■前回のあらすじ何かと小言を言う義母と、そのつらさを理解しない夫に悩む葵。両親に子育てのサポートをしてもらっている隣人の緑に「葵さんのようにひたむきに子育てできない」と言われたことに、葵はけなされているように感じてしまい…。 >>1話目を見る 【葵side story】突然、緑さんからマウントを取られるようなことを言われた私は、なんと返したらいいのか戸惑いました。正直腹が立ちましたが、隣人であることを考えると強く出ることもできず…。毎晩夜中に車で帰って来る緑さん家族。我が家側に車の駐車場があるため私は毎晩この騒音と闘う羽目に。こんな非常識な行為を繰り返すのに、私には義母に育児を頼るよう勧めたり、自分の時間を持つようアドバイスする緑さんに対して良い感情を持つことができなくなっていました…。次回に続く(全23話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています原案・ウーマンエキサイト編集部/脚本・ 古口春菜 /イラスト・ まりお
2023年05月22日■前回のあらすじ新興住宅地でお隣同士として暮らす3人の母親は、同じ保育園に子どもを通わせていた。義母と同居する葵は良い母親でいたいという気持ちが強く一生懸命育児をしているが、義母から口出しされることが悩みの種で…。 >>1話目を見る 【葵side story】お義母さんに育児について口を出されると、より自分できちんとやらなきゃという気持ちが強くなってしまいます。その結果、やらなければいけないことが増えてしまい、結果的に焦ってイライラしてしまうことがあって…。お義母さんには頼らず、母親である自分がしっかり育児をすることが大事。そう思っている私ですが、夫には父親として育児に参加してほしいと思っています。だけど夫は母親にその役割を担わせようとしていてモヤモヤする日々。しかもお隣の緑さんは、全部自分で頑張ろうとする私に対してマウントするかのような発言を連発。周囲から見た私の子育て方針ってそんなにおかしいの…!?次回に続く(全23話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています原案・ウーマンエキサイト編集部/脚本・ 古口春菜 /イラスト・ まりお
2023年05月21日【葵side story】新興住宅地に同じ時期に引越してきた3つの家族。同じ保育園に通う同じ年齢の子どもを持つ母親3人はそれぞれの想いを抱え、自分が信じる「正しい育児」を模索しながら暮らしていました――。ご近所で子どもの年齢も近く、私は隣近所である緑さん、茜さんとも仲良く過ごしていきたいと思っていました。でも少しずつお互いの家庭環境の違いなどもみえてきて…。3世代同居しているのは我が家だけ。だけど緑さんのご実家は近所にあるようでそちらにかなり助けてもらっている様子。茜さんはまったく自分の話をしないのでよくわかりませんが、親御さんが訪ねてきている様子はありませんでした。そんな日々の中、私の家庭の中ではお義母さんとのやり取りでいつもモヤモヤしていることがあって…。お義母さんは良かれと思って言葉を掛けているのだとわかってはいても、私の子育てに対する意見は気持ちのいいものではなくて…。私は義母との付き合い方に悩んでいました。次回に続く(全23話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています原案・ウーマンエキサイト編集部/脚本・ 古口春菜 /イラスト・ まりお
2023年05月20日■前回のあらすじ小学校になるころ、両親が離婚したことを知っていたしろみ。しかし、母は「父」という言葉に激しい嫌悪感をむき出しにするため、口が裂けても母の前で父の話をすることはできませんでした。祖父母宅に逃げられなかった理由はおじいちゃんおばあちゃんの家って天国ですよね! 子どものころを振り返ると「祖父母宅=もう最高…!」という思い出しかありません。そんなハッピー祖父母宅ライフもこの電話により終わります。この時私はひたすら母に謝りながら『母は可哀想な人なんだから私が一人ぼっちにしちゃダメなんだ』『母には私たちしかいないんだから一緒にいてあげなきゃ』という使命感? が出てきました。次回はすごく独特な習い事に通うことになったお話です。次回に続く 「子ども大人な毒親との20年間」(全99話)は21時更新!
2023年05月17日結婚したころには4人そろっていた、私の祖父母。あれから11年…今は1人だけです。そんな祖母ももう90歳すぎ…小さい頃から私のつたない話を一生懸命きいてくれて、アドバイスをくれた大切な祖母は、遠方に住んでいるのでなかなか頻繁に会いに行くことができません。たまにお手紙を書いたり電話をしたりするのですが、そんな祖母が一番喜んでくれるのが、子どもたちの写真を送ったり、電話でお話したりすることです。 離れて暮らす祖母に、1月に1度の子どもカレンダー。おすすめです!
2023年04月11日4人の息子を育てている、いであいさん。今回は三男くんの保育園の祖父母参観のときのお話です。あいさんのお母さんが、新幹線に乗って来てくれました。しかし、お母さんは乗るはずだった新幹線に乗り遅れてしまいました。そこで、当時0歳の四男くんを車に乗せ、20分かけて、お母さんが到着した駅までお迎えに行くことに。あいさんの車に乗り込むなり、お母さんが放った言葉に、あいさんは一瞬、凍り付きました……。三男の祖父母参観 今日は三男くんの祖父母参観の日。 新幹線に乗って、おばあちゃんが来てくれました。おばあちゃんはあいさんの実のお母さん。 マイペースなお母さんは、お迎えにきたあいさんの車に乗るなり、言いました。 「新幹線乗り遅れちゃったけど間に合うじゃない。ちょうどよかったわね」 この発言に、あいさんは顔を曇らせます。 なぜならお母さんは新幹線に乗り遅れてしまい、あいさんは0歳の四男くんを車に乗せて往復40分の運転をさせられている状況だったからです。 とはいえ、せっかく三男の祖父母参観に来てくれたのだからと、怒ってはいけないと思い、笑顔で祖父母参観の話題を振りました。渡したお便りに書いてある時間を教えてと。 するとニコニコと「お便り?なくしちゃったわ」と言うお母さん。仕方なく開始時間を覚えてないか聞きました。あいさんは9時半か10時だったという記憶でした。 するとお母さんは、「え? 38分とか?」と、いかにも適当な返事をしてきたのです。 「そんなわけないでしょ!」と言いたい気持ちを抑え、手を震わせるあいさんでした……。 ◇◇◇電車の乗り遅れもお便りの紛失も悪びれるどころか「ちょうどよかったわね」などと前向きなお母さま。なせか時間も「38分? ウフフ」と適当なのにニッコニコ。こんなに笑顔だと、なんだか周囲も「ま、いっか」と思えてしまうのではないでしょうか。茶目っ気たっぷり、素敵なお母さまですね♡著者:マンガ家・イラストレーター いで あい4人の男の子のママです! ゆる〜く育児マンガを描いたり、イラストのお仕事をしています。
2023年02月05日祖父母にとって、孫はかわいくてたまらない存在でしょう。孫と離れて暮らし、たまにしか会えない祖父母であれば、なおのことです。祖父母は嬉しくて「1日でも長くいてもらいたい」と思うかもしれません。『孫を引き止めたい』伊東(@ito_44_3)さんが描いた、祖父母と孫の漫画をご紹介します。地方に住む祖父母の家に、孫が久しぶりに遊びに来ました。しかし、孫にとって、何もすることがない祖父母の家は退屈なようで…。【再掲】孫を引き止めたい pic.twitter.com/XfANtkZmLk — 伊東 (@ito_44_3) January 13, 2023 都会では見ることがほとんどない、『コイン精米機』を目撃した孫。祖父母は「あれを見たのか!?」「夜が明けるまで、部屋を出てはいけない!」と慌て始めました。祖父母は、どうにか孫を引き止めたい一心から、協力してウソをついたようです。独特な祖父母の引き止め方に、父親は苦笑いを浮かべました。読者からは「笑った」「かわいいな」などの声が上がっています。・『コイン精米機』を都市伝説扱いする祖父母、お茶目でかわいいやん。・祖父母は、どうしても孫を引き止めたかったのね。でも次回から、孫が怖がって来なくなっちゃうかもよ…!・祖父母の『コイン精米機』の扱いが怪異『八尺様』と同じで笑った!『コイン精米機』は怖くないよ…!「どうしても孫を引き止めたい」という祖父母の熱意は、きっと孫に伝わったことでしょう![文・構成/grape編集部]
