2歳10カ月でイヤイヤ期真っ只中の娘。口も達者になり、一丁前に文句も言うようになりました。自立心の芽生えを微笑ましく思う反面、レベルアップした娘のイヤイヤを私は受け流すことが難しくなってきたのです。娘の反抗的な言動に、私は終始イライラ、ときには声を荒らげることもあります。そんなある日、娘に言われたひと言に、ハッとさせられた私の体験談です。イヤイヤ期が第二段階に突入1歳ごろは「イヤ」と言うだけで「イヤの原因」を親が汲み取る難しさこそありましたが、気分を切り替えてあげるとケロッと忘れることも多かった娘。比較的扱いやすかったので、「イヤイヤ期って案外楽勝かも」なんて考えていました。 ところが3歳に近づくにつれ、娘が口達者になり「イヤの原因」を主張すると同時に、文句も一丁前になってきて、私は冷静に対応することが難しくなってきました。 ひたすら文句を言う娘に腹が立ち… 娘は食事に対して興味が薄いタイプで、私は毎日3食の食事タイムが憂うつでした。ある日、昼食を食べていたときのこと、娘が「うどんが食べたい」と言うので希望通りうどんを作りました。ところが、出来上がったうどんをひと口も食べないのです。 「イヤ」「食べない」「うどんきらい」と次から次へと出でくる文句。私はだんだん腹が立ち、「もう食べなくていい!」と片付けると、娘は「食べたかった!」と大号泣。最終的に、うどんを3本ほどすすって昼食はおしまいになりました。 切り替えできないのは親のほう?すっかり伸びきってしまったうどんを片付け終わっても、私のイライラは収まりません。一方、娘はすっかり気持ちを切り替えて、おままごとでご機嫌に遊んでいて、何やら独創的なごはんを作っては、せっせと私に「どうぞ」と運んできます。 そんな娘を内心「かわいいな」と思いながらも素直になれず、ぶっきらぼうな顔で対応していると、次第に娘の口がへの字に曲がり「お母さん、ニコニコってしてぇ~」と泣き出してしまいました。 泣くほど私の顔色を見ていたと思うと…いつもと違うシクシク泣く姿を見て、娘なりに私をなだめようとしていたのだと気付きました。終わったことにいつまでもイライラして、怒りオーラを出していた自分が情けなくなります。 娘と1日中べったり過ごせるのも今だけ! どうせなら楽しもう!と、そこでやっと気持ちを切り替えることができました。娘に「怒ってばかりでごめんね」と謝ると、涙をポロポロこぼしながら抱きついてきてくれ、私は胸が痛くなりました。 正直、今でもイライラする日は多々あります。ですが、大人がいつまでも気持ちを引きずらないよう気を付けるようになりました。この日の出来事は、娘と一緒にいられる時間を有意義に過ごすため、自分を見つめ直す良いきっかけになりました。幼い娘の記憶に残る母の印象が、しかめ面ではなく、笑顔の母であるよう心がけて行きたいです。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:三倉 さり2歳女児の母。出産前は、一般企業の事務員として働いていた。自由人な夫を持ち、平日も休日もほぼワンオペ育児で日々奮闘中。現在は自身の経験をもとに子育ての体験談などを中心に執筆している。
2023年01月30日現在3歳になる娘は、生後3カ月のころから保育園に通っています。当時夫が失業しており、私は産後2カ月で仕事復帰しました。認可保育園は空きがなく、藁にもすがる思いで入れた認可外保育園。娘は当時最年少だったこともあり、先生はもちろん、上の年齢の子どもたちも娘をとてもかわいがってくれました。しかし、保育料が高いため、保活を継続していたわが家。娘が2歳のときに、無事、認可保育園へ転園することができました。しかし、私は転園を後悔することに……。生後3カ月から通った保育園を2歳で転園通っていた園はとても良い保育園でしたが、認可外ということもあり保育料が高く、経済的に余裕のないわが家は認可外に通わせながらも認可保育園への保活を継続。娘が2歳になったタイミングで、なんと地域で一番人気の認可保育園への入園が決まりました。 通い慣れた環境から引き離してしまうことに不安はありましたが、娘も「新しい保育園行く!」と楽しみな様子。さらに娘はあまり人見知りしない性格で、初めて会う人に対しても自ら積極的に接することができたため、きっと新しい環境でも大丈夫だろうと、このときは考えていました。 娘の様子に転園を後悔転園して1週間ほどたったころ、「保育園に行きたくない。前の保育園がいい」と娘が言うようになりました。前の保育園ではとても活発で自由奔放に過ごしていた娘でしたが、新しい園では、常に緊張しながら過ごしているとのこと。すっかりおとなしくなってしまった様子です。 もともと保育園が大好きだった娘の変化に私は、「転園は娘にとってマイナスだったのではないか……。金銭的に無理をしてでも今までの園に通わせてあげればよかった」と激しく後悔するようになりました。 時間と共に環境に適応していく娘にひと安心そんな思いを抱えながら過ごしていましたが、半年ほどすると環境に慣れてきたようで、徐々に「今日は○○ちゃんと遊んだ」、「○○が楽しかった」など、楽しい報告が聞けるようになりました。 転園当初は先生の間でも「おとなしい子」として扱われていた娘ですが、今ではクラスで一番のおしゃべりになっているそう。再び以前のように楽しそうに保育園に通う娘の姿を見ることができて、心の底から安心することができました。子どもには順応力があるのだなと驚かされました。これからも娘の力を信じて見守っていきたいと思います。 不安と後悔でいっぱいの転園でしたが、時間の経過と共に子ども自らの力で適応していってくれました。今ではすっかり転園先の保育園になじみ、毎日いろいろなことを学んできています。この先もきっと、環境が変わるたびに親は心配で心がいっぱいになるのだろうなと思いますが、子どもの適応能力を信じて乗り越えていこうと思います。 著者:南星 花3歳と1歳の姉妹と、発達障害の夫、13歳の猫と暮らす。妊娠中に夫の失業、切迫早産、胎児発育不全など、さまざまなトラブルを体験。IT業界で働くワーキングマザー。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年01月26日私は4歳と2歳の男の子を育てています。生まれてからずっとパパが大好きで、パパにくっついてばかりいた長男が、3歳4カ月を過ぎたあたりから急にパパのことを拒否するようになりました。そして、何をするのにも「ママ! ママ! 」と私しか受けつけません。反抗期だからと思ってはいるものの、そんな長男の変化にパパはショックと苛立ちで怒り、私は長男とパパの対応に追われる日々。しかし、あるとき、私たち夫婦は長男の変化の理由に気がつきました……。反抗期の長男幼稚園に通うようになった長男は、ここ最近、特に親によく反抗するようになりました。反抗期と並行して、あんなに大好きでくっついてばかりいたパパを拒否するようになったのです。 パパが長男を抱っこしようとすると「やめて! 」と言い、パパが長男に注意すると「ママ! ママ! 」とパパの言うことを聞こうとしません。そして、長男はパパを拒否したあと、パパの表情や様子をジッと観察しているのです。 ショックで怒る夫今までとはまったく違う長男の反応に、長男のことが大好きな夫はショックで仕方がありません。私は夫に「時期が過ぎたらまた長男はあなたに寄ってくるから」と伝えていますが、夫は理解はしているものの寂しい気持ちが強くて受け入れられない様子。 そして、夫の言うことを聞かず「やめて、ママがいい」と言う長男に力ずくで叱ってしまう日々が増えていったのです。長男はさらにパパに対する拒否が強くなっていきました。 夫婦で気づいたことある日、私は夫に「長男はあなたを拒否したあと、あなたの反応を確認しているよ。甘えたいのかも。長男と一緒に遊んでみて」と伝えました。すると、夫は帰宅後、長男と一緒に積み木で遊び始めました。 長男はとてもうれしそうで、夫に「抱っこして」と両手を挙げて全身で夫に甘えています。私たち夫婦は「長男はパパと過ごす時間が少なくて、パパに甘えたいがためにパパを拒否して気を引いてたのかもしれない」と気づいたのでした。 パパを拒否してママばかり求める長男に夫は困惑して怒り、私は夫と長男の対応に追われて毎日のように疲労困憊でした。しかし、夫婦で長男が求めることに気づけたおかげで、今では長男の心の成長や変化にじょうずに対応できるようになりました。子どもの変化についていくことは簡単ではないですが、楽しみながら私たち夫婦も成長していけたらうれしいです。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:岩見 エリ2人の男児の母。看護師歴12年、フランスで出産し子育て中。
2023年01月18日私には8歳と4歳の娘がいます。さまざまな習い事をしていますが、今までに「もうやめたい」と言い、やめさせたことも続けさせたこともあります。「もうやめたい」と言われると、どうすべきなのかどうかをすごく悩みます。娘たちが習い事をやめたいと言った理由やそのときに私がとった対応は……。 長女が「スイミングをやめたい!!」長女はスイミングを年長のときに始め、小2のときにやめました。始めた理由は、私が娘にはクロール25メートルぐらい泳げるようになってほしいと思っていたから。最初は友だちと楽しそうに通っていましたが、友だちとクラスが離れてしまったら行きたがらないように。長女は前の晩から「明日行きたくない」と言い、当日も「行かない」と言うのをなんとかなだめて連れて行っていました。 あまりの嫌がり方にやめさせてあげようと決めました。しかし、すぐにやめさせると嫌なことがあったら逃げてもよいと思うようになるかなと思い「15メートル泳げるようになったらやめよう」と親子で目標を変更しました。そして、その目標を達成し、スイミングはやめることになりました。 長女が「チアリーディングをやめたい!」長女は幼稚園年中のときから5年間、チアリーディングを続けています。バランス感覚がある長女に向いていたようで、側転などがクラスで1番じょうずにできます。長女も楽しく通っていて、家でも側転をしたり音楽を流してチアダンスを練習したりしていました。しかしこの夏、スイミングと同様に一緒に始めた友だちがやめることに。 すると長女は自分もやめると言い始めました。このとき、私はやめることに反対しました。チアリーディング自体は好きなようですし、クラス内には他にも友だちがいるのでやめるのはもったいないと思ったのです。長女にそのことを伝えると少しごねましたが、続けることに。今は楽しそうに通っているので、続けさせてよかったと思っています。 次女も「チアリーディングをやめたい!」長女がチアリーディングをしていたので、次女も年少のときにその流れで始めました。でも習い始めて1年経ったころ、バレエの舞台を見に行ったことをきっかけに「チアリーディングよりもバレエをやりたい」と。