NHKのBSP4Kで28日(後9:00)、BSで5月2日深夜(=3日前0:25~)に韓国時代劇『青春ウォルダム 呪われた王宮』第4話が放送される。さらに、BSでは、5月3日深夜(=4日前0:10~2:10)に第1話・第2話、5月4日深夜(=5日前0:40~2:40)に第3話・第4話の再放送も実施する。同ドラマは、呪われた世子(セジャ=王位継承者)のイ・ファンと、家族殺害犯にされた娘ミン・ジェイ[チェイ]が陰謀と謎を解き明かしていく青春ミステリー。タイトルの「ウォルダム」は「壁を越える」の意。イ・ファン役をパク・ヒョンシク(『ドクタースランプ』『花郎(ファラン) 希望の勇者たち』など)、ミン・ジェイ[チェイ]役をチョン・ソニ(『寄生獣 -ザ・グレイ-』など)が演じる。第4話は、兵士長ソンオンは、罪人として姿を消した許嫁(いいなずけ)チェイが、まだ生きていると信じて行方を捜す。世子ファン付きの内官コ・スンドルとして、ひそかにファンにかくまってもらっているチェイ。ファンに命じられ検視の能力にたけた変わり者のミョンジンに届け物をするが中身は遺体だった。そこでチェイは、男のふりをしてミョンジンに弟子入りした侍女カラムと再会する。一方、町で不可解な連続殺人事件が起こる。■登場人物:キャスト(吹替声優)イ・ファン:パク・ヒョンシク(声:小野賢章)ミン・ジェイ[チェイ]/コ・スンドル:チョン・ソニ(声:杉山里穂)チャン・ガラム[カラム]:ピョ・イェジン(声:伊藤静)ハン・ソンオン:ユン・ジョンソク(声:大塚剛央)キム・ミョンジン:イ・テソン(声:木村良平)テガン:ホ・ウォンソ(声:木暮晃石)ほか
2024年04月28日テレビ朝日系ドラマ『君とゆきて咲く~新選組青春録~』(毎週水曜深0:15)が24日にスタートする。その初回放送直前、リニューアルを迎える東映太秦映画村の新・時代劇オープンセットで記者会見が開催され、W主演を務める鎌切大作役・前田拳太郎、深草丘十郎役・奥智哉をはじめ、松永新之丞役・杢代和人、南無之介役・羽谷勝太、原田左之助役・柊太朗、斎藤一役・庄司浩平、沖田総司役・藤岡真威人、土方歳三役・阪本奨悟、山南敬助役・永田崇人ら新選組隊士を演じるキャスト9人が登壇した。『君とゆきて咲く~新選組青春録~』は、手塚治虫氏の隠れた名作『新選組』を初映像化し、2クール連続で放送する一大プロジェクト。歴史上の人物も多数登場するが、メインとなるのはオリジナルキャラクターとして描かれる2人の若き隊士、鎌切大作(前田拳太郎)と深草丘十郎(奥智哉)。2人は熱い友情で結ばれながらも、時代の波に翻弄され、やがて白刃を交えることになる。2人のたどる過酷な運命を『美しい彼』シリーズで知られる気鋭の脚本家・坪田文氏と、『未来への10カウント』(テレビ朝日)でメガホンを取った河合勇人氏が美しくも鮮烈に描写。また、斬新な殺陣パフォーマンスや従来の時代劇にはない流麗な“剣舞”を織り交ぜ、幕末を閃光のごとく駆け抜け、はかなく散っていった新選組隊士たちの青春をいまだかつてない視点とスタイルでエモーショナルにつづっていく。会見当日の京都は、雲ひとつない快晴。青空の下、揃いの羽織姿でセットに現れたキャストたちはオープニングアクトとして華麗な剣舞を披露。詰めかけた100名の観客と記者たちを圧倒し、開幕から大盛り上がりとなりました。剣舞を終えた前田は「すごく緊張もしていたのですが、僕たちの本気が伝わったんじゃないかな」と息を切らしながら挨拶。奥もまた、「今までいちばんベストなパフォーマンスが見せられたのではないかと思います!」と達成感に満ちた表情で語り、会見をスタートしました。演技はもちろん殺陣や剣舞で日々、切磋琢磨しているキャストたちの間には固い絆が生まれているそうで、会見では誰かがボケると誰かがツッコミを入れるなど、終始わちゃわちゃ。特に杢代には「ツッコミがキレキレ」という言葉が飛んでいた。主演2人は現場の雰囲気を「部活みたい」と口をそろえて話すと杢代は「今、新選組内でジムブームが来ていて、みんなしっかり体を鍛えているので、全員いい身体していますよ!」と現場の流行を紹介。撮影が休みの日には「(庄司)浩平くんとUSJに行きました」(奥)、「羽谷勝太くんと一緒に美術館デートに行きました」(杢代)というように、メンバー同士それぞれ思い思いの場所に繰り出しているというプライベートも明らかになった。■コメント【杢代和人】――撮影がはじまって2ヶ月、現場の雰囲気は?今、新選組内で“ジムブーム”が来ていて、みんなしっかり体を鍛えているので、全員いい身体していますよ!殺陣の練習は、長いと12時間やった日もあるぐらいです。撮影がお休みの日に、羽谷翔太くんと一緒に美術館デートに行きました。楽しかったです(笑)。――衣装の推しポイントは?なんといっても、僕のメンバーカラーは紫ですね。みなさん紫色のアイテムを持って応援してくれたらなと思います。(腰に)かわいい尻尾がついていて、これで初対面の方にじゃれてどんどん仲を深めていこうという策略です(笑)。みなさん、僕にメロメロになってください。――ダンスボーカルユニット“原因は自分にある。”のメンバーとしても活躍。番組発のユニット“キミユキ”の活動との違いは?グループ活動は杢代和人としてやっていますが、“キミユキ”は役として参加しているし、衣装も相まって経験したことのない活動です。練習中、みんなで話す機会も多いので、グループ活動の醍醐味である“絆”が生まれていて、それを大切にこれから楽しく活動できたらと思っています。――自身の“青春”は?僕はやっぱりグループ活動ですね。今年、5周年になるのですが、中学生のころから活動しているので、本当に青春っていう感じです。――演じる役のキャラクターをひと言。僕が演じる新之丞は“やさしさ”ですね。やさしさや愛にあふれているキャラクターなので…。劇中でもやさしさを見てもらいたいと思っています。――仮面ライダー出身者が多いですが、“特撮経験者あるある”は?初めて一緒にお芝居するけど、初めてじゃないような空気感がありますね。前田(拳太郎)くんは仮面ライダーの先輩で、2年前ぐらいにごあいさつして、そこからずっと仲はよかったので、改めて共演すると、“これが初か!”みたいな感覚があります。
2024年04月24日テレビ朝日系ドラマ『君とゆきて咲く~新選組青春録~』(毎週水曜深0:15)が24日にスタートする。その初回放送直前、リニューアルを迎える東映太秦映画村の新・時代劇オープンセットで記者会見が開催され、W主演を務める鎌切大作役・前田拳太郎、深草丘十郎役・奥智哉をはじめ、松永新之丞役・杢代和人、南無之介役・羽谷勝太、原田左之助役・柊太朗、斎藤一役・庄司浩平、沖田総司役・藤岡真威人、土方歳三役・阪本奨悟、山南敬助役・永田崇人ら新選組隊士を演じるキャスト9人が登壇した。『君とゆきて咲く~新選組青春録~』は、手塚治虫氏の隠れた名作『新選組』を初映像化し、2クール連続で放送する一大プロジェクト。歴史上の人物も多数登場するが、メインとなるのはオリジナルキャラクターとして描かれる2人の若き隊士、鎌切大作(前田拳太郎)と深草丘十郎(奥智哉)。2人は熱い友情で結ばれながらも、時代の波に翻弄され、やがて白刃を交えることになる。2人のたどる過酷な運命を『美しい彼』シリーズで知られる気鋭の脚本家・坪田文氏と、『未来への10カウント』(テレビ朝日)でメガホンを取った河合勇人氏が美しくも鮮烈に描写。また、斬新な殺陣パフォーマンスや従来の時代劇にはない流麗な“剣舞”を織り交ぜ、幕末を閃光のごとく駆け抜け、はかなく散っていった新選組隊士たちの青春をいまだかつてない視点とスタイルでエモーショナルにつづっていく。会見当日の京都は、雲ひとつない快晴。青空の下、揃いの羽織姿でセットに現れたキャストたちはオープニングアクトとして華麗な剣舞を披露。詰めかけた100名の観客と記者たちを圧倒し、開幕から大盛り上がりとなりました。剣舞を終えた前田は「すごく緊張もしていたのですが、僕たちの本気が伝わったんじゃないかな」と息を切らしながら挨拶。奥もまた、「今までいちばんベストなパフォーマンスが見せられたのではないかと思います!」と達成感に満ちた表情で語り、会見をスタートしました。演技はもちろん殺陣や剣舞で日々、切磋琢磨しているキャストたちの間には固い絆が生まれているそうで、会見では誰かがボケると誰かがツッコミを入れるなど、終始わちゃわちゃ。特に杢代には「ツッコミがキレキレ」という言葉が飛んでいた。主演2人は現場の雰囲気を「部活みたい」と口をそろえて話すと杢代は「今、新選組内でジムブームが来ていて、みんなしっかり体を鍛えているので、全員いい身体していますよ!」と現場の流行を紹介。撮影が休みの日には「(庄司)浩平くんとUSJに行きました」(奥)、「羽谷勝太くんと一緒に美術館デートに行きました」(杢代)というように、メンバー同士それぞれ思い思いの場所に繰り出しているというプライベートも明らかになった。■コメント【阪本奨悟】――撮影がはじまって2ヶ月、現場の雰囲気は?ダンスや歌ってなかなか時代劇でやることがないと思うのですが、その練習も一緒にしているので部活みたいな感じですね。みなさんと楽しく撮影させてもらっています。――衣装の推しポイントは?僕が演じる土方歳三の衣装はぜんぶ青でまとめられているんですが、ここにグラデーションがあるんですよ!(…と袖を羽織の下から出して見せてポーズを取って)パワー(笑)!――オープニング、エンディングの撮影はどうだった?オープニングテーマ「炎」のキーが高いので、女性がカラオケで歌いやすいと思います。よかったら歌ってみてください!本当にカッコいい曲に仕上がったので、放送が楽しみです。――自身の“青春”は?僕は14歳のときにミュージカル『テニスの王子様』に初めて出演させていただいたのですが、以来2年近く、その舞台に参加していたんです。当時は学校よりも舞台にスケジュールをさいていたし、青春を描いた作品でもあったので、僕にとってあの時期は本当に青春だったなって思います。――演じる役のキャラクターをひと言で。僕が演じる土方は、やはり“鬼”。このドラマでは彼が“鬼の副長”とよばれるようになった理由や背景をきちんと描いていただいています。なぜ自ら鬼になって隊を引っ張っていくのか、ドラマを見て感じ取っていただけたらうれしいです。
2024年04月24日NHKのBSP4Kで21日(後9:00)、BSで25日深夜(=26日前0:25~)に放送される韓国時代劇『青春ウォルダム 呪われた王宮』第3話。これまでのあらすじと第3話の見どころを紹介する(以下、第2話までのネタバレを含みます)。同ドラマは、呪われた世子(セジャ=王位継承者)のイ・ファンと、家族殺害犯にされた娘ミン・ジェイ[チェイ]が陰謀と謎を解き明かしていく青春ミステリー。タイトルの「ウォルダム」は「壁を越える」の意。イ・ファン役をパク・ヒョンシク(『ドクタースランプ』『花郎(ファラン) 希望の勇者たち』など)、ミン・ジェイ[チェイ]役をチョン・ソニ(『寄生獣 -ザ・グレイ-』など)が演じる。家族殺害の汚名をすすぐため、世子のファンを頼ろうとしたチェイ。しかし、ファンに捕らえられてしまう。自分はファンの師匠であるミン・ホスンの娘で、父に届いたファンの密書を読んで会いに来たことを告げるが、ファンは密書を送っていないという。チェイが読んだ密書は、開城(ケソン)で多くの難事件を解決したとして有名だったチェイの兄ミン・ユンジェに「呪いの書」の謎解きを依頼するものだったと告げる。さらに、チェイは数々の難事件を解決していたのは自分だと言い、手始めに祝詞を書いている際に起きた血の謎を解き明かす。チェイの推理により、ファンは重臣たちの前で祝詞の血の仕掛けを解き明かすことができた。第3話では、身の潔白は自分で証明しろとチェイを王宮から追い出そうとしたファンだったが、チェイに食い下がられ、彼女の覚悟と能力を試すことに。チェイに自分がいる東宮殿まで自力で会いにきてみろと命じる。チェイは東宮殿に近づくために、内官のふりをすることを思いつく。一方、事件を捜査中の兵士長ハン・ソンオンは、逃亡した容疑者の家で見覚えのあるものを発見する。離れていてもチェイの力になりたい侍女カラムは、男に変装してある人物を訪ねる。■登場人物:キャスト(吹替声優)イ・ファン:パク・ヒョンシク(声:小野賢章)ミン・ジェイ[チェイ]/コ・スンドル:チョン・ソニ(声:杉山里穂)チャン・ガラム[カラム]:ピョ・イェジン(声:伊藤静)ハン・ソンオン:ユン・ジョンソク(声:大塚剛央)キム・ミョンジン:イ・テソン(声:木村良平)テガン:ホ・ウォンソ(声:木暮晃石)ほか
2024年04月21日NHKのBSP4Kで14日(後9:00)、BSで18日深夜(=19日前0:25~)に放送される韓国時代劇『青春ウォルダム 呪われた王宮』第2話。これまでのはなしと第2話のあらすじを紹介する。同ドラマは、呪われた世子(セジャ=王位継承者)のイ・ファンと、家族殺害犯にされた娘ミン・ジェイ[チェイ]が陰謀と謎を解き明かしていく青春ミステリー。タイトルの「ウォルダム」は「壁を越える」の意。イ・ファン役をパク・ヒョンシク(『ドクタースランプ』『花郎(ファラン) 希望の勇者たち』など)、ミン・ジェイ[チェイ]役をチョン・ソニ(『寄生獣 -ザ・グレイ-』など)が演じる。第1話では、王位継承者、世子(セジャ)であるイ・ファンは3年前、兄のウィヒョン世子の死によってその座に就いたが、王宮ではファンが兄を殺したという噂が流れていた。ファンは1年前に肩に毒矢が刺さり右腕が動かなくなったが、それも幽霊の呪いだと使用人たちは噂していた。王妃の叔父に当たる右議政(ウィジョン)チョ・ウォンボは、将来、王としてこの国を率いる世子のファンが健康であることを証明すべきだと主張。そのため、王の代わりにファンが狩りに参加することになった。ファンの幼なじみのハン・ソンオンは結婚が決まり、許嫁(いいなずけ)のミン・ジェイ[チェイ]を開城(ケソン)に迎えに行くことになっていた。ところが、ミン家の一家がチェイに毒殺され、チェイが逃亡したという知らせが入る。何か事情があるに違いないと考えたソンオンは、部下に命じチェイを捜させる。一方ファンの元には、ミン家に贈り物を届けさせた使いの者が道中で亡くなったという知らせが入る。不審に思ったファンもまた、側近のテガンにチェイについて調べるよう命じる。チェイは開城の役人に追われ、崖から川に転落するが何とか助かり、別々に逃亡していた侍女のチャン・ガラム[カラム]を訪ねる。チェイはカラムの兄から兵士の衣服を借り、巡回していた兵士たちの隊列に紛れることに成功。世子が出ることになった狩りに同行することになる。第2話では、狩りのさなか、ファンと話す機会をうかがっていたチェイは、亡き父に届いたファンの密書のことで会いにきたことを告げることができた。ファンはすぐに家族殺害犯として逃亡中のチェイだと気づき、ひそかに捕らえる。狩りの後、ファンが祝詞(しゅくし)を書こうと筆を持った手に突然、血が流れる不可解な事件が起こる。王宮に戻ったファンは、無実を訴えるチェイを自ら尋問する。ファンは密書を送っていなかったが、チェイが自分しか知るはずのない「呪いの書」のことを話し出す。■登場人物:キャスト(吹替声優)イ・ファン:パク・ヒョンシク(声:小野賢章)ミン・ジェイ[チェイ]/コ・スンドル:チョン・ソニ(声:杉山里穂)チャン・ガラム[カラム]:ピョ・イェジン(声:伊藤静)ハン・ソンオン:ユン・ジョンソク(声:大塚剛央)キム・ミョンジン:イ・テソン(声:木村良平)テガン:ホ・ウォンソ(声:木暮晃石)ほか
