JUJUが3月16日にリリースするカバーアルバム『ユーミンをめぐる物語』のジャケット写真及び全収録曲順が発表された。今作は、「ユーミンは“人生の教科書”」と語るJUJUが最も影響を受けた松任谷由実の楽曲をカバーした作品。ユーミンがJUJUをイメージして書き下ろした新曲「鍵穴」など全13曲を収録し、松任谷正隆・由実がWプロデュースする。2月16日には「卒業写真」の先行配信が決定している。またJUJUは、松任谷正隆が演出を手がける全国ホールツアー『JUJU HALL TOUR 2022 不思議の国のジュジュ苑 -ユーミンをめぐる物語-』を5月より開催する。<リリース情報>JUJU Cover Album『ユーミンをめぐる物語』2022年3月16日(水) リリースProduced by 松任谷正隆・松任谷由実予約購入リンク:●初回生産限定盤【CD+DVD】4,950円(税込)※スペシャルパッケージ仕様(デジパック)+特典DVD付※封入特典:ホールツアーチケット先行抽選申込チラシ●通常盤【CD Only】3,520円(税込)※封入特典:ホールツアーチケット先行抽選申込チラシ(初回仕様)『ユーミンをめぐる物語』ジャケット ※画像は初回生産限定盤【CD収録内容 / 曲順】01. A HAPPY NEW YEAR02. 守ってあげたい03. ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ04. 卒業写真05. 真珠のピアス06. 影になって07. 街角のペシミスト08. 鍵穴09. TYPHOON10. リフレインが叫んでる11. DESTINY12. 雨の街を13. ひこうき雲※初回限定盤のみ:A HAPPY NEW YEAR(Intimate ver.)追加収録【DVD収録】※初回生産限定盤のみ■Documentary of『ユーミンをめぐる物語』■ジュジュ苑ライブ映像全5曲・ANNIVERSARY(JUJU SUPER LIVE 2014 –ジュジュ苑10th Anniversary Special-at SAITAMA SUPER ARENA)・DOWNTOWNBOY(JUJU ARENA TOUR 2015 -ジュジュ苑10th Anniversary Special-at 国立代々木競技場第一体育館)・まちぶせ(-ジュジュ苑スペシャル-スナックJUJU at 国立代々木競技場第一体育館)・あの日にかえりたい(-ジュジュ苑スペシャル-スナックJUJU at 国立代々木競技場第一体育館)・真夏の夜の夢(-ジュジュ苑スペシャル-スナックJUJU アリーナツアー2017 特別アンコール出店at 横浜アリーナ)<ライブ情報>『JUJU HALL TOUR 2022 不思議の国のジュジュ苑 -ユーミンをめぐる物語-』演出:松任谷正隆【日程】5月19日(木) 千葉県 松戸森のホール215月24日(火) 神奈川県 神奈川県民ホール5月27日(金) 大阪府 フェスティバルホール5月28日(土) 大阪府 フェスティバルホール6月1日(水) 福岡県 福岡サンパレス6月2日(水) 福岡県 福岡サンパレス6月7日(火) 栃木県 宇都宮市文化会館6月10日(金) 埼玉県 サンシティ越谷市民ホール6月14日(火) 東京都 中野サンプラザホール6月15日(水) 東京都 中野サンプラザホール6月18日(土) 新潟県 新潟県民会館6月23日(木) 広島県 広島文化学園HBGホール6月24日(金) 岡山県 倉敷市民会館7月3日(日) 群馬県 高崎芸術劇場 大劇場7月8日(金) 東京都 東京国際フォーラム ホールA7月9日(土) 東京都 東京国際フォーラム ホールA7月17日(日) 北海道 札幌文化芸術劇場 hitaru7月18日(祝・月) 北海道 札幌文化芸術劇場 hitaru7月23日(土) 愛知県 名古屋国際会議場センチュリーホール7月24日(日) 愛知県 名古屋国際会議場センチュリーホール7月29日(金) 熊本県 市民会館シアーズホーム夢ホール(熊本市民会館)7月31日(日) 長崎県 長崎ブリックホール8月5日(金) 静岡県 静岡市民文化会館 大ホール8月7日(日) 山梨県 YCC県民文化ホール(山梨県立県民文化ホール)8月11日(祝・木) 神奈川県 よこすか芸術劇場8月13日(土) 石川県 本多の森ホール8月14日(日) 富山県 富山オーバードホール8月18日(木) 岩手県 岩手県民会館 大ホール8月20日(土) 宮城県 仙台サンプラザホール8月21日(日) 宮城県 仙台サンプラザホール8月25日(木) 兵庫県 神戸国際会館こくさいホール8月27日(土) 大阪府 フェスティバルホール8月28日(日) 大阪府 フェスティバルホール9月1日(木) 京都府 ロームシアター京都 メインホール9月2日(金) 兵庫県 アクリエひめじ9月4日(日) 長野県 ホクト文化ホール9月9日(金) 大分県 大分iichikoグランシアタ9月10日(土) 鹿児島県 川商ホール(鹿児島市民文化ホール)9月15日(木) 香川県 レクザムホール・大ホール(香川県県民ホール)9月17日(土) 愛媛県 松山市民会館9月20日(火) 山形県やまぎん県民ホール(山形県総合文化芸術館)9月21日(水) けんしん郡山文化センター(郡山市民文化センター)大ホール9月27日(火) 秋田県 あきた芸術劇場ミルハス関連リンクJUJU オフィシャルサイト: Twitter: Facebook: Instagram:
2022年02月02日1984年に行われた第3回『メガロポリス歌謡祭』で見事ポップス・グランプリを受賞した中森明菜「『十戒(1984)』のメロディーには俺が作る前に、ユーミンが書いた歌詞が付いていたんだよ。すごくいい歌詞だったみたいだけど、方向性が違ったからボツにしたんだって。俺も(その歌詞を)見たかったんだけど、ディレクターがちゃんと読ませてくれなくて。どうしても、ってお願いしたら最初の1、2行だけ教えてくれた。『ガードレールに腰掛けて、ポニーテールをほどいた』みたいな歌詞だったかな。“中森明菜”を意識してカッコいいでしょ?」(売野雅勇・以下同)そう語るのは、作詞家の売野雅勇。『少女A』『1/2の神話』『禁区』など、中森明菜の初期のヒット曲を手がけた彼が、『禁区』以来3作ぶりとなる『十戒(1984)』を作詞したときのエピソードだ。当時、彼女のディレクターを務めた島田雄三からは、「次のシングルは強い女性路線で」と売野が発注を受けていたところ、作曲を担当した高中正義が、自身の判断で松任谷由実と話を進めていたらしい。つまり、発注の段階で何らかの誤解が生じ、作詞の依頼が重複していたそうだ。■“明菜ビブラード”が響く攻めの1曲売野が書いた『十戒(1984)』は、軽いノリの男子に対し《愚図ね》《過保護すぎたようね》《発破かけたげる》《限界なんだわ坊や》と歌い、ラストに《イライラするわ》でトドメを刺すという、現代ならパワハラだとも言われそうなほど攻撃的なフレーズが続く。ちなみに、タイトルを“じっかい”ではなく“じゅっかい”と読ませたのは、単に売野がそう読むのだと思っていただけで、特に思い入れはなかったとのこと。「これは、高中さんの曲に俺が後で歌詞をつけたんだ。ギターのインスト曲みたいなカッコいい作品がすでにできあがっていたから、言葉は当てにくかったかな。でも、『十戒(1984)』は強い言葉で相手を切り続けるようなサディスティックな内容だから、割とすぐに完成したよ。こういう路線はメチャクチャ得意なんだよね(笑)。実際、わずか2、3時間で書きあげちゃった。当時ちょうど、河合奈保子さんのレコーディングでロサンゼルスに連れていってもらったのだけれど、時間が余っていたからメキシコに遊びに行って、その滞在中に余裕で仕上げちゃったくらい。この歌詞に出てくるような言葉のアイデアは、コピーライター時代に鍛えられたのかもしれないね。もちろん、明菜ちゃんが歌う前提で書いたんだよ!」当の明菜も、いつも以上に緩急をきかせ「イライラするわ~~~!!」と強めのビブラートで熱唱。さらに、レースを基調としたスカートやノースリーブのシャツ、手袋にショートブーツなど全身黒づくめの衣装をまとい、あえて笑顔を封印してパフォーマンスするなど、当時19歳にして、その確かなセルフプロデュース力を最大限に発揮した。しかも、クールな雰囲気で歌い終わったあとに満面の笑みを見せる姿も、今ならば“ツンデレ”と言われそうなほど魅力的に映ったことだろう。その結果、発売1週目と4週目にオリコン1位を獲得し、レコード売り上げは累計61万枚以上で年間6位を記録。有線やラジオ、はがきリクエスト状況を総合して順位を決める『ザ・ベストテン』(TBS系)では5週連続で1位となり、年間8位にもランクインするなど、いずれも売野が手がけたシングルの中で最高レベルを誇る人気曲に。しかし、売野が明菜に手がけた曲はこれが最後となった。「明菜ちゃんがセルフプロデュースに目覚めてきたことで、コンセプト重視で進めてきたディレクターさんが、彼女のことをコントロールしづらくなってきたみたい。もちろん、その要因は、俺の歌詞にもあるんだろうね。でも『十戒(1984)』や、その前の『禁区』の歌詞も、本人は好きだと聞いていたよ。カッコいい曲ばかりだから、もちろん俺も大好きだね。自分の作詞曲を集めた35周年記念のCD BOX(『Masterpieces~PURE GOLD POPS~』)にもたくさん入れるつもりだったんだけど、レコード会社のスタッフ間で行き違いがあったようで、入らなかったのが残念で」■中森明菜に今だから書きたい曲はその後、明菜はそれまで自身のヒット作を支えた作家の起用を極力避け、異国情緒のある楽曲や、都会で暮らす大人の女性を象徴した楽曲などに挑戦する中で、衣装や振りつけも含めたプロデュース能力を発揮。女性アイドルというより、1人のアーティストとしての才能を開花していった。そこでの明確なコンセプト作りには、初期に売野作品を歌ったことも多分に影響しているだろうし、売野のほうも明菜作品を手がけたことで、荻野目洋子の『六本木純情派』『さよならの果実たち』など、女の子の孤独と純情が裏表一体となった作品でも成功を収めたのだろう。明菜のことを、売野はどう見ていたのだろうか。「彼女のような女の子は、ギリギリのところで生きていると思う。自分の許容量と振れ幅のバランスが取れていない部分があるから、かまってあげたくなるんだ。今50代となった明菜ちゃんに、また何か書いてみたいね。彼女はきっと、戦争みたいな日々もくぐり抜けてきたわけでしょ。さまざまなことを経験してきた彼女だからこそ、“人生には生きる価値があるんだ”というような歌詞を。明菜ちゃんは、俺が主人公(=明菜)を想像して書いた物語を遥かに超えていくからね。歌の中で1人の女性がリアルに動いているのが、声色や言い回しのひとつひとつから感じとれる。あれは、計算というよりも本能で表現しているんじゃないかな。天才的だよね」(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)【PROFILE】うりの・まさお◎上智大学文学部英文科卒業。 コピーライター、ファッション誌編集長を経て、1981年、ラッツ&スター『星屑のダンスホール』などを書き作詞家として活動を始める。 1982年、中森明菜『少女A』のヒットにより作詞活動に専念。以降はチェッカーズや河合奈保子、近藤真彦、シブがき隊、荻野目洋子、菊池桃子に数多くの作品を提供し、80年代アイドルブームの一翼を担う。’90年代は中西圭三、矢沢永吉、坂本龍一、中谷美紀らともヒット曲を輩出。近年は、さかいゆう、山内惠介、藤あや子など幅広い歌手の作詞も手がけている。
2021年08月04日クリエイティブディレクターの三浦崇宏(みうら・たかひろ)さんが10代から70代までの年齢も性別も職業もバラバラの9人と対談した『「何者」かになりたい 自分のストーリーを生きる』(集英社)が4月に発売されました。「何者」かってなに?「何者」かになったほうがいいの?今の時代特有の“しんどさ”って?仕事やコミュニケーションの悩みあるあるなど、3回にわたって三浦さんにお話を伺いました。答えを出すまでのスピードが速すぎる——第1回目で三浦さんが今の時代特有のしんどさとして「自分と向き合う時間がないこと」とおっしゃっていましたが、世界や自分に問いを投げかけるよりも答えを出すことを迫られている面もあるのではと思いました。三浦崇宏さん(以下、三浦):答えを出すまでのスピードがみんな速すぎるんですよね。「カレーとラーメン、どっち食いたい?」って言われて、「カレーです」ってすぐ答えるじゃないですか。でも、ラーメンかもしれないですよね。その瞬間はカレーかもしれないんだけど、本当にカレーかな?とか。体調悪いから今カレーだけど、本当はラーメン食いたかったのかもとか、いろんなエクスキューズがあるじゃないですか。つまり、みんな答えを出すのが速すぎて、そうじゃない可能性を検討する時間がなくなっちゃってるんですよね。——しかもすぐ答えたり、決断できたりするほうが“できる人”とされるからすぐに答えようとしちゃいます。三浦:でも本当は、その答えじゃない可能性もある。仕事論で「1週間寝かせて100点を目指すよりも、翌日70点のものを出せ」とか言われるじゃないですか。仕事はだいたいそうかもしれないですが、でも人生まではそうする必要はないですよね。——いつの間にか一緒に考えていました。三浦:今の彼氏と結婚したほうがいいんだっけ?しないほうがいいんだっけ?って。本当は100点を出したいんだけど、今の彼氏は70点だけど結婚しちゃおうみたいな。そうじゃない可能性もある。頭がみんな良いから、選択肢を勝手に絞って、その選択肢の中で勝手に答えを出してっていうのをすごいスピードでやってるんですよね。だけど、選ばないという答えもあるかもしれない。そもそもその質問が間違ってる可能性もある。その選択肢が合ってるのか?そもそも答えってあるんだっけ?とか、早いほうが本当に評価されるんだっけ?とか。いろんな検討要素があるのにも関わらず、みんな自分で勝手に切り捨てて、勝手に答えを出してるんですよ。でも人生は仕事や学校じゃないから褒めてくれる人なんて誰もいなくて、結局その答えを自分で引き受けなきゃいけないですよね。それがみんなしんどいんだと思いますよ。僕は会社のみんなに「前提を疑うことを前提にしろ」っていつも言うんです。例えば、ウートピの広告を作れ、予算は1,000万円でメディアはSNS、Twitterで女性向けにって言われたら、そもそも女性向けでいいんだっけ?男性も読むかもしれないじゃんって。男性と女性を分ける意味あるんだっけ?とか。1,000万円って言うけど、PVを3倍にしたいんだったら3,000万円かかるし、その3,000万円で別のメディアにしてタイアップしたら回収できるじゃんとか。そもそもTwitterとかSNSがいいんだっけ?みたいな。もっと言うと、ウートピの広告って言ってるけど、そもそも女性がメディアを見る習慣を作らなきゃいけないから、ウートピだけの広告を作ってもしょうがないんじゃない?とか。与えられた前提のすべてをもう一回疑い直すのが大事だと思います。——受験勉強もそうですが、そもそもの質問や問題文を疑うことをしないんですよね。三浦:所与の条件の中で最適解を出すことが、知的な態度だと思われているけれど、所与の条件そのものを考えることのほうがはるかに知的なんじゃないかって。学校ではテストがあって一番早く正解を出した人が勝ちだけど、現実世界ではそのテストを解いてる間に映画を見てるやつのほうが感性が豊かになって、結果人生得してるなんてことがいくらでもあるじゃないですか。だから、前提を疑うのがすごく大事。そのためには、すぐに答えを出さなきゃいけないとか、目の前にあるものの中から選ばなきゃいけないってことを、一回壊す必要がある。——早速、答えを聞いてしまいますが壊す方法は?自分で意識していくしかないのでしょうか?三浦:そうです、自分で意識するしかない。結構みなさん、魔法の杖みたいに思っちゃうんだけど。この記事を読んだから、明日からすべてのものを疑うようになるとか。——思っちゃいますね。三浦:別の取材でも「忙しい中でどんなふうに本を読んでいるんですか?」って聞かれたんですが、ないんですよ、そんなの。「仕事の量を減らさないでゆっくり眠れて本も毎週5冊読める特別な方法」みたいなことはないんですよ。睡眠時間を削るしかないです。だから、前提を覆すことを前提にしろって言いますけど、簡単に言うと、毎朝唱えるしかないですよね。——結構地道なんですね。三浦:地道、地道。僕も毎週のように、「前提をぶっ壊すことが前提なんだよ」って仕事のときに言いますし。やっぱり繰り返していくしかないですね。「これから初めてユーミンを聴ける幸せな人たちへ。」が教えてくれること——学校と言えば、「できないことをできるようにしましょう」と言われてきた人も多いと思うのですが、それについてはどう思われますか?最近は「できるところを伸ばしましょう」と言われることも多いですが。三浦:基本はできることだけ伸ばしていけばいいんだと思います。世の中パズルなので、僕ができないことが得意な人はいくらでもいるので、全部できる必要はないかなって。ただ最近ちょっと思ったのは、できないことを楽しむことができたらもっといいなって。——どういうことですか?三浦:何かの広告のコピーで、「これから初めてユーミンを聴ける幸せな人たちへ。」っていうのがありましたが、面白いなって。それと同じように「フットサルができない幸せ」とか「パワポで資料を作るのが下手っていう幸せ」もあると思ってる。いつかいい年こいて、趣味として始めることもできるじゃないですか。——確かにそうですね。三浦:できないことがストレスと思ってるからいけなかったんだなって。できないことを楽しめるようになったら、もっと面白いですよね。できるほうが偉いって思ってたから、できないことが良くないって思ってたんですけど。もちろん仕事はできたほうが偉いし、早くてうまいほうがいいので、仕事では良いところだけ伸ばせばいいと思うんですけど、日常生活ではできないことがあったとしても、それを人一倍楽しめるスタンスであってもいいんじゃないかって。「早い!」「うまい!」ばかりが求められて褒められてきた世の中なので。それをやってること自体が楽しいって思えたら無敵なんだと思います。(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子)■連載を最初から読む【第1回】隣の芝生がめちゃくちゃ青い…今の時代特有の“しんどさ”って?【第2回】つい「何か面白いことしましょうよ!」って言っちゃいがちな人へ
