2021年12月14日 12:00
松山ケンイチ、約4年ぶりの舞台主演『hana-1970、コザが燃えた日-』 で表現したい「人の幸せの生まれるところ」
今回の作品にも、本土では “三種の神器”と呼ばれるテレビ、洗濯機、冷蔵庫はどの家庭にも揃っている、でも沖縄ではまだコーラの瓶を切ってコップに使っている……といった台詞が出て来ます。それくらい、1970年当時の本土と沖縄では大きな差があった。結局、日本がそうやって経済的に潤ってきているのは、アメリカがベトナムと戦争しているから、沖縄の人間が血を流したからじゃないのか……といった台詞も出て来る。
都市の人々が何不自由なく暮らしているなかで、実際に最前線で戦っている人たちや、田舎から出稼ぎに来なきゃいけない人たちもいて、でもそういう人たちには何の見返りもない。それにもすごく複雑な気持ちを抱いたんですよね。結局、日本人というのは都市で生きている人たちだけを指すのか、何なのか、わからない。それは別に昔だけの話じゃないような気もします。“一億総中流”なんて言葉を聞くけれど、はたして本当にそうなのかな、ただ端っこから吸い上げているだけなんじゃないか……と思ったり。
そんなふうに、日本人って何なんだろうってことを考えさせられる作品ですね。
――松山さんは青森のご出身ですが、沖縄という地にはどんなイメージを持っていましたか?
あまりにも遠いから、子供の頃は修学旅行でも行ったことはありませんでした。