意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「東日本大震災から10年」です。震災に終わりなし。この先も風化させてはならない。東日本大震災から10年が経ちます。福島第一原発事故により帰宅困難区域に指定されていたところも、2023年までに全面解除・帰還を目指すことになりました。大きな被害にあった南相馬市と浪江町では、ロボット開発をする企業が誘致されたり、浪江町では民間の新しい電力会社も太陽光エネルギーの拠点として立ち上がるなど、新しい街づくりが進んでいます。復興の明るいニュースがある一方で、故郷を追われ、いまなお避難生活を強いられている方が東北だけで3600人おられます。石巻では復興計画が進まないまま、移動困難な地域に住む高齢者が孤独死するケースが増えています。長引く避難生活でコミュニティを再生できず、日常を取り戻せないまま亡くなってしまう。共同通信によると、避難を余儀なくされた福島県の7町村で、震災関連死と認定された人は、1月現在、それぞれ人口の1%以上にのぼることが判明しました。災害で亡くなった直接死よりも、震災関連死のほうが多く、これまでに2313人が亡くなり、その9割が南相馬市など避難指示区域に設定された市町村でした。原発事故で故郷を失い、住まいを転々とする避難生活が心身にダメージを与えたことが顕著になっています。自殺者数も被災3県(岩手、宮城、福島)のなかで福島県が最も多く118人。なかでも男性が多く、働く場や生活を根こそぎ奪われてしまったことが要因と考えられます。生業を奪われた人々が、国と東電相手に訴訟(生業訴訟)を起こし、昨年9月に仙台高裁では勝訴しました。しかし、この10年の間に100人以上の方が亡くなり、原告の数は年々減ってしまっています。震災から10年。復興庁は継続しますが、様々な支援は次第に打ち切られます。世間的に忘れられていくなかで、いまだに十分な補償ももらえず国とも争わなければならない。地域のコミュニティは分断され、疎外感を抱きながら暮らす人々。一概に「東北では」「福島では」と大きな主語では語れません。今年2月、福島県沖で再び大きな地震が起きました。読者の方々には、現地を訪れるなど、ぜひ今後も東北と関わり続けてほしいなと思います。堀 潤ジャーナリスト。市民ニュースサイト「8bitNews」代表。「GARDEN」CEO。『モーニングCROSS』(TOKYO MX 平日7:00~8:00)にメインキャスターとして出演中。※『anan』2021年3月17日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2021年03月13日2011年3月11日に発生した東日本大震災。当時私は、東京都中央区のオフィスビルの11階に勤務していました。翌年に結婚を控え、現在の夫と2人暮らし。会社からドアtoドアで1時間程度の場所に住んでいました。震災で電車が止まり、帰宅困難者になった経験を踏まえて、震災後に意識するようになったことをご紹介します。 オフィスで何時間も電車の復旧を待つ震災当時、私のいたビルの11階もかなり揺れを感じ、デスクが乱れたり、本棚から書類が落ちたりといった状況。相当な恐怖を感じたものの、周りにケガをした人などはおらずホッとしたのですが、大変なのはそのあとでした。電車がすべて止まってしまい、普段だったらもう誰もオフィスにいない午後10時を回っても、自宅に帰れない人たちがずっと会社に残っていました。 このまま会社に泊まることになるのかなあと不安になり始めた深夜0時近くになってようやく普段通勤に使っていた地下鉄が動き出し、自宅が同じ方面にある同僚と恐る恐る地下鉄に乗って帰ったのを覚えています。 子どもの安否確認に奔走するママたち当時私はまだ未婚で子どももいなかったため、地震発生後、夫の安否が確認できたあとは不安ながらも仕事をして地下鉄が動き出すまでの時間をつぶしていました。しかし、同じ部署には子育て中のママもたくさんいて、子どもの安否確認とお迎えの段取りに奔走する様子を間近で見ていて、本当に大変そうだなあと思いました。 そして、子どもがいるママたちは、震災後数時間で蜘蛛の子を散らすようにオフィスを去っていきました。幸いママたちは皆オフィスから近い場所に住んでいる人ばかりで、帰宅困難で子どものお迎えに行けないという人はいなかったようです。 どんなときでもすぐお迎えに行けるようにその後、私は結婚して子どもにも恵まれましたが、折に触れて震災の日の体験を思い出し、今あのときと同じ状況になったらどうなるかというのを何度となく考えてきました。自宅から遠い場所に勤務していて電車が止まってしまったら、お迎えにいけるのが何時間後になるかわからないという不安がまずあります。 確固たる信念があってそうしたわけではありませんが、「何かがあったときにすぐお迎えに行けるように」という思いはずっと心の中にあり、子どもが生まれてからは在宅でできる仕事のスタイルに切り替えて現在に至ります。 地震はいつ起こるかわかりません。私が普段は在宅で仕事をしていても、たまたま打ち合わせ等で自宅から離れた場所にいる日に地震が起きる可能性も十分にあります。いつも子どもの近くにいられれば安心ですが難しい場合もあるので、どこにいても大丈夫なように、いざというときの連絡方法や、帰宅手段など、日ごろからの備えをしっかりしておきたいです。 監修/助産師REIKO著者:澤崎 凪1男1女の母。パーソナルカラーコーディネーターの資格を持ち、色彩関係、ファッション関係のほか、自身の体験をもとにした子育て関係のジャンルを中心にライターとして活動中。
2021年03月13日2011年3月11日に、東北地方を中心に大きな被害をもたらした東日本大震災。地震にともない発生した大きな津波は住宅地をのみ込み、多くの死者や行方不明者を出しました。震災当時は学校に通いながら、通信教育の『進研ゼミ』をしていたという、逹己(@tatsuki_)さん。地震による津波で、自宅の1階が浸水し、進研ゼミの教材が流されてしまったといいます。逹己さんは、震災から3週間が経った頃、進研ゼミに連絡し、次のような質問をしました。「津波で流されてしまった4月号の教材を、新しくもらうことはできますか?」すると、電話を受けたスタッフの女性は、涙声でこうつぶやいたのです。「…!生きて…らっしゃったんですねぇ…!」この日になると毎年思い出すんですが震災時学生でワイ宅1階浸かったんだけど当時進研ゼミやってて津波で流されたから4月号って新しく貰えますかって電話したら「…!生きて…らっしゃったんですねェ゛…!」って電話口のお姉さんが涙声で対応してくれたのを思い出すんですよね— 逹己/アルゴナビスをよろしく (@tatsuki_) March 11, 2021 その後、泣きながら「すぐにお送りいたします」と答えたスタッフ。すぐさま手配してくれた結果、後日きれいな状態の教材が届いたそうです。当時電話で対応したスタッフは、亡くなった被災者の遺族などから、退会の連絡を受け続けていたのかもしれません。当時の状況を物語るエピソードに、ネット上ではさまざまな声が寄せられています。・素敵な話に胸が熱くなりました。・ボロ泣きしてしまいました。人の命の尊さを、改めて実感させられます。・電話を受けたスタッフは相当嬉しかったのでしょうね。生きていてくれて本当にありがとうございます。逹己さんは、3月11日が訪れるたびに、この出来事を思い出すのだそうです。東日本大震災は、私たちの心に大きな傷を与えました。実際に被災地で傷付き苦しんだ人々はもちろん、遠く離れた土地で被災者の安否を確認できず、無事を祈ることしかできなかった人にとっても、不安な日々だったはずです。人と人のつながりを感じさせるエピソードに、胸が熱くなりますね。[文・構成/grape編集部]
2021年03月12日東日本大震災から10年目となる本日3月11日、RADWIMPSが新曲を加えたアルバム『2+0+2+1+3+1+1= 10 years 10 songs』をリリースした。2011年、東日本大震災の発生直後に義援金プロジェクト「糸色」を立ち上げたRADWIMPS。ミュージシャン・クリエイター・俳優陣などの共鳴と共に支援へと動き、その後、ほぼ毎年3月11日に被災地へ想いを馳せた新曲を、映像作家・島田大介と制作した映像と共にYouTubeで届けてきた。10年目となる本日発売されたアルバム『2+0+2+1+3+1+1= 10 years 10 songs』には、これまで発表した楽曲8曲に加え、先日NHK総合で放送された特集ドラマ『あなたのそばで明日が笑う』主題歌として書き下ろした「かくれんぼ」、さらに本日オフィシャルYouTubeで映像が公開になった新曲「あいたい」の2曲を収録。震災を見つめ続けた楽曲たちは発表順に収録され、10年間の定点観測で生まれた壮大なコンセプトアルバムとなっている。リリース3形態のうちBlu-rayとDVDには、10年間RADWIMPSと想いを共にしてきた島田大介による、YouTubeで公開されてきた映像作品も収録。アートワークも同じく島田が手掛け、島田自ら被災地に赴き撮影した、震災当時と10年後の今を鮮明に切り取った写真の数々が収められている。なお、このアルバムの利益は日本赤十字社、自治体などに全額寄付され、日本全国で起こる自然災害などの支援活動に充てられる(2021年12月31日までの売上金額が寄付の対象となる)。また、3月13日(土)にはRADWIMPSが震災と寄り添い続けた10年を描いた特集番組『3.11 10年 そしてこれから』がNHK総合で放送される。RADWIMPSがこれまで何を感じ、何を思い、何を伝えたのか。この10年間を、バンドのフロントマン野田洋次郎が本人の言葉で語る。対談相手は、NHKでも『福島をずっと見ているTV』に出演し、震災について強い信念のもと、継続的に活動を続けている福島出身の箭内道彦。番組内では、これまで、そしてこれからを想いRADWIMPSが1曲パフォーマンスする。■RADWIMPS『2+0+2+1+3+1+1= 10 years 10 songs』配信中「2+0+2+1+3+1+1= 10 years 10 songs」特設サイト『2+0+2+1+3+1+1= 10 years 10 songs』3月11日(木)発売CD+BD / 4,000円+税CD+DVD / 3,500円+税CD / 2,800円+税▶︎CD 収録曲1. 白日 -10 years ver.-2. ブリキ3. カイコ4. あいとわ5. 春灯6. 空窓7. 夜の淵8. 世界の果て9. かくれんぼ10. あいたい※M9「かくれんぼ」(NHK 東日本大震災 10年特集ドラマ『あなたのそばで明日が笑う』主題歌)▶︎BD / DVD収録曲• 白日• ブリキ• カイコ• あいとわ• 春灯• 空窓• 夜の淵• 世界の果て• あいたい全9曲を収録■番組情報NHK総合『3.11 10年 そしてこれから』3月13日(土) 22時55分~23時30分(NHK総合 / NHKプラス同時・見逃し配信)