2021年05月18日土岐麻子さんのカバーアルバム『HOME TOWN ~Cover Songs~』が素晴らしい。時代も性別もジャンルも超えた全11曲(ボーナストラック含む)を、歌声とアレンジが彩り、目の前に鮮やかな風景を広げてくれるのだ。「今回、もっといろんなジャンルの楽曲を、私の声と出合わせてみたいと(スタッフから)言われたんです。それで、みんなで選曲しました。そんな中で、私なりに“ホームタウン”というテーマが見えてきたんですね。これまでは街のことを歌ってきたんですが、2020年は家にずっといて、自分の近くにあるものや内面に意識が向かうようになったので、そこに寄り添ってくれるような、温かい楽曲を選びたいと思ったんです」シティポップ=街のイメージがある土岐さんにとっては、奇しくもターニングポイントとなった2020年。とはいえ、このテーマと歌声は、驚くほどにマッチしている。「年々静かな声になっているんですよね。だから内向きな声だと思うんです。今回のテーマでも、大きなキーワードになっていると思います」歌声によって楽曲の印象が変わる、ということを、今作の中で特に象徴しているのが、荒井由実さんが原曲の「CHINESE SOUP」。「この曲、いろんな方が歌っていて。スープを作りながら物語が進んでいく曲ですけど、同じスープでも味が違うように聞こえますよね。吉田美奈子さんが歌うとスパイシーで、ユーミンが歌うとごま油の香りがして卵でとじてあるような感じ。渡辺真知子さんのバージョンは薬膳みたいな、出汁が効いている感じがする」今作には「Rendez-vous in ’58」のセルフカバーも収録されている。デュエットとして生まれ変わっており、お相手はなんとバカリズムさん!その背景には、様々な想いが重なり合っている。「2013年に作ったんですが、雨が降って休みの計画は崩れたけれど、家でも音楽と会話でいろんな時代と場所に旅ができるっていう、ささやかで大きな幸せを歌っていて。これは今こそ大切な歌だと思って、仲のいい二人の歌だから、セルフカバーでデュエットしようと。相手はバカリズムさんしか浮かばなかったんです。これはEPOさんの作曲なんですが、私は小学校1年生の時、『オレたちひょうきん族』を見て、コントでハチャメチャになっても、EPOさんのエンディングテーマ『DOWN TOWN』でおしゃれに締め括られる感じが新鮮で。そして、同学年の升野さん(バカリズム)も同番組の影響を受け、音楽とお笑いを切り離して考えられないって言っていて。あの頃のような音楽のときめきを共有できる升野さんと歌えてよかったです」まさに日々にときめきを与えてくれる、音楽の栄養が詰まった一枚だ。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ソラニン」をはじめ、くるりの「Jubilee」、桑田佳祐の「白い恋人達」など、ボーナストラックを含む全11曲収録。『HOME TOWN ~Cover Songs~』¥3,000(A.S.A.B)とき・あさこCymbalsの元リードボーカル。シンガーとしてはもちろん、CMソングやラジオパーソナリティを務めるなど声のスペシャリスト。3月6日(土)には日本橋三井ホールにてワンマンライブを開催。※『anan』2021年3月3日号より。写真・岡本 俊(まきうらオフィス)取材、文・高橋美穂(by anan編集部)
2021年03月02日「百恵さん本人は口数が少なくて、僕ら自身もとても緊張してたといました。これまでいろんなインタビューで聞かれたのですが、実は百恵さんとどんな話したかなとかという記憶もあまりないくらいなんです」当日の様子をこう振り返るのは演出家の宮下康仁さん。宮下さんは山口百恵が80年10月5日に行った引退コンサートで、構成を担当していた人物だ。引退コンサートの様子をおさめた『伝説のコンサート“山口百恵1980・10・5 日本武道館”』(NHK総合)が1月31日に再放送され、8.6%という異例の高視聴率を記録。引退から41年経てもなお、色あせる様子はない。伝説的なエピソードばかりが取り上げられがちな百恵だが、一人の歌手としてもその実力は規格外だったと宮下さんはいう。「百恵さんはやっぱり歌が何よりすばらしい。今、いろんなアーティストさんが『秋桜』や『いい日旅立ち』をカバーしているけど、敵う人はいないと思ってしまいます。そういうことを考えると、本当にすごかったんだなと」引退コンサートでは曲目選びから舞台の構成まで企画段階から関わったという百恵。“演出家”としても百恵の才能は図抜けていたようだ。「衣装に関しては百恵さんが全部自分で決めてきて、僕らスタッフは一切タッチしなかったんです。当時のアイドルは演出家にすべて委ねるのが普通だったのですが、百恵さんは“最後は自分で”ということでいろいろ決めたのでしょう。引退コンサートには百恵さんがすべてのメッセージを込めて作ったのだと思います」やはり引退コンサートで特に印象的なのが、ラストとなった『さよならの向う側』を涙ながらに歌い終えた後、百恵がステージ中央にマイクを置いて去っていったことだろう。一部では、振付師が考案したともいわれている伝説の“マイクパフォーマンス”だが、宮下さんは“演出じゃない”と語る。「僕らがこうしろみたいに言った覚えがないんです。だから、僕らスタッフも“まさかステージ上に置いていくとは”という感じで、驚いた記憶があるんですね。よく“演出がそうさせたんですか?”と聞かれるのですが、『そうじゃない』と常に答えています。あれは“百恵さん自身の最後の気持ちだ”と、僕は今も思っていますね」最後に宮下さんは、今も消えることのない百恵への思いをこう口にする。「約50年、この世界にいますが、やっぱり本当に出会えてよかったと思います。百恵さんは年下ですが、本当に尊敬してます。僕が“今までに誰が一番印象に残ったんですか?”と聞かれたときに必ず、『百恵さんとユーミンです』と答えています。僕は2人がいちばん大好きです。本当に一緒に仕事ができて、40年経っても輝いてる百恵さんは自分の誇りです」
2021年02月20日【音楽通信】第68回目に登場するのは、デビュー17年目を超えて、シンガーソングライターとしての活動のほか、小説の執筆や絵本作家、楽曲提供などクリエイターとしてマルチな才能を発揮し続けている、大塚 愛さん!【音楽通信】vol.68ドラマ主題歌をよく聴いていたことが出発点2003年にシングル「桃ノ花ビラ」でメジャーデビューし、同年リリースの2nd シングル「さくらんぼ」が大ヒットを記録した、大塚 愛さん。2019 年には、デビュー15 周年記念のオールタイムベストアルバム『愛 am BEST, too』をリリースしました。2020 年には初めて短編小説を発表するなど、シンガーソングライターとしての活動のほか、イラストレーター、絵本作家、楽曲提供など、クリエイターとしてマルチな才能を発揮しています。そんな大塚さんが、2021年2月3日にリメイクアルバム『犬塚 愛 One on One Collaboration』、アニバーサリーライブ「LOVE IS BORN ~17th Anniversary 2020~」のライブDVD/Blu-rayとライブCDを同日発売されるということで、お話をうかがいました。ーーまず、大塚さんの音楽的なルーツやデビュー前によく聴いていた曲からお聞かせください。私は基本的にドラマっ子なんです。そこが出発点なので、ドラマの主題歌になった音楽が常に身近にありましたね。初めて観たドラマは、確か『東京ラブストーリー』(フジテレビ系 1991年放送)なので、小田和正さんが歌う主題歌「ラブ・ストーリーは突然に」が特に印象的です。同じように、山下達郎さん、ユーミンさんなど、ドラマ主題歌になった曲をよく聴いていましたね。ーー幼少時からピアノを習い、15歳からはご自身で作詞作曲を始めていますが、その後、アーティストになろうと決めたきっかけはなんですか。就職活動がきっかけです。ずっと音楽制作は続けていたので、高校を卒業するときに音楽の学校に通うことも考えましたが、音楽だけを学んで将来の可能性を狭めてしまうのもイヤだなと。それよりも子どもと接したり、子どもの興味のあるものを学んだりしたほうがよっぽど世界が広がるのではと思ったことと、さらに音楽や表現についても学べる学校に行くことにして、進学した短大で幼稚園教諭などの資格も取りました。そして就職活動をするときに、やっぱり音楽の道へ進みたいと思ったんです。実際にデビューできたのは、運がよかったとしか思えないですね(笑)。ーー2020年を振り返ると世界的にコロナ禍となり、2021年の現在も日常生活に大きな変化が起こりました。音楽業界では、リリースやライブの延期といった状況もありましたが、大塚さんにとっても、音楽家としての想いの変化はありましたか。コロナ禍になる少し前から、なぜかあまり暗い曲を聴きたい気分じゃなくなっていて、明るく楽しい曲を体が勝手に求めていたんです。その後、コロナ禍になってずっと家にいるという状態になったときに、家の中で楽しく過ごすには、アッパーな楽しい曲たちが気分を変えてくれることに気づきました。たとえば、ちょっとした毎日の同じ動作をひとつするにしても、明るい曲を聴きながらだと、つい踊りながら作業をしてしまう。コロナ禍だからこそ、音楽に触れることによって得られる楽しさの重要性があるということをすごく感じましたね。ーーコロナ禍になる少し前から明るい曲を求めるようになっていたのは、自然と何か察知するものがあったのでしょうか。なんでしょうね? 自分のなかで自然に感じたモードだと思うんです。なぜか「アッパーでいきたい」という、そのときの自分をバックアップしてくれるものが欲しかったんでしょうね。リメイクアルバムとライブ映像作品を同日リリースーー2021年2月3日に、多彩なジャンルの音楽プロデューサーやトラックメーカーの方がアレンジを手がけたリメイクアルバム『犬塚 愛One on One Collaboration』をリリースされます。「金魚花火」や「さくらんぼ」ほか、新たな息吹が吹き込まれたリミックスサウンドとなっていますが、ご自身で聴かれてみていかがでしたか。雰囲気がまったく変わったものから、もともと持っていた曲のテイストを残しつつ、また新たな可能性としてバージョンアップしたものまでありました。聴いていて、とても面白かったですね。ーーバージョンアップして、とくに気になった曲は。「黒毛和牛上塩タン焼680円」ですね。もともとセクシーな曲ですが、オリジナルは音が強い感じだったところ、今回はもうちょっと柔らかいエロスを表現して、実現させてくれたなと。(Rin音、空音などを手がける音楽プロデューサー)maeshima soshiさんが手がけていますが、オリジナルが持つ曲の方向性は変えず、バージョンアップした感じがありました。ーージャケット写真のワンちゃんは大塚さんの愛犬だそうですが、タイトルの意味も教えてください。今回のアルバムは、大塚 愛の楽曲がリメイクされた作品です。すでにある曲に“ひとつ何かが加わったことでの大塚 愛”を表現するために、新しい一手を加えてくださったプロデューサーの方をひとつとして考えて、「大塚 愛」の「大」にひとつ点をうつと「犬」なので「犬塚 愛」に。そして一対一という意味の「One on One」で、『犬塚 愛One on One Collaboration』というタイトルになりました。ーー先にいくつか配信されていた曲もありますが、ファンの方の反応はいかがでしたか。こんなふうに曲が変わるという「ビックリした」という言葉もありましたし、「黒毛(黒毛和牛上塩タン焼680円)」みたいに、曲の雰囲気は変えずにバージョンアップしたものは「なじみやすかった」という反応も。それぞれの曲のリメイク加減に、幅の広さがあったんだと思います。ーーリメイクアルバムのリリースと同じ2月3日に、2020年9月に開催された初オンラインライブ「LOVE IS BORN 〜17th Anniversary 2020〜」をパッケージ化したライブDVDとBlu-ray、ライブCDも発売されますね。初の無観客オンラインライブを行った心境からお聞かせください。無観客ライブは、レコーディングの延長線上のような印象が強かったですね。レコーディングスタジオからの配信でしたし、エンジニアさん含めカメラマンさんも、いつものチームの人間しかいないという環境だったので、緊張せずにリラックスしてライブができました。ーーオンラインライブだと、室内にたくさん置かれたどのカメラを見れば伝わるかといった、戸惑いはありませんでしたか。それがありがたいことに、17年やらせていただいているなかで、多くのテレビ出演の経験をさせていただいています。カメラ慣れではないですが、複数のカメラがあるなかでどのカメラとアイコンタクトをするのか、どう見せていくとよいのか、カメラマンの人たちとのやりとりも経験上にあったので、やりにくさというのはまったく感じませんでした。ーー有観客ライブと違って、無観客ライブで感じたことや、いつも目の前にいらっしゃったファンの方の存在について、あらためて感じたことはありますか。初めてのオンラインライブでは、目の前にお客さんがいないので、いつもいただいていた歓声や掛け声はいかに大事だったかということに、気づかされましたね。昨年末には、最終的には中止となってしまったのですが、出演するはずだった有観客のライブイベントも予定していました。もし実施していたとしても、客席では大きい声は出しちゃいけないというルールもありましたから、「アッパーな曲はどうやってやるんだ?」と、初めて悩むところもありましたし、いつもライブができていた状況がいかにありがたかったか再認識しましたね。ーー状況によっては、またオンラインライブを行う機会も増えるかもしれませんが、今後、配信ライブでやってみたいと思う企画はありますか。CGとの融合でしょうか。もともと映像が見える曲作りや映像も重視しているので、映像と一緒に曲を伝えることが、自分のなかではベストなんです。これまで開催してきたようなステージで見せるライブでは実際にはなかなか作り込めないところもありますが、オンラインではガッツリと映像も作り込めるんじゃないかなと思うので、やってみたいですね。ーー今回のリメイクアルバムや映像作品はどんなふうに観て、聴いてほしいですか。基本的に音楽は、料理するのは聴く人だと思っているので、こちらが言葉で渡すものじゃないのかなと。それぞれの方が聴いて、感じて、心でどう捉えるかだと思うんですよ。こちらがたとえば「楽しい曲です」と言っても、聴く側が「すごく悲しい曲だな」と思ったら、それは悲しい曲になる。だから、みなさんの人生のなかで、ある一部分にすごくフィットして、その人の人生をより立体的にしてくれるのが、音楽の役目だと思っています。みなさんの生活に合わせて、楽しんでいただければいいなと思いますね。ーー2021年2月14日からは、ピアノ弾き語りライブ「AIO PIANO vol.8」を全国3箇所のビルボードで開催されます。有観客ですし、いつもとは違った心境で臨むのではないでしょうか。そうですね。状況を見つつ、一番ベストな判断をするという現状はつらいところではありますが、もし開催できたら、みんな苦しい中での久しぶりの息抜きとして来てくれるんじゃないかなと思っています。王道な曲から、ファンの人たちがマニアックに聴いてくれている曲まで、今回はコンセプチュアルにセットリストを組んでいます。みなさんの現実にある葛藤や窮屈なところから、一気にロマンチックな世界へと精神を解放してあげたいという気持ちで、テーマを考えました。ロマンチックな世界へと、みなさんがつながればいいなと思っています。幸せなものだけ取り入れて楽しく過ごしたいーー音楽活動以外のこともおたずねします。普段、日課としていることや趣味などはありますか。以前から、英会話を習っています。ただ、先生が高齢なもので、コロナ禍になってからは危険だということで、レッスンがなくなってしまったんですよね。とはいえ、週に1度のレッスンだったので、やっぱり毎日英語を話さないと、実はあまり身にならないと感じていて。するとコロナ禍になったので、英会話もオンラインで前進できないかなと思っていたら、DMMさんで毎日レッスンができると聞いたんです。実際に毎日通うとなると大変じゃないですか、子育てもありますし。それがオンライン授業だと、毎日自宅でレッスンを受けることができるというのはすごく大きいということで、DMMさんのところで毎日英会話を習っています。ーーそれはまた海外で活動される準備や曲作りのためでしょうか。けっこう前から、台湾や中国にも行かせていただくことが増えてきてはいたので、そうなったときにもちろんその国の言葉で話せるのがベストではあるのですが、パリにも行ってライブをやったりもしていて、さすがに何か国語も並行して覚えるのは難しいと(笑)。でもせめてMCのときに、もうちょっと会話ができたり、スタッフの方と会話ができたりすることの重要性を感じていました。