歳の離れた3人目の子どもが、この春から保育園へ通い出しました。0歳で入園させることに最初は罪悪感でいっぱいでしたが、いざ通い出すと積極的に園生活を楽しむ姿が! 実際に通わせることで、保育園の良さを知ることができ、「かわいそう」から「よかった」へ気持ちが変わっていったエピソードを紹介します。 3人目にして初めての保育園生活歳の離れた3人目の次女が、保育園の0歳児クラスに入園。上の子たちは3年保育の幼稚園だったため、保育園生活も0歳での入園も初めての経験でした。 保育園という場所をよく知らなかったことと、0歳で入園させるということが重なり、入園前は「小さいうちから保育園に入れるなんて、かわいそうな選択をしてしまった」と罪悪感でいっぱいでした。 保育園で見せた次女の新たな一面そんな罪悪感を持ったままスタートした保育園生活でしたが、親の心配をよそに次女本人はのびのびと集団生活を楽しんでいました。家ではとても甘えん坊な次女ですが、集団生活では泣いているお友だちををグイグイ引っ張るお姉さんタイプで、控えめな上の子たちとの性格の違いに大変驚きました。 保育園に入園させなければ見ることがなかっただろう、そんな次女の新たな一面に感動するのと同時に「保育園ってすごい!」という感情が芽生えました。 「かわいそう」から「よかった」へこれまで幼稚園しか知らなかったため、漠然と「小さいうちから保育園に通わせることはかわいそうなことだ」と思っていました。でも、全力で集団生活を楽しむ次女の姿を見て、「保育園に入園させてよかった」と心から思えるようになりました。 さみしくて泣いてしまうこともありますが、いい先生やお友だちに囲まれて、これから素敵な保育園生活を送れるのではないかと思っています。 初めて保育園に入園させるときは、罪悪感や不安でいっぱいの方も多いかと思います。でも、「入園したら想像していたものと全然違った!」なんてことも、大いにあるのではないかと感じています。 イラスト:sawawa著者:戸塚麻心発達障害のある長男、長女、年の離れた次女の三児の母。保育園・アパレルなど幅広い業種を経験し、結婚・出産。子育て中に2級FP技能士を取得し、コンサル会社に勤務。現在は不定期でアシスタント業務をしながら記事を執筆中。
2019年07月13日毎回健診のときに赤ちゃんは大きめだと言われており、予定日を過ぎても陣痛が来る気配がなく、妊娠41週のときに誘発分娩のため入院。初産で4,300g越えのビッグベビーを出産したときの体験談です。 陣痛の気配がなく誘発入院毎回健診のときに赤ちゃんは大きめだと言われ、妊娠40週の健診の際には、おなかの中の赤ちゃんは推定体重3,800g。妊娠41週を過ぎても陣痛の気配がなく、このままでは赤ちゃんが大きくなり過ぎるため、翌日に誘発入院をすることになりました。 入院1日目にラミセル、バルーン挿入という子宮口を開く処置をおこない、入院2日目の朝から陣痛誘発剤を点滴する予定でした。1日目の朝にラミセルを挿入し夕方に抜去、その後にバルーンを挿入すると自然と陣痛が始まり、バルーンも抜けたため、陣痛誘発剤は使用せずにこのまま自然陣痛で出産する方向になりました。 一向に強くならない陣痛陣痛が始まったものの、陣痛の間隔はなかなか狭まらず、強さもずっと我慢できる程度の痛みで、テレビや携帯を見る余裕もありました。助産師さんからも「微弱陣痛だね」と言われていて、LDR室へ移ってからは少し陣痛が強まりましたが、まだ周りの話し声を聞く余裕がありました。 赤ちゃんはなかなか下りてこず、地味に痛い陣痛と付き合うことになり、後半は痛みというよりも睡魔との戦いでした。結局人工破水をし、やっと赤ちゃんが下りてきて分娩の準備に入ったのは陣痛開始から12時間後でした。 下から吸引して、上からは馬乗りに!陣痛に合わせていきむのですが、まったく赤ちゃんが出てくる気配がありません。赤ちゃんが大きいこと、そして私の陣痛持続時間が短く陣痛間隔が長いことが問題でした。1回の陣痛で1〜2回しかいきめず、次の陣痛までの待ちが長いため、赤ちゃんが戻ってしまう状態でした。 私のいきみだけでの出産は難しいと判断され、下から吸引し上からはおなかに助産師さんが馬乗りになりました。陣痛のタイミングに合わせて同時にいきむ、引っ張る、押し出すといった感じでした。なんとか頭が出ましたが今度は肩がつかえ、もう一度いきむ前に陣痛は終わり、その後はいきんでもまったく出てきません。結局先生が引っ張り、助産師さんが押し出し、なんとか赤ちゃんを出すことができました。出てきてびっくり! 推定体重+500gの4,300g越えのビッグベビーでした! 健診のときから大きめの赤ちゃんだと言われていたため、ある程度覚悟はしていましたが、まさか4,300gもあるとは思いませんでした。初産でかなりのビッグベビーでしたが、吸引分娩とおなかを押してもらうことでなんとか無事に出産をすることができました。出産まではいろいろと大変でしたが、生まれてからはよく飲んでよく寝る子で、どっしりとしていてお世話もしやすいです。ビッグベビーも悪いものではありません。著者:塚田さき0歳男児の母。普段は作業療法士として訪問看護ステーションで勤務、現在産休中。自身の体験をもとに、主に体験談を中心に執筆している。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月13日この記事では、イライラして子どもを叩いてしまうことについてパパと話し合った体験談をママが紹介しています。ママやパパが子どもを叩いていたことで、次第に子どもも暴力的に。夫と話し合い、叱るときは冷静になることで子どもの暴力的な行為がなくなっていったそうです。 子どもがひとりで立てるようになり、少なからず自分の意思が出てきて、できることが増えてくる1歳ごろ。お手伝いなどもしてくれるようになる一方で、いたずらや言うことを聞いてくれないことも増えました。このころは子どもへの伝え方、叱り方、夫との子どもへの接し方の違いに悩んだ時期でもありました。 手をあげると子どもも同じように…ついカッとなって手が出そうになってしまったり、実際に手を出してしまったり……。私は子どもをどうやって叱ればいいのかわかりませんでした。また当時、次男を妊娠していたこともあって精神的にも不安定で、ちょっとしたことでイライラしやすくなっていました。 しかし、手をあげることが多くなると、次第に子どもも同じように怒りを暴力で表現するようになってしまいました。ほかの子を叩くことはありませんでしたが、怒っているときに私や夫を叩くようになっていきました。 夫との話し合いこのままではダメだと思い、子どもを叱るときにはまずは冷静になるように意識して接するようにしました。しかし、夫も子どもを叱るとき、つい手が出てしまうタイプ。最近、子どもが私に対して暴力的になってきてしまっていることなど、子どもの日ごろの様子を夫に話し、子どもへの接し方について夫婦できちんと話し合うことにしました。 だんだんと変わっていった私も夫も、子どもへの接し方を意識して変えていくうちに、子どもが怒ったときも物や人を叩くことが少しずつなくなっていきました。子どもは親の接し方でこんなにも変わるのだと実感しました。 もし万が一、子どもに間違ったことを覚えさせてしまっても、あきらめなければ自分次第で軌道修正することは可能なのだと思います。 私も夫も親として至らないところばかりですが、これからも子どもに教えてもらいながら、一緒に成長しつつ育児に向き合っていきたいと思います。 イラスト:imasaku著者:小鳥遊美代二児の母。2歳年上の夫と2歳差兄弟、インコ2羽と暮らしている。好きなものは麻雀と読書、子どもを産んでからは育児本を読むのが楽しみのひとつ!妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年07月12日Instagramでフォロワー5万人を超える「ニシカタ」さんの出産エピソードをご紹介!妊娠39週、妊婦健診当日におしるし、陣痛が開始しそのまま入院、出産! 箸で豆をつかむリハビリかな?と思いました(笑)!手が震えてるのはこのとき初めて気づきました。産んで30分は経ってるのに、まだ震えてるってすごいですよね。それだけ必死にいきんでたんですね~。うちの病院の入院食、食器も盛り付けも、まぁ地味……いやいや質素でございまして(笑)。 フレンチフルコースが出たり、祝い膳が超豪華だったりする産院、ちょっと憧れます! ニシカタさんのマンガはInstagramで更新中!ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る ニシカタさん(@c_nishikata)がシェアした投稿 - 2018年 6月月12日午後2時22分PDT著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、フォロワー5万人超。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。Instagram:@c_nishikata