2021年03月11日2021年3月11日で、東日本大震災発生から10年が経ちます。この地震に見舞われ被災をした一人、フィギュアスケーターの羽生結弦選手。同日サンケイスポーツは、羽生選手が被災した人々へ向けてつづった『メッセージ』を公開しました。羽生結弦「でも、やっぱりいわせてください」震災から10年を経てもなお、故郷へ戻ることができない人や行方が分からない人も多くいます。仙台市の自宅が全壊し、自身も避難生活を経験したという羽生選手。さまざまな心の傷を負いながら、日々生きる人たちへこのようなメッセージを贈っています。最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。(中略)本当に、10年間、お疲れ様でした。10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。まだ、癒えない傷があると思います。街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。簡単には言えない言葉だとわかっています。言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。でも、やっぱり言わせてください。僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。頑張ってくださいあの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。本当に、ありがとうございます。僕も、頑張りますサンケイスポーツーより引用羽生選手は、復興に向けて懸命に生きてきた人々へ、簡単にはいえないことを理解しつつも、「頑張ってください。僕も、頑張ります」という言葉を改めて贈ったのです。震災だけではなく、世界という舞台でさまざまなプレッシャーや厳しい練習に耐えてきた羽生選手。誰よりも「頑張れ」の持つ力を知っている、羽生選手だからこそいえる言葉に、ネット上ではさまざまな声が上がっています。・電車の中で読んでいて、涙が出そうになりました。まだまだ復興の途中。一歩ずつですね。・あの時から「頑張れ」って言葉が嫌いでした。でも、羽生くんの「頑張れ」は何か違うものを感じますね。ありがとう。・羽生さんの頑張る姿に、どれだけの人が励まされたことか…。失ったものは元には戻らないけど、少しずつ前へ進んでいきたいと思えました。10年が経過してもなお、被災した人々は、あの時の傷跡と向き合いながら生きています。私たちがやるべきことは、震災の経験を風化させることなく、次の世代へ正しくつなげていくことだといえるでしょう。投稿全文はこちら何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。あの日のことはすぐに思い出せます。この前の地震でも、思い出しました。10年も経ってしまったのかという思いと、確かに経ったなという実感があります。オリンピックというものを通して、フィギュアスケートというものを通して、被災地の皆さんとの交流を持てたことも、繋がりが持てたことも、笑顔や、葛藤や、苦しみを感じられたことも、心の中の宝物です。何ができるんだろう、何をしたらいいんだろう、何が自分の役割なんだろうそんなことを考えると胸が痛くなります。皆さんの力にもなりたいですけれど、あの日から始まった悲しみの日々は、一生消えることはなく、どんな言葉を出していいのかわからなくなります。でも、たくさん考えて気がついたことがあります。この痛みも、たくさんの方々の中にある傷も、今も消えることない悲しみや苦しみも…それがあるなら、なくなったものはないんだなと思いました。痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。あの日以前の全てが、在ったことの証だと思います。忘れないでほしいという声も、忘れたいと思う人も、いろんな人がいると思います。僕は、忘れたくないですけれど、前を向いて歩いて、走ってきたと思っています。それと同時に、僕にはなくなったものはないですが、後ろをたくさん振り返って、立ち止まってきたなとも思います。立ち止まって、また痛みを感じて、苦しくなって、それでも日々を過ごしてきました。最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。幼稚な言葉でしか表現できないので、恥ずかしいのですが、本当にすごいなと思います。本当に、10年間、お疲れ様でした。10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。まだ、癒えない傷があると思います。街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。簡単には言えない言葉だとわかっています。言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。でも、やっぱり言わせてください。僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。頑張ってくださいあの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。本当に、ありがとうございます。僕も、頑張ります2021年3月羽生結弦サンケイスポーツーより引用[文・構成/grape編集部]
2021年03月11日東日本大震災から10年という節目を迎えた、2021年3月11日。一人ひとりが改めて、当時の出来事や想いを思い出していることでしょう。システムキッチンのメーカーであるクリナップ株式会社(以下、クリナップ)も、福島県いわき市にある8か所の工場が被災。10年越しに、当時の感謝を伝えるメッセージを新聞広告として掲載しています。変わらない想い食べることは生きること。たくさんの人の毎日を、クリナップはキッチンから支えてきました。そんなクリナップが、被災した際には逆に多くの人たちに助けられたといいます。読むと、胸に自然と温かいものが込み上げる広告をご覧ください。クリックすると画像を拡大しますうれしい時も、悲しい時も。どんな時でも、生きていればお腹はすく。なにか食べなきゃ。力をつけなきゃ。そして人はキッチンに立つ。クリナップは、そんな大切な場所をつくらせてもらっています。10年前、福島県いわき市にある私たちの工場は被災しました。復旧作業中に余震が起こり、心が折れそうになった私たちの支えは、本当は困るのに「できるまで待つよ」と言ってくださったお客様たち、そして一緒に被災した地元の皆さんでした。つらい時に互いを思い、支えようとする心。困難を乗り越える力はそれなんだと、その時、胸に刻みました。そして10年後、奇しくも私たちは再び試練の中にいます。きっとみんなで乗り越えたいから、思いやる言葉をかけあいたい。クリナップはこれからも、大切な場所をつくり続けていきます。出荷再開まで、約1か⽉かかったクリナップ。復旧の途中で、震度6弱という余震に作業を台なしにされた時の悲しみは、察するに余りあります。そんな極限状態の中、自身も大変だったはずの人たちがクリナップを支えました。人と人とのつながりが見える広告に、胸を打たれますね。広告は全部で6パターン。「ありがとう。あしたにむかって、いただきます。」以外に、「あしたがくるよ、さ、ごはんにしよう。」「あったまったら、ちからがでたよ。」というメッセージのバージョンもあります。広告を見た人からは、「被災者ではないけど、やはり今日は特別な日」「心にしみました」「これはいい広告」などのコメントがネット上に投稿されています。毎日の生活を大切に。「思いやり、助け合いながら、みんなと明日を作っていきたい」と、改めて思わされます。みんなも感謝を伝えていこうクリナップは、普段なかなかいえないキッチンやごはんにまつわる感謝の投稿を募集する『伝えよう、キッチンのありがとうキャンペーン』も実施中!参加方法は簡単で、キャンペーンアカウントをフォローし、『#キッチンのありがとう』を付けてエピソードを投稿するだけでOK。ベストエピソードに選ばれた人には、最高級ステンレスシステムキッチン『CENTRO』をはじめ豪華賞品がプレゼントされます。あなたも震災から10年という節目に、大切な人との食卓を見つめ直してみてはいかがですか。\伝えよう、キッチンのありがとう/システムキッチンCENTROがもらえるキャンペーン実施✨応募は簡単① @arigatou_cl をフォロー② #キッチンのありがとう のタグを付け、キッチンやごはんにまつわる「ありがとう」をツイート4月18日22:00まで❗️— クリナップ「伝えよう、キッチンのありがとう」 (@arigatou_cl) March 11, 2021 [文・構成/grape編集部]
2021年03月11日2011年3月11日に東北地方を襲った東日本大震災から、10年が経ちました。地震や津波によって家屋が倒壊し、数多くの死傷者が発生した当時の記憶は、今も多くの人の脳裏に刻み込まれています。レディー・ガガ、3月11日に合わせてメッセージを投稿2021年3月11日、アメリカの歌手であるレディー・ガガが日本に向けてメッセージを投稿しました。Aishitemasu Japan pic.twitter.com/w7KicgJhvP — Lady Gaga (@ladygaga) March 10, 2021 地震と津波の衝撃的な映像をニュースで見た日を、昨日のことのように思いだせます。あの日、自分に何ができるかを考えたくさん電話をかけました。何年もかけて、再び美しい街を取り戻していく様子を私は見てきました。日本の人々の強さ、優しさ、そしてお互いへの愛に、私はとても尊敬の念を抱いています。その姿は、今、世界中のパンデミックの最前線で戦っている人々に希望を与えていることでしょう。しかし、まだ多くの人が災害で負った心の傷を抱えていると思います。だからどうか、お互いに優しく、愛し合い、支え合い続けてください。私は日本が、そして世界がよりよくなることをいつも祈っています。私たちはまだコロナウイルスの難しい時期に生きています。どうか体調に気を付けて、周りの人を気遣いましょう。また日本に帰ることができる日を、楽しみにしています。@ladygagaーより引用(和訳)メッセージの最後には、日本語で「愛してます、日本」としめくくり、日本にエールを送ったレディー・ガガ。10年経った今も、こうして日本を気にかけてくれる姿に、多くの人が勇気をもらったことでしょう。【ネットの声】・レディー・ガガの言葉、まっすぐで誠実でウルッときた。・真っ直ぐ発せられる言葉に強い愛情を感じます。・日本時間の3月11日にあわせて投稿してくれたんだね…ありがとう。どんなに時が経とうとも、東日本大震災で負った心の傷や当時のつらい記憶はなくなりません。街並みが元通りになろうとも、日常が戻ってきたとしても、本当の意味での復興はこの先もずっと続くのでしょう。しかし、こうして今も世界のどこかで応援してくれている人がいると思うと、心強く感じられます。[文・構成/grape編集部]
