グラビアアイドルの白川悠衣が20日、東京・秋葉原のソフマップで最新イメージDVD&ブルーレイ『悠衣尻』(ともに発売中 各4,104円税込み 発売元:ラインコミュニケーションズ)の発売記念イベントを行った。高校卒業を機にモデルとして活躍した後、今年からグラビアに活躍の場を移すと、週刊誌で掲載されたグラビアが大きな話題を集めた白川悠衣。167cmという高身長に上からB85・W58・H85というスレンダーボディーが魅力で、現在は芸能活動と並行しながらアパレル会社に勤務するという"二刀流"で活動している。2枚目となる同DVDは、今年6月に千葉の南房総で撮影。会社の上司と出張旅行というシチュエーションの中、際どい衣装となって自慢のヒップを限界露出するなど、白川の魅力が詰まった内容となっている。プライベートの勝負服という黒のセクシーなワンピース姿で取材に応じた白川は「今回は出張先で上司と楽しむ内容になっています。シーン的には上司と待ち合わせするところから始まり、ベッドのシーンやお風呂のシーンなどがあります。私が一方的に恋心を抱いてる設定なので、出張中にガンガンアプローチしていく白川が楽しめると思います」と最新作を紹介。オススメのシーンについては「ケガをした先輩を手当する保健室のシーンがあるんですが、なぜか着ていた服をあれよあれよと脱がされて手ブラになってしまって(笑)」とありえない展開に苦笑いも「しっとりと撮ってもらったシーンなので、セクシーに仕上がっていると思います」と自信を見せた。今回、白川は会社の上司と出張先でイケないことに興じる女性役を演じた。実際の会社では「ありえないですね(笑)。こういう夢のある話も素敵だとは思いますが」とし、「めちゃくちゃ格好良くて仕事が出来る上司ならありかも。色んな意味で余裕がある男性となら」と相手に対する条件も。また、同DVDでは男性に対して積極的にアプローチする女性役を演じたが、私生活でも「伝えたいことは伝えるタイプだし、駆け引きが得意ではないので、私は直球勝負です」と積極的なタイプであることを明かしていた。
2018年10月22日こんにちは。赤澤 えるです。思い出の服を持ち寄る連載『記憶の一着』、第11回です。たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って何だろう。それはどうして残るのだろう。それを手放す時ってどんな時…?服の価値、服の未来、ゲストのお話をヒントに考えていく連載です。本日のゲストは、人気ブランド「earth music&ecology(アース ミュージックアンドエコロジー)」をはじめ、15ブランド・900店舗を国内外で展開するストライプインターナショナルの創業者である、石川康晴さん。私がディレクターを務める「LEBECCA boutique(レベッカブティック)」も同社のブランドです。社会に多大な影響を与え、全く無名の私に人生最大の転機を与えた彼が選ぶ、「記憶の一着」とは?石川さんと赤澤える初めて作った服、最後に作った服赤澤 える(以下、える):『記憶の一着』について聞かせてください。石川 康晴(以下、石川):20年前に作ったTシャツです。90年代後半、僕が27歳の時。初めてデザインしたものと最後にデザインしたものを両方持ってきました。石川さんが20年前に作ったTシャツえる:石川さん、デザイナーもしてたのですね。石川:うん。これは「e hyphen sixty-six(イーハイフン シックスティーシックス)」というブランドなんだけど、今も会社にあるブランド「E hyphen world gallery(イーハイフンワールドギャラリー)」の前身に当たるブランドです。える:もう既に会社を作って、社長業をしていましたか?石川:やってた。小さなアパレル会社を岡山で始めて4年目の時。今の規模になるなんて想像していなかった頃だね。こんなのばっかり着てたよ。この2枚には5年の差があるし今となってはブランド名も変わったけど、なんだかテイストが似ていると思わない?赤澤:そうですね。今のイーハイフンの軸に通ずるところを感じます。これを作った頃って、今の会社を代表するブランドであるearth music&ecologyはどんな感じでしたか?石川:無かった。このTシャツを見てアースだって思わないでしょ。オーガニックもナチュラルも程遠い感じだよね。20年ぶりに始めたデザインの仕事える:遊牧民族という表現がありましたが、次に水や草木があると石川さんが感じることは何ですか?石川:実は僕、20年ぶりにデザインを始めたんです。koe(コエ)というブランドでね、退職したメンズデザイナーの代打だけど2,3年くらいやってみようかなと思っています。もう一回色々見つめ直すには良いタイミング。このTシャツのようなデザインにはならないよ。20年経って、反骨精神やボディピアスがお洒落で人気者という時代じゃない。える:大きく変わったのですね。次のデザインにはどんなコンセプトがあるのですか?石川:僕がkoeでやりたいと思っているのは“新しいトラッドを作る”ということ。koeのメンズは “ドロップ&テーパード”というのが軸にあって、それを日本のスタンダード、新しいトラッドにしたいと思っています。そのコンセプトで自分たちの考え方や着方を作っていきたい。社会を作るとか社会に何か問いかけるということにおいて、服の力って凄くあると思うんです。20年前とそこは変わらない。けど、このTシャツでの思いとは全然違うね。今少し服ができてきたけどまだ50点くらいかな。でもやりたいことが半分はできている。える:やりたいことって?石川:高い値段で良いものを作るって誰でもできるけど、3,000円だとかそういう制限がある中で良いものを作るとなると能力差が出るんです。koeでは、これが3,000円で買えるのか!ってものを作りたい。すごく楽しいです。今はお金を使う先がたくさんあるので、色々なことに生きている人たちがいますよね。そういう人たちに服を提供していきたい。お客様の限られた予算の中で最高のパフォーマンスやデザインを提供していきたいと思って、koeのメンズを作っています。える:20年前とはまた違う、新しい挑戦ですね。石川:そうだね。earth music&ecologyも立ち上げ時もデザインをしていたんだけどその時ともまたテーマが違うし、僕が今まで作ったことのないものです。パンクからエコロジー、そして次はトラッド。何をやっても楽しいけど、いつも新しいカルチャーを作りたいと思っていて。日本のネオ・トラッドを世界中の人が着てくれるようになってほしいなと思って、ファッションの街である渋谷でこれを仕掛けていきたいです。える:世界中の人の“記憶の一着”になる可能性がありますね。石川:そうなったら嬉しいね。える:すごい!石川:僕たちはバーゲンでは安く売ったりするけれど、他ではブランディング維持のために安くせずに大量に廃棄する方法をとるブランドもある。ブランドイメージを下げないようにするためだけど地球には悪いことをしている、というブランドはすごく多いです。earth music&ecologyの場合はいつも安いねってイメージだけど、実は一番服を捨てていないんです。ブランド名にエコロジーと付いているけど、オーガニックコットンやヘンプを使ったり草木染めをすることだけじゃなくて、本質的に一番大切なエコロジーって“捨てないこと”でしょ。だから、これからもearth music&ecologyが一番大切にしてきた消化率100%に近づけるということは実現したいし、えるはえるで違う視点でやって行ってほしいと思う。根底にあるものは近いよね。える:私も近いと思います。石川:大量に作っていると、大量に廃棄しているだろうと決めつけられてしまうんです。それは世界中のファストファッションがやっているかもしれないことでearth music&ecologyがやっていることではないんですよね。大量に作っていても大量に捨てていないブランドがあるということは胸を張って言いたいし、社会に伝わるといいなと思っています。叩かれても“ハーフオーガニック”える:このTシャツは良い生地を使っているからこそ残ったのかもしれませんよね。答えにくいかもしれませんが、良い素材を使わないで安く作っていたらすぐボロボロになって結局捨てません?石川:その点で言うと、 “ハーフオーガニック”という裏コンセプト的なものがkoeにあるんです。これを言うと叩かれてしまうかもしれないんだけど。胸を張って“ハーフオーガニック”と言っています。コーラも飲むけどハーブティーも好き、ジャンクフードも食べるけどオーガニックの野菜も好き、僕はそれが人間な気がしていて。える:確かにそれが人間な気がする。石川:koeの服もそういう感覚でありたいんです。このナイロンブルゾンはケミカルな作り方だけど耐久性に優れているとか、オーガニックコットン100%のTシャツは製造工程は良いけど耐久性の面ではちょっと弱くて廃棄に繋がりやすいとか、このどっちもどっちな感じが良い意味で“ハーフ”。える:わかるかもしれない。石川:この“ハーフオーガニック”ってきっと10年くらいかかるんだよね。僕たちの言うオーガニックというのはオーガニックコットンを使うことだけじゃなくて。“この商品は貧困国の製造現場で働く工員のボーナスをあげるために販売する商品です“というものを作りたいんです。僕たちの中ではこれもオーガニック。ナイロンを作ってリユースし続けることもオーガニックだし、店内の1割をオーガニックコットンの製品にすることもオーガニック。まだ確定とはいかないけど、渋谷のhotel koeでは年に一度エシカルウィークを開催したいなぁなんてことも考えています。hotel koeの写真 Photo by Kenta Hasegawaえる:それは嬉しい!石川:カオスでケミカルな渋谷から、自分たちのフィロソフィーに合ったゲストを呼んでトークショーをしたり、世界中のエシカルマインドの人に来てもらって…。える:フィロソフィーって前述の“ハーフオーガニック”ですか?石川:そうだね。なんというか、全身草木染めしか着ませんというのは僕たちとはちょっと違うんです。僕たちは“ハーフオーガニック”が今一番ベストなパフォーマンスだと思っているから。大きなファストファッションブランドが“ハーフオーガニック”になったら、100%オーガニックで1億円くらいの規模のところよりもよほどソーシャルインパクトが強いと思う。僕たちは規模を選んだ会社だから、それを選んだ会社としてソーシャルインパクトを出す。これを考えた場合“ハーフオーガニック”を取り入れたいと考えています。ただ、えるのような匠の規模で徹底的に100%に向けていくというブランドもあって良いと思うんですよ。える:私たちのブランドも実際のところ今は“ハーフオーガニック”です。石川:僕は、“100%オーガニック”という50年の活動より、僕たちの“ハーフオーガニック”という数年の活動の方が地球は青くなると思っています。世界で展開するブランドが、エシカル業界の人から叩かれることを覚悟で“僕たちはハーフオーガニックです”と言うことは大きい。える:そうですね。石川さん、やっぱりいつもどこかにパンクの精神がある。20年前と同じ。石川:そうかもしれない。今は僕たちの製造ラインに関わっている人たちに喜んでもらいたいとか、そういうことを考えてやっています。毎年5%ずつくらいしか改善しないかもしれないけど、10年くらいかけて僕が57歳になった頃には“ハーフオーガニック”が店全体に散りばめられていて、“ハーフオーガニックなkoe”が世界にソーシャルインパクトを与え出す、というのが今の僕たちのイメージです。僕たちは新品も作るし、中古ビジネスもやるし、レンタルビジネスもやるし、捨てられないように仕組みを作るっていうのも大事なオーガニックかなと思っています。Eru Akazawa(赤澤 える)Twitter|InstagramLEBECCA boutiqueブランド総合ディレクターをはじめ、様々な分野でマルチに活動。特にエシカルファッションに強い興味・関心を寄せ、自分なりの解釈を織り交ぜたアプローチを続けている。
