私は3歳半と1歳半の男の子を育てています。次男はもうすぐ1歳半になりますが、まだ歩けないどころか、ひとりで立つこともできません。長男も歩き出したのが生後1歳5カ月と早いほうではないため、「子どもは個人差がある」ということは学んでいます。しかし、かかりつけ医やママ友からかけられる何気ない言葉で、私はだんだん次男の成長が心配になっていきました……。焦る夫をなだめる私もうすぐ1歳半になる次男は、最近やっと立つことに興味を持ち始めたようで、つかまり立ちをし始めました。1歳5カ月でひとり歩きをし始めた長男の経験のおかげで、「子どもの成長は個人差が大きいから、他の子どもと比べてもしょうがない」ということは十分学んでいた私。 その反面、次男の成長が心配な夫は、毎晩次男のために歩く練習をします。そんな夫に「焦らなくても、そのうち歩けるようになるから」と繰り返し伝えていました。 周りの言葉に不安になっていく…ある日、次男の定期健診でかかりつけ医を受診しました。そこで医師に「まだひとりで立てないの? おもちゃで遊んだり、ハイハイしたりする?」と少し驚かれたのです。私は「長男も遅かったので次男も遅いのかも」と返答し、医師から経過観察の指示が出ました。 また、ママ友からは「まだ歩かないなんて、○○(次男の名前)は怠け者だね!」と冗談交じりに言われることがあり……。そういう言葉を聞き続けているうちに、私はだんだん次男の成長が心配になっていくのでした。 ベビーシッターをしていた友人の言葉そんな中、ベビーシッターをしていた友人と久しぶりに家族ぐるみで食事会をしました。私は次男に対する不安をちらっと友人に伝えたのです。すると、友人は「最近は本当に子どもの成長を急がせるよね。大丈夫、焦らずに待ってあげればいいんだよ」と言いました。 私はそのとき、「長男の経験で個人差があることを学んだはずなのに、また同じ心配をしていたんだ」と気づいたのです。 長男の育児で経験を積んでいるため、次男には心に余裕を持って育児をしていると思っていた私。しかし、実際は医師の言葉や周りの人の言葉でどんどん自信がなくなっていき、気づけば私は長男のときと同じ悩みを繰り返していました。しかし、友人の言葉で再確認でき、これからは次男の成長を焦らずゆっくり見守っていこうと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/しおん著者:岩見 エリ男児2人を育てる母。看護師歴12年、フランスで出産し子育て中。
2024年04月25日わが家には4人の子どもがいます。子育て中で一番苦戦したのが、寝かしつけ。特に、上の子2人のときは、頼れる人もいない孤育て状態。添い寝すると自分も一緒に寝てしまったり、なかなか寝てくれなくてイライラしたりする日々でした。そこで、3人目から思い切って方法を変えてみたところ、自分の時間ができるようになったのです。上の子たちのときもこうすればよかった、と今は後悔しています。ワンオペの寝かしつけわが家には17歳の長男、15歳の長女、6歳の次女、2歳の次男の4人の子どもがいます。夫は仕事だからと育児に参加せず、ワンオペです。私も仕事をしながらの育児は毎日がバタバタで、添い寝すると私も疲れて一緒に寝てしまい、家事を残していることに夜中に気づいて、起きて家事をすることもありました。 抱っこやおんぶをして、やっと寝たと思って布団に置くと起きてしまう子ども。添い寝して寝たと思って離れると起きてしまうことも。家事もはかどらず、イライラするばかりでした。 家事を優先させてみた3人目ともなると、まずは家事を終わらせようと割り切るように。首がすわるまではベビーラックに寝かせておき、長女に見ていてもらっていました。そして、家事を終わらせてから自分が寝るタイミングで布団に連れて行っていました。おんぶができるようになったころからはおんぶをしながら家事をして、終わってから布団へ。 1歳ごろになってくると、おんぶも重くなり、先に寝かせられないかと思うようになりました。そこで寝室へ連れて行き、部屋を暗くして寝る体制を整えてから「ママ、もう少しお仕事してからくるから先に寝ててね」と言って部屋を出ることに。 意外と寝てくれた初めての日はちゃんと寝てくれるか心配でしたが、意外とすんなり寝てくれたので、もっと早くやっていればよかったと思いました。それまでの「絵本を読んで!」や、遊んでなかなか寝てくれない状況から開放され、家事を早く終わらせられるようになったのです。 4人目は夜泣きの時期が終わると、次女(3人目)と一緒に寝る前のトイレと歯みがきを済ませて寝室へ連れて行けば「おやすみ~」と2人で寝てくれるように。 日中はたくさん遊んでいたので、昼間に体を動かして、夜は寝る環境を整えれば、ちゃんと寝てくれることがわかりました。私自身が、寝るまでそばにいないと心配で離れられなかっただけかもしれない……と、今になって感じています。ワンオペで家事と育児に余裕のない私でしたが、寝かしつけがラクになって家事がはかどり、自分ひとりの時間を楽しんでいます。 著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月25日【発達障害×PTA(父母会)】アンケート結果発表新年度になり、PTA(父母会)の役員決めも行われる時期になりました。今回、発達ナビでは発達障害のあるお子さんの保護者の皆さまへ「PTA(父母会)に参加した?感じたメリット、デメリット」についてアンケートを行いました。そちらの結果と、寄せられたコメントをご紹介いたします。アンケートの結果はこちら!Upload By 発達ナビ編集部アンケートの結果、「メリット、デメリットは半々だった」(35%)という方が最も多い結果となりました。次点は「どちらかと言えばメリットを感じたことがある」(26%)です。参加することで、先生方や保護者とのつながりができるけれど、やはり作業が大変という方が多いようです。小学校は、PTAの役員、しかも代表をやらせていただきました。いろんなお母さま方との交流は楽しくもあり、難しいものだということを考えさせられた一年間でした。PTAグループの中で、小グループに分かれての活動をしたので、その時のメンバー6名とは、今でもLINEでつながっています。年代も違う、子供の性別や年も進路も違うところでのコミュニケーションは、他にはない、あたたかさがあります。障がい児二人を抱えながら、健常児を育てているお母さま方の中に飛び込むのは、とても勇気が入りました。でも、どなたも、ウチの子供達にも(もちろん、他のお子さんにもですが)同じように接してくれ、成長を喜んでくれる関係性を作れたことは、良かったと感じています。私は5年間、夫は4年間経験しました。周りができない理由合戦状態になり話が進まず、面倒臭くなって引き受けました。先生達と距離が近くなり、関わりのなかったママ達と仲良くなったり……情報を貰いやすくなったり、自分のいろいろなスキルも上がった(パソコン等)けれど、「そのやり方だと後から問題が出てくる」等の明らかな運営ミスを理解してもらえずPTA役員外から苦情を言われて尻拭いしたり……。PTA役員外から役員への無理難題や攻撃も多く、私が退任する時にPTAの組織自体を廃止させました。全くママ友もいなかったのに、沢山話のできるママ友ができてとてもうれしかった。また、学校とのつながりもよくわかるようになったし、先生たちと仲良くなれたのも良かった。ただ、時間の拘束が長く、仕事量も多くてお金をもらっているわけではないのになぜこんなにやるのかと負担を感じることもあった。広報部と本部役員をやりました。メリットは、広報部の仕事と思われる広報誌の作成や学校行事の写真撮影。特に運動会は、広報部として競技間近で写真が撮れました。校正等で学校に出向かなくては行けなかったのですが、ついでに子供の学校生活を抜き打ちで見られたりしたので、個人的にはメリットを感じました。ですが本部役員は、知りたくないことまで耳に入るのでデメリットでしかありませんでした。今も継続でしてます。デメリットもあったのかもしれませんが、メンバーに恵まれて楽しい方が上回ってます。子供の様子が身近で見られることや子供のクラスの子と話せたりしてプラスが多いです。確かに面倒なこと、大変なこともありますが、今見れる成長を感じられることや、学校でどんなふうに過ごしたり、子供の報告だけでは理解できないことが分かったりして、心の財産になりそうです。ちょうど役員中に放課後デイの閉所問題があり、学校・相談支援員とも密接に意見交換ができ、保護者として行政・施設に希望意見を出すことができたのでPTA組織の必要性を感じた。校長先生や教頭先生など、先生方と接する機会が多いので、親子の顔と名前を覚えてもらいやすいのと子供の事を理解してもらいやすい。支援学級在籍というだけで、通常学級の親御さんに「気遣い」という線引きができるのを実感しました。ある親御さんは、名乗ってご挨拶もせず、娘の同級生と遠目から私の事を確認しにきました。今は、娘は協力学級へ怖がり入れません……(一年不登校です)。※誤字等の表記の一部を修正しております。以上のように、さまざまなコメントをいただきました。以下ではPTAに参加された保護者の皆さまの体験談コラムをご紹介します。思い切って父母会役員に立候補!/小学校~高等特別支援学校でPTAをやった経験から/特別支援学校と特別支援学級で役員をやって感じたメリット等PTA体験談3選3歳児健診で多動症の疑いがあると指摘された息子さん。保健師さんから「まずは幼稚園に入ってしばらく様子を見ましょう」と言われたのですが、入園してみると脱走、癇癪、お友達トラブルで幼稚園から毎日電話!「退園してほしい」と言われるのではないかと心配していたところ、幼稚園は加配を付けてくれ、息子さんも楽しく園に通えるように。そんな幼稚園に恩返しをしたいと思い切って父母会役員へ立候補したのですが、参加してみると驚きの事実が判明したのです!お子さんが小学生の時に校外委員、学級委員と謝恩会委員を、そして高等特別支援学校では進路委員と広報委員を経験された中で感じた、PTA活動のメリットデメリットとは?PTAは「子どものために」親ができる身近なボランティア活動のひとつ、でも負担を強いるのはよくないですよね。特別支援学校と特別支援学級に在籍した6年間で、2年に1度ほどはPTAの役員や委員会の委員を経験し、積極的に役員の仕事をしてよかったと感じているという立石さん。学校のバザーに出店する焼きそばを「太麺にするか普通麺にするか」で30分も意見が交わされ、さすがに嫌になってしまったこともあったそうですが、それに勝ったメリットとはどのようなものだったのでしょうか。さいごにPTAは任意団体ですので、参加することもしないことも選ぶことができます。もちろん無理に引き受けることはありませんが、参加することで出会いや経験ができたという声もありました。アンケートに寄せられた声や、体験談コラムなどが参考になれば幸いです。