2021年03月11日私には小学校と幼稚園に通う子どもたちがいます。東日本大震災が起こった10年前、私は妊活中でしたが、震災のさまざまなショックで生理が止まってしまい……。そのときの体験談と、その体験を今の子育てにどう生かしているかをお伝えします。 熱を出して寝込んでいた私東北地方太平洋沖地震が起きた10年前、私は東京に住んでおり通勤に1時間かかる会社に勤めていました。結婚4年目だったので、そろそろ子どもが欲しいねと妊活をスタートさせたところでした。 そんなある日、高熱を出し仕事を休んで自宅のベッドで寝ていた私は、突然激しく揺さぶられたような衝撃に驚き、目を覚ましたのです。それと同時に、自宅で仕事をしていた自営業の夫が寝室に飛び込んできて、「起きて! トイレに避難しよう!(※)」と叫びました。高熱と揺れにフラフラしながら、壁をつたってなんとかトイレまで移動したのを覚えています。 (※)家の構造によっては、トイレが安全な場所であるとは限りません。また、揺れによりドアが歪んで開かなくなり、閉じ込められてしまう危険性もあるので注意が必要です。 テレビから流れてくる衝撃の映像に震え激しい揺れがおさまったのでトイレから出て、事態を把握しようとまずテレビをつけました。そしてはじめに目に飛び込んできたのは、爆発し、激しく炎上している石油コンビナートの映像でした。 次々と流れてくるニュースが、馴染みのある地名の映像でありながら現実とは思えない光景で、頭が真っ白になり、何これ?と、ショックでしばらく何も言えず立ち尽くして震えていたあの時間は、忘れられません。 その後、断続的に起こる余震に恐怖を感じながらも我に返った私は、夫と一緒に家の中を点検し、落ちた小物や割れた食器を片付けながら次の揺れに備えました。 精神的な不安で生理がストップその後、都内と近県に住んでいた両親や親戚、会社の同僚の安否を確認しホッとしたのも束の間……物流が乱れ、買い占めが起こり、自宅付近のお店の棚から商品がなくなりました。計画停電もありました。日常は取り戻したものの、しょっちゅう余震があって緊急地震速報が鳴り、精神的に落ち着かない不安な日々が続いたのです。 そして気が付くと、生理が3カ月きていませんでした。震災の日から妊活もストップしていたので、妊娠による体の変化ではないことは明らかでした。以前からストレスで生理が止まることはあったので、夫と話し合い、体が自然に戻ることを待つとともに、落ち着くまで妊活はストップすることにしたのです。 転職、妊活再開、そして出産その後も仕事は続けていましたが、震災当日に出勤していた同僚が帰宅困難者となりオフィスに泊まったり、何時間もかけて歩いて帰宅した話などを聞いたりしていたので、妊活の再開も視野に入れて自宅から近い職場に転職することにしました。 そして、6カ月ほど経ったころにようやく生理が再開。同じ年の暮れに妊娠が判明しましたが、もしものことを考えて自宅から一番近い病院でお産することに決めました。引き続き余震は起こっていましたし、胸を痛めるニュースが流れている状況で、常に不安を感じていたように思います。 電力不足で駅のエスカレーターやエレベーターが止まっていることもあり、大きくなるおなかで階段を上り下りすることも負担でしたが、避難所や仮設住宅で長く生活している人たちのことを思い、踏ん張りました。翌年の夏に無事出産したときも、震災の当日とその前後に出産した妊婦さんの状況を想像すると、なんとも言えない気持ちになりました。 子どもたちが大きくなった今、幼稚園や小学校で避難訓練や引き取り訓練がおこなわれますが、そのたびにあの日の話をして訓練に真剣に向き合っています。同時にいざというときの待ち合わせ場所や、非常用持ち出し袋の中身の確認、できるだけ徒歩で行ける学校や習い事にすることなども話し合っています。震災の体験を忘れず、未来に生かしていきたいです。 監修/助産師REIKO著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。夫は別居中のため、完全ワンオペ育児奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年03月10日東日本大震災の実録第6話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。ガタガタの高速道路を高速バスで走って上野につき、そこから電車に乗って埼玉にある夫の実家へ移動しました。 東日本大震災の実録第6話 義実家についてすぐ、夫は病院を受診し、薬を手に入れることができました。 一見普段通りの生活を送っているように見える義実家でしたが、原発事故の影響による計画停電で不便な思いをしていました。1日2回計画停電が実施されると合計8時間の停電。水道に電気ポンプを使用していたため、その間は水道も使えなくなってしまいます。停電の間は店舗が閉まるため買い物の時間も限られ、仕事もできなくなります。食事のときはロウソクを点灯。被害が少ない地域でも普段通りに暮らせているというわけではないことを、このとき知りました。私の実家は津波の被害もあった地域。当時予断を許さない深刻な状況だった福島原発からも近く、また母は手をけがしていたため、とにかく心配でした。 思い返すと、10年前のあのときは本当にたくさんの人が「私の大変さなんて大したことはない」と言って、じっと不便さに耐えていました。それだけ東北地方沿岸部の被害が凄まじかったからだと思います。パニックにならず、大人も子どももきちんと列に並び、協力しあう日本の様子は、当時海外のニュースでも取り上げられていました。 もちろんパニックになっている人もいたし、理不尽なことや、腹立たしいこともたくさんあったけれど、あの時必死に頑張っていたたくさんの人たちの態度は、本当に誇るべきものだったと、今でも思います。 夫の実家で生活し始めた和田さんですが、実家の状況を聞いて和田さんの心に異変が…。次回へ続きます。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月10日東日本大震災からまもなく10年。イラストレーターのアベナオミさんは、当時、夫と1歳7カ月の息子さんの3人で宮城県仙台市近郊の利府町で暮らしていました。被災したアベさんは震災翌日に生理に。ライフラインがストップするなかの生理で、何に困ったのか……。体験を綴ります。イラストレーターのアベナオミさんは、2011年3月11日、宮城県仙台市近郊の利府町で東日本大震災を経験。当時、長男の豆キチくんは1歳7カ月でした(現在は、二男アンチョビくん、長女モナカちゃんが生まれ、3児の母)。 アベさんは、震災翌日に生理に。電気・ガス・水道といったライフラインがストップしているなか、生理ではどんなことに困ったのか……。あまり語られることのない「震災と生理」についてリアルな状況と、経験者だからこそ、皆さんに知っておいてほしいこと、備えておいてほしいことについて教えてくれました。 生理中はトイレを使いたい回数も多く、またいつも以上に排泄物を他人に見られたくない時期です。震災当時、トイレを使うのは私と夫だけでした。それでも、夫には不便な思いをさせてしまった……。今は家族5人。一番下の娘はまだトイレを使いませんが、トイレを使うようになったころ、そして生理が始まったころに、あの日と同じような震災が起こってしまったら……。 多くの人が「あのときトイレが一番大変だった」と言います。空腹は少しくらい我慢できても、トイレは我慢できません。十分な数の非常用トイレがあれば、お互い不快な思いをしなくて済みます。だからこそ、みなさんには非常用トイレの備えはしっかりしておいてほしい! そう思います。 アベナオミさんが体験した、震災での生理体験のお話はまだまだ続きます。なかなか聞くことのできないお話です。ぜひ次回も読んでいただき、備えの参考にしていただければと思います。 アベナオミさんは、震災後、小さな子どもを連れた被災後の生活の様子や防災を伝えるコミックエッセイなどを執筆し、「防災士」の資格を取得。被災体験をもとに、本当に必要な防災、続けられる防災「1日1防災」に取り組みつつ、防災講座などの活動もおこなっていらっしゃいます。 なお、アベナオミさんの防災に関する書籍は「日めくり 被災ママが教える後悔しないための1日1防災」(PHP研究所)、「被災ママに学ぶちいさな防災のアイディア40」(学研プラス)、「全災害対応! 子連れ防災BOOK 1223人の被災ママパパと作りました」(祥伝社)など。どれも、知っておきたい防災の情報がぎっしり詰まっています。こちらもぜひ読んでみてくださいね。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター アベナオミ
2021年03月09日東日本大震災が起きたあの日。夫は帰宅難民になり、生後6カ月の息子と2人きりでどうすることもできず途方に暮れていました。そんな私の心を救ったのは、まだあまり親しくなかった隣に住むママ友からのメールでした。東日本大震災が起きたときのこと。当時の私は、埼玉県にある小さなアパートにまだ生後6カ月の息子と夫の3人で住んでおり、専業主婦として慣れない育児に没頭する毎日でした。 夫の仕事は24時間営業の飲食店のマネージャー。普段から仕事が忙しく、休みも出勤時間も不定期なので、私はほぼ毎日ワンオペ状態でした。大地震が起きた日も、夫は仕事に行っており、私と息子は2人で家にいたのです。 大地震発生! 慌てて外に出てみると東日本大震災が起きた瞬間、私は息子をおんぶしながら、夜ごはんの支度をしているところでした。いつもとは様子が違う、大きな地震が起きて怖くなった私は、息子をおぶったまま外に出ることに。すると隣に住むママも、子どもを連れて外に出ていたのでした。このママは2カ月前に引っ越してきたばかり。 子ども同士の月齢は近かったものの、初めて会ったときに連絡先の交換をしたぐらいで、まだそこまで親しい仲ではありませんでした。「とっても怖かったね」などと話しながら、私たちは地震がおさまるまで外で様子を見ることにしました。 お互い夫と連絡がつかず、不安が増していくばかり。30分ほど経って地震がようやく落ち着いてきたかな? と判断した私たちは、ひとまず家に戻ることにしました。 夫は帰宅難民に。途方に暮れる私家に戻ってテレビをつけてみると、世間ですさまじく大変なことが起きているというのがわかりました。それからしばらく経って、やっと夫と電話がつながり話すことができたのです。しかし都内にいた夫は帰宅難民になってしまい、いつ帰れるかわからないとのこと。 とりあえず夫の無事は確認できて安心したものの、東北には私の友だちや親戚がおり、とにかく不安で仕方ありませんでした。さらに地震のせいで本棚の中の本が床に落ちていたり、食器棚から食器が落ちて割れてしまっていたりと、部屋はぐちゃぐちゃ。私は散らかった部屋の中で、ただただ呆然とすることしかできませんでした。 ママ友からのメールそんなとき、隣に住むママ友からメールが。「今、夫が帰ってきたんだけど、よかったらうちに来ない? 子どもと2人きりじゃきっと心細いよね」という内容でした。まさしくその通りだった私。このママ友からのメールに、私は心が救われたような気持ちになりました。お言葉に甘えてママ友の家へ。 ママ友の旦那さんも、快く受け入れてくれました。夕飯時だったため1時間ほどで帰ったのですが、少しの間だけでも誰かと話ができるというだけで、こんなにも安心できるのだなと実感した出来事でした。それから私たちはすっかり仲良くなり、子どもを連れて公園で遊んだり、近所の子育て支援センターに行ったりと一緒に出かけることが多くなりました。 そのあと、私は何度か引っ越しを重ねてきましたが、そのたびに近所のママたちとの付き合いを大事にするようにしていきました。災害が起きて自分自身も大変な状況にあるとき、周りに声をかけるのはとても勇気のいることだと思います。ですが私もこのママ友を見習って、災害時には積極的に周りに声をかけ、隣近所で助け合っていけたらいいなと思っています。 監修/助産師 松田玲子著者:ほりたえりな男女4人の母。ステップファミリー。元コンビニ店員だが、第4子出産を機に退職し、現在はフリーライターとして活動中。自身の子育て体験談や商品レビューなどを執筆中。
