1人目で、36時間の出産を経験しました。2人目のときは、妊娠40週0日に陣痛が来て入院。先生から、また長時間の出産になる可能性もあるため陣痛促進剤を使用するかどうかの判断を迫られましたが、薬を使わず自然に産むことを決断。「歩いてください」という先生の助言を受け、私がどのように陣痛を乗り越えたかを紹介します。 とにかく歩いて下半身を動かした2人目は、妊娠40週0日のときに陣痛が来て入院。入院中は院内の自由に歩くスペースを利用して、夫と一緒に散歩気分でとにかく歩きました。陣痛の波が来ると壁にもたれかかり、テニスボールで尾てい骨付近をグッと押してもらいながら痛みに耐え、ゆっくりとした呼吸を意識しました。 私の場合は、ベッドで横になっているよりも歩いたほうが痛みを強く感じ、陣痛間隔も5分間隔から2〜3分間隔へと狭くなってきたので、「この調子! もうすぐ赤ちゃんに会えるんだ!」と前向きに考え、足を動かしました。 水分補給はラズベリーリーフティ 私は1人目の妊娠後期〜出産時に、インターネットでお産を軽くすると話題になっているラズベリーリーフティを飲みながら過ごしました。2人目の妊娠後期は1人目のときと同じように、安産になると信じお守り代わりに飲み続けていたので、陣痛中もこまめにラズベリーリーフティで水分補給。 陣痛中は不安と緊張が続き、心身ともに疲れが溜まってくるのですが、ラズベリーリーフティを飲むとホッと気持ちが軽くなり、本当によかったです。 夫と前向きな楽しい会話を心がけた陣痛中、夫と歩き回っているとき、できるだけ私は「痛い、つらい」などの言葉を発さないように心がけました。「赤ちゃんに会えるの楽しみだね、どんな子かな?」と想像を膨らませたり、陣痛の波が来るたびに、「いい陣痛が来たね! きっともうすぐだね!」と夫と2人で声を掛け合いました。 私にとって苦しい陣痛ではあったものの、心強い夫と二人三脚で楽しく、陣痛〜出産を乗り越えられたことが一番の良い思い出です。そして私たち夫婦が、「早く会いたい」という言葉をかけていたことが赤ちゃんに伝わったのではないかと信じています。 結果的に2人目の出産は陣痛開始から15時間の出産となり、1人目の36時間の出産と比べて、半分以下の分娩時間で済みました。先生からは「頑張って歩いたから赤ちゃんも早く出てきてくれたんだね」とうれしい言葉をかけてもらい、肩の力が抜けたことを覚えています。陣痛中によく動き、よく笑った結果、1人目のときよりも早く赤ちゃんに会えたことは私にとって最高の思い出です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月05日私の息子が生まれたとき、すでに下の前歯が1本生えていました。生まれたときから歯が生えている赤ちゃんはまれにいるらしく、その歯は「魔歯(まし)」と言われているそうです。歯のぐらつきもなく問題なければそのままで大丈夫なのだそうですが、息子の魔歯にはぐらつきが……。窒息の危険もあるため、歯科で抜歯することになりました。 そもそも「魔歯」って何?生まれたときからすでに生えている乳歯のことを「魔歯」と呼ぶそうです。魔歯は決してめずらしいものではなく、まれに見られるそうです。 魔歯は、ぐらつきや歯自体に問題がなければ、乳歯としてそのまま残すことも可能ですが、通常の乳歯に比べ少し黄ばみがあり、虫歯になりやすいため、抜歯することが多いのだそうです。 「魔歯」がある息子。産婦人科では…私が出産をした産婦人科は個人病院でした。院長先生は息子の魔歯を見ても驚くことはありませんでしたが、その産婦人科では初めての出来事だったようで、助産師さんたちはとても驚いていました。 助産師さんたちは、息子に育児用ミルクを飲ませるときに「魔歯が抜けて窒息してはいけない!」と、とても緊張したと言っていました。その後、院長先生と相談し、息子は先生に紹介してもらった歯科で早めに抜歯しようということになりました。 生後5日目、紹介された歯科で抜歯息子が生後5日目のとき、産婦人科の先生に紹介してもらった歯科に行き、抜歯してもらいました。麻酔もなしとのことで、はじめはとても心配しましたが、元からぐらついていた歯だったため、すぐにポロッと抜けました。 息子もまったく痛みはなかったようで、終始眠ったままでした。魔歯を抜歯した息子は、もう永久歯まで前歯が生えてきませんが、虫歯になったり窒息の危険があるよりはよかったと思っています。 生まれてくる赤ちゃんにまさか歯が生えているとは考えもしませんでしたが、経験豊富な先生と助産師さんのサポートのおかげで、安心して抜歯までの処置を見守ることができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:前田奈々自閉症の長男、次男の二児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年02月04日私は出産を機に退職。それから4年間、専業主婦として2人の子を育ててきました。上の子は幼稚園の年少、下の子は1歳。あと1年待てば下の子も幼稚園のプレが始まるという年齢でしたが、下の子を小規模保育園に預けてパートで働き始めることにしました。一番の動機は夫が不在がちのため2人育児がつらく、現状をどうにかしたいという思いが強かったことです。働き出すまでの道のり、そして実際に働いてみて感じたことをご紹介します。 保育園が見つかった!上の子とは幼稚園入園までの3年間ずっと一緒にいました。周りの友だちも、当然のように下の子も入園まで自宅でみています。そんななか、うちだけ下の子を保育園に入れることに罪悪感もありました。下の子に申し訳ないような、やるべきことを途中で放棄したような感覚でした。私の住んでいる地区の認可保育園は超激戦。求職中では歯が立たず、4月入所はできませんでした。少しホッとしたのも本音です。近くの認可外も検討しましたが、パート勤務を希望しているため、保育料の高さがネックとなり踏み切れず。今年度は無理かなと思っていた矢先、近くの少規模保育園が大幅な保育料の値下げをしたことを知りました。これはもう縁だと思い、すぐに電話をして入所の申し込みをしたのでした。 生活バランスは最高保育園の慣らし保育の間に面接を受け、無事に仕事も見つかりました。保育園と仕事、両方が軌道に乗るまでは、毎日緊張しながら過ごす日々でした。やっと落ち着いたかなと思ったら、息子が発熱。数カ月経った今でも、度々風邪をもらって来ますが、職場が理解してくれているので助かっています。夫も不在がち、両実家も遠いわが家の場合、私の体調が万全でないと家事・育児はまわりません。保育園のおかげでその重圧がかなり軽くなりました。また、職場で誰かと話すこと、業務に集中すること、生活の中に家事・育児以外のやりがいが加わって、本当に良いバランスだと感じています。 働いて見えてくる問題点仕事が忙しい時期は、上の子は幼稚園の預かり保育を利用し、仕事が終わってから幼稚園と保育園の2カ所にお迎えに走ります。バタバタで毎日あっという間。また、夏休み期間は8月からお盆明けまでは幼稚園の預かり保育がまったくなく、働きづらさも感じました。下の子が少規模保育園を卒園した後は、上の子と同じ幼稚園に入るか、別の保育園に入るか検討中です。そして、パート収入の半分は下の子の保育料に消えます。子どもが熱を出したり、祝日が多かったり、園行事の都合で仕事に行けない日も多く、稼ぎとしてはおこづかい程度。私個人の生活としてはバランスが良いけれど、もう少し子どもが手を離れたら仕事の比重を増やしても良いかなと思っています。 下の子だけを保育園に入れる後ろめたさは最初だけでした。ブランクがあるからこそ仕事は新鮮でおもしろく、子どもを介さない人間関係も気楽で、世界が広がった感じがしました。1日中子どもと一緒だったときよりもメリハリが出て、子どもといる時間も充実感が得られるように。園ママとの人間関係などの細かい悩みも全然気にならなくなりました。そして何より、初めてのお給料を家計に納めたときの満足感は今でも忘れられません。働き始めて本当によかったと思います。 著者:ひらたかおる二児の母。趣味はメルカリと写真。自分の備忘録と、いつか誰かの役に立つことを願って妊活中からブログを続けている。2018年から、自身の妊活や子育てでの経験をさらに活かすべくライターとして活動している。
2020年02月04日つわり症状の程度はさまざまですが、なかには症状がひどく入院となることも。そうなるとつわりは「妊娠悪阻(にんしんおそ)」という診断がつきます。今回は妊娠悪阻で入院となったママたちの体験談をご紹介します。 妊娠5週から嘔吐が始まり、最初は通院で点滴していましたが、妊娠6週から入院になりました。入院すると24時間ずっと点滴になりました。それでも効かず、病院食は止めてもらい、何も入っていない胃袋から少しの胃液を吐くばかり。たまにちょっと調子が良くなるとお菓子をかじることもありましたが、そのお菓子も吐く始末。夜中も吐くので寝られず、「何のための入院だ! 何のための点滴だ!」と思い、悔しさや悲しさで、看護師さんに泣きついたこともありました。食事の時間になれば、配膳車が廊下に来るので、食事のにおいでまた吐き……。個室代を払う余裕がなく大部屋に入っていましたが、同室の方は普通に食事をされます。だから部屋にいても食事のにおいがダメで、食事の時間になると、フラフラしながらにおいがしないところまで避難していました。しかし、ある日、その同室の方が、「あの……体調いかがですか? 冷凍庫にアイスを入れているんですが、もし食べられそうなら食べてください」と、遠慮がちに声をかけてくださいました。私がつわりで入院しているので、体調次第で声をかけていいものか迷って、やっと思い切って声をかけてくださったようでした。本当にありがたかったです。それ以来、毎日のように同室の方が声をかけてくれました。食事のときも「今日のおかず、ちょっとにおいが強いですね。大丈夫ですか?」など。おかげで、点滴が効かずとも、気持ちはラクになれました。結局、私は2カ月も入院してから退院しました。でも、つわりの苦しみと共に、あのときにやさしく気づかってくれた同室の方のことが良い思い出になりました。(アヤ☆さん) 現在2人目を妊娠中、妊娠34週です。