2024年04月14日NHKのBSP4Kで7日(毎週日曜後9:00)から放送が始まった、韓国時代劇『青春ウォルダム 呪われた王宮』(2023年、全20回)。4日遅れて今夜(11日深夜※毎週金曜前0:25~)からBS(2K)での放送もスタートする。吹替版は日本初放送となる。同ドラマは、呪いに苦しむ王位継承者と家族殺害の罪をかぶせられた名家の娘が、互いを救うために陰謀と謎を解き明かしていく、切なくも心ときめく青春ミステリー。タイトルの「ウォルダム」は「壁を越える」の意。世子(セジャ=王位継承者)のイ・ファンは、人知れず「呪いの書」に苦しめられていた。3年前に世子になった直後、こつ然と現れた呪いの書には、ファンがその座につくために兄を暗殺したと記され、さまざまな災いに見舞われたあげく廃位され死を迎える、と予言されていた。1年前、呪いの言葉の1つが現実となる事件が起きた。それ以来、疑心暗鬼に陥っているファンの前に、呪いは人間の陰謀だと断言する女性が現われる。友人ハン・ソンオンの許婚(いいなずけ)で、亡き恩師の娘ミン・ジェイ(=チェイ)だ。だが、チェイは婚姻目前に家族全員を殺害した汚名を着せられ追われる身だった。無実を訴え、家族の死の真相を調べたいと助けを求めるチェイ。最初は懐疑的だったファンだが、チェイの類まれな推理力を認め、内官のふりをさせ、そばに置いてかくまうことにする。ファンの呪いの謎を解くことができるのはチェイ、チェイの汚名をすすぐ 機会を与えられるのはファン。ファンとチェイは2人だけの秘密を守りながら、互いを逆境から救い、隠された真実にたどりつくことができるのか?世子(セジャ=王位継承者)のイ・ファンを、Netflixで配信中の『ドクタースランプ』や『ハピネス』、ディズニープラスで配信中の『サウンドトラック』などで人気の韓国俳優パク・ヒョンシクが、ドラマ 『花郎(ファラン) 希望の勇者たち』以来の時代劇で本領を発揮する。ファンの友人ハン・ソンオンの許婚(いいなずけ)で、婚姻目前に家族全員を殺害した汚名を着せられ追われる身となり、ファンの助けで内官コ・スンドルとして身を隠しながら、家族の死の真相と、ファンの呪いの謎に挑むミン・ジェイ[チェイ] を、日本の漫画原作の韓国ドラマ『寄生獣 -ザ・グレイ-』(Netflixで配信中)で主役を務めたチョン・ソニが演じる。■登場人物:キャスト(吹替声優)イ・ファン:パク・ヒョンシク(声:小野賢章)ミン・ジェイ[チェイ]/コ・スンドル:チョン・ソニ(声:杉山里穂)チャン・ガラム[カラム]:ピョ・イェジン(声:伊藤静)ハン・ソンオン:ユン・ジョンソク(声:大塚剛央)キム・ミョンジン:イ・テソン(声:木村良平)テガン:ホ・ウォンソ(声:木暮晃石)ほか
2024年04月11日名古屋に実在するミニシアター、シネマスコーレを舞台にした『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』が3月15日(金)、全国公開される。シネマスコーレの創設者は、“ピンク映画の巨匠”と呼ばれたのち、一般映画の名作も多く手掛け、大島渚の『愛のコリーダ』などのプロデューサーとしても知られる、今は亡き監督・若松孝二。映画館経営に乗り出した監督とスタッフの奮闘記、映画に賭けた青春ドラマだ。『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』とにかく若松孝二監督が、おもしろい。本音とタテマエ、おとなはふたつの顔を使い分ける、なんてことがあるが、この映画の若松監督はすべて本音で開けっぴろげ。いつもサングラスをかけて、強面。だけれど、東北弁と東京弁がミックスされたしゃべりは、朴訥で、どちらかというとコミカル。話は乱暴だが、実がある。この作品の前作は2018年に公開された『止められるか、俺たちを』。60年代、ピンク映画の巨匠といわれ、独特の映画製作集団を率いる若松監督を中心に描いた青春群像劇だった。本作は、その10年後を描く。前作に引き続き、若松孝二役を演じているのは井浦新。『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2008) 以降、若松監督の全作品に出演している彼だからこそ表現できる、監督の人となりや、くせ。井浦の実年齢が近くなっているからか、まさに憑依、と言いたくなる“怪演”だ。物語は、1982年、名古屋の駅裏にシネマスコーレという映画館を作った若松孝二監督と、彼から声をかけられ支配人になった木全純治(東出昌大)。映画館を手伝いながら監督を志す金本法子(芋生悠)。そして、若松監督に弟子入りしたいと相談する予備校生・井上淳一(杉田雷麟)。映画は、この4人を中心に展開する。この井上くんこそ、本作の企画・脚本・監督を務める井上淳一。そして木全さんも企画・プロデュースを担当している。つまり、当事者によって作られた映画。事実は小説よりも奇なり。もちろん、デフォルメもされているだろうし、多少は盛っていると思うけれど、笑いのツボがたくさんあり、全編を通じて、映画への愛がびんびん伝わってくる。インディーズ映画の監督は、作っても上映する場所に苦労する。それなら自分で映画館を持とうと考えた若松孝二。「世界でも映画館を持っているのは、俺くらいだろう」と、胸をはる。なぜ、名古屋で?ときかれると、東京も大阪も家賃が高いから、と現実的だ。それでも映画館経営は赤字の連続。金勘定で追われる日々である。東出演じる木全支配人も、若松監督と並ぶ魅力的なキャラ。池袋・文芸坐のスタッフだったが、結婚を機に郷里の名古屋に帰り、流行し始めたビデオカメラのセールスマンをしていたところを、若松監督から声をかけられた。井上淳一監督によると「対立とか葛藤がない」人。確かに、独立経営のミニシアター、名画座の支配人さんはこういうタイプが多いように思う。芯から映画が好きで、映画館に来るお客が好き。そんな温かさが伝わってくる東出昌大の演技が素晴らしい。シネマスコーレは、やむなくピンク映画の封切館になって何とか経営が軌道にのる。文芸坐育ちの木全さんは、週の何日かを名作映画の上映にあてたい。そこで経営者の若松監督に直訴する。このやりとりが傑作だ。この映画は、登場人物だけでなく、映画館で上映する映画のタイトルからなにから、すべて実名で描かれている。例えば、大林宣彦監督作品の特集上映を企画した木全さんに、若松監督は「大林の映画なんてお客がはいるわけないだろう」と怒ったりする。当時の映画館といえば、1981年に新宿に「シネマスクエアとうきゅう」ができ、83年には六本木に「シネヴィヴァン六本木」、86年に渋谷の「シネマライズ」開館と、ミニシアターのブームがきていた。アジア映画にも注目が集まり、日本でも自主映画やピンク映画出身の新しい才能が出始め、活況を見せ始めていた。若松監督はそのブームをいち早く察知し、流れに乗ろうとしたのだろう。その頃の映画館をとりまく空気がうまくでていると感じた。ノスタルジーかもしれないが、コンプライアンスとかパワハラとかに神経質ないま観ると、おおらかで、のんきな空気があった。予備校生だった井上に若松監督がアドバイスをするシーンが印象的だ。「そんなに映画監督になりたいなら、うちに来なさい(「来」にアクセント)。ただうちは給料はだせない(「せ」にアクセント)。まず大学に入り、仕送りで暮らしなさい。映画の勉強をうちでしたら、4年で映画監督にしてあげる」。おとながちょっぴりやんちゃだった。希望がほの見えた、そういう時代の、映画の青春!文=坂口英明(ぴあ編集部)(C)若松プロダクション
2024年03月11日藤井道人が監督・脚本を務めた日台合作映画『青春18×2 君へと続く道』より場面写真が解禁された。台湾の超人気スター俳優シュー・グァンハン演じるジミーと、日本の若手実力派女優、清原果耶演じるアミが【日本×台湾】【18年前×現在】を舞台に紡ぐ、切なくも美しいラブストーリー。本作のタイトルにちなみ、「18×2 LETTER」として、毎月18日に本作の新情報が解禁となることが決定。その第一弾としてこの度、【18年前の台湾】で青春のひと時を過ごすジミーとアミの姿や、初恋の記憶を辿るために【現代の日本】を旅するジミーの姿を、2か所の美しい情景と共に映し出す場面写真8枚が解禁となった。台湾の場面写真には、初めて訪れた台湾の観光地で一人旅を満喫するアミの姿や、バイクの2人乗りデートでジミーとアミが互いに想いを寄せ合う様子、そして「願いが叶う」と有名なランタンに2人の想いを乗せて空へと飛ばすジミーとアミの姿など、どこか懐かしさを感じさせる2000年代の台湾を舞台に、甘酸っぱい恋と2人の青春の1ページを切り取ったような微笑ましいシーンの数々が映し出されている。そして日本の場面写真には、18年後、36歳になったジミーが東京の駅構内で人混みの中にいる姿や、アニメ「SLAM DUNK」のオープニングに登場する踏切で“聖地巡礼”に訪れる様子、さらに初恋の記憶を辿る旅の道中で意気投合した18歳のバックパッカー・幸次(道枝駿佑)と連絡先を交換する様子など、日本の美しい風景や旅の道中での出会いが映し出されている。2人が共に過ごした幸せな日々を映し出したかのように温かみのある台湾の場面写真と、大人になったジミーが一人で旅をする切なさがにじむ日本の場面写真。その色味の対比から、18年前の台湾で過ごした思い出と、現在の日本を旅するシーンが印象的に行き来する本編への期待が高まる。『青春18×2 君へと続く道』は5月3日(金・祝)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国にて公開。(シネマカフェ編集部)■関連作品:青春18×2 君へと続く道 2024年5月3日よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて公開©️ 2024「青春 18×2」film partners
2024年02月18日2月23日(金・祝) 公開の映画『ソウルメイト』より、主人公たちの青春時代が切り取られた新カット6点が公開された。本作は、第93回アカデミー賞国際⻑編映画賞にノミネートされた『少年の君』のデレク・ツァンによる単独監督デビュー作『ソウルメイト/七月と安生』の韓国版リメイク。ミソ(キム・ダミ)とハウン(チョン・ソニ)は、小学生からの大親友。絵を描くのが好きな2人は、性格も価値観も育ってきた環境も違うが、大切な存在だった。しかし、ジヌ(ピョン・ウソク)との出会いが2人の運命を大きく変えていく。想い合いながらもすれ違い、疎遠になっていた16年目のある日、ハウンはミソに“ある秘密”を残して忽然と姿を消してしまう。思いもよらない壮絶な半生が紐解かれるとき、“2人だけの秘密”が明らかになる。公開されたのは、ミソとハウン、そしてハウンの恋人・ジヌの3人が“海デート”を楽しむ様子を含む計6点の新カット。じゃれ合う様子や制服姿で表情を決めるミソとハウンの姿など、“ソウルメイト”の何気ない日常が切り取られている。「同世代3人ということもあり、共演シーンの撮影はとても楽しかったことを覚えています」と振り返るダミは、海での撮影シーンが最も心に焼き付いているそう。「撮影だということを忘れるくらい楽しく遊びました。本当に高校時代に戻ったような感じがしました」と明かす言葉の通り、幸せそうにはしゃぎながら遊ぶ3人の姿がエモーショナルに映し出されている。このシーンをダミ同様にお気に入りとして挙げているウソクは、3人の関係性の変化について触れながら想いを込める。「その後(徐々に)それぞれが感情的に深刻になりつらくなっていくので、その幸せだった瞬間を、ジヌとしても僕としてもずっと覚えていたいと思いました」。温かさの中にどこか切なさが入り混じるようなシーンが多い本作だが、物語の舞台として撮影が行われたのは韓国の最南部に位置する済州島。済州島は1年中気候が穏やかなことから“韓国のハワイ”とも呼ばれ、自然豊かなリゾート地としても有名だ。済州島での撮影はキャストたちの心にも深く刻まれているようで、それぞれ次のように思い出を振り返っている。「(済州島では)美味しいものをたくさん食べに行きました。撮影期間中、ソニさんが私の隣の部屋だったので、お互いに必要なものがあれば貸し借りして、部屋では色々な話もしました。ささやかなことではありますが、とても幸せな時間を過ごしました」(キム・ダミ)「済州島の空気と風景は、⻘春の姿と似ているところが多く、それを全身で感じながら撮影に臨むことができました」(チョン・ソニ)「シナリオを初めて読んだとき、済州島での撮影がとても楽しみでした。やはり撮影のときは心に迫るものがありましたし、済州島ならではの色感がとても美しく、撮影が終わって4時か5時くらいに食事に行く途中で見える夕焼けが本当にきれいだった記憶があり、癒されました」(ピョン・ウソク)<作品情報>『ソウルメイト』2月23日(金・祝) 公開公式サイト: CLIMAX STUDIO, INC & STUDIO&NEW. ALL RIGHTS RESERVED.
