ハンガリーの大都市デブレツェンの病院で働く看護師のアサト。骨肉腫との診断で左手の切断手術を受けたが、のちに誤診であったとわかる。その病院には、手の移植手術の権威ゾルタン医師がいて、労働者階級のポーランド人の手の移植をした。だが、接合された左手には、消えない違和感と強烈な拒絶反応が起こり…。本書は、あまたの読書家から熱い視線を浴びる朝比奈秋さんの最新刊だ。「手の移植をしたニュースを何かで見て衝撃を受けたんです。手の移植は世界的に見ても稀な手術で、そもそも教科書にも載っていない。前後してクリミア併合が起きて、領土が行ったり来たりするというのはどういうことなのかと、興味を持ちました。小さな院内で他人の手が意思に反してくっつけられる、個人のこぢんまりした話が、領土が勝手に分断されたり併合されたりする大きな問題と自然と結びつきました」アサトは日本人で、妻のハンナはクリミアのウクライナ人だ。マイダン革命以後、街の雰囲気が変わると夫婦で脱出したこともある。ハンナは看護師でもあり、紛争地に乗り込んで取材をするジャーナリストでもあるが、彼女が夫の故郷の島国をうらやましく思う感覚を、アサトは手の移植を介して初めて感じ取る。「常に戦争のリスクと隣り合わせで国境を維持してきたヨーロッパの人から見たら、日本はなんて恵まれた国かと思うでしょう。一方で、文化や宗教も含め他国を受け入れているようで、本当の意味では受け入れていないというのも、島国の特殊性なのかもしれません」物語はかなり進行するまで誰とわからない一人称語りで始まり、アサトの現在と過去が入り交じって進む。ゾルタンの視点も挟まれる。練られた構成に見えるが、朝比奈さん曰く、物語に対しては“受け身”。「僕が物語を考えているのではなく、思い浮かんだ映像を何とか理解して書いているだけ。なので、書く上で物語に対して干渉はしません。ただ書き終わるまでその映像が居座って離れないし、逆に言えば、物語とつながってる最中はアサトやハンナの苦しさや怒りの感覚が自ずと伝わってきて、自分の腹も背骨も震えます。そうやって、登場人物と一緒に苦しんで進んでいく書き方しかできないので、小説を書くのは僕にとっては業に近いです」写真:石渡 朋あさひな・あき1981年、京都府生まれ。2021年、「塩の道」が林芙美子文学賞に輝き、翌年、同作を収録した『私の盲端』でデビュー。今年『植物少女』で三島由紀夫賞を受賞。現役の医師でもある。朝比奈 秋『あなたの燃える左手で』医療人ならではの知識と、医師自身や患者、患者家族の思い、それを俯瞰する作家の目から生まれてくる言葉とイメージに揺さぶられる。河出書房新社1760円※『anan』2023年9月13日号より。写真・中島慶子(本)インタビュー、文・三浦天紗子(by anan編集部)
2023年09月12日米国のメリーランド大学で今月上旬、遺伝子操作したブタの心臓をヒトに移植する手術が世界で初めて行われ、話題となった。移植を受けたデヴィッド・ベネットさん(57)は、末期の心臓病を患っており、今回の手術が命を繋ぐ最後の望みだった。長期的な生存が可能かどうかは未知数だが、画期的な手術の成功例として、世界中にその名を知られるに至った。そんな祝福ムードの中、ある女性が彼の過去についてBBCに告発し、波紋を呼んでいる。「みんなベネットをヒーローやパイオニアのように扱っていますけど、あの男はそんな人間じゃありません」こうBBCの取材に対して語ったのは、レスリー・シューメイカー・ダウニーさんだ。告発した内容は、ベネット氏が1988年、自身の妻がレスリーさんの弟・エドワードさんの膝に座っているのを見て激しく嫉妬し、持っていた刃物でエドワードさんの背中を何度も刺したというものだ。当時、ベネット氏は暴行と武器の所持で有罪となり、禁固10年を言い渡された。エドワードさんは一命は取り留めたものの半身不随となり、2007年に亡くなったという。「私の次女が、『ママ、この人、エドおじさんを刺した人だよ』とメッセージを送ってきて、初めてニュースを知ったんです。あの男が心臓を受け取ったことに腹が立ってしまって」と、レスリーさんはBBCに対して語っている。メリーランド大学医療センターはNew York Timesに対して、「病院や医療機関は、その門をくぐった全ての患者に対し、医療上の必要性に基づいて救命処置を行うという厳粛な義務を負っています」とコメントした。またBBCは、移植チームも「過去の犯罪歴は、治療を拒否する理由には決してなり得ない」と明言したと伝えている。
2022年01月17日■前回までのあらすじ不妊治療の病院を卒業することに。医師からは、受精卵の冷凍保存をするかどうかを聞かれて…。夫とも相談し、受精卵を冷凍保存することに決めました。待望の妊娠ライフで待ち受けていたのは…!?※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の身内の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師や専門家に相談いただき、ご自身の判断によって適切なご対応をお願いいたします。次回に続く(全24話)毎日10時更新!
2021年11月30日美容鍼灸師という仕事をしている私は、昔ながらの美容法や、ホリスティックなものを推している人と思われがちですが、必ずしも東洋医学に偏っているわけではなく、美容クリニック系の西洋医学的な美容施術も大好きです。個人的には、「美容効果があればなんでもいい」と思っている雑食とでもいいましょうか。西も東もナチュラルもケミカルもお構いなしなので、東洋医学に傾倒している鍼灸師の先生たちからしてみたら、「お前と一緒だと思われたくない」と、眉をひそめたくなるようなゆるい考え方なのかもしれません(笑)。■「培養皮ふ治療」(肌培養)は自分の若い頃の細胞を使ったアンチエイジングそういう考え方のため、自分で美容鍼を打つ以外でも、アンチエイジングとして、数年前から「培養皮ふ治療」を受けています。どんなものか簡単に説明すると、培養皮ふ治療とは、自分の皮膚を採取して、そこからコラーゲンやエラスチンを生成してくれる「線維芽細胞」を培養し、老化によって細胞が減ってきたところ(シワやたるみがあるようなところ)に培養した細胞を移植して、肌を若返らせるというもの。整形ではなく、肌の再生医療。自分の細胞を注入するため副作用もなく、治療後の持続期間が2~3年と長いことが魅力です。私は34歳のときの細胞を培養して保管しているので、これがなくならない限り、いくつになっても34歳時点の細胞を移植できます。60歳になっても34歳のときの細胞を移植できると考えると、相当すごいことですよね。これぞまさに、長期戦を見据えたアンチエイジング。デメリットとしては・細胞の培養に1カ月くらいかかるため、「今すぐ注入したい!」と思ってもそれは叶わないこと・移植した細胞が定着してから効果が出始めるため、効果を感じられるのが早くても1カ月後くらいからということ・細胞を、採取・培養・保管・移植する、という一連の治療の流れ上、かなりコストがかかることあたりでしょうか。また、残念ながら、細胞を移植したからといって、劇的に若返るということもありません。その点については治療開始時、ドクターから、「目に見える効果がほしいなら整形の方がいい」と釘を刺されたほどです。