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年04月20日入学して数日後、小学校に通う長男を見て衝撃の事実を知った私。そして私はとても後悔したのです……。 幼稚園時代に…長男が入園したのは勉強に力を入れている幼稚園。漢字教育に力を入れていて、和歌や短歌や詩を教えてもらったり、ひらがなやカタカナが書けるように書き方の授業があったり。幼稚園が終わってから家で幼児向けテキストを解かせ、長男に学習習慣を身に着けさせようとしていました。 長男が小学校に入学したころ、年中のときによくやっていた、漢字のカルタをやってみました。すると、なんと長男、このカルタの存在を覚えていなかったのです。覚えたはずの漢字やひらがなを小学校に入ってから長男に聞いても、忘れたり間違えたりすることが度々ありました。覚えるのは早かったのに、忘れるのも早いという現実を目の当たりにして、私は衝撃を受けました。 私の後悔そして長男は運動が苦手です。勉強に力を入れすぎて、外遊びの時間をあまりあたえなかったことが関係するのかもしれません。1年生になるとみんな当たり前にひらがなを学校で教えてもらうので、幼稚園でひらがなが書けなくても焦る必要なんてなかったように感じました。 幼児期に、外遊びを含めて、勉強以外にもいろいろな経験をさせるとよかったのかなと今は後悔しています。 長男の経験から、下の子2人はのびのびと過ごさせていますが、大きな困りごともなく成長しています。今後、長男の幼児教育の成果も何らかの形で実を結ぶことを願っていますが、子どもの成長や発達に合った体験が大切なのかもしれないと感じた出来事でした。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:小川 朝美監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月19日赤ちゃんがこんな行動していたけど、これってうちだけ……?など、赤ちゃんのその時期の発育や発達は気になることが多いもの。そこで月齢別に赤ちゃんたちの様子やしぐさを紹介します! 生後3カ月になると、首がしっかりしてきて、活動量が増えたり、表情もますます豊かになってきて、日々の成長を感じているのでは? 生後3カ月赤ちゃんの様子やしぐさをまとめてみました。低月齢ならではの、かわいいしぐさに思わずにやけちゃいますよ! 3カ月ちゃんってどんな感じ?首がしっかりとしてきます。うつぶせにすると腕で体を支えながら、少し頭を持ち上げられるようになってきます。また、手指の機能も発達するので、握りやすく軽い物なら、少し持っていられるようにも。 運動面だけでなく、心のほうもグンと成長し、気持ちいい、楽しいときは声を出して笑ったり、気に入らないことや、不快なことがあると大声で泣いたりするなど感情表現も豊かに。ママが語りかけると反応するようになる子も出てきます。また、自分の手足をなめたり、キョロキョロしたり、自分の体や周囲に興味を持つようにもなります。 この時期特有のしぐさ&行動って?動画で見られた生後3カ月ちゃんたちのしぐさや行動を解説します。 「うつぶせ」首の筋肉が発達してきて、頭を持ち上げようとすることも。ただし、うつぶせ遊びをするのは、赤ちゃんのご機嫌がよく、必ずママが目の前にいてあげられる間だけに。時間は月齢×10分が1日の目安ですが、小分けでもOKです。 「クーイング」泣き声や叫び声と違って、赤ちゃんが機嫌のよいときに舌を使わない「あー」「うー」「くー」などといったやさしい声を発するようになることを言います。赤ちゃんが成長して、のどの形に変化が表れて出る声と言われていて、言葉の発達の始まりです。始まるのは早い赤ちゃんは生後1カ月ごろ、通常は生後2〜3カ月ごろと言われています。そして、生後6カ月ごろに「あーあーあー」「だーだーだー」「バブバブ」などとった多音節から始まる「喃語(なんご)」というものが始まると、自然としなくなります。 「手で物をつかむ」周囲の物に興味を示すように。気になった物に手を伸ばし、短い間ならつかめるように。 「寝返り」足腰の力がついてきて、多くは生後5カ月ごろですが、早い子は寝返りをする子も。ただしまだ自分では腕を抜いたり、元に戻ることができません。寝返りをしていたらサポートしてあげましょう。 「指しゃぶり」自分の手に興味を持ち、口に入れて確認しようとします。指でなくこぶしをしゃぶる赤ちゃんも。 心と体、どちらもグンと成長する時期です。発育・発達にも個人差が出てきます。他の子と比べてうちの子はまだしない、と思っても焦らず、わが子の成長を見守ってあげましょう。この時期は周囲に興味も出てくるので、ママはたくさん声かけをしてあげると良いでしょう。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月16日長男はとても甘えん坊で、ママが必ず添い寝しないと眠れないという子でした。そんな長男が2歳半のとき、次男を出産しました。里帰り出産だったため、私が出産で病院へ向かう際には実家の両親に長男を預かってもらったのですが……。「ママ病院に行かないで」と寂しがる長男甘えん坊の長男は、私がいないと寂しくてすぐに泣いてしまうような子です。長男は「ママが赤ちゃんを産むときに、ママと会えなくなるのが嫌だ」といつも言っていました。 次男の出産時に長男が私に会えなくなると、長男が情緒不安定になるのでは?という思いから、長男も一緒に寝泊まりができる病院で出産をすることに。「ママは赤ちゃんを産むために病院でねんねするけど、いつでも遊びに来ていいからね」と私は長男に言い聞かせていました。 長男も一緒に宿泊する予定が!?無事に次男を出産し、私の体調が落ち着いたところで長男を病室に呼ぼうと思っていたのですが、次男の体に異変が見つかり、次男は急きょNICUへ入院することに。私は次男にできる限り寄り添ってあげたいという思いから、面会可能な時間はずっとNICUで過ごしました。 私の精神状態も不安定だったため、長男を病室に呼ぶことはやめて、長男は引き続き実家で預かってもらうことに。私は次男のことが心配で、長男のことまで考える余裕がありませんでした。 退院前夜に長男が発熱…私の入院中、長男は実家の両親に付き添われて1度だけ病室を訪れてくれました。長男は笑顔でとても元気そうに見えました。「私がいなくても心配ない」と私は安心していたのですが……。私が退院する前夜、長男が40度近い熱を出したとのこと。 実家の両親が長男を小児科へ連れて行ってくれましたが、熱以外の症状はなく、医師からは、「原因はわからないけれど、疲れがたまったのかな?」と言われました。のちに実家の両親から聞いた話では、私の入院期間中、長男は夜に電気を消すと寂しくなると言って、電気をつけたまま毎晩2時過ぎまで眠れずに起きていたそうです。 私はNICUに入院した次男のことばかりが心配で、長男のことを考えてあげられなかったと申し訳なく思いました。長男は「ママがいなくて寂しい」と言いたかったけれど、私を心配させたくなくて気丈に振る舞っていただけなのかもしれません。退院後、「ママ、もうどこにも行かないよね?」と不安がる長男を、私はたくさん抱きしめてあげました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:斉藤菜々子4歳と2歳の男の子のママ。夫は転勤族で3回の引っ越し経験有り。「子育て」「ファッション」ジャンルを中心にライターとして活動中。ワンオペでの子育てに悩み、解決の糸口になればと保育士資格を取得。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月15日他人から頻繁に「人見知りが激しいね」と言われ続けていた2歳半の長男。他人を怖がる長男を見ては、「なんとかしなきゃ!」と感じていた私。そこである場所へ向かうことを決意し、実行に移したのですが、なんと驚きの展開が待っていたのです。 子どもサークル初日私は2歳半の長男と生後5カ月の次男を連れて、親子で参加できる子育てサークルへ参加しました。初日は長男も次男も初めて見る10人ほどの親子にド緊張。 超人見知りの長男は、私や次男から離れず置物のように固まり、笑うこともなく周りで何が起こっているのか観察していました。それでも歌やゲームが始まると少しずつおもちゃを触るようになり、1時間後には少し笑顔を見せるようにまで変わっていたのです。 子どもサークル2回目初日のサークルで長男に手ごたえを感じた私は、毎週必ず参加しようと決めました。2回目のサークルで長男はやはり私や次男から離れようとせず、参加している子どもたちや大人を黙って観察していました。 「まだ怖いのかな?」と思っていた矢先、長男は急に目の前にあるおもちゃを年下の子へ渡し始めたのです! そこから、おもちゃを使って積極的に子どもたち同士で遊び始めた長男を見て、私は「初日よりも短時間で他の子と遊んでいる!」とうれしくなりました。 子どもサークル3回目で驚きの変化3回目の子どもサークルでは扉を開けた瞬間、長男は保育士さんに飛び切りの笑顔を見せてあいさつしたのです! 保育士さんは「3回目でこんなにいい笑顔を見せてくれてうれしい」と言ってくれました。 その日は、あんなに人見知りだった長男が積極的におもちゃで他の子どもたちと接し、自ら同い年の子たちに駆け寄って輪の中へ入っていこうとしていたのです。私は長男のあまりの変化に驚き、予想もしなかった姿に感動しました。 長い間、長男の超人見知りを心配し悩んでいた私。サークルに参加して、まさかこんなにも早く新しい環境に馴染み、他の子どもたちと楽しむ姿を見られるなんて予想もしていませんでした。改めて子どもの吸収力と新しい環境への柔軟性に驚かされました。子ども同士で遊ぶことで多くのことを学んでいる長男と次男のため、今後もサークルを続けようと思います。 イラストレーター/ねね著者:岩見 エリ
