ホアキン・フェニックス、“愛を求める”ジョーカーのように追求する俳優人生
1974年10月28日、プエルトリコ生まれ。23歳の若さで急逝した俳優リヴァー・フェニックスを兄に持ち、姉のレイン、妹のサマーも女優として活動していた役者一家。母親は米TV局NBCの職員であり、8歳からホアキンも演技の道へ。1986年、12歳のとき“リーフ・フェニックス”の名義で『スペース・キャンプ』で映画デビュー。キアヌ・リーヴスも出演していたロン・ハワード監督『バックマン家の人々』(’89)で注目を浴びたが、その後活動を休止する。
そんな彼が図らずも、再び世間の目を集めることになったのが、1993年の“ハロウィーン”10月31日だった。当時ジョニー・デップが共同所有していたナイトクラブ「ザ・ヴァイパー・ルーム」で兄リヴァーが薬物の過剰摂取により急死、一緒にいたホアキンが救急車を呼んだといわれる。19歳の誕生日の直後の出来事だった。
先日、トロントでの「トリビュート・アクター・アワード」授賞式では、ウィレム・デフォーがまだ紹介している最中に登場して笑いを誘っていたが、スピーチでは母親や家族らに対して、とりわけ兄リヴァーについて語った言葉が多くの映画ファンを涙させることになった。
それはホアキンが15、16歳ごろのこと。