※写真はイメージですある日突然、家族が事件に巻き込まれて、自分が“遺族”になったらーー。加害者に謝罪を求めて会おうとしても、簡単には叶わないという現実。一方で、加害者になってしまった場合もまた、直接謝罪したくても“制約上”できないという「高い壁」が立ちはだかっていた。NPO法人『World Open Heart』理事長で、犯罪加害者と被害者、双方の支援団体『Inter7』の発起人でもある阿部恭子さんが伝える。事件に奪われた日常もし、家族が他人に殺害されたとしたら、犯人に求めるべきは死刑なのか。死刑を求めない家族は、被害者とはいえないのだろうか。被害者遺族を経験しながら死刑廃止の立場を表明し、被害者と加害者の対話の意義を訴えてきた原田正治さんは、一部の人々からは「理想的な被害者」として注目され、また一部の人々からは「理想的な被害者ではない」と、時に批判を浴びてきた。事件後、原田さんが歩んできた遺族としての道のりは過酷である。当時、助けてくれる人も、相談に乗ってくれる機関もなく、次々と降りかかる試練に、すべて家族だけで対応しなければならなかった。1983年、原田さんの弟・明男さんが30歳のとき、突然、仕事中に亡くなり、居眠り運転による自損事故と判断された。ところが1年3か月後、雇用者による保険金殺人だった事実が判明。当時、36歳だった原田さんの人生も一変する。犯人逮捕に伴い、報道陣が自宅付近を取り囲むようになり家族はしばらく外出ができなくなった。原田さんがようやく仕事に出られるようになると、帰宅を待ち構えていた記者がいきなり物陰から飛び出してきたこともあった。地域は騒然となり、周囲の人々の態度は明らかによそよそしく感じ、これまで親しかった人たちとも次第に疎遠になっていった。穏やかな日々は、緊張と不安に変わってしまった。対応に苦慮したのが、事故として支払われていた保険金の返還請求だった。葬儀代、墓代等、弟が亡くなったことに要する出費としてすでに使用していたからである。「返還しないと不当利得です」と書かれた保険会社からの手紙は、まるで家族が騙し取ったと責められているように感じた。行政や弁護士に相談しても取り合ってもらえず、借金をして支払うほかなかった。マスコミ対応や検察庁からの呼び出し、裁判など、会社を休まなければならない日も出てくるが、原田さんが勤務していた会社の対応は、ひどく冷淡だった。不条理な出来事ばかりが続く中、家族の間でも徐々に精神的な距離が生まれ、家庭も壊れていった。一度は求めた死刑弟を殺害した加害者は、通夜や葬儀にも訪れ、事件が発覚するまで、何食わぬ顔で家族に接していたのである。人として、なぜそんな惨いことができるのか、直接会って問い質したい感情が日に日に強くなっていた。そこで唯一、加害者に直接感情をぶつけられる機会は、刑事裁判だった。被害者への公的支援が一切ない時代、ある日突然被害者になった原田さんに、裁判の仕組みを説明してくれる人もなく、付き添いもないまま報道陣が詰めかける法廷にひとりで向かわなければならなかった。どんな処分を望むかという検察官からの質問に、原田さんは「極刑以外に考えられない」と答える。つまり、死刑である。加害者は塀の中で食事も睡眠も保証され、守られているにもかかわらず、被害者はさまざまな対応に時間を取られ、経済的にも精神的にも追い詰められていく。その原因を作った相手に、最も厳しい罰を求めたとしても不思議ではない。加害者との面会裁判が続く中、原田さんのもとに加害者から手紙が送られてくるようになった。最初はとても読む気になどなれず、開封せずに捨てていた。ところがある日、好奇心から開封してみたことをきっかけに、加害者との交流が始まる。加害者は、弁護士の影響で洗礼を受け、罪と向き合うことを始めていた。そして事件から10年後、原田さんは、周囲の反対を押し切って、拘置所にいる加害者との面会を決意する。憎しみや怒りが薄れたわけではなく、なぜ弟が殺されなければならなかったのかを問い、遺族がこれまでどんな思いで生きてきたのか、思いをぶつけたかったからだ。原田さんが「長谷川君」と呼ぶ加害者は、原田さんの訪問を喜んだ様子で迎え、「申し訳ございません」と謝罪をした。原田さんは、長谷川君と対面した瞬間、肩の力が抜けたという。アクリル板を挟んでいても、対面が叶ったことで、被害者加害者という枠を超え、人間同士のコミュニケーションが可能となったのだ。これまで何百通という手紙を受け取ってきたが、20分の面会にはかなわなかった。彼の謝罪の意志は本心だと感じ、直接、謝罪の言葉を聞いたことによって、どんな慰めの言葉より、心が癒されていくのを感じたという。「長い間、孤独の中で苦しんできた僕の気持ちを真正面から受け止められる存在は長谷川君だけだと感じた」と話す。しかし、面会をしたからといって、彼を許したわけではない。「事件によって僕や家族は崖の下に突き落とされました。世間の人々は、崖の上から高みの見物です。誰も崖の上に引き上げようとはしてくれず、長谷川君やその家族をバッシングして崖の下に突き落とすことで、僕たちに『これで気がすむだろう』と言っているかのようです」長谷川君こと長谷川敏彦氏の息子及び姉は自殺をしている。事件後、被害者だけでなく、加害者家族もまた、生き地獄を強いられたであろうことは想像に難くない。「僕は彼と面会したことが、自分自身の快復への道につながると感じました。僕が求めているのは、彼や家族をさらに奈落の底に突き落とすのではなく、僕が崖の上に這い上がることです。死刑が執行されてもされなくても、僕の苦しんできたことは消えませんし、弟が生き返るわけでもありません」原田さんは、納得できるまで長谷川君と面会したいと死刑執行停止を求める嘆願書を法務省に提出し、法務大臣に直接会い上申書を提出したが、その後まもなく、長谷川俊彦氏の死刑は執行された。原田さんは、自らの体験をもとに、2006年に「Ocean被害者と加害者の出会いを考える会」を立ち上げ、2021年12月に結成した被害者加害者が共に支援を行う団体「Inter7」の共同代表を務めている。加害者が謝意を伝えられない“高い壁”Inter7の共同代表の五十嵐弘志さんは、計20年服役した経験を持つ。長谷川君のように、獄中でのキリスト教との出会いをきっかけに更生し、出所後は受刑者の更生支援に尽力してきた。Inter7には、加害者被害者双方の家族などから相談が寄せられており、被害者に償いたいという受刑者からの相談も多い。受刑者が刑務所から直接被害者に手紙を送ることは許されておらず、弁護士など被害者との間をつないでくれる人が不在の場合、謝意を伝えることは叶わず、被害者から「謝罪がない」と残された家族に苦情が寄せられることもある。原田さんは、死刑囚となった長谷川君との面会を特別許可されたが、死刑囚との面会は基本、親族に限られている。謝罪したい加害者と謝罪を求める被害者の間には、制度上の高い壁がある。「被害者に謝りたい、償いたいと思っても、管理重視の日本の刑務所ではトラブルをおそれるあまり、あれもダメ、これもダメとあまりに制約が多く、何もしないほうがいいのではという気持ちにさせられてしまうのです」直接、加害者と話をしたいというニーズは、Inter7の共同代表で交通事故被害を経験した片山徒有さん、弓指寛治さんも主張する。原田さんは、決して加害者に甘い被害者ではない。被害者と向き合うことは、加害者にとっても恐怖であり、勇気がいることでもある。「塀の中で、孤独に犯した罪と向き合い続けることは苦しいことです」五十嵐さんは、生きる苦しさこそが償いではないかと語る。犯罪報道では、被害者と加害者は分断され、対立する姿ばかりが強調される。しかし、Inter7が対立と分断を超えた先に目指す社会とは、世間が押し付ける被害者・加害者像から解放され、自分らしい生き方を選択できる社会である。阿部恭子(あべ・きょうこ)NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて”犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)、『家族間殺人』(幻冬舎新書、2021)など。
2022年05月16日いま日本映画界で最も注目される白石和彌監督が、阿部サダヲ、岡田健史を迎えて注目の作家・櫛木理宇の最高傑作を映画化した『死刑にいたる病』。この度、次々と謎が浮かび上がる岩田剛典演じる謎の男・金山と中山美穂演じる雅也の母・衿子の人物像に迫る2種類の特別映像が解禁された。24人もの若者を殺した連続殺人鬼・榛村(阿部サダヲ)から届いた冤罪証明の依頼をきっかけに、大学生・雅也(岡田健史)が事件を独自に調べ始めるが、次第に榛村と事件に翻弄されていく本作。やがて、事件を調べる雅也の前に現れた謎の男・金山、事件とは何も接点がないと思われた雅也・母の2人の“謎”が浮かび上がる。金山編の映像には、怪しい言動、様々な証言が交錯する中、最後の事件の被害者・根津の殺害現場となった森を訪れた雅也、そしてその前に突如姿を現す金山が映っている。もう一方の雅也の母・衿子編は、彼女が内気な性格であることが伺え、「あなた決めてよ、お母さん決められないから…」との口癖が印象的な映像。そして映像の最後には、雅也がある人物と衿子が一緒に写っている写真を見つける様子が収められている。どちらも衝撃的な場面で幕を閉じ、緊迫感あるものに仕上がった。『死刑にいたる病』は5月6日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:死刑にいたる病 2022年5月6日より全国にて公開©2022映画「死刑にいたる病」製作委員会
2022年05月05日映画『死刑にいたる病』が5月6日(金)に公開される。この度、本作より2種類の特別映像が到着した。原作は注目の作家・櫛木理宇の最高傑作。監督を務めたのは、2013年度の賞レースを席巻した『凶悪』で注目を集め、恋愛ミステリーに挑戦した『彼女がその名を知らない鳥たち』や、警察とやくざの血で血を洗う攻防戦を過激な描写も辞さずに描いた『孤狼の血』でも数々の映画賞を獲得してきた白石和彌が務めている。物語は24人もの若者を殺した連続殺人鬼・榛村(阿部サダヲ)から届いた冤罪証明の依頼をきっかけに動き出す。そして大学生・雅也(岡田健史)が事件を独自に調べ始めるが、次第に榛村と事件に翻弄されていく、というもの。解禁された映像は謎の男・金山(岩田剛典)と雅也の母・衿子(中山美穂)の人物像に迫る内容だ。それぞれの映像で描かれるのは、事件を調べる雅也の前に現れた謎の男・金山、事件とは何も接点がないと思われた雅也・母に浮かび上がる“謎”。金山編の映像には怪しい言動、様々な証言が合わさるなか、最後の事件の被害者・根津の殺害現場となった森を訪れた雅也、そしてその前に突如姿を現す金山が映っている。もう一方の雅也の母・衿子編は、彼女が内気な性格であることが伺え、「あなた決めてよ、お母さん決められないから…」との口癖が印象的だ。映像は雅也が、ある人物と衿子が一緒に写っている写真を見つける様子が。どちらの映像も衝撃的な場面で幕を閉じ、緊迫感を漂わせている。『死刑にいたる病』5月6日(金)公開
