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有限会社寺内デザインオフィス(所在地:東京都港区南青山、代表:寺内 ユミ)は、プロダクトデザイナー 寺内 ユミが出版したアートブック“There I sense something”が第25回日本自費出版文化賞の最優秀である“大賞”を受賞、これを記念したイベントを開催することをお知らせします。同社は、日本の伝統工芸と現代美術を融合し、現代の生活に溶け込む生活用品のデザインやブランディングをしています。作品を通して伝統工芸を伝えるアートブック“There I sense something”を2022年4月に発刊しました。アートブック/There i sense something_1第25回日本自費出版文化賞(一般社団法人日本グラフィックサービス工業会主催、NPO法人日本自費出版ネットワーク主管)の最終選考結果発表会が2022年9月7日、東京の吉祥寺東急REIホテルにおいて開催され、大賞をはじめ部門賞、特別賞受賞作品が決定しました。721点の応募作品の中から二次選考を通過した70作品について、7名の審査員が審査を実施。その結果、第25回日本自費出版文化賞・大賞は、グラフィック部門から寺内 ユミの作品「There I sense something」が選ばれました。表彰式については2022年11月12日、アルカディア市ヶ谷において開催されます。■目指したのはプロダクトのようなアートブックこの作品集は、工芸のプロダクトデザインをする中で、私自身が体験した感動を皆さまにもお伝えしたい、共有したいという思いから、会社設立20周年という節目に出版いたしました。制作するにあたり、当初から作品が淡々と並び、詳細な解説が掲載されているような作品集のイメージが湧かず、私はこの本で何ができるか、今の私に何ができるかを考えていました。そこで辿り着いた答えが、五感を刺激する“プロダクトのような本”であり、“本のようなプロダクト”でした。それはつまりページをめくって感じる紙の手触りや、インクの匂い、そして何よりもその本を持っているという喜びこそが、アートブックの存在価値だと思ったからです。私は、日頃からプロダクトデザインで重要視している置いた時の佇まいや、そこにあるものをあるがままに“感じられる”ことを意識し、作品集の制作を進めていきました。撮影は写真家・越谷 喜隆氏に依頼し、この作品集のためにすべて撮り下ろしました。越谷氏と共に全国各地の工房を訪ねた撮影の旅は、走行距離3,000km以上の長旅となりました。その旅は、職人たちの真摯な姿を撮影するだけではなく、時には山の中に入ったり、雨が降る中で馬小屋を探し歩いたり、夜空に月が浮かぶまで待ったりと、その土地ならではの空気を感じるものでした。その中で越谷氏は偶然の出逢いを見逃さず、一瞬一瞬を大切に切り取ってくれました。その感性は素晴らしく、クリエイターの一人としてとても尊敬しています。越谷氏が映し出す深く美しく優しい世界から、日本のものづくりの背景や工芸の素晴らしさを再認識していただけると思います。そして、時間を見つけて撮影の旅に合流してくださった、プロジェクトエディターの松浦 麻沙子さんと共に過ごした時間もかけがえのないものでした。アートブック/There i sense something_2日本は海と山に囲まれた自然豊かな国です。私たちはその中で独自の風土や文化を育み、繊細な美意識によって多くの物を作り出してきました。それらは、竹、木、硝子、錫、和紙、土といった多様な素材が用いられ、優れた技術を持つ職人の手によって、今も脈々と息づいています。私は彼らの仕事を通して、ものづくりの本質に触れ、知ることができた時、何ともいえない深い感動を覚えます。その感動に突き動かされるように、私は作品を生み出し続けているといっても過言ではありません。伝統や風習を尊重しながらも、そこに捉われることなく、この先も美しく在り続けることを願い、常に本質を大切に、忘れないように心掛けています。このアートブックも同じように、私たちが大切にしていることをしっかり伝え、手に取った方に癒しと笑顔を与えられる一冊になったら──。また本を閉じた後に心地よい余韻に浸っていただけたら──。そして、このアートブックを通して、日本人としてのアイデンティティが満たされると共に、日本のものづくりが素晴らしいことを世界中の人たちに知ってもらう機会になったら──。私はこれほど嬉しいことはありません。制作にあたり、各地の工房の方たちが時間を惜しまずに協力してくださいました。また制作スタッフの一人一人が感性と熱意を注いでくれました。誰一人欠けても、この本を作ることはできなかったと思います。ご協力いただいた13の工房と関係者の皆様、制作スタッフの皆様、そして応援してくれた家族や友人たちにも心より感謝申し上げます。■第25回日本自費出版文化賞“大賞”を記念して、イベントを開催!hueLe Museum GINZA SIX店 店内の雰囲気<YUMI TERAUCHI Product Design Collection>開催日:2022年11月3日(木)~11月20日(日) 10:30~20:30場所 :hueLe Museum GINZA SIX店〒104-0061 東京都中央区銀座6丁目10-1 GINZA SIX 4F日本中の優れた技術・伝統を残すために、寺内 ユミがデザインをしてきた作品たちを展示。今回は自身初となるアートブック“There I sense something”も展示販売いたします。アートブックに登場するアイテムとリアルに出逢える貴重な機会となります。Style Meets People/2022年春の初出版記念イベント展示風景<TOKIWAGI annex>開催日:2022年11月10日(木)~11月23日(水) 11:00~20:00場所 :Style Meets People〒107-0052 東京都港区赤坂9丁目7-4 東京ミッドタウン Galleria3F今春、初出版したアートブック/作品集“There I sense something(そこにあるなにか)”の第25回日本自費出版文化賞「大賞」受賞を記念したイベントを開催。アートブックをはじめ、掲載された象徴的な工芸作品、写真(風景写真家越谷 喜隆氏の限定オリジナル作品)の一部を展示販売いたします。アートブックはプロダクトデザイナーの寺内 ユミが20年にわたり製作した工芸作品の集大成。そして、その先も工芸、日本の手仕事と向き合い、ライフワークとして活動する想いを象徴しています。※TOKIWAGI annexTOKIWAGI(トキワギ)は、寺内ユミのコンセプトを基に手掛けた作品や企画展などを通して様々な角度から新しい工芸を伝えるギャラリー。annexは、ad(方向)とnectere(つなぐ)に由来し、今後もStyle Meets Peopleとコラボレーションする企画展を開催してまいります。TOKIWAGIの店内<There I sense something>開催日 :~2022年11月6日(日)場所 :TOKIWAGI (トキワギ)〒847-0012 佐賀県唐津市大名小路1-45 寺内ビル1Fオープンデイ:土曜と日曜日 12:00-18:00寺内 ユミのアートブック“There I sense something(そこにある何か)”の第25回日本自費出版文化賞“大賞”受賞を記念して、アートブックに登場するアイテムと共に、期間限定で風景写真家 Yoshitaka Koshiya/越谷 喜隆氏のファインアートのオリジナル写真作品を展示販売いたします。■プロフィールYumi Terauchiクリエイティブディレクション、プロダクトデザイン、インテリアデザインなどライフスタイル関連のデザインの業務を多数おこなっている。Francfranc創業メンバーとして活躍し、1999年に独立、2002年に有限会社寺内デザインオフィスを設立。日本や和の文化を今のライフスタイルに即した新業態を立ち上げるなど、日本の手仕事に造詣が深い。プロダクトデザインでは工芸に携わり、グッドデザイン賞やドイツのRed Dot賞などのデザインアワードを多数受賞している。第25回日本自費出版文化賞“大賞”を受賞。2022年9月、佐賀県唐津市にコンセプトストアとして、ギャラリー「TOKIWAGI(トキワギ)」をオープン。