2021年03月09日GReeeeNが3月4日に配信リリースした新曲「蕾」のリリックビデオを公開した。「響」は、3月6日からスタートしているTBSの報道プロジェクト『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』のテーマソングに起用中の楽曲。3月4日には、TBS『NEWS23』内の音楽コーナー「news23 MUSIC」にて、作曲家・服部隆之によるアレンジとオーケストラの生演奏によるスペシャルバージョンが放送された。放送を見た視聴者からは「オーケストラの生演奏とっても感動しました」「涙が溢れます」など反響が相次いでいる。GReeeeN「蕾」リリックビデオ<放送概要>東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」TBS『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』ロゴ参加番組:特別番組『つなぐ、つながるSP』『Nスタスペシャル・東日本大震災10年~つなぐ、つながる~』『Nスタ』『NEWS23』『報道特集』『サンデーモーニング』番組公式サイト:<リリース情報>GReeeeN「蕾」※TBSテレビ系列『東日本大震災 10 年プロジェクト「つなぐ、つながる」』テーマソングGReeeeN「蕾」ジャケット2021年3月4日(木) 配信リリース配信リンク:
2021年03月08日東日本大震災の実録第1話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。2011年に起きた東日本大震災から、早くも11年が経とうとしています。あの震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。また、被害にあわれた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。 震災当時、私は茨城県に住んでいました。家がなくなったわけでも、家族を失ったわけでもありません。被害の程度は軽いものだと言えます。これは、そんなわが家から見た東日本大震災の記録です。 東日本大震災の実録第1話 自宅にいた夫と再会し、保育園に子どもたちを迎えに行きました。当時、長女は4歳、二女は1歳5カ月。保育園の園庭に避難している子どもたちを見たときは、本当にホッとしました。このとき、携帯電話は通話できず、メールやネットもつながったりつながらなかったり。かろうじて「岩手・宮城・茨城で次々に地震が起きたこと」「余震が多いので建物の中では寝ないほうがいい(という意見)」をネットで見ることができました。離れて暮らす親兄弟や友だちとは連絡が取れず、安否の確認はできませんでした。夫の携帯電話も私の携帯電話も電池が切れ、電気も水道も復旧しないまま。私たちは自宅の倒壊を恐れて、車で眠ることにしました。そして、最初の夜がやってきました。 震災発生当初の感覚をまだ覚えています。それまでにも、突然の不幸などで日常が急に崩れてしまったように感じた経験はありました。でも、周囲の人たちも皆同じように「非日常」に入り込んでしまうというのは初めての経験でした。だれもが不安な顔をしていたし、何かしら困っていたと思います。それでも私は心のどこかで、こんなことは長く続かないだろう、きっとなんとかなるだろう、と思っていました。このときはまだ、この非日常が何日も続くとは思っていなかったのです。 ライフラインがたたれた和田さんですが、さらに困った状況に……。次回に続きます。 ※本記事は2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月05日2021年3月11日で、東日本大震災から10年が経ちます。国内観測史上最大規模である、マグニチュード9.0を観測し、宮城県北部で最大震度7の揺れが襲いました。また、岩手県、宮城県、福島県を中心に巨大な津波が襲来。復興庁が2021年2月26日に発表している東日本大震災による全国の避難者数は、現状でも約4万人以上だといいます。サンドウィッチマン、震災から5日後に設立した基金は10年で約5億円宮城県出身の、お笑いコンビ『サンドウィッチマン』。震災から5日後の2011年3月16日に、2人は被災者を支援するために『東北魂義援金』を設立しました。10年経った今でも義援金を募集し、2人は2021年2月27日にブログで宮城県知事の村井嘉浩氏へ1425万6796円を手渡ししたといいます。伊達みきおさんは、この10年で『東北魂義援金』に寄せられ、被災地に届けた金額は4億9千万円を超えると明かし、感謝の言葉をつづりました。震災から10年になる今年も、全国の皆さんからこうして東北の被災地を気に掛けて頂き、本当に嬉しく…心から感激しております。被災地を応援して下さる全国の方々始め、和田アキ子さん、中居正広さんや芸能界の先輩方、ナイツの塙くんや芸人仲間からも沢山のご協力を頂きました。東北魂義援金は、東日本大震災で親御さんを亡くされた子供達(震災遺児・孤児)の生活費や学費に使われます。これまでの10年で、東北魂義援金に寄せられ、我々が直接被災地に届けた金額は合計で【4億9117万5719円】になります。本当に凄い額です。感謝しております☆東北魂義援金☆ーより引用また、富澤たけしさんは、震災から10年経つものの風化を感じることはないと明かしています。ご協力頂いた皆様、本当にありがとうございました。震災から間もなく10年ですが、まだまだ全国からこれだけのお気持ちを預かることができるし、テレビやラジオを通じて東北に旅行に行かれた話や食べ物のお取り寄せ情報などに触れているので世間で言われるほど僕らは風化という物を感じていません。これまで宮城、岩手、福島に義援金を届けてきましたが、震災孤児等支援の金額はかなり集まったというお話も聞くので、東北魂義援金も何か別の用途にしていこうかと話しています。東北魂義援金ーより引用震災遺児・孤児の子供たちへの寄附はほかの団体からの支援もあり、ある程度集まってきたといいます。そのため今後は、形になる何かを被災地に寄贈出来ないかと考えているとのことです。伊達さんは「寄せられた基金で被災地の公園などにベンチを造ったり、子供達が遊べる砂場を造ったり…」と考えを明かしました。気象庁は2021年2月13日の深夜に起きた福島県沖の地震は、東日本大震災の余震と考えられると発表しています。この地震で、10年前の地震を思い出した人も多いようです。伊達さんも「緊急地震速報や映像を見て、どうしても10年前を思い出して震えた」とブログにつづっていました。この大きな地震が風化することなく、『東北魂義援金』を通してたくさんの人が幸せになることを願います。[文・構成/grape編集部]
2021年02月27日GReeeeNがTBSの報道プロジェクト『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』のテーマソングに書き下ろした新曲「蕾」の初解禁が決定した。「蕾」は、3月6日から始まる『東日本大震災10年プロジェクト』に参加する7番組全てで、テーマソングとして使用されることがすでに発表されている。本日、TBSテレビ系列『ひるおび!』内ニュースで放送される、プロジェクトのスポットで楽曲の一部が使用されることになった。GReeeeNは本楽曲の制作にあたって、リーダーHIDEと内堀福島県知事の対談や、東北の人々の声を聞いて作り上げたという。なお今回の発表と合わせて、「蕾」がデジタル配信シングルとして3月4日にリリースされることも発表された。【放送概要】東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」TBS『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』ロゴ参加番組:特別番組『つなぐ、つながるSP』『Nスタスペシャル・東日本大震災10年~つなぐ、つながる~』『Nスタ』『NEWS23』『報道特集』『サンデーモーニング』公式サイト:【リリース情報】TBSテレビ系列『東日本大震災 10 年プロジェクト「つなぐ、つながる」』テーマソング「蕾」2021年3月4日配信
2021年02月26日コスメブランド『SHIRO』から、東日本大震災の復興支援として限定で発売していた『ハッピーヴァーベナ』が、限定フレグランスとして再登場します。コロナ禍でも「ハッピーヴァーベナ」で笑顔に2011年3月11日の東日本大震災の際、『SHIRO』は「香りの力で笑顔を」「少しでも多くの方に元気とパワーを」という想いから、同年5月に『ハッピーヴァーベナ』を発売しました。そして10年後の現在、コロナ禍で緊張の続く日々でも『ハッピーヴァーベナ』で笑顔になってほしいという想いから、オンライン限定で今回の再登場が決定しました。『ハッピーヴァーベナ』は、シトラスがはじけるフレッシュなフレグランスで、もぎたて果実のようなみずみずしいフルーティな香りから、グリーンを感じられるさっぱりとした柑橘系の香りへとうつります。『ハッピーヴァーベナ オードパルファン』¥4,055(税込)約2時間香りが続く、オードパルファンはお出かけ前や気分がリフレッシュさせたいときにひと吹き。手首や首筋、耳の後ろなどにつけて、爽やかでフレッシュな香りを楽しんでくださいね。【商品詳細】『ハッピーヴァーベナ オードパルファン』価格:エシカル割¥4,055(税込)『ハッピーヴァーベナ ルームフレグランス』¥4,481(税込)ルームフレグランスは約2か月半香りが続くので、おうち時間がより幸せになりそう。スティックの本数によって香りの強さを調節できるので、好みの香り方や部屋の広さに合わせてアレンジが可能。リビングやベッドルームなど、様々なスペースに使えます。【商品詳細】『ハッピーヴァーベナ ルームフレグランス』価格:エシカル割¥4,481(税込)『ハッピーヴァーベナ ハンド美容液』¥2,988(税込)手指消毒などで、いつも以上に乾燥が気になるこの季節におすすめなハンド美容液です。アロエや酒粕、シアバターが配合され、すっとなじみなめらかな手肌へと導きます。【商品詳細】『ハッピーヴァーベナ ハンド美容液』価格:エシカル割¥2,988(税込)『ハッピーヴァーベナ オイルインハンドスプレー』¥2,200(税込)アルコールで手荒れしてしまう方のために誕生したハンドスプレーも今の時期は必見。手肌をやさしくいたわるひまわり油を配合し、潤いを与えながら除菌をしてくれるアルコール入りハンドスプレーです。【商品詳細】『ハッピーヴァーベナ オイルインハンドスプレー』価格:エシカル割¥2,200(税込)※いずれも2021年2月25日(木)午前10時~、SHIROオンラインストア限定で予約開始※2021年3月11日(木)頃よりお届け予定オンラインストア限定で完売も予想されるアイテムなので、気になる方は予約時間もチェックしておいてください。『ハッピーヴァーベナ』の利益は現在も、東北地方の復興支援のために寄付されています。気になるアイテムがあれば、商品を購入して、東日本大震災の復興サポートに携わってみてはいかがでしょうか。【参考】世界中がハッピーな香りにつつまれますように 東日本大震災の復興支援として発売した『ハッピーヴァーベナ』が限定フレグランスから再登場-PR TIMES©︎SHIRO文/RKRK
