「走る」ためのミュージックアルバム2021年11月5日、株式会社インセンスミュージックワークスより、世界陸上銅メダリストが選曲したランニングミュージックアルバム『RUNNING MUSIC selected by 藤光謙司』(税込1,222円)が、デジタル配信限定でリリースされました。「Apple Music」や「Spotify」等、主要音楽配信サイトより購入できます。世界陸上メダリストが15曲を厳選同アルバムでは、2017年の世界陸上男子400メートルリレーで銅メダルを獲得した藤光謙司氏が、実際にトレーニング中に聴いていた全15曲をセレクト。世界的に有名なダンスミュージックレーベル「Spinin Records」の大ヒット曲や一度は耳にしたことがある洋楽のカバーなど、聴いているだけで走り出したくなるような楽曲が収録されています。「ウォーミングアップ」「トレーニング中」そして「クールダウン」、3つの場面ごとに曲がセレクトされているため、これ1枚で1日のトレーニングが充実したものに。ランニング初心者から上級者まで、あらゆるランナーの走りを後押ししてくれます。(画像はプレスリリースより)【参考】※「インセンスミュージックワークス」公式サイト
2021年11月07日柔道女子52kg級金メダリストの阿部詩さんが“あかぬけ血色メイク”に挑戦!ヘア&メイクアップアーティストのpakuchanさんによる、分かりやすい解説付きです。かわいい×ヘルシーな色気、ハッピーオーラ全開の血色メイク。柔道女子52kg級金メダリストの阿部詩さんが“あかぬけ血色メイク”に挑戦してくれました。阿部:撮影などでクールな感じのメイクをしてもらうことは多かったのですが、こんなメイクは初めて。すごくうれしいです!私じゃないみたい(笑)。pakuchan(以下paku):お顔のパーツそれぞれがとてもかわいらしくて、特に目が印象的ですね。その愛らしさを少し大人っぽく表現してみました。阿部:ぜひオフの日にしてみたいですが難しそう…。paku:大丈夫、コツを押さえれば意外と簡単です。血色メイクといえばピンクが代表格ですが、オレンジを加えることでヘルシーな色っぽさが出るんですよ。今回は目もとをピンク系で仕上げ、リップはオレンジの色みが入ったものを。全体がワントーンにまとまるよう眉にもオレンジを少し乗せています。阿部:マスカラにも色が入っていますよね?paku:ピンクブラウンのカラーマスカラを使っています。少しハードルが高いと感じるかもしれませんが、まつ毛の中間から毛先につければOK。目もとに柔らかい雰囲気が生まれますよ。Makeup PointA絶妙なヴィンテージカラー。hince ニューアンビエンスカラーマスカラ G001¥2,200(hinceカスタマーセンター TEL:050・5357・3311)Bソフトマットな質感。ルージュ・ジバンシイ・シアー・ベルベット 32¥5,060(パルファム ジバンシイ〔LVMHフレグランスブランズ〕 TEL:03・3264・3941)血色感ある色を全体的に使うのがポイント。優しい眼差しは、暖色系のカラーマスカラの成せるワザ。まつ毛の根もとからつけず、中間から毛先につけて。あえてのオレンジ系リップは、指でふわふわと色を置くようにつけるのがコツ。今っぽいマット感のある唇が簡単に完成。Uta’s Beauty Rules1、スチーマーを使うと翌日見違える!「普段から汗をよくかいているからか、新陳代謝がいいようで、肌トラブルはほとんどないんです。それでも、スチーマーを使うと翌日の肌の状態が全然違う!しっとりと潤ってキメが整う感じ。練習中は畳で肌が擦れることも多く、ケアを含めて手放せません」アルガンオイルをブースターに。「母が愛用していたアルガンオイルを使い始めたのがきっかけです。アルガンオイルを塗ってから化粧水、クリームへと移るのですが、お手入れを3ステップにしてから肌がすごく変わりました。他の方法も試したなかで、一番私に合うスキンケアだと思います」炭酸パック、よかったです!「粉とジェルを混ぜて作るタイプの炭酸パックにハマっています。人からいただいて、試しに使ってみたらすごくよかったんですよ。ピリピリと刺激がありますが、使用後はかなりスッキリ。肌の色がワントーン明るくなる気がします。毎回、使うのが楽しみですね」阿部 詩柔道家。東京2020オリンピックで夏季五輪史上初の兄妹同日金メダルを獲得。女子52kg級制覇も日本柔道史上初。「練習日はほぼすっぴんですが、メイクもヘアも大好き。メイク動画も見ます」ニット¥35,200(G.V.G.V./k3 OFFICEwww.k3coltd.jp)スカート¥42,900(ウジョー/エム TEL:03・3498・6633)イヤカフ¥14,300(ルフェール/UTS PR TEL:03・6427・1030)Hair&Make pakuchanThree PEACE所属。個性や長所を最大限に活かしつつ、おしゃれとトレンド感を取り入れたメイクが得意。俳優、アーティスト、タレントなどのメイクも手がけるなど多方面で活躍中。※『anan』2021年11月3日号より。写真・高橋マナミスタイリスト・藤長祥平ヘア&メイク・pakuchan(Three PEACE)取材、文・伊藤順子
2021年11月02日映画『燃えよ剣』(10月15日公開)の公開記念スペシャルトークイベントが24日に都内で行われ、岡田准一、武井壮、フェンシング男子エペ団体金メダリスト(見延和靖、山田優、加納虹輝)が登場した。同作は岡田演じる土方歳三を主人公に、新選組志士たちの人生と激動の幕末を描く。『関ヶ原』(17)、『日本のいちばん長い日』(15)などで知られる原田眞人監督が、司馬遼太郎の同名小説を原作にメガホンを握り、新選組局長・近藤勇を鈴木亮平、美しき剣士・沖田総司をHey! Say! JUMP・山田涼介が演じる。岡田はフェンシングの金メダルについて「感動しましたよね。現代の最強剣士達というか、タイミングとか機会とか、いろいろあるんだと思うんですけど、何よりも流れをつかむ力が。ここでこの流れを断ち切らなきゃいけないとか、自分たちの流れに引き込むんだとか、タイミングを理解してやってる姿がすごいなと思いながら観戦させていただきました」と振り返る。フェンシング自体については「自分も違う武器術とか習ったりしてるのですが、突きってめちゃくちゃ難しい。『燃えよ剣』では最強と言われてた沖田がすごくうまかったといいます。剣道とかでも、危ないから中学生以上しかやってはいけないとか、胴を打ってはいけないとか言われていて、強力すぎるので日本ではあまり使わないとされているものを全身でやり合ってるというのは、すごい技術。こんなに距離の詰まったところで突き合うんだとか、三段階に分かれる技術がたくさんあるなとか、興奮しながら見てます」とトークも止まらない様子だった。選手同士の実演もなされ、岡田は「ちょっとやってみたい」とその気に。持ち方から教えてもらいながら構えると、身延選手も「綺麗に重心が中心に来てますね」と感心する。さらに「現代の沖田総司だと思ってる」という山田選手を突きながら、「初動が見えない方が良いってことですよね」と的確にポイントをつかむ岡田。「特別な技はないんですか?」という岡田は、「剣をしならせて相手の背中を突く」という振り込みという技を教えてもらうと、「稽古モードに入ってる。イベントらしからぬ眼光になってる」と武井にツッコまれながら実践し、選手達からも「おお〜」「素晴らしい」と声が上がっていた。
2021年09月24日アテネ五輪柔道男子100kg超級金メダリスト、鈴木桂治と、首都圏に総合フィットネスクラブ「ジェクサー・フィットネス&スパ」などの施設を展開する、JR東日本スポーツ株式会社(本社:東京都豊島区、代表取締役社長:江藤尚志)は、鈴木桂治が監修する「鈴木桂治 柔道アカデミー」を「ジェクサー・フィットネス&スパ大宮」で開講いたします。鈴木桂治の想い ※イメージ図柔道は、相手を投げる「楽しさ」が魅力です。昨日までできなかった技が、できるようになる「喜び」も学べます。その半面、相手にけがをさせない「思いやり」、相手に投げられる「優しさ」や自分を守る「受身」も大切です。当アカデミーでは、子どもたちの成長に見合った体の使い方を身につけてもらうとともに、相手を思いやり、敬うという「武道の心」も伝えます。子どもたちには、柔道だけを続けるのではなく、柔道で知った「動く喜び」を通じ、ほかのスポーツや新たな目標に挑戦するためのステップアップにつなげてほしいと思っています。子どもたち一人一人が持つ個性と無限の可能性を引き出し、健全な心と体の成長をお手伝いいたします。鈴木桂治も定期的にジェクサーで子どもたちの指導を行います。■スクール概要開講場所 :ジェクサー・フィットネス&スパ大宮(さいたま市大宮区錦町91-4)開講日 :毎週2回(月曜日、木曜日、第5週は基本休講)対象と定員:4歳~幼稚園年長(10名)、小学1、2年生(15名)、小学3年生以上(15名)派遣講師 :武井俊介(武井道場館長、国士舘大学柔道部OB)■会社概要所在地 : 〒170-0005 東京都豊島区南大塚3-33-1 JR大塚南口ビル7F設立 : 1978年3月資本金 : 400,000,000円事業内容: フィットネスクラブ、スイミングクラブなどのスポーツ施設の建設・運営、フットサルクラブの運営、フィットネスクラブなどの企画・運営受託、リラクゼーションスポットの運営、スポーツ事業の受託、介護予防サービス事業URL : ※プレスリリースに掲載されている内容、お問い合わせ先、その他の情報は、発表時点の情報です。その後予告なしに変更となる場合があります。あらかじめご了承ください。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年09月15日2021年1月から6月生まれの男の子32,616名の名前を調査した「ベビーカレンダー2021年上半期赤ちゃんの名前ランキング」から、ちょっぴり珍しいメダリスト4名をピックアップして調査してみました! 水谷 隼(みずたに じゅん) 水谷 隼選手は、卓球でオリンピックに4大会連続出場した選手です。東京五輪では新種目の混合ダブルスで中国を破り、卓球初の金メダルを獲得。また、男子団体でも銅メダルを獲得しました。その明るいキャラクターで、バラエティなどのテレビ番組でも大人気です。 2021年上半期、同名の赤ちゃんは16名、同じよみは22名に名づけられています。「隼」は「はやぶさ」と読む鳥の名前でもあることから、俊敏なイメージもあります。鳥のように自由に生きて欲しいと願って名づけてもいいですね。五十嵐 カノア(いがらし かのあ) 五十嵐カノア選手は、サーフィンで今大会銀メダルを獲得した選手です。スピードと技術を兼ね備えたサーフィンが持ち味の選手で、サーファーの父の影響で幼少の頃からサーフィンを始めたそう。2021年上半期では、同名の名前の赤ちゃんが6名、同じよみは16名いました。五十嵐選手の名前「カノア」は、ハワイの地元の言葉で「自由」を意味するそうです。 加納 虹輝(かのう こうき)加納 虹輝選手は、フェンシングで日本フェンシング史上初の金を獲得した選手です。非常に強い体幹を生かした攻撃と、守備での安定したフェンシングが特長で、2大会連続の代表入りを果たしました。2021年上半期では、同名の赤ちゃんが2名、同じよみは229名(23位)でした。大きな虹を連想させ多彩な魅力を持つ「虹」に、明るく光り華やかなイメージを受ける「輝」を組み合わせた名前で、きらびやかな人生になるよう願って名づけられたのかもしれませんね。 本多 灯(ほんだ ともる) 本多 灯輝選手は、競泳で銀メダルを獲得した選手です。2021年上半期、同名の赤ちゃんが3名、同じよみは6人に名づけられています。 その字の通り、やさしく光る灯(あかり)という意味があり、「世の中を明るく照らすような人になりますように」という願いを込めて名づけてもいいですね。男らしさを感じさせる「一文字ネーム」の一つでもあります。 同じ名前ゼロ!激レアネームも!上記選手のほかにも、柔道で同日に兄妹で金メダルを獲得したことでも話題になった阿部 一二三(あべ ひふみ)選手、体操の団体銀・種目別あん馬で銅メダルを獲得した萱 和磨(かや かずま)選手、柔道で金メダルを獲得した髙藤 直寿(たかとう なおひさ)選手の名前を調査しましたが、上半期では同じ名前は名づけられていませんでした。とても珍しい名前だと言えそうですね。たくさんの感動を与えてくれた選手たち。これから男の子の名前を考える方、ぜひ参考になさってくださいね。 <調査概要>調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月1日(金)~1月25日(月)、2月1日(月)~2月25日(木)、3月1日(月)~3月25日(木)、4月1日(木)~4月25日(日)、5月1日(土)~5月25日(火)、6月1日(火)~6月25日(土)調査件数:32,616件(男の子)
