老親との別れは誰にとってもつらいものだが、きちんと相続対策をしておかないと、悲しみにひたっていられる時間なんてない。身近なきょうだい同士で骨肉の争いにならないよう今から備えよう!そこで、読者世代が陥りやすい“争続”トラブルを紹介。具体的な対処法を相続問題に詳しい行政書士の竹内豊さんに聞いた。【ケース】母親が書いておいた「遺言書」が無効だと訴えられた長男夫婦と同居していた母は、少し“物忘れ”の症状が出始めていた。その母が亡くなった後、「遺言書」をもとにきょうだいで相続の準備を進めていたところ、次男の相続分が少ないことが発覚。これに納得できない次男は、「病院にお見舞いに行ったとき、面会禁止のためタブレット端末越しに面談をしたところ、母さんは自分のことが認識できなかった。遺言書の日付の段階では認知症になっていたはずなので、この遺言書は無効だ!」と、言いだし……。【対策】主治医に「診断書」を書いてもらおう「遺言書」は元気なうちに書くのが鉄則なのだが、「元気」というのが遺言書を書くときにカギとなってくる。「体は元気であっても、話していたことを理解できない状態で遺言書を書いた場合、ほかの家族から家庭裁判所に無効の訴えを出されたら、その遺言書は無効になってしまうことも考えられます。ここで問われるのは『遺言能力』といい、遺言書を遺す本人が、内容を理解して、自分が死んだ後にどのようなことが起こるのか理解することができる能力のことです。このケースでは、遺言書を書いた日付に注目して、この時点で母に遺言能力があったかどうかが問われてきます」(竹内さん・以下同)遺言書を書くときには、書いたときに近い時点で「主治医の診断書」をもらっておくと、「遺言能力」があったことを実証できる材料の一つになるという。また、できれば認知機能検査などを受けてもらい、「判断能力には問題がない」ことを確認しておくことも、「安心な遺言書」へとつながる。逆に、病気で入院するなど体調は悪くても、頭はしっかりしていて、物事の判断はできるという場合はどうしたらよいだろう。判断能力には問題がないが、遺言書を実際に自分の手で「書く」ことができない、というケースだ。そんなときは公証役場に連絡してみよう。入院中で病院から出られない場合でも、公証人が病院に出向いて公正証書遺言を作成してくれるという。「公正証書遺言は公証人が、遺言能力があるかどうかを確認しながら作成しますので安心できますが、それでも100%確実というわけではなく、過去の裁判では覆った例もあります。気をつけたいのは、末期がんなどで余命宣告を受けてから、一時帰宅したときに急いで遺言書を作成しようというようなケースです。駆け込みで遺言書を作る場合は、内容をできるだけ簡素化するのがポイント。『病気なので細かいことまで考える余裕がなかったはず』と判断されてしまうこともあるので、『介護など面倒を見てくれたので全部長男に渡したい』というように、要点をまとめて指示するといいでしょう」その際、遺言書に「付言事項」の欄を設け、「なぜこのような相続の内容にしたいのか」を説明すると、ほかの相続人(きょうだい)にも納得してもらいやすいという。
2021年11月18日11月18日に議会運営委員会で、一連の問題をめぐる公開質疑が実施される予定だった木下富美子都議(55)。しかし同委員会を欠席すると発表され、ネットでは非難轟々となっている。さかのぼること今年7月、都議会議員選挙期間中に無免許運転で人身事故を起こしていた木下都議。当選後にそのことが発覚し、9月に道路交通法違反などの疑いで書類送検されることに。さらに免停期間中、6回にわたって無免許運転していたことも明らかになった。所属していた『都民ファーストの会』から除名され、都議会から2度にわたって辞職勧告が決議されるも木下都議は議員継続を表明。そのいっぽう都議会から召喚状が2度送付されたものの「体調不良」を理由に応じず、「誠意ある説明をするべき」という3度目の召喚状でようやく今月9日に“初登庁”となった。「登庁した木下都議は議長らと会談し、改めて辞職しないと主張しました。そして同日の公営企業委員会に出席することにしましたが、他委員から異論が噴出。そして、委員会が流会する事態となりました」(全国紙記者)自身の行動によって、都議会に混乱を招くこととなった木下都議。彼女を問題視しているのは、議員だけではない。「強制的に議員としての地位を喪失させる法律はないため、木下都議には議員報酬などが毎月支払われ続けています。公式サイトでは『NPO法人などの団体に寄付している』とのことですが、12月1日まで議員として在籍し続ければ冬の期末手当も支払われることに。その金額はおよそ200万円にも上ると報じられています。もちろん原資は都民の税金ですから、彼女の一挙手一投足が厳しく観察されている状況です」(前出・全国紙記者)そして今月18日、議会運営委員会で公開質疑が行われることとなっていた。しかし『産経新聞』によると木下都議は欠席を表明。その理由について「体調が再び悪化した」と説明したという。2度の召喚に応じなかったのも、議会運営委員会を欠席するのも「体調不良だから」ーー。ネットでは木下都議に対して、「議員を辞めて治療に専念すべきでは?」と呆れる声がこう上がっている。《議会も欠席するほど、仕事できないほど体調悪いんですよね?辞職して治療に専念したほうがよいのではって普通に思うんだけど》《ダメじゃん。そんなに容体が悪いなら辞職して治療に専念しろってば》《体調が悪いならさっさと議員を辞めて、治療に専念しなさいよ》《早く辞めないともっと悪くなりますよ?》都民ファーストを除名された木下都議が、1人で立ち上げた会派は『SDGs東京』。しかし、議員生活はいつまで“持続可能”となるだろうか?
2021年11月18日自らの“ゲス不倫”を「週刊文春」に報じられたことで、活動自粛を発表したゴールデンボンバーの歌広場淳(36)。わずか1週間しか経っていないなか、17日に同誌のデジタル版で新たな女性問題が報じられた。歌広場から“弄ばれた”と憤る女性たちの告発に、波紋が広がっている。記事によると、秋葉原のメイド喫茶で働いていたB子さんは約10年前、客として訪れた歌広場に声をかけられ交際に発展。だが歌広場は他のメイド喫茶店員とも交際しており、二股をかけられていたという。同じくメイド喫茶店員のC子さんも歌広場と交際したものの、半年後に彼の恋人を名乗る女性が電話口に出たことで破局したと語っている。前回の報道では、昨年1月以降に交際した20代のA子さんとの間で中絶トラブルがあったことが判明した歌広場。所属事務所も公式サイトで《概ね事実》と認め、《弁解の余地はございません》と事態の重さを受け止めていた。しかしながら、歌広場が中絶させた女性はA子さんだけではなかったというのだ。記事によると歌広場は現在の妻と交際していた時期に、G子さんとも交際。付き合ってから2年が経過した’16年、G子さんに妊娠が判明したという。しかし、歌広場はG子さんに向けて、「ごめん、無理だから堕ろして。認知もできない」と突き放したというのだ。その後、G子さんは中絶し、歌広場から結婚することを告げられ破局したと伝えられている。’16年6月に一般人女性と入籍し、’19年5月に第1子が誕生した歌広場。今年8月には第2子の出産を報告し、《新たな生命を前に、父親として、人間として、エアーベーシストとして、益々精進していきたい》と綴っていた。「ゴールデンボンバーのメンバーは、寄り添うような発言や対応から家族やファンを大切にするイメージで通っていました。テレビやステージで見る“チャラい”言動とは異なり、共演者には謙虚なことでも知られています。そのため、“本当は真面目で誠実”だと信じていたファンも多くいたようです」(音楽関係者)しかしその陰では何度も二股を繰り返し、妊娠した女性には中絶要求をしていたという歌広場。今回の記事内容について所属事務所は現段階で回答をしていないが、“誠実なイメージ”とはあまりにもかけ離れた貞操観念に、ネット上では唖然とする声が相次いでいる。《歌広場淳やばすぎ誠実そうだと思ってたのに悲しいね…奥さんと子供もかわいそう》《一体どれだけ堕ろさせたら気がすむのか、もはや人の所業とは思えなくなってきた。これは完全にアウト、もう堕ちたイメージは元に戻らないと思いますね。復帰は難しいと思う》《さすがに酷過ぎますよ。命を粗末に扱わないで》歌広場の活動自粛に伴って12月23日に予定されていたクリスマスライブも中止となったが、今回の報道が事実であれば復帰はなおさら絶望的となるだろう。「鬼龍院翔さん(37)に次いで歌広場さんにも女性問題が発覚したことで、音楽番組はもちろん、CMやタイアップなどのオファーが激減することは目に見えています。ネット上では、“多目的トイレ不倫”によって活動自粛した渡部建さん(49)よりも『悪質』との声も上がっています。そんな渡部さんですら未だに復帰の兆しが見えていません。“命を粗末にした”との批判が相次いでいる歌広場さんのイメージ回復は絶望的ですし、バンド生命が絶たれる可能性もあるでしょう」(テレビ局関係者)幼い2児の父親である歌広場は、このような事態をどう受け止めているのだろうかーー。
2021年11月18日東京郊外にある公園にできた黒山の人だかり。観衆を制するように緑道には警備スタッフがずらりと並んでいる。それもそのはず、人々の視線の先にいたのは松本潤(38)なのだ。秋晴れに恵まれた11月上旬のこの日、松本が主演する来年1月クールの連ドラ『となりのチカラ』(テレビ朝日系)の撮影が行われていた。「『家政婦のミタ』(日本テレビ系)などを手掛けた脚本家の遊川和彦さんによるオリジナル作。松本さん演じる優しいけど何をしても中途半端な男・中越チカラが人助けをしていく一風変わったホームドラマです。この日がクランクインで、テレ朝ドラマ初主演ということもあって松本さんも気合が入っていました」(テレビ局関係者)主演にあたって「今まで見たことのないドラマになると思います。僕自身、どんな作品になるのかまだ想像できていません」とコメントしている松本。2人の子を持つ父親役を演じることも松本にとっては“未知の挑戦”のようだ。「松本さんは’08年に『24時間テレビ』(日本テレビ系)内のスペシャルドラマで父親役を演じたことがありますが、連続ドラマでは初。これまで弁護士やシェフなどさまざまな役を演じてきた松本さんも、『手ごわいな〜』とやりがいを感じているそうです」(芸能関係者)確かに目撃した現場でも休憩中に妻役の上戸彩(36)と子役の3人で念入りに打ち合わせをする松本の姿があった。12月30日に開催されるジャニーズ13組が出演するライブイベントの総合演出を務め、’23年に主演を務めるNHK大河ドラマ『どうする家康』の準備にも追われている松本。多忙のかたわら難役に挑む松本には、パパ役の心強い“お手本”がいるという。「二宮和也さん(38)は今年3月に女児の誕生を発表し、嵐で初めてパパになりました。大河ドラマの役作りの一環で今年春にひげを伸ばして生活するなど、“実体験”を重視する松本さんですから、二宮さんを通じてパパ役をより身近に感じるようになったと思います」(前出・テレビ局関係者)実際、先日行われたライブ映画の舞台挨拶で、少し前に嵐5人で飲んだことを松本は明かしていた。「二宮さんが父となり、櫻井翔さんと相葉雅紀さんも結婚。大野智さんは充電生活を送るなど、仲間たちの今のライフスタイルの違いに松本さんも刺激を受けていたといいます」(前出・テレビ局関係者)“ニノのチカラ”を借りた松本のパパ役は新たな代表作になること間違いなし!?
