2019年9月15日 06:00
横浜銀蝿 80年代振り返り「アイドルから電話番号を…」
「ラジオ番組で2人きりになったとき、デスクの下からメモを渡されて。でも、返事はしなかったよ。彼女がいたし、俺、いちずなのよ(笑)」
バレンタインデーともなれば、トラックでチョコレートが届いた。「Johnnyがいちばん多かった。2万個は来たよ」(翔)
そんな人気絶頂のなか、わずか3年あまりでグループは解散。
「デビューするときから2年間で解散する約束だった。シングル1位、アルバム1位、日本武道館を満タン。この3つの目標のなかでシングル1位だけ取れなくて、悔しいからもう1年やろう、と。
俺たちのトップを阻んでいたのは、シャネルズと寺尾聰さん。みんなサングラスをかけていたね(笑)」(翔)
公言していた目標を達成。’83年の大みそかのラストライブで完全燃焼した4人はそれぞれの道へ。
結成40周年を迎える’20年。解散後、37年の時を経て、初めてJohnnyを加えたオリジナルメンバーで再結成する。
「今、楽しくてしょうがない」
と喜び全開の翔。いっぽう、再結成の誘いに最初は戸惑ったというJohnny。心境を語った。
「ギターを20年以上も弾いてなかった俺が、いまさらステージに立てるわけがないと思いました。