2022年05月05日『孤狼の血』『彼女がその名を知らない鳥たち』などで知られる白石和彌監督による映画『死刑にいたる病』。この度、阿部サダヲ演じる連続殺人鬼・榛村の沼にハマっていく大学生・雅也を演じる岡田健史の場面写真&メイキング写真が解禁となった。24人もの若者を殺した連続殺人鬼・榛村から届いた冤罪証明の依頼をきっかけに事件を独自に調べ始める雅也が、次第に榛村と事件に翻弄されていく姿を描いた本作。阿部さん演じる榛村の“裏の顔”と“表の顔”のギャップが話題となっているが、一方で榛村と対峙する岡田さん演じる雅也も、前半と後半では全く異なる表情をみせる。阿部さんは「岡田さんの演技で引き出されたところがあって、最初に思っていたものと違うアプローチをした部分がありました。まっすぐな雅也を壊したいと思いましたが、全然ブレなかったです」と、共演シーンとなる面会室では岡田さんとの掛け合いで化学反応が起こったと明かす。クライマックスは、同じ面会室のシーンでも、初めて雅也が榛村を訪ねる場面から演出も大きく異なり、緊迫感のある2人の演技によってより一層見応えのあるものとなっている。白石監督も岡田さんの前のめりの姿勢に驚きをみせ、「お芝居ひとつひとつを考えて演技しているので、こちらも確認しながら進めていき、積み重ねていった印象があります。“全体の映画の中でここを起点にしたい”、“ここを先々考えてやっていきたい”と計算高く考えて、逐一相談してくれた」と撮影時をふり返る。そして、岡田さんの演技について「すごくナチュラルで素直な芝居をしてくれて、静かなトーンでいきたいというのが感じられました。阿部さんとのクライマックスでは自分のキャラクターがどういう見え方になるのかをよく見ていて、強い芝居をしてくると思っていたので意外でしたが、いざ作品が出来上がってみると彼のアプローチが正解でした」と、阿部さんが明かしていたように岡田さんの演技を受けて生まれた演出もあったよう。連続殺人鬼・榛村の沼へと徐々にハマっていく雅也の繊細な表情の変化は必見となっている。『死刑にいたる病』に5月6日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:死刑にいたる病 2022年5月6日より全国にて公開©2022映画「死刑にいたる病」製作委員会
2022年04月22日阿部サダヲ×岡田健史がW主演、注目の作家・櫛木理宇の原作を白石和彌監督が映画化した『死刑にいたる病』。この度、連続殺人鬼・榛村を演じる阿部さんの“虚無の目”がよく分かる場面写真が解禁。白石監督からのコメントも到着した。24人もの若者を殺した連続殺人鬼・榛村(阿部サダヲ)から届いた冤罪証明の依頼をきっかけに、事件を独自に調べ始めた大学生・雅也(岡田健史)が、次第に榛村と事件に翻弄されていく姿を描いた本作。本予告やポスタービジュアルが解禁された際、SNS上では「この空っぽな目、ゾクゾクする」「阿部サダヲすごい…なんだこの目を逸らせなくなる」と、阿部さん演じる榛村の“虚無の目”に魅了されている人が続出した。榛村は、表向きは街の人々が絶えず足を運ぶパン屋の店主で、優しい笑顔の裏に恐るべき殺人鬼の顔を隠している。阿部さんは“殺人鬼”の役作りについて「辛かったけど、撮影セットなどに助けられました」とふり返り、実は血が苦手という意外な事実を明かしている。白石監督は阿部さんの目について「阿部さんが最初に面会室に足を踏み入れた瞬間から、それこそ目の色が違いました」と明かし、「ニーチェの有名な言葉『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』を地でいく、見ているこっちが重い重力の中に吸い込まれるような感覚のある目をしていました」と、阿部さんの目の魅力を語った。『死刑にいたる病』は5月6日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:死刑にいたる病 2022年5月6日より全国にて公開©2022映画「死刑にいたる病」製作委員会
2022年04月18日櫛木理宇の同名小説を、岡田健史×阿部サダヲW主演で映画化したサイコサスペンス『死刑にいたる病』より、強烈なインパクトを与える本ポスターならびに本予告が解禁された。『凶悪』『彼女がその名を知らない鳥たち』『孤狼の血』など数々の映画賞を獲得し高い支持を得ている、白石和彌監督による最新作。この度解禁された本予告では、「ある大学生の元に届いた1通の手紙」というナレーションと共に不穏なBGMが流れ、大学生・雅也(岡田健史)の元に届いた手紙が映し出される。さらに「筧井雅也様、君に頼みたいことがあってこの手紙を書きました」「久しぶりだね。まーくん」という24人もの若者を殺した連続殺人鬼・榛村(阿部サダヲ)の声が流れる。周囲の人々の証言によって明らかになる、異様な犯行からは想像もし得ぬ人当たりの良さで出会う者を次々と魅了してきた榛村の姿。そんな彼が冤罪を主張する事件の真相に迫るために奔走するうち、雅也の中で何かが変わり始める。さらに調査を進めていく中で浮かびあがる謎の人物、土砂降りの雨の中を引きずられていく女性の叫び声、そして榛村の「こっち側に来たら、もう戻れないよ」という意味深な言葉で締めくくられる。併せて解禁された本ポスターでは、二面性を象徴するような榛村のアップが強烈なインパクトを与える。その下には、ずぶ濡れになった雅也の姿があり、不思議な魅力を放つ榛村と事件の真相に翻弄されていく雅也の様子が見てとれ、この事件の底知れぬ不穏さが窺えるビジュアルとなっている。『死刑にいたる病』は5月6日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:死刑にいたる病 2022年5月6日より全国にて公開©2022映画「死刑にいたる病」製作委員会
2022年03月16日眞須美死刑囚の長女と孫が心中した関空の連絡橋「帰ってきたら娘の意識がない。血みたいな黒いものを吐いている」昨年6月9日の午後2時過ぎ、女性から119番通報が入った。和歌山県和歌山市のアパートで倒れていたのは、鶴崎心桜(こころ)さん(享年16)。病院に搬送されたが、全身打撲による外傷性ショックで死亡。明らかな虐待死で、通報は心桜さんの母親によるものだった。救急車に同乗した継父は病院へ付き添ったものの、その後は行方不明。和歌山港近くで発見されたが、意識は朦朧とした状態だったという。継父は警察の取り調べに、「カフェインを飲んで死のうとしたが、死にきれなかった。大変なことをしてしまった」などと、心桜さんの死との関わりを認めるような供述をしていた。眞須美死刑囚の長女が飛び降り心中一方、心桜さんの母親は到着した救急車には同乗せず、4歳になる次女とともに姿を消していた。のちに二人は車で大阪府泉佐野市の関西国際空港連絡橋(関空連絡橋)へと向かっていたことが判明する。そこで飛び降り心中を図ったとみられ、夕方にはともに遺体となって関西空港近くの海に浮かんでいた。母親は全身打撲による多発外傷、次女は水死だった。この亡くなった母親、実は’98年に起きた『和歌山毒物カレー事件』で逮捕された林眞須美死刑囚(60)の長女A(享年37)だった。つまり、虐待死した心桜さんは眞須美死刑囚の初孫であり、その名は眞須美死刑囚が刑務所で命名したものだった。鶴崎心桜さんは虐待の果てに…事件発生から半年以上たった16日、和歌山県警は同県有田市の派遣社員で心桜さんの継父だった木下匠容疑者(40)を保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕した。さらに、Aも容疑者死亡のまま、同じ疑いで書類送検。地元紙社会部記者はこう説明する。「心桜さんはAと前夫の間の子どもで、離婚後は前夫と暮らしていました。ですが、Aが木下容疑者と再婚すると、’18年10月からは彼らが心桜さんを引き取りました」すると、少なくても昨年5月末あたりから、木下容疑者とAが共謀して心桜さんに身体的な虐待を加えるようになったという。「昨年6月には、断続的な暴行によって心桜さんは衰弱し、身動きができないほどの状態になっていた。しかし、両容疑者は彼女を保護すべき責任があったにも関わらず、医療措置も受けさせず、放置して死亡させた」(捜査関係者)地元の児童相談所には、複数回の相談があったとされている。心桜さんの同級生はこう話す。「中学校のときは不登校で、ほとんど学校には来なかった。卒業アルバムにさえ写真は載っていない」初孫を失い、さらにその母親で心中を図った自身の長女は保護責任者遺棄致死の疑いがもたれている。林眞須美死刑囚は獄中で何を思う−−。
2022年02月18日第71回ベルリン国際映画祭金熊賞&観客賞ノミネートの冤罪サスペンス『白い牛のバラッド』より、30秒予告とメインビジュアルが解禁された。死刑執行数世界2位の国イランの懲罰的な法制度を背景に、シングルマザーの生きづらさ、理不尽に立ち向かう女性の姿を巧みに描き出した本作。第71回ベルリン国際映画祭金熊賞と観客賞にノミネート、批評家からはイランの名匠とも肩を並べるほどの才能と賞賛された。世界中の映画祭で数々の受賞を果たし、確かな実力を発揮したのはベタシュ・サナイハ監督とマリヤム・モガッダム監督の2人。イランでは、2020年2月のファジル国際映画祭で3回上映された以降、政府の検閲により劇場公開の許可が下りず、2年近く上映がなされていない。自国のタブーに斬り込んだ衝撃の冤罪サスペンスが、ついに日本公開となる。このたび解禁された30秒予告は、最愛の夫を冤罪で失ったミナとろうあの娘ビタの元に、謎の男レザが現れるシーンから始まる。レザは「ご主人に借りた金を返しに来ました」といい、悲しみに暮れていたミナは親切な彼に次第に心を開いていく。しかし続くシーンでは空気が一変、水浸しの部屋に佇むレザが映し出され、不穏な空気に包まれる。「愛する人を冤罪で失った時、あなたならどうしますか」という究極の問いかけとともに、「死刑」「犠牲」「過ち」の言葉が、2人の姿とあわせて映し出される。この男は一体、何者なのか?緊迫感溢れる展開に感情が揺さぶられる。また、最後にタイトルにかかる白い牛が意味深な印象を残す予告編となっている。併せて公開されたメインビジュアルは、「男はなぜ、私の前に現れたのか」というコピーとともに、頬を伝う涙が目を引くミナの横顔が切りとられている1枚。その下には白い牛にこぼれたミルクがかかり、サスペンスフルな展開を予感させるビジュアルに仕上がっている。緻密な心理描写と緊張感溢れる音と映像でイランの闇をあぶり出した本作。死刑制度が存在するここ日本でも、観客の胸に深く突き刺さるはずだ。『白い牛のバラッド』を2月18日(金)よりTOHOシネマズシャンテほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:白い牛のバラッド 2022年2月18日よりTOHOシネマズ シャンテほか全国にて公開