2019年07月11日夫は「赤ちゃんに触るのも怖い」と言って、今まで甥・姪や友人の子どもを一度も抱っこすることがありませんでした。そんな夫が自ら息子のお世話をするようになり、1歳になった今では「2人きりでのお留守番も任せて!」 と言うほどに! ここでは、夫がどのようにイクメンになったのかをお伝えしていきます。 赤ちゃんに触るのも怖がる夫の意識改革夫は今まで何度か甥や姪など新生児に触れる機会はあったのに、触るのを怖がって一度たりとも抱っこしたことがありませんでした。なので、息子が生まれる前から、夫に赤ちゃんについての情報をいろいろ伝えることから始めることに! 赤ちゃんの大きさや重さなどはもちろん、抱っこやおむつの替え方、げっぷや沐浴の仕方なども一緒に育児書を読みながら人形で練習しました。 また、夫に赤ちゃんに必要なものを率先して調べてもらい、ほとんど準備してもらいました。そうすることで夫は赤ちゃんについての知識が身につき、怖いという意識が減ったようです。おかげで息子の誕生後はかわいくて愛おしい存在となり、「早く会いたい、お世話もしたい」と言うまでになりました。 夫自ら積極的に育児をしてびっくり息子が生まれてから、夫は自らお世話をし始めました。私は、子どもを抱っこすらしない夫を見てきたのでびっくりしました。夫は「これ練習したやつだ。やってみたら案外じょうずにできたよ」と得意気に。 私も、手伝ってくれてとても助かっていることと、息子もすごくうれしそうだと何度も言葉にして夫に伝えました。そうすると夫はさらに育児に積極的になっていき、そのイクメンぶりには目を見張るものがありました。夫がいるときには「お父さんに任せるね」と私もほとんどお願いするようにしたので、夫と息子が接する時間が増えてよかったと感じています。 イクメンお父さんを息子も大好きになった夫が育児を積極的におこなうことによって、息子との関係がとても深いものになっていったと感じています。圧倒的に私の方が一緒にいる時間が多いにも関わらず、息子は私と同じくらいに夫のことが大好きです。 夫が育児を頑張ってくれたおかげなのか、息子は「ママじゃなきゃダメ」という風にならなかったので、後追いや私がいなくて泣いてしまうこともなく、子育てがラクに感じます。また、夫が育児を積極的におこなうことは、息子の心の安定にも繋がっているように思えます。 安心して育児ができるように事前に情報を伝え、夫の育児を認めて言葉で感謝を伝えること。そうすることで息子も夫のことが大好きになり、そしてますます夫は育児に積極的になってくれたのです。育児に必要なものの準備を夫に任せた、という点も知識を蓄えるうえでとても役立ったのかなと感じています。著者:山下 ひいこ一児の母。看護師・鍼灸師の資格を持ち、逆子治療やマタニティケアなどを行っている。自身の経験を生かし、不妊や妊娠・育児に関する体験談を中心に執筆活動を行う。
2019年07月10日私は産後3カ月目に産後うつを発症し、通院し始めました。現在は周囲の理解と助けのおかげで回復傾向にあり、新しい仕事を始めることができています。産後うつと診断されショックでしたが、自分を追い詰め過ぎないようにしたことで次第に気持ちが明るくなりました。そのときの私の経験をお伝えします。 育児を楽しみたいのに苦痛で仕方がない初めての出産を無事に終えた私はうれしさと達成感に溢れ、育児を楽しもうと意気込んでいました。でもその気持ちとは裏腹、身体がついていかずに悔しい思いをする日々。夫の仕事の都合で出産前に引っ越し、赤ちゃんとの新生活は新居にてスタートしたため、生活に慣れることと初めての育児との両立は想像していた以上に大変だったのです。 私の母は他界し、父は存命ですが仕事が忙しく頼ることができません。義実家に頼らざるを得ない状況で、関係は良いほうですが付き合いにストレスを感じることも時折ありました。私はそれでも乗り切れる! と意気込んでいたものの、体調不良を繰り返したり、落ち込みやすくなったりと、異変を感じるように……。 産後うつと診断され、ショックを受ける何をするにも苦痛を感じるようになり、産後3カ月ごろに親族のすすめで心療内科を受診しました。医師からは産後うつの症状と診断され、極力ストレスを溜めないようにと言われました。 妊娠する前から産後うつという病名はテレビやネットで見聞きしていましたが、「自分が罹るはずなんてない」と思い込んでいたのでショックを受けました。でも、夫や周囲の人たちが精神疾患に理解があり、偏見を持たずに受診をすすめてくれたことが幸いでした。 心をラクにする方法を探し、快方を目指す産後うつを和らげるには時間がかかる場合があると聞き、物事を焦り過ぎないようにしようと思いましたが、不安定な感情や気分の上下、それが引き金となる周囲の人との衝突に悩み、ひどく落ち込むことも……。 しかし、病気と向き合って今の自分の姿を認めていくことで、かえって気持ちがラクになることに気付いたのです。少しでも育児をラクに乗り切る方法が見つけられるようになった現在は、2歳の子どもと接することを楽しめるまで余裕が出てきました。そして、不安感や焦燥感に悩まされることも徐々に少なくなり、夫が新しく始めた自営業をサポートできるまで回復しました。 産後うつは決して他人事ではないということを思い知りました。産後のストレスや疲労などから、気付かぬうちに不安定な状態に陥ることもあります。でも、悲観し過ぎることなく病に向き合い、いつかは元気になりたいという希望を持ち続けたことが、今の私が元気に過ごせる活力の源となっています。著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月10日Instagramでフォロワー5万人を超える「ニシカタ」さんの出産エピソードをご紹介!妊娠39週、妊婦健診当日におしるし、陣痛が開始しそのまま入院、出産! 「中を縫う」ってすごいインパクトのある通告で、一瞬固まりました(笑)! 妊娠中に読み漁ったみなさんの出産レポでは、この産後処置がとにかくつらかったという方が多かったです。なので結構怯えてたんですが、いざその時になると、出産後の疲労と達成感で産後処置のことを考える余裕なんてなかったです(笑)。 描いたあと気づいたんですが、たぶん胎盤排出のあとに縫合ですね!疲労困憊モードなのに痛い処理が続くから、しんどかったです。 こんなに痛いのかよー!って涙が出そうでした……。本当痛かったー!!! ニシカタさんのマンガはInstagramで更新中!ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る ニシカタさん(@c_nishikata)がシェアした投稿 - 2018年 6月月12日午後2時22分PDT著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、フォロワー5万人超。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。Instagram:@c_nishikata
2019年07月09日私は3人の子どもを帝王切開で産みました。おなかにはその勲章とも言える傷がしっかりと残っています。ただ1人目の出産のときに、帝王切開が決まった瞬間は正直ショックでした。今回は、そんな心の傷とどのように向き合ったかをお話ししたいと思います。 まさかの帝王切開にショック1人目出産時は誘発分娩のために入院したのですが、入院説明の際に腟ヘルペスの疑いがあるとのことで、急遽帝王切開が決まりました。 手術の不安はもちろんのこと、陣痛から経腟分娩を経験できないということ、さらには2人目以降も帝王切開になるだろうということがやはりショックでした。私自身、はじめは「おなかを痛めて産んだ子」というものを経験したかったのです。 達成感のない出産とわが子への違和感帝王切開での分娩は下半身麻酔での手術のため、術中の痛みはありません。出産してすぐは、赤ちゃんの泣き声が聞こえて涙しました。その後は、赤ちゃんと同室ではなく、自分ひとりの病室へ。 ひとりで病室にいると、「私は出産したの? 単に手術をしただけじゃないの?」という不安に掻き立てられました。「出産をした」という自覚が私にはあまり湧いてこなかったのです。母子同室になったときも、わが子を見て「本当に私が産んだのだろうか?」という違和感さえ抱いていました。 帝王切開も立派な出産!それでも日が経つにつれて、わが子への愛しさを実感するようになりました。帝王切開を経験していないママからも、「帝王切開のほうが絶対痛いよ! すごいことだよ!」と言ってもらえたこともあって、「そうか! 出産方法が違うだけで、10カ月おなかの中で赤ちゃんを育てたことには変わりはないんだ!」と気付くことができました。術後の傷は決して消えることはないけれど、今となっては私の誇りでもあります。 もし、私が周りから心ない言葉をかけられていたら、帝王切開に対する心の傷はもっと深くなっていたと思います。帝王切開も立派な出産! 3人の子どもを産んだという誇りを胸に、これからもわが子と向き合っていきたいと思っています。