これからも、もしかしてもっと海外のいろいろな国に行かせていただくことがあるかもしれませんし、そのときのためにも英語ができたほうがいいと思って、レッスンしていますね。ーー大塚さんは女の子を子育て中のママでもありますが、ファンの方やananwebの読者の方のなかには、同じように育児に奮闘する女性もいます。そこで、大塚さんの育児のコツや、家事育児とお仕事の両立で心がけていらっしゃることがあれば、お聞かせください。正直なところ、どんなことでも両立するというのは、難しいことなんだと思っています。できているつもりでもどこかに負担がかかることもありますし、何かしらの助けがないと、ひとりで背負うのは難しいときもあるのかなと。そうなったときに、甘えられずに自分で自分の首を締めると、結果それがまた誰かに迷惑をかけることになるかもしれないので、私は基本、まわりに甘えていますね(笑)。なんだったら、子どもにも甘えています(笑)。もちろん、育児は何が正解かわからないところもあるので、いちいち「これは合っているのか」「正しいのか」と考えているとやっていけないじゃないですか。何を選んだとしても、どちらにしても答えはわからないので、私の場合は「いま彼女を見てどんなふうに思ったか」で毎回、判断しています。彼女と話をしながら、お互いに、思っていることを言っていますね。謝ることは謝って、お願いしたいところはお願いして、認めるところは認め合って、学べるところはお互いに学んでというふうに、けっして「私だけが子育てをしているんです!」という感覚ではないんです。娘と一緒に生きて、手を組んでやっている「チームプレイ」という感じ。だから、ひとりで背負いこむ子育てをするという感じは、まったくないですね。ーーお子さんとも同じ目線に立って、対等に接している感じがしました。そうですね、私が親だからといって偉いことはなくて、彼女のほうが物事をしっかり捉えていて、それでこちらが改めて気づかされることもたくさんあります。お互いに別の人間だからこそ、身体的にできるできないはあっても、「子ども」だとか「大人」だとかで、分けて考えることはないですね。基本的な人生のなかでの考えのものさしは、彼女は彼女で、自由に作っていってほしいなと思います。ーー自立している賢いお子さんのようですね。いえいえ、でもまだ甘えん坊なんですよ(笑)。普段、私はあまり話すほうではないのですが、彼女はずっとしゃべっているので、いつもそれを聞いているような親子です。ーーママになってもずっとチャーミングな大塚さんですが、普段、美容などで気をつけていることはありますか。いや、年々、老けていますよ(笑)。ただ、若いときは外面ばかり気にしていましたが、年齢を重ねるごとに、内面にも意識が向いています。内面から発するもので外側が作られていると思うので、幸せホルモンともいわれることのある「オキシトシン」をとにかく増やしたいなと(笑)。肌がきれいだった日に何があったかをいろいろと分析していった結果、オキシトシンが出ていたんじゃないかなと発見したんです(笑)。だから、内面からの輝きを大事にしたいですね。ーー確かに心身の充実は大事ですね。では最後になりますが、今後の抱負を教えてください。新曲を出していきたいと思っています。時期については……(スタッフさんに向かって)誰かタイアップを取ってきてくれ(笑)! もしくは『anan』の表紙がとれたらリリースするかもしれません(笑)!ーーなるほど(笑)!さらに『anan』でオキシトシンの特集があったらバッチリです(笑)。あとは健康でいることですね。とにかくストレスほど必要ないものはないので、心のなかに暗いものを溜めないこと。それが一番の健康だと思うんです。なので、とにかくストレスを溜めない、排出すること。肌もそうですし、すべてのことにおいて排出していくことの必要性があるので、「なんか溜まってるな」と感じたら、出す。たとえば、いかに泣けるかということに特化して涙で出してしまうとか、カラオケでとにかく声を出して発散する、汚いものや必要のないものは出しちゃう。そして幸せなもの、オキシトシンだけ取り入れて(笑)、楽しく過ごしたいと思っています。取材後記デビューの頃から、ママになった今もなお可憐な印象のままの大塚 愛さん。さまざまな分野で才能を発揮されていますが、シンガーソングライターとしても変わらず、わたしたちにすてきな歌を届けてくれています。そんな大塚さんのリメイクアルバムと初オンラインライブの映像作品、ライブCDをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみり大塚 愛PROFILE1982年9月9日、大阪府出身。15 歳から作詞作曲を始め、2003年9月10日にシングル「桃ノ花ビラ」でメジャーデビュー。同年12 月17 日にリリースした2nd シングル「さくらんぼ」が大ヒット。2019 年1 月にデビュー15 周年記念オールタイムベストアルバム『愛 am BEST, too』をリリース。2020 年3月、ライブでのピアノ弾き語り音源を集めたアルバム『Aio Piano Arioso』をリリース。シンガーソングライターとしての活動のほか、初めての短編小説『開けちゃいけないんだよ』を『小説現代』2020年9月号(講談社)に寄稿するなど、イラストレーター、絵本作家、楽曲提供など、クリエイターとしてマルチな才能を発揮し活動中。9 月、デビュー17 周年記念となる自身初のオンラインスタジオライブを行う。2021年2月3日、リメイクアルバム『犬塚 愛 One on One Collaboration』、アニバーサリーライブ「LOVE IS BORN ~17th Anniversary 2020~」のライブDVD/Blu-ray及びライブCDを同日発売。「AIO PIANO vol.8」と題したピアノ弾き語りツアーを2月14日 Billboard Live YOKOHAMA、2月20日 Billboard Live OSAKA、2月27日Billboard Live TOKYOにて開催する(詳細は公式HPまで)。InformationNew Release『犬塚 愛 One on One Collaboration』(収録曲)01.黒毛和牛上塩タン焼680円 (maeshima soshi Remix)02.妄想チョップ (ケンモチヒデフミ Remix)03.さくらんぼ (Kan Sano Remix)04.金魚花火 (ANIMAL HACK Remix)05.桃ノ花ビラ (mabanua Remix)06.PEACH (Tomggg Remix)07.SMILY (Lucky Kilimanjaro Remix)08.君フェチ (春野 Remix)09.Chime (AmPm Remix)10.ユメクイ (SASUKE Remix)2021年2月3日発売AVCD-96640(CD)¥2,000(税別)*スマプラ対応。*初回盤(紙ジャケ仕様)もあり。New Release「LOVE IS BORN ~17th Anniversary 2020~」(収録曲)01. LOVE FANTASTIC02.shooting star03.One × Time04.HEART05.チケット06.扇子07.向日葵08.ふたつ星記念日09.雨色パラソル10.あっかん べ11.TOKYO散歩12.XOX13.ロケットスニーカー14.フレンジャー15.さくらんぼ16.Birthday Song*DVD、Blu-ray、CDすべてスマプラ対応。*DVD,Blu-ray のみ【特典】大塚 愛によるオーディオコメンタリー(副音声)あり。2021年2月3日発売[DVD]AVBD-92981¥5,000(税別)[Blu-ray]AVXD-92982¥5,000(税別)[CD]AVCD-96645¥2,500(税別)
2021年02月03日1972年のデビュー以来、常に新しい音楽世界を切り拓いてきた松任谷由実さん。誰もが知っているヒット曲の数々のみならず、コンサートの演出でも常に最先端。そんなユーミンに、新作『深海の街』について語ってもらった。去年作った曲も、どこかコロナ禍を予言していた。ユーミンの最新作『深海の街』を聴けば、ドラマ主題歌やTVCMなどで、既に耳にしている曲が見つかる人も多いはず。シチューのCMソング「雪の道しるべ」、ドラマ『恋する母たち』の主題歌「知らないどうし」、ゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』新主題歌「あなたと 私と」など、ジャンルも視聴する年齢層も様々なタイアップ曲が収録されているから。それぞれの役割が求められる楽曲制作にも、ポリシーがある。「ミーティングをして制作スタッフの意見を汲み取って曲を書くほうが、野放しで好きな曲を書けって言われるよりも得意かも。かといってドラマやアニメの内容に寄り添いすぎるのも面白くないので、ちょっとしたギャップがあるくらいがいい。締め切りを守るというのも私の中では絶対。OKが出なかった場合も、意見を尊重して書き直します。そこでユーミンの大御所感は出さないですよ(笑)」朝の情報番組『グッド!モーニング』のテーマ曲「Good! Morning」に関してはコロナ禍を経て、歌詞を書き直した。「最初は、朝にみんなが気持ちよく出社できたらいいなと思って書いたライトな曲だったんです。でもコロナ禍の今、そんな軽い気持ちでは電車に乗れないし。明けない夜はないってよくいうフレーズがあるけど、それはわかってるけど、どうしたらいいの?って。自分も経験した、そんな想いを『Good! Morning』の歌詞に託しました」時代の空気を読む鋭さと、制作におけるフットワークの軽さが、令和の時代にもユーミンのポップ・ソングが求められる秘訣かも。音楽的成長を求める私の本気を感じて。2020年のユーミンだからこそ生まれた珠玉の名曲たちが、アルバム『深海の街』に並んでいる。オープニングを飾る「1920」は、100年前の景色を描きながら、街から人が消えた現代の空気感を見事に表現している。「今年の春に、母が100歳を迎えまして。母が生まれた1920年頃のことをいろいろと調べていたんです。そしたら、その前後にはスペイン風邪の流行や、アントワープオリンピックがあり、2020年との共通項がいくつか見つかった。それを心の手帳にメモしつつ、この曲の作詞をしていたら、打ち込みのサウンドの中から柱時計の音が聞こえてきたりして、頭の中で100年前にタイムスリップしていきました。『散りてなお』など去年作った曲も、どこかコロナ禍を予言していたように感じたりして、自分の中でどんどん辻褄が合っていくような制作だったんです。様変わりしてしまった世界を見ながら、私自身すごく苦しかった時もありました。でも私の場合は音楽を作ることがセラピーであり、一筋の光だったんです」ユーミンは若い世代のアーティストとの交流も日頃から行っているけれど、多くのファンはもちろん、そんな後輩たちにもアルバム『深海の街』を聴いてもらいたいという。「若い世代のアーティストとの交流を通じて、私の方が教わることが多いと感じています。特に仲良しなのはGLIM SPANKY。親御さんたちがロック漬けの世代だからか、日本語のロックもここまで進化したんだと驚かされます。SuchmosもフュージョンやAORにヒップホップもハイブリッドされていて衝撃を受けました。どんなアーティストもその人にしか書けない音楽がそれぞれにあるから、私が音楽と向き合う姿勢を見て何か感じてもらえたら嬉しいんですけど。でも今回のアルバムは、この期に及んでまだ音楽的成長を求める私の本気をぜひ感じてほしいです(笑)」ちなみにアルバム『深海の街』の初回限定盤とクリスマススペシャルBOXには「Documentary of 深海の街」が特典映像として収録されている。ユーミンが楽曲を生み出す自宅での制作風景、ジャケット撮影、インタビューなどをドキュメンタリーとして記録した作品ということで、そちらも楽しみだ。「今作は全編自宅録音。ですが、マンションの一室での打ち込みでしょ、と思うと大間違い(笑)。本格的なスタジオもありますし、プロデューサーとアーティストが同じ屋根の下で暮らしているのは強みですから」家でオリジナルの体操をしたり、朝晩お風呂に入ったりと、健康のために続けていることがあるというアグレッシブなユーミン。いつもアイデアに満ちたその音楽で、エンターテインメントで、松任谷由実が体現してきた数々の奇跡は、唯一無二の輝きを放っている。そして、これからも更新し続ける。まつとうや・ゆみ1972年、荒井由実としてシングル『返事はいらない』でデビュー。以来、「ひこうき雲」「やさしさに包まれたなら」「真夏の夜の夢」など数々の名曲を生み出しJ‐POPシーンを牽引し続けている。刺繍ケープ¥140,000刺繍ドレス¥552,000コート¥253,000(以上パコ ラバンヌ/エドストローム オフィス TEL:03・6427・5901)パンプス¥89,000(クリスチャン ルブタン/クリスチャン ルブタン ジャパン TEL:03・6804・2855)イヤリングはスタイリスト私物39thアルバム『深海の街』【通常盤(CD)】¥3,200【初回限定盤(CD+DVD)】¥4,500【豪華完全限定盤クリスマススペシャルBOX(CD+BD+2LP+Art Book)】¥12,000(ユニバーサルミュージック)※『anan』2020年12月23日号より。写真・伊藤彰紀(aosora)スタイリスト・服部昌孝ヘア&メイク・遠山直樹取材、文・上野三樹(by anan編集部)
2020年12月17日毎年この季節になると聞こえてくる冬の定番ソングといえば、ユーミンこと松任谷由実さんの「恋人がサンタクロース」。1980年にリリースされたこの曲は、クリスマスは恋人と過ごす日、という新たな価値観を日本人に染み込ませたともいわれている。「常に、今ないものをやりたい、今ないものでヒットを生みたいと思ってきたんです」――エッジの利いた衣装に身を包み、麗しい表情を見せてくれたフォトセッションの後、柔らかな口調でそう語ってくれたユーミン。でも、「今ないもの」を生み出し続けるなんて簡単なことではない。’72年のデビュー当時は、アイドルたちが昭和歌謡を歌い、学生運動の傍らフォークソングを歌う若者がいる時代。そこに登場したユーミン(当時は荒井由実名義)の音楽は「ニューミュージック」と呼ばれた。「当時は自分が作る音楽が、今までにない新しいものだともわからなくて。テレビ番組のオーディションに譜面を持っていくと、2小節ごとに転調する私の曲を局付きの楽団のおじさんたちが演奏できなかったのは覚えています(笑)」「ベルベット・イースター」「やさしさに包まれたなら」「ルージュの伝言」といった初期の名曲たち。洗練された言葉と美しいメロディで、ユーミンの音楽世界はデビュー当時から既に完成されていた。10代でフランス文化に憧れ、米軍基地の近くで暮らしていたことで様々な海外のカルチャーに触れて育ったことも影響している。「10代の頃は、頭の中にエッフェル塔が立ってる感じ(笑)。オタクなんて言葉はまだなかったけど、オタクだったの。米軍基地の売店でロックのレコードを探して、ライナーノーツを自分で必死に訳したりしてたな」14歳で作曲を始め、17歳でレコード会社と契約。その頃、後にYMOで活動する高橋幸宏や細野晴臣らと出会い、ファースト・アルバム『ひこうき雲』を発売。インターネットのない時代に「じわじわと口コミで」売れていった。「でもレコード会社は『次はもうちょっと売れてもらわないと』みたいな雰囲気で。セカンド・アルバム『MISSLIM』の『海を見ていた午後』にある〈ソーダ水の中を貨物船がとおる〉というフレーズも、『どういう意味?』と難色を示された。だけど2枚目が最初から好調で(笑)。自分らしさを守る戦い、みたいなものをしなくても売れたんですよね」一度は専業主婦に。でも音楽をやめられなかった。’76年にミュージシャンの松任谷正隆と結婚後、一度は専業主婦になろうと考えたが、松任谷由実名義で音楽シーンにカムバックした。’81年に「守ってあげたい」で再ブレイクできたことは、長いキャリアの中でも彼女にとって特に大きな出来事だったという。「結婚して家庭に入ったらユーミンのブームが終わっちゃった。でも1年半くらい経った頃『やっぱり音楽はやめられないな』と。もう一度やるなら売れないとまずいと思い、地道にライブを続けていたら『守ってあげたい』がヒットして。今考えても再ブレイクってすごいエネルギーが必要でした」そこから’90年代にかけてのユーミンの快進撃は、まさに奇跡の連続。「リフレインが叫んでる」「真夏の夜の夢」「Hello, my friend」「春よ、来い」など時代を彩るヒット曲を生み出し、日本のエンタメ界の最先端をゆくライブ・パフォーマンスでも話題を集めた。これまでアルバムの総売り上げは、ソロ歌手史上初の3000万枚を突破。今年の12月に届けられた新作『深海の街』は通算39枚目のオリジナルアルバムとなる。これだけのキャリアがあれば何もコロナ禍の2020年に新作を出さなくてもいいのかもしれない。でもユーミンはそう考えなかった。「去年の時点では次のアルバムは『SURF&SNOW vol.2』みたいなコンセプトで考えていました。でもコロナ禍にリリースするものとしてそれはないな、今年はアルバムは出せないだろうなと。でもこういう時だからこそ大変な思いをしている人に響く音楽があるんじゃないかと。6月末から本気で制作をスタートさせました」まつとうや・ゆみ1972年、荒井由実としてシングル『返事はいらない』でデビュー。以来、「ひこうき雲」「やさしさに包まれたなら」「真夏の夜の夢」など数々の名曲を生み出しJ‐POPシーンを牽引し続けている。刺繍ケープ¥140,000刺繍ドレス¥552,000コート¥253,000(以上パコ ラバンヌ/エドストローム オフィス TEL:03・6427・5901)パンプス¥89,000(クリスチャン ルブタン/クリスチャン ルブタン ジャパン TEL:03・6804・2855)イヤリングはスタイリスト私物39thアルバム『深海の街』【通常盤(CD)】¥3,200【初回限定盤(CD+DVD)】¥4,500【豪華完全限定盤クリスマススペシャルBOX(CD+BD+2LP+Art Book)】¥12,000(ユニバーサルミュージック)※『anan』2020年12月23日号より。写真・伊藤彰紀(aosora)スタイリスト・服部昌孝ヘア&メイク・遠山直樹取材、文・上野三樹(by anan編集部)
