7月29日、パシフィコ横浜で開かれた「地球科学・リモートセンシング国際シンポジウム2019」に天皇皇后両陛下が出席された。雅子さまは当初ご予定のないなかでの“サプライズご出席”だったが、開会式からレセプションまで全てのご公務をこなされた。この日の装いは、ネイビーの縁取りとトンボ玉がアクセントになった白いジャケット。令和になってからの雅子さまらしいファッションだった。「お若いころにお似合いだった赤、青、緑、黄色などのビビッドカラーから、最近は白や淡い色合いにされて優しい印象になりました」そう語るのは、ファッション評論家の石原裕子さん。ほかにも、令和での雅子さまのファッションには3つの傾向があるという。■国際交流は和風でおもてなし「トルコのエルドアン大統領夫妻との会見で、皇后として初めて和服をお召しになりました。国際親善の場では、洋装でも和テイストが印象的です。5月に行われた中国駐日大使との御会見、トランプ大統領夫妻の宿泊先御訪問では、お着物の半襟のように、襟と袖の部分に二枚重ねの和風のデザインを取り入れたスーツをお召しでした。2枚とも数年内に作られたスーツで、雅子さまにお似合いのスタイルです」(石原さん、以下同)■レース&ブレードで華やかに「トランプ大統領を招いての宮中晩餐会や、フランスのマクロン大統領とのご会見では美しいレース使いが素敵でした。特に、マクロン仏大統領夫妻をお迎えの際の淡いブルーのアンサンブルは、サテンにレースを貼り付けた2枚仕立てのジャケットが豪華。雅子さまの定番のテーラード・ジャケットは、ブレードや布での縁取り、襟のデザインなどで様々なバリエーションを作られています」特に愛知県ご訪問、日本学士院授賞式、日本芸術院授賞式でお召しになった3枚のシルクのスーツは色違いで、雅子さまのお気に入りだという。■柔和な印象のゆったりシルエット「皇后となられ、ご年齢相応の装いをされていると思います。例えば、麻布保育園の御訪問ではスカートをセミタイトに。愛知県ご訪問時はお若いころよりゆったりしたシルエットのグレーのパンツスーツをお召しに。そうしたシルエットの変化が、落ち着きと気品を醸し出しています。最近の雅子さまの装いには、皇后としての風格が感じられます」8月にも全国戦没者追悼式や、フローレンス・ナイチンゲール記章授与式など、ご公務でお忙しい日々が続く雅子さま。どんな装いで臨まれるかにも、注目が集まる。
2019年08月01日モデルとして80年代から数々の雑誌で活躍し、女優としても、出演作は決して多くはないものの『リング』の貞子の母親役などで鮮烈な印象を残した雅子さん。彼女が、罹患者は10万人にひとりという希少なガンとの闘病の末、50歳の若さで亡くなったのは2015年の1月のこと。それからほぼ間を置かず、彼女の夫である大岡大介は、彼女の半生をたどるドキュメンタリー映画の製作を決意する。彼女が19歳でデビューした当時のことや、その後の活躍について知るカメラマンやモデル仲間、スタイリスト、映画やCMの共演者、映画監督など多くの関係者に取材し、4年もの歳月を経て完成したのが7月26日(金)より公開される映画『モデル 雅子 を追う旅』である。映画製作の動機は「モデル・雅子を知らな過ぎたから」「ここまでくると、ずっと彼女に向き合っていたというよりも、ある意味で一緒に生きてきたような感じですね」――。大岡監督はこの4年半の歳月をそうふり返る。大岡監督が雅子さんと結婚し、生活を共にした時間は2006年から2015年までの約9年弱。知り合う以前は、“モデル・雅子”の存在すら知らなかったし、結婚後も互いの仕事について、深く話をすることはあまりなかった。「たまに『こんなの出たよ』と自分が出ている雑誌を見せてくれたりはしたし、『仕事どう?』くらいの会話はしましたが、家での会話は、2人での生活のことが最優先でした。趣味や交友関係でも、互いの領域に踏み込むことはあまりなくて、例えば2人とも映画は好きだけど、僕はハリウッド映画とアニメが好きで、彼女が好きなのはアート系やフランス映画。『え? 『スター・ウォーズ』見たことないの? 信じらんない!』『はぁ? なんでよ?』みたいな会話を繰り広げてましたけど(笑)」彼女が亡くなって、大岡監督は初めて気づく。モデルとしての雅子さんについて、自分がほとんど何も知らないということに。「この映画を作った第一の動機は、あまりにモデル・雅子を知らな過ぎたから。恋焦がれるような気持ち、そしてなにより、彼女を忘れてはならないという思い、自分が彼女を忘れ去ってしまうことへの恐怖で動き出しました」。関係者の話から浮かび上がる雅子の姿『リング』の中田秀夫監督や雅子さんを被写体に多くの写真を撮影したカメラマンの安珠が、彼女の持つ特別な“何か”について語れば、CMで共演した高嶋政宏やモデルの藤井かほりは撮影現場や日常での彼女のプロ意識の高さを語る。その一方で、彼女が出演した映画『サヨナラCOLOR』を監督した竹中直人は「顔はあんなにきれいでシャープなのに、お茶目でちょっとドンくさい雰囲気もあって…(笑)」と意外な一面を明かし、彼女が通っていたバレエ教室の先生は「超不器用ですよ」と断言する。大岡監督は、自身が出会う以前の雅子について語られる様々な言葉をどう受け止めたのか?「さばさばした性格で、飾ったところのない人だったので、彼女がモデルとしてどんな立ち振る舞いをしていたのかは想像はしていましたが、具体的にお話を聞くと、僕がなんとなく『こういう人だな』と思っていたものがどんどん裏付けられていくような感じでした。全く新しい、知らない雅子像が出てきたというよりは、いろんな人の言葉によって、ボンヤリとした幻、蜃気楼の輪郭がハッキリとしてきたような」。「不器用な部分なんかは、僕は普段からそういう部分を見てきましたので、なんならもっと知ってますよ(笑)という感じですね。彼女が亡くなってから、SNSなどを通して、ある種、彼女を崇め奉るような大ファンの方から連絡をいただいたりもしていて、でも僕に言わせれば彼女は“普通の人”でした。だから、そういう彼女のヌケサクな一面をしっかりと語ってくださる方がいたのは嬉しかったですね」。モデルとしての高いプロ意識モデル仲間や友人たちの口から、道を渡るほんの数秒、紫外線にさらされる際にも雅子さんが日傘を使用し、風呂上がりのスキンケアなどに、同じモデル仲間も驚くくらい、時間をかけていたことなどが明かされる。プロ意識の高さ――そこには、彼女の仕事に対する責任感だけでなく、誰もができるわけではないモデルという仕事に対するプライドがあった。「映画の中で、(モデルの)木村東吉さんが『モデルとは何か?』ということを語ってらっしゃいますが、雅子もまた、自分に課せられた仕事がなんなのか? ということに非常に意識的だったんだと思います」。「これは映画には出てこないですが、彼女と出会った頃のすごく印象的な言葉があって、ちょうどその頃、いわゆる“読者モデル”と言われる、ごく普通の人との境界線が曖昧なまま、いろんな活動をする人たちが出始めてきていたんです。そういうコたちが、ランウェイを歩いているのを見て、僕が何気なく『すごいよね』とポロっと口にしたら、彼女はすごく真剣な顔で『そういう人たちをモデルって呼ばないで』と言ったんです。その出来事は僕の心の中にずっとくさびとして残っていたんだなと思います。19歳でモデルを始めて、20代、30代、40代と『モデルの務めとは何なのか?』『何をもってモデルたりうるのか?』と彼女は懸命に真摯に考え続けてきたんです」希望や未来も感じた闘病生活映画では、彼女の病気、闘病生活や死についても描かれる。がんの転移が見つかり、その治療の過程で骨がもろくなり、胸椎を圧迫骨折をしたことで、モデルの命とも言える「姿勢」を取り戻すことが困難になっても、彼女は「(顔だけを撮影する)ビューティーの仕事ならやれる」と笑みを浮かべて語ったという。2人の最後の日々は、強く胸に迫るが、決して大げさな悲愴感を感じさせず、むしろ希望や未来さえ感じさせる。「彼女の姿を見て、僕自身、頑張らなきゃと勇気づけられましたね。そういう部分に関して、2人とも“そこそこの頑張り屋”であり、“まあまあのリアリスト”であり、“まあまあのロマンチスト”でもあり、その配分がいい感じで合っていたんでしょうね」。「一番大事なのは、今日一日を生きのびることであり、その積み重ね。病気があるのは事実だけど、それも含めて生活なんだと。2人とも『もう私死ぬわ…』『そんなこと言うなよ』『手を握って』みたいのは大嫌い(笑)。もっと言うと『これ、絶対に治るだろ』って疑いのない思いを抱いていました。彼女は自分の身体のことですから、どこかで『もうダメかも』とか『しんどい』という思いもあったかもしれないけど、そんなの一切出さず、深刻になり過ぎずに普通に生きることを大事にしていたように感じています」。“強さ”から“柔らかさ”を身にまとう雅子「僕にとってもひとつの発見」そして本作において語られる様々な“言葉”と同等、いやそれ以上に強いエネルギーを持っているのが、写真や映像に残る雅子さんの姿そのものである。映画のポスタービジュアルに使用されているのは、大岡監督が知り合うよりもずっと前の、20代の頃の若き日の写真。映画の中でも言及されるが、30代後半、40代と年齢を重ねていく上で、彼女がある種の“柔らかさ”を身にまとっていく一方、若い日の姿、特にその視線は何かに挑戦するような、対峙するような“強さ”を帯びている。「それは僕にとってもひとつの発見でした」と大岡監督は言う。「若い時の雅子と年齢を重ねてからの雅子。どちらも同じ人物だけど、違う…でも、間違いなく雅子――雅子の皮をむいたら出てきた雅子とでもいうのか…?(若い頃は)物語を背負っているようにも見えるけれども、でも、物語を背負えるほどには歳を重ねてもいないんですね。何なんだ? これは…と一瞬、頭が混乱するような思いに駆られました。そんな彼女が年齢と共にいろんなものを備えて、柔らかくなっていったのかな?そんなことまで気づかせ、感じさせてくれる、改めてとんでもない人だったんだなと感じました」。80年代、90年代、そして2000年代以降、社会や女性の在り方が変化していく中、モデルとして、時代を自らの肉体に映し出し、駆け抜けた雅子さん。まさに現代を生きる人々の“モデル”であり、観る者の心に強く何かを訴える。(photo / text:Naoki Kurozu)■関連作品:モデル 雅子 を追う旅 2019年7月26日~アップリンク吉祥寺にて1週間限定、全国にて順次公開。©︎2019 Masako, mon ange.
2019年07月25日2015年、50歳の若さで逝去したモデル・雅子の半生を辿るドキュメンタリー『モデル 雅子 を追う旅』が、7月26日(金)よりアップリンク吉祥寺にて公開。当初1週間限定上映を予定していたが、公開前に全日程チケット完売という好評を受けて続映が決定。さらに公開初日には縁のある竹中直人の登壇も明らかになった。19歳でモデルとしてデビューして以降、誰よりも強いプロ意識を持ち、雑誌「an・an」や「装苑」など時代の最先端で活躍した雅子。役者としてもその才能を開花し、CMや映画『リング』で貞子の母・志津子を演じるなど大きな話題となった。その素顔は、映画とフランスとチョコレートが大好きで、等身大の美しさを大切にするひとりの女性だった…。本作では安珠、田村翔子、藤井かほり、高嶋政宏、中田秀夫監督、石井たまよ、竹中直人ら生前の雅子を知る人々に、夫である大岡大介氏が自らインタビューを敢行。美しさに隠された、愛すべき素顔が明かされていく。今回、公開前に全日程が完売となったことを受け、急きょ8月2日以降の続映が決定。また、初日7月26日には本作出演者であり、雅子さんが出演した映画『サヨナラCOLOR』(’05)の監督でもある竹中さんの登壇も決定。竹中さんからコメントが到着している。竹中直人「苦しくも美しくせつない映画になっているのでしょう」雅子さんとは渋谷にシネマライズがあった頃、ヴィンセント・ギャロ監督作品『ブラウンバニー』(2003)の試写会で偶然お会いしました。夜の渋谷、シネマライズには試写会に並ぶ人の行列が出来ていました。近づいて行くとそこに佇む雅子さんとしっかり目が合ったのです。お互い初対面だったのですがほんの数秒しばらく目が合ったままでした。今もあの時の雅子さんの眼差しをふと思い出します。妖艶なあの眼差しを…ご主人である大岡さんがどのような思いを抱いて雅子さんというひとりの女性を描いたのか…苦しくも美しくせつない映画になっているのでしょうね…。わたくしごときをトークイベントにお呼び下さり感謝しております。竹中直人『モデル 雅子 を追う旅』は7月26日(金)よりアップリンク吉祥寺ほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:モデル 雅子 を追う旅 2019年7月26日~アップリンク吉祥寺にて1週間限定、全国にて順次公開。©︎2019 Masako, mon ange.
