ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの最新作『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』がついに公開になった。本作が描くのは、まだ誰も体験したことのない未知の冒険と驚きの結末。本作の監督とプロデューサーたちは、スタジオの伝統=レガシーをしっかりと活かしながら、新しい映画づくりに挑んだようだ。本作の舞台は、美しい自然が広がる国アヴァロニア。しかし、この街のエネルギー源になっている植物“パンド”に異変が発生。伝説の冒険家を父に持つ農夫サーチャーは家族と共に世界を救う冒険に出発する。本作は、『ベイマックス』を大ヒットさせたプロデューサーのロイ・コンリ、ドン・ホール監督が再集結し、脚本家として『ラーヤと龍の王国』でホール監督とコンビを組んだクイ・グエンが脚本・共同監督を手がけた作品だ。これまでもディズニー・アニメーションでは様々な冒険が描かれてきたが、プロデューサーのコンリは「ディズニーの歴史の中には間違いなく“アドベンチャー”の伝統が存在します」と語る。「そんな歴史がある中で、今回のスタッフたちはこれまでに誰も観たことのないものを作ってくれる、と思って制作を開始しました。監督のドン・ホールはアニメーションで何ができるのか? という限界を常に広げて、壁を壊していける人ですから」そこで製作陣はまだ誰も観たことのない“もうひとつの世界”の創造にとりかかった。ホール監督は「“生きている世界”をつくろうとした」と振り返る。「生きている世界には、それぞれ特色のあるエリアがあって、そのエリアごとに機能のようなものがあると思うんです。ですから、私たちは映画をつくる初期の段階で徹底的にリサーチをしました。その上で、実際に創作をする段階ではリサーチしたことをいったん忘れて、参加してくれたアーティストたちの想像力に任せるようにしたのです。そうしたら、彼らから寄せられたアイデアやデザインは、自分がリサーチして“このシーンはこんな機能があるんだぞ”と考えていたことを、時に忘れてしまうぐらい美しい世界だったんですよ!」サーチャーたちが足を踏み入れた先は、見たことのない生き物たちが自由に空を飛び、色鮮やかな地形が広がる不思議な世界。変幻自在に姿を変える生き物や、フワフワとした地面が彼らを迎え入れる。「映画をつくり始めた段階では僕も“もうひとつの世界”が一体、どんなものなのか完全にはイメージできていませんでした。でも、このスタジオには世界最高峰のアーティストたちがいるわけですから、彼らの想像力と創造力を発揮してもらえるように制作を進めました。結果として、美しくて、すべてに整合性のある世界を描くことができました。ですから、可能性であれば、この映画を2回、いや、3回観てもらえると、もっと楽しんでもらえると思います!」摩訶不思議な世界で、サーチャーとその父の冒険家イェーガー、そして息子のイーサンらは時に力を合わせて、時にお互いの気持ちを確かめながら冒険を続け、やがて自分の“心の内”にも思いをはせるようになる。グエンは「もっともわかりやすい冒険は、自分の家を後にして、外の世界に出ていく冒険だと思いますが、もっとも恐ろしい冒険の中には、“自分自身の中に入っていく冒険”もあると思うのです」と説明する。「“自分は父親のような冒険家にはなりたくない”と父に逆らう勇気をもった農夫サーチャーや、愛情を注いでくれる父サーチャーに対して“自分は農夫にはなりたくない、おじいちゃんのようになりたい”と言える力を自分の中に見出すイーサン……これらもまた“自分自身の中に入っていく冒険”で、とても価値のあるものだと思うのです。こういったアドベンチャーこそ、時に何よりも怖く、そして何よりもエキサイティングな冒険になり得るのではないでしょうか」ディズニーの“レガシー”を引き継ぎ、未来に手渡す『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』本作はワクワクする展開が次々に訪れるのと同時に心に迫るドラマもしっかりと描かれている。それは来年に誕生から100年を迎えるウォルト・ディズニー・カンパニーの伝統でもある。「ディズニーで働く人々は、ずっとディズニーで働きたいと願っていた人が多い。夢の集大成なんです。ですから、たくさんの名作が生まれた100年に渡るレガシーの一部になれることは、とても特別なことです。たとえば、ストーリー部門には69年間在籍しているバーニー・マティンソンがいます。彼は18歳のときに入社し、ずっとストーリー・クルーの一員として働いてきました。一方で、トレーニング・プログラムを終えたばかりの20代前半のアーティストやストーリー・アーティストたちもいて、スタジオは実に幅広い年齢や経験を持った人でいっぱいです。レガシーという概念は、確かにこの映画のテーマでもありますが、僕たちのスタジオのテーマでもあるのです」(ドン・ホール監督)「ドンの最も素晴らしいところのひとつは、“レガシー”について考えているところだと思います。次の世代をどうトレーニングし、向上するようにどう導けるか、しっかりと考えているんです。過去を尊重することは大切ですが、同時にスタジオを未来に導くことも僕らの重要な任務のひとつですからね」(クイ・グエン)「ディズニーの素晴らしいところは、不思議な形ではあるけれど家族のような場所だというところだと思います。ディズニーは同じ仲間で活動するレパートリー・シアターのような会社であり、同じ仲間と何年も一緒に仕事をしています。このようなつながり方はアニメーションでは珍しいと思うんです。アニメーション会社は外注することも多い。でも僕らはすべて自社で制作しています。常にみんなでより良いものを作ろうと頑張っているんです。それはとても特別な事だと思っています」(ロイ・コンリ)100年かけて先人たちが積み上げてきた様々な伝統や知恵を引き継ぎ、まだ誰も描いていない世界、まだ誰も観たことのないアドベンチャーを描く『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』は多くの観客を驚かせ、感動を与えてくれるはずだ。『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』公開中(C)2022 Disney. All Rights Reserved.
2022年11月23日46歳でまさかの妊娠、20年ぶりに2人目を出産してからあっという間に丸3年の月日がたちました。現在、いろいろあってシングルになり、元気いっぱいの3歳児を抱えて絶賛子育て中です。今だからこそ、高齢での出産に臨んでよかったこと、大変だと感じること、これから年齢を重ねていくことへの不安などを思い出しつつ書いてみたいと思います。★関連記事:「夫の誘いから逃れたい!」46歳で出産後、毎日にように求められる夫婦生活が原因で…【体験談】おばあちゃんに間違えられないか不安だった…高齢母あるある「おばあちゃんですか?」高齢での出産を選んだ私にとって、いつかは「おばあちゃん」に間違えられるのではないかとの不安は常に抱えていました。生後10カ月で娘を保育園に入所させてからはできるだけ老けて見られないよう、出産前までさぼりがちだった肌のお手入れを怠らず、メイクや服装にも気をつかっていました。とはいえ、ひと回りどころかふた回りも若いママさんたちの中にいると、どうしようもなく見た目に差が出てしまいます。コロナ禍になってからはマスクを着けて保育園の送迎に行くことが当たり前になり、一番年齢が出やすい口元、ほうれい線が露出しないので少し気を抜いていた部分はあるかもしれません。ちょうど1年ほど前、娘が2歳になったばかりのころです。それまで何度か顔を合わせた程度のパートの保育士さんに「〇〇ちゃんのおばあちゃんですよね?」と話しかけられました。とうとう来たか。どう返答しようか迷いましたが、少なからずショックを受けた私は「違います」と返すのが精一杯。それなのに「おばあちゃんではないんですか?」と追い打ちをかける保育士さん。あとから謝罪に来た保育士さんの言葉は「最近若いおばあちゃんが多いので……」。お願いだからさらなる追い打ちをかけないでと思った出来事でした。高齢母は夜中のトイレが恐ろしい娘の通う保育園は園の方針で0歳児からパンツで過ごします。おむつが早く外れるよう、家でもできるだけパンツで過ごすことをすすめられ、そのおかげか2歳くらいから寝るときも「パンツで寝る!」と娘のほうから言うようになりました。ただ、まだ膀胱も小さいので寝る前にトイレへ行っても朝まではもちません。夜中の1時くらいにアラームをセットして、半分夢の中の娘をトイレに連れて行きます。なぜかおまるではおしっこしたがらない娘を抱っこして立ち上がると、膝と足首が痛い。50歳も近くなると寝ている間に固まった関節はすぐには動いてくれないのでしょうか。なんとか娘を抱え上げ、寝室のある2階からトイレのある1階へと階段を降りるのですが、足が思うように動きません。ようやく娘のトイレを済ませ、寝かせると今度は自分が眠れない。若いときは夜中でもすぐ動けたし、一度目が覚めてもすぐに眠れたのに……。このようなときほど年齢を感じることはありません。高齢母は運動会を乗り越えられるか心配運動会でよくある親子競技。高齢母にとっては子育て中で一番の難関です。今はまだ保育園なので本格的に参加することはありませんが、小学校に上がるとおんぶして走ったり二人三脚したりと、体力勝負の競技が待ち受けていると思います。あと3年もたてば娘は小学生、私は50歳オーバーです。1年前に離婚してシングルマザーになった私にとって、娘の行事に関してはすべてを一手に引き受ける必要があります。50歳を過ぎても走れる体力を保てるように、筋トレ、ランニングなどを日課にして、転ばないで走れる体力を維持しておくこと。これが今の私の必須課題です。衰えつつある体力とどう向き合うか、子どもに恥ずかしい思いをさせないためにも、高齢母は日々努力する必要があると感じています。まとめ子どもを育てた経験のある方なら、振り返ってもう一度子育てをやり直したいと感じることもあると思います。20年ぶりに出産した私にとって、二度目の子育ては楽しいことばかり。もちろん体力面など不安に思うこともありますが、40代での子育ては、子どもの成長を見つめ、焦ったり無理強いすることのないよう心掛けています。長女からは「私のときと全然違う」と言われますが、子どもと一緒に過ごせる時間なんてあっという間。今はただ焦らずゆっくり、少しでも長くそばにいてあげたいと願っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/きびのあやとら著者/陽(48歳)20代で出産した娘が成人式を迎えた矢先、46歳で妊娠。現在、2歳女児の子育てに奮闘中の鍼灸師。太極拳と書道が趣味で、着物を愛するレトロ母。20年前と今の子育ての違いに驚きと新鮮さを感じる毎日。
2022年11月23日株式会社ブリッジインターナショナルは、2022年10月16日『美食サミット 美味しく20歳若返る』を開催しました。当日の視聴者は最大時1,050名、動画の再生回数は7,400回を超えています(2022年10月24日現在)。美食サミット長寿時代を心身ともに健康で過ごすために「食」は重要なテーマとなります。本イベントでは、パンや味噌、発酵食品、和食店やスクール経営など、食を自分の道として活躍する女性起業家を招き、それぞれの食に対する魅力を語っていただきました。また、プロデューサー・進行役の小熊 弥生が料理を試食し、感想をレポート。マイナス20歳を意識しながら、自分らしく能力を発揮し続けるためのヒントを視聴者と共有しました。《 開催概要 》■名称:『美食サミット 美味しく20歳若返る 医食同源 Food is medicine.』 ■開催日:2022年10月16日(日)19:00~21:00、オンラインFacebookグループ、YouTubeで同時配信、日英同時通訳で配信▼動画の視聴 ▼日英同時通訳による配信(Bridge international 英語チャンネル) プロデューサー:小熊 弥生【プロデューサー/進行役】小熊 弥生女性起業家、世界平和活動家、株式会社ブリッジインターナショナル代表地上79億人のポテンシャルを解放し、愛を中心とした経済を通して世界平和を達成するために活動中。世界のVIP3千人以上を同時通訳し、億万長者になる脳の使い方をマスター、独自メソッドによる起業講座を開設。自分には稼ぐ経験や才能がないと思っていた女性たちが経済的自立を果たしている。開設1年、口コミだけで1万人が受講。コロナ禍の各家庭に届けるため2020年4月から無料で朝ライブを配信し、放送回数は920回を数える。YouTube・Facebook・TwitterなどのSNSで毎日1万5千人が視聴。朝ライブを入り口に誰もが稼げる自動システムを構築して、日本と世界の貧困撲滅、SDGsの目標達成に尽力する。 【メッセージ】食の情報が錯綜する現代、何を選べばいいのか、どう食べればいいのか、悩んでしまう人も多いでしょう。そこで、食の本質を知ることで自分に合った食習慣を発見するきっかけになればと考え、本イベントを開催しました。スペシャリストの皆さんの食への思いと日々実践されていることは、まさに食の本質。必要なものをしっかり食べ、不要なものをデトックスして、食材として提供された命に感謝する。そして、連綿と続く日本の食文化の素晴らしさと、それを伝える皆さんの熱意に胸が熱くなりました。美味しく楽しく食べることは心の豊かさにつながり、幸せに生きることへのさらなる可能性を実感しました。登壇者の皆さんと小熊 弥生イベントの様子写真撮影:Ryu Kodama 【スケジュールと出演者】・オープニング「現在の身体状態を確認、そして未来の身体を整える」・トーク「食のスペシャリスト7名による食の本質について」・小熊 弥生のスペシャルワークピアノ音源:榊原 契保(ピアニスト・ポテンシャルを引き出す音楽活動家)【食のスペシャリスト】(敬称略)大巳 りさ美腸活LISAパン・スペルト小麦研究家・Bread Salon Lisaオーナー作間 由美子食の楽しさをどこまでも追及し続ける研究家・発酵で日本をつなぎ未来へ伝える発酵伝道師森 睦美ATTiVAリビングフードアカデミー学長・株式会社アティーバ代表取締役日原 和美キレイミソ・腸セラピスト裏野 由美子和ごころマナー&マネーコーチ・和処Re楽 女将漆田 真理食と暮らしのナビゲーター・開運食養研究所主宰中島 尚美お台所から世界平和 美腸活ライフコーチ【内容】自分自身や家族の体調不調、恩師の病気をきっかけに、食に着目されたスペシャリストの皆さん。