放課後ちょっと学校に顔を出しただけでもダメージはひどく、先生の家庭訪問に合わせるように睡眠リズムが乱れ、当日には必ず寝ている状態でした。私はこの話を思い出し、娘の行動や気持ちにこうした変化があっても無理をさせずに済み、良かったと思っています。進学は子どもも不安。小6、中3といった時期は気を付けて出典 : 不登校の子どもは、進学を控えるととても不安定になります。人並みに進学したいという気持ち、でも行きたくないという気持ち、親や周りの期待に応えたい気持ちで揺れ動いています。1番苦しんでいるのは子どもだということを忘れず、進学を区切りに無理に次のステップに押しやるような言動は、やめてあげたいものですね。子どもたちが本当に動きたくなったときは、どれだけ親が止めても動き出します。それまでは親も辛いですが、子どもを「信じて、任せて、待つ」という気持ちを忘れないでいたいものです。
2016年10月21日いじめられていないけれど、学校に行けない子どもたち…この子たちは「頑張っていない」だけ?出典 : 我が家の3人の子どもたちは、みんなそれぞれに不登校を経験しています。そのうち2人は、「学校に行きたくない」と口にはしませんでしたが、そのメッセージが体調不良として現れました。学校に行く前、身体が熱っぽくなり、頭痛を訴えます。それでも学校に行かせようとすると玄関先で嘔吐したり…でも、休む事が決まると熱も下がります。頭痛も治り元気になります。私も何度も子どもたちに問いかけました。「学校で嫌な事があったの?先生が嫌?いじめられた?勉強が嫌?」子どもが不登校になった時期はそれぞれ違いますが、3人ともこの質問に首を横に振りこう言いました。「嫌な事があった訳じゃない。いじめもない。勉強が嫌な訳じゃない。」この子たちは怠けているのでしょうか?頑張ってないのでしょうか?サボろうとしているのでしょうか?自分の気持ちをうまく言葉にできない子どもたちもいる出典 : いじめられているわけでも、学校で嫌なことがあるわけでもなく学校に行けない子どもたち。このような子どもたちは、子ども自身も自分の気持ちに気付いていないこともあるようです。自分の中に何となくある「違和感」を観察して言語化することが、とても苦手な子どももいます。学校での様子が一見大丈夫そうに見えても、普通に難なく過ごしているように見えていても、実は気を常に張り詰めていて、疲れを溜め込んでいるかもしれません。この子どもたちの疲労感は凄いものなのです。親や学校の先生からみると怠けているように見えるかもしれない子どもたちも、実はとても頑張ってるんです。子どもは必死になって、今の状況と戦っています。そんな子どもたちと接するとき、学校の先生にお願いしたいこと出典 : そんな子どもたちの担任になった学校の先生に、お願いしたいことがあります。子どもと学校とのやり取りを記入しする連絡帳についてです。家庭への連絡は、連絡帳ではなく、他のノートに記入するか電話にてお願いしたいです。なぜなら連絡帳は、子どもが目を通すこともあるからです。そこに親へのメッセージである「早寝早起きさせてください。」「頑張るよう励ましの声かけお願いします。」などを書いてしまうと、子どもに影響があることは目に見えています。また、クラスメイトからの「早く元気になって学校に来てね!」「ゆっくり休んでね。学校で待ってるよ。」という励ましの言葉を届けることで、不登校の子どもは逆に負担に感じることもあります。病気や怪我で学校に行けない場合の励ましは力になりますが、不登校の子どもの場合はそうとは限らないということを忘れないでほしいです。たとえば、家庭訪問で先生が子どもと面談できたときには、ぜひ子どもと会えた喜びを伝えてあげてください。会う度に「学校においで!」と言ってくれる先生もいますが、その言葉が子どもの負担になっていることもあります。我が家でも実際に、先生からの「お前、頑張れよ。みんな待ってるよ。しっかりしろよ。」「学校に少しでもいいからおいで。みんな待ってるよ。」という言葉に子どもは拒否反応を示していました。こういった言葉が、これまで頑張ってきた子ども自身を否定してしまうこともあるのです。さらに、こういった言葉かけによって子どもは「先生と会えば学校に連れていかれる!」と思い、会うことすら拒否をするようになりかねません。出典 : それから、先生方からよく言われたのは「お子さんの生活リズムを整えるように」ということでした。先生から実際に「生活リズムを整えないから学校に行けないのでは?」と言われたこともありますが、本当にそうでしょうか?そもそも生活リズムが崩れる原因が、「学校に行きたくない。学校で過ごすのは不安。」という気持ちです。そんな不安により子どもが不眠になったり、夜なかなか寝付けないことに繋がっていると思います。もちろん親である私も早寝早起きさせる事には気を付けてはいました。しかしそれと同時に、不登校になる前から夜に寝付けず辛そうな子どもの様子も目の当たりにしています。子どもがたまに学校に行けたときには、子どもと会うことができて良かったこと、学校で起きた出来事や、楽しかったことなどを伝えてあげてください。「家でどんな風に過ごしていたの?朝はちゃんと起きれた?ご飯は食べてる?」というように、家庭での過ごし方を質問攻めしてしまうと、子どもは家で過ごしていたことに罪悪感を感じるようになるかもしれません。「笑顔で見守る」という支援を大切にしてほしい出典 : 我が家では、学校に行けないことや、自分が人と違うことを受け入れられずに子ども自身が苦しんでいました。学校を休むことで、心身の健康を取り戻す休養になることもあります。その場合は、笑顔で見守るという支援をお願いしたいです。これまで関わってくれた先生の多くが「生徒のために何かしたい。」と支援を申し出てくださいました。でも、焦って無理に解決策を見つけていくよりも、「見守ってるよ!」という風にあたたかく見守ってほしいのです。そこから子どもは自分を認められたことで安心し、自然と前に向くようになっていきます。これは、家庭療養してきた子どもを観察してわかったことです。自宅では穏やかに過ごして元気を取り戻した後、そこからもう1度周りとの関わりを持つよう前を向くためには、スモールステップの関わりが必要です。言葉を発信する前に、まず子どもの心身の状態を考慮していただき、子どもやその親御さん達の想いに寄り添ってもらえますよう、切に願います。
2016年10月20日学校生活を楽しんでいるかに見えた息子。ある日から登校を渋るように出典 : 学期が始まり2週間ほど経ったころ、アスペルガー症候群を持つ小学1年生の息子・ハルが、「学校へ行きたくない」と登校を渋りました。勉強も運動も得意で、コミュニケーション能力が高く友人が多い息子が、そんなことを言い出すのは、私にとって意外なこと。しかし、「夏休み明けに疲れが出て休みたがる子は多い。大抵の子はすぐにまた学校へ行きたがるから心配ない」というような話をどこかで聞いたことがあった私は、さして気にはしませんでした。ただ、何かしらの問題を抱えていて言い出せない、という可能性も危惧し、念のため理由を聞いてみることに。すると、「何かあったわけじゃない。でもうまく言えない」と言い、困ったような表情を浮かべました。同じアスペルガー症候群の私自身にもあることなのですが、自分の感情をすぐさま理解できなかったり、心の中にある思いを上手く言語化できないことが、息子にはしばしばあるのです。ですからここで無理に聞こうとしても、ますます困るのが目に見えているので、「整理がついたら教えてね」とだけ伝え、私は息子の要望を聞き入れ、欠席する旨を学校に連絡しました。3日後に学校から電話が。一方的に話を展開する先生についカーッときた私は…出典 : そんな調子で3日休んだとある週末、担任の先生から電話がかかってきました。先生「このままですと、息子さんは不登校になる危険がありますよ」私「危険?何が危険なんですか?しかも、たかだか3日で…」先生「きっとハルさんは“こう言えば学校を休める、嫌なことから逃げられる”ってパターンがわかってるんですよ。休み癖が付いてきてるんじゃないですか?」私「休みぐせ?何ですかそれ?息子は息子なりの理由があるのかもしれなくて、今は言葉にまとめられないと申し上げたじゃないですか!!」先生「だってそうとしか考えられませんよ、この状況は」冷静に話さなければならないのはわかっていましたが、息子なりに理由を整理しようとする姿を見ていた私。先生とのやり取りですっかり頭に血が上ってしまいました。結局その日は、状況の確認はおろか何の解決策も見出せず、水掛け論のまま終わってしまったのでした。ようやく出てきた本音。そこには、息子なりに学校と向き合おうとしている姿が出典 : しかし、土日を挟んだ週明け、息子は何事もなかったかのように学校へと向かいました。「やっぱり一時的なものだったのか…」と安心していたら、2日通ったその翌日、また登校を渋りだしたのです。これはやはりはっきりとした理由があるのだなと思い、「何か嫌なことがあるの?説明できる?」と再度質問してみたのです。ハル「授業中、早く終わった他の教室から、ザワザワした声が聞こえてくるのが辛い。不安になる」聴覚過敏を持つ息子は、小学校に上がる前から多人数の声がザワザワ響くのが大の苦手です。ハル「あとね、絵を描くのが辛い。先生は『こうやって描けばいい』って教えてくれるけど、それを描くのが辛くて怖い」アスペルガーならではの、セルフイメージの高さもあるのかもしれませんが、文字はともかく、絵に関しては同年代の子と同じように認識し、描画することに強いプレッシャーを感じているようでした。私「そっか…ところでさ、ハルはそういうのを学校の先生に言ってる?言えないのだとしたら、それはどうして?」ハル「だってさ、先生には正しいこと(先生が喜ぶこと、納得しやすいこと)を言わないと、先生が悲しむでしょ?」その言葉は息子が入学以来、何度も口にしてきたものでした。相手の期待を優先し、自分の辛さを抑え続けたら、疲れも溜まるし学校にも行きたくなくなるはずです。私「わかったよ。じゃあ私がそのことをE先生(発達障害専門医)に相談して、そこで聞いたことを学校の先生方に伝えてみる。そうすればハルの辛い気持ちが先生方にも伝わって、対策が見つかるかもしれないね」専門医からのアドバイスを踏まえ、改めて先生に状況を伝えるものの…出典 : 翌日私は、発達障害専門クリニックの先生に相談しに行きました。先生からは「行事はできれば部分参加、できなければ無理強いの必要はない。」とのアドバイスを頂き、それを息子自身の言葉と併せ、担任の先生に伝えることにしました。ところが、私が息子と同じ障害を持っていることが災いしたのか、「息子はこのように申しています」と伝えても、「それでハルさんはどう言っていますか?」