文化放送は、「動画」と「音声」でストリーミング配信を行っている日本最大級のアニメ&ゲーム系専門チャンネル「超!A&G+」にて、声優の井澤詩織と立花理香がパーソナリティーを務める新番組「井澤・立花 ノルカソルカ」を2016年4月4日よりスタートすると発表した。毎週月~木の24時30分ごろから10分間放送される。本番組は、同日の4月4日からスタートする新ワイド番組「鷲崎健のヨルナイト×ヨルナイト」内で放送される動画番組。パーソナリティーが対決するゲームやオタクトーク、男性の好みを話し合う女子トーク、フリートークなど、日毎にテーマを設けてさまざまなトークや企画を展開していくという。
2016年03月25日ものまねタレントの福田彩乃が5日、地元である愛知県豊田市の魅力をPRする「WE LOVE とよた スペシャルサポーター」に就任し、豊田市コンサートホールで行われた任命式に出席した。任命式は、映画『リトルプリンス 星の王子さまと私』(11月21日公開)の特別上映会の中で実施。太田稔彦豊田市長と共にステージに登場した福田は、得意のローラのモノマネを披露し、さらに市長のむちゃぶりに応える形で、ニワトリとボビー・オロゴンのモノマネも続け、集まった700人の観客を笑わせた。そして、市長から「日本全国に豊田市の魅力を発信してください」と任命状を受け取った福田は「豊田市出身で豊田のことが大好きなので、いろんな方に豊田市の魅力を知っていただけるように頑張っていきたい」と決意を表明。高校時代を振り返り、「友達と自転車に乗りながら田んぼ道を走って、ソフトクリームを食べながら女子トークして…。英語の先生のモノマネをしたり、いろいろやっていました」と語り、「とても温かい方が多いという印象。アットホームな場所で私の本当のふるさとです」と豊田市の魅力を語った。その後、初仕事として、舞台あいさつの進行を担当し、主人公の女の子の吹き替え声優を務めた鈴木梨央と飛行士役の津川雅彦を招いてのトークセッションを仕切った福田。イベント後に囲み取材にも応じ、「すごいうれしかった」とスペシャルサポーターの話を最初に聞いた時の心境を伝え、「まずはこちらの任命状を弊社アミューズに持ち帰り、大先輩の福山雅治さんの『TSUBAKI』のポスターの隣に堂々と飾らせていただきたい」と話した。豊田市では現在、2年後に同市に誕生するシネマコンプレックスに向けて「映画を活かしたまちづくり事業」を推進中。そのプロローグイベントとして、映画『リトルプリンス 星の王子さまと私』とのタイアップ企画「Toyota City Montage "ものがたり"つむぐ街」が本日5日にスタート(~12月27日)した。今回の特別上映会も、その一環として行われた。
2015年11月05日ものまねタレントの福田彩乃が、桐谷美玲の主演映画『ヒロイン失格』(夏公開)に出演し、女子高生役を演じることが27日、明らかになった。本作は、2010年4月から2013年4月まで漫画雑誌『別冊マーガレット』(集英社)で連載され、全10巻で累計117万部を突破したコミック作品。この人気漫画を原作に、『ハンサム★スーツ』(2008年)や『高校デビュー』(2011年)などで知られる英勉監督がメガホンを取る。好きな人には猪突(ちょとつ)猛進で自らを"彼のヒロイン"だと思い込んでいる暴走ヒロイン・松崎はとりを桐谷、幼なじみの寺坂利太を俳優の山崎賢人、モテ男・弘光廣祐を同じく俳優の坂口健太郎が演じ、この三角関係による爆笑ロマンチックコメディーが描かれる。福田が演じるのは、はとりや利太の幼なじみでいつも冷静沈着な"愚かなる中島"こと中島杏子。思い込みで暴走しがちなはとりのブレーキ役として活躍する。昨年11月から放送されたWOWOWの連続ドラマ『平成猿蟹合戦図』でホステス役を演じたことが話題になった福田だが、今回は26歳にして女子高生役に挑む。