最初は「チアリーディングも踊りだし、かわいいし、チアリーディングでいいじゃん」と答えていました。 しかし次女はずっとバレエを習いたいと言い続けました。長女がやめたいと言ったときと違い、同じ踊りで他にやりたいことをみつけたのならとチアリーディングはやめさせることに。次女自身が興味を持てることをするのが1番だと思ったのです。 子どもに何を習わせるかも迷いますが、いつまで習わせるかということも判断が難しいと感じました。子どもに習い事をやめたいと言われてすぐは「なんで? 今まで習ってきたのにやめるのはもったいない」と思ってしまいました。しかし、子どもの話を聞くことで、子どもには子どもの思いがあるのだと気づきました。今は、習い事をやめたいと言ったときは理由をよく聞き、理由にあった対応を親子で考えると良いのかなと思っています。 著者:小川恵子8歳と5歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2023年01月16日私には4人の子どもがおり、子どもの成長は個人差があるということは重々承知しています。それでも4人目の息子はとにかくゆっくり! 中でも歯の成長についてはびっくりすることの連続でした。歯が生えてこないと心配になったこともありますが、周りに比べてずいぶんゆっくりと生えてきた歯についての話を紹介します。初めて生えた歯は0カ月?子どもの成長には個人差があるということを、これまで4人の育児でたくさん経験してきたのですが、第4子はとにかく上の3人と違うことがいっぱい! 出産し入院中に息子の歯茎に白い点をみつけ、何だろうと思っていたら歯のかけらがあると言われたのです。 退院診察では「じきに歯茎に吸収されてなくなります」と言われ、そのとおりいつの間にか消えていたという不思議なことがありました。その後、なんとなく歯が生えるのが早そうだなと思っていたのに、なんと1歳まで1本も生えなかったのです。 1歳半健診で「生えてこない」と言われる1歳過ぎて上の歯が2本、その後下の歯が2本、次にまた上の歯が2本生えて上の歯は4本に。その後上下の奥歯が次々と生えてきたのに、下の2本は生えず前歯が生えそろいませんでした。 食べられなくはないけれどちょっと不便なこともある歯並びだったので、1歳半健診で歯医者さんに相談すると、「歯茎が膨らんでないし、これは生えてこないね」と言われました。正直ちょっとショックでしたが、生えないんだからしょうがない、今ある歯を大事にしよう!と受け入れることにしたのです。 2歳目前に生えてきた!ところが2歳を目前にしたある日、子どもの歯茎を見るとなんだか膨らんでいるような気がしました。腫れているわけではないし、日に日に膨らんでいくのです。1週間ほどして白い歯が1本見えたときには思わず「え! 生えてこないんじゃなかったの!?」と言ってしまいました。 夫や上の子たち、お互いの両親たちにも知らせるとみんなびっくり! そのうち歯が伸びてきて食べ物も食べやすくなりました。 0歳児でも上下4本ずつ生えている子は見かけるので、それと比べてしまうと1年も遅く生えてきた小さな歯。成長には個人差があるんだなと改めて感じた出来事でした。もう1本は生えていないのですが、もしかしたら生えてくるかもしれないし、生えてこないかもしれません。この子の成長を見守りつつ、楽しんで育児していきたいなと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:小林まり元小学校教員で3男1女の母。第4子を出産後に一念発起して食育アドバイザーや保育士の資格を取り、現在は療育の現場で奮闘中。自身の体験を元に執筆している。
2023年01月15日私は、現在14歳の娘が4歳になるころ現在の夫と出会いました。夫は周りからは「〇〇くん」と呼ばれています。出会いからお付き合いを始めるまでは、娘と複数の友人を交えて食事をしたり遊びに出かけていたので、当然、娘が夫を呼ぶのも「〇〇くん」。お付き合いをはじめても2年以上そう呼んでいた娘は、いよいよ結婚となったとき、すでに「パパ」とは呼べなくなってしまいました。夫の呼び名私は、結婚をするとき娘に「(夫のことを)今まで通り〇〇くんでも、パパでも、どちらで呼んでもいいよ。好きなほうで呼んでね」と伝えました。すると娘は「ほんとはパパって呼びたいけど、すごく恥ずかしいから、しばらくは 〇〇くんって呼びたいな」と照れくさそうに答えてくれました。 元々私も夫も、「ママ」「パパ」と呼んでほしい望みや、呼び名などにこだわりがありません。私たちは、娘が呼びたいように呼んでくれたらそれが1番良いと思っていました。 顔を赤くしながら……結婚して2年ほど経ったころ、そういえば娘は、相変わらず夫を「〇〇 くん」と呼んでいるな、と気づきました。娘に「そういえば、最初パパって呼びたい気持ちがあるって言ってたけど、今はどう思ってるの? 」と聞いてみました。 すると娘は、顔を赤くしながら「今もパパって呼びたい気持ちがあるけれど、今まで呼んだことがないから、本当に恥ずかしいの〜! 」と笑顔で伝えてきたのです。その言葉を聞いて、私は妙に納得してしまったのです。なぜなら……。 現在の娘は私は、娘が物心つく前に離婚をしていたので、娘は生まれてから1度も「パパ」と呼んだことがないのです。人一倍、照れ屋で恥ずかしがり屋の娘は、初めて口にする「パパ」という言葉を、いざ夫を目の前にすると照れくさくなり言えなくなってしまうそうです。 そのため、実は学校で友だちと「パパ」と呼ぶ練習をしているんだ、と照れながらこっそり教えてくれました。その話を私もこっそり夫に話すと、夫も照れくさそうに、笑顔で頷いていました。 今もまだ、娘は「パパ」と呼んでいません。これからも呼ばないかもしれません。それでも娘と夫はすごく仲が良く、娘の1番の理解者は夫です。周りから「パパって呼ばせないの?」なんて言われたりすることもありますが、家族の呼び名なんて、お互い思いやる気持ちがあれば関係ないなと、私は今の生活で学ぶことができました。 著者:原田みづき2010年生まれの女の子、2018年生まれの男の子のワーママ。子育て、ファッションが主な関心ごと。
2023年01月14日わが家には3歳の娘がいます。2歳のころ、義実家へ行くと、娘は夫にべったりくっついていました。その様子を見た義父が、「○○ちゃん(娘)はパパが大好きだね~」と言いました。その言葉を聞いて私はなんだかとても悲しくなってしまったのです。なぜなら……。夫の育児は……私の夫は仕事が忙しく、平日に帰宅するのは娘が寝たあと。そのため、平日の家事と育児はすべて私がしています。夫は娘とは週末しか会えないのでとてもかわいがっています。夫は娘がかわいいからと厳しいことは言わず、娘の言いなりです。娘は食事中に椅子に座って食べられるようになってきたのに、「パパの膝で食べる」と夫に甘えたり、食事前に娘が「お菓子食べたい」と言うと与えたりして、ごはんが食べられなくなることがあります。 娘は夫がいると喜びます。そして私も夫がいると家事ができるので助かるけれど、嫌われたくないからと、娘の言いなりになるのはやめてほしいなと感じていました。2歳ごろの娘は、保育園では自分で食べられるのに家では自分で食べなかったり、知らない人が来ると固まってしまったりと、できないことが多くて母親である私自身は娘に厳しくするべきか、やさしくするべきか子育て方針にひとりで思い悩んでいました。 義実家でパパにべったり娘が2歳ごろに家族で夫の実家に帰省したときのことです。娘はたまにしか会えなくて、やさしいパパにべったり。そんな様子を見て、義父が「○○ちゃん(娘)はパパが大好きだね~」と言っていました。 夫も「○○ちゃんはパパが好きだもんね~」とお気楽な様子。普段子育てやしつけはすべて私がおこなっていて、夫は甘やかしているだけなのにと、その言葉を聞いて私はなんだか悲しくなってしまいました。 改心してくれた夫義実家へ行ってから3カ月後、2人目の出産を機に里帰りをした私と娘。私の両親は娘にダメなことはしっかりと教えてくれました。祖父母に厳しく教えられた娘は、突然いろいろなことができるように。食わずぎらいだったのに、新しい食材にどんどん挑戦するようになりました。また、食事中は歩きまわっていたのですが、座って食べられるように。さらに、あいさつもよくできるようになりました。 そんな娘の成長を目の当たりにした夫は、甘やかしてばかりではダメだと気づいたようで、最近ではとてもやさしい口調ですが、「○○のときはこうしようね」や「こういうときに○○したら危ないよ! 」などと少しずつしつけに参加してくれるように。娘自身も複数の大人から同じことを言われると、ダメなことといいことの区別がつきやすいようでした。 義実家に行ったとき、夫にべったりの娘を見て悲しい気持ちになりましたし、義父の何気ないひと言にも私は結構傷ついてしまいました。育児もしつけも私任せなのに、と。ただ、最近は夫も少しずつしつけに参加してくれるようになり、少しホッとしています。今後は甘やかすばかりではなく、娘が成長できるように夫婦で見守っていきたいと感じています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:本田 ひな2児の母。管理栄養士として保育園に10年勤務した経験と、投資歴13年の経験を生かし、栄養やお金について執筆中。
2023年01月13日3歳で幼稚園に入園する少し前まで、嫌なことがあると地べたに転がり泣いていた息子。それは主に母である私だけにするもので、夫はイヤイヤ期の大変さをわかっていないようでした。そんな息子も入園するころにはすっかり落ち着き、平和な日々を過ごしていたのですが、年中になってから今度は夫へのみ反抗をするようになったのです。夫への態度が急変!息子が年中になり2学期に差し掛かるころ、息子の夫への態度が急変しました。まず私と夫に対する話し方や声色が変わり、発する言葉のすべてが反抗的になりました。入園前のイヤイヤ期のようにかんしゃくを起こすことはないのですが、頻繁に夫をにらみつけ、何かと突っかかる言い方をするのです。 1度目のイヤイヤ期は主に私に向けられており、息子の反抗的な態度にあまり免疫がなかったため、夫は今回の息子の態度によって精神的に参っていくのと同時に、4歳児相手にまともに喧嘩をするようになり、家庭内の空気が非常に悪くなりました。 夫がプチ家出まで! 困って先生に相談息子に反抗的な態度を取られ続けたある日、堪忍袋の緒が切れた夫が、「俺がいないほうがいいんだろ」と言いながら家を出て行ってしまいました。「なぜパパに対してあんな態度を取ってしまうの?」と聞いても、息子は「嫌いなわけではないし、好きだけど、今はパパが悪い」としか言いません。 結局夫は1時間ほどで帰宅してきましたが、自分たちでは解決できないと思い、幼稚園の先生に息子の様子を相談することにしました。 2段階目のイヤイヤ期に突入していた担任の先生に相談してみると、息子は平均年齢からすると早いけれどイヤイヤ期の2段階目に入っているのだと教えてくれました。 先生によると、この反抗は、親が自分に作った価値観を一度壊してやりたいという気持ちと、4歳児特有の人間関係のストレスを親に受け止めてほしいという欲求が表れているとのこと。 その気持ちは大抵、「自分がなかなか超えられない壁になり、反抗しやすそうなほうに向くので、息子は父親を反抗対象に選んだのだろう」とのことでした。 先生のアドバイスは「反抗を拒絶するのではなく受け入れてあげること」でした。このアドバイスで夫も腹をくくり、息子が反抗的な態度を取っても受け止めることを徹底。すると2週間もしないうちに反抗期前の息子に戻ったのです。イヤイヤ期は成長の過程だと受け止め、親が感情的にならずにどっしり構えることが、イヤイヤ期卒業への近道の1つなのだと学びました。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:大井絵衣5歳男児の母。「楽しく子育てがしたい!」がモットー。台所育児を実践中で、息子が1歳のころから毎日夕飯を一緒に作るのが日課。自身の育児経験を中心に、子育て関連の記事を多く執筆中。