2019年07月12日車から降りたマクロン仏大統領が、笑顔で天皇皇后両陛下のもとに歩み寄る。陛下と固い握手を交わしたあと、さらに雅子さまの右手を両手で包み込んだマクロン大統領。30秒もの、長い握手だった。6月27日、両陛下はG20大阪サミットのために来日したマクロン大統領夫妻と皇居で会見。続いて宮殿で昼食会が催された。「昨年10月には天皇陛下がフランスを訪問されましたが、雅子さまはご体調が万全ではなく、訪問を断念されました。マクロン大統領も、皇后となられた雅子さまにお会いすることを心待ちにされていたのでしょう」(宮内庁関係者)この日、雅子さまの“おもてなし”が光る場面があったという。「雅子さまは今回もほとんど通訳に頼ることはなく、昼食会ではマクロン大統領と英語で会話されました。その一方で、ブリジット夫人とは英語とフランス語を交えて話されていたのです。実はブリジット夫人はあまり英語が流暢ではありません。雅子さまはお相手が話しやすいように、言語を使い分けされていたのです」(皇室担当記者)7月1日にはトルコのエルドアン大統領とも会見され、G20で各国首脳が集まる中、存在感を発揮されていた天皇皇后両陛下。11月下旬にはローマ法王が訪日し、さらに来春には中国の習近平国家主席が国賓として招かれる見通し。いずれも両陛下と会見することになる見込みだ。宮内庁関係者が言う。「御代替わりを機に、天皇皇后両陛下のもとに世界のリーダーから会見のオファーが殺到している状況です。とりわけ海外の政府関係者は、雅子さまの人気に関心を示しているようです」5月、国賓として訪日したトランプ米大統領をもてなした雅子さま。『ニューヨーク・タイムズ』は、「雅子皇后はスター」と絶賛した。海外王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さんは、雅子さまが脚光を浴びる一因に、皇太子妃時代の苦難への共感があると語る。「15年以上にわたり雅子さまが療養されていたことは、海外でも知られています。ハーバードやオックスフォードに留学され、外交官として活躍したキャリアウーマンが、皇太子妃となってから思うように活躍できなかったことに、海外メディアは非常に同情的なのです」それゆえに今、皇后になられていきいきとされた雅子さまに大きな注目が集まっているというのだ。「マクロン大統領と通訳を介さずに会話し、笑い合う雅子さまのお姿は、“時代が変わった”と実感させるものでした。今後来日する各国の首脳たちも、その光景を目にする相手国の国民も、同じように感じることでしょう」(多賀さん)再び輝いた雅子さまの笑顔が、日本と世界の懸け橋になる――。
2019年07月04日子どもたちの「いらっしゃいませー!」の声に、にっこりとほほ笑まれた雅子さま。天皇皇后両陛下は6月21日、東京都港区の「麻布幼稚園」を訪問。お店屋さんごっこで交流された。「きゅうりを1つお願いできますか」と、明るくお客さん役をなさった雅子さま。しかしその心中には、非常に気がかりなことが――。皇室担当記者が話す。「6月18日の夜、震度6強の地震に襲われた新潟県村上市は、雅子さまの“故郷”なのです」死者こそ出なかったものの、けが人は5県で計28人にのぼったこの震災。津波注意報が発令され、一時は6千人以上が避難する事態になった。最大震度を記録した村上市は、さらなる災難に見舞われていると地元市民は言う。「村上市は、海水浴などで年間200万人以上が訪れる観光地でもあるのですが、市内の宿泊施設ではキャンセルが相次いでいるのです。実際には被害のない施設がほとんどなので、心配せずに足を運んでいただきたいのですが……」村上市は、雅子さまの曾祖父の生家もある、小和田家ゆかりの地。ご成婚まで、雅子さまの本籍も置かれていた。「市の北を流れる三面川の塩引き鮭が名物なのですが、東京に越してからも、小和田家の年越しの食卓には並んでいたそうです。また、雅子さまのご成婚時に定められた“お印”のハマナスは、村上市の市の花でもあるのです。そんな縁の深い土地ですから、雅子さまは今回の震災に心を痛められていることでしょう」(前出・皇室担当記者)宮内庁関係者が明かす。「両陛下は、今年9月に新潟県で開催される国民文化祭にいらっしゃるご予定です。実は新潟県からは、小和田家のゆかりの地である村上市にも足を運んでいただきたいとの申し入れがあったのですが、宮内庁側はその申し出を断っていました。御代替わりの今年は過密スケジュールとなっており、9月には地方ご公務が重なっていたからです。しかし今回の震災で、両陛下の村上市ご訪問が再検討される可能性が出てくると思います。実現すれば、両陛下の即位後初の被災地ご訪問となります。村上市の人々も、とても勇気づけられることでしょう」村上市はこれまで、陛下と雅子さまのご成婚、愛子さまのご誕生、そして今年の改元に際しても、街を上げてお祝いしてきた。祭りの山車・おしゃぎりを繰り出し、提灯行列が街中を練り歩いたのだ。「雅子さまをお招きすることは、村上市民の悲願ともいえます。ご成婚後、まだ公式に村上市を訪問されたことのない雅子さまも、今こそ“故郷の地”に恩返しをするときと思われているはずです」(前出・宮内庁関係者)3カ月後、地震で傷ついた村上の街に笑顔が咲くかもしれない。
2019年06月28日「いまや、悟空は私の分身ですね。宝物です!」そう語るのは、『ドラゴンボール』の悟空を演じ続けて33年の野沢雅子。昨年末に公開された映画『ドラゴンボール超 ブロリー』(初回生産限定・特別限定版<セル>好評発売中。Blu-ray版8,800円、DVD版7,800円ともに税別。<レンタル>好評レンタル中)が世界中で大ヒットを記録し、喜びもひとしお。「びっくりしました。みなさんに悟空が愛されているということがたまらなくうれしいです」ブロリーといえば、世界中にファンを持つ人気キャラクター。戦闘民族サイヤ人のなかでも最強とうたわれるブロリーと、孫悟空&ベジータの壮絶バトルが炸裂する本作。収録中も映画さながら、過酷なものだったと振り返る。「バトルシーンばかりで、始まってからずっと叫びっぱなし。『私、セリフ言った?』という感じでした。ブロリー役の島田敏さんは、収録後に机に突っ伏しちゃったのよ。私は平気でしたけど(笑)」悟空とベジータが融合して生まれる“ゴジータ”のアフレコは、2人の役者が同時に声を当てた。「ベジータ役の堀川りょうさんが絵を見ながら声を当てて、私は堀川さんの口を見て合わせるわけですよ。1回稽古して即本番、でOK!って感じ」長年にわたり同じ役を務め、ギネス世界記録認定された声優界のレジェンド。アフレコの極意を聞くと、「役になりきること」と語る。「私は、演じている間は悟空になりきってますね。絵に入り込んじゃうから。悟空がご飯を奪われちゃうシーンがあったんだけど、私、(自分の食事を取られたような気がして)『ちょっとやめて、取らないで』って言っちゃったの。セリフにはないのに(笑)」
2019年06月17日プロ写真家としてスタートして今年60年目を迎える立木義浩の自身最大規模となる写真展が5月23日、上野の森美術館でスタートした。本館1、2階の展示室を使って展示された作品は720枚。「時代 − 立木義浩 写真展 1959-2019 −」というタイトルと偶然にも同じ12ヶ月×60年と同じ数となった。さらにギャラリースペースを使用して6×6(ロクロク)をもじり『デジ6』とネーミングされたデジタルカメラの1:1の機能を使用して撮影されたモノクローム作品70点も発表。計790点という個展としては、これまで類を見ない点数の作品は圧巻だ。200万部のベストセラーになった『蒼い時』を立木氏のスタジオで執筆していたというエピソードとともに、今回公開された山口百恵を撮った写真は8点が出展された。それ以外にも未発表を含む著名人のポートレートは勝新太郎、黒澤明、夏目雅子、大原麗子、寺山修司、ムッシュかまやつなど鬼籍に入った有名人から、武豊、貴花田光司などのスポーツ選手、開高健、柴田錬三郎など作家まで幅広い。また1971年に発表された加賀まりこの写真集「私生活」を含む、“良き時代”を切り取った日本のアーカイブは、初期の『anan』の写真などとともに、ファッション文化のクロニクルとなっている。「この(有名人の)コーナーはモデルのアプルーバルと、展示の並び順がすべて。瀬戸内寂聴さんの隣に誰の写真が並べられているか、それを見ただけでこの大変さが分かって頂けると思う。一般公開される明日には(クレームが怖いので)田舎に引っ込む」というジョークは、日本のコマーシャル創世記から生きたレジェンドならではのコメントだ。2階にはサウスブロンクスのギャングからアラバマのKKKまでが写る“裸の”アメリカやヨーロッパ、アフリカ、キューバ、日本の町や村のスナップが圧倒的な数で迫る。「玉石混淆(笑)。決して名作を並べたわけではなく、この写真を見た人が何かを感じ取ってくれて、面白がってくれれば良い」「写真に内面は写らない。カメラマンや見た人はたまに勘違いするけれど(笑)。だから外面を丁寧に撮る」「昭和から平成を経て令和、20世紀から21世紀、銀板からフィルム、そしてデジタルと変化しても“写真”という呼び方は変わらない」「いかに時代に潜り込めるか、それがスナップ。その面白さは筆舌に尽くしがたい」「これは集大成ではなく通過点」「上り坂も下り坂も一つの同じ坂」オープニング当日、プレスの記者たちを前に語る立木節は81歳を迎えた今もエネルギー全開。「有料の写真展自体が久々の開催」というそのエンターテイメント精神は、会場で販売されている限定写真集やTシャツなどのマーチャンダイズも魅力だ。Text by Tatsuya Noda【展覧会情報】時代 − 立木義浩 写真展 1959-2019 −会期:5月23日〜6月9日会場:上野の森美術館住所:東京都台東区上野公園1-2時間:10:00〜17:00(金曜日20:00まで開館)入場料:一般当日1,200円、大学・高校生800円、中学生以下無料会期中無休
2019年05月25日ハゼの研究者である上皇さま、ナマズや鳥類の研究で知られる秋篠宮さまなど、皇室と生物学は深い結び付きがある。皇后となられた雅子さまにも、実は「動物博士」という一面があった。小学生のころ雅子さまは『ファーブル昆虫記』や『シートン動物記』、『ドリトル先生』シリーズを愛読。小和田家では様々な動物を飼っており、雅子さまは同級生から「動物博士」と呼ばれるほどだったのだ。そんな雅子さまは6年生のときに生物部に入部。卒業文集では「クラブ」という題名で、生物部での思い出を綴られていた。■六年間の思い出といえば、修学旅行、林間学校、遠足、運動会など、たくさんあります。でも、とても印象に残ったのは、六年の十一月十四日のクラブです。私は、五年の時は手芸部で、今年は生物部です。生物部は、六年四人と五年二人、岸田先生の、小さいクラブです。この日、私たちは、「コジュウケイ」のはくせいをつくることにしました。その鳥は、学校の窓ガラスにぶつかって、死んだのだと先生はおっしゃいました。肛門から、はさみをいれて、お腹の皮をさきます。その後、肉を切らないようにして、中の肉を取り出します。そのためには、足とつばさを、適当なところから切らなければなりません。足は、うまくいきました。つばさも一こできて、残るは、つばさ一ことなりました。そこは、先生がなさいました。ところが何という失敗!先生は、つばさを切り落としてしまったのです。あと、頭のところの肉をとれば、肉がとれたのに。そして、かわかしたあと、中身を入れて、はくせいができたのに……とても残念!