2018年06月01日こんにちは。赤澤 えるです。思い出の服を持ち寄る連載『記憶の一着』、第9回です。たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って何だろう。それはどうして残るのだろう。それを手放す時ってどんな時…?服の価値、服の未来、ゲストのお話をヒントに考えていく連載です。本日のゲストはスタイリスト・清水文太くん。スタイリストとしての活動だけでなく、アート展示やZINE制作、コラム執筆など、アーティストやライター活動でも知られる彼。バイイングした古着や生み出したオリジナルグッズなどを並べたポップアップストアも、開催の度に注目されています。服への価値観や、想像を絶する壮絶な過去、マイノリティとして堂々と生きている現状について、包み隠さずありのままを語ってくれました。東京ファッションの最先端を生きる彼が選ぶ、「記憶の一着」とは?赤澤えると清水文太氏▶︎赤澤えるのインタビュー記事はこちら最悪な家庭環境の中で出会った『記憶の一着』とは赤澤 える(以下、える):『記憶の一着』について聞かせてください。清水 文太(以下、文太):このコートです。ANREALAGE(アンリアレイジ)というブランドのもの。これは高校生の時、初めてのバイト代で頑張って買いました。中学生の時にショーの写真や映像を見て感動して、その後たまたまANREALAGEのフラッグシップに行った時に好きになって。当時憧れだったブランドです。このコートは13万くらいなんだけど受注会の時に勢いで頼みました。える:文太くんの言う「お金が無い」っていうのはお小遣いが貰えないっていうレベルじゃないように聞こえる。文太:生活に困窮していてごはんを食べるお金も交通費すらも無い状況だった。学校まで電車に乗るお金もなかったから、往復5時間半もかかる道のりを毎日歩いて通っていました。教科書もなかったし、ごはんも交通費もなくて家も最悪だったし、もうどうすれば良いんだろうって思ってた。える:そんなに壮絶だったとは思ってなかった…。文太:その前も結構酷かったけどね。でも服が好きとか欲しいって気持ちはずっとあった。たまにもらえる500円を持って原宿まで歩いて行って、古着屋の100円コーナーで掘り出し物がないか漁ってました。俺がそういう状況っていうことがどこからか知られて、瞬く間に学校中に広まって、教科書をみんなが買ってくれたり、「お弁当1つ多く買っちゃったからあげるよ」とか言ってごはんを恵んでくれたり、そういうあたたかいこともあった。預けられたその家での生活は1年半くらい続いたかな。その後は、今住まわせてもらっている家。える:今の家にはどういう経緯で?文太:苦しかった時代によく遊びに行ってた家で、俺そこから歩いて帰る途中に体調を崩して倒れちゃったんです。救急車で運ばれるってなったけどそうすると警察に連絡がいく。そうなると児童相談所に行けって言われる。でも児童相談所には半年前に行ったけど環境が良くなった実感なんて少しも無くて信じてなかったんです。今住まわせてもらっている家の人は俺のことをすごく気にしてくれていて、児童相談所にも一緒に行ってくれていたから状況をよく知っていたの。その時はもう行く場所がないって思ったけど「家に住みなさい」って言ってくれて、迎え入れてくれました。える:物凄い苦難を乗り越えてきたんだね。文太:家でみんなでごはんを食べるとか、ベッドがあるとか脚を伸ばして寝られるとか、最初は変な感覚だった。苦しい思いをしたから有り難みが分かるのかなと思います。だから服を捨てるなんて考えがないのかも。そんな概念ないです。服を捨てたら俺、何のために生きてるんだろうって思っちゃう。そう考えると無駄にしてしまう人になってしまうよりこっちの方が良かったって思えますね。思い返すと本当にあの時は毎日苦しくて先が見えなかった。このコートはそんな環境なのにも関わらず必死に手に入れたコートだからこそ、思い入れが深いです。「今のファッションとリンクするか」って言われたらそうじゃないところもあると思うんだけど。他に持ってるコートも好きなんだけどね、これは違う。これだけは絶対に人に渡せないな。何をどうやっても好きになる対象って変えられないえる:この服をもし手放すとしたらどんな時?文太:もし、だよね?俺は子どもの支援をしたいと元々思っていて、俺が設立したその場所に集まった子から欲しいって言われたらあげるかな。それもポンってあげるんじゃなくて、その子が20歳になったらとかそう言うタイミングであげたい。える:文太くんは子ども欲しいって思う?文太:欲しい。俺は男同士で恋愛をする人、“ゲイ”だから今すぐは無理なんだろうけど、技術が進歩して俺と俺の彼氏の遺伝子を持った子どもができたら一番良い。純粋にそう思う。養子も考えたけど、引き取られた先が男同士のカップルってなったら、今の日本だと子どもが傷つくかもしれないよね。どう見られるかとか俺自身は気にしてないけど。養子に関しては、児童支援の夢が叶った場でそのくらいの気持ちを持って子どもと接することの方が俺には良い気がしてます。だから、俺の子どもなら俺の遺伝子でつくりたいかな。俺らの遺伝子でできた子どもだったとしても絶対何か言われちゃうだろうからもう仕方ないけどね。それに養子でも自分の子どもに変わりはないし愛せるから、養子も良いと思ってるけど。難しいね。まぁどうなったとしても、俺は色々な面において全てに責任を持って子どもを育てたい。今の気持ちを素直に話すとそんな感じかな。もしかしたら将来異性愛者に変わるかもしれないし。える:私の友達にも同性同士の恋愛をしている人が何人かいるけど、みんなそれぞれ少し苦しそうな印象を受ける。色々なところにハードルがあるというか。海外でもラクなことではないだろうけど、日本国内では特に窮屈そう。ただその人を愛してるってだけなのに変なのって思う。同性同士の恋愛を理解できないっていう人の言っていることも全てわからないわけではないけど、人が人を好きっていうことに必要以上にルールがあるのってやっぱりおかしい。不倫しているわけじゃないんだし。文太:日本じゃ結婚もできないしね。どんなに愛し合って長年一緒にいても、入院しても面会する権利がないとか、親族として何かに参列することにも権利がないとか、そういう現状。パートナーシップ制度みたいなのもあるけど、何故か結婚するのに金がかかったりする。金?俺らだって男女のカップルと変わらない人間同士だけど?って思う。でもこれは日本だけじゃないから、今は我慢時かなって感じ。海外の歴史ある有名ブランドが同性同士のキス写真を使った時にものすごい数のヘイトコメントが来ていて、それを見て日本だけじゃなくて世界的に難しい問題なんだと思った。こういうのって社会全体の意識が変わっていかないとなかなか解決しない。だから俺もこういうことを隠さずに仕事したり、今こうやって答えたりしてるんです。清水文太=ファッションじゃないえる:これからの仕事でやっていきたいことってある?文太:俺、別に服だけにこだわってないんですよね。だから服と農業とか、服と児童福祉とか、そういうリンクの仕方で仕事を続けたい。今はまず顔を売りたい。そうじゃないと次に繋がらないから。「清水文太=ファッション」じゃなくて10年後は違うことをやってても良いって思ってるから、あまり難しく考えていないです。える:農業とか、その発想はどこから生まれてくるの?文太:農業は、通ってたのが農業高校だったし園芸部で畑に関わることをやっていて面白いと思ったからかな。あと、スタイリングさせてもらっている「水曜日のカンパネラ」のコムアイが元々そういうことをやってたから詳しくて、単純に食べ物を自分で作ってみたいなって思っていて。児童福祉は、自分の家庭環境が悪かった経験から。俺の働き方や形態も特殊だから色々参考になったら良いな。正社員っていう働き方がまだまだ世の中的に強いけどそうじゃない働き方っていっぱいあるし。こういう働き方をしていても、こういう恋愛やファッションをしていても、家が借りやすいとか暮らしやすいとかそういう日本にしていけたら良い。マイノリティでも普通に生きられるっていう選択肢を増やしたい。「文太さんのおかげで毎日頑張れてます」って言ってくれる人がたくさんいるから、その人たちのためなら何でも頑張れるって思います。える:しかもそういう人の中にもファッションが好きな人は確実にいて、モノを大切にする人だってちゃんと存在するんだよね。文太:そうそう。日本の給料が上がるか、良いとされているものがもう少し手に取りやすくなるか、どっちかしかないのかも。どちらにしても俺は“服を捨てる”って行為が嫌。単純に勿体無いし、他の選択肢ないの?っていつも思う。「服はゴミじゃねぇんだよ」って思う(笑)せっかく自分の元に迎えたんだから、捨てるくらいなら集めて何か作っちゃいなよって感じ。捨てるっていう行動が無駄すぎる。そういう意味ではファストもハイも一緒。もっと買い方から考えなよって思います。える:最後に1つ質問。文太くんは自分のブランドを作りたいって思う?文太:思うことはある。けど、今は色々経験しておきたい。経験していく中でその構想が1つにまとまっていけば良いし、そうやって1ランク上にいけたら理想だよね。良い大学、良い企業、っていうことだけがステータスっていう風に思っている人たちと真逆にいるし、俺は色々な意味でマイノリティ。俺はもうあまり気にしないけど世の中の人はそうじゃないから、俺がどんどん経験値を増やして前に進んでいく姿で勇気付けられたら今は一番良いと思います。Eru Akazawa(赤澤 える)Twitter|InstagramLEBECCA boutiqueブランド総合ディレクターをはじめ、様々な分野でマルチに活動。特にエシカルファッションに強い興味・関心を寄せ、自分なりの解釈を織り交ぜたアプローチを続けている。また、参加者全員が「思い出の服」をドレスコードとして身につけ、新しいファッションカルチャーを発信する、世界初の服フェス『instant GALA(インスタント・ガラ)』のクリエイティブディレクターに就任。▶︎これまでの赤澤えると『記憶の一着』・#008「未来の自分が納得できる服が欲しい」。25歳のアーティストが“ただ可愛い服”よりも、古着が好きな理由・#007 ガールズバンド「suga/es」佐藤ノアの『記憶の一着』・#006 マカロニえんぴつ はっとりの『記憶の一着』・#005 読者モデル 荒井愛花の『記憶の一着』・#004 音楽家 永原真夏の『記憶の一着』▶︎オススメ記事・「無条件で子どもを愛してあげて」。10歳のドラッグクイーンと母に学ぶ“自分らしく生きることの大事さ”・“平和ボケ”の日本人へ。社会がいう“正しい答え”ではなく、自分にあった答えを探すための冊子を作る若者All photos by Ulysses AokiText by Eru AkazawaーBe inspired!
2018年04月20日こんにちは。赤澤 えるです。思い出の服を持ち寄る連載『記憶の一着』、第8回です。たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って何だろう。それはどうして残るのだろう。それを手放す時ってどんな時…?服の価値、服の未来、ゲストのお話をヒントに考えていく連載です。本日のゲストはアーティスト・MICOさん。エレクトロポップユニット“ふぇのたす”のボーカル“みこ”としてメジャーデビュー後、2016年4月より“MICO”名義でソロプロジェクト“SHE IS SUMMER(以下、SIS)”を始動。『とびきりのおしゃれして別れ話を』のミュージックビデオの再生回数は約200万回を誇ります。ガーリーな印象を与える独自の世界観で観る者を惹きつけ続けている彼女が選ぶ、『記憶の一着』とは?MICOさんと、赤澤える▶︎赤澤えるのインタビュー記事はこちら最後の瞬間を彩った『記憶の一着』とは赤澤 える(以下、える):『記憶の一着』について聞かせてください。MICO:3年間活動していたバンド「ふぇのたす」の解散ライブで着ていた衣装を持ってきました。23歳の時かな。もうそんなに経つかぁってかんじ。バンドを解散するって決まって、どういう風に解散するかっていうのを決めずに「解散」っていう結論だけが先に出たから、最後ライブするの?ってところから話し合ってたなぁ。3年間活動していたバンド「ふぇのたす」の解散ライブで着ていた衣装える:なんとなくだけど覚えてるよ。その時はまだMICOちゃんと友達じゃなかったけど、解散のニュースを知った時は本当にびっくりした。解散することが公になってから本当に解散するまでが一瞬だったような気がする。MICO:そう、解散発表から解散ライブまでの期間が短くて本当にギリギリだった。ライブハウスのスケジュールもなかなか空いてなかったけど、なんとか新代田FEVERを押さえられたの。最初は夜公演だけのつもりだったんだけど即完しちゃったから昼も追加公演したんだ。今日の撮影は思い出の場所で…ということだったから、その新代田を選びました。える:なんだか懐かしいね。じゃあこれは2回ステージに上がった服ってことか。MICO:そうだね。1日で2回の解散ライブをした服。これはバンドグッズのリメイクなの。グッズは最初のうちは私の手書きで作ってたんだけど、メジャーデビューしてからはロゴをデザイナーの方に作ってもらっていて。でも最後は初心に返るというか、最初にやっていたことを大切にしようってことになって、当初のやり方でグッズを作ったの。これは解散するって決めてから作ったんだ。える:大切に持ってるんだね。MICO:私、今までの衣装は全部持ってるよ。グッズも。大切だからね。える:じゃあ、この服をもし手放すとしたらどんな時?MICO:え…!そんなこと考えられない。自分からは手放すつもりはないかな。卒業アルバムみたいなものだと思うんだよね。でも、どのアーティストもそうだと思うんだけど、衣装って一度ツアーとかで着たらもう着れないというかもう一度着ることはないと思う。それはどうにかできないかなっていつも思うんだけど、あげるのも捨てるのも売るのも無理だもん。える:そうだよね。日常で着る服も捨てられないタイプ?MICO:捨てることはあまりないかな。服は元から大量買いするタイプじゃないけど、入れ替えは激しい方かもしれない。友達からもらったりすることも多いし、誰かにあげることも多い。解散ライブ当日の楽屋でのMICOさんの写真解散についての、本当のことえる:解散ライブで着ていた衣装ということだけど、解散した時の話を聞かせて。MICO:うーん。あの時のことは言葉にするのが難しくて、2年かかってやっとブログに書けたんだ。思い返せば、今まで通り今できる一番最高のライブをしようって思ってたし、お客さんからも「二人がいつも通りで救われた」って言われた。える:これを読むまではMICOちゃんは隠して生きているのかと思ってたよ、正直。聞いちゃいけない感じもしてた。大切な人が亡くなってしまっているわけだしね。MICO:そうだよね、みんなにそう思われているだろうなって思ってたよ。でも私は、本当に大事なことだったからこそSNSに簡単に書けなかったの。かと言って他に話せる場所もないし、みんなに隠し事をしているみたいでなんだか気持ち悪かった。でもこのブログを書いたらみんながほっとしてくれて、「聞けて良かった」って言ってくれる人もいた。える:解散ライブ当日はどうだった?MICO:私の中では解散=悲しいことではなくて、自分でちゃんと決めたことだったし前に進むためのことだった。逆に解散しないことの方がその場に立ち止まっているっていうことな気がしたの。だから最後のライブでは、解散についてのことは話さなかったんだよね。