「裸を見られるより恥ずかしいと思っていた制服姿」と多少の抵抗もあった様子の福田。「26歳になってまさか着るとは思わず、撮影半ば頃やっと太ももが出る違和感にも慣れてきました(笑)」とようやく馴染んできたようで、「劇中のはとりのものまねシーンは桐谷さんにコツをレクチャーさせていただきました!ぜひご覧ください」と撮影エピソードを語った。そのほか、4人の追加キャストが発表された。オカッパメガネで"六角精児似"と揶揄されるも、あることをきっかけに利太と付き合うことになるさえない女子・安達未帆を我妻三輪子、廣祐の元家庭教師で元彼女の"女子力だだ漏れ女"こと恵美を高橋メアリージュン、利太の幼い頃に駆け落ちするなどその性格に影響を与えた母親を濱田マリ、幸田学園高校の学食のオヤジを竹内力が演じる。はとりとライバル関係になる我妻は、「安達役が決まったと聞いた時、今まで散々女の子から嫌われて生きてきたのがやっと生かせると思いました(笑)。うれしかったです」と語る。憎まれ役として見られることについて、「みんなから嫌われる安達を、愛情持って演じさせていただきます。ムカついて下されば幸いです。でもいつか好きになってください!」と意気込んだ。一方の高橋は、「私が演じさせて頂いた恵美という役は女子力だだ漏れ女という事で、もちろん綺麗でいる事も大事なんですが、お芝居としては今まで私が見せた事ない感じのコメディータッチなお芝居をさせて頂きました」と撮影を振り返り、「個人的にコメディをやりたいと思っていたのでとても新鮮で楽しかったです」と女優としての喜びを語った。(C)2015 映画「ヒロイン失格」製作委員会(C)幸田もも子/集英社
2015年02月27日1985年に国際ビデオビエンナーレで立花ハジメが映像ユニットのラジカルTVとジョイントして発表したのはデジタルとアナログ、機械と人間、ハイテクとローテクを調和させた“テクノ”をベースにした「ロックンロールという伝統芸能の枠を超えたショービジネス」だった。レコードの売り上げがCDの売り上げを上回っていたその時代に、既に音や映像のデジタルデータ化というものをテーマにして作品を発表していた立花ハジメは、90年代に入りデザインの個展を開始。1991年にタイポグラフィーでADC賞最高賞も受賞している。94-95AWに東京コレクションでデビューしたアンダーカバーは、03SSからパリコレクションに参加。11-12AWでパリでのショーを一旦休止していたが、13-14AWよりパリコレを復活。一貫して東京ミックスとも言える様々な要素、カルチャーを混ぜ合わせた独自のモード観が海外のメディアでも評価されている。高橋盾(以下J):僕は音楽にしてもフォークやミニマルなテクノといろんな引き出しがあるし、映画やファッションもいろんな物が好きで雑食。いろんなレイヤーがあって、それをいかに消化して混ぜて発表するというのは自分のスタイルなんです。立花ハジメ(以下H):それってすごく東京ぽいことじゃない。J:そうなんですよ。リミックス世代。90年代的なんですよね。でも、ハジメさんがなさってきた活動も、そうでしょ。今回の『Monaco』の作品の中でも、ミックスするという行為は同じアプローチなんじゃないですか?H:原点のプラスチックスをやっていた70年代後半に、60年代にロンドンやニューヨークが注目されたように、TOKYOがTOKIOになって世界的にも東京が面白い街として注目を浴び始めた時期があって、その頃からミックスするという行為は変わってないかも知れない。今回のMonacoに関しては何故、USBで出したかと言うと、今までCDやDVDで出していたものをこれからはファイルで販売される時代になるので、まずUSBを買ってもらおうと。ホームページもリニューアルしてTシャツのデザインのマスターデータや、95年のアプリケーションツアーの本のデータをオンラインで売っていたりするんだけれど、今後はデータとして作品をファイルで出していくことが多いので、USBにファイルをコレクションしてもらうという、ファンとは長い付き合いの作業になる。