2024年02月09日幾田りらが、新曲「青春謳歌」を発表。映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』後章の主題歌となる。幾田りら×あの「青春謳歌」“小説を音楽にするユニット”YOASOBIのボーカル・ikuraとしても活躍している幾田りら。新曲の「青春謳歌」は、主人公の小山門出の声優も務める映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』後章の主題歌として書き下ろした楽曲だ。映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』主題歌にフィーチャリングアーティストは、作中で主人公の親友である“おんたん”こと中川凰蘭の声優を務めるあの。作品で描かれる“絶対的”な二人の青春と日常を思い起こさせる、エモーショナルな楽曲となっている。なお、前章の主題歌は、本作とは逆にあのが幾田りらをフィーチャリングアーティストとして迎えた「絶絶絶絶対聖域」。激しいディストーションサウンドとデスヴォイスにより、作中の終末感を表現した楽曲だ。幾田りら コメント後章の主題歌として「青春謳歌」という曲を書き下ろしさせていただきました。デデデデを読み終えた時、門出とおんたんのはちゃめちゃでくだらない日常が、とてつもなく愛おしくてたまらなくて、二人の会話が聴こえてくるような曲を書きたいと思っていました。どんな未来がやってこようと何があろうと二人は”絶対”なのだから、きっと全てを抱きしめて、青春をかき鳴らし続けているはず。そんな願いを乗せて、遊び心をふんだんに詰め込んで、楽曲が完成しました。映画の中で門出とおんたんとして生きた私たちだからこそ歌えるうたになったのではないかなと思います。ぜひ前章後章あわせて、楽曲と共にデデデデを楽しんでいただけたら嬉しいです。作品情報幾田りら 新曲「青春謳歌」※映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』後章 主題歌リリース日:未定
2024年01月28日“息が合う”ことの難しさと喜びを描く、吹奏楽青春譚。山本誠志さんによる『宇宙の音楽』をご紹介します。本作のタイトルになっているのは、吹奏楽の超難曲とされる曲。宇宙(たかおき)零はこの曲を聴くと、病室と消毒液の匂いを思い出す。有望視されるトランペット奏者だった彼は、持病のぜん息で夢を阻まれてしまったのだ。「吹奏楽の本質は“息を合わせる”ことですが、それができない主人公にしようと思いました。僕も小さいときに軽いぜん息を経験しているので、感情を込めて描けるかなという思いもあったんです」と、著者の山本誠志さん。零はあえて吹奏楽部がないはずの高校に進学するが、創部したての吹奏楽部と、部長で独特の感性を持つ星野水音(みお)と出会い、彼女の導きで指揮者を志すことに。「音楽はひとりでできると思っていた零が、ほかの奏者がいないと成立しない指揮者になる。その過程を通して、人と共にいる喜びを知る姿を描こうと意識していました」挫折を味わっているものの、音楽の才能に溢れる零は生意気で理屈くさく、社交的なタイプではない。そんな彼が1年生ながら、創部して日が浅いチームを指揮者としてまとめようとしても、もちろんそう簡単にはいかないのだが、それぞれの巻で見せ場となるのが演奏シーン。読み手も呼吸を重ねながらページをめくっていく高揚感を味わえる。「海外では吹奏楽をウィンドバンドと呼んだりするのですが、息が集まって風が吹き抜けるような爽やかさや力強さを表現したかったんです。マンガの大前提として音を出すことができないので、音以外の周辺の部分を丁寧に描くことを心がけていました。それこそ音楽以外の場面で、たとえばマンガを描いていても編集さんと息が合う瞬間があったりするので、そういう感覚も後半のほうでは特に大事にしていましたね」演奏の難しさと喜びが生き生きと表現されているのは、山本さん自身が吹奏楽経験者であることも大きいだろう。本作が連載デビューになるのだが、これまでも一貫して吹奏楽を題材にしたマンガを描いてきた。「『アイシールド21』や『SLAM DUNK』のようなスポーツマンガに対する憧れと、中学で始めた吹奏楽に夢中になる気持ちが重なって、好きなマンガで、好きな吹奏楽を広めたいと思ったのがきっかけです」そんな山本さんにとっても指揮者は未知の部分が多い存在で、チャレンジングな設定だったようだ。「スポーツでいったら監督的な立場なので、高校生だと学生が指揮棒を振ること自体が少ないんです。でも責任が重いぶん、最も成長できるポジションなのかなとも描きながら思ったので、この作品を機に指揮に興味を持つ人が増えたらいいですね」山本誠志『宇宙の音楽』3音楽と孤独に向き合っていた少年が、再び皆で奏でる喜びを味わう青春物語。コンクールを控え練習に励むなか、最大のピンチに遭遇する最終巻を見届けよう。講談社836円©山本誠志/講談社やまもと・まさしマンガ家。「先輩とクラリネット」で月刊少年マガジン新人賞準入選。最新作は「ホルンは後ろに鳴く」。自身もクラリネット奏者。※『anan』2024年1月24日号より。写真・中島慶子インタビュー、文・兵藤育子(by anan編集部)
2024年01月24日いじめを避けて私立中高に入学した私ASD(自閉スペクトラム症)がある私は、公立小学校でひどいいじめを受けていました。兄が心配して両親に「義子は中学以降は私立に行かせてやってくれ、公立に進むともっとひどいいじめに遭うと思う」と頭を下げてくれたことから、中学受験をして中高一貫の私立の進学校に通うことになりました。進学校では好成績によってスクールカースト上位におっとりしたお嬢様の集まる女子校だったその学校では、スクールカーストはスポーツの得意さや言動のそつなさではなく、成績の良さで決まるところがありました。私はピタッといじめられなくなりました。「あの常に学年で3位以内の宇樹は私の友達なんだよ!」とほかの子に自慢する子や、いつも成績のいい◯組の宇樹ってどの子? と見にくる、他クラスの子もいるぐらいでした。コミュニケーションの面ではやはり浮いていたので、うっすら敬遠されて、同じグループの子たちが気づいたら休みの日にこっそり私抜きで遊びに行っていたとかはありましたが、それ以上のことはありませんでした。親や先生の期待×完璧主義・白黒志向で無理が加速仕方ないことなのですが、世間や周囲の大人の誰にも発達障害の知識がなかった30年前当時、両親には「学校の成績がいい = 有名大学に行って有名企業に入るか士業などに就いてエリートになる」といったイメージしかなかったようです。口でははっきり言わないものの、両親が私に「エリートになるに違いない」という期待を寄せているのはひしひしと伝わってきていました。また、父は幼稚園ぐらいの私に「世の中は戦場で、お前たちはそこで戦い抜いて生きていくんだ」と言って聞かせたり、小学校時代に学校に行きたくないと言ったら「いま学校に行かなくなったらお前の学歴は途絶えてしまう。そうするとお前は将来路頭に迷う。だから頑張って学校に行きつづけろ」と諭したりしました。ASD傾向のある幼い子どもだった私が、父の言ったこのようなことを鵜呑みにして恐怖し、「全力で努力しつづけて勝つ(良い大学に行くなどしてエリートになる)のでなければ生きていけない」と思い込んだのは自然なことです。私は本来の特性にもある完璧主義・白黒思考を加速させ、強迫的なまでに勉強に打ち込むようになりました。食べる寝る以外ほとんど勉強に捧げた青春と弊害中高時代は慢性的に過労状態でした。耳鳴りや口内炎、風邪がいつまでも治らないなどは日常茶飯事。いつも歩きながら眠り込んでしまいそうなほど眠くて、「思う存分眠れるなら思い残すことはない」と思うくらいでした。いま思えば学校まで片道で2時間近くかかる通学で毎日午前5時起きというだけでも体力的に無理がかかっていただろうに、高3になれば、午後4時ぐらいに学校が終わると予備校の始業に間に合わせるために文字通りダッシュして電車に飛び乗り、帰宅は午後11時近く。その後、午前0時過ぎまで復習をして、寝るのは午前1時半……。睡眠時間は慢性的に4時間前後でした。そして定期テストのときには徹夜に近いことをし、カフェイン飲料で心身に鞭を打っていました。自室を片づける気力体力が枯渇していて、部屋はいつも足の踏み場もないような状態。休日は夕方まで寝っぱなし、ニキビは顔じゅうに広がり、頭がクラクラしてくるほどの冷えのぼせに苦しめられ、毎度の生理痛はあまりの強さに時にはトイレで昏倒するほどになりました。部活を楽しむ余裕などもちろんなく、アルバイトや遊びで人間関係を楽しんだり学んだりする余裕もありませんでした(余裕もなかったし、「学生の本分は勉強だ」として父から禁止されていました)。幅広い経験を積んでたくさん勉強以外のことを学ぶべき時期に、あまりにも勉強、それも詰め込みの受験勉強ばかりに費やしてしまったこと、また、大事なこの時期にあまりに自分の身体を痛めつけてしまったことを、今深く悔いています。大学に入っての挫折、バーンアウトからのひきこもり傾向勉強も大学選びも自分の意志から出たものではなく、親の勧めや期待に盲目的に従うような形で300%ぐらいの無理を何年も続けていた私。親の言っていたとおりの有名私大に受かった時点で、すべてのモチベーションが吹き飛んでしまいました。バーンアウトです。入ったのは、有名作家を多数輩出している文学部でしたが、授業が始まってすぐに、「私はどうやら文学に興味がないらしい」と気づいてしまいました。ショックが大きすぎて、しばらくの間、頭が真っ白に……。高校までのように、「学校側が決めた時間割があって、何時から何時まできっちり授業に出なければいけない」といったような縛りがなくて自由なこと、どんな学生生活にするかを自分で選んで自発的に進めていかなければいけないことも、私の混乱に拍車をかけました。私はロクに大学の授業に出なくなりました。当時勃興期だったインターネットでチャットに没頭するなどして、だんだんに生活は昼夜逆転。昼間に出かけられなくなっていきました。この頃、悪いことに母の調子も悪くなります。私が出かけようとすると何かと妨害してきたり、私が日常の世話をしてやらねばならなくなったりしたことで、私はここから今の夫に出会って実家を出るまで10年間ほど、暗黒の準ひきこもり生活が始まることになってしまいました。ASDの私が今思うこと ーーまずは自立訓練、そして手に職が必要だった最近、ある自立訓練施設が「働き続けられる人間になるためには、スキルを身につける前に、心身の健康管理をして上手に日常生活を継続できるようにする『自立訓練』が必要」ということを発信しているのを見て、本当になるほどと思いました。誰もこのこと(世の中には生活の仕方について訓練が必要なタイプの人がいて、私がそのタイプだということ)を知らなかったのだから仕方ないのですが、私は子どもの頃から最近に至るまで、「私も当然、スキルを身につければ働けるようになるはずだ」と思って必死に勉強したり資格勉強したりしてきたのです。でも言われてみれば確かに、私に必要なのは、無理しすぎず適度に努力しつづけて結果的にものごとをやりとげることだったり、その前提としての無理しすぎないマインドセットだったり、そういうことだったのですね。また、やはり仕方がないことではありますが、「学校の成績がよい = 有名四年制大学に入るのがベスト」という、私の親世代の価値観も、結果的に私を苦しめてしまったなと思います。今となっては、私のようなタイプは、何か専門学校に通って「手に職」となるようなスキルや資格(特に、資格がなければその仕事に就けない「業務独占資格」)を身につけて早めに社会に出たほうがよかったのではとも思います。20代から30代は、定型発達の若者にとっても社会生活を送る上で大事な人生経験を積む時期。発達障害のある若者は人生経験から何か学んで自分のものにするのに時間がかかるので、この時期に何かしらの社会活動が継続できるようコンディションを保っておく(=ティーンのうちに本人にそぐわない無理をさせない)のが何より大事だと思います。私は自分に合う進路選択ができなかったため、この時期をひきこもってしまって学習機会を損失したり、立ち直るための治療に精一杯で過ごしてしまって充分なキャリアも積めなかったりしたので、次の世代の子どもたちにはもっと違った生き方をしてほしいと願っています。文/宇樹義子(監修・鈴木先生より)父親にもこだわりがあり、同じようなASD特性のある方だったのではないでしょうか。また、自分のやってきたことや、やってこれなかったことを、過剰に娘に押し付けて巻き込んだケースとお見受けしました。バイトや部活をして社会性を高めることも重要ですが、中には人間関係などでやめていく人も見られます。大学に入って自由が逆に混乱を招いたように、ASDの受け身型タイプの方は、人からやることを示されてその通りに行っていく方が楽なことも一方ではあるものなのです。中学高校の進学校で学んだことは決して無駄ではなく、将来に必ず役立つものと思います。プラス思考でやっていきましょう。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2024年01月19日ありえない行動をするママ友がいたら、皆さんはどうしますか?今回は「子どものおもちゃを奪うママ友」のエピソードと、その感想を紹介します。イラスト:iwao.ママ友親子とランチ主人公がママ友親子とランチをしたときの出来事です。ママ友親子と話をしながら、ファミレスまでの道を歩いていると…。幼稚園時代のママ友に遭遇出典:愛カツ道の途中で、ママ友の幼稚園時代のママ友に出会いました。「一緒に行っていい?」と聞かれた主人公は、承諾し皆でファミレスに向かいます。しかし、これが悲劇の始まりでした。ファミレスで料理を待っている間、主人公の子どもが持参したおもちゃで遊んでいると…。ママ友の幼稚園時代のママ友が、突然主人公の子どものおもちゃを奪ったのです。さらに、奪ったおもちゃを当然のように自分の子どもに渡してしまいます。主人公が注意をしますが、ママ友の幼稚園時代のママ友は聞く耳を持たず…。「おもちゃは皆のもの」という持論を展開し、主人公を困らせるのでした。読者の感想主人公の子どものおもちゃを奪って自分の子どもに渡すなんて…信じられません。「貸してほしい」とひと言断りやお礼があるといいですよね。(30代/女性)ありえないママ友の行動に怒りを覚えました。楽しいランチになるはずが、嫌な思い出になってしまいましたね…。(20代/女性)※この記事はユーザーのエピソードをもとに作成しています。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。(愛カツ編集部)
