帰りの電車で「お給料もらったら、1万円返すからね」とわたしが言うと、母は「だけど会社には着ていっちゃだめよ。あれは、観月ありさみたいやからね」と何度も言った。
以来、そのコートは「観月ありさ」と呼ばれるようになる。
卒業間近の大学にも、わたしは観月ありさを何度か着ていった。友人たちは「それを着てると、他の人が風景に見える」と言う。
わたしは、とてもとても気分がよかった。だって「そういう気分の日」だったからだ。
■スーツのボタン
春には上京し、社会人になった。
そしていくつも東京で春を迎えたけれど、観月ありさを平日に羽織ることだけは遠慮しておいた。これは休日に楽しむ洋服。母との約束だったからだ。
やがて何度かの転職を繰り返し、わたしは社会人6年目にして、ようやく子どもの頃から憧れ続けたテレビ局に入社することとなる。
夢とは、いつか叶うようにできているのだと思った。
だけど、きらきらとした思いも束の間、「営業職の側面もあるから」と毎日スーツを着るよう命ぜられてしまう。
「スーツですか……」
すこしでもカジュアルだと、朝から何度もお小言を言われるので、わたしは濃紺のジャケットばかり着ていた。