2021年02月23日GReeeeNが、TBSの報道プロジェクト『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』のテーマソングを担当する。3月6日から11日にかけて行われるこのプロジェクトは、東日本大震災から10年の節目に各報道番組や報道特別番組で、被災地のさまざまな想いや教訓を未来につないでいくというもの。参加番組は、特別番組『東日本大震災10年「つなぐ、つながる」スペシャル』(仮)を始め、『報道特集』『サンデーモーニング』『JNNニュース』『Nスタ』『NEWS23』、そして『東日本大震災10年 Nスタスペシャル』(仮)の全7番組。これら全てにGReeeeNによる書き下ろしテーマソングが使用される。今回のテーマソング提供にあたり彼らは、「震災当時、福島で過ごしていた僕たちから、未来に向かって、『東日本大震災10年「つなぐ、つながる」プロジェクト テーマソング』をお届けできればと思っています。」とコメントを寄せている。なお、このテーマソングは3月上旬にリリースされる予定。GReeeeNコメント全文あの震災から10年という時が経とうとしています。復興へと続くこれまでの道程の中で、一日一日を過ごされた方々の想いに心を寄せ、震災当時、福島で過ごしていた僕たちから、未来に向かって、『東日本大震災10年「つなぐ、つながる」プロジェクト テーマソング』をお届けできればと思っています。厳しい冬を越えて、百の花が芽吹く。百花繚乱。いくとせかの日、春の訪れを待ちわびて、やがてひらく蕾のように。【放送概要】東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」TBS『東日本大震災10年プロジェクト「つなぐ、つながる」』ロゴ参加番組:特別番組『東日本大震災10年「つなぐ、つながる」スペシャル』(仮)『東日本大震災10年 Nスタスペシャル』(仮)『Nスタ』『NEWS23』『報道特集』『サンデーモーニング』公式サイト:
2021年02月22日東日本大震災から10年という節目の年となる2021年。震災の教訓を未来へ伝えるために、“震災の記憶”、“その後の人々が生んだ絆”、 “未来への課題”の3つをテーマに掲げた特別企画『「震災と未来」展 ー東日本大震災10年ー』が日本科学未来館にて開催される。展示は3つのゾーンによって構成。まず「ZONE1」では、地震発生から72時間のNHKニュース映像を時間を追って公開。さらに、震災で失われた街や集落を全国の建築学生の協力により1/500サイズの模型で復元するプロジェクトの紹介や、東京電力福島第一原子力発電所の事故の記録とその影響を、避難者の証言などを交えて紹介するコーナーなどで、震災発生当時の状況を追体験し、あのとき、何が、どのように起こったのかを見つめ直す。地震発生から72時間©NHK東日本大震災復興支援「失われた街」模型復元プロジェクト「ZONE2」では、NHK復興支援ソング「花は咲く」や「SEIMEI」の演技で着用した羽生結弦選手の衣装や、復興支援チャリティーの一環としてネットオークションに出品されたレディー・ガガの直筆サインとメッセージが記されたティーカップといった復興にまつわるストーリーをもった品々や、復興のあゆみを社会の出来事を交えたニュース映像で東北の10年におよぶ復興のあゆみを振り返る。羽生結弦選手©NHKレディー・ガガさんのティーカップ最後の「ZONE3」では、毎年のように国内各地で頻発する自然災害や、それに伴う複合災害時に迫られる様々な選択を仮想空間で体験できるコーナーや、新たな避難所の形など、これからの防災について考えていく。防災クロスロード(イメージ)監修:矢守克也(京都大学防災研究所) ※「クロスロード」はチーム・クロスロードの著作物で登録商標です。飛沫感染防止用テント提供:流山市大きな自然災害が頻発し、首都直下地震などの発生も懸念され、さらにコロナ禍により避難行動の変容も迫られている昨今。東日本大震災の記憶と改めて向き合い、今、私たちに必要な防災や減災について考え直す好機となるだろう。【開催概要】特別企画『「震災と未来」展 ー東日本大震災10年ー』会期:3月6日(土)~3月28日(日)※3月9日(火)、3月16日(火)は休館時間:10:00~17:00(入場は閉館30分前まで) ※入場無料・事前予約制会場:日本科学未来館 1階 企画展示ゾーン公式HP: www.nhk.or.jp/event/art2020/
2021年02月18日RADWIMPSが、東日本大震災から10年目となる2021年3月11日にコンセプトアルバム『2+0+2+1+3+1+1= 10 years 10 songs』をリリースする。2011年3月11日に東日本大震災が発生した直後に、義援金プロジェクト「糸色」を立ち上げたRADWIMPS。その後ほぼ毎年3月11日に被災地へ想いを馳せた新曲を、映像作家・島田大介が制作した映像と共にYouTubeで発表してきた。アルバムにはこれまで発表した楽曲8曲に、新たに新曲2曲を加えた全10曲を発表順に収録。Blu-rayとDVDには、島田による映像作品も収録される。アートワークも同じく島田が手掛け、島田自ら被災地に赴き撮影した震災当時と10年後の今を鮮明に切り取った写真の数々が収められている。なお、このアルバムの利益は日本赤十字社、自治体などに全額寄付され、日本全国で起こる自然災害などの支援活動に充てられる。(2021年12月31日までの売上金額が寄付の対象となる。)アルバム特設サイト:リリース情報RADWIMPS『2+0+2+1+3+1+1= 10 years 10 songs』(読み:テンイヤーズテンソングス)2021年3月11日(木) 発売●CD+BD:4,000円(税抜)●CD+DVD:3,500円(税抜)●CD:2,800円(税抜)<CD収録曲>「白日 -10 years ver.-」「ブリキ」「カイコ」「あいとわ」「春灯」「空窓」「夜の淵」「世界の果て」ほか新曲2曲を含む全10曲を収録。<BD / DVD収録曲>「白日」「ブリキ」「カイコ」「あいとわ」「春灯」「空窓」「夜の淵」「世界の果て」ほか新曲を含む全9曲を収録。書籍情報『あんときの RADWIMPS 「人生 出会い」編』著者:渡辺雅敏出版社:小学館定価:1,700円(税抜)四六判簡易フランス装・320ページ(予定)2021年2月15日(月)刊行予定小学館WEBサイト: Official HP:
2021年02月05日2月20日(土)より水戸芸術館にて、2011年3月に起きた東日本大震災が露わにした課題のひとつ「想像力の喚起」に焦点を当てた展覧会『3.11とアーティスト:10年目の想像』が開催される。同館では2012年に、震災を受けてアーティストが行った様々な活動を、芸術であるか否かを問わず、時間軸に沿って紹介した展覧会『3.11とアー ティスト:進行形の記録』を開催。大規模な災害を経験したばかりでアートの意味や役割が問い直されるさなか、アーティストらがとった行動の大半は、支援と記録を主眼に置いたものだった。あれから10年。「想像力の喚起」という芸術の本質に改めて着目し、7組のアーティストが「作品」を通してあの厄災に応答する。現代社会に潜む問題を自身の個人的体験や身体的感覚に引きつけて、パフォーマンス、映像、インスタレーション等様々な媒体で浮かび上がらせる高嶺格は、原子力発電所の事故を受け、人々が巷で交わした会話を再現した映像作品を展示。また、様々な国や地域の文化や歴史を検証し、現在の社会課題に応答する作品を制作する藤井光は、3.11以降の福島の人たちの 「心の問題」(いじめ、差別)を、黒人差別の問題と重ね合わせた作品を制作。キング牧師の暗殺事件を受けて白人の差別意識を嘆いたあるアメリカ人教師が行った1960年代の伝説の授業を3.11後版に書き換え、日本の小学生とともに再演し、新作として発表する。会場には、東日本大震災から10年目にあたり、展覧会鑑賞者が自ら語り手となり、手記やコメントを残す場所も設置。ものごとを想像する/させるという芸術の重要な役割を改めて提示する。【プレゼント】『3.11とアーティスト:10年目の想像』の招待券を5組10名様にプレゼント!◆応募方法ぴあアート編集部Twitterをフォロー&本記事ツイートをRTしていただいた方の中から抽選でプレゼントいたします。当選者の方には、ぴあアート編集部アカウントよりDMをお送りします。ぴあアート編集部Twitter対象ツイート※当選後、お届け先ご住所のご連絡ができる方のみご応募ください。個人情報につきましては、プレゼントの発送以外には使用いたしません。※当選発表は、賞品の発送をもって代えさせていただきます。【応募締め切り】2021年2月5日(金) 23:59まで【『3.11とアーティスト:10年目の想像』開催概要】会場:水戸芸術館現代美術ギャラリー会期:2月20日(土)~5月9日(日)開場時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)休館日:月曜日※ただし5月3日(月・祝)は開館出品作家:加茂昂/小森はるか+瀬尾夏美/佐竹真紀子/高嶺格/ニシコ/藤井光/Don’t Follow the Wind【関連リンク】水戸芸術館( )加茂昂《福島県双葉郡浪江町北井出付近にたたずむ》2019撮影:加藤健佐竹真紀子《日和山の再会》2020高嶺格《ジャパン・シンドローム水戸編》2012ニシコ《地震を直すプロジェクト第7段階(メッセージ)オブジェクト#2012_3 (取り皿)》2020 撮影:ニコラ・コーカルディ藤井光タイトル未定2020-2021グランギニョル未来《グランギニョル未来2020》からの画像キャプチャ2020Courtesy of Don’t Follow the Wind
2021年01月22日アラサー世代になると、それなりの恋愛経験を積んでいるもの。すごく幸せな時もあれば、中には最悪な思い出も…。そこで、経験豊富な女性たちに、今まで出会った中で一番ダメな男性のエピソードを教えてもらいました。文・三谷真美過去最大のダメ男とは?オムツを履いて待機「すごくいい感じの男性と初めてホテルに行った時、シャワーを浴びて部屋に戻ったら、その男性がオムツ姿でベッドに寝ていたんです。今まそんなプレイをしたことがないし、突然のことで驚き&怖すぎて、急いで帰りました。性癖は人それぞれですが、何の相談もなしにその状態で待ち構えてるって…全てが理想的な男性だったので、本当に衝撃でした」(28歳・会社員)何ともインパクトのある出来事。それまで何度も重ねていたデートでは理想像そのものだったからこそ、しばらく立ち直れなかったそうです。褒める内容が“ボディ”のみ「少し落ち込むことがあり、セフレの男性に相談していたんです。そしたら『君には良いところがたくさんある』と褒めてくれてのですが、出てくる内容が、顔がかわいい、ナイスバディ、肌がすべすべなど、全て容姿! というか、セフレとしての良さ…落ち込んでいる時くらい、優しいとか明るいとか、せめて無難なことくらい言えないものかとバカらしくなり、その男性とのセフレ関係をやめました」(30歳・会社員)実際、その男性から見て彼女の良いところが体のみだったのだとしても、誰にでも当てはまりそうな褒め言葉を言っておけば良いのに…素直すぎるゆえの出来事だったのでしょう。思いやりや愛情のなさを痛感して、一気に目が覚めたそうです。今なら笑えるダメ男たち世の中にはさまざまな種類のダメ男がいますが、全てはパートナーとの相性次第。不倫や人を傷つけるような、あからさまに悪い男ではないにしても、当事者の女性からすると、自分史上、一番ダメな男性だったのでしょう。文・三谷真美©bymuratdeniz/Gettyimages©PeopleImages/Gettyimages