2023年12月27日11月3日(金・祝)から有楽町よみうりホールにて、とびきりポップな青春ミュージカル『スライス・オブ・サタデーナイト』が開幕した。主演を務めるのは河下楽(AmBitious)。これまでにも主演舞台の経験はあるが、ミュージカルは初挑戦となる。30曲を超えるロックナンバーを生バンドが演奏する、底抜けに明るくてパワフルなゲネプロの様子をレポートする。1960年代イギリスの、とある地方都市。土曜日の夜がやってくると、地元の人気店「CLUB A Go-Go」に若者たちが集い、一夜のボーイミーツガールがはじまる。運命の相手を心待ちにしたティーンエイジャーたちが、店内で赤裸々な恋愛模様を繰り広げるストーリーだ。河下が演じる17歳の主人公リックは恋愛に奥手で、気になる女の子であるシャロン(熊谷彩春)になかなか声をかけることができない。河下は他の共演者から「素顔と役の境界線が見えない」と言われるほど、無邪気で愛嬌のあるリックを素直に演じている。やがてリックとシャロンが心をかよわせるデュエット曲では、運命の相手を見つけた二人のときめきが溢れており、観客をあたたかい気持ちにさせてくれる。そんな初々しい二人とは対照的に、他のカップルたちはセックスにドラッグにと問題が続出する。昨今のコンプラ重視の風潮はどこ吹く風とばかりに、思春期の暴走をかなり攻めた演出で笑いに変えている。ツイッギー風のレトロ可愛い衣装やヘアセットも見どころだ。ゲネプロ後の会見では、河下が「見に来てくださるお客様を絶対に後悔させない自信があります!」と意気込みを語った。写真撮影では、登壇したキャストみんなで河下をギュッと抱きしめるように集合し、カンパニーの誰からも愛される河下のキャラクターが垣間見えた。劇中でキャストが客席に降りてくるシーンが多く、観客にも大いに参加してもらう演出となっている。約30年前の上演時にリックを演じ、本公演で若者たちを見守るクラブオーナーのエリック役を演じている川平慈英が「あなたが私たちのメンバーになっているかもしれません。遠慮することなく、日頃のストレスを全部出し切ってほしい」と言うように、「CLUB A Go-Go」のにぎやかなサタデーナイトを楽しんでほしい。東京公演は11月3日(金・祝)~19日(日)、有楽町よみうりホールにて。取材・文:北島あや
2023年11月07日青春時代に夢中になったドラマの裏には私たちの知らない“ドラマ”がいっぱい。出演者ご本人を直撃し、今だから話せるエピソードをこっそりお届け!【『3年B組金八先生 第2シリーズ』(TBS系・’80年)】武田鉄矢が演じる坂本金八が3年B組の学級担任を務める人気シリーズの第2弾。当時、社会問題化していた校内暴力を正面から扱い、加藤優(直江喜一)が警察に連行される場面や腐ったミカンの方程式はあまりに有名。「コロナ禍前まで、毎年のように新年会やお花見の会など、『金八先生』の同窓会をやっていたんです。最近は年齢的にも亡くなる方がいらっしゃって、悲しい集まりになることもありますが……」こう語るのは、第2シリーズに出演した伊藤つかささん(56)。中学2年生のときに受けたオーディションでは、ドラマで輝きを放った沖田浩之さんも一緒だった。「中2の私から見たら、背が高くて、高3だったヒロくんは大人。竹の子族として雑誌にも出ていたので、周りの女のコたちもキャーキャー言っていました。第1シリーズのたのきんトリオに続くスターになるのはヒロくんだって、みんなが思っていたんです」撮影はハードだった。平日にTBSでリハーサルやスタジオ撮影を行い、土曜・日曜はロケがあったという。「でも、すごく楽しかったです。たまにマッチさん(近藤真彦)がスタジオ見学に来たりすると、大変な騒ぎに。学校にいるみたいな雰囲気だから、後からスタッフさんに聞くと『抑えるのに大変だった』そうです」■生徒の緊張をほぐすため金八先生が下ネタを全国の中学校で校内暴力が社会問題化していた時代。第2シリーズで存在感を放ったのは、周囲の生徒に悪影響を及ぼす“腐ったミカン”として、教師から排除された不良少年・加藤優だ。「警察に連行されるシーンもありますが、加藤を演じた直江(喜一)くんは、実際はすごく優しいお兄ちゃん。ヒロくんと同じ高3でしたが、年下の私のことをかまってくれて、休憩時間に屋上でバドミントンをしたりしました」一方、ひかる一平は伊藤さんを子ども扱いしていたという。「『子ども用の白いパンツをはいているんだろ』なんて、いつもからかわれていました(笑)。川上麻衣子ちゃんは、私よりも1つ年上なのですが、すごく大人っぽくて。撮影が深夜までかかったときは、家が一緒の方向だったから同じタクシーで帰ることも。麻衣子ちゃんはヒロくんの相手役だったので、ファンからカミソリや髪の毛、いやがらせの手紙が届くと嘆いていました」金八先生を演じた武田鉄矢は、本物の先生のようだった。「撮影に入る前は、生徒の緊張をほぐすために、ときには下ネタを交えて笑わせてくれます。人見知りだった私は、なかなか『先生、先生』といって近づけないタイプでしたけど(笑)」撮影現場は、青春時代を過ごした思い出の場所なのだ。「撮影が終わったとき、“卒業アルバム”をスタッフが作ってくれたんです。ところが取材でアルバムをお貸ししたら、そのまま戻ってこず……。お心当たりのある人は、返却してください」【PROFILE】伊藤つかさ’67年、東京都生まれ。幼少期から子役としてドラマに出演。’81年にはアイドル歌手としてデビューした。’06年に20年ぶりに歌手に復帰、舞台、CMなど多方面で活躍している
2023年10月14日みなさんは、学校までどのように通っていましたか。歩いて通っていたという人だけでなく、公共交通機関などを使って登校していたという人もいるでしょう。おさる(osaru.2023)さんは、高校時代、自転車で通学していました。当時のことを振り返る漫画を、自身のInstagramで公開しています。俳優の柴咲コウさんや、妻夫木聡さんなどが出演していたテレビドラマ『オレンジデイズ』(TBS系)の影響で、赤い自転車に乗っていた、おさるさん。バスよりも自転車のほうが早く着くため、雨の日も自転車通学をしていたそうです。ただ、雪国に住んでいたため、冬は慣れないバス通学をしていたのだとか。それでも、今なお自転車が好きだという、おさるさん。1点だけ譲れないものがあるといいます。それは…。「もう電動じゃない自転車には戻れない」子供が生まれ、自転車の後ろに乗せるようになった、おさるさん。現在は電動アシスト付き自転車ユーザーなのです。たまに電源を入れ忘れたまま走り出すことがあるらしく、そのたび自転車の重さに衝撃を受けているのだそう。「食器洗い機とか、乾燥機付き洗濯機とか、便利なものはいろいろいろいろありますが、電動アシスト付き自転車はその最たるものだなぁと思います」と、おさるさん。ライフステージが変わって、自転車との付き合い方にも変化が訪れたのでしょうね…![文・構成/grape編集部]
2023年08月27日青春漫画『君は放課後インソムニア』が実写映画化される。石川県七尾市を舞台に、不眠症に悩む高校生の曲伊咲(まがり・いさき)と中見丸太(なかみ・がんた)が物置状態となっていた学校の天文台で出会うことで物語が展開していく。悩みを共有することで、互いの心が近づき、大切な存在になっていく過程を丁寧に描かれている本作。実際に撮影も七尾市で行われ、より原作の世界観に近いものとなっている。大人もキュンとする青春物語。伊咲を演じる森七菜と丸太を演じる奥平大兼の話から、その魅力を紐解く。丸太は「すごく愛おしい登場人物」――まずは、お互いの役に対しての印象はいかがですか?森七菜(以下、森)いいやつです!伊咲ももちろん丸太に守られているところはあるんでしょうけど、伊咲が守っている部分もすごく多いので、意外と守りたくなる系男子なのかな、と思います。不器用だし、大抵のことは半分ぐらい失敗しちゃうし。奥平大兼(以下、奥平)確かにね。森だけど、やると決めたら絶対にやる。一生懸命だからすごく愛おしい登場人物だなと思って見ていました。――森さんは原作の大ファンだとお聞きしました。原作での丸太と比べていかがでしたか。森わりとそのままのイメージなんですよね、奥平くん。ファンとしても、すごく魅力的に演じてくれたな、という気持ちでいます。生身の人間になって、より身近にいる人に感じられるようになりました。奥平嬉しいですね。伊咲は……丸太のセリフにもあるんですけど、すごくかっこいい存在。僕も学生時代に伊咲みたいな人がいたらどういう学校生活を送ってたんだろう、と想像したりもしました。これぐらいの年のころに、原因は違ったとしても、悩みを共有できる人がいたことは丸太にとっても大きかったと思うし、本当にかっこいいの一言に尽きますね。――お互いの印象はいかがですか?撮影の中で変わっていきましたか。奥平変わった?森変わった!奥平それこそ最初は全然話さなかったんですよね。僕もちょっと人見知りしていたので。最初のころの印象ってどんなんだった?森静かで、消極的なイメージがあって。奥平へぇ。森だけど、撮影の最初のころ、クラス全員を集めて輪になって、みんなで自己紹介する時間があったんですよ。奥平あー、あったね。森地元の高校生もいて、すごく緊張している子もいたんですけど、それぞれの自己紹介に対して、例えば、吹奏楽部です、って言ったら、そこについて何か質問をするんですよ。私はどうしよう、と思っていたので偉いな、って。奥平これは行くしかないな、と思った(笑)。森多分、全員、戸惑っていたと思うんですよ。初めて会った人に質問するって難しいのに、率先してやってくれて。本当にいろんな人のことを考えて動いているのか、単純に人に興味があるのか。そのときはすごいな、と思いました。奥平そういう意味だと、森さんのイメージは変わらないかな。これ、何回も言ってるんですけど、初めて会ったときにすごく笑っていたんですよ。森日本アカデミー賞のとき?奥平そう。覚えてないでしょ。森覚えてないんですよ。自分のことを見て笑ってたって言いふらすんです。奥平いやいや(笑)。僕も緊張していたので、もしかしたら記憶が違うかもしれないんですけど、こっち見て笑ってて。「あれ、なんか顔に何かついてるのかな」って心配になりました。アカデミー賞なのに。そのあと、『世にも奇妙な物語』で一緒になったんですけど、そのときもあんまり話さなかったんですよね。だから、どういう人なんだろうって。僕は積極的に話しかけられるタイプじゃなかったので、この映画の撮影が怖いな、と思っていたんですけど、実際に話してみたら……不思議なところはあんまり変わらないかな。実は人見知り。だけど今回は嫌でも仲良くなれた――人見知りというワードが出ましたが、同年代が多い現場ではすぐに溶け込めましたか。奥平いや、本当に無理ですね(笑)。それこそが一番怖いのが、年下の子なんです。――へえ!奥平年下の子ってやっぱり、年上の僕に対して敬語を使うじゃないですか。別に使われなくてもいいんですけど、僕は距離を作りたくなって、敬語を使うんです。だから必然と距離が縮まらないというか。同い年だったらタメ口を使ってくれる子もいるし、年上の方だったら.僕に対して敬語は使わないので。年上の人には結構甘えられるので平気なんですけど。同年代はそれができないんで、大変ですよね。――今回はいかがでしたか。奥平今回は撮影に入る前にみんなで会う時間があったので、多少は話せました。それに1ヶ月間、同じ場所にみんなでいるので、ちょっと下手な表現ですけど、嫌でも仲良くなれるというか(笑)。でも、確かに最初はすごく無理して喋ってたかもしれないですね(笑)。――お仕事でいろんな方と会われると思いますが、人見知りだと自覚している分、前のめりで行かなければいけないところもありそうですね。奥平もうめちゃくちゃ前のめりになっています。別の映画の撮影のときに、やっぱり年が若いので、日常生活で圧倒的に敬語を使う時間のほうが長かったんです。だから敬語に慣れすぎて普通に敬語なしの言葉で、話せなくなったときがあって。同年代の子に話すときも不自然になっていました(笑)。そのときの現場では、監督であろうがスタッフさんであろうが、敬語禁止というのがあったんですけど、なかなか自分から積極的に動いていかないと、直らないな、という自覚はあったので、今回も意識的に頑張ってみようかな、というのは思っていましたね。「役」と「自分」を重ねて生まれた実写ならではの人物像――お互いのお芝居についてはいかがですか。役者として素敵だな、と思ったり、現場での立ち居振る舞いが魅力的だな、と思ったエピソードがあれば。奥平伊咲が、初めて自分の不眠の原因について話すバス停でのシーンでは、「役者さんだな」って思いましたね。雨のシーンだったんですけど、雨降らしが大変で、結構時間がかかったんです。前半だけ撮って、カメラアングルなどを探っていたりしたので、後半を撮るまでに時間が空いてしまって。でも、森さんはずっと集中していましたね。実際、お芝居をしていてもすごく楽しかったですし、自分が納得いく芝居をしていたので、すごいな、と思いました。それ以外のところではめっちゃふざけてたけど(笑)。森なんでそれを挟むの(笑)。奥平お互い、そこはね(笑)。でも、お芝居するときはちゃんと集中するし、スイッチも入るし、女優さんなんだな、と思いましたね。かっこよかったです。森それこそ、そのシーンは漫画を読んでいたので、そのシーンの理想があったんですよね。理想にたどり着こうとする気持ちが強すぎて、全然うまく行かなかったんです。ダメだと思って、もう何回も何回もやらせてもらっていて、私が伸び悩んでるところに、奥平くんが自分もテンション上げたりして盛り上げてくれたから……って変な言い方かな。奥平いや、わかる、わかるよ。森気持ちのボルテージをぐっと上げようとしてくれたんです。いろんな人のことを見てお芝居してる人なんだなって思いました。独りよがりじゃないというか。それは、新たな発見でもあり、嬉しかったですね。――理想のシーンに近づけようとしてうまくいかなかった、というお話でしたが、原作があるものだとキャラクターがすでに作り込まれているので役作りも難しいかと思います。どのように工夫をされたんでしょう。奥平演じていて気づいたんですけど、もちろん役はできているし、丸太の感覚は理解してやっていますし、ちゃんと丸太を意識しよう、ということはあります。でも、やっぱり現場で、僕としてもちゃんと生きていないと、決まったリアクションになるんですよね。