変かもしれないけどこれを着ている時の私は生き生きとしていたよ。ちゃんと自分で歩けてるし、これからも歩いてく!って。音楽をやめようかなって思ったえる:解散を決めた時って、次の音楽活動をするつもりはあった?MICO:次に何をしようって考えて解散したわけじゃなかったし、なんならここから歌わないっていう選択肢もあるのかなって思ってた。積み重ねてきたことでもこんなに一瞬でなくなっちゃうなんて、こんなことあるんだな…って呆然としてしまって。また積み重ねてもなくなっちゃうのかなって思ったりもした。える:そういうことを思ったのは初めて?MICO:私はバンドをやる前から音楽活動をしていて、その頃も何度か音楽をやめようかなって思ったこともあったりしたんだけど、やめている時ほど家で歌を歌ってしまっていて。結局歌が好きなんだなって。解散した頃も本当は「バンドをもう一度やりたい」って気持ちがあったと思う。バンドやる前は自分のことがすごく嫌いで、自分を変えたいと思っていて、バンドを始めてから自分の中にないキャラクターに出会えて。それが自分に馴染んできて、ある意味そっちが本当の自分だったのかもって思えてきて。だからまずは本当の自分というものをもう一回フラットに探すところから始めようって思って探し始めた。今までにやったことがないことをやってみようって思ったの。える:具体的にはどんなことを?MICO:海外に行ったことがなかったからロンドンに行ってみたり、とにかく今まで食わず嫌いしていたものとかやってこなかったことに挑んでみようって。それは小さいことでも良くて、定食を選ぶ時も「自分って本当はどっちが好きなんだろう」って向き合ってみるとか、そういうこともしてみた。える:新鮮に、丁寧に、生活していくってイメージかな。MICO:そうかも。友達の食べてるものが良く見えたり、誰かが着ている服の方が可愛いなって思ったりすることってあるでしょ?今自分が選んでいるものが自分らしくないなら、それは本当の自分じゃないのかも。憧れているものが本当の自分なのかもって私は思ってて。そういうものに自分が一歩でも近くためにまずはたくさんのものを見たいって思った。える:自分探しに近い感覚かもしれないね。MICO:次の活動はどうなるの?って心配してくれる人たちもいたからなるべく早く伝えたいって思っていたけど。SISの最初の頃はかなり手探りだった。2nd EPを出したあたりでやっとSISってこういうものだって確立できた気がする。それは自分に向き合う時間を作れたからかもしれない。2nd E.P.「Swimming in the Love E.P.」収録『出会ってから付き合うまでのあの感じ』MV※動画が見られない方はこちら外見は、今の私にとっては一番大事なことじゃないえる:「MICOちゃんの世界観が好き」って声をSNSとかでよく見るけど、それはどこで培われたと思う?MICO:お母さんの影響が強いかなぁ。お母さんは服が好きな人で、小さい頃から色々な可愛い服を着せてもらってた。小さい頃の子供服でもまだ持ってたりするの。それを持ってきても良かったなって思えるくらい大切に持ってる。える:それも見たいなぁ。MICO:お母さんには「女の子はお洒落で可愛いことが一番良いこと」って教えられてきたんだ。中身の可愛さっていうより、純粋に見た目の可愛さがまず大切だよって。その教えのもと育てられてきてそれを信じてきたんだけど、ここ数ヶ月、人生で初めて “お洒落をする”っていうことに興味が湧かない期間があったの。こんな気持ちになるのは初めて!える:何があったの?MICO:自分を見つめてみて、お洒落をするということ以外に大切なことってあるって思ったのが大きいかも。母は“モノが大切”ってタイプだから、旅行に行くよりも可愛い服を買って何回も着ようっていう考え。でも私は、旅行する方が一生残る思い出になるよなって思ったの。ロンドンに行った時に思った。これは一生忘れないなって。える:どちらも正しい考え方ではあるけど、割と対極の考え方に変わるってすごいね。MICO:今ちょうど自分の中でのモノの選び方とか価値観が変わっていってるのかな…って。最近は服が全然買えなくなった。どれも欲しいと思わなくなっちゃった感じ。何が揃えば自分は「この服なら大切にできる」って確信を持てるのかまだわかってなくて。どの服を買ってもどんな服を着ても何年か経ってその写真を見ると「すごくダサい!」って感じてしまって、それがもう嫌なの。服を選ぶ時に「2年後の自分が見たらダサいんだろうな」って思ったら何も選ぶ気力がなくなっちゃう。える:その時その時で可愛いと思うものが変わっていくのって悪いことじゃない気もするけどな。MICO:未来の自分も納得したいって思ってるのかもしれない。今は外見のイメージにほとんど興味がなくなってしまってる。可愛いということは意味がないことではないけど、今の私にとっては一番大事なことじゃない。SISが始まった時って私はもっとガーリーなものが好きだったし、写真とか映像とかで作品を残していくことが好きだったから結構衣装らしいものを着ていたけど、もしかしたらそういうところが変わっていくかもしれない。える:新しいね。一皮むけたらどうなっちゃうんだろう!MICO:こんなこと初めてなの!この気持ちは何度か文章にしてみようとも思ったけどまだ答えが出ていないから書けないでいるんだ。でもね、やっぱり古着が好きかもって思う。こういう服なら今の私をちゃんと表現できるんじゃないかなっていう気持ちで古着屋さんを見てる。その気持ちにフィットすれば好きだと言えるかな。える:お洒落や可愛くいることに興味が薄れている今でも、それをキャッチする心はちゃんと動いているんだね。MICO:その日の自分を表現するためのものとして捉えているんだと思う。着飾るってことと表現するってことは私の中では別。表現は意思表示。今はそういう意味で服を選んでるんだと思う。“思い出の服の祭典”出演にあたって思うことえる:最後にもう1つ。この連載は、SHE IS SUMMERが出演してくれる『instant GALA 〜思い出の服の祭典〜』に連動しているんだけど、MICOちゃんは4/22当日どんな服を着て来るの?MICO:まだ悩んでる!どうしようかな。えるちゃんは?える:当日までのお楽しみということにしておこうかな。MICO:私もそうしよう。ドレスコードが“思い出の服”のイベントって、新しいよね。楽しみだな。Eru Akazawa(赤澤 える)Twitter|InstagramLEBECCA boutiqueブランド総合ディレクターをはじめ、様々な分野でマルチに活動。特にエシカルファッションに強い興味・関心を寄せ、自分なりの解釈を織り交ぜたアプローチを続けている。また、参加者全員が「思い出の服」をドレスコードとして身につけ、新しいファッションカルチャーを発信する、世界初の服フェス『instant GALA(インスタント・ガラ)』のクリエイティブディレクターに就任。▶︎これまでの赤澤えると『記憶の一着』・#007 ガールズバンド「suga/es」佐藤ノアの『記憶の一着』・#006 マカロニえんぴつ はっとりの『記憶の一着』・#005 読者モデル 荒井愛花の『記憶の一着』・#004 音楽家 永原真夏の『記憶の一着』・#003 モデル 前田エマ の『記憶の一着』・#002 れもんらいふ 千原徹也の『記憶の一着』▶︎オススメ記事・「自分の好きな自分でいると、自信が持てる」。イケメンな彼女に聞いた、“モテるファッション”への違和感・「好き」を仕事にするから成功する。ポートランドが教えてくれた「人間らしい働き方」とは。All photos by Ulysses AokiText by Eru AkazawaーBe inspired!
2018年04月17日こんにちは。赤澤 えるです。思い出の服を持ち寄る連載『記憶の一着』、第7回です。たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って何だろう。それはどうして残るのだろう。それを手放す時ってどんな時…?服の価値、服の未来、ゲストのお話をヒントに考えていく連載です。本日のゲストはアーティスト・佐藤ノアさん。ガールズバンド「suga/es」のヴォーカルを務める彼女。Instagram・Twitter共にそれぞれ20万人以上のフォロワーを抱える、20歳になったばかりのインフルエンサーです。多大な影響力を持つ彼女が選ぶ、「記憶の一着」とは?赤澤えると佐藤ノアさん▶︎赤澤えるのインタビュー記事はこちら外に出なくなった私を救った『記憶の一着』とは赤澤 える(以下、える):『記憶の一着』について聞かせてください。佐藤ノア(以下、ノア):高校生の時に祖母がプレゼントしてくれたコートです。もらったのはクリスマスの頃だったかな。まだ地元の北海道にいました。3、4年経ちますけど冬になったら毎年着ています。モデルの仕事をしていると冬はコートをたくさん持っていないといけない感じになるんです。SNSに載せるものが全部同じような写真になってしまうから。でも私はこのコートだけは繰り返し着て、意識的に毎年載せています。他の服も割と長く着る方ですが…。ノア:はい。でも、LEBECCA boutiqueの服は捨てない。本人を目の前にして言うと変な感じですが…捨てたいと感じない理由は、作り手の思いや熱量を知っているからだと思います。えるさんみたいに“#レベッカブティックのこと”を書いていたり長文で自分の思いを発信したり、そういう作り手の熱量が強ければ強いほどきっと私たちの熱量も高くなると思うんですよね。える:私たちは熱いを通り越して熱苦しいけどね!ノアちゃんはいつも長文を嫌わずしっかり読んでくれてるよね。いつもありがとうね。ノア:思いが伝わる文章だから好きなんです。インスタにあんな長文書く人がいるんだってびっくりしましたけど、私は好きです。こんな風に100%でいてくれる服屋さんがもっと周りに増えてくれたら良いな、とも思います。える:それはなかなか難しいかもね。本来はそうあるべきだけど、あまりにも簡単に服が作られて売られて買われている時代だから。熱なんかなくてもあるふりをしてブランドが息をできるの。熱量があるふりをするためにプロを雇って、思いや考えを構築してもらったり発信してもらったりしているのなんて、珍しくないって聞くもんね。ノア:うん。私はLEBECCA boutique以外、私が普段着ている服の背景を知らないです。それを発信してくれる人もまわりにはいない。LEBECCA boutiqueしかないし、えるさんしかいないんですよ。簡単に安く手に入る時代だからこそ、作り手側がもっと服の背景を発信してくれたら良いなって思います。そうやってSNSを使ってくれる人がえるさん以外にも増えたら、“ゴミになる服”って減ると思うんです。ファッションブランドのプレスの方と仲良くなってもこのあたりは知れないことの方が多い気がする…。える:そこまで言ってくれるのは嬉しいな。私も今まであまりそういう人物に出会ったことがなかったから、ブランドなんて新しく作っても意味がないと思ってた。それでもやる機会に恵まれたから、私は私が納得できるようにやっているんだけど。ノア:絶対に続けてください。誰かが大事にしているものなら自分もって思える人は多いと思うんです。“思い出の服の祭典”出演にあたって思うことえる:最後にもう1つ聞かせて。この連載は、ノアちゃん率いる『suga/es』が出演してくれる『instant GALA 〜思い出の服の祭典〜』に連動しているんだけど、ノアちゃんは4/22当日どんな服を着て来るの?ノア:多分ですけど、ワンピースですね。メンバーもみんな大好きなアイテムだし、初めてのMVで着たのもワンピースだったから、なんとなくそうなる気がする。※動画が見られない方はこちらえる:来場してくださる方々には何を着てきてほしいとかある?ノア:きっとすぐに浮かばない人もきっと多いと思うんです。でもそれは、何を着てきても私たちが“思い出の服”にしてあげます!える:100点の回答!嬉しい。ノア:やった(笑)でもね、本当にそう思うんです。える:うんうん。そうなんだよね、今は「これが思い出の服」って言い切れるものがなくてもいいの。このイベントをきっかけにそういう愛せる服を1つでも2つでもクローゼットにおいてくれるようになったら素敵だし、そういう服を持っている自分っていう存在を何より愛おしく思ってほしいなって思うんだ。服のことを考えているようで、服を大切にしているようで、自分のことを考えて大切にすることに直結する。思い出を大切にするってそういうことだから。ノア:そんなイベントの第一回目に出させてもらえるの、嬉しい。たくさんの人に来てほしいですね。Eru Akazawa(赤澤 える)Twitter|InstagramLEBECCA boutiqueブランド総合ディレクターをはじめ、様々な分野でマルチに活動。特にエシカルファッションに強い興味・関心を寄せ、自分なりの解釈を織り交ぜたアプローチを続けている。また、参加者全員が「思い出の服」をドレスコードとして身につけ、新しいファッションカルチャーを発信する、世界初の服フェス『instant GALA(インスタント・ガラ)』のクリエイティブディレクターに就任。▶︎これまでの赤澤えると『記憶の一着』・#006 マカロニえんぴつ はっとりの『記憶の一着』・#005 読者モデル 荒井愛花の『記憶の一着』・#004 音楽家 永原真夏の『記憶の一着』・#003 モデル 前田エマ の『記憶の一着』・#002 れもんらいふ 千原徹也の『記憶の一着』▶︎オススメ記事・「自分の好きな自分でいると、自信が持てる」。イケメンな彼女に聞いた、“モテるファッション”への違和感・「好き」を仕事にするから成功する。ポートランドが教えてくれた「人間らしい働き方」とは。All photos by Ulysses AokiText by Eru AkazawaーBe inspired!