J:デジタルデータ化というのは洋服だと中々難しくて、自分では中々作品としては結びついていないんです。ハジメさんのやっていることって時代とリンクしていて面白いなと思います。デジタルデータでのアーカイブということで言えば、アンダーカバーは今年でショーをやって20年目だから、ショーの映像は40シーズン分あるから、みんなに見てもらうためにDVDで出すとなるとボックスセットになっちゃう。でも、もうそういう時代じゃないんで、それならUSBというのも出来ますね。H:ジョニオは自分でMacも触るし、自分自身の中でアコースティックな部分とデジタルな部分のバランスが取れれば、すぐやると思うよね。ただジョニオにことだから普通のUSBだと面白くないだろうし。J:メチャクチャ大きいUSBとか(笑)。H:USBというのはあくまでも差し込み口の形状のことだから、何でも良いんだよ。ドレスやテーブルにUSB付いてても良いんだし、盆栽でも大丈夫だよ(笑)。J:そういう新しいことは大体、東京発信で始まるし、それが後から世界各国で誰かが、自分が最初にやったかのように広がっていきますよね。H:それはプラスチックスの時から、新しいことを東京から始めるという意気込みで世界を意識していたんだよね。あの頃から比べると本当に東京のクリエーターの活動はワールドワイドになった。ジョニオが出てきた時、そんな時代になったんだと思ったよね、(藤原)ヒロシの最近の活動なんて本当にワールドワイドだし。J:ワールドワイドにやることは普通になりましたね。H:プラスチックスの頃は気負いがあって、世界一より日本一、東京一が世界一、みたいな東京と世界に区切りを付けていた感覚があったけれど。でもいつの間にか、ボーダレスになって東京でもロンドンでもいい物はいい!という感じになったよね。J:インターネットが普及してそれは大きく変わったんでしょうけど、僕がデザインを始めた頃はまだインターネットは無くって、友達の関係とかで意外なところで人と関係して広がったって言う感じがありますね。H:それは僕もネットのない時代にプラスチックスで世界をツアーして、ディーボやトーキングヘッズ、B52s、トムトムクラブなどと友達になってネットワークが広がったというのが大きい。Monacoの1曲目の「Max’s Kansas City」 もその頃のNYのクラブというかライブハウスの名前が曲名。NYでクラブ誕生前夜というか変わり目の頃で、CBGBとかと同じライブハウスなんだよね。マッドクラブやペパーミントラウンジに出てたバンドが出演していたのがMax’s Kansas City。店自体はオールドスクールのライブハウスだっただけど、そこに今日は誰が出ているというような歌詞。あの曲で話しているのはコンピューターなんだけどね。MacのOS9のシンプルテキストを打ち込んだら話すやつ。4/6に戻る。6/6に続く。
2014年05月30日H:ところで、ジョニオはまだ走っているんだよね。1回どれくらい走るの?J:10kmですね。H:すごいね。僕も水泳と加圧トレーニングをやっているけれど、運動しているとその間、モノを考えられるし、いいよね。アドレナリンも出るし。J:そうですね。ジョギングをしていると、その最中にいろんなことを考えるんですけど、考えがまとまるかというと逆にまとまらず、走り終えたときに、まっ、いいか、ってなっちゃうんです。あまり考えずその先に進むことっていうのはファッションに関しては、重要なのかも知れないですね。ただ、あの達成感というのはスポーツにしかないものだと思いますね。ショーをやってもあまり達成感というのはないんで。H:今年3月にパリで発表された14-15AWコレクションもそうだけれど、最初はストリートから誕生したアンダーカバーのコレクションは、シーズンを重ねるごとにどんどんモードぽくなっていってるよね。