2022年01月07日俳優の阿部サダヲが主演を務める映画『死刑にいたる病』(2022年5月公開)の特報映像が6日、公開された。櫛木理宇の同名小説を白石和彌監督が映画化した同作。理想とは程遠いランクの大学に通い、鬱屈した日々を送る雅也(岡田健史)の元に、ある日稀代の連続殺人事件の犯人・榛村(阿部サダヲ)から1通の手紙が届く。24件の殺人容疑で逮捕され、そのうちの9件の事件で立件・起訴、死刑判決を受けた榛村は、犯行を行っていた当時、雅也の地元でパン屋を営んでおり、中学生だった雅也もよくそこに通っていた。「罪は認めるが、最後の事件は冤罪だ。犯人は他にいることを証明してほしい」。榛村の願いを聞き入れ、雅也は事件を独自に調べ始める。そこには想像を超える残酷な事件の真相があった。本編映像初解禁となる特報では、世間を震撼させた連続殺人鬼・榛村と、榛村から届いた1通の冤罪証明依頼に挑む大学生・雅也の、拘置所での息のつまるようなやり取りが描かれる。榛村は24人の命を奪った連続殺人鬼とは思えぬ清潔感のある佇まいや穏やかな口ぶりとは裏腹に、表情や仕草にただならぬ狂気を垣間見せる。不気味なほどに整った手紙の筆致や、表情のアップなどからも底知れぬ闇を感じさせる。対する雅也は突然届いた1通の手紙を読み、拘置所で対面した榛村の話を食い入るように聞き、彼が冤罪だと主張する事件の真相に迫るため、雨に打たれずぶ濡れになりながら奔走する。水に浮かぶ血の付いた爪、土砂降りの雨の中血まみれで何者かに足を引きずられながら悲痛な叫び声をあげる女性といった映像が挟まれ、本当に冤罪なのか、真犯人は誰なのか気になる特報となっている。
2022年01月06日白石和彌監督が手掛ける、驚愕のサイコサスペンス映画『死刑にいたる病』より、本編映像初公開となる、阿部サダヲと岡田健史が拘置所で対峙する特報映像が到着した。阿部さんと岡田さん、W主演の2人が演じるのは、世間を震撼させた連続殺人鬼・榛村と、榛村から届いた1通の冤罪証明依頼に挑む大学生・雅也。今回到着した映像では、清潔感のある佇まいや穏やかな口ぶりだが、ただならぬ狂気を垣間見せる榛村と、彼の話を食い入るように聞く雅也、2人の緊迫感溢れる拘置所でのシーンが映し出される。そして雅也は、彼が冤罪だと主張する事件の真相に迫るため、ずぶ濡れになりながら奔走していく。水に浮かぶ血の付いた爪、土砂降りの雨の中、血まみれで何者かに足を引きずられながら悲痛な叫び声をあげる女性と、不穏なシーンも登場している。『死刑にいたる病』特報映像『死刑にいたる病』は5月、全国にて公開予定。(cinemacafe.net)■関連作品:死刑にいたる病 2022年5月、全国にて公開予定©2022映画「死刑にいたる病」製作委員会
2022年01月06日※写真はイメージです先日、3人の死刑執行が発表された。岸田内閣のもとでは初となる。死刑について、「死刑囚の母」は何を思うのだろう。凶悪事件も含め、200件以上の殺人事件の加害者家族を支援してきたNPO法人『World Open Heart』理事長・阿部恭子さんが、賛成派・反対派、それぞれの母の思いを伝える。■ある日突然、息子が家族3人を殺害21日、法務省は3人の死刑囚の死刑を執行したと発表。2019年12月以来、2年ぶりの執行となったが、この報道に衝撃を受け、胸を痛めている女性がいる。死刑囚の母親である。「執行のニュースが流れる度、息子じゃないかと緊張が走ります……」文子(仮名・60代)の息子・聡(仮名・30代)は、同居していた義母と妻子を殺害し、裁判員裁判で死刑判決が言い渡されていた。文子と家族は、死刑囚となった息子と10年以上面会を続けている。「まさか、あの子が手の届かないところに行ってしまうなんて。幼いころを思い出すとまったく想像もできませんでした」聡は前科・前歴もなく、剣道一筋の真面目な青年だった。聡が起こした事件に驚いていたのは家族だけではない。自衛隊員を経て、当時は土木作業員として勤務しており、勤務態度も良好で職場でも評判がよかった。「聡君は理由なく人を殺すような人ではありません。何か事情があったに違いないとは思っていました」聡の同級生はそう話す。これだけ大きな事件が起きれば、加害者家族は地域で生活を続けることが難しくなり、転居を余儀なくされるケースがほとんどである。ところが、聡が生まれた地元の人々は、一家を支え、温かく見守ってきた。聡の人柄、親子関係、そして次第に明らかになっていった、あまりにも惨い事件背景も、地域の人々の心を動かしたのだろう。■何が息子を駆り立てたのか事件当時、聡は実家を離れ、妻と生まれたばかりの子どもと義母と4人で同居していた。聡はすぐに、支配的な義母との関係に悩まされるようになった。家庭では誰も、義母が決めたルールに逆らうことはできなかった。長時間の肉体労働でクタクタになって帰宅しても、義母より先に風呂に入ることはできず、食事も残っていなかった。「若いのに寝るな!」そう言って、睡眠を妨害されることもあった。文子が聡を訪ねたとき、義母や妻が立派な服装をしているにもかかわらず、息子はボロボロの服を着ていた姿に驚いたことがあった。文子は、息子の給料だけでは生活が苦しいのではないかと心配し、現金やコメを仕送りしていた。ところが、生活に余裕がないはずの聡は、妻が喜ぶと高級車を購入するなど明らかに無理をしていた。アルバイトも始め、しばらくすれば妻も働くとローンを組んだが、家計の収入は増えず、借金は膨らむ一方だった。義母や妻の機嫌を取ろうとどれだけ努めても、義母からの暴言・暴力は止むことがなかった。そしてある日、穏やかだった息子の理性は崩壊してしまう。「おまえの家族は何もしてくれない!」聡は義母から殴られると同時に、身の回りを侮辱する言葉を浴びせられ、犯行に及んだのだ。「どうしてうちの子が……。正直、ずっと悩み続けてきました。他の子と比べても、特別なところはなかったはずなのに」若く未熟だった聡は事件後、さまざまな専門家や支援者との交流を経て改悛の情を深めてきた。絵を描く趣味があったわけではないが、拘置所でできることは限られていることから、償いとして故郷の絵を描き続けてきた。支援者たちがその絵を基にカレンダーや団扇等を製作して販売し、売上金を遺族に送り続けてきた。裁判員裁判で被害者家族として参加した遺族は、判決後、支援者や加害者家族との交流を経て、死刑判決に対する考えに変化が生じ、上告では死刑を支持しない上申書を提出したが、上告は棄却されている。聡と家族を支える会には多くの人々が参加しており、死刑執行のニュースを聞く度に拘置所にいる聡に思いを馳せ、家族の不安に寄り添ってきた。「身近な人が死刑囚になって、死刑は残酷な制度だと考えるようになりました。家族だけでなく、聡君を支えていた多くの人々が絶望のどん底に突き落とされるでしょう」支援者のひとりはそう話す。文子も言葉を漏らす。「いつか息子の番が来るのかと思うと……。苦しいです」家族と支援者は、再審請求を続けている。■死刑を望む母一方で、殺人を犯した我が子に対し、死刑を持って償うしかないと考える母親もいる。雅代(仮名・80代)の長男・武志は、死刑の執行によってこの世を去っている。雅代は武志が生まれて間もなく、暴力を振るう夫と離婚し、ひとりで3人の子どもを育ててきた。武志は幼いころから喧嘩や盗みばかりして警察の世話になることが多かった。暴力団と付き合うようになってから、家には寄り付かなくなっていたが、雅代は他のきょうだいの人生に影響が出ないようきょうだいを遠方に移住させた。武志は敵対する暴力団との抗争により何度も逮捕され、刑務所を出たり入ったりしていた。雅代はニュースで事件の情報を得ていたが、これまでは武志から雅代に連絡が来ることはなかった。ところがある日、拘置所にいる武志から手紙が届き、武志が殺人を犯し、死刑判決が下されたという事実を知らされた。「俺は仲間に裏切られたんだ。死刑なんてありえない。裁判をやり直すのに協力してくれ」武志は焦ったように何度も手紙を送ってきた。雅代がようやく面会に行くと、「遅いぞ何やってんだよ!500万用意して〇〇弁護士に連絡してくれ。早く!」そう言い残して武志は去っていった。清掃の仕事をしてなんとかひとり生活している雅代に、大金など用意できるわけがなかった。「早く弁護士見つけてこい、クソババア!」面会に行かない雅代に、武志は罵詈雑言が並んだ手紙を何通も送ってきた。しばらくして、雅代は武志の弁護士から連絡を受け、死刑に反対する活動に協力を求められたのだという。「私も死刑になりたいと言いました。この生き地獄から救ってほしい。武志に人生を狂わされた人がどれだけいることか、それを考えると、死刑では生ぬるいくらいです」武志が事件を起こしたころは加害者家族支援団体もなく、雅代は完全に社会から孤立して生きてきた。藁にもすがる思いで入信した宗教団体に騙され、借金を背負わされたこともあった。死刑執行後の心境を、雅代はこう振り返る。「死刑の知らせを聞いて、胸を撫で下ろしたのを覚えています。無期懲役だったら、私が死んだあと、他の子どもたちに迷惑がかかるからです」今回、3人の死刑執行がされた。もし、死刑囚の家族になったとしたら死刑を望むだろうかーー。殺人事件の半数が家族間で起きている日本において、一度は考えてみるべきではないだろうか。阿部恭子(あべ・きょうこ)NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)、『家族間殺人』(幻冬舎新書、2021)など。
