「とことんやれ」萩本欽一が語っていた妻の“夢追いサポート”
続いて2人の子供に恵まれたが、相変わらず仕事漬けの日々を送っていた。
萩本は“家族を顧みない旦那”と言われないよう日曜は必ず休みを取り、子供たちとの時間を増やしていた。そんなとき、澄子さんはこう伝えたという。
「あなたが無理して楽しそうにしているのはバレバレだし、そういう付き合いをすると、子どもたちがかわいそうだから、やめたほうがいい。そんなことなら、仕事を思いっきりやれば」
その言葉がキッカケで、澄子さんに子育てを一任。いっそう自身の夢を追うことにした。85年には前述3番組のレギュラーを突如降板。映画や舞台の世界で新たな“夢”を探し、05年には64歳にして野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の監督に就任した。
その2年後には「24時間テレビ」のチャリティーマラソンランナーとして、70キロメートルのマラソンにも挑戦。さらに15年4月、駒澤大学仏教学部に社会人入試で入学ーー。萩本はあくなき探求心のもと、夢を追い続けた。
「レギュラー番組をやめたときも、『ゴールデンゴールズ』監督になるときも、そして大学受験をしたときも……。『やめときなさい』なんて言われたこともなければ、『がんばって』と直接応援されたこともなかった。