2021年11月18日米ミシガン州の女性が、夫の殺害を殺し屋に依頼した罪で、最高9年の懲役刑を科される見込みだとFOX系列のWJBKが報じている。ウェンディ・リン・ウェイン(52)は2020年7月、「rentahitman.com(殺し屋派遣ドットコム)」というサイトにアクセスし、偽名を使って夫の殺害を依頼した。白と赤を基調にデザインされた、このおしゃれなサイトには、「弊社は1920年の創業以来、一般市民の皆さん(子どもから大人まで)、政府職員、政治家など、様々な立場のお客様にご満足いただいてまいりました。HIPPA(Hitman Information Privacy & Protection Act of 1964)を100%遵守しながら、お客様のデリケートな状況をタイムリーかつ正確に解決致します」とある。掲載されている「お客様の声」のなかにあるアリゾナ州のローラ・Sさんという人物の投稿は、「ベビーシッターと浮気した旦那を殺ってもらいました。再びシングルになれて、新しい出会いを探してます。ありがとう!」といった具合だ。サイトに掲げられている「HIPPA」は、「殺し屋の情報保護法」と訳すことができるが、もちろんそんな法律は存在しない。これはHealth Insurance Portability and Accountability Act of 1996(医療保険の携行性と責任に関する法律、通称HIPPA)のパロディだ。そんな“遊び心”からもわかるように、このサイトは2005年、ボブ・イネスという人物がサイバーセキュリティのテストサイトとして制作したものだった。しかし、逮捕・起訴されたウェインは、本物の殺し屋派遣サイトだと信じ込み、申し込みフォームに「夫が死ぬべき理由」を入力し、本気で殺害を頼んできたのだ。依頼内容を見たイネスさんは、ミシガン州警察に相談。警官が殺し屋を装ってウェインに連絡を取り、カフェで面談すると、ウェインは「夫を殺してほしい」と明言し、5,000ドル(約57万円)の報酬を提示したという。手付金としておとり捜査官に200ドルを支払った直後、ウェインは逮捕された。ウェインは検察と司法取引し、殺人教唆と犯罪を助長するコンピューターの違法使用の罪で最高9年の刑を科されることになるという。ミシガン州警察のブライアン・オレクシクは、「このようなWebサイトが存在すると考える人がいることが信じられない」というコメントをWJBKなどの取材に対して話している。イネスさんは、rentahitman.comにはこれまでに300通を超える殺害依頼が寄せられていると、前出のWJBKの取材に対して語った。イネスさんは、こうした“依頼”を受け取り次第すぐに警察に届け出ているため、これによって未然に防止された事件は100件ではきかないという。
2021年11月18日「うちの子どもたちは仲がいいし、大した財産もないから、自分が死んでもその後、相続トラブルになることはない」と思い込んでいる親たちは多い。ところが、家庭裁判所に持ち込まれる相続トラブルは、この20年で約1.5倍以上に増えて、近年の新受件数は1万4,000件強で推移。その約3分の1は「1,000万円以下」のケースという。「相続は遺産が少ないほどトラブルになりやすく、なかでも多いのは、すでに父親は他界していて、その後、母親が亡くなったことで、財産を子どもたちで相続する場合。すでに独立している子どもたちは集まれる機会が少ないうえ、限られた時間の中で決めなければならないことがたくさんあるので、冷静さを失いがち。特に、自宅とわずかな現金しか残っていないというケースは注意が必要です。やはり、親御さんが元気なうちに、自宅や預貯金をどのように相続してほしいのか、きちんと決めてもらうことが大切です」そうアドバイスするのは、相続問題に詳しい行政書士の竹内豊さん。「死んだ後の話をするのは不謹慎だ」と思うかもしれないが、親族が集まれる機会に、相続について話し合っておくことが、トラブルの回避につながるという。 本来、被相続人の死亡をもって始まるはずの相続だが、なぜ、生前から準備しておく必要があるのだろう。それは、「被相続人が死亡したことを知った日の翌日から10カ月以内に相続税の申告・納付」を、故人の居住地を所轄する税務署に出向いて行わなければならないというルールがあるからだ。「親が『遺言書』を遺していない場合は、相続人で遺産分割協議を行い、『遺産分割協議書』を作る必要があります。これを含めた必要な書類を10カ月以内にそろえ、相続税の申告・納付手続きを済ませなければなりません。仮に相続財産が基礎控除額(3,000万円+法定相続人の数×600万円)以下であれば相続税はかかりませんが、持ち家がある場合は、自宅の評価額だけで基礎控除額を超えてしまう可能性もあるので注意が必要です。万が一、申告が遅れてしまうと、不動産の『小規模宅地等の特例』などの優遇が使えなくなり、相続税の額が増えてしまう恐れも出てきます」(竹内さん・以下同)さらに、親に多額の借金があったことがわかった場合は、3カ月以内に家庭裁判所に相続放棄を申し出ることで、負債を背負わずに済むといった選択肢もあるので、モタモタしてはいられない。■スムーズな相続のためには親の生前から準備が必要もちろん“みとった後”も忙しい。葬儀や納骨のほかにも、健康保険、年金の死亡手続きや、銀行口座やクレジットカードの解約など、やらなければならないことは山ほどある。そんななかで円滑に相続を進めるためには、親の生前にやっておくべきポイントが3つあるという。まずは、相続財産を確認すること。「通帳を集めて残高を確認しておきましょう。相続開始後の預貯金の払い戻しは大変手間がかかります。複数口座があるとなおさらですので、口座はなるべく1つにまとめて、あとは親御さんが元気なうちに解約してもらうといいでしょう」通帳とともに、金融機関の届出印はどれなのか、目印のシールでも付けておくとわかりやすい。また、故人の銀行口座を解約するときに必要なこともあるので、日ごろから自分の実印もきちんと管理しておきたい。続いて、自宅はいくらの価値があるのかを、固定資産税の通知書をもとに調べておく必要がある。土地が共同名義になっていると相続時にややこしくなるので、自宅の登記簿謄本を取得して、所有者が誰なのか把握しておこう。2つ目のポイントは、誰が相続人になるのかを確認すること。きょうだいは2人だけなので、相続人は2人、と思いきや、じつは両親は再婚で先妻の子がいた、なんてこともありうる。「戸籍謄本を取り寄せて相続人の数を把握し、簡単な家系図を作成してみましょう。たとえば、父がすでに他界して、母の財産を3人の子どもが相続するときは、法定相続分は3分の1ずつになります」そして3つ目が、具体的な遺産の分け方を決めておくこと。介護の負担など、親との関わり方はきょうだいによって異なることもあるので、必ずしも法定相続分のとおりに分けなくてもよいというのだ。「たとえば、長男が親の介護やみとりの中心になり最期まで面倒を見たとしたら、『ほかのきょうだいたちより多くの財産をもらってもいいはず』、と思うでしょう。そのようなときは『遺言書』を活用して、相続に親の意思を反映せておくことです。きょうだい間の話し合いを円滑に進めるためにも、生前に『遺産の分け方の確認』をしておくことが大切です」相続でもめる原因の多くは、この「遺産の分け方」にあるが、そうしたトラブル回避の“切り札”になるのが「遺言書」だ。自ら公証役場に足を運んで、口述しながら公証人が作成する「公正証書遺言」と、原則すべてを自分で自書して作成する「自筆証書遺言」の2通りがあるので覚えておこう。いっぽう、「終活」ブームとともに耳にする機会が増えてきた「エンディングノート」は、相続財産を目録にするときには便利なツールだが、これだけで安心と思ってはいけないという。「エンディングノートは、終末期の医療の受け方やお葬式のやり方など、故人の希望を周囲の家族に伝えておくのにとても便利なツールなのですが、法的な効力はありません。かえってエンディングノートに書いてあることが原因でもめることもあるので、どれだけの財産を誰に遺すという相続に関しては、『遺言書』を作成して、具体的な分配方法を決めておくことをお勧めします」ちなみに’19年1月改正の相続法施行により、自筆証書遺言の作成は、だいぶハードルが低いものに。遺言書に添付する「財産目録」は、それまで手書きに限られていたのが、パソコンでの作成が認められるようになったほか、通帳などのコピー添付も認められるようになった。また、昨年7月からは、自筆証書遺言を市区町村の法務局で預かってくれる保管制度ができ、書類の不備を指摘してもらえるようになった。紛失リスクもなくなるので、ぜひトライしてみよう。■もめない相続のカギは相続人同士の“納得感”しかし、いくら「遺言書」で財産の分け方を指定しても、ほかの相続人から遺産の最低限の取り分である「遺留分」を請求されると、渡さなければならないといった決まりもある。たとえば、母と同居する長男が、「弟と妹は介護をほとんど手伝わないのだから、相続財産は分けなくてもいいだろう」と考えたとしよう。長男の気持ちを察した母は、「長男だけに相続財産を渡す」という「遺言書」を書こうとしたが、弟と妹から「遺留分」を請求されたら、法定相続額の2分の1を渡さなければならず“争続”のもとになる。もし遺産が3,000万円であれば、3人のきょうだいで分ける場合の法定相続額は1人1,000万円で、遺留分はその2分の1の500万円という計算になる。遺言書を書くときには、こうした遺留分に配慮し、相続人同士が納得できる内容にしておくことが望ましい。また、遺言書に不備があると無効になることも。遺言書を作成した「日付」の時点で親の認知機能に問題があったり、体調不良で正確な判断ができていないということが後でわかったりすると、無効になることがあるので注意したい。「遺言能力といって、遺言の内容を十分理解したうえで自分の死後にどのようなことが起こるのかを想定できる能力が問題になります。遺言能力がない人が遺言を書いたとして、ほかの相続人がその内容に納得いかないと家庭裁判所に申し立てられると、無効になる可能性があります」
2021年11月17日《全然ちゃう感じのやつきた。Uberってこんなんなん?》11月8日、インスタグラムにこう綴ったのはお笑いコンビ「千原兄弟」の千原せいじ(51)。フードデリバリーサービスのUber Eatsで、「小僧寿し」の「まぐろ丼」を注文したところ“メニュー写真と実物が違いすぎる”と訴えたのだ。Uber Eatsのサイトで表示されているメニュー写真と、実際に届いた商品の写真を比較するように投稿したせいじ。メニュー写真にはマグロの刺身4切れ、ネギトロ、卵焼き2切れが乗っているが、せいじの元に届いたという商品はマグロの刺身が5切れだけ乗った丼だった。期待外れの商品にガッカリするせいじに、《詐欺レベルですね》《さすがにこれはないわ》と同情する声が相次いでいた。15日配信の「弁護士ドットコムニュース」によると、小僧寿しは同サイトの取材に「間違えた商品を届けておりました」と店側のミスを認めている。また、せいじが注文した店舗では「小僧寿し」と「海鮮丼小僧寿し」の2つのブランドを展開しているといい、Uber Eatsのサイトにも双方のページが存在している。そのため店側は、「製造間違いにより、『海鮮丼小僧寿し』のマグロ丼をお届けした結果となっておりました。本来は、『小僧寿し』のまぐろ丼(玉子とねぎとろが入ったもの)を、お届けしないといけませんでした」と回答したという。だが一方で、せいじはハッシュタグで具体的な店舗名まで記載している。さらに複数のインスタグラムユーザーからの質問に、コメントを返していたせいじ。《結局、交換したんですか?》との問いには、《めんどくさいからしてない》とコメント。また《食べた感想教えて下さいw》との質問には、《捨てる。料理って見た目大切やん》《何されてるかわからんし》と回答していた。つまり、届いた商品に疑問を抱くも店側に問い合わせることなく、SNS上でクレームを晒す行為に出たというのだ。せいじのアカウントは10万2,000人以上のフォロワーを抱えており、その影響力から瞬く間に拡散されることは想像に難くない。「昨年に堀江貴文さん(49)が広島の餃子店を訪れた際、同行者がノーマスクだったため入店拒否されました。そのことを堀江さんは、どこの店か特定しやすい表記でFacebookに投稿したのです。堀江さんの投稿をきっかけに、餃子店にはいたずら電話が殺到し、店は休業に追い込まれる事態となりました。一般人以上に影響力のある著名人が、安易に飲食店などの過失をSNSに載せることはトラブルに発展する危険性も孕んでいるでしょう」(ITジャーナリスト)今回は店側が過失を認めているが、せいじのようにSNS上で具体的な店舗名をあげてクレームを書き込む行為を訝しがる声も上がっている。《注文と違うものが届いたら店に確認して何らかの対応してもらうのが先なのに、インスタでハッシュタグつけて晒すのはおかしな正義感じゃないの?「何されてるかわからんし」って出前取るのやめたら?》《あれは千原せいじもUber Eatsも小僧寿しも全部炎上する悪手じゃないか…。店に一本電話して頼んだもんと違うの来たよ、と言えば済んだのに》《千原せいじの小僧寿しの件に関してもそうだけど、何かあった時はSNSに先に載せなくて良いのではと思う。そのためにカスタマーセンターやお客様窓口があるわけだし。そこで言っても何ら変わりしないならまあ…ってのはあるけど、いきなり公開処刑はいかがなものかと思う》小僧寿しはせいじに対して、謝罪、返金などの対応を行う予定でもあるという。果たして両者の間で、きちんと和解できるだろうか。