2023年01月16日産後2カ月、初めての赤ちゃんを抱いて、私の祖父母が住む田舎へ出かけました。当時80歳代だった祖父母は、ひ孫に会える日を待ちに待っていました。そんな祖父母の喜ぶ顔を見るのが楽しみでした。そして、祖父母の家に到着すると、想像もしていなかった展開に……!?まさかのお祝いパーティー!?ひ孫に会って、祖父母はどんな顔をするんだろう……。私はワクワクしながら家へ入りました。玄関で「ただいま~!」と大きな声で言うと、出てきたのは祖父母だけでなく、近所に住む親戚たち総勢10人でした。 まさかのお祝いパーティーが開催されました。どれだけ盛り上がっているんだとおかしくなりましたが、とても幸せな瞬間でした。親戚たちにとって、私の出産は大ニュースだったようです。 祖父母と親戚たちのパワーに圧倒された!当時80歳代だった祖父母は、年齢を感じさせないくらい元気でした。祖母は料理がじょうずで、私たちがくると聞き、大張り切り! ちらし寿司にお刺身、天ぷらなど、豪華な食事が食卓に並んでいました。 私の祖父母の家では「誰がこんなに食べるの?」というくらい料理が並ぶんです。そんな祖母の気持ちもすごくうれしかったです。「遠慮せずたくさんお食べ!」と、みんなにお祝いしてもらいました。一緒にいた夫は、祖父母と親戚たちのパワーに圧倒されていました。 心底幸せそうな笑顔を浮かべる祖父母心底幸せそうな笑顔を浮かべながら、ひ孫を抱く祖父母。私はすかさずカメラにおさめました。ひ孫を腕に抱けるなんて想像もしていなかったようです。祖父母は「長生きできてよかった」と、口をそろえて話していました。 私自身、ひ孫を抱くなんて想像がつきません。改めて元気な祖父母はすばらしいと感じます。お祝いにきてくれた親戚たちのあたたかさにも触れ、心地のいい時間を過ごすことができました。そんな余韻を感じながら、私たち夫婦は自分たちの住む町へ帰りました。 現在、祖父は94歳、祖母は90歳になりました。畑仕事をするほど元気です。私の目標は、祖父母のように元気でいること。ひ孫を抱けるまで生きられたらいいなと思っています。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師 松田玲子著者:田中由惟1男1女の母。2人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2022年11月11日「もし、来世も人間に生まれたら…」生き物の魂が生まれ変わる『輪廻転生』について、ぼんやりとそんな考えをめぐらせたことは誰もが一度はあるでしょう。外見や生まれなどが違う別の人間として、今の人生とは異なった道を歩む…そうなった時、あなたは何をしたいと思いますか。祖父母に「来世でもまた夫婦になりたい?」と聞いた孫箱石志保(kaigobiyou_haru)さんは、大好きな祖父母に、ある質問をしてみることにしました。それは…「生まれ変わっても、また夫婦になりたい?」というもの。90代になっても、いつも元気で仲のいい祖父母。箱石さんの質問に、2人はこのように返しました。 この投稿をInstagramで見る 箱石 志保介護×美容(@kaigobiyou_haru)がシェアした投稿 凄まじい速さで「はい!」と即答した祖母と、頷きながら同意をした祖父。パートナーや孫に気を遣っている様子もなく、その回答が心からの想いであることが、2人の笑顔から伝わってきます。一緒に暮らし、相手のいろいろな姿を知ることで、愛が冷めてしまう…というケースは残念なことに少なくありません。きっと箱石さんの祖父母は、何十年と一緒に暮らすことで、相手を1人の人間としてさらに愛すようになったのでしょう。『夫婦愛』という言葉がふさわしい動画は、多くの人に笑顔のおすそ分けをしてくれました!・素敵!夫婦愛ってこういうものだよね。・いい夫婦だなあ。自分も将来はこうなりたい!・心が温まった…。お互いにそう思えるって幸せなことだ。運命によってめぐり合った、箱石さんの祖父母。今後の人生も、2人はお互いを支え合い、人として尊敬の念を抱きながら楽しい日々を過ごすのでしょう。[文・構成/grape編集部]
2022年09月26日祖父母と孫が一緒に過ごす時間は貴重です。長期休暇を利用し、祖父母宅へ子供を連れていく親は珍しくないでしょう。キャベツ太郎(@Level7Pkch)さんの3歳の娘さんは、祖父母から「夏休み中、お泊りにこないか」と誘われました。「ジジとババ、どっちとねんねしたい?」そう聞かれた娘さんは、「3人でねんねする」と答えます。きっと、娘さんの返答を祖父母は嬉しく思ったことでしょう。※写真はイメージ…しかし!娘さんの返答には続きがありました。「それでジジとババが寝たら、娘ちゃんは帰ってママとねんねするの」娘さんにとって『一緒に寝たい人No.1』は母親のキャベツ太郎さん。例え別の場所にお泊りしても、それは揺るがないようです。「夏休み中ジジババのお家にお泊りしにおいで」と誘われた娘(3歳)。「ジジとババどっちとねんねしたい?」と聞かれ「ジジとババと3人でねんねするよ。それでジジとババが寝たら、娘ちゃんは帰ってママとねんねするの。」とのこと。どうやら寝かし付けを終えたら帰ってくるらしい。— キャベツ太郎 (@Level7Pkch) July 21, 2022 ほかの誰よりも母親を愛していることが伝わってくる、娘さんの返答。祖父母のぬか喜びを見て、キャベツ太郎さんは思わず笑顔になってしまったといいます。投稿には、「想像の斜め上をいく発想」「ジジとババは2人で仲よくねんねしようね」「そりゃあ、ママが1番だよ!」などの反響が上がりました。自分たちが選ばれないのは残念なものの、祖父母としては、親子仲のよさを知ることができて安心したかもしれません。[文・構成/grape編集部]
2022年07月24日こだわりが強く、心配性な長男長男は現在小学2年生。年長のときに自閉スペクトラム症やDCD(発達性協調運動症)などの診断を受けました。性格は特性も関係しているのか、こだわりが強く融通が利きにくく、また慎重で真面目で過剰なぐらい心配性で、不安感も強く怖がりです。そして、独り言が多く過剰に喋る所があります。もともと優しく世話焼きな性分なので、過剰なぐらい世話を焼いたり、小言なども多い長男。学校や学童では次男の世話を焼き過ぎるぐらい焼いては、次男に「うるさい!」などと言われているようです(苦笑)。私と実母、実父との関係私と実母(子どもたちにとっての祖母)の関係はあまり良いとは言えません。私自身バツイチなのですが、離婚の際には世間体を気にして大反対、今の夫(夫もバツイチです)のことも最初から受け入れてくれず、その後生まれたわが子たちに関しても「孫だとは一切思わないし会いたくもない!」と言い張っていると実父から聞いていました。母は障害への偏見も強く、元々好き嫌いをハッキリ態度に出し、一度相手のことを嫌い!となるとそれ以降は一切受け入れないので、そもそも「会いたくない」と言っているのに、障害のある長男を受け入れてもらえるかは心配の種でした。実家が遠いこともあり、頻繁には会わないのですが、対照的に父は「会ったことがない孫であっても孫には変わらないから」と毎月仕送りをしてくれています。御礼の電話の度に子どもたちと楽しそうに話す様子を見て「父はやっぱり孫に会いたいのだろうな…」と私も夫も申し訳ない気持ちになっていました。家族旅行で実家のある県へ。そこで両親に会い…そんなある日、家族旅行で実家のある県へ行く機会がありました。仕送りしてくれている父への感謝を会って伝えたい。せっかく近くまで行くのだから、両親に孫を会わせたいと考えました。実家で会うよりも外で会う方が良いだろうと、宿泊しているホテル近くの駅で待ち合わせて、喫茶店で話すことにしました。喫茶店で自己紹介をするやいなや、定型発達の次男は当たり前のように私の両親の間に座り、うれしそうに2人と手をつなぎました。甘え上手な次男のニコニコと人懐っこい様子に、二人は「可愛い、可愛い」と目を細めました。一方長男は、様子を伺いオドオドして、私の手を離しません。父が長男に少し質問したら、関係ないことまで話し出したり、独り言を言いはじめたりといつもと違う環境に興奮気味なのか声の大きさの調節もできずにいました。Upload By 発達ナビ編集部長男がパニックを起こしてしまい…次男と夫がトイレで席を立つと、母から責めるような言葉を投げかけられました。長男の様子が気に入らなかったのでしょう。場の空気が張り詰めたキツイ感じになりました。そんな母を父は諫めてくれたのですが、長男は場の雰囲気を感じ取りパニックを起こし大声をあげて号泣してしまいました。私は長男を抱き締めて「大丈夫だよ。喧嘩じゃないからね。ママはここにいるよ」と背中をさすり続けました。Upload By 発達ナビ編集部その間もずっと母から「小さい子じゃあるまいし泣き喚いて恥ずかしい」「何話してるのかさっぱり分からないし、独り言をずっと言ってて気持ち悪い」「甘やかしてるからそうなるんじゃないの?障害だからって周りの人にも迷惑でしょう?」など厳しい言葉を言われ傷つきましたが、ただ長男の背中をさすって母の言葉をやり過ごし続けました。昔からこう言う人だからと、あきらめていたのだと思います。それを聞いていた父は、優しい口調で「ビックリしたんやなぁ。電話で毎月じぃじと話してるけど初めての土地で初めて顔合わすし、そら怖いやろう。でも、じぃじは泣いてもその顔すらもうれしいんやでぇ。それだけ大きい声で泣けるんは元気な証拠やぁ。お前もよう頑張ってるなぁ。2人を見れば分かるよ。大変やと思うけどえぇお母さんやっとる。頑張っとるなぁ」と長男の頭をなでてくれました。父が話してくれたこと夫と次男がトイレから戻ると、父が持病のかかりつけの医師に、長男の発達障害について話したときのことを教えてくれました。なんと父自身、多動傾向があり衝動性が強く、集団生活が苦手で会社を辞め自営業に転職したことや、国語はからっきしなのに、計算だけはものすごくできたというのです。