ロンドンに行ってみると、セットの建設予定地が「これ狭くて入らないかも」ということが判明。前もって土地の広さを確認していなかったことにも驚きますが、その後の対応にはのけぞります。「でも、まあやってみるか」とセットを建て始めたのです。
ここまでのくだりで1960年になっており、予算は倍の600万ドルに上方修正(笑)。ちなみに脚本はまだできていませんでした。
■予算を3倍の900万ドルに!
1960年の夏に脚本が完成して秋から撮影開始。ところが主演女優のエリザベス・テイラーが高熱でダウン。進まなくなります。
そうこうするうちに「やっぱり狭くてダメだ」ということになって、ロンドンから撤収決定!
予算は3倍の900万ドルに上方修正(笑)。ついでに監督もクビになって、新しくジョゼフ・マンキーヴィッツが監督に就任します。この監督のすえられ方も大問題でした。エリザベス・テイラーのお気に入りだったのです。
いわゆる情実人事ってやつですね。結果から言えば、マンキーヴィッツは監督を引き受けるべきじゃなかったのです(笑)。
マンキーヴィッツ新監督は「ゼロからやり直しだ」と考えたので脚本もやり直しになりました。