“推し”の急逝を機に、44歳から韓国語勉強→51歳で字幕監修者になった女性「やりたいと思ったら、どんどんやっていい」
「一日の最後、自分の部屋で一人、ヨンハの曲を聴いたり、ドラマや映画を観賞したりしながら晩酌をするのが至福の時間です(笑)」
今回は、会社員時代の同僚が営むバーで半生を振り返った。
■分娩室から戻った彼女へ、義母の第一声は「男でよかった、子供は国立に入れなきゃ」
’66年、東京・渋谷に生まれた花岡さんは、幼いころから読書好きで、小学4年生のときには、『現代用語の基礎知識』を読み、小学6年生のクリスマスのプレゼントに『広辞苑』をねだるような子供だった。
「勉強が楽しくてしょうがなくて、親に言われなくても机に向かっていました」
中学時代は成績優秀で、教師から「どこを受験しても受かる」とお墨付きをもらうほど。
しかし、中学2年生のときに持病のてんかんの発作が再発。学校も休みがちになり、周囲が期待するトップ校には進学できなかった。
「でも、入った高校が私にピッタリだったんです(笑)。服装や髪形も自由で、生徒の自治活動を尊重してくれる校風もありました」
生徒会では、制服化を要望する保護者に対して反対運動をけん引。見事、自由を勝ち取った。
生徒会は楽しい、大好きな読書もやめられない。