「お母さんはそのようにおっしゃいますけど…」と、まるで私が勝手な代弁をしているかのように思われ、話が一向に進まなかったのです。これではらちがあかないと、主治医の先生の言葉を伝えました。すると今度は、「絵だって、“こういうふうに描きましょう”とお手本を見せれば上手にできるし、感覚過敏に関してもさほど辛いようには見えませんよ。そうやって嫌なものを避けさせて、学ぶ機会を失ってしまってもいいんですか?」と返ってきました。強いプレッシャーや感覚過敏に耐えていると息子が発言していたことは、全くと言っていいほど信じていない様子です。ただ、私も学校での姿を見ているわけではありません。とはいえ息子のことを疑いたくもないし…。このようなやりとりが連日続き、発達障害に関して普段は楽天的に捉えている私も、さすがに疲弊してしまいました。改めてこのことを、主治医の先生に相談すると「教育支援センターに相談し、学校との間に入ってもらうこと」を、勧められたのでした。実はこの問題は現在も相談中で、まだ解決していません。子どもの選択に親がどこまで介入すべきか?正解は無いけれど、大切にしたいのは出典 : その後10日ほど欠席をし、息子は学校に行き始めました。今でも楽しい日々の報告と合わせ、感覚過敏の辛さ等について私に話してくれますが、登校を拒否するまでには至っていません。しかし、このまま何事もなく学校に通い続けるのかといえば、それは私にも、息子自身にもわからないことです。とはいえ、息子が本当に辛い思いをしているのだとしたら、学校に行かなくても済む環境作りをしたいと思っています。でも、そもそも私は「学校なんかに行かなくてもいい!」と主張したい訳ではないのです。学校でしか学べないこと、できない体験はたくさんあります。それを親である私が奪う権利はありませんし、奪いたいとも思いません。しかし同時に、学校に行かなかったからこそ学べること、できる体験もあるように思えるのです。どちらが優れているのかなどは簡単に比べられるものではなく、私には判断できません。出典 : 以前コラムでもお伝えしましたが、息子自身、感覚過敏や環境の変化の辛さを堪えて行事等に参加すること、あるいは欠席すること、双方のメリットとデメリットを体験しています。このため、私はそれを元に自身で判断するように促してきました。メリットとデメリットの境目は息子の成長によって変わるかもしれませんし、体調や気分でも変化するかもしれません。何より息子の辛さは息子にしかわからないので、何かと難しいことがあるのですが…。学校には引き続き、努力で乗り越えられない辛さがあることを、ご理解いただけるように伝えていくつもりです。学校と支援センター、そして息子と私で協力し合いながら、息子にとって最善の判断、「これで良かった!」と思える選択ができるように、サポートしていきたいと思います。
2016年10月19日不登校児にとって、卒業間近というのはどういう心境になるのか?出典 : 卒業式が近付いたとき、不登校の子どもたちはどのような心境なのでしょうか。卒業式は小学校最後のイベントです。多少無理してでも子どもを参加させ、思い出を残してやりたい、と考える親御さんもいるかもしれません。でも、ちょっと考えてみて欲しいのです。無理に思い出を作ろうとして、卒業式自体が嫌な思い出になるかもしれないからです。小2から不登校の娘は、小6の8月から原因不明の体調不良を訴えるようになりました。私が出勤する時間になると「ママ、今日はしんどくて不安だから行かないで」と言うのです。毎回休むわけにはいきませんでしたが、「これはひどい」と感じたときには仕事を休むこともありました。明らかに精神的な面から来ているのは分かりましたが、なぜだろうと考えてみました。そして気づいたのは、昔から嫌なことをやらないといけないとき、辛い気持ちを我慢してるときに体調を崩していたこと。そして、夏休み前に先生に「宿題が欲しい」と言ってちょっとだけやっていたことを思い出しました。そうしたことから、中学進学を意識し、勉強に不安を抱えているのではないかと思いました。それを裏付けたのが娘が言った言葉です。「小学校を卒業するの不安。留年できたらいいのに。私は小学生をやりきっていない。」「小学校6年の教科書は置いておいて」「漢字くらい書けないとあかんから、小2くらいのドリル出してほしい。あんまり難しいのは心折れるから置かないで」不登校で約4年間は、一切勉強や学校生活を送っていないのに、小学校を卒業しなければいけない不安、中学校という未知の場所に進学する不安でいっぱいになっていたのです。娘の気持ちをよそに、卒業式への参加を促す学校。私たちが出した決断は…出典 : 不安定な日々は続き、卒業式が迫った1月「卒業式には参加できませんか?」と学校から何度も言われるようになりました。学校側としてはみんなと参加して欲しいようでした。無理なら後ろの方で目立たないように参加するか、みんなの式が終わってから、校長室で1人きりで卒業証書を受け取るか、という選択を迫られました。まず私は、娘にどうしたいか聞きました。「卒業式には出たくない。学校に取りに行けるかはわからない。」という答え。そこで、先生には「式には出席しません。卒業証書を取りに行くかどうかは、当日の本人の意思と体調に任せます。」とはっきり伝えておきました。卒業アルバムの撮影で気づいた、娘なりの卒業との向き合い方出典 : また、卒業アルバムに載るかどうかも一緒に確認し、決めることに。娘は「載りたい。私もあの学校の生徒なんだから」というので、学校の配慮で誰にも会わない時間に行って撮影し、あとで合成することにしました。でもその日の朝、一生懸命支度をしていたのですが吐き気がひどく、座ってもいられない状態に。「今日はやめておこう」と言う私に、「でも、写真屋さん来てくれるし、教室押さえてくれてるし…。迷惑かけたくない。」とぐずる娘に「気にしなくて大丈夫だから」と説得して休ませました。その日の夜、娘は悔しそうに話してくれました。「嫌やったわけじゃない。将来色々なことがあるから、こんな経験もしとかなと思ってん。それに、写真に残りたかったし。だけど、身体があんなになって悔しい。」そして後日、担任の先生とカメラマンが自宅に来てくれて、撮影をすることにしました。感覚過敏のある娘は着られる服が限られていて、自宅ではいつも同じ服ばかり着ています。このため、娘のお気に入りはいつもボロボロ。さすがにそれでアルバムの撮影は難しいので、着用できる服の中から1番きれいなものを選びました。一張羅のTシャツに半ズボンという、いつも通りだけどおめかしした娘。打ち合わせのときに「娘はこの服装しか受け付けないのです」と説明すると、「何とかします」と言ってもらえました。カメラマンもこういうケースに慣れているらしく、自然体で撮影に臨んでくれたおかげで、娘の飛び切りの笑顔を引き出すことができました。写真を撮ったあと、先生にアルバムに載せる一言メッセージを書いてと言われて書いたものがこれです。Upload By ヨーコどんな気持ちでこの言葉を書いたのかと思うと、涙が出そうになりました。体裁を保つことを優先する先生に娘は…出典 : 2月になり、担任が原稿用紙を持って自宅を訪れました。卒業文集を娘に書かせるためです。「書くことない」という娘に「何でもいいから」という先生。原稿用紙半分に、一生懸命書かれた文章を見て、先生は「うーん、これじゃちょっと量が少ないからパソコンで好きなことを打ってくれる?先生が鉛筆で原稿用紙に書くから」と言ったのです。その瞬間、この言い方はひどいと私は思いました。見栄えが悪くても、少ない学校の思い出から、娘が一生懸命考えた文章です。この時点で、娘の表情には失望が見えました。それでも本当の気持ちを隠し、先生の提案に向き合おうとする娘。私としては納得がいきませんでしたが、本人の意思を尊重し、それ以上介入はしませんでした。その後、パソコンで打った文章にいろいろ注文を付けられ、原稿用紙を埋めた先生は、満足気に帰っていきました。娘のぐったりとした様子を見ていると、「娘なりに一生懸命、先生の要望に応えようとしていたんだな」と思いました。私たち親子にとって、1つの区切りとなった卒業式出典 : 前日まで、学校へ行くつもりで準備していた娘。しかし、当日はやはり腹痛を起こし、とても外出できる様子ではありませんでした。学校へは私1人で行くことにしました。到着すると校長室に通され、校長先生から「まぁ、お母ちゃんが代理ってことで、残念やけどな」と卒業証書を読み上げられ、手渡されました。私は歴代の担任の先生に集まってもらい、いつか思い出が欲しくなったときのためにと、記念写真を撮ってもらいました。そして、校長室で先生方にスピーチをさせてもらいました。「うちの子は学校に行かないまま、卒業を迎えました。学校に通っていた日数は少なく、今も同年代の子どもたちが苦手です。彼女はそれでも、この学校のことが好きでした。6年生のときには何度か学校を見に行きたい、と言っていましたが、体が拒否するので叶うことはありませんでした。中学には行きたくないと言っていますので、制服も買っていません。それでいいと私は思っています。どんな手段でもいい、何らかの方法で教養を身に付けることができたらいい、と私は考えます。先生方には家庭訪問などで、大変お世話になり、ありがとうございました。私は、学校へ行かないという辛い選択を貫き通した我が子のことを、誇りに思っています。どうか、また娘のような子が現れたら、そのときは宜しくお願いします。」真剣に聞き入る先生もいれば、無表情の先生もいました。私の言葉がどこまで届いたのかはわかりませんが、私も親としての6年間の思いに、区切りを付けることができたような気がしました。出典 : 荷物いっぱいで帰ってきた私を迎え、卒業証書は見ようともせず、でき上がった文集にも見向きもしなかった娘。意図しないものを無理に書かされ、愛着も持てないのでしょうが、卒業式を終え、お仕事終わりました、という感じでした。式の様子を聞きもしなかったのが、あの子の気持ちなんだと思いました。その日の夜、ちょっとしたごちそうをデパ地下で買ってきて、2人でささやかに卒業のお祝いをしたのでした。こうして娘は、無事卒業式の日を終えました。その後の様子を見ていると、つきものが落ちたようなスッキリとした表情をしていて、しんどかったのがちょっと解放された様子が窺えました。不登校児にとって、卒業式とはどんな日なのか?親としてできること出典 : ご家庭やお子さんの状況によって、不登校児の卒業のあり方には、いろいろな考え方があるかと思います。しかし卒業式は、本人の意思を確認して学校に伝えておくこと、決して無理強いはしないことが大切だと思います。なぜなら、無理に思い出作りをすることで、子どもたちが傷付くかもしれないからです。卒業したことを肯定的に受け入れられず、葛藤している子もいるかもしれません。学校に行かないという選択で1番苦しんだのは本人であり「通っていないのに卒業なんて」と自分を責めている場合もあるからです。「学校は行くべきもの」ということは不登校児本人が、1番痛感しています。それができず、苦渋の決断として「行かないという選択をした」子どもたち。そんな子どもには、「ここまで行かないという選択をし、よく頑張ったね。」と卒業したことを労ってあげてみてはいかがでしょうか。