2024年04月12日現在3歳になる娘は、生後3カ月のころから保育園に通っています。当時夫が失業しており、私は産後2カ月で仕事復帰しました。認可保育園は空きがなく、藁にもすがる思いで入れた認可外保育園。娘は当時最年少だったこともあり、先生はもちろん、上の年齢の子どもたちも娘をとてもかわいがってくれました。しかし、保育料が高いため、保活を継続していたわが家。娘が2歳のときに、無事、認可保育園へ転園することができました。しかし、私は転園を後悔することに……。生後3カ月から通った保育園を2歳で転園通っていた園はとても良い保育園でしたが、認可外ということもあり保育料が高く、経済的に余裕のないわが家は認可外に通わせながらも認可保育園への保活を継続。娘が2歳になったタイミングで、なんと地域で一番人気の認可保育園への入園が決まりました。 通い慣れた環境から引き離してしまうことに不安はありましたが、娘も「新しい保育園行く!」と楽しみな様子。さらに娘はあまり人見知りしない性格で、初めて会う人に対しても自ら積極的に接することができたため、きっと新しい環境でも大丈夫だろうと、このときは考えていました。 娘の様子に転園を後悔転園して1週間ほどたったころ、「保育園に行きたくない。前の保育園がいい」と娘が言うようになりました。前の保育園ではとても活発で自由奔放に過ごしていた娘でしたが、新しい園では、常に緊張しながら過ごしているとのこと。すっかりおとなしくなってしまった様子です。 もともと保育園が大好きだった娘の変化に私は、「転園は娘にとってマイナスだったのではないか……。金銭的に無理をしてでも今までの園に通わせてあげればよかった」と激しく後悔するようになりました。 時間と共に環境に適応していく娘にひと安心そんな思いを抱えながら過ごしていましたが、半年ほどすると環境に慣れてきたようで、徐々に「今日は○○ちゃんと遊んだ」、「○○が楽しかった」など、楽しい報告が聞けるようになりました。 転園当初は先生の間でも「おとなしい子」として扱われていた娘ですが、今ではクラスで一番のおしゃべりになっているそう。再び以前のように楽しそうに保育園に通う娘の姿を見ることができて、心の底から安心することができました。子どもには順応力があるのだなと驚かされました。これからも娘の力を信じて見守っていきたいと思います。 不安と後悔でいっぱいの転園でしたが、時間の経過と共に子ども自らの力で適応していってくれました。今ではすっかり転園先の保育園になじみ、毎日いろいろなことを学んできています。この先もきっと、環境が変わるたびに親は心配で心がいっぱいになるのだろうなと思いますが、子どもの適応能力を信じて乗り越えていこうと思います。 著者:南星 花監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月08日私は職場が提供する任意の研修を受講するため、平日に加え、土曜日も研修のある6回だけ、子どもを保育園に預けることにしました。ところが、それを聞いた子どもは「土曜日は保育園に行きたくない!」と大号泣。土曜日の保育園は嫌だと言うのです。子どもが土曜日の保育園を嫌がる理由は……!? 子どもの話を聞いて、子どもに「ごめんね」と思ったエピソードです。土曜日も保育園へ子どもを預けることに私の職場で、任意の研修の受講案内がありました。この研修は、平日の夜、平日の昼間、土日の昼間から都合の良い日時を受講者が選び、受講できるというもの。私は以前からこの研修内容に興味がありました。 しかし、仕事以外の時間に子どもを見てくれる人がいないため、研修の受講は難しいだろうと考えていた私。そんなとき、子どもが通う保育園で「預かり保育」をしていると知りました。この預かり保育を利用できないかと保育園の先生に相談したところ、利用可能とのことでした。 子どもからの大反対! 困惑する私土曜日に子どもを保育園へ預けられることになった私は、さっそく職場の研修に申し込みました。そして、研修を受講する6回だけ、土曜日に保育園へ登園してほしいと子どもに伝えました。ところが、子どもはその話を聞くと、たちまち不安と不満が入り混じった表情に……。ついに子どもは大号泣してしまったのです。 「土曜日は園児が少なくて好きなおもちゃを自由に使えるかもしれないよ」「土曜日の代わりに平日どこかでお休みしてもいいよ」などと子どもに伝えましたが、子どもは土曜日に保育園へ行くことが嫌だったらしく、大反対されてしまったのです。 土曜日の登園を嫌がったのは…土曜日に登園するのはたった6回だけですし、土曜日の代わりに平日に保育園をお休みすれば登園日数自体は変わりません。このため、土曜日に子どもを保育園へ預けると言っても、子どもから反発されないだろうと楽観視していた私。ところが、予想外にも子どもから大反対を受け、子どもにとってはそれでは納得できないことなのだとわかりました。 子どもにとって、土曜日の保育園には仲良しの友だちが登園していないことや、いつもと違う保育室で過ごさなければならないことが嫌だったようです。困り果てた私は、研修をすべて平日の昼間に振り替えて受講できないかと検討しています。 子どもの気持ちをきちんと理解できていないまま、安易に土曜日に子どもを保育園へ預けることを決めてしまった私。この一件があってからは、子どもの生活リズムはできるだけ変えないこと、子どもの気持ちをもっとよく理解することが大事だと肝に銘じ、今まで以上に子どもの気持ちに寄り添おうと心に決めました。 著者:武田 ゆうか3歳女児の母。1987年生まれのミレニアル世代。小さいころから本と歌が好き。就職活動に失敗し、それまで無縁だったIT業界で社会人生活をスタート。20代で結婚し、子どもを授かるも、夫のモラハラに苦しんでいる。
2024年04月05日妊娠32週で生まれた娘は低出生体重児でしたが、生後2カ月を過ぎたころには体重が成長曲線内に入るようになりました。それでも離乳食の開始は、修正月齢で始めるよう医師から言われていました。しかし、娘が食べたそうにしていたこともあり、少し早めに離乳食を始めることにしたのですが……。離乳食は修正月齢で始めるように言われる娘は早産で生まれ、体重は2,047gの低出生体重児でした。生後は入院していましたが1カ月ほどで退院し、育児用ミルクをよく飲んでくれました。生後2カ月を過ぎると、体重は誕生日を起点とした通常の月齢で見ても成長曲線内に入るほどに。さらに生後4カ月になると成長曲線のど真ん中まで成長! 早産だったとは思えないほどふっくらした娘を見るとうれしくなりました。 しかし定期的に通っていた発達外来で医師から、「育児用ミルクでしっかり栄養がとれるから離乳食は急がなくて大丈夫。どうしても家族が食べているのを見て食べたがる、とかでなければ修正月齢の5、6カ月から始めましょう」と言われていました。 ※修正月齢:もともとの出産予定日から数えた月齢 食べたそう! …始めちゃえ!!医師からは離乳食はまだ始めないようにと言われたものの、家族で食事をするのをじーっと見つめる娘の姿を見ると、食べたそうに見える……。そう思った私は、「正期産と言われる妊娠37週で生まれたと仮定して、生後5カ月」、つまり修正月齢の5カ月よりも早いタイミングで離乳食を始めてみることにしました。 お粥を初めて食べた娘は「ん? なんだコレは??」という表情で、なんともかわいかったです。 食べない&うんちが真っ黒に!!離乳食を始めてお粥、野菜と食べる種類と量を少しずつ増やしてみましたが、娘はなかなか食べません。最初はこんなものかな……と考えていましたが、離乳食開始から半月ほど経った日、うんちの色が真っ黒になってしまったのです! 慌てて母子健康手帳のカラーページにあるうんちの色の見本と見比べても、一番濃い色よりも真っ黒。すぐにおむつを持って小児科に行きました。 医師からは、黒く見えるが濃い緑で、内臓系の血で黒くなっているというわけではないので問題ないと説明されました。ただおなかの音を聞くとグルグル鳴っているので、胃腸炎の可能性もあるとのこと。そのため娘のおなかの調子が落ち着くまで、離乳食はいったんお休みすることにしました。 離乳食を再開すると離乳食をお休みして1週間、娘の体調も安定したので離乳食を再開することに。そのとき娘は「修正月齢で見て、間もなく6カ月」でした。すると娘は離乳食をぱっくん、もぐもぐ。以前よりも食べる量が格段に増えました。 また、手で離乳食を引き寄せようとしたり口を開けて待っているなど、自分から欲しがる姿勢が見られ食べる意欲が出てきました。 早めに離乳食を始めて娘は体調を崩してしまったのかもしれません。体重は増えてきても早産だったため、体の中はまだ食べる準備ができていなかったのだと反省しました。現在娘は生後8カ月ですが、おいしそうに食べる姿はとてもほほえましいです。今後も焦ることなく娘のペースに合わせて、楽しく食べることを大切に離乳食を進めていきたいと思っています。 ※離乳食の開始時期の目安は、首のすわりがしっかりして寝返りができ、5秒以上座れる、スプーンなどを口に入れても舌で押し出すことが少なくなる、食べ物に興味を示すなどが挙げられ、生後5~6カ月ごろが適当とされています。ただし、子どもの発育及び発達には個人差があるため、月齢はあくまでも目安であり、子どもの成長・発達の状況に応じて進めるようにしましょう。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:森まり子1歳3カ月差の兄妹ママ。ワーママとして時短勤務をしつつ、ライターとしても活動中。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月04日幼稚園に通う6歳の息子は小柄で、背の順で並ぶと前から3番目。クラスで1番背の高い子と比べると頭1つ分違います。女の子と遊ぶことのほうが多かった幼稚園入園当初とは異なり、年長になった今は活発な男の子グループと親しくしているようで、遊び方も体を使った激しいものになっています。話を聞いていると、息子は強い子の言いなりになっているのではないかと心配になってしまいました……。 はじめは楽しくじゃれ合っていても…年長になってから増えたのが、息子のささいなケガでした。ブロックを投げ合っていたら自分だけ顔面にあたった。戦いごっこをしていたら一方的にやられて痛かった。本人や担任の先生から聞く話はいつも「やられる」側。 実際に公園などで遊んでいる様子を観察していると、はじめのうちは楽しくじゃれ合っているように見えても、次第にヒートアップするにつれお互いに力加減が難しくなり、結果的に体格的に劣る息子が「やられて」しまう形に見えました。 「〇〇くんに笑われる」もう1つ気になることがありました。息子は幼稚園のトイレでうんちをするのを極端に嫌がります。理由は、ある男の子に笑われるからだと言うのです。またある日、赤い刺しゅうが少し入ったハンカチを持たせようとすると、同じように「〇〇くんに女の子みたいって笑われるから嫌だ」と拒むのです。 万事において「○○くんが笑うから」「〇〇くんがダメだっていうから」と、特定のお友だちの言動によって息子の行動が制限されているような様子が、「強い子」の言いなりになってしまっているのだろうか、という私の不安を煽りました。 担任の先生に相談してみると「息子はやっていけているのだろうか?」と少し心配になった私は、実際の園生活ではどういう様子なのかを担任の先生に聞いてみることにしました。すると先生は確かに体格的に劣る分、痛い目を見ることも多いのは事実ですと言いながらも「息子くんも負けていませんよ」と教えてれました。 息子は場の状況を読むのに長けていて、決してトラブルには近づかないこと、気持ちの切り替えが早く喧嘩した相手ともまたすぐに仲良く遊べることなど、息子の強みも挙げてくれた上で「心配ありません」と言ってくださったのです。 大人の目線から見ていると、男の子の中でも「強い子」というのは背が高く、力が強く、足が速い子が多いように感じられますが、息子はそのどれにも当てはまりません。だからといって「弱い子」と決めつけるのではなく、担任の先生が教えてくださったように息子らしさや長けた部分に目を向け、これからの成長を親としてサポートしていきたいなと思いました。 イラストレーター/miyuka著者:川木みさ