2021年11月17日老親との別れは誰にとってもつらいものだが、きちんと相続対策をしておかないと、悲しみにひたっていられる時間なんてない。身近な兄弟同士で骨肉の争いにならないよう今から備えよう!そこで、読者世代が陥りやすい“争続”トラブルを紹介。具体的な対処法を相続問題に詳しい行政書士の竹内豊さんに聞いた。【ケース】相続した不動産を売って「遺留分」を払うよう請求された母の介護からみとりまで、近くに住む長女が1人で面倒を見ていたので、母は長女に財産のすべてを相続させようと思っていた。ところが母の死後、離れて暮らす2人の兄弟たちが、「遺産は法定相続分のとおり均等に分けてほしい」と言いだした。母の遺した財産は現金と家のみ。現金は葬儀代などでほとんど手元に残らなかった。しかし、兄弟たちは「家を売ってでも、法定相続分のお金を払ってくれ」と請求してくるという事態に……。【対策】生命保険を活用しよう父が他界した際に、その財産を母がすべて相続。その後、一人暮らしの母が亡くなってから、遺された兄弟間で、相続財産の分け方をめぐってトラブルが起こることはとても多い。「母が亡くなった後、長女に自宅を含むすべての財産を引き継いでもらいたいのであれば、遺言書に『長女にすべての財産を相続させる』と、書いてもらっておく必要があります。ですが、残念ながら、ほかの相続人たちから遺留分を請求されたら、法定相続分の2分の1は渡さなければなりません」(竹内さん・以下同)たとえば、3,000万円の家と現金が600万円しか残っていなかったとすると、相続財産は3,600万円。相続人は兄弟3人だけなので、法定相続どおりに分けると、1人あたりは1,200万円で、遺留分は600万円。つまり、長女は合計1,200万円を兄弟たちに支払わなくてはならない。そのためには、家を売って現金化する必要があり、その家に住もうと思っていた場合は予定が狂ってしまうことになるが……。「相続人の1人が不動産を相続して、相続しなかった人へ代償分の現金を払う『代償分割』という方法があります。このケースでいうと、長女が家を相続したら、ほかの兄弟に遺留分相当の現金を渡し、不公平をなくすというやり方です。ただし、このケースのようにお母さんが遺した現金で不足する場合は、長女が自分のお金で支払わなければなりません。そうした事態を避けるためには生命保険を活用するといいでしょう。母が、受取人を長女とする生命保険に加入しておき、母の死後、受け取った保険金からほかの兄弟に遺留分相当のお金を渡すのです」死亡保険金は相続の対象には含まれず、また、500万円×法定相続人の人数分が非課税になるので、3人の相続人がいるこのケースでは、1,500万円までは相続税もかからない。「このケースでは、1,500万円の死亡保険金を長女が受け取ったら、600万円ずつほかの兄弟に渡して、残りを長女が受け取るようにする。そのようなことも含めて『遺言書』に書いてもらうとトラブルを回避できるでしょう」いずれにしても「遺言書」を親に書いてもらうときは、兄弟の1人が母と作成してしまうと、「独り占めした」と思われてしまうので、ほかの兄弟を含めて、母が元気なうちにしっかりと話し合っておきたい。
2021年11月17日「中居くんがくれたのを履きながら、ここに立っております」こう言いながら、足元を誇らしげに客席にアピールしたのは岡田准一(40)。V6の解散コンサートから一夜明けた11月2日。主演映画『燃えよ剣』の舞台あいさつに、岡田は先輩・中居正広(49)からV6全員に贈られたという茶色の革靴を履いて現れた。靴の左足かかと部分の内側には「V6」、外側には「OKADA」と刻印が。本誌の取材によると、この革靴はフランスの高級紳士靴ブランド「ベルルッティ」のもので、一足29万円ほど。ブランドに問い合わせると、「刻印は、たとえばイニシャルのアルファベット2文字の場合、3万5千円から入れられます」とのこと。刻印の文字数を考慮すると、1足あたり35万円前後だろうか。それが6人分となると、総額で200万円は超えそうだ。「中居さんは関係者を通じてV6の担当スタイリストにそれぞれの靴のサイズを教えてもらい、オーダーしたそうですよ。三宅健さん(42)も、2日の夜に行ったインスタライブで、『まさか中居くんから靴をいただく日がくるとは』と喜びをあらわにしていました」(音楽関係者)高額なプレゼントで後輩グループの門出を祝した中居だが、「世間にはあまり知られていませんが、中居さんにとって坂本昌行さん(50)は戦友のような存在。年齢も近く、SMAPとV6のリーダー同士、グループについて話し合うこともあったようですから、V6の解散には特別な感慨があったのでしょう」(前出・音楽関係者)ちなみに中居が後輩に気前よく高級品をプレゼントするのは、珍しいことではない。SMAP時代からその“プレゼント術”には定評があるのだ。「年末の『紅白歌合戦』のときには、V6や嵐が楽屋に入ると中居さんからのプレゼントが置いてある、なんていう粋なサプライズもあったんです。中居さんが特に目をかけている舞祭組には、1周年を記念して高級ブランドのスーツを贈ったことも。もらった本人たちは『自分たちではとても買えない』と恐縮していましたよ」(別の音楽関係者)地元が一緒でかわいがっていた今井翼(40)にはこんなものを。「今井さんがメニエール病で入院したときに、病室に空気清浄機を届けたそうです。『神様は今、お前のこと、休めって言ってるんだから、しっかり休んでまた仕事しよう』と心のこもった直筆の手紙もあって、今井さんは感激していたそうです」(芸能関係者)ただ高額なものを贈るばかりでなく、プレゼントする相手の状況に応じて品物を選ぶセンスのよさも持ち合わせているようだ。細部まで行き届く中居の心配りだが、それはかわいがる後輩タレントに対してだけではなく……。「裏方のスタッフにも気配りを欠かさないんです。20年続いた『SMAP×SMAP』の最終回の収録後、200人ほどもいるスタッフ全員にスニーカーを配ったことは有名です」(テレビ局関係者)■「ジャニーさんを見てきているから…」ジャニーズ事務所を退所した際にも中居は、お世話になった社員やスタッフに感謝を込めて、一人前3千円ほどの高級焼き肉弁当など約200人分を差し入れしている。「自身は“壊れかけの炊飯器をセロハンテープで蓋を閉めて使っていた”なんて逸話もある倹約家。自分によりも周囲にお金を使う人です」(前出・テレビ局関係者)中居のプレゼント術の原点を前出の芸能関係者は次のように見る。「やはり故・ジャニー喜多川さんの影響ではないでしょうか。ジャニーさんは育ち盛りのJr.たちにハンバーガーを数百個も差し入れしたり、ダンスレッスンの合間に自由に自動販売機で飲み物を買えるようにと小銭を大量にスタジオに用意したり。そうやって常に周囲に気を配るジャニーさんを中居さんは見てきていますから」V6の“解散”という大きな節目に贈り物で労いの気持ちを表した中居だが、もう一つほかの後輩グループの大きな節目を、中居が贈り物で労った先例がある。嵐の活動休止のタイミングだ。「昨年大みそかの活動休止前最後のコンサートの日に中居さんから嵐全員へ箸のプレゼントがあったことを、櫻井翔さん(39)がテレビ番組で明かしています。『嵐』『櫻井翔』という名前入りで、『お疲れさまでした』という手紙も添えられていたそう。箸専門店の高級箸だったようです」(テレビ誌記者)嵐に箸、V6に靴。このセレクトには意味がありそうでーー。「嵐には活動休止で“箸休め”、V6には解散で“新たな一歩”。そんな意味を込めているのでは、と予想するファンが多くいます」そう話すあるジャニーズウオッチャーは、その共通点も指摘する。「箸も靴も“一対”、一つではなく、合わせて使うものです。そこに“離れられない運命共同体”としての“グループ”を重ねているんじゃないかと思うんです。中居さんは、みんなが納得するかたちでSMAPを終わらせることができず離れ離れになった後悔がある。グループというものに人一倍の思い入れがあるのです。後輩たちには、解散や活動休止で離れてしまっても、築いてきたグループの絆や思い出は大切にしてほしい。そんな意味が込められているのではないでしょうか」込められたメッセージこそが、中居が“本当に贈りたかった”プレゼントだったのかもしれない。
2021年11月17日「出会った頃から変わらず私達は、戦友であり、心の支えであり、これからは家族になります。人生を共に考え進んでいくこと、とっても楽しみです!」菅田将暉(28)と小松菜奈(25)が11月15日に結婚を発表した。同日、菅田は自身のTwitterで冒頭の連名コメントを公開。そこには「何事にも丁寧に向き合い感謝を忘れる事なく愛を持って精進して参ります。夫婦共々温かく見守っていただけると幸いです」ともつづられている。コメントにあるように、2人はもともと“戦友”だった。菅田は昨年8月、本誌のインタビューにも「彼女(小松)は僕にとって“戦友”のような存在」と話していた。これまで3作品での共演を経て、愛を深めてきた2人。しかし、初共演となった’16年5月公開の映画『ディストラクション・ベイビーズ』の舞台挨拶で小松は、菅田についてこう話していた。「菅田さんのことが嫌いでした。現場で。今だから言えること」「役というのもあって、ただただ暴力を振るわれて……」いっぽう、過酷な撮影を通して2人はお互いを意識していたようだ。小松は菅田について、こう話している。「追いかけたくなる存在というか。テレビや映画で主役級のものをやれば目をひかれるし、主役を支える役でも、ちゃんと存在感を残すので、いろんな作品を見たくなる人」(『LINE BLOG』’16年11月5日)そして菅田も「(共演2作目となる)『溺れるナイフ』撮影当時、小松さんは19歳。僕も19の時に『共喰い』っていう映画をやって。だから、現場で死にそうになってる小松さんが、当時の自分に重なったというか……転機にいる小松さんを支えられたらと考えていました。彼女がふらついたときに、手を貸してあげられる場所にいられればなと」(『Woman type』’16年11月1日)と彼女を意識的にサポートしていたと述べていた。■小松にとって菅田は“心の支え”。菅田も“女優・小松菜奈”に一目置くことに昨年3月に『スポーツニッポン』が2人の熱愛を報じ、その1カ月後に放送された『VS嵐』(フジテレビ系)には2人揃って出演。その際、菅田が「小松菜奈のいる現場には『オシャレにして行かないと』と思う」と話すなど“カップル感”が話題に。そして同年8月には3度目の共演作となる映画『糸』が公開された。同作は、前2作とは打って変わって王道のラブストーリー。しかし、濃密な撮影をこなしてきたからこその安心感があったようだ。小松「漣と葵(注・菅田と小松の役名)は、毎日一緒にいるわけではなかったし、シンガポールや沖縄の撮影は別々でした。そんななかでお互いを想い合うという気持ちを作るにあたり、『はじめまして』の方だと、そこの距離感をすぐには埋められない気がするので、難しかったのではないかと思います。そういう意味では、相手役が菅田さんで良かったなと思いました」(『MOVIE WALKER PRESS』’20年8月22日)小松にとって菅田は、結婚コメントでいうところの“心の支え”だった様子。そして、かつては小松の成長に「手を貸してあげられたら」と語っていた菅田はすっかり“女優・小松菜奈”に一目置いていた。菅田「小松さんの演技はあまりにも真剣なので、こっちも真剣にさせられます。そういう人は、なかなかいません…中盤から、葵がすごく大人っぽいキャリアウーマンになるんですが、その姿を見た時、さすがだなと思いました」(同上)■「これからもよろしくお願いします」2人の契り『糸』の完成披露会見で瀬々敬久監督(61)は2人について「やはり、ツーカーという感じ。待ち時間も親しそうにしていたが、芝居が始めると、なれ合いにならないように。その姿勢がすばらしかった」と語っていた。その親密さは、周囲にも伝わっていたようだ。さらに同会見で小松は、初めて父親役を演じた菅田について「子ども好きというのは聞いていたんですけれど、本当に現場で愛情たっぷり。『良いお父さんになるんだろうな』と思いました」ともコメント。すでに2人の将来像を思い描いていたのかもしれない。小松は『糸』の最後のキャンペーンイベントで、涙を浮かべながら菅田にこう語ったという。「役のことを相談すると一生懸命聞いてくれてそれを100倍にして返してくれる。すごく優しい人だけど、ライバルみたいに思うところもある。すごく刺激になる存在。出会ってくれてありがとうございます。本当にいろんなことがあったなと思って……。私もそうありたいと思わせてくれる人なので、これからもよろしくお願いします」(『TOKYO HEADLINE WEB』’20年8月29日)“これから”の契りを交わした2人は今年6月、同棲が報じられることに。そして、ついに結婚へと辿り着いた。戦友から家族へーー。その愛は紡いできた糸で、強く結ばれている。