2018年04月06日こんにちは。赤澤 えるです。思い出の服を持ち寄る連載『記憶の一着』、第6回です。たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って何だろう。それはどうして残るのだろう。それを手放す時ってどんな時…?服の価値、服の未来、ゲストのお話をヒントに考えていく連載です。本日のゲストはミュージシャン・はっとりさん。「マカロニえんぴつ」というユニークな名前のロックバンドでヴォーカルとギターを担当する彼。現役音大生だった頃に組んだそのバンドの音楽は「全年齢対象ポップスロック」と称され、日々着実にファンを増やしています。バンドを代表するフロントマンである彼が選ぶ、『記憶の一着』とは?赤澤えるとはっとりさん▶︎赤澤えるのインタビュー記事はこちら“問題作”と言われるMVで着た『記憶の一着』とは赤澤 える(以下、える):『記憶の一着』について聞かせてください。はっとり:「鳴らせ」のMVで着た服。僕のバンド「マカロニえんぴつ」が全国デビューしたミニアルバムのリード曲です。バンドとしても俺としても思い出のある作品で着ていた、通称“鳴らせシャツ”です。大人の方々に協力してもらって初めてちゃんと撮った、すごく大事なミュージックビデオ。3年くらい前になるかな。える:これを買った時のことを覚えてる?はっとり:学生時代からよく行っている下北沢の古着屋さんで買いました。MV用ってわけじゃなくて、単純にかわいかったので。最初のアーティスト写真もこれを着ていましたよ。える:しっくりくるものに出会ったんだね。はっとり:自分が小柄なのもあってオーバーサイズで着たいんです。タイトなのを着ると似合わなくて。袖も裾も長めの大きめサイズを着たい。だからこれはぴったりでした。生地がちゃんとしているからずっと着れてる。脱退メンバーの、最後の言葉える:その服を纏ってからの3年間、どんなことが変わった?はっとり:本当に色々ありましたけど、特に実感している変化は“感謝”をするようになったこと。「感謝をしなきゃダメだよ。自分一人で生きているわけじゃないから」って母親とかに言われるじゃないですか。そんなの分かってるし当たり前じゃんって思ってたんだけど、本当の意味で分かってなかったなって思うんです。最近メンバーを1人失って、理由は色々あるんですけど「メンバーという一番近い存在に感謝をしていなかったな」って思ったんです。脱退の時に色々と本音を話してくれて「他のメンバーがついてこなくなっちゃうよ」って言われたんですけどそれで改めて反省して。身近な人への感謝が足りてなかった。この5年ついてきてくれたメンバーがいる中で、それが本当に欠けてた。える:去っていくメンバーが教えてくれたんだね。はっとり:そうです。あとそれによってライブのスタイルが変わりました。俺たち毎年「今年来るバンド」って言われ続けてて、それでも思い通りにうまくはいかなくて。それでも来続けてくれるファンの方がいる。その人たちへの感謝でライブが変わったんです。それまでは何のためにやっているのかっていうのが、いまいち自分の中ではっきりしていなかったところがあって、良いライブ・悪いライブの差もあまりよくわからなかった。でも最近は目の前の人に感謝をして、「俺たちを選んでくれてありがとう。あなたたちは何も間違っていないよ」って抱きしめるくらいのつもりでライブをするようになって。そしたら今まで苦手だったMCも自然と話せるようになって、自分がライブをやっている意味が分かってきた。楽しくなってきましたよ。える:すごく伝わってくる。2、3年会っていなかったけど、本当に変わったね。言葉と表情にハリがあるというか…。はっとり:変えてもらったって感じですけどね。過去の自分が嫌いですもん。一週間前の自分でも嫌い。夜眠れなくなるくらい、いちいち反省しちゃうんですよ。心配性というか、人からどう見られているかがすごく気になるんです。傷ついて気付くことも傷つけられて気付かされることもあるしそれは避けられないけど、俺は誰も傷つけたくない。彼の“捨てられない”という価値観が、このバンドの全てなんだなと感じました。言ってしまえば彼と私はきっと同じ立場。“捨てられない”または“捨てない”という価値観と、そうする価値のあるモノ、その両方を世の中に提案・提供する使命を背負っている者同士だと思います。そして、音楽も服も扱う人の扱い方によって輝くし、傷つくし、時には簡単に消されてしまうこともある。だからこそ、それに気がついた人から丁寧に愛すべきだなと彼と話して改めて感じました。instant GALAのステージでは、彼が捨てなかったものの集大成が観れそう。心から楽しみです。マカロニえんぴつ はっとりWebsite|Twitter|Instagram|instant GALAクラウドファンディングあの日、あの時、あの場所で、あなたは何を着ていましたか?「載せたら終わり」の新時代、載せても終わらないものは何ですか?服への愛着・愛情を喚起し、ソーシャルグッドなファッションのあり方を発信する、思い出の服の祭典。4月22日(日)渋谷WWW Xにて初開催です。
2018年03月30日こんにちは。赤澤 えるです。思い出の服を持ち寄る連載『記憶の一着』、第5回です。たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って何だろう。それはどうして残るのだろう。それを手放す時ってどんな時…?服の価値、服の未来、ゲストのお話をヒントに考えていく連載です。▶︎赤澤えるのインタビュー記事はこちら本日のゲストは読者モデル・荒井愛花さん。151cmという小柄なスタイルを活かし、青文字系雑誌「mer」のモデルとして活躍する彼女は、インスタグラムで約14万フォロワーを抱えるインフルエンサー。私にとって大切な数年来の友人でもあります。「普段話さないような真面目な話がしたい」「包み隠さず正直なインタビューにしよう」と約束を交わして迎えた今日、彼女が選ぶ「記憶の一着」とは?える:私にとっても人生初のコラボとなった服。記憶の一着に選んでもらえて嬉しい。愛花:コラボをしようって話が決まった時、本当にデザインに悩んだ。えるはすごくこだわりがある人だけど、えると私はタイプが違うというか割と正反対の人間だと思う。えると違って私はどっちかというと強いこだわりがないタイプの人間。やるって決まったことに対してはこだわりを持つけど、生活する上での強いこだわりとかそういうのはあまりない。だからどうしようって。える:私からすると別にこだわりがない風には感じなかったかな。自分のしたいこと、自分が届けたいお客様、そこに対する自分のモノづくりっていうところにはこだわりがしっかりあるように見えたよ。この色は嫌だ!この形は違う!とか、はっきりしてた。愛花:つくるなら絶対にみんなが喜んでくれるものを作りたいと思ったし、初のコラボでとても緊張しているけど私がデザインした洋服がみんなの大切な1枚になったらなって思った。そこにはとてもこだわりました。える:この服をもし手放すとしたらどんな時?愛花:これは手放さないよ。えるはいつも「レベッカの服は飽きたら売っていいよ」って言ってくれるけど。それ本当に嫌じゃないの?える:私は、自分のブランドの服を売られるっていうことは決して嫌じゃない。転売行為は別としてね。私は1つの服に飽きちゃうのは仕方がないことだと思ってるの。でも、飽きたらゴミにするっていうのは絶対に違うと思ってる。愛花:それいつも言ってるよね。「飽きたら自分の名前が出るところで売ってね」って何回も言ってくれてる。ブランド始めた時からぶれないね。える:友達のブランドのものって、なかなか売りづらいと思うんだよね。フリマの機会があったとしても、周りから「え、友達の服を売ってお小遣いにするの?」って思われたくないだろうし、どうしても売りづらい。売りづらいから売れないってなると、匿名でフリマアプリに出す。それすら面倒くさいと、ゴミ箱に捨てる。私はそんなの悲しいから、飽きてしまったら堂々と売ってほしいんだ。愛花:ブランドの人がそんなこと言うのって、新しいと思う。える:自分の名前が出る時に売れば、受け継いだ人もお互いに顔が見えて喜びが増えるよね。どういう時に着ていたものかストーリーが伝えられれば尚更だし、その相手がファンの方ならもう言うこと無い。捨てたらただのゴミ。でも次の人に渡せば、その人の宝物にもなり得る。ファンの一言で、服への意識が変わった愛花:最初にモデルをやったのは大学3年生の時で、その時は本当に意識が薄くてまだ“仕事”という感覚ではなかった。「呼ばれるから行く」って感じ。それが楽しい時期でもあったし。でも、その時に洋服を整理してて「これ処分する〜 こんなにいっぱい〜」みたいなのをSNSに何の気なしに載せたら、「服の仕事をしている人がそういうことを言わないでください」って一般の方からリプライが来たの。その時が初めてちゃんと洋服のことを考えた瞬間だった。自分のやってることが仕事だって自覚もした。える:ドキッとしたんだね。愛花:この仕事をせずに普通に生活してたとして、要る服・要らない服って出てくるし捨てる機会だって多いと思うの。でも、自分はこういう仕事をしてるしちゃんと考えて行動しなきゃなって思った。だからフリマとか、後輩や友達にあげるとか、そういう機会を大切にしてる。える:叩かれるからもちろん載せないけど実は大量に捨ててるとか、断捨離ってタイトルをつけて正当化するとか、そういう人が多い中で“見えていなくてもちゃんとしよう”って姿勢は本当に素敵だなって思う。それでもやっぱり、持っている服って多いの?愛花:職業柄ある程度の量はあるし、普通よりは持っていると思う。「私服コーデ企画」とかあるし、自分の特集になるとそれが1ヶ月分とかだから。そういうのは服を持っていないとできない。フリマのために保管したりもしてるよ。える:意外だよね。びっくり。愛花:私は現場で1人だけOLさんのような格好をしてた。人見知りだから誰にも話しかけられないし、本当に孤独って感じ。それで自分で着なきゃいつまでもわからないなって思って、いつも撮影の時にあったコンバースを買ったの。える:今の姿からじゃ想像できない。じゃあ、その靴も“記憶の一着”だね。愛花:うん。雑誌で青文字モデルをたくさん見て勉強したから、今は参考にしてもらえるのが嬉しい。身長が小さいことしか武器がなかったけど、同じ低身長の方が応援してくれたりしてるし「読モをやってて良かったな」って思う。【編集後記】人生の中心となっている仕事をお互いに活かして挑んだ、人生初のコラボレーション企画。彼女はいつもSNSや雑誌で人気者な上に私の8倍もフォロワーがいるから、商品を作ることに対してこんなに悩んでいたとは正直思っていませんでした。今そして今までの“読モである自分”と向き合って出したデザインなんだと思うと、私も一層愛おしく感じます。ちなみに今日私が着ているのは、愛花と初めて出会った時に着ていたワンピース。二人で行った海外旅行にも着ていきました。さらに思い出が重なって“記憶の一着”として愛おしさが強まります。愛花にとってあのワンピースもそういう存在になると良いな。MANAKA ARAI(荒井 愛花)Instagram|Blog雑誌『mer』のモデル、さらには女優として活躍の場を広げる。身長151cmと小柄でもバランスの良いファッションに定評あり。instant GALAクラウドファンディングあの日、あの時、あの場所で、あなたは何を着ていましたか?「載せたら終わり」の新時代、載せても終わらないものは何ですか?服への愛着・愛情を喚起し、ソーシャルグッドなファッションのあり方を発信する、思い出の服の祭典。4月22日(日)渋谷WWW Xにて初開催です。