2024年04月02日私は長女が年中のときに長女のことで悩んでいました。幼稚園で担任してくれている先生に相談をしたところ、驚きのお返事が返ってきたのです――。 長女のことで悩み相談私は長女が年中のときに4人目の妊娠、出産をしました。5歳という時期もありますが、3人の弟や妹ができ長女は不安定に。 年少のときには幼稚園に行く前に泣いたことなんてなかったのに、幼稚園に行きたくないと泣きじゃくり、靴を履かない、服を着ないといった行動もありました。次女への噛みつきや意地悪も頻繁に見られるようになり、どうしていいかわからず私は悩んでいました。 ハグをたくさんしてあげなければと思っていても、自分の感情がコントロールできず、夜に反省することばかり……。 幼稚園の担任の先生にお迎えのときに相談すると、幼稚園では変わらず楽しそうにやっているとのこと。とりあえず様子見ということになりました。先生からの驚きの手紙相談した次の日も長女が泣いて登園していました。その日帰宅すると長女が先生から「ママにお手紙もらったよ」と言いました。 手紙を見てみると、今日の幼稚園での長女の様子を教えてくれたあとに「お母さんは頑張っています。頼ってください! 幼稚園では私がいっぱいハグしたいと思います!」と書かれていました。 私の頑張りを認めてくれた言葉、私ができないと悩んでいることを一緒にやってくれようとしている言葉に私は涙が出てきました。若い先生なのですが一緒に解決してくれようという姿勢が何より素敵で、この先生が担任で本当によかったなと思っています。 心が折れそうなタイミングで相談をした私に、忙しい中手紙をくれた先生には感謝しきれません。余談ですが、小学生1年生になった今では年中の長女の行動はなんだったのだろうと思うぐらい、長女は落ち着いています。 イラスト/蓬田あんころぴぷぺ著者:松谷 えりな
2024年03月30日入浴施設に行った際のことです。娘の何気ない言葉に衝撃を受けました……。 温泉で他人の体をじっと眺める娘温泉などの入浴施設に行くのが好きなわが家。しかし小学校1年生の娘が、そういった場所に行くたびに、他の人の体をじーっと観察することがいつも気になっていました。普段母親である私や父親以外の人とお風呂に入るということがないので、ほかの人の体が気になるのだろうと思っていたのですが……。 あるとき、温泉上がりに脱衣所で娘が言ったことに衝撃を受けました。 それは、「ねぇねぇ、ママの体ってほかの人と全然違うよね。何でそんなにおっぱいが小さいの?」という一言。それは私が決して人に触れてほしくない話題。 子どもの純粋な疑問なのですが正直胸がザワザワしました。そのことについて話したい気分にはなれませんでしたが、「人の体はみんな違うの。おっぱいが大きい人もいれば小さい人もいるんだよ」と説明しました。子どもの歯に衣着せぬ発言に撃沈そのときは納得したようでしたが、その後もやはり入浴施設に行くとほかの人の体をしげしげと眺め、「ママブラジャーする意味あるの?」などと聞いてくる娘。どこで覚えたのか「洗濯板」というような表現まで持ち出してくるようになりました。私はそのたびに、子どもが言うことだからと平気な顔をしつつも、内心自分が傷ついているという自覚がありました。そしてあるときついに、「ママ胸のことを言われるのは好きじゃないからその話はしないで」と娘に伝えました。 娘は私の対応に不思議そうな顔をしていましたが、「自分ではどうしようもない体の特徴をあれこれ言われて悲しい思いをする人もいるんだよ」と説明すると娘なりに理解したようでした。 成長して徐々に話す内容に気づかいができるようになったこともあり、娘はその後胸の話はしなくなりました。友だち関係はもちろんですが、家族であっても親子であっても触れられたくない話題というのはあります。お互い気持ちよく過ごすために、ちゃんと話題への配慮の必要性を伝えていくのも大切だと感じた出来事でした。 イラスト/ぽん子著者:澤崎 凪
2024年03月26日いよいよ発達相談。悩める母の救いの手となるか!?保健師さんによる発達相談……相談したいことだらけ、分からないことだらけで毎日闇の中を手探りで進んでいた私たち親子にとって、唯一の救いの手のように思えました。この子の未来を、私たちの毎日を明るく照らせるような方法を、道を教えてほしい……。わらにもすがる思い、だったんです。その時は。Upload By よいこ「この子は普通の幼稚園で大丈夫なんでしょうか?」「家でできる療育はありますか?」 相談室に通されるなり矢継ぎ早に質問した私にも問題はあったのかもしれないし、今思えば無責任に答えられない側面はあったのでしょう。Upload By よいこけれど、対応してくれた保健師さんは戸惑いながら「それはちょっと分かりませんね」「あまり分かりませんね……」を繰り返すばかり……。のれんに腕押し感というか、発達相談に来た意味とは?と思わざるを得ませんでした。発達相談に来た意味はあったの?とりあえず児童精神科の予約を取ったけれど……思うような答えを得られないまま、発達相談の時間は終わりに近づいていました。保健師さんのすすめで、とりあえずその場で児童精神科の予約を取りました。半年後の……。いや、そこまで何もできず手をこまねいているのか!?こんなに不安を煽っておいて放置とかちょっと……。と軽い苛立ちと焦りを抱えつつ、結局ほとんど何も相談できずに発達相談を終えたわけです。この時の心境は……割と絶望寄り。あら、もしかして誰に聞いてもこの解像度?私の不安や苦しみってすくい上げてもらうことはできないの?言葉を尽くして説明しても伝わらない?響かない?……発達相談への期待が大きかった分、失望も大きかったんですよね。Upload By よいこ大きな失望の中、かかってきた一本の電話。そんなこんなで一週間ほどモヤモヤした気持ちのまま過ごしていたところ、一本の電話が鳴りました。それは前回とは異なる保健師さんからの電話でした。曰く、「あーくんの様子をお聞かせいただきたいので、一度お宅に伺ってもよろしいですか?」そう、保健師さんによるお宅訪問の予定伺いだったのです。「そんなのあるんだー」と承諾はしたものの、私の本当の気持ちは、めんどくさい、嫌だなあ……でした。そもそも前回の発達相談で、保健師さんに対して期待を裏切られたと感じていたので、何か解決策が得られるとも思えず、片付けるのも手間だし……と後ろ向きになっていたからです。でもまあ仕方ない。来るものは来るのだから。と半ばヤケクソ気味で迎えた保健師訪問。まさかこの時はこれが救いの一手になるとは1ミリも想像していなかったのでした……!Upload By よいこ執筆/よいこ(監修:室伏先生より)よいこさん、発達相談にまつわるエピソードを共有いただき、ありがとうございます。親御さんとしては、発達の今後の見通しや通園に関すること、療育に通う必要があるのか、どんな療育が合うのか、ご自宅でお子さんに対してしてあげられることは何か、とっても知りたいですよね。よいこさんがされていたご質問は、発達外来でもよくご質問いただく内容です。そこで、分からないですね、お答えできません、ひとまず様子をみましょう、という返答ばかりでは不安になってしまいますよね。確かに、これらのご質問のお答えはお子さんによって異なりますので、発達外来の医師であってもお会いさせていただいたばかりでこれらの質問にお答えさせていただくことは難しいかもしれません。でも、その疑問の答えをどこで聞けるのか、今何かできることがないのか、そして今後のおおまかな方針だけでも聞くことができたら、安心できたかもしれませんよね。発達外来では、まずは親御さんのご質問内容をお伺いした上で、お子さんの評価を行い、それからご質問にお答えをさせていただくようにしています。とはいえ、この評価にはそれなりに時間がかかります。親御さんから困りごとや生活のご様子、これまでの発達のご様子をお伺いして、実際にお子さんのお話している様子や遊んでいる様子を観察し、診断、見立てをしていく必要があるからです。ですので、受診していただいた当日にはクリアな回答をお出しできずに、複数回の診察を重ねて少しずつお答えさせていただくことも多いです。保健師さんの訪問がどのようによいこさんを救ってくださったのか、よいこさんがまた別の機会に書いてくださるのを楽しみにしていますね。前の記事はこちら
2024年03月26日保育や児童発達支援など、11事業28施設を運営する株式会社SHUHARI(本社:埼玉県志木市本町5-8-5)では、児童発達支援センター 元気キッズ チルズ(埼玉県朝霞市)にて、継続的に実施しているグループ内児童発達支援施設の利用者を対象とした「ヘアカット体験会」の第6回を2024年4月に開催いたします。元気キッズ チルズ外観■生きるために必要なヘアカットを、楽しいものうれしいものと思ってほしい発達に課題を抱えるお子さんの中には、一般の理美容室でのヘアカットが難しい子がたくさんいます。慣れない場所で慣れない人がハサミやバリカンをもっているのでパニックになってしまう子も少なくありません。そんなお子さんたちにとって、生きるうえで必要なヘアカットを少しでも「楽しいもの」「うれしいもの」と感じてほしい。そんな思いから2023年に10月27日に第一回ヘアカット体験会が実施されました。■きっかけは現役の美容師さんからのお声がけ青野氏今回お力を貸してくださったのは現役美容師の青野 賢士氏。ヘアカットが難しい子どもたちへ、何か力になりたいという思いから今回ボランティアとしてご協力くださいました。元気キッズの職員とご友人で、何気ない話の中でご自身の想いが元気キッズなら実現できると、お声がけいただきました。■いつもの場所、いつもの人がいる環境で、ヘアカットに慣れていくヘアカット児童発達支援センター 元気キッズ チルズの一部屋を利用し始まった体験会。いつも通っている施設での開催ということもありすんなりヘアカットができる子、やっぱり慣れなくてヘアカットを拒否する子など様々な反応がありました。初回は「慣れること」を重視し、決して完璧なヘアカットとはいかない部分もありましたが前髪がさっぱりして「可愛い!」「かっこいいね」という声に笑顔で返してくれるお子さんも。青野氏も、体験会を行うたびに「今回はこうだった。ああした方がよかったかもしれない」など子どもたちへの関わりについて試行錯誤されながらカットをされています。完璧なカットではなく、子どもたちが安心した空間の中でのカットを心掛けてくださっています。■保護者からは予想を大きく上回る反響が初回の開催以来、保護者の皆様からはたくさんの反響をいただきました。人数にも限りがある中、「次はいつですか?」と言っていただくこと少なくありません。すでに5回の体験会を実施していますが、毎回希望者が殺到している状況です。