自分のことが嫌いだった少女が俳優になるまで。内田慈が明かす「人生の原動力」
でもじっくり話を伺ってみると、抑圧された環境から家出同然で抜け出し、20代半ばごろまでは、「阿佐ヶ谷の家賃2万5000円の4畳半風呂無しアパートを拠点に、バイトで食いつなぎながら小劇場の舞台に立つ日々を送っていた」というから驚かされる。
「父は塾講師をしていたこともあって、教育に関してはとにかく厳格だったんです。だから私は何をやるにしても『どうせダメって言われるんだろうな』って、端から諦めがちでした。しかも、『ここは空気を読んでこうしとくか』みたいに、三女だからバランスを見てしまうところもあって。常に自分の感情を押し殺して生きている感覚がありました。でも、学生時代に演劇と出会って、初めて、ありのままの自分を認めてもらえた気がしたんです。『本当はもっとめちゃくちゃやってもいいんだよ』『別に変でもいいんだよ』って」
阿佐ヶ谷時代は、まさしく「若い頃の苦労は買ってでもしろ」を地で行くような感覚で、「『いつかインタビューのネタにできるかも……!?』というくらい前向きに過ごしていた」という内田さんだが、「とはいえさすがにキツいと思う日もありました(笑)」と振り返る。
「風呂無しどころか、洗濯機すら持ってなかったので(笑)。