2018年03月23日こんにちは。赤澤 えるです。思い出の服を持ち寄る連載『記憶の一着』、第4回です。たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って何だろう。それはどうして残るのだろう。それを手放す時ってどんな時…?服の価値、服の未来、ゲストのお話をヒントに考えていく連載です。赤澤える▶︎赤澤えるのインタビュー記事はこちら本日のゲストはミュージシャン・永原真夏さん。人気バンド「SEBASTIAN X」の活動休止後すぐにソロ活動をスタートさせ、今年3月には初のソロアルバムをリリースしたばかり。顔立ちからは想像のつかない力強い歌声と圧倒的な歌唱力を持つ彼女が選ぶ、「記憶の一着」とは?このライダースが“正装”真夏:このライダースはいつも着ているから、思い出を挙げようとしたらもうありすぎるんだけど…着ていて楽しかったなって思い出すのは、サンフランシスコに行った時のこと。夜は少し寒かったからこれを着ていたんですけど、昼は暑かったからつばの広い麦わら帽子をかぶっていたんです。ライダースと麦わら帽子を組み合わせている私を見て、街ゆく人が「最高の組み合わせだね!」って次々言ってくれたんです。雑な組み合わせになっちゃったと思っていたけど意外と関係ないのか!って、1つ自分のスタイルになったかもしれない。でももう、このライダースとの思い出はそれだけじゃなく色々あります。える:真夏さんにとってはトレードマーク的な存在ですかね。真夏:そうですね、定番です。寒かったら着る。私にとってはこれが正装でもあります。それを着るまでは何を着ていたかは…あれ、なんだろう、分からない…える:それだけこのライダースが自分にしっくりきて着続けているんですね。真夏:あ、でもその前の服が1つある!私、中学生の時に着ていたピーコートを20代になっても着ていました。多分、気に入ると延々と着るタイプなんです。好きなものがずっと変わらない。困ったなぁってくらい。える:物持ちが良いだけでなく、自分の定番を作るのが上手なんですね。真夏:でも、リリースの度にビジュアルや印象で変化を表現したい気持ちはあるんです。けど、自分の趣味が変わらないからもう仕方ないなって最近思い始めました。える:それってすごい良いところですよね。変えちゃいけないって思っていたり、誰かから指示されているわけじゃないんですもんね。真夏:好きなものが変わらないっていうのと不精な性格が合わさっているだけなんですけどね。これより好きなものがないっていうシンプルな気持ち。私はこれなんだ!っていう気持ちよりも、ただただこれより気に入るものが見つからないんだっていうだけ。える:おばあちゃんになっても着てるんだろうな。真夏:そうですね。でもこれ小さいから太らないようにしないと。ちょっと太ったらパツパツになっちゃうから(笑)でもね、この小ささが可愛くて。もしかしたら新しいのに出会えるかもしれないって思って探したこともあるんですけど、大きすぎたり長すぎたり、仲がボロボロだったり革の臭いが気になったり。結局これなんだなって思っています。もう自分に馴染んでる。最高の一着ですね。える:この服をもし手放すとしたらどんな時ですか?真夏:えー!手放さないです。最後まで自分の元が良いです。自分の子どもでも「自分で買いな」って言います。自分のスペシャルは自分で探してほしい。だからあげたりはしないかな。ひとりぼっちで聴いてほしいえる:あたたかいコミュニティですね。場所を作りたいっていうのはライブも含むと思うんですけど、真夏さんは自分の楽曲をどういう風に聴いてほしいですか?真夏:うーん、ひとりぼっちで聴いてほしいかな。自分の音楽の向き合い方がそうだったので。ライブハウスでは楽しんでほしいから自分も盛り上げたり煽ったりはするんですけど、自分がお客さんだったらその輪の中には入らないです。バーカウンターのところでじっとしているタイプ。ステージから盛り上げるのは大好きなんですけどね。私はみんなと盛り上げるのが好きなキャラクターだと思われがちなんです。歌がパワフルだと言われるからなのか、人見知りしないと思われているからなのか。そういう“パブリックイメージと実際の自分はイコールではない”っていうことにはもう慣れちゃったんですけど。える:ギャップがあるというのは散々言われてきたんですね。真夏:うん。そういうわけで、基本的にはひとりで聴くってことしか知らない。私はイヤホンやヘッドホンで聴いていたい。レコードやスピーカーでも、ひとりで。そうやって音楽に向き合ってきたから。だからライブを観に行っても盛り上がりたいって思ったことはないです。そういう場所で友達を作りたいって思ったこともない。むしろ誰とも友達になりたくないし、友達は少ない方が良いと思っています。でも、それでも友達になった人たちがいる。私がライブをするライブハウスってそういうところ。でもライブハウスに来る人たちって、実は誰も友達を作りたいと思って来ていないんじゃないかな…って思います。誰とでも仲良くなれてコミュニケーションが取れる人たちじゃなくて、誰もわかってくれなくていいやって思ってるんだと思う。それで「お前も誰もわかってくれないよな〜!」っていう出会いをする。わかってくれよ!っていうのが内心にあるとは思う。やっぱりはぐれた人たちが来るところだから。える:真夏さんの歌声を聴いている時に孤独を感じたことってなかったから、改めてひとりでじっくり聴いてみたい。精神的にひとりぼっちの時、どう聴こえるか感じたい。真夏:うんうん。そういう時とか、帰り道とかで聴いてほしい。《アルバム INFO》永原真夏「GREAT HUNGRY」instant GALAクラウドファンディングあの日、あの時、あの場所で、あなたは何を着ていましたか?「載せたら終わり」の新時代、載せても終わらないものは何ですか?服への愛着・愛情を喚起し、ソーシャルグッドなファッションのあり方を発信する、思い出の服の祭典。4月22日(日)渋谷WWW Xにて初開催です。
2018年03月16日こんにちは。赤澤 えるです。思い出の服を持ち寄る連載『記憶の一着』第2回です。たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って何だろう。それはどうして残るのだろう。それを手放す時ってどんな時…?服の価値、服の未来、ゲストのお話をヒントに考えていく連載です。運命の出会いを生んだ、千原徹也の『記憶の一着』とは赤澤 える(以下、える):『記憶の一着』について聞かせてください。千原 徹也(以下、千原):「nakEd bunch(ネイキド バンチ)」のニット。28歳くらいの時、まだ京都に住んでた頃に代官山で買ったの。イラストレーターのエドツワキさんが昔10年やってたブランドでね。僕は単純にエドさんのファンで、京都から代官山に毎シーズンわざわざ買いに行ってたんです。いつも好きな服を買うだけのために東京に行ってた。みんなが買っているものは買わないえる:この服をもし手放すとしたらどんな時ですか?千原:もうボロボロだから、人にあげるにしてもねぇ。14年も着てるから、もはや他の人が着れるのかっていう…。でも自分の子どもが欲しいって言ったらあげるかな。そしたらアレンジとかしてもらっても良いね。える:モノを大切にされるんですね。物持ちが良いと言うか、結構どれも長く持ってますよね?千原:そんなことないよ。着ないやつはサラッとあげちゃってる。いっぱいあっても同じ服しか着ないんだよね。える:千原さんって、いつも個性的な服を選ぶイメージ。千原:着るモノで個性というか、性格が分かるよね。えるちゃんは赤ばっかり着てるからこだわりが強い人なんだろうなとか、ちゃんとそういうのを整理できて決められる人なのかなとか、ちょっと大変な人かもなとか。笑赤い服ばっかり着てるっていうだけでどういう人か想像ができる。服って自分に対して一番見られてるものじゃない?だからみんな常に自分の性格とか好きなものとか考えて買うと良いと思う。える:確かにそうですね。私の場合は色と大体のシルエットで覚えてもらえていることが多いかも。私にとってこのスタイルは正装のようなものです。一番好きな色とアイテムと髪型が変わらないから変える必要も今はない。これ以上の好きなものがないんです。千原:そうそう。1個で良いからこれは誰も着ないだろうとか買わないだろうっていうもの、その人の気持ちで買ったものがあれば。思い切ったやつが1個でも。それで自然に他のものもコーディネートされていくと思う。これ誰が買うの?ってものをじゃあ僕が買う!ってなるものがやっぱり1つは無いと。僕は最近デカすぎる帽子を買いました。デカすぎて中が余ります。笑試着しながらお店の人に「これサイズ変ですよね?」って言ったら「そうなんですよ、だから誰も買わないんです」って言うから、…じゃあ僕が買おうって。でもやっぱりデカすぎて中が空洞になるから、この前は小銭入れをここに。笑える:ははは。笑千原:服を作ってる側もヒントになると思うんですよ、みんなが買っているものは買わないっていうことが。これ売れてるんですっていうものは絶対買いたくない。千原さんにとってファッションとは、個性そのものなのだと思います。彼らしい服装というものが確かに存在していることが何よりの証。千原さんは私にも同じことを言ってくれました。それは強い武器だよ、とも。大切な人と自分を繋ぐものが自分という個性をつくっているなんて、とても素敵。千原さんのニットのように、未来の自分への贈り物になるようなものが今1つでも選べていたら良いなと思います。これから迎え入れるものをより丁寧に選びたくなる時間でした。Tetsuya Chihara(千原 徹也)Twitter | Instagramれもんらいふ公式サイト▶︎オススメ記事・「服をたくさん持つことがおしゃれではない」。“普通のバイヤー”じゃなかったからこそ気づけた「服を大切にする精神」・#001 「ファストファッションでも大事にすればいい」。エシカルファッションプランナー鎌田安里紗の『記憶の一着』|赤澤えると『記憶の一着』Interview photos by Ulysses AokiText by Eru AkazawaーBe inspired!
2018年02月13日こんにちは。赤澤 えるです。思い出の服を持ち寄る連載『記憶の一着』、スタートです。たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って何だろう。それはどうして残るのだろう。それを手放す時ってどんな時…?服の価値、服の未来、ゲストのお話をヒントに考えていく連載です。 ちなみに、私のクローゼットは『記憶の一着』だらけ。自分なら何を紹介するか、この連載が終わるまでにじっくり考えてみることにします。Eru Akazawa(赤澤 える)Twitter|InstagramLEBECCA boutiqueブランド総合ディレクターをはじめ、様々な分野でマルチに活動。特にエシカルファッションに強い興味・関心を寄せ、自分なりの解釈を織り交ぜたアプローチを続けている。また、参加者全員が「思い出の服」をドレスコードとして身につけ、新しいファッションカルチャーを発信する、世界初の服フェス『instant GALA(インスタント・ガラ)』のクリエイティブディレクターに就任。イベントの公式ウェブサイトは2月中旬にオープン予定。最新情報は赤澤えるのSNSをチェック。
2018年01月30日「澤さんは長女のことを本当にかわいがっています。先日も『この子は私の娘ということで、周囲からいろいろと期待されると思う。でも、サッカー選手にならなくてもいい。ただ健康で好きなことを頑張ってほしい。それでどんな形であれ、世界で活躍できる人間になってくれたら嬉しい』と笑っていました」(サッカー関係者) 1月9日、第一子となる長女を出産した澤穂希(38)。女子サッカー界のレジェンドが現役引退してから1年8カ月。引退後の彼女は「ベガルタ仙台」の広報部長を務める夫・辻上裕章氏(40)とともに、仙台で暮らしていた。38歳にしてなでしこジャパンのスーパースターから一児のママとなった澤だが、そこには“意外な誤算”があったという。 「彼女は出産前『出産って本当に大変。覚悟しておいたほうがいい』と脅かされていたんです。でも実際に出産してみるとものすごい安産。しかも育児もあまり手がかからない。娘さんは授乳中以外ほぼ寝ているような子で、夜泣きもしない。あまりの“優等生ぶり”に周囲も『レジェンドの子はやっぱり違う』と驚いています。澤さんも『思っていたより楽』と拍子抜けした様子で、元気がありあまっているようです」(前出・サッカー関係者) そんな時間を持て余している彼女に目を付けたのが、女子サッカー日本代表の高倉麻子監督(49)だ。就任2年目となる高倉監督だが、新生なでしこジャパンは低迷中。そこでチーム再建のため高倉監督が白羽の矢を立てたのが、澤だった。 「澤さんと高倉監督は91年から98年まで『読売ベレーザ』のチームメイトとしてプレーしていました。同じ釜の飯を食べた仲だけに、高倉監督は彼女の“ピッチの外での影響力”も十分知っています。だから澤さんの手があいていると知った高倉監督は『低迷する今の日本女子サッカー界を救えるのは、澤しかいない』と言っているそうです。澤さんも“再オファー”自体は嬉しいでしょうが、悩ましいところでしょう」(別のサッカー関係者) さすがに出産半年で“現役復帰”とまではいかないだろうが……。レジェンドなら“まさかのサポートメンバー入り”もありえるかも!?
