スターダムへの戸惑いと苦悩……「久保田早紀」は引退、音楽伝道師の道へ
父の転職を機に引っ越した八王子の中学時代のこと。同級生の男子3人組が『学生街の喫茶店』で人気のガロのコピーバンドをしていて、「おまえ、ピアノ弾けるんだってな」と、声をかけてきた。
「文化祭にキーボードとして参加したり。このころから、なんちゃってシンガー・ソングライターで(笑)。オマセな女友達の詞に、頼まれて曲をつけたりもしていましたね」
共立女子第二高校から、短期大学文科へと進学。文芸部に所属してしたが、ずっとオリジナルの詞や曲をノートに書きためていた。学生最後の思い出にと、CBSソニーに自作の曲を送ったのは、短大2年の春。
「いずれは就職して、結婚と考えていましたが、プロの方に自作曲の評価を一度も聞くことなく卒業するのは寂しいな、と思ったんです」
そのオーディションが実はアイドル候補向けとわかり、2次の水着審査で辞退。
ところが2カ月後、先方から電話があり、個別オーディションを受けて合格となった。自宅とソニー・スタジオの往復時に乗るJR中央線の車窓から、偶然、空き地で小学生たちが遊ぶ姿を見かけた刹那、あの「子供たちが空に向かい」