2019年05月25日陛下が即位された5月1日以降の行事には“フル出席”。ここまで、あふれる自信、堂々たる皇后ぶりで陛下をお支えになっている雅子さまだが、今後は立て続けに大きなご公務に臨まれる。5月22日には皇后となられて初の全国赤十字大会が、5月25日~28日には、国賓として来日するトランプ米大統領の接遇が予定されている。さらに6月1~2日には全国植樹祭ご出席のため愛知県へ。両陛下にとって初の地方行幸啓だ。「非常にハードなスケジュールですが、このところのご体調のよさからすると、雅子さまはすべてに出席されようとするのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)しかし、精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。「まだ雅子さまはご療養中であり、回復の途中なのです。たしかに、家族の力になる経験はとても大切で、回復にも繋がります。ただ、すべてのご公務にそろって臨まれなくても、雅子さまの知識を生かしてアドバイスされることも、陛下の支えになるはずです。無理をされずにしっかりとお休みになることも大切です」陛下は今年2月の記者会見でこう述べられた。《雅子にはこれまで、私や愛子のことにもいろいろと良く心を配り、私の活動を支えてきてくれています。私も、できる限り力になり、雅子を支えていきたいと思っております》お二人が支え合っていかれるのが“令和流”の天皇皇后スタイル。26年にわたり培われた絆は、いっそう強くなっていくことだろう。
2019年05月17日2015年1月29日、50歳の若さで逝去したモデル・雅子。4年の歳月が経った今年、モデルとして、女性としての彼女の人生を辿ったドキュメンタリー映画『モデル 雅子 を追う旅』が完成。写真家・安珠が手がけた写真が蘇るメインビジュアルとともに、予告編が公開された。19歳でモデルとしてデビューして以降、誰よりも強いプロ意識を持ち、雑誌「an・an」や「装苑」など時代の最先端で活躍した雅子。役者としてもその才能を開花し、CMや映画『リング』(’98)で貞子の母・山村志津子を演じるなど大きな話題となった。その素顔は、映画とフランスとチョコレートが大好きで、等身大の美しさを大切にするひとりの女性だった。だが、2015年1月29日の夜明け前、モデル・雅子は稀少がん闘病の末に旅立った。そのとき、夫である大岡大介は「夫婦として共に生きながら、モデルとしての雅子をほとんど知らないまま」だったことに気づき、「モデル・雅子」の半生を追い、映画にして伝えてゆくことを決意する。自宅に積まれたままの「雅子」が登場した雑誌やビデオなどを片っ端から調べ、衝動のままに「雅子」を知る人々に、監督としてインタビューを重ねてゆく。数多くの関係者の言葉から、生涯プロフェッショナルのモデルとして貫き通した姿勢と、どんな時代も「身の丈の美しさ」を追求し続けた、ひとりの女性としての「雅子」の輪郭があらためて浮かび上がる。そのあり方はきっと、より健やかにより美しく生きようと志す、現代全ての女性たちへの贈り物になるはず。本作では、俳優で雅子さん出演映画『サヨナラCOLOR』で監督も務めた竹中直人、俳優の高嶋政宏ら生前の雅子さんを知る人々に夫である大岡氏が自らインタビューを敢行。美しさに隠された、愛すべき素顔が明かされる。与えられた環境の中で地に根を張りながら華麗に咲き誇り、花のように生きたひと。彼女の香りは残された人々の中に残っている。今回解禁された本作のメインビジュアルには、写真家・安珠が20年以上前に撮影した、新人時代の雅子さんの写真を使用。椿の花を背景に少女の様な無垢さを感じさせる一方、力強い眼差しで妖艶さも魅せ、その魅力が詰まったビジュアルとなっている。なお、上映劇場のアップリンク吉祥寺では公開日からトークイベントを実施。雅子さんに縁のある豪華なゲストを迎える。『モデル 雅子 を追う旅』は7月26日(金)~8月1日(木)、アップリンク吉祥寺にて1週間限定公開、全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)
2019年05月12日5月4日、天皇陛下のご即位を祝う一般参賀が行われ、参賀者は14万以上にのぼった。雅子さまをはじめ、女性皇族の方々は美しいローブモンタント姿を披露され、その華やかさに参賀者からは感嘆の声が上がった。令和の時代を迎えた現在、女性皇族は11人。雅子さまをお支えする、新時代のプリンセス11人のプロフィールを一挙に振り返る。■愛子さま天皇皇后両陛下のご長女で、現在学習院女子高等科の3年生。音楽がお好きで、チェロ、バイオリンを演奏される。また、スポーツも得意で、学習院女子中・高等科の校内スポーツ大会ではバスケットボール、ソフトボールで活躍されたという。最近は仲のよいお友達と、文化祭でチアダンスを披露。昨年には英イートン校のサマースクールにも参加し、お一人での初めての海外訪問となった。皇族方が身の回りにつけるシンボル、「お印」はゴヨウツツジ。那須御用邸の周辺に咲いており、「純白の花のような純真な心を持った子どもに育ってほしい」との思いが込められている。■紀子さま秋篠宮さまとは学習院大学の書店で出会い、キャンパスの恋を実らせて’90年にご結婚。アメリカやオーストリアで幼少期を過ごされ、英語やドイツ語も堪能で知られる。悠仁さまのご懐妊中に海外絵本を翻訳されたことも。手話も得意なほか、結核予防会総裁を務められるなど、福祉関係にも尽力されている。今後は皇嗣妃殿下として、重責を担われることになる。お印は檜扇菖蒲(ヒオウギアヤメ)。昭和天皇が那須高原の湿原に美しく咲くヒオウギアヤメの研究をしており、秋篠宮さまも研究を手伝われていたことから選ばれた。■眞子さま上皇陛下と美智子さまの初孫にして、秋篠宮ご夫妻のご長女。国際基督教大学へ進学し、同大学院に在学中。これまで2度のイギリス留学で、博物館学を学ばれた。現在、東京・丸の内にある博物館「インターメディアテク」にお勤めになるとともに、ご公務に臨まれている。今年7月には、南米のペルーとボリビアを公式訪問される予定。昨年、小室圭さんとのご結婚が延期になり、今後が注目される。お印は木香茨(もっこうばら)。秋篠宮ご夫妻がお好きな花で、紀子さまがお選びになった。秋篠宮家の庭に植えられており、初夏に可憐な花を咲かせる。■佳子さまこの春、国際基督教大学をご卒業。高校生のころからダンスがお好きで、最近でもスクールの発表会にも参加して踊りを披露されている。大学では心理学を専攻されたほか、イギリスに9カ月間留学、舞台芸術を学ばれた。これまで手話甲子園や馬術競技大会、スピーチ大会など若い世代の催しに精力的に取り組まれてきた。ご卒業の際の文書回答で、今後はご公務に励まれると表明されている。お印はゆうな。ゆうなとは、ハイビスカスの一種・オオハマボウの沖縄地方での呼称。秋篠宮ご夫妻が九州南部、沖縄県の島々に咲くこの花がお好きで選ばれた。■寬仁親王妃 信子さま「ヒゲの殿下」として親しまれた故・寬仁親王殿下のお妃で麻生太郎氏の妹。一時期の体調不良から快復し、最近はご公務に復帰。数年前は、ご家族と距離を置かれた時期もあった。お印は花桃。■彬子さま寬仁親王殿下と信子さまのご長女。オックスフォード大学に留学し、日本美術のコレクションについて研究された。祖父・三笠宮殿下から続くトルコとの親善役を引き継がれている。お印は雪。■瑶子さま寬仁親王殿下の次女。学習院女子大学時代は体育会系の剣道部で活躍された。ご卒業後、日本赤十字社にお勤めになった。退社後はお姉さまと力を合わせ、公務に務められている。お印は星。■高円宮妃 久子さま47歳の若さで薨去された故・高円宮殿下のお妃。日本サッカー協会など、殿下から多くの名誉総裁を引き継がれ、東京五輪招致の際には、フランス語で見事なスピーチを披露された。お印は扇。■承子さま高円宮殿下と久子さまのご長女。大学卒業後は日本ユニセフの嘱託職員として勤務されている。妹君の典子さんは出雲大社権宮司・千家国麿さんと、絢子さんは日本郵船の社員・守谷慧さんと結婚された。お印は萩。■三笠宮妃 百合子さま3年前に100歳で薨去された三笠宮殿下のお妃。現在最高齢の皇族で、何度か入院されたが、今年の新年一般参賀にもご参列。新婚時代は庶民的な生活をされていた。お印は桐。■常陸宮妃 華子さま上皇陛下の弟宮・常陸宮殿下と前回の東京五輪が開催された’64年にご結婚。若いころからおしゃれで、気さくなお人柄で人気があった。ゴルフ好きでも知られている。お印は石楠花(シャクナゲ)。現在、未婚の女性皇族は6人。上皇上皇后両陛下のご長女・黒田清子さん(50)や、昨年結婚された守谷絢子さん(28)のように、結婚後は皇室から離れられるのか、それとも「女性宮家」として皇室に残られることとなるのか。「女性天皇」「女系天皇」に関する議論も含め、今後の女性皇族方の境遇について、注目が集まる。
2019年05月11日ハーバード大学卒、元外務省職員――と、輝かしい経歴をお持ちの新皇后陛下、雅子さま。その背景には、多感な幼少期を世界各地で過ごされたご経験があった――。父・小和田恒さん(86)は外交官。そのため、雅子さまは1才8カ月のときにはモスクワに移住。4才のときにニューヨークへと引っ越された。現地では、すぐにロシア語や英語をマスターされるなど、語学的な才能を発揮された。明るいご性格でお友達にも恵まれ、日本、米国で学ばれた中学高校時代は、ソフトボールに熱中。成績も大変優秀で、ベルモントハイスクール時代のニックネームは“頭脳”を意味する「ブレイン」だった。一方、中学の卒業文集では夏目雅子さん(享年・27)をもじって「芸名・脱目雅子」と自己紹介するお茶目な一面も。好きな曲は「浪曲、民ようならなんでも!自分で三味線を弾きながら歌うのが最高ヨ!」とも書かれていた。ハーバード大学進学後も、寮のパーティでマイケル・ジャクソンの曲に合わせディスコダンスを披露されるなど、学生生活を謳歌された。真面目なストイックさと、お茶目な一面を持たれる雅子さま。皇后となられた今、国際親善の場で、そのお人柄がより輝かれるに違いない――。
2019年05月07日グラビアアイドルの和久井雅子がこのほど、東京・秋葉原のソフマップで最新イメージDVD&ブルーレイ『ワクワクさせて』(ともに発売中 DVD:4,104円税込 ブルーレイ:5,184円税込 発売元:ラインコミュニケーションズ)の発売記念イベントを行った。2018年1月にOLからグラドルに転身し、同年11月に衝撃の1stDVD『イイコトしたい』をリリースした和久井雅子。清楚なフェイスからは似つかわしくない妖艶な仕草と大胆な露出で、"平成最後の愛人"と呼ばれて人気を呼んでいる。1stDVD以来となる同DVDでは、愛する夫がいながら別の男性と不倫に興じる妻を演じた和久井が、随所で大胆シーンに挑戦するなど、"平成最後の愛人"というキャッチコピーに相応しい1枚となっている。白のビキニ姿で報道陣の取材に応じた和久井は「愛する旦那さんがいながら別の男性と関係を持ってしまうという女性を演じました。関東近郊から離れるのは初めてのお仕事だったので、終始ドキドキしていたのを覚えています」と丁寧な口ぶりで撮影を振り返り、「畳のお部屋で布をまとったシーンは、ストーリーとは関係ないんですけど、光がキレイで印象に残っています」とお気に入りのシーンを紹介した。不倫妻を演じたということで、全体的にどれもセクシーだが、特にセクシーなシーンとして「海辺のシーンはトレンチコートの下に水着を着ていて、旦那ではない男性の前で挑発的に見せつけました。一般の方もいらっしゃる中、コソコソと撮影したのでドキドキしたのを覚えています」と頬を赤らめながら、「ベッドで黒い下着と眼鏡をかけているシーンは、直前にお酒を飲みました。ほろ酔いで素に近く雰囲気もしっとりとしていて色っぽくなっていればと思いながら撮影しました」と語るなど、和久井の素顔が見られる貴重なシーンが収録されているという。"平成最後の愛人"というキャッチコピーで売り出している和久井。奇しくもソフマップでの平成最後のイベントを和久井が飾った。「私は平成6年生まれで、昨年上京してデビューしました。ですから平成は自分の中で準備の年だと思います」と平成を振り返り、「令和になって初めて新しいスタートだと思っています。最近は愛人キャラの方が多い中、私はたまたまタイミング的に平成最後にデビューさせていただきました。令和では自分の色を出して自分だけしか呼んでもらえないキャッチコピーをつけてもらえるように頑張っていきたいです」と決意を新たにしていた。
2019年05月03日苦悩の日々を乗り越え、新皇后となる日を迎えられる雅子さま。宮内庁関係者は、新時代に臨まれるお気持ちは明るいと断言する。「26年前、外務省職員から皇太子妃へ“転身”された雅子さまは、新たなステージで国際親善に取り組むことに大きな使命感を感じていらっしゃいました。最近の雅子さまからは、ご成婚当時と同じくらいポジティブなお気持ちが感じられます。もともと雅子さまは、一度目標を定めると、実現のために努力を惜しまない方。すでに新時代の皇室に向けて思い描いている目標もいくつかお持ちのようです。それを一言で言い表すなら“愛される皇后”を目指すことだと言えるでしょう」この15年あまりはご療養のために公務を休まざるをえず、雅子さま本来の人間性が発揮される場面はあまりなかった。しかし、皇室担当記者はこう説明する。「実は雅子さまはお話し好きでユーモアもお持ちなのです。海外生活が長く語学も堪能でいらっしゃいますから、ご成婚直後に臨まれた宮中晩餐会では、フランス語、英語、ドイツ語を駆使して招待客に話しかけられて海外マスコミの注目も集めました」皇太子さまも一昨年、マレーシアの首相とセルフィー(自撮り)を撮影されるなど、フランクな一面をお見せになっている。「かねてから皇太子さまは会見で、理想の皇室像を“国民の中に入っていく皇室”と表現されていました。天皇皇后両陛下が平成を通じて示された“国民と共にある皇室”よりもさらに一歩国民に近づき、多くの声を聞きたいという思いが感じられます。国民に親しまれ、愛される天皇皇后像へ――。その目標はご夫妻で話し合われたものでしょう」(皇室担当記者)雅子さまの目標とする“愛される皇后”への思いの根底には、ご自身が苦しまれた経験があると、精神科医で立教大学教授の香山リカさんは語る。「ご出産と子育てで悩まれ、適応障害で長期療養されてきた経験があるからこそ、災害の被災者や障害のある方など様々な立場の人々の苦難にも深く共感できるはずです。そういった方々にお会いになることで、社会問題に光を当て国民の関心を生むことも、皇后として大切なお務めだと思います」
