「ジャンル」にとらわれず、ストリートから成功した異色の音楽界のレジェンド二人から学べること
(明日なき暴走)のエンジニアとして名を上げた。しかし、この転機は、単に大物となるアーティストのブレイクアルバムを手がけたことからきたものではなかった。このアルバム制作を通して初めて、必要とされている仕事をこなす以上に、心と身体の全てを入れて音楽を制作するということを経験したのだ。スプリングスティーンと仕事をすることで身についた労働に対する倫理観こそが、彼を成功へと導いたといえる。
しかし、存在するものをまたなぞるのでは新しいとはいえない。アイオヴァインは、ロックの括りにとどまらず新たなアーティストや才能を求める信念があってこそドレーに辿り着いたのだ。スプリングスティーンが「ジミーのキャリアは前進することを全く恐れないことからくる」と語っているように、彼は常に次を見ていたのだ。そうだったから、U2(ユーツー)、Stevie Nicks(スティーヴィー・ニックス)、Eminem(エミネム) やLady Gaga(レディー・ガガ)、2PacことTupac Shakur(トゥパック・シャクール)とドクター・ドレー本人まであらゆる有名アーティストのプロデュースを手がけてきたのだ。
ドレーは、当時DJとして活動していたグループから離れて独り立ちし、ギャングスタ・ラップのパイオニアとされるヒップホップグループN.W.A(エヌ・ダブリュ・エー)