身体に良い食材や食べ方を追求するうちにオリジナル商品が生まれたり、多くの人に伝えようと講座やスクールを開設したり、食を人生のテーマとして活躍されています。食べても太りにくい「LISAパン」を開発した大巳さんは、パンを制限する女性の気持ちまで解放。日原さんの「キレイミソ」は腸内環境を整えるだけでなく、マグカップで飲める手軽さが忙しい人々に支持されています。循環型社会を続けてきた日本人の食を調べ、発酵食品にたどり着いた作間さんは、味噌や醤油でおなじみの麹菌が「日本の国菌」だと教えてくれました。「和食のマナーは感謝の作法」と話したのは裏野さん。一つひとつの所作が神社参拝と同じように、相手を思いやる心を型に表していると言います。「疲れ知らずの身体に大事な酵素、その働きが活きる食べ方が発酵+ローフード」と言う森さんは、なんと1分で作れる火を通さないカレーを紹介。食べ方については「どんな意識で食べるかが大事。一定時間食べ物を断つことにより感謝を感じやすくなる」と漆田さん。「ありがとうございます」に合わせると10回噛め、よく噛んで食べるには最低3回繰り返すとのこと。「しっかり食べてやせる」と語ったのは中島さん。お米や雑穀を含めてバランス良く食べると体内で代謝が行われ、やせることにつながるそうです。皆さんが用意したパンや料理、飲み物を試食して幸せそうな表情で「美味しい!」を連発した小熊。ライブ配信したYouTubeとFacebookのコメント欄には、「美味しそう!」「食べたい!」「レシピを知りたい」など、多くの感想が寄せられました。簡単にできる料理や食べ方のコツを取り上げたので、早速トライする人もいるのではないでしょうか。スペシャリストの皆さんに共通していたのは、食材や食べること、そして届ける相手への惜しみない愛。また、菌や発酵は共通する内容で、日本の伝統的な食文化の奥深さを垣間見ました。私たちの身体と心を支える食。なにげなく食べていた毎日の食事を見直し、新たな可能性を感じる機会になったことでしょう。試食した料理【視聴者のコメント】(一部抜粋)・美食サミット最高でした!ありがとうございました・美味しそう!食べたい!・細胞まで喜びそう!レシピ知りたいですー!・日本人で本当に嬉しい!国菌すごい!・お箸は命の杖、日本の心、世界に届けたいですね・100年1,000年前の遺伝子に褒めてもらうように生きる、感動です・彩りも綺麗で私の目も喜んでる!美味しいが画面から伝わります・お料理の大切さを身に染みて感じました。家族に健康的な食事を作ってあげたい・凄く充実した内容でした・素敵なピアノとのコラボ。魂の入れ物、身体に感謝。ありがとうございます・食は本当に大切ですね。沢山のお知恵をいただきありがとうございました・とても素敵な時間ありがとうございます。おかげさまで20歳若返りました<ブリッジインターナショナルのイベント 今後の予定>2022年11月11日「宇宙平和サミット」小熊 弥生 公式サイト : 株式会社ブリッジインターナショナル: 【SNS】・LINE : ・YouTube : ・Facebook : ・Twitter : ・Instagram : ・ブログ(アメブロ): ・TikTok : ・速ペラEnglish : ◆本イベントの詳細 SDGs 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年10月26日長寿時代にマイナス20歳を意識して株式会社ブリッジインターナショナルは、『美食サミット 美味しく20歳若返る 医食同源 Food is medicine.』を10月16日に開催する。現在、参加者を募集している。参加費は無料。現代は、「食」に関する情報が多く、真の情報がわからない状況であり、間違った情報により錯綜することもある。ブリッジインターナショナルによると、健康で若々しく暮らしていくためには、「正しい食の情報」が必要であるという。「食」についての本質を理解するために『美食サミット』には、パン・味噌・発酵食品・和食店・スクール経営など、「食」を人生のテーマとして活躍する7人の女性起業家が結集する。進行役は、サミットのプロデューサーでブリッジインターナショナル代表の小熊弥生が担う。トークでは、「食のスペシャリスト7名による食の本質について」と題して、自分らしく輝き、能力を発揮し続けるための「食」について、参加者とともに考察する。「食」の本質について、さまざまな観点から取り上げ、自分に合った食生活や食習慣を発見する機会となる。『美食サミット』は、19時から21時までオンライン配信で開催。Facebookグループ、YouTubeで同時配信する。日英同時通訳での配信を予定している。詳細は、ウェブサイトで確認を。(画像はプレスリリースより)【参考】※プレスリリース株式会社ブリッジインターナショナル※美食のサミット 美味しく20歳若返る
2022年10月14日株式会社ブリッジインターナショナルは、2022年10月16日に『美食サミット美味しく20歳若返る』を開催いたします。人生100年時代、心身ともに健康で過ごすために「食」は重要なキーワードです。パンや味噌、発酵食品、和食店やスクール経営など、食を人生のテーマとして活躍する女性起業家が結集。長寿時代にマイナス20歳を意識して、自分らしく輝き、能力を発揮し続けるための食について、参加者とともに考えます。日英同時通訳で無料配信《 開催概要 》■名称:『美食サミット美味しく20歳若返る医食同源 Food is medicine.』■開催日:2022年10月16日(日)、19:00~21:00オンライン配信Facebookグループ、YouTubeで同時配信、日英同時通訳で配信*日英同時通訳による配信(Bridge international英語チャンネル)■参加費:無料健康的で美しい身体になるために必要なこととは?【背景と目的】「この食べ物で健康に」「これを食べれば痩せる」「髪ツヤツヤ、肌プルプルになる食べ物」など、食に関する情報が巷にあふれる現代。情報が錯綜し、真の情報がわからない状況の中、間違った食の情報により迷走している人は多いことでしょう。そもそも「1日3食を食べる」ことがその人にとって最適なのかもわかりませんが、それが未だにわからないということが、食に関する課題の深さを物語っているといえます。人間は食べる物、また食べ方によって自分が得られるエネルギーが変わり、それは行動力にも影響を及ぼします。その人の健康や成功、そして豊かな心で世界平和を推進するには「正しい食の情報」が必要です。そこで今回『美食サミット』を企画しました。健康的で美しい身体になるためには、どんなことが必要なのか?多方面で活躍する食のスペシャリストを招いて、参加者と一緒に考えていきます。【スケジュールと出演者】・オープニング「現在の身体状態を確認、そして未来の身体を整える」・トーク「食のスペシャリスト7名による食の本質について」・小熊 弥生のスペシャルワークピアノ音源:榊原 契保(ピアニスト・ポテンシャルを引き出す音楽活動家)【プロデューサー/進行役】小熊 弥生/女性起業家、世界平和活動家、株式会社ブリッジインターナショナル代表【登壇者プロフィールとトークテーマ】1. 大巳 りさ美腸活LISAパン・スペルト小麦研究家・Bread Salon Lisaオーナー「食べても太りにくい低糖質パンで女性を幸せに」2. 作間 由美子食の楽しさをどこまでも追及し続ける研究家・発酵で日本をつなぎ未来へ伝える発酵伝道師「日本の食文化国宝級発酵食品のパワー」3. 森 睦美ATTiVAリビングフードアカデミー学長・株式会社アティーバ代表取締役「ローフードと発酵食品で疲れ知らずになる理由」4. 日原 和美キレイミソ・腸セラピスト「-10kgも夢ではない!?キレイミソから始まる腸健康ダイエット」5. 裏野 由美子和ごころマナー&マネーコーチ・和処Re楽 女将「和食店の女将が教えるすぐに一流になれる食べ方」6. 漆田 真理食と暮らしのナビゲーター・開運食養研究所主宰「こう食べればあなたの運気がMAXに! 開運フード徹底解説!」7. 中島 尚美お台所から世界平和 美腸活ライフコーチ「有名雑誌フードコーディネーターが伝えるお台所から世界平和」(画像はプレスリリースより)【参考】※公式サイト
2022年10月13日AMR臨床リファレンスセンターは、2022年5月に全国の20歳以上の生活者を対象に「かかりつけ医と薬の処方」に関する調査を行いました。「薬剤耐性(AMR)」が起こる要因の一つに、抗菌薬の不適切な使用があげられます。抗菌薬は病院よりもクリニック(診療所)で、内服薬として処方されることが多いのが日本の実情です。そのためAMR対策は病院だけでなく、クリニックなどの外来診療の場でも進めることが重要です。昨今、患者さんが気軽に質問や相談ができ、患者さんと治療目標を共有し、必要な時、適切に専門の医師や医療機関に紹介できる「かかりつけ医」の役割が重要視されてきています。そのような背景をもとに今回は「かかりつけ医」と、薬の処方・服用、薬剤耐性に関する実態などを調査いたしました。(当調査では、以下の厚生労働省「かかりつけ医」の定義を利用しています)*「かかりつけ医」とは、健康に関することをなんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介してくれる、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師。厚生労働省「上手な医療のかかり方.jp」定義より抜粋 ▼調査概要1. 調査方法 :インターネット調査2. 調査機関 :国立研究開発法人 国立国際医療研究センター病院AMR臨床リファレンスセンター3. 調査対象者:全国の20歳以上で、5年以内に病院・診療所・クリニックで診察を受けた方*健康診断や新型コロナウイルスのワクチン接種などでの受診を除く4. 有効回答数:601サンプル(20代/30代/40代/50代/60代以上の5つの年代属性で男女各60名ずつ)*性別「その他」と回答した方は割付外とする5. 調査実施日:2022年5月18日<調査結果のポイント>●「かかりつけ医」がいる人は約65%、65歳以上になると80%近くに●「かかりつけ医」の決め手は「家から近い」、医師とのコミュニケーション重視●「かかりつけ医」がいる方が、薬剤耐性、抗菌薬について説明を受ける割合が高い●若い世代ほど、薬をのみ切らなかったり、あまった薬を人にあげたりしている●処方された薬がやりとりされるのは家族間が多く、子どもにあげることも【調査結果】Q1 あなたには「かかりつけ医」がいますか (単数回答、n=601)Q1まず、「かかりつけ医」の有無を聞いたところ、全体では「いる」と回答した人は64.9%、50代、60代以上では7割を超えました。一方で、30代は51.7%と他の年代に比べ、低い結果となっています。Q2 あなたがその「かかりつけ医」に通う理由をお答えください (複数回答、n=601)Q2「かかりつけ医」に通う理由は、「家から近い」48.7%、「話を聞いてくれる」26.9%、「説明が分かりやすい」26.4%がトップ3となりました。年代別では、年代が高いほど「家から近い」ところを選んでいます。20代は「子どもの頃から通っている」という回答(22.9%)も多くみられました。その他、60代以上は「待ち時間が短い」が31.3%と他の年代に比べて高くなっていました。年代によって「かかりつけ医」に通う理由に差があるようです。Q3 あなたは抗菌薬(抗生物質)を処方された際、医師や薬剤師から抗菌薬(抗生物質)をのみ切ることの説明を受けたことがありますか (単数回答、n=307)Q3過去5年間に抗菌薬(抗生物質)を処方されたことがある307名に対し、抗菌薬(抗生物質)を処方された際、医師や薬剤師から抗菌薬(抗生物質)をのみ切ることの説明を受けたことがあるかとお聞きしました。「かかりつけ医」がいると回答した人では、83.1%が「ある」と回答しました。「かかりつけ医」がいないと回答した人は、61.4%にとどまる結果となり、その差は21.7ポイントとなりました。Q4 あなたは抗菌薬(抗生物質)を処方された際、医師や薬剤師から抗菌薬(抗生物質)の副作用の説明を受けたことがありますか (単数回答、n=307)Q4抗菌薬(抗生物質)の副作用の説明を受けたことがあるかという質問には、「かかりつけ医」がいると回答した人では47.0%、「かかりつけ医」がいないと回答した人は36.4%が「聞いたことがある」と回答しました。「抗菌薬」(抗生物質)感染症を引き起こす原因には、細菌とウイルスがいます。細菌とウイルスは、大きさや仕組みがまったく違います。一般的な「かぜ」や「インフルエンザ」などはウイルスが原因です。「抗菌薬」(抗生物質)は細菌による感染症の治療に用いられる薬です。「かぜ」をひいて抗菌薬をのんでも、ウイルスには効かないので効果はありません。また、抗菌薬をのむことで、薬が効かない薬剤耐性菌が出現するリスクが高まります。必要な時に、必要な分だけ正しくのむことが大切です。「薬剤耐性」AMR:Antimicrobial Resistance「薬剤耐性」とは、感染症の原因となる細菌に、抗菌薬(抗生物質)が効かなくなることです。細菌が体に入り病気を引き起こした時には、抗菌薬を服用して治療しますが、一部の菌は「薬剤耐性菌」に変化することがあります。また、抗菌薬は病原菌だけでなく健康バランスを保っている細菌(常在菌)も排除して、細菌同士のバランスも崩してしまうので、薬剤耐性菌が増えやすくなります。自己判断で服用したり、医師の処方を守らないと、治らないばかりか副作用が出たり、薬剤耐性菌が出現することにつながります。薬剤耐性は感染症の治療や予防の妨げになります。