2023年01月11日成長曲線から外れることなく、順調に育ってきた息子。1歳までに歩き、私のまねをして「ママ」と言うこともありました。しかし、まねをしているだけで言葉の意味はわかっていないようでした。1歳半まで意味のある発語が見られないまま健診の日を迎え、そこで発達の相談をし、発達支援施設に通うことになった体験談をご紹介します。体の発達は順調だったけど…“もしかして、育てにくい子なのかな?”と感じることは何度かありました。生後5カ月のころ、息子を連れて結婚式に参列したときのことです。披露宴会場では私たちの席の近くにスピーカーがあり、音楽や拍手の音がするたびに息子は泣いていました。生後10カ月のころは、かんしゃくを起こすと何でもかんでも物を投げていましたし、知らない人が近づいてきただけで泣くこともありました。すごく警戒心の強い子だったと思います。 集団健診で他の子と比べると…1歳半健診は初めての集団健診で、息子と同じぐらいの子たちが落ち着いているように見えて驚きました。というのも、息子はじっとしているのが苦手だったのです。人見知りが激しく、初対面の大人がいると泣き出すこともしょっちゅうでした。健診は母子で受けている方が多かったのですが、私は夫にもついてきてもらいました。息子は体重計に乗るのを嫌がり泣き叫んでしまったので、夫と一緒に計り、夫の体重を引くという形でおこないました。積み木を積むなんてできるわけもなく、積み木を投げて終了しました。 発達検査を受けることに…健診後に相談し、後日詳しい発達検査を受けることになりました。そのときも人見知り全開で、私が口頭で質問に答え、検査項目のチェックをしてもらいました。予想通り、言葉の遅れが顕著にみられました。意味のある発語がないだけでなく、言葉の意味を理解していないのです。元々意思の疎通ができていないと感じていたので、あまりショックではありませんでした。それよりも今後どうするべきかを教えてもらえることに安心していました。 安心した専門家の言葉 紹介してもらった発達支援施設に初めて行ったとき、「お母さん、よく頑張っていますね」と言ってもらえたことで、私の育て方が悪いわけではないのだとホッとしました。2歳9カ月になった今は発語が増え、人見知りもなくなり、簡単なコミュニケーションがとれるようになりました。今でも偏食や感覚過敏な部分はありますが、お友だちと仲良く遊ぶことができています。 わが子が発達障害かもしれないと思うと不安になり、何度も検索しました。発達のスピードも、タイミングも、子どもによってそれぞれ違うものです。私は、これからも専門家のサポートを受けながら、息子の個性を尊重し、成長を見守っていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師 松田玲子著者:大森りさ0歳と2歳の兄弟の母。長男は発達支援施設に通っている。主に妊娠・出産・子育てについての記事を執筆している。
2023年01月07日長女が年中さんのころ、クラスに馴染めておらず、私はいつも心配ばかりしていました。そして育児書を読み漁っていた時期、たまたま会った友人のお母さんに言われた言葉でハッと我に返ることができたのです。 クラスに馴染めない長女長女は内向的で友だちができるのに時間がかかるタイプです。当時はひとりっ子だったので、家で子どもは長女しかおらず、お友だちとの関わり方がわからないのかなと私はいつも心配していました。 「幼稚園に行きたくない」と泣く日も多く、初めての育児で不安が募るばかりの私。図書館に行っては育児書コーナーの前にかじりつき、どの本も自分に問いかけているかのように感じられました。 育児書を読み漁る私「ひとりっ子の育て方」「心を強くする子に育てる方法」などの類の本はいつも家にありました。「うちの子はこの本に書いてることができていないから友だちができにくいのかな」「こうしたら心が強くなるんだ」など、育児書を読んで長女と照らし合わせたり、育児書通りに実践したりしていました。 もちろんそれでもすぐにうまくはいかず、また次の育児書を借りに図書館に行く……、そんな日々を繰り返していた気がします。 ハッとして泣きそうになった友人の母の言葉ある日、長女を幼稚園に送った後、学生時代から仲の良い友人の家に遊びに行きました。そこで子育てのことをいろいろ話していると、友人のお母さんが立ち寄り、久しぶりに3人でお茶をすることに。友人のお母さんは数年前に引退した、元保育士さんです。 長女のことや育児書のことを話していると、友人のお母さんは、「育児書なんかより○○ちゃんのことを見てあげなよ。育児書には○○ちゃんのこと書いてないでしょ」と言いました。その言葉に私はハッとし、泣きそうになったのを覚えています。 「育児書に長女のことは書いていない」。どうしてこんな当たり前のことに気付かなかったんだろうと思いました。育児書がよくないわけではもちろんなく、参考にするのはいいと思っています。でも、それから私は育児書を読むより長女と向き合い、長女が家では居心地良くいられるように楽しく一緒に遊ぶことを意識するようになりました。そうすることで長女らしくいられたのか、長女の笑顔が増え、私も自然に笑顔が増えたような気がします。 現在小学4年生の長女は、お友だちもいますが1人の時間もほしいのか、あっさりした友だち付き合いをしています。「そんなに悩まなくても大丈夫だよ」とあのころの自分に言ってあげたいです。 著者:石井ゆうき9歳と2歳の姉妹を持つママ。秘書として時短勤務。お金にまつわることに興味があり、FP2級の資格を取得。家計管理・資産運用に生かしている。
2023年01月01日私には6歳の双子の男の子がいます。まだまだ毎日せわしなく育児に追われる日々ですが、それでも少しずつ、ラクになってきました。そんな私がこの6年間で一番大変だったこと、それは双子のひとり食べが始まった時期の食事でした。私の場合は食事を作ることではなく、子どもたちが食事を終えた後の片付けや掃除がなにより苦痛だったのです。双子の離乳食初期はママも楽しめた双子の離乳食や手づかみ食べが始まったころは、私もとてもうれしかったです。子どもたちがごはんを少しでも口に入れてくれたら幸せで、食べられる物が増えていくのがとても楽しみでした。 2人の食事の片付けもまったく大変だとは思わなかった私。離乳食初期は食べられる量も少なく、食事もひと口サイズに作るので、食べこぼしも少なかったからです。2人が小さな手で一生懸命に、野菜やおにぎりをつかんで食べる姿がかわいくて、掃除も頑張ることができました。 いよいよ、ひとり食べを始めた双子2人がスプーンやフォークを使って、ひとり食べを始めたのは1歳3カ月ごろでした。最初は手づかみ食べのころのように、2人の頑張りを私も純粋に見守ることができていたのです。しかし、まだ2人ともスプーンやフォークをじょうずに使えず、食事の半分は床にこぼれる日々でした。 スープやお茶をひっくり返すことも日常茶飯事で、2人の着替えも1日に何回したかわかりません。毎日テーブルや床に落ちた食べこぼしを掃除しては食事を作り、2人が食べ終えるとまた片付けと掃除。そんなことの繰り返しで1日があっという間に終わっていきました。 苦痛な日々はいつまで続くのだろう子どもたちのことはとっても大好きでかわいい存在です。それでも食事の時間になると私のイライラが止まらず、少しでもこぼすと怒ってしまう毎日でした。寝る前に、明日も同じ1日が始まるのかと考えると、朝が来るのが怖くなるほど、食事の時間が苦痛で仕方なかったのです。 どうしたら穏やかに2人の食事を見守れるのか、掃除のストレスを減らす方法はないか、私はそんなことばかり考えていました。食事の時間に床とテーブルに新聞紙を敷き、広告をエプロン代わりにして、子どもたちにごはんを食べさせたこともありました。 おいしいねと笑ってあげられなかった後悔当時を振り返ると、今でも後悔の念に駆られます。「なぜもっと、楽しい食事の時間にしてあげられなかったのか。こぼしたっていいから、もっと自由に食事をする子どもたちの成長を大事にすればよかった」と。 小さな手で一生懸命にスプーンをもって食べる2人の姿を、もう見ることができないのだと私が気づいたのは、2人がごはんをじょうずに食べられるようになってからでした。「もうこんな後悔はしたくない」と、強く感じた瞬間でした。 双子が生まれてから、大変なこともたくさんありました。悩んだり、子どもたちと衝突したりもしました。でもその一瞬が宝物だと気づくのは、いつも時間が経ってからです。大変な育児もきっと、あっという間に終わってしまうのなら、私はどんなときも子どもたちに寄り添いたいと思います。もっと子どもたちの笑顔が見たかったと、もう後悔しないように。 著者:桜 七瀬6歳双子の男の子と3歳の男の子、夫の5人家族。看護師資格を持っている。趣味はアンテリア雑貨や住宅公園巡り。読書や英会話の勉強も時間を見つけては続けている。