医師に「ご自身も発達障害の傾向があったのかもしれませんね」と言われたと話してくれました。それを初めて聞いた母は「なんでそんなこと言い出すんよ?!そんなわけないやろ?!」と苛立って声を荒げました。父はしれっとした感じで「障害があろうとなかろうと、この子はこの子でただの個性や。それをぐちぐち言える権利が俺らにはないんやで?この子のありのままを受け入れてやらんとやろ?」と泣いている長男の手を取り何度もさすってくれました。その言葉がとてもうれしく、涙がこぼれそうになりました。Upload By 発達ナビ編集部次男も「お兄ちゃんはね、パニックになってるだけなの。優しくてね、僕の自慢のお兄ちゃんなの。だからねチクチク言葉はダメなんだよ?」と母に言うと、母は父と次男に「自分が悪いの?」と非難するような視線を送りました。父は「何も気にすることはないし、この子はこの子。しっかり育てるんやで」と笑ってくれました。母だけが納得のいかない表情をしていました。長男の優しさに触れて別れる時間となり、みんなで両親を駅まで見送りに行きました。母は数ヶ月前に足を骨折してから、骨粗鬆症もあり治りが悪く、足を引きずるようになっていました。父からも母が週5だった仕事を週3にしていることを聞いていたので子どもたちにも「ばぁばはね、足が悪いからゆっくりしか歩けないんだよ。抱っこをねだったり、手を引っ張って急かしたらダメだよ」と言い聞かせていました。父と母と手をつないで歩いていた次男がふざけて手を引っ張り駆け出そうとしたりしていたのを見て、長男が「そんなことをしてはダメ!」と強い口調で言いました。その後、母の元に駆け寄ると「ばぁば、足痛いんでしょ?大丈夫?弟がごめんね。無理しないでね」と顔を見上げ心配そうに声を掛けていました。母は驚いて戸惑うような表情をしていました。先程パニックを起こした長男の様子を見ていたので、そんな気遣いができるなんて想像できなかったのだと思います。その様子を見た父は、目を細めて微笑みながら長男の頭をなでて、母に「この子は優しい子やないか?違うか?」と言い、「ありがとうな。ばぁばを気遣ってくれたんやなぁ」と長男をたくさん褒めてくれました。母は父の言葉に目を伏せて黙って頭を垂れていましたが、「ありがとうね。心配してくれたんやね」とそのときに初めて長男と言葉をかわし、頭をなでてくれました。駅に着き、別れたあとも両親は改札の向こう側から何度も振り返り、手を振ってくれました。Upload By 発達ナビ編集部母に対して思うことすぐさま、母の認識や価値観を変えるのは難しいと思います。ですが、最後に長男の優しさに触れて、長男自身を見てくれた、と少しだけ安心しました。完全に解決したとはまだまだ言えませんが、少しばかりは母との関係も前進したのかなと感じています。エピソード提供/みぃこイラスト/SAKURA(監修:三木先生より)優しいお祖父様ですね。ご自身が苦労をされて、そしてそれを悩みながらを乗り越えられた経験のある方は、同じような困難を持つ人に受容的になれますよね。またお祖母様も長男さんと気持ちのこもったやり取りができることによって、「障害」というフィルターを外したコミュニケーションができたんですね。こういう関係を積み重ねていくことで、またみなさんの関係が良くなっていくのだと思います。あなたのエピソードもコラムになるかも?体験談募集中!保護者の方が日々子育てをする中で「こんなトラブルがあった」「こんなハプニングがあった」など悩みはつきないと思います。そんな発達ナビユーザーのみなさんの「困った」エピソードを募集しています。テーマは「反抗期・思春期」「自傷」「学習」「不登校」「ゲーム」「不器用」「ママ友・保護者」「ご近所トラブル」などに加え、今回より「パートナーや両親(義両親)、親族間トラブル」「冠婚葬祭」のお悩みも追加募集!パートナーなどとの意見の相違、冠婚葬祭でのルールが分からない、反抗期による親との言い争い、癇癪を起こして自分の頭を叩く、地団太を踏むなどの自傷行為…読み書きや計算の困りはもちろん、授業を落ち着いて受けられないなどの学習の悩み…行き渋りや不登校などの悩み…いろいろなお悩みエピソード、お待ちしております。お寄せいただいたエピソードの中から数作品、発達ナビの連載ライターさんにコラムとしてコミックマンガエッセイ化していただき、発達ナビで公開いたします!あるあるのエピソードからヒヤリとしたエピソード、SNSなどではなかなか言えないような家族やママ友とのトラブルまで。いろいろな「困った」エピソードをぜひ教えてください。
2022年06月28日産後2カ月、初めての赤ちゃんを抱いて、私の祖父母が住む田舎へ出かけました。当時80歳代だった祖父母は、ひ孫に会える日を待ちに待っていました。そんな祖父母の喜ぶ顔を見るのが楽しみでした。そして、祖父母の家に到着すると、想像もしていなかった展開に……!?※コロナ禍前の体験談です。 まさかのお祝いパーティ!?ひ孫に会って、祖父母はどんな顔をするんだろう……。私はワクワクしながら家へ入りました。玄関で「ただいま~!」と大きな声で言うと、出てきたのは祖父母だけでなく、近所に住む親戚たち総勢10人でした。 まさかのお祝いパーティが開催されました。どれだけ盛り上がっているんだとおかしくなりましたが、とても幸せな瞬間でした。親戚たちにとって、私の出産は大ニュースだったようです。 祖父母と親戚たちのパワーに圧倒された!当時80歳代だった祖父母は、年齢を感じさせないくらい元気でした。祖母は料理がじょうずで、私たちがくると聞き、大張り切り! ちらし寿司にお刺身、天ぷらなど、豪華な食事が食卓に並んでいました。 私の祖父母の家では「誰がこんなに食べるの?」というくらい料理が並ぶんです。そんな祖母の気持ちもすごくうれしかったです。「遠慮せずたくさんお食べ!」と、みんなにお祝いしてもらいました。一緒にいた夫は、祖父母と親戚たちのパワーに圧倒されていました。 心底幸せそうな笑顔を浮かべる祖父母心底幸せそうな笑顔を浮かべながら、ひ孫を抱く祖父母。私はすかさずカメラに収めました。ひ孫を腕に抱けるなんて想像もしていなかったようです。祖父母は「長生きできてよかった」と、口をそろえて話していました。 私自身、ひ孫を抱くなんて想像がつきません。改めて元気な祖父母はすばらしいと感じます。お祝いにきてくれた親戚たちのあたたかさにも触れ、心地のいい時間を過ごすことができました。そんな余韻を感じながら、私たち夫婦は自分たちの住む町へ帰りました。 現在、祖父は94歳、祖母は90歳になりました。畑仕事をするほど元気です。私の目標は、祖父母のように元気でいること。ひ孫を抱けるまで生きられたらいいなと思っています。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2022年04月13日みなさんこんにちは。子どもの頃、食べられなかったものが美味しく感じてきて、着実に舌の味蕾がお亡くなりになっていってるんだなと感じるかわベーコンです。大人になると味蕾が少なくなって味覚が変わるんだけど、詳しくはググってくれ…!ところで、大人になると視野が広くなったり、多角的に物事を考えられるようになりますが、子どもの頃は、どうしても目の前のことに夢中で、ほかのことがおざなりになりがちですよね。うちの子どもらは、よくお片づけをしなかったり、電気をつけっぱなしにすることがあって、その度に私が鬼になってしまいます。■子どもの頃、よく祖父母の家で遊んでいた私晩ごはんの食材のことを直前に考えていたせいもあったんですが、ふと昔、祖父母の家で遊んでいたときのことを思い出しました。私の両親は共働きだったので、小さい頃から二人の家に預けられることが多く、私は祖父・祖母っ子でした。そのため、学校帰りも祖父母の家でひとりで遊んでいました。そんなときに、テンションが上がるアイテムを見つけてしまったのです…。 ■その辺にある草を「気合い切り」したら…!?うそぉん!? うちアスパラガスなんて作ってたの!? とビックリ…。うちの祖父母の家は農家だったので、野菜は作っていたのですが、アスパラは今まで作っているのを見たことがなく、「あのモジャモジャのへんな葉っぱたちがアスパラガスだったの!?」っと、なりました。お店に売っているシルエットじゃないよ!? と。ちなみにこれを機に調べたら、アスパラガスって、成長するまでに時間がかかるんですね。私が気合い切りしてしまったのは、1年目のやつだったのか…。改めて、じーちゃんごめん…。それからは、その辺にある植物は切り裂かなくなりました。子どもたちにも安易にその辺にある草を抜いたり、切り裂かないように、このエピソードの恥とともに語り継いでいこうと思った母なのでした。