2016年10月14日中1から不登校になった息子出典 : 発達障害と目の障害があり、不安を強く感じると声が出せなくなることがある息子は、中学1年生のときから不登校になりました。不登校になってから月日がたち、息子は中学3年生になりました。息子の身体はいつの間にか大きくなり、私の背を越すほど成長していいきます。また、家で療養がゆっくりとできたこともあり、少しずつ笑顔を取り戻していきました。そして家の中で過ごす毎日に退屈さを感じてきたようで、よく「暇だ。何かすることない?」と聞いてくるようになりました。その言葉を聞いた私は、「そろそろ動きだす心の準備ができてきたのかも。」と感じました。そんなとき、息子の気持ちを聞き出してくれたのはかかりつけの病院の先生でした。先生は「将来は何がしてみたい?進学をどう考えてる?」と息子に聞き、選択肢を5つほど紙に書き出しました。・普通の高校に行く・支援学校の高校に行く・定時制の高校に行く・働く・ニートになるその選択肢を見て息子は「ニートにはならない。」「何かやらないといけないけど、何をしたら良いのか分からない。」と答えました。この頃の息子はまだまだ夢も希望も持てず、将来を考えるのが難しかったため、何をどうして良いのか分からないという状態でした。息子が一歩を踏み出すために、親ができることはなんだろう出典 : 「何かをやりたい。」と思い始めていた息子ですが、長い間不登校だったため、あらゆる経験も知識も少ない状態です。そんな息子が自分で決めていきなり何かを始めるのは難しいでしょう。そこで私は長年関わってくれていた心理士の先生からアドバイスをいただき、「少しづつ社会の情報を与えていく。そのなかから親が選択肢をあげて、導いていく。」という関わり方の基本を決めて、少しつづ世間とかかわるところから始めました。家庭内で行ったのは、テレビからの情報をうまく利用することでした。例えばタレントや、キャスターの仕事を指し「これも仕事なんだよ。」と声かけしていました。ニュースからも「世の中にはいろんな仕事ある。」というメッセージを伝えていきました。外出も無理のないところからスタートしました。近場のコンビニに行ったり、時にはコンサートに行ったりと、外出で関わる人から関連付けて、進学や将来の選択肢をできるだけ多く伝えていきました。そして息子の様子を見ていた私は、ある1つの考えにたどり着きました。「この子には、信頼の置ける人との関わりが必要。そして同じ障害のある人との関わりが大事。障害があっても生きていく道はたくさんあるんだと知ってもらうことが大切。」母としての素直な想いを、息子に伝える出典 : そのような考えに至ったときに私の頭に浮かんだのは、数年前に出会った、息子と同じ目の病気で全盲になった特別支援学校の先生のことでした。その先生は私の気付かない息子の気持ちを指摘してくれたり、見た目で判断せずひとりひとりの心に寄り添う支援が必要なことを息子が通う学校に伝えてくれたり、私の思いを聞いてくれたりと、ずっと私たち親子を支えてくださっていました。その先生がいる支援学校なら、この子は生きる力をつけていけるのでは?支援学校に見学に行き、先生方の子どもへの接し方を見ると、私の思いは確信に変わりました。そして私は考え抜いた末に、息子にその素直な気持ちを伝える事にしました。「お母さんのわがままだと思ってきいてくれる?お母さんはこの支援学校が素晴らしい場所だと思ってる。あなたがここで学んでくれたらお母さんは嬉しい。ここを卒業したら、自分の好きなように生きなさい。その時は全力で応援するから。その力を身につける為にもここで学んで欲しい。」支援学校へ入学した息子に、笑顔が戻ってきた出典 : 支援学校との個別面談なども通して、学校の雰囲気をつかんだ息子も、入学を決意しました。支援学校の入学式で入学者の名前を呼ばれたとき、息子は「はい!」と返事ができました。それだけで、「ここは息子が安心して過ごせる場所だ。」と安心しました。不安になると声を出せなくなる息子が式典の場で返事をできるほど、その学校はあたたかい雰囲気だったのです。その後、息子は寄宿舎にも入舎し、生活リズムも整ってきました。朝が起きられなかった息子が起きられるようになり、日常生活をする体力も取り戻していきました。私から離れたことで、自立への大きな一歩を踏み出すことができたと思います。そして何より、息子はよく笑うようになりました。その笑顔は、支援学校で「ひとりでできた!」ということを経験して生まれた自信の表れです。私だけで息子と関わろうとせずに、かかりつけの先生や心理士の先生方からのアドバイスをもとに息子を外に少しずつ連れ出して、息子に必要なものを見極められたこと、そして素晴らしい支援学校の先生方に出会えたことが、今の息子に成長する大きな転機になっていると思います。息子の晴れ晴れとした姿を見て、あの時、息子の背中を押して良かったと心から思っています。
2016年09月29日娘のために、パソコンを買おうと決意したのは出典 : 子どもがゲーム機器やパソコンに興味を持ち始めるのはいつ頃なのでしょうか?もし興味を持った時、そのまま買い与えていいのだろうか?怪しげなサイトの閲覧で、間違った情報を鵜呑みにしたら?心配事は尽きないと思いますが、我が家では娘が小4の時に購入を決めました。その経緯と娘の変化についてご紹介したいと思います。娘が産まれてからは、自宅でネットを使った仕事もしていた私。その影響からでしょうか、娘は小さな頃から「触っていい?」とパソコンに興味を持ちました。最初はキッズ用のサイトでゲームをしていた娘も、小4頃から動画サイトや、ネットゲームに惹かれ始めていきました。当時、家には私のパソコンしかありません。1台を2人で使うので、当然私の仕事の時間も減ります。また、パソコンの能力不足で画面が動かず、しょげている娘を見て、私は決めました。「パソコンがやりたいなら、思いっきりやらせてみよう。どうせなら満足できる機能を持ったパソコンで。」パソコンマニアだった私は、ハイスペックのパソコンが自分の自由に使えること、それがどれだけありがたく大切か、身に染みて知っていました。インターネットの楽しさを実感して欲しい半面、付きまとう不安出典 : どれだけ私がパソコン好きでも、子どもにパソコンを買い与えるときには、やはり不安がありました。娘は小2から不登校でしたから、もしパソコンにハマってしまったら、外との世界から完全に断絶されるのではないか?批判的な言葉に傷ついて、塞ぎこんでしまったらどうしよう…。どうしたら余計な心配をせず、娘が安心してパソコンを使えるのか?逐一監視する訳にもいきません。そこで私は、自分の経験から培ったインターネットとの付き合い方を、娘に伝えることにしました。私自身、パソコンにハマった頃に、痛い目を沢山見てきたからこその、対応策でした。母による、インターネットと上手に付き合うためのレクチャー出典 : 娘には、こんな話をしました。●ネットの中には子どもを狙う悪い人がたくさんいる●ネットには本当の名前、住所、学校名などは書いてはいけない●自分の写真や、住んでいる場所がわかるような写真は、ネットに載せない●相手のプロフィールは嘘かもしれない、ということをわかっておくように●ネットに流れている情報には、嘘も本当も、価値ある情報も、そうでないものも混ざっている。本当に知りたいことがあれば書籍をあたるようにそして、こんな約束をしました。●嫌な思いをしたり、変なことを書かれたりなど、何かあったらすぐにママに相談すること●新しいサービスを利用するときは、ママの許可を得ることそして考え抜いた末、フィルターもかけず、時間制限もせずに使わせることにしました。自分の判断で、1度思いっきりネットの海で泳いでみたらいいだろう、と思ったのです。こうして、娘のパソコンライフは始まったのでした。パソコンで何を見ているのだろう?つい調べたくなるけれど…出典 : 子どもがパソコンで何をしているか、気になりますよね。その気になれば、履歴を調べたり、トイレに立った隙に覗いたりすることはできます。けれど私は、絶対にしませんでした。全く興味が無いといえばウソになります。しかし、パソコンの中身は日記帳と同じだと思うのです。自分が何を発信し、どんな情報を見ているのか、親とはいえ、他人に見られるのは耐えがたいことでしょう。自分の安心のために、娘の人権を侵すのは、許されることではないと心に誓っていました。そのかわり、パソコンに向かっている時の娘の表情は、こまめにチェックしていました。ショックを受けたり、困ったりしたときには、表情を見ればすぐにわかります。ヘルプが必要な時に、それとなく手を差し伸べられるよう、見守っていました。不登校で塞ぎこみがちだった娘が、パソコンから得たもの出典 : 娘がパソコンから得たもの、その1番は笑顔です。学校に行けなくなってから塞ぎ込みがちだった娘が、画面を見ながら声を立てて笑っているのを見て、どれだけ嬉しかったことか。習っていないローマ字を覚えることができたのも、収穫でした。ローマ字の教科書とプリントアウトしたローマ字入力表を渡し、様子を見ると、1週間でローマ字をマスターしてしまったのです。入力もあっという間にブラインドタッチを習得。また、ネットゲームやツイッターなど、インターネット上で友達ができたのも、大きな変化の1つでした。しかし案の定、外の世界から断絶されていった娘。心配でカウンセラーに相談すると…出典 : こうした変化に嬉しく思いつつも、不安は残りました。娘はパソコンを楽しんでいるうちに、学校の友達と会うことや、外出がどんどんなくなり、案の定リアルな外との繋がりが断たれてしまう結果となったからです。私は娘のことで相談に乗ってもらっているカウンセラーへ、このことを話しました。すると、カウンセラーは「娘さんがパソコンで外と繋がっているのなら、今はそれで十分です。間接的でも、外の世界と繋がっているワケですから。」と言いました。この言葉は、私をホッとさせてくれました。その後も、ネットを通じてニュースを見たり、好きな料理のレシピを調べて作ってみたり、現実と繋がることも少しずつ増えていきました。音や映像に敏感で、テレビでニュースを見ることができない娘にとって、ネットは相性のいいメディアだったようです。とことん好きなことにハマる経験は、多くの学びを与えることも出典 : こうして思う存分、インターネットと付き合ってきた娘。今ではネットリテラシーにおいては完璧です。ネットのマナーに大変厳しく、個人情報の取り扱いや、著作権に気を配る子に育ちました。パソコンとの付き合いも、集中して張り付いていることもありますが、疲れたら適当に休憩をとりますし、パソコンに振り回されているのではなく、自分が主導になって付き合っているという感じです。私のやり方は、一般的には勧められるものではないでしょう。ですが、自分の体験と娘の状態を見ながら、常に真剣に考えてきたことが、良い結果を生んだのかなと、今は思っています。
