「親になったの私だけ!?」について知りたいことや今話題の「親になったの私だけ!?」についての記事をチェック! (1/4)
親が恋人を好まない場合、その理由に頭を悩ませるでしょう。もしかすると、親の言葉はあなたの未来にとって大切なものかもしれません。今回は「恋人に対する親の言葉への対応法」を紹介します。具体的な理由を探る親が恋人を好まない場合、その理由は多岐にわたります。ただの過干渉かもしれませんし、恋人に問題がある可能性も…。具体的な理由を聞き、それが許容できるならスルーしてOKです。反対に納得できる理由があるなら、真摯に耳を傾けましょう。親視点での恋人の本質を参考にする親としては、大切な子どもに幸せになってほしいもの。親は恋人の細かな行動から、その人の真価を見極めています。彼らの直感を無視せず、関係を見直してみるのも1つの手です。理想の結婚相手を親と共有する親と自分の求める理想が異なることは珍しくありません。とくに親は、職業や生活基盤などに注目します。時間をかけて理解し合う必要がありますが、親の経験も無視できません。親の意見に耳を傾けつつ、恋人との未来をじっくりと考えましょう。別れを選ぶことを恐れない親に反対されて、別れを選ぶこともあるでしょう。しかし、運命の人であればまたいつか出会えるはずです。親の意見で一度立ち止まることも、自分を見つめ直すいい機会になります。真の運命の人は時間を超えて戻ってくることを忘れずに。「親」の意見も参考にしながら親から見た恋人への評価をどう受け止め、何を学びとるか。親の意見を参考にしながら、あなた自身の気持ちを大切にしてくださいね。(Grapps編集部)
2024年12月27日※このお話は作者シカさんに寄せられたエピソードをもとに脚色を加え再構成しています。登場人物や団体や建物の名称はすべてフィクションです。 ■これまでのあらすじ幼い頃には母親に何でも話せていましたが、次第に母が望むことと自分がやりたいこととの間に違いがあると気づき始めた娘。娘の恋人が女性であること知った母は、無理やり別れさせます。自分の人生を母にコントロールされることに耐えられなくなった娘は、大学入学をきっかけに家を出ました。物理的な距離は、母と娘に少しずつ変化をもたらします。娘がワーキングホリデーに旅立つ前に恋人の存在を明かすと母は受け入れ、さらにこれまでのことを謝罪します。ようやくわかりあえた2人ですが…。■今なら母の苦悩もわかる■娘に言わせてしまった…■ただ抱きしめてあげればよかった話したいことをすべて母に話せた娘。そして親の理想や苦悩を理解できていなかったと、かつての自分を反省する言葉を母に伝えました。子どもに勝手に期待し勝手に裏切られた気持ちになる…そんな葛藤は多くの親が抱くものかもしれません。母は、娘に「大人の理解」をさせてしまった過去を後悔し、娘を抱きしめるのでした。あの頃、娘がしてほしかったように…。次回に続く「思い通りにならなかった私を愛せますか?」(全37話)は17時更新!
2024年12月02日小学5年生のころ、思春期を迎えていた私は、素直に親と話すことができなくなっていました。そんなとき、あることを隠し通そうとして……。 親に話すのが恥ずかしい私は小学5年生で初潮を迎えたのですが、恥ずかしさから親に話すことができませんでした。そのため、自宅のトイレに置いてある生理用ナプキンを使ったら生理になったことが親にバレてしまうと考え、私は「家にある物でこっそりナプキンを作ること」を思いつきました。 使った物は、トイレットペーパーとガムテープです。トイレットペーパーを折りたたんで、ガムテープでパンツに固定するという、超簡易型ナプキン。この「自作ナプキン」を作ったときは、我ながら天才だと思いました。 自作ナプキンを使った感想実際、自作ナプキンを使ったところ、パンツが汚れることもなく誰にも生理がバレなかったため、なかなか万能でした。しかし、夏場などの汗には弱く、トイレットペーパーが溶けてボロボロになってしまうことが。体育の授業中にポロッとトイレットペーパーのカスが地面に落ちたときは、とても焦りました……。 それでもなんとか生理期間を乗り切り、小学生時代は自作ナプキンを使い続けていた私。中学生になるころには、親にバレる恥ずかしさがなくなり、「生理がきた」と伝えてナプキンを使うようになりました。ナプキンの使い心地がとてもよかったので、恥ずかしがらずにもっと早く親に報告すればよかったと後悔しました。 生理になっていると親にバレるのが恥ずかしく、小学生のころの私は「自作ナプキン」を使って過ごしていました。今振り返れば、自作ナプキンを使っていたことのほうが、恥ずかしく思えます。けれど、必死になって隠していたことも、今となっては思春期ならではの笑えるいい思い出となっています。 ※すべて個人の感想です。デリケートゾーンのトラブルにもなりますので、市販の生理用品を使用しましょう。 著者/匿名作画/ふるみ監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター ふるみ
2024年03月27日私は現在2児の姉妹のママですが、もうすぐ4歳になる長女について、親として気がかりなことがありました。それは「長女が我慢をしてしまう性格」というところです。適度な自制心ももちろん必要だとは思うのですが、周りのお友だちと比べると「ちょっと我慢しすぎているのでは?」と心配になったことも事実。そんな長女に対して、親としてどう働きかけたのかお話しします。 保育園へ入園したころに感じ始めた疑問長女は4月生まれということもあってか、周りの同年代のお友だちと比べて少々大人びているところがありました。長女の性格に対して疑問を感じ始めたのが、入園させた2歳8カ月ごろのことです。 長女は途中入所という扱いになりましたが、そのころは進級間近ということもあって、月齢としては2歳半くらいの子どもたちが多くいました。いわゆる「イヤイヤ期」にあたるころかと思うのですが、まわりのお友だちが自己主張しているところを何度も目撃し、「そういえばうちの子はあまり自己主張しないな……」と感じていました。 決定打となった出来事決定的に「長女はもしかすると我慢しすぎているのでは?」と感じたのが、長女がちょうど3歳ごろの出来事です。ショッピングモールの遊び場に長女を連れていくと、1~5歳ごろまでの幅広い年齢の子どもたちが自由に遊んでいました。 長女が「遊びたい」というので遊ばせてみると、長女が遊んでいたおもちゃがほかのお友だちに取られてしまうのです。それなのにまるで何事もなかったかのように、ほかのおもちゃで遊び続ける長女を見たときに「このままでよいのかな?」と親としてやや疑問が残りました。 保育園に相談後、自身も振り返るまずは保育園の先生に、前述のような出来事があった旨と、園ではどのように過ごしているのか聞いてみることに。先生の回答は「たしかに●●ちゃんはおもちゃへの執着心がないからか、おもちゃを取られても怒りません」といった答えでした。そして「今後は私たちも気を付けて配慮します」という気づかいもいただきました。 そして、長女が我慢する性格なのは、もしかして私の育て方にあるのかなとも感じたので、自分の育児の見直しや声かけも変えてみることにしたのです。 子どもの自己決定を尊重する具体的には、長女が「こうしたい」といったことは、少々親としての都合が悪いなと思うことでも、まずは「わかった」と受け止めるようにしました。今までの私は「~しなさい」「早くして」と命令形の声かけが多いように感じ、そういった背景も長女の我慢しすぎる性格につながる要因となったのかな?と思ったからです。 また、お友だちになかなか自分の気持ちが伝えられず、長女がもどかしそうな思いをしているのを目撃したときも、親としてあえて「こうしてみればいいじゃない」という安易なアドバイスはしませんでした。なぜかというと、あくまで「気持ちは伝えずに我慢する」という決断をしたのは、長女自身だからです。 どこまで親が関わるべきか悩ましいですが、私は陰のサポート役に徹することに! 長女の言動を「間違っているな」と思うことも正直ありますが、まずは「よく言えたね」と声かけするように努めています。そして現在の長女は「こうされて嫌だった」と自己主張ができるようになりました。今後も子どもの「自己決定」を尊重したいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて通園している幼稚園・保育園や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/おもち 著者:黒井夢乃二女の母。歯科衛生士資格あり。二女出産前まで歯科医院にて勤務。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2024年03月16日■これまでのあらすじ結婚して以来子どもを望んでいた美咲だが、夫の拓也はその生い立ちから親になる勇気が出ず、非協力的になってしまっていた。思い悩む美咲を必死すぎて嫌とまで思っていた拓也だったが、先輩のアドバイスから美咲と話し合いを重ねてついに妊活をスタート。しかし1年後、待望の妊娠がわかるが、流産してしまう。数年後、美咲は赤ちゃんと生活するが、拓也が子育てに参加しないことに寂しさを募らせていた。そんなある日、拓也の態度にしびれを切らした美咲は「私たちに関心を持って」と訴える。しかし拓也に今は一緒にいたくないと言われ、美咲は拓也の心配が的中したと言う。「拓也は親になれなかった」のだと…。■親になれなかったのは夫だけ?■そんなこと言える立場?「拓也は親になれなかった」と口にした美咲に、拓也は「俺だけが親になれなかったのか?」と問いかけます。すると、育児を全部自分に押し付けて、帰宅しても何もしない、それに加え飲み歩くようになって、自分と花ちゃんと触れ合うことを避けているクセに…。「なんで被害者面してるの?」ハッキリと言い返す美咲に、拓也は「親になれないのはふたりの問題だ」と言うのですが、それはいったいどんな意味なのでしょうか?次回に続く「僕たちは親になりたい」(全64話)は12時更新!