2019年04月30日昨年12月9日、雅子さまは55歳の誕生日に際してのご感想文書にこう記された。《地球温暖化や環境汚染など、国際社会が一致して取り組む必要のある課題が多岐にわたっています》《このかけがえのない地球を健全な形で将来の世代に引き継いでいくために、私たちが何をすべきなのか、それぞれが真剣に考えていくことが必要な時代になっているのではないかと感じます》国際親善を目指された雅子さまだったが、この15年で海外訪問の機会はわずかに3回しかなかった。そのうち1回はご療養のためのオランダ訪問だ。それでも、雅子さまは世界の環境破壊や貧困に関心を持ち続け、専門家のご進講も皇太子さまとそろって受けられてきた。雅子さまは“世界に愛される皇后”も目指されているのだ。ただ、雅子さまの思いは皇室に入られた26年前とは少し違うと語るのは宮内庁関係者。「いちばんの違いは、26年間にわたり美智子さまのなさりようをずっとご覧になってきたことです。被災地への激励、戦地での慰霊をはじめ、美智子さまは国民に寄り添う心を常に一つ一つのお言葉やお気遣いで体現されてきました。皇后として、天皇を支える立場として、国民のためにできることは何か――。雅子さまは皇后になる日を見据えて、誰よりも真剣に悩み、考えてこられたはずです」皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんも、雅子さまへの期待を語る。「美智子さまは、子や孫の世代に戦争体験を継承していくことで、平和の大切さを訴えてこられました。雅子さまは戦争を経験した世代ではありませんが、その思いを皇太子さまとともに受け継いでいかれると信じています」昨年、雅子さまが15年ぶりに出席された「全国赤十字大会」では、最後の場面で美智子さまが雅子さまの腕をとり、会場に紹介された。皇后にとって唯一の役職である日本赤十字社名誉総裁の“バトンタッチ”が話題になった。今年の大会は、雅子さまが新皇后になられた直後の5月中に開かれるとみられている。「今年から皇后としてその場所に立たれる雅子さまは、美智子さまに“令和の奮闘”を約束されていることでしょう」(宮内庁関係者)4月に刊行された「水問題」についての講演をまとめた著書『水運史から世界の水へ』(NHK出版)の序章に、皇太子さまはこう記されている。《私の水に対する関心に、いつも理解と協力をしてくれている妻の雅子にも感謝の気持ちを伝えたいと思います》固い絆で結ばれた令和の御代の天皇陛下と、愛子さまとともに……。雅子さまは新時代の“愛される皇后”を目指される。
2019年04月30日平成の即位の礼での装束を身にまとわれた、天皇陛下と美智子さま。そのお写真を、雅子さまはじっと見つめられていた――。5月1日の新天皇即位を間近に控え、皇太子ご夫妻は4月24日、東京・上野の東京国立博物館で開催されていた天皇陛下の即位30年を記念した特別展「両陛下と文化交流―平成の日本美を伝える―」を鑑賞されていた。「展覧会で、陛下、そして美智子さまの足跡をご覧になり、雅子さまもいよいよ新皇后になられる実感を抱かれたことでしょう。クリーム色のスーツをお召しになった雅子さまは、報道陣の前でも堂々とされていると感じました。皇后になる日が近づくにつれ、雅子さまのご表情は日に日に明るくなっています」(皇室担当記者)ご体調が劇的に上向いた理由として「愛子さまのご成長が大きい」と語るのは宮内庁関係者。「雅子さまの適応障害の根本には“お世継ぎ”の問題がありました。不妊治療と流産を乗り越え、’01年12月に愛子さまが誕生されたことは皇太子ご夫妻にとって至上の喜びでした。しかし’03年6月、当時の宮内庁長官は定例会見で『やはりもう一人は欲しい』『多くの国民もそう考えているのではないか』と発言。雅子さまにとっては、愛子さまの存在までも否定されたように感じられたことでしょう。半年後に帯状疱疹で入院され長期にわたるご療養に入り、その後、適応障害と診断されたのです」雅子さまはたっぷりと愛情を注ぎ愛子さまを育てられたが、学習院初等科2年生のときにはほとんど登校ができない状態になってしまう。その後も愛子さまの不規則な登校は続いた。実は、愛子さまが小学4年生だった’11年の秋ごろ、雅子さまは親しい知人にこう語っていた。「愛子には愛子の人生があり、皇室に生まれた運命、持って生まれた運命というものがあります。もちろん親としての娘の人生への希望はありますが、私どもの気持ちだけで、あの子の運命を、どうこうするわけにはいかないのです」逡巡する口ぶりから、愛娘の未来を憂う雅子さまの苦悩が伝わってくる。「いずれは“天皇の娘”となられるお立場なのに、皇位継承権を持たない愛子さま。一方で女性宮家創設案も浮上しており、どう育てていくべきか思い悩んでいらしたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)しかし、一昨年に学習院女子高等科に進学されてからの愛子さまは、雅子さまを驚かせるほどの急成長を見せられた。「学校では社交的になられ、昨年の文化祭ではご友人たちとチームを組んでダンスを披露されました。さらにステージの司会もお務めになって会場を盛り上げたのです。東宮御所を訪れた外国の要人との懇談に参加され、英語でお話しされたこともあります。昨年の夏には英イートン校への短期留学も経験されています」(前出・宮内庁関係者)4月14日の「オール学習院の集い」でも、皇太子ご一家の仲睦まじいご様子が目撃されている。「盲導犬協会のブースで、雅子さまは愛子さまを促され、募金やお声がけのアドバイスをされていました。積極的に公の場でのなさりようを“特訓”されているようでした」(学習院関係者)雅子さまと愛子さまのまなざしは、新しい時代を見据えている。「娘に皇室に生きる運命を背負わせてしまったことに、ご体調が悪いころの雅子さまは自責の念を抱かれていたと思います。しかし愛子さまは皇族としての役割を受け止め、お立場を自覚されたのです。雅子さまはその成長に驚き、涙されたことでしょう。皇室に嫁ぎ、愛子さまを産んでよかった……。心からそう思えるようになったことで、雅子さまは笑顔を取り戻されたのです」(皇室ジャーナリスト)
2019年04月30日「アニメ 夏目友人帳展」が、大丸梅田店の大丸ミュージアムにて2019年4月24日(水)から5月6日(月・振休)まで開催される。「夏目友人帳」は、独特の世界観と心温まる作風で人と妖(あやかし)の交流を描く、緑川ゆきの代表作。2008年にアニメ化プロジェクトがスタートし、2017年には、アニメ第6期が放送され、2018年には『劇場版 夏目友人帳 ~うつせみに結ぶ~』が公開された。今でもなお多くの読者を魅了する人気作品だ。「アニメ 夏目友人帳展」では、これまで放映されたTVアニメシリーズ、劇場版の貴重な制作資料をはじめ、劇中で使用された切り絵を使用した展示を実施。また、主人公・夏目貴志の部屋を再現したコーナー、物語の中でも印象的な妖に名前を返すシーンを実際に体験するコーナーも設置する。なお、会場では描き下ろしイラストを使用したオリジナルグッズも販売する。【詳細】アニメ 夏目友人帳展会期:2019年4月24日(水)~5月6日(月・振休)会場:大丸ミュージアム<梅田>(大丸梅田店15階)入場時間:10:00~19:30分(20:00閉場)※最終日は17:30分まで(18:00閉場)入場料:一般 1,300円(1100円)、高校生 800円(700円)、中学生 600円(500円)、小学生以下無料※オリジナルグッズ付チケット 2,200円(2,000円)、音声ガイドチケット 700円(前売、当日共通)※( )内は前売料金および10名以上の団体料金、および大丸・松坂屋のクレジットカード、大丸松坂屋友の会カード、ブライダルサークル会員証提示の場合の優待料金。※オリジナルグッズは特製ポストカード7枚セット。※オリジナルグッズ付きチケットは、ローソンチケットのみの販売。※前売券は、ローソンチケット(Lコード58580)のみ(ローソン、ミニストップ店頭にて)。※前売券、当日券のオリジナルグッズ付チケットは共に一般のみの券種発売。※ローソンチケットでは前売券は、4月23日(火)まで、当日券は5月5日(日)まで販売。※混雑状況により整理券で対応する場合、入場できない場合あり。※再入場不可。※グッズ販売コーナーのみの入場は不可。※小学生以下の単独入場不可。(C)緑川ゆき・白泉社/夏目友人帳プロジェクト(C)緑川ゆき・白泉社/「夏目友人帳」製作委員会
2019年03月21日「仕事で娘・恵さんの卒業式に出席できなかった松岡さんは、彼女に直接、手紙を書いたそうです。現役時代、世界各国を転戦した松岡さんは、恵さんの幼少期からずっと手紙で“父としての思い”を伝えてきたそうです。松岡家では“節目”にお互い手紙を書き合うのが“家族ルール”。その家訓は引退後の今も変わらず、恵さんの入学式のときも、松岡さんは惠美子夫人に手紙を託しています」(テレビ局関係者)宝塚音楽学校105期生卒業式を終えた松岡修造(51)の長女・松岡恵さん(19)。4月からは晴れて宝塚歌劇団に入団。卒業生全員で宙組ミュージカル『オーシャンズ11』で初舞台を踏む。松岡は自身のブログで、愛娘について《これから(娘は)宝塚歌劇団の生徒として歩み始めさせていただきます。その道は決して楽なものではないと思いますが、(創業者の)小林一三さんのお言葉「朗らかに、清く、正しく、美しく」をモットーに、娘自身が好きな言葉「心に炎」を保ちながら、日々精進していってくれることを願っています》とつづっていた。松岡が記した小林一三氏は、宝塚歌劇団を含む阪急東宝グループの創業者で、彼の曽祖父にあたる。「松岡さんの母・葆子さんは宝塚歌劇団44期生の男役・千波静として活躍しました。曽祖父、そして母への多大なる尊敬の念から、入団する娘さんに書面で叱咤激励したと聞いています」(前出・テレビ局関係者)松岡家では当然のように家族の誕生日には毎年、父からそれぞれ熱い手紙が届くという。「惠美子夫人には感謝の思いが熱くつづられているそうです。いっぽうで、3人の子どもたちには具体的に褒めたり叱ったりしながら、最後には“熱いひと言”が添えられているとか。松岡さんは、毎回、家族からの返事を待ちわびているそうです」(テニス関係者)家族だけではない。日本のテニス界のスター・伊達公子(48)にも“激アツ手紙”を送っていた。「世界ランク4位まで上り詰めていた伊達さんは26歳のとき、突然引退を表明。グランドスラム制覇も夢ではなかっただけに、どうしても納得できなかった松岡さんは『なぜなんだ!』という内容の手紙を何通も彼女に送り、なんとか引退を翻意させようと必死でした」(テニス関係者)かつて福岡・柳川高校時代にダブルスを組んだ戦友・山田靖彦さん(52)の息子にも。「今春、明大野球部に進む山田陸人選手(桐光学園)は、小学3年生のとき、 松岡さんに手作りチョコレートを贈ったんです。しばらくすると熱い返事が来て、《感謝!》《本気になれば、すべてが変わる!》《陸人くん、がんばれ!》そんなメッセージがびっしり書かれていたとか。当時、スランプだった陸人君は、松岡さんの言葉に励まされ、また野球に取り組むようになったんです」(スポーツ紙記者)そんな松岡がしたためた直近の手紙。それが娘への激励文だった。宝塚関係者はこう力説する。「2月の卒業公演で、恵さんは主演を務めました。男役として華のある風貌に加え、努力家の性格で後輩からの人望も厚いんです。宝塚関係者の間でも評価が非常に高く、すでに“大地真央・天海祐希の再来だ”と評されています。ここ数年、宝塚内では故・夏目雅子さんの姪・風間柚乃さんや、君島十和子さんの娘・蘭世惠翔さんが脚光を浴びています。恵さんの入団で“男役トップ”争いがますます激しくなりますね」ここぞというとき、家族への思いは言葉ではなくあえて手紙に。「男役トップを獲りにいけ!」松岡の本音の手紙に発奮し、恵さんはさらに飛翔するはずだ――。
2019年03月15日新年早々、中年アイドルグループ、純烈の友井雄亮にDVされたと被害者女性の訴えが週刊誌に掲載されました。DVによる被害者が後を絶ちませんね。DVは単なる暴力問題に留まらず、好きになった男からまさかのDVという衝撃も生じますから、被害者は精神的に非常に難しい状況に立たされます。また加害者のDV男性は、暴力の後に、懺悔をして優しくするなど真逆な行動を起こします。まさに“アメとムチ”が続きますので、被害者女性はますます混乱してしまい、やがて泥沼へとはまっていくのが、DVの怖いところです。外見から男を見抜く方法はない!?専門家たちの複合的な見地が必要好きになる前にDV男を見抜く方法があれば被害も少なくなりますが、外見からDV男を見抜く方法は皆無と言っていいでしょう。精神科医や弁護士など専門的な人たちの見地から、複合的に「DVしやすい傾向」を挙げてもらい、それをヒントにすることが有効な方法です。そこで1992年から離婚カウンセラーとして延べ3万7千人の相談を受け、夫婦問題のアドバイザーも担っている「離婚110番」の渋川良幸氏から、「DV被害相談者から読み解くDV男性の傾向」を語ってもらいました。出会ってすぐに猛烈なアタック。情に厚い男にほだされて結婚。だが夫はDVだった!まずDV被害の事例を挙げます。元CAの菊川めぐみさん(仮名・38歳)は、32歳の時に結婚した夫からDV被害に遭いました。結婚する前は熱烈にアピールしたのに、結婚後は言葉のDVから次第に手をあげるようになったそうです。「元夫と初めて会ったのは、六本木の高級レストラン。食事の約束をしていた友達が遅刻したので、予約席で一人で待っていたら、スポーツマンタイプの男性に声をかけられて」菊川さんは友達と、スポーツマンタイプの男性とその友達と、個室で飲むことになったそうです。「スポーツマンタイプの男性は親の代からの不動産を管理する自営業。情が熱く、口説きが次第にヒートして、『君は運命の女性だ』と熱烈にラブコールしてきました。LINEの交換をすると、翌日から、『会いたい』と熱愛をアピールしてきたんです」菊川さんはとうとう、スポーツマンタイプの男性の情熱にほだされて、結婚。実は結婚の背景には、もう一人の男性の存在がありました。