元気キッズの児童発達支援を利用される保護者の皆様の中にも、お子様のヘアカットに対して大変な思いをされた方がこんなにも多くあることを再確認しました。継続して活動を行うことで、きれいに整った自分を褒められてうれしい!と感じられたり、ヘアカットに慣れ、いずれは外部の理美容室へ行けるようになったりできることを目指しています。今後も青野さんのお力をお借りしながら邁進してまいります。■この活動をもっと広げるためにこのヘアカット体験会は月に1~2回程度で実施しています。現在はグループの児童発達支援施設利用者の方を中心に行っていますが、ゆくゆくは地域の理美容室とも協力しながらこの活動を広めていきたいと考えています。第6回ヘアカット体験会は4月に開催予定です。詳しくは下記のコーポレイトサイトのお知らせにて詳細を公開予定です。■元気キッズグループについて元気キッズグループロゴ「どんなGENKIもうけとめる」をコンセプトに多様なGENKIを認め合う保育・療育を理念とした、保育園や児童発達支援事業所を含むグループ。保育園から始まり、地域課題に向き合い、認可保育園、小規模保育園、埼玉県初の居宅訪問型保育、学童保育、病児保育、保育型児童発達支援、ペア指導型児童発達支援、相談支援など11事業28施設を埼玉県朝霞市、志木市、新座市で運営。インクルーシブな地域社会を作る事業、活動を行う。2023年には朝霞市から障がい児等療育支援事業を委託され、地域における障がい児支援の質の向上、医療的ケア児支援連携強化事業にも尽力している。また、代表 中村 敏也著書には「保育・療育で地域オンリー1になる 保育園運営の教科書」(かざひの文庫)、「発達が気になる子どもへの関わり方を教えてください!~発達障がい、グレーゾーン…」(かざひの文庫)がある。【会社概要】会社名 : 株式会社SHUHARI所在地 : 〒353-0004 埼玉県志木市本町5-8-5 中村ビル2階代表者 : 代表取締役 中村 敏也設立 : 2009年2月26日元気キッズグループHP: 事業内容 : 認可保育、小規模保育、病児保育、居宅訪問型保育、学童保育、保育型児童発達支援、放課後等デイサービスペア指導型児童発達支援、居宅訪問型保育、保育所等訪問支援、相談支援 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年03月25日次男が生まれてから、4歳の長男のかんしゃくがピークに。ある日、保育園の帰り道で長男が大かんしゃくを起こし、地べたに寝転がり泣きわめいていました。「かんしゃくがおさまるまで待とう……」と、歩道で息子を見守っていると、通りすがりのおじさんが声をかけてきたのです。もともと、かんしゃく持ちの息子私には、4歳の長男と生後4カ月の次男がいます。長男はもともとかんしゃく持ちで、気に入らないことがあったり、自分の思う通りにならないと大泣きして暴れてしまったり、手をつけられなくなることがよくありました。 市の発達相談には4カ月前に1度行っていて、「今年の4月に転園したりと、いろいろ環境が変わったばかりなので、少し様子を見ましょう」と言われていました。長男はかんしゃくが落ち着いている時期と、かんしゃくがひどい時期を繰り返していて、私は妊娠中から「赤ちゃんが生まれたら、このかんしゃくはもっとひどくなるだろうな……」と思っていたのです。 どうしても抱っこしてほしい、息子次男が生まれてから2カ月は、かんしゃくもそれほど起こさず、落ち着いてた様子の長男でしたが、次男が生後3カ月になるころ、赤ちゃん返りとかんしゃくがひどい時期が一緒にやってきたのです。保育園の帰り道、「抱っこして家まで帰ってほしい」という長男。 私は次男を抱っこひもで前抱っこをしていたので「ぎゅーならできるけど、今は抱っこできないよ。おうちに帰ったら、たくさん抱っこしてあげるね」と説明しました。長男は、納得できない様子で「抱っこ! 抱っこ!」と泣き始め、ついには地べたに寝転がって泣きわめき出しました。長男はこうなると手がつけられないので、かんしゃくがおさまるまで安全だけ確保して、じっと見守ることに。 通りすがりのおじさんが……すると、60代くらいのおじさんが近づいてきました。そのおじさんは私たちのところで止まると、長男に「抱っこしてほしいのかい。おんぶでいいならおじさんがしてやるよ」と言ったのです。私は丁重にお断りしましたが、おじさんは「今そこの〇〇商店まで買い物行くところだから、ついでだからいいんだよ」と言い、長男をおぶって家の途中の〇〇商店まで歩いてくれました。 長男がおじさんに「ありがとう」と言うと、おじさんは「あんまりママ困らせることしちゃだめだからな」と長男に言い、「お母さんも大変だ、がんばってるな」と、私にまで声をかけてくれました。 私は、長男のかんしゃくがひどいときは、自分の子育てに自信がなくなるし、周りにいる人に申し訳ない気持ちになります。今回、どうしようもない状況だったのを見ず知らずのおじさんが助けてくれ、私にまでねぎらいの言葉をかけてくれたことが、とてもうれしかったです。もう一度ばったりおじさんに会えたら、再度感謝の気持ちを伝えようと思います。 著者:吉川 みきな15歳女の子と5歳と1歳の男の子の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2024年03月19日沖縄県出身のだいすけさんはフォトグラファー・ビデオグラファー。岐阜県出身のちゃんまりさんはヘアメイク・着付師。病院で重度のADHDと診断されているだいすけさんと奥さんのちゃんまりさんは、2017年に結婚し、現在は沖縄で2人暮らし。YouTubeチャンネル「ナカモトフウフのOkinawa Life Vlog」では、そんな2人の暮らしを動画でご紹介しています。「ADHDは十人十色の症状が出るので、すべてを当てはめることは難しいですが、この動画が少しでも参考になったり、悩んでいるご夫婦が改めて話し合うきっかけになれば」と、この動画を作成したナカモトフウフ。 だいすけさんの特性を理解することで、毎晩涙する日々から仲良し夫婦になれたと言う、ちゃんまりさんの笑顔の秘訣をご紹介します♪ ADHDのだいすけさんってこんな人初めに、だいすけさんの特性を大きく分けて7つ紹介します。 ①自分が興味あることへのこだわりが強すぎる だいすけさんは、掃除へのこだわりが強く、掃除の仕方がすごく細かい。掃除モードに入ったら手がつけられず、一緒に片づけようと誘ってきます。片づけないと前へ進めない……! 身支度へのこだわりも強く、細かいところが気になり出したら時間を忘れてとことん気が済むまでやります。そのため、毎朝身支度に2時間かかります。 ②基本、電気は消し忘れるトイレも廊下も、行く先々の電気はつけっぱなし。 ③片づけができない 洗濯物を置きっ放しにするのはデフォルト仕様。ティッシュ撒き散らしも得意技! ④圧倒的な物無くし力ケータイや眼鏡はいつも探している。 ⑤何かに集中している時は、何も耳に入らない集中しているときに声を掛けても、返事はあるのにまったく覚えていない。 ⑥欲しいものは、後先考えずに衝動買い未開封のものがたくさんあるのに、ネットショッピングなどで欲しいものを物色。 ⑦自分の物差しで考え方を押しつける自分がこうだと思ったことは、曲げない。相手にもこれが正しいと押しつけてしまう。 夫の特性を理解したうえでちゃんまりさんが気をつけていること6つ ①こだわりが強いことによって起きる時間トラブルをコントロール!「だいすけさんは、このくらい遅れるだろう」と予想して、間に合う時間を伝えるようにしています。それでも遅れてくるので、遅れてもどうにかなる時間をさらに予想しておく! ②忘れていることに対して、意識を持たせる片づけない、やりっぱなしに対しては、そもそもだいすけさんは散らかしているつもりは無いので本人に気づいてもらえるようにしています。 例えば、「だいすけさん、その靴下を洗濯機に入れてね」と言うことで、床に置きっぱなしにしていることに気づいてもらうとか。わざとじゃなくて忘れているだけだから、意識を持たせてあげるだけでずいぶんと変わります! ③忘れ物は都度チェック家から出るとき、お店から出るときなどは「眼鏡持った? ケータイ持った? 財布持った?」と、全部チェック。最近は、友達や周りの人もチェックしてくれるようになり、忘れ物がかなり減りました! ④目から情報を入れる だいすけさんは返事をしても、聞いていないことがあります。集中力がすごいので、周りの声が聞こえていないんです。なので、返事があっても目が合うまでは要件を言わないようにしています。 だいすけさんは耳からの情報に弱く、目からの情報が圧倒的に強いという特性があります。だから、話したあとにメモを残すかLINEで送って見てもらったあと、忘れないように共有しているスケジュールに入れるようにしています。 ⑤買い物のルールを決めるひどい時は、1カ月のクレジットカードの支払額が100万円を越えていたというだいすけさん。「1万円以上の買い物は相談しないとめっちゃ怒りますよ」というルールを作りました。 ⑥まず、話を聞く相手のことを考えず、自分の物差しで人に言ってしまうことがあります。そういうときは、まず話を聞く。一旦、飲み込んで「あなたの意見はわかった。次は私の意見を言います。あなたと私は違うんですよ」っていうことを強調して伝えています。 だいすけさんが結婚して良かったと思うこと聞いていると、ちゃんまりが涙ぐましい努力をしてくれていますね。結婚してからの方が、仕事も含めてすべて上手く回っています。今までは、仕事はできるのに凡ミスが多くて不信感をかうことがよくありました。でも今は、自分を理解してくれる人が隣にいてくれることで、ものすごい力を発揮できていると思います。 ちゃんまりは、僕がいきなり言うことに対して、ついて来てくれます。そのメンタリティもすごいと思います。全力で乗ってくれるから、100%自分の特性を活かせています。100%を出せると、どんな道でも上手くいきやすいと思うんです。だから、結果的に今うまくいっていて、夫婦円満で楽しくやれているなと思います。 ちゃんまりさんが思う、ADHDの人と結婚して楽しい瞬間は?大変なことも多いけれど、だいすけさんと結婚して良かったと思うこともたくさんあります。「沖縄に移住しよう!」とか「ユーチューバーになろう!」なんて、普通はいきなり言い出さないでしょ(笑)。 だいすけさんの言い出すことはいつもいきなりだけど、それに乗っかることで結果的に楽しかったことがたくさんあります。いわゆる一般的な生活ではなく、面白おかしく生活できているのは、だいすけさんのおかげだなって思います。 最後に、ちゃんまりさんからアドバイス発達障害の旦那さんを持っている方へのアドバイスは、「あまり深く思い悩まないでください」。旦那さんが突然言い出す突拍子もないことも、乗ってみたら意外と楽しいかもしれないし、もう無理だと思ったら「ワーッ!」って爆発するのも大事。あまり我慢して溜め込みすぎないでください。特性を理解するのは良いことだけど、全てが報われるわけではない。無理だと思ったら諦める勇気を持つことも大切です。 この動画には「ちゃんまりさんがしっかり理解して、包容力がある」、「だいすけさんも嫌な部分を指摘されても素直に聞いて、行動できている」、「ADHDへの偏見が減って、理解が深まりそう」と、多くの賞賛コメントが寄せられていました。 今回は旦那さんへの対応の仕方でしたが、ADHDのお子さんを持つママさんにも参考になればと思いご紹介させて頂きました。 著者:ライター 廣瀬尚子