あくまで、長期的に見たときに老化がゆるやかになるというものなので、おそらく10年後、20年後と時間を経てからの方が、周りの同世代に差をつけられるという意味で、その効果を感じられるのではないかと思います。ご参考までに、治療については以下のサイトに詳しく掲載されています。■培養皮ふ治療(肌培養)と美容鍼で目の下のたるみを改善ちなみに私は、かなり効果が出ている方らしく、定期検診のときに、ドクターに「何か(ケアを)してるの?」と聞かれます。聞かれる度に、寝不足だったり疲れがたまっていたりと、あまりコンディションがいいといえる状況ではなかったため、心当たりはなかったのですが、よく考えてみると、美容鍼も線維芽細胞を活性化させてコラーゲンやエラスチンを生成させるもの。ひょっとすると、私の肌の中で、34歳の細胞がより活性化されて働いてくれているから、いい効果が出ているのかもしれません。たしかに、治療前の写真と最近の写真を見比べると、目の下がだいぶ違います。私が長年涙袋だと思っていたふくらみは、ドクターいわくたるみだったそうで、治療を重ねるとともになくなっていきました。ホルモンタンクの消失……。いいのか悪いのか、若干複雑な心境です。■きれいになりたいなら、先入観にとらわれないで培養皮ふ治療によって、私は1~2年でわかりやすい効果を体感したこともあり、「おすすめです」と言えるのですが、大半の方はもっと時間が経ってからその真価を発揮するものだと思います。手ごたえを感じるまでに時間がかかることを、どう捉えるかは皆さん次第。すぐに効果が現れるものがいいという方もいれば、長期的視点で見たときに老化がゆるやかになるという点に惹かれる方もいるでしょう。ただ、どんな美容法にも当てはまりますが、「整形っぽい」「なんか怖い」など、先入観だけで選択肢から外してしまうのはもったいない、と思います。自分の細胞を使って若返るということが、培養皮ふ治療と美容鍼の思わぬ共通点でした。中身を知ってみれば、西洋医学でも東洋医学でもやることは同じだったので、人工的だから、自然派だから、というような、ごく一部だけを見てジャッジを下すのではなく、まずは一度内容を見る・知ろうとすることも大事なのではないでしょうか。美容業界の技術も日々進歩しているので、昔聞いた常識が、今も通用するとも限りませんし。自分に合うか合わないかも、きちんと調べてみなければわからないものなので、そういう意味でのクリアな視点は養っておきたいものです。そんな風に、いいとわかったものはなんでも取り入れたがりな私は、最近目の下にゴルゴ線が発生しつつあるので、今日も美容鍼で細胞を活性化させつつ、そろそろまた34歳の細胞の移植をしたいなぁと思っているところです。2017年8月9日公開2020年4月27日更新
2020年04月27日中川翔子(33)が2月14日、「ビビット」(TBS系)に出演。池江璃花子選手(18)が白血病を公表したことについて言及した。父・勝彦さん(享年32)を白血病で亡くしている中川。20代で発症した勝彦さんについて「もっと生きたかったはず」と告白。身近に感じる機会が少ないからこそ「本当に向き合ったり考えたりする機会ってなかなか難しいと思うんです」と語りし、「興味を持つキッカケ、知るキッカケがあるだけで、もしかしたら誰かの未来が助かる道が増えるかもしれない。それはとても大事だと思います」と呼びかけた。だが中川がこうした考えに至るまでには、紆余曲折があった。思春期のころは、勝彦さんに複雑な思いを抱いていたという。「勝彦さんが生きていたころの女性スキャンダルを知り、ショックを受けた中川さんは写真を捨ててしまったこともあったとテレビ番組で明かしていました。しかし骨髄移植で白血病が治る可能性があったにもかかわらず、勝彦さんが中川さんの骨髄検査を『小さな体に負担をかけたくない』と断っていたことが判明。それを知った中川さんは、骨髄移植の啓蒙活動にも力を入れるようになったようです」(テレビ局関係者)昨年7月から中川は、日本骨髄バンクを支援するコマーシャルに出演。同CMでは生前の勝彦さんの写真も使われている。「勝彦さんの亡くなった年齢32歳を超えた矢先のCM出演となりました。『お父さんが見守ってくれているのかな』と絆の深さを実感した彼女は、改めて『白血病の人を応援したい!』と決意したといいます」(音楽関係者)ネットでは「ビビット」での中川の呼びかけに、賛同の声が上がっている。《私も微力ながら、明日病院へ行き、ドナー登録の仕方を聞いて、出来るならしたいと思います》《ドナー登録は実際にドナーになった場合、様々大変な面も多々あると聞きます。でも、その事を含めて皆で考えるきっかけになれば良いと思います》中川の取り組みを、天国の勝彦さんも見守っていることだろう。
2019年02月15日3回目の受精卵移植失敗の後、心理カウンセリングを受けたことにより、新たな心持ちになれたこてつさん。4回目の移植に臨みました。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。4回目の受精卵移植を行いましたカウンセリングを受けた後日、4回目の移植をしました。前回のように管が子宮に入らないなどのトラブルはなく、スムーズに終わりました。今回も2個移植で、受精卵(1)はグレードBB、受精卵(2)は「収縮中」。当時、担当してくださった培養士さん曰く、胚盤胞は収縮と拡張を繰り返しながら大きくなっていくとのこと。収縮したまま移植した卵は、時間がたてば普通の卵と同じようになるかもしれないし、ならないかもしれない。すでに移植して子宮の中なので見ることはできない、などの説明を受けました。そっか~…。残りの凍結卵は1回分です。それは今回のものよりも状態は良くないとのこと。グレードは関係ないというけれど、やっぱり気にしてしまいます。とりあえず、今回のものが着床してくれるよう、今は卵の持つ力を信じよう。その後、黄体補充の注射をして帰宅しました。4回目ともなると心穏やかに…待てるわけもなく、そわそわしながら迎えた判定日前日。夕方に出血しました。少量でしたが、見た瞬間ガーンとなって、冷静ではいられなくなりました。またか。なんで私だけ。そんな思いがグルグルと頭の中をかけめぐります。油断すると涙が出そうになりました。腹痛もありました。生理痛とにている痛み…。今までの移植でホルモン補充をやめる前にリセットすることは一度もなかったので、心の準備もできていませんでした。飲み会だったオットが帰ってきて、出血があったことを説明したら我慢できなくなって涙が出ました。そのまま翌朝になり、重い気持ちでクリニックへ。診察室に呼ばれ、ドクターから妊娠判定の結果が言い渡されました。 結果は「陽性」。え? 前日、リセットと思って泣いたはずが…。…そうか、よくよく考えたら着床出血とも考えられるんだよね。陰性続きで、まさか自分が妊娠するとは考えられずパニックになってしまい、その可能性を微塵も思い出しませんでした…(苦笑)。すっかり出血は生理だと思っていたオットも「ええっ!!」とビックリしていました(笑)。出血はこの時期よくあることだそうです。HCG(※)=78。まだ胎嚢すら見えません。次回は3日後、HCGがググっと上がっていなければなりませんが、今の時期はどうなるにしても卵の力次第。再び、妊娠しました。自分の中では、喜びもあるし、戸惑い・ためらいもあります。それは、妊娠で得るものもあるけれど、失うものもあるから。カウンセリングで教えてもらえていたので穏やかに受け止められました。どっちも自分の本当の気持ち。