2023年01月01日私には、2歳の二卵性の双子の娘たちがいます。身長や体重は同じくらいでも顔や性格は違う2人。長女は、外では頑張り屋さんで、私の前では頑張った分、気持ちを爆発させるタイプです。次女は極度の人見知り。そんな娘たちの初めての入園は、それはそれは大変で、私は何度もくじけそうになりました……。 初めての登園の翌日に熱初めての登園日、家では帽子やリュックを身に着けて娘たちはニコニコでした。しかし、園に着くと、笑顔が引きつっていく長女と不安な顔の次女。2時間だけの慣らし保育だったのですが、次女は終始泣いていたようです。 長女は泣かずに過ごせていましたが、帰宅後、緊張の糸が切れたように私に八つ当たりしてはイヤイヤの連続でした。翌日はさっそく次女が発熱。感染症対策のため長女も一緒に園を休むことになりました。4月は慣らし保育に行っては風邪を引いて2日ほど休む、の繰り返しでした。 水分もとらない次女娘たちは3回目の登園日の朝からしばらく、泣いて登園するようになりました。頑張っている娘たちの様子を見てつらい気持ちになりましたが、早く慣れてもらうために登園させました。次女は登園当初から朝のおやつや牛乳はもちろん、給食も泣いて口にしなかったそうです。 園の先生たちが次女のために、特別にストローを用意してくれましたが飲まず、抱っこをしてもらわないとひたすら泣いていたようでした。朝起きてから泣いて何も口にせず、園でも水分をとろうとしないためなのか、園で熱が出た日もありました。 対策として私はさすがに次女に水分だけでもとってほしいと考え、5日間の慣らし保育後には、家で使っているマグにお茶を入れて持参し、先生に預けました。すると次女は園で少しずつマグのお茶が飲めるように。しかし次女は給食をまだ口にしなかったため、慣らし保育を4月いっぱいまで、残りの1週間を長女とともに延長させました。 5月に入ると、ようやく娘たちは朝から泣き始めることが少なくなりました。そして5月中旬ごろになると、次女は園でおやつや給食を食べられるようになり、マグの持参も終了。5月後半からは16時半まで預けられるように。 娘たちは園生活にすぐ慣れるだろうと思っていた私は、登園させてみて「甘かった!」と何度も思いました。娘たちが朝起きてからずっと泣き、園での2時間、次女は何も口にせず帰宅し、風邪もたくさん引いて……。つらい思いをさせている私をきっと娘たちにしてみれば鬼のような存在に思えたかもしれません。それでも最終的に園に慣れることができた娘たち。子どもの順応性の高さに驚かされました。今は、新しい環境に慣れて頑張っている娘たちに感謝しています! 著者:北川さくら4歳の男の子、2歳の双子の女の子を子育て中のママ。保育士資格、幼稚園教諭免許を保有。自身の経験をもとに妊娠、出産、育児の体験談を執筆している。
2022年12月31日わが家には、5歳の長男と3歳の次男がいます。1歳7カ月のときに弟が生まれてお兄ちゃんになった長男。上の子を優先に、とよく聞いていましたが、現実には長男を怒ってしまったり我慢させてしまったりする場面が多いです。夜眠った長男の顔を見ては、ひとり反省会の始まり。何度「ごめんね」と思ったでしょうか……。 なるべく上の子優先できょうだい育児についてインターネットで調べたときによく目にしたのが、なるべく上の子を優先するという言葉でした。次男が泣いていても、まずは長男の要望を聞いてからにするよう意識していました。ですが、授乳中などどうしても手が離せないことが多々ありました。 長男に絵本を読んでと言われても、おままごとをしようと誘われても、「ちょっと待ってね」と言うことが次第に多くなっていきました。子ども2人を寝かしつけたあとに、「あぁ今日も長男と十分に遊べなかった。我慢させてしまった」と毎日のように私は反省していました。「ごめんね、明日はたくさんお話も聞くしたくさん遊ぼうね」と何度思ったでしょうか。 長男イヤイヤ期とのダブルパンチ次男が1歳近くなると、お兄ちゃんのすることに興味津々でなんでも触りたがるようになりました。長男は自分のやりたいことの邪魔をされて毎回大激怒! 大声で怒ることもありました。私は喧嘩はなるべく見守ろう……と頭では決めていたのですが、いざ目の前で争いが始まるとそうもいきませんでした。私は長男を叱る場面が多くなりました。 さらにイヤイヤ期も重なり、次男のこと以外でも長男に強くあたることが増えていったように思います。またまた子どもを寝かしつけたあとに、「強く叱りすぎてしまった……。ごめんね。明日はもっとやさしく接するようにしよう」と私は夜な夜な反省会を繰り返していたのです。 2人とも大好きな私の息子きょうだい間で対抗意識が強く、とくになんでも1番になりたがる長男。あるとき長男に「ママの1番好きな人はだれ?」と聞かれました。当時3歳だった長男。どこまで通じるかな……と不安に思いながらも「ママは長男と次男の2人が1番好き! 1番っていうのは必ずひと1つではないんだよ」と答えながら長男を抱きしめました。 正直、長男は自分より弟のほうがママに好かれていると感じていたのではないかと思います。何度か伝えているうちに、長男はイライラする場面が減り、安心した笑顔を私に向けてくれることが増えたように思います。私はこれからも何度でも長男に大好きな気持ちを伝えていきたいです。 完璧にできないこと、うまくいかないこと、つい怒ってしまうこと……。夜の反省会はきりがありませんでした。今はそういう自分も受け入れて、子どもたちに大好きな気持ちはしっかり伝えていこうと思うようになりました。最近になっても私は、やはりまだ子どもの寝顔をみながら反省会をしています。ですがそれと、寝ている息子たちに大好きのハグをセットでおこなうことが習慣になっています! 著者:三崎 まよ5歳3歳の男の子ママ。男3人に囲まれて生活しています。元フルタイム勤務、現在はアラサーです。転勤族。
2022年12月28日発達ナビ大賞へのご応募ありがとうございました!発達が気になるお子さんを育てる日々の中、子どもに接したときに言われたひと言にドキリ…!そんな経験はないでしょうか?子どもの鋭いひと言、本質をついた言葉、意外だった言葉など、発達ナビ会員のみなさんをはじめ多くの方からお寄せいただいた言葉の中から、印象的だった5つの言葉を発達ナビ編集部が選びました。また、あわせてお読みいただきたいコラムもご紹介します!※LITALICO発達ナビ「みんなのアンケート」にてご応募をいただいたエピソードについては上記より遷移し、ご覧いただけます「自閉症を治したい?」という残酷な質問に、高校生息子の答えは…わが家の大学生息子(自閉症)は小2で本人告知をしています。1歳代から療育に通い、二人羽織状態での加配付で年少で保育園入園&小学校入学まで療育並行通園、義務教育の小中9年間はガッツリ情緒支援学級在籍。「自閉症の程度」としては重度です。高校生になったころ、とあるテレビ番組で「自閉症を治療する」というようなものがありました。息子に直球で「この治験に参加してみる?自閉症治るかもよ?」と聞いてみました…非常に残酷な質問です。息子の答えがコレ。「俺は、これまで自閉症として生きてきた。確かに、不便はめっちゃくちゃあるけれど、『自閉症ではない俺』は、俺ではないと思う。俺は、『自閉症の俺』として生きていきたい」彼が「自閉症の俺」というアイデンティティをしっかりと構築していたということに、とても驚きました。(あまだれさん)自閉症(現在は自閉スペクトラム症)は、療育や服薬、環境調整などの工夫で生きづらさを軽減することはできても、根本から治すことは難しいとされています。高校生にして、自閉スペクトラム症がある部分も含めて「自分」なのだという自己認識をされていた息子さん。しっかりした考えを持っていらっしゃることに「ドキッ」としました!分かり合えず苦しかったとき、ADHDのある息子に言われた言葉夫と3人の息子たちと暮らす中で、一般常識だと思ってきた私の感覚が彼らに通じないことも多くて悩んだり苦しくなることがたくさんありました。ある日『あなたたちに私のことは分からない。孤立して苦しい。』と吐き出したとき『それが僕らが普段外で味わっている感覚』と言われました。(まつぼっくりさん)わが子や身近な人に発達障害があり、まつぼっくりさんのように、思うようにコミュニケーションが取れず悩んでいる方も多いと思います。しかし『それが僕らが普段外で味わっている感覚』、この言葉に「ドキッ」とさせられました…。まずは相手を知ろうとすることが大切なのかもしれませんね。忘れられない定型発達のきょうだい児の言葉うちは自閉症の息子と、3歳下の定型発達の妹がいます。息子のことで心身共に疲弊したときも、妹の明るい性格に何度も助けられてきました。そんな妹が小学校1年生のころ「ママは私よりもお兄ちゃんのほうが好きなんだよね」ってポソッと言われてドキッとしました。なんで?と聞くと「だってママはいつもお兄ちゃんのほうに行っちゃう」と、、。そんなつもりは全くありませんでしたが、何をやるにも手のかかる兄に比べ、なんでもそつなくこなす妹は、つい後回ししてしまっていたことがあったかもしれないと反省しました。幼い妹なりに、自分よりも兄を構う私の姿を何度も見て感じてきたのかと思い、そんな気持ちにさせてしまっていたことにショックを受けました。今でもその言葉を言われた時のことは忘れません。(ゆーたんさん)きょうだいがいる場合、定型発達の子どもより手がかかる場面はどうしても多くなってしまいがちです。娘さんが感じていたさみしさに気づき、反省させられたというゆーたんさん。ゆーたんさんの愛情は、きっと娘さんに伝わっていると思います!知的障害のある弟へ、姉のやさしい願い知的障害のある3歳の弟の代理で、七夕の短冊に願い事を書く7歳の姉。何て書くのか、覗いてみたら、「○○(弟)が毎日ニコニコしていますように」ですって。ひらがなが書けるように、とか、スイミング19級に合格しますように、とか、そんな目先のことではない姉の願いを見て、母は恥ずかしくなりました。(こむらいのりさん)子どもが成長し、できることが増えてくるのは喜ばしいことですが、ついあれもこれも…と欲が出てしまうのが親というもの。「弟がいつも幸せであってほしい」という娘さんの言葉に「ドキッ」としつつも、息子さんに対する思いやりに心が温まりました。いつまでも仲良しなきょうだいでいてほしいですね!知的障害のある娘、高等部になってから喋り出した言葉に『ドキッ!』単語などでの会話があったものの、自分の思いなどを伝えるのが下手だった娘。喋らないと思っていたら高等部で、いきなり喋りだした。「お母さん、ピーマン嫌い、と言って残したら怒って叩きました。納豆を食べました」確かに10年ほど前にそんな出来事あったな。とドキッ。その後は「これをして 怒られました」「行きたくないのに学校に連れていかれました」と 出る出る、嫌だった私の行動。喋りだしたら怖いから気をつけて、と昔医師に言われたことを思い出しました。「○○先生は、私をつねりました」えっ?今更、確認できないわー(汗)。しばらくは、ドキドキしてました。(こっこちゃんさん)これは「ドキッ」としますね…!言葉は話さなくても、これまでも娘さんはいろいろなことを理解し、感じていたのですね。記憶力の良さにも「ドキッ」としましたが、いやな記憶ほど忘れられないものなのかもしれませんね。おわりに子どもたちの心からの言葉に耳も心も傾けることの大切さを教えてくれるエピソードばかりでした!ご紹介したお子さんたちの言葉に、みなさんも、ハッとさせられることがあったのではないでしょうか。大賞に選ばれた5人の方々には、人気エッセイ本をプレゼントいたします。どうぞお楽しみに!発達ナビでは、これからもみなさんに楽しんでいただけるような企画をしていきたいと思っています。次回の発達ナビ大賞もどうぞご期待ください!