言い方はよくないですけど、役に対しての理解があって、そこに愛があれば誰でもできることだと思うので、自分の中にちゃんと落とし込まないと良くないな、と思いました。その瞬間を丸太としてももちろんそうですけど、僕の感覚も両立して生きていこう、ということはすごく意識しましたね。森本当に何回も読んでいる漫画だから、コマが頭に浮かんじゃうんですけど、仕草を同じにしてみたり、助けてもらった部分もあります。でも、奥平くんと言ったことと同じになりますけど、原作と全く同じようにしたいという気持ちが強すぎると、「そうなっちゃった人」になりたいのに、「その行動をするために生きてる人」になってしまって。少し感覚として違うんですよね。好きだからこそ、自分としての気持ちと、伊咲としての気持ちと、お客さんとしての気持ちの比率はすごく難しかったです。――撮影が進んでいって、関係性が作り上げられていく中で、腑に落ちた部分もありましたか。森何気ないシーンは日々、重ねていくにつれて、だんだんリラックスはしてきました。でも、例えば、雨のシーンとか、自分が原作で見ててグッときたシーンは、緊張しました。「秘密」っていう決めゼリフもそうですね。奥平そうだったの?全然わかんなかった。森どれ使われるんだろー!ってずっと思ってた。奥平あれいいよね。――役作りの中で共通点を探していくっていうイメージなんでしょうか。奥平僕は、できるだけ感覚を高校生に戻そうと意識していました。監督も少し若返ってほしい、っておっしゃっていたんですよね。どうやってるんだろうと思いましたけど……なんとなく自分なりにちょっと感覚を若返らせて、なおかつ丸太の抱えてるものをきちんと理解しようとしました。例えば、寝れないことに関しては、とりあえず、寝てみないとか。寝れないのと寝ないとは違うんですけど、とりあえず寝ていないときの感覚で1日過ごすと、どういう状態になるのかはやってみないと分かりませんでしたし。でもそれ以外は、演じながら出来た感覚でやってました。森伊咲と共通点が多かったので自分にならないように、あくまで伊咲であるように、ということが今回難しいかもしれないと思ったのでそこは意識してやりました。あとはやっぱり感覚ではね。本心でセリフを言えるまで、いろんなことを理解したいなと思っていました。でも、やっぱりそういうところはやってみないとわからないので初日は手探りで、やっていましたね。――青春は本当に短い期間だからこそ、どの年代の方が見てもときめくものがあるかと思います。青春映画に出演される際に気をつけていらっしゃることはありますか。森ほかのキャストは現役高校生も多かったですけど、奥平くんも私も高校生ではないので。でも、全員が高校生の気持ちを思い出せるようにしたいな、と思っていたので、みんなでゲームをしたり、他愛もないことを話す時間は大切でした。奥平青春映画に出演するのが初めてなので、あんまり分かってないんですけど、確かに高校生の気持ちは大事にした方がいいのかな、とは思っていますね。でも、高校時代にそんなにちゃんと高校生をしてなかったのでわかんないんですけど、そういうのは大事だなと思います。――原作を読んで、ちょっと想像を膨らませたり。奥平そうですね。でも原作からは作品の空気感を結構勉強させてもらったことが大きいですね。高校生感は頑張って思い出したりとか、街中ではしゃいでる高校生を見て、こういう感じなのかな、と想像したりしていました。変化を楽しみに映画を観に来てほしい――今回の作品は伊咲と丸太が出会って、世界が変わっていく様子に多くの人がキュンとするのではないかと思います。実際にお2人が「世界が変わった」と思うような出会いはこれまでにありましたか。奥平いっぱいありますね。小さいころで言ったら、ブルース・リーに出会って空手をやり始めましたし。あとは、別の作品になるんですけど、『ヴィレッジ』という映画のプロデューサー・河村光庸さん。初めて出演した 『MOTHERマザー』のプロデューサーさんで、僕を育ててくれた方の1人です。河村さんとの出会いは自分の中ですごく大切なものとしてあります。世界が変わったというか、この業界に入るきっかけ、お芝居に出会うきっかけをくれた人なので。初めての作品に携わってくれた方々とたまに会うんですけど、今回もこの現場で一緒だった方と久しぶりに会ったんです。そういう人と会うとすごく嬉しいですし、最初を知ってくれている人、生で見てくれている人はすごく大切な存在なので、嬉しいですよね。初めての現場での出会いはすごく大切な出会いでした。森岩井俊二さんです。私がこの世界でやりたいって思った方向を決めてくれた人です。岩井さんの過去の作品を見てやりたい、と思って、出演させてもらってさらにその想いをつくして今まで生きてきました。――これからこの作品に出会って世界が変わる方もいらっしゃるかもしれません。そんなみなさんにメッセージをお願いします。奥平現役の高校生の子は共感できるところが、たくさんあると思いますし、大人の方も自分の高校時代を思い出して見るのも、それはそれでなんか楽しいのかな、って思います。僕たちが石川県七尾市で撮影したその時間を見ていただけるだけですごく嬉しいですし、それを見て何を思うかは人それぞれですけど、いろんな感想を聞きたいですね。森映画の中で「半径3m以内のことしか変えられない」って言っていましたけど、七尾市にいるたった2人の話なので、本当にそのぐらいの周りの幸せの話です。でも、物理的な距離じゃなくて、心の距離で半径3m以内って、大体自分の大切な人で埋まるぐらいだと思うんです。そのぐらいの距離の人たちへの気持ちや、半径3m以内が変わる映画になってるので、変化を楽しみに来てくれたらなと思っています。取材・文:ふくだりょうこ撮影:友野雄
2023年06月19日青春時代に夢中になったドラマの裏には私たちの知らない“ドラマ”がいっぱい。出演者ご本人を直撃し、今だから話せるエピソードをこっそりお届け!【『ふぞろいの林檎たち』(TBS系・’83~’97年)】四流大学に通う仲手川良雄(中井貴一)、岩田健一(時任三郎)、西寺実(柳沢慎吾)の就職や恋愛への葛藤を描いた青春群像劇。パート1からパート4まで制作され、脚本家・山田太一の代表作の1つに。「高校3年生の夏休み、劇作家の寺山修司さんの舞台オーディションを受けに行ったのが縁で、寺山さんのもとに稽古に通うようになりました。すごくかわいがっていただいて、映画にも出演させていただきました。そんな寺山さんが、あるとき友人の山田太一さんが大学生のドラマを描くというのを聞きつけ、ご本人に『このコを出してくれないか』と、私の出演を頼んでくださったんです。そのドラマこそが『ふぞろいの林檎たち』でした」こう語るのは、高橋ひとみさん(61)。一流大学に通いながらも、心が満たされず、マッサージパーラーで働く女子大生・伊吹夏恵役を演じた。「寺山さんは『素晴らしい役だから、これでやっていけなかったら、テレビの世界は諦めなさい』とおっしゃっていました。山田太一さんや演出家の前でセリフの読み合わせをした帰りには寺山さんのところに直行。『山田はなんて言っていた』と聞きながら、稽古をつけてくれました」■厳戒態勢で臨んだ体当たり撮影撮影現場は、まるで学校にいるようだった。「中井貴一くん、柳沢慎吾くん、手塚理美ちゃん、時任三郎くんなどみんな同年代ですからね。2日間リハーサル、2日間スタジオ、2日間ロケというスケジュールで、休みはほとんどなくずっと一緒。一人暮らしをしていたさぶちゃん(時任)の家にみんなで押しかけて枕投げをしたりと、思い切り青春を味わいました」高橋さんは、体当たりの撮影にも挑戦した。「貴一くんがお客さんとして店に来て、私が個室で上半身を脱いで接客するというシーンがありました。撮影は備え付けのカメラで行い、その様子を映すモニターも、ほかの人が見えないようにするなど、配慮していただきました。でも、無事に演じ終えると守衛さんが『すごくよかったよ!』と褒めてくれたんです。どうやら、守衛さんの見ていたモニターには映ってしまっていたみたい(笑)」女優として成長する姿を、寺山さんはどのように見たのだろうか。「じつは1話が放送される前に他界されたんです。私は泣くシーンを撮影するというタイミング。寺山さんに“ひとみは泣く演技なんてまだできないだろうから、僕のことを思ってしっかり泣きなさい”と導かれているような気がして。そんなこともあったから、私の一生の中でも、いちばん思い出に残っている作品なんです」【PROFILE】高橋ひとみ’61年、東京都生まれ。’83年に『ふぞろいの林檎たち』でテレビドラマデビュー後、多くのドラマ、映画で活躍。TBS開局70周年記念舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」に出演中
2023年06月18日皆さんはママ友とどのようなお付き合いをしていますか?子育てをしていれば、疎遠になったママ友と再会することもあるかもしれません。今回は、久しぶりに再会したママ友に愕然としてしまったエピソードを紹介します。ママ友から心配のLINE小学校のとき仲が良かったママ友がいて…久しぶりに会って愕然…!他人を見下すママ友幸せアピールで撃退!ママ友の性格が変わってしまったのかはわかりませんが、人の悩みを言いふらすのは良くないですね。口が軽かったり他人を見下したりするママ友とは、距離を置くのが正解かもしれません。
2023年06月07日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になった歌手の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「ホリプロタレントスカウトキャラバンの審査員特別賞をいただいたことで、高校入学を機に単身上京。すぐに仕事が忙しくなったので、たまに友達とカラオケに行ったのは大事な思い出。あゆ(浜崎あゆみ)の曲は取り合いでした。ホームシックにかかったり、自信をなくして落ち込んだり、元気が欲しいとき、あゆの曲がいつもそばにありました」そう’90年代を振り返るのは、タレントの新山千春さん(42)。幼いころから、ドラマと歌番組が大好きなテレビっ子だったという。「2つ上の兄がいて、小学生のころから一緒にドラマを見たりしていました。いちばん覚えているのが、5年生のときに見た『101回目のプロポーズ』(’91年・フジテレビ系)。幼な心に“このドラマは絶対ヒットする”っていう予感がしたので、VHSのビデオデッキで全部録画しておいたんです。まだ実家にビデオテープがあるはず」ドラマを何度も見て、セリフを書いて覚えたりもしていた。「浅野温子さんの役名、矢吹薫もメモっていました(笑)。ドラマの中でショパンの『別れの曲』を弾く場面があるのですが、実はとても難しい曲。ピアノ教本の難易度表でも最も難しいFランクだったと思います。当時の私はまだ初心者レベルだったので、とにかくたくさん練習しました。そのおかげで、今でも弾けるんです。浅野温子さんが髪の毛をかき上げて、コーヒーカップについたリップを指で拭う姿には見入ってしまいました。そのころから“いつかドラマに関わる人になりたい”という思いが募るように」禁断の恋を描いて話題となった野島伸司脚本のドラマも記憶に残っているという。「『高校教師』(’93年・TBS系)の桜井幸子さんは、透明感があるんだけど、どこか儚げな女子高生を演じていて、心に残っています。森田童子さんが歌う主題歌『ぼくたちの失敗』(’76年)も印象的。私にとってひと世代前の曲でしたが、今のZ世代のコが’90年代の曲を聴くような感覚なのかもしれません。名曲は、いつ聴いても心に響くものですよね」中学生になって入部したソフトボール部は、県大会に出場するほどの強豪だった。「放課後も遅くまで練習。千本ノックや滑り込みをしているので、いつも傷だらけ。練習中は水を飲むこともできない時代、いつも帰宅するころにはくたくた。テレビに癒してもらっていました」■心に響いた“あゆ”の寄り添ってくれる歌詞’95年、中学3年生のときにホリプロタレントスカウトキャラバンに出場したのもテレビがきっかけ。「『南くんの恋人』(’94年・テレビ朝日系)に出ていた武田真治さんの大ファンでした。今でこそ筋トレでムキムキというイメージですが、当時は女性的な面もあって。それなのにすごく鋭い目つきだから、雑誌の写真を見ているだけで引き込まれていました。いまは“さん”づけですが、当時は“武田真治に会いたい!”という思いで、同じ事務所のオーディションを受けたんです(笑)」地区予選を勝ち抜き、本選に駒を進めたところで、憧れの武田真治と対面できた。「本選では一人ひとつの質問ができたのですが、ほかの出場者が演技にまつわる質問などをしているのに、私はファンとして心残りなく青森に帰りたかったので『目を見て千春ちゃんって言ってください』とリクエスト。夢がかなって号泣しちゃったんです。そのあと、社長に呼ばれて『ファンの集いじゃないんだぞ』と怒られてしまいましたが(笑)」グランプリは逃したものの、新山さんは審査員特別賞を獲得しホリプロに所属。高校進学を機に上京した。「最初は友達もいないし、標準語も話せない。毎日、『青森のお刺身はおいしかった』『津軽弁を思いっきりしゃべりたい』と思っていました。撮影現場でも怒られてばかり。そのつど、すいませんと謝るのですが、『ここは元気なシーンなんだから謝るな』って、また怒られたこともありました」故郷を離れ、慣れない環境で、次々に来る仕事をするのに精いっぱい。大きな渦にのみ込まれそうになっていた時期に聴き込んでいたのが、浜崎あゆみの曲だった。「高校生のときにファーストシングル『poker face』(’98年)を聴いてから、ずっと新曲をチェックしていました」なかでも『A Song for xx』(’99年)は忘れられない曲。「自分の居場所がわからず不安を抱いている人に、“一人じゃないよ”と寄り添ってくれるような曲。青森から出てきて間もなく、自分の感情を出せる友達が少なく、仕事でも怒られてばかりと自信を失っていたから、心に響いたのだと思います。“いつか、こんなふうに同性から支持される人になりたい”という目標もできました」ライブにも足を運んだという。「曲も感動的ですが、衣装の華やかさが本当にすごくて。ネイル、靴、アイラインの引き方まで、すべてが完璧でかわいい。ファッションも全身プラダとか全身ミュウミュウとか。身につけるものは次々に流行アイテムになっていきました。私も、『SEASONS』(’00年)のジャケットでかぶっていた帽子を買ったりしていました」失恋したときには『teddy bear』(’00年)、気持ちを上げたいときには『Boys&Girls』(’99年)を聴いた。「『Boys&Girls』はモノマネ番組に出演したときに歌ったほど好きな曲。青春時代に聴いたあゆの曲を、いまでもカラオケで歌い続けています」【PROFILE】新山千春’81年、青森県生まれ。ホリプロタレントスカウトキャラバンを機に芸能界入りし、’96年の映画『お日柄もよくご愁傷さま』でデビュー。多くのドラマ、バラエティ番組に出演する。青森市観光大使を務めたり、YouTubeチャンネルを開設するなど、マルチに活躍している
