2018年4月24日 11:00
「苦手を克服」で心が壊れる前に…「不登校」を選択した息子と、二次障害を経験した私の決断とは
倍の労力を使っていることは、見ただけではわからない。そしてできてしまうだけに「やればできる」「特性による苦手も、努力で克服できる」と判断され、場合によってはそれまで「できない、辛いからやりたくない」と発言してきたことさえ、「発達障害を盾にしたわがままであった」とされてしまうかもしれない。
未診断であったものの、小学生・中学生時代の私も同様の経験をしている。そして原因不明の体調不良になり、始業から放課までを学校で過ごすことが困難な日が増えた。今にして思えば、これも二次障害だろう。
私は従来からの学校教育や制度を批判したいわけではない。しかし同時に、「心を壊してまで通い続けるべき場所ではない」とも、強く思っている。
「いつかは復学するかもしれない」と、声にはせずとも、私はどこかでほんのちょっぴり望んでいたのだろう。
だからこそ繰り返される面談でも、きっぱりとした態度を取れなかったのかもしれない。その、願ったところでどうにもならない、建設的ではない考えを、私は捨てることにした。
ようやく聞けた不登校の理由と、私の決断
Upload By 鈴木希望
現在息子は服薬治療を継続しながら、自宅学習をしている。精神状態が落ち着いたからか、先日、学校に行きたくない理由を、私に話してくれた。「もっと先に進みたいのに、自分のペースで進められない」といった学習面や「壁の臭いや音の響きが苦手な場所がある」という感覚過敏に加え、私にとっては少し意外な理由も明らかになった。
「誰かが悪いことをしていても、それをしたいという人が多いと、みんなそっちに味方してしたり、あっさり考えを変える人がたくさんいるのが嫌」「男子と女子が仲良くしているだけでラブラブだとか言って、囃し立てるのが理解できないし、バカバカしい」「頭のいい人や運動ができる人が羨ましいからって、自分よりそれができない人をバカにして、勝った気になる人を見るのが悲しい」
いわゆる「小学生あるある」「学校特有の人間関係」に、強いストレスを感じているようだった。大好きな友人たちの話を笑顔で語っていた息子が、かつての私のような思いを抱えていたなんて…。
「それぞれの人のことは嫌いじゃないし、みんながみんなそうってわけじゃないよ。
でも、そういう人が多い中で過ごすのは、悲しいし辛い。自分には山形のA君とか、東京のY君とその奥さんのTちゃん、神奈川のR君って友達がいるでしょ?たまにしか会えないけど、いろいろな話をできる友達がちゃんといる。