2024年03月17日3歳の息子は食べることが大好きで食への関心が高いのですが、そんな息子が買い物中に食べたがったものに、私はわが耳を疑いました。さらに大きな声で何度も食べたがるので、周囲の人も驚いた顔でこちらを見ているのがわかりました。コストコで起きた、息子の仰天エピソードです。食への関心が強い息子息子は離乳食期から食への関心がとても強く、食べ過ぎが心配になる面もありますが、助かっていました。また、3歳を過ぎたころから、食への制限も緩めはじめ、息子が興味を持った食事に対して、加減をしつつですが、挑戦させるようにしていました。 ある日、息子を連れてコストコへ買い物に行ったとき、カートに乗った息子が突然「今日はドッグフードが食べたいな!」と言ってきたのです。 どうしてもドッグフードが食べたい!「ドッグフード!? それは犬のごはんだよ?」と説明するものの、息子は納得がいっていない様子。その後も大きな声で「ドッグフード食べたい!」と連呼し、周囲の人が驚いた顔で息子を見ていました。さすがに恥ずかしくなってしまった私は息子に「ドッグフード食べたことあるの?」と聞くと、「あるよ!」と言うのです。 何かと勘違いしていると思い、似ている食材を想像しては息子に確認していきました。「それじゃない!」と言いながら売り場を知っているというので、なんのことを言っているのかと息子の指をさす方向へ行って確認をしてみることにしました。 息子のさす方向へ行ってみると……息子は何をドッグフードと勘違いしているのかと思い、言われるがままに着いた先はレジの前。すると息子は「ここを出たらドッグフードがあるよ!」と言うのです。ふとレジの先を見ると、そこにあったのはフードコート。そして息子は「ホットドッグ」の看板をニコニコと指をさしていました。 息子は以前、ホットドッグを買って食べたことを覚えていて、それをドッグフードと記憶していたのです。思わず笑ってしまう言い間違いに、「今日はホットドッグを買って帰ろうね!」と購入し、帰路につきました。 たしかに似ているけれど、思わず驚いてしまう発言に、かわいい言い間違いだなぁと思ったエピソードでした。ちなみにもうすぐ4歳になる息子ですが、未だにホットドッグを見ると、ドッグフードが先に出てきてしまうようです。少し考えてから「ホットドッグ食べたい」とちゃんと言えるようになり、息子の大好きな食べ物の1つにもなりました。 著者:伊藤 美里3歳の男児の母。多忙な夫との3人家族で、ほぼワンオペ育児を楽しんでいる。料理と子どもが好きで、食に関する情報や自身の子育て経験を中心に執筆活動中。
2024年03月15日私には、2歳の二卵性の双子の娘たちがいます。身長や体重は同じくらいでも顔や性格は違う2人。長女は外では頑張り屋さんで、私の前では頑張った分、気持ちを爆発させるタイプです。次女は極度の人見知り。初めての登園日は2人とも朝からわくわくしていて、ニコニコで登園の準備していました。しかし、保育園に着くと、まさかの事態が起こってしまったのです。 初めての登園の翌日に熱初めての登園日、家では帽子やリュックを身に着けて娘たちはニコニコでした。しかし、園に着くと、笑顔が引きつっていく長女と不安な顔の次女。2時間だけの慣らし保育だったのですが、次女は終始泣いていたようです。 長女は泣かずに過ごせていましたが、帰宅後、緊張の糸が切れたように私に八つ当たりしてはイヤイヤの連続でした。翌日はさっそく次女が発熱。感染症対策のため長女も一緒に園を休むことになりました。4月は慣らし保育に行っては風邪を引いて2日ほど休む、の繰り返しでした。 水分もとらない次女娘たちは3回目の登園日の朝からしばらく、泣いて登園するようになりました。頑張っている娘たちの様子を見てつらい気持ちになりましたが、早く慣れてもらうために登園させました。次女は登園当初から朝のおやつや牛乳はもちろん、給食も泣いて口にしなかったそうです。 園の先生たちが次女のために、特別にストローを用意してくれましたが飲まず、抱っこをしてもらわないとひたすら泣いていたようでした。朝起きてから泣いて何も口にせず、園でも水分をとろうとしないためなのか、園で熱が出た日もありました。 対策として私はさすがに次女に水分だけでもとってほしいと考え、5日間の慣らし保育後には、家で使っているマグにお茶を入れて持参し、先生に預けました。すると次女は園で少しずつマグのお茶が飲めるように。しかし次女は給食をまだ口にしなかったため、慣らし保育を4月いっぱいまで、残りの1週間を長女とともに延長させました。 5月に入ると、ようやく娘たちは朝から泣き始めることが少なくなりました。そして5月中旬ごろになると、次女は園でおやつや給食を食べられるようになり、マグの持参も終了。5月後半からは16時半まで預けられるように。 娘たちは園生活にすぐ慣れるだろうと思っていた私は、登園させてみて「甘かった!」と何度も思いました。娘たちが朝起きてからずっと泣き、園での2時間、次女は何も口にせず帰宅し、風邪もたくさん引いて……。つらい思いをさせている私をきっと娘たちにしてみれば鬼のような存在に思えたかもしれません。それでも最終的に園に慣れることができた娘たち。子どもの順応性の高さに驚かされました。今は、新しい環境に慣れて頑張っている娘たちに感謝しています! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/ちひろ著者:北川さくら
2024年03月10日娘は寝つきの良い子でしたが、小さいころはなぜかいつも深夜に起きてしまっていました。しかも夜泣きなどではありません。毎晩ご機嫌で起きては、ハイテンションに遊び続けていたのです。お願いだから寝させて!わが家では、生後8カ月のころから娘を保育園に預けていました。仕事復帰後は、慣れない育児と仕事の両立で毎日クタクタ。しかも、娘の睡眠時間が独特で、それにも悩まされる日々でした。 先輩ママからはよく「うちの子寝ないんだよね」などと聞いていましたが、うちの場合、寝つきは良いのです。けれど、必ず深夜の3時ごろに起きてきました。不思議なことに起きた瞬間から娘はご機嫌で、泣いたりすることはありません。 1歳を過ぎると、リビングからおもちゃを持ってきては楽しそうに遊び始め、1時間半ほどは起きていました。1歳半ごろには、私の母が買い与えたタンブリンを探し出し、私の耳元で鳴らすこともしょっちゅうありました。 やさしい先輩のおかげで乗り切れたそんなこんなで、毎日寝不足で仕事に行っていましたが、職場の先輩たちがいつも話を聞いてくれてとても慰められました。「よく頑張ってるね」「体調は大丈夫?」と声をかけてくれて、本当に救われたのです。 娘の深夜の起床は2歳ごろまで続いたと思いますが、振り返ればいつのまにか終わっていました。一体なぜだったのかは結局わからずじまいです。 その当時は体力的につらかったものの、話を聞いてくれる人がいるおかげで乗り切れました。職場の先輩たちには今でも感謝しています。今では8歳となった娘にも「あなたが小さいときはね……」と笑顔で話せる、思い出の1つになっています。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:やまね ゆき
2024年03月09日気になる周囲との差、発達について指摘される?みんなの3歳児健診エピソード3歳児健診は、子どもの身体の発育や心の発達を確認して、病気などの早期発見や、専門機関につなげる機会となる大切なものです。しかし、問診票の記入や尿検査などといった事前準備も多く、保護者にとっては負担に感じる部分もあるかもしれません。特に、発達障害や発達に特性があるお子さんは、事前準備や健診に行くこと自体が大変な場合もあるでしょう。今回は、発達ナビ連載ライター陣に、3歳児健診でのエピソードをご紹介いただきました。ASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)のコウ君は現在中学生。コウ君のお母さんである丸山さとこさんは、コウ君のことを「マイペースな子どもだな」と感じつつも、初めての子育てだったこともあり「3歳児ってこんなものなのかな?」と思っていたそうです。しかし3歳児健診で、大きな転機を迎えることに……。1歳半児健診の時にヘトヘトになった記憶がよみがえり、3歳児健診には行きたくない気持ちでいっぱいだったカタバミさん。それでも「耐え忍ぶしかない」と、重い腰を上げて向かったところ、まさかの健診「2回目」を受けることになって……!?ダウン症の息子きいちゃんを育てる星きのこさん。同じダウン症の子どものママ友たちと「3歳児健診行く?行かない!?できれば行きたくないよねえ……」と話していたそうです。周囲の視線が気になって耐えられないかも……と思った星さん。果たして、3歳児健診には行ったのでしょうか?ねこ太くんは現在小学1年生。ADHDグレーゾーンで特別支援学級に在籍しています。3歳児健診の時、ねこ太くんはまだおむつが外れておらず、事前の尿検査から苦戦!お母さんである鳥野とり子さんに、当時のことを振り返っていただきました。ASD(自閉スペクトラム症)の長男、けんと君を育てるゆきみさん。転勤族で知り合いもほとんどおらず、孤独を感じながらの育児でした。わが子の発達について悩んでいたゆきみさんは、相談していく中で少しずつ支援の輪が広がっていったそうです。寺島ヒロさんのご長男、タケル君は2000年生まれ。3歳児健診を受けた当時、ASD(自閉スペクトラム症)の特性については、まだあまり知られていませんでした。健診では、医師に心配なところを訴えるも理解されず、不安は解消されないままさらに7年の月日が経って……。よいこさんのご長男あー君は、現在小学6年生。ASD(自閉スペクトラム症)と診断されています。家庭や幼稚園でのあー君の行動に違和感があり、3歳半健診で発達相談する!と決意していたよいこさんでしたが……。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年03月09日3歳で幼稚園に入園する少し前まで、嫌なことがあると地べたに転がり泣いていた息子。それは主に母である私だけにするもので、夫はイヤイヤ期の大変さをわかっていないようでした。そんな息子も入園するころにはすっかり落ち着き、平和な日々を過ごしていたのですが、年中になってから今度は夫へのみ反抗をするようになったのです。夫への態度が急変!息子が年中になり2学期に差し掛かるころ、息子の夫への態度が急変しました。