2022年12月26日息子は、離乳食が始まってから特に好ききらいもなくよく食べていたのですが、だんだん成長するとともに私の作った料理を食べ渋るように……。そんな姿を見て私は、息子のために子どもが好きそうなメニューを作り続けていましたが、なかなか食べてくれず。しかし、実家へ帰省すると、ばあばの作ってくれた料理をよく食べていたのです。 何でも食べてくれていた息子息子は、離乳食が始まると特にこれといった好ききらいもなく、出された物は何でも食べてくれていたので、私は食事に関して頭を悩ますことはありませんでした。 しかし幼稚園に入園した3歳を過ぎたあたりから、私が作った料理を何だか渋々食べるといった様子が増えるように。なので、私は子どもが好むような料理を調べ、唐揚げやオムライス、グラタンといった子ども向けの物を作り、息子に食べさせていました。 一体何が好きなの?しかしその後も、私の作った料理を食べては「これあんまり好きじゃない」と言うことが多く、私が「じゃあ何が好きなの?」と聞いても「えーっと……わかんない」と言う息子。息子が何を作ればすすんで食べてくれるのかと頭を悩ませていると、私はふとあることに気づいたのです。 それは、休みの日に私の実家に泊まりに行ったとき、ばあばの作るごはんを、息子はとてもよく食べているということでした。そこで、実家でよく出されていた食事内容をよく考えたところ、息子がよく食べていた物にはある共通点がありました。 びっくりした息子の好みそれは、お刺身や魚の煮付け、海藻類や貝類、さらにはほうれん草のおひたしといった、魚介類メインの純和食料理だったのです。「子どもは洋食が好きだろう」と勝手に思い込んでいた私。 しかし、ばあばが作った料理をおいしそうに食べる息子を見て私は、子どもであっても好みは人それぞれなのかもしれないと気付き始めました。その後、わが家でもわかめの味噌汁や魚の塩焼きといった和食メインのごはんを作って出してみると、息子は普段よりとてもうれしそうに食べてくれたのでした。 現在息子は年長になりましたが、外食時に「何が食べたい?」と聞くと、お子様ランチより刺身定食を選ぶといった少し渋い好みは変わっていません。子どもはきっとこういう物が好きなんだろうという親の先入観を別として、もっといろいろな食事を息子に食べさせてみることも大事なのかなと思うようになりました。 著者:小野 美穂5歳の幼稚園男児のママ。乳児期に産後うつになり、治療をおこなう。現在は趣味のイラストを活かした仕事をしている。
2022年12月14日私は小学生の娘と幼稚園児の息子の母です。おしゃべりと本を読むのが大好きな4歳の息子は、しゃべり始めたのが早かったためか、間違えて覚えている言葉や言い間違いが多くありました。それがかわいくて、家族はほっこりしていたのですが、あることをきっかけにその間違いがきれいに直ってしまい……。息子の成長がうれしい反面、ちょっと寂しい気持ちになったエピソードをご紹介します。「口から生まれてきた」?おしゃべりな息子4歳の息子は、おしゃべりが大好きで、話し始めたら止まりません。話し始めたのも早く、1歳になるころにはいくつかの短い単語を話せていましたが、言い間違いや間違えて覚えている言葉も多くありました。 また、特定の文字が言いにくいようで、例えば「き」がつく言葉は「ち」になる、というようなこともありました。それらがかわいいので、家族はあえて教えたり正しく直したりすることはしないできたのです。 ある日突然、息子の言葉に変化が!?幼稚園に入って先生やお友だちと話すようになったら、自然と正しい言葉を覚えていくかな?と思っていましたが、入園後も息子の言い間違いは直ることなく、相変わらず。かわいさそのままで、内心ホッとしていたのですが……。 息子が年中になったある日突然、これまで間違ってしゃべっていた単語を、息子が正しく言っているのに気がつきました。ついこの間まで間違っていたのに、先生が直したのかな? それともお友だち?と思って息子に聞いてみたところ、息子からは思いもよらない返事が返ってきたのです。 それは、「文字が読めるようになったからわかったんだよ」。 読めるようになったから気づいた!息子は少し前から、プリント学習の教室に通い始めていました。「大好きなお姉ちゃんと同じ習い事をしたい」と言うので、まだ早いかなと思いながらも始めてみましたが、やはり気持ちが向かない日も多く、なかなか先に進みません。 でも、繰り返しプリントに取り組むうちに、いつの間にか文字を読めるようになっていたのです。そして、本が大好きな息子は自分で絵本を読むようになり、その中で自分の言葉の言い間違いに気づいていったようでした。 子どもの言い間違いは今だけのかわいさ。遅かれ早かれ直っていったとは思いますが、もう少しそのかわいさを楽しんでいたかったな、プリント学習をさせるのはもう少しあとでもよかったかな……と思ってしまいました。子どもの成長を寂しく感じてしまうときもありますが、今だけのかわいさを胸に焼き付け、子どもの成長を素直に喜びながら、子育てを楽しんでいけたらと思います。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年12月13日長女と双子の弟たちの年の差は約3歳。双子が生後8カ月を過ぎ行動範囲が広くなってくると、長女は弟たちに強く当たり始めました。自分が気に入っているおもちゃに触れられたり、自分に近寄って来たりするのが嫌で、近寄ってくる弟たちを足で蹴って押しのけ始めたのです。嫉妬したり毛嫌いしたりするわけではないけれど、弟たちに笑顔で接することができない長女に対して、私が心がけ実践したこと、そしてその後、長女がどう変わったのかをごお話しします。今まで以上に長女の味方をする以前から長女第一を心がけていた私でした。しかし、長女から見たら、まだまだ弟たちばかりかわいがっているように見えていたのかもしれないと考えた私は、それまで以上に長女の味方をするように。 長女が弟たちを押しのけたときもまずは「お姉ちゃんが嫌だって、お姉ちゃんの邪魔しないよ」と弟たちに声かけをしたあとに、「お姉ちゃんもそんなに強く押さないであげて」と声かけをするようにしました。3人が一斉にぐずるときは、なるべく長女を先に慰めてあげるようにしました。 みんなで一緒に遊ぼう!次に、弟たちの存在が長女にとって何かプラスになる方法はないかなと考えた私は、弟たちが一緒に楽しく遊べる相手となれるよう行動してみることに。具体的には、私が子どもたちと遊ぶときは長女だけではなく弟たちも遊びに加えるようにしました。 ごはんを食べたあとに「じゃあみんなで一緒に遊ぼうか!」と声をかけて、シーツの下に4人で隠れてかくれんぼをしたり、ベッドの上でジャンプをして遊んだり、カーテンを使って「いないいないばあっ!」をして遊ぶようにしました。ベッドはかなり大きくて高さは低いものですが、もちろん転落しないよう配慮したり見守ったりしていました。 長女に現れた変化弟たちも長女と一緒に遊ぶのが楽しいようで、4人で遊ぶときはみんな笑顔で溢れています。みんなで遊ぶことを実践してからというもの、長女は弟たちと一緒に遊びたがるようになりました。 毎日4人で遊ぶ時間を作ったことで、少しずつ長女の弟たちに対する態度も変化し、ひどく押しのけたり、弟たちが近づいてくることを嫌がったりすることもなくなりました。何よりも、弟たちにお菓子を分けてあげるなど、長女が弟たちのお世話をしてくれるようになったのです。 現在弟たちは1歳1カ月になり、自分で歩いてカーテンの陰に隠れ、自分たちだけで遊ぶようになりました。その姿を見た長女も弟たちの遊びに加わり、3人で遊んで笑い合っている姿も見られるように。遊ぶのも一緒に、お菓子を食べるのも一緒に、そうすることで少しずつ「お姉ちゃん」という感覚が長女に芽生えてきたように感じます。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:山口まなみ3歳の娘と双子の男の子の母。韓国人の夫と家族5人で韓国に在住。海外での子育てやバイリンガル教育に奮闘する自身の体験談を執筆中。
2022年12月12日1歳となった次男は、先天性の外耳形成不全という診断を受けています。また、生まれてすぐの聴力検査をパスすることができず、中度難聴との診断を受け、大学病院の難聴外来を受診中です。受診や検査の様子、家族の思いなどについてお伝えします。診断、受診までの経緯出産後、産院で外耳形成不全との診断を受けた次男。大きな産声の次男を見つめ、うれしさと不安が同時にわき上がる感覚を鮮明に覚えています。その後の聴覚検査をパスできず、大学病院への通院が決まりました。 1回目の診察は、問診と検査の予約だけというもどかしいものでした。4度の通院で4種類の聴力検査をおこない、中度難聴と診断されました。次男の未来を考え、親としての責任と不安に押しつぶされそうになりました。 家族の気持ちの変化診断を受けた直後は、受け入れる難しさや焦燥感に襲われました。義母は、ふとした瞬間に「かわいそうだ」「どうして」という言葉を発し、その言葉を聞くたびに体がこわばったことを覚えています。 それでも、夫婦で治療方法や次男の成長過程への影響などについて情報を集め、通院の回数を重ねました。次男の症状や考えられる成長への影響を家族間や医師と相談し、ポジティブな感情で向き合えるようになってきました。 障害とともに生きる覚悟次男の中度難聴は改善するかもしれないし、一生そのままかもしれません。今後、定期的な受診を続けて様子を見ていくこととなっています。一方の外耳形成不全については、ある程度体が大きくなった10歳ごろに外耳形成の手術をすることができるそうです。 いつか次男にとって困難なことが訪れるとき、親として本人に寄り添い、心身をケアし、家族全員で本人が安心感を得られる家族をつくることを、パパや義母と確認しました。 現在、次男は1歳となりました。保育園に通い、周りの人を意識するようになりました。他者との関わりが形成され始め、本人が自分と他人の耳が違うと気づくとき、しっかりと寄り添い、本人の支えになれるような母でいたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:簗田智花4歳の長男、2歳の長女、1歳の次男との育児ライフを楽しむ34歳の母。現在は、仕事と家事、育児に奮闘中。ドライブ、スポーツ、スポーツ観戦が趣味のアクティブママ。