「実は、5歳上の大手代理店の男性からもプロポーズされていましたが、代理店男性は、結婚しても私がCAとして働き続けることを望んでいました。30代は体力的にきついし、子供も欲しかったので、代理店男性との結婚に今一つ乗り気ではなかったんです」一方スポーツマンタイプの男性は「結婚したら、好きなことをしていい。外で働かなくてもいい」と菊川さんの専業主婦願望をくすぐったため、菊川さんは情熱的に口説いてきた男性と結婚したのです。「ところが結婚したら、頼りになるどころか、親の財産を守るだけの不甲斐ない男だとわかりました。でも裕福な暮らしをさせてくれるなら、彼を立てながら、結婚生活を維持しようと思ったんですが、結婚3か月後から、言葉のDV、半年後から、気に入らないことがあると、殴る、蹴るが始まったんです」菊川さんは身に危険を感じましたが、相談した母親から「裕福な生活を守るために我慢しなさい」とまさかの一言。次第に夫のDVが激しくなり、肋骨を骨折すると「殺される」と恐怖にかられて逃げようとしましたが、夫が涙を流して謝罪すると「様子を見よう」という気になり、ずるずると半年が過ぎると、菊川さんはアメリカの「黒と青」(アナ クィンドレン 著, 相原真理子 翻訳、集英社)を読み、泣きながら、夫と決別することを選びます。アメリカの小説に描かれた被害者女性と心理描写とダブり、離婚を決意「小説には、暴力への恐怖だけでなく、被害者である羞恥心も描かれていて、『これは私だ!』と震えてしまいました。夫を愛しているという愛情、そしてDVをする夫への憎悪が入り混じる心理が、まるで自分のことを描いていると。小説だけどとてもリアルでした」一晩中泣いてから、菊川さんは夫と離婚しようと決めて、専門の弁護士に相談し、弁護士の勧めで離婚に有利な証拠集めをしてから1年後に離婚。その後はCAに復帰することなく別の仕事に就いて、昨年、優しい男性と再婚したそうです。「離婚110番」の渋川良幸氏は、DV被害者から、今なお多くの相談を受けるそうです。「まず、DV被害に遭って、すぐに逃げ出す女性は、被害者に該当しないです。深刻なのは、長い間DV被害に遭っているのに、逃げ出すにも逃げられない。そこには被害を受けた女性の複雑な心境があります。ですから、被害者の女性を『なぜ逃げないの』と卑下することだけは避けていただきたいです」澁川氏は、被害を受けた女性の複雑な心境も描いたミステリードラマとして、2016年フジテレビ系で放映された「ナオミとカナコ」を挙げます。「DV被害者のカナコを演じた内田有紀が、揺れ動く女性心理を見事に演じていました」(澁川氏)。 <「DV被害者から見るDV男の傾向~「離婚110番」澁川氏>①身近にDV加害者が存在すること父親、兄弟、叔父や従妹などの親族、教師や師匠など本人に影響を与える人に、DV加害者がいる場合②ワイルドで頼りがいがあり、経済力がある結婚前は優しいが、自分の言うことを聞かないと、怒り出すタイプ。もちろん、加害者でない男性も、このタイプに入ります。一概に言えません!③第三者に対して、酷い対応をする④言葉の端々に暴言がある⑤一見、情に厚い暑苦しいくらい情が熱く、自分の期待に応えないと、逆ギレするタイプ⑥生き物に対して、感情的に冷たい⑦子供好きをやたらにアピールする子供の教育方針を巡って対立すると、キレる場合がある⑧愛情表現が熱烈で、過度の愛情表現をする例えば水たまりがあると、お姫様だっこをしたり、ベンチに座る前にさっとハンカチを出すなど、熱烈な愛情表現をするが、心の底では女性を人形だと思っているタイプ。このタイプは逆らうと「人形のくせに」とDVをしがち。サイコパスもこの部類に入る。※くれぐれも気を付けていただきたいのは、この傾向はあくまでも「離婚110番」の事例の分析から導き出したことです。項目に当てはまるからといって彼が一概に「DV男」だと決めつけずに、それでいてもし「あれはDV被害ではなかったのか」と思い当たることがあれば、項目をチェックしてみてください。大事なことは、身の危険を感じたら、すぐに専門家に相談することです。手遅れになる前に、自分で自分の身を守るためにも、専門家へGO!です。(夏目かをる)
2019年03月09日2月23日、皇太子さまは59歳の誕生日を迎えられた。会見のなかで記者からは、新皇后となられる雅子さまについて「どういった内容でご公務、ご活動をされていってほしいとお考えでしょうか」と質問があった。しかし皇太子さまは、《今具体的にどういうものかということは、お答えできないのですけれども》と、明確な言及を避けられた。2月25、26日には天皇陛下のご即位30年を祝う茶会が開催されたが、雅子さまは欠席された。精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。「いよいよ皇太子さまのご即位が近づき、雅子さまにとって『皇后』という言葉は大きなプレッシャーとなっているのかもしれません。一般の方ならば、適応障害であったとしてもリワーク(慣らし出勤)という形で段階的に仕事復帰ができます。しかし皇后になられる雅子さまは、一夜にしてお立場が変わってしまいます。皇太子さまはご即位後に、国際的に活躍される皇后・雅子さまを実現するためにも、今は雅子さまのプレッシャーになるようなご言動は避けられていると思います」今回は皇太子さまにとって、平成最後の会見だった。「宮内記者会は再三にわたり『雅子さまのご同席』を要望したのですが、実現しませんでした。雅子さまの記者会見は、ご病気になられて以来15年間、一度も行われていません。昨年6月の皇太子ご夫妻の銀婚式や、12月の雅子さまの誕生日にも会見を要請しましたが、宮内庁は聞き入れませんでした。お代替わりまで雅子さまの会見は“お預け”となってしまいました」(皇室担当記者)さらに前出の皇室担当記者は、愛子さまの近況を心配する。「この4月から学習院女子高等科の3年生になられる愛子さまですが、最近は学校をお休みがちなのです。愛子さまの体調不良も、雅子さまにとって不安要素になっているはずです」お代替わりとなる5月には、さっそくいくつもの重責が雅子さまを待っている。「宮内庁は、皇太子さまのご即位から数日以内に一般参賀を開催することを検討しています。新天皇皇后両陛下が国民の前に姿を見せられる初めての機会となるため、雅子さまが欠席されるわけにはいきません」(前出・皇室担当記者)2月22日午後には、安倍首相が東宮御所を訪問。お代替わりのスケジュールとともに国内外の情勢について報告したという。「首相が皇太子さまに直接説明するのは極めて異例です。安倍首相は5月26~28日の日程で調整が進んでいるトランプ米大統領の訪日についても報告したはずです。新天皇皇后にとっては外国首脳との初会談。しかも国賓待遇ですので宮中晩餐会も催されることになります。その様子は世界中に報道されるでしょうから、新天皇皇后の国際的な“お披露目”になるでしょう。雅子さまの語学力や外交的な知見が大統領相手にいかんなく発揮されれば、今後の『新しいご公務』への道も一気に拓けるかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)新皇后となられるまであと2カ月。雅子さまは皇太子さまとともに、この重圧をはねのけることもできるはずだ――。
2019年03月01日上映中の映画「マスカレード・ホテル」(鈴木雅之監督)では、潜入捜査する刑事(木村拓哉)を教育する優秀なホテルマン山岸尚美を長澤まさみは、堂々と演じています。本作品は1月18日に公開され、24日までの7日間で観客動員数100万人、興行収入13億円を突破で、最終興収は50億円を見込めるという大ヒットでスタート。31歳の長澤の笑顔がとても魅力的です。30代になってさらに煌めいていく彼女の根底にあるのは、20代の葛藤を見事に乗り切ったからなのです。清純派から脱皮。映画「モテキ」でぶっちゃけ、大河「真田丸」で新境地2004年、16歳の時に映画「世界の中心で、愛をさけぶ」でいきなり脚光を浴びてから、清純派の役が続きましたが、清純派は女性に好かれないため、20代に入ってから、長澤は模索してきました。深夜ドラマの「都市伝説の女」(テレビ朝日)や「高校入試」(フジテレビ)に出演するなど、コミカルから真面目な教師役まで幅広くこなしていたのです。そんな長澤に一発逆転のチャンスが到来。映画「モテキ」(11年、監督・大根仁)で清純派をかなぐり捨てました。「美脚や胸の谷間を惜しげもなく披露して、共演の男性に水を口移しする、ディープキスするなどセクシーシーンを連発。そのなりふり構わずのぶっちゃけた演技で、女性ファンの心をつかんで、その後は映画やテレビに引っ張りだこです」(芸能関係者)。さらに長澤が独自の世界を切り開いて行ったのは、2016年、大河ドラマ「真田丸」。29歳の長澤は主演の源次郎(堺雅人)の生涯のパートナー・きりを迫真の演技で演じて、女性たちの人気も不動に。源次郎を叱咤する真摯な愛情には、幼なじみの男性に対する姉のような気持ちがこもり、“姉的”な資質が演技に昇華したのです。一方、映画批評家・前田有一氏は、長澤の転機を「隠し砦の三悪人」(08年、監督・樋口真嗣)と明言しています。「これまでのぶりっ子演技とお姫様笑顔をかなぐり捨て、男勝りの迫力ある役作り。勝ち気な雪姫役が似合っている」(日刊ゲンダイ2016年12月7日号)。「20代は苦しかった。30代は楽しい」。未熟な20代から円熟の30代へ母性というとベタベタした熱い感情をイメージしがちですが、長澤の演技にはどちらかといえばそっと見守るような“姉的”な雰囲気が醸し出されています。その後の映画「散歩する侵略者」(17年、監督・黒沢清)でも、地球を守るためにありったけの愛情を捧げて最後に廃人になる妻を演じ、第41回アカデミー賞主演女優賞など、各種映画賞受賞を受賞。長澤まさみは30歳の時に、演技派女優として輝いたのです。30歳になると、女性は周囲から「30歳になったんだ」「もう30歳なんだね」と言われがちですが、30歳からが女の人生が始まるといっても過言ではありません。20代のどうにもならない不安も、日々の積み重ねによって、自分で自分を認めてあげられるようになります。そこにキャリアが生じると、ますます余裕のある女になれるのです。長澤の29歳と、30歳の時のそれぞれのインタビューを読むと、20代より30歳の方が女は生き生きと輝けることを物語っています。「経験を積んで知識が増えると、こんなにも安定するんだということを知りました」(日経ウーマン2016年5月号長澤29歳大河ドラマ「真田丸」出演中)「30歳という年齢に対する焦りとかは何もないですね。今が一番楽しい!20代はちょっと疲れました(苦笑)。20代ってまだまだ未熟ですから、精神的に追いついていない感じがしていて、、、今の方がやりたいことができているし、周りの大人たちに30代は楽しいよって言ってもらえたことに納得!という感じです」(CLACCY2018年2月号)20代で結婚を吹っ切ると、30代は結婚より仕事が充実さて気になる長澤の恋愛。これまで二宮和也など芸能人との恋愛を重ねてきましたが、これまで結婚を意識したのは、伊勢谷友介だけといわれています。完璧主義で有名な伊勢谷と別れたり、くっついたりを繰り返し、エンタメ雑誌のインタビューでは「自分はこういうふうにすると意志を固めて行動するタイプではなくて『どうしよっかなあ……』と思いながら女優を続けてきた」と、揺れる女心を素直にさらしてきました。でも伊勢谷に結婚願望がなさそうだとわかると、長澤は愛想を尽かして破局。それからは女優業に没頭したようです。昨年はRADWIMPSの野田洋次郎と交際の噂がありましたが、結婚には至らないよう。30歳直前の雑誌のインタビューで、長澤は結婚観について次のように発言しています。「もっと若い頃は結婚に憧れていたけど、今は仕事仲間や友達がいれば独身でも楽しく過ごせるし、自分でもなんでも乗り越える術も知ってきてしまって……。そもそも、本当に合うパートナーを探すことが難しいです。全てはタイミングじゃないですかね」。20代で結婚に対して吹っ切れると、仕事に邁進。結果も出して、人間関係も充実していると、ますます結婚願望も薄れてしまいますね。長澤は恋愛や結婚において、「おひとりさま」アラサー世代の心境を大いに物語っているのです。(夏目かをる)
2019年02月23日「スキャンダル専門弁護士 QUEEN」(フジテレビ系/木曜夜10時~)で、6年ぶり地上波連続ドラマ主演を務める竹内結子。まぶしい笑顔で誰をも虜にする竹内は、可愛らしさとは裏腹の数々の“男前伝説”があります。ハンサムウーマンと称される竹内の20代の恋愛は一言でいうと、「やんちゃ」。大胆で周囲のことを気にしない言動は周囲を驚かせていました。20代の経験豊かな恋愛と結婚、そしてシングルマザーを経て、30代でやっと余裕を見つけた竹内の「オトナ女子」の流儀とはなんでしょう。恋愛は常に年上。業界ご法度の男性とも堂々と交際竹内が世間をあっと驚かせた恋愛の第一弾は、NHK朝の連続テレビ小説「あすか」(1999年)で共演した藤木直人のチーフマネージャーで、18歳年上の男性。芸能界では、他の事務所のマネージャーとの恋愛はご法度。でも21歳の竹内は堂々と同棲していたのです。不倫疑惑があったものの、男性は離婚。略奪かと噂されましたが、ドラマが終わると破局。次の相手は15歳年上の上川隆也。2001年TBSドラマ「白い影」で共演後に、5泊6日のバリ旅行が発覚すると、その後竹内のマンションから上川が朝帰りする現場を写真週刊誌に撮られてしまいます。この時も堂々としていました。熱愛報道から2年後に破局します。同年フジテレビの「ランチの女王」で共演した16歳年上の堤真一と食事デートが目撃されます。この頃堤は女優の鈴木京香と別れたばかりで、深津絵里とも噂があり、三角関係の危うい恋愛模様に発展しそうでしたが、竹内はさっと身をかわしたのです。竹内の凄いところは、上川や堤と共演したドラマがヒットし、しかも彼女の演技力が評価されたこと。まさに、恋と仕事の二刀流で邁進する彼女は、結婚へと向かいます。結婚で挫折するが、泥沼離婚後はイメージアップ2004年映画「いま、会いにゆきます」で共演した中村獅童と"できちゃった婚"で長男が誕生。結果的に獅童と交際していた篠原ともえから略奪して結婚した竹内は、梨園の妻として、また歌舞伎の次世代を担う中村家の嫡男の母として、新しい一歩を踏み出すはずでしたが、大きな転機が待ち受けていたのです。「06年7月に獅童が起こした酒気帯び運転がキッカケで浮気がばれて、"泥沼離婚騒動"に発展しました。