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年11月01日この度、プロダクトデザイナー 寺内 ユミが、佐賀県唐津市にコンセプトストアとしてギャラリー「TOKIWAGI(トキワギ)」を2022年9月23日(金)にオープンします。有限会社寺内デザインオフィス(所在地:東京都港区南青山、代表:寺内 ユミ)は、日本の伝統工芸と現代美術を融合し、現代の生活に溶け込む生活用品をデザイン、ブランディングしています。作品を通して伝統工芸を伝えるアートブック“There I sense something”が第25回日本自費出版文化賞の最優秀賞である大賞を受賞。今後更に「TOKIWAGI(トキワギ)」を通して、様々な角度から工芸の魅力を伝えていきます。TOKIWAGI_Interior1【TOKIWAGI(トキワギ)】所在地 :佐賀県唐津市大名小路1-45 寺内ビル1F開店日 :2022年9月23日(金) 12:00~18:00通常のオープンデイ:土曜日と日曜日■地域に根ざした発信拠点「TOKIWAGI(トキワギ)」への想い佐賀県唐津市は、九州の北西部に位置し、古代より唐(から)など大陸への玄関口として栄えてきました。江戸時代は唐津藩の城下町として栄え、古い歴史を誇る伝統工芸「唐津焼」があり、約400年も前から伝わる大祭「唐津くんち」があり、文化を育みながらも海や山・川といった自然豊かな美しいエリアです。そして、ここ唐津には、日本三大松原のひとつに数えられる景勝地である虹の松原があります。防風・防潮のため、海岸線の砂丘にクロマツを植林したのがはじまりとされ、約100万本のクロマツが群生しています。TOKIWAGI(トキワギ)の名前はここから由来しています。常に変化を続けることで不変の姿を保ち続ける常盤木である「松」のようにあり続けたいという想いです。佐賀県唐津市西の浜佐賀県唐津市は、寺内 ユミの生まれ故郷です。小さな頃から慣れ親しんだ町で、地域の良さを活かしたアートとクラフトをテーマに様々な角度で発信していきます。ギャラリーでは、寺内 ユミが携わったアイテムを展開すると共に企画展などを開催していきます。現代的なアート、デザイン、クラフトに興味を持っていただき、豊かな生活づくりのお役に立てたり、きっかけづくりになってくれることを願いご紹介していきます。2024年には、TOKIWAGI(トキワギ)の、詩的な現代工芸ブランドを立ちあげていく予定です。唐津の市街地にある小さなスペースですが、今後は、地域の皆さまにも助言をいただきながら、チャレンジする人々が集まる、新しいモノコトがはじまる発信拠点としても育んでいきたいと思います。今回オープンするギャラリーは、その第一歩となります。■オープンを記念して初の企画展“There I sense something”を開催。There I sense something開催日 :2022年9月23日(金)~11月6日(日)場所 :TOKIWAGI(トキワギ)オープンデイ:土曜と日曜日 12:00~18:00TOKIWAGI_Presentation寺内 ユミのアートブック“There I sense something(そこにある何か)”の第25回日本自費出版文化賞“大賞”受賞を記念して、アートブックに登場するアイテムと共に、期間限定で風景写真家 Yoshitaka Koshiya/越谷 喜隆氏のファインアートのオリジナル写真作品※を展示販売いたします。※越谷氏が印刷するオリジナルアーカイブプリント(各限定 5点)Yoshitaka KoshiyaYoshitaka Koshiya/越谷 喜隆 写真家。日本の美を追い求めた岩宮 武二氏に師事東京で広告写真(1972~2013)として活動する傍ら、2006年より作家活動にて国内外を旅して風景写真を撮影している。プリントは全て自身が行い、その絵画的な繊細な美しさが際立つ色調が秀逸。自由に海外への撮影旅行がかなわない現在では、長年撮りためた膨大な写真のアーカイブ制作、プリント技巧に磨きをかける日々、その合間を縫って愛車で風景と対話しながら国内を旅し、精力的に撮影を続けている。■アートブック“There I sense something”が第25回日本自費出版文化賞“大賞”を受賞第25回日本自費出版文化賞(日本グラフィックサービス工業会主催、朝日新聞社など後援)の各賞が9月7日に発表された。今回は、721点の応募作品の中から二次選考を通過した70作品について、鎌田 慧選考委員長をはじめとする7名の審査員が審査を実施。その結果、第25回日本自費出版文化賞・大賞は、グラフィック部門からアートブック“There I sense something”を選出。表彰式については11月12日、アルカディア市ヶ谷において開催を予定している。There I sense something_1There I sense something_2アートブック“There I sense something”は、伝統的な工芸品が、これから先も美しく在り続けることを願って作品を生み出し続けている寺内 ユミが、工芸品の背景に佇む“そこにある何か”- 素材を活かす職人の真摯なものづくりを“形”として表現したアートブックである。■プロダクトデザイナー寺内 ユミが手掛ける現代に生きる伝統工芸たちを感じていただく<プロダクトデザインをするにあたり大切にしていること>私は、伝統的な工芸品が、これから先も美しく在り続けることを願って作品を生み出し続けてます。工芸品の背景に佇む そこにある何か - 素材を活かす職人の真摯なものづくりを“形”として表現する。日本の繊細な美意識を育んできた、その土地ならではの風土や文化は、海と山に囲まれた豊かな自然が産み出しました。そして古より、暮らしの中で愛着を持って使われて来た美しいものがある。竹、木、ガラス、錫、和紙、陶磁器等、それぞれの素材の持ち味がある。形、色、手に馴染む質感、感触。そこには共通して素材を活かす職人の真摯なものづくり、技術に支えられた手仕事の軌跡がある。それらを作品に落とし込み、現代に生きる方々へ伝えていく。私はものづくりを通して、その本質に触れ、知ることができた時、なんとも言えない深い感動を覚え、その感動に突き動かされて、今私が必要としている感覚を投影しながら、これから先も美しく在り続けることを願って作品を生み出し続けています。そして伝統や風習を尊重しながら、それらとともに、本質 -そこにある何か- を捉えることを大切に、自然や情景、日本の美意識を大切にし、プロダクトを発信しています。TOKIWAGI_Interior2■概要名称 : TOKIWAGI(トキワギ)オープン日 : 2022年9月23日(金)所在地 : 〒847-0012 佐賀県唐津市大名小路1-45 寺内ビル1F通常のオープンデイ: 土曜日と日曜日 12:00~18:00連絡先 : info@tokiwagi.work <アクセス>アクセス福岡→唐津地下鉄・JR:福岡空港より地下鉄・JR 筑肥線で「唐津駅」下車。唐津駅北口より徒歩約8分。バス :福岡空港・博多・天神より昭和バスからつ号で「唐津大手口バスセンター」下車。徒歩約3分。車 :福岡空港・博多・天神方面より約1時間。佐賀→唐津JR :佐賀駅より JR 唐津線で「唐津駅」下車。唐津駅北口より徒歩約8分。バス:佐賀バスセンターより昭和バスで「唐津大手口バスセンター」下車。徒歩約3分。車 :佐賀空港より約1時間10分。Yumi Terauchi<クリエイティブディレクター・デザイナー 寺内 ユミ>クリエイティブディレクション、プロダクトデザイン、インテリアデザインなどライフスタイル関連のデザインの業務を多数おこなっている。Francfranc創業メンバーとして活躍し、1999年に独立、2002年に有限会社寺内デザインオフィスを設立。日本や和の文化を今のライフスタイルに即した新業態を立ち上げるなど、日本の手仕事に造詣が深い。プロダクトデザインでは工芸に携わり、グッドデザイン賞やドイツのRed Dot Design Awardなどのデザインアワードを多数受賞している。第25回日本自費出版文化賞“大賞”を受賞。