2017年09月02日8月に上演される『昆虫戦士コンチュウジャー2 ~激突!恐怖の戦士、ネオコンチュウジャー!~』のキャストである海老澤健次、斉藤秀翼、百瀬朔、須藤茉麻、伊勢大貴の5人が、東京・東京スカイツリータウンにて開催中の「大昆虫展」に来場。カブトムシやクワガタと触れ合いながら、公演の見どころを語った。【チケット情報はこちら】本作は、地球の平和を守る昆虫戦士の中にひとりだけ中年男性(モト冬樹)が紛れている――という新感覚のヒーローコメディ。2016年6月に第1弾、2017年5月に再演を果たし、今回はその続編が繰り広げられる。脚本・演出はこれまでと同様に、劇団犬と串を主宰するモラルが手がける。熱血漢の「カブトムシ」戦士こと、万里チョウジ役の海老澤は「キャストには特撮ヒーローの出身者が多く、“戦隊あるある”がふんだんに盛り込まれています。みんなでアイディアを出し合いながら、笑って泣いて感動できる作品に仕上げたいですね。記者の皆さん、そこは太字でお願いします!」と猛アピールする。ナルシストの「アゲハチョウ」戦士こと、エッフェル・トーマス役の斉藤は「今回からコンチュウジャーの新たな敵、“ネオコンチュウジャー”が登場します」と新キャラクターを紹介。「コンチュウジャーの成長と、悪のヒーローたちがどのように自分たちの道を見出していくかにご注目ください」と続けた。ここでMCから「役柄とご本人のキャラがぴったり、という方は?」という質問が。互いに指をさしあい、過半数の3票を獲得した須藤は「ちょっと待って!」と焦りを隠せない。コンチュウジャーの紅一点、須藤演じる「テントウムシ」戦士こと、桜田‘ファミリア’明日香は、可愛いキャラを演じることに疲れ切っているズボラな役どころ。わざとらしく小首をかしげた彼女に飛んだ、4人からの「わかるだろ!」というツッコミに、会場は大きな笑いに包まれた。ビッグマウスだが小心者の「ハチ」戦士こと、多安島ハルオ役の百瀬は「稽古場の雰囲気から楽しい作品になる予感」と笑顔を見せつつ、「映像効果にはない、手作り感あふれる舞台ならではのヒーローモノに仕上がると思います」と特撮ヒーロー経験者の立場から期待を覗かせる。初演で多安島ハルオ役だった伊勢は今回、ネオコンチュウジャーの雷モン役。「IQが70000もある天才ですが、それゆえ時代と迎合できなかったキャラクター」と役柄を述べたあと、「彼がコンチュウジャーとどう絡んでいくかを楽しんでいただけたら」と見どころを語り、イベントを結んだ。公演は8月12日(土)から20日(日)まで、東京・全労済ホール / スペース・ゼロにて。取材・文:岡山朋代
2017年07月20日ハワイを舞台に繰り広げる「テラスハウス」新シリーズ、「テラスハウス ALOHA STATE」に出演していた現役高校生ギタリスト/ウクレレ奏者・EDEN KAI(鮎澤悠介)が、この度劇中で披露した話題の“卒業ソング”を緊急発売することが明らかになった。EDEN KAIこと鮎澤さんは、若干18歳の現役高校生ながら“ハワイのグラミー賞”と呼ばれる「ナホク・ハノハノ・アワード2016」にノミネートされる実績を持つハワイ在住のシンガー・ソングライター/ギタリスト/ウクレレ奏者。現在「Netflix」とフジテレビ系列にて放送中の番組「テラスハウス ALOHA STATE」では、素朴なルックス、ピュアな性格でマスコット的なキャラクターとは裏腹に、ひとたびギターやウクレレを持つと非常にテクニカルで独創性のある高度な演奏を披露、そのギャップからいま人気急上昇中のアーティストだ。今回リリースが決定したのは、日本デビュー・デジタル・シングル「モノガタリ(Monogatari)」。これは、「テラスハウス」で仲間たちと共同生活する中で得た経験から感じた感情を唄にしたもの。「Netflix」で放送された第10話放送分にて、彼が「テラスハウス」を卒業する考えを仲間たちに独白するシーンでパフォーマンスし、仲間たちと出会えた感謝や淡い恋心を歌詞に込めた卒業ソングとなっている。すでに放送を見た視聴者は、「ウクレレが癒されるしカッコ良すぎる!」「名曲!心に響いて涙が出る」など早くも話題に。なお、日本デビュー・アルバムは5月に発売が予定されているという。EDEN KAI/日本デビュー・デジタル・シングル 「モノガタリ(Monogatari)」はiTunes、レコチョクほかにて配信中。(cinemacafe.net)
2017年02月15日シェアハウスを舞台に同居する男女の恋愛模様を追った人気リアリティー・ショー「テラスハウス」。その最新シーズンとなる「TERRACE HOUSE ALOHA STATE」の第6回が1月16日深夜にフジテレビ系で放送された。今シーズンはローレン・サイ(18歳)、エビアン・クー(26歳)、フランク奈緒美ロレイン(23歳)、澁澤侑哉(18歳)、鮎澤悠介(18歳)、エリック デ メンドンサ(27歳)の6名の男女が、タイトルの「ALOHA STATE」の通りハワイを舞台にリアルな人間ドラマを繰り広げている。今回の放送ではローレンとエリックが2人で買い物に出かけ、2人でココナッツをシェアしながらテラスハウスに来てからのことを話し良い雰囲気に。一方、ローレンに好意を抱く“チェリーボーイ”の悠介だが、父親にローレンのことを訊ねられ「彼女みたいな人と話したことなかった。彼女について何も知らないからもっと話さなきゃ…」と答える。そして、奈緒美は日本に一時帰国する前夜、想いを寄せる侑哉にアプローチ。「2人になりたいからローレンと悠介に部屋に戻ってもらった」と気持ちを告げるが、侑哉はそれをやんわりとスルー、意中のエビアンとデートへ出かける。侑哉から「好きな人いるの?」と聞かれたエビアンは「いないけど…」と言葉を濁すが、侑哉は「(自分は)いる」と答える。夜、キッチンでエリックとローレンが親しげに語り合う姿を見て、空気を呼んだ悠介は部屋に戻ってしまう。部屋で侑哉に「誰かをデートに誘うとか未知の世界」と話し悠介は思い悩む…という展開を見せた。放送後のネットの反応を見ると「ハワイ行ってみたいなーとテラハ見ると毎回思う」「テラスハウス観てハワイ行きたくなったわ~~!」などハワイにまつわるツイートが多数。「英語喋れるようになりたくなるわ~」というツイートもあり、ハワイを舞台にしたこれまでのシリーズとは一味違うテイストが視聴者には好評のようだ。また6人のなかで特にローレンのスタイルやファッションに関して、毎放送後に多数のツイートが投稿されており、今回も「ローレンが綺麗すぎて毎回見とれる」「ローレンかわいいなー服も髪型とかもかわいいー」などのツイートが見られた。また今回の放送で日本に一時帰国した奈緒美だが、その直前からバイトを始めており、初日に接客したお客さんから励ましの言葉をかけられる場面があった。それを見て「お客さんが奈緒美に『素敵な笑顔があるからそれでだいたいのことうまくいくわ』と暖かい言葉かけててうるうるきた。奈緒美がんば」という声も寄せられていた。「TERRACE HOUSE ALOHA STATE」は毎週月曜深夜24時55分~フジテレビにて放送中。さらに「FOD」&「Netflix」でも配信中。(笠緒)
2017年01月17日シェアハウスに同居する男女6人の青春模様を記録する人気シリーズ「テラスハウス」の最新シーズン「TERRACE HOUSE ALOHA STATE」。その第5回が1月9日深夜フジテレビ系で放送され、ネットに様々な反響が寄せられた。「テラスハウス」は、縁もゆかりもない6人が共同生活するシェアハウスの様子を追ったリアリティー・ショーで、2012年からスタートし、昨年11月からはシリーズ初の海外へ進出、ハワイを舞台とした「TERRACE HOUSE ALOHA STATE」が配信・放送されている。新シーズンの住人は女性陣がローレン・サイ(18歳)、エビアン・クー(26歳)、フランク奈緒美ロレイン(23歳)の3人と、男性陣は澁澤侑哉(18歳)、鮎澤悠介(18歳)、エリック デ メンドンサ(27歳)という6名で進行中。第5回の放送では、6人がノースショアへデートに繰り出しす。ローレンに好意を抱く“恋愛未経験”の悠介だが、なかなか自分に自信が持てず「そういう経験ないからどうしていいかわかんない」と悩みながら、同い歳の“プレイボーイ”侑哉にアドバイスをもらうという青春らしい場面も。一方、ローレンの生活態度に日頃から不満を抱いていたエビアンと奈緒美は、2人でローレンの生活マナーをたしなめるが反発される。侑哉は「2対1でローレンをつぶそうとしてる」と2人のやり方に反対。侑哉のアドバイスに奈緒美は納得し、結果、奈緒美とローレンはお互いに謝罪し和解する。そして、奈緒美とエビアン2人のもとへ「エビアンを落とす」宣言をしていた侑哉が現れ、奈緒美の目の前でエビアンをサーフィンデートに誘い出す。侑哉からの気持ちに思いがけず、驚きの表情を浮かべながらも笑顔で快諾するエビアン、そして侑哉と恋が芽生えそうな関係だった奈緒美はあ然とする…。放送後には本格的に動き出した6人の関係に「やっと、テラハがテラハらしくなってきた」「めっちゃ面白くなってきたやん」「最初男子クズだなって思ったけどだんだん面白くなってきた」と期待を寄せる声が上がったほか、女性陣の対立に関して「奈緒美さぁ…あれ…陰口じゃねぇ?」「なんかネチネチ攻撃されてかわいそう」など結託してローレンを責めた女子2人に対して批判的なツイートも見られた。また、ローレンに好意を抱く悠介に対し「悠介君、ローレンが凹み気味だから今が株を上げるチャンス」と応援の声もあがった。本格的に動き出した「TERRACE HOUSE ALOHA STATE」は「FOD」&「Netflix」で現在配信中のほか、テレビ放送は毎週月曜深夜24時55分~フジテレビにて放送中。(笠緒)
2017年01月10日なでしこジャパン前監督の佐々木則夫が、関西テレビ・フジテレビ系トーク番組『さんまのまんま』に出演し、澤穂希に対する意外な評価を明かす。関西テレビは17日(13:56~14:25)、フジテレビは18日(13:00~13:30)に放送される。最近、佐々木の娘が結婚したそうで、娘を持つさんまは「どんな感じでした?」と質問。佐々木は「娘が30歳だったので、やっと結婚できたか、という気持ちでした」と答えると、さんまは「娘の年齢にもよるかー」と深くうなずく。今年11月には孫が生まれる予定で、さんまは興味津々で聞いていく。また、話題は元キャプテンの澤穂希に。優勝を決めた2011年W杯決勝のアメリカ戦で活躍した澤を、佐々木は「特筆するほどうまい選手じゃないけど、ここぞという時に決められる何かを持っているんです」と評する。ほかにも、女性チームをまとめる立場に、さんまが「タイプの人がいて、ヤラシイ気持ちになったりしないんですか?」と切り込むと、佐々木は「年齢差があるので全くないですね」ときっぱり。女子選手たちからは呼び捨てにされていたことを明かす。なお、同番組は10月7日(21:00~22:52)にスペシャルを放送。ゲストに古舘伊知郎、吉田沙保里、土性沙羅、栄和人を迎える。
2016年09月10日'13年からミュージカル『美少女戦士セーラームーン』でタキシード仮面を演じている大和悠河さん。「宝塚を退団してから男役も卒業したつもりでいました。でも、お話をいただいて、武内直子先生の漫画を見たとき、自分が宝塚で培ってきたものを使えて、女の私だからこそ作り上げられるものがあるんじゃないかと思ったんです」それまでは、若い男性俳優が演じてきた役。しかし、宝塚でトップスターとして男役を極めた大和さんの、こなれたタキシードの着こなしや美しいマント捌きは、まさにそのまま少女漫画の世界が舞台に現れたようだった。「宝塚では、メイクや衣装、髪型や立ち方ひとつにしても、自分のいいところと欠点の全部を把握して、どうしたら美しく見えるかを、誰もが自分で考えて、自分でプロデュースしていかなくちゃいけない。だから男役時代には、自分の体型に合ったカッコいいスーツのラインを必死に研究していました。タキシード仮面を演じるならば、武内先生の描く、あのカッコいいシルエットに近づけたいじゃないですか。そのためには、それこそ1ミリ2ミリの調整が重要で、そこにはこだわらせていただいています。幕が開いてから、お客様がどんどん作品にのめり込んできてくださるのがわかって、それがとても気持ちよかったですね」高い美意識を持ちながら、素顔は気さく。タキシード仮面も、カッコいいのに妙にチャーミングなのだ。「昔から、よく下級生から『悠河さんって、カッコかわいいです』って言われていたんです。自分ではわからないんですけど、それが味であるならば、大切にしていけたらなと思います」◇やまと・ゆうが1995年に宝塚歌劇団入団。早くから注目され、'07年に宙組トップスターに就任。'09年の退団後は舞台を中心に活躍。7月にはブロードウェイミュージカル『CHICAGO』に主演のロキシー役で出演、NYでの公演も決まっている。◇ミュージカル『美少女戦士セーラームーン‐Amour Eternal‐』高校生になった月野うさぎ。ある日、皆既日食が起き、デッド・ムーン・サーカス団を名乗る船が現れる。そんななか、地球を守護する聖地エリュシオンの祭司から、地球存亡の危機を知らされ、立ち上がる。10月15日(土)~23日(日)渋谷・AiiA 2.5 Theater Tokyo福岡、大阪公演あり原作/武内直子脚本・演出/平光琢也音楽/佐橋俊彦出演/野本ほたる、大和悠河ほかネルケプランニングTEL:03・3715・5624(祝日を除く月~金曜11:00~18:00)(C)武内直子・PNP/ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」製作委員会2016※『anan』2016年7月20日号より。写真・小笠原真紀取材、文・望月リサ