2016年09月23日自信を失った子どもたちの居場所、そこでの子どもたちの変化出典 : 発達が気になる子や、イジメ、不登校などで自信を失っている子に、どうしたら自信を取り戻してもらえるのか?悩む親御さんは多いと思います。見守ることも1つの方法ですが、今回は、子ども達の可能性を広げる、様々な活動についてご紹介したいと思います。私の参加している親の会では、淀川キリスト教病院の医師、谷均史先生を迎え、ゆっくりお話する機会がありました。谷先生は奄美大島で、不登校や発達障害の子どもたちが集まる「おばぁの会」を支援しています。そこでの、子ども達の変化について教えてもらいました。会が発足した当初、たこ焼きパーティを企画したところ、とても盛り上がって人も集まるようになったそうです。ただ集まって食事をし、おしゃべりする場になったことで、子どもたちがイキイキし、それぞれ特技を発揮できるように。学校では集団行動になじめず、叱られて辛い気持ちを抱え、「死にたい」と言っていた子どもたちが、おばぁの会で自由に過ごすことで元気を取り戻していったそうです。先生に写真を見せてもらったのですが、子どもたちが思い思いのことを楽しみ、「安心して存在できる場があると、子どもってすごい力を出すんだなぁ」と感じました。様々な理由で学校にいけない子どもたちと、親たちが集まって、ごはんを食べよう!という『おばあの会』ができて五年。できた当時、大変な状況を抱えていたMITSUKIが知的障害者枠でバスケットボールの鹿児島県代表に選ばれました!よくここまで来ました!(谷均史)料理には、人と関わる楽しさがある出典 : 私の参加している親の会でも、おばぁの会のような活動をしているのか、聞いてみたところ、以前は料理教室をしていた時期があったそうです。そこで調理を教えてくれたA先生は、現在、障害者の料理教室をしています。A先生によると、重い障害がある人で、作業は一切手伝えなくても、その場にいるだけでニコニコとして、嬉しそうな表情を見たそう。それぞれの人が、自分のできることをして、全員で食べる。それだけでその場に、笑顔があふれるのだそうです。栄養士でもあり、ケースワーカーでもあるA先生から聞いて、印象に残っているのは、「お料理ってね、発達障害の方の訓練にもなるんですよ。いろいろな手順があって、どういう順番で取り組むか考えたり、材料を計ったり、手先も使いますし。やることがいっぱいあるから良いんです。そして何より、食べることは喜びで、人にも喜ばれるし達成感がある。それがいいところなんですよ。」という言葉でした。モノ作りは、子どもの自信につながることも出典 : 料理だけではありません。カバン作りなど、裁縫が趣味で、それが仕事に結びついた人もいます。引きこもっていたBさんは、裁縫が好きで作品を作っているうちに、注文が入るようになり、それで収入を得られるようになった方です。Bさんは最初、材料を全て母親に買ってきてもらっていたそうです。しかし、母親が選ぶものは、Bさんが思っていたイメージと全く違っていたそう。結局、自分で買いに行くようになり、そのつながりで、一緒に材料を選ぶお友達もできたのだとか。料理や裁縫に限りませんが、モノ作りというのは、人から評価を得たり、自己表現もできますし、子どもの自信につながるのではないか、と私は思います。娘がめずらしく興味を持ったモノ作り。しかし、そこに居た先生は…出典 : 不登校の娘が中1のときです。編み物カフェに誘うと「行ってみたい」と言い出しました。おばあちゃんに、カーネーションのコサージュを編もうと考えたようでした。しかしいざ行ってみると、編み物の先生は、娘が学校で嫌な思いをした先生に、外見がそっくりだったのです。最初は怖がって、おそるおそる聞いていた娘でしたが、何度「わからない」と聞いても、嫌な顔1つせずに教えてくれる先生に、安心できたようでした。家庭科の授業には出たことのない娘です。いろいろな編み方を駆使するコサージュ、果たして完成するのかどうか?心配でした。でも、集中力を発揮できたおかげで、みごと4時間で完成したのでした。生きる楽しさや自信は、好きなことで見つかるかもしれないUpload By ヨーコ帰り道に娘が言った言葉です。「編み物の先生は、私が何度聞いても怒らずに教えてくれた。すごく嬉しかった」学校で机に突っ伏していた姿を思い出すと、ちょっと泣きそうになりました。学校に行けないことで、自分を責め、自信を失っていた娘。少しでも何かに取組んで、自信を取り戻してほしいと願うのは、親の本音だと思います。そんなとき、娘が自分で「やってみたい」と言ってくれたことは、私にとって、とても嬉しいことだったのです。娘は「またあのカフェで編み物がしたい」と言っています。この頃には、料理にもチャレンジするようになりました。こうした体験を積み重ねて、生きる楽しさと力を身に付けてくれたら…と願っています。
2016年09月09日不登校の子どもと私が、卒業前に決めなければならなかったこと私の子どもは、中学1年生で不登校になりました。それから2年が経過し、中学3年生になったとき。進学についても落ち着いたと思った矢先、また決断を迫られる出来事がありました。それは、子どもの写真を卒業アルバムに載せるかどうか、そしてどうやって卒業式に参加するかです。また、アルバムに写真を載せるとしたらどう載せるのか、どこでどのようにして撮影するのかなども決めなければなりません。子どもとひとつずつ話し合い決める中で、本人も「自分は中学校を卒業するんだ」という心の準備もできてきたように思います。卒業までの道のりで、親子で悩んだ2つのこと先ずは卒業アルバムに写真を載せるかどうかを決めました。これは私の気持ちの方を優先させてもらいました。「今は必要と思わないかもしれないけど、いつか見たいと思った時の為に準備しておこう。」と子どもを説得したのです。少し強引だったかもしれませんが、子どもはすんなりと受け入れてくれました。写真を撮る場所は子どもが決め、学校に誰も居ない時間を見計らって校舎前で撮りました。私の思いを汲んでか、着たくなかったはずの制服を着ながらも、子どもは嫌がる事なく素直にカメラの前に立ってくれました。次はいよいよ卒業式についてです。学校からは、卒業式の参加の仕方について3つの方法が提案されました。1.通常通り、クラスメイトと共に参加する2.体育館後方から式を見下ろす形で参加する3.校長室で個別に卒業式授与を行う子どもには予測のつかない事は不安が強くなり、身体が動かなくなる特性があります。そのためなるべく学校から流れを聞いて資料にして、それぞれの参加の仕方について視覚的に分かりやすくしました。それを元に卒業式参加について、子どもと何度も話し合いました。悩みに悩んで、子どもは体育館後方から式を見下ろす形で「卒業式に参加する」と決めました。いよいよ卒業式に参加、でも…Upload By 多原美加卒業式は、体育館後方からクラスメイトを見下ろす形での参加にしました。私達が座る席には他にも、教室に入れない子が何人かいました。子どもは戸惑いながら椅子に座りました。式は粛々と行われました。クラスメイト達が頑張ってきた学校での成果が読み上げられ、私としては少し辛い卒業式でした。卒業証書授与の時には一人一人名前を呼ばれましたが、子どもは返事をすることはできませんでした。卒業式の後に待っていた、思いもよらない素敵な出来事Upload By 多原美加子どもは式ではうまく返事をできませんでしたが、式の後は素敵な出来事がたくさんありました。これまでの中学校生活で、子どもは特別支援学級に通っていましたが、交流級として通常学級の子どもたちと過ごすこともありました。卒業式の後はまず、その交流級での最後のホームルームです。子どもが交流級の教室に入るのを少し躊躇したので、私と先生が背中を押しました。クラスメイト達はその様子を驚いて見ていました。でも直ぐに察知したようで、他のお母さん方とともに暖かく見守ってくれました。最後の最後でクラスの机に全員がつき、そして全員揃っての集合写真を撮る事ができました。次に支援学級へ行き、お友達と過ごしました。とても暖かく楽しい時間でした。支援学級では卒業生が、ギターとキーボードと歌を使った記念コンサートを開きました。それは楽しく、私も心が熱くなりました。子どもは久しぶりにお友達に会ってとても恥ずかしかったようで、少し緊張していました。でも、とても楽しくすてきな時間を過ごしているようでした。時折見せる笑顔を手で隠していましたが、それでも楽しんでいるのが分かりました。それを見ていたら、私もとても幸せな気持ちになりました。そして最後に、学校からの帰り道では2人の同級生が声をかけてきました。「おい!多原!これやる!」と胸につけていた花のブローチを差し出しました。「元気で頑張れよ」と言い、帰っていきました。何だかじーんとしました。子どもは大事そうに、そのブローチを机の上に飾っています。卒業式で、私たち親子が得られたものこの一件で、子どもは、「勇気を出してやってみる」事の経験ができました。不安が強い子どもでしたけど、私も背中を押して良かったです。不登校の子どもが卒業式に参加するのは、とても勇気のいる事だったと思います。卒業式という節目に参加できたこと。お友達が暖かく迎えてくれたこと。それが何より嬉しかったです。
