もちろん、だからって無遠慮に感情をむき出しにして相手をサンドバッグにしたりはしない。ただ、たとえば「こんなに苦しいことがあった。でもそれを乗り越えた今こんな風にポジティブ」というように、ちゃんとした物語なら往々にしてあるはずの後半の展開が一切ない状態のままで話す。出口が見えない途中の状態を、ありのままに話すのだ。
半信半疑ながらもこういうことを数年かけて少しずつ(臆病なので本当に少しずつ)、親しい人たちとやっていく中で、次第にいい効果が生まれていると感じた。
そのうちのひとつは、他人への信頼が増したこと、以前より信頼できると思える他人が増えたことだ。なにしろエンタメ性も、サービス精神も皆無の完全なる私事を許容してくれる相手が少なくともこの世に何人かいるというのはすごいことだ。
絶望しかけたとき、その何人かの姿をたしかに想像できることで、自分が生きているこの世の中そのものをも以前よりも多めに信頼できるようになった。
まだ途中の自分を受け入れられることによって、自己完結させなければ、というプレッシャーからずいぶん解放され、心に余裕ができた。その結果、自ずと他人にイライラすることも少なくなった。