2016年07月17日ミュージカル俳優・柿澤勇人が5日、シアタークリエで行われた主演舞台『ラディアント・ベイビー ~キース・ヘリングの生涯~』公開ゲネプロに登場し、共演の平間壮一、知念里奈、松下洸平、演出の岸谷五朗とともに取材に応じた。同作はアメリカの伝説的アーティストであるキース・ヘリングが、NYで悩みながらも自分のアートを見つけ、31年という短い生涯を駆け抜ける姿を描く。オフ・ブロードウェイで2003年に初演を迎え、アメリカ以外の公演は今回が初。ロック&ポップミュージック、ヒップホップなど様々な音楽に乗せて歌やダンスが繰り広げられ、劇中にはキースのアートワークも多数登場する。運動量の多いパワフルな舞台に、演出を担当した岸谷は「僕がカッキー(柿澤)の役だったら、マチソワ(昼・夜)は本当にお断りする」と、本音を吐露した。柿澤も「演劇人生が始まって以来、分量や歌の量が一番多いですし、体力も精神的にも辛い役だと思う」と語り、「1回1回妥協せずに、ちゃんと生きて死にたいなと思う。本当にくたばるくらいの勢いでやらないとキースにも申し訳ないですし、やるしかない」と決意を新たにした。キースの恋人・カルロス役を演じる松下は「勇人とは付き合ってましたし」と、舞台『スリル・ミー』での設定を持ち出し、「友人としても俳優としても、尊敬している時間が長いので、何の心配もないです」と信頼を寄せる。平間も「キースの顔写真を見たときに、目の奥がカッキーに見えて鳥肌が立った」、知念も「孤独にキースと向き合ってる感じが稽古場から見えて、キース・ヘリングってこんな顔してたのかもと思えた瞬間が何度もあった」と絶賛。松下が「なんか納得いかないな! 褒められすぎだろ」と茶化すと、柿澤は「本当に周りの一緒にやってるキャストのみんなに救われた」と恐縮しながら、「一つのベクトルに向かっていくエネルギーを見ていただきたい」と作品に対する自信を見せた。
2016年06月06日ミュージカル「ラディアント・ベイビー~キース・ヘリングの生涯~」の稽古の模様が5月13日(金)、報道陣に公開され、主演の柿澤勇人、演出の岸谷五朗らが取材に応じた。柿澤さんは昨日亡くなった蜷川幸雄との思い出について語り、声を詰まらせた。アンディ・ウォーホルと並んで、1980年代のアメリカ現代アートを代表する存在とされるキース・へリングが31年という短い生涯を駆け抜けるさまを描き出す。この日は、オープニングに加え、キースがのちに恋人となるDJのカルロスと出会うディスコ「パラダイス」でのパワフルなナンバー、そして、全キャストで歌い上げるバラード「STAY」が披露された。岸谷さんはキースについて「これから人生いろんなことがある時期に亡くなってますが、駆け抜けた人生が魅力的」と語る。楽曲も多く、振り付けも複雑とあって「必死に戦ってます。丁寧に作って、いい感じに遅れています(笑)」とも。キースを演じる柿澤さんは「(稽古は)まだ第2幕に差し掛かった段階で、全貌がどうなるのか?みんなで探しています。熱い奴らが詰まって、80年代のいろんなものが混在したエネルギーが映し出されるんじゃないかと思います」と意気込みを口にした。昨日、演劇界の巨匠・蜷川さん死去のニュースが伝えられたが、岸谷さんは「ショックを受けていない演劇関係者はいないと思う。子どものころから見てたので…」と語る。さらに「演出家ってのは、やる前にはたくさん不可能があって、それを具現化していく仕事。本当にそれをものともせず、可能にしていった人でした」と語り、まさに本作でキースが時間が足りないと人生を駆け抜けていくさまに言及し「あの爆発的な蜷川さんの演出と共通してます。だからこそ、吠えるし、パワーを持ってないと作品作りができなかったんだと思います。僕らにはまだ芝居を作れる幸せがある。(蜷川さんが)見て、恥じない作品作れるように頑張りたい」と語った。柿澤さんは「海辺のカフカ」で蜷川演出を受け、世界ツアーにも参加した。蜷川さんの死について「いまでも信じられない」と悲痛な表情。「初演のときは、千本ノックでした(苦笑)。『死ね!このヤロー!』とか言われて、家に帰って泣いて、40度の熱出て…でも食らいついていきました。ムカついたけど、世界ツアーが成功したとき、『いい役者になったな』と言われて、励みになりました。いつも『自分を疑えよ』と言われてて、その言葉が胸にあります。あっちの世界でも僕の芝居を見て『相変わらず、つまんねー芝居してるな』って思われてるかも(苦笑)」と時折、言葉を詰まらせながら思い出を口にし「芝居を変えてくれた人、僕の考える世界を変えてくれた人です」と言い尽くせぬ感謝の思いを口にしていた。「ラディアント・ベイビー~キース・ヘリングの生涯~」は東京・シアタークリエにて6月6日(月)~22日(水)、大阪・森ノ宮ピロティホールにて6月25日(土)、26日(日)上演。(text:cinemacafe.net)
2016年05月13日お笑いコンビ・ハライチの澤部佑(29)に27日、第2子となる女児が誕生した。所属事務所が同日、発表した。6時31分に夫人が都内病院にて出産。澤部も出産に立ち会い、その後すぐに仕事に向かったという。澤部は「4月27日に第二子の女の子が産まれました。母子ともに健康でございます」と報告し、「長女同様だんだん僕似から離れてってくれるのを願います」と冗談交じりにコメント。相方の岩井勇気も「オフの時は暗めの相方に、明るい家族が増えて良かったです。おめでとう」と祝福している。澤部は2013年12月3日に一般女性と入籍。2014年5月14日に第1子女児が誕生した。
2016年04月27日今季限りでの現役引退を表明した澤穂希のプレーが、まだ見られる。12月19日に行われた『第37回 皇后杯全日本女子サッカー選手権大会』準々決勝、澤が所属するINAC神戸レオネッサはASエルフェン埼玉に2-0で勝利し、12月23日(水・祝)・等々力陸上競技場での準決勝に進出したのだ。第37回皇后 杯全日本女子サッカー選手権大会 チケット情報スタメン入りした澤はフル出場を果たし、ゴールこそ奪えなかったが、中盤の位置から積極的に攻撃参加し2本のシュートを放った。澤が起点となり、前半9分に先制点を挙げたDF・近賀ゆかりが試合後に「澤さん、また澤さん。澤さんって何人いるんだろうと思った」とコメントしたように、ピンチの場面には必ず顔を出し、体を張って敵の攻撃の芽を摘み、守備にも貢献した。90分間、誰よりもピッチを縦横無尽に走り回った。また、I神戸には澤以外にも、GK・海堀あゆみ、DF・近賀、MF・鮫島彩・田中明日菜・中島依美、FW・川澄奈穂美・大野忍・高瀬愛実・京川舞・増矢理花と、なでしこジャパンに名を連ねる顔ぶれが揃う。「最後にこのメンバーで『皇后杯』で優勝して笑顔で終わりたい」という澤の願いは、メンバー全員の願いでもある。準々決勝で2点目を決めた高瀬が「今シーズン積み重ねたものを、試合でしっかり出せれば優勝できる」と語った通り、一丸となり持てる力を余すことなく発揮すれば、澤の現役引退の花道を飾れるはずだ。準決勝では、浦和レッズレディースをPK戦の末に撃破したベガルタ仙台レディースと対峙する。今季のベガルタは攻守両面で主力を失いながらも、『なでしこリーグ・エキサイティングシリーズ』を2位で終えた。今シーズン得点ランク3位タイの9得点を挙げたMF・川村優理を筆頭に、DF・坂井優紀、FW・有町紗央里ら日本代表メンバーがチームを牽引している。今季『レギュラーシリーズ』ではホーム・アウェイともにI神戸に敗北を喫しているが、10月24日に行われた『エキサイティングシリーズ』では4-2で勝利を収めた。両軍ともに、相手にとって不足はない。女子サッカー界のレジェンドの有終Vまであと2つ。『第37回 皇后杯全日本女子サッカー選手権大会』準決勝は、12月23日(水・祝)・等々力陸上競技場にて第一試合・ベガルタ仙台レディース×INAC神戸レオネッサのほか、第二試合・日テレ・ベレーザ×アルビレックス新潟レディースの試合が行われる。決勝は12月27日(日)・等々力陸上競技場にてキックオフ。チケット発売中。
2015年12月22日先日、結婚を発表したばかりの女子サッカーの澤穂希(INAC神戸レオネッサ)が8月23日(日)に映画『わたしに会うまでの1600キロ』の試写会に来場。映画への共感や主人公と重なる部分などについて語った。『ダラス・バイヤーズ・クラブ』のジャン=マルク・ヴァレ監督がアカデミー賞女優のリース・ウィザースプーンを主演に迎えて実話を基に作り上げた本作。3か月間、たった一人で1600キロを歩くことで自らの人生を見つめ直し、成長していく女性の姿を描く。大きな拍手に迎えられた澤さんだが「サッカー以外が得意分野ではないので…試合のときより緊張しています」と映画の試写会という“アウェー”の場でやや硬い表情。それでも聞き手を務める「AERA」の浜田敬子編集長より、まず結婚について「おめでとうございます」と声を掛けられると「ありがとうございます」と笑顔を見せた。映画については「自分と重ね合わせながら見ていたりもしました」と語り「人生でここまで来るのにいろんな困難があったけど、目標や夢を持ったら最後までやり抜くところは共感しました」と明かした。主人公は歩き始めてから何度も「やめたい」と思いつつ、それでも歩みを進めていく。澤さん自身、子どもの頃からサッカー漬けの日々を送り、15歳で日本代表入りし、その後、アメリカにも渡ったが、やめたいと思ったことはなかったのか?と問われると「『やめよう』とは思わなかったけど、いろんな困難がありました。最近では1年ほど代表に呼ばれず、ワールドカップのメンバーに選ばれるのか?と不安もありましたし、諦めてはいなくても心が折れそうになることはあった」とふり返る。ただ、そんなときでも投げ出すことはなかった。「やるべきことはコンディションを上げることや、練習に取り組む姿勢。いまの主人にもいろいろ聞いてもらってアドバイスをもらったり、いろんな人に支えてもらって今があります。急に上には行けないので一歩ずつですね」と頷く。人生の転機については20歳前後でのアメリカ行きを挙げる。「英語も全く話せず、荷物ひとつで行った感じ」と述懐。当時、そもそもいまのように海外リーグに挑戦する女性選手はほとんどおらず「何もない状態で飛び込んだ。いまのようにネットもなくて、家族への手紙も届くのに1週間かかって、返事もまた1週間かけて届く」と苦労を明かす。それでも「とにかくうまくなりたかった。日本で通用しても世界で戦うには体の大きさもメンタルもまだ勝てなかった」と貪欲に足りないものを補うためにサッカーに打ち込んだ。「少しでも道は作れたかな?」と日本の選手たちが次々と海外へと飛び立っていくようになった現状に先駆者として喜びを口にした。サッカー選手としての今後については「あと5年も10年も現役でやっているということはないと思うので、『やりきった』と思えるように全力で1日1日を頑張りたい」と目標を口にした。これまでも支えとなってくれたという夫とは現在、澤さんが神戸のチームに所属していることもあり「別々に暮らしている」とのことだが「お互いの信頼関係がしっかりしていれば。私も相手を尊敬しているので。毎日コミュニケーションはとってます」とニッコリ。「役所関係で名字が変わったくらいでまだそこまで(変化を)感じてないです」とも。また「結婚したから引退するとかではなく、そういう(=結婚や出産を経ても現役を続行する)選手が増えたら嬉しいです」と語っていた。『わたしに会うまでの1600キロ』は8月28日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:わたしと会うまでの1600キロ 2015年8月28日よりTOHOシネマズ シャンテほか全国にて公開(C) 2014 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.