2020年12月16日「スタッフやアーティストの“3密”を避けるため、パフォーマンス会場をNHKホール、局内の大スタジオなど全部で3カ所に分散するそうです。審査員もホールには集めず、出演者による差し入れも原則的には禁止されることになります」(音楽関係者)放送まで約3週間となった大みそかの風物詩『第71回NHK紅白歌合戦』。コロナ禍により無観客での開催となり、いつもとは違う環境を強いられるなか、“心強い援軍”の出演が決定したようだ。「特別企画枠として松任谷由実さん(66)の出演が決定したそうです。今年は例年以上に若者向けの出演者が多い状況ですから、幅広い世代に支持される松任谷さんの出演は紅白にとっても渡りに船でしょう」(前出・音楽関係者)ユーミンの登場で勢いに乗りたいところだが、スタッフを悩ませる問題が生じているという。NHK関係者は言う。「各組で誰が“トリ”を務めるかです。白組は大みそかで活動休止する嵐が最有力とされていましたが、同時間に別場所で配信ライブを行うため恐らくないでしょう。現状、2度目の出場となるMr.Childrenか、ゆずの2組が有力視されています。それよりも紅組がかなり紛糾しているそうなんです……」紅組の調整を困難にしているのが、ほかならぬユーミンだというのだ。「当初はMISIAさん(42)かデビュー40周年の松田聖子さん(58)が有力でしたが、松任谷さんがNHKサイドに『トリで出たい!』と強く要望しているそうです。特別企画枠の出演者がトリを務めることはめったにないため、スタッフも出場には感謝しつつも困惑しているといいます」(前出・NHK関係者)今年で5度目の出場となるユーミン。NHKに“特別待遇”を求めたのは今回が初めてではない。「松任谷さんは歌う前の準備を大切にする人。昨年はテレビ初披露の名曲『ノーサイド』を披露することもあり、各出演者サイドに『楽屋挨拶を控えてください』というお触れがNHKから出されていました」(レコード会社関係者)ユーミンがトリを熱望する裏には“渾身の新作”への強い思いがあるようだ。「松任谷さんは12月1日に新アルバム『深海の街』を発売。1カ月で10本近くテレビ出演するなど、かつてないほど宣伝に力を入れています。インタビューで『最後のアルバムになっても胸が張れる』と語るほどの自信作だけに、最も注目の集まる紅白のトリで披露したい思いがあるそうです。また、今年で100歳を迎えた松任谷さんのお母さんにトリという“最高の晴れ舞台”で歌う姿を見せたいという思いもあるのでしょう」(前出・音楽関係者)激動の1年を締めくくるのはユーミンか、それとも――。「女性自身」2020年12月22日号 掲載
2020年12月07日ここは、みなさんの頭の中にあるタロット美術館。重厚な扉を開け、長い回廊を進むと…、数々のタロットが時空を超えて目の前に現れます。占星術・タロットの日本における第一人者である鏡リュウジ先生と元美大生でご自身でもタロットカードリーディングをされる女優の鈴木砂羽さん。おふたりが、さまざまなタロットカードを挟んで、10回にわたりその絵柄の中に眠る物語を紐解いていきます!-------------------------◎出演者紹介■鈴木砂羽女優として数多くの作品に出演。その傍ら「さわにゃんこ」名義でタロットリーディングを楽しむ日々。■鏡リュウジ幅広いメディアで活躍し、絶大な人気を誇る心理占星術研究の第一人者。タロットカードの監修や関連書籍の翻訳・執筆も数多く手掛ける。-------------------------【第4回】カウンターカルチャーとしてのタロット前回は、19世紀の話。タロットと占いが結び付くきっかけとなった魔術結社やオカルト主義についてお話ししました。今回は、1970年代まで時代が進みます!さて、この時代、タロットはどんな変化を遂げるのでしょう?今回、鏡先生と砂羽さんの手元にあるのは、1970年に発刊された「アクエリアンタロット」。■ビートルズも?アーティストに好かれたタロット鏡先生:ところで砂羽さんは、タロットではなくオラクルカードには興味を持たなかったんですか? 女優さんとかモデルさんって、タロットよりオラクルカードを好む人も多いですよね?砂羽さん:オラクルカードは直感的にカードを引いて読みやすいですからね。でも、やっぱり私はタロットが好きです。スプレッドで読み解くことに惹かれるんですよね。鏡先生:それは、すばらしい。砂羽さん:それから、今回、先生のお話を聞いていて、やはり深い歴史を感じるから好きなんだなって気づかされました。タロットが物語っている歴史を、現代に合わせて読むにはどうしたらいいのかな…って考えたりしちゃいました。鏡先生:最初、女優である砂羽さんが、タロットに興味を持つのをちょっと不思議だなって思ったりもしたんです。でも、少し前の時代にさかのぼれば、1970年代あたりは、アーティストたちがタロットを広めるけん引役になっていたってことを思い出しました。砂羽さん:そうなんですね。鏡先生:たとえば、ビートルズはタロットが大好きでしたし、それから、レッド・ツェッペリンの『天国への階段』のアルバムを開けたら、タロットの“隠者”の絵が描かれていたり…とか。ロックな人たちこそ、実はタロットに親しんでいたんですね。砂羽さん:タロットって、啓示的な雰囲気があるから、憧れるのかもしれませんね。鏡先生:そうですね。あとは、1970年代には、タロットはカウンターカルチャー的だったんですよ。それまで主流とされてきた考え方に対して、新しい価値観を吹き込むためのシンボルのひとつに、占いがありました。その流れは当時、演劇やミュージカル界の人たちにも広がって、寺山修司さんなんかもタロットを作っていましたね。砂羽さん:それ、私、見たことあります!鏡先生:そういう感性の高い人たちが、タロットに惹かれていったんですね。1980年代に入ると、パルコでタロット展が開かれたりして、消費文化とも結び付き、一般的にも広まっていきました。■“水瓶座の時代”にまつわるタロット!?ビートルズや寺山修司もタロットの影響を受けていた1970年代のカードのひとつとして、鏡先生が紹介してくださったのが、アクエリアンタロット。鏡先生:『アクエリアンタロット』は、デビット・パラディーニという、当時ものすごく人気のあったイラストレーターが作ったタロットです。砂羽さん:アクエリアンってことはつまり、「水瓶座」と関係があるとか?鏡先生:そうです。アクエリアスという言葉は、当時、新しい文化を担う若者の旗印だったんですね。たとえば、全編ロックなミュージカル『ヘアー』の中に「輝く星座」という曲があったりしました。「水瓶座の時代がやってくる」という内容の歌詞でしたね。砂羽さん:80年代に入ってからですけど、「アクエリアス」っていうスポーツドリンクも出ましたよね。あれは、衝撃的でした。鏡先生:あはは、あれはあんまり関係ないと思うけど、ユーミンも、「78」という曲を作っていて、それはタロットカードの枚数なんですよ。***「アクエリアンタロット」のアクエリアンとは、「水瓶座の時代(Age of Aquarius)」をもとにしていると言われています。水瓶座は、革命や進歩の象徴でもありますから、まさに、「新しい価値観として生まれたタロット」なんですね。■ポップでかっこいい絵柄!砂羽さん:それにしても、この「アクエリアンタロット」、かっこいいですね。私、これ欲しいなぁ。鏡先生:そうでしょ?砂羽さん:絵の描き方がかっこいいですし、色使いもポップで大好きです。でも、タロット本来の意味はしっかりと残しながら描かれていて、本当に素敵ですね。鏡先生:うんうん。砂羽さん:作家さんの感性で、タロット本来の意味とは全然関係ない絵柄が描かれているタロットもたくさんあるじゃないですか?そうなると、占いをするときに読みづらいなって思います。鏡先生:確かに。このアクエリアンタロットは、タロットの基本である「ウエイト=スミス版」にのっとって作られているから、読みやすいのかもしれませんね。◎小アルカナ剣の3を比べてみると…第4回でもご紹介した「小アルカナ 剣の3」のカード。ウエイト=スミス版タロットと並べてみると、デザインの共通点がよくわかります。小アルカナ 剣の3左:アクエリアンタロット右:ウエイト=スミス版タロット***タロットに描かれる絵の雰囲気も、時代の流れの中で大きく変化していますね。次回、1970年代以降に生まれたタロットを、まだまだご紹介します!-------------------------<タロットカード提供>株式会社ヴィジョナリー・カンパニー今回、鈴木砂羽さんと鏡リュウジ先生のおふたりにお話を伺ったのは、タロットやオラクルカードの出版・輸入販売を行う会社、ヴィジョナリー・カンパニーの事務所の一室です。様々なカードが壁一面に並ぶステキな空間からおふたりのトークを届けします。この記事を読んで自分だけのタロットを探したくなった方は、こちらから↓※次回もお楽しみに(日曜更新)====================================プロフィール鈴木砂羽女優。1994年映画『愛の新世界』で主演デビュー。同年、ブルーリボン新人賞やキネマ旬報新人賞など受賞。以後も、ドラマ、映画、舞台以外にもバラエティー、マンガの執筆など意外と幅広いジャンルで活躍中。さらに、プライベートでタロットリーディングをするなど占い好きな一面も。鏡リュウジ雑誌、テレビ、ラジオなど幅広いメディアで活躍し、絶大な人気を誇る心理占星術研究の第一人者。占星術、占いに対しての心理学的アプローチを日本に紹介し、従来の「占い」のイメージを一新した。英国占星術協会会員、日本トランスパーソナル学会理事、平安女学院大学客員教授、京都文教大学客員教授など多方面で活動中。-------------------ライタープロフィールはづきパワースポット大国のニュージーランドを活動の拠点として占い師・占い関連のライターとして活躍中。 「言葉が優しく情緒的で力強い」と定評があり、チャット占いChapli(チャプリ)では恋愛にまつわる相談を中心に全国の相談者から支持されている。
2020年12月06日2020年11月27日に放送された、バラエティ番組『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)に、シンガーソングライターの松任谷由実さんが出演。番組では、視聴者から寄せられたさまざまな質問に対し、松任谷さんが答える形でトークが展開されました。収入に対する質問をされた、松任谷由実が…?10~20代の視聴者から「どのくらい稼いでいるの?」という質問が寄せられた時のこと。楽曲の提供を含めて、600曲に及ぶ歌を世に送り出してきた松任谷さんの収入がかなりのものであることは、想像に難くありません。共演者たちが色めき立つ中、松任谷さんは「困りましたね」とつぶやき、こう答えました。ポール・マッカートニーの100分の1くらいだろう…と思っています。中居正広の金曜日のスマイルたちへーより引用なんと、松任谷さんはポール・マッカートニーを例に挙げて回答!ポール・マッカートニーといえば、ロックバンド『ビートルズ』のメンバーとして、世界的に有名なミュージシャンですよね。松任谷さんの言葉に対し、MCの中居正広さんは「出てくるのがポール・マッカートニーなんですよ」と感嘆の声を上げました。【ネットの声】・例えがユーミンっぽいなぁ。かっこいい。・教養を感じさせる、松任谷さんの上品な受け答えが素敵だった。・異次元すぎる。やっぱり松任谷さんはすごい女性だと思う。松任谷さんの粋な例えによる回答は、多くの人をうならせたようです。圧倒的な歌唱力を持ち、心に刺さるヒットソングを次々と生みだしてきた松任谷さん。曲の素晴らしさはもちろん、本人が持つ明るさやサービス精神旺盛なところも、多くの人に愛される理由かもしれませんね![文・構成/grape編集部]
2020年12月02日この数年、日曜の夜は『関ジャム完全燃SHOW』が楽しみだ。ミュージシャンがプロならではの視点で読み解いてくれる名曲の名曲たるゆえんは、音楽用語がわからなくても面白い。勉強になるのはもちろんだけど、一流のプロたちの推し曲への愛やリスペクト、ときには羨望までもが伝わってくるから。『音響ハウス Melody-Go-Round』は、そうした楽曲解説とはまた違うベクトルで、プロたちの音楽への愛が伝わってくるドキュメンタリー。音響ハウスは、1974年に銀座に設立されたレコーディングスタジオ。坂本龍一や松任谷由実、矢野顕子、佐野元春など、日本を代表するアーティストたちに愛され、かずかずの名盤を送り出してきた場所なのだそう。創設期からのスタッフである超ベテランのメンテナンスエンジニアが、毎日、和光や歌舞伎座の前を通ってスタジオへと向かう規則正しい出勤風景を映し出す凛とした空気には、たちまち引きつけられてしまう。そう、音響ハウスの魅力に触れさせてくれるのは、ミュージシャンのみならず、エンジニアやプロデューサーら、さまざまな人たちの言葉や仕事ぶり。それが、ギタリストの佐橋佳幸とレコーディングエンジニアの飯尾芳史が発起人となった本作の主題歌「Melody-Go-Round」のレコーディング過程とともに綴られていく。13歳のシンガーHANAがみずみずしい歌声を聴かせるその楽曲に参加するのは、作詞を手掛けた大貫妙子ら、もちろん音響ハウスにゆかりの深いミュージシャンたち。いかにこのスタジオにオーラがあるか。そのオーラは何から生まれるのか。坂本龍一や、松任谷正隆とユーミン夫妻をはじめとして、関係者が語るエピソードのかずかずは、坂本と忌野清志郎のメイクとコラボが衝撃だった「い・け・な・いルージュマジック」など、ここで生まれた楽曲が彩った時代をも映し出していく。音響ハウスのまさしく音響や、スタッフの技術、そして、このスタジオならではの空気を愛する彼らのエピソードにもまた、アーティストそれぞれの個性が出ているというのだろうか。矢野顕子はおっとりとレコーディング中の食事へのこだわりを語り、坂本のオスカー受賞者らしいスケールの大きなスタジオスケジュールの押さえ方には、ほかのミュージシャンたちが驚愕する。その坂本を藝大時代から追いかけつづけている葉加瀬太郎は、坂本の名盤のかずかずが生まれたスタジオへの思いと、バイオリニストとしてそのスタジオを楽器としていかに使いこなすかを達者なトークで楽しませてくれる。なにより、レコーディングしている誰もがすごく楽しそうなのだ。それもこの作品の大きな魅力。打ち込みで音楽が作られる時代になっても、みんな、一緒に演奏することが嬉しくて仕方がないのが伝わってくる。そうだよね、そもそもライブも大勢が一堂に会して演奏するんだもんねと、大いに納得。一人で仕事していると自分の中だけで完結してしまいがちだけど、特別な場所に人が集まるからこそ生まれるものもある。それって音楽だけの話じゃない。この映画の幸せは、そこに気づかせてくれることにもあるのかもしれない。『Melody-Go-Round』監督/相原裕美出演/佐橋佳幸、飯尾芳史、高橋幸宏、井上鑑、坂本龍一、矢野顕子、沖祐市、川上つよし、佐野元春、葉加瀬太郎、大貫妙子、HANAほか〈登場順〉11月14日より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開。©2019 株式会社 音響ハウス※『anan』2020年11月18日号より。文・杉谷伸子(by anan編集部)