2021年11月17日病室の外では昨夜から秋雨が降っていた。朝6時をむかえようとしているころ、ベッドに体を横たえる寂聴さんに、寂庵のスタッフたちは代わる代わる声をかけた。「庵主さん、○○です……」そのたびに寂聴さんは閉じていた目を少し開けて、その声がするほうへ、少しほほ笑んで見える顔を向けたという。11月9日6時3分、瀬戸内寂聴さん逝去。享年99。一人娘のMさんや京都・寂庵の女性スタッフたちにみとられての旅立ちとなった。コロナ禍で休止になる前の法話の会では、集まってきてくれた人々に、あの笑顔でこんな言葉をかけていた。「それじゃあね、みなさんとは、もしかしたらもうお会いできないかもしれません。もし私の訃報を聞いたら、私は安らかに死んだと思ってください。安らかに死にますからね。みなさんのお幸せを祈っています!」そんな言葉どおりの穏やかなお顔だったというーー。■「コロナで法話の会ができないのがとても寂しい」寂聴さんの法話が最初に『女性自身』に掲載されたのは’89年4月、’87年に岩手県・天台寺の住職に就任した2年後のこと。当初は「まごころ説法」というタイトルで、不定期掲載を経て、現在も連載「寂聴『青空説法』」として続いている。コロナ禍以降は、電話インタビューに切り替え、古今東西の名僧の言葉について解説してもらっていた。最後の電話は10月上旬。鎌倉時代の名僧・兼好法師が書いた随筆『徒然草』について、「いま読んでも面白い」と、さまざまな文章について教えてくれた。「長く話すと疲れるのよ」とは言いながら、寺山修司の詩や、アランの『幸福論』などのことも精力的に語り続けていたのだが、雑談のなかでこんな言葉も……。「コロナで法話の会ができないのがとても寂しい。私は人にお会いして直接お話しすることで元気になるの。法話の会に来てくださる皆さんからいただいていたパワーがなくなっているのかしら。最近は、なかなか小説を書く力が湧いてこなくて……」■「貸さない!」200万円の借金を申し出たスタッフへの返答法話の会の再開を待ち望んでいた知人や寂聴さんファンは全国に大勢いた。そのためもあり、99歳の大往生であるにもかかわらず、寂聴さんの訃報は人々に衝撃を与えたのだ。寂聴さんが60代から90代に入るまで、寂庵のスタッフとして働き、寂聴さんも編集に携わっていた定期刊行誌『寂庵だより』の編集長を務めていた加藤博子さんも、その一人だ。「先生は、いわゆる“不良”が好きで、次々にダメ男の面倒をみてあげてましたけれど、実は不幸な女にも優しい人でした。私は夫とは長く別居しているのですが、息子が美容学校に進学したいと言いだしたのです。学費は200万円もかかるのですけれど、そんなお金は持っていません。困り果てて、先生に泣きついたのです。『200万円貸してくれる?』、すると一言、『貸さない!あげる!』。翌日、お金が振り込まれていました」’13年3月、寂庵の経営状況を心配したベテランスタッフたちが自ら退職を申し出たことがあった。「私は小説も書いていましたが、“売れない作家”です。寂庵退職後はいつも生活にピーピーしていました。それでも小説の相談をしたくて、1年に何度か大阪のはずれから、お邪魔していたのです。相談が終わって辞去するとき、先生は必ず言うんです。『博子ちゃん、ここの仕事を辞めた後、やっていけてるの?寂庵まで来る交通費だって大変でしょ。これを使いなさい』懐ろからさっとお金を出して、握らせてくれました。それが5万円もあって……、そんな大金を、私が訪れるたびにくれたのです」寂聴さんの応援はお金だけはなかった。加藤さんが文学賞に応募しても落選続きで、「もう小説を書くのをやめたい」と、弱音を吐いたとき、寂聴さんは叱咤したという。「私は『生きることは楽しい』と、よく書いているけど、そんな日ばかりじゃない。カチカチ山の狸みたいに背中に火がついて、その炎に追われるように歩いて、一日一日生きている。生きていることは、こんなにしんどいことなのよ。あなたもメソメソしないで書き続けなさい」そしてまっすぐに加藤さんを見つめ、ぎゅっと手を握りしめた。「あなたは30年も寂庵にいてくれて、他人が知らないこともたくさん知っている。それを書きなさい。なんでも博子ちゃんの好きなことを書きなさい」そこで加藤さんは『寂聴、喝!(仮)』と題した長編小説を書いた。しかし、「出版社に持ち込んだのですが、“プライバシーに踏み込みすぎている”という判断で、いまはお蔵入りになっているのが残念です」■「死にたいんだけど、ごはんが出ると、つい食べちゃう」またAさんは寂聴さんと50年来の交流があった。スタッフではないが、尼寺・寂庵の主である寂聴さんのことを親しみを込めて、庵主さんと呼んでいる。「コロナ禍でお会いできなくなって、最近はしょっちゅう電話でお話ししていました。長くしゃべりすぎるとお疲れになるのではないかと、『もう切るね』と言っても、庵主さんがまた話しだすので、いつも長電話になってしまいます。この夏の終わりごろから、こんな冗談めいたやり取りが始まりました。『もう生きすぎて死にたいんだけど、ごはんが出ると、つい食べちゃうのね』、『それじゃまだ死ねないですよ(笑)。でも本当に死にそうになったら私に電話をしてください』」寂聴さんからAさんに最後の電話が突然かかってきたのは逝去の3週間ほど前だったという。『いま、入院しているのよ』しかしAさんが驚くほどの元気な声だった。「庵主さんは、私が母親と姑を介護してみとり、いまは夫を介護していることをご存じでした。『あなたは人の世話ばかりして、ずっと誰かをみてるでしょう。もっと自分の体を大切にしなさい』いつにない真面目な口調でした。私は、『入院している病人に励まされるなんて、逆じゃないですか』と、いつものように笑い合って電話を切ったのですが、それが庵主さんと話した最後になったのです」■「人間は誰かを愛するために生まれてきた」「もう死にたい」と、口癖のように愚痴るいっぽうで、“挑戦をやめない”のが寂聴さんの生涯だった。本誌が半年前の5月25日号に掲載した99歳誕生日記念のインタビューでは“100歳の夢”について語っている。「実はいま長編小説のテーマが1つ頭の中で固まっていて、死ぬまでにそれを書きたい、という夢を持っているのです。でもそのためには遠くへ取材に行かなくてはなりません。体力的にどうかなぁと、非常に悩ましい。ほかにも句集『ひとり』(深夜叢書社)に続く、2冊目の句集も出したい、などと夢見ているところです」前出の加藤さんは、寂聴さんの生き方についてこう語った。「先生が仕事部屋にしていたマンションには、恋人たちのお写真がずらっと並んでいました。小説『夏の終り』にも登場する作家・小田仁二郎さんや年下の恋人、それに井上光晴先生……。また5年くらい前に、先生は真剣な口調で言いました。『プラトニックラブだけどもね。いま、とてもいい男がいるの。私が死んだときはね、私には最後までそういう(愛する)相手がいたことを、ちゃんと書いてね』法話でいつも、『人を愛しなさい、人間は誰かを愛するために生まれてきたのですから』、そう話していたのを、昨日のことのように思い出します。先生は言うだけの人ではありませんでした。その言葉どおりに、最後まで愛する人がいらしたのですから、先生は思い残すことのない幸せな一生をまっとうしたと思います」書いて、祈って、愛して、救って、挑んで……。瀬戸内寂聴さんの99年の生涯は好んで集めていた万華鏡のようにまばゆく輝いているーー。
2021年11月17日「今日、小室圭さんとXさんが直接会って話をしました両者は金銭トラブルについて最終的に解決したこと、また解決金についてはXさんが提示した金額を受け取ることを確認し、確認書を交わしました」小室圭さんの代理人・上芝直史弁護士は11月12日、圭さんと元婚約者・X氏が面会した直後、本誌記者にこう語った。4年近く長引き、眞子さんの結婚延期や儀式の中止などの原因となった小室家の金銭トラブルは、1時間半ほどの面会によってあっけなく終結した。だが、小室家に関する“疑惑”はこれだけではなかった。小室佳代さんについては傷病手当金や遺族年金の不正受給疑惑も取り沙汰されていたのだ。小室圭さんは、結婚会見に際して《遺族年金の不正受給については、そのような事実はありません》と文書で回答していた。これらの問題に今後どう対処するのか上芝氏に聞くと、「もう、どなたかとトラブルになっているわけではないので、大きな問題は今日で解決したと考えています」との回答だった。圭さんは結婚会見で「私の母も心身に不調をきたし、仕事を辞めざるを得ない事態にまで追い込まれましたし、身の危険を感じながら過ごしています」と話していた。元婚約者との面会についても「ドクターストップがかかっています」と述べていたように、佳代さんは精神的な不調は深刻だという。眞子さんと圭さんの結婚が実現し、金銭トラブルが解決したいま、佳代さんに関する“疑惑”について、真相が明らかになることはなさそうだ。
2021年11月16日「現在、GACKTさんはマレーシアで療養中です。声は少し出るようになったと聞いていますが、まだまだ体調の回復には時間はかかりそうです」(音楽関係者)9月8日にGACKT(48)の所属事務所から《持病である神経系疾患がきっかけとなり、一時は生命の危機に。さらに重度の発声障害を併発したため》無期限活動休止が電撃発表されてから2カ月あまり。現在はマレーシアで療養生活を送っていた。GACKTといえば、味覚や音感、視覚などを駆使し、一流と三流を見極めるお正月恒例の国民的人気バラエティ『芸能人格付けチェック』(朝日放送系)で、今年1月の放送までで個人65連勝をマークしている。だが、今回の出演は断念せざるを得ないようだ。「収録は11月下旬におこなわれることが多いのですが、今回ばかりは帰国して出演できそうにありません」(前出・音楽関係者)主演映画『跳んで埼玉II(仮)』も彼の無期限活動休止のため収録が止まっている状態だ。このまま“お蔵入り”の可能性もあるのだろうか。「いまの回復状況では、GACKTの帰国は早くて来年の2月。できれば3月を考えているようですが、それも体調次第なのでなんとも言えない状況のようです。ただ、この『翔んで埼玉』は多くのスタッフさんたちが『GACKTさんがいない続編はありえない!』として、彼の完全復帰を待ってからの撮影に決めているようです。その意気込みにもこたえようとGACKTさんはマレーシアで体力回復のトレーニングの日々を送っています」(前出・音楽関係者)9月14日、GACKTは無期限活動休止の心境を明かした本誌のメールインタビューで『格付け』や『翔んで埼玉』について、こんな本音を吐露していた。「ストレスでやめるとか、そんな無責任なことは絶対にしない。今の状況ではとてもじゃないけど、声を出す仕事はできないし、治療に専念するということにしました。『翔んで埼玉』チームが僕を必要としてくれるなら、僕もその気持ちに全力で応えたい」来春には、また重責に立ち向かうGACKTが見られるかもしれない――。
2021年11月16日タレントのボビー・オロゴン(55)が、川で溺れている男性を救助したとして、埼玉県警から表彰されていたと「スポーツ報知」が報じた。10月9日、埼玉県越谷市内でランニングをしていたボビー。その際、川で溺れている人を発見して救助したという。ボビーも自身のツイッターで、警察から受け取ったという感謝状の写真を載せ、《警察から感謝状もらっちゃったよオレ大したことしてねーのにな(・・;)》と綴った。2020年には、妻への暴行容疑で逮捕され、今年5月に罰金10万円の有罪判決を受けたボビー。その後、次男の通う保育園の前で“息子に会わせろ!”と怒鳴り、警察が出動するトラブルになったということも週刊誌で報じられている。家庭内でのトラブルが相次いで報じられたボビーだが、今回の人命救助を受けてSNS上では、彼を前向きに応援する声が寄せられている。《やっぱり根はいいヤツなんだよ》《また信用を積み重ねていけば良いんだよ。ボビー頑張れ!》《ボビーさん、良い事したね。汚名返上に期待しますなかなか分かっていても救助は出来る事じゃないですからね》さらに、ボビーが逮捕されたことで降板となってしまったバラエティー番組『Youは何しに日本へ?』(テレビ東京系)についてあげる人もいた。《これを機会にYOUは何しにに復活して欲しい。やっぱりナレーションはボビーだよ》《はよYOUは何しに日本へのナレーターにボビーを復帰させてくれ》