2024年02月02日「毒親」という言葉が世間一般に知られるようになってきましたが、私の父も祖父母も毒親でした。子どものときは本当につらい思いをし、その毒親ぶりは今でも夢に出てきて夜中に飛び起きてしまうほどです。しかし、捉え方を変えれば彼らは立派な反面教師。今回は毒親育児を反面教師にしている私の経験をお伝えします。祖父母からの言葉がけを反面教師に私は物心ついたときには祖父母に育てられており、実の両親の顔を知りませんでした。今でも、なぜ両親がいなかったのかはわかりませんし、知りたくもありません。それでもやさしい祖父母に育てられて、めでたしめでたしといきたいところでしたが、決してそういうわけにはいかなかったのです。 祖父母はとても恩着せがましく、口癖のように「お前は本当は施設行きだったのに」と言ってきたのです。これは今思い出してもつらい言葉です。そのため、私はわが子には毎日のように「生まれてきてくれてありがとう」と伝えるように心がけています。 お風呂は週1、おかずはスーパーの総菜のみ祖父母は戦争時代を生きた人だったためか、今の人と感覚がズレているところがありました。その最たる例がお風呂に毎日入らないことです。どんなに汗をかいても週1回しかお風呂に入れてくれませんでした。 また、祖父母は2人ともごはんを作ることができないからと毎日スーパーの総菜を与えられました。そのため、私にとってのおふくろの味はスーパーの総菜なのです。 これらの経験から、私はどんなに疲れていてもわが子を毎日丁寧に入浴させ、手作りの料理をおなかいっぱい食べさせるように努めています。 父が帰ってきてからは恐怖政治が始まるそれでも、小学生のときにフラッと父が帰ってきてお風呂などの衛生面は改善されました。ところが、この父親もとんでもない人でした。思い通りにならなければ乱暴な言葉で怒鳴って言うことを聞かせようとするのです。その怒り方は本当に常軌を逸していて、とても恐ろしいものでした。 父はたまに家に立ち寄る程度の存在だったのに、怒鳴り散らすためだけに現れることもあって、父がいると気が休まりませんでした。私はこの父の恐怖政治を反面教師に、むやみに大声を出さず、諭すように叱ることを心がけています。 私自身は毒親にはなるまいと努めてきたためか、わが子はのびのびと育っています。昔のつらい思い出を振り切れる日はなかなかこないと思いますが、子育ての反面教師として毒親との思い出を利用すれば、親としての道を踏みはずすことはないだろうとプラスに考えるようにしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて専門家や専門機関に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku著者:鏡 環2歳の息子の母。現在第二子妊娠中。元高校教員。うつ病と闘いながら夫と二人三脚で育児に励む。
2023年11月27日木南晴夏が主演を務める「セクシー田中さん」の5話が11月19日に放送。田中さんの両親の登場に、「親のかがみだわ」や「こんな親に私もなりたい」などの声が上がっている。人気漫画家・芦原妃名子の同名漫画が原作の本作は、正反対なタイプの女性たちが出会いポジティブな化学反応を起こしていく物語。ベリーダンサーとしての生きがいを見つけた主人公・田中さんを木南晴夏、田中さんの同僚で彼女を全力で推す倉橋朱里を生見愛瑠、女性に対する偏見が強かったものの少しずつ変わっているサラリーマン・笙野浩介を毎熊克哉、笙野の同僚で朱里を好きな小西を前田公輝、田中さんの憧れの人でサバランの店主・三好を安田顕、ベリーダンススクールの講師・Miki先生を高橋メアリージュンが演じている。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。思いがけず、田中さん(木南晴夏)の恋心を踏みにじるような発言をしてしまった笙野(毎熊克哉)に対し、怒り狂う朱里(生見愛瑠)は怒涛の勢いで怒りのメッセージを送りつける。一方、小西(前田公輝)は、田中さんから返事が来ず落ち込む笙野に、正論をぶつける。そして笙野は、自分が何に対してモヤモヤしているのかわからないまま、三好(安田顕)の店「Sabalan」へ向かうのだった。数日後。小西に誘われて「Sabalan」に向かった朱里は店の前で田中さんに遭遇し、3人で店へ。するとそこには、三好からダラブッカを教えてもらう笙野の姿が。田中さんが好きになったモノをもっと知りたいと照れながら打ち明ける笙野。頑固で固定観念に囚われた笙野の価値観すら変えてしまった田中さんと、自分は何が違うのか。落ち込みそうになった朱里は、ベリーダンスに集中しようとする。そんな中、三好に頼まれて故郷の松戸でショーに出演することになった田中さんは、勢いで「見に行く」と宣言した笙野、そして朱里と小西と共に松戸に遠征することになり――というのが5話の展開。推しの田中さんが青春時代を過ごした聖地に降り立った朱里は、大興奮。ひたすら写真を撮り、妄想を楽しむ。しかし3人が会場に着くと、そこにはひとり落ち込んでいる田中さんの姿が。実は四十肩のせいで本調子ではないため、不安になっていた。三好パワーも効かない田中さんを前に、オロオロする朱里だが、そこに田中さんの両親が。不安でいっぱいの田中さんを「失敗したって良いじゃないか。僕たちはね、上手に踊る京子を見にきたんじゃないんだよ」「そうよ、頑張って一生懸命練習して、逃げ出したいのに逃げ出さずにここにいる今日の京子を見にきたの」と言って励まし、ステージへと送り出すのだった。そんな田中さんの両親にSNSでは「セクシー田中さんのご両親の言葉に泣ける!最高だ。こんな親に私もなりたい」や「田中さんちのご両親素晴らしすぎない?親のかがみだわ、、、」、「田中さん親から愛されてて涙出る、良かったねぇ」などの声が上がっている。その後、3人は田中さんの両親にお呼ばれし、お父さんお手製のちらし寿司をご馳走になることに。さらにそのままお泊まりまでさせてもらうことになり、朱里は布団敷きを、笙野と田中さんはお皿洗いを手伝う。そんな田中さんの好きなものを知ろうとし、かつては自分の実家で座ったままだった笙野のどんどん変わっていく姿に「どんどん変わっていく笙野さん微笑ましくなってきた」や「笙野が癒され枠になってしまった」の声が。また親との嫌な記憶に落ち込む朱里とそんな彼女に寄り添う小西のキス寸前の場面に遭遇し、憧れだった友達との恋バナもした田中さんは眠れなくなってしまう。そんな田中さんの姿に「自分の恋バナじゃないのに眠れないトコ、可愛い」や「恋バナでテンション爆上げの田中さん可愛すぎるw」などの声が上がっている。【第6話あらすじ】田中さんの憧れのベリーダンサー・愛子先生(未唯mie)のショーが、「Sabalan」で行われることに。田中さんと一緒に店を手伝うことになった朱里と笙野は、想定を超える客の集まりぶりにてんやわんや。また、田中さんは愛子先生が自分を覚えてくれていなかったことに、少し落ち込んでいた。しかし、舞台に立った途端に場の空気を変えてしまう愛子先生のダンスに、一瞬で魅了される。そして休憩中、ハーブウォーターを差し入れてくれた田中さんがSaliだと気付いた愛子先生は、一緒に踊りたい!と田中さんをステージへいきなり引っ張り出す。いつもの舞台とは違って、私服ですっぴんの状態ながら「このままでは、一生愛子先生に追いつけない」と心を決めた田中さんは、愛子先生に導かれるままにステージ上で自分を解放する。しかし、愛子先生とダンスした時の動画がプチバズり、田中さんがベリーダンスをしていることが会社で広まってしまい――。「セクシー田中さん」は毎週日曜22時30分~日テレ系にて放送中。(シネマカフェ編集部)
2023年11月20日2人姉妹の母であるヨツバさんは、毒親の実母に長いこと苦しめられてきました。そんなヨツバさんの、結婚から出産までの実体験です。「育児の面で私に頼るな」と言ってきたヨツバさんの母親ですが、毎日ヨツバさんと娘の面会に来ては、嫌味をつらつらと並べ立てます。「母親としての自覚がなくなる」とまで言われたヨツバさんは、さすがに眉をひそめるのでした。退院後、祖父のもとに身を寄せたヨツバさんと娘のところにも、時折顔を出す母親。恩着せがましく、近所の人から貰ったというボロボロの子ども服を差し出してきたのです。 ヨツバさんが着るにはボロボロすぎることを指摘すると、母親は「赤ん坊は着せ替え人形じゃない」「何着ても文句言うわけじゃないんだから」と怒り出すのでした。 そして、ヨツバさんと娘が自宅に帰ってからも、母親からの干渉は続き――? 約束の日に娘が発熱 祖父の家から自宅に戻ったヨツバさんと娘。ヨツバさんの母親はそれなりに孫をかわいく感じていたのか、「1カ月に1回は顔を見せに来なさい」とヨツバさんに言います。 しかし、ヨツバさんが娘を連れて母親に会いに行く予定の日、ヨツバさんの娘は熱を出してしまいました。娘の発熱により行けないことをヨツバさんが伝えると、母親は「どうせ私に孫を見せたくないから嘘ついてるんでしょ!」と被害妄想で怒り出してしまいます。 それから2カ月間、母親からヨツバさんに連絡はありませんでした。そして、ヨツバさんも「無理して会う必要はない」とふっきれ、母親との連絡を絶つことに。 ヨツバさんの父親によると、母親は孫に会いたそうにしているもののの、態度は相変わらずのよう。ようやく母親の呪縛から解き放たれたヨツバさん。今は幸せな毎日を過ごしています。 自分の思い通りにならないとヒステリックに怒り出す、ヨツバさんの母親。いわゆる毒親に育てられた経験がある人のなかには、毒親を異常に怖がって自分の感情や意見を無理に抑え込んだり、「自分の子どもに対して同じように接してしまうのではないか」と不安になったりする人もいるようです。 ヨツバさんも妊娠中は母親に対して萎縮していましたが、娘が産まれたことをきっかけに考え方が大きく変化。自分の気持ちを無視して、嫌味ばかりの母親に会う必要はないと思えるようになったのです。 もしも毒親に苦しめられているのなら、ヨツバさんのように物理的な距離を取れるといいのかもしれませんね。このままヨツバさんが幸せな日々を送れることを願ってやみません。 また、自分が毒親になっているのではないかと心配だったり、毒親に苦しめられている子どもに気付いたりした場合は、児童相談所に相談しましょう。 ▼児童相談所全国共通ダイヤル育児や子育てに悩んだときなどの相談窓口です。全国共通ダイヤル「189」に電話をかけると、発信した電話の市内局番等から当該地域を特定し、管轄する児童相談所に電話が転送されます。子どもが虐待されているかもと思ったとき、自分の子育てがつらくて子どもにあたってしまうときなどに、専門家に相談することができます。電話番号:189(いちはやく) 著者:マンガ家・イラストレーター モグ
2023年10月21日■前回のあらすじ普段父の家に行くときは靴下を汚したくないためスリッパを持参していたのですが、今回は急な訪問のためスリッパはありません。家に上がるのを躊躇していると父は「靴のまま上がったらいい」と言うのでした。すべて見られてしまったもしかして、サト君は引いてない!? 希望の目でサト君を見上げるちえ子。しかしこのサト君の優しが思わぬ事態を引き起こすことに…!次回に続く 「こんな親の娘ですが結婚してくれますか?」(全40話)は21時更新!