著者:山野美由紀二男一女の母。出産を機に、プログラマーを退職。現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年07月09日保育園1年目のママと子どもを待ち受けているのが、保育園でもらってくるたくさんの病気、通称「病気の洗礼」です。「はじめのうちは病気してばかりだよ」と聞いてはいたものの、「え、こんなに!?」と驚いているママも多いのではないでしょうか。この「病気の洗礼」は一体いつまで続くのか……。1歳から保育園通いを始めた、わが家の体験談をお伝えします。 入園後すぐ二度の発熱息子が保育園に通い始めたのは1歳8カ月から。0歳児から3歳児までの子どもたちが対象の小さな保育園でした。それまでは息子が熱を出したのは一度だけ。特に、風邪をひきやすいわけではありませんでした。 最初のお迎えコールが来たのは、入園して10日ほどしたときでした。「ついに来たか!」という気持ちでお迎えに行って、熱が下がるまで3日ほどお休みしました。元気になって登園したら1週間ほどですぐにまた発熱。熱以外には症状は特になかったので、軽い風邪だったのだと思いますが、こんな立て続けに熱を出すものなのかとびっくりしました。 かかりつけのお医者さんからは「最初の1年はたくさん病気をもらってくる。でも、それで免疫がついて強くなっていくから心配しなくて大丈夫」と言われましたが、熱を出すたびに心配でたまりませんでした。 最初の試練は夏の感染症それからも月一度から二度のペースで熱を出しながら、保育園に入って最初の夏がやってきました。プールが始まると、まもなく保育園では手足口病が大流行。息子ももれなく感染しました。 1週間ほどかかってやっと登園できたら、また別の風邪をもらってきて……と、夏は病気のループで、休日もなかなかお出かけできませんでした。 家族総倒れになった冬そして、相変わらず月一ペースで熱を出しながらあっという間に冬になり、インフルエンザの流行シーズンに。この年、初めて家族でインフルエンザワクチンを打ちました。そのおかげなのかどうかはわかりませんが、保育園内でインフルエンザが発生しても息子はかからず。 その代わりといってはなんですが、11月にRSウイルス、12月には感染性胃腸炎と大きな病気続きに。感染性胃腸炎は私と夫にもうつり、初めて家族総倒れとなりました。 2年目からはどんどんラクになる!こんな調子でとにかく病気ばかりだった1年目。もちろん預ける子どもの年齢や体質などで個人差はあるので、こんなに病気はしなかったという人もいれば、もっと大変だったという人もいると思います。2歳児クラスになってからは、アデノウイルスや胃腸炎などの流行りの病気はもらってきましたが、熱を出すことは半分くらいに減りました。 そして、3歳児クラスになるとさらに少なくなり、4歳児クラスになってからは病気でのお休みは年2〜3回ほどに。目に見えて病気に強くなっていくのがわかりました。 1年目の「病気の洗礼」は、誰もが必ず通る道です。集団生活をしていれば、どんなに手洗いやうがいを徹底していても、100%防ぐのは難しいのではないかと思います。病気の子どもを見るのは本当に胸が痛くなりますが、ママも体調を万全にしてうつらないように注意してください。2年目以降はどんどん病気をしにくくなっていくので、親子ともに1年目の今が頑張り時です! 著者:高橋じゅんこ一児の男の子を育てるワーキングマザー。病気ネタやママ友ネタなど、ペンネームでリアルな体験談を執筆中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月09日現在アメリカ・ミシガン州で、日本人の夫と1歳7カ月の娘と3人で暮らしています。自然豊かで暖かい季節は外遊びを楽しめますが、1年の半分近くは寒い地域なのです。でもこちらは無料の公共施設や、有料の子ども向け施設など、寒い季節の選択肢が豊富です。そんな私の住む地域の遊び場事情をご紹介します。 娘も大興奮! 公園には自然がたくさん! 私の住む町は大都市から遠く、とにかく自然が豊か。小さな子ども用のプレイグラウンドを備えた公園が多数あり、そこではリス、鹿、ウサギ、アライグマ、スカンクと、本当にたくさんの野生動物がいます。安全上直接触れることはできませんが、子どもたちは大興奮! 動物観察のためだけでも公園に遊びに来る価値があります。 言葉を覚え始めたころの娘も、「リスさん!」とうれしそう走り回っていました。バーベキューグリルやトレイルコースを整備している公園も多くあり、大人も楽しめる場所です。 長い冬の強い味方! 冬の遊び場探し! 10月から4月の半ばにかけては、寒い気候が続く冬が長いミシガン。無料で利用できる施設は、ママたちの強い味方です。私の住む地域には、市内に5カ所の市立図書館があります。いずれかの図書館で毎日1時間ほど5歳以下の子ども対象の歌とお話の会が開催されているので、参加して楽しむことができます。また、小さな子ども専用のおもちゃや遊ぶスペースも図書館内に充実しています。 さらに、大型の教会やショッピングモールなどが無料で室内プレイグラウンドなどを開放しているところもあり、親子で運動不足解消に最高です! 年中楽しめるバラエティー豊かな有料施設無料の公共施設ばかりではなく、有料の子ども向け施設も充実しています。私がよく利用するのは、科学をテーマにした子ども向け博物館です。博物館と言っても館内には子どもが科学をテーマに遊ぶことができる遊具がたくさん設置されており、大人も一緒に楽しめる施設です。 4歳以下の子どもが楽しめるコーナーもあり、お昼ごはんとおやつ持参で1日中過ごせます。その他にも室内トランポリン施設や、遊具と小型の動物園を備えた施設などが多数あります。 ママたちが1番うれしいのは…何よりありがたいのは、アメリカ人が子どもに寛容であることです。小さな子どもが大きな声を出したり、走り回ったりしても、ほとんどの人が気にしないかやさしい目で見てくれます。 私の娘もイヤイヤを起こし、泣きわめきながら床に転がったり、公共の場所で走り出してしまうことなどがありますが、多くの人が笑顔で見てくれるか、「あなたも大変ね!」と声を掛けてくれます。そのおかげで、気軽にいろいろな場所で子どもと過ごすことができるのかもしれません。 冬の気候が厳しいミシガン州ですが、子ども向けの施設が充実しているのであまり悩むことなく、外遊びを楽しむことができます。そして何より、大らかなアメリカ人のおかげで、いろんな場所で気軽に子どもが楽しめる時間をつくることができてうれしいです。著者:岡みちこアメリカ中西部の小さな町で日本人の夫と1歳の娘の3人暮らし。アメリカの子育て事情や、自身の妊娠・出産・子育てに関する体験談について執筆中。
2019年07月08日筆者が出産をするときに心配したことの1つが会陰切開です。出産の際、麻酔なしで陰部を切られるなんて! と想像しただけで痛みを感じ、できれば切らずに出産したいと思っていました。しかし、結局は会陰切開をすることになった私の体験談をお話しします。 会陰切開の覚悟を決める出産が間近になるにつれてわが子との対面が楽しみになる反面、陣痛に対する不安や出産時の会陰切開に対する恐怖が増していきました。できれば会陰切開はしたくないと思っていたところ、「会陰切開をせずに無理に出産して裂けてしまったほうが治りが悪くなる」といった出産に関する記事を目にし、会陰切開に対する覚悟を決めることに。 それでも「切らずに済むならばいいな……」とわずかな希望を抱きながら、気が向いたときお風呂上がりに会陰マッサージをしていました。 切ったときは痛くなかったけれど……陣痛が始まってから約1日が経ち、子宮口が全開大になってもうすぐ出産というタイミングでいきんでいると、「切るよ〜!」という先生の声が聞こえました。やっぱり切られるんだと覚悟したときに聞こえた「パチンッ」という音。 しかし予想とは裏腹に痛みはまったくなく、直後に元気な赤ちゃんが生まれました。やっと生まれたと安心したのも束の間で、会陰切開の傷の縫合となりました。切ったときは痛くなかったのに縫われているときは痛くて「早く縫い終わって!」と心の中で叫んでいました。 出産からしばらく痛かった傷会陰切開の傷は産後数日間腫れていましたが、1週間後の診察では回復は順調だと先生に言われました。それでも痛みがあったため、産後から円座クッションを使って傷口に直接力がかからないようにしていました。 しかし、産後1カ月近く経っても痛みが残ることに……。診察を受けても特に異常はなく、時間の経過とともに痛みはなくなっていきました。 振り返ってみると、初めての出産で慣れない育児やお見舞いに来てくれる人への対応で起きている時間が多く、会陰切開の傷にも負担がかかったのかもしれません。現在第二子妊娠中ですが、次に出産して会陰切開したときには傷が長引かないことを祈るばかりです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2019年07月08日私はあまり父と話すことがありませんでした。そんな父とよく話すようになったきっかけが、孫ができたことでした。