2022年03月18日みなさんは、不思議だと思うような“心霊体験”をしたことはありますか? 今回は実際に募集した心霊体験エピソード「カーテンに映る影」をご紹介します!「カーテンに映る影」幼稚園に通い始めたばかりの幼い頃、祖父母の家に泊まった時の体験です。その日は、物心がついて初めて、自分の家以外で一夜を明かそうとしていました。祖父母達が眠っている中、私だけ、寝付くことができませんでした。初めてのお泊りに、緊張していたのかもしれません。外は”土砂降り”で雷が鳴っていたというのも、寝付けない原因の一つでした。カーテンに影が…引っ込み思案な性格だった私は、眠れないからといって誰かを起こす勇気もなく、寝転がったまま窓の方を見ていました。すると、ピカッと雷が光った瞬間、カーテンに“影”が映りました。その影は、馬車でした。馬や御者の影もはっきり見え、御者は鎧を身にまとっているように見えました。また光った瞬間に、今度はガラガラと音を立てながら馬車が動き始めました…。怖くなった私は、寝返りを打って窓に背を向けました。母親にそのことを話すと…?寝返りを打ってすぐ、弟のミルクを作るため、母が目を覚ましたので私は母に声を掛けました。母は私が起きていることに驚いていました。私が先程見た光景を母に話すと、真面目に取り合ってくれませんでした…。怖い思いをしたというのに、弟を優先して蔑ろにされたため、恐怖心よりも悲しみが勝ったことを今でも覚えています。弟は赤ん坊だったので優先するのは当たり前のことですが…。いかがでしたか?幼い頃の心霊体験エピソードでした。馬や御者がはっきりと見えただなんて、ゾッとしますね…。次回の「心霊体験エピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。"
2022年02月06日「まだ幼い」と思っていた我が子が、ふとした時に見せる成長した姿に、親はハッとさせられることがあります。幼い息子さんを育てる母親の、るしこ(@39baby_com)さんも、その1人。2021年12月現在、2歳の息子さんは、夜に眠る前にいろいろな話をしてくれるようになったそうです。ある夜、息子さんがたどたどしい言葉で語り始めたのは、離れて暮らしているため、なかなか会えない祖父母のことでした。おやすみの前に pic.twitter.com/JtfrVVqzNY — るしこ (@39baby_com) December 30, 2021 息子さんが語ったのは、久しぶりに会えた祖父母と、再び離ればなれになるシーン。新幹線で帰る祖父母と、駅のエレベーター付近で別れた時の切なさを、息子さんは眠る前に思い出したのでしょう。祖父母と別れる際に、自分が泣いてしまったことについて、息子さんは「じーじと、ばーばに会いたかったんだ」と本音を明かしたのでした。るしこさんは、息子さんの言動について、次のようなコメントを寄せました。「もうこんなに感情を言語化できるようになったのね!」という驚きとともに、よほどさびしかったんだなあと印象的でした。年末年始は帰省しないので、新型コロナウイルス感染症の状況を見つつ、来年近いうちに会いに行けたらいいなと思います。同年現在、新型コロナウイルス感染症が流行している影響で、遠方の人となかなか会えない日々が続いています。気軽に会えるタイミングが減った分、別れる時のさびしさは増すのかもしれません。さびしさを感じる間もないくらい、気兼ねなく大切な人と会える日が、早く来てほしいものですね。[文・構成/grape編集部]
2021年12月31日年末年始の帰省・旅行・カミングアウト問題などご家族で帰省される方も多い年末年始。帰省すると顔を合わせることになる祖父母や親族に、子どもの発達や特性について、どのように説明したらいいのか悩んでいる方もいるのではないでしょうか。今回は、そのようなときのヒントにもなる、祖父母との付き合い方やカミングアウトの体験談、また帰省時の移動での工夫など、発達が気になる子どもとの帰省や旅行に関するお役立ち記事をまとめました。気になるコラムはぜひリンクをクリックして読んでみてください。初めての飛行機での帰省にパニック…!?「お出かけ」がストレスなむっくん。不安が高まるとパニックを起こしてしまうことも…。初めての飛行機での帰省。移動時の不安が少しでも減らせるように母のウチノコさんが作成したものとは…?社会のテストが赤点だらけの息子が「旅育」で変わり…社会が苦手なリュウ太くん。地理にもまったく興味がなかったのですが、高校生になったころ、突然小さいころの旅の記憶を思い出し…。自閉スぺクトラム症長男、帰省での心の成長長男くんの精神安定剤はピンクのボール。家の中で長男くんとピンクのボールは常に一緒です。帰省のときに母のシュウママさんはそんなピンクのボールを荷物の中に入れ忘れ焦りますが、長男くんがとった行動は意外なもので…。新幹線での長時間移動。パニックにならないためのコツとは長時間移動での「ストレスからの総崩れ」。ASDとADHDのあるコウくんの母、丸山さとこさんの実体験をふまえた”一工夫”はすぐに真似できそうなものがたくさん!わが子の癇癪以上にストレスだった義理両親との関係グレーゾーンの娘さんの子育て。思った通りにいかずに葛藤している母のとまぱんさんは、義両親からいろいろと口を挟まれるのがつらくて…。避けられない親族へのカミングアウト。どう伝えたらいい?「子どもに障害があり、帰省して親戚に会うとき、障害について話した方がいいのか、またどう説明したらいいのか分からない」という質問を知人から受けた立石さん。知的障害と自閉スペクトラム症があるお子さんを育てるご自身の体験をふまえたお話や、監修の小児科医・鈴木先生からのアドバイスなど、とても参考になります。ASD長男4歳を連れての長距離帰省!親は大忙しだったけれど長男けんとくんが自閉スペクトラム症と診断を受けて半年。ゆきみさん一家は長距離移動での帰省を試みます。移動手段、偏食や移動の対策など、苦労と工夫の様子が描かれています。息子よりも親が楽しみな保育園行事。祖父と一緒に行ってみると…2歳ごろから発達が気になり始めたまるさんの息子くん。保育園1~2年目は保育園行事がよくわからない感じだったけれど、3年目の今年は…?楽しみにしていたじぃじと一緒に行ってみると…。家族みんなで楽しい年末年始を。長距離移動や、両親・義両親・親戚などとの関わりなど、年末年始はいつもと違うシーンがたくさん!親も子どもも、楽しいけれど疲れてしまうこともありますよね。コラムの中のヒントが少しでもそんなストレスを解消できますように。ご家族みんなで楽しい年末年始をお過ごしくださいね。
2021年12月29日嫁ぎ先の義祖母との関係がうまくいかず、悩んでいたお嫁さん。そして義祖母が老人ホームに行ったのは自分のせいではないかと罪悪感を感じ……。その後のお嫁さんの気持ちの変化や、現在の関係についても紹介しています。私が縁もゆかりもない田舎にある夫の実家で義父母と義祖父母と暮らし始めたのは、9年前のことでした。そのころは義祖母のことが好きになれずつらい思いをしましたが、今思うと本当につらかったのは義祖母のほうだったのかもしれません。そんな義祖母と私との関係についてお話しします。 義祖母がどんどん嫌いになった日々当初、右も左もわからない私にいろいろ教えてくれたのが義祖母です。義祖母はおしゃべりな人で、最初はありがたかったのですが、もともと内向的な私は私生活にぐいぐい踏み込まれている気がして嫌な気持ちが増えていきました。 また、洗濯物を干す向きが悪いとか、妊娠中はあれをするなとか古い価値観であれこれうるさく、口を開けば田舎特有の噂話や悪口ばかりで、なんだか相手をするのにも疲れてしまいました。私は次第に必要以上の会話はしなくなり、義祖母を避けるようになってしまったのです。 息子が生まれると、さらに関係は悪化息子が生まれてからは、さらに義祖母と関わるのが嫌になりました。息子の泣き声がしただけで見にこようとしたり、畑仕事のあとなどの手もしっかり洗わないまま息子に触ろうとしたり……。さらに、大量の物を溜め込む不衛生な自室から持ってきた、賞味期限が数年前の食べ物を息子にあげようとするなど、やめてほしいことが増えていきました。 今思えば、はっきり伝えたら何か変わったかもしれません。でも同居など生活すべてに嫌気がさしていた私は、冷たい態度で暗に示すことしかできなかったのです。 老人ホームに行ったのは私のせい?義祖父が亡くなり、第2子が誕生してしばらく経ったある日、義祖母が老人ホームに入ると言い出しました。家族は止めようとしましたが、義祖母の決意は固く、「未来あるお前たちのために家をあけるよ」というようなかっこいい台詞を残して出て行ったそうです。 ずっと悪いことをしているという罪悪感があったので、私は義祖母を見送ることができませんでした。後に「おばあが出て行ったのはお前のせいだ」と夫に責められたときも、何も言い返せませんでした。 現在、老人ホームに行った義祖母は、仲間に囲まれて楽しく暮らしています。私も義祖母がたまに帰ってきたときには、ひ孫と存分にふれあってもらったり、月に1度「ひ孫新聞」を作り近況報告をしたりするようになりました。義祖母にしてしまったことが消えるわけではありませんが、元気な姿を見るだけで少し救われる思いがします。 著者:やましたくるみ2男2女の母。結婚を機に田舎に移り住み、のんびり子育てを楽しみながら、自身の体験談を中心に執筆中。