Q5 あなたは抗菌薬(抗生物質)を処方された際、医師や薬剤師から病原菌の「薬剤耐性」に関する説明を受けたことがありますか (単数回答、n=307)Q5抗菌薬(抗生物質)を処方された際、医師や薬剤師から病原菌の「薬剤耐性」に関する説明を受けたことがあるかという質問には、「かかりつけ医」がいると回答した人では41.6%、「かかりつけ医」がいないと回答した人は、23.9%が「聞いたことがある」と回答しました。Q3、Q4、Q5の結果から、「かかりつけ医」がいる人の方が抗菌薬(抗生物質)の正しいのみ方や、副作用、「薬剤耐性」について、医師や薬剤師から説明を受け、関心を持っている人が多いことが見受けられます。Q6 あなたは過去5年間に、医師や薬剤師からのみ切るよう指示されたにも関わらず、薬の服用を途中でやめてのみ切らなかった経験がありますか (単数回答、n=601)Q6医師からのみ切るよう指示されたにも関わらず、薬の服用を途中でやめてのみ切らなかった経験が37.9%の人に「ある」ことがわかりました。特に20代で「ある」と回答した人は55.8%と半数を超え、次いで30代46.7%、40代32.5%でした。この結果からは、若い世代ほど、医師や薬剤師の指示を守っていないことがうかがえます。抗菌薬(抗生物質)が必要な病気では、このくらいの期間治療をすれば完治するだろう、という見込みのもとに薬が投与されています。自己判断で服用を中止するなどで治療期間を守らないと、症状が再燃したり、薬剤耐性菌が出現する原因を作ることになるかもしれません。Q7 あなたに処方された薬を、似た症状が出ているなど、その他の理由で人にあげたことがありますか (単数回答、n=601)Q7処方された薬を、似た症状が出ているなどの理由で、人にあげたことがあるかを聞きました。その結果、「あげたことがある」、「あげたことはないが可能性はある」と回答した人は若い世代ほど多く、60代以上の計11.7%に対し、20代が計35.0%と最も高くなっていました。症状が似ていても違う病気かもしれません。また、体の大きさや健康状態で処方される薬は人によって異なります。副作用が出ることもあるので、自分に処方された薬を人にあげるのはやめましょう。Q8 あなたが処方された薬をあげた、もしくはあげる可能性のある人をお答えください (複数回答、n=124)Q8Q7で処方された薬を「あげたことがある」、「あげたことはないが可能性はある」と回答した124名に対し、その対象者を聞きました。最も多い回答は「家族(成人)」が88.7%、次いで、「家族(子ども)」45.2%という結果となりました。薬は各人の体の大きさや状態に合わせて処方されています。家族でも自分と同じ体の大きさや体質ではありません。まして子どもは体の大きさだけではなく薬の代謝も成人とは異なります。たとえ家族でも抗菌薬をシェアするのはやめましょう。<総括>国立研究開発法人 国立国際医療研究センター病院 AMR臨床リファレンスセンター 情報・教育支援室 室長 藤友 結実子藤友 結実子 AMR臨床リファレンスセンター 情報・教育支援室 室長今回の調査では、「かかりつけ医」のいる人の方が、処方された抗菌薬ののみ方や副作用についての説明を医師や薬剤師から受けていることが多いという結果が得られました。また、「薬剤耐性」についても聞いたことがある人が多いことがわかりました。「かかりつけ医」をもつことで、日頃から健康や病気について相談しやすくなり、必要な時に適切な医療を受けやすくなります。また「かかりつけ医」との良好なコミュニケーションによって、適切な医療の知識を得やすくなります。今回はそれを示す調査結果であったと思います。今回「かかりつけ医」がいると回答されたのは全体で約65%の方でしたが、今後、ますます多くの方が「かかりつけ医」と良好な関係を築いて、健康に関する正しい知識を得ていただきたいと思います。今回の調査では、若い世代の方が、服薬を中断したり、他の人にあげたことがあるといった不適切な使用をする傾向が見えました。これまでの当センターの抗菌薬意識調査*でも、若い世代の方が、抗菌薬に関する正しい知識を持っている人の割合が低いこととも一致しています。当センターでは、今後、若い世代に対する教育啓発活動にも力を入れていきたいと考えております。*抗菌薬意識調査 2021 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年08月23日現在2歳のわが子は、1歳2カ月から保育園に通い始めました。保育園の入園を決めたのは、まだ生後9カ月のころ。歩くこともまだできないわが子を、人に預けることに抵抗がなかったわけではありません。しかし2歳になった今は、あのころから保育園に預けていてよかったことのほうが多いと感じています。本当にいいのかな…1歳を前に入園を悩む次年度の保育園入園申し込みの時期は、わが子はまだ生後9カ月でした。在宅ワークをしている私は、家でわが子をみながら仕事をするため、仕事量をセーブしていました。保育園へ通うようになれば、フルタイムで仕事ができると思い、入園を希望しました。 「自分の時間を持つためにも子どもと少し離れたい」しかし、まだ生後9カ月のわが子は何もひとりでできません。わが子の成長をずっとそばで見ていたい、という思いもありました。本当に入園の申し込みを出すか悩みに悩んだ末、保育園入園の希望を出したのです。 1歳で入園後のママの葛藤1歳2カ月で保育園に通い始めたわが子。最初の3カ月間は、熱を出したり病気になったりすることが多く、1日中保育園に預けられたことは数日だけでした。そんなとき、朝にわが子が「ママがいい!」と泣くのを見ると心が苦しくなりました。 「ママの元を離れるのは、わが子にとってつらいこと? 子どもに負担をかけてまで、保育園に通わせるのはかわいそう?」と私は悩んだのです。でも、私自身心の安定のためにも、わが子と離れて仕事をする時間は必要でした。未満児で保育園に預けることの良さは、もちろんほかにもあります。 1歳で入園してよかったと思うことわが子が通うのは、0歳児から入園を受け付けている保育園。自分より年齢の小さい子、大きい子と触れ合う機会を持てることが、保育園生活の良いところです。集団生活は、わが子の成長にプラスだったと思います。 特にそう感じたのは、1歳半でわが子が食事のときに箸を使ったこと。わが子は箸の持ち方を私や夫が教えなくても、食卓に出していたら見よう見まねで使い始めました。保育園の集団行動の中で、まわりの子や大人を観察して、いろいろなことを考える機会を持てているのでしょう。 保育園に通っている間、新しく何かをできるようになったわが子のことを、そばで観察することはできません。その代わり保育園の先生がわが子の成長を一緒に見守り、喜んでくれるので、仲間ができた感覚です。今では、わが子と離れて仕事をすることで自分のための時間を持てて、わが子の帰宅後には思いっきり遊んで向き合う時間をとる心の余裕が生まれています。
2022年08月11日2021年、念願だった猫との暮らしを実現させ、愛猫のもなちゃんと楽しい毎日を送っている飼い主(@monamofumofu)さん。Twitterでは、もなちゃんの愛らしい姿を撮影した写真や動画が数多く公開されています。そんな飼い主さんは、もなちゃんが見せた、ある姿に驚いてしまったことがありました。2022年7月現在、1歳というもなちゃんですが、その姿は貫禄たっぷり。とても1歳の猫とは思えなかったといいます…。「なんだろうこの親方感」そんなコメントともに、飼い主さんがTwitterに投稿した1枚をご覧ください!なんだろうこの親方感…まだ1歳だよね? pic.twitter.com/VJTuM2sBEB — もな (@monamofumofu) July 20, 2022 ぽってりとしたフォルム、貫禄とともに圧倒的安心感を覚えるその姿は、まさに『親方』!1歳にしてここまでのオーラを出せるとは、もなちゃんの将来が今から楽しみになってしまいます。親方のような貫禄たっぷりなもなちゃんの姿は反響を呼び、飼い主さん以外にも驚く人が続出。「安定感ある~」「頼もしそう」と多くのコメントが寄せられました。・なんという力士感。・ありがたい寝顔や。・「ついていきます!」って、いいたくなる姿。そのかわいさで癒してくれるだけでなく、寝顔ですらクスッと笑わせてくれる、もなちゃん。きっと飼い主さんの毎日は、もなちゃんが家族になったその日から、笑いが絶えないのでしょう![文・構成/grape編集部]
2022年07月21日「ああ、間に合わなかったなあ。もうちょっと、早かったらなあ……という思いでした。まだコンサートが決まる前で、とうとう父に言えずじまいだったんです」こう語るのは南野陽子(55)。’85年にドラマ『時をかける少女』でデビューして以降、『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』(’85年)や映画『はいからさんが通る』(’87年)などで主演し、トップアイドルとして一世を風靡。近年もNHK大河ドラマ『西郷どん』、『半沢直樹』(TBS系・’20年)といった数々の話題作に出演している。’85年には歌手デビューも果たし、『楽園のDoor』『吐息でネット』などでオリコンシングルチャート8作連続1位を記録。’16年には約25年ぶりとなるソロコンサートを行い、大きな話題を呼んでいた。そんな南野には、ある大舞台が控えている。自身初となるオーケストラとのコラボコンサート「南野陽子・初めてのフィルハーモニー大音楽会」を8月15日に東京オペラシティ、28日にロームシアター京都で開催するのだ。6年ぶりのコンサートに向けて準備に励む南野だが、実はプライベートで大きな別れを経験していた。5月末、最愛の父が85歳で亡くなっていたのだ。「ここ数年は就寝も早く、『半沢直樹』や『西郷どん』も見られませんでした。お芝居の公演も、トイレが近くて楽しめない。でも、コロナ禍がすこし収まり施設から出られれば、大好きなクラシックを、私のコンサートで楽しんでほしいと思っていたんですが……」失意をみせまいと努めて微笑む南野。母を病気で失ってから、10年以上にわたって仕事のかたわら父を介護してきた。「’11年11月、私が44歳のときに、母が68歳で心臓弁膜症で亡くなりました。それで、父は実家で独り暮らしになり、気持ちが落ち込んでいるときに頸椎の具合も悪化して、歩行困難になってしまったんです」75歳と後期高齢者となる父を、単身で兵庫県の実家に住まわせ続けるわけにはいかない。そう思った南野は「東京で仕事をしながら、父と暮らせる方法はないか」と思案した。「箱根の、温泉にゆっくり入れる高齢者介護施設に入居してもらうことにしました。月に4、5日、私の家に外泊させることで、すこしでも多く父と一緒にいられると思ったんです」自立歩行が難しい父のためとはいえ、多忙な女優が、月に4、5日も父との日々に充てるだけでも、大変なやりくりと努力が必要なはずだ。ところが南野は、父が施設にいる日も仕事の合間をぬっては訪ね、時間をともにしてきた。しかし、父娘という関係ゆえにうまくいかないことも。「そんな生活を2年ほどしたころ、父は毎日、下着を汚してしまうようになっていました。私が大人用おむつを買ってきて、『お父さん、これって便利なんだよ』とさり気なく勧めても聞かないんです。娘の前で恥ずかしいという、父親の威厳もあったでしょう……」父とレストランに行くときは、車椅子のシートにも工夫を施した。「粗相しても吸収できるシーツをつけたんですが、シーツが外から見えると嫌だろうから、バスタオルを縫って、上から座布団を被せたんです。そうして着替えの衣類を持って、出かけました」だが父は施設のタイムスケジュールとすこし違うだけでも、リズムが狂ってしまう。「不意に粗相してしまったりして、二度と行きづらくなっちゃったお店もありました」南野の説得にも、父はおむつを受け入れてくれない。だから特製のパット付き車椅子を用意しても、それもうまくいかない……。「お父さん、これくらい、わかってくれてもいいでしょ?」と南野がちょっと声を荒げれば、父は父で娘に負けてはいられず、「わしが先に逝くとは限らんからな!」と憎まれ口。すると娘の南野も腹に据えかねて、負けじと言い返す。そんなやり取りを経て、数年前にやっと父もおむつを受け入れてくれるように。「私は子育て経験がありませんが、父と向き合った10年間、疲れたけれど、より父が好きになりました。年を取るって、現代人は70代くらいまでは元気で、気持ちも上向きでいられる人もいるけれど、80代になって、命の終い時期の5年くらい前になると“子ども返り”するんだなって。特におむつを受け入れてくれるころからは、“お父さんイヤイヤ期”に入ったり、赤ちゃんみたいな笑顔で食事したり」そう思い起こすように笑顔をみせる南野。どうして父親と向き合うことにそこまで一生懸命になれたのか?と問うと、懐かしそうな目をして答えた。「幼いころ、父からは挨拶や言葉遣いを躾けられました。なかなか眠れない私の枕元で、『太郎と花子』の創作話をして寝付かせてくれたのも父だった。もうすこし大きくなってからは、神戸に車でドライブに連れて行ってくれて、父とふたりで映画を観て、プリンアラモードを食べて、ぬいぐるみを買ってもらって……」それほど手塩にかけてくれた父にも、反抗期に八つ当たりすることもあったという。「乱暴な言葉を私が言えば、すぐ『謝りなさい、陽子!』と、つかまえて叱ってくれました」さらにデビュー後、21歳の人気絶頂期に南野が独立すると、会社員だった父は後に退職して、個人事務所社長として経営面でサポートしてくれたが、ときには心ない批判も……。「みなさんの前に出たこともないのに、父を『ステージパパ』と書き、酷い記事ばかり目立った。報道への耐性がない父はすっかりメンタルが傷ついて、倒れてしまいましたが、それでも私を守ろうとしてくれた。申し訳ない思いでした」そんなことを思い返すたび、父に向き合う気持ちを新たにする南野だが、’20年から猛威を振るったコロナ禍が、父娘の心の通じ合いを阻んだ。「2年半、まともに会えない年月が続きました。施設でもガラス越しにしか会えず、顔を見合っていても会話は携帯電話越し。それでも最近は調子がよさそうで、『6月の誕生日にはご飯を食べに行けるといいね』と、そう話していたのに……」そんななか、今年5月のGW明けに事態は急変する。南野に施設から「朝から呼吸が苦しい状態で、病院に向かいます」と電話が。