2023年10月07日思い込みと感情の起伏が激しい母親と、家族に関心がない父親のもとで育ったユズさん。大人になって初めて、自分の親が「毒親」なのだと気付きました。そんなユズさんが体験した、幼少期から絶縁するまでの物語です。ユズさんが幼いころから、怒りに任せ叩いたり怒鳴ったりしていたユズさんの母親。ユズさんを下着姿のまま寒い冬に家から追い出し、保育園で作った作品はゴミ扱い。便秘や膀胱炎になると、恥ずかしがるユズさんを無視して周囲に笑い話として広めます。親子遠足の動物園では、ユズさんを連れて飲食店で時間をつぶし、一緒に見てまわることすらありませんでした。ある日、ユズさんが目を覚ますと、そこに母親の姿はありません。おなかがすいて食べる物を探しますが、幼いユズさんがすぐに食べられるものはなにもなく……。母親とのつらい思い出の数々 母親が不在のまま、仕事を終えた父親が帰宅。ユズさんは昼2時を過ぎてようやく食事にありつけました。 別の思い出では、母親とおもちゃ売り場へ行けば何を選んでもダメと言われ、じゃあ買わないと言えば時間の無駄だったと余計に怒られます。 小学校にあがるタイミングで引越すことになったユズさんは、友だちと離ればなれに。新しい友だちをつくろうにも、人見知りなうえに母親から放課後の外出はダメだと言われます。状況を知っているはずの父親も知らんぷり。 そんな家庭環境の中で絵を描くことが好きになったユズさんは、珍しく母親から絵をほめられ、漫画家を目指すようになりました。しかしそれを知った母親は大激怒。 自分が褒めたことも忘れ、ユズさんの進路も将来も決まっていると言います。さらに、ユズさんが反抗的でかわいくないとも……。 ユズさんは自分の考えが母親と違うことがダメなのだと思い込み、その後は母親の希望通りの将来図を人に話すように。すると母親は、満足そうにするのでした。 ユズさんの話もろくに聞かず、頭ごなしに怒るだけの母親。自分の好きなことや話すことを否定されるのは、大人でもいい気持ちはしませんよね。 すぐ近くにいる父親が見て見ぬふりなのも、ユズさんは裏切られた気持ちになったでしょう。 両親にとっては「子どもの言うこと」と軽い考えなのかもしれませんが、ユズさんにとってはたった2人の両親。 味方であるべき存在の両親が、しっかりと子どもの気持ちを尊重してあげてほしいものです。著者:マンガ家・イラストレーター 北瀬ユズ
2023年10月07日皆さんは若かったあの頃、どうしても親を許せないと感じたことはありますか?今回は、10代の頃に「実の親でも許せない!」と感じたというエピソードを紹介します。イラスト:しのささむつ大学受験のとき…大学受験のときの話です。私はほぼ無名の地方公立高校から旧帝大を目指していました。私が夜遅く出歩くのを親がいい顔しなかったので塾にも行かず、高校1年生の時から毎日10時間以上勉強して、なんとか現役で第一志望に入ることができました。親に合格を知らせたら、「合格させてやった感謝がない」と叱られました。叱られた理由出典:愛カツ親が言うには、私が合格できたのは毎日勉強できる環境を整えた親のおかげ(家の手伝いをさせなかった・バランスいい食事を出してやった・勉強にうちこめる経済状況である)であって、同じ環境なら誰でも合格できるそうです。だから本来なら「合格させてくださってありがとうございます」と言うべきなのに、その言葉が真っ先にないのは性格がおかしいと言われました。ちなみに親は私の合格をすぐ吹聴し、近所で「子供を優秀大学に入れた親」としてチヤホヤされていました。(33歳/女性/研究職)親の協力も重要だけど…もちろん志望校に合格するためには、親の協力も重要かもしれません。でも自分の両親には最初に「合格おめでとう」と言ってほしいものですね…。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。(愛カツ編集部)
2023年09月17日皆さんは、親を優先する男性と出会った経験はありますか?今回は、マッチングアプリで出会った男性と交際したときのエピソードを漫画で紹介します。イラスト:ツィナマッチングアプリで出会った彼彼の両親に挨拶結婚が白紙に!?親の意見を優先した彼結婚の話がどんどん進んでいたにも関わらず、親の意見を優先した男性。価値観は人それぞれなので仕方ないですが、どんなことも一緒に乗り越えられるような男性と出会えるといいですね。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。(愛カツ編集部)
2023年08月27日シングルマザーとして奮闘する私は、ひとり親であることを理由に甘くみられたくないという意地がありました。そしていつの日か、2歳半の娘にも自分の理想を押し付けるように。日ごろから娘は順調に育っていると思っていたのですが……。 「もっと女の子らしく育ってほしい」母の願い おてんばでお調子者、好奇心旺盛な娘は、保育園でも「活発でおもしろい子」と言われています。虫を嫌がることもなく、手に乗せたり触ったりすることにも抵抗なし。高いところもへっちゃらで、周りの子がちゅうちょする遊具も大得意な様子。明るく元気に、真っ直ぐ育ってほしいと名付けた名前の通りに成長。しかし、私の中には、「もっと女の子らしい子に育ってほしい」と理想が生まれていました。ある日、娘と買い物に出かけた私。娘はおもちゃやシールを持って「ママ買って〜!」と駄々をこねています。「ひとつならいいよ」という私に「全部がいい!」と座り込んでぐずりだす娘。娘のわがままな姿を見て、私は次第に恥ずかしくなっていきました。そのとき、50代くらいの女性が「かわいいね〜」と笑顔で私たちに話しかけてくれたのです。娘に笑顔で「どうしたの?」と問いかけますが、娘は泣いているだけ。私が「ごあいさつは? きちんとしないと恥ずかしいよ!」と言うと、女性は「こんなかわいい子にワガママを言ってもらえるなんて、ママの特権ね」と。さらに「私は子どもがいないから経験がないけど、ママは大変よね。でも、生まれてきてくれただけで幸せよ」と笑顔で話しかけてくれました。 落ち着きがあって、お行儀の良い子になってほしいと理想ばかりを追い求めていた私。ありのままの娘を受け入れていたとは言えません。あの女性が言ってくれたように、娘がいたから私はママになれたのだと気づきました。妊娠中は「この子が無事に生まれてきますように」、生まれてきた瞬間は「元気に大きくなりますように」とだけ願っていたのです。理想像を押しつけず、娘のありのままの姿を受け入れていこうと、反省しました。まずは、娘が何を考えてどうしたいのかを理解し、その感情や行動を受け入れようと思った出来事でした。 作画/CHIHIRO著者:渡辺莉子
2023年06月19日私たち家族が住む住宅地は、同じくらいの年齢の子どもがいるご家庭ばかり。気の合う親子とよく遊ぶことが日常でしたが、トラブルを避けるために必ず親が付き添うという暗黙のルールがありました。ある日、遊びに混ざってきた近所の子どもたち。親の姿はなく、挙句の果てに乱暴なことをしてきて……。子育て付き合いでのご近所トラブルに関するエピソードです。 近所の子育て付き合い私が住んでいる場所は新興住宅地で、15世帯ほど入居しています。周りは同じくらいの年齢の子どもを持つ家族がほとんど。一般の人が多く通る道からは中に入っているので、敷地内には郵便や宅配便などの用事のある車以外が入ってくることはほぼありません。 平日の夕方や週末の日中によく一緒に遊ぶのが主に3~4家族で、一番年上の子が小学校2年生、下の子は2歳くらい。まだ小さい子がいるため親が子どもから目を離すことはなく、いつも全員の親が子どもたちを見守りながら親同士は話している、というのが日常でした。 よその子どもたちが混ざってきて……ある日、私たち複数の親子が遊んでいると、同じ新興住宅地で見たことのある子どもたちが混ざってきました。その子たちは幼稚園に通う兄弟で、10分ほど経っても親の姿は見えません。一緒に遊んでいるときに他の子をケガさせてしまうなどトラブルになることを恐れて、親に付き添ってほしいと考えました。そこでその兄弟に「お母さんかお父さんは?」と尋ねましたが、私の言葉を無視して遊び続けていました。 ただ遊ぶだけならまだしも、その兄弟はルールを守らず……。私たちのグループの子どもが遊んでいるものを取ったり、順番を奪ってしまったり。小さな子は、兄弟にものを取られて泣いてしまいました。 トラブル回避のために伝えると……子どもたちが遊んでいるものを取られたり体を押されたりと乱暴だったため、見ている私たちも我慢できず……。「大人が見ていないと危ないこともあるからお母さんかお父さんを呼んできてくれるかな? お母さんやお父さんが見ていないなら一緒には遊べないよ」とその兄弟に伝えると、理解し家に帰ったようで戻ってくることはありませんでした。 それから日が経ったころ、同じ兄弟がまた私たちのグループのところにやってきたのです。しかし今度はお母さんが付き添っていました。兄弟がお母さんに話してくれたのかどうか定かではありませんが、トラブルを少しでも避けるためによい方向に向かって安心しました。 子ども同士が遊ぼうとしているのに、大人が制限をかけてしまうのは子どもに申し訳ないと思いました。しかし、ケガなどのトラブルを避けるためには、親が見守るというのがこの住宅地での暗黙のルールです。とはいえ、もしかすると、ルールと思っているのは、実は内輪だけなのかもしれません。いずれにせよ、未就学児が親の付き添いなしで遊ぶのは危険なので、もしまた同じようなことがあれば子どもを通さず大人同士できちんと伝えようと考えています。 著者:樋山ゆり菜/女性・パート。6歳男児、4歳女児の母。夫は不規則な勤務体制のためワンオペ育児多め。食べることが大好きで、地元・栃木県の食をメインとしたブログを運営しながら、飲食店にて接客のパートをしている。作画:まっふ ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