1人目も2人目も妊娠悪阻で、食事はもちろん水分も摂れなくなり、どちらも2カ月ほど入退院を繰り返しました。食べていないので動く体力もなく何もできず、寝ているときだけ気持ち悪さから解放されますが、起きると地獄という、本当につらい日々でした。妊娠20週くらいになるとだんだんラクになって外出や外食もできるようになり、多少マタニティライフを楽しめるようになりました。(ゆこさん) 18年ぶりに41歳で4人目の妊娠。上3人は、食べたら吐き、あとはスッキリして仕事もフル勤務していました。今回は妊娠がわかり、一週間後にはつわりが始まり、日に日にひどくなり、仕事もできなくなりました。つわりでフラフラ。ケトンが高く、即入院。両腕に朝から晩まで点滴。点滴しながら吐きに行く状態。さすがに心の中で、この子を諦めようか……とひとりで思いました。夫とは再婚同士。夫には子どもがいなく、49歳で初めてわが子を抱くことができると大喜び。入院中は毎日仕事帰りに来てくれて、「母ちゃんつらいな。頑張ってくれ」と言われ、何とか乗り越えました。(莉愛ママさん) 妊娠6週からつわりが始まり、妊娠9週がピークで一日10回以上は吐いていました。何も食べられず、飲めずで、病院に行くとすぐ入院になりました。点滴の中に入っているビタミン剤のにおいも気持ち悪くて、それに耐えていると、少し吐き気がマシになりました。退院後、徐々にはおさまっていきましたが、結局妊娠6カ月の今もまだ日によっては吐くことがあります。泣きながら過ごしていましたが、赤ちゃんのエコー写真をみたり今では胎動を感じて、精神的には落ち着いてきました。(ねこだらけさん) 妊娠3カ月、最初はちょっとムカムカする感じでした。日に日にごはんが食べられなくなり、体重が50kg→39kgに……。そのころには食べ物、飲み物ともに受け付けず、氷菓子(某アイスの梨味)しか食べられなくなりました。1日ベッドの上でひたすら胃液と胆汁を吐き、歩くことすらままならず……。結局24時間点滴&絶飲食で5日間入院。何とか水分を摂れるようになり、退院しました。退院後は日に何度かは吐く生活が、タマゴサンドとスイカが食べられるようになりました。出産が近づくにつれて、ましにはなってきましたが、最後までお肉は食べられませんでした。(めいさん) つわり症状がひどく入院となってしまったママたちの体験談をまとめてご紹介しました。つわりの症状がひどく、水分も摂れなくなるようであれば、無理せずかかりつけ医に相談して対処してくださいね。
2020年02月02日妊娠中からできれば母乳育児をしたいと思っていましたが、母乳のケアについてはあまりよくわかっていませんでした。しかし産後、母乳育児だった私は乳腺炎になりかけてしまったのです。でも、早めに乳房マッサージを受けたことで症状が改善し、無事に双子を母乳で育て、断乳まで至ることができた話をご紹介します。 母乳育児のスタート双子は低体重で生まれたため、1カ月ほど入院していました。お世話になった産院の助産師さんからは、母乳の出し方について丁寧な指導があり、マッサージもしてもらったため、順調な滑り出しで母乳育児をスタートできました。しかし生まれた娘たちは、生後しばらくは哺乳力があまり強くなく、母乳の出る量に対して飲んでくれる量が少なかったように思います。手での搾乳もあまりうまくできませんでしたが、時間をかけて搾り、入院する病院まで届けて哺乳瓶で飲ませる日々でした。 すぐに乳腺炎になりかける娘たちの哺乳量があまり多くなかったためか、だんだんと乳房が張るようになりました。搾乳もしていたのですが、ある日の朝、起きてすぐに、乳房に強い痛みを感じました。友人が同じような症状で母乳育児相談室の助産師さんに相談したと言っていたことを思い出し、紹介を受け、すぐに診てもらうことにしたのです。助産師さんによると、やはり乳腺が詰まっているとのことでマッサージを受け、詰まりをほぐしてもらいました。マッサージ後、乳房が柔らかくなって痛みも取れたので驚きました。 母乳マッサージを継続して無事に断乳までその後、定期的にマッサージに通ううちに乳腺炎のような痛みを感じることはなくなりました。また生後6カ月の離乳食が始まるころには、双子を完全母乳で育てられるほど母乳の出もよくなりました。1歳9カ月ごろの断乳の時期にもその助産師さんにはお世話になり、娘たちのケアや、断乳に伴う母乳の搾乳方法も含めて指導してもらいました。そして、何のトラブルもなく無事に断乳ができました。 産後すぐに母乳マッサージを受けたおかげで、乳腺炎を免れ、双子の娘たちを母乳で育てることができました。さらに継続的に同じ助産師さんに診てもらっていたので、スムーズに断乳することもできたと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:小川かなえ2歳の双子姉妹の母。東京郊外在住。元保育士、不妊治療を経て妊娠出産。子連れハイキングやキャンプなどアウトドアも再開。現在は親子の森のようちえんを運営し、地域や自然とともに子育てをしている。
2020年02月02日近くに住む義母の口癖は「お金ならある」。義父の遺産と年金で悠々自適の暮らしをしており、生活に余裕のある義母は時々旅行に連れて行ってくれます。旅費を出してくれるのはありがたいのですが、その分面倒なことはすべてこちらに任されてしまいます……。 出すのはお金だけ私たち家族は海外旅行ができるような余裕はないので、最初義母から「みんなでハワイに行きましょう」と言われたときは戸惑い、どう断ろうかと悩みました。義母は「旅費は全部出してあげるから気にしなくていい。その代わり手配は全部お願い」とのこと。 旅費を出してもらうということに抵抗があったのですが、夫が「親孝行だと思って」と言うので一緒に行くことになりました。 慣れない海外旅行なので旅行会社に頼んだのですが、義母は注文が多く、何度も旅行会社と連絡を取ることになり、思っていたよりも大変でした。 ハワイが大好き無事旅行をすることができ、義母は満足したようで、翌年もまたハワイに行こうと誘ってくれました。もちろん旅行は楽しかったのですが、小さな子どものおむつや離乳食の準備、慣れない海外への渡航準備で私はくたくたになってしまって、正直なところ断りたい気持ちでした。 しかし、義母は本当に楽しみにしているらしく、会うと話題はハワイのことになるので断り切れず、結局翌年も行くことに……。行き先や観光場所は義母がすべて決め、手配は私。しかしお金を出してもらっているので文句も言えず、立場の弱さに嫌気が差してしまいました。 なかなかできない経験になる年老いた義母にお金を払わせてぜいたくな遊びをするなんて……という気持ちも大きくて、夫に「次は断りたい」と訴えました。しかし、そういった引け目や準備の大変さを差し引いても、子どもにとってはなかなかできない経験をさせてもらっているのだから、よしとしようという結論に落ち着きました。 義母も、「自分のためだけにお金を使うのではなく、家族を喜ばせるために使えることがうれしい」と言っていたので、私もやっと納得することができました。 「お金は出すからあとはよろしく」という義母の態度に、引け目もあって不満を覚えることもあります。しかし、私たち夫婦だけでは与えられない経験を子どもにさせてくれるので、義母には感謝しています。著者:松本寛子3児の母。結婚を機に地方へ引っ越し出産。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月01日陣痛について調べる、または経験者に話を聞くなかで、「陣痛に気が付かないことは、まずない」という情報を得ていた私。ところが私の場合、陣痛だということに気が付くことができませんでした。そんな私の出産エピソードをご紹介します。 おなかを壊したような腹痛がやってきた出産予定日を過ぎ、陣痛促進剤を使って分娩することになった私。その入院を翌日に控えた日の夜のことです。夕食後に、おなかを壊したようなギュルギュルした感覚が続き、トイレを行ったり来たりを繰り返していました。実際に排便するわけでもなく、ただ鈍い、どんよりした痛みが続くだけ。「何か変なもの食べちゃったかな……」と、不安に思っていましたが、まさかこれが陣痛の始まりだとは考えもしませんでした。 気が付かないうちにお産が進んでいた!何十回もトイレを出入りしていた私に、夫が「もしかして陣痛では?」と助言してくれて、ようやく病院に電話をしました。 初産婦だからあと1時間くらい様子を見るように言われ、2時間ほど経ってから再び連絡。夜間の緊急外来で診てもらえることになり、病院へ行ったところ、子宮口がすでに5cm以上開いていて、急きょ分娩台へ上がることになりました。 初産婦にはめずらしいほどスムーズに出産分娩台に上がってからのお産の進みもかなり早く、対応してくださった助産師さんに「本当に初産婦だよね!?」と確認されるほどでした。結果、分娩自体は6時間、傷の縫合などを含めると7時間半で出産しました。 助産師さんも「電話口ではかなり落ち着いていたし、あんまり痛がっていないから出産はまだまだだと思った」と驚いていました。 私は、まさかこの「おなかを壊したような痛み」が陣痛だとは思いもしませんでした。もし夫に言われなければ、病院に連絡せずに自宅で破水していたかもしれません。お産は本当に人それぞれだと実感した出産でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:桜ゆいの子育て中のママ。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2020年02月01日漠然と自然妊娠できるだろうと思っていた私ですが、30代後半になり焦り始め、不妊治療に踏み切りました。幸い、夫も協力してくれたのでありがたかったです。いつまで治療が続くのか……という不安もありつつ、治療と向き合った私の体験談をお伝えします。 不妊治療を開始不妊治療は約1年だったのですが、はじめは、「どうして私ばっかり痛い思いをしないといけないの?」とイライラすることもありました。でも、「どうしても赤ちゃんが欲しい!」という強い思いがあったので、妊娠するまで頑張ろうと決意していました。 子宝神社にお参りはじめは、人工授精。毎月のようにタイミングをとりながらおこなっていましたが、なかなか妊娠に至らず、焦りを感じ始めていました。 そんなあるとき、マタニティ雑誌で子宝神社の記事を見て、これは神頼みするしかない! と思い、「夫婦木神社」へ行ってみました。 そこは、なかなか妊娠に辿り着けなかったけれど、お参りしたら授かることができた!という方がたくさんいるという名所でした。 最後の人工授精私たち夫婦は、6度目の人工授精で最後にして、体外受精にステップアップしようかと話していました。でも、体外受精は痛く、つらいという話を聞くので、できれば避けたい思いもあり、悩んでいました。 ところが、最後と思っていた6度目の人工授精でなんと大成功! ついに赤ちゃんを授かることができました。本当にうれしかったです。夫婦木神社へのお参りが功を奏したのかな、と思いました。 今では息子も生後6カ月になり、毎日元気に過ごしています。かわいいわが子に出会えて幸せです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:松浦理恵6カ月の息子の母。現在、専業主婦で子育て奮闘中。