2020年12月20日2011年3月11日、東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災。警察庁によると2020年12月10日時点で、死者数は約1万5千人、行方不明者数は約2500人を超えるといいます。また、大きな被害を受けたのは人間だけではなく、ペットたちも同じです。つながった小さな命の物語震災の被害を受け、営業休止中だった福島県のJR双葉駅。2020年3月14日、9年ぶりにJR常磐線全線の運転が再開されました。そんな双葉駅で見つけられた1冊のノートが、Twitterで反響を呼んでいます。はこざき(@hakopu)さんが「どうか元の飼い主さんへ届いてほしい」という思いでのせた内容がこちらです。震災後、双葉駅前で保護されたワンちゃん(ローズ)を引き取って…3年前に亡くなりました。生きてる間に連れてきてやりたいと願っていましたが、残念です。今日、お骨にはなりましたが、やっとふるさとに連れてくることができました。喜んでいてくれたら嬉しいのですが…。どこかにいる、ローズの本当の飼い主さん!ローズを大切にしていましたよ。双葉駅に備え付けられてた駅ノートに、こんな書き込みがあった。届くといいなぁ。 pic.twitter.com/0yn55MKWSN — はこざき (@hakopu) December 13, 2020 そこには、震災で行き場を失った犬『ローズ』を引き取った人から、元の飼い主へのメッセージがつづられていました。震災後に発生した福島第一原子力発電所事故の影響で、警戒区域に指定されていた双葉駅周辺。そのため、引き取った人はローズが生きている間に双葉町へ行くことが叶わなかったのでしょう。ローズが亡くなった後も、双葉町に入れるまでローズの遺骨を大切に保管し、「ローズが生きていたことを伝えたい」という思いからこのメッセージを双葉駅に残したのです。ローズは、きっと元の飼い主へ会いたかったと思いますが、引き取った人の愛情に包まれ残りの犬生を全うしたはずです。ネット上では投稿に対し、このようなコメントが寄せられました。・もしかしたら、元の飼い主さんは会いたくても、もう会えない場所にいるのかもしれないですね。もしもそうだったら、今やっとローズと再会することができたかな…。・素敵な人に引き取ってもらって本当によかった。つらい記憶もあったことでしょう。ローズが来世でずっと幸せであることを祈ります。・涙がとまりません。どうか元の飼い主さんへ、ローズは幸せに暮らしていたことが伝わってほしいですね。多くの尊い命が失われた中で、心優しい人の手によってつながれた命の物語。この小さな奇跡が、どこかでローズを想っている元の飼い主さんへ届くことを祈るばかりです。[文・構成/grape編集部]
2020年12月16日促進剤を使ったことで、本格的な痛みが襲ってきました。夫、助産師さん、担当医の先生、研修生2名、の計5名に応援されつつ、陣痛に耐える私。第1子(息子)のときとうってかわって「めいさん大丈夫ですよ~! 上手上手! 」「あと数センチ子宮が開けば麻酔が打てますからね~。それまでの辛抱ですよ~」と優しく声を掛けてくれるスタッフの皆さんに、もう本当拝みたくなる気持ちになっていました。子宮口5cmのタイミングで麻酔科の先生が登場。背中にブスッと麻酔を打ってもらいました。これまたすごい痛いと聞いていたけれど、私は痛くありませんでした。例えるなら歯医者で打たれる麻酔ぐらいの痛みかな?麻酔を打ってもらうと痛みは一気に減り…、というかもうほぼほぼナシ。「無」なくらい楽になり、再び本を読めるレベルまで楽になりました。「コミックの続き読んでも大丈夫ですよ~」と言われ、マジなのか!? と思いつつも分娩中に続きを読む私。あまりの私の楽そうな雰囲気に、横にいた夫も仕事を始めるレベル。そしてその夫に腹が立たないレベル。この和痛分娩というものは、完全に麻酔が効いてしまうといきめなくなってしまうらしく、足に力を入れると「あ。入ってるな」と自分で自覚できる位がベストなんだそうです。このベストな状態だと、陣痛が来てる(お腹が張る)のも痛くはないけど感じることができるので、そのタイミングでいきめるというシステム。私は幸いなことに、そのベストな状態で麻酔が効いていたので、子宮口が8cmになろうが9cmになろうが、研修生と「何歳ですか?? え!? 若っ!? 」と雑談をしながら漫画を読めるほどでした。麻酔を入れた後に人工破膜もした為、これまた無痛。(第1子のときのあの激痛は一体なんだったんだ…)こんな和やかすぎる雰囲気のまま、子宮口はいよいよ全開に。第1子出産のときにいきむのが下手でスタッフから総攻めされた経験がある私は、「よしいきんでみようか~」と先生に言われとき、あるお願いをしてみました。「先生! 私かくかくしかじかで、いきむのが下手って1人目のときに言われたんです! なので、いきみ方を教えもらって良いですか!! 」すると「下手なんてこと絶対ないですよ~! ちょっとやってみて」と先生。恐る恐る自分なりに2回いきんでみると、夫以外のスタッフ全員からべた褒めされ、何度も言いますが、息子を出産したときの雰囲気とは天と地の差を感じました。「もういきまなくて良いよ~。これ以上いきむとお股裂けちゃうからね。深呼吸を1回だけしてみて~」と言われ、深呼吸をすると、する~っと娘が誕生。この時、ドラマでよく見る「あ~、会いたかったよ~」というセリフと共に温かい涙が無意識に流れ、自分でもびっくりしました。息子を出産したとき、疲れすぎて感動の対面どころではなく「もう寝かせて…」と思っていた私。僅かな痛みのみで、気持ちに余裕を持って生まれて来た娘には、ただただ「可愛い!!!!!」としか思わなかったのが、無痛分娩の最大のメリットだと思いました。出産後の後処理も全く痛くなく、後陣痛もなし。同じ日に出産したママさん達が引きずりながら歩く中、私はスタスタと歩けていました。1人目のときは退院日まで子どもを預かってくれないかな…、と思ってしまうほど体も心もボロボロで、子どもを可愛いと思えるまで10日近くかかったのに比べ、2人目は出産日の翌日から同室でも可愛くて可愛くて仕方がなかったことが本当に嬉しかったです。あぁ、息子のときもこのぐらい余裕があったらこんな風に思えたのかな。息子に申し訳ないなとすら感じます。どうしても周りの声が気になって、1人目を自然分娩で産み、出産の痛みを経験すれば何も言われないと思ってしまった私。そのせいで新生児の息子との貴重な時期を、10日間だけと思われるかもしれないけれど、愛しく大切にできなかった。結局産むのは私なのだから、私が納得していればいいじゃないかと今なら思うのです。本当に貴重な期間を、もったいないことをしてしまったと感じます。そんなこんなで、娘の無痛分娩は無事終わり、結論から言うと「私は無痛分娩を選択して良かったよ」と思いました。誰がなんと言おうと出産は大仕事です。そして出産は終わりではなく始まりなんです。産んでからすぐに小さい我が子を守っていかなくてはいけないのだから、産む痛みを和らげることができる選択肢があるのなら、それを選んでも良いのでは、と私は思います。もちろんリスクは伴うので、リスクを理解した上で。個人的にはリスクを伴わない医療行為などないと思っているので、正しく心配する事が重要かなと感じています。リスク以外にも無痛分娩を希望しても麻酔が効かず通常分娩になったり、逆子が直らない場合は無痛分娩はできないなど、厳しいルールもたくさんあります。そういった壁を乗り越えてようやくできる無痛分娩は、簡単なことではないんだなと経験を通して感じました。たくさんの人の協力と素晴らしい医療とタイミングと、いろいろなものがピッタリ合わさって、私は最高の無痛分娩を経験できたのだと思っています。唯一感じているデメリットがあるとすれば、思いがけず計画分娩になったことによる「娘の誕生日を親が決めてしまった」ということ。スピリチュアルを割と信じるタイプの私は、誕生日を使う占いをする度に「誕生日を私の都合で決めてしまった」「娘の本当の誕生日は生まれた日ではなかったはずだから、この占いは当たってるかわからないな…」といちいち考えてしまいます。このデメリットは私の命が尽きるまで思い続けることになるので、そういう点では厄介かもしれませんね。これにて私の出産レポおしまいです。無痛分娩をお悩みの方がいるなら、参考になれば嬉しいです!以上、分娩に痛みがなく、お金がたっっっくさんあったら何人でも子ども欲しい! と思う、めいからでした~! ありがとうございました~!!!!※本記事は筆者の体験談です。詳細は医療機関にご相談ください。
2020年12月12日近年マタニティマークをつけている妊婦さんへの暴力や暴言などが問題になっています。現在3人の子どもを持つ私も、1人目を妊娠中は公共交通機関を使うことが多かったこともあり、マタニティマークをかばんに付けていたことがありました。本来ならば自分と赤ちゃんの安全を守るべきものですが、このマタニティマークをつけていることで悲しい経験をしたことがあります。 マタニティマークはお守り代わり1人目を妊娠した当時、都内の会社員だった私は職場まで約30分ほどの距離を電車で通勤していました。妊娠の経過は順調だったのですが、妊娠初期は食べても食べなくても気持ち悪い吐きづわりがつきまとう毎日でした。 そのため途中下車して駅のトイレで嘔吐することもあり、体調不良で倒れてしまったときなどの不安も……。通勤の際には万が一の時のために、かばんの端にマタニティマークをつけて通勤していました。 中年夫婦に言われた言葉ある日いつものようにつり革につかまって電車に乗っていたときのことです。私の目の前には中年のご夫婦が2人並んで座っていたのですが、私のかばんの端に付いていたマタニティマークに気が付いたようでした。 すると、私の目の前で「あんなの娘のときにはなかったのにね」「つけていたら譲ってくれると思っているのかしら」「ずるいわよね」「いいご身分だよな」とわざと私に聞こえるように話をし始めたのです。話しかけられたわけではないのですが、何も言えずうつむいていた記憶があります。 万が一のお守りなのに… その後すぐ私が降りる駅に着いたので、そのご夫婦とは顔を合わせ続けることはありませんでした。席を譲ってほしいからマタニティマークをつけているのでは決してなく、万が一何かあったときのために自分と赤ちゃんを守るために付けていたものです。 けれどなぜこんな風に言われなければならないんだろうと、とても悔しく思いました。あのとき私が何か言ったところで、中年夫婦に危害を加えられることもあったかもしれません。ただ何も言わなかったのが正解だったのかは、今になってもわかりません。 赤ちゃんとママを守ってくれるマタニティマークは本来安心できるものなのに、不安材料になってしまう可能性もあるのが悲しい現実です。ただ、マタニティマークを付けておくことで助けられた面もたくさんありましたので、マタニティマークがあってよかったと思うのが私の率直な感想です。 監修/助産師REIKO著者:佐藤祐子二男一女の母。幼~高(中高は家庭科)の教員免許と保育士資格保有。洋菓子メーカーを退職後、現在は地元にて3人の子育てに日々奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆。