2023年05月21日ソーシャルワーカー(社会福祉士)の美海さんは、保育士である夫と結婚。お互いに仕事や家事を協力しながら、忙しくも充実した日々を過ごしていました。しかし、美海さんが妊娠したことをきっかけに2人の日常は一変してしまいます!6年前長男を出産した美海さんは、慣れない産後の育児に疲れ切っていました。夜通し息子のお世話をして心身ともに限界を迎えた美海さんは、泣きながら夫に「仕事を休んで、ちょっとの間でいいから寝させてほしい」と頼みます。しかし夫には美海さんの気持ちは届かず「俺の仕事軽く見てるんじゃない?」と突き放されてしまうのでした……。夫とのわだかまりを抱えつつも、美海さんは子育てを頑張り、息子も6カ月になりました。そんなとき、義母から電話がかかってきて……。ちょっとしたイライラが募っていく日々。いい母親ってなに? 仕事復帰をするつもりの美海さんは、義母にもそう伝えますが「小さいのにかわいそう」と言われてしまいます。さらに、専業主婦の義妹のSNSを見て「いい母親ってなんだろう」と思い悩むのでした。 また、夫になにかあったときのことや息子の将来のことを考える美海さん。いざというときに備え、収入を蓄えておくためにも、息子を保育園に入れて仕事復帰することが美海さんの目標となりました。 そして、自分の生活はそのままでいつまでも育児は「お手伝い」というポジションの夫との関係も、このままで本当にいいのかと考え直し始めます。 自分が頑張っていることを他人の価値観で「かわいそう」と言われるのは、誰でもモヤッとしてしまいますよね。子育てに関しても、これが正解というものはないと思います。だからこそ、人それぞれの子育ての価値観があっていいのではないでしょうか。 早いうちから保育園に預けることに関してもいろいろ言う人もいるのは事実です。しかし、保育園に預けたからといって子どもへの愛情が減るわけではありません。それぞれに家庭の事情があって、その分たくさんの選択肢があるのだと思います。 周りからの意見を全く気にしないというのは難しいことだと思いますが、いろいろな意見も耳にしながら、最終的に自分の納得できる選択肢を選んでいけるといいですね。美海さんにも夫や義母の考え方に左右されず、自分が後悔しない道を選んでいってほしいです。原作:耳たぶ吸ってたも~れ著者:マンガ家・イラストレーター ゆむいイラストレーター・ブロガー。育児や日々の出来事を中心とした4コマ漫画で3学年差兄弟の成長を記録しているブログ「ゆむいhPa」を運営。著書に『夫の扶養からぬけだしたい』『ママはパパがこわいの?』(ともにKADOKAWA)など。中学校の同級生だった耳たぶ吸ってたも〜れ氏とTwitterを通じて再会。意気投合し、「親になったの私だけ!?」を共作するに至る。
2023年03月19日美海さんはソーシャルワーカーとして毎日忙しく働きながら、二人の子どもを育てています。忙しい業務、急な残業にも対応しないといけない日々ですが、夫の協力のもと充実した日々を過ごしていました。しかし、最初からそうではなかったようです。6年前長男を出産した美海さん。友人と会う約束をしたので、息子を夫に任せて楽しみに出かけました。しかし夫からの電話で友人と会う約束は叶いませんでした。落ち込む美海さんをよそに夫は次の日サッカーへ出かけていくのでした……。同じ親なのになぜ夫だけ好きなことをできるのか、不満が募っていく美海さんでした。泣き止まない息子。夫に助けを求めるも…… 息子が泣き止まず、夜通し寝ずに世話をしていた美海さん。あまりのしんどさに夫に助けを求めます。 しかし夫は「おれは仕事も家事も育児も頑張ってるよね」といいます。さらに 「眠いってだけで仕事休めなんて、俺の仕事軽く見てない?」 夫は救いの手を差し伸べるどころか美海さんを突き放してしまいます。 友人とのお出かけにも行けず、息子の面倒を見続けて十分な睡眠もとれていない美海さん。つらい気持ちを抱えきれず夫に助けを求めたのに……。「やっぱり助けてはくれない」と肩を落とす美海さんでした。 涙ながらにSOSをだした美海さんでしたが、夫は分かってくれませんでした。美海さんの目に見えない育児のおかげで、夫は仕事や自分の時間を持てているということに気づいてほしいですね。 夫が美海さんの見えない育児に気づき、思いやりを持った声がけができるようになり美海さんの心身の負担が軽減されることを願うばかりです。原作:耳たぶ吸ってたも~れ著者:マンガ家・イラストレーター ゆむいイラストレーター・ブロガー。育児や日々の出来事を中心とした4コマ漫画で3学年差兄弟の成長を記録しているブログ「ゆむいhPa」を運営。著書に『夫の扶養からぬけだしたい』『ママはパパがこわいの?』(ともにKADOKAWA)など。中学校の同級生だった耳たぶ吸ってたも〜れ氏とTwitterを通じて再会。意気投合し、「親になったの私だけ!?」を共作するに至る。
2023年03月18日美海さんはソーシャルワーカーとして毎日忙しく働きながら、二人の子どもを育てています。忙しい業務、急な残業にも対応しないといけない日々ですが、夫の協力のもと充実した日々を過ごしています。しかし、最初からそうではなかったようです。6年前長男を出産した美海さん。産後の育児に限界を感じ、怒りながらも夫に育児の協力を求めます。息子が4カ月になるころには夫も育児に慣れ、少し心に余裕ができた美海さんでした。美海さんは、友人からの誘いで出かけることになりました。産後子どもと離れたのは初めてだった美海さんは、ウキウキしながら友人のもとへ向かいます。息子を夫に任せて外出!しかし…… 楽しみにしていた友人との約束でしたが、家を出て30分も経たないうちに夫から電話がかかってきました。仕方がないので、友人との約束を断り、家に戻って授乳します。夫の「ママが一番だね~」という発言になんとも言えない気持ちになるのでした。 自分は育児でどこにも出かけられないのに、次の日サッカーに出かける夫を見て、「なぜ同じ親なのに、私だけ生活が違うの?」と美海さんは力なく座り込んでしまいます。 息子が育児用ミルクを飲まないという理由だから仕方ないのかもしれないですが、外出を楽しみにしていた分、落ち込んでしまいますよね。 さらに追い打ちをかけるかのように夫の外出……。「なんで自分だけ?」と思ってしまっても仕方ないでしょう。育児にも協力的になった夫ですが、美海さんの気持ちには気づけてないようです。 どうすれば、夫が美海さんの気持ちに気づき、夫婦でバランスよく育児ができると思いますか?原作:耳たぶ吸ってたも~れ著者:マンガ家・イラストレーター ゆむいイラストレーター・ブロガー。育児や日々の出来事を中心とした4コマ漫画で3学年差兄弟の成長を記録しているブログ「ゆむいhPa」を運営。著書に『夫の扶養からぬけだしたい』『ママはパパがこわいの?』(ともにKADOKAWA)など。中学校の同級生だった耳たぶ吸ってたも〜れ氏とTwitterを通じて再会。意気投合し、「親になったの私だけ!?」を共作するに至る。