2020年01月30日娘の寝かしつけに悩んでいた私でしたが、試行錯誤を重ね、その方法が変化してきました。娘が生まれてから保育園入園前の現在(生後9カ月)の変化をお伝えします。 生まれてしばらくは…娘が生まれてからしばらくは、添い寝や添い乳で寝かしつけをしていました。抱っこでは寝るものの、布団に寝かせると泣いてしまうので、布団で寝付いてもらおうとひたすら添い寝、添い乳……。大泣きして寝かしつけに1〜2時間かかることもありました。 生後3カ月ごろになると、昼夜の区別がついてきたのか、寝かしつけの時間が1時間以内に。時間が短くなったのはとてもうれしかったのですが、添い寝していると、私も一緒に寝落ちしてしまうことがほとんどでした。 夫にもできる寝かしつけを寝落ちしてしまうことで家事や自分の時間が取れないことに悩みました。また生後10カ月で助産師の仕事復帰の予定があり、ゆくゆくは夜勤もあるため、夫にもできる寝かしつけをしたいと考えて、寝かしつけの方法を変えることにしました。 まず娘に寝る時間の合図として、入眠儀式を取り入れました。リビングで授乳後、寝室へ移動し、絵本を読み、部屋を暗くして、寝かしつけをすることにしました。添い寝や添い乳をやめて、私は娘の隣に座った状態で頭や眉間をなでたり、手を握ったり、子守歌を歌ったり……。 娘に効果があったのは、少し強めにトントンする方法でした。トントンする場所も、おなかや背中、お尻を試し、お尻が一番良さそうでした。トントンするとだいたい30分以内には寝てくれたのですが、ずっとトントンすることで自分の腕がつらくなってしまっていました。 昼は明るく、夜は暗く娘の寝入る様子を観察すると、娘は目をこすり「眠い」という合図を出したあと、モゾモゾしつつ目を閉じて自分の手首辺りを吸いながら寝付いていました。 そこで、「眠い」という合図が見られたらトントンするのを徐々に減らし、自分で寝付くことができるように見守ることにしました。すると今では、激しく泣くときやあと一歩のところで眠れないときのみトントンしますが、ほとんどは見守りのみで寝付くようになりました。 生まれてからずっと意識していたのは、「昼は明るく、夜は暗く」というメリハリです。今後、娘の成長や保育園入園などの環境の変化で、また寝かしつけ方法を変えていくかもしれません。娘の様子を見ながら、眠りをサポートしていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:金子ゆかこ9カ月の女の子のママ。職業は助産師。不妊治療や妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年01月29日自分の赤ちゃんの血液型ってご存知でしょうか? もしもわが子がママから生まれてくるはずのない血液型だったら戸惑いますよね。私は実際にそんな状況を経験しました。今回は、わが子の血液型に関する体験談をお伝えします。 生後4日目の血液型はAB型長男を出産した病院は、子どもの血液型の検査をしてくれるところでした。生後4日目に出た結果は「AB型」。夫はAB型、私はO型です。A型かB型の赤ちゃんが生まれてくると思い込んでいた私は衝撃を受けました。 「ま、まさかドラマでよく見る取り違え?」と、私は戸惑いました。しかし、そんなはずはありません。生後すぐに、私の名前入りのタグが赤ちゃんの足につけられ、たしかに生まれてきたのはこの顔の赤ちゃんに間違いなかったからです。 O型からは生まれないはずのAB型赤ちゃんの取り違えでないとすると、「じゃあどうして血液型が違うの?」と疑問がわきました。調べた結果、そもそもO型である私からは、夫が何型であってもAB型の赤ちゃんが生まれてくるはずがないことがわかりました。 出産直後はママの血液が混ざって、赤ちゃんの血液型が正確に出ないこともあると聞いたことはありましたが、私のO型の血が混ざって、本来A型かB型である子がAB型になるというのもおかしな話だな……と、とにかく謎でした。 再検査の結果はA型!ママ友から「小児科で赤ちゃんの血液型を調べようとしたら『占いにしか使えないから必要ない』と断られた」という話を聞き、心の隅に引っかかってはいましたが、そのままになっていました。 しかし、ついに真実を知る機会がやってきました。夫の海外赴任帯同に伴い、子どもの血液型も調べることになったのです。検査は耳たぶに針を刺して一瞬で終わり、結果もすぐ出ました。結果は「A型」。「ああ~やっぱり。AB型って一体なんだったんだ~」と力が抜けたことを覚えています。 ごくごく稀にO型ママからAB型の赤ちゃんも生まれるという情報をネットで見て、そんな稀な赤ちゃんなのかな? と考え込んでいましたが、結果的には予定通りのA型でした。生後すぐの血液型検査は正しい結果が出ないことがよくあるそうです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:沢木素子子育て中のママ。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年01月28日思いもよらない妊娠は喜びと同時に驚きや戸惑いも多いのでは? 誰もが迷わず産む選択ができればよいけれど、すべてがそうではないのも事実。私が”子どもを出産する”と決意するまでのエピソードをご紹介します。 思いがけず、妊娠が判明!それは突然のできごとでした。まだ彼と付き合い始めて1年も経過していなかったときのことです。生理が来ず、妊娠検査薬で調べて妊娠がわかりました。 突然のことで驚きを隠せませんでしたが、子どもが欲しかった私にとってはとてもうれしく、子どもができたと伝えれば、彼も産んでいいと言ってくれるだろう、と思っていました。ところが……彼は、「結婚はしてもいいけど子どもはおろしてほしい」と言ってきたのです。 ショック! 子どもをおろしてほしいだなんて…なぜ彼がそんなこと言うのかまったく理解できませんでしたが、本当に妊娠しているのか? 何かの間違いかもしれないと思い、病院へ。エコーを見せてもらって、私は本当に妊娠しているんだ、と実感したのを覚えています。 彼が産むことに反対していたのは経済的な問題ではなく、2人の時間が減ってしまう、子どもに奥さんをとられてしまうという理由からでした。男の人は命よりも自分を優先するんだということがとても悲しかったです。中絶の話を病院で聞いて、彼の前では、話を合わせたように中絶する方向で話していました。 でも、心の中では絶対的に産みたいという希望が捨てられませんでした。せっかく宿った命を捨てることがどれほどつらいか、命を粗末にするなんて、そんなこと私にはできない、と思いました。そのときが一番つらかったです。 彼を説得。産んでよかった!彼を説得するのには両親との話し合いも含めて何回もしました。1カ月話し合い、彼もしぶしぶ納得してくれました。妊娠生活では制限も多かったですが、2人の時間を存分に楽しむことができました。そして、子どもが生まれてから、夫はおむつを替えたり子どもをあやしたりしてくれていて、私のことも大事にしてくれています。 子どもと夫が一緒に寝ている姿や、触れ合っている様子を見て、私は産んで良かったと心から思っています。悩み、つらかったときもありましたが、私はこの結論、選択でよかったと思います。子どもがいると、自分の時間は減りますが、その分、幸せなことも増えるし、少し取れた貴重な時間を有効に使おうと思うようになり、自分自身も成長できたと感じます。「生まれてきてくれてありがとう」と子どもに感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:(c)chicchimama著者:田中あきこ0歳の母。子どもと共に成長していける母を目指している。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2020年01月28日現在、1歳半の息子の頭の形は、頭頂部の右側部分が若干盛り上がっています。パッと見はわからないのですが、触ると固いたんこぶのようなものがついているような感触です。息子がこの頭の形になった経緯についてお伝えしたいと思います。 頭の形がいびつ!?出産直後は特に気にならなかった息子の頭の形ですが、産後3日目ごろから、頭頂部の右側部分が気になるようになりました。たんこぶのようにぽっこり盛り上がっていたのです。 入院中に小児科の先生に確認したところ、吸引分娩で出産した影響とのこと。「なかには時間がかかる子もいますが、じきに元に戻りますよ」とのことだったので、一安心してあまり気にせずに過ごすことにしました。 【関連記事】・吸引分娩の費用や保険適用の条件について 頭の形が戻らない……ところが、1カ月経っても頭の形に変化はあまりありませんでした。「ちょっと時間がかかるのかな?」くらいの軽い気持ちで1カ月健診時に相談してみたところ、吸引分娩の影響でいびつになった部分が石灰化してしまい、カチカチに固まっているとの診断でした。 元に戻るコブの場合は、触るとぷよぷよとしたやわらかい状態のようです。カチカチに固まってしまうと元には戻らないとのこと。ショックを受けましたが、成長とともに目立たなくなるから気にしないように、とのことでした。 