石巻市「大川小」遺族、震災以後の「卒業生スライド」封印に激怒
入学式のときに、『学校は児童の命に責任を持ちません』って言ってくれれば、すぐに迎えに行ってたのに。あのとき、51分間も校庭で待たずに、有無を言わさず裏山に避難誘導されていれば、わが子は助かった――」
紫桃さんら遺族たちは怒りのなかで、説明会の開催を訴え、ほぼ1カ月後の4月9日になって、ようやく第1回の保護者説明会が行われた。ここには、当日学校にいて唯一生き延びた男性教師のA先生も出席した。
「助けられなくて本当に申し訳ありませんでした。すいませんでした……」
この後、A先生は「波をかぶったが、ひとりの男子児童を助けて山に登り、助かった」という旨の説明を途切れ、途切れにしただけだった。その後は「体調を崩し自宅療養中」とのことで、裁判中を含めて、今日まで顔を見せていない。しかし、実際に当日、A先生が逃げ込んだ自動車整備工場の社長は「A先生も児童も服装はきれいで濡れていなかった。波はかぶってないと思います」と証言しており(本誌既報)、食い違う。
A先生の「波をかぶった」などの証言は「偽証だったのではないか」という見方も広がっているのだ。