今では父と仲良く話すようになり、父は私の子どもたちにとって良いおじいちゃんになりました。そんな、父と私の関係に変化が起きた体験談です。 あまり父と話さなかった過去私の父は割と無口なほうで、結婚する前はあまり話すことがありませんでした。父も私にはあまり自分から話しかけてくることがなかったので、その関係はこれからもずっと私が妊娠したとしても、孫ができてからも同じように続いていくのかな、と思っていました。 しかし、のちに父とよく話すようになってから聞いてみたら、父が私に話しかけてこなかった理由は「私に嫌われたくなかったから」だそうで、口下手な父は娘に自分からうまく話しかけられなかっただけでした。 本当は私と話したかった父初めて妊娠したときも、やはり最初はあまり話すことはありませんでした。エコーの写真を見せてもよく見えないようで、特に会話は続かず……。 しかし、赤ちゃんが生まれて実家に帰ったときに父が「首がすわっていなくて怖い」といいつつも、赤ちゃんを抱っこして幸せそうに微笑んでいました。それを見て以来、実家に帰ってさり気なく父に自分から話しかけるようになったのですが、父に「昔と変わったよね」と言ったところ、本当は以前から話をしたかったのだ、と言われました。 孫とよく遊ぶおじいちゃんに1人目を出産してから早4年。私はあまり父と遊んだ記憶がありませんが、今では実家に孫が遊びに来てくれることがうれしいようで、孫たちとよく遊ぶおじいちゃんになりました。 一緒に遊んだあと、「今日は何をして遊んだ」「また一緒に遊びたいから連れてきてくれ」「いつでも泊まりに来てほしい」「最近は孫がいろいろなことをできるようになった」など、たくさん私に話してくれるようになりました。こんなによく話す父を私は見たことがなかったので驚く反面、微笑ましいなと思っています。 父は孫ができたことによってすっかり良いおじいちゃんになりました。私も子どもたちに父と話す機会を作ってもらい、今ではとても仲良くなれました。実家に帰って父と話すのも楽しみの1つになり、いい関係を築くきっかけを子どもたちが作ってくれたことに本当に感謝しています。著者:永田真結4歳の長女、2歳の長男、0歳の次女を持つ母。自身の妊娠、出産、育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2019年07月06日長女が4歳ごろになると、「妹や弟が欲しい」と言うようになりました。私自身も2人目を産むならそろそろだと思っていたのと、長女をお姉ちゃんにしてあげたいという想いがあり、2人目妊娠を計画しました。 「娘をお姉ちゃんにしてあげたい」長女が年少さんになると、周囲のお友だちに妹や弟ができることが多くなりました。そのママが赤ちゃんを連れて迎えに来ると、かわいくてうらやましかったのでしょう。 「わたしも妹か弟が欲しい」とよく言うようになりました。 保育園に通っていたので、園内には赤ちゃんもいたのですが、そういう子たちに駆け寄り、本当にかわいがる長女の姿を見て、「この子を本当のお姉ちゃんにしてあげたい!」と考えるようになりました。 4学年差で出産その後すんなりと妊娠し、娘は晴れてお姉ちゃんになることに。2人目妊娠がわかると、長女は周りのお友だちや先生に「赤ちゃんができたんだよ!」とすぐに言ってしまうほどの喜びようです。妊娠中は、きょうだいが題材になっている絵本をよく読んであげました。 そして長女が年少さんの冬に次女が生まれ、4学年差に。長女は自分のことはほとんど自分でできるようになっていましたし、赤ちゃん返りなどをすることもなく、赤ちゃんのことをすごくかわいがってくれて4歳差でよかったなと感じました。 こんなことが大変だった!長女がしっかりしてくれていて助かった反面、大変なこともありました。4歳にもなると、休日は外で思い切り遊びたいし、昼寝もなくなっていました。公園でも難しい遊具に挑戦したい年ごろです。 しかし、いざ公園などに行っても下の子の都合で早く切り上げて帰らなくてはならなかったり、下の子につきっきりで見ていてあげられなかったりすることが多くなりました。おんぶができるうちは次女をおんぶしてどうにかなっていましたが、次女が1歳になって歩き始めるとおんぶも難しくなり、ますます次女につきっきりになりました。 年齢差があると、一緒に遊んだり、同レベルで遊べたりするようになるまでには時間がかかるな……と痛感しました。 現在、長女は7歳、次女は3歳になり、だいぶ一緒に遊べるようになりました。その分喧嘩も増えましたが、姉妹がいるからこそ成長することも多い気がします。遊んでいる2人を見ると、何歳差であれやっぱり2人目を産んでよかったと感じます。著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年07月06日長女が生後6カ月を過ぎたころ、RSウイルスにかかりました。わが子を看病するという初めての経験でバタバタと過ごし、しっかりとした予防をすることなく油断していたためか、夫婦そろって長女からウイルスをもらってしまったのです。どのような症状だったのか、そして体調を崩して大変だった体験談をお伝えします。 生後6カ月…初めての風邪!?長女が初めて体調を崩したのは、生後半年が過ぎた夏でした。いつもより明らかに多い鼻水に気付いたのは午後7時ごろ。夏なのに風邪を引かせてしまった! とかかりつけの小児科に電話したところ、「機嫌がよく、おっぱいも嫌がらずに飲んでいるなら、一晩様子を見て発熱などの症状が出てきたら翌朝受診してください」とのこと。 そして夜から朝にかけて鼻水の量は少しずつ増加し、鼻づまりや咳の症状も出始めたので、午前の診療時間に向かうことにしました。 RSウイルス感染症と診断されて診断はRSウイルス感染症でした。「夏なのに風邪を引かせてかわいそうなことをしてしまった」と思っていたのですが、小児科の先生に「もし発症があと1カ月早かったら、入院をすすめています」と言われ、事の重大さと重症化する可能性が少なくないことに気付かされました。 暑さのため外出もあまりしていなかったので、おそらくちょっと前に長女を連れて法事に出席したときに何らかの形で感染したのだろうと思いました。 長女に続いて大人も感染その後長女は重症化には至らず、自宅療養で無事に回復しました。しかし問題は私たち夫婦でした。RSウイルスのことをネットでいろいろ調べたところ、「大人はほとんど重症化しない」「大人は軽症で済む」という情報を見たせいか、看病するときも予防に対してはすっかり油断してしまったのです。 娘の体で増殖したウイルスはマスク程度では防げず、私も夫も2週間ほど長引く鼻風邪にかかってしまいました。もっとアルコール消毒などを積極的に取り入れていれば、大人への感染は防げたかもしれないなぁと反省しました。 今回は家族みんな軽い症状で済みましたが、感染症を防ぐことの重要性を改めて感じたできごとでした。また、RSウイルスは秋から冬にかけて流行すると言われていましたが、小児科の先生曰く近年は夏にも流行ることがあるそうです。当時0歳だった長女は今3歳で、幼稚園に通い始めました。集団生活が始まったので感染症対策により一層気を配ろうと思います。著者:柴崎諒子2016年2月長女、2019年2月次女を出産。元雑誌編集部勤務で、企画・編集・営業・ライターを経験。現在は仕事をセーブしつつ子育て優先。妊娠・出産・子育てに関する記事を中心に執筆している。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月06日私は3歳と1歳の子どもを育てる2児のパパです。子どもには大きく成長してもらいたいと考えているのですが、背伸びをした体験をさせ、少し無理をさせてしまったなと感じたことがあります。そんな、子どもに「ごめんね」と申し訳なく思った3つのできごとについて紹介します。 うまく滑れず頭を打つ1つ目は公園の滑り台でのことです。1歳の子どもと公園に行き、滑り台で遊ぶことになりました。その滑り台の対象年齢は3歳以上との表記。階段から落ちないように見守っていました。 しかし、いざ滑べるときに勝手に「大丈夫だろう!」と思って、子どもひとりで滑らせてしまったのですが、うまく滑れず頭を打ってしまいました。大事には至りませんでしたが、子どもはびっくりした表情で滑り台に恐怖を感じてしまい、公園に行っても数日間は滑り台に近づきませんでした。 「お兄ちゃん偉いでしょ?」3歳の子どもには、ついつい「お兄ちゃんなんだから」と言ってしまいます。特に1歳の下の子どもといるとき、食事中に行儀が悪かったり、テレビを見すぎたりしていると、つい言ってしまいます。 お兄ちゃん自ら「お兄ちゃん偉いでしょ?」と言ってきて、無理をしているんだなと感じました。親はお手本になってもらいたいと思ってその言葉を使うのですが、お兄ちゃんとは言えまだまだ子どもである3歳児にとっては負担なのかもしれないと思いました。 帝王切開術の立ち会い私自身、この場面が一番子どもに申し訳ないと感じました。お兄ちゃんになる瞬間を感じてほしい、少しでも赤ちゃん返りをしないでほしい、兄弟仲良くしてほしいという思いから立ち会い出産を決めていました。 