2020年11月16日松田聖子’80年にデビューして40年。“ぶりっ子”アイドルからアーティストへ、芸能界を走り続けて常に注目を集めてきた松田聖子。音楽評論家・田家秀樹さんはそのきっかけは、『風立ちぬ』と『赤いスイートピー』ではないかと話す。さらに、聖子の楽曲について「リスナーを疑似体験に誘う“水先案内人”」と……。■音楽評論家から見た「聖子の音楽」「特に『風立ちぬ』は、アルバム『ア・ロング・バケイション』が大ヒットしたばかりだった大瀧詠一さんが作曲。自分のメロディーがアイドルにどこまで通用するのか試したかったと本人も語る意欲作でした。アイドルの曲のタイトルに作家・堀辰雄の名作『風立ちぬ』をつける手法も斬新でしたね」(以下、音楽評論家・田家秀樹さん)期せずして日本のロック創世記にその名を残す伝説のバンド『はっぴいえんど』の4人(細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂)が集結してアルバム『風立ちぬ』で松田聖子をサポートした意義は、とてつもなく大きい。「聖子さんの声はアメリカンポップスのコニー・フランシスにも通じる、甘くてセンチメンタルで可愛くてキュート。彼らにとって聖子さんは、歌謡曲が主流だった当時の日本の音楽シーンに切り込むきっかけでした。特に歌謡曲の詞に対する概念を変えてやろうと意気込んでいた松本さんにとって、聖子さんの声は最大の武器でした」さらに’80年には、ユーミンが時代を先取りするような画期的なアルバム『SURF&SNOW』をリリース。当時を田家さんはこう振り返る。「ロックの挫折感、大学紛争の敗北感漂う’70年代とはまったく違う’80年代の幕開け。海外旅行もままならない時代に世界を舞台にした曲を歌い、自分ではできない恋愛をリスナーは擬似体験していく。その水先案内人が聖子さんというわけです」聖子の役割はさながら、’60年代にサーフィンやスキー、エレキギターも弾けない若者たちの代わりに、スクリーンの中でそうした夢を叶えてくれた加山雄三演じる“若大将”のようだと田家さんは彼女の立ち位置をたとえる。しかし、これらの楽曲は20歳を越えたばかりの聖子にとっても未知の世界だった。「松本さんは歌詞を書くときに“ちょっと先に石を投げる”という表現をよく使っていました。歌手としてアイドルとして、等身大の松田聖子として、今いる場所のちょっと先。つまり、それが音楽的な成長、人間的な成長につながるというわけです」そうしたなか’85年、聖子は結婚。さらに出産を経験したことで大きな変化を遂げる。「東日本大震災、コロナ禍の今も根強い人気を誇る『瑠璃色の地球』は、聖子さんが妊娠中に録音しているため母性にあふれる特別な曲といわれています。しかし、聖子さんが妊娠していることはレコーディングが終わるまで明かされることはありませんでした。ただ松本さんは録音中にツワリに気がついたと言っていました(笑)」結婚・出産を挟んで、聖子の海外進出も本格化していく。「’85年には世界的なプロデューサー、フィル・ラモーンによる全編英語のアルバム『SOUND OF MY HEART』をリリース。さらに’88年には世界的な大物アーティスト、デイヴィッド・フォスターが楽曲を手がけるアルバム『Citron』をリリース。実はこのアルバムが、’81年からコンビを組んできた松本さんとの最後のアルバムとなりました」松本隆のもとを卒業した聖子は、ここからセルフプロデュースの道を選ぶ。そんな中、’96年には自らが手がけた楽曲『あなたに逢いたくて』がミリオンヒットを記録する。さらに全米向けにアルバム『WAS IT THE FUTURE』を発表し、シングルカットされた曲がビルボードのクラブチャートで上位に入るなどの活躍を見せるも、日本ではあまり報じられることはなかった。「どんなアルバムで、レコーディングで何があったのか。日本とアメリカの音楽の違いをどう感じたかなどもっと語る機会があったら……。当時は日本の音楽シーンも閉鎖的で海外進出に対して冷たかったのも影響していたのかもしれませんね」デビュー40周年を機会に、さらなるチャレンジに期待したい。PROFILE●田家秀樹(たけ・ひでき)●音楽評論家、放送作家、音楽番組パーソナリティーと幅広い活動を。スタジオジブリが刊行する『熱風』にて『風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年』を連載中
2020年10月24日松田聖子’80年にデビューして40年。“ぶりっ子”アイドルからアーティストへ、芸能界を走り続けて常に注目を集めてきた聖子。そんな聖子を「スター中のスター」と崇めるクリス松村さんが語った松田聖子が切り開いていった「新しいアイドル像」とは……。■クリス松村が語る「松田聖子の偉業」「セカンドシングル『青い珊瑚礁』を歌っている姿を見て、デビューして2、3か月なのに、なんでこんなにきれいになったの、という驚きがありました。’70年代にもアイドルはいっぱいいたけど、この子は違うって」クリスの予感は当たっていた。聖子は、作詞家・松本隆とタッグを組み、ユーミン、財津和夫、大瀧詠一、細野晴臣といったニューミュージックのアーティストたちとコラボして、立て続けにヒット曲を量産していく。「アイドル歌手は’70年代からニューミュージックの人たちの楽曲を歌ってきました。でも聖子さんの成功をきっかけにコラボするアイドルが急増。そして聖子さんとともにニューミュージックの人たちもヒットチャートをにぎわせるようになった。音楽新時代に相乗効果で突入した感じ」’82年組がアイドル黄金期といわれるが、’80年にデビューした聖子や河合奈保子、そして、たのきんトリオがいなかったら、’82年組のブレイクもなかったと話すクリス。さらに聖子さんの登場が、アイドルの結婚観も変えた。「’85年に結婚式をあげて休養を発表したものの、引退するかどうかはっきりしていなかったから、私たちファンはみんなヤキモキしていました。ところが結婚・妊娠中にアルバム『SUPREME』をリリース。さらに出産して『Strawberry Time』をヒットさせアイドルを維持、これが後のママドルと言われる最初です。今までの”アイドルの結婚=引退“の常識を覆してしまいました」しかもデビューして40年の今でも、聖子は常に自分がアイドルであることに誇りを持っている。「ある年齢に達すると、もうアイドルを過去のことのようにしてしまいがちですが、聖子さんは違う。今も武道館ライブでミニスカートをはいてキラキラの衣装を身につけ全力で走ってる。新しいアイドルの扉を開けてくれました」そう話すクリスには、聖子さんの魅力を語るうえで忘れられない曲がある。それが’96年にリリースした『あなたに逢いたくて』。「ヒット曲に恵まれた聖子さんも、それまでミリオンヒットはなかった。それを達成したのがデビューから16年後。しかも自分が作詞・作曲(共作)した曲でミリオンなんて。とにかく諦めないところが聖子さんのいちばんの魅力なのかも」■山口百恵さんとの共通点海外進出だって諦めない。’85年にチャンスをつかむも、結婚・妊娠でいったん小休止。それでも諦めずに、’90年代には全米デビュー。最近では全米のジャズチャートをにぎわせている。「今まで全米ホット100に入った日本人は坂本九さんとピンク・レディーしかいない。ジャズ部門など専門チャートで全米制覇する夢を聖子さんはまだ諦めていないと思う」クリスには聖子さんとの忘れられない思い出がある。「福岡空港で全便が飛ばないという緊急事態で、空港が混雑しているとき、たまたま私を見かけた聖子さんが、帽子とマスクをとって、化粧もされていないのに遠くから挨拶してくださったときは感動しました。それ以来、ますます聖子信者になっちゃった。聖子さんに『大ファンです』と近寄っていけない自分がいる。聖子さんはステージの下から憧れて見つめる人。だって、スター中のスターですから!」そんなクリスが、松田聖子の40周年を振り返り、とても不思議に思うことがある、と話す。「実は聖子さんと’70年代を代表する歌姫・山口百恵さんには共通点があります。それは2人とも『日本レコード大賞』をとっていないこと。つまり、無冠なんです。個人的には’83年『ガラスの林檎』か『瞳はダイアモンド』でぜひとってほしかった。この年のレコード大賞は前年の『北酒場』に続いて、細川たかしさんが『矢切の渡し』で史上初の2連覇達成。聖子ファンとしては残念な気持ちもありますが、時代を代表する歌姫おふたりがとられていないのはすごい共通点だと思いませんか?」PROFILE●クリス松村(くりす・まつむら)●タレント、音楽への深い造詣から音”楽“家(おんらくか)として、テレビやラジオにて音楽番組を数多く担当。『「誰にも書けない」アイドル論』を上梓
2020年10月21日持病の潰瘍性大腸炎が再発したことを理由に、8月28日に辞意を表明した安倍晋三首相(65)。同日に開かれた会見では、「国民の負託に自信をもって応えられる状態でなくなった」と健康状態を説明した。安倍首相の予期せぬ辞任は、世間を大きく揺るがした。いっぽうで、思わぬところで余波を生んでいる。ユーミンこと松任谷由実(66)は、同日放送の『松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送)で会見の感想をこう述べた。「テレビでちょうど見ていて泣いちゃった。切なくて。私の中ではプライベートでは同じ価値観を共有できる。同い年だし、ロマンの在り方が同じ。辞任されたから言えるけど、ご夫妻は仲良しです。もっと自由にご飯に行ったりできるかな」松任谷といえば、安倍首相や妻の昭恵夫人(58)と親交が深いことでも知られている。17年12月と19年3月には、夫妻が松任谷の舞台を鑑賞する姿も報じられていた。そんななか、京都精華大学の専任講師・白井聡氏は松任谷を痛烈に罵倒。白井氏は、Facebookでこのように投稿した。「荒井由実(松任谷の旧芸名)のまま夭折すべきだったね。本当に、醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ。ご本人の名誉のために」この投稿はスクリーンショットなどで瞬く間に拡散され、批判が殺到している。《自分と政治的思想が相容れないからって死んだほうがいいと言えてしまうなんて…怖い》《白井聡氏の松任谷由実さんに対する「死んだ方がいい」は、流石に人間を辞めているレベルのヘイトだと思いますが、いかがでしょうか?》《安倍首相が好きな人もいるし嫌いな人もいる。辞任会見に対する思いも人それぞれ。他人の感想が自分と違うからと言って、早く死んだ方がいいは無い》橋下徹氏(51)も9月1日、《京都精華大学は、さすがにこんな教授を雇い続けるのはまずいだろ》とTwitterで苦言を呈した。「安倍首相が辞意を表明してから、各メディアは約8年にわたる長期政権の総括記事を出しました。新型コロナウイルス対策や経済回復といった課題が山積するなか、政治空白が生まれる懸念が指摘されています。他にも“森友・加計問題”といった不祥事に対して、説明責任を問う記事も出されました。白井氏も8月30日に、『安倍政権の7年半余りとは、日本史上の汚点である』と題した記事を朝日新聞に掲載。ですが嫌悪感や私的感情がむき出しにつづられた内容に、『偏向だ』といった指摘もされています」(社会部記者)9月1日、批判を受けて白井氏はFacebookに「声明」を発表。上記の投稿を削除したことを報告した。そして、「ユーミン、特に荒井由実時代の音楽はかなり好きです(あるいは、でした)。それだけに、要するにがっかりしたのですよ」と説明。続けて、「偉大なアーティストは同時に偉大な知性であって欲しかった。そういうわけで、つい乱暴なことを口走ってしまいました。反省いたします」と謝罪した。同大学の「教育の基本方針に関する覚書」には、「礼と言葉の紊れ(みだれ)が、新しい時代にむかって正され、品位のない態度と言葉とは、学園から除かれなければならない」と記載されているがーー。同大学のTwitter公式アカウントにも、《大学の名誉にも関わる問題なのでは?》《大学はどのような見解でしょうか》といった抗議の声が寄せられている。
2020年09月01日刀剣ブームを巻きおこしたゲームアプリ『刀剣乱舞-ONLINE-』の新主題歌、松任谷由実による書き下ろし楽曲『あなたと 私と』のコンセプトCDアルバム『刀剣乱舞-ONLINE- 歌曲集と物語「あなたと 私と」』が、10月7日(水)に発売することが決定した。本アルバムは、表題曲『あなたと 私と』(松任谷由実)のフルバージョンをはじめ、"始まりの五振り"である刀剣男士(加州清光/CV:増田俊樹・歌仙兼定/CV:石川界人・陸奥守吉行/CV:濱健人・山姥切国広/CV:前野智昭・蜂須賀虎徹/CV:興津和幸)による同曲の歌唱バージョンを独唱と合唱で収録。さらには、ファン待望の始まりの五振りによるショートドラマトラック(約6分)を収録した全8曲も収録する。5周年を迎えたアニバーサリーイヤーにリリースされる本作は、ともに歩んできた審神者と刀剣男士との「始まり」に焦点を当て、これまでを祝い、これからを願う想いを全編通して届ける内容となっている。ジャケットビジュアルはキャラクターデザインを担当したイラストレーターによる新規描き下ろし。初回限定盤はオリジナルスリーブケース仕様。描き下ろしジャケットビジュアルを使用したチェンジングジャケットが5種封入される。本日より、アルバム特設サイトをオープン。収録内容、予約特典等の詳細とあわせて、"始まりの五振り"のナレーションによる告知映像を公開している。刀剣乱舞-ONLINE- 歌曲集と物語「あなたと 私と」特設サイト『刀剣乱舞-ONLINE- 歌曲集と物語「あなたと 私と」』10月7日(水)発売
2020年08月19日「新型コロナウイルスの影響で、今回のツアーだけではなく、年末のディナーショーも、まだ白紙状態なんです……」8月9日、ファンクラブ限定で初めてのオンライントークショーを開催した松田聖子(58)。「私たちファンからの質問に答えてくれたり、最後には2曲披露してくれたり、あっという間の80分でした!」(視聴したファン)実は、今年は聖子のデビュー40周年の記念イヤー。恒例の夏のコンサートツアーも本来なら、さいたまスーパーアリーナを皮切りに、横浜アリーナや日本武道館、大阪城ホール、マリンメッセ福岡など、日本全国7カ所での公演が決まっていた。「50代以上のアーティストで、全国のアリーナツアーができるのは、聖子さん以外ではサザンと小田和正にドリカム、ユーミンくらいでしょう。まさにモンスター級です。しかしながら、新型コロナの感染拡大を理由に、全公演の延期が発表されました」(音楽関係者)聖子の悲劇は、これだけにとどまらない。聖子といえば、’88年2月、東京・自由が丘に「フローレスSEIKO」をオープン。当時、一世を風靡したタレントショップ経営の“元祖”としても有名だ。「’14年、所属事務所移籍にともない、店舗を彼女の新事務所名でもある『Felicia♪club by SEIKO MATSUDA』に改称。3年前に表参道に移転しましたが、コロナ禍により、緊急事態宣言時の一時休業を経て、7月中旬に再度“休業”となったのです」(前出・音楽関係者)現地を訪れると、店の扉には休業のお知らせが貼ってあった。《東京都の新型コロナウィルスに対しての警戒レベルが最も高いレベル4に引き上げられた事を受けご来店下さる皆様の安全を第一に考え、7月16日(木)より当面の間、休業とさせていただきます》デビュー40周年の節目に、自らのショップを閉めざるをえない心境はいかばかりか――。「聖子さんの今年の40周年のコンサートツアーは、10万人弱の動員を予定していました。このチケットの払い戻しで、2億円程度の損失です」(別の音楽関係者)押さえていたコンサート会場のキャンセル代も莫大だという。「行政が運営している会場なら半額や全額の減免もありますが、さいたまスーパーアリーナや日本武道館などでは、直前のキャンセルだとほぼ100%のキャンセル料がかかります。これがざっと1億円。さらに音響や照明、ヘアメーク、スタイリストなどへのスタッフの支払いもまったく払わないわけにはいかないので、半分程度は負担すると思います。スタッフへの経費もトータルで1億円くらいはかかってしまうでしょう」(前出・音楽関係者)聖子は冒頭のオンライントークショーの中で、夏のツアーで販売予定だった40周年記念Tシャツを着て登場していた。「コンサート会場では、いろいろな種類の40周年限定グッズの販売も予定していたと聞きます」(芸能リポーター・城下尊之さん)だが、全国ツアー中止で、記念グッズの売り上げにも大きな影響が出るという。「実は聖子さんは、8月11日に、オンラインショップを立ち上げたんです。1枚4千円の40周年記念Tシャツもそこで販売しています。ただ、一般的に、そうしたグッズはコンサート会場で販売したほうが桁違いに売り上げがいいんです。ファンの“熱気”が違いますから。さらに、聖子さん、明菜さんクラスのディナーショーの売り上げは1シーズンで3千万円といわれています。これらすべてを合わせると、コロナ禍により、聖子さんの40周年イベントの損失は少なく見積もっても5億円に達すると思います」(前出・音楽関係者)本当に年末のディナーショーは開催できないのか。昨年、開催したホテルに聞いてみた。「聖子様に限ったことではなく、ほかの皆様もあわせて、すべてのアーティストが開催未定です。このコロナの関係で、昨年同様の開催は難しい状況だと言わざるをえません。9月に入れば開催の有無はわかるかと存じますが…」(イベント担当者)巨大な打撃を受けた聖子だが、すでに頭を切り替えて前を向いていた。オンライントークショーでは自らのことを、「最新デバイスにうとい、時代遅れの女だわ」と苦笑いしながら自虐的に語っていたが――。「今回のオンライントークショーのチケット代は4千800円でした。1日3回公演で、のべ3千人以上の視聴があったので、売り上げは約1千500万円ほどです」(前出・音楽関係者)聖子は今回のトークショーで、9月末の40周年記念アルバムの発売にあわせ、第2弾のオンライントークショーと、年内には初のオンラインライブを開催する予定だと明かしている。「サザンオールスターズが6月25日に横浜アリーナで無観客で配信したライブは、約18万枚のチケットを売り上げました。1枚3千600円ですから、約6億5千万円の売り上げです。聖子さんも、彼らを意識したんでしょうか。結果的に、40周年の記念ライブが無観客配信でしか見られないとなったら、ファンは必ず見るでしょう。音楽業界では、こうした配信ライブはもはや常識になってきています」(前出・音楽関係者)とはいえ、聖子はファンと直接会える機会も持ちたいと、こんなサプライズ計画も考えているとか。「来年以降のことになりますが、密を避けるため、離島でのファンツアーも考えているようですよ」(前出・城下さん)節目の年の“誤算”にもめげず、次なる作戦を練る聖子。「時代遅れ」を脱却した“令和の歌姫”として、さらに進化を遂げそうだ――。「女性自身」2020年9月1日号 掲載