でも、それでいいんだよね。それが今の私。I'm OK. I'm OK.※=ヒト絨毛性ゴナドトロピン。妊娠中にのみ産生されるホルモン。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年12月26日流産を乗り越え、2回目の受精卵移植にトライしたこてつさん。結果そのものよりも、オットの態度に落ち込んでしまい…。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。2回目の受精卵移植「我慢の日々、かさむ費用…」2回目の移植に向け、準備を始めました。まずは子宮内膜を厚くするための投薬開始。今回、前回と続けて生理周期が普段より少し長めでした。まだ卵巣が回復していないのではと気になり、この状態で移植をしてもいいのかと質問しました。ドクター曰く、ホルモン補充していくので問題はないとのこと。それに、排卵までの期間が長くなるのは、PCOS(多嚢胞)の人にはよく見られる傾向だそうです。 「卵巣がサボりだしたんでしょうねぇ」とドクター。これからも段々周期が長くなる可能性もありますよ、とのこと。でも体質だからしょうがないですねと言うと、そうですねとの返答でした。移植予定日が決定しました。それにより、オットの会社のイベントに合わせ、ついて行こうと企んでいた旅行もキャンセルが確定しました。移植後の飲酒は禁止なので、夫婦で飲みに行きました。もし妊娠できたら2年近くアルコールとはオサラバか。参加予定だったスポーツ大会も移植後になってしまうので、キャンセルしました。今はすべてにおいて治療が優先ですが、悲しい…。いやいや、いっときの我慢。子どもができたら我慢することはもっとあるはずだしね。世の中のお母さんたちは本当にえらいなー。今は最優先すべきことに集中しよう…。そう自分に言い聞かせ、移植日を迎えました。移植前に融解した胚盤胞の写真を見せてもらいます。成熟胚盤胞グレードAA。おぉ、いい感じ。受精卵は優秀です、とドクター。アシステッドハッチング(胚を包む透明帯という膜を少し破ったり薄くしたりして、着床率の向上を図る生殖補助技術)をしているので、そこからドロリといった感じ(ただのイメージです)で中身が出てきていました。その部分から着床していくとのこと。子宮内を消毒します。これが毎回地味に痛いのです。看護師さんがおなかから超音波をあて、ドクターはカテーテルを使って子宮内へ受精卵を送ります。その様子は頭上のモニターで確認できます。管を通って前進する白い光が見えました。受精卵だ。まるで蛍みたい。 カテーテルが抜かれると、白く光る受精卵だけが子宮内に残りました。その輝きが続くのか、季節とともに去っていくのか、知っているのは神様のみ。1回目の移植を参考にお金を準備していました。が、料金が足りませんでした。クリニックの階下には銀行もあるけど、あいにくすぐに下ろせる口座の残金は480円…(マジです)。ということで1万円未納にしてもらいました。しかもお金のことで頭がいっぱいだったのか、座薬や飲み薬を入れた紙袋を置き忘れ、途中まで帰っていたのだけど、気づいて引き返しました。いろいろ恥ずかしい…。なんだかドタバタした移植後となってしまいました。そして、10日後の判定日。グレードAAの輝かしい胚盤胞は…着床していませんでした。2回目だし、本当はもっと凹まないはずだったのです。はずだったのに…。実際、家に帰るまでは、そんなに落ち込んでもいませんでした。それなのに、帰宅してオットと口けんかになりました。オットはなにをどう勘違いしたのか、「私が暗いのは、旅行に行けないことを不満に感じているのだ」と思ったのでした。それなのに(会社のイベントなので)自分は行かねばならないことに後ろめたさもあったのか、理不尽に怒っていました。 その怒りの矛先は私には向けられないので、物に当たって、すごい音がして、なんだか妙にそれがショックで…。どちらかというと着床しなかったことより、けんかのことがショックで、2日ほど思い出しては泣いていました。移植に失敗して暗いのは当たり前に想像がつくでしょ、普通…。私は凹んでいる(と気づかってくれてもいい)のに、そんな日になんでそんなにキレるんだよぉ。ダブルショックだよぅ。そんな思いでいっぱいで、さめざめと泣いた結果、まぶたがはれてひどい顔になりました。「今回は、残念ながら妊娠しなかったみたい」とドクターに言われ「まぁ、そういうこともあるだろうなぁ」と素直に受け止めることができました。判定後、今後の治療方針について看護師さんと話し合い、2回連続で移植しているし、しばらくお休みにしようと決めました。身体的には、すぐ次周期で3回目の移植をしても問題はないとのことでした。でも精神的に、少し休憩したい気分です。帰宅後のけんかでその思いはいっそう強くなった、というか、そのときは「もうやめたい」と思いました。旅行も大会もキャンセルしたのに、妊娠せず。オットにはキレられ、いい思い出のない2回目の移植は幕を閉じました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年10月10日不妊治療を2005~2008年に受けた中村こてつさんが当時を振り返って綴る治療の体験談です。ついに移植当日。実際の移植の様子や、移植後の生活上の注意事項など、治療はまだまだ続きます。ついに卵を移植「それでは卵を戻していきますよ。」ドクターが言いました。細いチューブを子宮内に差し込み、卵を送り込みます。ものの十数秒だったでしょうか、すぐに終わりました。長い期間かけて作られた卵の移植はあっけないものでした。その後、超音波で移植した卵を確認…のはずが、チューブの中に卵が残っていたらしく、再度注入となりました。(だ、大丈夫…?!)と不安になりましたが、ドクターもスタッフも焦っていなかったので、まぁ大丈夫なんだろうと納得。15分くらいで待合室で待つオットのところへ戻りました。クリニックへ向かう途中、今までのいろんなことを考えてしまい押し黙る私の手をギュッと握ってくれたオット。そんなオットの顔を見て泣きそうになったけれど、こらえます。しばらくすると処置室へ呼ばれ、移植後もずっと続く黄体ホルモンの注射をぷすりと打ちます。黄体ホルモンの投与は、移植前5日間のうち3日間は膣座薬を使用しましたが、どうやら私に合わなかったようです。1日4個の膣座薬を続けるうちに…お股が痒い!!入れた後ドロリと出てくる白い液体にかぶれてしまうようでした。それをドクターに伝えると、10日後の判定日までは毎日注射に通うことになりました。地元の産婦人科クリニックにて打ってもらいます。移植~判定日までの生活この日からお酒も禁止となりました。(名残惜しく、移植直前までガッツリ飲みました(笑))コーヒーも1日1~2杯までと言われました。夫婦生活は子宮が収縮してしまうのでよくないとのことで判定日まではNGだそうです。激しい運動も禁止です。愛犬の散歩は、時折激しくなることがあるので(おもに猫(笑))オットに任せます。重いものは持たないほうがいいので、ゴミ捨てもよろしく。あ、ご飯の準備もついでに…、洗濯物も重いかな…(笑)。こうやって父になる練習をしていかなきゃね。と言うと、「それじゃ父というより、主夫だよね」と言われる。はい、調子に乗りました(笑)。何はともあれ2人でがんばっていこう。オットと決意を新たにしました。今、私はお母さんです。