■会社概要有限会社寺内デザインオフィス所在地: 〒107-0062 東京都港区南青山2丁目2-16 UCF917代表 : 寺内 ユミTel : 03-6403-0179Mail : info@t-designoffice.co.jp 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年09月21日作曲家の小林亜星さんが亡くなっていたと、6月14日に発表された。死因は心不全で、88歳だった。都はるみ(73)の『北の宿から』や童謡『あわてんぼうのサンタクロース』など、数々の名メロディを生み出した小林さん。そのキャリアで異色なのが、74年にスタートしたドラマ『寺内寛太郎一家』(TBS系)への出演だ。当時、小林さんは演技未経験にも関わらず主演に大抜擢。頑固親父の寺内貫太郎役を好演していた。「貫太郎のモデルは、脚本を務めた向田邦子さん(享年51)のお父さん。大柄だったそうで、プロデューサーの久世光彦さん(享年70)は適役を探していたそうです。なかなか見つからないなか、音楽の仕事でTBSを出入りしていた小林さんのもとにオファーが舞い込んだといいます。小林さんは『演技は苦手』と話していたそうですが、平均視聴率は31.3%を記録。シリーズ化され、舞台での上演もありました」(TBS関係者)そこで小林さんは、歌手の西城秀樹さん(享年63)と共演することに。貫太郎役の小林さんと、その長男である周平役のヒデキさん。実はこの出会い、運命的なものだったようだ。「当時のヒデキさんは超売れっ子。しかし連続ドラマに出演する余裕がほとんどないにも関わらず、熱心にリハーサルに打ち込んでいたそうです。さらに取っ組み合いをするシーンで、小林さんはヒデキさんに大ケガをさせてしまったことが。それでもヒデキさんは大らかな対応をしたそうです。ドラマを通じて小林さんは彼の人柄にいたく感銘を受けたといい、プライベートで食事に行くこともあったといいます」(前出・TBS関係者)さらに、小林さんは音楽家としてのヒデキさんもリスペクトしていたようだ。ヒデキさんが亡くなった際、小林さんは産経新聞にこうコメントを寄せていた。「歌い手として素晴らしい人だった事は勿論ですが、彼はミュージシャンとしても特別な凄味を持ったトップアーティストだったと思います」■「自分のアニメソングで一番の出来。もう悔いはない」2人が共に音楽家として、初めてタッグを組んだのがアニメ『ターンエーガンダム』(フジテレビ系)のオープニングテーマ『ターンAターン』だ。小林さんが作曲し、ヒデキさんが歌い手として参加した同曲。リリースされたのは99年5月で、『寺内寛太郎一家』の初回放送から25年もの時を数えていた。そして小林さんはこの曲を最後に、アニメソングから引退している。「小林さんは『ガッチャマンの歌』や『まんが日本昔ばなし』のエンディングテーマ『にんげんっていいな』など数々のアニメソングを手がけてきましたが、『ターンエーガンダム』のオファーがあった際に“これで最後”と決心。そして、『どうしても最後、ヒデキに歌ってもらう曲を作りたい』と考えたそうです。小林さんは、かねてから“歌手・西城秀樹”の技量や音楽の知識を評価していました。『アイドル扱いされるのはもったいない』と語っていたほどなんです。そこで『寺内寛太郎一家』の舞台で共演した際、自ら直談判。ヒデキさんもその熱意に押され、ガンダム作品を観てからレコーディングに臨む気合いの入れようだったといいます」(制作関係者)小林さんはその出来栄えに、“カンゲキ”したという。「“難しい歌を難しく思わせないように歌うのがプロ”と小林さんは考えていました。『ターンAターン』はまさに難曲。ですが、ヒデキさんは小林さんのイメージ通りに歌い上げました。その甲斐あり、『自分のアニメソングで一番の出来。もう悔いはない』と小林さんは豪語。同曲は2人にとって最初にして最後の共演曲でもあり、小林さんの作曲家人生の中でも特に思い入れの強いものとなったそうです。18年5月にヒデキさんが亡くなった後、小林さんは『惜しい人を亡くした』と話していました。そしてヒデキさんとの思い出を語り出すと、止まらないこともしばしばあったそうです」(スポーツ紙記者)ヒデキさんの訃報から早3年。小林さんは天国で、久々の再会を喜んでいることだろう。
2021年06月15日作曲家の小林亜星さんが、心不全のため5月30日に亡くなっていたことがわかった。88歳だった。各メディアによると同日、都内の自宅で倒れた小林さんは、病院に搬送されるも帰らぬ人になってしまったという。すでに葬儀などは済んでおり、「お別れ会」は予定していないとも報じられている。「日立の樹」「パッ!とさいでりあ」など一度は耳にしたことのある国民的CMソングを、数多く作曲してきた小林さん。その才能は、アニメソングや歌謡曲まで多岐にわたって発揮された。’74年には『寺内貫太郎一家』(TBS系)で頑固な父親役を演じるなど、俳優としても活躍。2000年代に入ってからも、’02年上半期放送のNHK連続テレビ小説『さくら』で主人公の祖父役を好演し、’08年9月公開の映画『グーグーだって猫である』にも出演した。■「自分の好きなことをやったほうがいい」そんな小林さんは’16年7月、本誌で音楽を始めた頃についてこう振り返っていた。「うちは貧乏だからピアノなんてなくて。中学に入ると、戦時中は娯楽もないからみんなでハーモニカを吹いていましたよ。戦争に負けたら、今度は楽器が高くて買えない。だけどギターくらいなら、と、同い年だった小坂一也(故人)と仲間たちとハワイアンバンドを組んだんですよ」その後、朝鮮戦争が始まってからは、進駐軍に向けたバンド演奏で生計を立てていたという小林さん。しかしジャズが流行らなくなったこともあり、バンドは解散。製紙会社の営業部に就職することに。ところがバンド時代の浪費癖がなおらず、「癖がついてて、給料を1日で使っちゃうからこれはダメだと思って辞めちゃってさ。それで服部正先生の門をたたきました」と音楽を再開。当時、NHKラジオドラマなどを手掛けていた作曲家・服部正さん(享年100)に弟子入りしたのだった。紆余曲折を経て再び音楽の道を選んだ小林さんは、人生観をこう語っていた。「人間、自分の好きなことをやったほうがいいと思う。ダメでも好きなことをやったほうが、成功率が高いね。だって、営業職を好きな人と嫌いな人だったら、好きな人のほうが成績が高いでしょう」■「あの世はない」「死んだらお終い」マルチに活躍した小林さんだが、’19年9月に出演した『ノンストップ!』(フジテレビ系)で’18年に3度も入院したことを明かしていた。その際、「こんなに生きるとは思わなかったんでね。そろそろいいんじゃないかって感じなんですけどね」と語っていた。「’18年に肺炎を患い、心臓手術でペースメーカーを入れるなど健康面での心配事が続きました。ですが小林さんは医学部に進学した経験もあり、通院や検査は苦にはならなかったそうです。むしろ、自分の身体と向き合うことを大切にしていたようです」(芸能関係者)’18年は『寺内貫太郎一家シリーズ』で共演した、左とん平さん(享年80)や西城秀樹さん(享年63)、樹木希林さん(享年75)が先に旅立った年でもあった。盟友たちが相次いで他界したいっぽう、小林さんは潔い“幕引きの美学”を持っていたという。「亜星さんは生前、『あの世はない』と持論を語っていました。きっかけは高校生の時に行方不明になった友人から、『自分が死んで、あの世があったら教える。なかったらあの世はないと思って』という内容の手紙を受け取ったそうです。結局、いつまで経っても連絡は来ず、次第に『あの世はない』と考えるようになったといいます。生きている時間を大切にしていた亜星さんは、遺言や葬儀など死後について考えることは好まなかったそうです。そのため、『死んだらお終い』とも口にしていました」(音楽関係者)日本の音楽史に残る名曲を数多く残した小林さん。その“メロディ”は、いつまでも人々の記憶に残り続けることだろう。
