スターダムへの戸惑いと苦悩……「久保田早紀」は引退、音楽伝道師の道へ
芸能界を引退後は、自身のキャリアを生かして、誰にでもなじみやすいオリジナルの賛美歌なども、精力的に発表し続けている。
かつて、歌うことが苦しい時期があった。デビュー曲がいきなりチャート1位に駆け上がり、シンデレラガールと称された。しかし、待っていたのはスターの名声に戸惑い、苦悩する日々。当時の心境をこんなたとえで表現した。
「気付くと、“久保田早紀という名の暴走列車”から降りられなくなってしまった」(久米さん・以下同)
’58年5月11日に東京都国立市で生まれた久米さんは、4歳からピアノを習い始めたが小6のときやめてしまう。一方で、小3のころから、友達に誘われて近所の教会の日曜学校に通い始めた。
「うちはクリスチャンではありませんでしたが、最初はカードやお菓子をもらえるのがうれしくて。
そのうち『主われを愛す』など、意味はわかりませんが、賛美歌が大好きになりました」
同時に夢中になっていたのが、歌謡曲やフォークソングなど。やがてビートルズなどの洋楽にも目覚めた。