2020年08月17日「カメラ目線でいいですか?」マスク姿のカメラマンに問いかけながら、髪をかき上げたり、腕を組んだり、次々とポーズを繰り出していく小林麻美さん(66)。そのしぐさはごく自然で、30年というブランクを感じさせない。70年代に17歳でデビュー。モデルや歌手として、それまでのアイドルとは一線を画した“アンニュイで、いい女”のイメージで独自の存在感を示した小林さん。所属事務所社長との入籍を明かし、結婚・引退会見を行ったのは91年春のこと。以降、きっぱりと芸能界から身を引き、育児に専念していた。それから25年後の復帰も、また衝撃的だった。16年に雑誌『クウネル』の表紙に登場した際は、再び世間とファンを驚かせたものだ。「本当に25年間は、子育て一筋でしたから……。着ているのも、いつも家では汚れてもいいスエットだったり(笑)。今日は何でも聞いてください」初めて所属した芸能事務所でアイドルデビューしたものの、「なりきれなかった」と語る小林さんは、事務所を辞めた後、元ザ・スパイダースのメンバーで、芸能事務所を立ち上げていた田邊昭知さん(81)と出会う。彼は、初対面で小林さんのファッションの違和感について、率直に口にしたという。「背伸びしてたというか、その日はイヴ・サンローランのコートに、頭にはリボンという赤面するような格好で(笑)。それを指摘されて、すんなり聞いている自分がいて。あっ、この人についていこう、と思いました。振り返ると、運命的な出会いだったかもしれません」そのまま、田辺エージェンシーと契約。彼は、出会いの当初から、小林さんに真剣に言い続けた。「若さは、あっと言う間になくなってしまう。でも、人間としての魅力は60代、80代になってもなくならない。だから、どんどん自分を磨きなさい」その延長で、日本のモデル業界の草分けである岩崎アキ子さんのナウファッションエージェンシー(現N・F・B)で、モデルとして1年間の武者修行へ。ここで、コンプレックスだった背の高さが武器に変わる。日本は、バブル景気の真っただ中。ユーミンのプロデュースでアルバムも出したし、ファッション誌の企画で、パリではあの名店「ロブション」を貸し切ったりも。しかし、そんな華やかな活動の陰で、小林さんは、かつてないほどの孤独の中にいた。「主人との交際が始まったのが、出会って半年のころ。もちろん事務所社長との交際など芸能界のご法度ですから、誰にも言えません。私自身は、結婚したかったのですが、15歳年上の彼に自分から言い出すことは、どうしてもできませんでした。健気だったなぁと思います」行き詰まる彼との関係。寂しさを紛らわし、忘れさせるのは酒であり睡眠薬だった。そんな生活を十数年も送った末のことだった。「フッと力が抜けたというか。子供を持たない人生もあるな、と思ったんです。そしたら不思議なもので、半年後に妊娠がわかって」これがきっかけとなって、田邊さんも結婚を真剣に考えるようになり、91年春の夫婦そろっての「電撃会見」となる。《小林麻美17年間の秘愛実らせ極秘出産!正式入籍!》当時の本誌記事の見出しにあるとおり、会見では長男の泰三さん(29)の出産も明かされた。のちに“芸能界のドン”とも呼ばれる実力者と生活感を最も感じさせない女性タレントとの結婚は、文字どおり、世間の度肝を抜いた。「結婚を機に引退といっても、私は山口百恵さんのようなスーパースターじゃないですから、そんな大それたことじゃないんです。ただ、ご迷惑をかけた人も多かったのと、これからは一心に子供を育てていくという決意表明で、自分の中でのみそぎというか、落とし前でした」あれから25年。今後は、自分のキャリアを生かせる仕事を自然体でこなしていきたいと、抱負を語る。「いまは、3歩進んで2歩下がって、またちょっと横になって、1歩前へ、という感じかな。好奇心と向上心さえあれば、人間、60歳になっても80歳になっても、魅力的でいられるはずですから」最後に、20歳のときに夫から贈られ、ずっと大切にしてきたという言葉を、大きくうなずきながら口にした――。「女性自身」2020年7月7日号 掲載
2020年06月29日(左から)松任谷由実、桑田佳祐、布袋寅泰緊急事態宣言が解除されても営業再開に苦戦している全国のライブハウス。今や超大物となったミュージシャンたちにも、若き日に立ったステージがある。そんな“聖地”を半世紀にわたって提供してきた人物が明かす、ブレイク前夜の貴重秘話──。新型コロナウイルスの影響で苦境が続くライブハウス。そんな中、日本ロック界のパイオニアたちを輩出してきたライブハウス『ロフト』の創業オーナーで、“ライブハウスを創った男”と言われる平野悠さんが1冊の本を緊急出版した。波乱に満ちた黎明期を綴った『定本 ライブハウス「ロフト」青春記』(ロフト・ブックス)。そこには、いまや大スターとなったアーティストたちの若き日の姿も赤裸々に描かれている。■サザンの無名時代エピソード「’71年に、世田谷区の千歳烏山に初めて開いたのはライブハウスではなく、ジャズをかけるスナックでした。’73年に杉並区の西荻窪で始めた『ロフト』が最初のライブハウス。当時は“ライブスポット”と呼ばれていましたけどね」(平野さん、以下同)客が持ち込んだレコードでロックの面白さを知り、それを生で聴く場所が欲しくなって、自らこしらえることに。「’75年に下北沢で、’76年には新宿にも『ロフト』をオープンさせました。そのころ、やっとロックが市民権を得て、レコード会社がライブハウスに群がるようになりました」今では考えられないくらいの豪華なミュージシャンたちが、そこには集っていた。「サザンオールスターズは『ロフト』がなかったら存在しなかったと思います。ギター担当の大森隆志が、下北沢『ロフト』の店員で、そこでメンバーを集めていた。当時は練習スタジオが少なくて、彼らは営業が終わった夜中の店で練習していました。ウチで店員の仕事をしながら、ほかの人のライブが見放題。何が今、自分たちに必要なのかを勉強できたはず。桑田佳祐もビールジョッキを客席に運びながら、ほかの人のステージを、目を皿のようにして見ていました。でも、桑田には給料を払ったことはなかったのに、よくやってくれてるなぁと思っていました(笑)」平野さんの印象では、当時のサザンは客が入らないワースト10のバンドのひとつ。「サザンは本当に客が入らなかった。少しの客も途中で帰っちゃう。客席がガラガラだと盛り上がらないからね。それでも彼らをステージに出し続けたのは、ウチの店員だったから。気持ちよく働いてもらうために、月1回の出演を保証したんですよ」そんなサザンが、思いもかけないデビューを飾ることに。「キャンディーズのマネージャーだったアミューズの大里洋吉が、ある日ウチにやって来て、“ベストテンにサザンを出すから場所を貸して”と言う。それを承諾したら、その場で“新宿のロフトが取れたからサザン入れといて”なんて電話してるの。天下の『ザ・ベストテン』に無名の新人だったサザンを電話1本で入れちゃうってのは、スゴイことだと思いました」大人気の歌番組に『ロフト』から中継で出演したサザン。桑田は「僕らは、ただの目立ちたがり屋の芸人でーす!」と言い放った。「いつもヨレヨレの汚い服で、オーラもなかった桑田が、すごいパフォーマンスを見せたからビックリしましたよ。テレビで暴れまくる桑田の姿が信じられなかったですね」そんな大スターの才能を見抜けなかった自分を大いに悔いたという。「ユーミンは、’74年に『荒井由実とパパレモン』として荻窪のロフトに出たことがあります。松任谷正隆と細野晴臣のバンド『ティン・パン・アレー』のコーラスグループの1人としても参加していました。ほかには吉田美奈子、大貫妙子、矢野顕子という豪華なメンバー。でもステージに入り切らないから、コーラスの4人はお酒を作るカウンターの中で歌ったんですよ」とにかく手を焼いたのはデビュー前から面倒を見ていた氷室京介や布袋寅泰らの『BOOWY』だった。「元暴走族というだけあって、メンバーの目はギラギラして飢えた、カミソリみたいな印象でしたね」■氷室と布袋を怒鳴りつけた!氷室と布袋は仲がよくなかったが、それがいい意味で緊張関係を生んでいたとも。「布袋はほかのミュージシャンとも酒を飲んでワイワイしていましたが、氷室は酒を飲まないから、ライブが終ったら帰っちゃう。自然と氷室が仲間はずれになって」大事な大手レコード会社へのプレゼンにもメンバー全員が1時間以上遅刻することもあったが、平野さんは根気よく彼らをサポートし、レコーディングにもかかわった。ところが、彼らから聞こえてくるのは、ブレイク前なのに“解散”の話ばかり。「私は氷室と布袋に怒りましたよ。“お前らが育つために、どれだけの人が苦労したか、わかるか!”って。それなのに2人が不仲だから“解散だ”なんて許さない、と。まあ、女の問題とか、いろいろ複雑でしたが。それで私は“もういい加減にしろ!”って怒鳴って、海外へ飛び出した」’84年に平野さんは世界放浪の旅に出る。BOOWYはその後も解散せず、大ブレイクを果たす。結局、’88年に東京ドーム公演をもって解散した。「氷室と布袋は一緒にやるのは嫌だったけど、すぐに解散はしないで、タイミングを見ていたみたいだね」ロフト人生を通して、平野さんにとって最も付き合いが古い1人が坂本龍一だ。「烏山の店には、東京芸大の大学院生だった坂本が来ていました。当時から女にモテたよね。ヒッピーが全盛のころだから、格好はビシッとしていなかったけど、雰囲気はあった。近くに通う女子大生のレポートを書いてあげてましたね。酒も1杯おごってもらったりして(笑)」坂本龍一には当時からオーラがあったようだ。「今まで会った人でいちばんインパクトがあったのも坂本。初めて見たときから天才だと思ったし、客が誰もいないのに、よくピアノを弾いていた」ほかにも思い出は尽きない。■豪華すぎる!輩出された大物有名人たち「RCサクセションも客が入らなかった。“僕はRCが大好きだけど、客が5人じゃ商売にならないからステージに出せない”って、忌野清志郎に謝った。でも『屋根裏』という別のライブハウスに出たら、半年後に人気が爆発(笑)。スピッツは客が入っていたけど、俺が出したくなかった。バンド名が気に入らなくて、ロックなんだから、せめて“ブルドック”にしろよって思っていた。『ロフト』からCDも出して、倉庫に何十枚もあったけど、いらないから捨てちゃった。彼らがブレイクしてCDに10万円以上のプレミアがついたって聞いたけどね (笑)」芸能界の大御所・タモリが“デビュー”したのもロフトだった。「ピアニストの山下洋輔さんの声がけで、福岡に面白いやつがいるから、会場費は払えないけど場所だけ貸してくれって言われて。赤塚不二夫さんたちも集まって、みんなでネタ見て大笑い。その後も何回かステージをやって、芸能界でブレイクしたね」ライブハウス受難の今、波瀾万丈な『ロフト』を半世紀、運営してきた平野さんはいう。「コロナで俺はロフトのオーナーは辞めました。後はバトンタッチした若い人たち次第。原発騒ぎでも変わらなかったこの国がどう変わるかも、楽しみではありますね」
2020年06月13日松本穂香が主演、奈緒、中村獅童ら豪華共演で贈る角川春樹監督作『みをつくし料理帖』から本ポスタービジュアルが解禁。さらに、本作の主題歌で松任谷由実と手嶌葵がコラボすることが分かった。完成したポスターのメインビジュアルには、本作の名シーンともなっている澪(松本穂香)と野江(奈緒)が起用。澪の指でかたどられているのは、2人にとって忘れられない思い出…。切ない表情の2人の視線の先には何が待ち受けているのか。本作の豪華なメインキャスト陣の劇中写真も加わり、ドラマティックなビジュアルが完成した。さらに、本作の主題歌が松任谷由実が書き下ろした「散りてなお」に決定。透明感溢れる歌声で知られる手嶌葵が、大切な人や故郷、心に刻まれるものが簡単に消えはしないというメッセージをのせて歌い上げる。また、主題歌の編曲並びに劇中の音楽は松任谷正隆が担当、豪華な夢のコラボレーションが実現し、音楽の力で本作に化学反応を巻き起こす。手嶌葵「歌わせて頂けて本当に幸せ」この映画で角川春樹監督の描いた世界は、優しい気持ちが自然に湧いてくるとても素敵なものでした。そして、そんな世界観に寄り添うようなユーミンさんが作って下さった主題歌。歌わせて頂けて本当に幸せでした。是非映画をご覧頂いて、優しくて、そして美しいこの歌を皆さんにも口ずさんで頂けると嬉しいなぁと思います。松任谷由実「心の奥の故郷や希望は決して消えない」この作品の主題歌を作ることが出来て、本当に良かった。愛すべき、破茶滅茶な角川春樹さん。常人には測り知れない長い苦悩が、人生の最終章で、こんなにも丁寧なやさしさに昇華されていることに、今は感動しています。私も手嶌葵さんの質感豊かな歌唱を得て、心の奥の故郷や希望は決して消えないと、映画と共に伝えられたらうれしいです。松任谷正隆「僕の音楽の集大成」僕は映画音楽が下手だ。たぶん音を資料として頭の中にストックしておけない体質だからだと思う。観たときの感情が勝ってしまって、結果暑苦しい音楽になる、というのが自己分析である。「こんな僕でいいのですか?」と聞いたら「お願いします」と角川さんに言われた。この映画が角川映画の集大成、というのならこれは僕の音楽の集大成だ、と言っておこうかな。『みをつくし料理帖』は10月16日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:みをつくし料理帖 2020年10月16日より全国にて公開Ⓒ 2020映画「みをつくし料理帖」製作委員会
2020年05月11日女優の松本穂香が主演を務める、映画『みをつくし料理帖』(10月16日公開)の本ポスタービジュアル、及び主題歌が11日、明らかになった。同作は高田郁の同名時代小説の実写化作。大洪水で両親を亡くし、幼なじみの野江(奈緒)とも離れ離れになった澪(松本)は、江戸の神田にある蕎麦処「つる家」で女料理人として働き、店は江戸でも評判になっていく。ある日、吉原の扇屋で料理番をしている又次(中村獅童)という強面の男がやってきて、あさひ太夫のために澪の看板料理を作ってくれと頼んだことから、運命の歯車が動き出す。完成したポスターのメインビジュアルには、本作の名シーンの澪と野江が起用された。澪の指で、2人にとって忘れられない思い出がかたどられる。更に主題歌は、松任谷由実が書き下ろした「散りてなお」を、手嶌葵が歌いあげる。大切な人や故郷、心に刻まれるものが簡単に消えはしないというメッセージをのせた。主題歌の編曲並びに劇中の音楽は松任谷正隆が担当した。○手嶌葵 コメントこの映画で角川春樹監督の描いた世界は、優しい気持ちが自然に湧いてくるとても素敵なものでした。そして、そんな世界観に寄り添うようなユーミンさんが作って下さった主題歌。歌わせて頂けて本当に幸せでした。是非映画をご覧頂いて、優しくて、そして美しいこの歌を皆さんにも口ずさんで頂けると嬉しいなぁと思います。○松任谷由実 コメントこの作品の主題歌を作ることが出来て、本当に良かった。愛すべき、破茶滅茶な角川春樹さん。常人には測り知れない長い苦悩が、人生の最終章で、こんなにも丁寧なやさしさに昇華されていることに、今は感動しています。私も手嶌葵さんの質感豊かな歌唱を得て、心の奥の故郷や希望は決して消えないと、映画と共に伝えられたらうれしいです。○松任谷正隆 コメント僕は映画音楽が下手だ。たぶん音を資料として頭の中にストックしておけない体質だからだと思う。観たときの感情が勝ってしまって、結果暑苦しい音楽になる、というのが自己分析である。「こんな僕でいいのですか?」と聞いたら「お願いします」と角川さんに言われた。この映画が角川映画の集大成、というのならこれは僕の音楽の集大成だ、と言っておこうかな。
2020年05月11日松田聖子、斉藤由貴、近藤真彦、Kinki Kids……。時代を代表するアイドルたちの大ヒット曲をはじめ、数々の名曲を世に送り出した作詞家・松本隆(70)が今年、作詞家活動50周年を迎えた。その独特な世界を生み出す原動力は何か。“彼をよく知る人の証言”から迫ります。■太田裕美(65)「佇まいは、見るからに文学青年。情景。心理描写も秀逸です」「初対面のとき、開口一番『えっ、こんな若い人?』と口走ったくらい、当時の松本さんは見るからに文学青年という佇まいでした」松本隆との出会いをこう振り返るのは、多くの名曲を贈られている太田裕美。代表曲『木綿のハンカチーフ』も松本による作詞だ。「遠距離恋愛の経験はないけれど、歌詞の世界を素直に歌おうと思いました。松本さんが書いてくれた楽曲は、『エレガンス』というアルバムの収録曲である『ピッツァ・ハウス22時』や『煉瓦荘』など、とにかく情景と心理描写が秀逸です。『さらばシベリア鉄道』も作曲の大滝詠一さん(享年65)が『はじめて自分の名前がオリコンに載った』と喜んでくださったので、自分のことよりもうれしく思ったことを覚えています。私ほど松本さんから素晴らしい詞をいただいている歌手はいないのでは。これからも太田に書きたいと思っていただけるよう歌い続けていきたいです」■若松宗雄(音楽プロデューサー)「文学性の高い世界観に娯楽が加わった」「太田裕美さんに提供した詞を聴いたときから、彼のことはすごいなと思っていました。聖子にも書いてもらいたくて『アルバムでもいいので』とお願いしたのが始まりです」振り返るのはかつてCBS・ソニーレコードで松田聖子(57)を発掘した名プロデューサー・若松宗雄氏。松本隆とタッグを組み、数々の名曲を世に送り出した。「初めて出来上がった『白い貝のブローチ』を聖子が歌った瞬間、生理的な心地よさというか“快感”に近いものを感じ、やはり聖子の声質とぴたりと合う!と感嘆しました」松本の詞については、「伝説的なバンド『はっぴいえんど』で実績を重ね、松田聖子で結実・成功した」と若松氏は続ける。「松本さんは、音楽性・文学性の高いニューミュージック界の旗手。それがトップアイドルの詞を描くことで娯楽性も高まり、大きな成功を収めたのでしょう」若松氏はあのユーミン(松任谷由実・66)、でさえリテークをお願いしたこともあったが、松本には皆無だった。「方向性はすべて彼にまかせました。情景描写が秀逸で、彼の語彙力が詞の奥深さにつながっている。私は聖子には音楽性と文学性を持たせたいと思っていたのですが、それを以心伝心で感じ取ってくれました」作曲は大滝詠一、細野晴臣(72)、財津和夫(72)、松任谷由実といった才能豊かなアーティストが交代で担当。「誰も異論を唱えようのない才能あふれる仲間たちも巻き込んでくれた。大村雅朗くんというアレンジャーに恵まれたことも大きかった。今思えば、時代を代表する才能が集結していましたが、松本さんとしては、『後世に残そうと意図せずして、一時代を作った』というところではないでしょうか」「女性自身」2020年3月17日号 掲載