酒気帯び運転中に助手席に座っていたのは女優の岡本綾でしたが、それ以外にも、獅童の元カノの篠原ともえや鈴木砂羽、さらに高岡早紀と、ずらりと挙がったんです」(芸能関係者)。泥沼離婚のいきさつを某芸能ライターが「竹内が離婚を決意させたのは、高岡の存在です」と語っていますが、別の芸能関係者は、竹内が自分の仕事を選んだと指摘します。「梨園の妻になるということは、夫の女遊びを許容すること。竹内も承知で結婚しましたが、夫の浮気報道が明るみに出るたびに、女優やCMタレントとしてのイメージが損なわれたんです。そこで子供を連れてさっさと離婚した。離婚の理由も“男前”で、彼女の人気につながりましたね」。 堺雅人と熱愛。その後は、シングルマザーとして仕事と育児の両立08年離婚した竹内は、さらに大物俳優と結婚秒読みともいわれました。その相手とはドラマ「半沢直樹」でブレイクした堺雅人。「2010年映画『ゴールデンスランバー』で共演した堺雅人と交際。5歳の長男を会わせたそうです。子供好きでマジメな堺と、うまくいくと思われたんですけど、彼女はシングルマザーとして生きることを選びました」(前述の芸能ライター)堺と共演した時、竹内は30歳。同年放映の「ストロベリーナイト」(フジ系)では、姫川玲子役でブレイク。30代になってから再ブレイクすると、竹内は20代が苦しかったことを素直に語り、そして30代で人を信じられるようになってから、余裕ができたと語っています。「20代の頃は、目指すべき場所がわからず、ただ必死でした。何が必要で何が不安かを見決められず、結局とっちらかっちゃって((笑))。(FRaU2014年2月号)「(32歳になった)最近では『あとは人に聞こう』と切り替えられる。本当の意味で人を信じて頼ることを覚えたかもしれません」(「日経ウーマン」2012年5月号)最近は同じ事務所に所属する4才年下の俳優・中林大樹と焼き鳥デートが報じられました。相手の年下男性が「ため口で話すほどフランク」と称される竹内。仕事でもがき、恋愛を肥やしにし、そしてシングルマザーを選択した20代を経て、30代で自分の立ち位置を見出したからこそ、オトナ女子の風格が備わったといえるでしょう。年下男性が甘えたくなるのは、当然のことですね。(夏目かをる)
2019年02月16日結婚相談所で良縁を掴む人は、どんなことをしているのでしょう。物事の成功にも失敗にも、それぞれ理由がありますから、結婚相談所で良縁を得た女性にも、願望が叶ったわけがあるのです。では結婚相談所でカップルングできた7つの要因をあげましょう。その前に、押さえておきたい「基本のキ」をしっかり覚えておきましょう。まず“結婚相談所”という婚活現場がどのようなところであるかを知るのが重要です。結婚相談所が乱立していますね。今や百花繚乱というべき様々な結婚相談所が出現していますが、結婚相談所に登録する前に、まず知っておきたい重要なこと、それは「結婚相談所はビジネスを行っている」ということです。結婚相談所も、会社組織で動いています。個人で経営している相談所もあります。経営者がスタッフを雇用し、経営者も会社の利益から収入をもらっているのです。つまり会社が儲かってこそ、相談所が成立します。ですから決してボランティアで良縁を生み出しているわけでないことを理解しましょう。ビジネスですから、入会金、年会費、見合い代、そして成婚代といった費用がかかります。見合い代も、そして見合いをキャンセルした場合のキャンセル代もかかることを知らない人が多いです。登録しさえすれば、見合い代もキャンセル代も無料ではなく、有料なのです。入会金が高額という理由で避ける人が多いため、中には成婚代を無料にしている結婚相談所があります。このテの相談所は「アヤシイ」と疑って正解です。というのは、無料のところは、わざとマッチングできにくい相手と見合いせる傾向があると業界の人から聞きました。見合いが多くなればなるほど、見合い代が相談所に入りますから、結婚相談所はいつも黒字。そのため入会者がお金を払い続けなければならないという悲劇が起こります。私の知人女性は某結婚相談所で婚活。入会金と見合い代で、1年間に100万円払っても決まらず、退会しました。またある男性は、相談所が見合いした女性がみんな若いためマッチングなし。やはり1年間で100万円以上も損失し、とうとう「サウラと見合いさせているんじゃないの?」と疑心暗鬼になって退会。このように、成婚代無料の結婚相談所に入会しても、マッチングせずに退会している男女が多いのです。中には成婚したカップルもいるかもしれませんけどね。 結婚相談所で成功するには、プロフェッショナルな仲人の存在が不可欠また結婚相談所で成功するには、プロフェッショナルな仲人の存在が不可欠です。結婚相談所が流行になってしまったため、素人が結婚相談所を開催するところが増えています。副業で仲人をする人もしかりです。IBJという日本一会員数が多い結婚相談所は、ネット婚活のシステム使用の運営を150万円で販売していますから、お金さえあれが、誰でも仲人になって、結婚相談所を開設できるのです。このように、結婚相談所を巡って、利益を追求するという目的で集まる婚活素人ビジネスマン&ウーマンが後を絶ちません。まずはプロの仲人がきちんと世話をしてくれる結婚相談所を探すことです。では結婚相談所で結婚した女性に共通する特徴を上げてみます。1. かなり年上の男性でも受け入れられる結婚相談所で同年代の男性と見合いして結婚、というケースは、かなりハードルが高いといえます。というのは、年齢限らず、女性にオファーをしてくる男性は、7歳から10歳以上年上が圧倒的に多いからです。女性が28歳の場合、オファーしてくる男性は35歳以上、女性が32歳だと男性は40歳前後以上、女性が38歳だと男性は45歳以上、女性が40歳だと男性は50歳以上と、年齢が上がっていくに従って、男性の年齢もどんどん上がるのです。ある結婚相談所では、女性は37歳まで、男性は43歳ぐらいまでと年齢を限定しています。さらに結婚相談所で成婚する男女の年齢差は「7歳」とはっきりと統計を打ち出している相談所もあります。年齢差が7歳以上上だと、価値観が合わないことが多いはず。でも現実はまちがいなく「かなり年下の若い女」が結婚相談所では、モテるのです。言葉を換えると、結婚相談所に入会の男性が望む条件は、とにかく「若いこと」。年齢と写真だけで決める保守的な男性でも大丈夫という女性が、1年以内に成婚する確率が高いと言われています。2. プロフィールを充実させる成婚の第一歩はお見合い。お見合いの目安は、写真とプロフィール。メールのやりとりで相手のことがある程度わかる婚活アプリと決定的に違って、情報がかなり少ないのです。この時、最初から年齢ではじかれてしまう場合もあります。しかしプロフィールや写真は無意味とネガティブに捉えず、できたら写真はプロのカメラマンに頼みましょう。プロフィールは長くならないように、語りかけるようなナチュラルなタッチで的確に。仲人にたくさん情報を伝えてもらうと良いでしょう。3. プロフェッショナルで信頼できる仲人を選ぶ前述したように、最近は素人の仲人が増えています。素人仲人でも、成婚が1度でもあるとプロと自称しているようですが、キャリアとプロならではの勘、そして信頼できる人を選ぶこと。くれぐれも素人や副業でやっている人を選んではいけません。結婚相談所で、同年代の男性を探しているなら、その旨をじっくりと伝えて、力になってもらいましょう。病気は医者次第、結婚相談所は仲人次第です。注意したいことは、もしあなたが素直な性格なら、結婚相談所からマインドコントロールされやすいかもしれないということです。「今しかない!」とせき立てたり、「あなたに釣り合うのはこの人よ」と押しつけるような仲人は、婚活ビジネス優先の可能性があります。仲人とのコミュニケーションに困ったら、信頼できる友人や先輩に相談しましょう。ただし同じように婚活中の女性相談しないことです。【実例1】信頼できる仲人とタックを組んだら再婚、出産できた。Aさん(37歳)は、主婦に仕事を紹介するネットビジネスを成功させた経営者。ところが夫に親権を奪われて離婚。子供に会えない寂しさを紛らわそうと、仕事に打ち込みます。ところが過呼吸になったり、めまいを起こしたりと体調不良が続き、仕事をセーブしようとした矢先に、結婚相談所から営業の電話。最初は断ろうとしましたが、相談所の人があまりにも熱心だったため、一度だけと思って、面談。すると「あなたの力になりたい」という情熱に押されて入会すると、仲人とじっくりと話し合いながら、相応しい相手を一緒に探しているうちに、とうとう、同年代で同じような環境(自営業でバツイチ)の男性と再婚し、出産したのです。4. 理想を高くし過ぎない結婚相談所では、男性が女性に対して「若さ」を求めるのなら、女性は男性に「年収(資産)」を望むようです。条件を優先するという意味では、男女ともお互いさまということでしょう。でも年収を重視しないことによって、良縁に巡り合えることもあります。【実例2】年収を重要視しなかったら結婚できた。アラサーのBさん(33歳)は、夫の浮気が原因で、10歳と知的障害者である5歳の二人の子供を連れて実家へ、シングルマザーとなったBさんは親の勧めで結婚相談所に入会し、最初のお見合いで再婚します。知的障碍者を持つシングルマザーと結婚した相手を周囲は「神」と褒めたたえ、Bさんを強運と仰ぎますが、でも成婚には理由があります。まずBさんは33歳と若かった。そして相手の年収にこだわらなかった(相手の年収は手取り300万円)。そして同じような業界で働いていた。若さ、年収にこだわらない、環境が類似している。この3つの要因がBさんを再婚に導いたのです。5. 第一印象で惹きつけるお見合いは会って初めて相手のことを知ります。ファーストインプレッションが重視され、最初の5~6秒で決まるのです。ファッションはBWHのうち、ポイントを決めてアピールしましょう。清楚なファッションを好むのは、保守的な男性。ほとんどがナイスバディ―を好みます。6. 婚活術を知る書籍やブログで情報を入手して、婚活に役立てることも大事です。例えば会話術。「それであなたはどうですか?」と聞く、相手に7割の話をさせる、相手のことを知り、自分のことを知ってもらう、などなど。男性は一つのことしか集中できない傾向があるため、1つの質問を深く掘り下げて、相手に話をさせましょう。7. 同性に好かれなくてもいいと覚悟する結婚相談所で婚活をしていることを女友達に話すと、意外な答えが返ってくることが多いようです。それは嫉妬ややっかみ、さらに女として自分のほうが優位であるという驕りなどの表れです。がっかりしたり、失望したり、時には絶望して時には絶縁という可能性がありますが、「絶対結婚する」というミッションがあれば、スルーできますよ。【実例3】女友達が去っても諦めずに結婚Cさん(38歳)は2年前から婚活。10回目のお見合いで付き合った男性と北海道旅行にでかけるなど、親交を深めてきましたが、元カノに未練があるとわかると、交際を解消。結婚寸前までいって破局したCさんに女友達が「結婚相談所で結婚できるカップルは、どちらも経済的に余裕がある」とさもCさんが豊かではないから失敗したといわんばかり。またある女友達は「見合い相手が年上のダメンズだらけだと“後妻業”をやったほうが得」と、これまたCさんが若くないから失敗する等、バカにした発言で、Cさんは傷つきます。でも「絶対結婚する」とめげずに、別の相談所で見合いした男性と遂に結婚。女友達と絶交する覚悟で臨んだから、成功に至ったのですね。(夏目かをる)
2019年02月09日1月15日スタートのドラマ「初めて恋をした日に読む話」(TBS系)で主演を務める深田恭子。年齢不詳と丸みを帯びたバツグンのルックス、童顔で甘えたような声としゃべり方。感情が読みにくい独特のキョトン顔が、深田恭子の持ち味。アラサー女優として、今や不動の存在です。でもその一方で、「関心がない」という女性もいます。理由は「芸能人の匂いがプンプンするから」。芸能人特有の現実感のなさが深田の魅力といえるでしょう。男女ともに人気の源は、独特のファンタジー感。16歳でドラマデビューし、20年もの間走り続ける理由は「芸能界が私の生きる場所」という覚悟があるからです。1996年、「第21回タレント・スカウト・キャラバン」でグランプリを獲得し、その2年後にはドラマ「神様、もう少しだけ」(フジテレビ系)でヒロインに。当時大人気だった台湾人と日本人のハーフイケメン俳優・金城武と共演。援助交際によってHIVに感染してしまった女子高生と人気音楽プロデューサーの恋愛を描いた純愛ドラマで、16歳の深田は、ルーズソックス姿の女子高生役を鮮烈に演じたのです。初主演でありながら、重い設定にも動じなかった深キョンは、今にもつながるひき臼のようなどっしり感が既に存在していました。その後も「フードファイト」(日本テレビ系)でお嬢様を、「ストロベリー・オンザ・ショートケーキ」(TBS系)で不思議な少女を演じるなど、10代しでしか演じられないみずみずしさを漂わせていましたが、ここまでの道のりは清純派として活躍した他の女優とほぼ同様です。ところが20代になると、セクシー系、勝気女子系、内気女子系、コメディー、ヒューマン、ファミリーなど、様々役をこなし、変幻自在さが開花。10代の終わりごろから、既に「芸能界でしか生きられない」と自覚していたのではないでしょうか。だからあらゆる役を、節操なく演じてこられたのです。でも芸能界で生き続けるには、女性からの支持も不可欠。甘ったるい声にグラマラスなボディで男性を虜にするだけでは、芸能界で長生きできない。深キョンにとって、女性からの人気が、どうしても欲しいところでした。そんなときに大きなチャンスがやってきます。映画「下妻物語」(04年・中島哲也監督)で、フリフリのロリータファッションをまとい、外見は可愛いが他人に関心がないエゴイストなロリータ役に。土屋アンナ演じる不器用で優しいヤンキーとの友情物語が、男性の目線を気にしないですむという世界観をもたらし、女性たちからも絶大な支持を受けたのです。一見どこかイタイ女子役でも、深キョンが演じると、最後はハッピーになれるという、夢見る少女のような大人女子の世界観がそれ以降、確立されていったのです。しかも「自分から男性にアプローチしたことがないんです」(女性自身・11/16号)といいながら、つきあった男性から「押し倒す前に倒されていた」と暴露され、肉食系で男性をぶんぶん振り回す様が、女性から「小気味よい」と喜ばれる。それも深田ならではの魅力です。だって、男性に振り回されて嘆いている女性がまだまだ多いのですから。さて“肉食女子”深キョンのこれまで報道された相手は、東山紀之、脚本家・野島伸司、玉木宏やくりぃむしちゅーの有田哲平など、芸能関係者や有名人、さらに一般人も多数あり。20代後半になると「忙しくない人がいい」と、事務所の後輩男性と噂に。“ハンカチ王子”こと日ハムの斎藤佑樹や、Yoshiki、さらに3年前からテレビドラマの共演がきっかけで交際中の亀梨和也と、これでもかとオンパレード。では相手がジャニーズなのに、反対されない理由は何でしょう。「ジャニーズ事務所は所属タレントに恋愛ご法度と言われていますが、亀梨と深田の恋愛を放置しています。真相は不明ですが、反対しないということは深キョンを認めているということでしょう、彼女自身に結婚願望がないことも幸いしているかも」(芸能関係者)。恋多き女性ですが、実は深田は次のようなき然とした恋愛観をもっています。「自分が満たされないと、どんなに人が羨むような境遇とか恋愛であっても、幸せじゃないと思っています」(女性自身・15年3/17号)自分が幸せでなければ、人を幸せにできないという現実的な感覚。その源にあるのは、まじめに頑張るしかないという自分を客観視できる強さです。「1位は1位しかなれないんだということに気がついたんです。(中略)ただただまじめに頑張るしかできないんです。私は「こうなんだ!」っていう風に全然生きられなくて、自信もないし、不器用ですし。でも、まじめに、という気持ちを大事にしていれば、間違いはないのかなと思ってしまうんです」(週刊プレーボーイ2014年3月17日号)「ここが私の生きる場所」と確固とした覚悟があるからこそ、「ただただまじめに頑張るしかない」というシンプルな境地になれる。たくましく生きる術を、深田恭子は既に持ってるのです。(夏目かをる)