2021年12月25日俳優の阿部サダヲが主演を務める映画『死刑にいたる病』(2022年5月公開)のティザービジュアルが23日、公開された。櫛木理宇の同名小説を白石和彌監督が映画化した同作。理想とは程遠いランクの大学に通い、鬱屈した日々を送る雅也(岡田健史)の元に、ある日稀代の連続殺人事件の犯人・榛村(阿部サダヲ)から1通の手紙が届く。24件の殺人容疑で逮捕され、そのうちの9件の事件で立件・起訴、死刑判決を受けた榛村は、犯行を行っていた当時、雅也の地元でパン屋を営んでおり、中学生だった雅也もよくそこに通っていた。「罪は認めるが、最後の事件は冤罪だ。犯人は他にいることを証明してほしい」。榛村の願いを聞き入れ、雅也は事件を独自に調べ始める。そこには想像を超える残酷な事件の真相があった。二分割されたデザインの上部には、虚ろな表情を浮かべながら法廷に立つ連続殺人鬼・榛村の姿が。下部には、榛村の冤罪証明に挑む雅也が写っており、その背後には残酷さを象徴するかのように榛村に狙われた少年少女たちの写真が張り出された。
2021年12月23日阿部サダヲ×岡田健史W主演の白石和彌監督作『死刑にいたる病』より、ティザービジュアルが解禁となった。注目の作家・櫛木理宇の最高傑作を映画化した本作。監督は、2013年度賞レースを席巻した、史上最悪の凶悪事件とその真相を描いた問題作『凶悪』で注目を集め、恋愛ミステリーに挑戦した『彼女がその名を知らない鳥たち』や、警察とやくざの血で血を洗う攻防戦を過激な描写も辞さずに描いた『孤狼の血』でも数々の映画賞を獲得し高い支持を得ている、白石和彌監督。阿部サダヲが24人を殺した連続殺人鬼・榛村を演じ、榛村に依頼され事件の真相に挑むことになる青年を岡田健史が演じる。この度解禁となった本作のティザービジュアルでは、二分割されたデザインの上部に、虚ろな表情を浮かべながら法廷に立つ阿部さん演じる連続殺人鬼・榛村の姿が写し出され、下部には、榛村の冤罪証明に挑む岡田さん演じる雅也が写っており、雅也の背後には榛村に狙われた少年少女たちの写真が張り出された衝撃的なビジュアルとなっている。「連続殺人鬼からの依頼は、たった1件の冤罪証明だった」と書かれたキャッチコピーからは謎めく展開を予感させる。2人が見つめるその眼差しの先にどのような結末が待ち受けているのか…。本作への期待が高まるティザービジュアルとなっている。『死刑にいたる病』は2022年5月、全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:死刑にいたる病 2022年全国にて公開予定
2021年12月23日阿部サダヲと岡田健史のW主演、『彼女がその名を知らない鳥たち』『孤狼の血』の白石和彌監督が映画化する『死刑にいたる病』に岩田剛典と中山美穂が出演することが発表され、公開が2022年5月に決定した。24件の殺人容疑で逮捕され、そのうちの9件の事件で立件・起訴、死刑判決を受けた連続殺人事件の犯人・榛村を阿部さん。「罪は認めるが、最後の事件は冤罪だ。犯人は他にいることを証明してほしい」という彼の願いを聞き入れ、事件を独自に調べ始める大学生・雅也を岡田さんが演じる本作。事件を捜査する雅也の行く先々に現われる謎の男・金山一輝を演じるのは、「EXILE」「三代目J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE」のパフォーマーとしてだけでなく、第40回日本アカデミー賞新人賞俳優・話題賞や第41回報知映画賞新人賞などを獲得した初主演映画『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』をはじめ、映画『名も無き世界のエンドロール』やドラマ「プロミス・シンデレラ」などの演技で俳優としても注目を集める岩田剛典。「金山という役は、あまり多くは語らない役柄でもありましたので、感情を自分の中で明確にして臨みました」と語る岩田さん。「白石監督、そして主演の阿部さんとは今作で初めてご一緒させていただき、岡田さんとは2度目の共演でしたが以前の作品では同じシーンがなかったので、一緒に芝居をさせていただいたのは初めてでした」と明かす。コロナ禍の影響で撮影が1年近く延期になったと言い、「こうして無事完成した作品をお届けできること嬉しく思っています」と喜びを語る。また、榛村が冤罪だと訴える殺人事件の真相を調べ始める雅也の母であり、常に夫の顔色をうかがう主体性のない妻・筧井衿子には、1985年にデビューを果たし、日本レコード大賞、ゴールデンアロー賞で最優秀新人賞を受賞するなど歌手として絶大な人気を博し、岩井俊二監督の主演映画『LOVE LETTER』(1995)などで数多くの賞を受賞し、役者としてもドラマ、映画、舞台と幅広いジャンルで活躍する中山美穂。「原作を読んで、これを如何に映像化するのだろうかと演じる前から期待が膨らみました。内容とは裏腹に公開が楽しみです」と、中山さんはコメント。今回、顔の半分が隠れるほどの長髪で異様な雰囲気を纏った金山と、義母の四十九日で心痛な面持ちの衿子の場面写真も解禁された。白石監督は「いつかお仕事をと思っていた岩田さんに出ていただけたこと嬉しかったです。難しい役割を魂込めて演じてくださいました」とふり返り、「またガッツリやりましょう」と握手を誓ったそうで「岩田さんとは長い付き合いになりそうです」と語る。「そして、憧れの中山さんを演出する日がくるなんて思いもしませんでした。カメラの中に立つと世界を一瞬にして映画にしてくれる存在感でした。衿子という役の奥深くに眠る仄暗い感情を見事に体現してくださいました」と絶賛を贈っている。『死刑にいたる病』は2022年5月、全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:死刑にいたる病 2022年全国にて公開予定
2021年12月16日送検される服部恭太容疑者(左)=2日午前11時57分、警視庁調布署(共同通信)先日、京王線の特急電車内で起きた刺傷事件。殺人未遂容疑で逮捕された服部恭太容疑者はこう供述した。「人を殺して死刑になりたかったーー」。そんな身勝手な理由から、人の命を奪おうとする凶悪犯罪者たち。加害者家族をサポートするNPO法人『World Open Heart』の理事長・阿部恭子さんの元にも、「死刑になりたい」と言う子どもに怯える家族からの相談が寄せられている。いったい何がそうさせるのか。そして、阿部さんにとある青年が語った本心とはーー。■明日は我が身という恐怖10月31日、コロナの感染状況も落ち着き、仮装してハロウィンを楽しむ若者の姿も見られる東京の夜、京王線の車内で派手なスーツに身を包んだ青年が突然、乗客を切りつけ、車内に火をつける事件が発生した。現場はパニックになり、逃げ惑う人々の映像は社会を震撼させた。多くの人が利用する電車を狙った無差別放火・刺傷事件は、自分も巻き込まれるかもしれないという大きな不安を社会に与えている。事件の影響で、電車を利用することができなくなり、日常生活に大きな支障をきたすケースも出てくる可能性があり、長期的な被害者のケアと社会復帰への支援が不可欠である。「こういう事件が起きると、娘が巻き込まれたのではないかととても不安になります。無事だと判明した途端、今度は、息子が事件を起こすのではないかという不安に襲われるんです」久美(仮名・50代)は息子と娘、ふたりの子どもの母親である。息子・雅史(仮名・20代)は、大学受験の失敗がきっかけで自宅に引きこもるようになった。生活は昼夜逆転し、久美に暴言を吐き、家で暴れることもしばしばだった。久美は子どもたちがまだ幼いころ、夫を病気で失い、その後まもなく再婚していた。再婚相手は息子にだけ厳しく、成績が振るわないと叱責し、息子も年を重ねるごとに父親に激しく反抗するようになった。父子の間で板挟みになっていた久美は耐えられなくなり、数年前に離婚をし、夫は家を出ていった。雅史は、人生が思いどおりに行かなくなった原因は、母親が再婚したことだと久美を責め続けた。それだけでは収まらず、怒りの矛先は母親以上に妹にも向けられる。再婚相手の父親は妹には甘く、妹は比較的自由に育ってきた。学校でも活発で成績もよく、有名大学に合格していた。雅史は妹に激しく嫉妬し、父親が家を出てからは妹に暴言を吐くようになり、妹は実家を出てひとりで生活せざるを得なくなった。今年の8月、小田急線の車内で起きた刺傷事件の犯人は、「幸せそうな女性を見ると殺したい」「勝ち組の女性を標的にした」と供述していたと報道されたが、久美は妹を妬む雅史の姿と重なったという。「自殺で失敗して身体が不自由になったら嫌だから、死刑がいい。俺が犯罪者になったらあいつ(妹)の人生も終わりだ。やるときは道連れにしてやる」雅史はそう言って、久美を脅した。「人を殺したいならお母さんを殺してちょうだい……」息子の前に跪き、泣きながらそう叫んだこともあった。警察に相談してもカウンセラーに相談しても、事態は一向に収まらなかった。息子が人を殺める前に、この手で我が子を殺すしかない。そう思いながらもできないまま時間が流れていた。■殺意はどこから来るのか筆者は、久美から相談を受け雅史と直接会って話をする機会を得た。雅史は一見、穏やかで、礼儀正しい青年だった。家庭以外でトラブルを起こした過去はないという。しかし、「誰でもいいから殺して、死刑になりたいと思うことがある」話の核心に入ると、突然険しい目つきになり、はっきりと殺意を口にした。“死刑”という発想はどこから来るのか。雅史が言うには、母親の再婚相手である義理の父が、夕食の時、犯罪報道を見るたび、「こういう奴らは即刻、死刑にしろ!」と言っていた言葉が焼き付いているからだという。義理の父親はエリートで一流企業に勤めていた。父親は雅史に、地元で最も偏差値の高い高校に入学するようにプレッシャーをかけた。なんとか合格はしたものの、入学後は授業についていけず、劣等感から友達を作ることもできなくなり不登校気味になっていった。義理の父親に劣等感を抱くと同時に、実父を亡くした喪失感にも苦しんでいたのだ。雅史から見ると妹は要領がよく、新しい父親ともすぐに仲よくなっていた。雅史は、母や妹に裏切られた気がして不信感を募らせ、家族に攻撃的になっていたことがわかった。雅史と対話を重ねるうちに、不満は述べても「自殺」や「殺人」といった物騒な言葉を口にすることはなくなっていった。