2021年06月15日2021年6月14日、作曲家で俳優の小林亜星さんが5月30日に心不全で亡くなっていたことを所属事務所が発表しました。88歳でした。小林さんは、『北の宿から』をはじめ、数々のヒット曲を作曲。サントリーウイスキーのCMソングやアニメ『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』『日本昔話』の主題歌などの有名なアニメソングも手がけています。また、向田邦子さん脚本のテレビドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)では、主人公の貫太郎を演じ、頑固おやじぶりがお茶の間の人気を集めました。ネット上では小林さんの訃報を悼む声が相次いでいます。・メロディも自身のキャラも昭和を体現していた人でした。ご冥福をお祈りいたします。・名曲ばかり、ありがとうございました。『にんげんっていいな』と『あわてんぼうのサンタクロース』は子供も大好きな歌です。・サントリーウイスキーのCM曲『夜がくる』がすごく好きでした。お悔み申し上げます。サンケイスポーツによると、葬儀はすでに近親者で執り行われたとのこと。小林さんが生み出した数多くの名曲は、永遠に歌い継がれていくことでしょう。心より、ご冥福をお祈り申し上げます。[文・構成/grape編集部]
2021年06月14日お笑いコンビ『ランパンプス』のボケ担当、寺内ゆうきさんがTwitterへ投稿した、心温まるエピソードをご紹介します。ある日寺内さんは、同じマンションに住むおばあちゃんが、郵便受けの前で困っている姿を見かけました。気になった寺内さんは、おばあちゃんに声をかけ、手助けをすることに。※写真はイメージその後おばあちゃんは、お礼にと寺内さんにコーヒーをくれたのだとか。そのお返しに、寺内さんはお茶菓子をおばあちゃんにあげたといいます。その数日後、再び寺内さんの前に現れたおばあちゃん。「助けてもらったのにもらっては申し訳ない」と思ったのでしょうか。寺内さんにこんなものを渡してくれたそうです。同じマンショに住むおばあちゃんが郵便受けの使い方で困ってたからちょっとお手伝いしたら、後日コーヒーをくれたことがあって、そのお返しにお茶菓子を家に届けたら、今日そのおばあちゃんが家に来て手作りのポテトサラダ持ってきてくれたコーヒーとパンもセットでとっても美味しいし幸せな気分 pic.twitter.com/M8GvKyAjGR — ランパンプス 寺内 ゆうき (@TRce_tera) June 2, 2021 なんと、渡してくれたのは手作りのポテトサラダ…!きっと親切にしてくれた寺内さんに、より一層の感謝を伝えたかったのでしょう。ひょんなことから繋がった、おばあちゃんと寺内さんのエピソードに心が温かくなりますね。ネット上では「なんて素敵な話」「暗いニュースばかりだったけど心が温かくなった」などの声が上がりました。寺内さんのように、どんな時も親切な気持ちは忘れないでいたいものですね。[文・構成/grape編集部]
2021年06月03日「ワーイ、エム、シーエー!」今も全世代で歌われる『YOUNG MAN』に限らず、ファンとの掛け合いを日本に定着させた西城秀樹さん(享年63)。没後3年でも声援の大きさは変わらない。そこで本誌読者1,000人にアンケートを実施。最も多く寄せられたのは、熱いライブのヒデキが見たい!という思いだった。そこで、本誌秘蔵写真で熱いヒデキを振り返る−−題して「ファンの声で作る西城秀樹アルバム」♪【’75年】ドラマ『寺内貫太郎一家2』の名物だったけんかの場面で、全治1カ月の負傷を負った秀樹さん。【’77年】武道館でデビュー5周年記念コンサートを。ワイルドでsexyな情熱の嵐を見せた。【’78年】日比谷野音コンサート。「秀樹!」の掛け声をスタンドマイクで拾うパフォーマンスを。【’78年】後楽園球場ライブ。ド派手な演出と目の前まで近づいてのファンサービスに大興奮。【’79年】『YOUNG MAN』が大流行。子どもから大人までみな「YMCA」ポーズを踊っていた。【ヌードを披露】身長181センチ、股下81センチという長くてきれいな脚も魅力のひとつ。■ヒデキの思い出ランキング(西城秀樹さんで思い出されるもの、作品やキーワードの中で好きなものは?※複数回答可)第1位:『傷だらけのローラ』=788票第2位:バーモントカレー=779票第3位:『寺内貫太郎一家』=741票第4位:スタジアム・コンサート=719票第5位:『YOUNG MAN』=656票第6位:洋楽カバー=646票第7位:『ザ・ベストテン』=637票第8位:日本武道館=608票第9位:『愛と誠』=570票第10位:「青年(成年、盛年)の3部作」(『君よ抱かれて熱くなれ』『ジャガー』『若き獅子たち』)=542票■あなたが特に好きな西城秀樹さんは?《紅白初出場であの素敵な快傑ゾロの『傷だらけのローラ』が素晴らしいです。オーガンジーの仮面をあのきれいな手でとり、帽子で顔を隠してそこから一気に帽子を投げて顔出し!あのフィギュアのような抜群のスタイルで、熱唱し、日本初のスモークが流れる、私が小学校のときに恋に落ちた瞬間の秀樹です》《主催者側のミスでコンサート会場に人が集まらなかったとき、バラバラに座っている観客に“みんな前に集まって!”と声をかけて歌われた秀樹さんが素敵です》■あなたの西城秀樹さんエピソードを教えて!《うちの母は、西城秀樹ファンでしたが、母の姉は、郷ひろみファンでした。どっちがすごいか言い合いになり、どっちも譲らず、1年姉妹げんかで口をきかなかったエピソードが好きです》《子どものころハウスのバーモントカレーをいくつか買ったらコンサートチケットが当たる!のうたい文句で、嫌な顔をする母にたくさん買ってもらいました(笑)。応募しましたが見事にハズレでした(笑)》西城秀樹さんとの別れから3年……参加型ライブの元祖に、いまも熱い声援がやまず!「女性自身」2021年5月4日号 掲載
2021年04月25日「2020ミス・インターナショナル日本代表選出大会」が26日、都内で行われ、栃木県出身の会社員・寺内千穂(てらうちちほ・26歳)さんが日本代表に選ばれた。大会後に報道陣の囲み取材に応じ、応募のきっかけや自身の職業などについて語った。寺内さんは「まだ実感がないというのが正直なところです」と心境を告白。大学4年生の時に「ミス・ユニバース」に挑戦するも日本大会で敗れたことを明かし、「悔しい結果で終わってしまいました。社会人になって、自分の性格、好み、思考を変えずに、ありのままの自分で臨める大会がミス・インターナショナルでしたので、応募させていただきました」と応募の経緯を説明した。現在、広告代理店でアシスタント業務をしているとのこと。「(時期的に)イベント事が多くなってきているので、大会が近づくにつれて仕事量が多くなった」と言い、「朝だったら自分の努力次第で時間が確保できると思ったので、毎朝5時に起きて、6時半から8時半までウォーキンの自主練をして、9時半から会社に行くという生活を1カ月半ほどやっていました。4時間くらいの睡眠時間で頑張りました」と、大会に向けての準備を明かした。どこを評価されたと思うか聞かれると、過去に約2年間、客室常務員(CA)として働いていたことを明かし、「お客様にお飲み物をお渡しする際に手を置いたり、最後までのきれいな所作を習っていた。着物やドレスで手を使う部分がありましたので、そういったところが評価されたのではないかなと思っています」と推測した。将来的な芸能活動は「今のところは考えてはいませんが、(ミス・インターナショナル日本代表としての)この1年を通して考えてみようかなと思います」とのこと。今の仕事については「『結果次第でご相談しましょう』と部長と話していたので、明日出社して相談します」と話した。「ミス・インターナショナル」は、「ミス・ワールド」、「ミス・ユニバース」と並び世界3大ミス・コンテストの一つとされており、美しさに加え、国際社会に貢献しようとする志の高い女性たちが“美と平和の親善大使”として集い、互いに交流を深めることを目的としている。この日は、来年行われる世界大会への出場権を賭けた日本代表選出大会が行われ、予選会を勝ち抜いたファイナリスト46人が出場し、着物・水着・ドレス・スピーチ審査を経てTOP5および特別賞各賞が決定した。なお、2位は沖縄県出身の大学生・簡牛彩苗(かんぎゅうさなえ・21歳)さん、3位は三重県出身の大学生・勝野南美(かつのみなみ・21歳)さん、4位は大阪府出身の大学生・石井いぶき(いしいいぶき・21歳)さん、5位は神奈川県出身の大学生・内藤愛(ないとうあい・21歳)さん。そして特別賞は、パーフェクトボディ賞に2位の簡牛さん、ビューティースキン賞に5位の内藤さん、ハッピースマイル賞にグランプリの寺内さん、Webジェニック賞に東京都出身の高校生・森永新菜(もりながにいな・18歳)さんが決定した。