2021年09月11日過去最多のメダルを獲得した夏の五輪。今回は、ちょっぴり珍しい名前のメダリストに注目!2021年1月から6月生まれの女の子31,700名の名前を調査した「ベビーカレンダー2021年上半期赤ちゃんの名前ランキング(女の子編)」から、ちょっぴり珍しいメダリスト6名をピックアップして調査してみました!阿部 詩(あべ うた)阿部 詩選手は、今大会で金・銀メダルをそれぞれ1つずつ、計2つメダルを獲得した柔道選手です。同日に兄妹で金メダルを獲得し、日本中が感動の渦に包まれました。 2021年上半期名前ランキングでは、「詩」は人気ランキング25位、「うた」というよみは47位でした。同名の赤ちゃんが上半期に73名、同じよみは134名に名づけられています。 「詩」は、楽しい音楽やリズム・言葉を連想させ、どことなく豊かな感性や芸術性を感じる漢字。強くたくましい阿部詩選手の姿に感銘を受け、同じ名前を名づける親御さんが増えていくかもしれませんね。 西矢 椛(にしや もみじ)西矢 椛選手は、スケートボード女子ストリートで金メダルを獲得した選手です。日本選手最年少となる13歳で金メダルを獲得したことでも話題になりましたね。 2021年上半期では、同名の赤ちゃんが8名、同じよみは2人に名づけられています。毎年11月生まれの赤ちゃんに多く名づけられています。美しい紅葉をイメージさせるような名前で、色とりどりに染まるその葉のように、「美しく成長し、たくさんの人に愛されるますように」という願いを込めて名づけてもいいですね。 赤穂 ひまわり(あかほ ひまわり)赤穂 ひまわり選手は、バスケットボールで日本を銀メダルに導いた選手です。元バスケットボール選手の両親から生まれ、姉・双子の兄もバスケットボール選手に。 2021年上半期では、同名の赤ちゃんが4名、同じよみは15名に名づけられています。実は赤穂選手は8月生まれ。夏の空に向かってまっすぐにのびるひまわりの花を連想させる名前で、夏生まれの赤ちゃんにピッタリですね。 開 心那(ひらき ここな) 開 心那選手は、今大会スケートボードで銀メダルを獲得した選手です。12歳11カ月でのメダル獲得は日本最年少記録だということでも話題になりました。2021年上半期、「ここな」というよみは100位にランクインし、同名の名前の赤ちゃんが4名、同じよみは74名に名づけられています。思いやりを意味する「心」に、ゆったりとしているという意味の「那」を組み合わせた名前。どことなく、優しく朗らかな印象を受けるようですね。 稲見 萌寧(いなみ もね) 稲見 萌寧選手は、今大会ゴルフ競技で銀メダルを獲得した選手です。小学4年でゴルフを始め、2019年にツアー初優勝。世界ランキング27位で出場権を得て代表入りしました。2021年上半期では、同名の赤ちゃんが2名、同じよみは17名に名づけられていました。かわいらしい音と生命力を感じさせる「萌」を用いた名前。現在放送中のNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」のヒロインの名前も「もね(百音)」であることから、これからますます注目の名前です。 並木 月海(なみき つきみ) 並木 月海選手は、今大会ボクシング競技で銅メダルを獲得した選手です。中学からボクシングを始め、2018年の世界選手権で銅メダルを獲得。今回の東京五輪は、日本女子がボクシングに初めて出場したオリンピックでもありました。 2021年上半期では、同名の赤ちゃんが2名、同じよみは3人に名づけられています。夜空をやさしく照らす「月」と、広くて大きい「海」を組み合わせた名前で、広い心でスケールの大きな女性という印象を受けるようですね。 平野 美宇(ひらの みう) 平野 美宇選手は、今大会卓球で銀メダルを獲得した選手です。13歳でダブルスでワールドツアー史上最年少優勝。2017年のアジア選手権でも優勝という輝かしい成績をおさめています。 2021年上半期では、同名の名前の赤ちゃんが1名、同じよみは87名(83位)に名づけられていました。文字通り身も心も美しいという意味の「美」に、宇宙を連想させる「宇」を組み合わせた、壮大な名前です。 上記6選手のほかにも、卓球で金・銀・銅メダルを獲得した伊藤美誠(いとう みま)選手、柔道で銀メダルを獲得した渡名喜 風南(となき ふうな)選手、サーフィンで銅メダルを獲得した都筑 有夢路(つづき あむろ)選手の名前を調査しましたが、上半期では同じ名前は名づけられていませんでした。とても珍しい名前だと言えそうですね。たくさんの感動を与えてくれた選手たち。これから女の子の名前を考える方は、ぜひ参考になさってくださいね。 <調査概要>調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月1日(金)~1月25日(月)、2月1日(月)~2月25日(木)、3月1日(月)~3月25日(木)、4月1日(木)~4月25日(日)、5月1日(土)~5月25日(火)、6月1日(火)~6月25日(土)調査件数:31,700件(女の子)
2021年09月10日河村たかし名古屋市長(公式Twitterより)東京五輪ソフトボール代表・後藤希友選手の金メダルをかじったことが大きな騒動となった、河村たかし名古屋市長。「『最大の愛情表現だった』と言い訳し、のちに謝罪もしてますが、これはダメですよね。ましてこの1年半にわたり、“接触”に最大限の配慮を続けているなかでの、マスクを外して唾液が確実につくだろう行為。カキンと歯にあたる音も聞こえました。メダルの授与そのものも、本人自らが首にかけるというスタイルで配慮を行なっているような状況です。河村市長の行動以前に、そこに何の疑問を抱かずに、よかれと思ってやってしまうところが最大の問題点です」と、あるテレビ局の報道記者は、河村市長の行動について語る。■「南京大虐殺はなかった」発言この行為に対し、後藤選手が所属するトヨタ自動車は、「アスリートへの敬意や称賛が感じられない。不適切かつあるまじき行為」と、不快感をあらわにするコメントを発表。その後、河村市長はトヨタ本社へ謝罪に向かうも、アポ無しだったこともあり、社内に入ることができず、車の中からお詫びをしたという。前出の記者は言う。「この行動も、本質的なことを何も理解できていない証拠ではないでしょうか。周囲にも、市長にアドバイスできる人間がいないのでしょうか」今回の件に限らず、河村市長は2019年に開かれた『表現の不自由展』のある作品に「日本人の心を踏みにじるものだ」と抗議し、展示の撤回を求め座り込みをした。その2年前には「南京事件はなかった」と、日中戦争中の1937年に起きた南京大虐殺を否定し騒動になった。なぜこれまで失言や問題行動を起こすのだろうか。「そのつど、まったく学習できないところは本当に驚きですね。問題視される行動を繰り返し、一定以上の地位にある人の周りにはイエスマンが多いのか、世間に老害と言われようがなんだろうが、残念ですが耳に入らず、修正されることはほぼないかと思います」(ジャーナリスト)失言と五輪といえば、かつて五輪の組織委員会会長をつとめた、森喜朗元総理もあまりにも鮮烈な印象を残す。前出のジャーナリストが続ける。「聖火ランナーの『有名人は田んぼを走ったらいい』というのは、誰もが開いた口がふさがらない発言でした。さらに、会長辞任の決め手となった、『女性は話が長い』という女性蔑視発言。過去にも冬季五輪で浅田真央選手の演技について、『あの娘、大事なときには必ず転ぶんですよね』と軽率な発言もありました。やはり、こちらも学習できない人ですね」会長辞任後も、黙っていられないのか、“新作”が飛び出してしまった。五輪開会式で聖火リレーの最終走者に大坂なおみが選ばれたことについて、「松井秀喜のような“純粋な日本人がよかった”」と発言したと、アメリカのメディアに報じられてしまった。■日本人のことを“チャイニーズピープル”失言の多い政治家というと、麻生太郎財務大臣を思い浮かべる人も多い。前出の記者が言う。「開会式の演出を担当した小林賢太郎氏が、ホロコーストをネタに取り入れていた過去が問題視されましたが、そのときに、麻生さんの過去の『ナチスに学んだらどうか』という発言に再び注目が集まりました。それに対しては、当時、不適切という指摘を受け撤回したと説明していましたが、昨年の『呪われた五輪』発言などもあり、思ったことを口にしないか、この先も心配です」そして、トドメはバッハ会長ではないだろうか。「来日して橋本聖子会長との会談で、日本人のことを“チャイニーズピープル”と発言し、世界中に発信されました。アメリカのメディアは“オリンピックサイズの失言”とタイトルをつけて報じたほど。その後も、コロナの感染状況がよくなったら有観客に切り替えてほしいと言い、アルマゲドン(人類滅亡)が起きない限り中止はないと発言した委員の発言など、もうめちゃくちゃです。ついには“日本人の9割が五輪を視聴している”といい、“ほかにやってるテレビがないからだろ!”と反発の声がありました」(前出)無事に閉会式を迎えることができたとしても、分別のできない権力者たちの失言が五輪の後味を悪くする。命がけでプレーをした選手にだけは、これ以上、迷惑をかけてもらいたくない。〈取材・文/渋谷恭太郎〉
2021年08月06日サーフィン男子銀メダルの五十嵐カノア選手競技終了のホーンで浜にあがると、海に向かって呆然と両膝をつき、やがて礼をするように深く頭を下げた――。五輪初採用となったサーフィン男子で日本代表として登場した五十嵐カノア。頂点にはわずかに届かず、銀メダルに終わった。「本来であれば決勝は7月28日に行われるはずでしたが、台風の影響で急遽日程が1日前倒しに。海のコンディションも良好とはいえず、沖合で大きな波を待つカノア選手にチャンスらしいチャンスは来ませんでした。試合後のインタビューでは“金メダルを取れず悔しい”と語っていましたが、競技の最後に頭を下げた理由を聞かれると“海の神様にありがとうと思って”と、自然への敬意を忘れないコメントをしていたのが印象的でした」(スポーツ紙記者)’97年に米カリフォルニア州ハンティントンビーチで生まれた。カノアとはサーフィンの聖地ハワイの言葉で“自由”を意味する。■飾らない姿は地元でも評判「3歳からサーフィンを始めると、12歳で全米タイトルを獲得。15歳のとき飛び級で高校を卒業し、18歳でアジア勢として初めてプロ最高峰のチャンピオンシップツアー(CT)に参戦しました」(スポーツライター)幼少期から世界中を飛び回っているため、日本語や英語のほかポルトガル語、スペイン語、フランス語も操るマルチリンガル。「CTの獲得賞金に加えてスポンサー契約も多く、年収は約5億円と言われています。少し前には、両親のために自宅を新築したという話も聞きました。日米両方の国籍を持っているのですが、今回は五輪開催地として、自分のほかにCT選手のいない日本代表を選んだ。まさに“ラストサムライ”です」(前出・スポーツ紙記者)彼が日本での活動拠点にしているのが、五輪会場にもなった千葉県一宮町の釣ヶ崎海岸サーフィンビーチ。カノアをよく知る日本サーフィン連盟千葉東支部長の鵜沢清永さんは、その素顔について“自然体で気取らない子”と評する。「トップ選手になっても“自転車貸して〜”と訪ねてきたり、シャワーをちょっと借りるだけでも“ありがとう”と言える。サーフタウンでは誰もが知るスター選手なので、地元のちびっ子サーファーらにサインや記念撮影を求められることがあるんですが、嫌な顔ひとつせず“いいよ”と応じていました」好きな食べ物は魚よりも肉。特にとんかつが大好物だという。同町で人気のとんかつ店で、彼と居合わせたことのある地元サーファーは言う。「弟さんと一緒にお店イチ押しの『極上ロースかつ定食』を残さず食べていました。よっぽど好物なのか、食べるのも早かったですね。大会前などは必ず食べる“勝負メシ”らしく、僕もあやかってここぞというときに食べています。もっとも最近は体重のコントロールを気にしてか『上ヒレかつ定食』にしているみたいですけどね(笑)」五輪をきっかけに“サーフィンを人気のスポーツにしたい“と意気込むカノア。一宮町のサーフィン関係者は、その言葉にウソがないことを裏付けるエピソードを教えてくれた。「有名になったら一般人を相手にしなくなるアスリートもたくさんいますが、カノア選手は違う。あるとき海で会った少年サーファーに“早く俺のところまでのぼってこいよ”と、優しく声をかけたと聞きました。これって野球でいえば、大谷翔平選手が“メジャーリーグで待ってるぞ”と言ったようなもの。少年は興奮して、上から下までカノア選手と同じ格好をするようになったといいます」少年をその気にさせる“魔法の言葉”だったようだ。五輪の健闘で、より多くの若きサーファーが“いつか僕も……”と夢見るようになったに違いない。
2021年08月04日柔道選手として活躍した古賀稔彦(こが・としひこ)さんが、2021年3月24日に亡くなったことが報じられました。53歳でした。サンケイスポーツによると、古賀さんは昨春にがんで体調を崩し、手術を受けるなど一時入院していたといいます。1992年のバルセロナオリンピックで柔道男子713級金メダリストに輝いた古賀さん。『平成の三四郎』と呼ばれていました。2000年に現役を引退すると、町道場『古賀塾』などで指導者としても活躍。日本の柔道界を長年支え続けていました。磨き上げた技で多くの人に感動を与えた、古賀さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2021年03月24日ウーバーイーツの配達に向かう三宅諒選手(C)コモンズ22020年4月29日。ロンドン五輪フェンシング銀メダリストの三宅諒選手が、『note』(文章や写真、音楽、映像などさまざまな形態の作品を投稿できるウェブサービス)における自身のブログに《明日からバイトを始めます》というタイトルの記事を掲載し、話題となった。そこには「アルバイトを始めるいちばんの理由は他でもなく、お金がないからなんです」という切実な思いが綴(つづ)られ、お弁当などのデリバリーを行う『Uber Eats(ウーバーイーツ)』の配達員として働くことが記されていた。三宅選手と私は、慶應義塾大学の先輩・後輩という間柄。1か月ほど前、プライベートで“オンライン人狼”(言葉巧みに騙し合う、多人数参加型の推理ゲーム『人狼』のオンライン版)をして遊んだ。その数日後「メダリストがアルバイト開始」というニュースがネットを駆けめぐったため「もしかして一緒に遊んだ日も、本当はかなり悩んでいたのだろうか」などと勘ぐってしまい、連絡をしていいものか正直、わからなかった。しかし、そこから1か月近く経っても、日本では新型コロナの影響や五輪の中止について、スポーツ選手の声が聞こえる報道をあまり目にしない。しかし、三宅選手のことが海外で多く取り上げられていると聞き、しっかりと本人に話を伺う必要があると感じて連絡を取った。「アスリートファースト」がうたわれ東京五輪が1年延期されたが、これを受けて現役アスリートらはどのような事態に陥っているのか。三宅選手の現状や心境を、詳しく語ってもらった。■自らの意思でスポンサー支援をストップまず、彼がアルバイトを始めた本当の理由について「スポンサー支援を打ち切られたからだ」とミスリードをしている人も多いが、それは違う。三宅選手は、’12年ロンドン五輪フェンシング男子フルーレ団体で銀メダルを獲得し、東京五輪にも出場することを目指してトレーニングを積んでいた。しかし、選考の対象となる大事な試合が新型コロナで中止になってしまい、代表選手も決まらないまま、東京五輪の延期が決まった。この時期は「とにかく精神的にキツい。