病院の配慮もあり、ママがきついところは見せないようにしてくれていましたが、やはり子どもにとって特殊な環境はかなりのストレスだったようで、ずっと私のそばを離れませんでした。 その日の夜、普段は真っ暗にしないと寝ないのに、電気がついた明るい部屋で熟睡している子どもの姿を見て心底「ごめん」と思いました。 親としては子どものためにと思っていましたが、少し無理をさせた体験となっていました。改めて子どもの目線で考えないといけないなと反省。今後は見守ったり、フォローしたりしながら、関わっていけたらと思います。著者:西川しょた普段は看護師として勤務する3歳と1歳、2男の父。育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2019年07月05日Instagramでフォロワー5万人を超える「ニシカタ」さんの出産エピソードをご紹介! 妊娠39週、妊婦健診当日におしるし、陣痛が開始しそのまま入院! いよいよ出産です! 出口で頭がひっかかってたあの感覚は今でも忘れられません(笑)!こんなに皮膚が伸びるわけない! 絶対切れてる!早く次の陣痛きてくれーーー!!!と願ってました。 あの“ドゥルン”は、今思えば達成感のカタマリでした。終わってみれば、入院から4時間あまりのスピード安産でした。しかし当の本人からしたら、すんごく長く感じるもので、いつ終わるいつ終わる!?ばかり考えておりました(笑)。 ご出産、おめでとうございますー! そして本当に、お疲れさまでした!このつづきは、ニシカタさんのInstagramでぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る ニシカタさん(@c_nishikata)がシェアした投稿 - 2018年10月月17日午前3時18分PDT著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、フォロワー5万人超。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。Instagram:@c_nishikata
2019年07月04日一度目の結婚では、長男が生後9カ月のときに夫と死別。当時、私は26歳で夫は38歳でした。突然の事故死に悲嘆に暮れる毎日でしたが、小さな息子の存在が私を奮い立たせ支えてくれました。そして現在、シングルマザーを経て再婚をし、幸いにも娘に恵まれ楽しい毎日を送ることができています。そこで今回は、夫を亡くしてから再婚までの道のりについてお話しさせていただきます。 子どもが生後9カ月で訪れた、突然の別れ いつも通りに出社した夫が、ある日二度と帰ってくることはありませんでした。交通事故でした。私は悲しみに打ちひしがれ、「これからどうしたら……」と呆然と立ち尽くすことしかできませんでした。 そんななか、当時生後9カ月の息子はニコニコと私に笑いかけ、おなかが空けば泣き、眠たければぐずり、日常を思い出させてくれる大事な存在でした。 「私がしっかりしなきゃ!」と、それからは気持ちを切り替え、息子に寂しい思いや悲しい思いをさせないようにとシングルマザーで頑張っていく決意をしたのでした。 ささいなことにありがたみを感じる息子のお風呂は、夫がいつも入れてくれていました。私ひとりでは慣れるまでが大変で、そのたびに涙が出てしまいました。 もっと「ありがとう」って言えばよかった……。ちょっと物を取ってもらう、雑だけど掃除をしてくれる、ささいなことが本当にありがたく感じました。 しばらくして就職をしたのですが、天国の夫が見守ってくれていたのでしょう、私の状況に理解のある会社に勤めることができ、息子もすんなりと保育園に慣れてくれました。息子がお誕生日を迎えるごとに「こんなに大きくなったよ」と報告するのが誇らしかったです。 「パパが欲しい」と書かれたお手紙息子が5歳のクリスマス。サンタさんへのお手紙を一生懸命書いていました。寝静まったあと、そっと見てみると「パパがほしいです」と覚えたてのつたない字で書いてありました。 息子は、パパがいるお友だちをうらやましく思っていたのです。シングルマザーでやっていこうと決めていた私は、息子に申し訳ない気持ちになってしまいました……。 しかし、なんとその後、同じ職場で現在の夫との出会いがあったのです。子どもがいるので、中途半端な気持ちでお付き合いすることはできないと伝えて、「結婚を前提に」と慎重にお付き合いを始めたのでした。 少しずつ家族に 自分で「パパが欲しい」と思っていたとはいえ、やはり子ども心に複雑な気持ちもあったようです。普段は聞き分けの良い息子も、彼を前にすると急に不機嫌になったり、わがままを言ってみたり、悩まされることが多々ありました。私も後ろめたさを感じてしまったり……。 「いきなり家族にはなれないよ。亡くなったご主人にも勝てないよ」という言葉とともに、私たちを見守ってくれた現夫。その温かくやさしい想いがうれしくて、次第に私も「彼と家族になりたい」という気持ちが強くなっていったのでした。 息子の姓が変わることに抵抗があったので、息子が小学校へ上がるタイミングで入籍しました。ほどなくして娘を授かりお兄さんとなった息子。現在、小学3年生になっていっそうお兄さんらしくなった息子は、「お父さん! サッカーしよう!」といつの間にか「お父さん」と呼び、最近では何やら私に内緒の男同士の話もあるようです。何の変哲もない日常が愛おしく感じます。著者:倉田りこ一男一女の母。社会福祉士として児童養護施設での勤務経験がある。一度目の結婚で夫と死別、現在は再婚しステップファミリー。自身の体験を中心に執筆中。
2019年07月04日みなさんは「孫フィーバー」という言葉を聞いたことがありますか? 初孫が生まれてテンションが上がりまくっている祖父母の様子を表す言葉だそうです。それはとても微笑ましいことのように思いますが、時にはママが迷惑を被ることも。私は実の父親の孫フィーバーによって、さんざんな目に遭いました。そんな私の忘れられない体験談をご紹介します。 子どもを産んだその日に衝撃発言私は幼いころから両親がおらず、祖父母に育てられてきました。しかし、小学生のころに突然父親が家に帰ってきてびっくり。その後も一緒に住むことはありませんでしたが、付かず離れずの付き合いをしていました。 しかし、この父親が私の長男出産直後にいろいろとやってくれました。夫からの連絡を受けて産後数時間で病室にやってきたかと思いきや、開口一番「この病院で〇〇が中絶したんだよ」などと話し始めたのです。お祝いムードをぶち壊すその発言には、顔を引きつらせることしかできませんでした。 授乳指導で忙しいのに毎日病室にそれまでほとんど連絡を取り合っていなかったのに、父は毎日病室に来るようになりました。授乳指導などで忙しいのに、病室にいないとガンガン電話をかけてきたり、赤ちゃんの口にキスしようとしたり……。 孫の誕生がうれしいのかもしれませんが、本当に迷惑以外の何ものでもありません。「もうサポートはいらないから」とうまく断り、病院に来ても通さないようにお願いしました。 退院後すぐに祖先の墓へのあいさつを強要しかし、父はあの手この手で接点を持とうとしました。なんと父は私が電話に出ないためか、夫に電話を入れて「退院するとき、その足で先祖の墓参りに行け」と命じていたのです。 夏で虫が飛び交う墓場に、生まれたばかりの赤ちゃんを連れて行くなんて、できるわけがありません。私はすぐに祖父に苦情を入れ、父を叱ってもらいました。このときばかりは本当に頭に血が上っていくのを感じました。 結局その後も父の迷惑行為は止まらず、なんだかんだと理由をつけて父と会うことはなくなりました。家族にほとんど興味がなかった父が、孫フィーバーを起こしたことに驚いた体験でした。著者:鏡 環2歳の息子の母。現在第二子妊娠中。元高校教員。うつ病と闘いながら夫と二人三脚で育児に励む。