任務期間は10日間となるか、それ以上となるか。判定日を待ちます。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年05月09日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんが当時を振り返って綴る治療の体験談です。いよいよ移植となると注射やお薬、とさらに準備が進められるようです。移植日が決まる卵胞ホルモン剤(プレマリン)を服用しだして12日目、診察のためクリニックへ。子宮内膜が8mm以上あれば黄体ホルモンの投与を開始して、排卵後の状態に戻すそう。プレマリンは子宮内膜を厚くしていって着床可能な状態にする働きと、勝手に排卵しないようにする役割もあるとのこと。ジャスト8mm。合格です。4日後の移植が決定しました。初回はグレードが一番よかった凍結胚を一つ移植予定です。移植日のスケジュールとしては朝、凍結胚盤胞を融かし、昼過ぎに回復と生存確認をします(凍結・融解によってダメージを受ける場合があるため)。私の通っているクリニックでは生存率90%、10個に1個の割合でダメージを受けるデータとのことでした。融解に関しては同意書が必要になります。生存が確認できたら、午後に移植となります。移植後もプレマリン、黄体ホルモンは継続して投与します。黄体ホルモンは基本注射だけれども、希望すれば膣座薬に変更可能とのこと。1日4個、まあまあ多い…。しかし、クリニックに通う大変さ(片道1時間半)を考えると座薬のほうがよさそうです。移植後10日で血液検査によって妊娠判定を行います。そんなに早く分かるものなのねぇ。妊娠していれば更に黄体ホルモンとプレマリンは継続します。黄体ホルモンは妊娠8週まで、プレマリンは妊娠12週までとのこと。これは、自然妊娠の場合は、排卵した後の卵巣の黄体からホルモンが補充されるのだけど、わたしはプレマリンを使っているため排卵が抑えられており、その状態では黄体が作られないため、胎盤からホルモンが作られるようになるまで外的に黄体ホルモンを投与する必要があるとのことでした。ドクターにちゃんと聞けばよかったと後悔移植日が決まり、ドクターから「戻す卵は1個でいいよね?」と念を押されました。診察が終わり立ち上がっている途中だったので「あ、はい…!」と慌てて即答してしまいました。たしか前の診察でも確認をされたのでした。1個移植と2個移植とどういうメリットデメリットがあるか聞けばよかった…とあとで後悔しました。私のドクターは寡黙な方で、さらに方針なのか、治療に対しての説明は質問しないと詳しく話してもらえません。説明を聞いたうえで、それはどういう意味? とかじゃあこういう場合は…などの質問も生まれてくると思うのですが。最近はネットで情報が氾濫しているから余計な混乱は避けようという考えでしょうか。毎回、診察までに質問することを考えておかないと、あっという間に診察が終わってしまい、聞けばよかったぁ…と後悔したことがよくありました。私は頭がパパッと回らないほうなので余計にそうなのかもしれません。治療仲間は、毎回提出する基礎体温表に質問を書いたメモを挟んでいました。口頭でうまく伝えられない人にはよい方法かもしれません。また、ドクターには聞けないけれど、看護師さんには気軽に聞けるという人もいました。子宮内膜の厚みが基準に達したので、黄体ホルモンの投与が開始されました。その日は注射(プロゲストン50mg)でした。排卵誘発の注射ほど痛くはないけれど、よく揉まないと翌日にコリコリに硬くなりました。その後3日は膣座薬(朝夕2個ずつ)で、移植前日だけ地元の産婦人科クリニックで注射することになりました。注射&座薬以外に、錠剤のお薬(デュファストン)も毎食後、飲みます。プレマリンとバファリンもあるし、薬だらけです。飲み忘れないか不安になります。準備は整いました。次はいよいよ移植となります。とうとう、ここまで来たか…ここに辿り着くまでに、上がったり下がったり、自分の中の様々な感情を味わってきました。もう「頑張ろう」などそういう次元ではなく、来るべき未来がどんなものであろうと丸ごとそのままを受け入れようという心持ちです。心の中には凪いだ海がどこまでも続いています。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年04月11日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届け。採卵を終え一安心するも移植可能な胚盤胞がいくつできたか…ドキドキしながら結果を待ちます。移植できる卵はいくつできたか採卵の3日後、心配していた採卵後のOHSS( 第21話参照 )についてチェックするために、体重と腹囲を計測しました。採卵直後とあまり変わっていませんでしたが、内診してもらうと、少し腹水がたまっていました。残った卵胞たちもかなり大きくなっていました。それに伴い、卵巣も腫れているようです。言われてみれば、少し張った感じはありました。もう少し水が溜まってたら、かなり苦しかったと思うよ~とドクターに言われました。残った卵胞はもう排卵しないので、これ以上症状が悪化することはないとのことで、軽いOHSSとの診断です。これくらいで済んで本当に良かったです。しばらくは、飛んだり跳ねたりはNGです。卵巣がぐるんと捻じれると大変なのです。(余談ですがこの7年後、本当に捻じれてしまい(卵巣茎捻転)救急搬送されました。幸い手術は免れましたが、正直出産より痛かったです!二度と味わいたくない痛みです。)腫れた卵巣は1ヶ月で戻るのは難しいかもとのことで、移植は年明けになりました。年末はゆっくり過ごせるんだぁ~と嬉しくなりました。受精から5日経ちました。13個の受精卵のうち、いくつ胚盤胞になったか電話で確認します。高校受験のドキドキを思い出します。結果…10個!おぉ。想像していたより多い!4日目の夕方に初期胚盤胞になったものが4個。あとは5日目以降になったものが6個。私の場合はそれら全てを凍結し、OHSSが改善されてからの移植になります。4日目の4個は各1個ずつ凍結しました。5日目以降のものは各2個ずつ一緒に凍結しました。なかなかいい卵です。とドクター。とりあえず高校に合格したようです(笑)。あとは無事に卒業できるか…何はともあれ、移植できる卵が凍結できてホッとしました。最後に言われた、凍結料金9万円は悲しかったけれど…。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年02月07日セレーナ・ゴメスがこの夏、腎臓移植を受けていたことをインスタグラムで明かした。セレーナは2つのベッドで友人のフランシア・ライサと固く手をつないで横たわり、希望に満ちた笑顔を見せている画像を掲載。セレーナが以前から持病の全身性エリテマトーデス(ループス)と闘っているのは周知の通り。今回、身体の回復のために腎臓移植に踏み切ったという。セレーナは腎臓を提供してくれたフランシア、手術を行った医師チーム、家族のサポートに深い感謝の意を述べている。「夏の間、新曲のプロモーションをしない私に『なぜ?』と思った人もいるでしょう」と投げかけたセレーナ。実は人生に大きくかかわる決断と向き合っていた。「ループスへの誤解はいまだ多いけれど、ぜひみんなに過程を知ってもらいたいわ」とループスに関するサイトへの訪問を促している。セレーナは約1週間前に現在付き合っている歌手のザ・ウィークエンドとのツーショットをインスタに掲載し、デートする姿が目撃されていたこともあり、この衝撃告白にファンもびっくり。勇気ある行動にファンからは「誇りに思う」、「元気になって!」などの励ましコメントが殺到している。ザ・ウィークエンドとの交際は好調で、「ETonline」によれば“一時的”ではあるものの、ニューヨークのアパートで同棲を始めたとの報道も。また、「Businedd of Fashion」とのインタビューでは「彼にとっても素敵なシャネルのバッグをもらったの」とのろけ発言もしている。(Hiromi Kaku)