肺にはすでに水がたまっていて、入院した病院では、それを抜く処置がなされた。「父は一進一退で頑張っていました」と南野が、最後の日々の様子を明かす。「病院からの電話連絡で、父の状態を確かめる日々でした。『今日はお話しができましたよ』とか『今日は眠っていて……』という報に一喜一憂して」最後は朝4時ごろの電話を受け病院に駆けつけたが、到着と同時に臨終の確認となった。「やっと快方に向かうと思っていた矢先でした。いろいろな思いがありましたが、『いまのうちに父の身体に触れておこう』と思い、抱きしめました。幼いころ以来のことでした」それから49日も経っていない。自宅のリビングのサイドボード上には、11年前に亡くなった母の遺影と並んで父の遺影が立てかけられ、お骨も置かれている。「毎日、『おはよう』『ただいま』と日に2、3度は、手を合わせています」’11年に母が急逝した際は、取り乱しては泣き、「何年も抜け出せなかった」南野だが、今回は思いのほか、落ち着いていると言う。「55歳にもなれば、慣れるというか、生き死にへの思いも変わってきます。コロナ禍以降、父と会ってもガラス越しで、すぐ帰らなければならず、施設でひとりでかわいそうでした。いまは天国で、母と一緒にいるかと思うと、不謹慎に思われるかもしれませんが、父にとっては、よかったのではないかとさえ思うんです」その父が好んだクラシックの名曲がフルオーケストラで演奏されるのが、8月に控えている南野のコンサート。南野が込める思いにも、格別なものがあるようだ。「’88年のシングル『吐息でネット』など、若いころとは同じようにはいかないかもしれないけれど、楽しんでもらえるなら歌いたいと、いまは思う。うまくいかないことも、失敗もデコボコもあるかもしれないけど、自分と向き合う姿をみせたい。お手本にならないかもしれませんが、南野陽子という“ある見本”は見せられるのかな」両親を看取ったいま、すこし達観した南野もいる。「人はみな、『生きてこそ』です。死んでしまえば、人々にだんだん思い出されなくなり、残らないと思う。だから私はできることを精一杯やります。’80年代の曲も、いまの私が歌うから、いまのお客さんが聴いてくれる。懐かしんでくれる昔からのファンの方もいれば、『これからどうして生きて行こうか!』って考えてくれる方もいるかもしれませんから」(取材・文:鈴木利宗)
2022年07月08日わが家には4歳、2歳のお兄ちゃん2人と生後2カ月の娘がいます。娘が生まれてから、特に4歳の息子に頼ることが多く、すぐに「お兄ちゃんよろしく」と頼ってしまっています。ある日ついに4歳の息子が拒否して泣いてしまい、無理をさせていたのだと反省したエピソードを紹介します。4歳の息子に頼りっぱなし4歳の息子は普段から手伝いをしてくれたり、先生の言うことをしっかり聞いて、片付けなども率先しておこなうタイプです。 娘が生まれてから私たちも家事に手が回らなくなり、何かと4歳の息子に頼りっぱなし。すぐ「お兄ちゃん、面倒見ておいてくれる?」「お兄ちゃん、おむつ取ってきてくれる?」と言うことが増えました。 でも、頼み事ばかりしているときに息子が「まだ遊びたいのに……」とボソッと言ったことがあり、「お兄ちゃんよろしくばかり言ってごめんね」と感じました。 息子はわかってくれていると思ってしまう頼ることが増えたものの、「息子はわかってくれている」と思っていた私。 「パパ聞いて!」「パパこっちに来て!」と息子が話したそうでも、娘が泣いていたら娘を優先してしまったり、「おなかがすいた」と言われても「お兄ちゃんごめんね、あとからね」と娘のミルクを優先していました。 しかし、あるとき息子が「いつもあとからやん」とひと言。今考えると、息子のことをあとまわしにしてしまい、娘のことを優先しすぎていたのかなと気づきました。 お兄ちゃんも甘えたいある日突然、息子が泣き始めてしまいました。「お兄ちゃんよろしくばっかり言わないで!」と。 親が頼ったときいつも笑顔でしてくれて、娘が泣いたら真っ先にあやしに行ってくれていましたが、お兄ちゃんとはいえまだ4歳。親に甘えたくて、妹がいたから我慢していたのだと気づかされました。娘が生まれてからいつも忙しくしていて、息子が泣くまで気づかなくてごめんねと反省しました。 息子の涙の訴えで、初めて気づいた息子の甘えたいという気持ち。これからは息子にも娘にも同じように目を向けて、夫婦で話し合いながら、子どもたちの気持ちの変化に気づいてあげられるようにしたいと思いました。 監修/助産師REIKO著者:西川しょた普段は看護師として勤務する3歳と1歳、2男の父。育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2022年06月30日私には6歳と2歳の子どもが2人いますが、下の子を妊娠して以来の約3年間、夫と性生活がありません。私としてはもう一生しなくても良いかなと思っています。まだ夫とそのことについて話したことはありません。 性生活のない状態になった理由付き合い始めたころから、夫はあまり性行為に関して積極的ではありませんでした。頻度は月に1回ぐらい。夫はガツガツ感がまったくない草食系、理系男子です。その後結婚し、長女を妊娠するまで月に1回ぐらいのペースは続きました。私は多くないなと思っていましたが、特に不満もありませんでした。もともと2人とも淡白でしたが、2人目の妊娠を望んだときはなかなか赤ちゃんができず、頻度を増やすしかない状態に。完全に排卵日周辺を狙った作業で、前戯もほとんどなく痛かったです。妊娠がわかったときには、「もう毎月頑張らなくても済む」といううれしい気持ちにすらなりました。 不満はないが不安はある私自身は性行為がないことに納得しています。しかしながら、たまにネットや雑誌で夫婦の夜の営みの大切さを謳う記事をみると、少し焦ります。性行為をしないことは夫婦として健全ではないのか、夫は私を女として見られないのではないかと不安になってしまうのです。しかし、性行為をしないからといって私たち夫婦は仲も良く、夫はとても誠実な人なので、他の人と……ということも絶対にありえません。お互い不満はなさそうなのでこれはこれでありなのかなとも思っています。 今後もきっと性生活はないけれど完全に性行為がないことについて、夫にどう思っているのか聞いたことはありません。それで「しようか」ということになるのも微妙だし、「もう一生する気はありません」と宣言されても傷つくからです。夫の性格からして、この先夫から何かを言ってくることもないでしょう。 このまま一生女として求められることがないかと思うと少し寂しい気もしますが、求められたとしても戸惑うと思います。 現在、私は下の子と、夫は上の子と寝ているので、寝室を共にすらしていません。私たち夫婦は今後もずっと性生活はないと思いますが、ずっと仲良しではいたいです。手を繋いだり肩を揉み合ったり、ちょっとしたスキンシップはできるだけとっていきたいなと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 作画/まきこんぶ著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年04月17日学校や地域によっては、10歳になったことを記念した行事『2分の1成人式』が行われています。2022年4月から、成人年齢は18歳に引き下げられたものの、10歳の時に『2分の1成人式』に参加した人もいるでしょう。さわやま(@JiroMELODY)さんも、『2分の1成人式』に参加した1人。20歳を迎え、10年前に『2分の1成人式』で書いた手紙が届きました。10歳の時のさわやまさんにとって、20歳は立派な大人に見えていたのでしょう。当時、そのように思って書いたであろう手紙がこちらです。120歳の自分へ。結婚してますか。ドナルドとムスカのことは覚えていますか?(当然、「もちろんさー!」だよね!?)どの高校・大学に行きましたか?家はどんな建物ですか。ちょっとはマジメになった?○○仲よくしてる?この手紙を見て、「10歳の自分はバカだ…」とか「こんな自分が情けない…」とか思わないでね!クリックすると画像を拡大します10歳の俺からの手紙出てきて泣きそうこんな異常者になってしまってごめん。 pic.twitter.com/07dygdoARd — さわやま (@JiroMELODY) April 12, 2022 「20歳の自分へ」のところに、『1』を付け加えて『120歳』としたり、当時、インターネット上で流行っていた『ドナルドvsムスカ』という動画のことを聞いていたり…。さわやまさんは、ちょっとした冗談を入れ、当時夢中になっていたものについて、覚えているかを聞いています。結婚や大学進学といった、子供からすると、大人なら達成しているであろう出来事についても知りたがっていますね。手紙を読んださわやまさんは、このように振り返りました。当時はキラキラした大人を想像してこの手紙を書いたのだと思います。現在は大学生ですが、「小学生の頃から全然変わっていないな」と感じます。10歳の頃、20歳の自分に書いた手紙に対し、さまざまなコメントが上がりました。・ほほ笑ましい内容!子供の頃ってどれだけピュアな心を持っていたかが、よく分かりますね。・他人の手紙だからほほ笑ましいですが、自分が書いたものを読んだら、恥ずかしさで顔が真っ赤になりそうです…。・懐かしい情報があって、泣けてきます。子供にとって、大人になった自分がどんな姿をしているか、想像することは簡単ではありません。また、子供の頃に思い描いていた自分とは異なることもあるでしょう。過去の思い出が詰まったものを見ると、「大人になったな」「もうそんなに年を取ったのか」などと感慨深くなりそうですね。[文・構成/grape編集部]
2022年04月14日育児書に書いてある成長の発達段階よりゆっくり成長するわが子。2歳近くになっても単語を発しないわが子を会わせるたびに、毎回義父に「まだ喋れないの? なんで?」と指摘され、私は嫌気がさしていました。そんななか夫に不満をぶつけたところ、子育てのうえでとても大事なことに改めて気づかされました。そんな私の体験談です。 単語を発しないわが子私はフランス人の夫と結婚し、わが子にはフランス語と日本語の2カ国語で育児をしています。現在1歳8カ月のわが子は、私たちの言葉を理解し意思疎通はできるものの、わが子が発する言葉はまだ赤ちゃん言葉で何を喋っているのかは理解できません。 周りの同い年の子どもたちは「パパ・ママ」と単語を話し始めているなか、まだ単語を喋りださないわが子。しかし、私は「2カ国語で喋っているからしょうがないし、いつか時期がくれば喋りだす」と思っていました。 遅いのは悪いこと?もともとわが子はどちらかというとのんびり成長するタイプ。歩き出すのも1歳5カ月からでした。義父からも会うたび「まだ歩かないのか?」と聞かれ悩んだ時期もありましたが、結局時期がくれば歩き出したので、それからは義父の言葉を気にしないように努めました。 しかし、今回もまた「まだ喋れないの? なんで?」と義父から聞かれるように。私は「定期健診で医師から2カ国語で喋っているから喋りだすのは遅いかもと言われました」と説明。それでも、毎回「相変わらず●●はのんびりだな」と言われるたびに私はストレスさえ感じるようになりました。 成長のペースはそれぞれ!会うたび成長の遅いわが子は問題があるかのように言う義父に、私は嫌気がさして夫に不満をぶつけました。 そして夫に「フランスではまだ赤ちゃんの時期からベビーシッターに預けるママが多い。早々に社会に出る子が多いから成長にも差が出るかも。でもそれが良いってわけじゃないし、わが子のペースを信じてあげようよ」と言われ、私はわが子が歩き出した時期のことを思い出したのです。「そうだ、それぞれ家庭環境や子どもの成長ペースがあるから焦ってもしかたないんだ」と改めて学びました。 成長のペースがゆっくりしているわが子のことを義父が心配してくれていることはわかっているのですが、毎回「遅い」ことばかり指摘されることがストレスでした。しかし、今ではわが子は健康にわが子のペースで着実に育っているので、親の私たちはその成長に自信を持ち、見守ることが大切だと思いました。 イラストレーター/星田つまみ 著者:岩見 エリ1男の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。
2022年03月20日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第20話。ある日、生徒がマンガのようにひどい表情・オーラでレッスンに現れて……。★前回:「セックスレス解消!?」ギクシャクしたアラフォー夫婦の関係が修復された理由とは #44歳チアリーダー 1944歳チアリーダー20話マンガのようにひどい顔・オーラでやってきた生徒ある日、練習に現れたTちゃん、「ど、どうしたの!?」とつい言ってしまうような、マンガのようにひどい表情・ひどいオーラでやって来ました。話を聞いてみると、厄介な人と、ものすごい長文LINEのやり取りをしながら来たそうで、本当に疲れ切っていました。着替えるときもストレッチが始まっても、眉間にシワが寄って暗い表情。ストレッチは私が一方的に説明していて、皆さんは自分の体と向き合っている時間ですが、その後のウォーキングやターン、ダンスの練習のときは、みんなでワイワイふざけながら(もちろんレッスン内容は真剣ですが!)おこなっています。問題は解決しなくても踊ることで前向きにだんだんとTちゃんの表情も明るくなっていき、レッスン後は「楽しかった!」と笑顔で姿勢も良くさっそうと帰って行きました。もちろん厄介な問題は解決していないままなのですが、一瞬でも忘れられる時間になったかなとホッとしました。レッスンの間は、ストレスで縮こまった体をストレッチで整えられるし、振り付けを覚えるのに集中することで、そのつらい状況・物事から一瞬でも思考を切り離すことができます。嫌なことがあってモヤモヤしていると、ずーーーっとエンドレスにそのことばかり考えてしまいますよね。一瞬でも考えない時間があると、心もホッとするんじゃないかと思います。この日のTちゃんだけでなく、「実はすごく嫌なことがあってどんよりしていて、レッスンに行こうか迷ったけれど、踊ったら元気になりました! 来てよかった!」とか「育児でイライラ疲れていたけれど、スッキリしました!」とか言ってもらえることが多く、これって私がチアを習っていたときに思っていたことだ! それを私も思ってもらえるようになったんだー! と、感慨深くなりました。何か嫌なことがあってずっとそのことばかり考えてしまう、というときは、ぜひお掃除でもラジオ体操でも何かしら体を動かしてみてほしいなと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/サトウ ユカ(44歳)イラストレーター&チアダンス講師&19歳17歳男子の母。30歳でチアと出会って魅力にハマり、講師の資格を取って30〜70代の大人女子たちに広めている♪ Instagram:@cheerdanceclass.genie