転機が訪れたのは、二浪の末、第一志望の大学から合格通知が届いてからである。その後は、順調な大学生活を送っており、人が変わったように明るくなり家族に暴言を吐くこともなくなった。それでもまだ、久美の親としての不安は払拭されてはいない。「就職が上手くいけばいいのですが、また挫折するようなことがあったらと思うと……。事件が起こる度、被害者か加害者か、明日は我が身と考えてしまいます」■子どもに「人を殺したい」と言われたら真知子(仮名・50代)もまた、かつて「人を殺したい」と訴える息子(10代)に悩まされていた。息子は学校の成績もよく友達も多かったことから、まさか現実になるとは考えられなかった。ところが事件は起きてしまう。息子がひとり暮らしを始めて間もなくのころ、自宅に訪ねてきた知人を刺して死亡させてしまったのだ。犯行動機について、息子は「人を刺してみたかった」と供述し、猟奇的な事件として報道された。「たとえ問題を起こしたとしても、まさか人を殺すなんて考えませんでした。あの時、もっとちゃんと子どもと向き合っていればと後悔しています」安全かつ確実な方法で死に至る死刑制度を求める殺人事件はこれまでにも起きており、殺人にまで発展しなかった事件においても、犯行動機として「死刑願望」が語られていたケースはいくつも存在している。このような現状に鑑みれば、死刑制度が犯罪の抑止として機能しているのか、非常に疑問である。では、もし自分の子どもが「人を殺したい」「死刑になりたい」などと口にしたらどのようにしたらいいのか。「人を殺したい」といった言葉は出口の見えない絶望感、底知れぬ孤独、制御不能となった異常性を示すSOSとなる。その欲求がどこから生じるのか、真摯に向き合ってくれる人がいることは犯行の抑止になり得ると言える。久美のように、家庭に問題を抱えながらも息子を支えるだけの経済力が残っているケースはそう多くはない。金銭的にも余裕がなく、誰にも相談できず、あらゆる繋がりが絶たれて孤独になってしまった人々。彼らの受け皿が、社会には必要である。阿部恭子(あべ・きょうこ)NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)、『家族間殺人』(幻冬舎新書、2021)など。
2021年11月07日映画『死刑にいたる病』が、2022年5月6日(金)に公開される。櫛木理宇の小説「死刑にいたる病」を映画化原作は、初版「チェインドッグ」として発売され、文庫化に合わせて「死刑にいたる病」に改題された。作家・櫛木理宇の最高傑作と言われており、今回はそれを映画化。監督は白石和彌で、日本史上最悪の連続殺人事件、そしてそれに隠された真相、驚愕のサイコサスペンスを描く。阿部サダヲ×岡田健史がW主演榛村(阿部サダヲ)24件の殺人容疑で逮捕され、9件の事件で立件・起訴、死刑判決を受ける。罪は認めているものの、最後の事件は冤罪だと主張。犯人は他にいると話す。犯行当時、営んでいたパン屋「ロシェル」には街の人々が絶えず足を運び、“魅力的な人物”で社会に溶け込んでいた。ターゲットは 、黒髪で制服を校則通りに着る真面目そうな10代後半の少年少女 たち。 商店街で経営するパン屋「ロシェル」に通う常連をターゲットにすることもあった。 犯行手口はターゲットと信頼関係を 築く ところから始まり、自然に接触し会話を増やす巧みな方法で計画的に進めていく。この日本史上類をみない数の若者を殺した連続殺人鬼・榛村を演じるのは、阿部サダヲ。白石監督との作品では『彼女がその名を知らない鳥たち』に出演していた。筧井雅也(岡田健史)理想とは程遠いランクの大学に通い、鬱屈した日々を送る、どこにでもいそうな男性。ある日、殺人事件の犯人として収監されている榛村から手紙を受け取る。雅也は、中学生の頃、榛村が営んでいたパン屋に通っていた。榛村から最後の殺人は冤罪であり、雅也に事件の真相に迫るよう求められる。雅也を演じるのは岡田健史で、ドラマ「中学聖日記」で有村架純の相手役としてデビューを果たして以来、大河ドラマ「青天を衝け」などへの出演で話題を集めている。金山一輝(岩田剛典)事件を捜査する雅也の行く先々に現われる謎の男。顔の半分が隠れるほどの長髪で異様な雰囲気を纏う。筧井衿子(中山美穂)榛村が冤罪だと訴える殺人事件の真相を調べ始める雅也の母であり、常に夫の顔色をうかがう主体性のない妻。加納灯里 (宮﨑優)...雅也と同じ大学に通う幼馴染み筧井和夫(鈴木卓爾)...雅也の厳格な父根津かおる(佐藤玲)...最後の殺人事件の被害者佐村 役(赤ペン瀧川)...榛村の担当弁護士地元の 農夫(吉澤健)...榛村の隣人滝内 役(音尾琢真)...昔の榛村を知る人物赤ヤッケの女(岩井志麻子)...冤罪を主張する殺害事件の現場となった山の所有者相馬 (コージ・トクダ)...金山の元同僚監督は『凶悪』『孤狼の血』の白石和彌監督を務めるのは、『孤狼の血』の白石和彌監督。史上最悪の凶悪事件とその真相を描いた問題作『凶悪』や、警察とやくざの戦いを過激な描写を入れつつ描いた『孤狼の血』などで数々の映画賞を受賞&高く評価されている。白石和彌監督は次のように話す。「僕自身が10代20代の頃に持っていた鬱屈と、後ろめたい憧れを抱いてしまう殺人鬼。その両方が見事なコントラストで混在している櫛木先生の原作に心を奪われて映画化をお願いしました。」理想とは程遠いランクの大学に通い、鬱屈した日々を送る雅也。ある日彼のもとに1通の手紙が届く。それは世間を震撼させた稀代の連続殺人事件の犯人・榛村からのものだった。24件の殺人容疑で逮捕され、9件の事件で立件・起訴。死刑判決を受けた榛村は、犯行を行っていた当時、雅也の地元でパン屋を営んでおり、中学生だった雅也もよくそこに通っていた。「罪は認めるが、最後の事件は冤罪だ。犯人は他にいることを証明してほしい」。榛村の願いを聞き入れ、雅也は事件を独自に調べ始める。そこには想像を超える残酷な事件の真相があった。作品詳細映画『死刑にいたる病』公開日:2022年5月6日(金)監督:白石和彌脚本:高田亮出演:阿部サダヲ、岡田健史、岩田剛典、宮﨑優、鈴木卓爾、佐藤玲、赤ペン瀧川、大下ヒロト、吉澤健、音尾琢真、岩井志麻子、コージ・トクダ、中山美穂製作:「死刑にいたる病」製作委員会(クロックワークス、東北新社、テレビ東京)配給:クロックワークス
2021年08月27日阿部サダヲと岡田健史が『孤狼の血』シリーズの白石和彌監督のもとで共演、注目の作家・櫛木理宇の最高傑作と呼ばれた小説を映画化した『死刑にいたる病』が、2022年に公開されることが決定した。理想とは違う大学に通い、鬱屈した日々を送る雅也に、ある日届いた1通の手紙。それは世間を震撼させた稀代の連続殺人事件の犯人・榛村からのものだった。24件の殺人容疑で逮捕され、そのうちの9件の事件で立件・起訴、死刑判決を受けた榛村は、犯行を行っていた当時、雅也の地元でパン屋を営んでおり、中学生だった雅也もよくそこに通っていた。「罪は認めるが、最後の事件は冤罪だ。犯人は他にいることを証明してほしい」。榛村の願いを聞き入れ、雅也は事件を独自に調べ始める。そこには想像を超える残酷な事件の真相があった――。日本史上類をみない数の若者を殺した連続殺人鬼・榛村を演じるのは、大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で主人公の田畑政治役を熱演し、白石監督とは『彼女がその名を知らない鳥たち』以来のタッグとなる阿部サダヲ。そして収監されている榛村の元に通い事件の真相に迫る雅也には、ドラマ「中学聖日記」で衝撃のデビューを果たして以来、「MIU404」や大河ドラマ「青天を衝け」、『望み』など話題作への出演が続く注目の若手俳優・岡田健史。原作者の櫛木理宇といえば、2012年に学園ホラー「ホーンテッド・キャンパス」で日本ホラー小説大賞・読者賞を受賞してデビュー。同年、少女たちのダークな物語「赤と白」(集英社文庫)で小説すばる新人賞を受賞。本作の原作は初版「チェインドッグ」のタイトルで発売され、文庫化に合わせて「死刑にいたる病」に改題された。脚本は『そこのみにて光輝く』『オーバー・フェンス』などを手掛けた脚本家・高田亮が、白石監督と初タッグを組んでいる。阿部サダヲコメント俳優をやっていて、「1度は手を出してみたい役」を頂けたので楽しんで演じました。白石組、白石監督の想像を超えるアイデア、どう仕上がって来るのか非常に楽しみです。岡田健史くんとのシーンは相当痺れました。岡田健史コメントこんなにも濃密な時間を過ごし、“人”に恵まれ、公開を待っててくださる方々に向けて、伝えたいことが豊富な作品に巡り逢えたという実感に、自分でも驚いています。きっと、今作品で交じり合えた方々との時間は、いつまでも自分の身体に宿り続けることでしょう。勝手ながら一若者として、この方々の魂を受け継いでいきたいと思いました。さて、僕の役柄ですが、筧井雅也という、どこにでもいる男性です。“どこにでもいそう”、なのです。故に、この日本において誰にでも起こりうる機微を雅也は持っています。作品中に過激な表現も含まれてますが、今作品は雅也と同年代の方々にも是非観て頂きたいです。人は人に怯え、傷つけ、傷つけられて、抱きしめられて、救われてるということ。それはつまり何なんだろうと、思春期に考える時間が欲しかったと自分自身がそう感じるからです。公開をお楽しみに。もう少しの間だけお待ちください。白石和彌監督コメント僕自身が10代20代の頃に持っていた鬱屈と、後ろめたい憧れを抱いてしまう殺人鬼。その両方が見事なコントラストで混在している櫛木先生の原作に心を奪われて映画化をお願いしました。阿部さんと岡田さんの邂逅も運命を感じる大きな事件でした。映画を観た後どんな感情が残るのか、僕もとても楽しみです。完成まであと少し。スクリーンでお会いできる日をお待ち下さい。櫛木理宇コメント映画化のお話をいただいたときにまず「やった!」と思い、次に監督が白石和彌さんだとお聞きした瞬間「やった!!!」と感嘆符が三倍になりました。わたしの原作を監督が、このキャストの皆さんが、どう料理してくださったのか想像するだけで胸が高鳴ります。映画館の大スクリーンで拝見できる日を心待ちにしております。『死刑にいたる病』は2022年、全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2021年08月24日東京・秋葉原で通り魔事件を起こした加藤智大死刑囚《5時21分車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使いますみんなさようなら》《12時10分時間です》2008年6月8日、加藤智大(当時25=死刑囚)が東京・秋葉原で通り魔事件を起こした。