2016年08月07日職場復帰するにあたり、フルタイムか時短勤務かで迷ったことのある人はいませんか? 時短勤務は法律で「子どもが3歳になるまで」「原則1日6時間労働」などの決まりごとがありますが、時間を確保できるメリットがあります。そんな時短勤務とフルタイム勤務という2つの働き方を、当事者であるママたちはどう感じているのか、アンケート調査がおこなわれました。どんな違いがあったのでしょうか。時短勤務をしているママはどのくらい?株式会社マクロミルは産前産後休業・育児休業から復職して2年以内の20~49歳のワーキングマザーを対象に、働き方や意識についてアンケート調査( )をおこないました。そこで、フルタイム勤務者81%、制度を利用した時短勤務者が19%という事実が明らかになりました。時短勤務は法律で定められているものと、企業が独自に定めているものがあります。法律で定められている時短勤務を利用するには「子どもが3歳になるまで」という制限があるものの、原則1日6時間労働など、子育て時間の確保にはありがたい制度といえます。しかし、実際のところその恩恵をうけている人は、5人に1人以下。全体の2割にも満たなかったのです。「正社員」「周囲の理解」「就業時間」に軍配! 仕事の満足度が高い時短勤務時短勤務者の驚きの少なさについてふれましたが、ここからはフルタイム・時短勤務それぞれの立場から見る仕事への満足度の高さについて、アンケート調査をご紹介しましょう。フルタイム勤務者・時短勤務者をランダムに同数抜き出した調査で、仕事に対し「満足している」と答えたフルタイム勤務者は68.9%だったのに対し、時短勤務者は78.4%と時短勤務者のほうが仕事に満足している、という結果となりました。意外な開きがありますが、この理由はどこにあるのでしょう。時短勤務者が具体的にどんなことに満足しているのかを見てみると「職場の人間関係」「雇用形態」「勤務時間」の3つの項目で総合満足度を高めていることが判明しました。フルタイムより働く時間が短くても正社員のままでいられ、周囲から理解のある環境で働けていることが、高い満足度につながっているようです。仕事に満足しているのは「営業・販売職」職種別の仕事への総合満足度はどうでしょうか。4種類に分類した業種ごとの調査によれば、満足している人の割合が最も高いのは「営業・販売職」で86%。次いで「専門職」が73.2%、「その他」が72.2%、「一般事務・管理」が69.7%と続いています。仕事の各項目に対する満足度を比較すると、満足度の高い「営業・販売職」は他の職種に比べて「仕事の内容・やりがい」に満足していることが分かります。これは時短勤務がフルタイムと同等の生産性をあげなければいけないと考えたとき、チーム内で仕事を分け合うことができたり、クオリティの高いアイデアや企画・コンサル力でカバーできるなど、努力次第で成果を維持しやすい業種だから、と考えられるのではないでしょうか。比べて専門職は周囲と仕事を共有しづらかったり、事務職は時間当たりの生産性をあげること自体が難しかったりすることも、営業・販売職の人の満足度が高い理由になっているのかもしれません。とはいえ子育てに仕事にとがんばるママたちは「仕事にやりがいを感じていない」という人のほうが少ないように思います。2歳の子どもを保育園に預け、時短勤務を利用している私の友人は「時短勤務経験者の先輩が多いから、周りの理解もあって仕事にやりがいはある。復帰したときはやっと仕事できるー! ってうれしかったな」と言います。しかし、「自分だけ先に帰るのはやっぱり忍びないし、子どもが3歳になってフルタイムに戻したとき、うまく時間をやりくりできるかも心配」など、時短勤務からフルタイムの切り替えに不安も抱えているようです。フルタイムと時短勤務の選択、復帰後のポジション希望など、今後のワークライフをどうしていくか、ワーキングマザーの悩みは尽きないものなのかもしれませんね。
2016年07月30日子どもが不登校になった場合、学校との対応をどうするべきか悩む人もいることでしょう。勉強のフォローや行事の参加、給食の止め方など、わからないことがたくさんあります。私の実体験をもとに、担任の先生や学校、心療内科医との連携方法をお伝えします。■子どもと先生の伝言係に徹する不登校になったとき、休みの日や外では友だちと遊ぶけれど、平日は先生や友だちに会いたがらない子どもは多いと思います。私の子どもも、友だちや先生がプリントを持ってきてくれたのに会いたがりませんでした。そこで、先生にお願いしてプリントはポストに入れるようにしてもらいました。子どもが先生と話すのをいやがる時期には、電話も控えてもらいました。何かあれば、私が学校へ行って用事を済ませることも。学校行事も、先生や友だちから直接誘うのではなく、私を通して伝えるようにしました。先生とは、初めは電話でやりとりしていました。しかし、タイミングが合わなかったり、子どもがいる場で話しにくいこともあったりしたので、LINEでのやりとりに変更。良い方法ではあるものの、学校によっては特定の保護者とのSNSは禁じられている可能性もあります。事前に確認するといいでしょう。■心療内科医から説明してもらう先生とのやりとりで迷うのが、「どこまで介入してもらえばいいのか」ということ。子どもが学校の話題をいやがっているときは、先生からの接触も控えてほしいというのが本心です。しかし、先生も一生懸命なため、様子を伺う電話をくださいます。親も先生からの説得に気持ちが揺らいでしまうことも。子どもに「学校は行っても行かなくてもいいよ」と言ったのに、翌週には登校をほのめかすなど、あやふやな態度になってしまう場合もあります。とはいえ、先生に「電話しないでほしい」とはなかなか言えません。そんなときは、心療内科医に子どもの状態を診断してもらい、学校へ直接連絡してもらえると安心です(心療内科医とのかかわり方については こちら をごらんください)。我が家の場合、心療内科医から担任の先生に電話で説明してもらいました。学校との連絡をすべて遮断したおかげで、子どもの情緒も安定したようです。その後も学期はじめなどのタイミングで、先生に電話してもらいました。後日、担任の先生から、「子どもの状態を説明してもらうことで、かかわり方がわかって安心した」と聞きました。家庭と学校、心療内科医との連携はとても大切だと感じました。■先生との間でルールを決めておくといい学校を長期間休むと、気になるのが勉強です。塾だけでも行けるのならいいですが、それでも学校へ行けないと勉強もストップしてしまいがちです。我が家の場合は、子どもの状態が落ちついてから、先生が勉強を見る機会をつくってくださいました。週に1時間、放課後ほかの生徒たちが下校したあとの時間帯です。登校時は私も付きそい、勉強が終わるのを待って一緒に帰りました。給食は学校側の内部手続きがあるため、すぐには止められません。はじめは日割りで計算し、翌月からは月単位で確認しながら止めてもらう手続きをしました。学校には給食や行事など、事務的な手続きも意外と多いものです。そのつど先生と連絡を取り、来月も連絡しなければ給食は停止のまま、行事は3週間前までに出欠を連絡するなど、ルールを決めておくとお互いに楽です。学校や担任の先生によって、対処方法はさまざまです。しかし、子どもに無理強いすることなく、子どもを守りながら状況を改善できることはあります。今回は、その一例をご紹介しました。
2016年07月27日疲れ切った心を癒す夏休みUpload By ヨーコ子どもたちの大きな楽しみの1つ、夏休み。それは不登校の子どもにとっても同様です。娘は不登校になってからというもの、本当に疲れ切って、どうしようもなくなって、体も心も動かなくなっていきました。それは、ただ「学校に行きたくないから」という理由だけではありません。行けなくなったときにはもう、エネルギーはマイナス状態になっていました。そんな娘にとって、夏休みはエネルギーをたくさん貯め込むチャンスかも!と私は考えました。楽しい気持ちの貯金をたくさんさせてあげたい!Upload By ヨーコ普段は「自分だけサボっている」と引け目に感じていても、夏休みはみんなも休みなので安心して友達と遊ぶことができました。娘は小2で不登校になりましたが、小3まで夏休みは一生懸命友達と遊んでいました。それくらいの年ごろまでは、友達もまだ無邪気で付き合いやすく、屈託なく遊ぶことができたようです。友達付き合いに困難さを抱えていた娘ですが、やはり「心の中では1番友達を求めていた」のだな、と感じました。楽しく遊ぶ姿を見て、「学校は行けないのに遊びには行けるのね」「これだけ元気なら2学期からは学校に行けるよ」といった学校と結びつける言葉をつい言いそうになりますが、私は言わないようにしていました。その言葉を聞いたとたんに、元気になった心もしぼんでしまうと思ったからです。また、楽しい気持ちの貯金をたっぷりさせてあげたい気持もありました。母子でキャンプに行きましたUpload By ヨーコ子どもの様子を見て、行けそうなら家族でレジャーに出かけるのもおススメです。我が家は母と娘の2人で、親子キャンプに参加しました。同じ学校からの参加者もいませんし、青少年スタッフたちもプロフェッショナル、私たちは安心して参加できました。着いてすぐに事情を話し、いろいろと配慮してもらいました。さりげない声掛けで娘は他の子たちと仲良くなったり、夜は親同士の飲み会に私だけ参加したり、プログラムに疲れたら2人で部屋で寝ていたことも。親子ともにリフレッシュできました。宿題など学校との関わりは?Upload By ヨーコとはいえ、不登校になって初めての夏休みは遊んでばかりもいられませんでした。プールや登校日、そして大量の宿題と、学校のイベントは盛りだくさん。当時、「娘に無理をさせない」という私の意志を貫き通すことができず、引きずられるようにして登校していた娘。宿題はすでに勉強が追い付けなかったのでほとんどできませんでした。その結果、2学期から完全に学校に行けなくなってしまったのです。この教訓を活かし、娘が4年生の時から宿題を含め、私は一切お断りして自由に過ごせるようにしました。学校へは戻れなかったけれど、おかげで夏休みにおびえることはなくなりました。勉強はいつでも取り戻すことができますが、子どもにとっての夏休みという時間は2度と戻っては来ません。娘にはせっかくの夏休み、思いっきり楽しんでほしいと思っています。楽しめる年齢はあっという間に過ぎてしまいますから。学校に行くタイミングは見守りたいUpload By ヨーコ楽しかった夏休みがいざ明けても、私は「きっとすぐ学校には行けないだろうな」と考えていました。不登校に至るまでにすり減ったエネルギーは、そう簡単には回復しないと思ったからです。不登校によって自責の念を背負った娘には「学校にも行けなくても大丈夫」「あなたは生きているだけでいい」、「親はいつだって見守っている」と思いながら接していました。不登校児を抱えた親御さんの中には、2学期を節目と考える方もいるかもしれませんが、子どもにとって節目はそれぞれです。高校進学が節目になる子もいれば、もっと早い段階で戻る子もいるでしょう。その子にとってのタイミングは1人ひとり違うと私は考えています。大人の都合で急かしたりせず、子どもにとってベストなタイミングを暖かく見守りたいものです。Upload By ヨーコ子ども達と素敵な夏休みを過ごしましょう!いつか心閉ざす時期があっても、家族との楽しい思い出は「子どもの心を支え、家族を信じる力」につながると私は考えています。夏休みにためたエネルギーはきっと将来の力になると私は信じています。