J:そうじゃないと、パリでやる意味もない。でも、その背景には僕が育ってきた東京とかストリートとか時代感が投影されている。パリでいろんなブランドがショーをやっていますけど、その意味では特殊な位置にいるブランドだと思います。H:特殊という意味では、他のブランドと全然違うよね。「サンローラン(SAINT LAURENT)」でエディ・スリマンがロックとファッションというイメージを打ち出して、既出感のあるアイテムを発表しているけれど、アンダーカバーは独自だものね。J:エディ・スリマンってすごくストレートですよね。LAとか行くと、ああいう格好した人いっぱいいるじゃないですか。H:そうそう。ライダースに黒のパンツ。確かにあれはあれで定番で王道でアリなんだろうけれど、あそこに手作り感はゼロだもんね。J:コレクションを見ていると、面白いと思うのと、それで良いのかなぁ、とどっちも考えますね。H:アンダーカバーが数シーズン前に白のライダースを解体してドレスを作っていたじゃない。アンダーカバーの象徴的なアイテムだと思うけど。同じライダースというテーマを扱うにしても、素材にして見せているジョニオの作品を見ると、エディ・スリマンとアンダーカバーの違いがハッキリしていると思う。J:パリの第一線でやっている人たちを見ていると、現れ方や育った環境が、自分が歩んできた経歴とかとまったく違う。東京でバンドやって、音楽が好きでいろんな人と遊んで、知らないうちに東京でショーをやるようになって、それがパリでショーをやるようになったという特殊な位置なんで、パリの業界のなかで一つそういうジャンルみたいなのが作れればいいなと思っています。自分しか出来ないことなんで。H:でも、それはもうすでに根付いているから、そうやって続けられてるんじゃないの?J:最近やっと認められつつあるんで、それをもっと面白くエスカレートさせたいといという野望はありますね。3/6に戻る。5/6に続く。
2014年05月29日昨年9月、ソロとしては2002年の『THe End』以来、バンドとしては2007年の「THE CHILL」以来となる作品『Monaco』でアーティストとしての活動が再始動した立花ハジメ。完全限定生産のUSBアートピースで初回発表された作品は、今年4月にそのダウンサイズUSBが発売され、音楽とアート、またデジタルピースの発表形態にも注目が集まっている。立花ハジメ(以下H):プラスチックスやっていた頃は、グラフィックデザイナーかミュージシャンどっちなんですか、とか言われたんだよね。当時はまだアーティストという呼び方も市民権を得ていなかったし。僕自身はいろんなことをやっているように思われるけれど、デザインと音楽しかしていない。洋服はね、好きだけれど楽しめればいいや、という感じであまりこだわりがない。ファッションに関してはヒロシやジョニオのフォロワーでいいやと思っている。デザインや音楽で誰かのフォロワーになってしまったら僕なんかはおしまい。(デザインと音楽は)やっぱり仕事だからね。楽しければいいや、というわけにはいかない。高橋盾(以下J):それは絶対そうでしょうね。H:でもジョニオなんてすごいと思うよ。アルバムを年1枚出すなんて言ったら、大変なことだけど、それを年2回もミュージシャンにとってはアルバムとも言えるコレクションを発表するわけでしょ。J:いや、それはサイクルが決まっているわけで。ファッションは展示会での発表と商売のベースが決まっているわけです。出来る、出来ないではなくて、そういうレールの上でやらないと、この業界やっていけないということですから。H:慣れなのかも知れないけれど、それにしてもすごいよ。J:慣れもありますけど、やっぱりファッションが好きなんで。H:今まで、今シーズンは休みたいと思ったことはないの?J:発表したくないと思ったことはないですね。