念のため健診でチェックショックを受けている私を気づかってか、小児科の先生は「気にしないでと言われても頭だから気になりますよね。健診の回数を増やしましょう」と提案してくださいました。 生後1カ月、生後3カ月、生後6カ月、生後9カ月、1歳と健診の機会を設け、その都度いびつになった頭の様子を観察してもらっています。何か状況が変化したらCTで検査をすると聞いていますが、1歳半の現在、見た目以外の影響は今のところないようです。 息子は吸引分娩の影響で頭の形がいびつになってしまいましたが、元に戻ることのほうが多いようです。頭なので脳に影響がないのか心配でしたが、小児科の先生が親身に対応してくださったおかげで、今ではあまり気にならなくなりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:(c)chicchimama著者:岩田かおる子育て中のママ。専業主婦。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年01月27日双子を育てているといろいろな質問をされますが、特に多いのが「一緒に寝てくれているの?」というもの。双子とはいえ、別々の人間です。最初から一緒に寝てくれるわけではありませんでしたが、2人の生活リズムを整えるよう心がけていくうちに寝かしつけもうまくいくようになったのです。ここでは双子を寝かしつけるためにおこなったことをご紹介します。 産後すぐ、助産師さんからのアドバイス双子の赤ちゃんの場合、早産になったり、低出生体重児のためNICUに入り、お母さんと一緒に退院するのは難しかったりすることがあると思いますが、わが子たちは産後そろって母子同室になりました。 そのとき、助産師さんから「授乳・おむつ替え・寝かしつけなど、すべてのことを2人同時にする方法と、あえてずらす方法がある。どちらがいいか、この入院中に試してみて。こればかりは人それぞれだから」と双子育児についてアドバイスをもらいました。 私は、2人が一緒に寝てくれたら最高だ!との考えから何事も一緒に世話をすることにしました。 よく寝ていたのに! 急に寝なくなった双子の兄弟授乳の最中に眠ってしまっていた2人。生後2週間ほどは、なんの問題もなく2人仲良くベビーベッドで寝てくれていました。しかし、生後3週間を過ぎたころからベッドに戻すと起きてしまうことが多くなりました。 手伝いに来てくれていた母が兄のほうを、私は弟のほうを担当して、それぞれ添い寝や抱っこなどで寝かしつけることに。弟のほうは、母親である私が担当していたせいか添い寝をすれば寝てくれましたが、母が担当していた兄のほうは抱っこをして歩き回らないと泣き止まなかったので大変だったと思います。 生後3カ月から生活リズムを意識!3カ月ほどの里帰りの予定でしたが、残り1カ月を過ぎ、このまま母に頼りっぱなしでは大変なことになる!と思い、その日からすべてひとりでおこなうことを宣言。まず、お昼寝や夜寝かせる時間を決めました。お昼寝は1人が起きて30分以上差ができそうなときは、もう1人を起こして2人の睡眠時間が大幅にずれるのを防ぎました。 もう1つ徹底したことが、抱っこで寝かしつけないこと。私ひとりで首のすわらない双子を同時に抱くのは現実的ではなかったうえに、抱っこ&おんぶができるようになったとしても、毎日続けられるとは思わなかったからです。時間がかかる日もありましたが、どちらかがいつまでも寝ないということはだんだんと減っていきました。 夜泣きがひどくて、もう1人が起きてしまう時期があり、そのときはおしゃぶりを使って寝かしつけました。否定的な考えも多いおしゃぶりですが、私が寝不足で倒れてしまっては一大事なので使用していました。気持ちよく寝ているもう1人の子を起こすのは申し訳ない気持ちになりますが、成長とともに毎日のルーティーンが決まるのでだんだんラクになりました。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:山中 凪一卵性の双子男児(2歳)の母。何を言っても「イヤ!」が合言葉の2人を、追いかけまわす毎日。双子ならではの悩みや経験を生かした記事を執筆中。
2020年01月25日わが家には10歳から2歳までの子どもが4人いて、子だくさんの部類に入ると思います。毎日子ども4人と一緒に過ごしていていると、もちろん大変なこともあるのですが、子だくさんでよかったと思うことも多くあります。今回は、私が「子だくさんでよかった!」と日々思っていること個人的ベスト3を紹介します。 3.たくさんのママ友と出会えること私は社交的なタイプではありません。ですが、子ども4人と過ごしていると必然的に多くのママと出会い、信頼できる素敵なママ友ができました。ママ友関係というと、ネガティブなイメージもありますが、私の場合はママ友がいてくれてよかったと思うことのほうが多いです。 上の子から下の子まで年齢差も大きいので、自分の子どもとは違う年齢の子のママ友もできたりと、素敵な出会いが広がりました。 2.いろいろな幼稚園・保育園などを体験できることわが家の場合、上の子たちが通っていた保育園や幼稚園と、下の子に選んだ幼稚園が違うところなので、さまざまな園を見ることができ、それは貴重な経験だと感じています。 いろいろな園に通い、体験させてもらうと、子育ての間違った思い込みが解けたり、広い心が持てるようになったりと、親としての私自身の成長につながっているように思います。あまり評判がよくない園でも、自分自身で確かめてみると実は自分の子どもに合っていた! なんてこともありました。 1.きょうだいで助け合いができる親が子どもをしかっても、うまく伝わらないことや、子どもがわざと反対のことをすることってありますよね。そんなとき、親ではなくきょうだいから言われると、すんなり言うことを聞いてくれることも。 たとえば、なかなか食事が進まない下の子に上の子が食べさせてくれたときは、普段食べない野菜まで完食! なんてこともありました。そんなとき、4人きょうだいで支え合えて素敵だな~と感じます。 小学生の子どもに、2歳の子のしつけの仕方を教わることもあります。どこで覚えたのか、私よりもじょうずに下の子に接してくれて、私はそれを参考にすることも! 子育てっておもしろいなと感じています。イラスト:sawawa監修/助産師REIKO著者:武山あゆみ三男一女の母。ワンオペ育児に奮闘するかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年01月24日1人目は完母で育てた私ですが、2人目はあえて混合育児を選択しました。母乳の出もよかった私がなぜ混合育児を選んだのか? その理由と合わせて、私が感じた母乳と育児用ミルクのメリット・デメリットをお伝えします。 母乳良好で混合育児を選択した理由とは?1人目のときは母乳もよく出ていて、子どももよく飲んでくれていたので、迷わず完母を選択しました。しかし、母乳のみ、育児用ミルクのみのように、どちらかに限定してしまうと、やはりそれぞれにメリットとデメリットがありました。 そこで、2人目は母乳と育児用ミルク、どちらも与えられるようにしようと、混合育児を選択しました。その結果、場所や状況に合わせてどちらかを選択でき、育児の負担やストレスは1人目とはまったく違いました。 母乳育児のメリット・デメリットは?母乳育児は子どもが飲みたいときにすぐ飲ませてあげることができ、荷物も少なく済むので、外出時にはとてもラクです。そしてお金がかからないのでとても経済的だと感じています。 ですが、母乳育児はほかの人が授乳を代わることができません。体調を崩してしまって薬が必要な場合は病院に行き、母乳にも影響のない薬を処方してもらわなくてはならないことが、私にとって一番不便でした。 ミルク育児のメリット・デメリットは?ミルク育児の一番のメリットは、なんと言ってもママ以外の人に授乳を代わってもらえることだと思っています。頻繁におなかが空いてしまう低月齢の時期でも、時間ごとに担当を決めておけば、ママも少し落ち着いて睡眠をとることができます。 しかし、月齢が上がってくると1回の育児用ミルクの消費量も増えてくることから、経済的には負担が大きく、外出先にベビールームがない場合に備えてお湯を常備しておく必要があるため、荷物がかさばってしまうというデメリットも感じました。 母乳・育児用ミルク・混合のどれを選択するのかはママ次第です。私個人としては、ママが楽しく育児できることが赤ちゃんにとっても一番いい選択だと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:前田奈々自閉症の長男、次男の二児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年01月21日令和元年8月に結婚した小泉進次郎環境大臣とフリーアナウンサーの滝川クリステルさん。令和2年1月17日、お二人の間に、第一子となる男の子が生まれました。小泉環境大臣は、先日、育児休暇を取得すると表明したばかり。そこでベビーカレンダーでは、4回に渡り「男性の育休」についてシリーズでお送りしていきたいと思います。今回は、パパの育休にまつわる体験談をまとめてみました。 パパが育児休暇を取って大変だったこと1つ目は、育児休暇を取得するということに対して上司の理解がなかなか得られず、良い印象を持たれなかったことです。これまで、男性が育児休暇を申請したことがない会社だったので、上司に育児休暇を取りたい、と伝えたときは「奥さんに任せればいいよ」と言われ、なかなか理解してもらえませんでした。2つ目は、同僚の負担が増えてしまうことについて、理解が得られなかったことです。育児休暇を取ると、スタッフが1人減り、その状況の中で業務をこなしていかなければなりません。負担が増えることを望むスタッフはおらず、私の会社では理解してもらうことが難しかったです。3つ目は収入が減ってしまったことです。出費が増えるときに収入が減るのは非常に困りました。 パパが育児休暇を取ってよかったこと1つ目は、「子どもとの時間がたくさん持てた」ということです。育児休暇を取ると毎日一緒に過ごすことができるので、日々の成長を身近に感じることができました。2つ目は、「ママの負担を減らすことができた」ということです。