2021年09月23日ママだって、美容院に行ったり買い物したり、赤ちゃんと少し離れる時間も欲しいですよね。気分転換以外にも上の子の幼稚園行事のときなど、頼れる身内に預けることもあると思います。ばぁばに赤ちゃんを預けたときに困ったことを紹介しています。 ばぁばに赤ちゃんを預けたら…乳酸菌飲料をたくさん飲ませようとした赤ちゃんがジュースを飲めるようになると、母は乳酸菌飲料を赤ちゃんに飲ませてくれました。小さな容器に入った乳酸菌飲料は、すぐ飲み終わってしまいました。すると母は、1日1本で十分な乳酸菌飲料を、赤ちゃんに何本も飲ませようとしたのです。 乳酸菌が体に良いのはわかっているけれど、甘さも結構ありますよね。「1日に何本も飲んだら糖分のとり過ぎなのでは……?」と、虫歯が心配になりました。 とにかく厚着をさせようとした母は涼しい季節になると、たいして寒くない日でも「寒いよね」と、赤ちゃんに洋服を着せようとしました。靴下を2枚も履かされていたこともあります。“洋服の枚数は、大人より1枚少なく、高齢者よりも2枚は少なく”と何度も説明しましたが、なかなかわかってもらえませんでした。 また、母はくしゃみ1つで、赤ちゃんの風邪を心配します。真夏に赤ちゃんがくしゃみをしたときは、風邪を心配して扇風機やエアコンを止めてしまったこともありました。 とにかくいろいろ食べさせようとした離乳食が進んでくると、母は「これは食べられるの?」「これは?」と、いろいろな食べ物を出してくるので、「赤ちゃんせんべいならあげてもいいよ」と伝えました。すると母は赤ちゃんせんべいを大量に買い込んできてストックするように……。食べる様子がかわいいからと、何枚も食べさせてしまうので困りました。 赤ちゃんの小さな自己主張が始まってぐずることが増えた時期だったので、「外出先などで泣いたときのご機嫌取りとして、とっておきのものにしておいてほしい」と頼みました。 じいじ・ばあばが子育てをしていた時代と今では何かしらギャップがあると思います。よかれと思ってしていることが今ではNGだったりすることもあり、赤ちゃんを大事に思うあまり、預けるのをためらう方もいるかもしれません。でも、やはりじいじ・ばあばは頼れる存在です。今の育児事情を説明しながら感謝の気持ちを持って接していけたらいいですね。 原案/斉藤あや作画/やましたともこ
2021年09月07日息子が生後4カ月半のとき、わが家は引っ越しをしました。まだ小さい息子に、なるべく負担がかからないようにするにはどうすべきかと考えました。準備や引っ越し当日、引っ越し後に気を付けたことと、よかったことをお伝えします。 引っ越し準備は早め早めにおこなった新築マンションを購入し、息子が生後4カ月半になるころに引っ越しを予定していたわが家。今後子どもの物も増えると思い、新居には必要最低限の物しか持ち込まないよう、引っ越し1カ月ほど前から大がかりな断捨離を決行! 家具や家電も必要かどうか迷ったものは捨てるというスタンスで整理しました。粗大ごみも早めに依頼し、引っ越し1週間前には業者が段ボールを届けてくれたので、荷造りは息子が寝たあとに夫婦でおこないました。 当日はじいじ・ばあばに出動依頼!引っ越し当日、私は鍵の受け取りで引っ越し業者の作業中に外出し、そのまま新居に向かう予定になっていました。夫は引っ越し業者に荷物の指示を出すため家にいなくてはなりません。しかし、引っ越しでホコリが舞う室内に息子を長時間閉じ込めておくのは気が引ける……。 そのため、引っ越し当日は近くに住む義父母に息子をベビーカーで近所の公園に連れ出してもらうことに。余裕を持って引っ越しの1カ月ほど前に頼んでおきましたが、2人とも息子とのお散歩を快く引き受けてくれて助かりました。 引っ越し後は息子優先に引っ越し業者を見送った夫と息子、義父母はタクシーで新居に移動し、私と合流。そのあと荷物が届き、家具や家電を運び入れてしてもらって無事に引っ越しが完了しました。荷物は極力少なくしたつもりでいましたが、やはり新居は段ボールの山に。 まずは息子の部屋とリビングの段ボールを片づけ、息子の生活がしやすい空間を整えました。息子は新しい家に戸惑うことなくすぐに慣れた様子で、自分では動けないながらも家の中をキョロキョロと観察していました。 引っ越す前は生まれて4カ月間半の息子との引っ越しに不安がありました。しかし実際に引っ越しをしてみると、まだ寝返りもせず自分で動かない時期でよかったです。事前の準備や当日の義父母への依頼を早めにしたこと、引っ越し後は息子優先での環境を整えるといったことに気を付けました。あとになって考えれば、結果的に良いタイミングでの引っ越しとなったと思います。 監修/助産師REIKO著者:森まり子1歳の男の子のママで、現在妊娠中。本業は育休中で、現在は子育てをしながらライターとして活動中。主に子育て・共働きに関する体験談や、ママ向けの美容記事を執筆している。
2021年08月23日こんにちは、保育士の中田馨です。赤ちゃんが生まれてから関わることが増えてくるのは、祖父母の存在ではないでしょうか。自分の父母・夫の父母と4人もいたら、とても助かる半面、それぞれの「子育て論」があったりして大変に思うこともあるはず。 今回は祖父母と共に子育てするときに、お互いが負担にならないように心がけることや、喜んでサポートしてもらうためのコツを話します。 子育ては時代によって変わる子育ては時代によって少しずつ変化しています。例えば有名な話でいうと、昔は「甘やかすことにつながるから泣いてもすぐに抱っこしない」「2カ月から果汁を飲ませる」など、今とは違う考え方がありました。その時代ではそれが正解だったけれど「今は違う」ということをどう伝えればいいのかと悩むママもいると思います。 子育ての思いが違うのは当たり前まず、子育てへの思いが違うのは当たり前ということを前提にして一緒に子育てをしましょう。おじいちゃん・おばあちゃんはそれぞれ孫のことを思い、良かれと思って行動しています。基本的に「助けてあげたい」と思っているはずなのです。ですので、気持ちを大きく持つことが必要です。 おじいちゃん・おばあちゃんのしたことを否定すると、その後の関係がギクシャクしてしまうかもしれません。赤ちゃんが泣いているときに「肺が強くなるからどんどん泣かせなさい」と言われたら、いきなり否定するのではなく、「元気な声ですよね。おなかが空いている時間なのでおっぱいにしますね」など、やんわりと伝えてみましょう。 してほしいこと・してほしくないことをはっきりさせる周りの大人たちは、子どもの命・健康・安全を守らなければいけません。例えば、家ではジュースは飲ませない、お菓子は親が量を決めて食べさせているなど、子どもの体のために大切にしたいルールがあるのなら、最初にきちんと伝えたほうがいいでしょう。 また安全面でいうと、車に乗るときは必ずベビーシート(チャイルドシート)に座らせるなどもはっきりと伝えましょう。事前に伝えていたほうが、お互いが迷わず子育てできます。このとき、パパとママの意見を一緒にしておくことも大切。夫婦で意見が違うと、おじいちゃん・おばあちゃんも混乱してしまいます。 身近な子育てから手伝ってもらうおじいちゃん・おばあちゃんは孫と過ごせることがうれしくて、ついあれもこれもしてあげたいと思うものです。最初から頑張りすぎると、おじいちゃん・おばあちゃんはエネルギー切れしてしまいます。まずはおじいちゃんたちの生活リズムを崩さない程度の身近な子育てを手伝ってもらいましょう。 例えば、公園に連れて行ってもらう、買い物に行く間に子どもを見てもらう、離乳食を作ってもらう、お昼寝の寝かしつけをしてもらうなどです。急なお願いや、病気などのピンチのときばかりをメインにお願いしていると、おじいちゃんたちも急な変化に大変さを感じてしまうことがあります。 感謝の気持ちを忘れない私自身、同居していた両親に助けてもらって2人の子どもを育てました。日々の子育てはもちろんのこと、子どもが病気になったときも病院に連れて行ってくれたり、泊りの出張も快く送り出してくれたりしました。2人の子どもがやさしく元気に育ったのは、間違いなく両親のおかげです。 でも、預かってもらうことが当たり前になってしまうといけません。「いつもありがとう」という感謝の気持ちを言葉できちんと伝えることも大切です。感謝の言葉がないと、おじいちゃん・おばあちゃんが子育てに負担を感じてしまうこともあります。食事会をする、一緒にテーマパークなどへお出かけをするなど、言葉だけでなくイベントなどで感謝を伝える方法もありますよ。 親の愛情と祖父母の愛情。愛情をたっぷり受けて育つ子どもは、心が安定しますし、パパやママとは違う身近な人と深い関わりは、子どもの人生において宝になります。ぜひ、おじいちゃん・おばあちゃんと一緒に楽しく子育てしてみてくださいね。 イラスト/マメ美著者:保育士 一般社団法人 離乳食インストラクター協会 代表理事 中田家庭保育所施設長 中田馨0~2歳対象の家庭保育所で低年齢児を20年以上保育する。息子が食べないことがきっかけで離乳食に興味を持ち、離乳食インストラクター協会を設立。現在は、保育士のやわらかい目線での離乳食の進め方、和の離乳食の作り方の講座で、ママから保育士、栄養士まで幅広く指導。離乳食インストラクターの養成をしている。「中田馨 和の離乳食レシピ blog」では3000以上の離乳食レシピを掲載中。『いっぺんに作る 赤ちゃんと大人のごはん』(誠文堂新光社)も発売中!