ショー形式での発表をやりたくないということはありましたけど、違う形で発表を考えますし、洋服をデザインしたくないということはなかったですね。作りたいんです。今回、ハジメさんの新作『Monaco』は、自分もグラフィックをMacで作りますけど、自分が考え、捉えたりしているものと全然違うアプローチだから、作品自体を俯瞰して見ることができましたね。不思議でした。自分の場合はコンピューターを使うにしても、ウェブにしてもベーシックなことしかやらないから、もっといろいろ深い部分で捉えているんだなぁと。H:深い?J:ハジメさんは90年代の頃からタイポグラフィーやアプリケーションというテーマに関して、すごく神経質にかかわっているじゃないですか。神経質なアーティスト好きなんですけど(笑)。H:それはそうだね。本職だからね、やっぱり。神経質すぎるから、時々おかしくなっちゃう(笑)。去年も1年間ずっとこのMonacoを集中して作っていたから、発表した後の今年は少し緩んじゃう。だから、ジョニオが年2回、コレクションを安定して発表しているというのは人間としてすごいと思う。J:安定してとはいうものの、その中でいろいろ波があります。会社としていろいろなことをやるから売り上げの波もあるし、家庭のことを含めプライベートなことも考えなくてはいけない。アンダーカバーは来年25周年になるわけですが、以前は顧客も一緒に年齢を重ねてきたけれど、最近は20歳位の若い世代も再び増え始め、ブランドとしての波もある。そしてすべて早めに決断、処理していかないと自分の仕事のスピードに着いていけない。この業界にとってそれは非常に重要で、ミュージシャンのように2年に1枚などのペースでやってしまうと、逆に作品の製作中に間が空いて、そのことが不安になって自分には無理なんじゃないかな、と思う。H:『Monaco』自体の製作は時間的には実質、半年間集中して製作したわけだけれど、僕自身はそれが終わって、さあ次というわけにはやはりいかない。J:純粋なアーティストというのは,締め切りに追われて自分の中で不完全燃焼のまま、作品を発表するということはないでしょう。アーティストは自分のタイミングというのが最優先じゃないですか。H:それは、そうだね。J:ファッションデザイナーはそういう点ではアーティストと少し違って、もう少し職人的な感じがします。あまり考えすぎていたら、先に進めない。4/6に続く。
2014年05月29日H: 80年代後半というのはHIPHOPからHOUSEという時代の流れになって個人的には音楽もファッションもちょっとついて行けなくなった時代なんだよね。そこで登場したスターが、藤原ヒロシ、高木完とかジョニオなどだよね。そのジョニオがショーをやるからって、見に行ったのがリキッドルーム。J:リキッドルームでやった95年の3回目のコレクションですね。メチャクチャだったやつ。H:僕としては、あのMILKのひとみちゃんにくっついてクラブで遊んでいた“東京セックスピストルズのジョニオ”がショーをやるんだ。すごいなぁ、と思いながら見に行ったら、見終えて、これはすごい時代になったなと驚いた。J:メチャクチャですよ(笑)。H:(真剣な表情で)メチャクチャじゃなかったよ、全然。70年代から80年代に掛けてプラスチックスやYMOが登場するまで、日本からオリジナリティーが外に出るってことは無かったと思うんだけど、音楽でもファッションでも外国=カッコイイ、というのではなく、オリジナリティーを持って表現できるアーティストが出てきたんだ、と素直に思った。もちろん、それまでにデザイナーブランドとして東京でコレクションを発表してきたデザイナーの先達達はたくさん居たんだけれども、ジョニオのはストリートから出てきたものだったから。僕もそうだけど、ストリートデザインが好きだし、ストリートのアイデアが好き。