2020年12月01日お笑いタレントの江頭2:50さんが、2020年11月6日に自身のYouTubeチャンネルに動画を投稿。会員制の倉庫型店舗『コストコ』でいわゆる『爆買い』をする様子を公開しました。コストコを利用するのは2度目で、およそ9年ぶりだという江頭さん。初めて江頭さんがコストコを訪れたのは、東日本大震災の際だったといいます。江頭2:50、東日本大震災での支援を振り返る多くの人にとって忘れられない日となった、2011年3月11日。マグニチュード9.0の地震が東北地方で発生した、東日本大震災です。建物の倒壊や地震後の大津波により、多くの地域で甚大な被害が発生しました。復興庁によると、死者はおよそ2万人、行方不明者は2500人を超えるといいます。そんな中、江頭さんはペーパータオルや飲料水、生理用品やオムツなどを購入し、2tトラックに限界まで詰め込み、福島県に自らの手で届けることに。当時を振り返り、江頭さんはこのようにコメントしました。20万!アコムで借りた!そしたらそれが、そこで働いていた娘(女の子)がTwitterで「エガちゃんが来たみたい」って流して、(情報がネットで)広まって…営業妨害だよ!エガちゃんねる EGA-CHANNELーより引用なんと江頭さんは、支援物資を購入するために貸金業者から20万円を借りていたといいます。続けて、支援物資を直接届けることにした理由について、このように明かしました。あれはNHKで「福島が今、老人ホームがやばい」って。救援物資が、トラックが福島に届かない。手前で帰ってしまうっていうので、そんな…ふざけんじゃねえ!そんなのトラック野郎じゃねえ!って思って。「俺しかいない!」って思って行ったんだよ。エガちゃんねる EGA-CHANNELーより引用その時は救援物資もトラックも、ガソリンも全部ない時。俺のツテを全部たどって、「トラックもタダで貸してやる。そんなことだったら」(といわれた)。あと、コストコも電話したら「うちの偉い人に代わりますから!」って。「じゃあ、持てる分だけ持って行ってください!」。ただお金は必要ですけど「(必要な物を)全部渡しますから」って!コストコいいところなんだよ!エガちゃんねる EGA-CHANNELーより引用協力してくれる人を探した結果、トラックを知人から借り、コストコで支援物資を大量に購入することができたのだとか。震災後は被災地だけでなく、全国各地で買い占めが起こっていました。そのため、江頭さんはコストコに相談した上で支援物資を購入したのでしょう。9年前の恩を返すために、今回はコストコで『爆買い』をすることになったといいます。江頭さんの人情の厚い性格に、多くの人が感謝するコメントを寄せました。・福島県民です。江頭さんの優しさでたくさんの人が救われました。心から感謝しています。・こういう恩返しの『爆買い』はいいね!江頭さんに恩返ししたい人もたくさんいると思いますよ。・お金を借りていたと知って感動しました。行動に移せる江頭さんは本当にすごい。2020年7月に九州地方が豪雨被害を受けた際は、100万円を寄付した江頭さん。動画で被災地の人に向けて「お前らは1人じゃないぞ!絶対に諦めるな!」と熱いエールを送りました。「ありがとう」「涙が出てきた」江頭2:50が豪雨被災地に100万円を寄付いわゆる『汚れキャラ』でも人気があるのは、心の美しさが多くの人に伝わっているからなのでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年11月07日2020年9月3日、JR東日本は2021年の春から山手線などの主要路線で終電の時刻を30分程度早めることを発表しました。お客さまのご利用の変化への柔軟な対応と、大型機械の導入など効率的な作業体制確保のため、来春のダイヤ改正で終電時刻の繰り上げなどを行います。これにより、作業時間が確保され、鉄道整備の改良・保守のスピードアップによるサービス向上や鉄道工事における働き方改革を実現していきます。ダイヤ改正における終電時刻の繰り上げなどについてーより引用新型コロナウイルス感染症の流行を受けて、利用者の行動様式が変化し、特に深夜時間帯の利用が減少しているとのこと。テレワークが社会に浸透していく中で、こうした状況は感染が収束した後も、元に戻ることはないと考えており、終電後に設備の保守や点検をする作業員の労働環境を改善するため、今回の決定に踏み切ったといいます。ダイヤ改正の対象は東京駅から1003圏内を走る、各路線とのこと。朝の通勤時間を含めほかの時間帯についても利用状況を見ながらダイヤの見直しを実施していくそうです。ネット上では「身勝手だ」「遅くまで働いているのに困る」といった声もある中、好意的に受け止める声も多数上がっています。・コロナの影響で鉄道会社は大幅な赤字です。いつコロナ前の状態に戻るか分からない点と、インフラ企業としての役割を勘案して、妥当な判断だと思います。・「まだ終電あるでしょ」とかいって、飲み会に遅くまで付き合わせる『飲みハラ』などの悪習が途絶えるきっかけになりそう。・JRの都合というより、社会が変わったのだからJRも変わったと考えるべきかと。・終電後に残って仕事をする職員のことを考えると、少しでも繰り上げるのはいいことだと思う。また、JR西日本も近畿エリアの12路線で終電時間を早めることを検討しているそうです。終電時刻については国鉄の時代から変えておらず、実に半世紀ぶりになるとのこと。JR東日本の新たな取り組みによって、たくさんの人の働き方にポジティブな影響があるといいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年09月30日2020年5~8月にかけて、ウェブメディア『grape』では、エッセイコンテスト『grape Award 2020』を開催。『心に響く』と『心に響いた接客』という2つのテーマから作品を募集しました。『grape Award 2020』心に響くエッセイを募集!今年は2つのテーマから選べる今回は、応募作品の中から『特別授業』をご紹介します。学習塾でアルバイトをしていた僕は、宿題の指導に関して多少なりとも自信を持っていた。ところが、3月11日、人が大勢避難している新宿駅構内の階段に座って計算式を解き進めるのは初めてだったし、何より、目の前にいるたったひとりの生徒の前では、この非常時にあっても平静を装わなければならないとなると、思うように頭が働かず、その自信も揺らいでいる。遡ること二時間、停車する中央線の車内で大きな揺れを感じ、避難のため電車を降りようとしたとき、車内に小さな女の子がひとり残っているのを見かけた。真っすぐ一点を見つめる彼女の眼には明らかに恐怖の色が浮かび、身体は固くこわばり座席から一歩も動こうとしない。「ひとり?もう電車は動かないみたいだから、一緒に避難しようか?」挙句知らない男の人に話しかけられたことが却って別の恐怖を煽ったらしい、彼女はか細い声で「大丈夫です…。」とつぶやいたが、乗り合わせた小山さんという別の女性も声をかけてくれたおかげで、何とか警戒を解くことができた。女の子はハナちゃんと言い、小学二年生、電車で帰宅途中に地震に見舞われてしまった。小山さんは僕と同い年の大学生で、ともにこうした災害にあうのは初めてだったが、「ハナちゃんを守らなければ」という共通の目的ができたことで、その後の避難行動はスムーズだった。公衆電話でハナちゃんのご両親に連絡をとったところ、父親が自宅から自転車で迎えに来られることがわかった。大まかな待ち合わせ場所と時間を確認すると、三人は頑丈そうな商業ビルの地下に落ち着いた。不安や疲れを感じる僕と小山さんとは対照的に、すっかり明るい様子のハナちゃんは、おもむろにランドセルを開くと計算ドリルを取り出し、「宿題を教えてほしい」という。一瞬、呆気にとられこそすれ、これでハナちゃんの恐怖を紛らわせることができると、アイコンタクトで確認し合った僕と小山さんは、駅ビルの階段を教室に、とびきり明るい先生を演じることにした。たったひとりの生徒は優秀で、このような状況にあっても集中力を発揮し、順調に問題を解き進めていく。様々な心配事が頭をよぎる中、カラ元気でどうにか先生を演じていた僕たちだったが、不思議なもので、一問、また一問と、一緒に問題を解いては喜ぶハナちゃんを見ていると、なんだかこちらの気持ちが晴れていく。ハナちゃんを守らなくては、と気丈に振舞っていたつもりだったが、実は僕らこそ、彼女の明るさや無邪気さに勇気づけられていたらしい。すっかり日も暮れたころ、僕たちはハナちゃんのお父さんと落ち合うことができた。無事に家族に会うことができたのは何よりもうれしいし、おまけに現役大学生ふたりが徹底的に指導した宿題の出来は我ながら完璧だった。「宿題を教えてくれてありがとう」そう言うハナちゃんに、僕たちこそありがとうと伝えた。はなちゃんはなぜ自分がお礼を言われているかわからないようで、照れ笑いを浮かべている。つぎに学校に行ける日は少し先になるかもしれないけれど、ハナちゃんはきっと本当の先生に褒められるに違いない。grape Award 2020 応募作品テーマ:『心に響くエッセイ』タイトル:『特別授業』作者名:奥村 敏生エッセイコンテスト『grape Award 2020』の審査員が決定!2017年から続く、一般公募による記事コンテスト『grape Award』。第4回目となる2020年の審査員には、grapeでも人気の漫画『犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい』シリーズでおなじみの漫画家・松本ひで吉さんが決定しました。さらに『Jupiter』などの作詞を手がけた作詞家でエッセイストの吉元由美さんや、映画化もされた『スマホを落としただけなのに』などで人気を博する小説家の志駕晃さんも審査員として作品を読みます。心に響く作品として選ばれるのは、どのエピソードでしょうか。結果発表をお楽しみに!『grape Award 2020』詳細はこちら[構成/grape編集部]
2020年09月20日今後、世界のトレンドを作り出していく世代として、大きな注目を浴びているZ世代。その多くは、現在まだ10代。幼い頃からネットを通じて海外コンテンツに親しみ、リアルタイムで世界のトレンドに触れてきた彼ら・彼女たちは、グローバルな視点を持っており、既存のルールにとらわれない。今回はそんなZ世代の注目株の一人をご紹介。『パーフェクトワールド』などのドラマに出演、資生堂「シーブリーズ」のCMにも今年から抜擢された宮世琉弥さんです。「表現力を学んで身につけ、目を生かした演技をしたい」「小学生の時に東日本大震災で被災したのですが、復興支援としてももいろクローバーZさんが来てくださり、ステージを観た人が元気になる瞬間を見て、僕もエンターテインメントの仕事をしたいと思いました。僕の特徴は目の力だと思うので、俳優として、それを生かした表現に挑戦しています。ぱっちりさせたらキラキラ系、ダルッとさせるとサイコパス系など、いろいろな表情が作れると気づきました。役者さんの声の表現やジェスチャーを勉強するために、洋画は字幕と吹き替えの両方を観ます。そうして、監督さんと会う時に、少しでも多く表現のバリエーションを持っていけたら。あと、僕、新しいお仕事やオーディションの日は早起きして、顔のむくみを取ったり朝風呂に入ったりして気合を入れます。ただ、1日にお風呂が2回の日が増えるとガス代が高くなり、“あ~!”ってなることが、悩みどころです(笑)」目標を尋ねると、2つ教えてくれた。「一つは、いろいろな作品に出て、いろいろな役を演じて、幅が広い俳優さんになること。そして、もう一つが、自分が制作側となって映画を作ることです。『Fukushima 50』を観た時に、自分が経験したことが描かれていて衝撃を受けました。そうした人の心を打つ作品を、いつか、手がけてみたいと思っています」【発掘秘話】「人を元気づける仕事がしたい」と思っていた10歳の時に、地元である宮城県のショッピングモールでスカウトされた。ブレイク俳優の登竜門「シーブリーズ」に抜擢。資生堂「シーブリーズ」のCMに出演中。高校生の青春を描いた胸キュンストーリーを演じる宮世さんの爽やかな姿は必見です。ファッションショーのランウェイに登場!「Tokyo Virtual Runway Live by GirlsAward」に出演、バーチャル空間のランウェイを歩いた。モデルとしても表現力を存分に発揮!©Tokyo Virtual Runway Live by GirlsAward©AbemaTV, Inc.みやせ・りゅうび2004年1月22日生まれ宮城県出身俳優。ドラマ『パーフェクトワールド』、映画『夏の夜空と秋の夕日と冬の朝と春の風』などに出演。今後も待機作が多数。趣味はファッションと一眼レフカメラ。※『anan』2020年8月5日号より。写真・小笠原真紀取材、文・重信 綾(by anan編集部)