2021年11月16日「あんた、地獄に落ちるわよ!」この衝撃的なセリフで一世を風靡した細木数子さんが、11月8日にこの世を去った。83歳だった。彼女といえば、『細木数子の六星占術 あなたの運命』シリーズが2017年に累計1億冊を突破するなど、「六星占術」が一躍ブームに。『ズバリ言うわよ!』(TBS系)、『幸せって何だっけ~カズカズの宝話~』(フジテレビ系)と冠番組を持ち、一時は“視聴率女王”の名声もほしいままにした。2008年にテレビのレギュラー番組を終了して以降、六星占術の活動に専念しつつ、“終活”の日々を過ごしていた。2014年秋には、自身の勉強会で、自らの最期の時まで予言をしていた――。「細木先生は、『私の寿命はあと5年。もう死に支度を始めているのよ』と話されていました。毎年新年恒例となっている京都の初詣会では、2019年からは後継者の細木かおりさん(42)が壇上に上がっておられます」(知人)2年ほどずれたが、自分の死期を悟っていた細木さん。六星占術の活動は、かおりさんに少しずつだが着実に継承されていった。「かおりさんは細木先生の妹の娘、姪っ子にあたります。3歳まで一緒に暮らしたこともあり、本当の母のように慕っていました。かおりさんは先生のマネージャーなどを経て、2016年に養子縁組して、細木先生の養女となりました。2019年1月には、細木さんが自身の会社の取締役を外れ、かおりさんとその夫へ実質的に会社を譲りました」(前出・知人)会社だけでなく、細木さんが築いた莫大な資産も、かおりさんが受け継ぐことになる。本誌が2016年に報じた東京・神楽坂にあるビルは、細木さん個人とこの会社が保有している。今でも高い評価額がつくという。「人気の通りに面しており、地価は上がっています。土地だけでも2億5千万円ほどで、建設から時間がたっているとはいえ、上物と合わせて3億5千万円にもなる物件です」(神楽坂の不動産業者)■不動産だけで合計15億円超この細木さんの会社は、京都に2つの豪邸を所有しており、敷地面積は合計で600坪を超える。さらに本誌はこれまでに、細木さんが周辺の土地を買い進めて“寺院”を建設し、説法会を開いているとも報じていた。「買い進めた周辺の土地は合わせて5千500坪を超え、立派な御堂や庭、集会場などがどんどん建っていきました。これらの“寺院群”で、細木さんは多くの人を集めて説法会を開いていました。この“寺院群”は2つの宗教法人で所有しているのですが、もともと、細木さんの会社が持っていた土地。2017年から昨年くらいにかけて、この宗教法人に寄付したり、売ったりしていました」(京都の近隣不動産業者)弁護士法人「天音総合法律事務所」代表弁護士の正木絢生さんはこう解説する。「会社法人が宗教法人への寄付を禁じるルールはなく、法的に支障はありません。また、宗教法人は不動産の寄付を受けても、贈与税は課せられません。ただ、寄付する企業と寄付を受ける宗教法人で、実質的に“支配者”が同じとみられる余地がある場合には、相続税法第66条第4項に基づいて、宗教法人側が課税される場合はあります」寄付を受けた宗教法人については、“細木さんの影響下にある人物が代表”と報じられたこともあるが、細木さん側は否定し続けている。とはいえ、こうした“京都の資産”の価値は――。「宗教施設の売買実績は少なく、豪邸も古い木造で評価が難しいのですが、一帯のすべての土地や建物を合わせて12億円ほどになります」(前出・京都の不動産業者)不動産だけで合計15億円超……。しかし、「遺産の全容は見当もつかない」と明かすのは、六星占術の書籍がブームとなった当時の細木さんを知る出版関係者だ。「最も売れた2004年だけで、会社に数十億円もの利益をもたらしていて、細木さんへの接待費は年間1億円を軽く超えていたそうです。テレビに出ていたころは、出演料だけで年間5億円は稼いでいたそうですし、ご自宅にも本人いわく『何億円もするのよ』という家具がゴロゴロありました」長い時間をかけて“終活”を進めていた細木さん。かおりさんに持てるすべてを引き継ぎ安心したのか、周囲には“やりきった姿”を見せていたようで――。「最後にお姿を見たのは2019年秋ごろ。京都に来ると、2週間くらいいてはったようですわ。お屋敷の周りを、愛犬を連れて散歩されるんです。痩せた体で、ゆっくり一歩ずつ足を進めていて……。今思えば、豪邸やお寺の増改築が終わったころでしたから、最後に自分の目で見て回りたかったのかもしれまへん」(京都の近隣住民)養女にすべてを譲り渡した“傑物”は、静かに旅立った。
2021年11月16日秋篠宮家の長女・小室眞子さんと夫の圭さんは11月14日、ニューヨーク州に到着した。小室圭さんはすでにニューヨーク州の弁護士事務所に就職している。眞子さんも就職を考えており、共働きで夫婦生活を営む予定だというが、眞子さんが仕事を始めるまでは圭さんの収入で家計を支えていくことになる。だが圭さんは、7月に受験したニューヨーク州の司法試験で、まさかの不合格。弁護士になれば1年目から年収は2,000万円を見込めるが、法律事務員のままなら推定年収は600万円ほど。物価や家賃が高いニューヨークでの2人暮らしには心もとない収入だ。本誌記者は、11月12日の小室圭さんと元婚約者の面会直後、圭さんの代理人・上芝氏から話を聞いている。400万円を超えるとみられる解決金を支払ってもなお新婚生活は成り立つのか質問したところ、上芝氏は次のように答えた。「その点については留学するときから手当てはできているようです。若干の見込み違いはあったとしても、アメリカで暮らすにあたってお金が足りなくなるということはないと思います」司法試験に不合格となった圭さんにも、経済的に不安はないというのだ。さらに圭さんの“再受験”についても上芝氏は太鼓判を押す。「渡米後は来年2月に行われるニューヨーク州の司法試験での合格を目指し頑張るしかありません。仕事をしながらの勉強で大変だとは思いますが、前回合格しなかったのは学力の問題ではないので、体調を万全に整えて臨むことになると思います」不合格は「学力の問題ではない」とはどういうことなのか。批判が殺到しても結婚を諦めなかった圭さんは“鋼のメンタル”と称されることもあったが、実は眞子さんや佳代さん同様、体調を崩していたということなのか。「わたしは眞子さんと、あたたかい家庭を築いていきたいと思います」と結婚会見で語っていた小室圭さん。その夢を叶えるためにも、来年2月の試験は落とせないが――。
2021年11月16日小室眞子さんと圭さんが日本を発つ2日前の11月12日、4年近くにわたって日本中を騒がせ続けたあの問題にも終止符が打たれた。小室佳代さんの元婚約者・X氏と、小室圭さんの面会がついに実現し、金銭トラブルの解決に双方が合意したのだ。面会の場となったのは、圭さんの代理人・上芝直史氏が所属する法律事務所。午後7時45分ごろから約1時間半の面会を終え、事務所から出てきた圭さんは無言でタクシーに乗り込んだ。その5分後、X氏も姿を現した。スリーピースのスーツに身を包んだ、小柄で洒脱な老紳士だ。報道陣に囲まれながら、無言でトボトボと歩くX氏。あまりに寂しげな姿に、最後は報道陣が示し合わせて取材をやめたほどだった。いったいどんなやりとりがあったのか。本誌記者は、2人の面会直後、小室圭さんの代理人・上芝氏から60分にわたって話を聞いた。「今日、小室圭さんとXさんが直接会って話をしました。圭さんが渡米前に元婚約者の方と会うことは両者とも前向きに考えていたことですので、スケジュール調整を続けており、諸事情により今日になりました。両者は金銭トラブルについて最終的に解決したこと、また解決金についてはXさんが提示した金額を受け取ることを確認し、確認書を交わしました」もともとX氏は「交渉の相手は小室圭さんではなく小室佳代さん」だとして、佳代さんとの面会を求めていた。しかし圭さんは結婚会見で「母は精神的な不調を抱えており、元婚約者の方と会うことにはドクターストップがかかっています」と訴え、佳代さんに代わって対応すると表明していた。こうして渡米2日前の土壇場で、4年近くも長引いた金銭トラブルがようやく解決をみたのだ。本誌は、面会に同席したX氏の代理人にも話を聞くことができた。「圭さんからは『ありがとうございます。感謝しています』との言葉があり、Xさんは『結婚おめでとうございます』と祝福の言葉を贈りました。Xさんは納得して確認書にサインしたようですが、話し合いが終わったあとは肩の震えが止まらず、呼吸も苦しそうで、自宅に帰っても緊張が解けないようでした」■解決金の出所を代理人に聞くと…上芝氏は解決金の金額について明言しなかったが、「Xさんが提示した額」と考えられるのは、当初から返金を求めていた409万3,000円という金額だ。ニューヨーク州の司法試験に不合格となってしまった圭さんは、しばらく法律事務員として勤務することになるが、推定年収は600万円程度。解決金を用意するのは容易ではないはずだ。はたして解決金の“出所”はどこなのか。上芝氏に尋ねてみたが「詳細についてはお答えできない」という回答のみで、“圭さんが支払う”という言葉はなかった。仮に小室圭さんが400万円を超える解決金を自力で工面したとしても、そのぶん今後の生活費を取り崩すことになるはず。圭さんのフォーダム大学の学費が免除になったのは1年目のみで、2年目以降の奨学金は返済が必要とみられている。さらに日米を行き来する航空券代や、結婚会見場となったホテルの使用料、眞子さんと仮住まいしたサービスアパートメントの宿泊費など、出費もかさんでいる。司法試験の不合格により、物価の高いニューヨークでの新生活も危うくなっているように見えるが、解決金を支払ってもなお新婚生活は成り立つのか。「その点については留学するときから手当てはできているようです。若干の見込み違いはあったとしても、アメリカで暮らすにあたってお金が足りなくなるということはないと思います」上芝氏は、小室圭さんに経済的に不安はないと明言するのだ。金銭トラブルが解決してもなお、謎多き小室家の“資金源”。ニューヨークでの新婚生活に、本当に不安はないのだろうか――。
2021年11月16日『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』で知られる女優のダコタ・ジョンソンが、The Hollywood Reporterのポッドキャストに出演し、祖母である女優のティッピ・ヘドレンについて語った。ヘドレンはアルフレッド・ヒッチコック監督の『鳥』で主人公のメラニーを演じ、一躍人気女優の仲間入りを果たしたが、翌年の『マーニー』を最後に、ヒッチコック作品に出ることはなかった。そこにはヒッチコックによるパワハラとセクハラが関係していたと、ジョンソンが明かしたのだ。「ヒッチコックは祖母が自分と寝ることを拒んだがために、彼女を脅し、キャリアをめちゃくちゃにしたんです。彼が責任を問われることは最後までありませんでした」と、“サスペンス映画の神様”の裏の顔を語ったジョンソン。祖母のヘドレンは5年前に上梓した回顧録の中で、『鳥』『マーニー』の撮影中に、ヒッチコックから何度も性的嫌がらせを受けたことを告白。リムジンで家に送ると見せかけて通り過ぎ、陰部を触るよう強要されたり、リムジンの後部座席に2人で座っているときに無理矢理キスされそうになったりと、執拗に狙われていたことを回顧録で暴露したのだ。ヘドレンは「ひどい、本当にひどい瞬間でした」と述懐するも、「1960年代前半にはセクハラやストーカーという言葉は存在しなかったため、暴行の事実を誰にも言えなかったのです」と1人で耐えるしかなかった理由を記している。ハーヴェイ・ワインスタインなどの大物プロデューサーや、ケヴィン・スペイシーら主演クラスの俳優といった、ハリウッドの大立者による性的搾取が公然と批判されるようになったのは、2017年のMe Too運動がきっかけだった。それまでは、権力を笠に着た性的虐待が横行しつづけていた業界だけに、ヒッチコックのような超大物に目をつけられてしまったヘドレンの苦しみは察するに余りある。孫のジョンソンは、「業界を問わず、権力のある人が、自分より弱い立場の人にその力を振るうことは到底受け入れられません。自分の祖母のことなので、言葉にするのは難しいですが……自分のおばあちゃんが誰かに利用されるなんて、誰だって想像したくないでしょう?」とリスナーに語りかけた。母であり、同じく女優のメラニー・グリフィスについても言及し、「祖母が、私や母に対してしてくれた素晴らしいことは、誰にされたことであっても、嫌なことは我慢するな、ってこと。彼女だったら、もっと雄弁な言い方をするかな。今だって、ほんとに魅力的な映画スターなのよ」ヘドレンは現在91歳。動物愛護活動家として、今もたくさんのネコ科動物たちと暮らしているという。
2021年11月15日「初めて緊張というものを感じています。人生の大きな節目になると思います」11月9日、舞台『千と千尋の神隠し』製作発表会に登場した橋本環奈(22)。舞台初出演にして上白石萌音(23)とW主演を務める。いまやドラマや映画に引っ張りだこの橋本だが、今年7月、映画『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~ファイナル』会見で“引越し魔”の一面があると語っている。製作関係者は言う。「高校生時代に福岡から上京後はマネージャーさんと3年間、同居していました。念願の一人暮らしを始めてからは『時間があるとつい物件を見て、すぐ引っ越したくなっちゃう!』とすでに4~5回転居したと明かしています。実は、ついに“理想の家”に巡りあったようで昨年10月、都内の超高級マンションの一室を購入したんです。3億円相当の物件です」橋本は自宅へのこだわりが強いようで、8月に出演した映画『かぐや様~』プロモーション番組で、「マイルールみたいなものがすごく多くて。たとえばテレビのリモコンとかエアコンのリモコンとかを外に出さず、全部棚にしまいこんじゃうんです。ティッシュとかも。玄関に一足も靴置かない」と告白。彼女の自宅を訪れた共演女優・浅川梨奈(22)が「生活感がなさすぎてモデルルームみたい!」と打ち明ける一幕もあった。お気に入りの物件を今回ばかりは賃貸ではなく購入していた橋本。そこには着実な“将来設計”が!「幅広い世代に人気の橋本さんですが、テレビや映画の出演料は同世代の人気女優と大差ありません。ただ、段違いなのがCM出演料。昨年のCM起用社数は22社で、全タレント中、堂々の1位です。彼女のCM出演料は年間契約で1本2千500万~3千万円といわれています。単純計算でCMだけで年間5億円以上の収入になります」と、広告代理店関係者。もちろん全額が、彼女の懐ろに入るわけではないが……。「CM、ドラマ、映画の出演料などを含めると、昨年の年収は2億円に達するのではないでしょうか。彼女の安定した仕事ぶりなら大手金融機関の評価も高く相当なローンも組めるでしょうし、マンション購入は“無理のない買い物”だと思います」(前出・製作関係者)橋本といえば「お酒を飲まない日はない」と豪語するほど酒好きでも有名。“豪邸”購入の背景には、そんな気質も関係しているようだ。「橋本さんは飲み歩きが好きで、芸能界の友達が多い。一人暮らし開始時には飲み仲間のムロツヨシさんや小栗旬さんらから家電をプレゼントされたとか。12歳年上の長澤まさみさんからは人生相談されるほど信頼されているんです。コロナ禍以降は宅飲み派になった橋本さんも“それなら宅飲みの質を上げよう”と高級マンション購入に踏み切ったのではないでしょうか」(テレビ局関係者)快進撃が続く橋本だが、“引越し魔”はこれで卒業!?