2023年03月17日ソーシャルワーカー(社会福祉士)の美海さんは、保育士である夫と結婚。お互いに仕事や家事を協力しながら、忙しくも充実した日々を過ごしていました。しかし、美海さんが妊娠したことをきっかけに2人の日常は一変してしまいます!さまざまなトラブルに見舞われながらも、無事に出産を終えた美海さん。ところが、産後も相変わらずの夫の人任せな態度に困っていました。そこで美海さんは産後ヘルパーの利用を依頼。しかし、無情にも一カ月で産後ヘルパーの契約期間は終了。再び、息子と二人きりの生活が始まるのでした……。誰とも会話せず、同じことを繰り返す毎日で、美海さんは心も疲労していました。誰かに代わってほしくて、夫の帰りを待ちます。もう我慢しない!帰宅した夫に伝えたいこととは…… ついに「怖いとか言ってないでお前もやれや!!」と夫に伝えた美海さん。仕事から帰ってきたばかりの夫は「キツイな~~」と思いながらも、反論はせず美海さんに指導されながら育児をスタートさせるのでした。 美海さんは限界ギリギリのところで、夫に育児をたたき込み、息子は生後4カ月経になりました。息子も元気に育ち、夫も育児になれてきた様子。そこに美海さんより少し早く子どもを産んだ友人から「うちに遊びに来ない?」とメッセージが届きました。美海さんは、息子を夫に見てもらって3時間だけ友人のもとへ出かけることにしたのでした。 産前からすれ違ってきた夫婦ですが、やっと二人で育児のスタートラインに立てたようです。本当に良かったですね! 最初は「怖い」と言っていた夫でしたが、保育士として働いているので、慣れれば強力な味方になってくれることでしょう。 美海さんのように、ときには、感情に任せて気持ちをはっきりと伝えてみることもいいかもしれませんね。原作:耳たぶ吸ってたも~れ著者:マンガ家・イラストレーター ゆむいイラストレーター・ブロガー。育児や日々の出来事を中心とした4コマ漫画で3学年差兄弟の成長を記録しているブログ「ゆむいhPa」を運営。著書に『夫の扶養からぬけだしたい』『ママはパパがこわいの?』(ともにKADOKAWA)など。中学校の同級生だった耳たぶ吸ってたも〜れ氏とTwitterを通じて再会。意気投合し、「親になったの私だけ!?」を共作するに至る。
2023年03月16日ソーシャルワーカー(社会福祉士)の美海さんは、保育士である夫と結婚。お互いに仕事や家事を協力しながら、忙しくも充実した日々を過ごしていました。しかし、美海さんが妊娠したことをきっかけに2人の日常は一変してしまいます!さまざまなトラブルに見舞われながらも、無事に出産を終えた美海さん。しかし、産後も相変わらずの夫の人任せな態度に困っていました。そこで美海さんは産後ヘルパーに家事をお願いするのですが、心はまったく休まらず……。産後休む時間も十分になく、毎日のお世話に一生懸命だった美海さん。気持ちに余裕がなく、どんどん自分を責めていくのでした。母親だから、育児がつらいって思っちゃダメ……? 気持ちに余裕がなくなっていた美海さんですが、育児に協力してくれない夫には頼ることができない日々。そこで、勇気を振り絞って産後ヘルパーに息子を抱っこしてもらうことをお願いした途端、泣き崩れてしまいました。 しかし無情にも、産後ヘルパーの契約期間終了の日がやってきます。再びひとりで息子につきっきりの生活に逆戻り……。毎日同じことの繰り返しで、誰とも会話しない生活に「一日が絶望的に長い」と感じる美海さんでした。 産後は子どもとずっと1対1で過ごす人も多く、気を張りっぱなしで体も心も疲れてしまうこともありますよね。気軽に外に出ることもできないため、誰とも会わず、話さずの生活が続き、美海さんにとって社会から断絶された思いだったことでしょう。そんな中で、産後ヘルパーの存在は大きな支えだったのかもしれません。 産後ヘルパーの前で涙を見せた美海さん。夫は美海さんの変化に気づいているのでしょうか? 夫には「新生児のお世話は怖い」と逃げずに、目の前の自分の子どもと向き合うべきです。逃げていても何も始まりません。夫ができる小さなことからでいいので育児をしてほしいですね。原作:耳たぶ吸ってたも~れ著者:マンガ家・イラストレーター ゆむいイラストレーター・ブロガー。育児や日々の出来事を中心とした4コマ漫画で3学年差兄弟の成長を記録しているブログ「ゆむいhPa」を運営。著書に『夫の扶養からぬけだしたい』『ママはパパがこわいの?』(ともにKADOKAWA)など。中学校の同級生だった耳たぶ吸ってたも〜れ氏とTwitterを通じて再会。意気投合し、「親になったの私だけ!?」を共作するに至る。
2023年03月15日ソーシャルワーカー(社会福祉士)の美海さんは、保育士である夫と結婚。お互いに仕事や家事を協力しながら、忙しくも充実した日々を過ごしていました。しかし、美海さんが妊娠したことをきっかけに2人の日常は一変してしまいます!さまざまなトラブルに見舞われながらも、無事に出産を終えた美海さん。しかし、産後も相変わらずの夫の人任せな態度に困っていました。少しでも休みたいからと息子のお世話を夫に頼みますが、「自信がない」の一点張りで結局すべて美海さんがしなければいかないはめに……。産後しんどい思いをしながら慣れない育児をする美海さん。そこで産後ヘルパーを頼むことにしました。頼りにならない夫。私が全部完璧にしなきゃ…… 産後ヘルパーにきてもらい、家事の負担を少しでも減らそうとする美海さん。それでも慣れないお世話に体も心も疲労困憊の美海さんは、お世話をするのに一生懸命で息子のことを可愛がる余裕もありません。 育児に参加してくれない夫には期待せず、美海さんはひとりでお世話を続けますが、そんな生活を続けていく中で、ある考えが美海さんの頭の中に浮かびます。それは「私がミスしたら、この子は死ぬ!!」という切実な思いでした。 美海さんは夫に頼れないこともあり「自分がしっかりしないと!」と、産後の生活の中でどんどん追い詰められてしまいます……。 あまりのつらさから、自分を責め始めた美海さん……。しかし、赤ちゃんのために毎日一所懸命お世話をしている美海さんは、すでにいい母親ではないでしょうか。 追い詰められていく美海さんに気づいて支えてあげられるのは、家族である夫の役目。夫には美海さんのSOSを見て見ぬふりせず、しっかり手を差し伸べてあげられるようになってほしいです。原作:耳たぶ吸ってたも~れ著者:マンガ家・イラストレーター ゆむいイラストレーター・ブロガー。育児や日々の出来事を中心とした4コマ漫画で3学年差兄弟の成長を記録しているブログ「ゆむいhPa」を運営。著書に『夫の扶養からぬけだしたい』『ママはパパがこわいの?』(ともにKADOKAWA)など。中学校の同級生だった耳たぶ吸ってたも〜れ氏とTwitterを通じて再会。意気投合し、「親になったの私だけ!?」を共作するに至る。
2023年03月14日ソーシャルワーカー(社会福祉士)の美海さんは、保育士である夫と結婚。お互いに仕事や家事を協力しながら、忙しくも充実した日々を過ごしていました。しかし、美海さんが妊娠したことをきっかけに2人の日常は一変してしまいます!日に日につわりの症状が重くなっていく美海さん。そんな美海さんの状況を見ても、夫はどこか他人事でわれ関せずのスタンス……。そしてそんな夫の態度は出産準備の際にも表れており、美海さんが何を聞いても「任せる」「それは困る」など自分に都合のいい返事だけをしてほとんどを美海さん任せにしてしまいます。そして、美海さんは心にモヤモヤをつのらせながらもとうとう出産! 無事出産を終えて仕切り直して始まった3人での新生活でしたが、美海さんは産後もやはり夫へのモヤモヤが積もります。体のあちこちが痛む美海さん。初めての育児だけでもしんどいのに、美海さんには休みたくても休めない理由があります。私、もっと休まないと死ぬんじゃ……? 夫は保育士だからきっと育児には協力的と心のどこかで期待していた美海さん。しかし、夫は「少し休んだら?」と言いながらも、新生児はふにゃふにゃしているからお世話する自信がないと怖がり、結局すべてのお世話は美海さんがすることに。美海さんの夫に対する心のシャッターは、ひとつずつ閉まっていくのでした。産後の痛む体に無理を言わせて頑張る美海さんに、心の底から休んでほしいと思うお話でしたね。夫は新生児のお世話が怖くてできないと言いますが、それは美海さんも同じことです。 誰でも初めての育児は怖いもの。いくらできないと言われても、か弱い新生児のお世話は待ってはくれません。夫も勇気をもって育児に取り組んでほしいものですね。原作:耳たぶ吸ってたも~れ著者:マンガ家・イラストレーター ゆむいイラストレーター・ブロガー。育児や日々の出来事を中心とした4コマ漫画で3学年差兄弟の成長を記録しているブログ「ゆむいhPa」を運営。著書に『夫の扶養からぬけだしたい』『ママはパパがこわいの?』(ともにKADOKAWA)など。中学校の同級生だった耳たぶ吸ってたも〜れ氏とTwitterを通じて再会。意気投合し、「親になったの私だけ!?」を共作するに至る。