そこで私が育児休暇を取得して家事や育児を分担したことで、ママの負担が減り、気持ちとしても余裕が出てきたようです。3つ目は、「パパとママがお互いにひとりの時間を持つことができた」ということです。 育休取得当時はダメダメだったパパだけど…私の夫は、私が妊娠する前から「絶対に育児休暇をとる!」と息巻いていました。しかし、赤ちゃんが生まれた直後、夫の知られざる本性が露わになったのです……。部屋の片づけをお願いしていたのですが、夫は何もしていませんでした。これには私も大激怒。ところが、「何をどこにどう置くのか、一つひとつ教えてくれないとわからない」と夫はブツブツ文句を言います。私が産後1カ月半で仕事に復帰するころには、夫ひとりで赤ちゃんのお世話ができるようになっていました。しかし、赤ちゃんを無理矢理、長い時間お昼寝させて惰眠を貪り、相変わらず掃除などの家事は手抜き。私が仕事から帰ってくると、赤ちゃんを押し付けてぐうたらしていました。それなのに、「育児休暇をとったイクメンパパ」と言われ、鼻高々の夫……! 「その辺の父親よりは育児もできるし、家事もしている」と言って開き直っていた夫でしたが、私が過労でうつ病になったことによって病院の先生や看護師さんの指導を受け、育児はもちろん、家事も真面目にこなしてくれるようになったのです。 育休取得はできなかったけれど…私は上の子2人が帝王切開での出産で、次の子も帝王切開が決まっていました。パパはおおよその日程がわかった時点で、会社側に「この日あたりで出産になるので、産後も含めて何日か休みたい」と伝えていたようで、そのおかげで早くから仕事の調整をしてくれました。出産日から産後10日目までは有給を取ることができましたが、その間にどうしても出社してほしいと会社から連絡が入った日がありました。上の子2人は未就園児で預け先がなく、また、私も帝王切開後2日目で動くことができなかったため、産院にも連れて来ることができませんでした。そこで、仕方なく子連れで出社をしてもらいました。パパが仕事に励んでいる間は事務員さんが子どもたちの相手をしてくださり、何とかなったそうです。 男性の育休について、4回に渡ってお送りしてきました。男性の育休取得に関して、男性本人だけでなく周りの人や企業の理解もまだまだ……というのが現状かと思います。政府は男性の育休取得をすすめるための制度改正の他、企業への働きかけとして「イクメンプロジェクト」を推進しています。ベビーカレンダーでも、男性の育休取得に関して今後もさまざまな情報を発信していけたらと思っています。 監修者・著者:助産師 REIKO医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2020年01月20日現在2歳と0歳の子どもたちの母親です。夫と付き合っているときに避妊せずに性交渉をしてしまい、不安になった私。夫にも相談してアフターピルのことを知り、服用したときの話です。 つい許してしまった夫とまだ付き合っているころに温泉旅行へ行ったときのことです。いつもは避妊をしているのですが、そのときはつい許してしまい……。当時は夫と結婚の話はなく、私もやっと仕事が楽しくなってきたころ。 子どもが欲しい気持ちはあるけれど、もう少し先に……と考えていました。生理は比較的規則正しくきていましたが、基礎体温は測っておらず、排卵日もわかりません。だんだんと不安になり、いろいろ調べて見た結果、アフターピルのことを知ったのです。 アフターピルの処方アフターピルのことを夫に相談して、自宅近くの産婦人科で処方してもらえることを知り、旅行から戻りそのまま受診。産婦人科を受診するのは初めてだったので、とても緊張したのを覚えています。問診票を記入するとすぐに呼ばれ、72時間以内に飲めば効果があるので、すぐに服用するように言われました。 また、強い吐き気や頭痛などの副作用があるかもしれないと説明されました。そして、相手にも吐き気や頭痛などの副作用があることを知ってもらい、今後、子どもが欲しいと思うまで避妊をすることをアドバイスされました。 アフターピルの副作用アフターピルを処方された後、すぐに服用しました。帰りの車の中で夫へ副作用について説明をすると、夫も軽はずみな行為をしたと反省。夫は吐き気で食欲がなくなったときのために飲み物を準備してくれて、その日は一緒にいてくれました。自宅に戻り、副作用に備えて横になることに……。 嘔吐はしませんでしたが、強い吐き気と頭痛に襲われ、半日ほど寝込んでしまい、つらかったです。夫は苦しんでいる私を見て「ごめんね」と何度も言っていました。避妊さえしておけば、アフターピルを服用して副作用で苦しい思いをしなくて済んだので、これからは気を付けなければと思ったのを覚えています。 その後、改めて夫にも副作用の症状を話し、理解してもらいました。それからは結婚して子どもが欲しいという話になるまで、避妊は忘れずにおこなうことに。相手側の男性がアフターピルについて理解すること、自分の意思をしっかり持ち、その場の空気に流されないことが大切だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年01月19日若いころは食事を抜けばすぐに落ちていた体重も、歳を重ねるごとに落ちにくくなり、気づけば至る所にぜい肉が溢れ出て、服では隠せなくなっていました。「このままではヤバイ……」と思い、ダイエットをしてみるも、若いころとは違いまったくやせず、どのダイエット法なら確実にやせられるのか頭を抱える日々。そんな体型の崩れに悩み、やせにくかった私の体験から、効果のあったダイエット法をご紹介します。 私の体型の悩みランキングTOP5アラフォーの私の体型の悩みトップ5はこんな感じでした。①「おなか周り」 →二段腹が服でごまかしきれない!②「脚」→両脚の間に隙間がない!③「お尻」→肉がたれているので足が短く見えちゃう!④「背中」→後ろ姿が悲しい! はみ肉が隠せていない……。⑤「二の腕」→ぷるぷる揺れる~。 ゆとりのある服を着たり、丈の長いトップスを着て隠したりしてみましたが、完璧には隠せませんでした。太っていることに変わりはないからです。そんな体型になっても本気でダイエットをしない私は「明日からダイエット~」が口癖でした。 そんなダイエットしてもやせたことのない私が本気でダイエットをしようと決意したのは、大好きなアパレルショップの服が着れなくなったことが最大の理由でした。「それなら私は、残りの人生、“隠す服”よりも“見せられる好きな服”を着たい」。そう思って、ダイエットを決行しました。 3人産んだ30代は骨盤矯正ストレッチが効果的私は3度の出産経験があり、出産するたび体重とぜい肉が増加していきました。お金をかけずにダイエットしたかった私は、自宅でできる骨盤矯正ストレッチをおこなうことにしました。私がおこなったストレッチは「あお向けになり、足を揃えて膝を90度に曲げて左右に倒すストレッチ」と「あお向けになったまま、足の裏をくっつけ、お尻と腰を上下に上げ下げするストレッチ」などです。これを毎日20回おこなうと、産後太りと腰痛の緩和に効果てきめんでした。 きつかったズボンにはゆとりができ、腰も軽くなったように感じます。骨盤矯正のストレッチは、すぐに成果が目に見えるものではないですが、続けたことで産後ずっと悩まされてきた腰の痛みが軽減されたり、体の不調が改善されてきました。なんたって、冷え性で冬は常に腹巻きや靴下が必需品だった私が靴下と腹巻きいらずになったのですから。 3度目の出産後の32歳で、1度目の出産前から10kg増えていたのが7kg減って、さらにおなかまわりも11号から9号にサイズダウンしてうれしいことだらけでした。 年代別で違う!?アラフォーに合うダイエット法とは 産後に骨盤矯正ストレッチでやせたのもつかの間、年々老いにはかなわず、少しずつボディラインの崩れが見えてきました。ダイエットを試みるも、30代のころ効果があったダイエット法も今は効果がなくなり、ネットで調べたら30代以降は歳をとるにつれて筋力が低下するとか……。なら、40歳になった私はなおのこと筋力の低下が急降下して、どんどんやせにくくなっていくのではと。そこで「よし! それなら筋力をつけよう!」と思った私は、3食はしっかり食べつつ1日数分間の筋トレを実行することに。5カ月もかかってしまいましたが、見事に65kgから60kgになり、マイナス5kgのダイエット成功となりました! 筋トレといってもハードなものではなく、“ながら運動”で充分。「寝ながら脚上げ」、「スマホ触りながら腹筋」など、ゆるーく運動をし、回数も1日10~20回など、すぐに終わる回数しか頑張りませんでした。 ただ、必ず毎日続けることだけを目標にしていました。また、20代のころは1日に1食抜いたりするだけで体重が落ちていましたが、食事を抜くと筋力が落ち、やせにくくなるとダイエットを専門とした整体師の方に聞きました。筋力が落ちてしまうのは、アラフォーの私にはNG。なので、逆に、3食をしっかり摂るようにしました。 まとめ30代では頑張ったらすぐに2カ月ぐらいで成果が出て、やる気にも繋がっていましたが、40歳にもなると結果が出るまでに時間がかかります。そのせいで、何度も心が折れていた私。いつも体重の数値ばかり気にして、結果が見えないとすぐに諦めていました。なので、今回は体重計に乗るのは1週間に1回だけに。それだけで「やせなきゃ」と追い詰められることなく、心にゆとりをもったままダイエットを続けることができました。そして無理なく気長に体質改善し、やせやすい体に変えていきました。その中で、筋力をつけることと、食生活が40歳になってどれだけダイエットに大切なことなのか、改めて実感しました。私はすぐに結果が見えなくても、自分のできるところから少しずつ継続していくことで、ダイエットの成功や悩みの解消へと繋がりました。 ※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。 ウーマンカレンダー編集室ではアンチエイジングやダイエットなどオトナ女子の心と体の不調を解決する記事を配信中。ぜひチェックしてハッピーな毎日になりますように!取材・文:井村麻美3人の子どもを持つ主婦。毎日子育てと家事に奮闘中。40代に入り、より一層健康と美容に気をつかうようになりました。