2021年05月24日産後2カ月、初めての赤ちゃんを抱いて、私の祖父母が住む田舎へ出かけました。当時80歳代だった祖父母は、ひ孫に会える日を待ちに待っていました。そんな祖父母の喜ぶ顔を見るのが楽しみでした。そして、祖父母の家に到着すると、想像もしていなかった展開に……!? ※コロナ禍前の体験談です。 まさかのお祝いパーティ!?ひ孫に会って、祖父母はどんな顔をするんだろう……。私はワクワクしながら家へ入りました。玄関で「ただいま~!」と大きな声で言うと、出てきたのは祖父母だけでなく、近所に住む親戚たち総勢10人でした。 まさかのお祝いパーティが開催されました。どれだけ盛り上がっているんだとおかしくなりましたが、とても幸せな瞬間でした。親戚たちにとって、私の出産は大ニュースだったようです。 祖父母と親戚たちのパワーに圧倒された!当時80歳代だった祖父母は、年齢を感じさせないくらい元気でした。祖母は料理がじょうずで、私たちがくると聞き、大張り切り! ちらし寿司にお刺身、天ぷらなど、豪華な食事が食卓に並んでいました。 私の祖父母の家では「誰がこんなに食べるの?」というくらい料理が並ぶんです。そんな祖母の気持ちもすごくうれしかったです。「遠慮せずたくさんお食べ!」と、みんなにお祝いしてもらいました。一緒にいた夫は、祖父母と親戚たちのパワーに圧倒されていました。 心底幸せそうな笑顔を浮かべる祖父母心底幸せそうな笑顔を浮かべながら、ひ孫を抱く祖父母。私はすかさずカメラに収めました。ひ孫を腕に抱けるなんて想像もしていなかったようです。祖父母は「長生きできてよかった」と、口をそろえて話していました。 私自身、ひ孫を抱くなんて想像がつきません。改めて元気な祖父母はすばらしいと感じます。お祝いにきてくれた親戚たちのあたたかさにも触れ、心地のいい時間を過ごすことができました。そんな余韻を感じながら、私たち夫婦は自分たちの住む町へ帰りました。 現在、祖父は94歳、祖母は90歳になりました。畑仕事をするほど元気です。私の目標は、祖父母のように元気でいること。ひ孫を抱けるまで生きられたらいいなと思っています。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2021年04月09日ずっと都市部で生活をしている私にとって、地方都市=田舎のイメージで憧れを感じていました。そんな私が夫の仕事の都合で地方都市へ移住したのは、子どもが生後4カ月のとき。私は車の免許を持っていませんが、移住先は市街地。義母もずっとそこに住んでいて、運転できなくても生活に支障はない様子。そのため特別な準備はせず義母の家へ引っ越しをしたのですが、いざ生活をしてみるといろいろと困ったことがあったのです……。 小児科がない移住先の市は0歳児の予防接種のスケジュールが細かく決められていました。義母に小児科の場所を聞いてみると、「近所の小児科はみんなやめてしまわれた」とのこと。そこで、予防接種のスケジュールと一緒に市役所でもらった、予防接種対応医療施設の一覧と地図を照らし合わせました。そうすると徒歩圏内に小児科がないことが判明。 唯一あったのは、予防接種と健診のみで一般外来はおこなっていないという小児科医院。予防接種はそこの小児科医院ですべて済ませましたが、皮膚がかぶれた、熱が出たとなったら公共交通は本数が少ないため、タクシーを使って小児科へ行く必要がありました。 子ども用品を扱うお店がない移住して1年経ったころから私はフルタイムで働き始めました。それと同時に子どもは保育所通いです。保育所には多めに着替えを持って行っていましたが、足りずに保育所の服を借りることもしばしば。 そうするとTシャツやズボンは洗濯して返せばよいのですが、下着は同じサイズの新しいものを持ってきてほしいと言われます。そう言われても徒歩圏内に子ども用品を扱っている店はありません。自転車圏内まで広げればあるのですが、17時30分に子どもを迎えに行ったあとに買い物に行くのは時間的になかなか難しく……。 結局は保育所には待ってもらい、ネット通販で取り寄せるか、週末に買いに行くという方法を取りました。 近所に子どもがいない私たちが住んでいるのは商店街のはずれです。周りには昔からのお店をしていたり、お店をやめたあとリフォームをして住まいにしたりしているお宅があります。つまり子育て世帯はほとんどなく、年配の方が多い地域でした。 近所に子どもの遊び相手になるような年頃の子どもはおらず、児童館に行っても人はまばら。保育所以外で同年代の子どもと遊ぶということがなかなかできず、大人とばかり遊ぶようになっていました。 私が運転ができたら問題はずっと軽いものになっていたと思います。今ではないならないなりに過ごす方法が身につきました。しかし移住前にもう少し子育ての生活をシミュレーションできていれば、慌てたり不安にならずに済んだだろうと思っています。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2021年03月07日私の初潮は小5の夏休みに突然やってきました。祖父母宅へ滞在しているときに突如始まった生理に戸惑ったり、いつもは喧嘩してばかりの姉や親戚のやさしさにふれたり、周りの友だちよりも早く生理がきたことでうれしいこともありました。当時を振り返りながら、私の忘れられない初潮の思い出をお伝えします。 その日は突然やってきた姉と2人で祖父母の家に滞在中、普段なかなか会えない従姉妹たちと夢中で遊んでいましたが、トイレに行くと下着が大変なことに……。びっくりした私はまずは姉に相談したのですが、姉もびっくりして高校2年のいとこのお姉ちゃんへ相談に行き、最終的に叔母へ。叔母はすぐに笑顔で「おめでとう!」と言ってくれました。 姉と2人だけの滞在だったので母がおらず不安でしたが、いとこが下着を貸してくれたり、ナプキンの使い方を教えてくれたり、やさしくしてもらったことを覚えています。 うれしかったお祝い突然のことで驚き(戸惑い?)ましたが、祖父母や親戚に囲まれてお祝いをしてもらったことが良い思い出です。照れながらも、祖父母や親戚から「おめでとう」と声をかけてもらいました。 後々、私が高校生になったころに、祖母が「大人の準備が始まる初潮を迎えたとき、一緒に過ごせたことがうれしかった」と話してくれました。普段は離れて暮らしていたので、私の成長の瞬間に立ち会えたことがうれしかったと伝えてくれ、家族の愛を感じました。 生理つながりの友だちができた夏休みが明け、2回目の生理は学校で過ごしたため、不安でドキドキしました。仲の良い友だちよりも早い初潮を迎え、不安いっぱいの私に声をかけてくれたクラスメイトがいました。私がトイレに行くときに、隠すようにナプキンの入ったポーチを手に持っていたことやおどおどしている様子を見て、もしかして生理かもと気がついたそうです。 休み時間にトイレに行くタイミングにこっそりと「もしかして、アレになった?」と声をかけてきてくれました。彼女もすでに初潮を迎え、孤独を感じていたようです。生理つながりの友だちとは、今でも仲良しです。 私は、何も準備できていない状態で、初めての生理を迎えることになりました。びっくりしたり、不安になったり、お祝いしてもらったことが気恥ずかしかったりと、いろいろな気持ちが混ざり合いました。そんな気持ちを気づかってくれた家族や親戚や友だちに恵まれて、本当によかったと思います。突然始まった生理でも、私にとってはとても良い思い出となりました。 監修/助産師REIKO著者:ささお由美
2021年02月10日いつも私のことを気づかってくれる、とてもやさしいお義母さん。私はお義母さんのことが大好きです。嫁姑問題とは無縁な関係を築いていますが、1つ気になることがあります。それは、お義母さんが送ってくれる食品について。お義母さん、それはなぜなのでしょうか? お義母さんは天然? 大ざっぱ?夫の実家は東北にあり、私たち家族は関東に住んでいます。仕事や金銭的な理由から、年に一度くらいしか里帰りができていないのが現状。それでも里帰りした際には、手料理を振る舞ってくれたり、私の好きな食べ物を用意してくれたり、とてもやさしいお義母さん。ただ、ちょっと天然? 大ざっぱ?な一面があるようで、冷蔵庫にはいつも賞味期限の切れたものが多々入っています。夫が注意しても、「あら? そうなの?」と特に気にもしていない様子。そんなマイペースなお義母さんなのです。 あれ? 賞味期限が…お義母さんは私たち家族に、お菓子やジュース、地元の食材などを時々送ってくれます。段ボールいっぱいに詰まったお菓子やジュースに、子どもたちも大喜び。ところがいざ食べようとしたとき、賞味期限が切れていることが判明。改めて送られてきたものを確認してみると、数日過ぎているものもあれば、1カ月以上過ぎているものも……。 さすがに私からお義母さんに伝えることはできず、夫が伝えることに。しかしお義母さんはあまり気にしていない様子。悪気はないのでしょうが、ちょっと気になってしまいました。 