2023年03月13日ソーシャルワーカー(社会福祉士)の美海さんは、保育士である夫と結婚。お互いに仕事や家事を協力しながら、忙しくも充実した日々を過ごしていました。しかし、美海さんが妊娠したことをきっかけに2人の日常は一変してしまいます!日に日につわりの症状が重くなっていく美海さん。そんな美海さんの状況を見ても、夫はどこか他人事でわれ関せずのスタンス……。そしてそんな夫の態度は出産準備の際にも表れており、美海さんが何を聞いても「任せる」「それは困る」など自分に都合のいい返事だけをしてほとんどを美海さん任せにしてしまいます。そして、美海さんは心にモヤモヤをつのらせながらとうとう出産を迎えることになります。分娩台に上がって出産のために頑張る美海さんは、ついに積もっていたモヤモヤがあふれ出し夫に当たり散らしてしまいます! オロオロするだけの夫に怒りが爆発してしまい……? 夫に対して苛立ちのあまり暴言に次ぐ暴言を浴びせかけながら出産した美海さん。必死の出来事に、美海さんは出産直後夫に何を言ったのかすべて忘れてしまいました。妊娠中に美海さんが感じていたモヤモヤは消えてしまいましたが、退院後に待ち受けていた育児は、美海さんの想像を絶する過酷さなのでした。 初めての出産という出産する本人でさえも何をどうすればいいのかわからない状況で、ただその場で戸惑いオロオロとするだけの夫に、とんでもない暴言を浴びせてしまったという経験がある方も多いのではないでしょうか。改めて考えてみれば夫も自分もどちらも初めての出来事です。勝手がわかるはずがないですよね。 わかっているけれど、妊娠中からモヤモヤが溜まっていればなおさら怒鳴りつけたくもなります。出産はいつでもそのとききりですが、暴言を吐いてしまったらその後の夫婦関係に遺恨を残さないためにも、しっかりとフォローしておきたいですね。原作:耳たぶ吸ってたも~れ著者:マンガ家・イラストレーター ゆむいイラストレーター・ブロガー。育児や日々の出来事を中心とした4コマ漫画で3学年差兄弟の成長を記録しているブログ「ゆむいhPa」を運営。著書に『夫の扶養からぬけだしたい』『ママはパパがこわいの?』(ともにKADOKAWA)など。中学校の同級生だった耳たぶ吸ってたも〜れ氏とTwitterを通じて再会。意気投合し、「親になったの私だけ!?」を共作するに至る。
2023年03月12日ソーシャルワーカー(社会福祉士)の美海さんは、保育士である夫と結婚。お互いに仕事や家事を協力しながら、忙しくも充実した日々を過ごしていました。しかし、美海さんが妊娠したことをきっかけに2人の日常は一変してしまいます!以前結婚報告をした際に同僚の先生から冷たい対応を取られた経験があり、美海さんが妊娠していることを職場へいつ報告すべきか悩む夫。意を決して職場の先生たちに妊娠報告をした夫ですが、意外とすんなりと受け入れてもらえたことに一抹の不安を覚えつつも安堵します。職場への妊娠報告という1つの壁を乗り越えた夫。そして、大きくなるおなかとともに美海さんの体にも異変が……。妊娠6カ月に突入。エコー写真を見て喜ぶも、美海さんは… 出産が待ち遠しい美海さんと夫でしたが、美海さんは6カ月を過ぎてもつわりに苦しめられていました。相変わらず夫は見て見ぬふりで、美海さんが吐こうが漏らそうが手を貸そうとはしません。 また、妊娠後期になり赤ちゃんを迎える準備を進めていく中でも、美海さんが何を相談しても夫はどこか他人ごとのよう。そんな夫の態度に美海さんの心の中のモヤモヤが少しずつ溜まっていきます……。 日に日に大きくなるモヤモヤを抱えたまま、ついに陣痛がやってきた美海さん。想像を絶する痛みに泣き叫びながら、子宮口が全開になるのを待ちます。それをただオロオロしながら見守ることしかできない夫に、今まで溜まった美海さんのモヤモヤが爆発するのでした。 赤ちゃんを育てていくうえでも夫婦の協力は不可欠です。これから2人で頑張ろうというときに、夫婦で同じ方向を向けないのはしんどいですね。 このままでは夫と美海さんはすれ違ったまま、赤ちゃんのいる新生活を送ることになってしまいます。しかし、夫の態度からは「美海に任せとけばいいや」という思いがにじみ出ているようにしか感じられません。 美海さんや生まれてくる子どものことを大事にしようと思ってくれているのであれば、夫にはもう少し考え方を改めてほしいですね。原作:耳たぶ吸ってたも~れ著者:マンガ家・イラストレーター ゆむいイラストレーター・ブロガー。育児や日々の出来事を中心とした4コマ漫画で3学年差兄弟の成長を記録しているブログ「ゆむいhPa」を運営。著書に『夫の扶養からぬけだしたい』『ママはパパがこわいの?』(ともにKADOKAWA)など。中学校の同級生だった耳たぶ吸ってたも〜れ氏とTwitterを通じて再会。意気投合し、「親になったの私だけ!?」を共作するに至る。
2023年03月11日ソーシャルワーカー(社会福祉士)の美海さんは、保育士である夫と結婚。お互いに仕事や家事を協力しながら、忙しくも充実した日々を過ごしていました。しかし、美海さんが妊娠したことをきっかけに2人の日常は一変してしまいます!福祉総合センターに毎日やってくる悩みをもった住民たち。美海さんはソーシャルワーカー(社会福祉士)として、地域住民からの相談に親身にのっていました。心置きなく仕事ができるのは夫の協力のおかげ!しかし以前は…… 毎日違う要件で相談にくる人たちの悩みに臨機応変に対応する美海さん。その姿はまるで地域の人たちの暮らしを応援するなんでも屋さんのようでした。 急な残業を終え、帰宅するなり玄関に倒れ込む美海さん。それを献身的に夫が出迎えます。 しかし美海さんが心置きなく仕事をできるようになったのは、ここ数年のことのよう。それまでのことを思い出した美海さんは「地獄だった」と思い返します。 残業で疲れて帰っても、家事や育児のことを安心して夫に任せられるのは、本当に心強いでしょうね。 共働きだからこそ、家事と仕事の両立を分担しておこないたいところですが、なかなか難しい家庭おも多いようです。きちんと分担できるのはお互いを思いやる気持ちがあるからでしょう。しかし、美海さんと夫も最初から今のような生活ではなかったよう。2人はどうやってお互いを思いやれる生活に移行していったのでしょうか。 夫婦それぞれが自分のことは自分でこなし、育児も当事者意識をもって自発的におこなえるということは、できそうに見えてなかなかできないものですよね。美海さん夫婦のように、協力しながら日々の育児と仕事をこなしていくためには、しっかり話し合ってお互いの理解を深めていくことが大切なポイントではないかと思います。原作:耳たぶ吸ってたも~れ著者:マンガ家・イラストレーター ゆむいイラストレーター・ブロガー。育児や日々の出来事を中心とした4コマ漫画で3学年差兄弟の成長を記録しているブログ「ゆむいhPa」を運営。著書に『夫の扶養からぬけだしたい』『ママはパパがこわいの?』(ともにKADOKAWA)など。中学校の同級生だった耳たぶ吸ってたも〜れ氏とTwitterを通じて再会。意気投合し、「親になったの私だけ!?」を共作するに至る。
2023年02月24日メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラーのカトウ ヒロコさんが、「自分は毒親かも」と思った方に向けてお話ししています。どんなことをしてしまうと毒親なのかを詳しく解説!子どもをしっかりした子に育てたい、勉強のできる子に育てたい。大切なわが子の将来を思うからこそ、子どもにさまざまなことを期待し、教えたくなりますよね。教えなければという思いから、ついつい子どもに対して口うるさくなってしまう親は多いものです。でも、それが“毒親”としての一歩だったとしたら……。毒親にならないために、どのようなことに注意すればよいのでしょうか。 そもそも“毒親”とは?最近、ニュースなどで見かけるようになった「毒親」という言葉。毒親とは、暴言や暴力、しつけという名の過干渉をする親について使われる一方、自分の都合を優先し、子どもを放置したり、かまわない親についても使われる言葉とされています。また、親の過干渉から生じることとして、子どものキャパシティ以上に勉強をさせることを“教育虐待”とも言われるようになりました。 もしかしたらその対応は“毒親”の一歩かも暴言や暴力はもちろんしていない、ネグレクトもしていない、だから私は毒親ではない、と思っている人はもしかしたら危険かもしれません。誰でも毒親への一歩に足を踏み入れている可能性があります。お行儀よく食べさせよう、お片付けができるようにさせよう、電車の中でじっとしているように教えよう、これらはどれも当たり前に子どもに教えたいことだと思います。もちろん、お子さんがきちんと社会で過ごせるように教えたほうがいいことでもあります。けれど、子どもの成長に合わせず急ぎすぎて教えてしまうことは、毒親への第一歩を進めてしまうことにつながるかもしれません。 期待をかけすぎないようにブレーキを親としては、ついつい先回りしてお子さんにいろいろと教えこませたくなります。でも、まだまだ小さいときにお行儀などを教え過ぎることが、その後の“教育虐待”にもつながっていく恐れがあります。 根底にあるのは、こうなってほしい、こうあるべき、という子どもへの期待。