2016年07月15日子どもは不登校になると、1日中ダラダラしたり、無気力になったりします。親はそれを見て、勉強が遅れたらどうしよう、大人になって人間関係が築けなくなるのでは? と不安を抱くものです。しかし、頭ごなしに叱りつけたり、原因を追究したりするのは逆効果です。不登校の子どもへのNGな声かけとその理由、親としての心構えについて体験を交えてお伝えします。■不登校の子どもにかけてはいけない言葉不登校になった子どもは、ダラダラとゲームをしたり朝起きられなくなったりします。親は不安になってさまざまな本を読み、インターネットで調べて解決策について勉強します。そして、責めたり無理強いしたりしてはいけないことを知ります。子どもにかけてはいけない言葉の代表例は、学校へ行きなさいどうして起きられないの?勉強が遅れるわよゲームばかりしてわかってはいるものの、学校へ行ってほしいのが本心です。その結果、「無理して学校へ行かなくていいのよ」と言う一方で、「1ヶ月だけ休んで、来月から行ってみようか?」。「そのままでいいのよ」と言いながら、「勉強は遅れないほうがいいわよね」と矛盾したことを無意識に口にしてしまいます。子どもは親の気持ちを敏感に感じとります。そして、「本当は早く学校へ行かせたいんだな」と見透かします。■子どもは自信を失い、不安でいっぱい子どもも本当は学校へ行きたいと思ってはいるものの、同時に行きたくない気持ちもあって葛藤しています。自分の気持ちが分離してわからない状態です。そんな自分をふがいなく思い、自信をなくしています。勉強の遅れを心配し、「友だちからどう思われているのだろう」という不安もあります。「どうせ自分はダメな人間なんだ」「みんなが普通にできることが自分にはできない」と卑下する気持ちもあります。そんなところへ親が勉強の遅れを心配したり、登校をうながしたりしたら、「やっぱりお母さんは自分の気持ちなんてわかってない!」という反発心ややるせなさ、悲しさ、怒りがわいてくるのです。■親が考え方を変えれば子どもは前に進める私はあるときから、子どもは学校へ行かなくても大丈夫だと思うようになりました。私自身がフリーランスになってから、高校を卒業していなくても社長として成功している人や、フリーランスとして才能を生かして生活している人に何人もめぐり会ったからです。もちろん学校でしか経験できないこともありますが、大人になってからちがう形で経験できることもあります。学校には行ったほうがいいけれど、私が一番に願うのは、子どもが将来ひとりで働いて食べていけること、精神的に安定して成長することです。まず親が「この子は学校へ行かなくても大丈夫」と心から信じること。そうしなければ、子どもにも伝わりません。子どもは自分の不登校を認め、現状を受けいれることで「いま何をするべきか」が見えてきます。目標を「学校へ行く」ことから、生活を改善することや好きなことを伸ばすなど、自分ができることへ変えましょう。達成するたびに自信が積みかさなり、やがて大きな目標達成にもつながります。「学校へ行けない」ことにこだわるのではなく、親子でできることを探してゆっくり成長することが一番大切だと私は思っています。子どもの不登校に悩んでいる方も、あせらず、見守ってください。
2016年06月18日子どもが学校へ行かないと親は不安になるものです。つい、あれこれ聞きだそうとしたり、アドバイスしたり、なんとか登校させようとしてしまいます。しかし、親があせるほど子どもは殻に閉じこもり、口を閉ざしてしまうもの。私が実際に心療内科の先生からいただいたアドバイスをヒントに、不登校の子どもにどう寄りそい、コミュニケーションをとればいいのかをお話しします。■子どもは親にただ理解してもらいたい「学校で何か嫌なことがあるの?」「どうして学校へ行かないの?」子どもの気持ちが知りたくて、ついそんな質問をしてしまいがちです。しかし、子どもは「責められている」としか受けとれないようです。子どもが親に求めているのは、いまの自分を受けとめて理解してもらうこと。子どもは自分が学校へ行けないことへの罪悪感や不安感を抱いています。心療内科の先生によると、理由を詮索するより、まずは子どもを安心させてあげることが先決だそうです。■子どもの気持ちを理解する方法まずは、お母さんが笑顔になることです。子どもに安心してもらうのが先で、気持ちを理解するのは次の段階です。お母さんがニコニコしていれば、それだけで子どもの気持ちは安らぎます。いくら「大丈夫よ」と言っても、こわい顔をしていたら、子どもは「怒られている」と受けとめてしまいます。私は鏡を見て笑顔をつくってから子どもと接するようにしました。そして、理由を詮索するのをやめて、「学校に行きなさい」と言わないようにしました。家は安心できる場所で、自分の居場所がここにあると思ってもらうためです。■共有するということ次に、子どもと一緒にいる時間を増やして、たくさん会話をするようにしました。私は家で仕事をしていましたが、仕事中は一人で部屋にこもるため、なかなか子どもと話す時間を持てませんでした。夕方6時以降はいっさい仕事をせずに、必ずリビングかキッチンにいるようにしました。子どもと100%向きあい、話を聞くためです。共有スペースで子どもと同じテレビを見て、たわいない会話をして、子どもが話しやすい雰囲気づくりを心がけました。すると、テレビの話題だけでなく、少しずつ不安やグチなども話してくれるようになったのです。安心できる場所としての基盤をつくり、親に十分受けいれられていると感じる体験を重ねることで、「自分は親に理解してもらっている」という改善への糸口をつくることができました。安心感を与えること、時間を共有することが大事。心療内科の先生に言われたとき、「そんなことわかっている」と思いましたが、頭でわかっていても全然できていませんでした。お母さんが笑顔で接し、無条件で受けとめ、ささいなことでも共感することがとても大事です。インターネット上で友だちができたことを打ちあけてくれたとき、「それはよかったね」と肯定したひとことで、子どもの顔がうれしそうに輝いたことを覚えています。これからも、心療内科の先生の言葉を忘れずに、子どもに寄りそいたいと思います。
2016年06月17日子どもは学校へ行って当たり前と思っていませんか? でも、もし突然子どもが「学校へ行きたくない」と言い出したら、あなたはどうしますか? 不登校は誰もが直面し得るもの。そのとき、親はどうすればいいのでしょうか?実際にわが家で起こった体験をもとに、前兆から不登校、そして再び学校へ行くようになるまでを振り返り、その時々の子どもとの接し方や、親としての気の持ち方についてお伝えします。■前兆は「お腹が痛い」わが家は共働きです。息子が0歳の頃から保育園に預け、私はフルタイムで働いていました。今思えば、前兆は保育園の頃からありました。息子はもともと集団に馴染めない性格で、1人でいるのが好き。とは言え、誰とでも別け隔てなく遊ぶこともできました。しかし、その反面、神経質なところもあり、何かあるとお腹が痛くなったり、微熱が出たり。そのため、たびたび会社にお迎え要請の電話がかかってきました。私はその都度、息子を病院に連れていっていましたが、そのうちに、「これは本当に体調が悪いのではなく、かまってほしいのだな」と気づき、それからは、そういうことのあった日は半日休むようにしました。働くお母さんがたぶん、みんなそうであるように、子どもと一緒にいる時間が少ない分、密度の濃いコミュニケーションを心がけるようにしていたのです。「お腹が痛い」は小学生になってからも、時々ありました。小学校1年生の後半からたびたび起こる息子の朝の腹痛。痛みに歪んだ顔で私を見上げ「お母さん、お腹いたい…」。病院も何ヶ所も行きました。いろんな検査もして、レントゲンも取りました。しかし、どれも「異常なし」。イベントや行事などのいつもと違うスケジュールには特に弱く、楽しみな気持ちと同時に、不安も大きくなってしまい、ドキドキが体の症状=腹痛として出てしまっていたのです。そのため、遠足や運動会は、いつも途中参加かお休みでした。 ■体の症状はSOSのサイン進級し、小学3年生になってからは、今度は「頭痛がひどい」と言い出し、神経内科にも行きました。起立性障害と診断されたことも…。そして、ついに頻繁に学校を休むようになりました。でも、学校からは「なんとか登校させてください」と言われ、プレッシャーがかかります。私も「学校だけは行かせなければいけない」と思っていたので、なだめすかして、なんとか登校させようとする日々。学校とも連携を取り、息子をあの手この手で説得しようとしました。息子も理屈ではわかってくれますが、やっぱり腹痛が起きてしまいます。むしろ、親がムキになればなるほど、病状は悪化する一方です。そして、子どもは親の期待に応えられない自分を責め始めます。そのうち、頭痛以外に、別の症状も現れ始めました。病院もいくつも変えました。けれど、なかなか良くなりませんでした。息子も登校したい意志はあるのに、朝になるとひどくお腹を壊すという、体と心が分離しているような状態。もう息子本人もコントロールできない、心の底からのSOSのサインでした。 ■やっと待望の心療内科へ小学5年生になったとき、都立総合小児病院に初めて行き、体の異常がないことを入院検査で確認し、3ヶ月予約待ちをして、やっと待望の心療内科にかかることができました。その頃には、息子の口からついに「学校に行かなきゃダメ?」という言葉が出ました。私も「嫌な体験をずっと繰り返すより、一度じっくりまとめて休ませたほうがよいのでは?」と思っていたので、ひとまず1ヶ月間休ませることにしました。その後、心療内科の先生と相談し、学校に関しては無理強いせずに、家でゆっくり治療に専念することになりました。まずは、「家は安全、家は本当の自分を出せる場所」という体験をさせ、そのあと少しずつ外(学校や社会)へ出ていくという手順が必要だったのです。先生から「1年~2年かかることは覚悟して、じっくり治療しましょう」と言われました。私は会社に相談し、勤務時間を減らしてもらい、週に一度は息子と一緒にカウンセリングに通いました。親の私がすることは、無条件で子どもを受け入れること。甘えてきたら「もう大きいんだから」と突き放さず、幼児から育てなおすくらいの気持ちで接すること。それが治療方針でした。同時に、学校を思い出すようなことも一切排除することになりました。心療内科の先生から学校に電話してもらい、直接本人に接しないように徹底してもらいました。経験豊富な専門家がついているおかげで、私も落ち着きを取り戻し、ときには不安を聞いてもらうこともありました。子どもの心が不安定なとき、親が慌てたり不安がったりすると、それが子どもにも伝わってしまいます。