2020年07月29日こんにちは、婚活FP山本です。東日本大震災を経験して、一気に知名度が上がった地震保険ですが、まだまだ必要性が分からないという方も多いといえます。あるいは、必要性は分かるものの保険料が気がかりという方も多いのが実情です。今一度、地震保険の大切さや必要性を理解して、被災する前に加入しておきましょう。そこで今回は、地震保険の基本や必要性、選び方などについて詳しくお伝えします。あなたの人生に、お役立て下さいませ。地震保険は「地震・噴火・津波」に備える保険まずは、地震保険の基本についてお伝えします。簡単にいえば、地震保険とは「地震・噴火・津波」による被害に備える保険です。そして、なぜこのような保険があるかというと、これらの被害は普通の火災保険の補償対象外になっているという背景があります。というのも、地震・噴火・津波による被害というのは、基本的に「極めて広範囲かつ甚大な被害」になりがちです。だからこそ、これらを補償対象外にすることで昨今の割安な火災保険料を実現しています。しかし、それでは地震・噴火・津波に対して備えられません。そこで登場したのが、まさに地震・噴火・津波に備えられる地震保険です。まずは、このような火災保険と地震保険の関係性について知っておきましょう。基本的に火災保険とセットで加入しなければならない地震保険は、基本的に火災保険とセットで加入しなければならない保険です。地震には備えるけれど火事などには備えないというのは、むしろ後者のほうが発生しがちですから、おかしな話といえます。これはこれで納得して、しっかり火災保険とセットで加入しましょう。一方で、最近では「補償の上積み」を目的とした単独で加入できる地震保険も登場しています。まずは普通に火災保険と地震保険に加入して、それでも不安なら加入を考えましょう。不要かどうかの必要性は住宅を失ったときに分かる次に、地震保険の必要性についてお伝えします。地震保険が不要かどうかの必要性は、簡単にいえば「住宅を失ったときに分かる」が一つの正解です。本当に失ってしまえば大事ですから、失った状況をイメージすることができれば、おのずと分かるのではないでしょうか。地震で家を失うイメージが湧かないのであれば、火事でも問題ありません。ともかく一定の理由で家を失ったとすれば、明日からどこでどのように生活しますか。失っても構わない、問題ない住宅などなかなかないはずです。そのあたりを、少しじっくり考えてみましょう。実際に東日本大震災を筆頭に、大規模災害の折に「家を失った方」が繰り返し報道されています。けして他人事でも対岸の火事でもありません。しっかり必要性を理解しましょう。たとえ賃貸マンションや団地でも地震保険は大切火災保険も地震保険も、どちらも「建物か家財、または両方」が補償対象になります。そして、建物自体は借りている賃貸マンションや団地でも、火事や地震で家財が全滅するかもしれません。家財の全てを再度買い揃えるとしたら、いくらくらい必要になるでしょうか。このため、たとえ賃貸マンションや団地に住んでいる方でも、地震保険は大切といえます。そもそも入居時に大家さんから火災保険への加入を促されるでしょうが、自分でもしっかり必要性を理解して加入しましょう。建物が残っても住めるかどうかは別の話次に、別角度で地震保険の必要性についてお伝えします。最近では東日本大震災を受けて、耐震性の高いマンションなども多数登場しているのが実情です。しかし、だからといって地震保険がいらないとはならない点には注意が必要といえます。というのも、それこそ東日本大震災の折には「津波」で被害を受けた不動産もたくさんです。そして、どうにか建物は残ったものの、家の中が住めないほどに荒れてしまったところも多いといえます。建物が残っても、住めるかどうかは別の話です。改めて家財を買い揃えるだけでなく、建物の修復や仮住まいも必要になりますし、住宅ローンで購入したなら支払いも止まりません。住宅事情に関係なく、すべての人に地震保険は必要という認識を持ちましょう。新築の戸建てなら2重ローンが怖い実際に大規模災害で家を失った人の中には、住宅ローンを組んで購入したばかりという人も含まれています。さらにその中には、改めて住宅を建てるのに住宅ローンを2重に組んだという人もいるのが実情です。支払えるかどうかはともかく、2重ローンは確実に未来の自分を苦しめます。最近では新たな支援制度も登場していますが、苦しみを和らげる程度にしか役立ちません。少なくとも、新築の戸建てを購入するようなときには、確実にしっかり火災保険とともに地震保険にも加入しておきましょう。補償内容は少し複雑だが、保険金の使途は自由今度は、地震保険の補償内容についてお伝えします。すでに触れた通り、地震保険の補償対象は「建物か家財、または両方」です。そして地震保険は、火災保険の50%までしか加入できないと法律で決められています。ここは少しもどかしい部分かもしれません。また、地震保険は損害の程度で大きく「全損・大半損・小半損・一部損」に分けられており、それぞれで支払われる保険金額も違ってきます。そもそも最大でも火災保険の50%しか加入できず、さらに100%支払われるものでもないという点には、大きめに注意が必要です。ただ、受け取った保険金の使途は自由となっています。補償内容は少し複雑ですが、実際に受け取ったお金の使い道は自由ですから、ぜひ生活再建のために有効活用していきましょう。対象や免責には多少の注意が必要地震保険とはいえ、すべての地震が対象というわけでもありません。保険金を受け取るには、一定以上に住宅が壊れたり、被害に遭ったりする必要があります。また、地震保険の元になる火災保険については、免責を自分で設定することもありますから、少し注意が必要です。あくまで火災保険も地震保険も、目的は稼ぐことではなく「(甚大な)被害に備えること」になります。その被害を少しでも小さくすることが目的ですから、しっかり意味合いを理解して加入しておきましょう。[adsense_middle]選び方のポイントは「特約」次第!今度は、地震保険の選び方についてお伝えします。そもそもですが、地震保険は本体の補償については損保会社による違いがなく、保険料も同じです。このため、地震保険を選ぶ際には「特約」で各社の内容を比較して、最終的に決めていくことになります。そして、この特約は各社で少しずつ内容が違っており、保険料もさまざまです。たとえば、中には通常なら火災保険の50%までしか加入できないところ、特約で100%補償を実現している地震保険もあります。しっかりとした補償を得たい人にとっては、極めて大きな違いです。一方、基本的に地震保険は火災保険とセットで加入しますから、元になる火災保険の違いを比較することも大切といえます。ベストを探そうとすると大変ですから、ベターを選ぶ気持ちで多くの地震保険を比較していきましょう。地震保険の付帯率は60%程度実のところ、地震保険の加入率はけして高くありません。世帯の加入率は30%程度、火災保険の付帯率は60%程度になっています。東日本大震災のことを考えれば100%の加入率を目指したいところですが、車の任意保険でさえ100%ではありませんから、難しいところです。とはいえ、「皆が加入していないから不要なもの」ではありません。加入率で必要性は変わらず、地震保険はとても大切です。「老後資金2000万円問題」との兼ね合いも大切最後に、地震保険の補足情報についてお伝えします。地震保険に限らず、保険は全般的に多く加入しておいたほうが安心です。しかし、多く加入するほどに保険料が高額になっていくのがネックとなります。地震保険の保険料は、保険金額1000万円あたり1年で1~4万円程度もしますから、けして安くもないのでなおさらです。そして、大切になってくるのが「老後資金2000万円問題」との兼ね合いになります。多く加入するほどに自然災害には備えられる反面、老後資金への備えが遠のいてしまうのが現実です。十分な貯金をしつつ十分な保険料も支払えるほど年収がある人は、かなり限られています。限られた年収の中で、それをどう使っていくかは本人の判断次第です。地震保険の必要性は何度もお伝えした通りですが、老後資金の必要性も同じくらい高いといえます。最後は自己責任の元に、今後の人生を考えながら地震保険についても考えてみましょう。必要に応じてFPにも相談してみよう一般の方にとって、今後の人生を考えるというのは簡単なことではありません。ひいては、自分の老後資金を考えながら地震保険を考えるのも極めて困難なのが普通です。そして、その道のプロなのがファイナンシャル・プランナー(FP)という存在です。近くのFPに相談すれば、まさに老後資金を考えながら最適な地震保険を選ぶのに役立ってくれるはずです。もちろん老後資金についても、貯めるのに不安な場合はライフプランで筋道を立ててくれます。まさに一石二鳥といえるかもしれません。もっとも、FPに相談するにも基本的に相談料が必要になります。しかし多くの場合、トータルで考えれば「相談して得した」ということが多いので、ぜひ前向きに検討していきましょう。今一度、地震保険の必要性を強く考えよう地震保険は本当に必要です。その必要性は、実際に地震被害を受けたときに一番分かるものでしょうが、被害を受けてからでは手遅れといえます。どうしても必要性が分からない場合は、もし今地震が起きたら自分はどうなるかをイメージし、地震保険に加入するようにしましょう。
2020年05月29日お笑いコンビ・サンドウィッチマンの伊達みきおが10日深夜、オフィシャルブログを更新し、東日本大震災の発生から9年を迎える心境をつづった。2011年3月11日、サンドウィッチマンは東北でのレギュラー番組のロケで宮城・気仙沼市を訪れ、撮影の合間に被災。以来、募金や復興支援活動を積極的に行ってきた。伊達は「9年。そして10年目へ」と題し、「3月11日がまたやってきた。あの日から丸9年か」と感慨深げに「全国からのご支援やご協力、応援により、東北の沿岸は元気に絶賛復興中です!」と呼びかけ、9年の歩みを振り返った。「震災直後にボランティアで被災地に入って下さった方が、そのまま移住して新しい街作りに携わってくれたり、被災地に住む地元の方の人柄に惚れ、移住したり…そんな話をよく聞きます。沢山の人や建物、沢山の思い出を失った出来事でしたが、震災をきっかけに、様々な人生が新しく生まれてもいるんですね。9年経った被災地…ある地域では、今や被災地とは思えない程に整備がされ、震災前の町並みを忘れるくらい復活を遂げている所もあります。勿論、内情は色々とまだ問題があるでしょうけど」毎年、この時期に震災についての思いをブログにつづってきた伊達。「年月が経つにつれ、地域の格差が出てきており、復興のスピードやその町に対する期待感というのか、住んでる方々の『この町を元気にして全国からお客さんを呼ぶぞ!』という気持ちの格差が出てきている様な感じもします」「震災後、仕方なく町を離れてしまった方が多い地域等は特に。故郷を建て直すには、やっぱり地元民の力強い意志や行動力がないと難しい」と吐露し、「今週の、フジテレビ『バイキング』の中で、坂上忍さんと我々が一緒に宮城県へロケに行ったVTRが流れています。こうゆうのが本当に有り難いです。こうして、東北の元気や笑顔、美味しいもの、そして感謝を伝えられる番組や企画はこれからも続いて欲しいです」と番組などで取り上げられることに感謝した。そして、「3月11日。9年にもなると、震災直後には防災グッズを購入したり、お水や食料を備蓄したり…そんな事も今ではすっかり忘れてしまってる方もいると思います。毎年、この日は改めて襟を正す1日になれば良いですね」と期待を寄せ、「では、東松島市から、気仙沼へ向かいます。11日は、震災から9年の気仙沼を色々と回ります」と報告。「いつも東北の被災地を気に掛けて頂きありがとうございます」と結んでいる。
2020年03月11日