2019年07月03日わが家の2歳になる男児は絵本が大好きで、お話がとってもじょうずだとよく褒められます。おそらくこんな風に育ってくれたのは、出産祝いにたくさんの絵本をプレゼントしてくれた友人たちのおかげです。今回は「誰かの出産祝いには、同じように絵本をプレゼントしよう」と思った私の体験談をご紹介します。 友人たちがくれたたくさんの絵本大学時代は国語教育に関する学部に所属していたので、私は本が大好きな友人に恵まれていました。そのためか、友人からの出産祝いのほとんどが絵本でした。とてもうれしかったのですが、「絵本はまだまだ先かな」と思っていたので友人たちのチョイスにちょっとびっくり。 なかには長いうえに内容が難しい絵本もあり、友人たちはまだ結婚も出産もしていなかったので、正直なところ赤ちゃんのことよくわかっていないのだなと失礼なことを思っていました。 最初は虚しかった読み聞かせも…赤ちゃんにとって絵本の読み聞かせは良いものだと聞いていたので、生後1週間ほどから毎日絵本を読み聞かせすることにしました。しかし、最初のうちは赤ちゃんからの反応は薄く、虚しい気持ちに……。 でも、あるときから絵本の読み聞かせが楽しくなりました。機関車の絵本を読んでいるときに、赤ちゃんを膝の上に乗せて「ガタンゴトン」のリズムに合わせて膝を揺らしたら、赤ちゃんが今までにないくらい楽しそうに笑ったのです。 それから赤ちゃんは毎日絵本を求めるようになり、さらにたくさんの絵本を読むようになりました。 絵本のおかげでお話が大好きに今、わが子は2歳なのですが、相変わらず絵本が大好きです。友人からもらった長くて難しい内容の絵本も飽きずに最後まで聞いています。そして、そのような難しい絵本も読んでいるからか、わが子はとてもお話がじょうず。たとえば、「家にみかんがないから、スーパーに買いに行こう」という長い文もスラスラと話せます。 友人たちが絵本をプレゼントしてくれなかったら、きっとこんなにじょうずに話せるようになっていなかったでしょう。本当に絵本をくれた友人たちには一生頭が上がりません。 出産祝いといえばタオルやお洋服もうれしいですが、赤ちゃんの成長を考えると、成長したころに喜ぶ絵本も良いなと今では思っています。私も誰かの出産祝いには絵本をたくさん贈ってあげたいと感じられた体験でした。著者:鏡 環2歳の息子の母。現在第二子妊娠中。元高校教員。うつ病と闘いながら夫と二人三脚で育児に励む。
2019年07月03日Instagramでフォロワー5万人を超える「ニシカタ」さんの出産エピソードをご紹介! 妊娠39週、妊婦健診当日におしるし、陣痛が開始しそのまま入院! いよいよ陣痛が2~3分おきになり…?! 助産師さんの笑顔のご報告は、いつも残酷に響きわたるのでした……。 助産師さんの報告で挫けそうになったかた、他にもいらっしゃるんじゃないでしょうか(笑)? このほかにも、ニシカタさんのInstagramでは育児エピソードが更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る ニシカタさん(@c_nishikata)がシェアした投稿 - 2018年 6月月12日午後2時22分PDT著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、フォロワー5万人超。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。Instagram:@c_nishikata
2019年07月02日陣痛や出産に対して “痛くて怖い” というイメージがある人もいるのではないでしょうか。筆者も初めての出産予定日が近くにつれてドキドキしたのを覚えています。今回は、私の初めての陣痛体験を紹介します。 生まれる気配がない……「初産は出産予定日を過ぎることが多い」と周りから言われていましたが、筆者の初産も同様でした。予定日になっても子宮口が硬く、1cmほどしか開いておらず……。 ウォーキングをしたりスクワットをしたりしても子宮口は柔らかくならず、診察の際に先生にグリグリされても一向に開く気配がありません。このままでは正期産の時期を過ぎてしまうかもしれないということで、妊娠40週5日に入院し、陣痛促進剤を使って出産することになりました。 出産予定日4日後に訪れた定期的な痛みそして出産予定日から3日後、ようやくおなかが張る回数も頻繁になりましたが、間隔が開くこともありました。そして出産予定日を4日過ぎた日の朝。何となくおなかが張る間隔が定期的になり始めました。 その痛みが陣痛なのかどうかよくわからなかったのですが、まずは病院に電話をしました。助産師さんと話をしたところ、まだすぐに出産にはならないだろうとのことでしたが、もともと翌日に入院予定だったこと、また夜は夫が仕事で不在になることからそのまま入院することになりました。 1日かけてゆっくり開いた子宮口入院してからお産が進むように階段を上り下りしたせいか、夕方の診察時には子宮口が3cmくらいまで開いていました。このまま順調に開けば陣痛促進剤を使わずに出産できるかもしれないということで、出産に備えて夕食をしっかり食べて就寝することに。 夜間も痛みの波を感じつつ朝を迎えてトイレに行くと、今まで感じたことのない激しい痛みと衝撃をおなかに感じ、しばらく動けなくなったのです。その後の診察で子宮口が8cmまで開いていたため、陣痛促進剤を使うことなく約3時間後に出産となりました。 もう少し陣痛から出産までがスムーズにいくと思っていましたが、子宮口が開くまでに時間がかかり、想像していたよりも長い陣痛となりました。それでも元気に赤ちゃんが生まれてきてくれてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2019年07月02日妊娠すると体調の変化に苦しむ人もいると思います。筆者は妊娠初期・中期・後期を通してさまざまなトラブルがありました。そこで今回は、私が実際に経験した妊娠中の主なトラブルについて紹介します。 妊娠初期に起きたトラブル不妊治療の末に妊娠した喜びを感じたのも束の間、持病であった偏頭痛の激しい発作が起きたり肌がかゆくなったりとさまざまなトラブルが続きました。 なかでもつらかったのがつわりです。仕事をしている途中で気分が悪くなって吐いてしまうこともありました。幸い不妊治療のときから職場の上司や同僚には状況を伝えていたため、妊娠初期の体調不良についてもその都度報告すれば休みや休憩をもらえたので、なんとか乗り切ることができました。 妊娠中期に起きたトラブル妊娠中期に入るとつわりは落ち着いたものの、今度は肌荒れがひどくなり、SPF値の高い日焼け止めを塗って日光を浴びるとかゆくなる体質に……。 妊娠中期は紫外線が強くなる時期だったのですが、市販されている日焼け止めは使わないようにし、赤ちゃんにも使えるものを塗っていました。また、腟カンジダ症を繰り返した時期でもあったので、症状を感じたらすぐに産婦人科の先生に伝えて早めに腟錠や軟膏で治療をしてもらっていました。 妊娠後期に起きたトラブル妊娠後期はおなかがかなり大きくなっていたため、動悸や息切れがひどく、おなかも張りやすかったです。当時は仕事をしていたので休み休み動いていたものの、妊娠8カ月の終わりころには子宮頸管長が2.2cmまで短くなってしまい、張り止めを処方されて服用していました。張り止めを飲んでいたこともあり息苦しくなることがあったので、仕事中の昼休みにはできるだけ横になって休むようにしておなかが張らないように気をつけていました。 振り返ってみると妊娠初期・中期・後期でいろいろなトラブルがありましたが、無事に元気な赤ちゃんが生まれてくれて今では懐かしい思い出です。働いていたときも、不調を感じたら周りに助けを求めて休むことができたので乗り越えることができたのだと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2019年07月02日初めての育児は大変で、特に新生児期からの寝かしつけには苦労しました。妊娠中に張り切ってベビーベッドを用意していたのですが、娘はベッドでは全然眠ってくれませんでした……! 産後すぐは自分の体力も回復していない時期。今回は、とにかく睡眠を優先した私の寝かしつけの体験談です。 私が選んだ寝かしつけ方法入院中に助産師さんから「新生児はどんどん寝なくなるよ」と聞いていたのですが、本当にその通りでした。ベビーベッドに寝かせると泣き出す娘に疲れ果てた私。ある晩に体力の限界を感じ、娘を抱きかかえて自分のベッドに座り、授乳しながら一瞬落ちてしまいました。 その後「しまった!」と思って娘を見ると、スヤスヤとよく眠っている……。何だか拍子抜けしましたが、その晩から同じベッドで眠るようにして、添い乳にも挑戦しました。 添い乳のいいところ私の場合は、添い乳をすることで寝かしつけがラクになりました。まず、ベッドへ横になれるので自分の体が楽です。たとえ娘がすぐに眠れなくても、一緒に横になることでグズグズする回数が減りました。 夜間授乳を続けたおかげで母乳がよく出るようになり、1カ月健診ではミルクを足す必要はないと言ってもらえました。ミルクを用意する手間がなくなると日中の育児も少し余裕ができ、何より一緒に眠ることで、娘を一層「かわいい!」と思えるようになりました。 添い乳にはデメリットも添い乳で眠ることが常になると、寝かしつけは断乳するその日までママが担当。今思うと、”パパが寝かしつけをする日”を決めておいてもよかったのかなと思います。 さらに母乳への依存が高くなるため、娘の断乳は1歳~1歳6カ月ごろ(離乳食完了期)を過ぎた1歳11カ月で、周りのママ友たちと比べると少し遅めでした。それから、授乳後に胸をしまい忘れて寝てしまうことがあり、朝起きるとパジャマが母乳で湿って気持ち悪い……なんて失敗もよくありました。 子どもが2歳を過ぎるまでは特に、毎晩早く眠れるかどうかは私にとって重要でした。今、お子さんの寝かしつけに苦労されている方も多いと思います。大変ですが、寝かしつけをしてあげられるのも子どもが小さいときだけです。少しでもママとお子さんに合う方法が見つかるように応援しています。