“推し”の急逝を機に、44歳から韓国語勉強→51歳で字幕監修者になった女性「やりたいと思ったら、どんどんやっていい」
という思いもあったという。
「それが魔物でした。呪いのように自分を苦しめていくとは思いも寄らず……」
ほどなくして長男を出産。分娩室から戻ったとき、義母の最初の言葉が「男でよかった」だったときは、腹を立てるよりあきれた。
「その後、言われたのが、『子供は国立に入れなきゃ』ですよ。まだ生まれたばかりだというのに!?と驚きで声も出ませんでした。
国立とは、暗に東大のことを言っているのだとすぐわかりました。それからは、子供が成長してもずっと言われ続けました」
体調の異変に気づいたのは、長男が小学校の高学年のころだった。
顔面をバキュームで吸われるような感覚が2年ほど続き、心療内科にかかった。服薬で顔の不快感はなくなったが、気持ちの落ち込みがひどかった。
体が思うように動かない状態でも、家事は当然、さまざまな活動を抱えるなか、“ちゃんとやらなきゃいけない”という思い込みが心と体をむしばんでいった。
「医師から『頑張りすぎている』と言われても、自分ではどうにもならない。あるとき、とうとうエネルギーが切れてしまって、夫につらいと打ち明けると、『仮病だ』と一言返ってきました」
重いうつ病と診断され、いつ極端な選択をしてもおかしくないところまで病状が悪化。