2020年01月19日つわりの時期が終わると、だいぶ楽になる妊婦生活。体調や時間にゆとりが出てきたプレママさんたちのなかには、「妊娠中に何かできることってないかな? 」と考えている人もいるかもしれません。そこで今回は、私が妊娠中にやっておいてよかったことをご紹介します。 断捨離! 妊娠中に、いわゆる“巣ごもり本能”が働き、断捨離欲がムクムクとわいてきた私。「もういらないだろう」と思うものを、手あたり次第に処分しました。 産休に入ってからは時間もあったので、売れそうなものはネットオークションに出品して赤ちゃんグッズ購入用の資金に。大きめの家具や家電は、リサイクルショップの出張買取を利用しました。なかには値段が付かないものもありましたが、ごみとして捨てるにもお金がかかる時代。業者さんが持って帰ってくれるだけでありがたかったです。断捨離をすることにより家がスッキリしただけでなく、赤ちゃん用品を収納するスペースも確保できて一石二鳥! 赤ちゃんが生まれてからでは大変なので、妊娠中に思い切って断捨離しておいてよかったと思います。 保育園探し! 生後7カ月、4月入園のタイミングで仕事復帰する予定だった私。早いうちから動いておこうと、妊娠中から保育園探しをスタートしました。自宅周辺の保育園のなかからいくつかピックアップして、見学に。もちろん申し込むのは生まれてから決められた期間でしかできませんが、早いうちから保育園の様子を知ることができ、産後復帰のイメージもしやすかったです。産後初めての育児にバタバタしているなか、赤ちゃんを連れていくつもの保育園に見学に行くのは大変だったと思うので、産前に行っておいてよかったです。 とにかくしっかり遊んだ! 妊娠中の経過が順調だった私。1人目妊娠時は、周りの友だちはみんなまだ独身だったので、ごはんを食べに行ったり友だちの家に集まったりしてたくさん遊びました。「出産したら映画館にも行けなくなる!」と、映画にもよく行っていました。夫ともしっかりデートを楽しみました! 実際に出産してみると、思っていた以上に自分の時間なんてありません。妊娠中に子連れでは行けないような場所をしっかり楽しんでおいてよかったなぁと感じました。「しっかり遊んだから、これから子育て頑張るぞ! 」という気持ちにもなれたように思います。 出産して赤ちゃんのいる生活がスタートすると、思っていた以上に生活スタイルが変わります。 できること、行けるところも限られるようになりました。妊娠中に「今だからできること」をやっておいてよかったなと思っています。著者:久保田さや長女(小6)・長男(小1)・次男(2歳)の母。歯科衛生士。育児と仕事を両立しながら衛生士としてキャリアを積む。第3子出産後は、専門知識や子育て経験を中心に記事執筆を行う。
2020年01月19日インフルエンザの予防接種が推奨されるのは、生後6カ月以降ですが、当時1歳11カ月の次女と生後5カ月の長男は接種しないでいました。すると、まず次女がインフルエンザにかかり、その後一家全滅の危機に陥ったのです……。 1歳の次女がインフルエンザを発症2月の大雪が降る日に、高熱を出した次女。雪のなかどうにか小児科へ連れて行くと、インフルエンザB型と診断されました。タミフルドライシロップが処方されましたが、おいしくないようで飲ませるのに苦労しました。 やっぱり予防接種すればよかったな……と思っていたら、次にパパが高熱。夜間診療に行くと、こちらもインフルエンザB型。病院も予防接種も嫌いなパパに「ほら見たことか!」と現実を突きつけた感じでした。 生後5カ月の長男までが……その後、予防接種を受けていた長女(6歳)までが発症。「ほら、予防接種なんて意味ないじゃん」と言うパパにイラッとしていたら、最悪の事態発生。生後5カ月の長男も高熱を出し、インフルエンザに……。 医師からは「生後3カ月でかかってた子もいたよ~」と言われましたが、やっぱり心配です。こちらも体重に合わせたタミフルドライシロップを処方してもらい、育児用ミルクに混ぜてなんとか飲ませました。 タミフルがおいしくない……しかし、タミフルが本当においしくないようで、生後5カ月の長男は育児用ミルクを残すようになってしまいました。これではまずいぞ……と、最終手段。タミフルドライシロップを指示された量のお湯に溶き、スポイトで口に流し込む作戦。むせるわが子を見るとかわいそうになりますが、それしか方法がありませんでした。 結果的には私だけインフルエンザにかからなかったのですが、みんなの看病で疲れてしまい、最終的に自分も体調を崩すこととなりました。 小さな子どもは特に、予防接種を受けさせるかどうか迷うところ。医師の見解をよく理解し、納得いくインフルエンザ対策で、乗り切りたいところです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:imasaku著者:岩崎未来三児(女・女・男)の母。出版社・編集プロダクションの勤務を経たのち、第一子出産を機にフリーランスに。現在は会社役員という肩書きを持ちながらも、ライター・編集者としても活動中。
2020年01月18日私には生後10カ月の子どもがいます。なかなか寝てくれないのが悩みでしたが、先輩ママたちにアドバイスをもらって「お休みアイテム」を導入してみました。はじめは不安でしたが、思ったよりも成功して寝つきがよくなりました。わが家での体験談をもとに、私が感じたメリットとデメリットをお伝えします。 お休みアイテムとは?「お休みアイテム」とは、赤ちゃんが寝るときに、赤ちゃんのそばに置くだけで安心して眠ることができるアイテムのこと。特別なものではなく、身近にあるもので大丈夫です。 できれば赤ちゃんが気に入っているものだと、導入するときにうまくいきやすいようです。眠るときに使うアイテムなので、肌ざわりのいいタオルやお気に入りの本など、赤ちゃんにとって心地いいものを選ぶ人が多いようでした。 お休みアイテムの導入「お休みアイテム」の導入方法は、「選んだアイテムをお昼寝や夜、寝るときに必ずそばに置いておく」だけ。わが家ではオルゴール付きの犬のぬいぐるみをアイテムに選び、2週間ほど続けたところ、そばにあるだけで寝られるようになりました。 わが子は、生後9カ月後半~10カ月の間にお気に入りのアイテムが見つかりましたが、先輩ママさんたちのなかには、生まれてすぐに使っていたタオル地の枕が偶然「お休みアイテム」になったという人もいました。 お休みアイテムのメリットとデメリットメリットは、とにかく赤ちゃんの寝つきがよくなったことです。アイテムがあればママがいなくても眠れることもあるので、夫や実家に預けやすくなりました。デメリットは、アイテムがないと寝れないため、外出時に持ち歩かなくてはならないことです。かばんに入らないサイズのアイテムにするとすごく困りました。 アイテムを選ぶときのポイントは、「持ち運べること」と「洗えること」。タオルやかばんに入るサイズのタオル地のぬいぐるみなどが使いやすいと感じました。 赤ちゃんの成長のために、21時までには寝てほしいと考えてる人は多いのではないでしょうか。「お休みアイテム」の導入がうまくいくかは個人差があると思いますが、試す価値はあるかもしれません。 ※ぬいぐるみなどを枕元に置きっぱなしにすると赤ちゃんが窒息する恐れがあるので、寝かしつけの最中は目を話さず、寝ついたら赤ちゃんの傍から外しましょう。 著者:富士ちあき一児の母。子宮筋腫や切迫早産を経験しながらも無事に男の子を出産。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年01月17日すべての出産に何かしらのドラマがあります。私の場合、1人目と2人目ではまったく違うドラマがありました。さらに、2人目のときは少し不思議な体験をしたのです……。 初めての出産は激痛とともに…1人目は出産予定日より1週間早い出産でした。早朝に違和感を覚えてトイレに行ってみると、おしるしらしきものが! 初めての出産でそれがおしるしだという自信はなかったのですが、病院に電話したところ診察をしてくださるとのことだったので、夫の運転で病院へ。 最初は何も感じなかったのに、病院までの道すがらどんどん息苦しさと痛みを感じだしました。そこからはもう痛くて痛くて、自分の腕を爪で引っ掻き、痛みを紛らわすぐらいの痛みでした。産後、爪痕が残っている腕を見た友人たちがかなり驚いていました。 2人目計画! でも痛いのは…1人目の子どもが1歳を迎えて少し落ち着いてきたころ、2人目を考えるようになりました。でも……あの痛みはもう……!! そこで、無痛分娩ができて子どもがお見舞いに来られる産院を選びました。今度は大丈夫、痛くない! と思いながらも、おなかが大きくなるにつれて陣痛を思い出すようになりました。すでに陣痛を体験しているからこそ、1人目よりも緊張していたかもしれません。小さな長男と2人きりのときに陣痛が来てしまったら長男を怖がらせてしまう。できることなら、1人目を出産したときにマッサージをしてくれた夫がいる日に産みたい。など、いつ来るかわからない陣痛に不安になりながら、入院の準備をしていました。 来た! それは満月の夜でした。出産予定日の2週間前、あと少しで上の子とはしばらく遊べなくなってしまうと思い、家族でお花見に行きました。家族で桜と露店を楽しんで帰宅すると、なんだか頭がフワフワとして、それなのにおなかはぎゅっと締め付けられるような感覚……。 そして、なぜだか猛烈に「生まれる!」と感じ、産院へ。診察の結果、破水していることがわかり、すぐさま麻酔の準備をしていただきました。そこからが実際に生まれてくるまでは1人目のときよりも長かったのですが、麻酔のおかげで(麻酔をかけるときは痛かったですが)、痛みはほとんどなく出産することができました。 産後少し落ち着いてから助産師さんと話していたところ、大きくはない産院で昨夜だけで5人の赤ちゃんが生まれたとのことでした。なんでも、満月の夜はとても出産件数が多いのだとか! 自然の不思議な力を感じた出産でした。 著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年01月15日妊活中は子どもが欲しい一心で、排卵時期には可能な限り頑張ったものです。