2022年12月10日私は3歳半と1歳半の男の子を育てています。次男はもうすぐ1歳半になりますが、まだ歩けないどころか、ひとりで立つこともできません。長男も歩き出したのが生後1歳5カ月と早いほうではないため、「子どもは個人差がある」ということは学んでいます。しかし、かかりつけ医やママ友からかけられる何気ない言葉で、私はだんだん次男の成長が心配になっていきました……。そんなとき、友人からかけられた言葉に私はハッとしたのです。焦る夫をなだめる私もうすぐ1歳半になる次男は、最近やっと立つことに興味を持ち始めたようで、つかまり立ちをし始めました。1歳5カ月でひとり歩きをし始めた長男の経験のおかげで、「子どもの成長は個人差が大きいから、他の子どもと比べてもしょうがない」ということは十分学んでいた私。 その反面、次男の成長が心配な夫は、毎晩次男のために歩く練習をします。そんな夫に「焦らなくても、そのうち歩けるようになるから」と私は繰り返し伝えていました。 周りの言葉に不安になっていく…ある日、次男の定期健診でかかりつけ医を受診しました。そこで医師に「まだひとりで立てないの? おもちゃで遊んだり、ハイハイしたりする?」と少し驚かれたのです。私は「長男も遅かったので次男も遅いのかも」と返答し、医師から経過観察の指示が出ました。 また、他のママ友から「○○(次男の名前)は怠け者だね!」と冗談交じりに言われることも多々。そういう言葉を聞き続けているうちに、私はだんだん次男の成長が心配になっていくのでした。 ベビーシッターをしていた友人の言葉そんな中、以前ベビーシッターをしていた友人と久しぶりに家族ぐるみで食事会をしました。私は次男に対する不安をちらっと友人に伝えたのです。すると、友人は「最近は本当に子どもの成長を急がせるよね。大丈夫、焦らずに待ってあげればいいんだよ」と言いました。 私はそのとき「長男の経験で個人差があることを学んだはずなのに、また同じ心配をしていたんだ」と気づいたのです。 長男の育児で経験を積んでいるため、次男には心に余裕を持って育児をしていると思っていた私。しかし、実際は医師の言葉や周りの人の何気ない言葉でどんどん自信がなくなっていき、気づけば私は長男のときと同じ悩みを繰り返していました。しかし、友人の言葉で再確認でき、これからは次男の成長を焦らずゆっくり見守っていこうと思います。 著者:岩見 エリ著2人の男児の母。看護師歴12年、フランスで出産し子育て中。
2022年12月07日私の息子は3歳半健診で、「発達障害の疑いがある」と診断されました。結果的に、その1年後の健診で「発達障害ではない」と診断されましたが、息子の幼過ぎる行動を見るたびに、発達障害と親のしつけについて考えさせられた私の体験談をお伝えします。3歳半健診で色が答えられない私の夫は外国人で、私たち家族は長い期間を国外で過ごしています。息子の周りで日本語を話すのは私だけでした。 あれは日本に帰国し、3歳半健診を受けたときのことです。「この色は何?」という質問に、息子は答えられませんでした。私は相談室に入り、医師に「息子は日本語が苦手なだけです」と話をしました。その後もさまざまなテストを受け、できることもあればできないこともありましたが、最終的には「発達障害の疑いがある。様子を見ましょう」と医師に言われてしまいました。 発達障害? 親のしつけのせい?息子はレゴブロックを組み立てたり、本の内容を覚えたりする点ではほかの子よりも優れているところもありました。そのため、息子が店で走り出したり、大声で怒り出して止まらなくなったりしても、手のかかる子だと思う程度でした。 ところが周りからは、私の息子への対応が甘過ぎる、しつけが悪いと言われることもありました。そう指摘され、息子に厳しく接することも。そのため、3歳半健診で「発達障害の疑いがある」と言われたとき、「本当に発達障害かもしれない」という思いと、「いや違う、私のしつけのせいだ」という思いから毎日悩みました。 息子の個性と親のしつけを考える 1年後の健診で、息子は「発達障害ではない」との診断を受けました。テスト結果は、同年代より優れている部分と劣っている部分の両方がありましたが、普段の生活でも、ほかの子より優れている部分と劣っている部分の差が大きい息子。以前はその劣っている部分を直そうと、厳しくしつけをしていました。 私はその視点を変えることにしました。周りからのプレッシャーもありましたが、今は息子の個性を大事にして優れている部分を伸ばそうと考えています。 息子は、いまだに幼い子のように自分の感情を強く出します。それは、のちに発達障害と診断されることになるかもしれません。でも、私には息子の優れた部分もきちんと見えています。今はその個性を大切にしたいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:シュストルじゅんこ二児の母。海外で結婚し、2人の男の子を妊娠・出産。異文化を楽しみながら子育てをしている。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2022年12月06日現在5歳になる娘は、食べやすいように工夫をしても手作りの離乳食をほとんど食べてくれず、私は本当に悩んでいました。レトルトの離乳食なら比較的食べてくれるけれど、できれば手作りの離乳食を食べさせたくて、使うのは最小限に留めていた私。義母が作った煮物も食べない娘にイライラした義母から言い放たれたひと言は、4年経った今でも心のどこかで許せずにいます。 発育は順調生後1カ月からずっと完全母乳で育てた娘。母子健康手帳に載っている成長曲線の平均値よりも常に身長も体重も上回っていたので、発育は順調でした。ただ、生後5カ月から始めた離乳食はなかなか進まず……。 離乳食中期になっても、娘はおっぱいばかり欲しがり、離乳食は食べても1口か2口だけ。保健所の栄養相談で栄養士さんに相談しても、「発育は順調だからあとは気持ちの問題。本人が食べたいと思えるまで気長に待ちましょう」と言われていました。 保育園入園までのタイムリミット娘が食べたいと思えるまで気長に待とうと思っていたものの、生後11カ月から保育園に入ることが決まっており、焦っていた私。 完全母乳で育てた娘は育児用ミルクはおろか哺乳瓶で飲むこと自体を拒否していたので、このまま育児用ミルクも飲めず離乳食も食べられないままで入園させたら、おなかが空いて栄養失調にならないか本当に不安でした。 離乳食を少しでも食べてもらいたい私は、毎日食材や固さ、味つけ、形を変え、試行錯誤しましたが、娘はことごとく拒否。 レトルトは好きレトルトの離乳食は味も固さも赤ちゃんの月齢にぴったりな状態になっているから、たまにならあげてもいいと保健所の栄養士さんからアドバイスを受けていました。そこでレトルトの離乳食も試してみたところ、珍しくパクパクと食べる娘。毎回とは言わないものの、レトルトの離乳食なら完食する日も。 それでもいくら食べてくれるからといって、毎日レトルトの離乳食ばかりあげ続けることには抵抗がありました。レトルトの離乳食をあげるのはおでかけのときだけにして、自宅では毎日手作りの離乳食をあげ続けていました。 「食べないなら無駄」手作りの離乳食をほとんど食べてくれないまま迎えたお正月。家族で義理の実家に泊まりがけで帰省しました。義母が娘にお手製のかぼちゃの煮物を出してくれましたが、断固拒否。申し訳ないとお詫びしながら、レトルトの離乳食を食べさせると2口、3口とパクパク食べる娘。 日ごろ私の作った離乳食もあまり食べないことを夫が伝えると義母はイライラしながら「作ったって食べないなら無駄なんだから、毎日レトルトでいいじゃない!」と言い放ちました。あまりの剣幕に、言葉の意味はわからないはずの娘も号泣。無駄というひと言は、試行錯誤を重ねてきた私自身を否定された気がして、悲しくて何も言い返す言葉が出てきませんでした。 幸い保育園に入園してから娘は今まで食べなかったのが嘘のように離乳食をたくさん食べてくれるようになり、本当に安心しました。手作りの離乳食を無駄だなんて言ってほしくなかったと、4年経った今でも心のどこかで許せずにいますが、義母にとって娘は初孫。今思えば義母も、かわいい孫のために前の晩から一生懸命作った煮物を食べてもらえなかったことが悲しかったのかもしれません。かわいい孫を思う義母の気持ちにも寄り添って、良好な関係性を維持していきたいと思っています。 作画/はたこ著者:山本加奈子5歳女児と0歳男児の2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年12月04日今回は娘さんの発達に関して無関心だった夫の行動に変化が見られたときのお話です。娘さんが発達障害であるという診断を受けてから、しばらく経ったある日のこと―。夫がある物を買っていて、さやこさんにそれを見せてきました。今までの夫からは考えられない行動にさやこさんは少し驚いてしまって……!?夫の行動に少しずつ変化が見られるようになって… そして後日……。 夫が買ったのは発達障害の電子書籍。 普段は育児本なんてせいぜい買ってもエッセイ漫画だった夫が、初めて専門職を買って読んでいたのです! その姿に思わず驚いてしまいます。 (子どもの成長にやっと向き合う気になったのかな……?) そんな風に心の中で思っていました。 そして、また後日には夫が娘さんの対応をどうしたらいいのか質問してきたのです。 以前は考えられなかった育児に向き合おうとする夫の姿勢に少し戸惑いを感じるさやこさん。 (娘の様子を見て違和感に気付いて質問できるようになったのか……) 思わず目を丸くしてしまうのでした。 予想外な夫の行動に一瞬戸惑ってしまったさやこさんですが、育児書を買ったり、娘さんの対応に関する質問をしてきたりと、今回の夫の行動はすごく娘さんの育児に対して前向きな印書を受けました。ママにばかり育児を任せるのではなく、一緒に取り組もうとする姿勢はうれしいですよね。皆さんはどう思いましたか?著者:マンガ家・イラストレーター さやこ娘と夫の3人暮らし。自閉症スペクトラムの娘との日常を中心にいろいろと過去の出来事などエッセイマンガを描いてます。