2019年01月26日《大君と母宮の愛でし御園生の白樺冴ゆる朝の光に》1月16日、歌会始の儀で発表された雅子さまのお歌である。天皇陛下と美智子さまが皇太子ご夫妻だったころ、お住まいだった東宮御所の庭に育てられた白樺が題材となっている。両陛下への感謝がこめられたお歌だったが、歌会始の儀が催された皇居宮殿「松の間」に雅子さまの姿はなかった。「両陛下が出席されてお歌を披露される歌会始は今回が最後です。’04年以降欠席されている雅子さまは、今年こそは出席したいという思いも強かったはずですが、7日に出席された昭和天皇三十年式年祭の翌日から体調を崩されてしまったのです」(宮内庁関係者)その後も発熱が続き、11日の講書始の儀、そして歌会始の儀も出席を控えられた。雅子さまにとっては悲痛な新年となってしまった。しかし、お代替わり後、新皇后の雅子さまを待ち受ける儀式やご公務の“試練”はさらに重い。5月から11月まで即位関連行事が半年以上にわたって続く。また、両陛下から引き継がれる重要なご公務も目白押しなのだ。「さらに安倍政権は、5~6月中に来日するトランプ米大統領と新天皇皇后両陛下の会見を計画しています。これほどの“過密日程”では、雅子さまがすべてのご公務に出席されるのは不可能に近いでしょう」(皇室担当記者)精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。「雅子さまは適応障害で長期ご静養に入られて15年です。現在はかなり回復されていますが、ご病気になられる前の状態に戻られたとは言えません。雅子さまは新皇后になられてから役割を全うするために努力されると思います。しかし重圧も大きく、お疲れがたまります。いつ調子を崩されてもおかしくはないのです」雅子さまが適応障害と診断されて長期ご療養に入られたのは、’03年12月のこと。その半年後、皇太子さまが行動を起こされたことがある。雅子さまのお出ましが完全に途絶え、国民から心配の声が上がるなか、翌年5月の会見でこのように発言されたのだ。《雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です》“お世継ぎ”となる男子を産めなかったのに、海外訪問ばかりを望み、公務を休み続けている――。そうしたバッシングに心を痛めていた雅子さまを守るためになさった“人格否定発言”だった。しかし、このご発言は国民に衝撃を与えたばかりか、両陛下も困惑を示されることになった。秋篠宮さまは《せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったか》と皇太子さまに苦言を呈された。それから皇太子さまは論争を呼ぶような発言は控えられるようになり、雅子さまのご体調は「東宮職医師団」が毎年1回、文書で発表するだけになった。「宮内庁はこの15年間、体調には波がおありだと繰り返し発表しましたが、もう少し具体的な説明があってもよかったでしょう。雅子さまには、ご自身が国民の前でご症状について語られるには、少なからず恐怖があったはずです。一度でいいので、皇太子さまが国民の前でその説明をなさってもいいと思います」(香山さん)2月23日に59歳の誕生日を迎えられる皇太子さまは、例年のように会見に臨まれる。お代替わり前の会見は、この1回きりだ。“最後のチャンス”に、皇太子さまが再び立ち上がるのではと語るのは皇室ジャーナリスト。「現在は毎月、天皇陛下、秋篠宮さまとの“三者会談”が開かれています。お代替わりに向けた話し合いのなかで、皇太子さまは雅子さまのご体調についてもしっかり説明なさっていると思われます。今回は15年前とは異なり、お二方からの後押しもあるでしょうから、きっと雅子さまの不安を取り除く結果になるはずです」
2019年01月24日第71回カンヌ国際映画祭パルム・ドール(最高賞)を受賞した「万引き家族」(是枝裕和監督)で信代役を演じた安藤サクラ。審査員のケイト・ブランシェットが絶賛したのは、尋問中に溢れ出る涙を無造作に広げた指で拭う仕草でした。信代のただならぬ悲しみや怒りがひしひしと伝わり、「神のような演技」と天才女優として称され、栄光の頂点を極めた後は、朝ドラ「まんぷく」のヒロインに。俳優で監督の父親、エッセイストでタレントの母親、そして映画監督の姉と芸能一家に生まれて育ったサラブレッドの安藤サクラ。でも演技派から天才と昇華された背景にあるのは、血筋だけでなく、類い稀なるバランス感覚が備わっていたからです。働く女性をはじめ、SNSが浸透しきった複雑な時代に生きる女性たち必読!安藤サクラのバランス力は、今を生きるために必要不可欠なものです。安藤サクラの父は俳優の奥田暎二。後に映画監督となって「風の外側」(2007年)で娘のサクラをヒロインに抜擢。これが安藤サクラの俳優デビュー作となります。母親の安藤和津は、エッセイイストでテレビのワイドショーのコメンテーターを務め、姉の桃子は「0.5ミリ」(2014年)で妹のサクラを主演にした映画監督。姉妹の関係は幼少の頃とても濃厚だったと思われます。「私は生まれたときから姉の作品で、ずっと姉妹でその関係を生きるっていうか、それ自体が2人の作品だと言っていた」(トーキョー女子映画部2014年10月16日)。某女性誌で安藤家の特集を組んだ時に「サクラは家族の傑作」というタイトルがつけられたほど、芸能一家に生まれ育った安藤の活躍は目覚ましいものですが、でも俳優二世という環境のお膳立てがあっても、二世俳優が天才になる確率は低いのです。それなのに、なぜ安藤サクラは世界で認められる女優になれたのでしょう。5歳の時に、父親の舞台を見てから女優を志した安藤は、小学5年生の学芸会で「夕鶴」の主役になると、父親から演技指導を受けます。父親の奥田はサクラの女優願望を察しますが、「二世俳優が生き残ったケースは、親が面倒を見ない佐藤浩市、中井貴一、緒方直人の3人だけ」と諭し、親の七光りを浴びせることがなかったため、安藤は学習院女子大学に進学すると、ワークショップに通って、演技の勉強を続けたのです。「ところが、父親の奥田監督の『風の外側』の主演女優がクランクイン直前に降板したことがきっかけで、サクラに白羽の矢が当たったのです。サクラは父親で監督の奥田から怒鳴られまくりながら、必死に演じようとしたところ、一週間後にスコントと変わり、奥田から『こいつ化けやがった』と。その瞬間から憑依体質の女優が誕生したんです」(映画関係者)その後一週間は一切奥田監督から注文はなく、撮影が終了。その後の憑依体質な演技には目を見張ります。満島ひかりが主演の「愛のむきだし」(園子温監督・09年)で演じた新興宗教の幹部のコイケは、真っ白な衣装で鳥と行動を共にし、時おり狂った笑顔を見せるサイコな女。人の心を壊しながら自分も壊れていくという狂気を熱く放出し、満島ひかりを食ってしまうほどの演技力でした。さらに第39回日本アカデミー賞。最優秀主演女優賞「百円の恋」(2014年・武正晴)では、身も心もぶよぶよのコンビニ店員がボクザーになるために10日間の肉体改造トレーニングを積み重ねてストイックなボディに大変身。ダメな女が、殴る相手は、本当は自分自身というシーンに、心が震えるほどの感動を覚えた人も多かったのです。プライベートでは08年映画祭で知り合った俳優の柄本佑と交際、3年後に結婚。父の奥田から「交際は許すが結婚はまだ」と言われてから、柄本が発奮して俳優として売れると、結婚が認められたのです。ところが順風満帆に見える安藤サクラに転機がやってきます。「『0.5ミリ』、『ジョムニ2013』(フジテレビ)と経験し、すごく体力もついたし大きく一歩踏み出したかなと思ったんです。でもある時、急にお芝居のやり方がわからなくなって。なんていうのか、ヘンな話ですけど、キッパリと気持ちいいくらいに、あ!もうできないな。って」(キネマ旬報2014年11月15日号)これを安藤サクラは“死である”と称します。一回死んだ安藤は、「百円の恋」のオーディションを受けて、一子という安藤サクラっぽい役を「とことんやろう、それを超えようと思った」(同)。ところが「百円の恋」が完成してから、再び“死”が訪れたのです。「百円の恋」の撮影が終わると、しばらく一子という役が身体から離れず、少し目がおかしくなった時に、しみじみと「安藤サクラ個人としては人生最大のワガママだった」と映画に身も心も捧げたことに対して、「これじゃいかんと思い心から反省し、夫に謝罪して勝手に誓約書も書いて、そして、殺したんです。これまでの安藤サクラを」(同)映画「百円の恋」で全てを出し切ってから、子供を産んで家族を愛することが、やるべきだと悟って、2017年に出産。その後「万引き家族」に至るまで、常に存在感のある役で観る人を魅了してきました。私は、安藤サクラが2つの死を乗り越えられたのは、彼女の意識的に行っているバランス感覚にあると思います。「日経ウーマン」のインタビューから、バランスを取ろうと努力する様が見えますね。「私はいろんなバランスを考えていかなければダメなタイプ。もともと感覚的に生きているところがあって計算してやっていくというのが苦手なんですよ」(2018年7月号)安藤サクラの「24時間女優」を敢えてストップした生き方のルーツは、「人としてどのように生きたいのか」を自問しているからでしょう。「子供が生まれて、大人になって初めて必死に生きることができている。大変といったら大変かもしれないけど、私は、今、すごく新鮮な気持ちです。1秒1秒、生きている感覚が気持ち良いです」(Buzz Feed 2018年6月10日)仕事人ではなく、人として生きる。それが天才と称されても、いつまでも謙虚で生きていける秘訣なのです。(夏目かをる)
2019年01月19日この連載の最初の読者は担当のO編集者だと思って書いています。担当こそ、読者のニーズを把握するプロフェショナル。しかも書き手は、読者を想定したほうが書きやすいため、O担当者に捧げるというスタンスで書いていると、読者に対してごく自然に、シンプルなメッセージを伝えることができるのです。ところが今回のテーマをO編集者から聞いた途端に「またか」と絶句しました。というのはこのテーマに対する答えは連載24回の「いつもセフレになってしまうあなたへ」()で、はっきりと答えたつもりだったのです。第24回でもお伝えしましたように、出会ってすぐにセックスをする女性を、男性は「遊び女」とみなしてしまうので、恋人に昇華しるのは無理難題。それなのに、女性たちが懲りずに「一度だけの関係でつき合いたい」から、O担当が繰り返しこのテーマを私に依頼したのでしょう。そこで私は「なぜ女は一度関係を持った男と付き合いたくなるのだろう」と考え直してみました。男のセックステクニックが優れていたというのは、ごくわずかで、ほとんどの女性は男性と同じように刺激を求めていたといえるでしょう。刺激は時に、一種の麻薬のようになりますが、良薬であれ、麻薬であれ、効き目は長く続くわけはないのです。それでも女性たちの「付き合うつもりはなかったのに、一度関係を持ったら、その男と恋人になりたくなった」という心境は、一体どこから生まれるのでしょう。また一度だけの関係で、恋人同時に発展できるのは、一体どのようなケースなのでしょう。セフレになってしまう確率が高いこのテーマを、ちょっと真面目に考えてみました。女性は遊んでいる男を「チャラ男」と軽蔑します。遊んでいる男は女性をゲットすることだけしか興味がないので、関係を持ってしまったら、すぐ飽きて別の女を追いかけてしまうことを知っているからです。つまり女性というのは、男に誠意=愛情を求めるので、誠意のないチャラ男を蔑むことによって、「私は愛を求めるの」と愛を信じている自分自身を確認するのです。厄介なのは、見た目も行動もチャラ男ではない、しかも誠実そうな男の場合です。ある程度、恋愛を経験している女性なら、「慎重に愛情を育んでいこう」としますが、恋愛経験が少なかったり、恋愛経験があるのにうっかりと一夜の男女関係を持ってしまい、しかも女性が追っかけてしまうと、悲しい結末になってしまいますね。では関係を持った男性を追いかけたくなるのは、なぜでしょう。それは女性が子供を産む性だからと捉えると、わかりやすいのではないでしょうか。妊娠するまでに、女性は一人の男性と繰り返し性の営みを行います。一度だけで懐妊する場合もあるかもしれませんが、でも多くの場合は、回数を重ねていくうちに、受胎していくものです(もちろん、排卵日に計画妊娠をする場合を省きます)一人の男性と回数を重ねていくためには、女性の「愛しているから」という愛を全身全霊で感じているという意識が高まります。