村上虹郎、自分を見て「下手くそ」「サイテー」失望の先にあった原動力
一方、僕は河瀨直美監督の映画『2つ目の窓』で主演デビューしましたが、俳優という仕事を目指していたわけでも、すごく好きだったわけでもありませんでした。通っていた学校(シュタイナー学園)の教育スタンス上、メディアが禁止だったので、そもそも映画もさほど観ていませんでしたし。
父(村上淳)の繋がりから、今回、アソシエイト・プロデューサーを務めている小泉今日子さんだったり、竹中直人さんや廣木(隆一)組の方々などには、子どもの頃から面識はありました。それこそ河瀨監督も。でも顔は知っていても、その人たちがどんな思いで、何をどう作っているのかは、何も知らなかったんです。そこから飛び込んで、映画を、現場を知った。僕は、俳優業に惹かれたというより、映画という文化に惹かれたんです。
○■俳優業にハマったのは、悔しかったから
それが、役者そのものにハマっていった。
理由は悔しかったからです。出来上がった映画で自分を見て、「なんだこいつ、下手くそだな、サイテーだな」と思ったんですよ。それで「次やったら、もうちょっとよくなるはずだ」と。一番ダメなやつです。ギャンブルと一緒。「次はイケるでしょ」みたいな(笑)。
今もまだまだですが、10代から20代に入って、俳優として少しは作品を重ねてきました。