2021年11月15日2020年7月、認知症であることを公表した蛭子能収さん(74)。その近況や今の思い、妻・悠加さんの“介護相談”も収録した『認知症になった蛭子さん~介護する家族の心が「楽」になる本』(光文社・定価1,320円)も発売中の蛭子が、本誌読者からの相談に応える!【Q】「40代は仕事をバリバリやって、独立して、家も建てようと目標を立てましたが、50歳を前にしてすべて実行できず……。意志が弱くて根性のない自分、50代、60代はどうなっているか心配です」(リチさん・49歳・福井県・飲食店勤務)【A】「オレの生涯の願いは『金は欲しい。自由は欲しい。でもなんにもしたくない』」(蛭子能収)オレが40代のときはどうやったろ?もうすっかり忘れてしまいました。(マネージャー「そのころ、蛭子さんが作詞したあるバンドの曲では“金があればの40代”と書いていましたよ。この前、歌詞を見たじゃないですか」)あっ、そうでしたね。歌詞には「金は欲しい。自由は欲しい。でもなんにもしたくない」と書いていました。たぶん、40代でも70代でも、認知症になってもならなくても、考えることはそんなに変わらないですよね。それに意志が弱くても、49年間も生きているんだから、これから先も真面目にやっていけばたぶん大丈夫ですよ。(マネージャー「ギャラをもらっているんだから、もっといいアドバイスをしてください!」)ヘヘヘ……、こうやって、マネージャーに怒られてもニコニコしていればいいんですよ。あまり深く考えずに笑顔でいれば、意志が弱くても、根性がなくても、なんとか生きていけると思いますけどね。
2021年11月15日「『病いは気から』というように、体の不調を改善するためにも、心の不調を整えることは大切です。心が落ち込んでいるときは、脳だけでなく、腸の働きも低下しています。腸は“第二の脳”と言われるほど脳の働きに影響します。食事は手っ取り早く心を整えることができる有効な手段です」こう話すのは、福岡県みやま市、工藤内科副院長の工藤孝文先生。そこで工藤先生がおすすめするのが「うつ抜け」ごはんだ。腸や脳の状態を整える働きをする食材を組み合わせることで、効率よく栄養素をとりこめるのだという。「主な栄養素は、食物繊維、オメガ3脂肪酸、葉酸などのビタミンB群、C、D、Eのビタミン、そしてカリウムやマグネシウムといったミネラルです。ほかにも“幸せホルモン”の材料となるトリプトファン、GABAなどがあります」食物繊維は善玉菌の増殖を促して脳の経路と神経伝達を活発にし、不安を和らげるのに役立つ。オメガ3脂肪酸は、気分障害を改善し、ミネラルは不安やイライラを改善する。そして、ビタミンはセロトニンの生成を助けたり、ミネラルの働きを高める。工藤先生おすすめの食べ合わせは次のとおり。【ヨーグルト+バナナ】バナナには“幸せホルモン”のセロトニンをつくる成分、必須アミノ酸のトリプトファン、ビタミンB6、カリウムが豊富。オリゴ糖は腸内環境を整える。ヨーグルトにもトリプトファンが含まれているが、バナナと組み合わせることでセロトニンの生成量が増える。共に消化が早く、腸活に働くので朝食べるとよい。【ほうれん草+ミニトマト】ほうれん草にはマグネシウム、ビタミンB群、ビタミンC、葉酸、カリウムが豊富。マグネシウムにはセロトニンをつくる働き、ビタミンB群にはセロトニンの放出を促す働きが。ミニトマトにはβカロテンやGABA、ビタミンCが豊富。トマトのリコピンは加熱すると吸収力が上がる。【鮭+きのこ類】鮭には気分を整えてくれるオメガ3脂肪酸が豊富で、きのこは整腸作用のある食物繊維がタップリ。共に、ビタミンDの多い食材でもある。ビタミンDにはカルシウムの生成を助け、うつを改善する作用がある。鮭には抗酸化作用の強いアスタキサンチンも豊富。睡眠と関係する腎臓の働きを助けてくれる。【緑茶+赤身肉】緑茶にはビタミンCが豊富で抗酸化作用が強いだけでなくカテキン、ポリフェノールが、セロトニン生成のために働く腸内細菌の質を上げてくれる。ほかにも、脳の働きをよくするタンパク質の一種、BDNFを活性化させ、神経細胞の成長、再生を促す。肉との組み合わせでセロトニンが大量に生成される。【卵+煮干しだし】卵黄に含まれるレシチンは、神経系のシグナル伝達に関与し、記憶、集中力、認知機能の向上を助ける。卵にはトリプトファンも豊富。煮干しでつくるだしにも記憶力、認知機能の向上のほか、“幸せホルモン”のセロトニンをつくるイノシン酸が豊富。煮干しには鉄分も含まれているので、身も食べたい。【玄米+油揚げ】玄米は腸内環境を整える食物繊維やビタミン、ミネラル類が豊富。大豆食品の油揚げには、やる気や幸福感を得られる神経伝達物質ドーパミンの生成に必要なチロシンが多く含まれる。玄米、油揚げともにカリウム、マグネシウムが豊富で自律神経の働きを正常に保つのに役立つ。玄米は消化吸収が遅いので日中に食べたい。【レモン+シナモン&ジンジャー】シナモンとジンジャーは“飲む漢方”とも言われているスパイス。共に体を温めて腎機能を助け、血流促進、新陳代謝、胃腸を整える作用もある。レモンはビタミンCの抗酸化作用、クエン酸の疲労回復効果がイライラや落ち込み予防に働く。組み合わせてとることで、消化吸収が促進され、腸を整えてくれる。【納豆+キムチ】キムチには副交感神経を優位にするGABAが豊富でリラックス効果、納豆は“幸せホルモン”のセロトニンをつくるトリプトファンを含む。共に植物性の発酵食品で、一緒にとることで腸内環境を整える働きが促進。脳の血流をアップするため、気分を整えるだけでなく、認知機能や記憶力アップの働きも優秀で、日々の食事にとり入れたい。【もち麦+梅干し】水溶性食物繊維は腸内環境を整えてくれるが、もち麦にはβグルカンという水溶性食物繊維が豊富で、玄米の4倍の量を含む。梅干しには肝臓の働きを改善させ、疲労回復効果が高いだけでなく、血流をよくする働きも。腸内環境を整えることで、気持ちが向上し、肝臓の働きを改善させることで、イライラを抑える。【キウイフルーツ+コップ1杯の水】キウイフルーツにはカリウムが豊富で、その量は果物の中でもトップクラス。そのほか、食物繊維、ビタミンC、葉酸も豊富。どれもストレス解消、メンタルを整えるのに必要な栄養素だが、睡眠と覚醒に関係するため、夕食後のデザートに食べたい。コップ1杯の水を一緒に飲むと、消化が促され、キウイに含まれる酵素の働きを促進する。うつ抜けごはんで、心も体も元気にしよう!
2021年11月15日《当時は父の個人事務所に所属していたのですが、父に“まだ若いから、お金は自分が管理する”と、お小遣い程度の給料しかいただいていなかったんです》11月12日配信の「週刊女性PRIME」のインタビューで、こう語っているのはいしだ壱成(46)。しかし、父・石田純一(67)からの“金銭搾取”とも言える過去の出来事に、波紋が広がっているのだ。「壱成さんは、幼い頃に両親が離婚。その後は母親に引き取られましたが、『週刊女性』のスクープによって、石田さんの息子であることが世に知れ渡ったのです。そのことを機に10代で芸能界入りし、中性的なルックスと繊細な演技で大ブレイク。『未成年』や『聖者の行進』(ともにTBS系)といった人気ドラマにも出演しました」(芸能関係者)しかし、人気絶頂の陰では精神的な悩みを抱えていたという壱成。「週刊女性PRIME」のインタビューでは《“いしだ壱成”がひとり歩きするようになったことで、神経が摩耗していきましたね》と語っており、’97年放送の『ひとつ屋根の下2』(フジテレビ系)に出演した頃にはうつ病を患っていたという。そんななか、冒頭のように石田との間で金銭問題を抱えていたというのだ。“お小遣い程度の給料”に疑問を抱いた壱成は、スタッフから「少なすぎる」と指摘されたという。そして、その原因を次のように告白している。《弁護士の方に頼んで適正価格を調べてもらったところ、億単位のギャラをもらっていないとおかしいと言われて。それで父を問い詰めたところ、“事業で失敗して、(壱成の)ギャラで補填させてもらった”と言われてしまって……》昨年10月、壱成は『バイキングMORE』(フジテレビ系)でもうつ病になった経験を語っていた。体調不良のため働くことができなくなり、一時は生活保護を受給していたとも明かしていた。「壱成さんはSNSによる誹謗中傷が原因で、一昨年にうつ病が再発してしまったのです。妻の支えもあって回復したものの、貯金は底をつき、新型コロナの影響で仕事も見つからなかったと話していました。そこで友人、知人の勧めで数カ月間、生活保護を受給することにしたそうです。父の石田さんに援助を頼まなかったことについては、『父が新型コロナに罹患したこともあって頼みづらかった』と語っていました」(テレビ局関係者)■コロナから回復後も懲りない飲み歩き昨年4月、新型コロナに感染し緊急入院した石田。だが県外移動自粛が呼びかけられていた緊急事態宣言下に沖縄へ行き、滞在したホテルも休館に追い込まれたことから強い批判を浴びた。それから約1カ月後に無事退院し、自宅で隔離生活を送っていた石田。本誌の電話取材に応じ、コロナ禍で仕事が激減してしまった窮状を次のように語っていた。「お先真っ暗ですね。入っていたイベントや講演会は、秋までの分が全て飛んでしまいました。今はまだ、将来のことは想像もできない状態です。また経営している沖縄のお店も、1日の売り上げがわずか1万円ほどになってしまいました。それでも光熱費や家賃、人件費などで毎月100万円以上はかかりますからね。かなり厳しい状況です」だが壱成が“援助を頼みづらかった”と言うほど苦しい状況に陥っても、石田がコロナ禍での外出を自粛することはなかった。石田の回復後、本誌は2度にわたって彼が“飲み歩き”する姿を目撃していた。昨年8月には記者の直撃に「出さないでもらえませんか。訴えますよ、本当に」と語気を強める一幕も。さらに東京に緊急事態宣言が出されていた今年7月下旬にも、夜遅くに会員制バーに出入りする姿が一部週刊誌に報じられていた。そんな状況下で飛び出した壱成の“告発”。ネット上では波紋が広がっている。《これはかわいそう。久しぶりに会えた父が自分の稼ぎを黙って使い込んでいたなんて、立ち直れない。自分を金を稼ぐ道具としか見てない、と思ってしまう》《これが事実だとしたら本当にひどい話……息子はうつ病が苦しんでるのに、今もお父さんは助けてくれないんだね》《細木数子さんがテレビに出てた頃、石田純一に「いっせいをしっかりと抱きしめてやりなさい!大きな愛で受け止めてあげなさい!」みたいなことを言って叱り飛ばしていたのを覚えて》
2021年11月15日「軽症、予備軍を合わせると、日本人の5人に1人が、大きないびきとともに、睡眠中に何度も呼吸が止まる、SASを発症しているといわれています。しかし治療を受けているのは40万人ほど。未治療の重症患者は300万人ほどいるとみられています」こう指摘するのは「RESM新横浜睡眠・呼吸メディカルケアクリニック」院長の白濱龍太郎さん。「SASは舌の根元や軟口蓋が喉の奥に落ち込んで、気道をふさいでしまうことで起こります」(白濱さん・以下同)呼吸ができない状態が続き体が低酸素状態になると脳が危険を察知して、眠りを浅くさせる。それによって、呼吸は再開するものの気道が狭くなっているため、空気が通るたびに、軟口蓋や舌の根元が震え、いびきが生じてしまう。SASの人が大いびきをかくのはこのためだ。「慢性的にいびきをかく人は要注意。SASの医学的な診断基準は睡眠時、1時間に5回以上、または一晩に30回以上無呼吸・低呼吸状態になることです」これまでいびきとは無縁だった人も、加齢によってSASになることがあるという。「女性は、更年期以降急激にリスクが高まります。プロゲステロンという、気道を広げる効果のある女性ホルモンの分泌が減少するためです」また、肥満の人は喉の周りに脂肪がつくことで気道が狭まり、SASを発症しやすいという。「しかし、やせているから安心というわけではありません。SAS患者の3割は、BMI値の正常な人。見た目はやせていても、喉の周りに脂肪がついているということもあります。そもそもアジア人は骨格的に顎や鼻が小さく、気道が狭いのが特徴。SASになりやすいのです」また、口呼吸の人は舌の根元が沈下しやすくなり、気道が狭まる傾向があるという。「花粉症や鼻炎を患い、口呼吸が習慣になっている人は、SASになるリスクが高いのです」■いびきによって認知症や脳卒中リスクが激増非常に身近な病いであるSAS。しかし、単なるいびきと片付けられない怖さがある。「SASになると、眠りが浅くなり、就寝中も脳を休めることができず、日中強い睡魔に襲われることがあります。車を運転している人は、要注意です。倦怠感に見舞われ、脳機能の低下から精神バランスを崩す人もいます。また睡眠不足によって、認知症の原因となるアミロイドβというタンパク質の排出が低下してしまうことも指摘されているのです」さらに、血中酸素飽和度が低下することで、血管が大きなダメージを受けるという。「血管の内側の壁が硬くなる動脈硬化を起こしやすくなります。熟睡できないために交感神経が優位に働き、過緊張状態が続くことで高血圧の要因にもなります」SASの患者は、通常の人より不整脈になるリスクが約4倍、脳卒中が倍、高血圧が倍、糖尿病が倍も上がるといわれている。「いびきだけでなく、死につながる病気を引き起こすSAS。甘く見てはいけません」次のセルフチェックを行い、当てはまるようならば、ぜひ医療機関を受診してほしい。■SASを防ぐなら眠るときは「横向き」でSASの検査は保険診療で受けることができる。「自宅で行う簡易検査は、5,000円以下で受けられます。専用のセンサーを医療機関から借りて、睡眠時の血中酸素飽和度などをモニタリングするものです。より精度が高いのは、病院に1泊する検査。いびきや脳波、心電図などを一晩にわたって計測し、無呼吸、低呼吸のときにどのような影響があるかまで調べます。費用としては2万〜3万円ほどです」治療法の選択肢は複数あるが、もっとも一般的なのは、鼻に装着して、空気を送り込むCPAPという医療機器を使う方法。