自分だけで解決しようとせず、心の専門家に介入してもらい、親自身の心を安定させることも大切です。 ■長い目で見守る、そして信じる自宅療養を始めてから最初の数ヶ月間は外にも出たがらず、ゲームばかりしていた息子でしたが、ゆっくりゆっくり休んだ後、やがて自分から生活のリズムを管理しだし、遅れを取り戻すように本を読んだり勉強をしたりするようになりました。その後は誘うと徐々に外に出るようになり、休日は一緒にランチを食べに行ったり、サイクリングに出かけたりしました。しばらくすると学校の友だちとも休日になら一緒に遊べるようになり、6年生の3学期は放課後に学校へ勉強をしに行けるようにもなりました。そして、卒業前何日かは登校もできるようになったのです。卒業1週間前には毎日、卒業式の練習に参加するまでになり、無事、卒業式に出られたのです。息子を見守ってくれた友だちや、学校の存在は、とてもありがたいものでした。こればかりは親だけではどうすることもできません。現在では何事もなかったかのように、元気に中学校に登校しています。新しい友だちもでき、部活動も楽しんでいます。■子どものことをわかっているつもりで、わかっていなかった息子が学校へ行かなかった1年半、私が主にしたことは、ただご飯を作って一緒に食べること。そして、息子の話をとことん聴くことだけでした。子どもは親にわかって欲しいのです。私は、息子のことをわかっているつもりで、何年もわかっていなかったのでしょう。小学校くらいなら1年~2年の勉強の遅れは、すぐに取り戻せます。けれども、心の問題を取り戻すには、たくさんの時間がかかります。親が悲観的にならずにゆったりと構えると、子どもの情緒も次第に落ち着いてくるようです。 ■子どもが「学校に行きたくない」と言い出したら=私の体験から子どもが学校に行きたくないと言い出したら、原因探しをするよりも、まずは子どもの話をじっくり聴いてあげてください。問い詰めたり責めたりせずに、お母さんが子どもの心の逃げ場所になってあげてください。学校に行けなくなった息子のために私が意識してやったこと、それは「息子の気持ちに添う」ことです。学校に行きたくない原因は人それぞれ。単純なことではありません。逆にしないように注意していたのは、問い詰めたり、攻め立てたりすること。子どもが学校へ行かないと親も焦りますが、そこは我慢。子どもは家庭という絶対安心できる場から、ミリ単位で成長を始めるのです。親にできることは、子どもを信じて見守ること。何があっても親だけは味方だということを、心の底からわかってもらうこと。まずはそれが大切です。そしてもちろん、子どもを支える保護者にも支えが必要です。保護者の支えになるもの、それはプロの指導です。経験豊富なプロは、子どもだけではなく、保護者の心も支えてくれます。学校のスクールカウンセラーでもよいですし、信頼できる心療内科を探してもよいです。親が「この人は本当に信頼できる」というプロを探してください。「家庭の問題だから」と抱え込まず、適切にプロの助けを借りながら、子どもの成長を見守るのがベストだと、私は考えます。
2016年04月13日物事には多面的な見方があることを教えよう の続きです。子どもには物事を一面的に捉える傾向があり、それゆえに不登校になってしまうものです。大人のように見方を変えて捉えることができれば、不登校になるほど悩むこともないはず。そこで今回は、子どもに多面的な見方を教えるためのヒントをご紹介します。物事を多面的に捉える技術を手に入れるには子どもが物事を多面的に捉える技術を身につけるには、やはりきっかけが必要です。けれどもそれは、家庭の中で用意できることです。チャンスはたくさんありますので、子どもにとって身近なことを利用して教えていけばいいのです。たとえば、食べ物を例として見てみましょう。子どもは割合に好き嫌いが多いものですが、その一方、ふとしたきっかけで嫌いなものを食べられるようになることもあります。ある食べ方では苦手だったものが、別の調理方法を使ったりメニューを変えたりすればおいしく食べられる、といった経験をしたことがある方も多いのではないでしょうか。こうした発見は、子どもにとって物事を多面的に捉えることのいい例になります。あれほど苦手で食べられなかった食材が、この料理にしたらむしろおいしく食べられた、というのはかなりのインパクトを与えることだからです。その際に、物事を多面的に捉えることについて話してみれば、効果はさらに上がります。このような経験を豊富にしてきた子どもは、物事を多面的に捉えるための気づきをたくさん得ることができますので、ほかの点で何か問題が起きた時にそれを応用し、自分の中で問題を解決しやすくなります。一見嫌でたまらないことが起きた場合でも、その出来事について別の評価をするだけで感じ方を変えられることを知れば、どっぷりはまり込んで悩むこともなくなるはずです。多面的な捉え方を教えると、好き嫌いがなくなる!?食べ物の場合に大事になってくるのは、親が子どものためにできるだけ料理を手作りすることです。そしてその中で、子どもに好き嫌いが多いからといって、子どもの好きなものばかり作らないことも重要です。子どもが嫌いな食材があったとしても、いろんな料理法やメニューを試してみるのが大事なのです。そして、工夫次第で嫌いな物でもおいしく食べられるようになるのだということを、身をもって子どもに示すこともできます。このやり方にはうれしいおまけもついてきます。それは、子どもの好き嫌いが結果的に減るという効果です。嫌いなものが減れば健康にもいい効果がありますし、食事の楽しみも増すので、子どもはその点でも幸せを感じることができます。このように日常には些細な困難がたくさんあります。それらに出くわした時に、「避ける」という対処法を採るのではなく、「解決する」という対処法を採るように(採れるように)、親がサポートしていく姿勢が重要なのではないでしょうか。(子育ての達人)
2015年12月26日文部科学省によれば、平成25年度の小中学生の不登校は約12万人であり、前年度に比べると7,000人程度増加しています。さらに詳しく見ていくと、小学生の不登校は24,175人で、前年度比較で2,932人増加。中学生の場合は95,181人で、前年度比較で3,932人増加という結果になっています。このように不登校になってしまう子どもは増えてきていますが、自分の子どもが不登校に陥ってしまわないようにするためにはどんな点に注意すればいいのか、一緒に考えていきましょう。子どもの世界は狭い子どもが不登校になってしまうのは、大人に比べると子どもの生きている世界が「狭い」ことに起因すると考えられています。大人の場合、家庭以外にも幅広い人間関係を持っているものです。たとえば会社のほかにも、趣味に関する仲間、昔の友人関係、学校関係の知人、近所の人間関係、行きつけのお店など、その人間関係の種類は多岐にわたります。このため、TPOに応じて自分のキャラクターを変える機会も多いものです。会社では部下をよくまとめる上司、近所づきあいでは面倒見のいいお母さん、学校行事では子どもたちと一緒に楽しんで活動するお父さん、などといった具合です。これに対し、子どもの人間関係はぐっと幅が狭まります。家庭の人間関係のほかには、まずなんといっても学校、そしてそこにせいぜい塾などの習い事が含まれる程度でしょう。少し前であればここに近所の遊び相手としての子どもたち、というのが入ったものですが、近頃は少子化の進展によって子どもの数が減っているため、近所で学校における人間関係とまったく違った人間関係を構築することが、あまりできなくなってきています。就学前の子どもの世界のほとんどは家庭で成り立っています。子どもが大きくなって学校に行きだすと、学校における人間関係が重要性を増し始め、しばらくすると人間関係の中心が、家庭→学校での人間関係に取って代わるようになります。子どもたちにとって学校は、毎日相当の時間を過ごしている場所ですから、そこでの人間関係は必然的に濃密なものになり、ほかの世界をあまり知らない子どもにとっては、それがすべてといったことになりがちです。ですが、学校での人間関係というのは得てして不安定なもので、ほんのささいな出来事や行動によって、ある日突然まったく別の様相を見せ始めることがあります。皆さんもその昔、学校に通っていた頃の経験を思い出してみれば、うなずけるところがあるのではないでしょうか。そんな不安定な学校での人間関係をうまく乗り切るためには、どのようにするのがよいのでしょうか? 次回、その方法を紹介します。(子育ての達人)
2015年12月23日料理ができたほうがいいのはわかっているけれど、作ると時間がかかりすぎてしまう…時短料理を試してみたけど美味しさに満足できなかった…そんな方に、ぜひ試してほしいハイクオリティな時短料理をご紹介いたします。手抜きが透けて見えるような料理では嫌ですよね。いくら時短といっても料理は料理なので美味しくなければ意味がありません。見た目も綺麗な方がいいでしょう。そのあたりを犠牲にしてしまうと食べる時にテンションが下がってしまいます。食事は楽しく食べて元気になりたい! そんな願いを叶えるレシピです。今回のキモは一つの耐熱容器に材料を全部入れて加熱は一回で終わり、最後の仕上げで味を変えて2品を同時に作るところです。今回選んだのは肉料理と魚。魚料理と肉料理を一緒に作っちゃいましょう! ■白身魚とえのきのサッと煮とキャベツと豚肉の柚子胡椒風味白身魚の切り身…1枚(たらや鯛など)しょうが薄切り…1枚えのき…1パック2倍濃縮の麺つゆ…大さじ2砂糖…小さじ2豚肉切り落とし…150gキャベツ…4分の1玉ししとう…2本*キャベツと豚肉のゆず胡椒ソースゆず胡椒…小さじ1麺つゆ…小さじ4分の1<作り方>1. 耐熱容器にタラとしょうがとえのき、麺つゆと砂糖を入れる。(ここまでが煮付けの準備)2.キャベツを上から被せ、豚肉を広げてのせる。軽くふたをして600wで6分間レンジにかける3.ゆず胡椒ソースを混ぜておく4.豚肉とキャベツをボウルにとり、ゆず胡椒ソースを混ぜて器に盛りつける5.魚とえのきを少し深い皿に盛り、汁の味を確認して上からかけて完成!一緒に加熱すると肉と魚のダブルスープで美味しくなりますよ! あとはご飯と汁物と豆腐でも付ければ完璧です。
2015年05月13日初登場の岩田奈津希ちゃん。忙しくて時間がない時でも、手抜きにならずに時短でできるメイクを紹介してくれたよ♪ベースメイクはナチュラルに仕上げて、アイメイクはしっかりポイントを押さえれば完成です。メイクのコツ・ポイント眉下にハイライトを入れることで目元が明るくなって、立体感も出るよ。ブラシを立てて使うことで綺麗なグラデーションになります。暗めのシャドウを目の際に細くのせると目元に深みが増します。チークは外側から内側にのせてから、円を描くように外側に向かって馴染ませる。このメイク動画のノーカット版と使用コスメ詳細を見る