2019年11月26日「2020ミス・インターナショナル日本代表選出大会」が26日、都内で行われ、栃木県出身の会社員・寺内千穂(てらうちちほ・26歳)さんが日本代表に選ばれた。ミス・ワールド、ミス・ユニバースと並び世界3大ミス・コンテストの一つとされている「ミス・インターナショナル」。美しさに加え、国際社会に貢献しようとする志の高い女性たちが“美と平和の親善大使”として集い、互いに交流を深めることを目的としている。この日は、来年行われる世界大会への出場権を賭けた日本代表選出大会が行われ、書類審査および予選会を勝ち抜いた46人の候補者たちが参加。着物審査と水着審査で15人を選出、ドレス審査で8人を選出、そして最後のスピーチ審査でTOP5および特別賞各賞が決定した。日本代表となるグランプリに輝いた寺内さんは、前年のグランプリ・岡田朋峰さんからクラウンをかぶせてもらい、「このような素敵な舞台でグランプリをいただけたこと本当に感謝しております。切磋琢磨し合ったファイナリスト46名、夢をサポートしてくださったスタッフやOGの方、友人や家族、ご理解とご協力をいただいた会社の方々、ありがとうございます」と感謝。「私は最年長26歳で普通の社会人です。最年長で挑戦をしたこと、社会人でも夢を追い続けたこと、この大変さと大切さをミス・インターナショナルを通して改めて実感しました」と語り、「私が出場する世界大会は第60回で、2020年は東京オリンピックが開催される記念すべき年です。この歴史と伝統をしっかり受け継ぎ、日々精進することをお約束します」と誓った。なお、2位は沖縄県出身の大学生・簡牛彩苗(かんぎゅうさなえ・21歳)さん、3位は三重県出身の大学生・勝野南美(かつのみなみ・21歳)さん、4位は大阪府出身の大学生・石井いぶき(いしいいぶき・21歳)さん、5位は神奈川県出身の大学生・内藤愛(ないとうあい・21歳)さん。そして特別賞は、パーフェクトボディ賞に2位の簡牛さん、ビューティースキン賞に5位の内藤さん、ハッピースマイル賞にグランプリの寺内さん、Webジェニック賞に東京都出身の高校生・森永新菜(もりながにいな・18歳)さんが決定した。
2019年11月26日昨年9月に亡くなった女優・樹木希林さんのドキュメンタリー映画『“樹木希林”を生きる』が10月4日(金)より公開されることが決定。予告編とポスタービジュアルも到着した。2018年9月15日に75歳でこの世を去った樹木さん。1961年に文学座に入り、“悠木千帆”名義で女優活動をスタートさせ、「七人の孫」で一躍人気を博し、「寺内貫太郎一家」「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」『あん』『そして父になる』『万引き家族』など、TV・映画・演劇と様々な作品に出演した唯一無二の女優。現在公開中の『命みじかし、恋せよ乙女』は世界デビュー作であり遺作となった。今回10月に公開が決定したのは、樹木さんに長期密着取材し、大反響を呼んだドキュメンタリー番組に、未公開映像を加えて再編集したもの。初めて許された長期の密着取材から見えてくる、様々な樹木さん。家族との複雑な関係、歯に衣着せぬ物言いと、周りの人々にみせる細やかな気遣い、溢れ出るユーモア。独自のスタイルを持っていた樹木さんの生き様と心に響く言葉には、私たちが生きるヒントが詰まっている。公開決定と同時に到着した予告編では、いきなり“ギャラ”の相談をするシーンからスタート。自ら運転する様子や、「せっかくできたシワだからもったいない」と語る様子など、樹木さんの心に響く言葉と共に密着の様子が映し出される。<あらすじ>死期を覚悟したからなのだろうか。「4本の映画に密着すれば何とかなるわよ」と樹木希林さんへの1年間の長期取材が許された。ルールは一人で取材すること。ディレクターを家まで自家用車で迎えに行き、撮影現場までの間、自ら運転し語り続ける。現場ではスタッフでも、監督でも言いたいことはちゃんと伝え、ひとつひとつの映画と、役柄と向き合っていく。そして、取材も半年が経過し、少しずつ身体に不調がみえてきた頃、「あなたはこれをどうしようと思っているのよ?」と樹木さんはディレクターに問いかけた…。自分らしく、どう人生を終えるのか。誰もが迷うこの問いに、自分にカメラを向けさせながら答えを出そうとしているようにさえ思える。仕事、家族との関係、そして大切にしていた日々の暮らし。“樹木希林”の最後の日々を追う珠玉のドキュメンタリー。映画『“樹木希林”を生きる』は10月4日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国にて公開。(cinemacafe.net)
2019年08月20日「カニや松茸などいただきものがあると、『美代ちゅあん、焼きガニにするとおいしいって』『松茸ピザ作って~』と持ってくるんです。ピザの作り方なんてわからないって言っても、『大丈夫よ』って(笑)」そうほほ笑むのは、今月7日に公開された映画『エリカ38』(東京・TOHOシネマズ シャンテほか全国で上映中)で、主演を務める女優の浅田美代子(63)。デビューとなったドラマ『時間ですよ』(TBS系・’73年)で共演以来、樹木希林さん(享年75)とは、45年の長きにわたり、「ばあば」「美代ちゅあん」と呼び合う仲だった。昨年9月に亡くなった希林さんが人生最初で最後の“企画”を務めた映画『エリカ38』は、’17年4月に投資詐欺で国際手配され、タイで逮捕された女性詐欺師の事件がモチーフだ。日本でだまし取った金を、タイで同棲中の若い男性ホストに貢いでいたこの女性詐欺師。“聖子ちゃんカット”に、生脚&ショートパンツ姿で38歳を自称していたが、じつは62歳だったことで話題を呼んだ。映画では、浅田が女性詐欺師・エリカ役、希林さんがその母親役を演じている。日ごろから浅田の自宅で過ごすことの多かった浅田さんと希林さん。映画にも2人でよく出かけたことを、懐かしむ。「映画は、邦画をよく見に行きました。ばあばがもらった招待券を私にくれて、自分は60歳以上のシニア料金1,000円を払うんです。私がお金を出そうとしても、『(家の)ローンを早く返しなさい』『ローンのある人からお金もらえないわ』って、受け取ってくれないんです」『寺内貫太郎一家』で共演し、’18年5月に亡くなった西城秀樹さんのコンサートに“お忍び”で出かけたこともあった。「闘病中の秀樹が、中野サンプラザのコンサートに出ると知って。でも事務所に頼むと、私たちが見に行くのが秀樹に知られるからと、私がネットで2人分のチケットを取って行ったんです。秀樹の出番が終わり、楽屋に行くと、びっくりしていたけどすごく喜んでくれました。秀樹、加藤治子さん、ばあば……みんな向こうに行っちゃって……向こうのほうがにぎやか。きっと『今も忙しいのよ~』ってばあばが言ってる気がする(笑)」希林さんが日ごろ、大切にしていたのが、孫たちの存在だった。「モデルになった孫のUTAさんの写真を『パリコレ見て見て』『カッコいい』とすごくうれしそうに見せてくれて。お孫さんと家族写真のブックをつくって、すごく大切にしていましたね」’18年の夏に入院してからは、浅田を通じて病室から映画の編集の指示を出していた希林さん。「クレジットの最後に、実際の事件でだまされた人たちの声が入っているんです。それを『入れたほうがリアルよ』というアイデアも、ばあばです。最後まで映画と私のことを気にかけてくれました」亡くなる直前には、毎日のようにお見舞いに行ったという。「ばあばの体の処置をするので、お医者さんが私に『ちょっと外へ出てください』と言うと、筆談で先生に、『この子も役者の端くれなんだから全部見せるの』って書いてくれて。先生も苦笑いしていました」映画のラストについて、「最後の美代ちゃんの顔は“この女、またやるぞ”っていうふうにしてほしい。だって、それが人間ってものなのよ」と語っていた希林さん。「完成したら一緒に映画祭に行こう」という約束はかなわなかった。「ばあばは、最後の完成版を見ていないんです。いつも、身に余るほどの“ギフト”をくれた樹木希林さん……。感謝しきれません」浅田は、今もときどき、留守電に残る希林さんの声に耳を澄ませている。《あっ、美代ちゅあん。ばあばです。用件はありません。私はもう寝ますー》