アスリートとして自分に何ができるのかと、毎日のように悶々(もんもん)としていた」(三宅選手・以下同)という。社会人アスリートの場合、会社に所属するか、自分でスポンサーを見つけるかという2パターンが多い。三宅選手は「’18年の結果がよかったので、東京五輪を目指せます」と自ら売り込み、’19年度から不動産会社、保険会社、ガス会社の3社を個人スポンサーとしてつけていた。しかし、三宅は今年1月の入金を最後に、スポンサーからの支援を断った。そもそも、フェンシング選手が活動するにあたっては、いくらくらいお金がかかるのだろうか。五輪代表をかけたレースは国内のみに止まらず、国際大会も多く開催される。五輪延期が決定した3月24日、三宅選手はツイッターに、日本フェンシング協会から届いた請求書の写真をアップした。イタリア、フランス、エジプトで試合や合宿などを行った費用が67万円を超えており《これは高い。 しばらく払い続けてるけど、これは気合入れないと続けられないな。 #自己負担 #突かれる心》という自身のコメントが添えられていた。「また、フェンシングの場合、競技費用として年間250〜300万円ほどかかります。生活費も含めると、競技を続けていくには最低でも年間500万円は必要ですね」この額を担保するためのスポンサーを自分で見つけなければいけないから大変だ。ただ、三宅選手は新型コロナで人々がさまざまな制限を設けられ、自分たちの活動拠点である練習施設も閉鎖されているなか、お金をもらい続けることに疑問を抱き始めたという。「この状況下で無責任に“もう1年ぶん出資してください”というのは企業にとってもよくないだろうし、自分にとっても、プレッシャーが大きすぎました。代表に選ばれるかも分からない、東京五輪が開催されるのかも分からない。“結果を出します”と売り込みにいったのにも関わらずこれでは申し訳ないと思い、スポンサー支援をいったん止めて、状況が明確になるまで更新を保留してもらうことにしました」もらい続けることもできただろうに(もったいない)、という声も多かったらしい。「 アルバイトを始めたのはお金がないから。東京五輪の開催が危ぶまれ、試合どころか練習すら満足にできず、自分にどれくらいの価値があるのかも示せない。でも、今も夢を叶(かな)えるため、そしてフェンシングを続けていくために精一杯、もがいてはいる。今後はそんな自分を買ってくれ、“等身大の君でいい”と応援してくれるスポンサーが新たに見つかったらうれしいな、という気持ちもある」という。■困っている選手が救われる社会に働き口にウーバーイーツを選んだのは「時間の自由が利くし、体力の低下を防ぎ、足腰を鍛えることにも繋がるから」。自転車を有酸素運動と捉えるのは、アスリートならではだと感じた。確かに新型コロナが拡大してから、黒字に緑色のロゴが入った大きなバッグを背負って、自転車で弁当を届けるウーバー配達員らの姿を以前より多く見かけるようになった。私も週に2回は利用している。昨今ではアルバイトの配達員が増えすぎて仕事の奪い合いになっており、1日にあまり多くは稼げない、という話をよく聞く。現在、三宅選手は週に3〜4日ほど配達員をしているという。剣を持って広い場所での練習ができないので、オンライン上でトレーナーから指示を受けながらの激しいトレーニングを週2回前後、行っており、その練習がない日には配達に出ているとのこと。三宅選手のもとにはSNSなどを通して、世界中の配達員たちから「俺もウーバーをやっている」という写真が届くという。一方で、「配送業をなめている」というメッセージがくることも。実際に配達をしても本人だとバレないのか聞いたところ「本名で登録し、顔写真も掲載していますが、まったく気づかれません。新型コロナの感染を防ぐために玄関先に置いておくケースも多いので、注文者とあまり顔も合わせないですし」ということだ。もしかして、あなたのお弁当を運ぶのが五輪選手かもしれないと思うとなんだか恐ろしい。三宅選手は「自分は今のところ、なんとか難を凌(しの)げているが、今後はアスリートにも“難民”が増えてくる可能性が高い」と危惧している。「スポンサーは1年契約であることが多いです。東京五輪が開催されるかわからないままの状況では、今後、契約が打ち切りになる選手も出ることが予想されます。非常事態とはいえ、文化や芸能・スポーツに対する国からの支援は、十分ではないと感じます。自分は競技歴が25年と長いほうですが、このご時世ではもっと若手の選手を含め、アスリートが自分の力で稼げるようになるのも大切です。さらには日本オリンピック協会がファンドを作ってアスリートを支援するなど、スポーツ選手のセカンドキャリアがもっと考えられる社会になればうれしいです。でも、好きで(競技を)続けているので、ある程度の苦難は仕方がないかな、と思う面もあります。ただ、今回は自分だけが運よく救われそうですが、ほかにも困っている選手がたくさんいるので、少しでも待遇が改善されればと願っています」人気のあるスポーツとないスポーツがあり、スポンサーがつきにくい競技があることは理解できる。しかし「アスリートファースト」を理由に延期したのだから、アスリートたちが少しでも安心できる環境を整えてもらえることを祈るばかりだ。メダリストがアルバイトで食いつなぐだなんて、やはり社会的な損失が大きいだろうし、現状に違和感を覚える。放映権などの利権争いや一部の人だけが儲かる五輪ビジネス。こんなご時世だからこそ、もっと選手のもとに還元される方策を考えたい。(取材・文/お笑いジャーナリスト・たかまつなな)※この記事は、私たかまつなな個人の発信です。所属する組織・勤務先とは一切関係ありません。問い合わせは、下記アドレスまでお願いします(infotaka7@gmail.com)【PROFILE】三宅諒(みやけ・りょう)◎フェンシング選手。千葉県市川市出身、慶應義塾大学文学部卒。’07年 世界ジュニア・カデ選手権男子フルーレ優勝、’12年 ロンドンオリンピックフェンシング男子フルーレ団体銀メダリスト。’14年 アジア大会男子フルーレ団体金メダリスト【INFORMATION】本件については、Youtube『たかまつななチャンネル』内の動画「なぜ、メダリストがウーバーイーツの配達員を?」でも話しています。リンクURL→
2020年05月26日「自己表現ではなく、人の役に立つモノづくりがしたい」。阪神・淡路大震災と恩師や身内の死による喪失感から、生粋の芸術家は絵が描けなくなり、デザインの仕事を始めた。大きな挫折と悲しみを乗り越え、生み出したメダルデザイン。そこには、アスリートの努力と険しい道のり、周囲の支え、つらい時期を経験したからこそ輝きが増す栄光、そんな「光と影」が繊細に表現されていた。2019年7月、東京五輪のメダルデザイン発表会見で金、銀、銅の実物が披露された(写真/共同通信)■羽生結弦選手の姿に胸を打たれた津軽三味線奏者である吉田兄弟の演奏と元新体操選手・坪井保菜美さんのダンスパフォーマンスで華々しく幕を開けた2019年7月24日の「東京2020オリンピック1年前セレモニー」。注目のメダルデザイン発表では、トップアスリートが壇上にズラリと並び、まばゆいばかりに光り輝く金・銀・銅のメダルがお披露目された。「色みが深いですね」とウエイトリフティングの三宅宏実さんが見栄えのよさを絶賛。すでに現役を引退している女子サッカーの澤穂希さんも「もう1度、選手に戻って五輪を目指したくなりますね」と目を輝かせた。このメダルをデザインしたのは、大阪・天王寺でデザイン事務所『サインズプラン』を運営する川西純市さん(52)。本業はサインデザイナー。病院や学校、商業施設内の案内板など、人々のスムーズな行動を促す案内誘導のピクトグラム(絵文字)やロゴマーク、グラフィックの計画に携わる。421人がエントリーしたコンペティションを見事に勝ち抜いた川西さんが、メダルデザインで試行錯誤した過程をこう振り返る。「最初は月桂樹をスケッチしながら、紙の上でグルグル輪を回していたんです。人が手をつないで輪を作る絵も描いたけど、宇宙人みたいになって(苦笑)。そんなとき、ふと『世界の輪、友情の輪を入れたいな』と。仲の悪い国同士でも手をつなぎ合えるのがオリンピック。多様性を認め合うことを伝えたかったんです」「光と輝き」「アスリートや周りで支える人々のエネルギー」「多様性と調和」この3つの要素がひとつの光の環になるデザイン。渦をかたどる曲線が特徴で、それぞれ異なる角度で彫られているため、向きによって「光と影」が生まれる。ここに川西さんは強い思いを込めた。「アスリートというのは家族や友達、周囲の人の支えがないと成功できない。うまくいっているときばかりではないし、調子が上がらず苦労するときもある。そんな部分も『光と影』で表現したいなと感じました。そう強く思ったのは、2018年平昌五輪の男子フィギュアで連覇した羽生結弦選手の姿を見たとき。足のケガを乗り越えて栄光をつかんだ頑張りに胸を打たれました」ネット上では「クッキーみたい!」「ジャムをのせたらおいしそう」といった書き込みもあったが、川西さんは「みなさんに親しみを持ってもらえるのならうれしいです」とやわらかな笑顔を見せる。新型コロナウイルスの感染拡大で大会の1年後ろ倒しという前代未聞の事態が起き、日本中が揺れ動いているが、川西さんは今、何より平和を願い、東京五輪が安心・安全に開かれることを祈っている。「コロナのこともそうですけど、人生というのは何が起きるかわからないですよね。予期せぬ困難が突如として目の前に現れるかもしれない。本当に油断できないと思います。そんなときこそ、今を大事にひとつひとつ、しっかりと仕事をしていきたい。それはアスリートのみなさんも同じ気持ちだと思います」五輪延期という苦難に直面した選手たちに思いを馳せつつ、自らを奮い立たせる。川西さんの人生もまた紆余曲折の連続だった。自然災害に翻弄され、愛する家族との別れに涙し、一時的に絵が描けなくなるなど、波瀾万丈の人生を送ってきた。だからこそ、選手の努力の軌跡や、周りで支える人々にも目を向けた繊細な作品を生み出せたのではないだろうか。■喘息持ちの少年、絵画の道へ1964年の東京五輪から3年後の’67年。川西さんは経済成長著しい大阪で生をうけた。両親と2歳下の弟の家族4人、東住吉区杭全町で育った。当時の大阪は光化学スモッグがひどく、喘息ぎみだった川西少年は身体を丈夫にするため、少林寺拳法の道場に通った。そんな矢先の’72年、近所を流れる平野川の大氾濫で、自宅が水害に遭う。父は絨毯を裁断して貼りつける見本帖の工場を経営していたが、機械がダメになり、廃業に追い込まれた。そこから大阪府内で2度引っ越し、さらには「松阪に引っ越すで」という父のひと声で三重県へ転居。結局、6年間で5つの小学校を転々とすることに。転校を繰り返す日々は複雑だったが、自然いっぱいの松阪への移住で、喘息は完治し、元気いっぱいの少年へと変貌した。美術の才能が開花し始めたのもこのころ。小学生のときに歯科衛生ポスターで松阪市長賞を受賞したのを皮切りに、中学時代は松阪百景の木版画で特選に入るなど、一目置かれる存在に。才能を高く評価した中学校の担任が、宇治山田商業にいた美術の先生に「こういう子がいるから面倒を見てほしい」と打診した。高校入学後は美術クラブに入り、サルバドール・ダリなど超現実主義の画家に憧れ、夢中で絵を描き、賞をとった。当時はまだ「芸術で飯を食おう」とは真剣に考えてはいなかったが、美術の先生から「推薦で大阪芸術大学に進まないか」と声をかけられ、気持ちが大きく変化する。’86年、日本中がバブル景気で華やかなころに入学。川西さんの周りにも高級車を乗り回したり、高価な画材を惜しげもなく使ったりする裕福な学生がいたが、自身は奨学金を借りて安い家賃の下宿に住み、アルバイトをしながら抽象画の制作に精を出した。3~4年時は日本屈指の洋画家・版画家、泉茂先生の研究室に入り、アトリエに通い詰めるようになった。「形にはエネルギーがある。丸を描いたときにできるひずみやゆがみは何を意味しているだろう。それを考えなさい。わからなかったら作品を描いて持ってきなさい」泉先生は常日ごろから学生にこのような問いかけをしていた。川西さんは「自分を1人のクリエイターとして扱ってくれている」とうれしくなり、創作意欲が湧いたという。「卒業制作は3mの高さの絵画を制作しました。『輪廻転生』を表現した絵画は10万円で買い手がつきましたが、実は材料費だけでその倍なんですよね……(苦笑)。それでも人生で初めて値段のついた作品ということで思い出深いものになったのは確かです」抽象画をより突き詰めたい思いが高まり、卒業後も同大学の専攻科に進学。本来、1年で修了するところを2年間、懸命に学んだ。それから3年間はデザイン学科の研究室で副手として勤務し、作品制作を継続した。■震災、恩師と父の死で絶望’95年1月17日の5時46分。兵庫県の明石海峡を震源としてマグニチュード7・3の大地震が発生する。「なんか地響きがするな……」大阪平野区の自宅兼アトリエで眠っていた川西さんは揺れの直前に異変を感じ取った。窓の外を眺めていると、部屋中がグラグラと激しく揺れ始め、身構えた。物が落ちたり、壊れたりという直接的な被害はなかったが、過去に感じたことのない感覚に襲われ、放心状態に陥った。「アパートの一部が壊れて住めなくなった彫刻家の友人が僕の家に1週間ほど来たんですが、『絵や彫刻では困っている人を直接的には助けられない。芸術やってて何の意味があるのかな……』と2人して虚無感に襲われました。泉先生は『自分のすべてをぶつけるのが表現だ』と言っていましたけど、本当にそんなことをしていていいのだろうかと迷いやジレンマを感じました。自分が生きている意味もわからなくなってきて、精神的にかなり落ち込みましたね」西淀川高校や都島工業高校の美術の非常勤講師の仕事はかろうじて続けたが、メンタル的にも、経済的にも限界が近づいていた。専攻科時代の同期で現在は絵画作家の粟国久直さん(54)は、当時の芸術界の窮状をこう明かす。「関西の経済界が大打撃を受けた影響で、活動が立ち行かなくなった芸術家や作家はたくさんいました。収入がなくなっただけでなく、勤め先を解雇されたり、住む家を失う人もいて、全く将来が見えなかった。彼みたいなきまじめな人ほど精神的に追い詰められたのかなと。僕ら友人には何の泣き言も口にしませんでしたけど、本当につらい時期を過ごしていたと思います」悪いことは重なるもので、恩師・泉先生が5月に急逝。