2022年12月03日内祝いとしてもらって、娘が5歳になった今でも使い続けているものがあります。自分で買えるものではありますが、先輩ママにもらわなければこの便利さは気づかず、自分では買わなかっただろうなと思うだけに、本当にもらってよかったと思っています。計量にも保存にも! 離乳食用容器 離乳食用の小さな容器。容器に目盛りがついているので、赤ちゃんの離乳食の量を計るのにとても便利です。また、離乳食を小分けに保存できるのも魅力的。離乳食がこぼれないよう、フタがしっかり閉まるようになっているところも便利です。 と、ここまではおそらく通常の使い方なのですが、離乳食の期間を過ぎてからも大活躍しています。ちょっとしたおやつを持たせるのに大き過ぎず、外で食べて、終わったあとは重ねて小さくして持って帰れます。今でも毎日のように使っています。 細長いトレーがワンプレートにできて便利 仕切りがないまっさらなトレー。これが、ごはんを食べさせる際にとても便利なのです。例えば、仕切りがある子ども用のお皿だと、入っていない仕切り部分の空きが気になります。また、大人と同じお皿を使うと多めに入れてしまったり、子どもの分量だけ入れると、なんだかお皿の余白が寂しい感じになってしまったり……。まっさらなトレーだと、子どもにちょうどいい量がなんとなく自然にわかり、かつワンプレートになっておしゃれな感じもします。1ついただいてとても便利だったので、もう1つ子ども用に購入しました。 4つの大きさの重ねてしまえるタッパー 離乳食の期間が終わって、子どもと外出した際にレストランに入ろうと思っても、飲食店のキッズメニューを食べられるまでにはまだちょっと時間がかかります。なかなか飲食店で子どもが食べられる食材で好きなメニュー、またはちょうどいい量のメニューを見つけるのが困難なためです。しっかり食べられるようになるまでは、外出の際はちょっとしたお弁当を持ち歩いていたのですが、その際に便利だったのが、4つの大きさのタッパーです。大きめのタッパーには、おにぎりや卵焼きなどのおかずを、小さめのタッパーにはフルーツを、とその時々の状況によってちょうどいいサイズのタッパーを選べるのが非常に便利です。今でも幼稚園におやつとしてフルーツを持たせる際には1番小さなタッパーが、ちょっと外出の際のお弁当には大きなタッパーが大活躍しています。どれも家にあるもので代替できてしまうものなので、もらった際は失礼ながら特に感動はなかったのですが、使っているうちに「なんて便利な物をもらったんだ!」と思いました。先輩ママのプレゼントは侮れないなと感じました。 監修/助産師REIKO著者:ヒロコ ラメッシェ5歳女児の母。旅行雑誌編集デスク、アルバイト情報サイト編集長を経て、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。現在、モロッコ在住。自身の経験からママたちと共有したい情報を発信中。
2022年12月02日私は3歳半と1歳半の男の子を育てています。食べることが大好きな次男は、自分が食べたい物じゃなかったら、食べ物をつかんでテーブルから投げ捨てるのです。長男の育児で経験済みの私は、最初のうちは次男の行為を叱らず対応していました。しかし、その次男の行為はひどくなり、次男を見た長男が驚く行動をとるようになって、気づけば食後は大惨事! そして、ひとりで対応していて叱ることが増えた私は、ある対策を見つけたのです。食べ物を投げる次男次男は自我が芽生えてきてイヤイヤ期に入ったのか、自分の思うようにならないと泣いたり怒ったりするようになりました。食事は特に難しい時間。食べたくなかったり、機嫌が悪かったりすると次男は私がせっかく用意した食事をつかんで投げ捨てるのです。 これも“成長の証”と長男の経験で学んでいた私は、その場で次男に注意はするものの「この行為は今だけ。あとで掃除すればいい」と考えて、叱らず、心に余裕を持って対応するようにしていました。 結局叱るようになる私しかし、次男の食べ物を投げる行為はエスカレートする一方。そして、その行為を見ながら食事をしていた長男は、スプーンで食べ物を飛ばして遊ぶようになったのです! まさかの長男の行為に私は長男を叱り、さらに叱らないでおこうと心に決めていた次男の行為にも我慢できず「2人ともやめなさい!」と怒鳴るようになっていきました。 その上、食後のテーブルの下は食べ物で大惨事。毎食2人を叱りながら介助をし、食後は毎回、床のモップがけをすることになって、私は疲れていったのです。 意外にもシンプルな対策で改善!悪循環だと気づいた私は、次男が食べることを嫌がって食べ物を投げるような行動が見られたら、まず次男を抱っこするようにしました。すると、次男は食べ物を投げることを止めて落ち着くのです。 そして、長男が集中してゆっくり食事をとれるような環境を作っていきました。長男の食事が終わるころには、抱っこで気持ちが落ち着いた次男は気が変わるのか、次男も喜んで食事を食べるのです。そうした対策をとると、食後の汚れは圧倒的に少なく済んだのでした。 2人で一緒に食事をとってくれると食事介助も早く終わり、私も自分の食事ができて助かるのですが、次男の機嫌次第で難しくなっていきました。しかし、叱っても状況は悪化する一方で、まず、次男の気持ちを受け止めてあげることが大事だと気づいたのです。今は時間はかかりますが、この方法で子どもたちが気持ちよく食事できる環境を作っていこうと思います。 著者:岩見 エリ2人の男児の母。看護師歴12年、フランスで出産し子育て中。
2022年12月02日私の無頓着な性格が災いして、新生児のときに娘がいつも同じ方向を向いて寝ていることに気が付かず、寝かせていました。そのため、右の頭の後ろがぺったんこになってしまいました。4歳になった今でも周りから指摘を受けることがあり、私自身とても心が痛んでいる体験です。母親からのアドバイス初めての子育てということもあり、5カ月間は実家に住んで母からのサポートを受けながら子育てをしていました。母は「新生児はこれが必要だよ」と事細かに教えてくれて、とにかく心強かったです。子どもの頭を支えるドーナツ枕も購入し、寝るときは常に使用していました。 そして「寝ているときは頭の後ろが均等な形になるように方向を都度変えるんだよ」と母からはアドバイスを受けていたものの、無頓着な性格が災いして、娘がずっと同じ方向を向いて寝ていることに私は気が付いていませんでした。 義理の両親からの指摘娘が生後3カ月になったときに、義理の両親が地方から私の実家近くまで会いにきてくれることになりました。そして孫との感動の初対面を果たすことになるのですが、そのとき義理の母に「あら○○ちゃん、頭の後ろ、片方がへこんでいるけれども大丈夫?」と言われてしまったのです。 私はそこで初めてはっとさせられ、実家の母に言われたことを思い出しました。自分では毎日一緒にすごしていたせいもあり気付いていなかったのですが、周りの人から見ると娘の頭はどうやら片方だけへこんでいるようでした。 最後には夫からのとどめ一方の夫はというと、海外赴任のため、普段はテレビ電話や動画を通じて娘の成長を伝えていました。そのため娘の頭のことを指摘されることはなく、また私からあえて話すことはありませんでした。娘が生後5カ月になったときに夫のいる海外に戻ったのですが、戻ってから1・2カ月経ったころ、「○○ちゃんの頭の形って片方へこんでいるよね」と言われました。 このときは「やっぱりか……」と思いました。ただ、ここで私が何か危機感を感じ取っていれば、まだ頭の形について言われ続けることを変えることができたのかもしれませんが、案の定、私はこの指摘を聞き流してしまっていたのでした。 娘が4歳になった今でも、誰かに頭の形について指摘されるたびに心が痛み、新生児のときのケアは本当に大事だったのだなと思いました。健診のときなどに相談するべきだったなと反省もしています。今後、本人が気にするようになったときには、娘に素直に謝ろうと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:町田 久美子4歳児を育てるワーママ、ズボラ主婦。ベトナム在住。手を抜く家事、育児を常に探しながら、ライターとして漫画や教育系、ベトナムでの子育て経験について執筆中。
2022年11月28日ごはんを食べているとき、最初のうちはしっかり食べてくれるのに途中で物を口に入れるとベッと出してしまう娘……。どうにかごはんを残さず食べてもらうべく、さまざまな工夫をして何とかすべて食べてもらえるようになりました。 いきなりごはんを食べなくなった娘は生後6カ月ごろから離乳食を始めましたが、特に嫌がったり、好き嫌いしたりすることはありませんでした。ところが1歳を過ぎてから、ごはんの途中で口に入れた物をベッと出すように……。 最初のうちは、もうおなかいっぱいなのかな?と考えていました。しかしその後、ごはんの量を減らしたり、お気に入りのおかずに変えてみたりしましたが、口から出してしまうことは変わりませんでした。 さまざまなもので食卓を囲んでみたごはん中の楽しみが足りず、遊びたくなっちゃうのかな?と思い、机の向かい側に娘のお気に入りのぬいぐるみを座らせてみました。最初はお気に入りのぬいぐるみが一緒にごはんを食べているのがうれしかったのか、笑顔でごはんを食べてくれていましたが、それも効果はたった数分……。 そこで、私も娘と同じ時間にごはんを食べることに。それまでは、娘はまだひとりでごはんを食べられないし、私も一緒なんて大変だと思い、食事は別にしていました。そこで、私のごはんも娘と同じくらいの少ない量に。私が一緒に同じ物を食べてくれるのがうれしかったのか、かなり効果がありました。 コース料理形式に私と娘が一緒に食卓を囲むようにしてから何日かしたところで、またごはんを出してしまうように……。なんでだろう……?と考えてみると、娘は目の前に大好きなフルーツがあるときにほかの物を口に入れられると、それを出していることに気がつきました。 そのため、今まではワンプレートにごはんをすべてのせて出していましたが、コース料理のように1品ずつ出すようにごはんの食べさせ方を変更。すると効果てきめん! よく食べてくれるようになりました。 娘は、好きな物を先に食べたい派なのか、目の前に好きな物がないコース料理形式はとてもうまくいきました。何度かコース料理形式にしたあと、ワンプレートをもう一度出してみたところ、フルーツはほかのおかずを全部食べないと食べられないと覚えたのか、ワンプレートでもごはんを口から出さずに食べてくれるようになりました。 監修/助産師REIKO作画/はたこ著者:橋本 楓0歳女児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月25日4歳のころの息子は小食で、ごはんをあまり食べませんでした。活発な子ではないので、義母からすると、ごはんの食べる量が少ないから活発ではないと思い込んでしまっている様子。また、義母に会うたびに息子の食事について聞かれるようになったほか、私に対する発言が次第にきつくなっていき、精神的に追い詰められてしまいました。そのときの義母との体験談をお話しします。義母から孫の食事についての質問の嵐!息子が5歳になるころから、朝昼夕、おやつなど、孫が食べている物、食べる量について、義母は私に細かく聞いてくるようになりました。 その質問に答えると「そんなごはんでは、孫は成長しない」「もっと食べさせなさい」「おなかがすいたら孫がいつでも食べられるように、冷蔵庫には栄養のある食べ物を常備するように」と言われました。義母とは2週間に1度のペースで会いますが、そのたびに息子の食事のことを聞かれ私は徐々にストレスだと感じるように……。 あなたの作るごはんがまずいのよ!数カ月経っても孫の食べる量が増えず、小食のままの様子を見た義母は「ごはんがまずいのよ」「そんなごはんじゃ、食べる気持ちにならないのよ。孫がかわいそうだわ」と言い出しました。 さすがに私もショックを隠し切れず、何も言い返すことはできませんでした。これまで義母の言うように、私なりに栄養バランスを考え幼児食の本も買い勉強もしてきたのです。その頑張りをすべて否定されたような気持ちになり、私は悲しくなりました。 孫が食べないのは嫁のせいと言いふらす義母は、「孫が食が細いのは嫁の料理がまずいから」「嫁のせいで孫はごはんを食べない」と夫や義父、近所の方に言いました。精神的に追い詰められた私は、料理を苦痛に感じるようになっていったのです。 私の気持ちを敏感に感じ取ったのでしょう。その様子を見ていた息子は、ますますごはんを食べなくなってしまいました。このままではいけないと思い、私は義母に「息子の小食に向き合い、しっかり考えています。もう少し温かく見守ってくれないでしょうか」と勇気を振り絞って伝えました。 義母に思いが通じた…?私の真剣な思いに義母は大変驚いていました。それからは息子の小食について、意見を言わなくなったのです。息子は変わらず小食ではありますが、私は義母から意見を言われなくなったことは大変気がラクになりました。 息子のごはん作りも前向きになり楽しく作れるようになると、息子もごはんに興味を示し少しずつですが食事量も増えていきました。 母は私が悩んでいることに、まったく気付いていなかったそうです。義母は、活発に走り回りごはんもしっかり食べるという自分の孫の理想と現実が違うことが受け入れられず、私のせいにしてしまったのではないでしょうか。私は義母の言動で傷ついてしまいましたが、義母の思いも汲み取ることで義母の気持ちに寄り添えることができるようになり、よかったと思っています。 著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。