2019年06月13日9月30日(日)放送のフジテレビ系「ボクらの時代」は急きょ予定を変更して、先日享年75歳で惜しまれながら逝去した女優・樹木希林さんの追悼特別企画をオンエア。これまでに樹木さんが本番組に出演した映像を再編集し“特別版”としてお届けする。1943年、東京に生まれた樹木さんは文学座の研究生を経て、1973年に内田裕也と結婚。70年代には人気ドラマ「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」で人気になると1977年、樹木希林に改名。「ムー」「ムー一族」の挿入歌「お化けのロック」と「林檎殺人事件」で当時トップアイドルだった郷ひろみとデュエットすると、「林檎殺人事件」では音楽番組「ザ・ベストテン」で12週連続ランクイン&4週連続1位を獲得。その後も今日に至るまで数々の作品に出演。『東京タワーオカンとボクと、時々、オトン』『わが母の記』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を、『半落ち』『悪人』では最優秀助演女優賞をそれぞれ受賞したほか、『あん』では日本人女優初となるアジア太平洋スクリーンアワードも女優賞を受賞。その演技は国内のみならず世界でも高く評価された。かねてから全身がんを公表していた樹木さんだが9月15日に自宅で家族に見守れながら息を引き取った。今回は2008年6月22日と29日に放送された「樹木さん×YOU×是枝裕和」、2016年5月15日に放送された「阿部寛×樹木さん×是枝裕和」、2017年5月21日に放送された「橋爪功×小林稔侍×樹木さん」の計4回分の放送を再編集。フジテレビの塩田千尋プロデューサーは「いつも自然体で周囲の方たちに接しているお姿と言葉は番組にとっても宝物。感謝と追悼の思いをこめて今回の企画となった」と今回の特別版について説明。また「最後のご出演となった昨年5月、収録でも仰っていましたが“次いつ会えるか分からない、これが最後かもしれない”と、撮影が終わっても名残惜しそうに小林稔侍さんといつまでもお話しされていました」と収録時をふり返ってコメントしている。「ボクらの時代」は9月30日(日)7:00~フジテレビ系で放送。(笠緒)
2018年09月29日女優の樹木希林さんが9月15日に都内の自宅で亡くなっていたことが16日、わかった。75歳。家族に看取られながらの旅立ちだった。16日に近親者のみで通夜が執り行われ、30日に告別式が行われる予定だという。■2018年、希林さんの様子は?5年前に「全身がん」を告白していた希林さんだが、その後は容体も安定し、映画を始め、さまざまな場面で、まさに“引っ張りだこ”の大活躍を見せていた。今年だけでも、山崎努との初共演が実現した『モリのいる場所』(沖田修一監督)、第71回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、最高賞のパルムドールを受賞した『万引き家族』(是枝裕和監督)が公開。そして、茶道教室の先生を演じた『日日是好日』(大森立嗣監督)が10月13日に公開される予定だ。一方、先月8月13日に左大腿骨を骨折して入院し、手術を受けていた。同30日には娘婿で俳優の本木雅弘がイベントに出席し、希林さんが一時危篤状態だったことを明らかにした。その際、「細い糸1本でやっとつながってる声一言もでないのしぶとい困った婆婆です」という希林さん直筆のメッセージが紹介されたと報じられ、大きな話題を集めた。■愛され続けた日本映画界の宝1943年東京生まれの希林さんは、61年に文学座に入り、テレビドラマを中心に活躍。その代表作のひとつが、やはり今年亡くなった西城秀樹さんと共演した「寺内貫太郎一家」だった(当時はデビュー時の芸名・悠木千帆で出演)。また、70年代後半には「美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに」の名コピーで知られる富士フイルムのCMも人気を博した。その後は徐々に活躍のメインステージを映画に移し、『東京タワーオカンとボクと、時々、オトン』と『悪人』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、『半落ち』で最優秀助演女優賞に輝き、不動の地位を確立。日本映画界に欠かせない存在として、幅広いジャンルの作品に出演し、多くのファンと映画人に愛され続けた。個性派、演技派、実力派…。それら、どの言葉も適切でありながら、「それだけでは言い表せない」希林さん独自の存在感は、やはり日本の宝だったと言わざるをえない。■記者も翻弄する“希林劇場”は名言の宝庫だった常に次回作が待たれる希代の女優であった希林さん。決して万全ではない体調と向き合いながら、出演作のプロモーションにも積極的に参加し、数多くのイベントや舞台挨拶をこなす姿も、記者としては印象に残っている。マイクを握れば、その瞬間から希林さんの独壇場。ときには同席する共演者の熱愛報道をタイムリーにいじったり、目の前の報道陣に苦言を呈したりと、場を大いに盛り上げてくださった。取材が終わってみれば、誰もが“希林劇場”に魅了され、希林さんの“名言”が見出しを飾ることも多かった。ときには毒舌と称されることもあった希林さんの発言だが、その裏には、日本映画界、そして日本の社会全体への愛にあふれていた。その鋭い感性と奔放な性格が切り取る、さまざまな疑問や矛盾…。閉塞しきった時代に対する、希林さんのカウンターパンチは、生きづらさを感じる現代人にとって、多くの気づきをもたらしたものとなった。晩年は、大病を患ったからこその希林さん流の死生観もクローズアップされた。あくまで飄々と、わが道を歩み続けた希林さんの功績が、今後の日本映画をより豊かなものにしてくれることを期待したい。(text:Ryo Uchida)
2018年09月17日是枝裕和監督の『万引き家族』などに出演し、ドラマ、CMでも活躍した女優・樹木希林(きき・きりん/本名・内田啓子)さんが9月15日、亡くなっていたことがわかった。享年・75歳。5年前に全身のがんであることを明かしていた樹木さん。8月13日には知人宅で左大腿骨を骨折し入院、15日に手術を受けて成功したが、一時は危篤状態であったことが伝えられていた。最期は自宅で家族に見守れながら息を引き取ったという。長年別居中ながら“絶対に離婚しない”と公言していた夫はロックミュージシャンの内田裕也、娘・也哉子の夫は俳優の本木雅弘。本木さんと也哉子さんの長男・雅楽(うた)はこの夏、パリコレデビューしたことが話題となり、長女・伽羅(きゃら)は映画『奇跡』『あん』で“祖母”の樹木さんと共演したことがあった。ネットには、この訃報に「信じられない…」という声が相次ぎ、「復帰されると信じていました」「樹木希林さんのお芝居が好きでした」「また一人、日本の大事な何かを失いました」といった悼む声が後を絶たない。1943年1月15日、東京都生まれの樹木さん。1961年に文学座研究生となり、当初は悠木千帆という芸名で活動。73年に内田さんと結婚する。1970~75年までシリーズ化された「時間ですよ」や、74~75年の「寺内貫太郎一家」でジュリー(沢田研二)ファンのおばあちゃん役がお茶の間で人気に。77年に樹木希林に改名する。77年放送の「ムー」、そして1978年から翌年にかけて放送された「ムー一族」の挿入歌として誕生した「お化けのロック」と「林檎殺人事件」で当時のトップアイドル・郷ひろみとまさかのデュエット。「林檎殺人事件」は音楽番組「ザ・ベストテン」でも12週連続ランクイン&4週連続1位を獲得するなど、大ヒットに。2015年の「音楽の日」では、36年ぶりに一夜限りのコンビ復活が実現していた。映画では、『鶴-つる-』『転校生』『夢千代日記』から『下妻物語』などまで多数の作品に出演し、『借りぐらしのアリエッティ』では声の出演も。『東京タワーオカンとボクと、時々、オトン』(07)、『わが母の記』(12)で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、『半落ち』(04)、『悪人』(10)で同・最優秀助演女優賞を受賞。ハンセン病患者を演じた2015年の『あん』(河瀬直美監督)では、日本人女優として初めてアジア太平洋スクリーンアワードの女優賞を受賞、「一番の年上ということでこの度(賞を)頂戴させていただきます。どうもありがとうございました」とコメントを寄せていた。近年は『歩いても 歩いても』(08)、『奇跡』(11)、『そして父になる』(13)、『海街diary』(15)、『海よりもまだ深く』(16)と是枝監督作品でも知られた。カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作『万引き家族』では“疑似家族”を求心した家主である柴田初枝を好演。今年は、山崎努と夫婦役で初共演した『モリのいる場所』(沖田修一監督)も公開され、黒木華と多部未華子の茶道の先生役を演じた『日日是好日』(大森立嗣監督)が10月13日(土)に公開を控えていた。歯に衣着せぬ発言でもおなじみで、今年5月16日放送の「徹子の部屋」に出演した際には、 “終活”について語り、この放送の映像を「『徹子の部屋であの方、今年お亡くなりになりましたわね』っていうときに出して頂いて…」と樹木さんが話すと、黒柳徹子が「私は先になったらあなたがね(笑)でもあなた何言うかわからない、あなたにやっていただくのは嫌だわ。私はちゃんとやるわよあなたのお葬式はね」と返答、それに対して樹木さんも「そうだわね。私も保証できない」などと切り返すなど、2人の味のあるトークが繰り広げられていたところだった。心よりご冥福をお祈りいたします。(text:cinemacafe.net)