がんを患っていた父の容体も悪化した。「余命1年」と宣告を受け、大阪と松阪を行き来しながら看病に励んだが、翌’96年2月には永遠の別れが現実に。とうとう川西さんは絵が描けなくなった。「この年は無気力状態で、フリーターみたいな生活をするのが精いっぱいでした……」そんなとき、救いの手を差しのべたのが、のちに妻となる真寿実さんだった。京都府内で開かれた個展に友人と足を運んだのが縁で知り合ったという。「夫の絵を初めて見たとき、『ああ、ナイーブな絵を描く人なんだな』と感じました。1・5m四方の大きなキャンバスに、塗り重ねた白や紫などかすかな色で染色体のイメージが描かれていて、全体に淡い色使いでしたね。しゃべったときは人当たりがよくて、作家仲間やギャラリーの人にさりげなく気配りしているのも印象的でした。『こういう絵を描く人はどんな生活してるんかな』と興味が湧きました」■サラリーマンになる!2人は徐々に信頼関係を深めていった。美術に造詣が深く、写真も手がけていた真寿実さんはよき理解者となり、彼女の存在が再起のエネルギーにもなった。「ズタボロだったんで、明るい彼女が近くにいてくれるだけで救われました」泉先生や父の死という耐えがたい苦しみに直面するたび、献身的にサポートしてくれた彼女との結婚を真剣に考えるようになった。28歳のとき、ひとつの重大な決断を下す。抽象画家の活動にいったん見切りをつけ、サラリーマンになろうと心を固めたのだ。「結婚するにあたって、僕に収入がないんじゃ、ご両親に挨拶にも行けない。モノを作りながら収入を得る方法をまじめに考えました。世の中や多くの人のためになる仕事をやりたいと思うようになって。30歳を前に生活を変えるのは思いきりのいることだったけど、飛び込むしかなかったですね」職探しを始め、『ランドスケープのデザイン』という職種の募集を見つけた。面接に行くと、経歴を見て何も言わずに採用してくれたという。転身を打ち明けられた粟国さんは「苦渋の選択だったはず」と複雑な思いを代弁する。「川西さんは在学中から作家活動をしていたし、関西のみならず、関東にも進出して知名度もあった。僕にしてみれば、頭ひとつ抜きん出た存在でした。描くのもガチガチの抽象画。『生粋の芸術家やな』と感じていました。その彼から『俺、諦めるわ』と打ち明けられたときはホンマにビックリした。確かな才能があったんでみんな『もったいない』と口をそろえていました」真寿実さんは「絵を描いたら?」とたびたびすすめたが、「今はそういう気にならへん」と返されるばかり。「『最近、川西君、描いてないね』と周りから言われるたびに何とも言えない気持ちでした。両親も生活基盤のまだない夫との結婚話に驚き、私も『どうしようか』と迷いました。そんな中、しばらくして父が『川西君の可能性に賭けろ』と、ふと言った。それが自分の心を動かしました」真寿実さんはさまざまな思いをいったん封印。新たな道を切り開こうとしている夫を支えようと決めた。「キミはもう作家じゃない。意識改革して仕事に臨んでくれ」ランドスケープのデザイン事務所での日々は、所長からの厳しい言葉とともにスタートした。それまでは好きな時間に起きて絵を描く自由な日々を送っていたが、社会人になった以上は満員電車に乗って出社し、責任ある仕事をしなければならない。「猛烈に忙しくて3日に1度は徹夜。デザイン案を出してもなかなか認めてもらえず、怒鳴られまくりました。3日徹夜して朦朧としたときには、さすがに鬼上司への憎しみしか出てきませんでした(苦笑)」劇的な環境の変化には戸惑ったものの、仕事のやりがいはあった。同社は街の花や造園整備、公園の設計など空間デザインを主に手がけていた。特に奈良県宇陀市の自然公園の仕事は強く印象に残っている。「野球場が2~3面は入るくらい広大な自然公園のどこに花や木を植え、遊具やサインを設置し、ベンチを置くかという全体プランを考える仕事でした。『試しに川西にやらせよう』と所長は考えたのでしょう。何からやっていいのかわからない僕がボンヤリとした案を出したら『お前、調べたんか。いい加減な仕事するな』と真っ先に一喝されました」すぐさま、いくつかの公園を回ってベンチの高さを測ったり、遊具の配置を事細かく調べたりして、具体的なアイデアを出した。だが、『どれもこれも使えない』と断罪されてしまう。「本当に地獄でしたね(苦笑)。ただ、所長の厳しさは『よりよいものを作りたい』という思いからなんです。ギリギリまで僕らを追い込み、最後に助けてくれるのもいいところ。1年半で退職しましたけど、社会人1年生として厳しさを覚えたことはプラスになった。心身ともに鍛えられました」■鬼上司に鍛え上げられ、独立へ川西さんが扉を叩いた次なる職場はサインメーカーの『びこう社』。前職の空間デザインとは異なり、公共・商業施設の案内図や出入り口・トイレの表示、病院の診察科やフロア案内などをデザインし、製作・施工の管理をするのが主な業務だ。川西さんは「サインデザイン」の世界に飛び込み、自分の可能性を広げていったのである。同社の同僚で、現在も一緒に仕事をする機会の多い、びこう社大阪支店長の野間口誠さん(47)が懐かしそうに語る。「3年間一緒に働きましたが、お互いよく上司に怒られていました。トラブルが起きるたびに『会社の利益がなくなるやろ。どないすんねん』とストレートに言う上司で、戦々恐々としていました。川西さんと夜、オフィスで一緒になると『今日もまた怒鳴られた』とか『こんなトラブルがあった』と、たわいのない話をしては慰め合いました。僕にとっては痛みを共有したいい仲間。穏やかな人柄にも癒されることが多かったです」8年間、再び鬼上司に鍛え上げられた。それが奏功し、実績を確実に積み上げていった。そのひとつが、2003年に三菱重工長崎造船所で建造が始まった豪華客船『ダイヤモンド・プリンセス』と『サファイア・プリンセス』の3万点に及ぶサインの施工管理。延べ半年ほど寮に泊まり込み、無事完了させたのは大きな自信になった。「僕はもともと古代遺跡巡りが大好きで、イタリアのポンペイには学生時代に行きましたし、バリ島やジャワ島にも新婚旅行で出かけましたけど、古代のいろんな絵文字を見ては『こういうのは斬新だな』『作ってみたいな』と感じていました。抽象画をやめてデザインの世界に来たころは少し複雑な気持ちもありましたけど、仕事をやればやるだけ、自分がデザインしたものが実際に形になり、社会の役に立っていく醍醐味ややりがいを感じるようになった。モノ作りに対しても真摯な姿勢と責任を持って取り組まないといけないという自覚が日に日に強まっていきました」そして迎えた2006年、またも驚くべき行動に出る。アッサリ会社を辞め、独立に向けて動き出したのだ。「辞めてどうするの?」妻・真寿実さんにとって、この出来事はショッキングなものだった。長男も2歳になったばかり。収入が途絶えたら一家は路頭に迷う。40歳を前にした大胆なチャレンジは波乱含みだった。事務所を構えたのは大阪市生野区。妻の父が経営する印刷会社の一角に間借りしてオープンした。最初の月は仕事が少なく、働いたのは10日間だけ。暇さえあれば掃除していた。義理の父も黙っていられず、「こういう仕事はどうや?」と助言をくれたが、「いえ、大丈夫です」と不安に耐えた。■またも突然にやってきた、悲しい別れ独立した噂が仲間内に広がり、広告代理店から就職の誘いもあった。待遇のいい会社だったが、「欲しいのはお金じゃない。自由にモノを作りたいから独立したんだ」という矜持があり、後ろ髪をひかれながらも断ったという。これを機に営業の電話をかけたり、プレゼンに参加するなど、アクションを起こし、徐々に仕事が入るように。「いい仕事をするサインデザイナーがいる」という評判も広がり、食えない状態からいち早く脱することができた。それから数年もたたないうちに川西さんを新たな悲しみが襲う。2008年にたった1人の弟をがんで失ったのだ。「弟は当時、不動産会社を営んでいて、多忙を極めていました。久しぶりに会ったとき、少し太ったかなと思ったら、『腹が張って身体もだるい』と言うので検査をすすめました」ドクターから告げられたのは、信じがたい病名だった。「大腸がんのステージ4です」ショックを受けた川西さんは毎週のように大阪から名古屋に通って弟を見舞ったが、半年後に命を落としてしまう。まだ30代の若さだった。父に続き、弟も亡くすという悲運。そのぶん、自分は妻や子どものためにしっかりと生きなければならない。目の前の仕事に必死に打ち込むしかなかった。そんな川西さんの頑張りを近くで見ていた人物がいる。独立前から長く仕事をしている建築家の芦澤竜一さん(48)だ。建築界の巨匠・安藤忠雄氏に師事した後、独立。国内外で斬新なデザインのホテルや住宅などを造っている彼は「柔軟性があるサインデザイナー」と川西さんに絶対の信頼を寄せる。「最初に知り合ったのは、まだ、びこう社におられた2005年。『ホテルセトレ・舞子』の案件でした。僕自身、独立後ホテルを手がけたのは初めてでしたが、サインデザインというのは非常に重要。全体の意図を要求して細かいところまで詰めていけたので、気持ちよく仕事ができました。ムチャぶりしたところもありますが、何でも笑顔で対応してくれる。そこは本当にありがたいですね」芦澤さんはその後、手がけた『セトレならまち』(奈良市)で、金属を錆びさせた素材を使って、日本の伝統である『わびさび』を表現するサインを取りつけるアイデアを示した。これが川西さんにとっては超難問。サイン業界で錆を使うなどタブーといってもよかったが、建築家の意向を酌んで挑み、形にした。「芦澤さんの建築はハラハラするものばかり(笑)。天井や壁を斜めにしたりと施工業者泣かせなんですが、すべてはモノ作りの情熱の表れ。ここまでの設計者にはお目にかかったことがない。僕も『やらなきゃイカン』という気持ちにさせられますし、大きな刺激をもらっている。難易度の高いデザインを共有することでより深い思考ができるようになったと思います」■来院者に安心感を与える空間を真摯な姿勢と確かな仕事ぶりが高く評価され、2010年代は大型プロジェクトが続々と舞い込んだ。京都製作所や和歌山信愛中学校・高校、島根県の雲南市役所、甲南大学、浜寺病院、商業施設「なんばスカイオ」と目覚ましい実績を残したのだ。「和歌山信愛中高は、先生と生徒が家族のような関係性になることを意識してピクトグラムを作りました。雲南市役所は桜の名所だからソメイヨシノや吉野桜のデザインを。甲南大学は原色をふんだんに使って学生たちの活力やエネルギーあふれる姿をイメージしましたし、浜寺病院は精神科病棟ということで、温かみのある雰囲気を出すために穏やかな色使いを意識しました。どれも思い入れのあるものばかりです」2019年に完成した神戸市・新長田合同庁舎も代表作のひとつ。ともに仕事をしたのは、びこう社で同じ釜の飯を食った野間口さんだ。「シックな壁にパステル調の案内図をあしらうなど、かなり独創的で特殊なデザインをしていただきました。川西さんはお客さんの意向を酌んで反映できる。芸術家上がりだと自分の意見を押しつける人も多いと思いますけど、そういうところが全くないからやりやすいんでしょうね」独立から14年。川西さんにはお互いを尊重し合えるいいパートナーが何人もでき、人に寄り添うデザインを心がけてきた。5月7日に和歌山市内に移転開業する予定の医療法人博文会『児玉病院』のサインデザインも心を込めてした仕事のひとつ。3~6階の病棟にはモスグリーンやオレンジ、クリーム、ベージュという温かみのある色を使い、ミツバやキキョウなど季節の草花のイラストをたくさんあしらった。その数はお蔵入りも含めて約100点。川西さんは図鑑や写真などで観察してイメージを膨らませ、筆ペンでひとつひとつ丁寧に描き、デジタル化という手間のかかる作業をして壁に設置。来院者に安心感を与えるような明るく爽やかな空間をつくった。「最初は10点くらいという話だったんですけど、70、80、90と増えて各フロアにたくさんの草花が配置される形になりました。見たことない草花も多かったので、そろえるのに何か月もかかりました。病院に来られる方というのは不安や心配事を抱えている。働くお医者さんや看護師さんも張り詰めた緊張感に包まれる中、仕事をされています。そういう方々に少しでも穏やかな気持ちになってもらいたい一心で花をひとつひとつ描いたつもりです。施工の清水建設さんも緻密な仕事をしてくれる。みなさんの協力があって自分のデザインが形になる。ありがたく感じています」サインデザイナーである川西さんが東京五輪のメダルを生み出すとは、周囲にいる人間は誰ひとり、想像していなかった。当の本人も軽い気持ちで応募したという。2019年4月25日の夜21時ごろ、オフィスに1本の電話がかかってきた。軽く晩酌していた川西さんは少しできあがった状態だったという。「『今日審査があって最終3作品に選ばれました。明日、東京に来れますか?』と。まさに青天の霹靂でした」■つらいことがあるからこそ2日後、東京のオリンピック組織委員会へ出向き、造幣局の担当者も交えて立体の試作品を作る打ち合わせをした。担当者に「これは難しいな」と言われ、ラスト1作品に残るのは無理だろうと感じた。それでも「ここまで来たら大満足」と胸を張って帰宅。真寿実さんも「実物を作ってもらえるだけでよかったやん」と笑顔で迎えた。忘れかけていた約2か月後、再び電話が鳴った。「東京五輪のメダルに内定しました」ただ、川西さんは素直に喜べなかったという。「『まだ内定なので、喜ばないでください』と言われたんです。何かあれば2番手の作品が繰り上がるということ。心から実感が湧いたのは実物のメダルができ、1年前セレモニーでのお披露目を迎えたときでした」学生時代からの友人・粟国さんは言う。「メダル内定を聞いて、僕は泣いて喜びました。美術をやめた後、苦労してる姿が浮かんできて、余計に感極まりましたね。芸術の世界は序列社会で、多摩美術大、武蔵野美術大あたりの人が受賞するんだろうと思っていたけど、大阪芸大出身の個人事務所の社長に決まったのを知って、『世の中捨てたもんじゃないな』と。まさに金字塔ですよ。川西さんの子どもさん2人も父親を改めて見直し、尊敬したんじゃないかな。そういう意味でも本当にうれしい限りです」そして、誰よりも感動したのは、そばで浮き沈みを支えてきた真寿実さんだ。「決まったときは半信半疑でしたね。夫のデザインはシンプルで、勝利のシンボルをどう光らせ、輝きを走らせるかということにこだわっていました。空間・サインデザインの経験から、日本のオリンピックという場面で最高の仕事をしようと頑張ったのかなと。そこにアーティストとしての抽象表現も加わった。長い間やってきた活動が凝縮されて、あのメダルが生まれたんだと思います。長男なのに何も言わず自由に作家活動をさせてくれた夫の父、『川西君に賭けろ』と言って応援してくれた私の父、どちらも亡くなっているんですけど、2人に報いることもできたのかなとうれしくなりました。主人は私生活では自由人だし、家庭でも満点パパではないですけど、モノ作りの才能と努力に関しては本当に尊敬しています」真寿実さんは静かにほほ笑んだ。「つらいことや影があるからこそ、光の輝きは増す」そう語る川西さん。数々の挫折を乗り越え、多くの人々に支えられながら生き抜いた経験が生かされた作品だ。「美術をやめて、ランドスケープからサインデザインへと回り道してきたけど、人の生活に寄り添うこの仕事をやっていなかったら、メダルに行きつくことは絶対になかったと思います。これからもすべての人にわかりやすいデザインを創り、みなさんの役に立てればいいなと思います」穏やかな笑みを浮かべる川西さんのメダルが真の意味で完成するのは、勝者の首にかけられたとき。どんな角度から光が当たっても美しく反射し輝きを放つように作られているからだ。1年後に感動的なその光景を目に焼きつけるのを、彼は今、心待ちにしている。取材・文/元川悦子(もとかわえつこ)1967年、松本市生まれ。サッカーなどのスポーツを軸に、人物に焦点を当てた取材を手がける。著書に『僕らがサッカーボーイズだった頃1~4』(カンゼン)など