ところが、おなかの中に赤ちゃんがいると思うと、したくない気持ちが強くなりました。今回は、私が経験した、妊娠中のセックスライフについてお伝えします。 妊娠した途端にセックスが嫌になった私たち夫婦は、妊娠をした途端にセックスをしなくなりました。私がまったく性欲がわかなくなってしまったのです。自分のおなかの中に命が芽生えたと思うと、セックスなんてできない。私の心は女から母へと変化していたのでしょう。 こういった心の変化は人間の本能でもあると思います。セックスをすることで赤ちゃんに何かあったらいけない、守ってあげなくちゃと感じるのは自然なことではないでしょうか。 夫の気持ちを置いてけぼりにしていたつい最近までセックスのある生活をしていたのに、妊娠してからピタッとなくなる……。夫の気持ちを考えると、少しさみしかったかもしれません。当時は相手の気持ちを考える余裕がありませんでしたが、今思うと夫の気持ちを置いてけぼりにしていたと感じます。 性欲が低下したのは私だけ。夫は今までどおりのセックスライフを過ごしたかったはずです。お互いの気持ちを理解し合おうとする姿勢が必要だったと感じます。 神経質になる必要はないけれど無理は禁物妊娠中のセックスが流産や早産の引き金になってしまうのでは?と、赤ちゃんへの影響を心配していましたが、実際のところ、そこまで神経質になる必要はないのだそう。私が通っていた産婦人科の先生は「安定期に入り、経過も順調で元気な妊婦さんであれば問題なし」と言っていました。 一度だけチャレンジしたことがありますが、緊張して苦痛に感じてしまいました。夫に正直な気持ちを伝えると、理解してもらえたのでありがたいと感じました。 夫婦同じ気持ちになることもあれば、すれ違うこともあります。難しい問題ですが、相手の気持ちを理解し合う関係性を築くきっかけにもなると感じました。思いを一方的に押し付けるのではなく、相手を思いやる気持ちを持っていたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2020年01月15日妊娠して初めて、「会陰切開」という言葉を知りました。体験談を読んでみると、どれも背筋がゾクゾクしてしまうような内容で不安だったのですが、必ずしも必要な処置ではないと知り安心していました。しかし、甘く見ていたのが悲劇の始まり……。会陰切開の痛みに苦しんだ入院生活の話をお伝えします。 会陰切開の痛みはそれほどでもなく…「じゃあ、切開するよ」。お産もあとひと息というころ、先生は突然言いました。拒否する余裕も悩む暇もなく、着々と会陰切開の準備が進んでいき、切開前の麻酔はチクっとした痛みを感じただけでした。そして切開は陣痛のピークに合わせておこなわれ、やはり痛みはありましたが「あ、今切られたな」という感覚のほうが印象的でした。「陣痛のほうが痛い」という助産師さんの言葉通り、切開時の痛みはささやかなものに思えたのです。 あらゆる日常生活が困難になるほどの痛み産後は陣痛も会陰切開も乗り越え、すべての痛みから解放されたと安堵したのも束の間でした。何をするにもとにかく縫合部が痛い! ベッドの上では微動だにできなかったのです。病院から借りたドーナツ型クッションも役には立たず、食事は立食スタイル。処方された鎮痛薬も、飲んだところで痛みは和らぎませんでした。そして入院生活中、最も怖かったのがトイレです。出産して便秘が解消したのはよかったものの、排便時に縫合部が避けるような痛みに襲われ、1日に何度もトイレで悶絶する羽目になったのです。 痛くて当たり前と思って我慢してしまった人体の一部を切断するのですから、痛くないはずがありません。耐えるしかないと思い、毎日病室に来てくれる助産師さんにも相談できずにいました。しかし、退院時の診察で縫合部を見た先生に、「あまりにも痛そうだ」と言われ抜糸することに。私の場合、どうやら痛みが強く現れていたようなのです。抜糸の必要がない糸を使用したようですが、抜糸することで痛みが和らぐと教えてもらいました。実際、多少の痛みは残ったのですが、比較的スムーズに歩けるようになりました。 助産師さんに相談すればよかった…事の顛末を助産師さんに話すと、ドーナツ型クッション以外に座面がU字になっている椅子もあると教えてくれました。それで痛みが軽くなるかもしれないと言われましたが、後の祭りでした。もっと早くに助産師さんに相談すればよかったと痛感。「そのうち痛みなんて忘れて、2人目欲しいって思うから」と助産師さんに慰められても、あんな痛みを経験したばかりだったので信じられませんでした。 でも日にちが経てば、痛みに悶絶した日々もいい思い出に。気がつくと、2人目もいいなあと考えるようになっていました。今では会陰切開の痛みも含めて、出産という貴重な経験ができてよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:結城あかね1歳男児の母。登録販売者としてドラッグストアに勤務。現在は育休中。これまでの経験をもとに、子育て・恋愛・ライフスタイルに関する記事を執筆している。
2020年01月14日赤ちゃんが生後8カ月のころ、私が離乳食をあげると必ずといっていいほど「ぶうううう!」と、口から食べ物を飛ばしました。遊び食べは対応に困ってしまううえに、定着すると大変ですよね。今回は、私が実践した遊び食べ対処法をご紹介します。 1.赤ちゃんと食事の時間を一緒にしたわが子は、ひとりで食事をするときと、家族みんなで食事をするときで、反応が違います。周りも食事をしていると「もっと!」と手を伸ばしてきて食欲旺盛ですが、ひとりのときは、おもちゃなどに気を取られてしまいます。 一緒に食べることで「ごはんの時間」であるという認識がつき、あまり遊ばなくなりました。赤ちゃんの食事の時間は少し早めですが、なるべくみんな一緒に食べられるように努力しました。 2.食べ物で遊んでも怒らないようにした私がもう1つ実践していたのは「怒らない」ということです。食事のときに限らず、私が驚いたり怒ったりすると、赤ちゃんは反応してくれたことがうれしくて「きゃはは!」と笑って喜んでしまいます。 そこで、赤ちゃんが食べ物で遊んでも怒らず、静かに見守ることにしました。食べ物を「ぶううう!」と飛ばされると、思わず注意したくなりますが、顔に米粒がついても静かに食べてくれるまで待つことが日課になりました。 3.食事の時間が合わないときは食べるまねをしたなるべく一緒の時間に食事をするようにしていましたが、大人の食事の時間とズレてしまうこともありました。そんなときは食べるまねをするだけでも、赤ちゃんは興味を持って静かに見てくれました。 間髪入れずに赤ちゃんに食べ物を差し出すと、うまく食べてくれました。「おいしいね~」「もぐもぐ」「あ~ん」と、声をかけながら進めることも効果的でした! 赤ちゃんの遊び食べに困った私が実践した対処法についてご紹介しました。離乳食を食べてくれないと心配になりますが、赤ちゃんのペースに合わせてじっくりゆっくり進めていけるといいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて専門家に相談しながら、お子さまの成長に合ったご対応をお願いいたします。 著者:今井さくら一児(女の子)の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年01月14日私は、身長も体重も平均値で、妊娠後も食べたいときや食べられるときに好きなものを食べていました。そんな油断ばかりのマタニティライフでしたが、妊娠後期になって急な体重増加が……。急な体重増加を抑えるために私がおこなった体重管理の方法をご紹介します。 妊娠中の体重管理私の通院していた産婦人科では、「出産時の体重は妊娠前の体重プラス10kgに抑えましょう」と説明され、体重管理に関して少し厳しい病院でした。私は妊娠後も大きく食事量を変えることなく、妊娠中期の体重も妊娠前の体重プラス5kg未満だったため、まったく体重管理をしていませんでした。 ところが、油断していた妊娠後期から体重が急に増加し始めてしまったのです。さらには、体重が増え始めてからむくみを感じるようになってしまいました。案の定、健診で体重増加を指摘されてしまいました。 妊娠後期の体重増加のリスク妊娠したことで体重が増えるのは自然なことですが、急激な体重増加は妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病のリスクを高めたり、出産に悪影響を及ぼす可能性もあるそうです。そのため、体重増加をゆるやかなものにしなければなりませんでした。 私の場合、病院では「1週間で体重増加を500g未満」にするように指導されました。妊娠中は減量ではなく、体重の増加を抑えることが必要なのだそうです。 妊娠後期の体重増加を抑えるためにまず心がけたことは、食材選びです。低カロリーで栄養素の高い海藻やきのこを増やし、3食必ず食べ、野菜ジュースを生野菜や蒸し野菜に替え、いつも以上にたくさん噛むように心がけました。 また、手足のむくみがひどかったため、塩分制限のレシピを見ながら塩分控えめの献立を取り入れました。塩分を控えすぎることもよくないため、助産師さんに相談しながら、自分に合った食事を見つけることが大切だと感じました。 BMIによって、妊娠中に増加してもいい体重の範囲は異なります。そのため、妊娠中は体重を減らすダイエットではなく、急激な体重増加を防ぐ体重管理がとても大切です。自己判断ではなく、助産師や周囲の人に相談しながら無理のない体重管理を心がけたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:手塚みく三兄弟の母。義父母と同居し、異母兄弟の母として毎日奮闘中。妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆をおこなう。
2020年01月14日とうとうやってきた出産の日。陣痛の間隔が狭まり、人生初の分娩台へ。いまだかつて経験したことのない陣痛の痛み、出産という恐怖に、緊張して体が固まっていました。そんな私が赤ちゃんを産むまでの体験談を紹介します。 初めての出産! 緊張して体がガチガチに分娩台へ移動したとき、私の緊張は最高潮に達していました。人生で初めて経験する陣痛の痛み、そして出産という未知の世界。頭の中は「恐怖」でいっぱいでした。 今だからこそ言えることですが、緊張で硬直した体だと、陣痛の痛みを感じやすくなるうえにじょうずにいきめません。私の呼吸はどんどん荒くなり、手足はしびれていました。助産師さんは「そんな呼吸だと酸素が体中に行き渡らない。赤ちゃんも苦しいよ!」と言っていました。 いきみ方がわからない!助産師さんからアドバイスをもらい、陣痛がきたら「うー」と声を出しながらいきみを逃し、陣痛の波がおさまったら深く深呼吸をしました。呼吸を整えると、手足のしびれがなくなりました。その後、「いきんでいいよ」という助産師さんの合図にあわせて力を入れます。しかしじょうずにいきめません。 コツをつかむとスムーズにそのとき助産師さんから、背中と腰は分娩台から浮かさずに、あごを引き、おへそのほうをのぞき込む姿勢を意識するように言われました。両足は外側に力を踏み込みます。あとは赤ちゃんが産道を降りてくるイメージをしながらいきむ! 助産師さんの言われた通りにやってみると、「その調子!」と助産師さんが励ましてくれました。いきむコツをつかむとスムーズになり、5回ほどいきんだあとに赤ちゃんがスルリと出てきました。 いきんでいる間は、ママにとって苦しい時間です。ただ、それは赤ちゃんも同じ。いきんでいる間、赤ちゃんもストレスを感じると聞きました。助産師さん、そして赤ちゃんも一緒だということを胸に出産を乗り切りたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2020年01月13日私が新米ママだったころ、子どもの歯に関して無知だったため、虫歯は「黒色」で、それが広がっていくのだと思っていました。そのせいもあって、4人の子どものうち、上の子どもたちにはたくさんの虫歯が……。今回は、私が子どもの虫歯予防に奮闘し、小児歯科でほめられるようになるまでの体験談を紹介します。 おやつばかり与えていた…私は20代前半で長男と次男を年子で産み、毎日の子育てにいっぱいいっぱいでした。そんななか、電車で8時間ほどの距離にある実家に里帰りをして、3人目を出産。 自宅になかなか帰れない環境がストレスのようで、子どもたちは毎日泣いてばかりいました。そのような状況もあって、私は子どもが泣くと甘いおやつやジュースを与えてしまっていました。それでも自分なりに毎日仕上げ磨きをしていたので、虫歯とは無縁だと思っていたのです。 虫歯は黒いだけではなかった!自宅に戻り落ち着いたときに、ふと子どもの歯を見るとポツンと黒い点が。何かはさまっているのかな?と思うほど小さなものでしたが、気になったので初めて息子2人を小児歯科に連れていきました。 小児歯科での診断は虫歯。しかも、あちこち歯が白濁しており「白いところは全部初期虫歯だよ」と言われてショックを受けました。虫歯は白→黄→茶→黒と色が変化していくようです。小さな黒い点と思っていた虫歯も、削ってみたら奥のほうまで広がっていました。 「虫歯になったのは、お母さんの責任」小児歯科医からは、「虫歯になったのは、お母さんの責任」とはっきり言われ、落ち込みました。同時に「あめ・ガム・チョコ・ジュースの禁止」を言い渡され、以降は禁止事項を守りつつ、仕上げ磨きとフロス、フッ素塗布でしっかり虫歯予防をしました。 現在、息子2人は小学生になり、ほとんど永久歯に生え変わりましたが虫歯はなく、「永久歯でこの状態なら完璧」と小児歯科でほめられるほどに! 今後も、虫歯にならないように、きちんとした仕上げ磨きを心がけていこうと思っています。 小児歯科医には、小学校3年生までは親の仕上げ磨きが必要だと言われました。外出中などの歯磨きができない状況のときは、何か食べたあとにお茶やお水を飲ませるようにもしています。毎日の習慣が虫歯予防に効果的だと実感しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:武山あゆみ三男一女の母。ワンオペ育児に奮闘するかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年01月12日私は医師なのですが、独身のときは平日・休日関わらず出勤していました。しかし子どもが生まれてからは休日は割り切って休むことにしていたのです。しかし、休日に子どもと外出中、職場から電話が! 急な呼び出しで出勤しないわけにはいかず、その足で職場に向かうことになってしまったのです……。 休日に職場から連絡がその日は2〜3カ月前からの約束で、子どもが生まれた友人に久しぶりに会うことになっていてとても楽しみにしていました。うちの子は1歳半になっていましたが、産後5カ月で復職したあとは、週末に緊急で呼び出されることもほぼありませんでした。その日もきっと呼び出しはないだろうと高をくくっていたのです。子どもを連れて友人に会い、楽しいひと時を過ごしたところまでは順調でした。しかし雨が降っていたので、屋内で遊べるところへ移動することに。そのとき携帯を見ると、職場からの着信履歴が! 折り返すと急な呼び出しだった!嫌な予感がしつつも職場に折り返しの電話をすると、やはり急に行かなければいけない状況でした。子どもを家に預けに帰る時間はありません。久しぶりに会えたママ友に泣く泣く別れを告げ、電車に乗り込みました。家から職場へ行くよりもさらに遠い場所に出かけてしまったので、いつもより長い乗車時間に。幸い子どもは寝てしまったので、電車でぐずることはなく職場に到着することができました。 職場の後輩に子守りをしてもらうことにその日は休日でしたが、独身時代の自分同様に後輩が何人も出勤していました。ありがたいことに、私が仕事をしている間は後輩が子どもの相手をしてくれることに……。子どもは知らない場所、知らない人ばかりのなかにひとりだったので、最初は泣き声が聞こえて気になっていました。後輩があやしてくれていたのは1時間程度の間でしたが、私が戻るころには泣きやんでいました。後輩がお絵描きや紙飛行機など一緒に遊んでくれて、すっかり子どもがなついていたのでびっくり!後輩の仕事を中断させてしまったのはとても申し訳なかったですが、嫌な顔をせず子どもをみてくれてとてもありがたかったです。 子どもにとっては印象深いできごとに子どもにとって親の職場に一緒に行くというのはとても興味深いできごとだったようです。自分としては子どもと一緒に出勤するのは気も散るし、仕事に集中できない、子どもを好きなように遊ばせてあげられないとマイナスに考えていました。しかし、数カ月たったあとでも思い出したように、「お母さんのお仕事のところに行ったよね」と言っています。なかなか子どもを職場に連れていくことはありませんが、仕事をしている姿を直接見せるいい機会になりました。 普段職場で子どもの話をしていましたし、良好な人間関係を築けていたおかげでスムーズにみてもらえたと思っています。子連れで出勤することになり少し焦ってしまいましたが、期せずして子どもに職場をみせられたのはいい経験だったと思っています。 監修/助産師REIKO著者:小林 みよこ未就学児3人(男1、女2)の母。フルタイム勤務で仕事と育児のバランスにモヤモヤしながらも3人の子育てを楽しんでいる。仕事経験を生かしたメディカルライター、育児系メディアでも執筆中。
2020年01月12日肉や魚、野菜も好き嫌いなく何でも食べる娘の姿を見て「どうして好き嫌いがないの?」と友人によく聞かれます。わが家では、娘が「食」に興味を持ったきっかけと思われる、乳幼児期におこなっていた習慣がありました。今回はその習慣を紹介します。 ママがおいしそうに食べる表情は大切子育てを振り返ると、娘を産んでからの私は1日3回の食事とは別に軽食をとっていました。なぜかというと、娘に母乳を与えると空腹になるからです。母乳を与えながらきゅうりやちくわなど片手で食べられるものを、「あぁこのきゅうり(ちくわ)、おいしい」と娘に話しかけながら食べていました。 生後4カ月くらいのときの娘は、母乳を飲みながら時折、私が食べている食べ物に手を伸ばすようになった記憶があります。 食に興味を持ったタイミングで離乳食スタート生後5カ月になったばかりのころ、保育園の先生から「はぁちゃん、ミルクじゃなくて離乳食に興味があるみたいなんです」と言われました。 月齢に差があるクラスで離乳食を食べているお友だちの姿を目で追うようになったこと、生後4カ月のころから食べ物に興味を示すようになっていたこともあり、保育園の給食を育児用ミルクから離乳食に変更してもらいました。 スムーズに離乳食をスタートできたのは、娘の様子を見てくれる保育士さんの協力があったからだと感謝しています。 保育園帰りに買い物で野菜の名前を覚える0歳児から保育園に預けていたので仕事先から保育園へお迎えに行き、その帰りにスーパーで買い物をするというのが習慣でした。買い物中は、前向き抱っこをして「これはおいしいにんじんだよ」などと娘に食材を見せて常にコミュニケーションをとります。 歩き始めた1歳のころには野菜をカゴに入れるお手伝いをしてくれるようになりました。カゴに入れるときに「トマト」「キューキュ(きゅうり)」などと話すようになったので、野菜の名前を覚えているんだなぁと感心しました。 台所のお手伝いは1歳から台所で食事を作る私にずっとくっついていた娘に、「レタス剥いてみる?」とお手伝いをしてもらったのは1歳になったばかりのころです。娘に初めて包丁を持たせたのは1歳の終わりごろでした。一緒に食事の用意をしながら、野菜や魚の話をよくしました。 そのころ娘がお気に入りだった本は、野菜の絵が大きく描かれた絵本や魚の図鑑でした。 野菜に触れることで興味を持つようになってくれた、とうれしくなったのを覚えています。 現在、小学生の娘の夢は「シェフになること」です。私がおいしそうに食事する姿を見て、「食べることは楽しいこと」が娘に伝わっていたのだと思います。また、食材を身近にすることで娘は「食」に興味を持ち、自然と好き嫌いのない子になりました。 監修/助産師REIKO 著者:佐藤つかさ軽度発達障がいの1女の母。子育てに迷いながらも最後は楽しむことをモットーにしている。農業の経験を活かした野菜のコラムや大好きな芸能関係の執筆などフリーランスとして活動中。
2020年01月11日