“推し”の急逝を機に、44歳から韓国語勉強→51歳で字幕監修者になった女性「やりたいと思ったら、どんどんやっていい」
受験勉強もそこそこに図書館に通った。
「学生運動家の樺美智子さんについて書かれた本を読んだり、在日韓国人について調べたり。インプット量はすごかったと思います」
帝京大学では文学部国文科を専攻。国語の教職課程を取り、教育実習も済ませたが、卒業後は研究生として早稲田大学大学院に進学。
父の姉妹たちも教師で、祖父は校長。親戚に教師が多かったこともあり、教師を目指した時期もあったが、社会問題ならびに文学への関心も尽きることがなかった。
「卒論担当の教授の勧めもあって進学を選択しました。大学に入ってからハマった狂言もそうですが、やはり“人の生活に現れた物語”が好きなのだと思います」
24歳のとき、ボランティア活動を通して知り合った東大卒の男性と結婚。
研究生を1年でやめて家庭に入る選択をしたが、それは自分が望んだことではなかった。
「義父母が私が働くことに猛反対だったんです。在宅でもできる出版社のアルバイトを続けたいとお願いしたものの、主婦業に専念するよう強く求められました。
それに夫は、両親の意見を尊重する人で、ずいぶん話し合いもしましたが、最後は負けてしまいました」
また、花岡さん自身、どこかで「いい嫁にならなければ」