まず私と夫に対する話し方や声色が変わり、発する言葉のすべてが反抗的になりました。入園前のイヤイヤ期のようにかんしゃくを起こすことはないのですが、頻繁に夫をにらみつけ、何かと突っかかる言い方をするのです。 1度目のイヤイヤ期は主に私に向けられており、息子の反抗的な態度にあまり免疫がなかったため、夫は今回の息子の態度によって精神的に参っていくのと同時に、4歳児相手にまともに喧嘩をするようになり、家庭内の空気が非常に悪くなりました。 夫がプチ家出まで! 困って先生に相談息子に反抗的な態度を取られ続けたある日、堪忍袋の緒が切れた夫が、「俺がいないほうがいいんだろ」と言いながら家を出て行ってしまいました。「なぜパパに対してあんな態度を取ってしまうの?」と聞いても、息子は「嫌いなわけではないし、好きだけど、今はパパが悪い」としか言いません。 結局夫は1時間ほどで帰宅してきましたが、自分たちでは解決できないと思い、幼稚園の先生に息子の様子を相談することにしました。 2段階目のイヤイヤ期に突入していた担任の先生に相談してみると、息子は平均年齢からすると早いけれどイヤイヤ期の2段階目に入っているのだと教えてくれました。 先生によると、この反抗は、親が自分に作った価値観を一度壊してやりたいという気持ちと、4歳児特有の人間関係のストレスを親に受け止めてほしいという欲求が表れているとのこと。 その気持ちは大抵、「自分がなかなか超えられない壁になり、反抗しやすそうなほうに向くので、息子は父親を反抗対象に選んだのだろう」とのことでした。 先生のアドバイスは「反抗を拒絶するのではなく受け入れてあげること」でした。このアドバイスで夫も腹をくくり、息子が反抗的な態度を取っても受け止めることを徹底。すると2週間もしないうちに反抗期前の息子に戻ったのです。イヤイヤ期は成長の過程だと受け止め、親が感情的にならずにどっしり構えることが、イヤイヤ期卒業への近道の1つなのだと学びました。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/ちひろ著者:大井絵衣
2024年03月08日息子が2歳だったころ、まだおしゃべりがあまりじょうずではなく、成長度合いが少し気になっていました。市の健診でそのことを保健師さんに相談すると、予想もしていなかった言葉に、私は驚きショックを受けてしまったのです……。 姉に比べて発語がゆっくりな息子2人目の子どもである息子が2歳のころ、あまりおしゃべりをしないな……と気になっていました。4歳の娘が2歳だったころは複数の言葉を繋げて会話することができていたので、比べてしまうと少しゆっくりかなとは感じていたのです。 ただ、こちらから聞いた質問へ返答したり意思の疎通はできていたので「これが息子のペースなんだ」と、あまり深く気にしてはいませんでした。しかし同年齢の子でたくさん発語が出ている子も多かったので、2歳半健診のタイミングで保健師さんへ相談してみることに。 保健師さんの驚きの言葉2歳半健診で保健師さんに相談をお願いした私は、何か発語が増えるきっかけがもらえたらうれしいな、と思っていました。「上の子よりは話し出す月齢が遅いが、強く気にしているわけではないので、何か自宅でできるトレーニングや遊びはあるか?」と保健師さんへ質問したところ……。 私たちの普段の様子も聞かずに「母であるあなたが話しかけないことが良くない。常に話しかけて遊んであげなくてはダメ! このままではこの子はずっと喋らないよ」と言われてしまったのです。 突然強く言われた私は驚いてしまい、必死に普段の様子を伝えましたが、保健師さんからは療育へ行くようにすすめられました。突然の展開に警戒してしまった私はその場では決めず、療育へ行く場合にはこちらから連絡しますと伝えて退室しました。 その後予定が合わず療育へ通うことはありませんでしたが、そんな母の気持ちを知ってか知らずか、息子はどんどん発語が増え、小学生になった今では毎日騒がしいほどです。しっかりと対応できなかった私も良くなかったですが、相手へ気持ちを伝えることは簡単なことではないなと感じた出来事でした。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! イラスト/はたこ著者:高山ななみ
2024年02月19日私は、現在14歳の娘が4歳になるころ現在の夫と出会いました。夫は周りからは「〇〇くん」と呼ばれています。出会いからお付き合いを始めるまでは、娘と複数の友人を交えて食事をしたり遊びに出かけていたので、当然、娘が夫を呼ぶのも「〇〇くん」。お付き合いをはじめても2年以上そう呼んでいた娘は、いよいよ結婚となったとき、すでに「パパ」とは呼べなくなってしまいました。夫の呼び名私は、結婚をするとき娘に「(夫のことを)今まで通り〇〇くんでも、パパでも、どちらで呼んでもいいよ。好きなほうで呼んでね」と伝えました。すると娘は「ほんとはパパって呼びたいけど、すごく恥ずかしいから、しばらくは〇〇くんって呼びたいな」と照れくさそうに答えてくれました。 元々私も夫も、「ママ」「パパ」と呼んでほしい望みや、呼び名などにこだわりがありません。私たちは、娘が呼びたいように呼んでくれたらそれが1番良いと思っていました。 顔を赤くしながら……結婚して2年ほど経ったころ、そういえば娘は、相変わらず夫を「〇〇くん」と呼んでいるな、と気づきました。娘に「そういえば、最初パパって呼びたい気持ちがあるって言ってたけど、今はどう思ってるの?」と聞いてみました。 すると娘は、顔を赤くしながら「今もパパって呼びたい気持ちがあるけれど、今まで呼んだことがないから、本当に恥ずかしいの〜!」と笑顔で伝えてきたのです。その言葉を聞いて、私は妙に納得してしまったのです。なぜなら……。 現在の娘は私は、娘が物心つく前に離婚をしていたので、娘は生まれてから1度も「パパ」と呼んだことがないのです。人一倍、照れ屋で恥ずかしがり屋の娘は、初めて口にする「パパ」という言葉を、いざ夫を目の前にすると照れくさくなり言えなくなってしまうそうです。 そのため、実は学校で友だちと「パパ」と呼ぶ練習をしているんだ、と照れながらこっそり教えてくれました。その話を私もこっそり夫に話すと、夫も照れくさそうに、笑顔で頷いていました。 今もまだ、娘は「パパ」と呼んでいません。これからも呼ばないかもしれません。それでも娘と夫はすごく仲が良く、娘の一番の理解者は夫です。周りから「パパって呼ばせないの?」なんて言われたりすることもありますが、家族の呼び名なんて、お互い思いやる気持ちがあれば関係ないなと、私は今の生活で学ぶことができました。 著者:原田みづき2010年生まれの女の子、2018年生まれの男の子のワーママ。子育て、ファッションが主な関心ごと。
2024年02月08日3歳と1歳の息子を育てている私。長男はイヤイヤ期の最盛期で自分の思うようにならないとかんしゃくを起こし、手に負えないことも多々あります。子どもの泣き声が耐えられない夫は、そんな長男を毎日叱ってばかり。ある日、幼稚園の親子参観日があり、夫が参加することになりました。すると、親子参観から帰宅した夫はまるで別人のように変化していたのです!長男を叱ってばかりの夫3歳の長男は、最近1歳の弟にいたずらをしては弟を泣かし、私たちが注意しても言うことを聞かないことが多くなっていました。甥の幼いときを見ていた私は「3歳はこんなものだろう。成長とともに落ち着くはず」と見守っています。 しかし、夫は言うことを全然聞かずにかんしゃくを起こす長男が理解できず、「長男は怠慢だ。なんでこんな性格になった? もう疲れる」と長男に大声で叱ることは日常茶飯事。私が夫に説明しても納得できないようで、私も困っていました。 親子参観から帰宅した夫そんなとき、幼稚園から課外授業の親子参観のお知らせが届きました。私は、1歳の次男を連れて課外授業は難しいと夫に相談したところ、夫が「僕が行きたい!」と言うので夫に参加してもらうことにしたのです。 しかし、喜んで親子参観に出かけたはずの夫は、すごい真剣な表情で帰宅。私は長男に何かあったのかと心配になり、長男に確認しましたがいつもと同じ様子です。「何かあったの?」と恐る恐る夫に質問しました。 学びの親子参観夫は「他の子は大人しく話を聞いていたのに、〇〇(うちの子)は全然話を聞かずに動いてばかりだった」と。私が「長男は幼稚園に通い始めて日も浅いからしょうがないよ」と伝えると、夫は「話を聞かない長男を抱きしめて説明をする先生の接し方を見て、自分の対応が良くないと気づいたんだ」と言うのです。 どうやら、夫はプロの接し方を目の当たりにして、わが身を振り返り学んで帰ってきた様子。私は「夫に幼稚園の行事に参加してもらうことは、育児をするうえで大切なこと」だと思いました。 イヤイヤ期の長男を叱ってばかりいた夫。幼稚園の親子参観で、遠くから長男の様子や先生の対応を見て、たくさんのことを学び、寛大になって帰ってきたように私は感じました。今では、長男がかんしゃくを起こしても見守ろうとしてくれています。夫にとっても初めての子育て。悩みながらも学んでいることを知り、私も一緒に学んでいこうと思った出来事でした。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:岩見 エリ2人の男児の母。看護師歴12年、フランスで出産し子育て中。
2024年02月02日息子が3歳になり、幼稚園に入園。息子は言葉が遅く、私は発達について心配だったので担任の先生に相談しました。すると返ってきた先生のなにげない言葉に私は傷ついてしまったのです――。 言葉が遅め? 先生に相談すると…息子は1歳半ごろから車が大好きです。そんな車好きな息子のために、ショッピングモールに併設されているディーラーによく通っていました。また、すぐに車種を覚える息子を、私たち夫婦はなんとなく誇らしく思っていました。 幼稚園に入園して数カ月、息子は集団行動が苦手で、コミュニケーション力もまだ乏しかったため、自分の要求だけを伝えていた様子。ある日、息子を迎えに行ったとき担任の先生が様子を伝えてくれたので、家ではたくさん話すけれど、人より遅い気がして発達面で心配だと打ち明けました。 すると、先生は……。 「車に詳しくて変わったお子さんですよね。うちの息子も変わってて……」と言ったのです。集団行動がなかなか身についていないことについては悩んでいたのですが、車に詳しいことを「変わっている」と言われてしまい、なにげないひと言に傷つきました。 半年後息子が入園して半年後。人見知りも少なくなり、会話を楽しめるようになりました。幼稚園での様子に変化があったのか気になり、担任の先生に聞くと、「車に詳しくて本当に賢いですね」と言われました。 詳しく聞いてみると、集団行動が身につき手のかからない子になっていたとのこと。息子の成長はうれしかったですが、“手のかからない子”になると、車に詳しいことが「変わっている」から「賢い」になることに疑問を感じました。 何気ないひと言で先生に悪気はないと思いますが、息子の発達に悩む私にとって、「変わっている」という言葉は傷つくものでした。先生から見て集団行動が苦手だったところも含め、「変わっている」という判断であったとしても、言葉選びに気をつけてほしかったなと思います。私自身、ママ友と話したりするときは、なにげないひと言で相手を傷つけたりしなよう言葉に気を付けようと思った出来事でした。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:宮﨑るか