2tトラックで中央通りの交差点に突っ込み、横断中の歩行者5人をはねたあと、通行人や警察官をダガーナイフで切りつけた。その結果、7人が死亡。10人が重軽傷を負った。■ネットに居場所を求めてさまよう人たち当初、非正規雇用の劣悪な待遇への不満が犯行理由と思われていた。だが、裁判で明らかになった動機は別のところにあった。ネット上のトラブルが要因だったのだ。このころ、ガラケーでしかアクセスできないサイトがあった。加藤はそうしたサイトのひとつ、匿名で書き込める掲示板へ日参していた。加藤は獄中出版した手記『解』の中で、こう述べている。《ネット上での出来事は非現実であるかのような言われ方をすることがありますが、ネット上は、仮想空間ではあっても非現実のものではなく、れっきとした現実です》秋葉原通り魔事件の発生から今年で13年がたつ。いまやインターネットは広く普及し、SNSが災害時の連絡手段として機能するなど、生活に欠かせない存在となった。その一方で、トラブルや事件も頻発している。ネット犯罪の変遷をたどりながら、それでもネットに居場所を求めてさまよう人たちの姿を追いかけてみよう。ネット上のトラブルを発端とした殺人事件に、’04年6月に起きた「佐世保小6女児同級生殺害事件」がある。長崎県佐世保市の小学6年の女児が給食の準備中、同級生を殺害した。舞台になったのはコミュニティサイトだ。そこではウェブ日記を書くことができ、掲示板でのやりとりも可能。被害女児が加害女児に対し“言い方がぶりっこだ”と書き込み、削除しても再び同様の書き込みをするなど複数のトラブルが背景にあった。佐世保の事件後、文部科学省は掲示板やネットいじめを予防・対処する「情報モラル教育」を加速させる。’08年には社会問題となっていた、いわゆる「学校裏サイト」の実態調査が行われた。誹謗中傷が多いことがわかり、利用上の課題となり始めた。■掲示板は“家族”同然の人間関係ネットが居場所になるのは、リアルな世界で居場所を得られないことが一因だ。秋葉原事件の加藤の場合、自殺願望も抱えていた。《生きていても仕方がない。死んでしまいたい》というメールを友人に送っている。だが結局、自殺をやめ、ネット上に居場所を求め続ける。自殺を考えるほどの生きづらさを抱く若者たちにとって、匿名の相手に気を許せる雰囲気のあるネット世界は、居心地がいい。しかし、加藤の書き込みは掲示板で「荒らし」扱いされてしまう。そこで別の掲示板に居場所を移す。《私にとっては家族のような。家族同然の人間関係でした》(『解』)と振り返るほど、掲示板の存在は大きかった。そんな中、加藤が依存していた掲示板の中で「なりすまし」が現れた。《人間関係を乗っ取られたという状態になりました。帰宅すると、自分そっくりな人がいて、自分として生活している。家族からは私がニセモノ扱いされてしまう状態です》(『解』)そうした状況の中、加藤は“自分はここにいる”と言いたくなってきた。裁判の被告人質問で、当時の心境を次のように語っている。「自分が事件を起こしたことを(掲示板のユーザーへ)示すために大事件を起こす必要があると思いました」加藤はこうも考えた。《事件を起こさなければ、掲示板を取り返すこともできない。愛する家族もいない。仕事もない。友人関係もない》(『解』)秋葉原事件に関心を寄せ、裁判の傍聴を繰り返した人もいる。マサヨさん(仮名=40代)だ。当時、失恋で自殺未遂をしたこともあって、自分より弱い者を殺したいと思うほど屈折した心理状態に陥っていた。両親は厳しく、友達付き合いもうまくいかない。だが、ネット上では自分の気持ちを吐露できた。「当時、ミクシィやモバゲーにハマっていました。そこで自殺未遂のことやメンタルヘルスについて日記に書いていたんです。そんな私にとってSNSは居場所でした」日本で最初にSNSが登場したのは’04年だ。マサヨさんも加藤も、匿名性の高いネットに自分の居場所を見いだした。しかし、加藤が殺傷した相手は、掲示板でのトラブルとは何ら関係のない人たちだ。犯行は理不尽極まりない。■つながり求める思いを悪用した座間事件SNSやネット掲示板は、匿名の中で自分の気持ちをつぶやき、それを受け入れてくれる居場所だった。しかし、インターネットが広く普及されるのに伴い、誹謗中傷が増え、行政などの対策も強化された。今では居場所の要素がなくなっているのが現状だ。’17年10月30日、神奈川県座間市のアパート内で切断された遺体が見つかった。逮捕されたのは、白石隆浩(当時27=死刑囚)だ。被害者9人のうち、8人が女性だった。1人目の被害者・Aさんは中学2年のときにいじめに遭っていた。恋愛にも悩みがあり、高校1年のときに家出をしている。’16年8月、ネットで知り合った女性と自殺を図り、自分だけ助かった。罪悪感から入院先でも自殺未遂をする。’17年8月ごろ、死にたい気持ちはより強まった。このころ、白石は風俗スカウト時代の経験上、「自殺願望のある人は言いなりになりやすいと思っていた」(検察側冒頭陳述)ことから、ツイッターで「死にたい」「寂しい」「悲しい」などとつぶやく女性を探していた。白石は同年2月、売春させるのを知りつつ風俗店に女性を紹介した罪で、執行猶予判決を受けていた。釈放後、「まともな仕事はできないだろう」と考え、女性のヒモになろうと思いつく。そのため「一緒に住もう」とAさんを誘い51万円を振り込ませた。それから白石は座間市内のアパートを借りることになるが、ここでAさんだけでなく、ほかの8人も殺害する。白石に殺された被害者の心情は「自殺系サイト」に集まるユーザーの心情に近い。「死にたい」と打ち明けるだけで心理的に安定する。死にたい理由は、学校や夫婦関係、仕事の問題、精神疾患の悩みなど、さまざまだ。座間事件の裁判の傍聴に何度も通ったチカさん(仮名=20代)は、被害者の心情がわかるという。「鍵付きのアカウントですが、私もSNSで“死んでもいい”とつぶやいたことがある。もし、鍵をはずしていたら、白石とつながったのかもしれないです。ネットは気軽につながれますよね」なぜチカさんは、そのようにつぶやいたのだろうか?「コロナ禍でずっとひきこもっていて、大学も卒業できませんでした。生きていても意味があるのかな、と思っていたんです。友人数人に自殺をほのめかすLINEを送ったこともあります」最近でも座間事件と類似の事件は起きている。’19年9月、東京・池袋のホテルで、ツイッターで「死にたい」とつぶやいていた女性が大学生の男に殺害された。’21年3月にも、「自殺したい」とつぶやいていた19歳の女性の殺害未遂事件があった。居場所を求めても見つけきれないまま、今なお多くの若者たちがネット上で漂流している。取材・文/渋井哲也ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。若者の生きづらさ、自殺、いじめ、虐待問題などを中心に取材を重ねている。『ルポ 平成ネット犯罪』(ちくま新書)ほか著書多数
2021年07月07日林真須美死刑囚(写真/共同通信イメージズ)「長女が婿さんと孫を連れて、眞須美に面会に来たそうです。“色が白い子で、婿さんに似て、目のクリッとしたかわいい子やった”って」14年前の’07年、雑誌のインタビューに答えるのは林健治さん(76)。“眞須美”とは、健治さんの妻で、’98年7月に起きた『和歌山毒物カレー事件』で逮捕された林眞須美死刑囚(59)のことだ。和歌山市園部の夏祭り会場で提供されたカレーを食べた人が次々と嘔吐。4人が死亡、63人が腹痛と吐き気に襲われるという大惨事となった。のちにヒ素中毒であることが判明し、事件から2か月半後に眞須美死刑囚が逮捕される。■再審請求が受理されたのと同時に悲劇が冒頭の孫は眞須美死刑囚にとって初孫で、目に入れても痛くない存在だった。そのため、拘置所で自ら孫の名をつけたという。その名は“心桜”と書いて“こころ”と読む。「字画を全部調べて、縁起がいい名前を、一生懸命考えてつけたそうです」(健治さん)この健治さんのインタビュー直後、死刑判決が確定した眞須美死刑囚。それが再び動き出したのは今月9日。和歌山地裁に無実を求めて再審請求を行い、受理されたことが明らかになった。眞須美死刑囚にとっては一縷(いちる)の望みになったことだろう。だが時を同じくして、悲劇が起きる。愛孫(あいそん)の鶴崎心桜(こころ)さん(享年16)が変死する。名づけ親たる祖母の朗報を知らぬまま。9日の午後2時過ぎ、和歌山市内の自宅アパートへ帰宅した眞須美死刑囚の長女・A子さんは、倒れている心桜さんを発見。すぐさま119番通報した。「帰ってきたら娘の意識がない。血みたいな黒いものを吐いている」しかし、搬送先の病院で心桜さんの死亡が確認された。全身打撲による外傷性ショック死だった。全身には古いあざも多数。いったい何があったのか──。心桜さんの死亡時、自宅にはA子さんとその夫、4歳になる妹と一家全員がそろっていた。その数時間後、A子さんと妹は関西空港近くの海に遺体となって浮かんでいた。A子さんは全身打撲による多発外傷、妹は水死だった。A子さんは赤い自家用車に妹を乗せて関西国際空港の連絡橋まで行き、そこから海に身投げして無理心中を図ったとみられている。くしくも亡くなったA子さんの年齢は、眞須美死刑囚が事件で逮捕された年齢と、同じだった。一方、A子さんの夫は心桜さんの搬送に付き添っていたがその後、行方不明に。警察の捜索によって、和歌山港近くで発見されたが、意識は朦朧(もうろう)としていたという。地元紙の社会部記者が説明する。「夫は警察の取り調べに対して、“カフェインを飲んで死のうとしたが、死にきれなかった”と話しています。さらに心桜さんへの虐待について“大変なことをしてしまった”と認めるような供述もしています。父親は体調が回復次第、心桜さんへの傷害致死の疑いで逮捕されるようです」■2番目の夫と再婚後に虐待を疑う報告が時を23年前に戻す。’98年に『和歌山毒物カレー事件』で逮捕された眞須美死刑囚。夫の健治さんも保険金詐欺事件などで逮捕され、残された長女のA子さん、次女、長男、三女は養護施設で育つことに。その後、A子さんは高校を中退して就職。20歳で、最初の夫と結婚する。「地主で裕福な家だった夫の両親は息子の嫁が眞須美死刑囚の長女だとわかると、結婚に猛反対した」(週刊誌記者)’05年、駆け落ち同然で一緒になった2人の間に生まれたのが、眞須美死刑囚の初孫、心桜さんだった。