東京でそういう見せ方をする若いアーティストが出てきたことが、素直にすごいと思った。僕がプラスチィックスや、それ以降にソロになって発表した『H』『Hm』『テッキー君とキップルちゃん』『太陽さん』などのアルバムや、タイポグラフィー展やアプリケーションツアーの個展もそうだけど、新しい考え方やスタイルをストリートからの視点で発表して、世界にそのセンスやモノを見てもらいたいというのが、僕が70年代からやって来たこと。その頃から蒔いてきた種がいろんな場所で形になってきたということかも知れないんだけど、実際には、あっ、ヤバイ!と思ったね。自分はその頃の音楽に着いて行けてなかった頃だから。スラッシュメタルとか、まったくダメだったから(笑)。J:確かに90年代に入ってそれまでの音楽と大きく変わりましたよね。僕もHIPHOPとハウスはダメだったんですよ。ハウスは今でもダメで、ずっとダンスミュージックは好きじゃない。H:音楽の入り口はセックスピストルズだったの?J:最初は歌謡曲とビートルズ、友達の影響でレッドツェッペリンとかも聞いてましたけど。ピストルズは中学1年生の頃に、そのネーミングとジャケットデザインがカッコイイと思って聞き始めました。H:それってリアルタイムじゃないよね。J:ええ、ピストルズが実際にやっていた頃って僕が7歳の頃ですから。中学の頃にピストルズと並行して日本のバンドとかを聞いていて、プラスチックスを知って、日本にもこういうことをやっている人たちがいるんだと思いました。H:ジョニオは結構幅広く聞くんだよね。J:ええ、山下達郎とか大好きですよ。あと、ジャーマンテクノ、プログレ、ハードコアとか。H:ノイ、カン、グルグル、クラスターとかジャーマンロックは僕も好きだよ。テレビジョンとかも好き?J:テレビジョン、大好きですよ。プラスチックスはメンバー自身がデザイナーやスタイリストが集まってやっているバンドで、それが格好いいんですよ。仕事があった上でやっていて、それで世界中で同じニオイを持った人達とつながって行くじゃないですか、それは自分がファッションでやっていることと重なる部分があるんですよ。自分達がやって来たことの、原点を世界レベルでやって来たルーツなんだと思います。H:ジョニオもデザイナーをやりながらバンドをやってたよね。J:ただ、バンド自身は自分の意志で始めたモノじゃないんです。MODSの森山(達也)さんが「お前、ジョニー・ロットンに似ているからバンドやれ」って言われて始めたモノだから、自分の中でそれがクローズアップされるのは少し……。H:パンクという存在はやっぱり大きくて。パンク以前は楽器へたな人は音楽やっちゃダメなんだというのが、パンク以降は感情だけで音楽をやってもいいんだ、センスだけで音楽やってもいいんだという風潮になった。感覚だけで、センスだけでデザインやってもいいんだというようにデザインにおいてもパンクの影響は大きくて、それがロンドンからNYやLA.、東京に飛び火して現在になっている。1/6に戻る。3/6に続く。
2014年05月28日70年代からプラスチックスを起点に、後に世界的なブームを巻き起こす東京ストリートカルチャー誕生の火付け役的存在の立花ハジメと、ストリートの流れをモードに消化して世界を相手にコレクションを展開する「アンダーカバー(UNDERCOVER)」のデザイナー、高橋盾(ジョニオ)が、お互いのクリエーションを振り返りながら、東京、音楽、ファッションについて語った。立花ハジメ(以下H):ジョニオと初めて会ったのっていつだっけ?高橋盾(以下J):東京セックスピストルズの頃でしょう。H:それっていつだっけ?J: (青山のスパイラルであった)「ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)」のショーに出た時ですよね、1989年か90年。H:そうだ、みんなで出たんだ。