2022年11月22日2歳半にして、お話が大好きな長女。里帰り出産で実家に帰って祖父母と過ごすようになってから、さらに言葉が上達しました。しかし2人目を出産してしばらくすると、長女に吃音がみられるようになったのです。2人目出産のため長女を連れて実家へ長女が2歳半のころ、2人目の里帰り出産で4カ月ほど実家で過ごしました。保育園の同じクラスの子たちのなかでも言葉の発達が早く、おしゃべりが大好きな長女。 しばらく実家で祖父母と過ごすようになり、さらに言葉が上達! あいさつはもちろん「(ごはんを)おさきにいただきます〜」など、たまに大人びた言葉を使い周りのみんなを驚かせるように。かんたんな会話が成立するようになってきて、成長を感じ微笑ましく思っていました。 長女に起きた異変2人目が生まれ、イヤイヤ期と赤ちゃん返りが同時にきた長女。言葉でも自己主張をはっきり伝えてくるようになりました。「寂しさからくるのだろう」と理解するものの、寝不足や赤ちゃんのお世話が忙しくイライラが募って、つい怒ってしまう日々……。 そんなある日、長女の話し方が「あ、あ、あのね」のように、話し始める最初の単語を繰り返していることに気づいたのです。私はびっくりしたのと同時に、もしかして、私が怒り過ぎているからではないかと思ってしまい、落ち込みました。怒り過ぎたことを後悔し、長女が寝いているときに泣きながら謝ることもありました。 小児科で相談したところ…心配で小児科の先生にも相談したところ、「注意したり無理に治させようとしないでください。まだ言葉の発達途中の段階なので、親が神経質にならなくてもいいですよ。親の育て方は関係ありません」と言われました。少し安堵しつつ様子をよく見てみると、歌っているときやゆったり過ごしているときは、言葉がつまったりすることはありません。大人の会話に無理やり入ってくるときや、早く話したいときなどは、スムーズに言葉が出てこないことがあるようです。忙しくてもなるべく顔を見て、話をじっくり聞いて長女との会話を楽しむように過ごすよう心がけることにしました。 長女が言葉を詰まらせる様子に気づいたときは心配で不安でした。今は、親である私が神経質になるほうが良くないと思い、寝る前には「大好き!」とぎゅーっと抱きしめ愛情表現を怠らず、普段通り接しています。現在、3歳半を過ぎた長女は、あまり言葉を詰まらせることはなくなってきました。このまま言葉を習得していくにつれて治っていくといいなと思っています。 ※子どもの吃音(きつおん)の原因は特定されていません。また、親の育て方は関係ないと言われています。言葉が発達する2歳~4歳ごろに起こることがありますが、成長するにしたがって自然に治っていくことも多いです。子どもに吃音がみられたときは、「ゆっくり言ってごらん」などの、症状を指摘するようなことは避けましょう。親や周囲の人が子どもの話にしっかりと耳を傾け、最後まで遮らずに、楽しそうに聞く姿勢を見せることが大切です。話しやすい環境を作ったり、ゆっくりと話をしてあげて、子どもの自信を高めてあげてください。心配なときやは治らない場合は小児科や地域の発達相談など専門家に相談しましょう。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:桜井りこ2児の姉妹ママ。不妊治療から流産を経験し妊娠。美容系会社勤務、現在は育児休暇中。整理収納・株、投資信託が趣味。美容・コスメ系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2022年11月17日ある日、4歳の娘と電車に乗ると、親子が乗ってきました。ママは赤ちゃんを抱っこひもで抱っこし、もう1人、3歳くらいの男の子と手を繋ぎ、ベビーカーを抱えています。3歳くらいの男の子はママの腕を引っ張りながら「あっち行く! 座る!」と動き、ママは「お願いだからじっとしてて!」ととても大変そうな様子。私が声をかけようとしたそのとき……!? 娘の性格4歳の娘はとてもよく気が利く子で、普段からティッシュがなくなっていたら補充してくれるなど、言わずとも動いてくれて非常に助かっています。娘もそんな自分が自慢のようで、幼稚園でも家でも「娘ちゃんはお助けマンだから!」と自信満々。 けれど人見知りなところもあるので、知らない場所や知らない人が多い場所ではお助けマンの力は発揮されてきませんでした。 子連れのママを発見そんなある日、娘と2人で電車でお出かけをしました。私たちは座っていましたが、車内の座席はすべて埋まっており、何人か立っている人がいる状態。駅に着いて扉が開くと、親子が乗ってきました。 ママは赤ちゃんを抱っこひもで抱っこし、もう1人、3歳くらいの男の子と手を繋ぎ、ベビーカーを抱えています。3歳くらいの男の子はママの腕を引っ張りながら「あっち行く! 座る!」と動き、ママは「お願いだからじっとしてて!」と大変そうです。 じっと見ていた娘が…少し距離がありましたが、声をかけようと思い「ちょっとここで待ってて」と言おうと娘を見ると、娘が親子をじっと見ていました。そして急に「ママ、お助けマンしてくるからこの席守ってて」と言ってずんずん親子のほうに向かっていったのです。 「こんにちは」と声をかけると、娘は男の子の目線になるようかがんで、「こっちの席あいてるよ」と男の子に言い「おねえちゃんと手つないでく?」と言いました。遠くから見ている私はハラハラドキドキ。男の子はきょとんとしつつも娘と手をつなぎ、こちらの席へやってくるので私はママに会釈しました。 「ドキドキした」と笑った娘が誇らしい娘は男の子に席をゆずり、下の子は立っていたほうが落ち着くというので、私の席は娘にゆずりベビーカーを引き受けました。親子が乗っていた3駅の間、娘はずっと男の子の相手。 親子が降りる駅に着くと、ママは「本当にありがとう!」と娘に言い、男の子も「お姉ちゃんバイバイ!」とご機嫌で降りていきました。親子が去ったあと、娘に「かっこいい!」と言うと、照れた表情。そして「あードキドキしたっ!」と言って満足そうに笑う娘を非常に誇らしく思いました。 いつもは初対面の人に自分から話しかけることのない娘が、「大変そうだ! 助けなければ!」と自分で考えを巡らせ、自分で話しかけにいったことにとても驚きました。ずっと「この子は知らない人には話しかけられない」と思っていましたが、親の知らないところで成長しているのだなと実感した体験談です。 監修/助産師 REIKO著者:山口花田舎で1女1男を育てる母。コーチングの資格を子育てに生かしながら日々奮闘中。主に妊娠・出産・教育の記事を執筆している。
2022年11月15日私が住む自治体の1歳半健診では、ひと通りの測定や内科・歯科健診を終えたあと、最後に保健師さんのところに行って言葉や積み木遊びなどの発達検査をしてもらうことになっていました。イラストを指さす言語の検査が始まると、「わんわん」「ぶーぶ」「くっく」など、幼児語ながらも順調に答えていく長女。しかし私は1つのイラストが気になっていました……。不安だった「魚」のイラストおそらく「魚」と言わせたいイラストなのでしょうか。真っ赤な「鯛」と思われる魚がそこには描かれていました。長女は鯛を知りません。私が「なんて答えるのかな?」と不安になっていると、保健師さんの指が鯛を指しました。 すると、長女は自信満々という顔をして、大きな声で「サバ!!」と答えたのです。これまで幼児語だったのに、あまりにはっきりとした発音の「サバ」に、保健師さんが笑いをこらえているのがわかりました。 魚はすべて「サバ」だった長女当時、わりと好き嫌いが激しかった長女。食べる魚と言えば脂ののったサバだけでした。お肉も卵もあまり好きではなかった長女にとってサバは貴重なタンパク源だったため、週に1回以上は食卓に上がっていたと思います。 長女はすぐに「サバ」という言葉を覚えてくれて、一緒に買い出しに行くと魚屋さんで「サバ!」と連呼していました。1歳の子どもが魚を品種で呼ぶのは珍しかったのか、店員さんをはじめ周りの人々から「よく知っているねぇ」と褒められたものです。しかしよく考えると、サバしか知らない長女にとって「魚=サバ」だったのです。 魚料理に弱いことがバレバレサバばかり出していたのは娘がサバを好きだからということ以上に、私の魚料理に対する苦手意識からでした。さばくのも食べるのも下手だったので、骨抜きの塩サバやみりん干しばかり購入していたのです。 保健師さんに「青魚好きなのいいね! 鯛は食べさせたことないかな?」と聞かれ、しどろもどろになる私。離乳食のころは白身魚のベビーフードを使っていたので、鯛を調理したことは一度もありません。保健師さんは終始やさしかったものの、手抜きや料理のレパートリーの少なさが露呈してしまい、冷や汗が止まりませんでした。 今改めて考えるとただの笑い話なのですが、当時は本当に恥ずかしく、帰り道で鯛を購入してしまったほどショックでした。たとえ1歳でも、子どもの言葉は普段の生活を表してしまうこともあるのだなぁと感じた出来事です。 監修/助産師REIKO著者:岩崎はるか2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療的ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院で農学を学んだ経験から食についても執筆。
2022年11月13日