冒頭の“婿さん”とは、この夫のことだ。’07年ごろ、一家は今回の事件現場となった和歌山市内のアパートに引っ越す。「夫婦の幸せはそう長くは続かなかった。心桜さんが小学生になるころに、2人は離婚。それから間もなく、A子さんは2番目の夫と再婚します」(同・週刊誌記者)新しい父親を迎えると、A子さん一家の歯車が狂い出す。そのころ、児童相談所に心桜さんへの虐待を疑うような報告があがっていた。『和歌山県子ども・女性・障害者相談センター』に問い合わせると、次のように答えた。「’13年に、虐待の通告がありました。両親を面談した結果、虐待している当該者から、“2度としません”と確約が得られたために、’14年になってそれを解除しました」個人情報の問題で“当該者”について誰かは話せない、とのことだった。その後、一家はしばらく落ち着いたように見えた。だが4年前、新しい夫との間に娘が生まれると、思春期を迎えていた心桜さんに異変が起こる。■心桜さんは中学校の3年間、ずっと不登校だった「彼女は中学校の3年間、ずっと不登校でしたね。一応、卒業はさせてもらえたんだけど、卒業アルバムにも載ってない。高校にも行かなかった」(中学校の同級生)児相にも、連絡が入っていたという。前出の社会部記者によると、「’18年10月、A子さんから“娘の非行について、相談にのってほしい”と連絡があったそうです。だが、翌月には“もう大丈夫ですから、相談をとり下げます”と」A子さん一家にいったい何が起こっていたのか。近所の住人も、首をかしげて話す。「A子さんはいつも赤い車を運転していて、助手席には旦那さんや下のお子さんを乗せていました。すれ違うときは、きちんと挨拶する礼儀正しい人でね。よくスーパーでも見かけました。とても仲睦まじい親子に見えましたよ」ただ、A子さんと心桜さんが一緒にいるのを見たことは一度もなかったという。『和歌山毒物カレー事件』の現場となった和歌山市園部は、23年前の当時とは打って変わってコンビニやドラッグストアが立ち並び、狭かった道路も道幅が広くなり、整備されている。現場近くの住民は、涙を浮かべながら話す。「眞須美死刑囚の子どもたちに何も罪はないから。施設で育って、やっと幸せをつかんだのに、最愛の娘を失ったら、死にたくもなるやろ。なんて不幸な人生やろなぁ……」カレー事件の被害者の中には、心桜さんと同い年で亡くなった子、鳥居幸さんがいた。彼女は別の自治会の祭りに行く予定だったが、友人に付き合ってたまたま参加した同地区の祭り会場で犠牲になってしまう。幸さんの父親に今回の事件について伺うと、「そうですか……。また、あの忌まわしい事件を思い出してしまいますね。私の娘も生きていれば、もう40歳近くになりますね……」眞須美死刑囚が孫に名づけた“心桜”は過去に『女の子の名前ランキング』で1位になるほど、大人気のキラキラネーム。“桜のようにみんなから愛される優しい子になってほしい”などといった願いが込められた名前だ。得体の知れない因果を感じさせる一連の事件。愛孫への思慕の念を踏みにじられた眞須美死刑囚は今、絶望の淵に立っている。
2021年06月22日最後の主演作で『教誨師』を演じた故・大杉漣さん2019年9月、茨城県境町の住宅で、この家に住む夫婦が殺害され、2人の子どもが重軽傷を負った事件。茨城県警は5月29日、子どもたち2人への殺人未遂と傷害で、無職、岡庭由征容疑者(26)〈殺人容疑で逮捕、処分保留〉を再逮捕したと発表。岡庭容疑者は過去に2人の少女を刃物で切りつけたとして殺人未遂罪などで逮捕、起訴されていた。だが、精神鑑定で刑事罰ではなく医療少年院へ送致の保護処分が決まった。出所後、再び凶行に走ったとみられている。それに対し、世間は憤り、SNSを中心に罰則の厳罰化、少年法の改正が叫ばれた。だが、岡庭のように再び罪を犯し、塀の中に戻ってくる受刑者は少なくない。■『教誨師』は受刑者を更生に導く「伴走者」現在、刑務所や拘置所などに収監される被収容者の数は4万6148人(矯正統計調査’21年3月現在)。「刑務所など刑事施設では被収容者への矯正教育やカウンセリングなど更生プログラムも用意されています。ですが、最後に向き合うのは自分の罪をどう償えばいいのか。これは宗教家でなければできないことではないかと思います」そう説明するのは龍谷大学の石塚伸一教授(刑事法学)。受刑者らに対し、宗教的な観点から矯正や更生を行い、死刑囚の最期も看取るのが『教誨師(きょうかいし)』だ。教誨師はキリスト教会の牧師や寺の住職、神社の神主らがボランティアで担い、全国の刑務所などで1800人以上が活動している。宗教家による教誨を『宗教教誨』といい、いくつか種類がある。「刑務所の体育館などで収容者全体に向けて教えを説く『集合教誨』、命日など法要や各宗教行事を行う『忌日教誨』。そして罪を犯した人と一対一で面談する『個人教誨』です」(石塚教授、以下同)’18年10月には『個人教誨』を舞台にした映画『教誨師』が公開された。故・大杉漣さんの最後の主演作品で、エグゼクティブ・プロデューサーも務めていた。大杉さんが演じたのはキリスト教の牧師、佐伯保。教誨師として、6人の死刑囚と対話を重ねながら自らの人生とも向き合うという内容だ。受刑者たちの言葉に耳を傾け、教えを説く。ときに苦悩し、葛藤を重ねながらも更生へと導く姿が描かれている。前出の石塚教授は「伴走者」と表現した。「加害者は被害者や自分の家族にいくら謝罪の言葉を述べてもどうにもならないことを知っている。過去は変えられないし、亡くなった人は帰ってこない。本当に反省し、きちんと自分の罪と向き合ったときにひとりではどうしたらいいのかわからなくなる。その手助けをしてくれるんです」■罪と重荷と救いを。更生への第一歩犯罪加害者が唯一心を許せる存在となる教誨師。日本基督教団教誨師会会長の加藤幹夫牧師が説明する。「宗教教誨を訪れる人の多くは何らかの救いを求めています。自分を見つめなおしたい人、更生して新しい人生を生きたいと願う人もいます」だが、強制ではないため、受刑者や死刑囚が自らの意思で足を運んでくるのを待つ。「刑務所に入ってから宗教を知る人はたくさんいます。刑務所や拘置所は時間があるので、宗教的なものに触れる機会も多い。キリスト教なら聖書を読んだり、仏教なら写経をしたり。宗教の話を聞いてみたい、と訪れる人もいるのです」(加藤牧師)なぜかキリスト教を希望する人は多い。特に一対一で話をする『個人教誨』は人気で1人あたり、5〜10分ほどしか時間が取れない刑務所もあるそうだ。では、実際、現場で働く彼らは何を思うのか──。僧侶のA住職。40年以上、拘置所などで受刑者や死刑囚と向き合ってきた。中には凶悪事件の加害者もいた。「被害者に対して懺悔し、悔い改めている人もいますが改心は非常に難しい問題です」そんなA住職が長年心がけてきた教誨スタイルは被収容者の言葉に真摯に耳を傾ける、傾聴の姿勢。「自分たちの教理を教えたり、何か諭すのではないんです。彼らはわかってほしい、聞いてほしい、という思いがあります。聞くことがいちばん大切です。私はどんな罪で収監されているのかは、事前にはほとんど聞きませんし、裁判の記録も一切見ません」先入観を持たず接し、仏教の教えを住職自身の実体験を交えて語ることで相手との親近感が増し、徐々に心を開いてくれるという。「過ちには自らで気づき、悔い改めることが重要。回数を重ねると彼らの様子も変わってきます」住職によると、人間は必ず変わるという。「変わることを信じていかなければならない。その変わる何かのきっかけになる、それに出会う場が教誨です」刑務所で宗教に出会い、立ち直っていくこともある。誰しもが罪を犯す可能性はある。お金があって、教育をしっかり受けていてもはずれていく人間もいる。「これも縁です。親鸞(しんらん)聖人は“人はだれでも、しかるべき縁がはたらけば、どのような行いもするものである”とおっしゃっています。私だってそういう縁がくれば人を殺したくないと日ごろは思っていても、殺してしまうものです。ここはとても大切な視点で“人間として生きていく悲しみを共有する”ことが教誨の原点。そこから仏さまの光が差しこみ真の人間性回復が起こると信じます。仏教的な考えではこの世に生を享けてからが私の命が始まりではないのです。この命は、これまでもずっと続いてきて死んで終わりではない。未来にわたって果てしなく続くものなのです」そのサイクルの中で犯罪に手を染めてしまうことがあるとの考えだ。悪人も善人もいない。縁の中で繰り返されている。と語るA住職はこれまで多くの声を受け止めてきた。■死ねなかった受刑者償いは十字架を背負い前出の加藤牧師の教誨の場にも罪の大きさや将来のことなどを悩む受刑者が訪れる。「ですが悔い改め、神を信じたからといって、被害者家族から許されることはないでしょう。殺人を犯した人で自分の罪に耐えられず何度も死のうと思ったけど死にきれない、と明かした人がいました」そんな彼に対し、加藤牧師が伝えたことは、「過去は変えられない。罪を犯した人は自分がやってきたことに立ち返って、自分を変えないといけない、と。自殺したらそれは罪から逃げることになり、償いにはならない。ずっと十字架を背負って生きなければならないんです。生きる、ということは神がその人が罪を背負って生きる歩みを支え、赦(ゆる)し、救いに導いてくださっているのです」犯罪者なのに救われるのは納得がいかない、という声もあるというが……。「宗教で救われたら楽になるわけじゃない。信仰が深まれば深まるほど罪を自覚していくので、受刑者は教誨師と向き合っても救われるわけではない。自分の罪と向き合い、悩み、考え続けることが贖罪なんです」(石塚教授)自分が万能でないと知り、弱い存在であることを認め、罪と向き合い悩む中で、神や仏と出会う手助けをする存在なのだ。前出の加藤牧師は、「再犯を防ぐためには『絶対的な存在』は不可欠です。もし、罪を犯しそうになったとき、神は止めてくれる存在でもあることを伝えています。苦しいときや誘惑に晒されそうになるとき“助けてくださいと祈りなさい”と。絶対者と向き合うことで自分を見つめなおすことができます」だが、受刑者の中には罪と向き合うどころか“これだけの期間入れば出られる”と日数を過ごしたり、反省すらしていない人もいるという。最近は窃盗と薬物で服役する女性の受刑者も目立つ。性犯罪を繰り返す男性も多く、依存的になる犯罪が増えている傾向もみられる。「依存的な場合、悔い改めても出所後にまた繰り返してしまうこともある」(加藤牧師)当然、改心して社会復帰した人もいる。