2020年04月25日『オリンピックコンサート2018』が、今年も6月8日に東京国際フォーラムにて開催され、平昌オリンピックのメダリスト小平奈緒をはじめとするトップアスリート9名、ゲストアーティストの森山直太朗が出演。コンサートの指揮は梅田俊明、オーケストラはTHE ORCHESTRA JAPANが務めた。オリンピック・ムーブメントの推進を目的に、オリンピズムに掲げられたスポーツと文化の融合をカタチにした本コンサート。2018年は「つなげよう感動!輝こうTOKYOで!」をテーマに、2月に開催された平昌オリンピックの振り返りと、777日後に控えた東京オリンピックにもつながる内容に。豊富なオリンピック映像×フルオーケストラ演奏という本公演ならではの競演で、あの感動や興奮をドラマチックに呼び起こした。平昌オリンピックの開会式で演奏されたファンファーレから始まった第1部。客席には、平昌オリンピックメダリストである原大智(スキー・フリースタイル)、小平奈緒、高木美帆、菊池彩花、高木菜那(スケート・スピードスケート)、吉田夕梨花、鈴木夕湖(カーリング)、そして東京オリンピックでの活躍が期待される荒井広宙(陸上競技)、小嶋美紅(水泳・競泳)という面々が揃い、観客とともに映像とオーケストラの生演奏のコラボレーションを堪能した。第2部では森山直太朗によるスペシャルステージも披露され、フルオーケストラで新曲『人間の森』や2004年アテネオリンピックの応援歌にもなった『今が人生』などを歌い上げた。『今が人生』にはNHK東京児童合唱団も参加し、一夜限りの特別な時間となった。トークコーナーではオリンピック出場経験もある俳優・藤本隆宏がMCを務め、メダリストたちの平昌オリンピックでのエピソードや、森山の印象深いオリンピックの思い出、そして荒井や小嶋の東京オリンピックにかける想いなど、ここでしか聞けない話題が満載。また男子フィギュアスケートの羽生結弦からビデオメッセージも届き、客席を盛り上げた。最後は恒例の『オリンピック讃歌』を森山や藤本も参加し合唱。アンコールではNHK東京児童合唱団による『The Rose ~愛は花、君はその種子』も披露され、盛りだくさんの内容となった。参加したアスリートたちは「クラシックを生で聴くのは初めてでした。親しみやすかったです」(吉田)、「映像と音楽が合わさることで自分たちがのこしてきたものが一層輝くのだなと思いました」(高木美帆)、「森山直太朗さんの歌を楽しみにして来たのですが、すごく心に響くきれいな歌声でした」(小平)、「皆さんが東京オリンピックの話をされるのを聴いて“必ず出なきゃいけない”と思いました」(小嶋)など感想を述べ、のびのびと楽しそうな表情を見せた。取材・文:中川實穗※高木美帆・高木菜那の「高」は旧字体※参加アスリートの感想は公式サイトにて掲載
2018年06月14日平昌パラ五輪アルペンスキーで金メダルを獲得した、村岡桃佳選手「いちばん見たかった景色を見ることができて、ちょっと泣きそうだった」平昌パラリンピックのアルペンスキー選手として出場した村岡桃佳は、3月15日の金メダルの授与式で、こう感想を話した。「村岡選手は滑降で銀、スーパー大回転とスーパー複合で銅を獲得したのに続き14日に行われた大回転で金メダルに輝きました。日本選手団では第1号の金メダルであるとともに、日本選手として冬季パラ五輪史上最年少で頂点に立ちました」(スポーツ紙記者)“快挙”を達成した村岡は、4歳のときに突然、両足が動かなくなる病気にかかってしまう。「車イスが必要となってふさぎがちになる娘を見た父親が、“笑顔になってほしい”と、小学2年生のときに車イスのスポーツ体験会に誘ったことがきっかけで、車イス競技にのめり込み、のちにスキーも始めたそうです」(同・スポーツ紙記者)彼女のことを「昔から運動神経がよかった」と話すのは、母校である埼玉県・正智深谷高校の小島時和先生だ。「彼女が1年生のときに体育を教えていましたが、スポーツ全般が得意でしたよ。バスケもシュートがうまかったし、ダンスも足は使えなくとも、腕の動きだけでうまく行っていました」村岡が2年生のときに副担任だった石川雄一郎先生によると、クラスメートとの人間関係も良好だったそう。「車イスを使っていますが、周囲が気を遣うということはなかったです。彼女がそうさせなかったんでしょうね。クラスの中でも積極的に発言する“ムードメーカー”で、みんなからも“ももちゃん”の愛称で親しまれていました」自宅近くにある中華料理店『美華』の成瀬潤子さんは、生中継をテレビで見て泣いてしまったという。「桃佳ちゃんが小学生のときからうちに通っていただいていて、きょうだいで来たり、お母さんも一緒だったりまちまちでした。広東麺や餃子、野菜炒め、ニラレバ炒めなどをよく頼んでくれていますね。桃佳ちゃんが偉いのは、ほかの人の邪魔にならないように、自分で車イスをたたんでから座敷に上がるんです。しかも、靴もきちんとそろえて。人を思いやることができる子で、私生活でも金メダルをあげたいですね」同じく彼女を小学生から知る近所の主婦は、父親の“献身”に胸を打たれたと涙ぐみながら話してくれた。「お父さんは会社を経営していてお忙しいそうなのですが、家の近くの公園で桃佳ちゃんに付き添ってトレーニングしているところをたまに見かけていました。そこでは健常者のお父さんも車イスに乗って、彼女と同じ気持ちになって伴走してあげているんです。なかなかできることじゃありませんよね……。スキーもお父さんが最初から教えていたようで、娘さんを全面的に支えていたんだと思いますよ」世界の頂点に立つまで支えてくれた父親に、最高の親孝行ができたはず!
2018年03月20日平昌冬季五輪でメダルを獲得した日本選手。(左上から時計回りに)スノーボード平野歩夢、スピードスケート高木菜那、高木美帆、佐藤綾乃、菊池彩花、ノルディック複合の渡部暁斗、フィギュア宇野昌磨、モーグル原大智、カーリングの本橋麻里、吉田夕梨花、鈴木夕湖、吉田知那美、藤沢五月、スキージャンプ高梨沙羅、スピードスケート高木美帆、小平奈緒、フィギュア羽生結弦、スピードスケート高木菜那(写真/共同通信)相次ぐメダル獲得で、大盛り上がりだった今回の平昌オリンピック。表彰台、記者会見、はたまた休憩時間には注目発言が飛び出し、日本中を楽しませてくれた。そんな五輪中に出てきた、選手たちの“名言”を一挙お届けしちゃいます。■高木美帆「このチームだからこそ、このチームで優勝したかった」個人で銀と銅のメダルを獲得していた高木が金を獲得し、3種のメダルを手にしたのは、姉の菜那らとともに出場した団体パシュート。空気抵抗を大きく受ける先頭を6周のうち3.5周も走ることになったが、圧巻の走りを見せ、オリンピックの新記録も達成。決勝前には胸を張って「かけてきた時間はほかのどの国より多いし、質も高いものができている」と話していた彼女。この発言が出たのは、仲間と過ごした“時間”の濃さゆえだろう。■宇野昌磨「特に大事に扱おうとは思っていないんで、触りたい人は触ってくださいという感じです」銀メダル獲得の翌日に会見で「メダリストとして見られることをどう感じる?」という問いに、「人と会う機会も家とリンクを移動するだけなのであまりない。日常生活もあまり変わらないと思います」と笑いを誘うと、続く「メダルを誰にかけてあげたい?」という問いにこの迷言を飛び出させた。さらに「保存方法も家族に渡して、お任せします」とダメ押しのひと笑いも。“天然愛されキャラ”で、バラエティー番組にも引っ張りだこ!?■高梨沙羅「まだ自分は金メダルを取る器ではない」’14年のソチ五輪で惜しくも表彰台を逃す4位だった高梨は平昌で女子初のメダルとなる銅を獲得。ワールドカップでは女子歴代最多となる53回の優勝成績を誇る彼女は悔し涙を流しながらも「最後の最後で渾身のいちばんいいジャンプができた」と語ったのちに、名言を口にした。帰国後の会見で「北京では金メダルが取れるように、ここから新しいスタートを切りたい」とすがすがしく話す口ぶりは、若いエネルギーにあふれている。■葛西紀明「風が当たらなければこういう結果になる」史上最多8回の冬季五輪出場を果たしたスキージャンプ界の“レジェンド”。ソチ五輪では41歳ながら銀メダルに輝くなど、不屈の闘志を見せつけたが、風の不運にも影響されて今回は33位という結果に。初めて現地に応援に駆けつけた妻と娘のイニシャル「R」をヘルメットに刻んでいただけに、悔しさもより一層大きかった。試合後に出したコメントからも哀愁が漂う。次回こそは家族の前で歓喜の瞬間を見せつけてほしい!■小平奈緒「私はまだあなたのことを尊敬しているよ」悲願の金メダルを獲得した瞬間に小平が真っ先に向かったのが、五輪3連覇を逃し母国の旗を握って涙を流す李相花のところ。互いを高めあうライバルでありながら、小平が李の家に遊びにいったり、お返しに日本食を送ったりする10年来の親友でもあった。そんな李を抱きしめ、耳元でかけたのがこの言葉。2人の友情物語は日本と韓国両方のメディアから取り上げられ、「同じチームの選手が金、銀を獲得したかのよう」と称えられることに。■平野歩夢「楽しかった。今までイチの大会だったんじゃないかな」昨年3月のUSオープンで4回転技を繰り出した際に転倒、救急搬送され、肝臓破裂および左ひざの内側側幅靭帯を損傷するという大ケガを負った平野。5月に練習を再開したときは恐怖心から実家のジャンプ台も滑れなくなっていたという。しかし、金メダルを取るべく本番は失敗を恐れずに大技『DC14』を繰り出し、ショーン・ホワイトをギリギリまで追い詰めた。試合後に若者言葉で語ったひと言には、“乗り越えた男”の確かな重みが宿っていた■原大智「ちょっとは有名人に近づけたかな」初の五輪出場で今大会日本人初のメダリストとなった原は、帰国後に空港でこの発言で報道陣を和ませた。メダルから一夜明けた、彼の母校である渋谷区立広尾中では臨時の朝礼で校長が生徒に原の活躍を報告。SNSを通じて送られてきた「メダル持って行きます!」とのメッセージを紹介した。弱冠20歳、まだあどけなさの残る彼だが、帰国後すぐにトレーニングを開始した。4年後にはもっと有名人になっているはず!■羽生結弦「プーさんたちはみんな森にかえします」フィギュア男子で66年ぶりの2連覇という快挙を達成した羽生。翌日の記者会見には多くの海外メディアも詰めかけた。NBC記者の「リンクに投げ込まれたプーさんはどうするのか?」という質問に対し、彼はこのように返したのだった。会場は爆笑に包まれたが、その後はまじめに「大半は寄付します。思い出に残すために、いくつかのプーさんは、自宅に持って帰ります」と続けた。どのプーさんを持ち帰ったのか……チョイスが気になる!■渡部暁斗「頂点は見えているけどなかなか登り方がわからないというか……」数々の世界大会で2位が多く、“ミスターナンバーツー”と呼ばれている渡部は今大会の個人ノーマルヒルでも、銀メダル。「金メダルを取りたかったが、すでに次のラージヒルに気持ちが向かっているほうが強い。そのへんが4年前(ソチ)との違いかな」とコメントするも、ラージヒルでは強豪ドイツ勢に阻まれ5位に。悔しさをにじませながら出てきたのがこの名言。4年後の“ミスターナンバーワン”に向けて、新たな戦いが始まった。■LS北見「そだね~」「ここはよく曲がるからね」「そだね〜」「こっち狙ったほうがいいんじゃない?」「そだね〜」。試合中に発する「そだね〜」の掛け声が話題となった女子カーリング。メンバー全員が北海道出身の彼女たちの道産子なまりが“かわいくてなごむ”と評判に。試合途中にある7分の休憩時間にフルーツを頬張りながら作戦会議をする様子すらも“もぐもぐタイム”だと注目を集めることとなった。おかげさまでカーリング人口も増え“そうだね〜”