「月のレンタル料は約4,500円。慣れるまで時間がかかる人もいますが、非常に効果的なので、頑張りましょう」下顎の位置を調整して、就寝中も気道を確保するマウスピースも有効。自分の顎の形に合ったものを、専門の病院で1万円前後で作製できる。さらに踏み込んだ治療法は、外科的な手術となる。「手軽さから選択する人も多い扁桃腺やのどちんこを切除するレーザー手術は、保険診療なら、2万円前後で施術可能です。しかし、一時的にいびきを抑えられても再発したり、そもそも症状が改善しない人もいます。また、神経を傷つけたり、声に影響が出る場合もあるので、実施には慎重になったほうがいいでしょう」軽症の場合は自宅でできる対処法で改善することも。次にまとめているので参考にしてほしい。■睡眠時無呼吸症候群を防ぐセルフケア(1)シムスの体位で眠る舌が落ち込むのを防ぎ、気道がふさがるのを予防してくれる横向き寝。睡眠時の無意識下 でも横向きの体勢をキープするためには、シムスの体位(体の左側を下にする。うつぶせにはならないように。上側の足の膝を曲げる。下側の足は安定感を持たせるため、まっすぐに)で眠るクセをつけるのがおすすめ。抱き枕やクッションを膝の下に置いたり、足の間にはさむとやりやすい。(2)あいうべ体操「あー」:口を大きく開く「いー」:口を大きく横に広げる「うー」:口を強く前に突き出す「ベー」:舌を突き出して下に伸ばす毎食後に10回、一日30回を目安に地道に続けると、口呼吸を鼻呼吸に改善する効果が。また、舌の筋力がついて舌の落ち込みを防ぐことができる。(3)お酒は控えるお酒には筋肉を緩める作用があり、気道が狭くなったり舌が落ち込む原因に。深酒や寝酒は控えよう。(4)鼻炎を治療する気道を狭くしやすい口呼吸。鼻に疾患があると、鼻呼吸がしづらくなり自然と口呼吸になってしまう。気になる鼻の症状がある場合は治療を受けて。(5)口閉じテープやマウスピースに頼る口の外側に縦に貼って強制的に口を閉じさせるテープや、実際にSASと診断された場合、保険診療で作れる舌の落ち込みを防ぐマウスピースに頼るのも手。「最も手軽なのは、横を向いて眠ること。上を向くと、どうしても舌が落ち込みやすくなります。抱き枕を利用して、下側の足をまっすぐに、上側の足を少し曲げて抱き枕に乗せると楽に眠れますよ」舌の筋肉を鍛える「あいうべ体操」でも、舌の落ち込みや口呼吸を防ぐことができる。「また、やはり肥満も無呼吸の大きな要因ですから、太っている方は無理のない範囲でダイエットをしていくことも必要です。体重を1割減らすと、無呼吸が改善するというエビデンスもあります」
2021年11月15日「睡眠時無呼吸症候群(以下SAS)は、恰幅のいい男性や、アルコールを飲む人がなるものだと思っていました。だから小柄でお酒を一滴も飲めない私が、6年前にテレビの健康番組の企画でSASと診断されたときは、すごく驚いたし、ショックでした」こう振り返るのはタレントの西村知美さん(50)。しかし、思い返せば、心当たりのある出来事があったという。「幼稚園のころ、母からいびきを指摘されたんです。かなりひどかったみたいで、病院でアデノイド(扁桃腺肥大)と診断されました。ある日、母に『楽しいところに連れて行ってあげる』と連れられて、気がついたら病院の手術台に。看護師さんに羽交い絞めにされ注射を打たれて、喉から出た血でバスタオルが真っ赤になっていたのがトラウマです」その後しばらく、いびきは落ち着いたという。しかし、芸能界デビューのために高校生で一人暮らしを始めていた西村さん。“わからなかった”というのが正確なところだったようで——。「20歳くらいのときに、家族で旅行に行ったら、朝、姉が笑っているんです。当時はハンディカムが流行り出した頃。姉は、私がいびきをかいている様子を録画していたんです。こればかりはさすがに表に出せません……」そのときは“たまたま疲れていたため”と、自分に言い聞かせた西村さん。その後もしばしばいびきを指摘されることはあったが、深刻には受け止めてこなかった。「結婚しても、主人は私より先に寝るし、高いびきの人。だから、私のいびきには全く気付かなかったんです。けれど娘が小学3年生くらいのとき『ママ、昨日、怖い夢を見たんだよ。学校にオオカミがあらわれて、ぐわーって怖い声をあげて……。目が覚めたら、ママのいびきだったの』って言われたんです……」それ以降、仕事で地方ロケに行き、相部屋となる際は、いびきを気にしてほぼ眠れなくなった。「友人たちと家族ぐるみで泊まりに出かけたときも、わが家だけ、別の部屋にしてもらっていました」その後も、別の部屋で寝るようになった娘から「昨日試験勉強をしていたら、隣の部屋のママのいびきが聞こえてきたよ」と言われることも。そんなこともあり、健康番組で思い切っていびきをカミングアウト。精密検査を受けた。「検査の結果、ふだんは10秒だって止められないのに、寝ているときは30秒も呼吸が止まり、血中酸素飽和度も85%まで下がっていることがわかりました。たしかに、たまに苦しくて起きてしまうことがあったんです」さらに別の番組では“かくれ脳梗塞”(軽度の脳梗塞)の診断も受けた西村さん。直接の因果関係は不明だが、SASでは脳卒中のリスクも高まるといわれている。「診断当初こそ、医師の指示で、鼻に空気を送り込んでくれるCPAPという装置を使っていたんですが、ドライヤーの冷風を送り続けられるようで違和感があり、2週間しか続きませんでした。ネットショッピングでマウスピースや、舌を吸い込んでのどの奥に落ち込まないようにして寝られる器具も買いました。けれど、どちらも朝起きたら外れてしまっています。鼻呼吸するために小顔マスクをしたまま寝たこともあるんです。レーザー治療は、ラジオの仕事もしているので、声に影響が出るのが心配で踏み出せませんでした……」そう思いながら、専門病院にもなかなか受診できないまま、治療を断念してしまったという西村さん。しかし、コロナ禍で考えを改めたという。「これまでは来月こそ受診しよう、コロナが収まったら受診しようと思ってついつい先送りになってしまっていました。でも、テレビでコロナにかかった人が、血中酸素飽和度が90%を下回ると救急車で運ばれるレベルだと知り怖くなって……。それに、10年、20年後に後悔したくないので、この取材をきっかけに、ちゃんと向き合おうと思っています」
2021年11月15日「炎上さすようにさすようにって、かわいそうな。こちらサイドから言うとね」こう話したのは、明石家さんま(66)。フリーアナウンサー・徳光和夫(80)の発言で“渦中の人”となったさんまは、11月13日放送の『ヤングタウン土曜日』(毎日放送ラジオ)で徳光を擁護した。さかのぼること10月30日、YouTubeにアップされた浅草キッド・水道橋博士(59)と徳光の対談動画で話題に上がったさんま。その際、徳光が“明石家さんまは年齢の衰えを知らない”ことを「まだ、AKBの1人や2人は妊娠させられますよ」と真面目な顔で表現したのだ。発言はもとより、AKB48グループの選抜総選挙で9回も司会も務めた徳光だけに、そのセクハラ発言は問題視されることに。しかし徳光の次男・正行(49)は『週刊女性PRIME』のインタビューで「たかがYouTubeでの発言じゃないですか」と父を擁護。するとネットでは《いつからYouTubeは何を言っても何をしても許されるようになったんですか?》などの声が上がり、火に油を注ぐ事態となった。そんななか、『ヤングタウン』のリスナーからのメッセージに答える形で徳光の発言に触れたさんま。そして、冒頭のように話した。続けてさんまは「昔は大丈夫やったんですよ。これぐらいのことを言っても。それが大炎上になるっていうことで」といい、テレビ業界が困っているなどと明かした。「徳光さんのやつも、テレビじゃないんやろ?YouTubeでこうなんやろ?もうちょっと、ほんとにかわいそう」といい、「『面白くなくなるぞ、お前ら』と言いたい」と語った。■「昔はOKだった」理論やめません?この日、番組のアシスタントを務めていたのは元モーニング娘。の飯窪春菜(27)。そしてゲストは、つばきファクトリーの山岸理子(22)だった。若い女性たちを前にして、「時代のせいで炎上した」と徳光を擁護したさんまだったがーー。ネットでは、厳しい声がこう上がっている。《昔も聞いてる方は嫌だったよ 言ってもOKな時代だったのではなく、不快を言えなかった時代です》《指摘する手段が乏しかっただけだろ。面白くなくなるっていうけど、面白さのために他人を利用することは許されないって話だよ》《昔はOKだったからといって、当時も傷ついていた人はいただろうし、誰かを傷つけて笑いを取るとか小馬鹿にして物を言うというのは、やはり正しいことではないよ》《もういい加減「昔はOKだった」理論やめません?あと、「笑いのためなら何してもOK」理論もやめてほしい》《昔は大丈夫だったや面白くなくなるぞというのは男性側の意見である》14日に放送された『ワイドナショー』(フジテレビ系)で武田鉄矢(72)も徳光の発言に対して「こんなことは言いますね、年取ると」といい、「70を超えますと性から遠くなりますから、自分が。ですから、性をちょっと茶化して発言したくなるんですよ」と擁護していた。「時代のせい、年のせい」と、徳光を庇うさんまと武田。しかし、彼らはAKB48に所属する女性たちの気持ちを想像しないのだろうか?
2021年11月15日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にウキウキしながら見たバラエティ番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう--。「とにかく音楽に明け暮れた短大時代、お昼休みによく仲間と学食で集まって見ていたのが『笑っていいとも!』(’82~’14年・フジテレビ系)。“明日のゲストは誰なんだろう?”と、わいわい予想するのが日課になっていました」富士山の麓である静岡県御殿場市に生まれ育った歌手の永井真理子さん(54)は、幼いころからテレビっ子だった。4歳上の兄とはチャンネル争いもしていたが『8時だョ!全員集合』(’69~’85年・TBS系)と歌番組だけは、きょうだい仲よく見ていたという。「全員集合の公開生放送を地元の中学でやったことがあって、体育館の床にシートを敷いて家族で見たんです。私はカトちゃんの『ちょっとだけよ』が大好きで(笑)。会場を盛り上げるため、拍手や笑い声などをあげるようにスタッフが合図するという“テレビの裏側”を垣間見られたことも、貴重な体験でした。そのとき会場で母にねだって買ってもらった志村けんさんの『東村山音頭』(’76年)が、私が初めて手にしたレコードなんです」『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)、『ザ・トップテン』(’81~’86年・日本テレビ系)、『夜のヒットスタジオ』(’68~’90年・フジテレビ系)も欠かさなかった。「『ナショナル・スナッピー』という、カラフルなテープレコーダーで録音していました。雑音も入っていたけど、そこにもときめきを感じて、何度も聴いていました」小学校時代は、兄の弾くアコースティックギターに合わせて歌うのが、遊びの一つだったという。「幼いころに習っていたピアノは基礎でつまずいてしまっていたので、私は独学のピアノで歌い、兄がギターを弾いて、セッションしていました。ビートルズの曲は英語がわからなくて、耳で聞いたままの発音で歌っていたんです」中学生になると、兄の留守を見計らい、こっそり部屋に忍び込んで、ギターの練習をするように。「たまたま兄が帰ってきてしまって、とっさに近くにあった本を手にしたんですが、将棋の本をさかさまに持っていて(笑)。兄に『何をやっているんだ!』って怒られました」■全寮制高校での生活は「ザ・体育会系」そんなこともあり、自分のギターが欲しかった永井さん。父親と、岐阜県にある全寮制の高校に合格することができたら、買ってもらえるという約束を交わした。「合格して約束どおり、買ってもらえましたが……。お習字の先生をしていた達筆な父に、新品のギターケースに大きく縦書きで『永井真理子』と名前を書かれて、すごく恥ずかしかったのを覚えています」憧れ続けたギターを入手したが、寮生活は厳しく、音を出すことを禁止された。「まったく練習できませんでした。同室には先輩もいるため、下級生は先輩の背中を流したり、靴磨きをしたり、完全な体育会系。つらくて逃げ出す生徒もいましたが、だいたいは敷地内の森で発見されるんです。文通相手の男の子から送られてくるカセットテープで、ナイアガラ・トライアングルの曲を静かに聴くのが、私の唯一の癒しでした」『笑っていいとも!』の存在を知ったのは、そんな高校時代だった。「『どうやら、お昼に面白い番組があるらしい』と噂で聞いていたんだけど、寮では見られないから、夏休みやお正月に帰省したときの楽しみになっていました」高校を卒業した直後、永井さんの父親は他界。親戚からは「お母さんが経営している美容院を継ぐべきだ」と言われた。しかし母親は「東京に行って、自分の好きなことを見つけてきなさい」と送り出し、短大に通わせてくれた。「高校時代からずっと抑圧されていた“音楽をやりたい”という思いがはじけて、入学してすぐ、100人以上も所属する他大の軽音サークルに入ることに。新歓コンパの席で『どんな楽器ができるの?』っていう話題になったのですが、ギターは持っていたものの、当時はまったく弾けなかったので、とっさに『歌ならできます』と答えたんです。そうしたら先輩が『じゃあ、コーラスで入ってみる?』と誘ってくれて。いざバンドで歌ってみると、高揚するし、モヤモヤしたものが全部吐き出されるんですね。もう歌うことしか見えなくなりました」■自分見失ったデビュー当初「自由な時間がなかった」そのまま音楽に命をかけるつもりでいた永井さん。だが、まもなくメンバーの先輩たちは、こぞって就職活動を始めた。「歌う場を探していた私に、先輩が紹介してくれたのが、後に楽曲提供してくれることになる、前田克樹さんでした」同じ熱量で音楽に向き合える前田さんとともに、デモテープをレコード会社に持ち込んだという。「もちろん、すぐにデビューできるなんて思っていませんでしたが、最初に持ち込んだレコード会社の担当者が『このあと、お茶でもしませんか。あなたの声には魅力がある。目の中には炎が見える』と興味を持ってくれたんです」母親の希望もあり、在学中は学業を優先。短大を卒業した翌年(’87年)の夏に、デビューを果たした。「レコード会社からは『いきなりシングルのヒットで売れると、次が苦しくなるから』と、アルバムで聴かせられる歌手に育てられ、曲も短大卒業までの間に書きためて、デビュー。夢の扉がバンバン開いた時代でした」着実に歩みを進め、アニメ『YAWARA!』(’89~’92年・日本テレビ系)の主題歌として起用された『ミラクル・ガール』(’89年)、『ZUTTO』(’90年)と、ヒット曲を連発。「この2曲で、私のことを知ってくれた人も多いと思います。急激に忙しくなり、毎日のように撮影や取材が入って、“いったい自分はどこにいるんだろう”とわからなくなりました。忙しいこと自体には耐えられるのですが、友達と会ったり映画を見たりする自由な時間がないのが苦しくて、『これでは自分が成長できない。少し休みたい』と訴えたのですが『そんなの走りながら悩みなさい』と言われてしまい……」そんな状況下、幼いころから見ていた『夜のヒットスタジオ』へ出演したこと、そして大好きな『笑っていいとも!』の「テレホンショッキング」に呼ばれたことは、大きな喜びとなった。「同じ事務所のドリカムさんから声をかけていただきました。たしかツアー中で、移動の新幹線の電話に連絡をいただいたので、周囲がすごくうるさくて、ろくに話もできなかったのですが、『いいとも!』だけは、しっかりと言えました」忙しさのあまり、折れそうになっていた心を支えたのは、デビュー前から大好きだったテレビ番組への出演だった。