2017年09月14日「医師と患者の懸け橋になりたい。それが、骨髄移植から社会復帰した私の役目かなと」 そう語るのは大谷貴子さん(55)。大谷さんは、26歳のときに骨髄移植を受けた元白血病患者。そして、一人でも多くの命を救いたいと、患者とドナー(骨髄の提供者)を結ぶ「骨髄バンク」を日本で初めて立ち上げたトップランナーとして、約30年もの間、講演や啓発活動、患者の相談など日本中を駆け回ってきた。診察に付き添うことも多く、“患者仲間の大谷さん”として信頼される。いわば日本の骨髄バンクの「顔」だ。 大谷さんは、’61年大阪市生まれ。開業医の父・幸郎さん(故人)と、医院の事務を手伝っていた母・巻枝さん(82)、姉・睦子さん(57)の4人家族に育った。 「やんちゃでしたね。健康そのもの。父は、患者さん第一の人で尊敬していました。でも父と母の間には軋轢があって、小学6年のときに別居してのちに離婚。私と姉は母親と暮らすようになりました」(大谷さん・以下同) ’85年、女優の夏目雅子さんが白血病で亡くなった。正直、人ごとと思っていた大谷さんだったが、翌年12月、彼女も白血病と診断される。千葉大学大学院英語教育科の学生として、大阪の自宅で修士論文に向かっていた25歳のときである。生理の血液量の異様な多さに驚いて婦人科を受診すると、すぐに内科への入院を命じられた。慢性骨髄性白血病だった。 「アメリカで看護師をやっていた姉も駆けつけて、はっきり病名を教えてくれました。あまりにショックすぎて涙も出ませんでしたね」 白血病は、原因不明の「血液のがん」である。現在も毎年6,000人が発病。誰がいつ発病してもおかしくない病気だ。抗がん剤で完治する種類もあるが、当時、慢性骨髄性白血病患者は、骨髄移植でしか助からなかった。しかも、その移植が可能かどうかを判断するHLA(白血球の型)は数万通り。兄弟姉妹なら4分の1の確率で適合するが、それ以外では500人から数万人に1人となり、当時、骨髄移植は夢のような治療と思われていた。 まず異常増殖した白血球を抗がん剤で正常数値に戻すべく、大谷さんは京大病院に転院した。白血球が正常値を保っている間は「慢性期」と呼ばれ、一般的には3年ほど日常生活を送られる。しかし、白血球がふたたび異常増殖する「急性転化」は必ず訪れる。こうなると余命は半年だ。 「でもそのころの私は、楽観的だったんです。きっと姉のHLAと一致するし、アメリカで移植を受ければいいと」 ’87年4月に退院した大谷さんは、両親と姉と一緒に渡米し、4人でHLA型の検査を受けた。結果は、姉と「骨髄移植が可能」というもの。 「私は恵まれていると思いました。京大病院に入院しているとき、妹のようにかわいがっていた14歳のさおりちゃんという子がいたんです。ひとりっ子のため兄弟姉妹間の移植は望めなくて」 9月からは、東京電機大学で、英語の非常勤講師として教壇に立つこともできた。事態が急転したのは翌月である。主治医から「お姉さんとは、HLAが完全には合っていないんだ」と言われたのである。大谷さんの顔からいっきに血の気が引いた。 「アメリカでの検査結果は、『適合』ではなく、『適合可能』だったんです。突然の死刑宣告に思えました。さおりちゃんのために、骨髄バンクの運動に協力し始めていましたが、ここにきて、自分の問題になったんです」 このときが白血病との闘いのなかで、いちばん苦しかった、と大谷さんは振り返る。 「このまま死ぬのかなという精神的なつらさは、ずっと続きました。あの地獄のような苦しみが、いまの活動の支えとも言えます。同じ気持ちを抱えている人がいるかと思うと、体が動いてしまいます」 奇跡が起きたのは、もう一度家族4人でHLAの適合検査を受けたときだ。1万分の1という確率で、母親と完全に一致していたのである。移植された巻枝さんの骨髄が、26歳の大谷さんの体のなかで、健康な血液を作りはじめた。しかし、悲しい知らせもあった。14歳のさおりちゃんが亡くなったのである。 「入院していても、いつも好奇心でキラキラしていました。さおりちゃんの夢は“普通の高校生”になることでした。その無念を思うと……。彼女の存在も、いまの活動を支えている一つです」 ’17年1月現在、骨髄バンクの登録者数は46万9,348人、移植は2万309件を達成した。さらに3,527人の患者がドナーを待っている。24時間365日、大谷さんは受け付けている。自分のように白血病になった人、骨髄移植を必要としている人、診察の付き添いなどの相談を。
2017年03月03日東京医科歯科大学(TMDU)は2月16日、これまで治療が困難だった重症の先天性肺胞蛋白症患児に対して造血細胞移植による治療に成功したと発表した。肺胞蛋白症とは、肺胞内に肺サーファクタント(肺胞の表面張力を減少させるための肺表面活性物質)が異常に貯留する疾患で、有病率は100万人あたり6人という希少疾患。そのうち先天性のものは1%とされ、極めて稀だ。今回、造血細胞移植を受けたのは埼玉県在住の1歳女児で、肺胞蛋白症の原因は樹状細胞の欠損によるものと考えられたため、同治療法による治癒が望めると判断された。女児は2015年7月に造血細胞移植を受け、移植後さまざまな合併症が生じたものの賢明な治療により回復、同年11月に退院することができた。移植後は樹状細胞が回復し、肺胞蛋白症が改善したが、なぜ女児で樹状細胞が欠損していたかはわかっておらず、同大において原因解明に向けた取り組みが進められている。今後、原因が明らかになればより安全で効果的な治療法の開発につながると期待されている。
2016年02月18日東京大学は2月11日、骨髄を透明化することで造血幹細胞の局在を可視化することに成功したと発表した。同成果は同大学医科学研究所の山崎聡 助教、中内啓 光教授(スタンフォード大学兼任)と米スタンフォード大学のJames Y. Chen、宮西正憲研究員、Irving Weissman 教授らの共同研究チームによるもの。2月11日付けの「Nature」オンライン版に掲載された。造血幹細胞は生体内の全血液細胞を供給する組織幹細胞の1つで、骨髄移植という形で臨床応用されている。骨髄中で造血幹細胞がどこに存在するかは、造血幹細胞を生体外で増やす研究において重要だと考えられているが、場所を特定する方法はこれまで開発されていなかった。同研究グループは、Hoxb5という造血幹細胞で特異的に発現する遺伝子を同定。また、ゲノム編集技術によって赤く光る蛍光タンパク質を造血幹細胞特異的に発現させたマウスを作製、そのマウスの骨髄から細胞を分散し、蛍光強度に分けて放射線照射したマウスに移植を行った結果、強い蛍光を示す細胞のみが全ての血液細胞を長期間供給する造血幹細胞であることがわかった。同研究ではさらに、日本の研究チームが開発した透明化技術によって骨髄の透明化に成功し、シートレーザー顕微鏡3次元イメージング技術を用いて骨髄内の血管周囲に長期骨髄再構築を可能とする造血幹細胞が局在していることがわかった。今回の成果について研究グループは「造血幹細胞の動態理解が進み、骨髄移植などの造血幹細胞を用いる新規治療方法の開発を加速させたり、より安全で新しい血液疾患の治療法開発につながることが期待される。また、多能性幹細胞からの血液細胞の分化誘導に関する研究にも重要な知見になると考えられる。」とコメントしている。