しかし、小さなお子さんのキャパシティは、まだまだ小さいものです。それが本当に“今”教えたほうがいいことなのか? 子どものキャパシティを超えた親の「期待」がかかっていないか?を考えてみましょう。もし、ちょっと子どもにうるさく言い過ぎているかも……と思ったら、友人やご自身の親御さんに自分の対応が過干渉になっていないか聞いてみてください。自分の子どもに責任を持っていない、ある意味「無責任」な意見が、自身の毒親への一歩を止めてくれるブレーキになることがあります。 大切で愛するわが子のためだからこそやっていることであり、お子さんによってできる範囲も受け止め方もさまざまなため、どこからが毒親への一歩となるのかは、本当に難しいところです。うるさく言い過ぎているときに、「子どものため」という理由からであればちょっと立ち止まってみて、お子さんの気持ちが後回しになっていないか考えてみるといいかもしれません。 イラスト/マメ美 著者:ライター メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー カトウ ヒロコメンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー。また、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。
2023年02月07日私は「子どもを持つこと自体」に漠然とした不安がありました。なぜならば、私の両親が「毒親」だったからです。自分も同じように「毒を持って子どもに接してしまうかもしれない」「私のようなつらい幼少期を過ごすのであれば、子どもは作らないほうがいいのでは?」といった考えが頭から離れませんでした。そんな私が紆余曲折ありながらも1人目を出産し、さらに2人の子どもを持つまでの過程や葛藤などをお伝えします。 転換期は20代後半の同棲経験憂うつ感に苛まれながらも、私はなんとか幼少期~思春期を過ごしてきました。そんな私の大きな転換期は20代後半のころ。今の夫となる人と結婚前提で同棲し始めたころです。 今まで生きてきた人生のなかで初めて長期に渡って親と離れて暮らせることができ、だんだんと心に落ち着きを取り戻し、「過去に親から受けてきた仕打ち」に対してやっと疑問を感じるようになってきました。いわば過去の自分は、親からマインドコントロールを受けていたと言っても過言ではないと思います。 友人たちの妊娠で心境の変化数年に渡る同棲期間を経て30歳になるころに、私は今の夫と結婚しました。しかし、結婚した1年ほどは前述した理由や背景があり、子作りする気になれませんでした。そんな私の気持ちを変化させたのが「友人たちの妊娠」です。 その友人たちとは数十年付き合っており、いろいろな過去も知っていた仲なので、「人生いろいろありながらも、皆どこか決断をして新たな道へ進んでいくのだな」ということが、友人たちの妊娠・出産を通して改めて実感しました。 過去と折り合いをつけるという決断また、友人たちのなかには不妊治療に励んでもなかなか授かれない子もいました。そんな友人を見て「授かれること自体が奇跡なんだ」「私ももう31歳になるし、女性の妊活は時間が区切られている。どこかで親のことは見切りをつけなければ」と、私の心境が友人を通して少しずつ変わっていきました。 そして、31歳のときに1人目を出産。里帰りはせず、基本的にワンオペ育児でしたが、なんとか1人目を2歳まで私の手で育てることができました。その後は1人目が2歳になったころ、2人目の妊活を始めました。 自分が毒親になることなく、気持ちに余裕を持って妊活や育児ができたのは「いざとなれば福祉の手を借りて助けを求められる」という安心感です。産後ヘルパーの活用や、産前産後要件で保育園に通うことができることなど、子育て支援情報は調べ抜きました。情報収集は育児の不安を解消し、自分を救う手立てになっています。 監修/助産師REIKOイラストレーター/みいの著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月28日「毒親」という言葉が世間一般に知られるようになってきましたが、私の父も祖父母も毒親でした。子どものときは本当につらい思いをし、その毒親ぶりは今でも夢に出てきて夜中に飛び起きてしまうほどです。しかし、捉え方を変えれば彼らは立派な反面教師。今回は毒親育児を反面教師にしている私の経験をお伝えします。祖父母からの言葉がけを反面教師に私は物心ついたときには祖父母に育てられており、実の両親の顔を知りませんでした。今でも、なぜ両親がいなかったのかはわかりませんし、知りたくもありません。それでもやさしい祖父母に育てられて、めでたしめでたしといきたいところでしたが、決してそういうわけにはいかなかったのです。 祖父母はとても恩着せがましく、口癖のように「お前は本当は施設行きだったのに」と言ってきたのです。これは今思い出してもつらい言葉です。そのため、私はわが子には毎日のように「生まれてきてくれてありがとう」と伝えるように心がけています。 お風呂は週1、おかずはスーパーの総菜のみ祖父母は戦争時代を生きた人だったためか、今の人と感覚がズレているところがありました。その最たる例がお風呂に毎日入らないことです。どんなに汗をかいても週1回しかお風呂に入れてくれませんでした。 また、祖父母は2人ともごはんを作ることができないからと毎日スーパーの総菜を与えられました。そのため、私にとってのおふくろの味はスーパーの総菜なのです。 これらの経験から、私はどんなに疲れていてもわが子を毎日丁寧に入浴させ、手作りの料理をおなかいっぱい食べさせるように努めています。 父が帰ってきてからは恐怖政治が始まるそれでも、小学生のときにフラッと父が帰ってきてお風呂などの衛生面は改善されました。ところが、この父親もとんでもない人でした。思い通りにならなければ乱暴な言葉で怒鳴って言うことを聞かせようとするのです。その怒り方は本当に常軌を逸していて、とても恐ろしいものでした。 父はたまに家に立ち寄る程度の存在だったのに、怒鳴り散らすためだけに現れることもあって、父がいると気が休まりませんでした。私はこの父の恐怖政治を反面教師に、むやみに大声を出さず、諭すように叱ることを心がけています。 私自身は毒親にはなるまいと努めてきたためか、わが子はのびのびと育っています。昔のつらい思い出を振り切れる日はなかなかこないと思いますが、子育ての反面教師として毒親との思い出を利用すれば、親としての道を踏みはずすことはないだろうとプラスに考えるようにしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて専門家や専門機関に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku著者:鏡 環2歳の息子の母。現在第二子妊娠中。元高校教員。うつ病と闘いながら夫と二人三脚で育児に励む。
2022年11月14日私は毒親育ちで、結婚と同時に実の親と縁を切りました。夫と新しく作った家族は温かく、毎日が幸せそのものなのですが、私にはひとつ大きな不安があるのです。それは「子ども」について。実母との関係もあり長年子どもが欲しいと思えなかった私ですが、最近になって心情に変化が合ったのです。でも、私と夫との間では子どもの話はなんとなくタブーとなっていて……。 毒親に育てられた結果母と2人暮らしだった私は、母の毒を一身に浴びて育ちました。母の口ぐせは「子どもなんて産むもんじゃない」「あんたなんて産まなきゃよかった」。実家を出るまでの間に私は、母の口から出たテレビドラマのセリフのような暴言を数えきれないほど聞かされました。 実際、母はいつも怒っており、私は母の笑顔を覚えていないほどです。私を育ててくれた母は、いつもとても不幸そうに見えました。 そんなこともあり、子どもの虐待を伝えるニュースで「容疑者もまた虐待を受けていた過去があり…」という言葉を耳にする度に、私の中で「子どもをつくってはいけない」という思いが強くなっていきました。 まだ言語化できない「子ども」の話夫と結婚したのには、「子どもにはあまり興味がない」という夫の言葉に救われたことも関係しています。「この人と2人きりで年をとるのもいいな」と思える人に出会えたのは、私の人生において初めてのことでした。 でも結婚して3年が過ぎると、私の心に「愛する夫との子どもが欲しい」という気持ちがほんの少しだけ芽生えたのです。毒親に育てられた私と、子どもに興味がない夫。私たちの間ではなんとなく子どもの話はタブーになっていて、子どもを作るかどうかを真剣に話し合ったことはありません。 私自身の気持ちもはっきりしていなかったため、私は「子どもが欲しいかもしれない」と思い始めたものの、夫に打ち明けるのを躊躇してしまったのです。 