2022年02月21日私は20歳の誕生日と同時くらいに、第1子を妊娠しました。初めてのわが子にうれしい反面、不安や苦労もありました。特に、周りから「若いママだから……」という目で見られることに苦痛を感じました。2022年民放改正前の体験です。 妊娠判明は成人式の直前!妊娠が判ったのは、成人式の1カ月前でした。妊娠に対してうれしい反面、まだ成人して間もない自分に、子どもを育てられるのかという不安もありました。 それでも産みたいという気持ちは固く、「私、産むから」と現在の夫に宣言。同い年の夫は「う、うん……」と、押される形で出産・結婚を決意してくれました。そのままお互いの両親に妊娠と結婚を報告し、妊娠4カ月の状態で成人式に出席しました。 「若いママだから」と言われたくない!第1子である長女は、私が20歳のうちに生まれました。幼いころから子ども好きだったので、自分の子どもがうれしくて、かわいくて毎日が幸せでした。初めての育児に緊張しながらも、保健師さんの言うことを堅実に守り、育児書と毎日にらめっこをし、懸命に育児をしました。 子どもが口にするものはすべて手作りし、衛生面、健康面にすごく気をつかいました。子どもに対する愛情からが半分、残りの半分は周りから「若いからちゃんとしていない」と思われるのが嫌だったのです。 それでもやっぱり偏見の目…わが子を連れて外に出かけると、「赤ちゃんかわいいわね~」と声をかけられるのですが、決まって最後に「ちゃんと育てなきゃダメよ」と言われるのです。子どもが細かったためか、時には「ごはんちゃんと食べさせているの?」とか「ごはん作ってないんでしょ?」と言われたこともありました。 夫の親戚からは、はっきり「虐待していない?」と心配されていました。若いママというだけで、周りから育児放棄や虐待などの心配をよくされました。自分なりに懸命に育児をしていたので、周りからの偏見の目は悔しかったです。 私は子どもを愛している付き合いのある人たちは理解してくれるものの、結局のところ、見ず知らずの人からの偏見の目はなくなりませんでした。いつしか私も抵抗することをやめ、「この子のママは私。この子がいいと思ってくれているのなら、それでいい」と思えるようになりました。偏見の目で見られようとも、私は子どもを愛しているんです。長女を産んでから数年間、偏見の目に悩まされましたが、自分なりの答えにたどり着くことができました。 年齢を重ねた現在ならば、当時の偏見の目を理解できます。昨今の子ども虐待のニュースもありますし、何より子どもが子どもを産むようなものですから、心配にもなります。でも当時の私にはその気持ちが理解できず、偏見の目が苦痛で仕方ありませんでした。もし今の私が、当時の私に声をかけてあげられるのなら、「子育て頑張っているね! ちゃんとわかっているよ。大変なことがあれば人に頼ってもいいから、あまり無理し過ぎないでね」と伝えてあげたいです。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/きょこ 著者:ライター 木村なち
2022年02月08日“めるる”ことモデルでタレントの生見愛瑠が出演する、コーセーコスメポート「サンカット ライトアップUV エッセンス」の新CM「タイムライン」編が、4月1日より放送される。なお同映像は28日より公式YouTubeチャンネルにて先行公開。新CMは、カフェテラスや青空が広がるセットで撮影を実施。生見は計4回の衣装とヘアのメイクチェンジを行い、それぞれ違った雰囲気の姿を見ることができる。またCMには、Da-iCEの書き下ろし楽曲「Clap and Clap」が使用されている。○■生見愛瑠インタビュー――撮影を終えた感想をお願いします。日やけ止めの撮影は初めてだったのですが、ポップでハッピー感のあふれるCMでとても楽しかったです! (CMの中で)4パターンの衣装チェンジをしたのですが、どれもかわいくてすごくハッピーな気分になりました。そして普段から愛用している日やけ止めのブランドだったこともあり、個人的にも嬉しいCMでした!――生見さんにとって欠かせないものは何ですか?日やけ止めも一年中塗るもので(生活に欠かせないものの)そのひとつ。もう一つはファンの方々ですかね。この(コロナ禍の)状況になってからありがたみをもっと感じたというか、毎日ファンの方々とリプ返(SNS投稿へのリプライに対する返事)でお話をしているのですが、それはやっぱり自分が元気になるし、欠かせないものだと思います。――生見さんの生活をライトアップしてくれるものは何ですか?そうですね、頑張った次の日とかに食べようと決めているものがあって、それはハンバーガーなんですが、食べると元気になって(生活を)ライトアップしてくれる気がします(笑)。本当に、明るくしてくれます(笑)!――2022年めでたく成人を迎えられるかと思いますが 、これから迎える二十歳への抱負があれば教えてください。早く二十歳にはなりたいですが、見た目やファッション、メイクは大人になっていきながらも、中身はまだ19歳のままでいたいです(笑)。10代のままで、明るくハッピーに過ごせたらなと思います。(20歳になったら)陶芸とかやってみたいです。――もうすぐ立春で徐々に暖かい日、お出かけ日和も増えてきますが、春先のお出かけやイベントで忘れられない思い出はありますか?いっぱいあるんですが、一番は地元の愛知の友だちと遊園地に一泊二日で行ったのがすごく楽しかったのを覚えています。学校全体(の行事で)なんですが(笑)。すごく思い出に残っています。(コロナが終息したら)またしたいですね〜!地元にまず帰りたいです、全然帰ってないので。いつも(地元友達と)リモートで通話しながらゲームなどしているんですが、実際に会って遊びたいですね。みんなで一緒に日やけ止め塗って、やけないようにして(笑)。
2022年01月28日「23歳でがん!?」第20話。23歳のときに不正出血があったえみこさん。婦人科を受診すると異常が見つかり、大病院を紹介されます。すると、なんと子宮頸がんの疑いがあることが判明! 5年間の闘病体験をつづったマンガです。23歳でがん!? 第20話※このマンガは実話に基づいた体験談です。必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 手術は成功したし、経過も順調だと言われていたけど、やっぱり不安でした。 悔いのない人生を送りたい。そう思い退職を決意したのがこのころです。(病気が判明したとき、職場でパワハラ被害にあっていました) ※このマンガは実話に基づいた体験談です。必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター えみこクリスマス生まれ。3人の子どもを育てる、ポンコツワーママ。夫のしでかしをキッカケに、エッセイ漫画を描き始める。温泉と食と読書が好き。お菓子は大好き。
2022年01月01日2021年Jリーグの覇者、川崎フロンターレのベテラン・小林悠選手と、プロ2年目で弱冠20歳の宮城天選手にインタビューしました。初めてといってもいいくらいの接近トークに最初は戸惑うふたりでしたが…。彼らの素顔とフロンターレの強さの秘密に迫ります。小林悠選手&宮城天選手が登場!14歳差、何を話す?写真左から、小林悠選手、宮城天選手。2021年シーズンのJリーグで、前季に続き連覇を達成した川崎フロンターレ(以下、フロンターレ)から、ここぞという時に決めてくれるエース・小林悠選手と、今季J1初出場にして初ゴールを決め、それが評価されて月間ゴール賞にも輝いた新星・宮城天選手による対談が実現。フロンターレのずば抜けた強さの秘密のほか、おふたりの関係性や人柄、プライベートもお話しいただきます。ーーポジションこそ違いますが、どちらも攻撃型プレーヤー。通じるものがあるかと思いきや…あれ、ちょっとぎこちなくないですか?小林僕が34歳で天は20歳。ひと回り以上も違うから、何を話題にしたらいいのか…正直、じっくり話したことないよね。(ツーショット撮影では)こんなに近づいたこともない(笑)。宮城悠さんはもう大先輩ですから、なかなか接点がないです。フロンターレって、若手というと26、27歳くらいのイメージなんですよ。で、僕はそこにも到達していなくて、まだ子どもって感じです。小林天は、ぐいぐい来るタイプじゃないから普段はどんな様子なのかよくわからないけれど、見ていて“今どきの子”というのが一番しっくりくる言葉じゃないですかね。サッカーはかなりうまくて、技術やシュート力など、20歳の頃の僕とは比べものにならないくらい、スゴいものを持っているんですよ。彼は高校卒業後プロになったけれど、大学に行っていたら、スーパースターだったと思います。宮城(照れながら)マジ嬉しいです…。小林でも、ピッチから離れると、ホントにスマホが好きだよね(笑)。きっと自分の時間を大切にするタイプなんだと思います。僕はチームメイトがいる場面では周囲の空気に合わせますが、天は関係なくしょっちゅうスマホを…マイペースだなぁと思います。宮城スマホは依存症に近いかもしれないですね(笑)。webマンガを読み始めるとどんどん次に進みたくなっちゃって。でも、見過ぎはよくないと思っています。ただ、悠さんも指摘してくれましたが、人からよくマイペースとは言われていて、誰かと一緒に何かをするのは得意ではないです。流されるのはあまり好きではない、という感覚でしょうか。ーー宮城選手は、ひょっとしてプライベートではあまりお友達がいない?宮城そんなことないですよ(笑)。橘田健人君や遠野大弥君、田邉秀斗君などは歳が近くて寮が一緒なのもあり、よく話します。また、車屋紳太郎君や大島僚太君とも、ボーリングやゲームなど趣味が同じなので盛り上がっています。悠さんがよく話している人たちは…。小林のぼり(登里享平)、長谷川(竜也)、視来(山根)とかと一緒にいることが多いかな。おいしいものを食べたり、家が近いので遠征時は車を乗り合わせて駅や空港に行ったり。でも、コロナ禍になって食事は気軽に行けなくなったよね。ストレス発散や気分転換、リラックスできるもののひとつだったのでそれはとても残念。宮城空いた時間やオフは何をしているんですか?小林テレビもYouTubeもほとんど見ないなぁ。テレビをつけたとしても、子どもがいる時はEテレだし、子どもが寝た後に奥さんとNetflixをちょっと観るくらい。でも、そもそも家族と一緒にいること自体がリラックスにはなっているね。ーー小林選手といえば、ご家族思いで有名です。小林子ども中心の生活ですね。この2年、家族と過ごす時間がより増えて、子どもの成長をじっくり見られているのは嬉しいです。いま小1の長男がサッカーを頑張っているんですよ。朝練も欠かさずしていて、僕はサッカースクールの送迎をしているんですけど、車の中でアドバイスしたり、息子の練習している姿を見たりするのがすごく好き。子どものサッカー観戦がマイブームです。我が子はもちろんですけど、僕は子どもが好きなんです。ーー優しいパパさんなんですねぇ。では、“まだ子ども”の宮城選手、どうですか、この機会に甘えてみるのも…。宮城えぇっ!えーと、悠さんのファッションが好きです。だから、お下がりがほしいです…。小林おぉ(笑)。服はめちゃめちゃあったんだけど、こないだ古着屋に出しちゃったんだよ。サイズも一緒だからあげたいけど、今はないや、ごめん。でも、天はおしゃれだよね。僕が大学の頃は高い服なんて着られなかったのにって考えたら、そうか、金がなかったんだ(笑)。宮城物を買えるくらいのお金をいただけたので、最近、服が好きになりました。悠さんや泰君(脇坂泰斗)は、大人カジュアルなコーデを上手に着こなしていて憧れます。僕もシンプルだけど上質な服を着たいんですよね。川崎フロンターレは優等生。強さの秘密は…ーーやり取りを聞いていると、お二人とも穏やかで人柄の良さを感じます。フロンターレ全体も、優等生のイメージがありますよね。小林フロンターレは優等生ってよく言われますね。Jリーガーという響きが、少し前はよく遊んでいるというイメージにつながっていたと思いますが、そう考えるとフロンターレの選手はみんなまじめだと思います。僕はコロナ禍に関係なくお酒を飲まないですし。宮城お酒が嫌いな選手が多いですよね。僕は飲んでもいい年齢ですけど、サッカーを優先して飲むのを控えていたら、そのうち嫌いになりました。悠さんもそうですけど、長い休暇中でも練習しにグラウンドに来る選手が多いんですよ。そうでもしないと、フロンターレは試合に出られないんです。上の人たちの向上心がものすごく強いから、その背中を追いかけるようになりました。悠さん個人に対しても、試合への心構えなど見習いたいことがたくさんありますね。悠さんは、浮き沈みせずいつも同じテンションでいることが大事と教えてくれたんですよ。感情も体調も波があってはいい選手とは言えないですし、悠さんは多少あったとしても修正できるんです。僕もそうならないといけないと思います。小林そう聞けただけで、もう幸せですね。こういったフロンターレならではのマインドが生まれたのは、中村憲剛さんや伊藤宏樹さんなど、かつてこのクラブを支えてくれていた方々がしっかりとされていたからだと思います。僕はベテランという立ち位置で、その伝統を守らないといけないと感じています。フロンターレってこういうチームだよと若い選手に教えていきたいですね。また、フロンターレは大卒の選手も多く、スカウト担当が実力や将来性だけじゃなく、人間性も見ているというのもあります。