2015年08月23日声優の悠木碧が、モンブランやコーヒーゼリーなどの"お菓子擬人化"に挑戦したフォトブック『悠木碧フォトブック Sugary Fairy~季節のスイーツを添えて~』(主婦の友社)が、24日に発売される。『魔法少女まどか☆マギカ』の主人公・鹿目まどかや、『妖怪ウォッチ』の未空イナホ、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続』の比企谷小町など、数々の人気アニメで声優を務めてきた悠木は、2011年度の第6回声優アワードでは歴代最年少の19歳で主演女優賞を受賞。アニメ公開を控える『ワンパンマン』で主要キャラクター・戦慄のタツマキ役も決定するなど、声優としてさらなる活躍が期待されている。今回発売されるフォトブックは、雑誌『声優グランプリ』(主婦の友社)で2013年5月号から開始された連載「悠木碧のSugary Fairy」を書籍化したもの。「甘~いお菓子を擬人化したら…」というテーマのもと、さまざまなテイストの衣装に身を包み、わたあめ、ローズジャム、コーヒーゼリーなどの"お菓子の妖精"になりきった悠木を、29パターンも見ることができるという。『悠木碧フォトブック Sugary Fairy~季節のスイーツを添えて~』は、6月24日発売。B5判96ページの仕様で、定価は3,000円(税別)となる。
2015年06月23日ワコムは2月10日、「CGアーティスト森田悠揮ZBrushテクニックセミナー」をデジタルハリウッド駿河台ホールにて開催した。セミナーにはCGアーティスト森田悠揮氏とPixologic社COOのハイミ氏、マーケティング担当のトマ氏が登壇。オークの山田有祐氏が司会を務めた。森田氏の実演に会場が沸いたセミナーの様子をレポートする。○デジタルライブスカルプティングを披露同セミナーは、3Dモデリング制作を行っている人から3Dモデリング制作に興味がある人までの幅広い層を対象に行われた。「ZBrush」はゲームや映像作品の3Dモデリング制作に使われているデジタルスカルプティングソフトウェア。今回のセミナーに登壇した森田氏は、「CG Student Awards 2013」にて、世界第3位を受賞。セミナーでは、ZBrushとペンタブレットを使ったデジタルライブスカルプティングを披露した。また、実演と平行してZBrushの開発元であるPixologic社のハイミ氏とトマ氏がソフトウェアを解説し、質疑応答も実施。会場には液晶ペンタブレット「Cintiq」シリーズのフラッグシップモデル「Cintiq 27HD」を中心とした液晶ペンタブレットを展示し、その場で体験できるようになっており、セミナー終演後には、実際に試してみる参加者の姿も見られた。○「爬虫類っぽい」クリーチャーを作成セミナー冒頭で進行の山田氏が尋ねたところ、来場者の中でZBrushを使っているのは4~5割程度。森田氏はセミナーが行われる1時間半~2時間の間にクリーチャーの頭部を作ると話し、実演が開始された。森田氏が作るのは「爬虫類っぽい」クリーチャーということで、トカゲを意識しながら作ると説明。普段はクリーチャーであれば何の動物をベースに作るかを考え、大量の資料を見て、動物の構図を頭にたたき込んでからさっと作るようにしているとのこと。最初の段階では印象だけを重視しているので、ディテールにはあまり凝らずに進めるのだという。目の周りが決まるとそれ以外の部分も決まるということで、目の周りから重点的に作っていた。会場からの「自分で絵を描くのか」という質問に対しては、デッサンを本格的に習ったことはないが、デッサンは観察力をつけるためにあるため、観察力さえあればできなくても大丈夫だとの回答をしていた。○ZBrush 4R7をPixologic社が紹介森田氏による作業の中盤には、Pixologic社によるZBrushの説明が行われた。ZBrushの特徴は、紙とペンがあれば何かが描けるのと同じように、ZBrushがあれば経験がなくても制作を始められるということだ。「粘土をこねるように作業を進められる」と例えていた。産業分野ではゲーム、映画、マーケットデザインのイラストレーション、製品製作前のコンセプト段階でのアート、テレビコマーシャルなどさまざまな場面で使われており、利用者に合わせて幅広く活用できるという。ハイミ氏とトマ氏は、今回の来日で2月8日に行われたワンダーフェスティバルに参加し、「日本では漫画文化が強い」と実感したとのこと。このほどリリースされた「ZBrush 4R7」についても、いち早く詳細を紹介。ZBrushの特徴のひとつに「ZBrushだけですべての作業が完結できること」があるが、4R7ではそれがさらに強化されたという。○最終的な質感をイメージして作業を進行Pixologic社が「ZBrush 4R7」の説明をしている間に、森田氏の実演も進行。大まかな形が完成。続くディテールでは、質感を考えて作業を進めるという。今回のクリーチャーについては、ぬるっとした首の皮にし、ヒダや顔のシワをつけていた。最終的な質感をイメージしていると作業が早く進むのだという。その様子を見ていたハイミ氏は、球からアウトラインを作っていったことに注目し、「作業をやっていく中で調整を重ねてドラゴン(クリーチャー)ができあがっていった」と話した。トマ氏は作業の早さがZBrushならではであると強調。山田氏は、「デジタルでは、良くも悪くもとことんディテールを突き詰められる」とデジタルならではの特徴を読み取って説明していた。○液晶ペンタブレットは「アナログで制作しているみたい」セミナーの後半では、山田氏が事前アンケートの結果を紹介。会場にいるZBrushユーザーではペンタブレットを使っている人が多いという内容だった。それについて、最近液晶ペンタブレットを買ったという森田氏は、「アナログで制作しているみたいで慣れるとすごく使いやすい。5時間で慣れてしまった」と話した。購入したのは「Cintiq 13HD」だという。メインのディスプレイとミラーリングして使っているという山田氏は、「Cintiq 13HDなら原型を作る感覚のまま、フィギュアを作る感じに近いので良い選択だった」と振り返っていた。そしていよいよ森田氏のクリーチャーが完成。ハイミ氏は「2時間以内で作った作品ではハイクオリティ」と評価していた。森田氏はもともとはモデラー志望ではなく、いろいろなものを作っていたのだという。しかし、クリーチャーを作るのが楽しく、生き物が好きだったことから、現在ではクリーチャーの仕事が9割を占めるようになったそうだ。また森田氏は、日頃から使えそうな質感や造形を頭にストックしておくことの大切さを強調。現存の動物から使える要素を探して、イマジネーションに取り入れておく。実際の作業においては、シルエットが決まれば完成形も見えるため、ディテールにとらわれずに形を突き詰めて、最終的に良い物をつくることを心がけるように意識していると話し、セミナーは幕を閉じた。
2015年02月17日LINEは22日、同社COOの出澤剛氏(いでざわ たけし)が新社長に内定したと発表した。22日開催の取締役会で新社長の内定を決議した。現社長の森川亮氏は顧問に就任する予定。なお、一連の人事は、2015年3月下旬に開催する定時株主総会、取締役会を経て正式に決定する。出澤剛氏は1973年生まれの41歳。1996年に早稲田大学卒業後、朝日生命保険会社に入社。2001年にはライブドアの前身となるオン・ザ・エッジに入社し、2003年に同社の執行役員副社長に就任。2007年にはライブドア代表となり、経営再建を果たす。以後2012年に、傘下であったNHN Japanグループ3社の経営統合にともない、NHN Japanの取締役に就任。翌年2013年には、同社の商号がLINEに変更されたことに伴い、LINEの取締役となった。2014年1月には、同社のCOOとなり、同年4月に現職のCOOに就任した。(記事提供: AndroWire編集部)
2014年12月22日「子供の頃から、建築家になりたいと思っていた」高橋は、中学校の3年生頃に、ファッションに出合う。反抗期と共に、自分のお小遣いで自ら服を買い始めるが、ちょうどその時期は裏原ブーム、“おしゃれな友達”と人気のあったショップを回っていた。さらに、メンズファッション雑誌の裏原マップを見て、奥の奥まで行こうと友達を誘う。ところが、周りはそこまでする気がなかった。「他の人よりファッションが好き、という気持ちが強いことがわかりました」と、高橋。ぼろぼろのデニムにも自分でヤスリをかけたり、染料を買って染めたりして、手を加えていた。その“好き”は、衣服だけではなく、ジョン・ロブなどの革靴ブームにも影響され、靴職人にも興味を抱くことに。“手でものを作ることが好きな”少年が、将来ファッションデザイナーになることを、無意識に思い描いていたとしても不思議はない。しかし、“ファッションにはまった”少年が、それを仕事とするまでには、まだいくつかの出会いと経験、そして時間が必要だった。高校2年の時、進路を考えるようになった高橋は、建築家という選択肢もありつつ、受験を避けて、中学・高校からそのまま推薦で大学へ。そこで、1年生の時は、油絵や彫刻などの美術から、プロダクト、インテリア、テキスタイルなどのデザインに至るまで、幅広いフィールドから10種類のクラスをとることができた。高橋の旺盛な好奇心を満たすだけではなく、視野を広げることに大いに役だったことは想像に難くない。2年生になると、専攻を決めなくてはならなくなり、テキスタイルデザインを選ぶことに。そのきっかけの一つが、「ミシン屋さんに行って、シャツの縫い方を教えてもらった時に、『これからはテキスタイルの時代』と言われたわけですよ」という。その人が、どういう根拠からアドバイスをしたかは知るよしもないが、的を射ていたことは確かだ。だが、ファッションだけでなく、「同時にインテリアも捨てきれない。両方できるのではという思いもあった」という。若いということは、さまざまな可能性に満ち溢れていることでもある。ファッションデザインに絞られていくには、まだ時間が掛かる。「芸術論の授業をとって、現代アートにも出合い、特にミニマルアートやコンセプチュアルアートにはまりました」。その頃はパリコレにも興味を持ち、好きになったフセイン・チャラヤンの作品について、「蘊蓄(うんちく)を並べていた」という。そういう高橋に、先生からうってつけの大学があると勧められ、2年生の時、大学の国際教育プログラムでテキスタイルコースがあるロンドンのカレッジに留学することになる。3/4に続く。
2013年09月03日オリンピック応援キャンペーン「ママの公式スポンサー」の象徴として起用P&G(プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン)は1月23日、女子サッカー・澤穂希選手と母親の満壽子(まいこ)さんを、オリンピック応援キャンペーン「ママの公式スポンサー」の象徴として起用、今後、P&Gの広告やキャンペーンなどでの初共演を予定していることを発表した。「ママの公式スポンサー」とは、2012年ロンドンオリンピック出場選手のママたちと世界中のママたちに賛辞を送る活動で、P&Gがオリンピックの世界的な公式スポンサー契約締結に伴う世界共通のキャンペーンテーマ。広告やWebショートムービーなどで初共演P&Gでは、ロンドンオリンピックに向けた取組みとして、ウェブサイト開設やイベントなどを1月23日から開始。4月以降、店頭でのキャンペーンも含めて本格的に展開、澤穂希選手と満壽子さんは、春以降に実施されるP&G「ママの公式スポンサー」の広告やWebショートムービーなどで初共演予定。また、P&Gの提供ナレーションで使用されているメッセージを、企業スローガン「暮らし感じる、変えていく」から、オリンピックテーマ「ママの公式スポンサー」に1月23日より変更するとしている。元の記事を読む
2012年01月25日貴重!さすがにきれいなすっぴん姿元「CanCam」モデルの徳澤直子が、自身のオフィシャルブログにて貴重なすっぴんを披露している。昨年7月にプロ野球西岡剛選手と結婚し、この8月には女児を出産した彼女。まさに幸せいっぱいといったところだ。現在は、メジャーリーグに移籍した夫とともに、家族でアメリカ・ミネアポリスで生活している彼女。最近のブログでは、子どものことに触れることも多く、子育てに奮闘中のようだ。美貌は健在!愛娘も可愛い☆すっぴん姿を披露した写真でも、わが子を大事に抱っこ。抱っこする姿も美しく、産後とは思えない美貌だ。このあたりはさすがといったところか。CanCamモデルを卒業し、ママとなっても美貌は健在のようだ。こんな彼女とイケメン選手としで評判になることも多い西岡選手とのあいだに生まれた子どもだけに、Jr.ちゃんもきっと可愛い子に育ちそう。すっぴんでわが子を抱っこした写真は、ほんの少し、その可愛らしさも見えるようなものとしても貴重な一枚だった。元の記事を読む
2011年09月03日「医療モノということで、“カッコよく”見えてしまうイメージを抱いていたんですが、ここで描かれているのは、ひとりひとりが背負っている人生なんです」――。吉沢悠は、出演作『孤高のメス』をこう表現する。この言葉にこの映画の魅力、そして演技者としての彼の揺るぎないスタンスが表われている。ベストセラー医療小説を実写化した本作。吉沢さんは「自らの素の感情を役柄に重ね合わせながら演じた」と言葉に力を込めた。この“人間ドラマ”に彼はどのような思いで向き合ったのか――?映画の公開を前に話を聞いた。物語の始まりは1989年、とある地方の市民病院に当麻鉄彦(堤真一)という名の外科医が赴任するところから始まる。大学病院に依存し、満足な手術ひとつ行えない腐敗した環境を当麻はその腕で、変えていく。当麻が変えたのは何より、そこで働く人々の意識。吉沢さん演じる青木はまさに、彼との出会いによって自らの生き方を省み、そして変わっていく若き医師である。「大学病院の古い体質があって、その下で働く青木はいろんな思いを抱えつつ、“権威”という壁にぶつかる。当麻との出会いで大きく変わっていくこの人物をしっかりと演じ切れないことにはこの作品のテイストが観る人に伝わらない。そのプレッシャーはありました。と、同時に青木が感じる葛藤は、ひとりの俳優として僕にとっては感じたことのある思いでした。それを生かして演じ切ることができれば楽しいだろうな、という相反する複雑な気持ちでした」。90年代末から2000年代の前半に掛けて、次々と話題のドラマ、映画に出演し、主演も数多くこなしてきた吉沢さんが芸能活動を休止したのは2005年。奇しくも本作で演じた青木と同様にアメリカに渡り、帰国後、俳優としての活動を再開した。役柄に自らを重ねた、という部分についてさらに深く尋ねた。「自分なりの信念を持って俳優という仕事をやっていましたが、やればやるほどに『いまのままでいいのか?』というクエスチョンがついて回るようになった。それはまさに、約束された道を見失った青木そのもの。前半部分の彼に、その当時、自分が抱いていた感情を乗せました。それからアメリカに渡って何より感じたのは、俳優として現場に立てるということは、決して当たり前のことではないのだということ。そう感じたときに無性に俳優をやりたい、演じたいって思えてきたんです。帰国して初めての仕事が映画だったんですが、あのときは本当に嬉しかった。それはまさに、青木が当麻先生を手伝いたくて帰国するときと同じ気持ちでした」。復帰後、彼が出演した映画は『夕凪の街 桜の国』、『逃亡くそたわけ−21才の夏』、『てぃだかんかん〜海とサンゴと小さな奇跡〜』に本作と物語性と共に、社会への強いメッセージを感じさせるところがあるが…。「決して、それを意識して作品を選んでいるわけではないです。ただ、例えばニューヨークにいる頃、『自分は日本のことを何も知らない』と強く感じて、帰ったら広島に行きたいと思うようになった。そうしたら(広島を舞台に被爆を扱った)映画『夕凪の街 桜の国』のお話をいただいた。不思議なめぐり合わせは感じますね(笑)。常に、観る人に何か良い影響を少しでも与えられたら、という思いはあります。そうした思いがこういう良い循環を生んでいるのかも」。そうした流れに身を投じる中で、映画というメディアへの熱い思いが自身の内側からも沸々とわいて来ていると明かす。「映画人の熱…独特の温度の高さへの憧れは以前以上に強く感じます。周りが見えなくなるような強い思いで、わが子を育てるようにみんなが映画に夢中になっているあの環境は、本当に気持ち良いんです。30歳を過ぎて、ここにいられることが幸せだな、と感じるようになりましたね」。最後に「今後演じてみたい役は?」という質問に「もちろん、当麻先生のような役もやってみたいですね」と語り、「それから…」と、生瀬勝久が演じた、自らの保身しか考えない大学病院の医師・野本の名を挙げ、少し興奮気味にこう続ける。「生瀬さんが仰ってたんです。『俺は、野本という役を“悪”として演じたわけじゃない。一人の人間として演じた結果がこうだったんだ』って。それを聞いて、ああいう役をいつか演じられるようになりたいな、と思いました。僕自身今回、野本という存在に生かしてもらってるんです。そんな深みを演じられるようになりたいです」。(photo:Ryusuke Suzuki)■関連作品:孤高のメス 2010年6月5日より全国にて公開© 2010「孤高のメス」製作委員会■関連記事:堤真一天才外科医役に都はるみのこぶしを聴いて特訓目の前の命を救うため、禁断のオペに挑む『孤高のメス』試写会に15組30名様をご招待小栗旬初監督作引っさげ北海道に!ゆうばり国際映画祭ラインナップに注目来年の東映は『ゼブラーマン2』セクシー衣裳から『桜田門外ノ変』まで注目作ズラリ!堤真一、大組織の悪しき体制と闘う熱血医師に「ヒーローではない、医師を演じたい」
2010年06月23日