2024年01月31日わが子は生まれたときは平均的な体重でした。しかし、6カ月健診で医師からショックなことを言われてしまったのです……。 把握していなかった現実わが子は飲めばご機嫌になるので、泣けば母乳と育児用ミルクをあげて……を繰り返していた私。よく飲む元気な子だと安心しながら過ごしていました。そして生後6カ月健診を迎え、病院へ行くと……。 子どもの体重が成長曲線の上限を大幅に超えていたのです……!飲ませている量を聞かれて答えると、医師からはっきりとした口調で「ちょっとお母さん!飲ませすぎ! 考えないと! ミルク量は今あげている量の半分にして!」と怒られてしまいました。 良かれと思って育児用ミルクをあげていたのが、良くなかったという衝撃的な事実が判明したのです……。その帰り道は自己嫌悪に陥り、かなりショックだったことを覚えています。 その後、言われた通りに量を調整。すると成長するにつれて成長曲線内に入るように。ご機嫌だからと、育児用ミルクを与え過ぎてはいけないということを学んだ出来事でした。 初めての育児は経験から学ぶことも多く、ときには失敗もするものと思ってはいました。が、健康に関することはきちんと知識をもっておくことが大事だと今は身に染みて感じています。 ※おっぱいの場合、生まれたばかりの赤ちゃんには欲しがったらあげるのが基本ですが、育児用ミルクの場合は消化に時間がかかるため、1日8回程度が目安です。生後2カ月~3カ月ごろは6~8回程度にし、生後4カ月ごろから1日5回程度を目安にしましょう。離乳食を始める生後5~6カ月ごろになったら、食材に慣らすため、離乳食のあとに授乳をします。ただし、飲む量、食べる量には個人差があるもの。気になることや不安なことがある場合は、自治体の保健センターや小児科などで専門家に相談するようにしましょう。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/はたこ監修/助産師 松田玲子著者:たけだ みこ
2024年01月28日現在5歳になる娘は、食べやすいように工夫をしても手作りの離乳食をほとんど食べてくれず、私は本当に悩んでいました。レトルトの離乳食なら比較的食べてくれるけれど、できれば手作りの離乳食を食べさせたくて、使うのは最小限に留めていた私。義母が作った煮物も食べない娘にイライラした義母から言い放たれたひと言は、4年経った今でも心のどこかで許せずにいます。 発育は順調生後1カ月からずっと完全母乳で育てた娘。母子健康手帳に載っている成長曲線の平均値よりも常に身長も体重も上回っていたので、発育は順調でした。ただ、生後5カ月から始めた離乳食はなかなか進まず……。 離乳食中期になっても、娘はおっぱいばかり欲しがり、離乳食は食べても1口か2口だけ。保健所の栄養相談で栄養士さんに相談しても、「発育は順調だからあとは気持ちの問題。本人が食べたいと思えるまで気長に待ちましょう」と言われていました。 保育園入園までのタイムリミット娘が食べたいと思えるまで気長に待とうと思っていたものの、生後11カ月から保育園に入ることが決まっており、焦っていた私。 完全母乳で育てた娘は育児用ミルクはおろか哺乳瓶で飲むこと自体を拒否していたので、このまま育児用ミルクも飲めず離乳食も食べられないままで入園させたら、おなかが空いて栄養失調にならないか本当に不安でした。 離乳食を少しでも食べてもらいたい私は、毎日食材や固さ、味つけ、形を変え、試行錯誤しましたが、娘はことごとく拒否。 レトルトは好きレトルトの離乳食は味も固さも赤ちゃんの月齢にぴったりな状態になっているから、たまにならあげてもいいと保健所の栄養士さんからアドバイスを受けていました。そこでレトルトの離乳食も試してみたところ、珍しくパクパクと食べる娘。毎回とは言わないものの、レトルトの離乳食なら完食する日も。 それでもいくら食べてくれるからといって、毎日レトルトの離乳食ばかりあげ続けることには抵抗がありました。レトルトの離乳食をあげるのはおでかけのときだけにして、自宅では毎日手作りの離乳食をあげ続けていました。 「食べないなら無駄」手作りの離乳食をほとんど食べてくれないまま迎えたお正月。家族で義理の実家に泊まりがけで帰省しました。義母が娘にお手製のかぼちゃの煮物を出してくれましたが、断固拒否。申し訳ないとお詫びしながら、レトルトの離乳食を食べさせると2口、3口とパクパク食べる娘。 日ごろ私の作った離乳食もあまり食べないことを夫が伝えると義母はイライラしながら「作ったって食べないなら無駄なんだから、毎日レトルトでいいじゃない!」と言い放ちました。あまりの剣幕に、言葉の意味はわからないはずの娘も号泣。無駄というひと言は、試行錯誤を重ねてきた私自身を否定された気がして、悲しくて何も言い返す言葉が出てきませんでした。 幸い保育園に入園してから娘は今まで食べなかったのが嘘のように離乳食をたくさん食べてくれるようになり、本当に安心しました。手作りの離乳食を無駄だなんて言ってほしくなかったと、4年経った今でも心のどこかで許せずにいますが、義母にとって娘は初孫。今思えば義母も、かわいい孫のために前の晩から一生懸命作った煮物を食べてもらえなかったことが悲しかったのかもしれません。かわいい孫を思う義母の気持ちにも寄り添って、良好な関係性を維持していきたいと思っています。 作画/はたこ著者:山本加奈子5歳女児と0歳男児の2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2024年01月19日私が出産した次男は、ダウン症候群です。妊娠中に異常を指摘されたことはなく、いざ自分が障害児の母親となったとき、「自分の人生は終わった」と、正直そう思いました。そんな絶望を味わった私ですが、次男のおかげで新しい夢ができたのです。ダウン症に詳しい人ってどこにいるの?私はダウン症の次男を出産したとき、とてもショックで1カ月間、毎日泣いて過ごしました。毎日泣いて過ごしながらも、私は「ダウン症には早期療育が必要と言われているけど、療育って何? どうやって始めたらいいの?」「障害があっても保育園に入れるのだろうか?」「利用できる福祉サービスは?」など、日々たくさんの疑問が……。 区役所に行って福祉サービスについて聞くと「保健センターが窓口になるので、そちらに行ってください」と言われ、保健センターへ行くと「詳しいのは区役所のほうなんです」と、区役所や保健センターをたらい回しにされたこともありました。結局、一番正しい情報を教えてくれたのは、ダウン症の親の会で知り合った先輩ママでした。 ダウン症専門のコンシェルジュになりたいこういった経験をして「これからダウン症の子を出産する人が、私と同じように困ることがあるのではないだろうか? そうならないように、福祉サービスの手続きや内容に詳しい“ダウン症専門のコンシェルジュ”になって、ダウン症児を出産して困っている人たちに寄り添いたい」と思うようになりました。 現在では、SNSに出産直後の暗い気持ちをそのまま文章として残したり、福祉サービス利用までの経緯や手続き方法について投稿したりしています。実際に、私のSNSを見た方から「先日ダウン症の子を出産してショックで毎日泣いていますが、あなたの過去の投稿を見て、とても共感して救われました」とメッセージをいただくこともあります。 次男を出産した直後は、障害児の親になったことのショックが大きく、「私がこの子を心からかわいがる日なんて、こないのではないか」と思っていました。ですが現在、1歳2カ月になった次男を心からかわいい、愛おしいと思いますし、次男のおかげで「ダウン症専門のコンシェルジュになりたい」という新たな夢ができたことを、うれしく思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:吉川 みきな
2024年01月17日私は4歳と2歳の男の子を育てています。生まれてからずっとパパが大好きで、パパにくっついてばかりいた長男が、3歳4カ月を過ぎたあたりから急にパパのことを拒否するようになりました。そして、何をするのにも「ママ! ママ!」と私しか受けつけません。反抗期だからと思ってはいるものの、そんな長男の変化にパパはショックと苛立ちで怒り、私は長男とパパの対応に追われる日々。しかし、あるとき、私たち夫婦は長男の変化の理由に気がつきました……。反抗期の長男幼稚園に通うようになった長男は、ここ最近、特に親によく反抗するようになりました。反抗期と並行して、あんなに大好きでくっついてばかりいたパパを拒否するようになったのです。 パパが長男を抱っこしようとすると「やめて! 」と言い、パパが長男に注意すると「ママ! ママ!」とパパの言うことを聞こうとしません。そして、長男はパパを拒否したあと、パパの表情や様子をジッと観察しているのです。 ショックで怒る夫今までとはまったく違う長男の反応に、長男のことが大好きな夫はショックで仕方がありません。私は夫に「時期が過ぎたらまた長男はあなたに寄ってくるから」と伝えていますが、夫は理解はしているものの寂しい気持ちが強くて受け入れられない様子。 そして、夫の言うことを聞かず「やめて、ママがいい」と言う長男に力ずくで叱ってしまう日々が増えていったのです。長男はさらにパパに対する拒否が強くなっていきました。 夫婦で気づいたことある日、私は夫に「長男はあなたを拒否したあと、あなたの反応を確認しているよ。甘えたいのかも。長男と一緒に遊んでみて」と伝えました。すると、夫は帰宅後、長男と一緒に積み木で遊び始めました。 長男はとてもうれしそうで、夫に「抱っこして」と両手を挙げて全身で夫に甘えています。私たち夫婦は「長男はパパと過ごす時間が少なくて、パパに甘えたいがためにパパを拒否して気を引いてたのかもしれない」と気づいたのでした。 パパを拒否してママばかり求める長男に夫は困惑して怒り、私は夫と長男の対応に追われて毎日のように疲労困憊でした。しかし、夫婦で長男が求めることに気づけたおかげで、今では長男の心の成長や変化にじょうずに対応できるようになりました。子どもの変化についていくことは簡単ではないですが、楽しみながら私たち夫婦も成長していけたらうれしいです。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:岩見 エリ2人の男児の母。看護師歴12年、フランスで出産し子育て中。
2024年01月16日