2018年02月27日スピードケートの小平奈緒(写真/共同通信)「主将を任された際、金メダルを取れないジンクスがあると言われました。でも、絶対500メートルは勝てるという強い気持ちがあった」スピードスケートの小平奈緒が、500メートルで悲願の金メダルを獲得した。「ジンクスによるプレッシャーはあったでしょうね。それを跳ね返し、しかもオリンピックレコードでの優勝は、彼女が目標としていたものだったことでしょう」(スポーツ紙記者)小平はバンクーバー、ソチに次いで3大会目の出場にしてようやくメダルに手が届いた。ソチ五輪後にオランダで“武者修行”を行っており、「練習方法のほか、食事や睡眠に至るまで学び直したそうです。とくに、“睡眠の質が重要だと知った”とインタビューなどでも語っています」(同・スポーツ紙記者)今回の平昌五輪では、この睡眠が“魔物”を生んだという見方もあるという。「スピードスケートは午後6時以降の試合が多かったのですが、これは放送時間との兼ね合いのため。韓国では人気スポーツなので、夕方以降の競技時間になったといわれています。しかし、ふだんのスピードスケートの試合は、午前中から午後いちばんがほとんど。遅い時間に競技をするため、睡眠時間を合わせるのに苦労する選手も多かったそうです」(スポーツライター)また、選手村でも恐ろしい事態が─。「選手村の寝具が思ったよりも硬かったんです。小平さんは、事前に用意したマットレスを1枚持ち込んだそうですが、カバーしきれなかったそう。コーチに“SOS”を出したといいます」(スケート連盟関係者)この窮地を救ったのが、寝具メーカー・株式会社エアウィーヴのアスリートサポート担当・宮島佑依さん。「“もう1枚、最もやわらかいタイプのマットレスが欲しいです”とコーチを通じてご連絡をいただき、選手村までマットレスをお届けしました。身体がセンサーのように敏感なアスリートは、微妙な違いであっても違和感を覚えてしまうんです。ご要望のマットレスを用意し、小平さんには2枚重ねで使用していただきました」小平は先輩選手から紹介を受け、自ら直談判して同社の製品を使い続けているそう。ふだんから愛用していた寝具メーカーが、小平の安眠を守り、金メダルにつながったのだ。
2018年02月27日カーリングの藤澤五月選手(写真/共同通信)金メダルこそ逃したものの、史上初となる銅メダル獲得という快挙を果たした日本女子カーリング。中でも一躍ヒロインとなったのが、スキップの藤澤五月だ。「プレーはもちろんですが、今大会では試合中の笑顔がかわいいと話題になっているんです。韓国メディアでは、『“男心を撃つ”平昌をとりこにする美女選手たち』と題した特集に、1番手で取り上げられるほど人気を集めています」(スポーツ紙記者)そんな藤澤だが、その柔らかい笑顔とは対照的に「負けず嫌いな性格」だと、彼女の姉、汐里さんは言う。「子どものころから負けん気がすごくて、家族でトランプをしていても“私が1番じゃないとイヤ!”と言って、泣き出すくらいでした。カーリングの選手だった父の影響で、兄も私も選手でしたが、私たちに負けたくなくてのめり込んでいったんだと思います」高校1年で世界選手権に出場し、卒業すると強豪の中部電力に入社した。しかし、’14年のソチ五輪の代表決定戦に敗退し、挫折を味わった。「妹は内気な性格で、友達とうまくやっていくことも苦手でした。だから、環境の違う人と一緒にやるっていうのは本人も厳しかったんだと思います」(汐里さん)転機となったのは、’15年5月に帰郷し、LS北見に加入したことだった。「今は周りの方々にうまく支えられている感じです。特に、一歩引いて支えてくれている本橋麻里さんには感謝ですよね」(汐里さん)ゲーム全体の戦略を決め、チームの司令塔役でもあるスキップを務めるが、汐里さんは言う。「もともとは団体競技には向かない性格かもしれません。中学校まで部屋が一緒でしたが、“私のものは私のもの。お姉ちゃんのものも私のもの”という意識でしたからね。私が妹のかばんを黙って借りたときには、“一生、口をきかない!”って泣きじゃくっていたのに、私のものは平気で勝手に使っていましたから(笑)。妹はひとりで突っ走るタイプだったので、今のチームに入って、ひとりだけじゃ勝てないってことに気づいたんだと思います」意外にも“ジャイアン気質”だった藤澤。でも、最高の仲間がいれば、大丈夫だよね〜!
2018年02月26日宇宇野昌磨「昌磨がメダルを取ってから、電話が鳴りっぱなしで困っているよ。肝心の絵を描く暇がない。自分の仕事の電話もあるからね。昌磨も大変だけど、こっちも大変なんだよ(笑)」孫について語ってくれたのは、祖父で画家の宇野藤雄さん。宇野昌磨のメダル獲得を受け、喜びの悲鳴を寄せてくれた。「ワンツーフィニッシュを飾ったことは快挙。会見では、宇野選手が、ケガで欠場することが多かった羽生選手に触れ“今後は一緒の試合に出て、(注目を浴びずに)ラクをしたい”と語って笑わせてくれました」(スポーツ紙記者)メダルを獲得してから、宇野の注目度はうなぎのぼりだ。「フリー終了後のセレモニーを終えると、表彰式前なのにメダルをもらったと思い込み“このあと表彰式あるんですか?”と発言して“かわいい〜”という声があがりました」(同・スポーツ紙記者)五輪での生活を振り返った会見の一問一答でも、「日本よりゲームができて満足。ぐうたらな生活を送ることができて楽しかったです」とズッコケのひと言。大のゲーム好きでもおなじみだ。「カードゲームの『遊戯王』やスマホアプリの『シャドウバース』、『荒野行動』、『ベイングローリー』をプレーしています」(スポーツライター)前者2つはカードデッキを組んで1対1で戦うもの。後者2つは“リアルタイムストラテジー”というジャンルの対戦型ゲーム。世界中の人とオンラインで戦えるものだ。「知らない人とチームを組むため、ゲームの組み立てだけでなく、勝つための犠牲や相手のウラを読むなど、高度な戦略性が必要です」(ゲームアプリ情報サイトライター)3年間同じゲームをプレーし続けるゲーマーな素顔は、試合でも生きているようで、「演技後に“4回転ループが成功していれば、1位になれた。失敗したから自分のことだけ考えた”とコメントしましたが、自分のスコアと羽生選手やハビエル・フェルナンデス選手の得点を計算していたのです。冷静に分析できたのも、ゲームで戦い慣れていたからかもしれません」(前出・スポーツ紙記者)ゲームを制する者は、五輪の勝負も制するのかも!?
2018年02月26日金銀銅のメダルを獲得したスピードスケートの高木美帆(写真/共同通信)金、銀、銅と3色のメダルをそろえた女子スピードスケートの高木美帆。金メダルとなった団体パシュートでは抜群のチームワークを見せたが、高校時代の彼女は男子と遊ぶことのほうが多かったようだ。スケート部の同級生だった関井翔太さんは言う。「女の子同士だと変に気を遣うのが嫌だったみたいで男とつるむことのほうが多かったですね。部活の後はサッカーをしたり、川遊びもしました。ジャージを脱ぎTシャツとスパッツでザブン!と入って泳いでいましたよ(笑)」ダンスやスケートクラブが同じで、幼いころから高木とは付き合いがあったという関井さん。なんと彼女の自宅にお泊まりしたことも。「美帆の実家の車庫でバーベキューをして、そのままお泊まり。遅くまで話していましたね。お姉さんの菜那ちゃんも先輩でしたが、そんなのは抜きにして接してくれました」(関井さん)いくら幼なじみといっても、年ごろの男女が一緒に泊まって大丈夫だったの?「女として意識したことはないですね。恋愛とかそういう話もまったくしたことはありませんでしたよ(笑)。スケートの練習も男子と一緒にしていたし、悔しくて泣いたりしている姿も見たことはなかったですね。今回の金メダルまで涙は取っておいたのかもしれませんね」毎年、文化祭の後夜祭では一緒にダンスを披露した。1年のときは姉の菜那と3人組でロックやヒップホップを踊ったという。一方で、女子からの人気はというと……。「美帆は女子クラスだったのですが、友達はいっぱいいましたよ。商業高校だったので簿記も、情報処理も1級に受かっていました。これはそう簡単に受かるものではないですから、いつの間に勉強したんだろうと思いましたね。その瞬間の集中力に長けていましたね。やるって決めたらやるというタイプでした」(高校の同級生)優等生といっても、ただ勉強ができるだけではなく、「普段はまじめだけど、空気も読める子で、みんなから嫌われている先生の授業では話をわざと脱線させるようなこともやっていました(笑)。ちゃんと高校生活を楽しんでいましたね」(同・同級生)男性にも負けない滑りと、強固なチームワークは、そんな過去があったからなのだろう!
2018年02月26日2大会連続で金メダルを獲得した羽生結弦ようやくつかんだ栄光のメダル。感動をくれたその“対価”としていくらもらえるのか。日本オリンピック委員会(JOC)の担当者によると、「メダルの報奨金は1992年のアルベールビル冬季五輪から実施し、当初は金メダル300万円、銀メダル200万円、銅メダル100万円でした。2016年のリオデジャネイロ五輪から金メダルのみ200万円増額して500万円としています」複数のメダル獲得者はその色と数をかけ合わせた報奨金がもらえる。所得税法上、非課税で確定申告の必要はない。ほかに競技団体から報奨金が出ることも。スキー競技の序盤戦でみると、渡部暁斗選手(ノルディックスキー複合・ノーマルヒル銀)、平野歩夢選手(スノーボード・ハーフパイプ銀)、高梨沙羅選手(スキージャンプ・ノーマルヒル銅)、原大智選手(フリースタイルスキー・モーグル銅)は全日本スキー連盟に所属している。同連盟の担当者は、「報奨金を出すかどうかは理事会承認が必要なのでまだ決定していないんです」と話す。スケート競技ではどうか。いずれもスピードスケートの小平奈緒選手(500メートル金、1000メートル銀)、高木美帆選手(1500メートル銀、1000メートル銅)は日本スケート連盟に所属している。「日本スケート連盟からの報奨金は、連盟の報奨規定に基づいた金額です。金メダリスト500万円、銀メダリスト200万円、銅メダリスト100万円になります」連盟所属でフィギュアスケート金メダルの羽生結弦選手はこの時点で1000万円が手に入り、同銀メダルの宇野昌磨選手は計400万円となる。スケート競技に限らず、出場選手の出身地、居住地、ゆかりの地などでも祝福の準備が進んでいる。しかも、都道府県レベルと区市町村レベルで別個に表彰されることも多い。例えば北海道では、大会終了後にメダリストの表彰の検討に入るとのこと。「前例にならえば賞状と表彰規定内の金額で副賞をお渡しします。その選手に合ったものを総合的に判断して決めます」(道庁スポーツ振興課)長野県の場合は、従来どおりならば、メダル獲得にかかわらず出場選手全員に賞状と副賞を贈呈するという。「リオやソチのときは、信州の木曽漆器を生かしたワイングラスと長野県産ワインを渡しました。計8000〜9000円相当です。未成年の選手にはワインのかわりにぶどうジュースにしました。今回は検討中です」と同県人事課。お金だけがごほうびじゃないってわけ。小平選手の場合、地元の長野・茅野市で後援会と市から激励金として計35万円が平昌出発前に贈呈された。勤務先の相澤病院がある同・松本市からは市民栄誉賞が授与されることが決まった。記念品も贈られる予定で、「最初はクリスタルトロフィーにしようかと思いましたが、ありきたりなものをあげても面白くないなと思いまして。松本の特色のあるもので何かないか考えまして、松本民芸家具のロッキングチェアを検討しています。目立たないところにおしゃれな銘板を入れて」と同市秘書課の担当者。一方、平野選手の場合、故郷の新潟県では今回の銀メダルについての表彰はまだ決まっていないが、「前回の銀メダルで県民栄誉賞を受賞し、副賞でガラス工芸品を用いた記念カップをお渡ししました」(同県秘書課)さらに同県村上市では、「前回の銀メダルを獲得した際は、凱旋パレードや報告会などでお祝いをしました。またスポーツ栄誉賞の授与とお祝い金100万円を贈呈しました」(同市・生涯学習課)地元初のメダリストに敬意を表した結果だという。東京都出身の原選手は何がもらえるのか。都オリンピック・パラリンピック準備局の担当者によると、「都民スポーツ大賞として賞状と賞金が贈られます。金30万円、銀20万円、銅10万円です。前回の五輪でもお渡ししていますので、今回の大会が終わり次第、検討に入ると思います」とのこと。いずれの団体・自治体ともビッグボーナスではなかったけれど、お祝いする気持ちはビシビシ伝わってきた。
2018年02月20日平岡卓前回のソチオリンピックで銅メダルを獲得した平岡卓だが、平昌の舞台では惜しくも予選落ちとなってしまった。だが、彼の持つプロボーダートしての主張、こだわり、情熱は、クールな素顔に隠れているが、誰よりもすごくものを持っていたーー。「もともとオリンピックに出たいというだけで、スノーボードをやっていたのではないと思います。サーフィンやスケートボードなど横乗り文化で育って、ただカッコいい自分を表現したい選手が多いんですよ。平岡も難易度の高い技を決めることよりも、飛んだときの高さや板をつかんだ際のスタイルのカッコよさを追求しています」(マネジメント事務所関係者)4年前のソチオリンピックで、平野歩夢とともに表彰台に上がった彼は、当時、高校3年生だった。「平昌は非常に寒く、それでいて雪が降らない。パイプが硬くてコンディションがよくないのです。ですから、失敗するリスクが高くなる難易度の高い技で争う展開ではなく、技術点を争うようなことになれば彼にもチャンスはあるでしょう」(スポーツ紙記者)ウインタースポーツの選手といえば雪国出身のイメージが強いが、平岡は縁の薄い奈良県御所市で育った。小学1年生でスノーボードに出会う。その後すぐに頭角を現し、12歳にしてプロになった。「競技ではとにかく負けず嫌いで、自分が決めたことにはガッツリ集中して力を発揮する選手です。ハマったら強いという感じですね。ただ感情の起伏が激しいとかではなく、表に出さずクールに燃えるタイプだと思います」(同・スポーツ紙記者)競技はもちろん自分の見られ方にもこだわりを見せる。「自分が取材を受けたテレビ番組を見て、“そうじゃないんすよ”と僕に言ってきたことがありました。スノーボーダーとして主張したい自分の姿と、テレビ局の見せたいイメージが違ったのでしょう」(前出・マネジメント事務所関係者、以下同)同じくメダル候補の平野歩夢とは、今でもよきライバルであり友人だ。「ナショナルチームで一緒に動くことが多いので関わることも多いのでしょう。2月1日に開催された、所属する『バートン』の展示会終了後、久しぶりに食事に行ったそうですよ」’16年には、なんと地元に西日本最大級のスケートパーク『GSP』を設立した。「地元に帰ったときに仲間と遊べる基地をイメージして作ったところ、地元の子どもたちも遊びに来るようになったようです。子どもたちが自分に憧れてくれるのはうれしいそうですが、スノーボードでオリンピックを目指すだけが横乗り文化のすべてではないと考えています。表現の仕方や楽しみ方は自由なので、(スケートパークで)自分なりの楽しみ方を見つけてほしいと思っているようですね」’20年東京五輪で正式種目になっているスケートボード。もしかしたら、平岡に憧れる子どもたちが、表彰台に上っているかも!