(藤原)ヒロシとか甲田益也子、(高木)完ちゃんとかと一緒に。J:日本のコレクターの人が持っているワールズエンドやセディショナリーズを着て。ヴィヴィアン本人も来日して。僕はまだ、学生だったんで、ヴィヴィアンの本物は持ってなかったですけど。ヒロシ君に誘われて。H:ジョニオ、あの時まだ学生だったの?NIGOとかも一緒の頃?J:そうですよ。文化服装学院の2年か3年生。NIGOは1年下です。そのショーで(MILKの大川)ひとみさんが僕を見つけて、次の週にあなた面白いからって呼び出され、それからあっちこっち遊びに連れてもらって。H:僕も(藤原)ヒロシを紹介されたのはひとみちゃんなんだよね。彼女はとにかく、キレイでカッコイイ才能のある子は男の子でも女の子でも大好きで、いつも若い子を連れていて、ツバキハウスやいろんなところ連れていっては、いろんな人を紹介するんだよ。J:僕の頃はもうツバキハウスはなかったんですが、もう毎晩クラブを4軒位回る。その頃は芝浦のGOLDとかピカソ。H:新宿の花園神社のところ何だっけ?J:元第3倉庫の跡のミロスガレージ。H:そう、ロンドンナイトをやってたよね。J:そのロンドンナイトで大貫憲章さんのレコードとかを学生の僕が運んでて、ただでクラブとか入れてもらってて。その時に、ヒロシ君が「君、おしゃれだね」と声を掛けてきて。H:へぇー。そうなの(笑)。J:僕はジョニー・ロットンみたいな格好していて。こっちは勿論、ヒロシ君のこと雑誌とかで知ってるじゃないですか。そこから仲良くなって、ヴィヴィアンのショーに出てって感じです。ハジメさんとはそのショーで直接お会いしたのは初めてですね。中学の頃からパンクとか好きだったんで、プラスチックスのこともリアルタイムではなかったんですけれど、レコードは聞いていたので立花ハジメの存在は知っていましたよ。H:僕自身はクラブとかあまり遊びに行かなかったから、一緒に遊ぶという関係ではなかったんだけど。J:ちょうど、藤井フミヤさんとも仲良かったんで、ハジメさんの個展を見に行きましたね。H:プラスチックス(Plastics)を止めて10年ほど経って、92年に「BAMBI」を出したけれど、ジョニオに会ったのはそれを製作していた頃かな。90年代に入って個展をやることが多くなって。92年が初の個展となるタイポグラフィ展、93年がDEPT展、95年がアプリケーションツアー、97年にリトグラフ展をやって、その年に発表した「LOW POWERS」のバンドの衣装デザインをジョニオにお願いしたんだよね。J:あれって、もうそんな前ですか?H:そう、新しいバンドをやるとか、DJやるからって時はいつもジョニオにTシャツのデザインとか頼むんだよね。お世話になってます(笑)。ちょっと話を元に戻そう。そう、東京セックスピストルズだ!あれってメンバーは誰がいたんだっけ? NIGOもいた?J:ベースが(BOUNTY×HUNTERの岩永)ヒカル君、ギターは(DOGDAY AFTERNOONの)片桐 (Katcin’) 克巳君。NIGOはレギュラーメンバーのドラムが突然、ライブに来ないなどということがあって、たまにドラム叩いてもらっていました。NIGOはドラム叩けるんで。東京NO.1ソウルセットの(渡辺)俊美君とかにも手伝ってもらったことありますよ。H:でも、ライブとかで一緒になったこととかは無いんだよね。J:まあ、僕達はコピーバンドですから(笑)。2/6に続く。
