■不完全な私たちの集まりが社会だ
もっと言うとこの実験では、アプリを使って私の心身の調子を把握してくれているパートナー(男性・50代)にも、じわじわといい相乗効果が生まれている気がする。
というのも驚くことに彼はこれまで、自分の体調に耳を傾けるということをほとんどしてこなかったというのだ。事実、付き合いはじめて1年ほど、彼が「疲れた」と口にするのを聞いたことがなかった。「疲れたと言うと余計疲れたと感じるから、言わないようにしている」とさえ言っていた。そんな彼に、数年にわたって私の心身の調子を報告し続けているうちに、いつしか彼もまた「今日は調子悪いな」とか「さすがに疲れたよ」とか、自然と口に出すようになってきた。
大人の社会には「体調管理も仕事のうち」なんて恐るべき言葉があって、特に私のパートナーが20代の頃の日本はいわゆるバブルの真っ只中、「24時間戦えますか」というCMソングが流行語になったりもしていた時代だ。不調や疲れを露呈するのは今以上に社会人失格の行為とみなされていたんだろう。
だけど、至極当たり前のことだが私たちがどう頑張ったところで、病気にかかるときにはかかる。
最上級の管理下で守られていたであろうイギリスの首相だって新型コロナウイルスに罹患したくらいで、自分のことを全部自分でコントロールできるほど人間は完全体じゃないのだ。