2020年03月19日2020年3月に50周年を迎えたananとほぼ“同期”であり、これまで多くの企画を通じて新しい価値観を提案し続けてくれている松任谷由実さん。常に時代を切り拓き未知の世界を見せてくれるユーミンに、小誌との歴史や時代との向き合い方について語ってもらいました。1972年にシンガーソングライターとしてデビュー。以来、音楽シーンのみならず、時代そのものを牽引し続けているユーミン。生み出す楽曲はもちろん、都会的なファッションやブレのない生き方が幅広い層に支持され、時に社会現象を巻き起こすことも。そんな発信するものすべてが多大な影響力を持つ“時代のアイコン”は、ananにも多数登場。対談企画やコラム連載、お悩み相談などあらゆるテーマで活躍し、初登場から40年以上にわたって共に誌面を作り上げてきたユーミンが小誌との思い出を語ってくれた。「初めて登場したのは、’70年代の終わり頃だったかな。当時はまだ“スタイリスト”という職業が確立されていなくて、誌面で着る衣装はすべて自分でコーディネートを組んでいました。昔は世に出ていないクリエイターとセッションしてよく作品撮りをしていたんですが、ananでのスタンスはその感覚に近かったかもしれないですね。編集者の意図を理解して、スタイリングや写真、テキストへと落とし込んでいく。その中で思わぬ化学反応が生まれて、面白いページができていった。ananって、常にちょっとエッジーな存在でしょう?当初から企画やレイアウトにオリジナリティとプライドが感じられた。それもあって、ファッションやメイクを含めて他ではできないことにも挑戦できた気がします」過去の誌面を見ると、登場する企画ごとにイメージがガラリと変わっている点に気づかされる。いずれも一切古さを感じさせないどころか、今見ても新しい。「企画に合わせてはいるものの、’80年代後半のスタイルは今見るとアゲアゲ(笑)。’90年代に入ってくると、一転して抑えたムードになっています。スーパーモデルがもてはやされていた時代から、ケイト・モスのような脱力系が支持されるようになっていったのがこの時くらいから。不思議なもので、自分の中で違和感を抱きだすと、自然と世の中も変わっていくんですよ。私の場合は動物的なカンが働くのか、流れが一般化するより3~5年ほど早いみたい。その感覚は昔からありますね」時代の数歩先を行く感覚の鋭さは現在も変わることなく、最新の音楽事情やファッショントレンドにも精通。今回の撮影では、ズラリと並んだ衣装の中からオリエンタルな柄のドレスをセレクトし、「少し先には、またこんなムードが来る気がしています」と語る。とはいえ、本人は時系列上での“古い/新しい”の線引きは特に意識していないという。「音楽でもファッションでも、好き嫌いがハッキリしている方がスムーズに時代に乗っていけると思うんです。古いものでも自分が好きだと感じたらそれが最新だし、新しいものでもピンとこなければスルーしていく。そこはブレない方がいい。先日テレビのチャート番組を見ていたらウェスタンとヒップホップのハイブリッドみたいな曲が流れていて、面白いなって感じたんです。以前なら絶対に混ざらなかったであろうものが合わさっていて、スゴいとこ突くなって。たまにそういう発見があるのはやっぱり楽しいですね。でもね、私ってやっぱり鼻が利くみたいで(笑)。イントロで“これイイ!”って思ったものは、長くヒットしたりするんです」そう話す表情は、茶目っ気たっぷり。半世紀近くトップランナーであり続けることのプレッシャーや葛藤は想像を絶するけれど、時代に向き合うことをどこか楽しんでいるようにも感じられる。「新しいものに出合うのって億劫じゃないですか。エネルギーも必要になるけれど、そこにはきっと何かがある。そう思って、出合うための労力を惜しまないようにしています。年齢とともにモチベーションの保ち方も変わってきて、今はモチベーションを上げることが大変になりつつある。でも、やめたらそこで終わってしまうでしょう?だからファッションしかり美容しかり、どんな手を使っても先に進みたいと思っているんです。もちろん、すべての前に音楽ありきですが」“どんな手を使っても”という、強い言葉に驚く。溢れるほどの才能に恵まれ、アーティストとしてこれ以上ないほど成功している現在も、さらなる進化の道を選び続ける――。色褪せることのない輝きの裏には、強い覚悟と決意があった。「自己分析をした時に、実はストレスがあるくらいの方が精神的に安定するってわかったんです。私にとってストレスがない状態は、白いトンネルの中にいるようなもの。ビジョンがないことが逆にストレスになってしまうんですよね。なので、周りに協力してもらいながら自分に適度な負荷をかけて、ちょうどいいバランスを常に探っているんです」この3月にはSuchmosのライブにゲストボーカリストとして出演するなど、新たな取り組みにも果敢に挑戦。音楽配信を通じ、国や世代を超えたファンも増え続けている。凄まじいスピードで世界が変化していく中、今なお時代から求められることについて本人はどう感じているのか聞いてみた。「“何かヒントが欲しい”“新しいものに出合いたい”と思っている人に応えることが私の役割なのかなって感じることがあります。意識的に提示しているわけではないけれど、誰かが何かを求めている時に必要なメッセージを私や私の楽曲から受け取ることがよく起こっているそうなんです。そういう意味では、神様のような存在に曲を書かされている部分もあるのかもしれないですね。私自身も、ツアー先に漂う空気や人の気を感じながら昔のナンバーを歌った時に、“この曲はこういう意味だったんだ”って改めて気づかされることがあるんです」千本の手であまねく衆生を救済する千手観音のように、多くの楽曲をリリースすることで時代が求めるヒントを提供し続けているユーミン。常に先を見据えて進化を遂げていく一方で、変わらずに守り続けているものがあるのだとか。「時代とともに変わっているのは、現象として見える部分だけ。目に見えない部分は変わっていないと思う。むしろ本質を変えないために、見える部分を変えているのだと言えるかもしれません」変えたくないもの(=本質)を守るためには、変化していくことが必要。それは、雑誌にも共通する部分があるという。「ananも時代に合わせて変化していますよね。でも、目に見えないところにきちんとカラーが存在している。50年の歴史から立ち上ってくるその“スピリット”のようなものを作り手の方々が感じ取ることができれば、今後さらに出版界が変化していってもananの“イズム”は続いていくと思う。アウトプットの仕方が変わっていく中、信じるべきはただそこだけ。これからもその本質を変えることなく、時代の先陣を切るとんがった雑誌であり続けてほしいと願っています」まつとうや・ゆみ東京都出身。1972年にシンガーソングライターとしてデビューし、38枚のオリジナルアルバムをリリース。『TIME MACHINE TOUR』のDVD/Blu‐rayが発売中。シャツドレス¥249,000ネックレス¥57,000(共にマルニ/マルニ 表参道 TEL:03・3403・8660)ピアス¥30,000(カミーユエンリコ/アイクエスト ショールーム TEL:03・6433・5208)※『anan』2020年3月11日号より。写真・下村一喜(AGENCE HIRATA)スタイリスト・槇原亜加音ヘア&メイク・遠山直樹取材、文・真島絵麻里(by anan編集部)
2020年03月05日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、デビュー前から知る人物に話を聞いた。「『文学的なイメージを打ち出し、音楽的に見せよう』という2つのコンセプトを掲げました。聖子は物覚えが早く、勘もいい。根性は並外れてあり、作品を自分のものにする力も持っていました」デビュー後は瞬く間に大ブレークした松田聖子。一過性で終わらせてなるものかと、松田聖子を見いだしたプロデューサーの若松宗雄さんは2つのコンセプトを掲げる。そして、デビュー曲のイメージに満足せず、楽曲は松本隆、松任谷由実、佐野元春ら、才能あるアーティストを次々と起用していった。デビュー当時は「結婚したら、かわいいお嫁さんになりたいから引退」と語っていた聖子だったが、ママドルの先駆者となり、日本の女性の生き方を変えたといわれる存在に。「最初から聖子が意図していたというより、歌い続けるなかで生き方が変わってきたのでしょう」(若松さん)そんな松田聖子の代表曲のなかから、“大ヒット曲”の秘話を若松さんに教えてもらった。■『裸足の季節』(’80年4月)資生堂の「エクボ洗顔フォーム」とタイアップしたデビュー曲。作詞・三浦徳子、作曲・小田裕一郎のコンビが担当。「担当者に一度、聖子は『エクボが出ない』と外されかけたが、博報堂のプロデューサーの『ダメになるのはもったいないコだから』というプッシュがあり、CMソングに起用。女性向けの雑誌をヒントに、当時のタイトルはほぼ私が考えていました」(若松さん・以下同)■『青い珊瑚礁』(’80年7月)2枚目のシングル。オリコン最高2位。『ザ・ベストテン』で1位を獲得し、スタジオから久留米に電話して「お母さ〜ん」と大泣きした場面は有名。「『青い珊瑚礁』は、当時大人気のブルック・シールズの映画から。このころから聖子の売り出しに気乗りしていなかった社内(CBS・ソニー)のムードも一変、『若松さん、売れるコなんだってもっとちゃんと言っといて』なんて言われるくらいでした」■『チェリーブラッサム(’81年1月)4枚目のシングル。「年明けに出すにふさわしい楽曲と思ったが、レコーディング直前に『なんとなく、あまり好きじゃない』と聖子。財津和夫さんの作曲で曲調が変わり、違和感があったようで、その場は一度解散し、再度集合。気合を入れ直してのレコーディングは無事終了し、苦労しましたが、楽曲は大ヒット。大村雅朗くんのアレンジが、さらに曲のよさを際立たせてくれました」■『白いパラソル』(’81年7月)6曲目で作詞を松本隆に依頼。「アルバムに提供してもらった『白い貝のブローチ』が秀逸だったから。5作目までの三浦徳子さんも素晴らしく、『なんで私ではだめなの?』と責められたが、決断。仕上げはエンジニアと一緒に悪戦苦闘しながら完成させました。聖子からは『(当時の所属事務所・サンミュージック/故人)相沢社長からこれは地味だから早く次の曲を作ってもらえと言われました』と(笑)。もちろん大ヒットしました」■『赤いスイートピー』(’82年1月)作詞・松本隆、作曲は呉田軽穂(松任谷由実)の黄金コンビによる代表曲。「ユーミンはすでに大スターでしたが、失礼ながら直してもらいました。彼女は謙虚で、私の『尾瀬に春が来たような感じにしたいので、あまり弾まないように。だが、最後は上がる感じに』などの抽象的な要望に『わかりました』と。私は音楽家ではないので、『なんか違う』と言うと『じゃ、こんな感じ?』とまた直してくれて。でも後日、ユーミンは『私、リテーク依頼は初めてよ』とほほ笑んでくれました」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月27日若者に大人気のKing GnuやRADWIMPSからAI美空ひばりと、幅広い世代に向けたラインナップを揃えた令和初の『第70回NHK紅白歌合戦』。第2部の関東での平均視聴率が37.3%と過去最低を記録する形となったが、舞台裏では数々の“事件”が起きていた。今回のハイライトとなったのが、デビュー40周年目にして紅白初出場となった竹内まりや(64)だ。生命の尊さについて歌った竹内だが、そこには“亡き後輩”への思いが秘められていた。「視聴者から募集した大切な人との写真を映像で投影する演出だったのですが、そこに竹内さんと故・岡田有希子さん(享年18)の2ショット写真もありました。実は竹内さんが今までにもっとも多く曲を提供したのが岡田さん。昨年にそれらの曲をまとめたアルバムが発売された際にも『(岡田さんが)生きていたら52歳……』とコメントするなど、道半ばにして亡くなって自ら命を絶ってしまった岡田さんのことを今でも気にかけているそうです。そこで竹内さんサイドから『岡田さんも一緒に出してあげたい』と希望して、写真を使うことになったと聞いています」(NHK関係者)いっぽう、2年連続の出場となった松任谷由実(65)の周辺には緊迫した空気が流れていたという。「実は、各出演者サイドに、『松任谷さんへの楽屋挨拶は控えてください』というお触れがNHKから出ていたんです。楽屋の場所すら明かさない徹底ぶりでした。松任谷さんは歌う前の準備を大切にする人。特に今回はテレビ初披露する曲ということもあり、静かに気持ちを整えたかったのでしょう」(レコード会社関係者)名曲『ノーサイド』初披露の裏には、大御所ならではの“ルーティン”があったようだ――。「女性自身」2020年1月21日号 掲載
2020年01月06日シンガーソングライター・松任谷由実(65)が12月19日、大晦日のNHK紅白歌合戦に出場すると発表された。松任谷は84年リリースのアルバム『NO SIDE』に収録されている、『ノーサイド』を歌唱する。ラグビーをテーマに作られた同曲は、戦う選手を見守る女性の気持ちが描かれている。さらに松任谷と共に、稲垣啓太(29)や姫野和樹(25)といったラグビーW杯で活躍した選手もスペシャルゲストで登場する。松任谷は紅白歌合戦の公式サイトにコメントを寄せた。「先ずは、日本中に興奮と感動を与えてくれたラグビーワールドカップ日本代表の方々に、ひとりのファンとして、感謝の気持ちをお伝えしたいです」とし、「当日は、ラグビーワールドカップ日本代表の選手の皆さん、そして、これまで日本のラグビーを築いてきた全てのラガーマンに届くよう、勇姿を胸に歌いたいと思っています」と意気込んだ。松任谷にとって、同曲はテレビ初歌唱となる。だが、これまでもラグビーと縁を紡いできた楽曲だ。05年から08年に渡り、「全国高等学校ラグビーフットボール大会」で公式テーマ曲として起用。13年12月1日に行われた「ラグビー関東大学対抗戦明治大学vs早稲田大学」でも、松任谷が国立競技場で生歌を披露していた。また10月27日に放送された『サンデースポーツ2020』(NHK総合)では、ラグビーW杯日本代表の活躍を振り返るVTRの音楽としても起用された。ネットでは期待の声が上がっている。《想像するだけで泣けます!》《ウワーそれは凄い!!デビュー以来のユーミンフアンとしても、そしてONE TEAMフアンとして今年の紅白は楽しみ~!!》《紅白でユーミンが「ノーサイド」を歌うんだね。 今年は、ラグビーが盛り上がったから、最高の選曲。 これは、聞いてみたい》音楽ファンもラグビーファンも盛り上がりそうだ。
2019年12月19日福山雅治撮影/廣瀬靖士「人生ってうまくいかないな、と感じることが誰にでもあると思います。自分の思うように人生の物語を紡いでいくことができたら幸せなのでしょうが、基本的にはそうはならない。でも、納得できる現在と、納得できる未来が訪れれば、後悔が残る過去も肯定できるかもしれない。そういったことを考えさせてくれる映画になっていると思います」■万年便秘ぎみのミュージシャン東京、パリ、ニューヨークを舞台に描かれた大人の男女のラブストーリー『マチネの終わりに』で主演を務める福山雅治。映画では、自分の音楽を見失い苦悩する天才クラシックギタリストを演じている。長年、ミュージシャンとして活躍する福山にも、そんな時期はあったのだろうか。「程度の差こそあれ、僕は基本ずっとそんな状態です(笑)。昔から、スッと曲が浮かんだり、歌詞が出てくるタイプではないんです。デビュー当時から毎回、壁にぶつかってる。作るという行為自体、常にしんどい作業なんですよね。続けていればいつか楽になると思ってたんですけど。出さなきゃいけないのに、出にくい。たとえるならば……創作は常に便秘ぎみです(笑)」そう冗談まじりに話す福山。“でもそれは理想があるから”と表情を変え、言葉を続ける。「たぶん自分なりに、ああしたい、こうしたいという理想が常にあるから苦しくなるんです。“頑張れば自分以上のものができるはず”って、どこかで自分に期待して。まぁ、自分で自分に期待しないでどうするんだって話なんですけど(笑)。理想を持つことで、そこにたどり着かない悔しさが生まれてくる。それは僕自身が、今も昔も変わらず感じていることです。でも、正直それを苦痛と思っていたら続けていられない。こういうものだって付き合っていくしかないと思っています」「『未来は常に過去を変えている』という言葉が映画に出てきますが、まさにそのとおりだと思います。僕は今、自分がしたい仕事を続けられているわけですから、思うようにいかなくてもがいていた過去も、それは必要なことだったんだなって思える。逆に今、“こんな仕事しなきゃよかった”って感じているようだったら、その過去自体がつらいものになると思います」■傷ついた日々を学びと捉える恋愛に関してはどうなのだろう。失恋もいい思い出に変えられる?「過去の自分が、そのときの恋人に対してしたこと、されたことで、もう恋愛しないようにしようとか、一時期の感情だけでよかった悪かったを決めないで、これも学びだと思えるようになれば、否定することはないと思います。ユーミンさんの歌で、“傷ついた日々は彼に出逢うための、そうよ運命が用意してくれた大切なレッスン”って歌詞があります。多くの女性がその歌詞に共感するならば、元彼との時間はレッスンです。まさに未来が過去を変えていくんだなと」劇中では、石田ゆり子演じる女性と“運命の出会い”も。2人は、互いの思いに反して決定的にすれ違っていくが……。「重要なのは出会ってよかったと思える人生であるかどうか。“この人に出会うための人生だった”って思える人が、誰しもひとりやふたりはいるはず。それは結果的に結ばれなかった人かもしれない。でも、この映画を見てくださった方が、“自分にも忘れられない出会いがある。幸せな人生だな”と思っていただけるとうれしいです。まだ出会ってない人は、これから思ってもないタイミングで恋に落ちるかもしれないですし、すでに出会っている人も、そう思える人がまた現れるかもしれない。最初にも言いましたけど、いい意味でも悪い意味でも、思ったとおりにいかないのが人生ですからね(笑)」■“70歳までは……!”「僕、50歳になったときに、どこかで“これからの10年が正念場”と考えていました。でも違いましたね。70歳を越えて、矢沢永吉さんがテレビであの熱量で音楽をやられてる姿がすごく刺激的で。僕もまだまだ試行錯誤できる、まだ20年以上できるなと。目標と元気と勇気をいただきました」■“愛すること、愛されること”「今回の作品は、“愛”という感情を可視化できるラブストーリーかと。恋愛に積極的な人、消極的な人どちらもいらっしゃると思いますが、人生において“愛すること、愛されること”というのがどういう意味を持つのかを問いかけてくれると思います」映画『マチネの終わりに』11月1日(金)全国東宝系にて全国ロードショー若くして国内外で認められる演奏家となった、天才クラシックギタリスト・蒔田聡史(福山雅治)。自分の音楽を見失い、行き詰まっていた彼は、ある日、パリの通信社に勤めるジャーナリスト・小峰洋子(石田ゆり子)と出会う。強く惹かれ合う2人だったが、その間に思わぬ障害が生じ――。撮影/廣瀬靖士スタイリスト/申谷弘美ヘアメイク/新宮利彦(VRAI Inc)衣装協力/シューズ:LAD MUSICIAN(問い合わせ先LAD MUSICIAN SHINJUKUTEL:03-6457-7957)