2014年05月28日「ラロッシュポゼ Suhada Beauty Award 2013」に決定!有名人のものまねで知られるタレントの福田彩乃が17日、「ラロッシュポゼ Suhada Beauty Award 2013」を受賞し、東京都内で行われた同アワード授賞式に登場した。この「ラロッシュポゼ Suhada Beauty Award」は、フランスのスキンケアブランドで、世界中の皮膚科医が多数推奨する敏感肌のためのアイテムを提供する「ラロッシュポゼ」が表彰するもので、4月30日を「しみゼロの日」とし、内面から繊細な美しさを放つ、素肌美の持ち主を選出している。自身も敏感肌で愛用!今回で3回目となる同アワードは、初代をタレントの優木まおみが、昨年の2代目を長谷川理恵が受賞している。優木まおみは、受賞後も美肌をキープしている点が評価され、今回殿堂入りに認定された。この日、福田はオレンジの華やかなドレス姿で登場。アワードと名のつくものの受賞はこれが初めてということで、とてもうれしいと喜びの笑顔を見せた。もともと彼女も敏感肌なのだそうで、「ラロッシュポゼ」のアイテムを愛用しているという。肌が薄く、すぐに赤くなってしまうことがコンプレックスで、その分肌のケアには人一倍気を遣ってきたのだそうだ。ものまねタレントのみならず、女優としても活動するなど、活躍の場を拡大している福田彩乃。これからも、さらに素肌美で魅せる姿を期待したい。元の記事を読む
2013年04月19日映画『僕等がいた』の公開記念トークショーで吉高由里子と、彼女のモノマネで人気を集めている福田彩乃の共演が実現!3月1日(木)に「“恋活”女子限定」と銘打って行われた試写会の舞台挨拶に小松彩夏を加えた3人で登壇し、会場は盛り上がりを見せた。累計発行部数1,000万部を超える小畑友紀の人気漫画を前後篇の2部作で映画化した本作。七美と矢野、高校時代に出会い、思いを通じあわせた2人の恋の行く末が壮大に描き出される。この日はまず、矢野(生田斗真)の元カノ・奈々を演じた小松さんが登場した。その後、司会者がもうひとりのゲストとして「(劇中の吉高さんの役名の)高橋七美さんです!」とコール。観客は吉高さんが登場すると思い、大歓声に包まれたが、現れたのは七美風の衣裳で吉高さんのモノマネをする福田さん。客席は一瞬の静寂ののちに爆笑に包まれた。その後も福田さんは「矢野ぉ、好きだー!」「吉高です」「ハイボールでぇ」と吉高さんのモノマネを連発。すると、舞台袖から「何やってるんですか?」と怒りに満ちた表情で本物の吉高さんが現れ、客席は再び拍手と大歓声に包まれた。人気絶頂の若手女優とそのモノマネ芸人の共演というのは極めて稀なこと。吉高さんは「こんなフェイクのある舞台挨拶は初めてですが、やりづらい」と苦笑い。福田さんは「一緒でしょ?」と笑顔ですり寄るも吉高さんは「一緒じゃない!」と懸命に否定し笑いを誘っていた。この日は事前に観客から集められた恋の相談、悩みに3人が回答。「恋愛を長続きさせるにはどうすればいい?」という悩みに対し、福田さんは今度はタレントのYOUのモノマネで「お互いが思いやりを持てば…」と答え、レパートリーの広さを見せつけた。その後の質問に対し、3人は真面目に回答するも逆にモノマネなしの素の口調で答える福田さんに会場からは笑いが…。「何で笑うの?」と困惑する福田さんのかたわらで吉高さんは「私も真面目に喋ってると笑われるんですよ!」と互いの共通点を語り“元祖”天然ボケの強さを感じさせた。小松さんも、壇上で繰り広げられる福田さんと吉高さんのやり取りに我慢できずにたびたび爆笑。最後まで笑いの絶えない舞台挨拶となった。『僕等がいた』前篇は3月17日(土)より、後篇は4月21日(土)より全国にて公開。■関連作品:僕等がいた・前篇 2012年3月17日より全国東宝系にて公開© 2012「僕等がいた」製作委員会 &© 2002小畑友紀/小学館■関連記事:恋愛講座付き!『僕等がいた』女性限定試写会に25組50名様をご招待『蛇にピアス』コンビ復活!高良健吾&吉高由里子で吉田修一の青春小説を映画化生田斗真、初共演した吉高由里子の第一印象は「賢い人」ミスチル桜井「真っ直ぐな気持ちで取り組んだ」『僕等がいた』主題歌リリース決定壮大な“純愛回想録”!『僕等がいた・前篇』完成披露試写会に10組20名様ご招待
2012年03月01日