2023年05月21日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、大流行したアイテムの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「ポケベルを使っていたのは、中学3年生くらいから、ほんの2~3年だけ。そのあとはPHSに切り替えてしまいました。でも、その短い期間は、交友関係がどんどん広がっていった時期。ポケベルは欠かせないコミュニケーションツールでした」こう語るのは、お笑いコンビ、メイプル超合金の安藤なつさん(42)。音楽やお笑いへの興味が広がっていった’90年代、いつも手にしていたのはポケットベル(ポケベル)だったと振り返る。「’90年代に入ったころに魅了されたバンドといえば、たま。『三宅裕司のいかすバンド天国』(’89~’90年・TBS系)出身ですが、私は小学生だったので、深夜に放送されていた番組は見ていませんでした。たまのことは、CMや音楽番組で知ったのだと思います。『さよなら人類』(’90年)は、特に気になった曲でした。小学生の私には意味のわからない歌詞も多かったのですが、なんだか懐かしい気持ちにさせてくれます。それに、ビートルズのようにメンバー全員が歌うんですけど、4人それぞれが個性的な声やイントネーションで、心を引きつけられました」電気グルーヴ、たまと同じくイカ天出身バンドの人間椅子にものめり込んだ。「人間椅子は3ピースのバンド。素人の私に演奏の技術的なことはわかりませんでしたが、音の厚みや、小説を読んでいるかのような歌詞の重厚さが、めちゃくちゃかっこよく感じられて。今でもファンで、’19年にはデビュー30周年のライブに行きました」テレビ番組に関しては、小学校高学年から中学生にかけて見ていた『ウゴウゴ・ルーガ』(’92~’94年・フジテレビ系)が印象に残っているという。「好きすぎて、毎日ビデオに録画していたくらい。トマトちゃんというCGのキャラクターが、子どものウゴウゴくんとルーガちゃんの2人に『結婚している人を好きになった』みたいな相談をするんです。“朝の子ども番組なのに、大丈夫!?”と心配になるほど斬新」お笑いに興味を持ち始めたのもこのころ。「深夜番組を見られるようになってからは、ウッチャンナンチャンさんの『UN FACTORY カボスケ』(’95年・フジテレビ系)や、ナイナイさんや雨上がり決死隊さんが出ていた『急性吉本炎』(’95年)、『慢性吉本炎』(’95年~’97年・ともにTBS系)は欠かしませんでした。中学2年生のとき、アンラッキー後藤さんという女性ピン芸人のファンになりました。あるあるネタを怒りながら叫ぶというネタなんですけど、それがめちゃくちゃ面白くて。『相方に逃げられたー!』というのがツカミで、足元には『相方募集中』と書かれたフリップが。真に受けた私は相方になりたいと手紙を書いたほどです。そんな手紙にもアンラッキー後藤さんは『じつは大学を卒業したらほかのお仕事につくので、お気持ちありがたいですけど』と、真面目な返答をくださいました」■10円で済むように“ベル打ち”の速さを練習中学から高校にかけては、音楽やお笑いなど、自分の好きなことを追いかけていたという。「ビジュアル系バンドの犬神サーカス団(現・犬神サアカス團)にハマり、はじめてのオールナイトライブを体験。中学生だったので、『このライブだけは行かせてください』と親に頼み込んだんです。定時制高校に入学してからは、あるバンドのローディー(アーティストの楽器を管理するスタッフ)として働いていました」ライブではお笑い芸人とつながることもできた。そして、自身もお笑いライブに参加するように。そんな時代に、仲間との連絡に使っていたのがポケベルだった。「ドコモのセンティーという人気機種を持っていました。数字だけしか受信できず『14106(アイシテル)』みたいな語呂合わせがはやったのは私たちより少し上の世代で、文字メッセージを受信できるタイプでした。でも、入力の仕方が独特で、五十音に対応した2桁の数字で文字を送るんです。1行目の1文字目の『あ』は『11』、2行目の5文字目である『こ』だったら『25』というように」こうした“ベル打ち”の速さも競い合っていた。「家の電話がダイヤル式だったので、公衆電話を使わないとダメ。お気に入りのテレカに穴を開けるのは嫌だったけど、使わなきゃベルが打てないという葛藤がありました。でも、チェッカーズのテレカは、どうしても使えなくて……。時間がかかるとテレフォンカードの残高が減ってしまうので、10円で済むように気合を入れて早打ちの練習をしました。それに、当時は公衆電話がめちゃくちゃ混んでいたんです。後ろに行列ができていると、焦って打ち間違えたりすることも。一文字打ち間違えただけでも、電話を切って最初からやり直すしかない。すぐに打ち終わったときは、“速いっしょ”とドヤ顔で電話ボックスから出ていました」そこまでの努力をしながら、送るメッセージといえば『イマナニシテル?』というようなたわいもないことばかり。でも、どんな用件でもベルが鳴るとうれしいし、誰からだろうと期待して画面を見てしまった。「遊ぶときやライブの待ち合わせなど、人と人がつながれる手段。ポケベルのおかげで、行動範囲が広がりました」お笑い芸人と知り合い、自身も芸人の道へ。「流れ流れて現在のサンミュージックに所属しました。うまくいかずにやめようと思ったときも、カンニング竹山さんが『やめることはないと思うよ』と言ってくれて、今に至るんです」ポケベルは、安藤さんの世界を一気に広げてくれた魔法の道具だったのだ。【PROFILE】安藤なつ’81年、東京都生まれ。’12年にカズレーザーとのお笑いコンビ、メイプル超合金を結成。’15年のM-1グランプリで決勝に進出するとテレビ出演が急増、多くのバラエティ番組で活躍する。20代のころから介護職の経験があり、’23年には介護福祉士の資格を取得した
2023年05月14日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、人生を変えてくれた映画の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’90年代”を振り返ってみましょうーー。「『ショーシャンクの空に』(’95年)は、いまだに『泣ける映画』や『好きな映画』のランキング調査で上位に入るほど、人々の心に残っている名作。じつは私にとっても五指に入るほど好きな映画なんです」そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(55)。日本で公開されたころ、注目されていた映画は『パルプ・フィクション』(’94年)や『フォレスト・ガンプ』(’95年)で、同作の期待度はそれほど高くなかった。「刑務所が舞台で、登場人物のほとんどが男性ということもあって、女性は当初、敬遠したのかもしれません。また、当時のハリウッド映画に求められていた派手なアクションがあるわけでも、人気俳優が主役を務めているわけでもありません。いまでこそ名優と名高いモーガン・フリーマンも、まだ名前が売れ始めたころでした。そのため、興行的に成功とまではいえなかったとされています」■“借りて見る”時代に口コミが生んだ不朽の名作ただ、口コミによって徐々に人気が出て、映画館よりもレンタルビデオで見る人が多かった。「学生時代にアルバイトをしていたレンタルビデオ店の後輩から『すごい勢いでレンタルされていくので、追加発注したほどです』と聞かされた記憶があります」物語は、妻とその愛人を射殺した疑いをかけられた元銀行員を中心に、刑務所での男同士の友情、そして人間ドラマが描かれている。「ホラー小説で有名なスティーヴン・キングの原作なので、怖い内容だと思って見た人もいたようですが、囚人たちの心情を丁寧に描いたヒューマンドラマ。元銀行員の主人公は、囚人仲間からいじめや性暴力を受けたり、彼のスキルに目をつけた小ずるい刑務所長から不正に加担させられたりしますが、長い年月を経て、刑務所を脱獄し、所長の不正を白日のもとにさらします。弱者が勝利する爽快な結末が、不況の日本で、より人気を集めたのでしょう」昨年5月には、24年ぶりに地上波の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で放送された。「私もコロナ禍、テレビで久々に見ました。図書係になった主人公が、刑務所でオペラ『フィガロの結婚』のレコードを流し、囚人たちが感動するシーンでは、閉鎖空間で人の心を打つ芸術の力を再認識しました。日本政府はコロナ禍で芸術家をあまり救済せず、活動自粛に苦しむアーティストもいたので、より考えさせられたのです。見返すたびに、新たな発見や気づきを与えてくれるーー。そんな名作なのだと思います」【PROFILE】牛窪恵’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍
2023年05月07日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、人生を変えてくれた映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「“結婚して専業主婦になる”のが、高校生になるころまでに描いていた将来像でした。ところが、レンタルビデオ店で偶然手にした『ショーシャンクの空に』(’95年)の影響もあり、弁護士になろうと法学部を受験。親は相当驚いていたと思いますが、あのとき思い立ったから、今の私があるのだと思っています」こう語るのは、弁護士の大渕愛子さん(45)。母方の祖父は検事、父方の従兄弟が裁判官など、親戚には法曹関係者が多い。「でも、父は会社員でしたし、母は専業主婦。幼いころは、“女性の社会進出”もさほど叫ばれていませんでしたから、母も私には働くよりも、家庭を守ることを望んでいたのでしょう。そもそも、部屋にこもって勉強したり本を読んだりするタイプではありませんでした」アイドル全盛の’80年代は、歌番組に夢中になっていた。「なかでも中森明菜さんや石川秀美さんが大好きでした。明菜さんは不良っぽさというか、ちょっと陰のある雰囲気がカッコイイなと感じていたし、秀美さんは純粋に美しい」小学校高学年のときに見た、トレンディドラマの原点ともいわれる『抱きしめたい!』(’88年・フジテレビ系)は「私のドラマ史に残る作品」というほど印象に残っている。「ダブル浅野が人気絶頂のとき。浅野ゆう子さんの都会的なファッションにあこがれました」物語では、浅野温子が演じるもう一人の主人公が、スタイリストとしてバリバリ働く独身女性として描かれている。「仕事を持って自立していて、恋愛もしている。すごく自信があるから、言葉にも力があるんですよね。キャリアウーマンになる想定などしていない私にも、“働く大人の女性って、こんなにカッコイイんだ”と思わせる女性像が描かれていました」中学受験を経験し、都内にある女子大付属の中高一貫校へ進学。「テニス部に入部して、中1、中2のときは、朝練、放課後の練習と、かなりのめり込んだのですが、中3から高校生にかけては外の世界に目が向くようになって、テニス部の交流試合や大会を通して知り合った他校の友達と遊んだり、友達同士で、他校の学園祭に行ったりしていました。’90年代はカラオケボックスが人気だったこともあって、かなり頻繁に通っていた記憶が」友人たちはアイドルの曲を好んで歌っていたが、なぜか大渕さんは竹内まりやや中島みゆきなど、大人の女性が聴くような曲が好きだったという。「中島みゆきさんの『悪女』(’81年)や竹内まりやさんの『シングル・アゲイン』(’89年)、『告白』(’90年)はけっこう暗い歌なのですが、私の知らない世界や感情が描かれていて、想像力をかき立ててくれました。歌を通して、さまざまな“経験”をしていたのです」■進路に迷っていた時期に転機となった2本の映画トレンディドラマ全盛だった時代、『振り返れば奴がいる』(’93年・フジテレビ系)も忘れられない作品だ。「病院を舞台に、織田裕二さんが演じる天才肌の医師・司馬江太郞と、石黒賢さんが演じるチームの結束を重んじる努力型の医師・石川玄との対立が描かれていました。どちらも魅力的なのですが、“いい人”そうな石黒さんにより感情移入。石川先生は病気で亡くなり、司馬先生も過去の対立相手に刺されてしまう衝撃的なラストだったので、いまだに忘れられないドラマになっています」医療や法廷がテーマの作品を好んで見ることが多くなった高校時代、自身の進路を決めかねていた。高2の3学期に進路を決めるのですが、そのままエスカレーター式に併設の四大や短大に進んでいいのか……、具体的に将来の夢が抱けずにいました」そんな時期に見た、2本の映画が大きな転機となった。「1本は『告発』(’95年)という映画。貧しい少年が妹のためにわずか5ドルを盗んだ罪で25年の刑期が言い渡されて、極悪人が収容されるアルカトラズ刑務所に」主人公は刑務所でいじめを受け、ついには囚人を殺してしまう。「そこで弁護士が登場、逆に刑務所内での虐待の事実をつまびらかにしアルカトラズ刑務所を告発。そして、ついには閉鎖に追い込むという実話を基にした物語」もう1本の映画が『ショーシャンクの空に』だ。妻とその愛人を殺した容疑で刑務所に入れられた銀行員の、ショーシャンク刑務所での過酷な生活が描かれている。「絶望的な状況のなか、自暴自棄にならず、有能な銀行員としての知恵をフル回転させて立ち回り、仲間や看守の信頼を得ていきます。少しずつ偶然が重なって、脱獄という目的を達成。噓みたいな展開ですが、とてもリアルに描かれていて、難局でも自分の頭脳で乗り越えていく主人公にくぎ付けになりました」大渕さんも、自分で道を切り開くための知識やスキルを身につけたいと思い立った。「法律や裁判を扱った映画が好きだったことと、親戚に法曹関係者がいたことが重なり、弁護士になりたいという道を見つけることができました」併設の女子大への進学をとりやめ、法学部に絞って大学受験。大学在学中に、司法試験に初挑戦し、パスしたのだった。「今のようにSNSやYouTubeで情報が得られなかった’90年代、映画や本、ドラマなどが世界を広げてくれました。なかには、人生を変えてくれるほどの作品に出合うこともあるのですね」【PROFILE】大渕愛子’77年、東京都生まれ。大学在学中に司法試験に合格し、弁護士として活動。’10年に独立して法律事務所(現アムール法律事務所)を開所した。『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)にレギュラー出演していたことも。俳優の金山一彦と結婚し、3児を育てるママでもある