その後も相変わらずなお義母さん夫が賞味期限切れ食品を注意したあとも、お義母さんはしばしば食品を送ってくれます。しかし、やはり必ず賞味期限切れの食品が入っています。 これはお義母さんの性格的なものなのか、それとも寒い地方は食材の傷みが遅いため、賞味期限をあまり気にしないからなのか、いろいろと考えたこともありました。でも今は、どんな理由であれ、お義母さんが好意で送ってくれていることに違いはないので、この謎は心の奥にしまって感謝の気持ちをだけを伝えることにしています。 お義母さんは大好きなのですが、食品の期限を気にしないところは気になります。嫁である私からは言いづらいし、かといって夫が言っても効果はなし。こんな経験は私だけなのでしょうか? イラスト/imasaku著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年01月05日2人の子どもたちと一緒に過ごすなかで、どうしても避けられないことがあります。それは、十分な時間甘えさせてあげられなかったり、我慢させてしまったりすることです。今回は、義母の言葉に自信をなくしていた私が気づいた大切なことについてお話しします。 言葉で言うほどラクじゃない!「おとなしいし、育てやすい子だよね!」という言葉をかけられると、素直にうんと言えない私がいます。決してわが子たちが育てづらいわけじゃない。でも、何だかその言葉は受け入れられませんでした。 2人の子どもを育てていると、必然的にどちらかを優先しなければいけなくなる状況もたくさんあります。「上の子を優先してあげて」という言葉は、妊娠中も出産してからも、ことあるごとに周りから言われてきました。でも、実行するのは意外と難しく、言葉で言うほどラクじゃないと感じます。 義母の言葉に自信をなくすこともある日、甘えたい3歳の長男が、0歳の次男や義母にぶつかりに行ったり、叩いたりしていました。私は夕食の準備をしながら見ていたのですが、何度注意してもやめなかったので長男のところに行き、その場から離れさせて注意をしました。 ところがその後、義母に言われたのは「あのとき、兄ちゃんがかわいそうだった」という言葉。私はそれ以前も、危ないことをしたときはしっかりと叱る教育をしてきました。それはいけないことだったのか……と、落ち込んでしまいました。 気にしなくていい、自分の子育てに自信を持つわが家は義母と完全同居。大変なところも見て知っているはずですが、義母からも「育てやすいし、悩まないでしょ」なんて言われることがあります。最初は「またか」とイライラしたり、私のやり方を否定されて自信をなくして泣いたりすることが何度もありました。 でも、「そんなことは気にしなくていいんだ」ということに私は気づきました。周りの言葉や得た知識を気にしすぎてしまうと、自分自身に余裕がなくなり、子どもたちと楽しく関わることができなくなってしまいます。私が自信を持って子どもたちと向き合い育てていくことが大切なんだと思えたら気持ちもラクになり、義母の言葉にもあまりイライラしなくなりました。 自分の子育てに自信を持つことが、のびのびとした子育てにつながると信じ、子どもたちと接するようにしています。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:石井はな0歳と3歳、二男の母。子育てのかたわら、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は家庭菜園。
2020年12月20日義母にひどいことを言われて傷付いたというママはあとを絶ちません。義母も同じ立場だった時期があるのだから、嫁の気持ちを察してくれそうなものだけど……。 どうして義母はひどいことを言うのでしょうか? 言ってしまう義母の心理について考えてみます。 義母がひどいことを言うのは止められる?そもそも、義母がひどいことを言うのは止められるのでしょうか? 残念ながら、止めるのは難しいと言わざるを得ません。なぜなら、義母はそれを正しいと思って言っているからです。たとえそれが意地悪な気持ちから出ていたとしても、「息子のためを思って」「孫のためを思って」など義母にはなんらかの自身の発言を肯定する理由があります。義母にとってはそれは“正論”なのです。良好な関係の嫁と姑であれば、遠回しにでも「傷付きました」と伝えることで改善される可能性はあります。しかし、伝えることが難しい関係だと、相手は嫁に自分の意見を言った正義感で満たされているので、悪く思っていたとしても「ちょっとキツく言い過ぎたかしら」程度であることが多いでしょう。 義母がひどいことを言いがちな理由義母はなぜそんなことをわざわざ言うのでしょうか?ママがひどいと感じることは大きくわけて4つに分けられます。 1.自分自身について悪く言われる「うちの味噌汁はだしからちゃんととるのよ」「もう少しきちんと掃除できないのかしら」「私は夫に対してそんな態度をとらなかったわ」など嫌味のように言われる。 2.親や友人について悪く言われる「そんなことも親御さんに習っていないの?」「これだから片親は……」「お友だちの質があまり良くないのね」など自分の周囲の人を責められる。 3.子どもについて悪く言われる「男の子がよかったのに……。次は男の子だといいわね」「誰に似たのかしら」「うちの息子はこんな騒がしくなかったのに……」など暗に子どもを非難される。 4.自分の側に立ってくれない夫の自分勝手さについて「あなたが我慢すればいいの」と言われる、育児で寝られていないなか「こんなことでへこたれてどうするの! 今だけだから頑張りなさい」と言われるなど義母の価値観を押し付けてくる。 義母にとって嫁は絶好の標的になりやすい多くの場合、年を取れば取るほど自分について言及されなくなります。自分についての指摘がなくなることは自分の間違いを正してくれる機会が減るとともに、自分の存在価値も薄れると感じる場合があります。自分も人の役に立ちたい、存在意義を見出したいという方は少なくありません。自分の経験をフルに伝えられる嫁という存在は、絶好の標的の1つなんです。義母にとって嫁にひとこと言うことは、自分の経験を最大限に生かして状況をよくできるかもしれないことであると同時に、自尊心をくすぐることでもあるわけです。しかし、自分自身について言われるのは辛うじて我慢できたとしても、親や友人、ましてや子どもについてまで悪く言われるのは我慢ならないでしょう。悪気がなく冗談で言っている場合もありますが、嫁側からすれば、産後などで心身ともに疲れていると、冗談を冗談とも捉えられないことも多くあるに違いありません。義母にしてみれば自分も経験してきたことという自負があり、自分が大丈夫だったのだから大丈夫、自分だって耐えてきたのだから嫁も耐えて当然だという気持ちがあるので、ここで嫁・姑の感覚のズレができてしまっています。 義母にひどいことを言われたときにやってはいけないこと義母にとっては正しいと思っていることを言っているのであって、義母の理屈上では間違ったことは言っていません。理屈上正しいことがすべてではないのですが、“正論”の壁を壊そうとすると、さらに義母の正論で返される可能性があります。 よほどの信頼関係がないかぎり、正論に正論で返すと、うまくやっていた仲でさえ壊れてしまう場合があります。正論に正論で返すのは、グッと我慢です。相手の言い分は聞き流すようにしましょう。聞き流すのも痛みを伴いますが、受け止めるとさらに打撃を受ける可能性があります。また、夫に義母の悪口を言うのもNGです。男性は、解決策がない事案を非常に面倒に思う傾向にあります。多くの場合、面倒くさそうに流されるか、自分の親の悪口を言われたと思って機嫌を損ねてしまうかのどちらかです。理不尽な状況ではありますが、ここは流すスキルを身につけましょう。 もちろん、ここに書いことがすべてではなく、夫との関係性、義母との関係性、義母の性格やご自身の性格により感じ方も変わりますし、対応も変わってきます。義母のつらい口撃に耐えられない場合は、自分の中で抱え込まず、友人や専門家に相談してストレスをためないようにしましょう。 著者:ライター メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー カトウ ヒロコメンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー。また、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。