2021年11月15日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にウキウキしながら見たバラエティ番組の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょう--。「’80年代は『楽しくなければテレビじゃない』のキャッチフレーズを掲げたフジテレビが、もっとも勢いを増した時代。その隆盛を象徴する番組の一つが『笑っていいとも!』(’82~’14年・フジテレビ系)です。とくに“月9ドラマ”が人気となった’87年以降は、お昼から“8チャンネル”をつけっぱなしにしていた家庭も多かったでしょう」そう話すのは世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。漫才ブームのけん引役だったB&Bやツービート、紳助・竜介などが出演した『笑ってる場合ですよ!』(’80~’82年・フジテレビ系)の後継番組として『笑っていいとも!』はスタートした。「通常、お昼の情報番組といえば、明るくさわやかな人が起用されるものですが、当時のタモリさんのイメージは“23時以降の深夜番組”だったので、驚きでした」人気コーナーは、ゲストの著名人が、翌日のゲストに直接電話をかけ、出演依頼をする「テレフォンショッキング」。「“友達の輪”という言葉も大流行しました。次に誰が登場するのか、仲のいい芸能人は誰なのか、映画の宣伝のために共演者を呼ぶんじゃないか……など、あれこれ予想するのも楽しかったです」かけるときに相手の電話番号を口走ってしまうという、生放送ならではのハプニングもあった。「今なら、電話番号がネットで拡散してしまう事態になってしまっていたでしょう。電話がつながらなかったり、出演当日、渋滞で遅刻してしまうゲストもいて、そうした“放送事故”も見どころの一つになっていました」番組から生まれたアイドルグループ「いいとも青年隊」も人気を博し、駅や電車の車内に張られたポスターが盗まれる事件も多発。「父がフジテレビの局員だったため、よく友人から“番組を観覧したい”“なんとかポスターを手に入れて”とお願いされました」観客を入れて生放送をしていた「スタジオアルタ」は、新宿の新しいランドマークともなった。「新宿駅ではなく、わざわざ道を一本挟んだアルタ前で待ち合わせしたものです。夜7時くらいになると、人であふれかえりました」番組の後半の曜日ごとのコーナーは、当時人気絶頂のお笑い芸人やアイドル、タレントらが担当。「’14年3月のグランドフィナーレで、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンなどが“夢の共演”をしたのも、タモリさんの人柄、そして番組自体が皆さんから愛されたからでしょう」
2021年11月15日その霊能力のために、楽屋では霊視を求める先輩芸人たちが行列をつくることもあるという、吉本興業所属の“霊がよく見える”芸人・シークエンスはやとも。『ポップな心霊論』は、そんな彼が人生で見てきた霊たちや霊現象などを紹介していくコラム連載!【「今の人生が3回目」と語るタケダさんの不思議な話】父の通っている病院で出会ったタケダさんという男性が、不思議な話をしてくれました。実は、タケダさんはこれまで人生を2回やり直していて、今が3回目だというんです。最初の人生のときは児童養護施設で育ち、唯一優しくしてくれたおばあちゃんの先生が亡くなった瞬間に、自分の記憶も途絶えているんだとか。2回目の人生も児童養護施設で育ちましたが、小学生のときにお母さんが迎えにきてくれて、会った瞬間大好きになったそう。その後、大人になったタケダさんは結婚もして子どもも生まれたのですが、年をとった母親の顔に見覚えがあったといいます。それもそのはず、1回目の人生で優しくしてくれたおばあちゃん先生にそっくりだったんです。そんな2回目の人生も、母親が亡くなった瞬間で、記憶が途絶えているんだとか。そして、今の3回目の人生では、幸せな家庭に生まれて、一目ぼれした高校の同級生と結婚したそうです。ただ、奥さんの写真を見せてもらうと、40代のはずなのに80歳くらいのおばあちゃんに見えるんですよ。しかも「3回目でやっと一緒になれた」が口癖だとか。ロマンチックなようで、なんだかゾッとする不思議な話です。【PROFILE】シークエンスはやとも1991年生まれ。吉本興業所属。『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)などで見せた芸能人の霊視も話題に。自身のYouTubeチャンネルでも心霊話を配信中。昨年8月には本連載をまとめた初の著書『ヤバい生き霊』(光文社)が発売された。
2021年11月14日《代々木公演までには必ず復活します!!》11月12日、インスタグラムでこう綴ったのは浜崎あゆみ(43)。体調不良で緊急搬送されアナフィラキシーショックとの診断を受けたと7日に発表されてから、わずか5日で“復活宣言”をしたのだ。メッセージとともに浜崎は、6日に愛知県で開催されたコンサート動画も投稿。そこには車椅子に座りながらも、懸命にパフォーマンスを披露する浜崎の姿があった。「浜崎さんは緊急搬送される数日前に、右足首の骨折も報告しています。それでも“コンサートを中止にはしたくない”との思いから、車椅子や杖を用いた演出に変更したのです。しかし、緊急搬送されたのは本公演の終演後。一時は意識不明の状態にまで陥ったとも明かされ、ファンや関係者の間では心配の声が相次いでいました」(音楽関係者)公式サイトは12日付で、浜崎の今後の活動について次のように報告している。《診断をもとに、緊急時の対応やこの病気との付き合い方についてしっかりとした知識を身につけると共に、医師の指導を仰ぎながら、活動を再開して参ります。また、右足首の骨折に関しましては、本人の早期回復を目指したいという強い希望もあり、近日中に手術を受ける事に致しました》その一方で、《12月30日、31日に予定しております国立代々木競技場第一体育館での公演は、予定通り開催致します》と記されており、緊急搬送のため急遽中止となった7日の愛知県でのコンサートも振替公演を調整中だというのだ。■ステージを続ける“切実な理由”浜崎といえば昨年10月に第2子の妊娠を発表し、今年5月に無事出産したことを報告していた。だが、まとまった産休に入ることはなく、ファンクラブ会員向けのイベントを開くなど精力的に活動を続けてきたのだ。そのような背景もある一方で、早期回復のためには足首の手術も受けるという浜崎に心配の声が広がっている。《今年で人生終わる訳ではないので、無理せず完治を優先して欲しいと願っています》《頑張る事と無理をする事は違うと思うので、お子さんもいる事ですし、しっかり静養して万全の健康状態になられてから頑張る方が、周りもファンも安心すると思います…》《いい機会だと思うから、もうちょっと休んだ方がいいと思うけどなぁ…。無理してやってほしいって誰も思わないだろうし、きちんと静養して治ってから、元気な姿を見せてくれた方が、ファンの人たちも嬉しいんじゃないかな?》もはや満身創痍とも言える浜崎だが、それでもステージに立ち続けなければならない“切実な理由”があるという。「昨年は新型コロナによる影響を受け、多くのアーティストが活動停止を余儀なくされました。浜崎さんもツアーが1会場を除き、すべて中止となりました。有観客での公演ができるようになるまで先行きが見通せず、大変悔しい思いをしたといいます。また浜崎さんは、ステージを一緒に作り上げる何十人もの専属スタッフやダンサーを抱えています。ライブを開催しない限り彼らに報酬を支払うことはできませんから、再び中止にしてしまうことで彼らの生計にも影響を及ぼしてしまうでしょう。もちろんファンの期待に応えたいという気持ちもあると思いますが、チームリーダーとしての重責を担っているからこそ走り続けようとしているのではないでしょうか」(前出・音楽関係者)浜崎を応援するファンたちはただただ、見守るしかできないのだろうかーー。
2021年11月14日11月12日、秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんが14日午前に夫婦揃ってニューヨークへ出発すると報じられた。ついに日本を離れる日が目前に迫るなか、新たな展開が。小室さんが同日夜に母・佳代さんの元婚約者・A氏と面会し、金銭トラブルの解決に双方が合意したというのだ。報道によれば、面会が行われた場所は小室さんの代理人・上芝直史弁護士が所属する事務所。2人が会うのは、’17年12月に一部週刊誌で金銭トラブルが報じられてから初めてのこと。互いの代理人が同席の上、午後19時45分ごろから約1時間半にわたって滞在したという。「もともとA氏は佳代さんとの面会を望んでいましたが、佳代さんが体調不良ということで、小室さんが母に代わって対応することになりました。出国直前で面会が実現しましたが、これまで日程が決まっても小室さん側から前日に中止の連絡が入るなどスムーズにいかなかったようです」(皇室ジャーナリスト)紆余曲折を経て、ようやく終結を迎えた金銭トラブル。しかしA氏が面会終了後、「FRIDAY」に寄せた手記に波紋が広がっているのだ。同誌のデジタル版によれば、A氏は小室さんから告げられた言葉を次のように記している。《圭君は最初に「学生のとき、Aさんに色々なことをしてもらったことは感謝しています」と言いました。しかし、「母と一方的に婚約破棄をしたこと、そして様々なことを週刊誌に暴露したことは大変悲しいです」とも言いました》A氏は佳代さんと婚約破棄した理由を《度重なるおカネの無心に耐えられなくなったことが原因》だとし、さらに《その借金をなかったことにされていることに納得ができなかったので、メディアの方々に自分の周りで起きた事実を語ったのです》と記している。「小室さんは今年4月に、計28ページ、約4万字にも及ぶ金銭トラブルの説明文書を公表しました。小室さんは文書の中でA氏の『返してもらうつもりはなかった』という言葉を根拠に、金銭的援助は“借金”ではないと主張。その証拠として、録音データが存在することを明かしていました。小室さんの文書について西村泰彦宮内庁長官は『非常に丁寧に説明されている』と評価しましたが、“保身に走っている”といった批判も相次ぎました」(前出・皇室ジャーナリスト)■「謝罪の言葉のようなものはありませんでした」対面して直ぐに「暴露したことは悲しい」と訴えた小室さんだが、その後もA氏を“追い詰める”発言が続いたというのだ。小室さんは《Aさんがやっていることは、紳士だったAさんとは乖離していませんか。せめて一本、直接連絡をしてほしかった》と言い、何度も「悲しい」という言葉をA氏に投げかけたという。そのことからA氏は、小室さんに対して謝罪したことを次のように綴っている。《私は「それは申し訳なかった」と頭を下げました。圭君のことは一時は自分の子ども同然に思っていましたから、その彼から「悲しい」と言われれば、私も申し訳ない気持ちになります》一方で、《交渉を通じて向こうから謝罪の言葉のようなものはありませんでした》とも記されており、小室さんが頭を下げることはなかったようだ。感謝の気持ちを伝えることよりも、「悲しい」と自分の気持ちを主張した小室さん。そのことによって心理的に追い詰められたというA氏の告白に、ネット上では小室さんの誠意を問う声が上がっている。《お世話になった人なのになんの誠意もない態度と言葉》《いや、失礼すぎでしょ?感謝してる相手によく言えますね…「紳士だったAさんと乖離してませんか?」って…ありえない》《この対応が事実だとするならば、相当情のない人なんですね…。私情が入ってるかもしれないから何とも言えませんが》《交渉の場で恨みつらみを口にするなんて、非常識この上ない。感謝とお詫びに徹するのが誠意というものです》A氏によると、《交渉の最中、ずっと彼は悲しそうな、うらめしそうな表情をしていた》という小室さん。“しこり”が残ってしまった結末を、どう受け止めているのだろうかーー。
2021年11月14日