2018年09月16日5月16日に亡くなった歌手の西城秀樹さん(享年63)をしのび24日放送のフジテレビ系「直撃!シンソウ坂上」で特集が放送されると、一部スポーツ紙が報じた。 テレビ各局での西城さんの追悼特番が放送されるのは、同番組が初めて。MCを務める坂上忍(50)が故人ゆかりの人に直撃取材するほか、秀樹さんの歌唱映像や脳梗塞による後遺症克服のためリハビリに励む姿などが放送される。TBS系ドラマ「寺内貫太郎一家」で共演し、公私ともに交流のあった女優の樹木希林(75)がナレーションを務めるという。 「西城さんの通夜が25日、葬儀・告別式は26日に行われます。直前の放送は視聴者の関心が高そうで、視聴率が期待できそうです」(芸能記者) 29年間続いたバラエティー番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」の後継番組としてスタートした同番組。坂上が世間を騒がせた人物や事件に直撃するジャーナリズムバラエティー番組として4月にスタートしたが、早くも毎回の企画が厳しい状況だという。 「『バイキング』のMCもつとめる坂上に社運を託してスタート。女性視聴者を取り込むことで数字を2ケタに安定させたかったそうですが、苦戦中です。これまで戸塚ヨットスクール事件や保険料の不正請求に手を染めたタレント女医を取り上げたが、ネタ探しに困っているそうです。もともとTBSの『爆報!THEフライデー』と企画がかぶりぎみですし、坂上は他局でもレギュラーを抱えています。週末はキッズの俳優養成スクールにかかりっきりのため、地方ロケなどに行けない状況。やれることが限られているようです」(フジテレビ関係者) とはいえ「バイキング」も路線変更で視聴率がアップしているだけに、坂上の英断による路線変更もありそうだ。
2018年05月23日『海街diary』の脚本執筆のさなかの2013年の夏、是枝裕和監督は以前から温めてきた、団地を題材にした脚本の第一稿を書き上げた。執筆の時点で、団地にひとりで暮らす老いた母として、樹木希林をイメージしていたという。2人が初めて作品を共にしたのはお盆に両親の家で顔を揃えた家族の姿を描いた『歩いても 歩いても』(’08)。その後も『奇跡』、『そして父になる』、『海街diary』において、主人公たちの祖母、義母、大叔母という立場で、出演シーンは多くないが絶妙な存在感を見せてきた。『歩いても 歩いても』は、いしだあゆみのヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」の一節を用いたタイトルだが、今回の最新作につけられた『海よりもまだ深く』というタイトルもまた昭和歌謡の名曲でテレサ・テンの「別れの予感」の歌詞に由来しており、阿部寛が息子役を演じているという点も同様!作家崩れで探偵として暮らすダメ中年の良多とそんな息子をそれでも愛する母、良多に愛想をつかし彼の元を去った元妻と妻に引き取られた息子の4人が、台風の一夜をひとつ屋根の下で過ごすことになるが…。約8年の歳月の中で是枝監督はどのように変化し、5本もの作品を共にした樹木さんは何を感じたのか――?――脚本の執筆段階で樹木さんをイメージしていたそうですが、ここで描かれる団地に住まう母親には、是枝監督ご自身の亡きお母さまが反映されているのでしょうか?是枝監督:似てる部分はあります。ただ、『歩いても 歩いても』のときもそうだったけど、「僕の母親を演じてほしい」とお願いしたわけじゃなく、あくまでキャラクターとして別人格で作られてます。僕の母のいろんなところ――すごく“世間”であるところや“毒”である部分になっていただいてるのは間違いないですね。――樹木さんは、是枝作品における“母親像”について、どのようにお感じですか?樹木:私も監督の母親として捉えているわけじゃなくて、女の人、母親であれば誰もが持っているであろう、かわいらしさとちょっと意地悪なところ、そういうのを含めて「母親になるとああなるんだろうな」と感じるところはあります。――映画の中では、真木よう子さんが演じた良多の元妻を例に「いまの母親」について少し批判的な部分もありますが…樹木:女の人の生活力が上がるのは素晴らしいことだけど、その分、自由になるので、昔の「食べていけないので我慢する」ということの良い部分まで捨てているんだなとは感じますね。自分の意思通りに進むことで、逆に女の人が持つ忍耐強さが磨かれないままに終わってしまうところもある。それを含め、女性の地位が向上するというのは、良いことであり、一方で損している部分もあるのかもしれませんね。是枝監督:ただ、映画はそれが正しいとか間違っているとかジャッジするわけじゃなくて、そういう育ち方をしてきた老いた母親は、おそらくいまの若い母親たちをそう見ているんだろうという描き方をしています。――監督が最初に本作を構想したのは2001年とかなり早い時期だったそうですが…是枝監督:「団地を撮りたい」と考えたのはそれくらいですね。――『歩いても 歩いても』以降、『奇跡』『そして父になる』『海街diary』とほぼ一貫して“家族”の物語を紡いでいますが、2001年に頭に浮かんだ団地の物語をいまこのタイミングで形にしたのは…是枝監督:この作品のノートを作り始めたのが2009年で『歩いても 歩いても』の公開のすぐ後なの。その段階で(キャストは)阿部さんと樹木さんだったんだけど、実際に、きちんと物語になったのは撮影の1年前くらい。その間に、僕も阿部さんも父親になったというのが、一番大きいと思います。『歩いても 歩いても』は息子から見た親の話で、原田芳雄さんが演じる父が生きてたけど、そこに父親から見た息子という視点を加えたのは、やはり僕が父親になったからでしょう。――『歩いても 歩いても』以降のご自身の各作品の影響、テーマの連続性という部分はありますか?是枝監督:ほかの作品との関連付けは観る側がすることで、自分の中で、別の作品を引き継いだりというのはあまりないんですよね。テーマや関連性は意識してというより、自然に出てくるんですよね。樹木:時代背景とか、あとは誰が映画製作にお金出してくれてってところで作る順番が変わったりもするからね。結果的にこうなったというもんなのよ。是枝監督:そう(笑)。ただ、『海街diary』の脚本と並行してこの作品も書いていたので、向こうは原作があり、僕がそこにどうコミットするかという作業だったし、あっちは背筋を伸ばして生きようとする人たちの物語だから、自分の中のバランス感覚として、こっちは背中を丸めた人たちの話をやりたいというのはあった気がします。樹木:あっちは憧れの美人女優がいっぱいいて背筋が伸びたっていう夢の映画作りで、こっちは(現実の世界に)密着した映画作りなの(笑)。――樹木さんは、作品ごとに監督を見ていて変化は感じますか?樹木:それは感じないけど、ただ、監督にも失敗作ってあるわけですよ。本人は「全部が代表作」とか言うかもしれないけど。是枝監督:言ってませんよ(笑)!樹木:私は「この作品はちょっと…」なんて文句を言うんですけど、ただ、そうは言っても、その都度、人間を見る目というのは成熟してるなと感じますね。上から目線ではなく、(登場人物たちの目線にまで)下がって一緒に生活しているというか。一緒に物を作っているという感覚が魅力的ですよね。