それに、素行が悪いというか、そういう選手は残らないんですよね。ただ、サッカーに対してはみんなまじめですが、ふざけるときは振り切る(笑)。そういうメリハリをつけられるクラブだと思います。宮城悠さんくらいの歳になって自分がどうなっているのか、全く想像がつかないです。小林もちろん俺も最初はそうだったよ。試合に出ることだけで必死だった。そこから、出るだけじゃなく貢献することもできるようになって、ようやく責任感が出た。そういうもんだよ。ーー初優勝を遂げた2017年より前は、あと一歩という成績が多かったと思います。それが、この4年間での優勝回数はなんと3回。しかも、今季は第11節からずっと首位を維持し、史上最速優勝という記録を作りました。追う立場から、追われる側へ。意識の変化は?小林初タイトルを獲った時から、一気に変わりましたね。頂点に立つ醍醐味を味わったら、もう1回、いや毎年獲りたいという選手がどんどん出て、いまのフロンターレがあるのだと思います。ーーずばり、なんでそんなに強いんですか?小林チーム力、ですね。試合に出ているメンバーの個々のレベルが高いというのもありますが、出ていない選手にも注目してほしいんですよね。それこそ鹿島戦で決めた天、湘南戦で決めた知念(慶)など、普段なかなか出場機会をもらえない選手が、腐ることなくアピールし続けた結果チャンスを掴めた。そして大事なところでチームにちゃんと貢献した。そういう場面が今季すごく多かったと思います。試合への意識の高さを感じますし、みんなが一生懸命やってきた成果が勝利につながったんだと思います。宮城僕は昨年の一年間カターレ富山でプレーしていたんですが、戻ってきて改めて、先ほども言った向上心と勝利への執着がとても強いクラブだと思いました。試合の残り時間が僅かとなっても諦めない粘り強さや、1点を守り切るタフな精神力など、段違いのレベルにあると思いますね。小林みんなの勝ちたいという気持ちが、どのクラブよりも強いんじゃないかなと感じます。ベテランも若手も刺激しあって勝利への本気度が違う。他の仕事にも通じると思いますが、もっと成長したい、上へ行きたいとみんなが貪欲に思っていますね。宮城何より鬼さん(鬼木達監督)の勝ちへのこだわりがすごいですよね。負けは絶対に許さない、そんな空気なんですよ。小林そうだね。上に立つ人がうまく牽引してくれていることも、チームが志高くひとつになれている大きな要因だよね。ーー早くも来シーズンが楽しみです。最後に、試合ではご自分のどんな部分を見てほしいですか?宮城僕は敵陣に向かってピッチの左側にいることが多いです。ドリブルだったり、縦に上がるスピードに注目してください。はやくチームの中心選手になれるよう頑張ります!小林フォワードなので、動き出しやゴール前の争い、シュートなどで勝負しています。そういったところをぜひ見ていただきたいですが、フロンターレはイケメン選手も多いんですよ。彼らを見ることも楽しみのひとつにしてもらえれば。ぜひ足を運んでください!ーー取材時、チームメイトからは「親子でしょ(笑)」とも言われていたおふたり。対談スタート時こそ遠慮し合う雰囲気でしたが、時間が経つにつれて端々から先輩と後輩の素敵な関係が築き上げられていると感じました。チームの性格や強さの秘密を知り、ますます応援したくなりましたね。来季も彼らの勇姿を目に焼き付けましょう!Information川崎フロンターレの2022年の試合はこちら。FUJIFILM SUPER CUP 20222月12日(土)13:35キックオフ川崎フロンターレ vs. 浦和レッズ(日産スタジアム)2022明治安田生命J1リーグオープニングマッチ(第 1 節)2月18日(金)川崎フロンターレ vs. FC東京写真・中島慶子 文・伊藤順子
2021年12月30日この日、ライブに出るために「ヨシモト∞ホール」に大きな段ボールを持って現れた、もう中学生(以下、もう中)さん。芸歴20年、デビュー当時から変わらない“段ボール芸”で再ブレイク中。そんなもう中さんの、ハートフルな“もう中トーク”の幕開けです!――テレビで見ない日はないほど、ご活躍されていますが、お笑い芸人を目指したのは、いつ頃から?また芸名の由来も教えてください。もう中:小学生の頃からテレビでお笑い番組を見るのが好きで、ダウンタウンさんに憧れていました。当時からお笑い芸人になりたい、と思っていたのですが、高校生の頃、夢を持ったまま何もしないのは後悔するだろうなぁと思って。親に「一年間お笑いを見てきます」と言って、18歳で長野から上京し、NSCに入りました。どうせ世に出ることはないから、へんてこりんな芸名でもいいやと思ったのと、18歳で“もう中学生”という響きが斬新で面白いと思ったので、すぐにこの名前に決まりました。――なぜ、段ボール芸をやるようになったのですか?もう中:NSCでネタを作る時に、周りはみんな漫才やコントをやっていたので、自分は今までに見たことのないものをやってみたいと思っていました。当時僕は、毎日牛乳やプリンを薬局に買いに行っていたんですが、ある時、店の前に山積みになっていた段ボールを見て、いくつかもらって帰ったのが始まり。それが、2001年7月のこと。その頃は小さい恐竜を作ったりして、シュールなネタを考え続け、ライブに出られない日々が続いていたんですが、2004年の9月、バイトの帰り道に巨大な段ボールが1枚だけ店先に置いてあったのを見つけて、これで超巨大な牛乳を作ったら、もしかしたらライブに出られるようになるかもしれない…と思った。そこから大きな段ボールになりました。とはいえ、根があまり明るくないので、ずっと暗いネタをやっていたんです。でもある時、元同期から電話があり「(本名の)丸田くん、顔が明るいんだから明るいネタやった方がいいんじゃない?まったねー!」ってガチャンと電話を切られて。その通りに明るいネタに変えてみたら、すぐにライブのオーディションに受かり、翌月からライブに出られるようになって。――ネタの方向性は変化しても、段ボールを使うことにはこだわっていたんですね。“段ボールアート”とも呼ばれていますが、その魅力はどんなところですか?もう中:たとえば、今日やるネタは“たわしの1日”といって、段ボールに、寝る、起こされる、洗われる、寝る…とたわしの1日を描いたんですが、そもそも段ボールに絵を描くとか、アートとは何かということではなくて。この大きな段ボールを持って劇場に来て、廊下にいる後輩くんや芸人仲間さんから「なんスか、それ」って聞かれた時に、「これは、たわしの1日だよ。見てわからない?」と言ったら「誰がわかるんだよ!」ってツッコまれた時点で、僕としては何日も労力をかけて作った甲斐があったと思えるぐらい、最高に楽しいんです。だから、段ボールアートを作っているという感覚ではありません。お客さまがわざわざチケットを買って劇場に見に来てくれるわけで、貴重なお小遣いで来てくれる人もいれば、仕事の疲れを癒しに来てくれる人もいる。そんな人たちに、心から“くだらない!”と思ってもらえる、見たことのないネタを披露して、家に帰ってもまだ衝撃が残っているようなことがしたいんです。――なるほど。この20年間で、きっと相当数のネタや作品が出来上がっていると思います。もう中:家には今までネタで使った2000個ぐらいの段ボールがあると思いますが、明確にウケたとか、自分が自信を持てるものは3つ4つで、あとはほとんどスベったもの。捨てようか迷ったままです。――捨てられるものですか?もう中:捨てたものもありますけど、でも作ったものは全部に思い出があるんです。たとえば、今朝ガレージで、2005年12月にルミネのユニットコントで使った消防車が目に入ったんですが、それを作ったのは、当時、風呂なし、共同便所のアパートに住んでいた頃。その部屋にはネズミがいたんです。ある日家に帰ってきたら、消防車の端がちょっとだけ削られていて。あ、ネズミが削ったんだなって思ってまたそこに赤い色を塗り直したことを思い出したり(笑)。それから、昨日の夜に作ったものを見ながら、あぁこれはあんなニュースを見ながら作ったなぁ…というふうに、段ボールを見るとそれを作っていた時の景色まで全て思い出すんです。作品のひとつひとつが、僕の付箋になっているんですよね。――付箋とは、素敵な表現ですね。ネタは最初の頃から進化しているのでしょうか。もう中:自分の面白いと思ったことを形にするという意味では、昔からそんなに変わってはいません。ただ、パンを題材にするならバゲットにして番組名にかけるとか、脳から出た新しい要素も加えているので、過去と現在を合わせていいネタを作りたいです。――未来的な要素は?もう中:未来のことには興味がなく、SF自体が何かもわからないです。もうちゅうがくせい1983年2月14日生まれ、長野県出身。NSC東京校7期生。段ボールに描いた絵と独特な語り口調のネタ“段ボール芸”で、2009年頃よりお笑い番組で活躍。’20年より『有吉の壁』(日本テレビ系)などに出演し、再ブレイクする。’21年10月からは、初の冠番組『もう中学生のおグッズ!』(テレビ朝日系)がスタート。テレビ朝日系列の「バラバラ大作戦」枠で、10月より冠番組『もう中学生のおグッズ!』がスタート。“タレントグッズ集め”を趣味にするもう中学生が、“もう中グッズ”を制作するために、毎回ゲストを呼んで研究するという新番組。ナレーターは、お笑いコンビ・ダンビラムーチョの大原優一。毎週月曜26:36~26:56に放送中。※『anan』2021年12月29日‐2022年1月5日合併号より。写真・馬場わかなインタビュー、文・若山あや(by anan編集部)
2021年12月28日天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは12月1日、20歳の誕生日を迎えられ、5日には初めての正装で成年行事に臨まれた。愛子さまは誕生日に《成年という一つの節目を無事に迎えることができましたことを嬉しく思います》と感想を記された。さらに《日頃から思いやりと感謝の気持ちを忘れず、小さな喜びを大切にしながら自分を磨き、人の役に立つことのできる大人に成長できますよう、一歩一歩進んでまいりたいと思います》と、成年皇族としての決意を述べられた。愛子さまの記者会見は来年3月に行われることとなっているが、天皇陛下も41年前の’80年2月、成年式の3日前に初めて公式記者会見を開き、お考えを述べられている。皇室の行事に参加する機会が増えることに「責任の重大さっていうものを感じています。でも一歩一歩努力していきたいと考えています」と、決意を語られた一方で、大学生活のエピソードもお話しになった。「学生食堂で食事する時にも、今まで全然知らない人と隣に座ったりして知り合いになれること。そういったこと、とても楽しいです」また、中学高校と男子校だったことから「また共学になって一種の新鮮さっていうものをちょっと感じている段階」だったといい、「入った当初は、何となく自分でも女子学生とつき合う時に何かぎこちなさってものを感じたんですけれど、最近は、ま、少しずつ慣れてきたかなという感じも受けるんです」と、共学への戸惑いも語られていた。史学科での研究や、音楽部でのクラブ活動など、充実した大学生活を送られていた陛下。記者から「青春というのは宮様にとってどんな時代か」との質問され、次のようにお答えになっている。「青春ってものはやはり、あらゆるものに挑戦し、それから自分の力を試す、自分の中のもの、外のものに限らずそういった力を試す時期であり、また、模索する時期じゃないかなって考えるんです」「青春ていうのは何年もたって、そしてあぁあの時が自分の青春だったのかなと思う、そういった感じも受けるんです。ですから、自分自身あとから考えてみて、ああ、あの時代、今の時代ですね――を精一杯生きたんだなと思えるような、そういった時期にしたいと思ってるんです」愛子さまは昨年4月に入学されて以降、コロナ禍のため学習院大学のキャンパスにほとんど足を運ぶことができていない。残りの大学生活で“青春”が謳歌できることを、両陛下も願っていることだろう。
2021年12月27日第1子である長女を妊娠・出産したのは、私が20歳のときでした。周りの友人たちは、まだ独身ばかり。保育園のママたちは“怖い”というイメージがあり、仲良くなれず……。当時、私にはママ友と呼べる存在がいませんでした。相談できる友人、同僚がいなかった私が20歳で第1子の妊娠・出産をした当時、周りの友人たちは、子どもはおろか結婚もしていませんでした。また、当時働いていた職場にも結婚している人や、子どもがいる人がいなかったのです。 私には実母がおらず、義理の母も遠方に住んでいるため、身近に妊娠や育児の相談をできる相手がいませんでした。育児でわからないことを聞くのは、もっぱら医師や保健師さん。もっと気軽に相談や話を聞いてくれる存在が欲しかったです。 他のママたちが怖く思えて避けるようにまだ若かった私は、他のママたちから良く思われないのではないかと思い、乳幼児健診や子どもが入園した保育園で、他のママたちとあまり接しないようにしていました。 また、“保育園のママたち=怖い”というイメージがあり、「ママ友なんて必要ない」と思っていたのです。そのため、第1子である長女が年長組(6歳)になるまで、保育園のママたちとはほとんど話したこともありませんでした。 先輩ママの助言を受け、ハッとした長女が6歳のとき、医療事務の資格を取るために職業訓練校に通ったのですが、そこで中学生の子どもを持つ女性と親しくなりました。その女性がいろいろと子どもの話をしてくれて、「子どもが小学校に入る前に、ママ友を作っておいたほうがいい」とアドバイスをくれたのです。 ママ友がいると情報共有や相談ができる他に子どもの友だち作りにも役立つと言われ、ハッとしました。自分のことばかりで、子どものことを考えていなかったと気がついたのです。 考えを改めママ友づくりに挑戦!「若いから良く思われない」と思い、他のママたちとの交流をもたないまま、6年が経過していました。今から間に合うのかと不安に思いながらも、まずは長女と仲のいい友だちのママたちに話しかけてみることに。 するとフレンドリーなママたちばかりで、年長組の1年間であっという間に仲良くなれました。家に呼んでもらったり一緒に出かけたりするようになり、私だけではなく、子どもにも友だちが増えたのです。