2016年02月12日日本にも、病気を抱え、臓器移植を待っている子どもたちがいます。ですが日本では臓器移植はほとんど行われておらず、心臓に持病を抱えた子どもたちは、大金を支払ってアメリカに渡り、心臓移植の手術を受ける場合も少なくありません。しかも莫大な費用は、寄付などで賄われていることがほとんど。日本ではアメリカよりも、臓器移植の手術が20年遅れているとされています。医療先進国でもある日本で、なぜこのようなことが起こるのでしょうか?背景にどのような問題が隠れているのかを探ってみました。■日本では臓器提供が難しい日本は保険制度が行き渡っており、お金のある人もない人も、少額の負担で医療行為が受けられます。一方、アメリカでは、貧しい人は治療を限定した保険にしか入れなかったり、保険そのものに入れなかったりなど、格差が大きくなっています。医療は非常に進んでおり高度な医療が受けられるのですが、お金があることが前提なのです。しかし臓器提供に関しては、日本のように意思確認が難しくないため、新鮮な臓器の供給が可能になります。アメリカでは、ボランティア活動をすることが当たり前。そこで、経済的な理由で病気の治療を断念した人が「自分の臓器が使われれば」と臓器提供するケースが多いのです。そのため、臓器移植を受ける側にとって有利な環境にあります。そもそも日本では、終末医療において、死亡時以外の医療行為の停止は認められていません。この点について、神戸大学大学院法学研究科の丸山英二氏も自身のサイト上で指摘しています。どんな人でも限界まで最大限の医療を受け、治療を長引かせるため臓器の状態が悪くなり、移植に対応できる臓器の供給が難しいという面があるのです。いま、「異色の漫画」として注目を集めているナガテユカさんの『ギフト±』では、女子高生が犯罪者の臓器を闇ルートで販売に関与します。ドラマ化もされた大人気漫画『エンジェル・ハート』では、主人公が心臓移植で一命をとりとめます。フィクションでは驚くほど簡単に臓器移植をしていますが、現実の日本ではほとんどありえない状況なのです。■日本では脳死が死ではない臓器移植の問題は、脳死の問題でもあります。みなさんは、脳死を人の死とするかについては医者の間でも議論が分かれていることをご存知でしょうか。日本では特に倫理上、脳死をまだ人の死とはみなさず、臓器移植は人道に反する行為だと感じて反対する考え方もあるのです。たとえば哲学者の梅原猛氏は、脳死は人の死ではないとして反対しています。この問題は国会議員も巻き込んで大論争となり、脳死を人の死とする立法を目指す活動もはじまりました。ですが、脳死は脳死後ただちに臓器の移植が始められるという誤解が一般に浸透しています。アメリカではむしろ、人の死よりも「人の生のはじまりはどこか」という議論が主流で、妊娠中絶などについて激論が交わされています。そういった文化の違いもあって、日本では議論そのものがかなり欧米に比べて未成熟なのだといえるでしょう。そこが日本の臓器移植が遅れている点でもあります。社会全体がこの問題に向き合い、正確な医学的知識を持って、命と死に関して向き合っていく必要がありそうです。日本人には、「できるだけ死に向きあいたくない」という国民性もあります。しかし、いまこそ議論を進めるべきなのではないでしょうか。(文/渡邉ハム太郎)【参考】※(社)日本看護協会・神戸研修センター「終末期医療とこれからの課題―救急医療から緩和ケアまで―」-神戸大学大学院法学研究科 丸山英二※脳死は人の死か-永井俊哉ドットコム※臓器移植と人工中絶-RELNET(レルネット)
2016年02月02日国立医薬品食品衛生研究所(NIHS)はこのほど、日本医療研究開発機構(AMED)および先端医療振興財団との共同研究により、再生医療用の移植細胞の製造中に混入または発生するがん化のリスクを持つ悪性形質転換細胞(がん細胞)を超高度に検出する「デジタル軟寒天コロニー形成試験法」を開発したと発表した。同成果は同研究所再生・細胞医療製品部の佐藤陽治 部長とAMEDリサーチ・レジデントの草川森士 博士を中心としたグループによるもので、2015年12月8日に英国科学誌「Scientific Reports」に掲載された。再生医療に用いられる移植細胞の製造工程管理では、がん細胞が混入してしまった場合にそれを高感度で検知し、移植細胞の品質を確保する必要がある。がん細胞の特性である足場非依存性増殖を利用する従来の「軟寒天コロニー形成試験」は、正常細胞への混入を比較的短期間かつ簡便に評価することができるが、従来のアッセイ法におる検出感度は低く、正常細胞中に微量に混入したがん細胞から形成されるコロニーを検出することは困難だった。これに対し、同研究では画像解析によるコロニー検出に挑戦し、細胞の核、ミトコンドリアをそれぞれ青、赤に染める生細胞染色試薬を用いてコロニーを染色し、コロニーの形状、大きさ、蛍光輝度などを指標とすることで1個のコロニーを高精度に認識することが可能となった。また、画像解析のハイスループット化にも成功した。さらに、同技術を応用して、細胞試料をマルチウェルプレートに分割、播種して軟寒天培養を行い、各ウェル内での細胞コロニー形成を解析し、足場非依存的に増殖するがん細胞の混入を評価する「デジタル軟寒天コロニー形成試験」を考案。同試験法は大量の細胞からなる試料であっても、複数に分割したウェル毎にコロニー形成の有無を解析するため、高シグナル/ノイズ比が確保され、試料中に微量に存在するがん細胞を高感度に検出することが可能となる。同試験法を同グループが評価したところ、HeLa細胞相当のがん細胞が混入する細胞試料であれば0.00001%の感度で検出可能であることが示唆されたという。また、細胞試料を分画、播種するウェル数および培養細胞数を調節することで、検出感度を適宜向上させることが可能であることに加え、細胞数にかかわらず、高検出感度を保持する同試験法の適用が可能だと考えられている。同研究グループは今後、再生医療用の移植細胞の製造工程における品質評価のための標準的な試験系にすることを目指し、試験系の自動化などもふまえ、試験方法の最適化に向けた研究を進めていくとしている。