2019年10月31日「校歌」を作ったミュージシャン。左から布袋寅泰、小田和正、松任谷由実《子どもの学校の校歌にJASRACが物申しているらしい。校歌の歌詞を記載できないって、それJASRACに金を納めろってことやんな。すげえわJASRAC》9月中旬、ツイッター上にこんな投稿がなされ、ネット上で波紋が広がった。投稿には学校から配布されたプリントの画像も添付されており、そこにはこんな記載が……。《JASRACからの指導により、卒業式などの式典のご案内に校歌歌詞を掲載できなくなっています》自校の校歌であるにもかかわらず、歌詞を印刷物に掲載することが自由にできないとは、どういうことなのか。一般社団法人『日本音楽著作権協会』こと『JASRAC』の担当者も、この投稿を把握していたようだが、「こちらとしてはそのような指導をしたり、使わないでくれという主張はしていないんですよ。今回のことについては事実関係がわからないので、こちらとしても、なぜ掲載できないのかお答えすることができません」と話したうえで、一般的な事例について説明する。「JASRACが許諾の対象としているのは、あくまで当方に権利を預けている楽曲だけです。著作権法では、歌詞や楽曲を使用するときは、作った人の許諾が必要です。しかし例外もあり、学校教育における授業では、基本的には自由に他人の著作物を使用することができます」(担当者、以下同)■学校行事の印刷物にも“著作権”ただし、これにも条件があるそうで、「例えば1クラスの人数分だけ歌詞が記載された印刷物を配布するのは、許諾は必要ありません。運動会や卒業式のような全校生徒が集まる場合で、全員に配布するときは、著作権法35条の《部数》という項目に照らし、著作権者の利益を不当に害する部類に入るものとして、許諾が必要となっております」要は学年全体や学校全体で行う大規模な “授業”や“行事”で、歌詞を掲載したものを配布する場合には許諾手続きと使用料が必要になる、ということだ。では、その使用料はいくらなのか……。「教育機関で使用する場合は、通常の半額になります。1曲の歌詞のみを印刷物に掲載する場合、100部以内は800円、1000部までが900円、2500部までだと975円。これに消費税がプラスされます。あくまで、JASRACに権利を預けている作家さんの場合です。学校のHPに校歌を掲載するのは無料です」良心的と感じられる価格だが、とはいえ学校行事に使う印刷物にお金がかかるなんて……と思った人も少なくないはず。その点については、「そもそもお金が発生しないケースがほとんどなんですよ。依頼主の学校が使用する場合には、使用料は請求しないでほしいという例外規定を設ける作家さんも少なくないですし、学校に権利を譲渡するケースもありますから」有名アーティストが作詞作曲した校歌を持つ学校は全国にいくつもあるが、どのように扱っているのか。各学校に話を聞いてみた。■いっさいの許諾をえていない学校も神奈川県にある横浜創学館高等学校の校歌は、小田和正が作詞作曲したもの。「15年ほど前に、学校名を変えることになり、それに伴って校歌も変えることになったのです。そこで当時の学校長が、地元のミュージシャンにということで、本校の卒業生ではありませんが、小田和正さんに熱いメッセージを送ったところ、快く引き受けてくださいました」楽曲を制作するだけでなく、こんな“神”対応も。「学校に来ていただいて、合唱部に指導していただきました。10年たったときには、生徒会から一緒に歌ってほしいとお願いをしたんです。そうしたら、9月の文化祭に来ていただいて、生徒と一緒に校歌を歌っていただきました」透明感のある歌声でファンも多い小田。さぞ、その権利関係については厳しいのかと思いきや、使用料はゼロ。「入学式や卒業式などで校歌の歌詞を掲載して配布していますが、それは小田さんの個人事務所に許諾を得ています。本校の卒業証書はファイル形式になっているのですが、開くと片面は卒業証書、もう片面は校歌の歌詞を記載しています。小田さんは卒業式のときには必ず花束を贈ってくださいますよ」山梨県立笛吹高等学校では、『粉雪』などで知られるレミオロメンの藤巻亮太が作詞作曲した校歌がある。県立石和高校と県立山梨園芸高校が統合され、’10年4月に開校した。「藤巻さんが石和高校の卒業生だったこともあり、本校の1期生が藤巻さんに校歌を作ってほしいとお願いしたそうです」と説明する。歌詞の許諾についてはどうか。「卒業式では、生徒と保護者や来賓の方々に配るリーフレットに歌詞を掲載しています。校歌を作った際に、学校長と当時の山梨県の教育長が、当時、藤巻さんが所属していた事務所から許可をいただいております」こちらも使用料はかからず、さらに今年6月には10周年を迎えたということで、藤巻は同校でライブも行った。元BOOWYの布袋寅泰が作詞したのは栃木県宇都宮工業高等学校の校歌。「作曲が本校の卒業生であるサックス奏者の渡辺貞夫さんで、その知り合いだった布袋さんに作詞を頼まれた経緯がありました」と明かして続ける。「卒業式で生徒のご両親には、校歌の歌詞が記載された“しおり”をお渡ししています。本校の生徒には、事前指導をしていますし、体育館内に歌詞が掲示してあるので、配布はしておりません。集会など校歌を歌う場面などでは、そのたびに事務所に問い合わせて対応しております」と権利関係には細心の注意を払っていると語る。いっさいの許諾を得ていない学校もある。その理由について長崎県立奈留高等学校は、「教育に使用するということと、全校生徒が28名という少数なので、JASRACさんや荒井さんの事務所にも許諾申請はしておりません」と話す。作詞作曲をしたのは、ユーミンこと松任谷由実(旧姓・荒井)。母校でもなければ、出身地に縁があるわけでもない。五島列島の奈留島とのつながりはなにか。「本校は昔、島にある分校だったので、校歌がなかったのです。とあるラジオ番組に校歌を作ってほしいと1人の生徒が投稿したところ、荒井さん本人の耳に入り、’74年に作っていただくことになりました。結局、校歌は別に作ったのですが、せっかく荒井さんに作っていただいたので、“愛唱歌”として歌い継がれているんです」ユーミンは作曲の構想について、奈留島から出て行ってしまう人が多いので、出て行ってしまった人も歌える曲を作ったと語っている。曲を聴き、目を閉じれば、郷里の景色が浮かびそう。ほかにもさだまさしやつんく♂など、有名アーティストが作った校歌は全国にまだまだある。その学校のために作ってくれた校歌は、ずっと胸を張って自由に歌い継いでほしい。
2019年10月18日メジャーデビュー5周年を迎え、5枚目となるアルバム『濡れゆく私小説』をリリースする、indigo la End。川谷絵音(Vo/Gt)、長田カーティス(Gt)、後鳥亮介(Ba)、佐藤栄太郎(Dr)からなる4人組だ。音楽は基本、湿った私小説だと思う。叙情的な風景の中で描かれる繊細な心情がバンドサウンドの中で美しく鳴り響く――そんな音楽世界を貫いてきたindigo la Endはこの5年を振り返ってこう語る。「indigo la Endはこういうバンドだ、みたいな部分をあまり出さずに活動をしてきました。その分、音楽の純度の高さが持ち味な気もしています。今回のアルバム『濡れゆく私小説』ではようやく自分たちの形がわかったというか、気負わず曲単位で良いものを作れた。バンドとしてすごく健康な状態です」(川谷)今作は切ないラブソング「通り恋」など、エモーショナルに心情を吐露する曲たちが何度もドラマを生む。かと思いきやシティ・ポップ風のサウンドが心地よい「心の実」など、新たなポップ感も備えている。「確かに今作では、絵音くんの詞やメロディの感じも昔とはまた違う段階に行ってると思います」(長田)「今回の制作において『心の実』は仮タイトルが『ヤマタツ(仮)』で、『花傘』は『ユーミン(仮)』(笑)。そういうテーマ設定は最初からありました。でも僕ら、こういう音楽性はずっとやってきたことでもあるんですよね。4年前に出した『夏夜のマジック』が今になって再評価されたりしてますけど。今までやってきたことを、あらためてちゃんとやってみようと」(川谷)そう、最近ではTikTokで4年前にリリースされた「夏夜のマジック」が人気を集め、YouTubeでは780万回再生を突破した。「ツイッターで『夏夜のマジック』がTikTokで使われてますと書かれてて、見たら女の子の映像に俺らの曲が流れてた。こういうふうに音楽が使われることもあるんだ、って思いました(笑)」(川谷)誰もが物語の主人公になりたいと思うような世界観は、今作『濡れゆく私小説』においてもさらに際立つ。ちなみにこのタイトルに関しては?「音楽は基本、私小説だと思うし、僕の歌詞もそう。湿ってる曲が多いけど、ずぶ濡れってわけでもない。『濡れゆく』という、未来を予想させるような言葉がいいなと」(川谷)『濡れゆく私小説』は「結び様」の<好きにならなきゃよかった>というフレーズで切なく幕を閉じる。「例えばサブスクでたまたまインディゴを聴いた人にも、『何この人たち!?』って良い意味で思ってもらえるような作品だと思います」(佐藤)「親バカかもですが(笑)、長く聴いてもらえたら嬉しいです」(後鳥)映画『ごっこ』の主題歌「ほころびごっこ」やドラマのタイアップ曲など含む全11曲。Major5th Album『濡れゆく私小説』【初回限定盤CD+DVD】¥4,000【通常盤CD】¥3,000(ワーナーミュージック)インディゴ ラ エンド川谷絵音(Vo/Gt)、長田カーティス(Gt)、後鳥亮介(Ba)、佐藤栄太郎(Dr)からなる4人組。2010年に結成され、‘15年に現在の編成に。メロディアスで繊細な楽曲世界でリスナーを魅了し続け、今年12月には中国ツアーも開催。※『anan』2019年10月23日号より。写真・伊藤元気(symphonic)ヘア&メイク・久保純子取材、文・上野三樹(by anan編集部)池田エライザさんのヘルシービューティのヒミツ
2019年10月17日首都圏オーケストラの祭典「フェスタサマーミューザKASWASAKI 2019」が絶賛開催中だ(7月27日〜8月12日:ミューザ川崎シンフォニーホール)。15年目を迎える今年は、首都圏主要オーケストラの他、東北の名門「仙台フィルハーモニー管弦楽団(8月4日)」や、バーンスタインの遺志を受け継ぐ札幌のユースオーケストラ「PMFオーケストラ(8月2日)」などの参加によって、全国規模のオーケストラフェスへと進む道筋も見え始めたように感じられる。各オーケストラが趣向を凝らしたプログラムを覗いてみるのはなんとも贅沢。でも「多すぎて選びきれない」という方におすすめしたいのが、名曲中の名曲を集めた「東京フィルハーモニー交響楽団(8月11日)」公演だ。“現存する日本最古のオーケストラ”との異名を持つ彼らの気合は半端ではない。同団常任指揮者ダン・エッティンガーの指揮のもと、ワ−グナー:楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』前奏曲に、モーツァルトの『フルート協奏曲第1番』&チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」と並んだプログラムは、料理に例えれば、まさに“上質なフルコースメニュー”。しかもソリストは日本を代表するフルーティスト高木綾子なのだから素敵だ。このゴージャスなプログラムを、ミューザ川崎の素晴らしい音響の中で体験する快感を是非ご堪能あれ。イベント詳細:8月11日(日)開場14:30開演15:00ミューザ川崎シンフォニーホール●ダン・エッティンガー(指揮)2010年4月より東京フィルハーモニー交響楽団常任指揮者。2015年4月より同団桂冠指揮者に就任。シュトゥットガルト・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督、イスラエル・オペラ及びイスラエル交響楽団音楽監督。マンハイム国民劇場音楽総監督も務めた。英国ロイヤル・オペラ、パリ・オペラ座、ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、メトロポリタン・オペラなど世界の主要歌劇場に定期的に出演。2003年から2008年までベルリン国立歌劇場カペルマイスター兼音楽監督(ダニエル・バレンボイム)助手。新国立劇場には2004年『ファルスタッフ』以来数多く登場し、2006年新制作モーツァルト『イドメネオ』をはじめ、2009・2010年ワーグナー『ニーベルングの指環』全曲公演等、東京フィルとの共演で大好評を博した。東京フィルには2005年4月定期公演以来定期的に登場し、創造性あふれる指揮で大きな反響を呼んでいる。●高木 綾子(フルート)(C)FUMI高木綾子は、確かなテクニックと、個性溢れる音色、ジャンルを超えた音楽性で、今最も注目を集める実力派フルート奏者である。テレビ・ラジオへの出演やCM出演など従来のクラシック演奏家の枠にとらわれない幅広い活動とレパートリーで各方面から注目を集めている。愛知県豊田市生まれ。3歳よりピアノ、8歳よりフルートを始める。東京芸術大学付属高校、東京芸術大学を経て、同大学院修了。これまでにフルートを西村智江、橋本量至、G.ノアック、小坂哲也、村上成美、金昌国、P.マイゼンの各氏に、室内楽を岡崎耕治氏に師事。高校、大学在学中よりその実力は高く評価されており、毎日新聞社主催全日本学生音楽コンクール東京大会第1位(1995年)、神戸国際フルートコンクール奨励賞(1997年)、大学内にてNTT Docomo奨学金を受け、安宅賞(1997年)、宝塚べガコンクール優勝(1999年)、日本フルートコンベンションコンクール優勝、併せてオーディエンス賞(1999年)、第17回日本管打楽器コンクール、フルート部門第1位及び特別賞(2000年)、第70回日本音楽コンクールフルート部門第1位(2001年)、第12回新日鐵音楽賞フレッシュアーティスト賞(2001年) 、ジャン=ピエール・ランパル国際フルートコンクール第3位(2005年)、神戸国際フルートコンクール第3位(2005年)など多数の受賞歴を誇る。一方で、大学在学中より本格的な演奏活動を開始。これまでに国内主要オーケストラとの共演はもとより、新イタリア合奏団、シュトゥットガルト室内管弦楽団、ミラノ弦楽合奏団、サンクトペテルブルク交響楽団、フランツ・リスト室内管弦楽団などと共演。2004年秋にはパリ室内管弦楽団との共演でパリ・デビュー。それに続く日本ツアーにも同行し好評を博した。同時に各地でのリサイタルや室内楽など活発な演奏活動を行っている。2010年には、デビュー10周年を迎え、秋に記念リサイタルを行った。CD録音も活発に行っており、2000年3月には「シシリエンヌ~フルート名曲集」、「卒業写真~プレイズ・ユーミン・オン・フルート」を同時リリースしてCDデビュー。その後、「ジェントル・ドリームズ~20世紀のフルート音楽」、「青春の輝き~プレイズ・カーペンターズ」を同時リリース、クラシックからボサノバまでラテンアメリカの作品を集めた「南の想い」、17世紀から現代までのフルート・ソロ曲を集めた「エール・ブルー~青の余白」、イタリアで収録した新イタリア合奏団との共演による初めての協奏曲アルバム「イタリア」、大地、自然、生命の息吹をテーマにしたフルート名曲集「EARTH」、ギターの福田進一とのデュオアルバム「海へ」をリリースしてそのすべてが高い評価とセールス実績を残している。2010年には、デビュー10周年を記念して、ベスト盤(日本コロムビア)とモーツァルト:フルート協奏曲集(エイべックス・クラシックス)をリリース。2011年7月には、モーツァルトのフルート四重奏曲全曲集(エイベックス・クラシックス)よりリリースして好評を博す。現在東京藝術大学准教授、および洗足学園大学客員教授、日本大学藝術学部、武蔵野音楽大学、桐朋学園大学の非常勤講師として後進の指導にもあたっている。
2019年08月05日