こんなことなら、最初から変な壁を作らなければよかったと後悔しました。 今では「若いから……」と、自分で周りに壁を作っていたことを後悔しています。6年間ママ友がいませんでしたが、先輩ママの助言と長女の交友関係のおかげで、今ではたくさんのママ友がいます。育児の相談や愚痴、保育園や学校でわからないことなど、気軽に話したり聞いたりすることができます。ママ友がいなかった時期より、今のほうが子育てをより楽しめています。 監修/助産師 松田玲子 著者:ライター 木村なち三児の母。現在4人目を妊娠中。パニック障害を抱えながらの妊娠・出産・育児の経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2021年12月05日株式会社AP Signatureは、20歳の自閉症アーティストGAKUがクラウドファンディングで実施したプロジェクトを見事成立させ、自身初となる画集「byGAKU-20(Twenty)」を、2021年12月3日に発売することをお知らせします。過去3年間で描き上げた600点もの作品の中から、人気の作品を厳選した、SDGsアートの最前線で活躍する20歳になったGAKUの記念画集です。自閉症であるGAKUが成し遂げたことは、障害の有無に関わらず、「すべての人の可能性」に新たな光を与えてくれたと思います。【URL】GAKUの近況報告はこちらをご覧ください。「byGAKU」 記念画集プロジェクトのクラウドファンディング クラファン■プロジェクト概要「byGAKU-20」自閉症アーティストの記念画集プロジェクト実施期間:2021年7月1日~8月30日支援者 :220人支援総額:11,940,000円(目標金額:2,500,000円)■いま、画集を出した想い自閉症アーティストとしてSDGsアートの最前線で活躍するGAKU。重度の自閉症・知的障害を持ち、言語能力は幼児程度です。そんなGAKUが16歳の時に奇跡の扉を自ら開きます。遠足の時に岡本太郎の絵に出会った翌日から突然絵を描きはじめ、今では年間200以上の作品を生み出すまでになりました。そこで、これまで彼を支え応援してくださった皆さんへの感謝の気持ちを込めて、20歳の節目にこれまでのGAKUの歩んできた形跡を、一冊の本にまとめたいと思いました。同時に、この画集は将来の創作活動へ向けたGAKU自身の「宣言」となります。■商品情報定価 :15,000円(税込)発売日 :2021年12月3日(金)入手方法:「byGAKU」 より購入可能。画集1画集2■参考情報:画集「byGAKU-20(Twenty)」の概要過去3年間に生み出してきた600点以上の作品の中から、人気の作品を厳選した、SDGsアートの最前線で活躍する20歳になったGAKUの記念画集です。多くのアーティストやクリエーターが絶賛する抽象画シリーズを含め、皆さんから要望の高かった動物シリーズも充実しています。さらに今回の画集本には、最前線で活躍しているフォトグラファー6名に撮影をお願いし、GAKUが初めてモデルとなって撮っていただいた写真を掲載。彼自身の作品とモデルGAKUのコラボによる楽しい写真にご期待ください。●飯田かずな Iida Kazunaベストセラーとなった『ブスの瞳に恋してる』本のカバーで有名なフォトグラファー。思わず笑顔が溢れるポップでキュートなGAKUをお届けします。 GAKU(撮影:飯田かずな Iida Kazuna)●猪原悠 Inohara Yu3年前からGAKUのポートレートをお願いしているファッションフォトグラファー。繊細な雰囲気が魅力的です。 GAKU(撮影:猪原悠 Inohara Yu)●遠藤アスミ Endo Asumi撮影現場ではK-Popから飛び出してきたようなGAKUがいました。20歳のピュアな姿から少し背伸びをしたGAKUまで。 GAKU(撮影:遠藤アスミ Endo Asumi)●田口まき Taguchi Maki少女マンガの一コマのようなメルヘンチックなGAKU。淡い色彩の優しいタッチでの表現は見ているだけで心が和みます。 GAKU(撮影:田口まき Taguchi Maki)●宮川舞子 Miyagawa Maiko様々な演劇や舞台の撮影をしているフォトグラファー。ポップでちょっとパンクなGAKUにチャレンジ。 GAKU(撮影:宮川舞子 Miyagawa Maiko)●宮原夢画 Miyahara Muga数多くの有名な広告を手掛けているフォトグラファー。大人の品格をも感じさせるクールでスタイリッシなGAKUを見事に表現。 GAKU(撮影:宮原夢画 Miyahara Muga) 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年11月22日現在、やんちゃな5歳と2歳の男の子を育てています。長男がまだ1歳のとき虫歯になったのですが、歯科でエナメル形成不全と診断されました。結果、長男は3歳まで治療により前歯が真っ黒の状態で過ごすことになってしまったのです。一生懸命歯磨きをしていたのに低年齢で虫歯にしてしまい、後悔したエピソードや治療の様子もお伝えします。 長男が1歳で虫歯と診断長男が1歳のとき、市役所でおこなっている任意の歯科検診に行きました。前歯が以前よりも若干、短くなったような気がして心配だったのです。ただ、歯磨きは念入りにおこなっていたので「まさか、虫歯じゃないよね」と楽観的に考えていました。しかし、歯医者さんに診てもらった直後、「これはちょっと……」とつぶやかれ、前歯が虫歯になっていると伝えられたのです。短くなったように見えたのは、虫歯が原因で先端が溶けてしまっていたのが原因でした。早急に歯医者に通ってくださいと言われました。歯磨きだけでなく、お菓子やジュースも与えずに気を付けていた私は、ショックで頭が真っ白に……。 歯医者で「エナメル形成不全」と診断その後、すぐに歯医者に行きました。そこでもう一度診察を受けると、「エナメル形成不全ですね」と診断されたのです。エナメル形成不全の子どもは生まれつき歯のエナメル質が弱く、そのため虫歯になりやすいとのこと。私がもっと気を付けて歯の生え始めに歯医者に連れて行っていれば、虫歯を防げたのかもしれない……と、とても後悔しました。また、前歯がちょっと短くなったような……と違和感を覚えていたにもかかわらず、診察が遅れてしまったことも反省するしかありませんでした。 進行を止める薬を塗って前歯が真っ黒に長男はまだ1歳できちんとした治療ができず、歯医者さんと相談してサホライドという虫歯の進行を止める薬を塗ることになりました。結果、長男の前歯は虫歯の箇所が黒くなってしまうことに……。口を閉じているとわからないのですが、笑うと黒い前歯が見えるため、最初はとても気になってしまいました。初対面のママさんにも、聞かれてもいないのに「この子は歯が弱くて虫歯になって~」と説明していたほどです。しかし歯医者さんは診察のたびに落ち込む私に、「母親がどんなに気を付けていても歯の弱い子は仕方ないよ」と慰めてくれました。一番心強かったのは、「幸いまだ乳歯だから、いくらでも取り返しがきくからね」と励ましてもらったことです。 その後、長男は3歳になって歯を削る治療をおこないました。歯は見た目も白くなり、幸いにも他の歯は虫歯になりませんでした。今回のことを機に、子どもの体に少しでも気になることがあれば、すぐにお医者さんに相談するべきだと痛感しました。その後生まれた次男も一緒に3カ月ごとに定期検診を受け、歯の状態を診てもらっています。1歳での虫歯はショックでしたが、歯の健康を考える良い機会だったと思えるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:竹内優実5歳と2歳の男児を育児中。時短と節約が大好きなアラフォー母。簿記2級・MOSマスター・初級シスアド取得。パソコンを活かした育児グッズの作成が得意。夫は激務の為、ほぼ一人育児中。
2021年09月27日千葉県船橋市立船橋高校に代々受け継がれている応援曲「市船soul」を作曲した浅野大義さんと、吹奏楽部の絆が生んだ奇跡を辿った映画『20歳のソウル』にて、尾野真千子が主人公の母親役を務めることが決定。併せて、コメントが解禁された。生前、市船の吹奏楽部員だった大義さんは、野球部を応援する曲を作りたいと「市船soul」を作曲。市船を勝利へ導く神応援曲として仲間たちを勇気づけ、やがて病に侵された彼自身にも生きる力を与える曲になった。20歳でこの世を去った大義さんの告別式には、吹奏楽部顧問・高橋健一先生の呼びかけのもと、164名もの市船吹奏楽部OBが集まり、1日だけのブラスバンドを結成。「市船soul」を演奏し、大義さんを送り出した。その後その出来事を大義さんの母・桂子さんが朝日新聞に投稿。記事を読んだ中井由梨子氏が桂子さんに直接取材をし小説にしたことで、今回の映画化に繋がった。主人公・大義さんを演じる神尾楓珠と顧問・高橋先生役の佐藤浩市の出演がすでに発表されていた本作。大義さんの青春を支え、また息子の闘病を最期まで明るく勇気づけた母・浅野桂子役を演じた尾野さんは「やはり実在する母というのはとてもやりにくいものです。ですが、とてもやりがいを感じました。本当の話に失礼のないように、当時を思い出して辛くさせるだろうとわかっていましたが家族の方に当時の事を質問し、撮影に挑みました。おかげさまで息子を全力で愛し、物語に向き合う事ができたように思います」とコメント。また原作者であり、本作の脚本も担当した中井氏は「尾野真千子さんが桂子さんの役をお引き受けくださったと聞いたときは、朗らかな明るい笑顔と笑い声、そして何よりさっぱりとした気丈な雰囲気が、桂子さんと強く共通していると感じました。撮影現場で尾野さんと今回の役についてお話させていただいた時、『どのシーンを読んでも涙が出てくる』と仰っていました。その言葉通り、尾野さんはスクリーンの中で、笑顔の下に常に涙を湛えている桂子さんの繊細さを丁寧に汲み取りながら存在してくださいました」とコメントを寄せている。『20歳のソウル』は2022年全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:20歳のソウル 2022年全国にて公開予定©2022「20歳のソウル」製作委員会
2021年09月16日アイドルグループ・HKT48の田中美久が12日、都内で行われた1st写真集『1/2少女』(双葉社)発売記念囲み取材に出席し、20歳の抱負を語った。12歳でHKT48に加入し、8年が経つ田中。20歳の誕生日である本日12日に発売された同写真集は地元・熊本でロケを行い、水着や寝起きのスッピン姿、温泉でのショットなど、今まで見せたことのない“みくりん”が満載の1冊に。田中は「昔の自分だったら絶対にできないだろうなという大人っぽいカットも詰まっていて、私の今がギュッと詰まった写真集になっていると思います」とアピール。自己採点は「100点満点中、99点」で、「すごく自分で満足のいく出来上がりでうれしいですし、残りの1点は今後の期待の分の点数として、あえて満点ではなく99点です」と説明した。20歳の抱負を聞かれると、「私は抜けていると言われがちなんですけど、HKT48を引っ張っていける自立した大人になれるようにさらに精一杯頑張りたいなと思います」と答え、「HKT48を国民的アイドルグループに導ける人になりたいので、自分もさらに頑張っていきたいですし、グループを引っ張っていける存在になりたいです」と力を込めた。また、「1st写真集を発売させていただいたので、これを機に48グループのグラビアクイーンになれるように、たくさんの雑誌の表紙をジャックしたい。グラビアクイーンを目指して頑張ります」とも話した。20歳になりお酒も解禁となったが、「最初に飲むお酒は、指原(莉乃)さんと一緒に飲むと決めていて、それまでお酒は飲まないように我慢しようと思っています」とのこと。「昔からさしこちゃんと『一緒にお酒を飲もうね』って約束していたので、その約束が叶うと思うと感慨深いです。飲むってなったときは私の写真集を持っていって、飾って見ながら一緒に飲みたいです」と語った。
2021年09月12日わが家には4歳、2歳のお兄ちゃん2人と生後2カ月の娘がいます。娘が生まれてから、特に4歳の息子に頼ることが多く、すぐに「お兄ちゃんよろしく」と頼ってしまっています。ある日ついに4歳の息子が拒否して泣いてしまい、無理をさせていたのだと反省したエピソードを紹介します。 4歳の息子に頼りっぱなし4歳の息子は普段から手伝いをしてくれたり、先生の言うことをしっかり聞いて、片付けなども率先しておこなうタイプです。 娘が生まれてから私たちも家事に手が回らなくなり、何かと4歳の息子に頼りっぱなし。すぐ「お兄ちゃん、面倒見ておいてくれる?」「お兄ちゃん、おむつ取ってきてくれる?」と言うことが増えました。 でも、頼み事ばかりしているときに息子が「まだ遊びたいのに……」とボソッと言ったことがあり、「お兄ちゃんよろしくばかり言ってごめんね」と感じました。 息子はわかってくれていると思ってしまう頼ることが増えたものの、「息子はわかってくれている」と思っていた私。 「パパ聞いて!」「パパこっちに来て!」と息子が話したそうでも、娘が泣いていたら娘を優先してしまったり、「おなかがすいた」と言われても「お兄ちゃんごめんね、あとからね」と娘のミルクを優先していました。 しかし、あるとき息子が「いつもあとからやん」とひと言。今考えると、息子のことをあとまわしにしてしまい、娘のことを優先しすぎていたのかなと気づきました。 お兄ちゃんも甘えたいある日突然、息子が泣き始めてしまいました。「お兄ちゃんよろしくばっかり言わないで!」と。 親が頼ったときいつも笑顔でしてくれて、娘が泣いたら真っ先にあやしに行ってくれていましたが、お兄ちゃんとはいえまだ4歳。親に甘えたくて、妹がいたから我慢していたのだと気づかされました。娘が生まれてからいつも忙しくしていて、息子が泣くまで気づかなくてごめんねと反省しました。 息子の涙の訴えで、初めて気づいた息子の甘えたいという気持ち。これからは息子にも娘にも同じように目を向けて、夫婦で話し合いながら、子どもたちの気持ちの変化に気づいてあげられるようにしたいと思いました。 