――役者に対する接し方に関しては…樹木:それは最初から変わらず平等です。子どもだろうが、何十年やっている役者だろうが、態度が豹変することもない。それは人間として基本的なことだけど、そうじゃない監督、現場って多いから。そういう意味で信用が置けるんです。ただね、時々、私のような何十年もやってるに人間に遠慮がちなことがあるから、もっとズバっと言ってくれていいわね。この顔立ちじゃ、いくらいばっても偉そうになんて見えませんから。もっと大胆にね。是枝監督:なるべく子どもにも、橋爪(功)さんにも、希林さんにも同じように接したいと思ってるけど、それは希林さんがまさにそうですからね。誰にでも同じなんです。樹木:子どもと本気でケンカしてるから!是枝監督:全然、遠慮しないですから。かっこいいんです、それが。それがかっこいい大人なんだって、希林さんを見てると思います。――『歩いても 歩いても』と同じように昭和歌謡が出てきますが、最初の構想の段階から歌ありきで?それとも物語が先だったのでしょうか?是枝監督:歌ですね。樹木:好きなんですって、あの曲(テレサ・テン「別れの予感」)。私は初めて聞いたんだけど、なかなか覚えられなくて(苦笑)是枝監督:どこかのタイミングで、映画の中で一曲かけるってことを決めたんです。そことは全然関係ない、探偵のシーンから書き始めたんだけど、どうやってテレサ・テンにたどり着くのか?自分でも楽しみにしながら書いてました。樹木:へぇ、そんな書き方するのね?――監督の中で、そもそも昭和歌謡が好きというのが大きいんですね。ちなみに一番お好きな曲は?是枝監督:沢田研二かな(笑)?樹木:「壁ぎわに寝がえりうって背中できいている」って是枝監督:そう、やっぱり「勝手にしやがれ」ですかね。子どもの頃に見てかっこいいなって。かっこよかったんですよ、あの頃の沢田研二やショーケン(萩原健一)。子ども心に「色っぽいな」ってわかったんだよね。※余談だが、向田邦子脚本のTVドラマ「寺内貫太郎一家」で樹木さん演じる祖母が沢田研二の大ファンという設定で、壁のポスターに向かって「ジュリー!」と叫ぶ名シーンが!――ではあの当時のTVドラマなども?是枝監督:「前略おふくろ様」、「傷だらけの天使」(どちらも萩原健一主演)で育ってるからね。原点だね。――本作の中には、何気なく発せられるセリフに深い含蓄があります。子どもが口にする「フォアボールを狙ってる」や「パパはなりたいものになれた?」といった言葉にドキッとさせられたりします。脚本段階で樹木さんにあて書きしたということですが、樹木さんに「これを言ってほしい」という思いで書いたセリフなどはありますか?是枝監督:セリフありきではなく、書いていくうちに出てくるんですよね。だから最初から「このセリフを言ってほしい」というのはなかったかな…?ただ「みんながなりたかった大人になれるわけじゃない」というのは、阿部さんがどこかで言うと決めてました。でも、ジーンと来るような感じで言いたくないので、笑っちゃうようなシチュエーションでと決めてました。――あえて、あのひどいシチュエーションで…(笑)?樹木:それはね、そういうもんなの。いいセリフほどそうなのよ!是枝監督:あのセリフは、よくない状況で言わないと。樹木:「さあ、いいセリフを言うぞ!」ってわかってて言うのは…高倉健にしかできないわよ!是枝監督:あの状況はひどいでしょ?ひどいからいいんだよね。阿部さんが言った後、隣にいる池松(壮亮)が吹いちゃう(笑)。「お前がそれ言うか?」って感じで。あのシーン以外でも、希林さんが良いセリフを言った後で「私、いまいいこと言ったでしょ?」と言う。そこは崩さないと、本当にいいこと言ったと思っちゃうから。自分でいいことを言った後に崩すのが、あのお母さんの品なんだよね。樹木:品なのよ、そこは。余談だけど「寺内貫太郎一家」で(自身が演じた)ばあさんが、食べてる最中にグシュっとやったり、汚いことするの。でもそれをその中にいる人間が「きたねーな、ばあちゃん!」って言う。そう言わせないと、作品自体が下品になっちゃうのよ。中の人間に言わせて解決する。それが日常生活のシーンの鉄則なの。是枝監督:面白いですね。――逆に、監督ご自身が書いたセリフなのに、樹木さんが現場で発することで、イメージを超えたものになったシーンなどはありますか?樹木:それはないわよ。やっぱり台本の段階でしっかりと…是枝監督:ありますよ(笑)!孫が「宝くじが当たったら、またみんなで一緒に暮らしたい」と言うところ。書くときはサラッと書いたけど、お芝居でそのひと言が出てきたら、自分で書いたセリフなのに、ウッときたんだよね。樹木:へぇ…。是枝監督:それは、希林さんもそうなのか…あの映画の中のおばあちゃんもウッときてるんだよね。「こんな風にセリフが立つのか!」と思いました。孫はどこかでそれを信じたくて、でもおばあちゃんはそんなこと起きないってわかってる。でも、そのズレを孫に気づかせちゃいけないと思ってて、そうやって互いに間接的に思いやっている様子がすごくよかった。樹木:あれは孫のいる女優じゃなきゃできなかったかもしれないわね…。是枝監督:ああいうこと、あるんでしょうね。そんなに深く考えていない孫のひと言にグッときちゃうことが。――阿部さんが演じた良多は、これまでの是枝監督の作品の中でも、類を見ないほどのダメ男として突出しているように思います。監督の中でいつも以上に踏み込んだという意識は?是枝監督:ギリギリまで攻めてみようかと。樹木:ただ、私は「あそこまで」と特別なものとは感じなかったわね。もっとすごい人を周りでいっぱい見てきたし…。是枝監督:いろんなことを時代のせいにして、背中を丸めながら生きてる男。――ただ、そこまで特別な悪い男という思いは…是枝監督:なかったかな…。ひとつひとつの行動を撮りだすと、息子としても、父親としても、夫としても弟としてもダメなんだけど…。――子どもへのプレゼントを無理やり値切ろうとしたり…結構、サイテーですが…(苦笑)是枝監督:でもね、そこまではやるよ、きっと(笑)。樹木:誰でもそういうところ、持ってますよ。是枝監督:高校生から金をゆすろうとするのが、行為としては一番最低かもしれないけど…。無理やり値切ろうとするというのは、人間の“小ささ”としてはあるかな。樹木:ありますよ。――「悪さ」ではなく「小ささ」?是枝監督:そう、人間の小ささ!樹木:自分を見つめていけば、ある種の状況に置かれたら出てくるものですよ、みんな。是枝監督:でもね、そこは確かに難しいところでもあった。自分ならどこまで可能か?「あるな、これくらいは」と思えるのはどこまでか?すごく微妙なところで、女の人が見てどこまで許せて、どこから「ナシ」なのか?いや、そもそも「ナシ」なのはいけないのか?――せめぎあいが…是枝監督:阿部さんもそこは苦労してやってました。真木さんに触れるシーンで、最初脚本には「足首に触る」ってあったんです。阿部さんは「足首かぁ…」ってずっと言ってて「おれの体の大きさで、小柄な真木さんの足首に触るってどう見えるのかな?」って。考えた末に、ひざのあたりにスッと行ったんです。それが笑えるんだけど、足首だったらまた芝居が違ってたかもしれない。そこはすごく考えて、自分の役のキャラクター、大きさ、おかしみとか…ギリギリまで攻めたり、やめたりして面白かったです。――最後に「団地」について監督なりの想いを聞かせてください。是枝監督:どちらの想いもあるんですよね。「なりたいものになれなかった」哀感もあるし、でも、そこで20年を暮らして、団地は原風景でもあるから、無機質なものでは決してない。いろんな情感、表情、陰影があって、それをきちんと愛をもって撮りたかったんです。樹木:最初はね、団地に当選するってすごくラッキーだったわけですよ、当時。NHKのニュースになるくらい。団地に住むのが憧れの的だった時期もあったんですから。是枝監督:良い悪いってジャッジじゃないんですよね。小3の9月に引っ越してきて、台風が来て、家族で喜んだの(笑)。「今年はどんな大きいのが来ても、鉄筋コンクリートだから大丈夫だ」って。翌朝、台風が去って、外に出た時、すごくキレイだったんだよね。そういう読後感のある映画にしたかったんです。あそこであの母親は死んでいくんだろうし、息子があそこに戻ってくることはないだろうけど、それでも台風がやってきて、翌朝の芝生がキレイで…そういう映画がいいなって。(photo / text:Naoki Kurozu)
2016年05月20日