著者:安部 歩4歳と1歳の姉弟の母。結婚と同時に地方へ引っ越しし、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。 ※赤ちゃんに窒息の恐れがあるため、添い乳中に眠ってしまわないようご注意ください。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月01日わが家の長女は生まれたころから昼夜逆転気味で、何かを吸っていないと落ち着かず泣く……ということが度々ありました。そのため、おしゃぶりを使うことにしたのです。そのおしゃぶりを卒業する時期がやってきて……。 とにかく何かを吸っていたい娘長女は生まれてすぐのころから、昼間はよく寝ているのに夜になると何をしても寝てくれず、しかもおっぱいや哺乳瓶の乳首を口から離すと泣く……ということが多くありました。そのため、「まだおなかがすいているのかな?」と思い、ミルクを足して足して結局吐かれてしまったり、私のおっぱいの出が悪いからかな……? と自分を責めたりと、夜に寝られない日々も続いて精神的に疲弊していきました。 しかし娘は、空の哺乳瓶でも吸っていれば落ち着いており、そのまますーっと寝てくれることに気付きました。おなかが空いていてミルクを飲みたいわけではなく、口寂しくて何かを吸っていたいようでした。 おしゃぶりが救世主にそんな娘におしゃぶりを購入して吸わせてみると、これが救世主に! おなかいっぱい、おむつもきれいな状態で抱っこしていても泣きやまないときは、おしゃぶりを口に入れてあげるとすぐに泣きやんで、吸いながら寝付いてくれるようになりました。 寝かしつけがラクになり、自分の体への負担も減り、電車移動時などでグズグズしたときにもとても役立ちました。私にとっても娘にとっても、お守りみたいな存在でした。 1歳6カ月のある日…歯が生えそろうと、娘はおしゃぶりのゴム部分を噛みちぎるようになってしまいました。おしゃぶりをどうやってやめさせようかと考えていた時期でもあったので、1歳6カ月の娘におしゃぶりを見せて、「ねえ、このおしゃぶりもういらなくない? もう吸わなくても大丈夫だよ、きっと」と言ってみました。 すると娘は頷き、自らそのおしゃぶりをごみ箱にポイッと投げ入れたのです。その予想外の反応には私自身も驚き、「え、本当に大丈夫?!」と言ってしまったくらいでしたが、娘はそれで本当におしゃぶりをやめました。 長いこと母子のお守りとなってくれていたおしゃぶりでしたが、最後は意外とあっけないものでした。娘も噛みちぎってしまったおしゃぶりをどのタイミングでやめようか、子どもながらに考えていたのかもしれません。たとえ小さな子どもでも、きちんと話したり相談したりすることが大事なんだな、と思った瞬間でした。 著者:ライター 岩崎未来三児(女・女・男)の母。出版社・編集プロダクションの勤務を経たのち、第一子出産を機にフリーランスに。現在は会社役員という肩書きを持ちながらも、ライター・編集者としても活動中。
2019年07月01日私は、結婚2年目で妊活を始めました。2度の流産と不育症の可能性を考えながらの3度目の妊娠・出産までの経過をお話しします。 妊娠!けれど流産…結婚して2年目。そろそろ子どもが欲しいと思い、妊活を始めました。夫は楽観的で、すぐに授かると思っていた赤ちゃん。想像通り妊活を始めて3カ月後には妊娠することができました。妊娠検査薬を見て2人でとても喜び、すぐに産婦人科へ。妊娠5週目で赤ちゃんもしっかりと確認でき、その1週間後には心拍も確認できました。大喜びで両親に妊娠を伝えました。 しかし、その2週間後の妊娠8週目……小さな心拍の光は消えてしまっていました。エコーを見た瞬間にわかり、頭が真っ白に。医師から流産していること。赤ちゃんが自分から出て来なければ手術をしなければならないこと。初期の流産は赤ちゃん側の異常が多く育つことができない子だったんだよ、と伝えられました。 医師の前では気丈に振る舞い、車に戻ってから大泣きしました。 どうして自分が……とネットで検索する日々。ただ、初期の流産は割と多く……友人や職場の方も流産経験があると聞いていたことがあり、出て来なかった赤ちゃんを出す手術をしてしばらくすると落ち着くことができました。今回はただ運が悪かっただけ。妊娠できることがわかってよかったじゃない! そう思い前向きに妊活をしようと決めました。 2度目の流産…不育症の可能性手術をすると妊活を2カ月はお休みするように言われました。その間に夫婦2人のうちに! と旅行に行ったり、デートをしたりして気分転換でリフレッシュをしました。 2カ月が経過し、再び妊活を再開。 今度はそこから半年後に再び妊娠することができました。産婦人科に行ったのは妊娠6週目。再び小さな心拍が見えました。 ただ……とてもゆっくりで弱いチカチカ。医師も「心拍は見えたけど、できたばっかりなのかどうか……」という曖昧な感じで悪い予感がしました。 1週間後、悪い予感が当たってしまい再び小さな光は消えてしまっていました。2度目の流産。なぜ!? と思うと同時に悪い予感がしていたため、調べていたことがありました。 「不育症」。 妊娠はするものの流産や死産を繰り返すとその可能性があると言われています。 ただ理由がハッキリしない不育症も多いそうで、その場合は何度もトライするしかないそうです。医師からも不育症の可能性の話をされ、保険がきく範囲での血液検査をすることになりました。2度目の手術を受け、再びの休息期間に血液検査を受けました。 3度目の妊娠、そして出産!血液検査の結果、特に問題視されるようなものは出ませんでした。原因不明。 私としては何か原因があったほうが治療法がハッキリしていいなと思っていたのでガッカリ。 でも同時に私が原因で赤ちゃんの心臓が止まってしまった訳ではないのだと安堵もしました。 ただ、強いていうのであれば血液を固める抗リン脂質が基準内ではあるけど高めの数値だということ。そのため、血流が固まりやすく、胎盤の血流が悪くなったかもしれないのでバイアスピリンという薬を妊娠前から内服し、妊娠後も胎盤がしっかりできる時期まで飲み続けるという方法をすすめられ、試してみることになりました。 運良く薬を初めて一回で妊娠。 そしてバイアスピリンを妊娠33週まで毎日飲みつづけた結果、赤ちゃんも順調に育ってくれて妊娠38週で出産することができました。 諦めなくてよかった!私は運良くバイアスピリンが効いたのか、不運が2回重なっただけだったのか、3度目は無事に出産することができました。3度目の妊娠中は常に不安との戦いでした。初期はいつ心臓が止まってしまうか、中期は胎動がハッキリするまで、胎動がわかるとあった胎動がしばらくないと不安だったりしました。後期はおなかの張りが出てしまい、さらに張り止めの薬のお世話になるという、けっして順調とは言える妊娠生活ではありませんでした。 それでも無事に出産することができ、大切な息子ができました。 2度目の流産の後、実は妊活をお休みしようかと思いましたが、たまたま会った不妊治療を専門にしている女医さんに言われた言葉があります。「流産しても妊娠できたというだけで、不妊からするとすでに1ステップ進んでいるんですよ。諦めなければきっと出産できますよ!! 年齢が進むと卵子も老化するからつらいかもしれないけれどチャレンジしてください!」と。 この言葉を聞いて頑張れるところまでは頑張ろうと思いました。 もちろんつらかったら少しの時間リフレッシュも大事だと思いますが、私は期間を空けずにチャレンジし続けてよかったです。 著者:渡 美羽生後3カ月になる一児の母。 障害者施設でパートで働いており、現在は育休中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー(通常分娩)