監修/助産師REIKO著者:西川しょた普段は看護師として勤務する3歳と1歳、2男の父。育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2021年07月11日映画『20歳のソウル』が2022年5月27日(金)に全国ロードショー。主演は神尾楓珠。応援曲「市船soul」をめぐる感動の実話が映画化『20歳のソウル』は、中井由梨子が手掛けた書籍「20歳のソウル 奇跡の告別式、一日だけのブラスバンド」を映画化するもの。千葉県船橋市立船橋高校に代々受け継がれている応援曲「市船soul」を作曲した青年・浅野大義と、市船吹奏楽部の絆が生んだ奇跡を辿った作品だ。映画『20歳のソウル』ストーリー高校で吹奏楽部に所属する浅野大義。担当はトロンボーン。部員たちに支えられつつも、青春を謳歌していた。そ顧問・高橋健一先生に大きな影響を受け、心身共に成長していった。大義は、市船・野球部のために、オリジナル応援曲の作曲に挑戦。作曲の難しさに葛藤しながらも高橋先生らに支えられつつ「市船 soul」が誕生。そして、いざ試合で演奏されるとたちまち得点を呼ぶ〝神応援曲″と呼ばれる様になる。大義は高校卒業後、音大へ進学、夢に向かって進む中、身体を異変が襲う。診察の結果、大義の身体は癌に侵されていたのだった。神尾楓珠×佐藤浩市が“師弟関係”に浅野大義役(神尾楓珠)物語の主人公。市立船橋高校吹奏楽部でトロンボーンを担当し、高校生活を謳歌する。そして真っすぐな性格で、周囲を明るくする存在。高校を卒業すると、音楽大学へ進学。夢に向かってキャンパスライフを過ごしていたが、ある日、身体を異変が襲う。『20歳のソウル』の主人公・浅野大義を演じるのは、映画『うちの執事が言うことには』や『樹海村』などの話題作に出演している神尾楓珠。神尾は本作で初めて、浅野大義が実際に吹奏楽部で担当していたトロンボーン、そしてピアノ演奏に挑戦する。高橋健一役(佐藤浩市)浅野大義の恩師。部員を叱咤激励。奏楽部の顧問であり特別な存在で、大義は高橋の様な教師を志すことになる。2020年に俳優生活40周年を迎え、『Fukushima 50』や『太陽は動かない』『騙し絵の牙』などこれまで100本以上の映画に出演してきた、日本を代表する名俳優・佐藤浩市が演じる。佐藤は、初の吹奏楽部顧問を演じる上で、実際に高橋先生から指揮法を学んだという。Aぇ! group佐野晶哉が映画初出演&神尾楓珠の親友役佐伯斗真(関西ジャニーズJr.内ユニット・Aぇ! group佐野晶哉)大義と同じ吹奏楽部で、音楽と共に青春を過ごした親友。打楽器を担当する吹奏楽部員。容姿端麗で、音楽の才能もあり、何不自由ない青春を過ごせるはずが、学校生活、部活動に悩む日々を過ごしていた。しかし大義の何事にも真剣に向き合う姿に心を動かされ、「市船soul」の作曲を手伝い、また大義が病にかかってからは、傍で励まし、最期まで共に青春を過ごす。演じるのは、映画初主演となるAぇ! group佐野晶哉。佐野自身、現役の音大生でもあり、Aぇ! groupでは、ドラムを担当。その他にもサックス、ピアノなど演奏することができ、劇中でも打楽器とピアノの演奏を披露する。その他の登場人物&キャスト浅野桂子役(尾野真千子)大義の母。息子の青春を支え、闘病を最期まで明るく勇気づける。宮田夏月役(福本莉子)音楽大学に進学した大義と交際をしていた恋人。病と闘う大義を励まし、最後まで傍にいて支えた。大義の主治医・星野拓朗役(高橋克典)祖父・浅野忠義役(平泉成)吹奏楽部の仲間・秋田豪役(前田航基)、田崎洋一役(若林時英)その他、塙宣之、石黒賢らも出演する。監督に秋山純、脚本は原作の著者・中井由梨子監督を務めるのは、テレビ朝日で「特命係長 只野仁」シリーズや「陽はまた昇る」「就活家族~きっと、うまくいく~」など、演出家・プロデューサーとして活躍してきた秋山純。脚本は、本作の原作「20歳のソウル 奇跡の告別式、一日だけのブラスバンド」の著者でもある中井由梨子が担当する。作品詳細映画『20歳のソウル』公開日:2022年5月27日(金)出演:神尾楓珠、尾野真千子、福本莉子、佐野晶哉、前田航基、若林時英、佐藤美咲、宮部のぞみ、松大航也、塙宣之、菅原永二、池田朱那、石崎なつみ、平泉成、石黒賢、高橋克典、佐藤浩市原作:「20歳のソウル 奇跡の告別式、一日だけのブラスバンド」中井由梨子 著/小学館刊、「20 歳のソウル」幻冬舎文庫監督:秋山 純脚本:中井由梨子制作プロダクション:プロジェクトドーン配給:日活
2021年03月28日千葉県船橋市立船橋高校で代々受け継がれている“神応援曲”「市船soul」誕生の裏側にある実話を、神尾楓珠と佐藤浩市の初共演で映画化した、『20歳のソウル』が2022年に公開されることが決定した。「市船soul」は、同校運動部の試合中に演奏されると勢いがつき「ソウルが流れると点が入る!」「市船のチャンステーマ」など、市船を勝利へ導く神応援曲としてTwitter上で話題に。本作は、そんな「市船soul」を作曲し、がんのため20歳でこの世を去った浅野大義さんと、市船吹奏楽部の絆が生んだ奇跡を辿った原作「20歳のソウル 奇跡の告別式、一日だけのブラスバンド」を映画化。生前、市船の吹奏楽部員だった彼は、野球部を応援する曲を作りたいと「市船soul」を作曲。そして完成すると、その楽曲は運動部員たち、一緒に青春を過ごした吹奏楽部の仲間たちを勇気づけ、さらには病にかかった彼自身にも生きる力を与えた曲となった。「市船soul」の作曲を一番近くで見守り、大義さんの青春に大きな影響を与えたのが吹奏楽部顧問・高橋健一先生の存在。高橋先生は大義さんの告別式で「大義のために演奏しよう」と声をかけ、164名もの市船吹奏楽部OBが集まり、「市船soul」を演奏して大義さんを送り出した。大義さんの物語は、本作の脚本を担当した中井由梨子により2018年に書籍化され、「電車で読んではいけない本」として各レビューサイトで“感動”“号泣”のコメントが殺到。また「NEWS ポストセブン」で記事が掲載されると、「Yahoo!ニュース」に転載され、その後テレビ朝日「報道ステーション」でも特集されるなどメディアで大きな話題を集めた。神尾楓珠、トロンボーンとピアノに挑戦主人公・浅野大義さんを演じるのは、2021年ネクストブレイク俳優と呼び声が高い神尾楓珠。神尾さんは本作で初めて、大義さんが吹奏楽部で担当していたトロンボーン、そしてピアノ演奏にも挑戦する。また実際に、市船吹奏楽部の演奏も見学し、スクリーンで大義さんの人生を生きる上での役作りに反映させた。大義さんの恩師・高橋健一先生を演じるのは、昨年俳優生活40周年を迎え、これまで100本以上の映画に出演してきた日本を代表する名優・佐藤浩市。佐藤さんは、初の吹奏楽部顧問を演じる上で、実際に高橋先生から指揮法を学び、また神尾さん同様、市船吹奏楽部の演奏と合唱を見学。彼らの音楽を聴いて、大好きな音楽と共に生き切った大義さんの人生を先生の目線で伝えていく。神尾さんは、「最初、実話ということを知らずに脚本を読ませていただいたのですが、映画みたいな、すごい青春だなと感じました」とコメント。大野さんについて「彼は周りからの人望が厚く、とても愛されていたんだなと感じ、映画ではその魅力や、そして彼が残してくれた生き様が、きちんと伝わる様に演じられたら」と意気込みを語った。また、佐藤さんは「市船・吹奏楽部の生徒たちが演奏しているのを見させていただき、昨今、このコロナで演奏できる場、表現できる場が失われた生徒たちが、“何か”を伝えようと、とても生き生きと演奏していました」とふり返る。「その姿を見て、この映画で、そして浅野大義さんの人生を通して、自分自身もこの子たちのその“何か”を伝えたいと思います」とコメントを寄せている。本作の監督は、テレビ朝日で演出家・プロデューサーとして活躍した秋山純。テレ朝時代の代表作として「特命係長 只野仁」シリーズや佐藤さん主演の「陽はまた昇る」、「就活家族~きっと、うまくいく~」などを担当、独立後は映像制作会社を設立している。「彼の生きた証を多くの人に知ってもらいたい。その想いは、たくさんの仲間、素晴らしい俳優陣へと縁を繋ぎ、映画として実を結びました。大義くんが我々を選んでくれたのだと信じています」と秋山監督は語る。脚本は、本作の原作の著者でもある中井由梨子。2017年、朝日新聞の記事をきっかけに、大義さんの関係者へ取材を行い、2018年に著作を上梓。今作では脚本を担当し、映画として何を伝えたいか、改めて大義さんと向き合ったという。「浅野大義、という音楽好きの青年が20歳の若さで亡くなった。その事実の中に、想像もできないような奇跡が、たくさんの人々の絆が、溢れ出す想いがあります」と語る中井さんは、「命の輝きを感じてください」とコメント。大義さんが残した「市船soul」は市船吹奏楽部の後輩たちに受け継がれ、高校野球のスタンドなどでいまも演奏され続けている。『20歳のソウル』は2022年、全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2021年03月15日俳優の神尾楓珠が、映画『20歳のソウル』(2022年公開)に主演することが15日、明らかになった。同作は千葉県船橋市立船橋高校に代々受け継がれている「市船soul」という応援曲を作曲した一人の青年・浅野大義さんと、市船吹奏楽部の絆が生んだ奇跡を辿った『20歳のソウル 奇跡の告別式、一日だけのブラスバンド』の映画化作。癌により20歳という若さで、短い人生の幕を閉じた浅野さんを、神尾が演じる。生前、市船の吹奏楽部員だった浅野さんは、野球部を応援する曲を作りたいと「市船soul」を作曲。完成すると、その楽曲は、運動部員たち、一緒に青春を過ごした吹奏楽部の仲間たちを勇気づけ、さらには病にかかった彼自身にも生きる力を与えた曲になった。そんな「市船soul」の作曲を一番近くで見守り、大義さんの青春に大きな影響を与えたのが吹奏楽部顧問・高橋健一先生の存在で、高橋先生は大義さんの告別式で「大義のために演奏しよう」と声をかけ、164名もの市船吹奏楽部OBが集まり、「市船soul」を演奏して浅野さんを送り出したという。浅野の話は本作の脚本も担当する中井由梨子により2018年に書籍化され、店頭に並ぶと「電車で読んではいけない本」として各レビューサイトで"感動""号泣"コメントが殺到し、メディアでも大きな話題を集めた。今回、主人公の浅野さんを演じる神尾はトロンボーン、そしてピアノ演奏に挑戦。実際に、市船吹奏楽部の演奏も見学し、スクリーンで大義さんの人生を生きる上での役作りに反映させた。また恩師・高橋先生を演じる佐藤浩市は、初の吹奏楽部顧問を演じる上で、実際に高橋先生から指揮法を学び、神尾同様、市船吹奏楽部の演奏と合唱を見学。彼らの音楽を聴いて、大好きな音楽と共に生き切った浅野さんの人生を先生の目線で伝えていく。監督は秋山純、脚本は原作の著者でもある中井由梨子が務める。○神尾楓珠 コメント最初、実話ということを知らずに脚本を読ませていただいたのですが、映画みたいな、すごい青春だなと感じました。本作で、浅野大義さんを演じる上で、いろいろな方たちからお話を伺い、彼は周りからの人望が厚く、とても愛されていたんだなと感じ、映画ではその魅力や、そして彼が残してくれた生き様が、きちんと伝わる様に演じられたらいいなと思います。○佐藤浩市 コメント市船・吹奏楽部の生徒たちが演奏しているのを見させていただき、昨今、このコロナで演奏できる場、表現できる場が失われた生徒たちが、“何か”を伝えようと、とても生き生きと演奏していました。その姿を見て、この映画で、そして浅野大義さんの人生を通して、自分自身もこの子たちのその“何か”を伝えたいと思います。○秋山純監督 コメント市船・吹奏楽部の生徒たちが演奏しているのを見させていただき、昨今、このコロナで演奏できる場、表現できる場が失われた生徒たちが、“何か”を伝えようと、とても生き生きと演奏していました。その姿を見て、この映画で、そして浅野大義さんの人生を通して、自分自身もこの子たちのその“何か”を伝えたいと思います。○原作・脚本:中井由梨子コメント浅野大義、という音楽好きの青年が20歳の若さで亡くなった。その事実の中に、想像もできないような奇跡が、たくさんの人々の絆が、溢れ出す想いがあります。短くても力強く生ききる、命の輝きを感じてください。誰もが共感できる、明日への勇気となるような映画です。(C)2022「20歳のソウル」製作委員会
2021年03月15日人気イラスト作家shirokumaさんの連載「おねーちゃんとおとーと」。きょうだいのほっこりする日常の一コマをお届け! お子さんたちのかわいいやりとりや仕草、表現に癒されちゃいます。 こんにちは。shirokumaです。 当時4歳の幼稚園児の娘と、1歳の息子と帰省した際に、大型のショッピングセンターに行ったときのことです。 普段行くところよりも広くて、大喜びの2人でしたが……。 とにかく歩きたいおとーとは、抱っこしていてものけぞってすぐに降りようとし、降ろすと走り出してしまうので目が離せません。 私とおとーとの3人で外出するときは、おねーちゃんも「抱っこしてもらうのは難しい」と理解しているようでめったに抱っこをねだりません。 でもこの日は、普段なかなか会えないじぃじとばぁばに甘えて、おねーちゃんは早々に抱っこをねだります。 少しの間は抱っこできますが、おねーちゃんが満足するまで抱っこし続けることは難しい体重になっています。 なかなか落ち着いて買い物をすることができなかったのですが、アンパンマンのカートに乗っている子が目に入りました。 最近、おとーとはアンパンマンに夢中なので、試しに乗せてみると、喜んで乗っていました。 すると、おねーちゃんも「のってみたいな」と羨ましそうに言いました。 対象年齢を確認すると、まだ大丈夫だったので、おねーちゃんは大好きなキティちゃんのカートに嬉しそうに乗り、安全に買い物をすることができました。 でもやっぱり、おねーちゃんだって、本当はもっとたくさん抱っこしてほしいんですよね……。 著者:イラストレーター イラスト作家 shirokuma2児の母。第一子の娘が1歳になった頃から子どもの日常を描きはじめる。第二子の息子が生まれた現在も、娘と息子との日常を描き続けている。
2021年02月24日