私の気持ちの変化に気づいた夫私の心に変化があったころ、夫の親友に子どもが生まれました。夫婦間で子どもについての話し合いを持てていない私は、赤ちゃんの顔を見に行くことがどうしてもできず、お祝いの席には夫ひとりで行ってもらいました。 その後、なぜかよく親友宅に行っては子守りを手伝うようになった夫。帰ってくると夫は「子守りも少しずつ慣れてきたよ」とか「今日は赤ちゃんがこんなことをしてかわいかった」と話してくれます。もしかしたら夫は私の心の変化に気づき、いずれ私と子どもを持つことを視野に入れ、私に対して「子どもを作ってもいいよ」と暗に伝えてくれているのかもしれません。 夫の包み込むようなやさしさに触れた今、私は子どもを持つことに少し前向きになってきています。 私が読んだ本によると、子ども時代の自分を癒やすには、想像の中で自分がどういうふうに育てられたかったのか、イメージするといいそうです。その過程を踏めば、負の連鎖は起きないと言われているのだそう。今の私は過去と向き合い、自分が少しずつ前へ進んでいけるよう努力しています。いつか夫との子どもに恵まれたら人格や存在を絶対に否定せず、精一杯子どもを愛せる親になりたいと思っています。 著者/つちやです作画/霜月いく イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 霜月いくマンガとイラストを描いてます。
2022年10月04日中高時代、反抗期がなかった私多くの若者が反抗期を経験する中高時代、私には反抗期が訪れませんでした。今思えばそれは、親との関係性が緊迫していて、安心して反抗できるような安定と信頼感のあるものでなかったことによると感じます。当時、父と母の関係は良くありませんでした。共働きだったわが家では、母は都内でのフルタイムの仕事から帰ってくると仕事着のまま腕まくりして夕食を作ります。このときの母の機嫌はたいてい悪く、皆が母の機嫌を伺ってビクビクしている状態でした。父は家族に対して冷淡で拒絶的。母はそれに対して常に愛情や絆の確認を求めている感じで、このやり場のない母の愚痴は娘の私に向かいました。私は母の感情のはけ口のようにされていたわけですが、当時母に抱き込まれすぎていた私にはその自覚がありませんでした。「弱々しくてかわいそうなお母さんを私が守ってあげなければ!」と、母のための小さなナースやナイト(騎士)のようになっていたのです。中学生の頃、庭先で母の首を締めようとする悪夢を見ましたが、何かとんでもないものを見てしまったと恐怖した私は、この夢のことを必死に忘れようとしました。私はなんて血も涙もないひどい子なんだと…。親が、成長途中の子どもが安心して反抗できるだけの自立した強さを持っていない。このような状況で、私に反抗期が来るはずがありませんでした。ルーズソックスに茶髪が全盛期だった当時、私はルーズソックスを履くことも髪を脱色することも、母を「クソババア」と罵ることもなく、極めてまじめな優等生として中高生活を終えました。私が「悪い子」になったりしたら母がどれだけ動揺するかと思うと、怖くて何もできなかったのです。大学入学後、世界が広がって… 親への激しい拒絶大学入学後、私は校則の厳しい中高一貫の女子校の環境から解放されて自由な環境に身を置くようになり、一挙に生きる世界が広がりました。恋人もできたりして、ようやく親と学校の勉強以外の世界に居場所を感じるようになると同時に、母の私への執着や束縛を生理的に受け入れられないほど気持ち悪く感じるようになりました。母は、私が大学をさぼった日などは、私をつかまえて半日でも話につきあわせ、陶然とした顔で「ああ、こんな時間がいつまでも続けばいいのに。このまま一生一緒に暮らそうよ」と言うのです… そう言われた瞬間には背中にぞわーっと悪寒が走り、吐き気を覚えました。これからの新しい人生を控えた若い女の子をつかまえて、どれほど異常なことを言っているのか自覚がないんだろうか…。母はだんだん私に対する家庭内ストーカーのようになり、出かけていると今どこにいて誰と何をしているのか、いつ帰るのかと、何十回と電話をかけてくるように。帰ってきたら帰ってきたで家の中で私を追い回して、夜中の2時3時でも話しかけてきます。私は母から逃れたい一心で家出をし、一時期、母からの電話を着信拒否して、当時つきあっていた人の下宿に転がり込んでいたほどでした。「安心して反抗できる関係性」は大事今となっては、私は母に「安心して反抗できる相手」でいてほしかったなあと思います。反抗というのは、「この人はちょっとぐらい攻撃しても崩れないぐらい強い」という信頼、「この人になら甘えを攻撃という形で出していい」という安心がなければ成り立たないものだと私は自らの経験からも思います。反抗期は親にとってはちょっと怖いものでしょうし、程度にもよるとは思うのですが、反抗期が来たらむしろ「私は子どもから信頼され甘えられている、子どもは健全に順調に育っているし、親子の関係性も健全だ」と思って安心してもいいのかもしれません。文/宇樹義子(監修・鈴木先生より)神経発達症の二次障害である反抗挑発症は周囲の無理解や保護者の過干渉からくることが多くみられる傾向がありますが、今回のケースは大学に入学後に母親の過干渉が起因となり、家出までした反抗につながってしまったのでしょう。小学生で少し早い反抗期と心配される親ごさんがいますが、適切な手段を講じないと反抗挑発症という二次障害に陥っている場合が少なくありません。それを放置するとさらに素行症という二次障害へ進展していきます。父親にASD傾向があり家族に対して冷淡、母親にADHD傾向があり父親からDVを受けたり子育てを一切任されたりされている、といったケースをみることがあります。そういう場合、母親がカサンドラ症候群となってうつ状態になっている場合が少なくありません。宇樹さんが、弱弱しく見えたお母さまの気持ちをカウンセリングのように傾聴し、ナイトのように救ってあげたことでお母さまのうつ病への進行を防いだのだと思います。
2022年10月01日私の実親は父母ともに毒親です。こういう風にはっきりと実親を「毒親」と捉えることができたのも、ここ最近の話。私は結婚を機に初めて実親と離れ、だんだんと自分が置かれていた環境が「おかしい」ということに気付き、やっと目を覚ましました。毒親からは離れたものの、「とある物」が1枚もなく、今は少し後悔している話をします。なくて意外と困ったものとは現在、実親とは「絶縁」とまではいかなくとも、年1回会う程度の疎遠状態。年1回しか会えないレベルの遠い場所に実家があるのかといえば決してそうではなく、電車で小一時間程度の場所にあるのですが、気持ち的な距離はすごく遠い存在です。 そんな疎遠の関係によって、今困っているのが「実親の写真や、私の子どもと実親が写っている写真が1枚もない」ということです。 保育園のアルバム作りで⋯本格的に悩み出したのは、下の子どもが保育園に入園したころです。園で「思い出アルバムを作りませんか」という話になり、子どもたちの0歳から今までの写真をまとめたアルバムを親が手作りしようという企画でした。そこで主任の先生が、「このアルバムは、今までお子さんがいろいろな人に愛されたとわかるように記録するために作成しますので、子ども単体でなく、おじいちゃん・おばあちゃんも含めたアルバムだとなお良いですね」と発言されたのです。 保育園の先生の発言に傷つくもちろん主任の先生は私の家庭環境についてはまったく知りませんし、私自身も実親が毒親だから疎遠になっているとはとても言えません。そんな背景もあったうえでの主任の先生の発言なので、そこまで気にとめる必要もないとは思いつつ、私はその言葉に非常に敏感になっていました。 さらに「祖父母など親族関係と縁が遠い子どもは愛が薄いのだろうか」などとマイナス思考に陥ってしまったのです。 現実と向き合わざるを得ない状況にそして、子どもと一緒に写る祖父母(実親)の写真が1枚もないことに向き合わざるを得なくなり、大変悲しい気持ちになりました。しかし、そのとき3歳になっていた上の子どもにおいては、私の実親の写真が1枚もないことで支障を感じたことは特にありませんでした。実親の写真が1枚もないことをそれまで気にもとめておらず、下の子どものアルバム作りの話が出るまで、私は実親のことがすっかり頭から抜け落ちていたんだなとも感じました。 私は今回の件を気に病んでいました。しかし、気に病むこと自体、まだ毒親の毒から抜け出せていないとも感じ……。だからあえて不参加ではなく、参加して精一杯与えられた機会を楽しみたいです。しかし、「せめて子どもと実親が一緒に写っている写真を1枚程度はおさめておけばよかったな……」と、今さらながら後悔しました。 著者:橋爪真理子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年08月15日