2019年06月30日私の娘には発達障害があり、経過観察のため、5歳のときに脳のMRI検査を受けました。泊まりがけで検査を受けることになったときのエピソードをお伝えしたいと思います。 5歳時のMRI検査。一度目は失敗娘は生まれてすぐに救急搬送され、NICUに入院しました。そして退院前にMRIを撮ったのですが、経過観察のため、5歳のときに再度MRIを撮ることになりました。 疲れて眠くなる夕方に病院へ行き、診察の後に眠り薬を飲んでしばらく抱っこするとうとうとしてきたようでした。娘が寝たので、MRI室へと向かいました。ところがベッドに寝かせた時点でお目覚め。見慣れない大きな機械もあり、音も大きく、泣いてしまい、その日は検査失敗でした。 入院して再検査そこで、夏休みを利用して泊まりがけで検査をおこなうことになりました。主治医の先生によると、再び眠り薬でトライしてみて、難しければ点滴による投薬で眠らせるとのこと。身長と体重から割り出した、安全レベルの量まで薬を使用して検査し、その後呼吸面で障害が出ないか経過観察するので、念のため1泊入院するということでした。 娘にはあらかじめ話して聞かせたところ、病院に私と2人きりで泊まるということで楽しみな様子でした。 翌朝までぐっすり、ホッとしたそして当日、眠り薬ではやはり眠らず、点滴を受けました。すると30分くらいでぐっすり。娘はMRI室へと入っていきました。 しかし、MRIの機械音は激しいものらしく、始まる前に目覚めてしまったそうです。私は入室できなかったので、あとで聞いたのですが、上限量まで投薬してなんとか検査をおこなうことができたとのことでした。娘は検査後も眠り続け、翌朝までぐっすり。目覚めもよくホッとしました。 投薬量は少なく済めば安心ですが、先生がきちんと量の計算をしてくれます。また、検査後の様子もきちんと診てくださるので安心です。経験豊富な先生にお任せして、方法を選ぶことも大切だと感じた経験でした。著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年06月28日Instagramでフォロワー5万人を超える「ニシカタ」さんの出産エピソードをご紹介! 妊娠39週、妊婦健診当日におしるし、陣痛が開始しそのまま入院! いよいよ陣痛が2~3分おきになり…?! お茶とかウイダー、ありがたいけどそんなに毎回いらねーわ!と思ってました(笑)ゆっくり息整えたいんだよぉぉーって。でも、ああやって周りが無理やり飲ませないと飲むタイミングわからなくて飲まなくなっちゃうのかも。周りのフォローには本当、感謝感謝です。 このほかにも、ニシカタさんのInstagramでは育児エピソードが更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る ニシカタさん(@c_nishikata)がシェアした投稿 - 2018年 6月月12日午後2時22分PDT
2019年06月27日離乳食が始まるころから、うんちが出にくくなるお子さんは多いかもしれません。私の娘も生後5カ月ごろからうんちの回数が減りました。私が後悔している、娘の便秘についての体験談をご紹介します。 うんちが出ない……生後5カ月で離乳食を始めてから、娘のうんちが固くなり、3日に1回くらいしかうんちが出なくなりました。 最初はそれほど心配していなかったのですが、ほんの少ししか出なかったり、大きなうんちが出るときは、きばって泣いたりすることも増えました。 離乳食の水分を多めにしたり、便秘に効くという食材を取り入れたり、綿棒浣腸やマッサージをしたりしましたが、なかなか効果が出ず、ようやく小児科を受診することにしました。 小児科を受診することに小児科を受診したのは生後7カ月のとき。診察後にイチジク浣腸をしてもらいましたが、1回ではうんちが出ませんでした。 2回目の浣腸後、医師と看護師に補助してもらって、ようやく硬くて大きなうんちが驚くほど大量に出てきました。同時に出血も。 このとき、ようやく私は娘の便秘が相当な重症であることに気付きました。 医師には「排便時の痛みが続くと、痛いのが嫌でうんちを我慢する子が多いです。そうすると、薬がないと排便できない状態になります。低月齢のうちに改善しましょう」と言われました。 もっと早く受診すればよかった小児科受診後は、整腸剤、うんちをやわらかくする薬、どうしても出ないときの座薬を併用しながら、様子を見ることになりました。 薬を飲み始めてから1カ月くらいは、座薬を使うことも多かったです。 2歳5カ月になった今は、うんちをやわらかくする薬だけを使っています。 排便は2日に1回はありますし、排便時に痛そうにすることもないものの、月1回の通院はまだ続けています。 気づけばもう2年近くも便秘で通院していることになります。 「うんちが硬いけど、排便時に泣いてるけど、出てるから大丈夫」なんて思わずに、すぐ小児科を受診すれば、あんなにひどくなる前になんとかできたのに……と、娘に申し訳ない思いでいっぱいです。 「便秘くらいで病院に行くなんて」と軽く考えていたことを後悔しています。 よく言われるように、うんちやおしっこは健康のバロメーター。子どものうんちやおしっこには気を配りたいと思っています。 著者:矢野あい子2歳の女の子と0歳の男の子の母。子どもは2人とも体外受精で授かり、帝王切開で出産。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年06月27日雨の降る日が多く、湿度も高い6月。赤ちゃんがいると洗濯物が増えがちなのに、なかなか乾かないので困ります。赤ちゃんと迎えた初めての梅雨、なんと使い始めたばかりの布製母乳パッドにカビを生やしてしまいました。そのときのショッキングな体験をお伝えします。 布製母乳パッドを使ってみることに出産準備をするまで、その存在も知らなかった母乳パッド。産院でもらったメーカーと同じ使い捨て母乳パッドを、産後に何度か購入して使っていました。しかし、出産から3カ月ほど経ったころから、赤ちゃんが飲む量と生産される母乳量がうまく釣り合ってきたのか、母乳パッドが濡れることが少なくなってきたのです。 それまで「布製の母乳パッドは吸収量が少ない」と聞いたので使っていなかったのですが、この状況なら使い捨てより布製のほうが経済的かもしれないと思い、使い始めることにしました。 快適に使っていたはずが、まさかのカビ!母乳パッドは「購入したけれど使わなかった」という人も少なくないようで、あるフリマアプリで検索してみると使い捨てタイプも布製もたくさん未開封状態で出品されていました。そのなかから、取り外し可能な防水カバーがついている布製母乳パッドを安価で購入することができました。 使ってみると、肌あたりが柔らかいのでかぶれることもなく、とても快適。厚みがあるためか多少の射乳反射があっても漏れません。しばらくは何の問題もなく過ごしていたのですが、ある日パッドをカバーにセットしようとすると、パッドの内側に細かい黒い点が見えました。なんとカビが生えてしまったのです! 染み込んだ母乳をしっかり落として清潔にすぐさまネットで情報を調べ、カビが生えたパッドは即処分。思うに、自分自身に「パッドが濡れた」という実感がなくてもパッドにわずかに付着した母乳成分を栄養にしてカビが生えてしまったようです。それからはせっけんで洗う前に、しっかり水の中で揉み洗いして、母乳がパッドに残らないようにすることを心がけました。 また、あえて布製母乳パッドは使わず、付属の防水カバーの中に畳んだガーゼを入れ、湿り気を帯びたと思ったらすぐに洗う、という方法も取り入れました。清潔さを保てたおかげか、長女が2歳で卒乳するまでの間、布製母乳パッドやガーゼなどに再びカビが発生することはありませんでした。 今思えば、赤ちゃんの哺乳瓶消毒に比べると、母乳パッドを清潔に保つ感覚は結構ルーズでした。神経質になりすぎるのはよくないかもしれませんが、赤ちゃんが健やかに過ごせるように、特に梅雨時は意識していたいと思います。著者:柴崎諒子2016年2月長女、2019年2月次女を出産。元雑誌編集部勤務で、企画・編集・営業・ライターを経験。現在は仕事をセーブしつつ子育て優先。妊娠・出産・子育てに関する記事を中心に執筆している。
2019年06月25日当時、生後8カ月だったわが子と一緒に、アカチャンホンポで開催されている「ハイハイレース」に参加しました。この時期しか見られない愛らしい姿! とても貴重な時間を過ごせました。今回はイベント内容や参加賞の内容など、気になる内容をレポートしていきます。 アカチャンホンポの「ハイハイレース」「ハイハイレース」はアカチャンホンポのポイントカード会員限定イベントです。公式HPから、開催店舗やエリア、日時が検索できます。ハイハイができる未歩行の赤ちゃんが出場対象で、わが子はハイハイがじょうずになってきた生後8カ月ごろに参加しました。 イベント当日に店舗で受け付けをすませたあと、参加者で集合写真を撮影しました。ルールや注意事項を聞いたあと、いよいよレース開始です。 赤ちゃんの個性いろいろ!およそ3mのコースをハイハイします。「よーい、ドン!」の合図があるとママやパパ、おばあちゃんたちの応援がものすごい! 泣かずにハイハイする赤ちゃんもいれば、泣いてハイハイしなかったわが子のような赤ちゃんもいて、赤ちゃんの個性がみられました。 このとき参加賞は、おしりふきとウェットティッシュ、お菓子でしたが、店舗によって内容が異なるようです。1~3位に入賞した赤ちゃんは賞状とプレゼントをもらっていました。 ハイハイレースの予約必勝法!?「ハイハイレース」は、予約開始から数分で定員に達してしまう店舗もあるほど大人気のイベント。そのため、参加したい店舗や開催日時、予約受付時間の事前チェックは必須です。 そして少しでも早く予約フォームの入力をすませるため、スマホ機能の予測変換を活用するのも方法。たとえば「あど」と入力するとメールアドレスが予測変換されるなど、入力の手間を省くと申し込みボタンが早く押せます。 わが子の場合は泣いてしまい、ハイハイをしませんでした……。ただ、公式HPにも記載されているとおり、順位やタイムを重視するのではなく、子どもの成長を感じたり、親子のコミュニケーションを図ったりする良い機会になったと思います。著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年06月24日