2022年7月3日 06:00
87歳DJのSumiRockこと純子さん 昼は大人気餃子店、夜は歌舞伎町で客を沸かせる
収入は東大出の先生の3倍。祖母は百貨店の外商がくると、私にもワンピースを買ってくれました」
そう笑顔で語る純子さんは、1935(昭和10)年1月27日、高田馬場(当時は淀橋区戸塚町)で生まれた。母は千秋さん。弟が2人。
「私がものごころついたころは戦争で、ジャズは敵性音楽。ジャズのSP盤を聴くときは、外に音がもれないように、スピーカーを座布団で覆い、その中にもぐって聴いたものです」
ジャズを禁じられた楽之さんは、映画音楽や少女歌劇団の仕事、軍の慰問、大日本飛行協会の職員などもして生計を立てた。
やがて空襲で家は全焼。祖母や曽祖母が次々に亡くなり、楽之さんも急性肺炎でやせ衰えた。
終戦を迎えると、父の療養をかねて母の実家のある北海道へ転居。2年ほどで東京に戻ったという。
「体力が回復した父は、進駐軍相手の音楽事務所を開くんです。父は好奇心旺盛のアイデアマン。戦後で皆、自由な空気を求めているなか、バンドと手品を組み合わせたり、大流行したストリップと組んで、また当てたんです。森山良子さんの父・森山久さんやかまやつひろしさんの父・ティーブ・釜萢さんなど、いまやレジェンドと呼ばれる戦後のジャズ界のスターとも交流もありました」