2023年05月07日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になったドラマの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’90年代”を振り返ってみましょうーー。「トレンディドラマ全盛期の’80年代後半から’90年代にかけて、もっともヒット作を連発した脚本家といえば、野島伸司さんがあげられるでしょう」そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(55)。’63年に生まれた野島伸司氏は、大学中退後、目的を見失った生活を送っていたという。「過去のインタビュー記事を見ると、青森県の缶詰工場に住み込みで働いていたことがあり、その工場の生活に耐えられず寮を飛び出して東京へ向かう途中、たまたまドラマの脚本募集の告知を目にしたそうです。その後、飲み屋さんで知り合った女性に『若いのに、夢はないの?』と問われ、その場しのぎで『ドラマの脚本を書きたい』と口をついて出たとのこと。そこから一念発起して脚本の道へ。まったくツテもないなか、有名脚本家のもとに作品を持ち込み、その人にフジテレビのプロデューサーを紹介してもらったといいます。野島さんの人生も、またサクセスストーリーのドラマのよう」■キラキラよりどんより。ドラマを変えた分岐点’88年にフジテレビヤングシナリオ大賞に輝き、『君が嘘をついた』(’88年・フジテレビ系)で初めて連ドラの脚本を担当。「当初は『愛しあってるかい!』(’89年・フジテレビ系)など、いわゆるトレンディドラマらしい脚本を描いていましたが、『愛という名のもとに』(’91年・フジテレビ系)では自死やパワハラをテーマとして扱い、徐々に社会問題や人間の暗部に焦点を当てていきます。大きな転機となった作品は、教師と生徒との恋愛、近親相姦、同性愛を扱った『高校教師』(’93年・TBS系)ではないでしょうか」あまりに激しい内容に、テレビ局には多くのクレームが入った。「今でいう“炎上”ですが、反響があればあるほど、視聴率が上がりました。ここから『野島作品』のスタイルが確立します。野島さんのドラマの特徴は、初回から数話先まではテンポよく、暗いテーマにもさほど時間を割きませんが、最終回に向け、どろどろした人間の暗部に斬り込みます。こうした手法も生かし、『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』(’94年)『未成年』(’95年)『聖者の行進』(’98年・ともにTBS)とヒットを続けました」「僕は死にましぇ~ん」「そこに愛はあるのかい?」「同情するなら金をくれ」など、主人公の決めゼリフが流行語になることも多かった。「華やかでおしゃれな男女の恋愛を描くトレンディドラマの時代が終わり、暗く影のある作品が求められるようになった’90年代前半。野島さんは、その分岐点をつくった脚本家ではないでしょうか」【PROFILE】牛窪恵’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍
2023年04月09日離ればなれになった友達とも、卒業式や同窓会などの機会に再会することができます。それを楽しみに思う人がいる反面、出席するには気が引ける人たちもいるでしょう。忍者ママ(mother_ninja_)さんの息子さんは、同窓会などの集まりに出ないタイプ。それは自信のなさからだったのですが、久しぶりに再会した中学時代の友達から、思ってもみなかったことをいわれます。『インキャの僕が中学生時代の友達と初めて飲みに行った話』仕事の関係で、息子さんが住む地域を訪れた友達。しばらく飲んだ後、友達は不思議に思っていたことを息子さんに聞きました。それは、中学時代の知り合いに、息子さんが連絡を取らない理由です。息子さん自身は「みんなの記憶に自分はいないだろう」と思っていました。しかし、友達の認識は違って…。「みんなも俺も、お前のことを今でも友達と思ってるんやけど」まさかの発言に、息子さんは胸がいっぱいになった様子。自己肯定感が低かった息子さんは、周囲の評価との間にあった差に気付けたことでしょう。胸が温まった人たちからは、こんなコメントが寄せられました。・「詐欺か?それとも勧誘か?」ってハラハラしたら…いいエピソードで心に刺さりました。・涙が出た。いいお友達ですね。・昔の友達に会いたくなりました!コミュニケーションは、すれ違うことがよくあります。気を遣ったつもりが、相手に伝わっておらず、むしろ不思議に思われてしまうことは『あるある』の1つ。自分で思っている以上に、周囲の人たちが温かな目で見てくれていることも、きっとあるでしょう![文・構成/grape編集部]
2023年04月06日現在、女の子を育てている新米ママのシィさんと、学生時代の友人・エーコさん。仲がよかったはずなのに、ライフステージの変化とともに、2人の関係性やそれぞれの価値観が変わってしまい……!? シィさんとエーコさんの間に起きた、友人関係トラブルのお話です。大学生のときに、ゼミで知り合ったシィさんとエーコさん。 シィさんは、あまり自己主張が得意ではなく、何か思うところがあっても言わずにいることが多いタイプ。一方、エーコさんは、自分の主張をはっきりと伝えるタイプでした。 大学時代の友人にマウンティングされて… 出会った当初は、エーコさんの言葉が強く「ちょっと怖い……」と感じていたシィさんですが、エーコさんのやさしさに触れたことでその印象が変わりました。 ある日のゼミの打ち上げのときのこと。シィさんは、体質的にあまりお酒を飲めません。少しなら飲めるのですが、翌日体調が悪くなってしまうこともあり、控えるようにしています。 しかし、そのことを知らない先輩がお酒をすすめてきました。 一度は断ったものの、先輩は「悪い酔いしないお酒だから」と強引にお酒をすすめてくるので、“場の雰囲気を悪くしたくない”と思ったシィさんは、お酒を受け取ることに。 すると、その一部始終を見ていたエーコさんが……。 この出来事がきっかけで、だんだんと打ち解けて、2人は仲良くなっていきました。 姉御肌のエーコさんに、面倒を見てもらうことが多かったシィさん。シィさんは、エーコさんのサバサバした明るさが好きで、大学を卒業しても関係はずっと途切れずにいました。 大学時代の友人の中でも、とりわけ結婚が早かったエーコさん。 結婚式からしばらく経って、2人がカフェでお茶をしているとき、結婚の話題になったのですが……。 エーコさんに「早く結婚しなよ!」と言われ、ちょっとだけ「ん?」と、引っかかりを感じたシィさんなのでした。 学生時代からの友人で、社会人になってからも交流を続けていた2人。しかし、結婚したエーコさんが、少々マウントを取っているようにも聞こえる発言をしたことで、シィさんはエーコさんに対して違和感を覚えてしまいました。皆さんは、大人になってから、学生時代の友人との関係性に変化はありましたか? 著者:マンガ家・イラストレーター あべかわ
2023年03月22日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、読みふけったマンガの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「『SLAM DUNK(以下、スラムダンク)』(’90~’96年・集英社)は本当に大好きな作品で、年末年始に北海道に帰省するときの楽しみは、実家にある、色褪せてしまった単行本全31巻を読破すること。大きなサイズの完全版もありますが、単行本のちょうどいい厚さと、手になじむ柔らかさが好き。『スラムダンク』を読むことで、私が味わえなかったキラキラの青春を疑似体験できたし、人生において大きなチャンレンジをする決意もできたんです」こう語るのは、法学博士で信州大学特任教授の山口真由さん(39)。’90年代は“暗黒時代”だったと振り返る。「小学校高学年から中学生のころって、同調圧力が強く、美醜に対しても敏感ですよね。私は小6からニキビが増えて、妹から『遠くから見てニキビが目立つ人だなと思ったら、お姉ちゃんだった』と言われたくらい。“私なんてモテるわけがない”と自信がないから、おしゃれをしたいのに、あえてテクノカットにして“私には関係ない”という態度をとって、傷つく前に勝負を避けていました。スクールカーストも下のほう」つらい学校生活を忘れさせてくれるのは、本の世界だった。「児童書を卒業してから、’90年代に愛読していたのはシドニィ・シェルダンの翻訳本。私は本選びに失敗するのがすごく嫌なタイプ。翻訳本なら、少なくとも本国で人気のあった作品が選ばれているはずですから」『ゲームの達人』(’87年)、『真夜中は別の顔』(’90年、ともにアカデミー出版)など、次々と読破していった。「シドニィ・シェルダンの作品は『超訳』といって、自然な日本語に訳されていました。1行に文字が詰め込まれていないし、会話が多く改行も頻繁で読みやすいんです。上下巻に分かれているものも多く、“読んだ感”も味わえる。でも、殺人があったり、登場人物が不倫していたりという内容なので、親はいい顔をしません。父が借りてきた本をこっそり隠れて読んでいました。学校は楽しくなかったけれど、本がそんな日常から別の世界に、私を連れていってくれました」■登場人物たちの成長していく姿が感動的な『スラムダンク』学校では、まったく自分を出せず、まわりの目ばかりが気になっていた。「休みの日は、キャスケットやかわいいTシャツを着て出かけたいのですが、クラスの男子に見られようものなら、翌日の学校で『昨日の山口、ウケる』とかからかわれるから着られませんでした。中学時代にはやったルーズソックスも、イケてるコたちがはいているような長いルーズソックスは気が引けるので、それよりも短いもの。トイレに行くときも、誰と一緒に行けばいいのかばかり考えてしまう。順番に仲間はずれにされるのでビクビクしていたし、『真由、うざいから無視しよう』という友達の手紙のやりとりを見ては落ち込む。そんな自分も嫌で、つねに“自分を変えたい”と思っていました」『スラムダンク』に出合ったのは、そのころだ。「クラスでも人気だったので、どうやら『スラムダンク』というマンガが面白いらしいと知って、アニメから見始めました。すぐに原作が読みたくなったのですが、『少年ジャンプ』はなかなか買う勇気が……。単行本が出るたびに、妹とお小遣いを200円ずつ出し合って買っていました」物語はバスケ初心者の主人公・桜木花道の成長を軸に描かれているが、チームの仲間など、魅力的なキャラクターに引き込まれた。「流川楓はモテる見た目でバスケもうまいけれども、自己中心的で味方にパスを出さない欠点がある。作品に出てくるキャラクターはみんな、スーパーマンではなく何かしら欠点やコンプレックスを持っていました。そんな完璧ではない仲間たちが、お互いを補いながら、一歩ずつ成長していく姿が感動的。等身大のキャラがたくさん登場するし、誰かしら自己投影できるキャラが見つかるので、これほど支持された作品になったのだと思います」なかでも目が離せなかったのは三井寿。センス抜群の元中学MVPだったが、湘北高校に入学後まもなく負傷、同級生でライバルの赤木剛憲の活躍を前に挫折して、不良グループとつるむように。「バスケ部をメチャクチャにしようとしたこともあったけど、仲間に迎え入れられ選手として復帰しました。でも、2年もブランクがあったせいで体力がないんです。それで試合中、息切れして体が動かず、朦朧としてしまうことも。もう腕も上がらないはずなのに、何度も打ち慣れたシュートは美しい弧を描いてゴールへと吸い込まれ、『この音が…オレを甦らせる何度でもよ』とつぶやく名シーンは、強く印象に残っています」もがきながら本来の自分を取り戻そうとしている三井の姿を見て、“自分を変えたい”と思っていた山口さんは、大きな決断をした。「誰も私のことを知らない場所に行かないと、自分を変えることはできないと思って、東京の高校を受験することにしたんです」祖母の家に世話になり、親元を離れた高校生活をスタートさせた。新しい環境に身を置いたことで、徐々に自分を変えられたという。「北海道ではバスケ部のマネージャーなんておそれ多くてなれませんでしたが、東京の学校ではサッカー部のマネージャーに。大学進学、就職とその後もチャレンジは続きましたが、高校で上京したときほど、大きなものはありません。その最初の一歩を後押ししてくれたのが『スラムダンク』の三井寿なんです」【PROFILE】山口真由’83年、北海道生まれ。東京の高校を卒業後、東京大学に進学。法学部卒業後は財務省、弁護士事務所勤務などを経て、現在は信州大学の特任教授。近著に『世界一やさしいフェミニズム入門早わかり200年史』、『「ふつうの家族」にさようなら』などがある