2018年02月13日銀メダル・高木美帆スピードスケートの女子1500メートルで、1位と0秒2という僅差で銀メダルを獲得した、高木美帆選手。やはりメダリストになる選手には、“仰天伝説”があったーー。「“神の子”だと言った指導者の方もいましたが、それが言いすぎではないくらいの選手でしたねぇ」そう話すのは、昨年まで帯広南商業高校スケート部顧問だった東出俊一さん。東出さんは、女子スピードスケートの高木美帆の高校時代の恩師だ。「私は顧問ではありましたが、高校時代の彼女に、特に何かを教えたということはないんですよ(苦笑)。小学生のころから地元では知らない人は誰もいないくらい図抜けた存在で、中学生でオリンピックに出ている。本当に能力が高く、のびのびやってほしかったので、余計なことは言わないように気をつけて、たまにアドバイスした程度でした」(東出さん、以下同)平昌では、1000メートル、1500メートル、3000メートル、団体追い抜きと4つの種目に出場する。「競技もオールラウンダーなのですが、私生活においてもオールラウンダーな子なんですよ。地元でいちばんの進学校に入る学力もあったのですが、競技の関係で、うちの高校に入学しました」中学時代には国内で敵なしといえる、天才少女だった高木だが、その才能はスケートだけにとどまらなかった。「在学中もW杯であったり、国内外で遠征が多かったので、1年のうち3分の1程度は学校を休まざるをえなかった。それでいてテストなどは学年でトップレベルの成績を出す。学力だけでなくサッカーをやっても、ダンスをやっても、なんでもできる子でした」今回は同じく東出さんの教え子である姉の菜那と、初めて姉妹での五輪出場となり、団体追い抜きに臨む。妹は15歳で’10年のバンクーバー五輪に初出場し、その年、姉は出場を逃した。’14年のソチ五輪では逆に姉が初出場を果たし、妹は出場を逃した。「姉妹で性格はかなり異なりますね。姉の菜那は負けん気が強く勝負にこだわる。妹の美帆はさっぱりした性格です。タイプは違いますが、お互いに意識して努力する、いいライバル関係だと思いますね」5大会連続で五輪に出場し、長野では銅メダルに輝いた岡崎朋美さんに美帆の印象を聞いた。美帆の初出場のバンクーバーは、岡崎さんにとってのラスト五輪でもある。「すごく大人になりましたよね。バンクーバーのときは本当に“子ども”でしたから。いまは自分が考えていることを、きちんと言葉にして表現できるようになりましたね」19日には、団体追い抜きの予選が行われる。「トーナメントの初戦からオランダなどの強豪国に当たらなければ、よほどのことがない限りメダルは確実。むしろ逃すほうが驚きですね」(岡崎さん)姉妹のチームプレーが、団体追い抜き初の金メダルをもたらすか。
2018年02月13日スケートコーチをしながらテレビなどでも活躍中の岡崎朋美5大会連続で五輪に出場、’98年の長野ではスピードスケート女子500メートルで銅メダルに輝いた岡崎朋美。当時26歳の自分を振り返り、「顔が丸いですね(笑)。ただ、よく盛り上げたなっていう安堵感はありました」そのときは“もうピークなのかな”と思っていたそうだが、8年後にも大チャンスが訪れた。「’02年ソルトレークの2年前にヘルニアの手術をしたんですが、’06年トリノのころは痛みもあまりなくて調子がよく、500メートルの1本目は3位につけたんです。でも、2本目はメンタル面なのか、足が重たくなってしまって逆転され、4位になりました。やはり、オリンピックの魔物が現れたのかなという感じはありましたね」出場経験を重ねても魔物からは逃れられないということだろうか。過去5回出場の『五輪マスター』である彼女に選手の恋愛事情について聞いてみると、「冬の競技は、みんなまじめかな。男女2人で出かけていて、これはお付き合いしているなという人はいましたね。名前は言えませんが(笑) 」そんな彼女も美人で鳴らし、海外でも人気があったが、’07年に一般男性と結婚して出産、’11年秋に復帰した。「子どもを施設に預けることをすすめられましたが、働くお母さんみたいにやりたいなと思っていたので、手元に置いて育てました。さすがに、シーズン中の遠征に出るときはお互いの両親に協力してもらいましたけどね」’13年のジャパンカップでは優勝したものの、’14年ソチ五輪には出場できず、引退した。「パワー系の競技なので、ご飯をたくさん食べないといい筋肉がつかないんです。私は母乳で育児をしていたので、栄養分を吸い取られてしまったのか、筋肉がなかなか戻らなかった。スケートでは、子どもを産んで戻した人はいないので、試行錯誤してやっていた感じですね。でも、選考会までの時間が足りず、ソチには行けなかった。いま思うと、まだまだできることはあったと思うのですが……」今回、スピード女子は史上最強レベルといわれるが、「自分の舞台だよ、と思ってやれればと思います。今の自分ができることをそのまま出せれば喜びにも変わります」岡崎いわく、メダル量産へのカギは“オリンピックに飲まれないこと”だとか。
2018年02月09日現役でありながら会社を立ち上げ、その収益で少年少女へスキー用具を寄付している船木和喜2月9日、平昌オリンピックが開催される。98年の長野オリンピックのスキージャンプでラージヒル個人金、団体金、ノーマルヒル個人銀を獲得した船木和喜が、これから戦う若者たちへエールを送る。長野オリンピックに22歳で初出場。いきなり金メダル2つと銀メダル1つを獲得した船木は、意外にも国を背負うプレッシャーは感じていなかったという。「普段から海外では大きなブーイングの中で戦っていますからね。ジャンプはあくまでも個人対個人の戦いです。団体戦も全員が同時にスタートするわけではないので。オリンピックだからといってやっていることは普段と変わりません。その重さがわかったのは、金を取ってからですね」長野の次のソルトレークでは、金メダル以外は認めてもらえない空気になった。でも、メダルはゼロに終わる。日本人に不利となるルール変更があったともいわれた。「西洋中心のスポーツですから、ある程度はしかたがないんですよ。それまではうまくこなしてきていたので、そのときの日本チームの対応能力が低かったということです」アウェーの地では、気持ちを強く持たないと勝てない。「金を取った後、ブーイングはさらに大きくなりましたね。自国の選手を応援しますから。“もう、飛ぶなー!”とか言っているんだと思いますが、3万人が声をあげていると何を言っているかわからない(笑)。慣れればむしろ心地よくなってきます」気持ちの面だけでなく、飛距離の面でもブーイングが味方になったのだという。■ヒゲの生えた女性選手「3万人が暖かい息を吐いてくれるので、気温が上がるんです。試合が終わると雪がなくなるくらいで、上昇気流が発生します。それで0・5〜1メートルくらいの風がジャンプ台に向かってくるんですよ。向かい風のほうが飛距離がのびますから、ブーイングが大きいと有利になる。だから、あえて中指を立てたりする選手がいっぱいいますよ。原田さんはどこでも好かれていましたが、僕は頭にきたお客さんに雪玉を投げつけられるぐらい。おかげで、僕のときは向かい風が強く吹いて、味方してくれました(笑)」寒い中での競技なので、中にはアルコールで身体を温める選手もいたというから驚く。「北欧の選手は色素が薄いから冷えるのが早くてかわいそうなんですよ。酒より問題なのはドーピングですね。きれいな女性選手を近くで見ると、ヒゲがふさふさ生えていてビックリしたこともあります(笑)。薬物はバレるので、みんなホルモンドーピングをやっていました」検査が厳しくなるのはクリーンな日本人選手に有利に働く。ただ、体格のハンデはどうにもならなかったようだ。平昌でも厳しい状況の中で戦うことになる若い選手に、「萎縮するようでは話になりません。雰囲気に慣れるのはもちろん、コノヤローという気持ちを持たなきゃ。せっかくメダルを取ってもインタビューで“楽しい、よかった”しか言わないようではダメ。もっと自分をアピールすることが、チームや後輩のためにもなっていくんです」40代で現役を続ける船木の言葉は、修羅場を経験した者だけが持つ重みがあった。
2018年02月08日原田雅彦。雪印メグミルクスキー部監督を務めながらスキー連盟理事の要職にも就いている「彼は45歳で飛んでいるんですから。金メダルをぜひ取ってほしいですね!」原田雅彦(現・雪印メグミルク監督)は4年後輩の葛西紀明選手にエールを送る。彼が出られなかった長野オリンピックで日本団体の大逆転勝利を演出したのが原田だった。「日本が金メダルを取ると、世界中が思っていました。でも、私のジャンプがのびなかったことで、1本目を終えた時点で日本は4位。もしかしたらメダルを取れないんじゃないかと思いましたね……」リレハンメルオリンピックでまさかの失敗ジャンプを演じ、団体の金メダルを逃した悪夢が頭をよぎる。「悪天候で2本目が中止になりかけました。4位で終わるところ、テストジャンパーが必死に飛び、再開が決定します。岡部選手と斎藤選手がいいジャンプをして私は3番目。1本目に距離がのびず、みんなが不安そうに私の顔を見ていたのを覚えています。でも、お客さんや関係者がひとつになって金を!と後押ししました。いや日本中がひとつになったのを感じましたね」足の骨が折れてもいいと覚悟して臨んだ2本目は、137メートルの大ジャンプ。飛び終えると放心したような表情で「ふなき……ふなきぃ〜!」とラストジャンパー船木和喜選手の名を呼んだ。「正直、2回目を飛び終わって本当に、ホッとしました。そうとうなプレッシャーを感じていたんだと思います。みんな原田が失敗するんじゃないかとハラハラしていたわけですから。その重圧から解放されて、ああいう状況に。フラフラになった中で囲まれて、質問されてもうまく答えられない。そのうちに船木の順番が来たので、 “ほら、金を取る瞬間だよ”と。“船木を見ようよ”と言いたかったんだけど、“ふぅなぁき〜ぃ”になっちゃったんです(笑)」極限の状態で戦っていたのだ。使命感がパワーとなった。「プレッシャーがないとダメです。そうでないと、結果が出ませんよ。私も初めての五輪はのびのびやれて楽しかった。経験を積み重ねるうちにプレッシャーがかかってきて、不安も大きくなる。でも、これがオリンピックなんだな」4年に1度のチャンスに向けて、ベストな状態にもっていかなければならない。「実力だけではどうにもならないことも、努力して打ち砕いていくのが競技者なんです。結果を出すために自分でまじめにやるしかない。自分を見つめ、自分なりの努力をする。言われたことをこなしているだけの選手はダメですから」4年前のソチオリンピックでは、金メダル確実といわれた女子ジャンプの高梨沙羅選手がメダルを取れなかった。「あのときは追われる立場だったけど、今度は逆の立場ですから。“私たちのほうが有利よ”と気持ちを切り替えてくれれば。男子の団体もいけると思います。葛西の調子が上がれば大丈夫。五輪チャンピオンというのはその日1位だった選手のことです。真剣に準備するしかありません」プレッシャーを楽しめば、きっと結果は出る!