2016年01月18日京都大学は6月16日、新しい細胞移植法を開発し、ラットの聴神経の機能を再生することに成功したと発表した。同成果は同大学医学研究科の関谷徹治 研究生(医師)らの研究グループによるもので、6月16日に米国科学アカデミー紀要に掲載された。脊髄損傷や神経変性疾患では、中枢神経細胞が次第に死んで神経変性が起きるため、手足の麻痺などが発生する。こうした問題に対し、細胞移植治療による神経機能の回復が試みられているが、現状では、移植された細胞の大部分が短期間で死んでしまうという課題がある。移植した細胞が短期間で死んでしまうのは、中枢神経細胞が死んでいく際に硬い「瘢痕組織」ができるためだと考えられている。同研究グループが開発したのは、従来の細胞を神経内に注入する方法とは異なり、細胞を神経の表面に置く手法。ラットの聴神経瘢痕化モデルを用いた実験では、表面に移植された細胞は、瘢痕化した神経内に次々と入り込み、瘢痕組織を利用しながら形を変えつつ、長期間生き続け、3カ月後にはラットの聴神経の機能が改善していた。顕微鏡による観察でも、移植された細胞がシナプスを介して元の神経と連結していることが確認された。今回の研究は、神経組織の再生にとって瘢痕組織は有害であるという従来の考え方を覆すもので、新手法は筋萎縮性側索硬化症(ALS)やポリオで障害された運動神経の表面に細胞を移植することなどへ応用できる可能性がある。
2015年06月16日富士フイルムは3月19日、再生医療に向けた細胞培養・移植に必要な足場素材「リコンビナントペプチド(RCP)」のマイクロサイズのペタロイド状微細片(petaloid μ-piece)を開発したと発表した。これを細胞と組み合わせて、モザイク状の三次元細胞構造体「CellSaic」を作りマウスに移植すると、細胞だけを移植した場合に比べて、生存効率が大幅に向上するという。生体に移植した細胞を機能させるには、移植した細胞や組織を効果的に生体内に生着させることと、移植した組織や細胞において栄養・酸素の供給や老廃物排泄を可能にすることが重要となる。細胞を生着させるためには細胞の足場となる素材使うこと、栄養・酸素の供給や老廃物の排泄を可能にするためにはその通り道となる血管を早く導入する方法が有効とされている。しかし、細胞塊が大きくなると中心まで栄養や酸素が供給されず、老廃物の排泄も困難になるため血管導入までに細胞が死滅してしまうという課題がある。富士フイルムが開発した「RCP」のペタロイド状微細片を用いて作製した「セルザイク」では、細胞の足場が確保されるとともに、内部に空間が形成され、その空間を通じて栄養・酸素の供給、老廃物の排泄が可能となり、生体からの血管系の通り道が形成される。マウスで行った実験では細胞のみ移植した場合と比べて生存率が約2倍に向上した。また、1型糖尿病モデルマウスを用いた実験も行った。1型糖尿病など、血液中のブドウ糖を調節する役割を持つ膵島の機能不全によって血糖値の制御が困難な場合には、ドナーから膵島を移植するという治療方法が存在する。その際、間葉系幹細胞(MSC)と共に移植することで治療効果が上がることが報告されている。同実験では、hMSCと「RCP」のペタロイド状微細片を組み合わせた「セルザイク」を膵島と共に1型糖尿病モデルマウスに移植したところ、正常レベルまで血糖値を下げることができた。これは、移植したhMSCが生体内で多く生存しているため、膵島移植の効果が高まったことによるものだと考えられるという。「RCP」のペタロイド状微細片を組み合わせた「セルザイク」は今後、細胞移植や細胞再生、臓器再生などさまざまな再生医療への活用が期待される。
2015年03月20日骨髄リンパドレナージュ『波指法』株式会社アドマーケティングは、”骨髄”へのセルフケアできれいになる「骨髄リンパドレナージュ『波指法』」を紹介したDVDを発売。「1回、たったの3分。骨をさするだけ」で美容効果、痩身効果を得られる驚きの”新常識”だ。プロも注目「骨髄リンパドレナージュ『波指法』」は、日本波指法協会の代表である高木氏が考案した美容法。施術効果が高いことで、多くの専門家からも支持されている。今回新発売のDVDは、さらに一般女性からの要望をうけ、「自宅で簡単に実践できる」ことを目的として作成されたもの。頭の先から手足の指先まで、全て手で”さする”ことにより、骨髄リンパの流れを促進。短時間で、美と健康を実現する。わかりやすい内容DVDは用途別のケア方法を紹介。「顔」「二の腕」「バスト」「ウエスト」「脚」といった部位毎のケア方法を高木氏がレクチャーする。これらのケアをおこなうことにより、ホルモンバランスが整えられ、生理不順の改善や、ストレス緩和にもつながるという。時間は「毎日たったの1回、3分」。時間のないOLや、主婦、子育て中のママにはうってつけだ。(画像はプレスリリースより)【参考】・「骨髄」にアプローチする最新の全身美容メソッド誕生。これまで類を見ない「たったの1回、3分」“骨をさする”だけで美容痩身効果を得られるセルフケアDVDが完成。
2015年03月16日映画『迷宮カフェ』の初日舞台あいさつが7日、東京の角川シネマ新宿で行われ、女優の関めぐみ、市川由衣、角田信朗らが登壇した。同作は、自殺願望や骨髄移植という重い題材を軸に、サスペンスと少しのユーモアを交えて紡ぎ出す心温まるヒューマンドラマで、「過去が謎に満ちている美しき店主・マリコが営む人里離れた一軒のカフェ。そこを訪れる客が次々に失踪するという噂を聞きつけて真相を探りにきた週刊誌記者・榎木田。そして秘密を抱えた3人の常連客。それぞれの心が『骨髄移植』を通してひとつに繋がっていく…」というストーリー。主演のカフェの店主役を務めた関は、今回の役を演じるにあたり「役をいただいたときに、女性としての強さと柔らかさを持ち合わせた人だなというイメージだったので、感情の起伏を出さずにフラットなテンションでいました。自分とは違うタイプですが、現場で個性豊かなキャラの中にいるときは、冷静でテンションを上げないようと思っていました」と気を付けたという。一方、自殺願望があるボディビルダー役を演じた角田は、「今回の映画のテーマが『骨髄移植』と『自殺』ということで、僕はK-1という大きな舞台で一緒に戦った、白血病で亡くなったアンディ・フグと、自らの命を絶ってしまったマイク・ベルナルドという2人の偉大なファイターに導かれるように、この映画にたどり着いたような気がするので、彼らにこの映画を捧げたいなと思いました」としみじみと語った。また、映画の内容にかけて、自身の14歳の頃の様子を聞かれた関は、「『入っちゃいけない』って書いてあったら入りたくなって、『熱い』って書いてあっても触ってみないと分からないということで、ケガはたくさんしていたらしいのですが、今も変わっていないと、最近、両親から聞きました」と意外な一面を明かし、市川は「ちょうどグラビアでデビューした年で、初めての仕事がオーストラリアでバンジージャンプをやるという仕事だったことが印象に残っています(笑)」と笑顔。角田は「いじめられっ子で仲間外れにされて過ごしてきて、14歳のときに『空手バカ一代』というマンガを読んで、このマンガに出てくるすごい空手家になりたいと思いました」と空手家になったキッカケを明かした。このほか、舞台あいさつには藤原薫、大迫一平、荒川ちか、帆根川廣監督が登壇した。映画『迷宮カフェ』は3月7日(土)より角川シネマ新宿ほかで公開中。