2023年03月12日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になったアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「アムロちゃんとは同学年で、同じ沖縄出身。そんな共通点があるから、アムロちゃんの歌にいつも自分を重ね合わせてきました。ラストコンサート『Finally』も、チケットが当たって見に行けたんです。『じゃあ、またね』と、特別なことは何も言わずにステージから降りたのもアムロちゃんらしく、今でも、また会えるような感覚でいます」こう語るのは、医師の友利新さん(44)。’90年代を振り返ると、人生は安室奈美恵の楽曲とともにあったという。「高校に進学する15歳まで、沖縄県の宮古島で育ちました。いまでこそ宮古島というとリゾートのイメージですが、私が育った当時は離島の田舎町。テレビでリアルタイムの放送が見られるのはNHKだけで、民放の番組は、だいたい東京の2週間遅れ。だから、『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)の結果を知るのも、2~3週間後になってしまいます。雑誌も船便で運ばれてくるから、東京の発売日よりだいぶ遅れていました」とくに愛読していたのは今井美樹や有森也実、はなが“シスターモデル”として活躍していた『mc Sister』(婦人画報社/現・ハースト婦人画報社)。「ファッションばかりでなく、原宿のショップ紹介やグルメ記事など、さまざまな東京の情報が詰めこまれていました。あとは宝島社の『CUTiE』も、毎号楽しみ。バンドブームだったので、『三宅裕司のいかすバンド天国』(’89~’90年・TBS系)出身のジッタリン・ジンが大好きでした」ファッションや美容に興味を持ち始めた中学3年生のとき、子宮内膜症と診断された。「病院の先生からは『将来、子どもができなくなると困るから治療しようね』と、当時では標準的な治療法だったホルモン剤を飲むことになったんです」医師の「体重が増えたり、ニキビができるかもしれないけど、頑張ろうね」という言葉どおり、副作用に苦しんだ。「体重は15キログラムくらい増えて、顔中にニキビが。朝起きると、ニキビがつぶれて枕に血がついていることもありました」宮古島の中学校を卒業し、沖縄本島の高校に進学するために引っ越しをしたときのこと。2歳上の姉が空港に迎えに来てくれたが、容姿の変わってしまった友利さんを見つけられなかったという。「姉はかわいくて、学校ではファンクラブがあるほど。学校では“入学してくる妹も、かわいいに違いない”と噂になっていたようで、私を見てみんな“え!?”という顔をしていました。“全然気にしていないよ”という態度をとっていましたが、いつも容姿にコンプレックスを抱いていたんです」■人生の節目、節目で勇気づけてくれた安室奈美恵の歌そんな悩みを抱えていた高校3年生のとき、安室奈美恵が『TRY ME~私を信じて~』をリリースした。「こんなにスタイルがよくて、かわいくて、歌えて踊れる人がいるんだと衝撃を受けました。踊るといっても、アイドルの振付のようなものではなく、本格的なダンス。自分と同じ年齢ということもあって、アムロちゃんの歌を聴くと、自分を信じようと思えたり、勇気づけられたりしました」その後出会った医師の治療により病状が回復し、体重や肌荒れも落ち着いた。そんな経験が、もともと抱いていた医師への夢を後押しし、高校卒業後は東京女子医科大学へ進学。「東京は人が多いのですが、だからこそ孤独を感じやすかったです。学校の勉強も大変で、なかなか先が見えずに葛藤を抱いていた19歳のころに聴いていたのが『SWEET 19 BLUES』(’96年)でした」医学部の勉強はハード。前期・後期試験の1カ月前から、毎日大学の図書館が閉まる夜10時まで勉強していた。「それほど優秀な学生ではなかったので、勉強には苦労しました。図書館からの帰り道に、MDに録音した『Don’t wanna cry』を聴いて気持ちを高めていました」大学がある場所が、お台場に移転する前のフジテレビに近かったこともあり、通学中にドラマの撮影現場を目にすることがあった。「月9ドラマ『バージンロード』(’97年・フジテレビ系)のロケを見たときは感動。ドラマの主題歌が、アムロちゃんの『CAN YOU CELEBRATE?』ですから!」それから数カ月後、安室は20歳で結婚・妊娠を発表、’97年の『紅白歌合戦』で同曲を歌ったのち、1年間の産休に入ったが、翌年の紅白で復帰した。「ママになって、ちょっとふっくらして戻ってきたアムロちゃんは、本当に素敵でした。スーパースターで、結婚・出産も経験して、またステージに戻ってくる。すべてを諦めずに手に入れる姿に、すごく衝撃を受けたし“私も!”と影響を受けたんです」医師になった友利さんは、恩師から「友利くんは、一人の患者を診るだけでなく、多くの人に何か発信もできるのではないか」とアドバイスされたこともあり、医師としてメディアにも出るという新たな挑戦をすることに。「当時、女性の医師でメディアに出ているのは西川(史子)先生くらいだったので、やっぱり不安はありました」メディアに出れば、厳しい意見が寄せられる。だが、そんなときに勇気づけてくれたのは、やはり安室だった。「私なんかが“アムロちゃんみたいに”なんていうのはおこがましいですが、『Chase the Chance』で感じた“夢は、見たり語ったりするだけじゃなくて、努力をして手に入れなければ”という気持ちでやってきました。アムロちゃんには、生き方まで教わったんです」【PROFILE】友利新’78年、沖縄県生まれ。医師免許取得後、内科医として勤務し、のちに皮膚科医に。医師として勤務するかたわら、’04年に第36回ミス日本コンテストで準ミス日本を受賞。3児のママとなった現在も多くの情報番組でコメンテーターとして活躍している
2023年02月26日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、衝撃を受けた映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「ジブリ作品は昔から大好きで、何度もテレビで見ていました。とくに初めて映画館で見た『もののけ姫』(’97年)は衝撃的。これをきっかけに映画館に行くようになり、エンタメの世界への興味をさらに強くしたんです」こう語るのは、タレントの安めぐみさん(41)。芸能界へのあこがれは、幼いころから抱いていたという。「すごくテレビっ子で、歌番組が始まると、内気な性格にもかかわらずコタツの上にのって、踊ったり歌ったりしていました。“いつかはテレビに出てみたいな”と、ずっと思っていました」歌番組、ドラマ、お笑い番組、なんでも好きだった。「小学生のころ、クラスでは光GENJIやSMAPが人気で女子の話題になっていましたが、私の興味は男性アイドルよりもお笑い番組。志村けんさんの『だいじょうぶだぁ』(’87~’93年・フジテレビ系)や『風雲!たけし城』(’86~’89年・TBS系)は欠かさず見ていたし、『とんねるずのみなさんのおかげです。』(’88~’97年・フジテレビ系)の、人気アイドルが全身タイツ姿で登場する“モジモジくん”のコーナーも大好き。『浅草橋ヤング洋品店』(’92~’96年・テレビ東京系)で、周富徳さんたち料理人が繰り広げる中華料理対決にもすごく興味がありました」最初に親に買ってもらったCDは、今はなき細長いパッケージが特徴のシングルCDだった。「『ADブギ』(’91年・TBS系)の主題歌だった楠瀬誠志郎さんの『ほっとけないよ』(’91年)か、観月ありささんのデビュー曲『伝説の少女』(’91年)のどちらかだと思います。そのまま保存するのか、折り曲げて保存するのかで迷っていました(笑)。観月さんのことを知ったのもテレビの歌番組。とにかく脚が長くて、顔もすごく小さい。“なんてキレイな人なんだ”と、雑誌のグラビアページを切り抜いたりしていました。ずいぶん後になって、観月さんとお仕事をご一緒したり、お食事をする機会があって、奇妙な感覚に。昔からのファンですと伝えると、『アリガトウ!』ってサバサバした感じで返してくれるのも、観月さんらしいです」当時、ティラミスに続いて人気となったナタデココの存在も、テレビで知った。「CMの“ナタデ・コ~コ”というフレーズは、今でも耳に残っています。わが家の冷蔵庫にはナタデココが常備されていたほど、あの硬さと軟らかさの中間にあるような絶妙な食感のとりこに。最近、タピオカ屋さんに行ったのですが、長時間並んだのに、あまりの懐かしさから、タピオカではなくてナタデココをトッピングしてしまいました」■自然の雄大さへの畏れを感じた「もののけ姫」小・中学生時代は、友達同士で映画館に行くことができず、映画はテレビで見るものだった。「最初に見たジブリ作品は『天空の城ラピュタ』(’86年)。子どもにもわかりやすい冒険活劇。主人公のシータとパズーが、トーストの上にのせた目玉焼きをシュルッと食べるシーンがあるのですが、それがなんともおいしそうで。母にねだって同じものを作ってもらいました。ジブリ作品は、料理の描き方がすごく上手で、見ているとおなかがすいてくるほど」それからは、テレビで放映されるジブリ作品を見逃さなかった。「『となりのトトロ』(’88年)は、ネコバスなどのファンタジーなところも魅力ですが、サツキとメイの姉妹愛がジーンときます。『魔女の宅急便』(’89年)の、キキとトンボが二人乗りした自転車が、倒れるようにコーナーを回ったりして疾走するシーンは、本当に風が吹いてくるような迫力」ジブリ作品特有の臨場感を味わうため、初めて映画館に足を運んだのは、高校1年生のときに公開された『もののけ姫』だった。「電車に乗って立川(東京都)の映画館に行ったと思います。高校生にとって、友達と一緒に映画館に行くなんてかなりのイベント。すごくワクワクしていたことを覚えています」期待どおりの映像と、壮大なスケールで描かれる物語の世界に入り込んでしまった。「人間と自然や動物との関わり方がテーマになっている作品。動物がしゃべるシーンも多くありましたが、なかでも人間に恨みを持つモロの君役の美輪明宏さんの声には、凄みと迫力がありました。それに、タタリ神に呪いをかけられたアシタカのあざが大きくなって、ウネウネと蛇のように体に巻きつくシーンがあったり……。人間の力では到底太刀打ちできない自然の雄大さに、畏れのようなものを感じました」映画を見終わった後は、当時、はやっていたプリクラを友達と撮って、2時間ばかりカラオケボックスで歌って帰った。「それからは映画を見に行く機会が増え、アニメ映画だけでなく『タイタニック』(’97年)のような洋画も映画館で見るように。小さいときからテレビっ子で芸能界に興味を持っていた私は、映画を通じてさらにエンタメの世界に引きつけられ、エキストラ事務所に登録してみようと思ったんです」芸能活動はドラマの通行人役から始まり、事務所のすすめでグラビアにも挑戦した。「初めて“安めぐみ”としてテレビに出たのは、東北のローカル番組のアシスタント。その番組でMCを務めていたのが、今の夫(東貴博さん)なんですよ」その10年後に別番組で再会して交際に発展し、’11年に結婚。「今は小学校2年生の娘と、ジブリ映画を見ています。でも、内容的に難しい『もののけ姫』を見るのは、もうちょっとお姉さんになってからになるんでしょうね」【PROFILE】安めぐみ’81年、東京都生まれ。’99年に「第10回YJ全国女子高生制服コレクション」で準グランプリを受賞後、タレント・ナレーターなど幅広く活躍。’11年、タレントの東貴博と結婚、’15年に長女を出産。現在『土曜はナニする!?』(フジテレビ系)に準レギュラーとして出演中
2023年02月19日平成ウルトラシリーズを手掛けてきた特撮の旗手、小中和哉監督の自伝的青春映画『Single8』から本ビジュアルが解禁となった。本作は、映画作りに情熱を燃やす高校生たちが繰り広げる恋と友情を描いた70年代の青春グラフィティ。1978年夏、高校生の広志は日本で公開されたばかりの『スター・ウォーズ』を観て大興奮!自分も巨大な宇宙船を撮りたいと8ミリカメラを手にする。映画作りへの熱い想いはいつしかクラスメイトたちを巻込み、文化祭の出し物で監督作品が上映されることに。こうして忘れられない夏休みの撮影が始まった――。主人公の広志には、主演映画『許された子どもたち』で第75回毎日映画コンクール・スポニチグランプリ新人賞を受賞、ドラマ「ファーストペンギン!」にも出演した注目の新鋭、上村侑。広志をサポートし共に奔走する友人の喜男と佐々木に、ホリプロ初の男性ダンス&ボーカルグループ「WATWING(ワトウィン)」で活躍する福澤希空と桑山隆太。広志が密かに思いを寄せ、映画のヒロインを申し出る夏美に、『ベイビーわるきゅーれ』で話題をさらった高石あかりとフレッシュな若手俳優が集結する。監督は、平成ウルトラシリーズを手掛けてきた映画監督・小中和哉。「8ミリ映画作りに熱中した青春時代を映画にしたい!」と抱き続けていた念願の企画を実現。仲間と一緒に情熱を傾け、一からモノづくりをすることの尊さを描いた極上の青春映画が誕生した。今回解禁となった本ビジュアルは、8ミリフィルムの穴をデザインにあしらい、8ミリカメラのシルエットの中で主人公たちがポーズをとっているもの。シンプルながらも抒情的でノスタルジーを感じさせるビジュアルとなった。また、是枝裕和、黒沢清、樋口真嗣ら第一線で活躍する同時代を生きた映画監督たちと、「ウルトラマン」シリーズ初代ヒロイン、科学特捜隊「フジ・アキコ」隊員を演じた桜井浩子からも応援コメントが到着。「不思議なワクワク感に満ちていました」と語るのは是枝監督。「単純なノスタルジーではなかったのは、小中さんの中に自らの原点をもう一度確かめたいという強い前向きな動機があったからではないかと勝手に想像して嬉しくなりました」とコメント。黒沢監督は「ああ、懐かしい。撮ってるときは何が写っているのかさっぱりわからないのが8mm自主映画だった。だから、出来上がった作品はいつも予想もしないものになる。あれがスタートだった」と自らの実体験を回顧。樋口監督も「あの日々を生きていた何者でもなかった自分たち。そんなもの作ったところで何か変わるなんて保証もなく、それでも説明出来ない何かに突き動かされていたあの日々。そいつは甘いけれど、とても苦い」と、当時の思い出に浸ったことを明かす。そして「小中さんのルーツが分かりました」と語る桜井さんは、「初めの一歩の息吹を感じさせてくれる貴重な作品でした」とコメントを寄せている。【『Single8』公開記念小中和哉監督特集開催決定】公開を記念して、横浜にある映画館シネマノヴェチェントにて、小中監督の自薦5作品を8日間にわたって特集上映することが決定。オリジナル版とリメイク版、初の同時上映となる『星空の向こうの国』、ウルトラシリーズの劇場版代表作『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』と『ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア超時空の大決戦』、兄で脚本家の小中千昭とタッグを組んだ『VAMP』の計5作品を上映する。『Single8』は3月18日(土)よりユーロスペースほか全国にて順次公開。「小中和哉特集」は2月19日(日)~2月26日(日)シネマノヴェチェントにて上映。(text:cinemacafe.net)■関連作品:Single8 2023年3月18日より公開©️『Single8』製作委員会
2023年01月27日