一方、男性の方はどうでしょう。もちろん、好きな女性と愛し合うことは男性にも大きな喜びをもたらします。男性は自分の遺伝子を伝えてくれる女性を探していますから、セックスしたいという願望と共に、本気で好きなる女性も探しているのです。男と女のセックスと愛情に対する違いを、脳の構造から解き明かしたのが、アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ著の「 セックスしたがる男、愛を求める女」。これを読むと、女がなぜ一度だけのセックスで夢中になれるのかも、手に取るようにわかりますよ。さて一度だけの関係で燃え上がってしまうのは女性。この場合、男性が遊びだというなら、女性も「遊んだ」と割り切って、本命を探した方がいいですね。でもごくまれに、一度の関係から、やがて男女関係に発展したカップルもいます。それは既に出会っていて、仲間と一緒に遊んだり、二人きりで話したりなど、以前から知っている相手です。知っているだけでなく、尊敬しているとか、好ましいとか、嫌いなど、相手に対する何らかの感情を持っている間柄の男女です。シングルマザーで派遣社員のマナミさん(仮名・29歳)は、飲み友達の直樹さん(30歳。仮名)のことを、女友達に「あの人、いけすかない」とばっさり切っていました。というのは、直樹さんはとても理屈っぽくて、しかも説明がとても上手。そのため彼の理屈に誰も口をはさむことができません。そんな彼に、マナミさんは「すかん」と敬遠していたのです。ところがある夜、ふとしたことから、マナミさんは直樹さんの部屋で関係を持ってしまいます。「どうして?」と自問自答しても、答えが見つかりません。しかも、どんどん直樹さんに惹かれてしまっているのです。「自分で自分がわからない」と嘆きながら、「とりあえず付き合いはなしね」と自ら否定します。地域の飲み友達の手前もあって、マナミさんは直樹さんを無視しようとしますが、直樹さんからLINEがくると、ドキドキしてしまいます。「私、嫌いな人を好きになったの?」と一種の自己矛盾を感じてしまうマナミさん。そうしているうちに、まさかの2度目の夜を一緒に過ごしてしまうのですーーー「関係を持ってから始まる恋って、あるのかな?」と悩むマナミさん。シングルマザーとして働きながら子育てをしているうちに、男性の本音をいつのまにか敏感に察してしまうようになったのです。その後、マナミさんは「悩んでも、実らない恋なわけだから、言いたいことがあったら、言うべき」とLINEで、自分の気持ちをバンバン伝えていきます。たまたま遠方から遊びに来た女友達に「まさかの人を好きになった」と打ち明けたところ、相手は直樹さんとすぐに見破られてしまったのです。「あんなに嫌いだった人なのに、どうして?」とマナミさんは女友達に相談しますが、「そんなものじゃないの」と慰められます。でもマナミさんは「自分から誘わない」とそこできっぱりと宣言したのです。恋する女であると共に、マナミさんは子供の母親。一度だけの関係で付き合うかどうか迷ったり、悩んだりするのも子供のために避けようと決めたのです。「最悪の結果になっても、飲み友達というスタンスが残したい。でも私から決してアタックしない」。この覚悟が功を奏したせいか、直樹さんのスタンスを受け入れながら、自分で決めていった結果、二人はつき合うようになったのです。でもナオミさんは今でも「子供のために、恋愛に振り回されないようにしたい」と、自分を制することも忘れていないそうです。一度の関係から恋人に発展した理由をまとめると次のようになります。1以前から知っていた2仲間がいる。交流がある3お互いに性格や交友関係を知っている4ついフラっと関係を持っても、冷静さを保っていた5自分からアタックしないで、彼の態度を見ながら。最初は受け身に。6彼に依存しないで、帰る場所は子供のいる家と決めた7恋する女である自分を大事にしながら、家族のことも考えて行動した一度の関係から恋に発展するのは、大変な道のりですが、恋する相手に「依存しない」ことが良かったようです。(夏目かをる)
2019年01月05日同性からも異性からも好かれる。このタイプの女性は、どんな恋愛をするのでしょう。誰にでも好かれるという高い徳を持っているため、素敵な恋に巡り合える可能性がありそうですが、実際はどうでしょう。その前に、同性からも異性からも好かれる女性とは、正反対の位置にある「女に嫌われる女」のことを考察してみましょう。こちらは同性には嫌われるけど、ある程度男性に好かれる女のことです。「女に嫌われる女」に代表される女は、毎年文春でランキングされているラインアップを見ると一目瞭然です。目立った特徴を挙げてみますね。・男性に対して、あからさまに媚びを売る・あざとい・損得勘定が激しい・自分優先の自己中・同性に嫌われることを恐れない「女に嫌われる女」は、パーティーや合コンなどで必ず自分好みの男をゲットしていきます。自分中心でしかも羞恥心がなく、表面的にいい子ぶっているので、「可愛ければそれでいい」という男はたちまち陥落します。でも大人の男は、警戒心もありますから、このタイプの女性を見抜ぬこうとします。賢い男性もいるとわかるとほっと安心しますが、でも多くの男性は、媚びを売る女性には、「自分に好意がある」と都合よく解釈します。しかも「可愛く甘えてくる女性に、悪い気がしない」といい気になってしまうのです。一方、多くの女性は、あざとさ丸出しの女性に対して、不快感を覚えますね。プライドの高い女性なら尚更です。そこには軽蔑という感情が生じています。男性が媚びを売っている女性に転がされているのが、たまらなく不快になってしまうので、同じ男性を好きになっても、男女ともに好かれる女性は、闘いを止めてしまう傾向があるのです。ここで注意したいのは、男性に媚びを売るあざとくて自己中な女に軽蔑という感情を隠して、「私と世界が違う」と自分のプライドを優先すると、せっかく好きになった男が、その女性に略奪されてしまう危険性があるということ。「女が嫌いな女」をあなどってはいけないということを覚えておきましょう。男からも女からも好かれる女性の特徴とは?では男からも女からも好かれる女性の特徴を挙げてみましょう。・明るい・素直・さっぱりしている・ネガティブな話をしない・人の悪口をいわない・礼儀正しい・義理人情を知っている・思いやりがあるどうですか!「女が嫌いな女」が爪の垢でも煎じて飲め!と言いたくなりますね。ところが恋愛の現場では、女が嫌いな女が、男にも女にも好かれる女を出し抜いてしまうこともあるのです。有名国立大を卒業し、大手企業に就職したアラサー男性は、5年間付き合っていた彼女に失恋した時に、大学のクラスメートだったメーカー勤務の女性・A子に、大いに慰められます。A子は明るく素直でさっぱりした性格なので、これまで「友達として付き合いやすい」と思っていた男性でしたが、ふとしたきっかけで、失恋のことを打ち明けてしまいます。するとA子は彼をさりげなく慰めて、彼の心をほぐしていきます。一緒に食事したり、お酒を飲んだり、日帰りの旅に出たり。彼は付き合ってもいいと考えますが、A子は彼の失恋の傷が癒えるまで、つかず離れずの関係を続けたほうがいいと考えます。とても謙虚な女性ですね!ところが、その男性が友人の結婚式に参加し、二次会、三次会と友達たちと一緒に飲んでいるうちに、いつのまにか2歳下のB子がぴったりそばにいて、彼に媚びを売ったり甘えたりしてくるのです。結婚式の熱気に伝染した彼は、やがてB子とベタベタ。その後、B子の積極的なアプローチに飲まれてしまいますが、A子がいるので、B子のアプローチをかわそうとしたのです。ところがB子は、男性の会社と同じビルにある会社に転職し、男性に手作りのお弁当を差し出したり、帰りの時間帯に待ち伏せしたり。さらにB子は遂にA子の存在を知ると、A子を陥れる方法を考え、実行します。A子に別の男がいると嘘をついたB子は、A子の仕事の出張を新しい男と旅行にでかけたとさらにでっち上げ、二人の仲を裂くのです。そして遂に男性とホテルへ。その後、B子はあれよあれよと、男性の両親のところに挨拶に行き、結婚へとまっしぐら。A子は男性が婚約したことを、同じ大学のクラスメートから聞きます。落胆しながらも、A子は、縁がなかったと諦めます。さすがに心から祝福できないので、A子はその後、同窓会に出席しなくなったそうです。B子に陥落してしまった男性も、不甲斐ないですが、女にも男にも好かれるA子の失恋の原因は、油断してしまったこと。相手を信じるのはいいけど、恋愛が成就するまで「油断大敵!」と緊張感を持ってほしかった。A子のような女にも男にも好かれる女性は、恋愛よりも友情のような関係で付き合える男性と、結婚の可能性が大きいと言えます。それにしても、B子の欲しいものを手に入れるための集中力は、凄い。B子が成功したのは、欲望や目的に対して忠実で、しかも他の女性に嫌われることなど恐れていないからです。略奪も一種の信念をもって、実行したといえるでしょう。欲望に忠実な女性は、 好きな男に惚れさせる努力を惜しまず、外見やキャラを変えることすら厭わないから、恋に生きる女ともいえます。時には、「女に嫌われる女」のように、欲望に忠実で、自分の思い通りに生きてみることも必要です。それにはまず、勇気をもって自分に向き合い、自分らしさを見つめることが大事ですね!(夏目かをる)
2018年12月22日12月は陰暦で「師走」。由来は、僧侶(師は僧侶の意)が仏事で走り回る忙しさから、というのが一般的ですが、実はこれは当て字なのだとか。他にも、四季の果てる月、稲のない田のさまをいう、など様々な説がありますが、平安時代にはすでに語源がわからなくなっていたそうです。「LIMIA歳時記」では、季語と、それにまつわるストーリーを月に1回ご紹介しています。灯に揺れる赤いセーター今月ご紹介する季語は「セーター」。だんだん寒くなってきて、着るものが増えてきましたね。冬は着るものの名前がたくさん季語になっています。ジャケット、コート、ショール、マフラー、手袋、などなど。それらを何枚も着ることを「重ね着」といいますが、これも季語です。重ね着をして「着ぶくれ」することも季語。ふだん使う言葉が季語になっていると考えると、なんだか楽しくなってきます。今日ご紹介する「セーター」も、そのうちのひとつ。この言葉は明治の頃に日本に入ってきた外来語です。「セーター」という言葉は「汗」をあらわす英語の「sweat」に由来しており、19世紀にアメリカのアイビーリーグのフットボール選手が、汗をかいて減量するために着ていたことからsweater、つまり「汗をかくもの」と名付けられたという説が有力なようです。季語としての歴史はとても浅く、一般に普及した昭和になってから。あたたかくて軽くて色取りも美しいセーターをすっぽりとかぶって着ることは、当時の日本人にとってはとても新しく、楽しい体験だったことでしょう。また、セーターや手袋、マフラーなどを編む「毛糸編む」という言葉も季語。若い頃、好きな人のために編み棒を一生懸命に動かした……という記憶のある方も多いのではないでしょうか。最後に、1985年に27歳の若さで亡くなった女優・夏目雅子さんの俳句をご紹介しましょう。彼女は22歳頃から句会に参加し、「海童(かいどう)」という俳号を持っていました。【今月の一句】セーターの始めての赤灯に揺れて夏目雅子●文如月サラ(きさらぎさら)エディター、俳人。(株)マガジンハウスで『anan』『Hanako』などの編集者を経て独立。現在、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程にて女性のエンパワーメントについて研究中。EDIT THE WORLD●イラストアネタイヨシコYOSHIKO ANETAI▼「LIMIA歳時記」ほかの記事も読む♪▼【LIMIA歳時記】11月は「霜月」。冬の到来です【LIMIA歳時記】10月は「神無月」。秋が次第に深まっていきます【LIMIA歳時記】9月は「長月」。秋が次第に深まっていきます
2018年12月17日12月9日に55歳の誕生日を迎えられた雅子さま。皇后となられる日を5カ月後に控え、文書の中で決意を述べられた。お代替わりが近づくにつれて“新皇后”への期待が高まるなか、雅子さまを勇気づけているのが愛子さまのご成長だ。学習院女子高等科への入学直後には学校をお休みになることも多かった愛子さまだが、最近は活発なご様子が伝わってくる。11月の文化祭ではダンスも披露。ベラ・ソーンの『Call it whatever』とアヴリル・ラヴィーンの『What the hell』の2曲を踊られたという。「ダンス公演は観客が殺到して会場がパニックになるほどでした。そういった人気もさることながら、愛子さまの“人間性”も尊敬を集めています。中等科の卒業文集では『世界の平和を願って』という感動的な作文を書かれています。愛子さまは、戦地への“慰霊の旅”を続けられた天皇陛下や美智子さまのお考えも、しっかり学ばれているのだと思います」(学習院関係者)愛子さまは12月1日に17歳の誕生日を迎えられた。するとTwitter上でも《聡明な愛子さまに継がれてほしい》《早く愛子さまが天皇になれるようにしてほしい》といったツイートが。愛子さまに“待望論”が浮上しているのだ。このまま“男系男子”が維持されれば、秋篠宮さま、そして悠仁さまが将来の天皇になられる。それでも高まる“愛子さまを天皇に”の声。ただ、雅子さまは文書の中でこう述べられた。《私自身の経験からも、この年齢での経験というものは、その後の人生にとっても貴重な財産になるのではないかと思います》高校時代の雅子さまは、アイスホッケーの大ファンでご友人と観戦に通われていた。高校2年生でアメリカ・ボストン郊外の高校に転校されるとソフトボール部で大活躍。現地の新聞の一面に名前が載ったこともあった。「お言葉には、皇族として著しく成長されている愛子さまにも、ご自身と同じように“普通の高校生としての経験”をしてほしいという切実な思いが感じられます。眞子さまの件もあり、女性皇族の結婚のハードルはただでさえ上がっています。雅子さま自身も“お妃候補”として世間に取り沙汰されて悩まれた経験をお持ちです。愛子さまには1人の女性として、落ち着いて愛を育んでほしいと心の奥で望んでいらっしゃるでしょう」(宮内庁関係者)雅子さまは、母の戸惑いを隠されて、皇后へのご準備を続けられる。
2018年12月14日