2015年03月08日東京医科歯科大学と科学技術振興機構(JST)は8月16日、マウスをモデルとした実験で体外に取り出して培養した小腸上皮細胞を消化管(大腸)へ移植することに成功したと発表した。この成果は、同大学大学院医歯学総合研究科 消化管先端治療学の中村哲也 教授、同 消化器病態学分野の渡辺守 教授、同 水谷知裕 特任助教、同 福田将義 医員らの研究グループによるもので、米科学誌「Genes & Development」にて発表された。同研究グループは2012年に、大腸の最も内側にならぶ上皮組織の幹細胞を体外で増やし、移植することで傷害を受けた大腸の修復が可能であることをマウス実験で確認していた。しかし、小腸について同様に体外で増やした細胞の移植による上皮組織の再生が可能かどうかはわかっていなかった。今回の研究では、肛門付近の大腸に上皮の欠損を生じる大腸傷害マウスモデルを作成し、全身で蛍光を発する別のマウスから小腸上皮細胞を取り出して増やした後に、大腸傷害マウスへ移植。その後経過を観察して体外で増やした小腸上皮細胞を別のマウスへ移植し上皮組織が再生可能であるか、移植片内で再生する細胞はいかなる性質を示すのかを調べたという。大腸傷害マウスを調べたところ、移植直後から蛍光で識別できる移植小腸細胞が大腸組織に接着して新しい上皮を形成し、2週間後には、移植細胞が生体内で分裂・増殖を繰り返すことが判明。4週間あるいは4カ月経過後にも、小腸細胞が移植を受けたマウスの大腸に安定して組み込まれていることがわかり、移植細胞が体内で上皮組織を再生する幹細胞として機能することが確認されたという。次にこの移植片を詳しく調べたところ、増殖を繰り返す細胞群とともに通常の小腸上皮に含まれるすべてのタイプの細胞を含むことから、移植された細胞が個体内で小腸型の上皮幹細胞として機能していることがわかったという。それに加え、移植片内に通常小腸に見られ大腸には見られない特徴が含まれること、その細胞が示す遺伝子パターンも大腸とは明らかに異なることもわかり、実際に小腸型上皮幹細胞に特徴的な形態と機能を持つ細胞を確認することができたとのこと。同研究グループは、これらの結果から、「体外で増やした小腸上皮幹細胞が、たとえ自身が由来する小腸と異なる(大腸)環境に長期間おかれても、小腸型幹細胞としての性質を維持できることも明らかとなった」と結論付け、今後この発見がさまざまな細胞を利用する消化管上皮再生医療技術の基礎となることが期待されるとしている。
2014年08月18日なくてはならない男らしさと威厳の象徴トルコで男性の健康や美容をテーマにしたツアーが急成長中だ。中でもヒゲの移植を目的としたツアーに人気がある。12月26日、イギリスの the guardianが報じた。(写真はバブルマッサージを受けるツアー客)口ヒゲと顎ヒゲの移植がポピュラーになってきたのは2年ほど前。国内だけではなく中東アラブ諸国からのツアー客も多い。アラブ諸国では男性の口ひげは男らしさと威厳の象徴であり非常に重要なものだ。ヒゲのないスポーツマンのような顔ではビジネスもうまくいかないという。当然結婚にも影響する。2人、3人、4人と妻を迎える度に移植を繰り返すリピーターもいる。しかし、女性パートナーからの勧めで移植を決める人はほとんどなく、みな自分の意志で施術に来るのだそうだ。移植後、ヒゲが増えたからと言ってそれまで以上の手入れが必要になるということはなく、ほぼ放置状態だという。アラブ諸国からツアー参加西欧にも?4日間イスタンブールに滞在し、移植施術料込みのツアー料金は2,300ドル。アラブ首長国連邦、クウェート、サウジアラビア、イラクからの参加者がある。ツアー・マネージャーの Irfan Atik は、今後はイギリスなどにもツアーを広めたいが、アラブ諸国とはファッション感覚が違い、西欧の方がファッショナブルだ。と話す。トルコ・イスタンブールはアラブ諸国の中で最も観光客が多い。訪れる観光客は2001年には約70万人だったが2011年には400万人に増えた。カルチャー、ファッションの面でも近隣諸国へ与えている影響は大きく、トルコの俳優や歌手は各国のテレビで見ることができる。彼らにももちろん立派な口ひげがある。元の記事を読む
2012年12月30日公益財団法人骨髄移植推進財団は、ドナーと医師や関係者との連絡調整等を行うドナーコーディネーターを募集している。同財団は、白血病などの血液難病に苦しむ患者の救命のため、平成3年12月に発足。昨年で設立20周年を迎え、昨年度に実施した移植は過去最高の1,272件となった。2012年4月末までの累計では1万4,000件を超え、自身の骨髄を提供してもいいというドナー登録者も40万人を超えるという。ドナー登録者は、患者とHLA型が合うと、提供に向けたコーディネートを開始する。その際、ドナーと医師や関係者との連絡調整、ドナーや家族に対しての説明や意思確認、ドナーの健康状態の把握するのがコーディネーター。現在全国で150人程が活動を行っているが、一部の不足する地域においてこのほど募集を行う。希望者は「コーディネーター養成研修会」を受講し、コミュニケーションスキルと、コーディネートに必要な知識を身に付ける。受講後はコーディネーターとしての認定を受け、同財団からの委嘱に基づき活動を行っていくとのこと。募集地域は、北海道(札幌、旭川、道東)、青森、宮城、山形、福島、三重、静岡、石川、福井、福岡、熊本、大分、宮崎、鹿児島、沖縄。研修期間は8月下旬~12月(予定)。研修内容は、各地区事務局での集合研修(4、5回)、近隣の指定病院での実地研修(10回以上)など。中間試験、修了試験あり。受講料は無料(教材費を含む)。応募は履歴書(写真貼付)、職務経歴書、受講動機(400字原稿用紙1枚)を添えて同財団まで申し込みを。応募締め切りは7月27日必着。応募先・問い合わせ先は、〒101-0054東京都千代田区神田錦町3-19 廣瀬第2ビル7階(公財)骨髄移植推進財団「コーディネーター養成研修会」電話03-5280-2200【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年05月24日新設されるドナー休暇第一生命保険株式会社は15日、社会貢献活動のより一層の充実を図るためとして、全職員を対象に「ドナー休暇制度」を新設することを発表した。12月1日より開始となるこの制度は、同社の職員がドナーとして臓器や骨髄液を提供する場合、それに要する相当の期間を、通常とは別の特別有給休暇として取り扱うというもの。※画像はイメージ骨髄移植を拡げるため同社は現在、骨髄移植の機会を拡げるための「命のバトンリレー・骨髄バンクドナー登録」を推進しているが、今回の制度によって、骨髄ドナー登録をした職員は検査や入院に必要な日数が特別有給休暇扱いとなり、負担が大きく減少する。臓器移植についても、社会貢献性が高いことから対象となった。同社は今回の制度について、下記のようにコメントを発表している。今後とも、当社は、自らが地域社会の一員であることを意識し、「良き企業市民」として発展することを目指し、社会貢献活動に積極的に取り組んでまいります。
2010年11月18日ドナーに対する給付金を追加損保ジャパンひまわり生命は11月2日、医療保障商品について、骨髄ドナーに対する手術給付金を支払うという改定を行う。改定に伴う保険料の引き上げはないという。休業損失などの間接費用の負担を軽減骨髄採取に伴うドナーの入院費用は受容者側の保険で対応するため、ドナー側に負担は生じない。しかし、骨髄採取に要する入院によって仕事を休んだ場合の休業損失や、ホームヘルパー代等の間接費用についてはドナーの負担となるため、医療保険等において所定の手術給付金を支払うことでドナーの経済的負担を軽減する。支払い対象支払いの対象となるのは、責任開始日から1年を経過した日以降に行われた手術に限り、手術給付金の支払いは保険期間を通じて1回のみ。また、ドナーと受容者が同一人となる自家移植の場合は除く。
2010年10月08日