2020年12月02日「夫の母親が毎日のように家にやってきて迷惑」「子どもの育て方に口を出してくる」と、義母の“関わりすぎ”で不満を抱えるママたちも多いことでしょう。ところが私は、それがうらやましいほど義母の“関わらなさすぎ”が不満だった時期がありました。 お祝いの言葉が欲しい!夫と結婚する前から義母とはつかず離れずのいい関係で、あっさりした人だなとは思っていました。遠方に住んでいるため、メールや電話のやり取りも必要なときだけ。 そこが気安くて好きなところではあるのですが、お宮参りのときに会ったのを最後に、節目の行事にも特に何もなし……。初孫なのに、特別に思ってくれないのかなと、やや物足りなさを感じていました。 近くに来るなら連絡して!飛行機に乗らないとわが家には来られない遠方に住んでいるため、めったに会えない義母。孫の成長を見せたいけれど、写真を送っても特に返答もなく、空しい……。 そう考えていた矢先、義母から夫に電話が。「近くにいるんだけど、今から会える?」。詳しく聞いてみると、わが家近くの温泉に来ているとのこと。旅行なら何週間も前に予定が決まっていたはず……。早く言ってよ~! 今日はもう無理~! 孫に会いたくないの~!?と、悲しい思いをしました。 贈り物もとにかくあっさり節目の連絡はない義母ですが、やはり孫の百日祝いや誕生日は気にしてくれている様子。勤め先にゆかりある品物や地域色の濃い食品を時々送ってくれるついでに、「いつも何にもしなくてごめんネ」と一筆書き添えて、まとめて現金を送ってくれます。 フルタイムで働いていて、いつも忙しい義母の精いっぱいのおばあちゃん心かなあと思います。愛情の示し方は人それぞれ。わかってはいても、ついつい周りの状況と比べてしまっていたようです。 今は実家で大家族暮らしですが、上の子が生まれたばかりのときは日中子どもと2人きりで寂しかったことも、“関わらなさすぎ”が不満だった要因かもしれません。相変わらずの義母ですが、慣れた今はちょうどいい距離感だと思っています。 イラスト/imasaku著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月28日初めて赤ちゃんを抱いたとき、言葉では言い表せないほどの幸せを感じました。しかし、赤ちゃんのお世話が始まるとかわいがる余裕すらなし。産後は実家で過ごしたのですが、両親との育児のギャップで悩んだこともありました。今回は、私が感じた世代間ギャップについてお伝えします。 両親や義両親との世代間ギャップ孫をかわいがってくれる両親や義両親の存在は心強いですよね。初めての出産を終え、産後を実家で過ごせることが何より安心でき、幸せでした。改めて親のありがたみを感じていました。 ただ、育児に関して「世代間ギャップ」があると感じ、モヤモヤしたことも。みなさんも経験ないでしょうか? たとえば「白湯や果汁を飲ませる」「必要以上に厚着をさせる」など。自分の両親ならまだしも義両親だと自分の言いたいことを伝えづらいですよね。 お風呂のあとは母乳を飲ませたいのに!沐浴後に私が母乳をあげている姿を見て、両親が不思議がっていました。昔は白湯や果汁を飲ませるのが主流だったようです。母が「お風呂あがりは湯冷ましで大丈夫よ」と毎回のように言ってきました。 義母には「みかんの果汁を作ってあげようか」と言われたことも。昔と今の世代間ギャップで悩まされるとは思いもしませんでした。湯冷ましや果汁を与える必要はないことを伝えても、なかなか首を縦に振りませんでした。 室内で靴下を履かせたり、厚着をさせたりする 赤ちゃんは、手足から熱を発散させて体温を調節するため、基本的に室内にいるときは靴下を履かせる必要はないと言われていますが、私の両親や義両親は違いました。手足が冷たい=体が冷えていると判断するようで、私がいないときに赤ちゃんに靴下を履かせたり、厚着をさせたりすることがありました。 赤ちゃんを見ると汗だく状態! 気持ちはありがたいのですが、ギャップを感じることが多すぎて、指摘する余裕すらありませんでした。 抱きぐせやミルクなど、育児の世代間ギャップを感じたことはたくさんあり、「昔はこうだった」としつこく言われるとモヤモヤしました。もし、私が逆の立場になったときは、口出ししないでおこうと感じた体験でした。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2020年11月23日テレビのニュースや母親学級でも誤飲がとても危険だとは聞いていました。赤ちゃんの口に入るサイズのものには気を付けなくちゃと思っていたのに……。予想外のものによって起きた、わが家の誤飲事件のお話をします。 なんでも口に入れたがる時期、到来!わが家の次男は生後半年を過ぎ、ハイハイができるようになってきたころから、なんでも口に入れたがるようになりました。上の子にもそういう時期があったので、それ自体には特別驚きはしなかったのですが、次男には長男のときにはなかった危険が!2歳上のお兄ちゃんが遊んでいるおもちゃが気になって仕方ない次男は、それを口に入れたがるのです。しかも、大きい積み木などではなく、ミニカーなどの小さな部品が気になるらしく、お兄ちゃんには申し訳ないと思いつつも細かい部品を取り除いた状態で遊ばせたりしていました。 お昼寝の呼吸がおかしい…もしかして!細かいおもちゃは手の届かない所にしまうように気を付けていたのですが、ある日のお昼寝のときに次男の寝息がおかしいことに気が付きました。 ひゅーひゅーと風邪をひいているときの呼吸の音に近いのですが、寝る直前までそんな様子はなかったので、これはおかしいと背中を叩いてみると音が聞こえなくなりました。このときになってようやく、何かが喉につかえた状態なのだとわかったのです。 おばあちゃんを巻き込んでの大騒動次男は私が揺すっても背中を叩いても起きませんでした。ちょうど、その日の昼間は上の子が通う幼稚園のプレ保育へ一緒に行っていたので、特段疲れていたのだと思います。とはいえ、何かが喉につかえているのに寝ていられるものだろうか……もしかして、呼吸がうまくできず意識が混濁してるのでは……! 嫌な想像ばかりが頭を駆け巡りました。 そのとき、ちょうど元幼稚園教諭だった母がいたので、誤飲しているかもしれないと話すと、息子を抱っこして私がしたよりも強い力で背中を叩きました。すると、口の中から何かがコロリと出てきました。見ると、なんと小さな松ぼっくり! これには母も私もビックリしました。 プレ保育で上の子が工作に使った松ぼっくりを次男が取って口の中に入れてしまっていたのでした。大人から考えると、こんなゴツゴツしたものを口に入れるなんてと思いますが、赤ちゃんにはそんなことは関係ないのだと痛感。これ以降、より一層の注意を払うようになりましたが、秋冬になり松ぼっくりを見かけると、今でもあのときの恐怖を思い出します。 ※直径39mm以下(トイレットペーパーの芯を通る大きさ)のものは、誤飲の恐れがあります。赤ちゃんに渡したり、そばに置いたりしないように注意しましょう。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月10日ママだって、美容院に行ったり買い物したり、赤ちゃんと少し離れる時間も欲しいですよね。気分転換以外にも上の子の幼稚園行事のときなど、頼れる身内に預けることもあると思います。ばぁばに赤ちゃんを預けたときに困ったことを紹介しています。 ばぁばに赤ちゃんを預けたら…乳酸菌飲料をたくさん飲ませようとした赤ちゃんがジュースを飲めるようになると、母は乳酸菌飲料を赤ちゃんに飲ませてくれました。小さな容器に入った乳酸菌飲料は、すぐ飲み終わってしまいました。すると母は、1日1本で十分な乳酸菌飲料を、赤ちゃんに何本も飲ませようとしたのです。 乳酸菌が体に良いのはわかっているけれど、甘さも結構ありますよね。「1日に何本も飲んだら糖分のとり過ぎなのでは……?」と、虫歯が心配になりました。 とにかく厚着をさせようとした母は涼しい季節になると、たいして寒くない日でも「寒いよね」と、赤ちゃんに洋服を着せようとしました。靴下を2枚も履かされていたこともあります。“洋服の枚数は、大人より1枚少なく、高齢者よりも2枚は少なく”と何度も説明しましたが、なかなかわかってもらえませんでした。 また、母はくしゃみ1つで、赤ちゃんの風邪を心配します。真夏に赤ちゃんがくしゃみをしたときは、風邪を心配して扇風機やエアコンを止めてしまったこともありました。 とにかくいろいろ食べさせようとした離乳食が進んでくると、母は「これは食べられるの?」「これは?」と、いろいろな食べ物を出してくるので、「赤ちゃんせんべいならあげてもいいよ」と伝えました。すると母は赤ちゃんせんべいを大量に買い込んできてストックするように……。食べる様子がかわいいからと、何枚も食べさせてしまうので困りました。 赤ちゃんの小さな自己主張が始まってぐずることが増えた時期だったので、「外出先などで泣いたときのご機嫌取りとして、とっておきのものにしておいてほしい」と頼みました。 じいじ・ばあばが子育てをしていた時代と今では何かしらギャップがあると思います。よかれと思ってしていることが今ではNGだったりすることもあり、赤ちゃんを大事に思うあまり、預けるのをためらう方もいるかもしれません。でも、やはりじいじ・ばあばは頼れる存在です。今の育児事情を説明しながら感謝の気持ちを持って接していけたらいいですね。 原案/斉藤あや作画/やましたともこ
2020年10月28日