2015年04月19日簡単なようで奥深いカレー。自宅でよく作るが、鉄板レシピが見つからない……といった声はよく聞く。今回は煮込み時間がたったの5分! と時短で仕上がるキーマカレーのレシピを紹介しよう。レシピ考案は料理研究家の橋本加名子先生だ。市販のカレールーを味のベースにしているが、辛味や濃度など、メーカーによって異なるので使用量は微調整しよう。○煮込み時間5分のキーマカレー材料(2人分)豚挽肉 150g / ニンニク 1片 / 玉ネギ 1/2個 / ホールトマト缶 1/2缶 / 水 1/4カップ / ローリエ 1枚 / サラダ油 小さじ1A(カレールー(市販) 20g / ケチャップ 大さじ1 / 一味唐辛子 小さじ1)ナン 適量 / パクチー 適量つくり方1.ニンニクはみじん切りにし、玉ネギは粗みじん切りにする。2.フライパンにサラダ油を入れて火にかけ、中火で1のニンニク、豚挽肉、1の玉ネギの順に炒める。ホールトマト缶を入れて潰したら水、ローリエを入れる。沸騰したら弱火にしてアクをすくう。3.Aを入れて5分間煮込む。器に盛り付けてパクチーをあしらい、ナンを添える。撮影: 福田栄美子○著者プロフィール橋本加名子料理研究家、フードコーディネーター、飲食プロデューサー懐石料理教授の母の影響で、幼いころから「食」に興味を持つ。米国留学中にタイ、ベトナム料理と出会い、香港出身のホストマザーからは広東料理を学ぶ。帰国後商社勤務をしながら、都内レストランにてタイ、ベトナム、ラオス料理、実母より近茶流懐石料理を学ぶ。その後、タイ・バンコクへ渡り、イギリス系商社に勤務しながらタイ宮廷料理、タイ家庭料理、タイ伝統菓子、フルーツ&ベジタブルカービングを学び、ベトナム等近隣諸国を食べ歩く。その後独立し、ジャンルにとらわれない家庭料理を各種媒体にて提案、レシピ開発や料理教室講師、商品開発などを行っている。※オフィシャルサイト「おいしいスプーン」
2014年09月27日毎朝のメイクは、なるべく時短でキレイを心掛けたいもの。そんなテーマに絞り込んだ“大人の時短メイク”で使える裏ワザアイテムをご紹介します。キーアイテムは、ズバリ、「日焼け止め」「コンシーラー」「マスカラ下地」です。毎日の「日焼け止め」未来の美肌を作る!まずは「日焼け止め」。歳を重ねていくお肌をキレイに守ってくれるのは紫外線対策のこのアイテム。SPFの高いものは、夏のイメージがありますが、実はオールシーズン重宝します。今日の日焼けが怖いから、という対策ではなく、日に日に蓄積されるシミやソバカスの原因を防げますし、これを毎日続けることで、スッピンでも自信の持てる白肌がキープできるはず。最近はBBクリーム、CCクリームのように、下地から薄付きファンデまでが兼用できる優秀なものが多いので、さっと塗るだけでベースは完成!なんて手抜きも。それでも5年後、10年後も付き合っていく自分の肌を見据えて、毎日日焼けからお肌を守ることは大切ですね。ファンデーションより大切!?な「コンシーラー」次に欠かせないのが「コンシーラー」。「メイクなんて時短勝負だから、コンシーラーなんて塗ってる時間なんてない!」と思う方もいるかもしれませんが、時間を短縮したいからこそ、コンシーラーは欠かせないアイテムなんです。時間がない中、ファンデを適当に顔全体に塗るより、コンシーラーを目の周りと鼻筋に部分的にきっちり塗ったほうが、顔色も良く、瞬時にクスミやクマが目立たなくなって、絶対見た目年齢が若く見えるはず。さらにファンデだったら、下地にリキッドにパウダーにと、セット買いしがちなところ、ドラッグストアで¥300のものだって十分。(自分のスキンカラーに合ったものを選ぶのは重要ですが) 時間がないときこそコンシーラー、この法則はぜひ試してみてほしいです。目ヂカラアップの秘密は「マスカラ下地」そして3つめは「マスカラ下地」。“目ヂカラ”という言葉はちょっと古いかもですが(笑)、女性のメイクで、目の持つパワーというのは、やっぱり大事ですよね。もちろんマスカラそのものも大切ですが、今のマスカラはどれも優秀で、基本的には失敗しません。そこで差をつけるなら下地が譲れません。まつ毛エクステやつけまつ毛など、人工的なものに抵抗があるという人は、地まつ毛をいかにキレイに長く見せるかがポイント。くるんとカールされたまつ毛をキープするなら、下地でベースを作ってしまうのが手っ取り早いんです。と同時に、毎日使うことで、地まつ毛がとっても強くなりますよ。もちろん自分の肌質や顔のつくりによって、譲れないメイクアイテムってあると思います。でも、全部を完璧にするのではなくて、自分に絶対欠かせないものは何かを見つけてあげることで、メリハリもつくし、どれにお金をかけてあげるのがいいかも見えてくるのではないでしょうか。
2014年03月13日家で何か食べたいけれど、買い物に行くのは面倒。冷蔵庫の余り物だけでなんとか作りたいけれど、良い献立が思いつかない…。そんな日は、中華丼なんていかがでしょうか? 通常のレシピよりも時短で簡単です♪材料(作りやすい分量*約5人分)・豚肉:500g程度・浅漬け:500g程度・筍:200~300g・椎茸:5個程度・カニカマ:100g程度・うずらの卵(水煮OK):あれば適量・ニンニク、生姜:各2片ずつ・オイスターソース:大さじ2杯・片栗粉:大さじ3杯・水:3.5カップ(700cc)程度・ゴマ油:適量作り方1. まず、筍と椎茸は食べやすい大きさと薄さに切ります。カニカマは3等分に切ります。ニンニクと生姜はみじん切りに、浅漬けは食べやすい大きさに切って水気を絞っておきます。2. 豚肉は薄切りでも細切れでもOKです。分量外の塩を適量ふり下味をつけた後、片栗粉を全体にまぶしておきます。 3. あとは加熱し、味付けするだけです。ニンニクと生姜をゴマ油で炒めて香りが出たら、浅漬け、筍、椎茸を加えて炒めます。4. 全体に火が通ったら水、カニカマ、オイスターソースを加え、具がやわらかくなるまで加熱します。5. 2の豚肉を加えてよく混ぜながら加熱します。火が通ったらうずらの卵を加えて完成。浅漬けを使うことで味が馴染みやすく、全体が美味しく仕上がります。お肉の下処理に一手間加えるだけでトロミ付けの行程も不要になります。献立に迷ったときは是非一度お試しください。
2013年02月22日結果は出てほしいが、面倒なのは嫌オルビスから、大人世代向けの時短エイジングケア商品が発売される。時短、と言うことを打ち出していることからも、手間が省けるエイジングケア、ということだ。年を重ねていくと、誰にでも若い頃とは違う肌の変化が現れてくる。ケアにかける商品を増やす、じっくり時間をかける、と言っても限度があるし、なかなか手間もかけて入られなくなってくる。でも、手ごたえを感じることが出来るケアをしたい、というのが本心だろう。※画像は、オルビスニュースリリースより3点でクレンジングから化粧下地まで出来るだけ手間をかけずに、手ごたえのあるケアをしたいと言う人にはうってつけの新シリーズ『ライブリッチシリーズ』。ソープ・ジェル状保湿液・保湿ファンデーションの3点が2013年1月25日に発売される。約4ヶ月もの間腐らないことから、「奇跡の果実」と呼ばれるスイスの希少品種のリンゴから得られる「リンゴ幹細胞エキス」と、ビタミンEの約7,000倍ものエイジングケアパワーを誇る物質を含む黄金茸(おうごんたけ)から抽出した「黄金茸エキス」が配合されている。この3点の商品で、クレンジングから化粧下地まで保湿ケアが可能。少ない手間で確実な結果を出していきたいものだ。販売は、通信販売のみ。元の記事を読む
2013年01月17日暑さも落ち着いて、外でお弁当を食べるのも気持ちが良い季節になりました。できれば、お弁当は手作りしたいけど毎日忙しい。あれも食べたいしこれも食べたいけど、時間と手間がちょっと…、という人も多いはず。そんなときは、冷蔵庫によくある食材を、調理方法を工夫するだけで作れる時短弁当にしてみよう!材料(作りやすい分量*1人分)■ネギ塩豚焼き・豚肉(細切れやそぎ落とし):100g・長ネギ:適量(輪切りで2cm分程度)・おろしニンニク:1/2~1片分・塩、ゴマ、ゴマ油:各適量■隠れタコウインナーとトマトのチーズ風味オムレツ・ウインナー:1本・ミニトマト:2個・卵:1個・塩、粉チーズ:各適量■香ばしいウインナーとキャベツの芯サラダウインナー:1本キャベツの芯:2~3本程度寿司酢、粉チーズ:各少量■キャベツ、ネギ、トマトのカレー風味浅漬けキャベツの葉:大なら1/2枚分程度長ネギ:適量(輪切りで2cm分程度)カレー粉:小さじ1杯寿司酢:大さじ4杯※寿司酢がない場合酢大さじ3杯、砂糖大さじ2杯、塩小さじ1杯を合わせて作っても可作り方1.では、早速作ってみよう!まず始めに、全ての野菜を切ります。オムレツ用のミニトマトは半分に、キャベツの葉は食べやすい大きさに切ります。キャベツの芯は半分の長さに切り、厚みをある程度揃えるように縦に切っておきます。豚焼き用ネギはみじん切りに、浅漬け用ネギは1cmくらいの長さに切ったあと縦半分に切ります。2.タコ用ウインナーは半分の長さに切ったあと、切り口部分に8等分になるよう切れ目を入れます。サラダ用ウインナーは縦半分に切ったあと、さらに縦半分に切り、半分の長さに切ります。3.短時間で味が染みこむように、浅漬け用のミニトマトは数カ所フォークで穴をあけておきます。4.浅漬け用のキャベツ、ネギ、ミニトマトを合わせて、寿司酢とカレー粉を加えて混ぜておきます。5.ネギ塩豚焼き用の豚肉に、みじん切りにしたネギ、おろしニンニク、塩、ゴマ、ゴマ油を加えて、よく揉み込んでおきます。6.卵焼き器か、なければ適当なフライパンにキャベツの芯と全てのウインナーを加えて焦げ目がつくまでよく炒めます。終わったら一度全てを取り出し、火を止めます。取り出したサラダ用ウインナーとキャベツは熱いうちに寿司酢と粉チーズで味をつけておきます。7.再び火をつけて、ミニトマトを少し炒めたあとタコウインナーを戻し入れます。弱火にして、事前に塩と粉チーズを加えて軽く混ぜた卵液を流します。8.箸で手早く混ぜて、全体的に半熟状態になったら端からくるくる巻いていきます。(くっつく場合は濡れ布巾の上に一度フライパンをのせると離れやすくなります。)9.オムレツを取り出し、同じフライパンで油をひかずに豚肉を炒めます。それぞれ、おかずが冷めたらご飯と共に弁当箱に詰めて完成!詰めるときは全ての具が見えるようバランスよく入れるのがポイント。限られた食材でも調理法や味付けを少し変えるだけで、まとめて作れるので忙しい時間でも作ることができますね。忙しい日もパパッとお弁当作って、外でランチしてみませんか?
2012年09月19日