2018年01月18日スピードスケート五輪金メダリスト清水宏保さん監修のエクササイズグッズスケート選手と聞いて思い浮かべるのは、女性のウエストぐらいある太ももと鍛え抜かれたプリッとしたお尻。そんな夢のようなお尻が手に入るエクササイズグッズ「スケルトアップスケーティゴールド」が、オリジナル性の高い美容健康維持促進製品の企画・製造・販売を行っている株式会社ドリームから販売されている。このエクササイズグッズは、スピードスケート五輪金メダリストである清水宏保氏の全面協力によって実現したもの。本当のスケートが滑れなくてもスケーティングの爽快感が得られながらも、美尻と美脚を手に入れることが出来る夢のような商品だ。「スケルトアップスケーティゴールド」の特長美尻と美脚をつくり出す中臀筋(ちゅうでんきん)と内転筋は、日常生活ではなかなか使われない筋肉。この筋肉を鍛えないと、いわゆる垂れ尻になってしまうにも関わらず、意識してトレーニングをしないと鍛えることが出来ないという、少し厄介な代物だ。スケーティーゴールドは、横幅120cmもある専用マットを滑るため、左右への体重移動を行うだけでも筋肉が鍛えられる。しかも両足を乗せるパッドは内側が低くなるように傾斜がついているため、立つだけでも内転筋に力を入れなければならない。そのため、美脚筋と呼ばれる内転筋を鍛えることが出来るのだ。もちろん、特定の筋肉だけではなく脚全体の筋肉をバランスよく鍛えることが出来るので、足腰を強化しながら姿勢まで美しくなるという優れもの。是非一度、試してみてはいかがだろうか。(画像はプレスリリースより)【参考】※株式会社ドリーム 公式サイト※株式会社ドリーム プレスリリース(@Press)
2017年09月17日リオ五輪カヌー銅メダリストの羽根田卓也選手が、あす26日に放送される関西テレビのトーク番組『おかべろ』(毎週土曜14:24~14:54、関西ローカル)にゲスト出演。ナインティナインの岡村隆史に、スロバキアの恋愛事情を披露する。この番組は、テレビ局近くの飲食店へ収録の合間に訪れる有名人に、常連客の岡村と、店主のロンドンブーツ1号2号・田村亮が質問をぶつけていくというもの。羽根田選手は、父親の影響で小学3年から本格的にカヌーを始めたが、「周りもカヌーをやっていなかったし、真冬のカヌーが本当につらくて…」と、最初は好きになれなかったと告白する。その後、本場・スロバキアで修業を積むことになるが、岡村が現地での恋愛事情について切り込むと、羽根田選手は「スロバキアの人はきれいですよ」と報告。亮が「メダルを取ってからモテるようになりました?」と聞くと、なぜか岡村が「もう全然違う! オリンピックとメダルの力は全然違う!」と興奮して答えてしまう。
2016年11月25日11月3日(木)今夜放送の「ぐるぐるナインティナイン」スペシャルの人気企画「ゴチになります!17」に、女優の高畑充希とリオ五輪女子レスリング金メダリストの登坂絵莉がゲスト出演。レギュラー陣と高級中華料理対決を繰り広げる。今回の舞台は赤坂の大型複合型施設「東京ガーデンテラス紀尾井町」内にある、調味料や食材にとらわれない新しい中華料理“ヌーベルシノワ”をベースに伝統的な広東料理の技法や、香港調味料での味付けなどを加えた、一歩未来を行く高級中華が味わえる「ザ シノワテイスト オブ カントン」。スペシャル料理を賭けたゲームは、レスリング場を会場にレギュラーメンバーと高畑さんが腹ばいになって、女子レスリング金メダリストの登坂さんにひっくり返されないように必死に踏ん張るというもの。岡村チーム、矢部チームに分かれてどちらがより長く粘れるかを、3人の合計タイムで競っていく。今回を入れて残り4戦となった「ゴチバトル」は、クビレースも佳境に入りメンバーも若干緊張気味。今回自腹を切るのは一体誰か!? 勝負の行方をお見逃しなく。高畑さんと登坂さんのほか、番組レギュラーとして岡村隆史、矢部浩之、柳葉敏郎、国分太一、二階堂ふみ、羽鳥慎一らが出演する。今回ゲストで登場した高畑さんは映画最新作『アズミ・ハルコは行方不明』が12月3日(土)公開。『私たちのハァハァ』『アフロ田中』の松居大悟監督が山内マリコの同名小説を映画化した本作。蒼井優が突然姿を消したアラサーのOLを演じ、高畑さんは地方都市に暮らすハタチのギャルで超派手なキャバクラ嬢を演じる。この秋まで演じていたNHK朝ドラ「とと姉ちゃん」のヒロインのイメージを覆す高畑さんのギャルキャバ嬢ぶりは必見だ。物語の舞台は、寂れた国道沿い。大型モールや洋服店、レンタルCDショップ、中古車店、ファミレスが並ぶ典型的な地方のある街。ある日、突然姿を消したOL・安曇春子。彼女が消えた街では、捜索願いのポスターをパロディしたグラフィティアートが拡散され、無差別に男をボコる謎の女子高生集団が出現する。ひとりのOLの失踪をきっかけにひとつの街で交差する、ふたつのいたずら。これは、アズミハルコの企みなのかーー。蒼井さんと高畑さんのほか、太賀、葉山奨之、加瀬亮、菊池亜希子、芹那、落合モトキ、山田真歩ら個性的なキャストが共演する。高畑さんと登坂さんが高級中華を楽しむ「ぐるぐるナインティナイン」スペシャルは11月3日(木)今夜19時56分~日本テレビ系で放送。(笠緒)
2016年11月03日リオ五輪女子柔道57キロ級銅メダリストの松本薫選手が、24日に放送されるTBS系バラエティ番組『ジョブチューン~アノ職業のヒミツぶっちゃけます!SP』(19:00~20:54)で、「彼氏います」とテレビ初告白する。今回、「リオ五輪メダリストぶっちゃけスペシャル」と題し、リオ五輪レスリング女子53キロ級銀メダリストの吉田沙保里選手、レスリング69キロ級金メダリストの土性沙羅選手、卓球男子団体銀/シングルス銅メダリストの水谷隼選手ら総勢13人がスタジオに集結。普段見せない素のメダリストの表情や発言が炸裂する。松本選手は、ネプチューンの名倉潤から「松本選手、モテますか?」と聞かれ、「まあ、ほどほどに。野獣とか言われてますけど・・・」と答え、バナナマンの設楽統からの「彼氏とかいるんですか?」の問いに「はい。います!」とはにかみながら即答。スタジオ中が驚きの声をあげる中、「大学時代から8年間付き合ってます。(テレビで)初めて言いました」と明かした。さらに設楽から「どっちから(告白したの?)」と聞かれると、松本は前に座っていた吉田の肩をたたいて恥ずかしがるも「男性から…」と告白。その後もゲストたちが矢継ぎ早に松本に質問を投げかけるが、松本はひとつひとつうれしそうに丁寧に答えていく。交際している男性は料理人で、彼は松本を「かおり」と呼んでいるという。このほか、松本からの「野獣に変わるニックネームを考えてほしい」という要望に応えて、かわいいニックネームを考える場面も。さらに、松本と吉田は手押し相撲にも挑戦する。(C)TBS
2016年09月21日10月7日(金)に東京・東京国際フォーラム ホールAで開催される「オリンピックコンサート2016」に出席する参加予定メダリストが発表された。【チケット情報はこちら】オリンピックコンサートは、日本オリンピック委員会(JOC)が主催し、1997年からスタート。今年は“応援をありがとう!感動をありがとう!”をテーマに、過去最多の41個のメダルを獲得するなど日本代表選手が大活躍したリオデジャネイロオリンピックにフォーカスし、オリンピックの競技映像と壮大なシンフォニーオーケストラの共演によってふり返る。今回、参加予定メダリストとして発表となったのは以下の選手。当日はステージにて、オリンピックへの想いと、日本からの応援への感謝の気持ちを伝える。【水泳/競泳】萩野公介(男子400m個人メドレー金/男子200m個人メドレー銀/男子4×200mリレー銅)、坂井聖人(男子200mバタフライ銀)、松田丈志(男子4×200mリレー銅)、小堀勇氣(男子4×200mリレー銅)【レスリング】樋口黎(男子フリースタイル57kg級銀)、太田忍(男子グレコローマン59kg級銀)、登坂絵莉(女子フリースタイル48kg級金)、伊調馨(女子フリースタイル58kg級金)、川井梨紗子(女子フリースタイル63kg級金)、土性沙羅(女子フリースタイル69kg級金)【ウエイトリフティング】三宅宏実(女子48kg級銅)【卓球】吉村真晴(男子団体銀)、福原愛(女子団体銅)【柔道】原沢久喜(男子100kg超級銀)、羽賀龍之介(男子100kg級銅)、ベイカー茉秋(男子90kg級金)、永瀬貴規(男子81kg級銅)、大野将平(男子73kg級金)、海老沼匡(男子66kg級銅)、髙藤直寿(男子60kg級銅)、山部佳苗(女子78kg級銅)、田知本遥(女子70kg級金)、松本薫(女子57kg級銅)、中村美里(女子52kg級銅)、近藤亜美(女子48kg級銅)【バドミントン】奥原希望(女子シングルス銅)、髙橋礼華(女子ダブルス金)、松友美佐紀(女子ダブルス金)【カヌー/スラローム】羽根田卓也(男子カナディアンシングル銅)※リオデジャネイロオリンピック日本代表選手団名簿順※参加者は変更になる場合ありまた、コンサートにゲストアーティストとして参加する蘭寿とむとMon STARS(橋本さとし、石井一孝、岸祐二)が披露するミュージカルナンバーも同日発表。シンフォニーオーケストラとコラボし、「彼を帰して」(ミュージカル『レ・ミゼラブル』から)、「1人はみんなのために、みんなは1人のために」(ミュージカル『三銃士』から)、「シスター・アクト」(ミュージカル『天使にラブソングを~シスター・アクト』から)、「ワン・デイ・モア」(ミュージカル『レ・ミゼラブル』から)を歌唱する。チケットは発売中。
2016年09月16日日本勢が大活躍していることもあり、リオ五輪が連日盛り上がりを見せています。そんなときだからこそ読んでおきたいのが、『メダリストに学ぶ 前人未到の結果を出す力』(松原孝臣著、クロスメディア・パブリッシング)。スポーツ総合誌『Number』編集部に10年間勤務したのちに独立し、以後はノンフィクション、スポーツをメインとしたライター兼編集者として活躍している著者が、多くのスポーツ選手や指導者50名の言葉を選び抜き、その背景とともに紹介した書籍です。「スポーツはあらゆる要素が凝縮された世界であるだけに、そこで生きている彼らの言葉には、あらゆる体験や心情が凝縮されている」という著者の主張には、とても力強いメッセージが込められています。きょうはそのなかから、数字に関わる印象的なストーリー「10の力が、20、30にもなる」を抜き出してみたいと思います。■不利な条件「低長差」を団結力で克服ロンドン五輪でのバレーボール全日本女子の銅メダルは、実に28年ぶりのオリンピックのメダルでした。でも、なぜ28年もの歳月が経過してしまったのでしょうか?理由は明快です。バレーボールは、身長差が競技の優劣につながりやすい競技だから。つまり全日本がメダルから遠ざかっていたのは、平均身長が低いという不利な条件を克服できずにいたからだということです。ロンドンでも参加12チーム中、下から3番目の平均身長だったため、その差を克服しての銅メダルだったというわけです。ちなみに大会のあと、勝てた理由として選手たちの口から出たのは「チームワークのよさ」だったのだとか。また眞鍋政義監督自身も、「団結力」が強みだったと語っているそうです。そして、そのチームワークが築かれた背景には、「ぶれないチーム」強化の方針が関わっているというのです。■目指す方向が一致するからまとまる!試合中にiPadを片手にしていたことから、眞鍋監督は「データの駆使」を特徴として挙げられていました。しかも漠然とデータを用いるのではなく、「日本のチームにとってなにが必要か」という観点から利用していたというのです。それが指し示すように、「どのような戦い方をしてメダルを目指すか」について明確な戦略があり、そのうえで戦術を立て、データも利用したということ。当然のことながら選手にも、「どのようなプレーを重点的に行うか」を明示したそうです。つまり、一貫した方針があり、「なにをすればいいのか」がはっきりすることで、選手には迷いがなくなるということ。みんなで目指す方向が一致するからこそ、まとまりが生まれるというわけです。■方針ひとつで真のチームワークが発生そして眞鍋監督はそのうえに立って、情熱を持って個々の選手と接していったのだとか。それが必要不可欠なことだということは誰にでもわかりますが、ここにも見逃せないポイントがあるようです。つまり、その姿勢が効果を発揮したのも、あくまでもチームの方針がはっきりしていたからだということ。だからこそ、単なる「まとまろう」というような精神面での協調ではなかったし、本当の意味でのチームワークが生まれたということです。■ビジネスでも応用できる3つの考え方しかしそれは、スポーツチーム以外の組織についても応用できることだと著者は主張しています。会社の一組織であれ、プロジェクトであれ、「目指す方向とそこに至る方針」がはっきりしていなければ、構成員はバラバラな方向を見てしまい、まとまりが生まれることはないということ。いってみれば、情熱を説くよりも前に、それがあるかどうかが重要な鍵になってくるという考え方です。そして、このことに関連して、著者は次の3点を読者に対して投げかけています。(1)目標と方針は明確か(2)精神論でごまかしていないか(3)目標と方針を周囲と共有できているか私たちにとっても、非常に重要な意味を持つ言葉だといえるのではないでしょうか?*ここにも明らかなとおり、アスリートたちの真実の姿を浮き彫りにした本書には、もうひとつの側面があります。単なる「すごい人たちの名言・ドラマ集」ではなく、彼らがやってきたことを、ビジネスの現場に応用させようという意図が込められていること。しかも、成功も失敗もくぐり抜けてきた人たちの言葉だからこそ、ひとつひとつが心を打つはず。なんらかの理由で落胆していたり、仕事で壁にぶつかったりしている人にも、強い力を与えてくれる一冊だといえます。(文/作家、書評家・印南敦史) 【参考】※松原孝臣(2016)『メダリストに学ぶ 前人未到の結果を出す力』クロスメディア・パブリッシング
2016年08月17日