だが、教誨をしていて「更生は難しそう」と察する人も……。■ある死刑囚の邂逅受刑者の孤独と孤立前述の石塚教授は数年前に死刑が執行されたある男性死刑囚との邂逅(かいこう)を明かした。かつて面会していた死刑囚がいた。19歳のときの強盗殺人で無期懲役。18年近く服役して仮釈放。数年後に今度は殺人で死刑の判決を受けて死刑囚になった。その死刑囚が教誨師と出会ったのは最期のときだった。「最期に浄土真宗の僧侶との会話を希望したそうです。自らの話をし、僧侶から仏の話を聞き、沈黙になった」誰も何も言わない。すると死刑囚は“さあ行きましょう”と言った。刑務官が彼を連行し、刑が執行された。安らかな顔をしていたが、首には執行を示唆する、真っ赤なアザ。亡骸は葬儀後、拘置所の外に運ばれていった。「彼は罪に苛まれ、死を望んでいました。つらかったと思うんです。もし、もっと若いころ、少年院に入ったとき教誨師と出会い、宗教的な種をまかれていたら違っていたかもしれない、と思ったんです」石塚教授はじめ、加藤牧師、A住職が共通して訴えることは受刑者たちの『孤独』と『孤立』だ。A住職は、「罪を犯した途端、すごい孤独に襲われるそうです」誰しも『孤独』は心に持っているが、罪を犯せば、家族や友人たちからも見捨てられ、仕事も居場所も失い、孤立に変わる。さらに刑務所独自のルールも拍車をかける。「自由に話せない、動けない、言われたことをやっていればいい。そういう習慣を身につけた人は出所すると誰かとコミュニケーションをとるのが下手になるんですよね。自分で考え、人と合わせなきゃいけないのが苦痛だそうです」(石塚教授、以下同)■再犯防止に重要なのは社会的な孤立を防ぐことさらに“前科者”と言われることでさらに孤立が深まる。「社会的な孤立をどう防ぐかも犯罪を繰り返させないための非常に重要なポイントです」だが、猟奇的な事件が起きるたび、厳罰化が訴えられる。「考えられないような犯罪が起こることは社会にも問題があるかもしれないんです。特に凶悪犯罪では犯人にこれまでの人生でなんらかの人間関係の壊れがあったことは確かです。そして追い込まれていったときに身近に苦しみをわかってくれる人がいなかったり、孤立化したことが犯罪に手を染める一因となってしまいます。刑務所から出て、再び孤立化してしまえば負のスパイラルに陥ってしまいます」(加藤牧師)だが、いくら神や仏に仕えているとはいえ、同じ人間。映画『教誨師』の作中の佐伯牧師同様、葛藤も抱えている。「罪を犯した人を支えることは裏切られることも多い。人間の罪深さはなかなか変えられない。ですが、それもわかったうえじゃないと受刑者とは関われない」(加藤牧師)「彼らが特別ではない、私たちも同じです」(A住職)並大抵の精神力では務まらない。だが加害者たちはその真摯な姿を目の当たりにして己の過ちに気づかされていく。そして、ひとりでは生きられないことも。石塚教授は、「私たちだって誰かの伴走者なんです。同僚、友人、家族、背負いきれない荷物を一緒に担いで走ってくれる人が周囲にいます。そして誰かの重荷を一緒に担ぐこともできます。そうやって支え合っているんです。実は誰もが誰かの『教誨師』なんです」お話を聞いたのはA住職◎40年以上にわたり、教誨活動を行う寺院の住職。匿名を条件に取材に応じてくれた加藤幹夫牧師◎日本基督教団教誨師会会長。牧会の傍ら、刑務所において懲役受刑者らへの教誨活動を行う石塚伸一教授◎龍谷大学法学部教授、犯罪学研究センター長。専門は刑事法学。刑事政策や犯罪学を研究
2021年06月09日10月23日から25日まで、東京・松本治一郎記念会館で開催される「死刑囚表現展2020」。16年7月に障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら46人を殺傷した植松聖死刑囚の作品も出展されるとして、物議を醸している。神奈川新聞「カナコロ」によると、「安楽死の法制化」「大麻合法化」「美容整形の推進」といった独自の「政策」を角2サイズの茶封筒に書き連ねたものが展示されるという。記事に掲載された写真には「美は善行を産み出すため、整形手術は保険適用します」「地球温暖化を防ぐため遺体を肥料にする森林再生計画に賛同します」など、植松死刑囚のつづった文章が。このような企画を受けて、被害者の遺族からは「何ら贖罪の気持ちがない」と不快感や嫌悪感を表す声が上がっているという。「昨年は08年に秋葉原通り魔事件を起こした加藤智大死刑囚や、15年に寝屋川市で中学生2人を殺害した山田浩二死刑囚も出展。山田死刑囚は、控訴を取り下げたことで死刑判決が確定しました。応募作品は自分の描いたイラストで、『どうして死刑確定者になってしまったんだろう』『助けて下さい!』など後悔を訴えるものでした。山田死刑囚は、今年も出展者として名を連ねています。この展示会は死刑囚の遺族が残した資金をもとに、05年から始まりました。心の内側を表す手段を持たない死刑囚たちに文章や絵画、詩歌などで表現する機会を与えるために開かれています。背景には死刑廃止を訴える意図が込められていますが、被害者や遺族に対する配慮が欠けるとして強い批判も根強くあります。『やまゆり園』の事件に関しては遺族だけでなく、周辺住民からも精神面の相談が寄せられていました」(全国紙記者)ネットでは《興味ある》《見に行きたい》《表現の自由は死刑囚にもある》といった声があるいっぽう、批判的な意見も広がっている。《何のためにやるのだろうか。罪を犯してこういう作品展示とか本にしたりとか、本当に意味がわからない》《死刑囚の思考に興味はあっても理解も共感もできない。作品と呼べる感性も理解し得ない。展示したその先に何があると思っているのか》《被害者遺族の傷口に塩を塗るようなことしないでほしいわ》
2020年10月22日土屋死刑囚からの手紙殺人事件の犯人に科せられる、この国の最高刑罰『死刑』。現在、日本にいる死刑囚は約110名。毎年のように死刑の執行が行われているにもかかわらず、何十年もの間、その現場は厚い雲で覆われてきた。その雲の先には何があるのか。凶悪な殺人を引き起こす者とは、一体どんな表情をしているのだろうか。本稿は、現在、ある死刑囚と手紙のやりとりや、面会を続けている河内千鶴によるものである。『前橋市高齢者連続殺人事件』。2014年11月に群馬県前橋市で、当時26歳の土屋和也死刑囚が、高齢者1名、続いて同年12月に高齢夫婦を殺傷した強盗殺人事件である。裁判は1審・2審ともに死刑判決。現在、最高裁に上告中であり、未決死刑囚として、東京拘置所に収容されている。筆者は、事件の犯人である土屋死刑囚と文通・面会を重ねていくうちに、メディアが映し出す“凶悪な殺人者"という先入観とかけ離れすぎている彼の人間像を目の当たりにした。のちに「目の前の彼は、最初から凶悪だったのだろうか」「なぜ、人を殺(あや)めてしまったのだろうか」と疑問を抱くようになる。そうした疑問の答えを突き止めるため、土屋死刑囚の生い立ちを追い続けているほか、関わりのある人たちを取材し、彼の人生の足跡をたどることで浮かび上がってきたものをつづっていく。本稿は3回目である。■死刑囚の荒んだ幼少期ちょうど1年前の、秋が深まる10月の暮れ。私は“ある人”への取材のため、土屋死刑囚の地元・群馬県前橋市に向かっていた。東京・池袋駅から湘南新宿ライン特別快速に乗り、約100分かけて終点の高崎駅へ、そこからさらに伊勢崎線に乗り換え前橋駅へと向かう。私は車内でしばらくの間、土屋死刑囚の生い立ちや、彼が児童養護施設に入所せざるをえなかった家庭背景について、振り返っていた。土屋死刑囚の両親は、彼が4歳のときに離婚し、母親が親権を持った。母親は離婚後、しばらくは風俗店で働きながら、土屋死刑囚とその姉とアパートで暮らしていた。その間、子どもの面倒は義母や近隣の人が見るなど、育児放棄に近い状態だったという。結果、子ども2人の面倒を見きれず、金銭面も追いつかなくなるのなど理由から、児童養護施設に預けることに。風俗の仕事をしばらく続けていた母親は、あるときからうつ状態になり、精神科で投薬を受けていたことが情状鑑定書(精神科医が診てまとめたもの)でわかっている。子育ては義母や近所の人に任せていたことからも、幼少期に土屋死刑囚が母親の愛情を受ける機会が極めて少なかったことが想像できた。土屋死刑囚は15歳まで同施設で暮らし、高校進学を機に福島へ移住。高校卒業後、土屋死刑囚は“佐藤”と呼んで親しんだ男性に出会う。この“佐藤"という人物に話を聞くべく、私は前橋駅に降り立った。この人物から話を伺い浮かび上がってきた、土屋死刑囚の施設での過酷な生活。小・中・高で受けたいじめの過去。彼の人格形成に大きく影響した幼少期、そして青春期とは、一体どんなものであったのだろうか──。■土屋死刑囚にとって唯一の“寄り添い人”待ち合わせの前橋駅に到着し改札を出ると、“佐藤"さんは薄茶色の軽自動車を背に私の到着を待っていた。東京から来た私に対し、柔らかい笑顔で出迎えてくれた。手渡された名刺には『ひだまりサロン 理事 佐藤昌明』と記されている。佐藤さんは長い間、前橋市内の公的機関で子どもたちとの生活を送ってきた。彼の仕事は、主に児童養護施設や自立支援ホームなどの公的機関から出されて居場所を失ってしまった子どもたちの生活支援だそうだ。土屋死刑囚が高校卒業後の18歳から20歳まで過ごした場所、自立支援ホーム『風の家』は現在、閉鎖されているが、佐藤さんはボランティアとして携わっていたという。土屋死刑囚が『風の家』を出て仕事を始めてからは施設長に就任し、退任までの時間を子どもたちとの時間に費やしたそうだ。多くの自立支援ホームは20歳までしかいられず、そこを出るとセーフティーネットは完全に閉ざされてしまうため、大人になってからも助けを求められる場所を作れないかと佐藤さんは考えた。そして2014年10月、アフターケアの事業所『ひだまりサロン』を立ち上げるに至る。理事を務めていたが、後輩に譲渡し、現在はフリーで若者たちのサポートをしているという。佐藤さんはまずファイルに挟んだ複数枚の紙を私に手渡した。これまでに関わった子どもたちとの出会いや、佐藤さんのもとを離れていく子どもたちの様子などを綴った体験記のようなものだと教えてくれた。そのタイトルは『寄り添い人』。数ある体験記の中に、土屋死刑囚のことが書かれたものがあった。佐藤さんは「彼のことをありのままに書いたものです。よかったら帰りの電車で読んでください。気が向いたらでいいので」と言い、ほほえみながら手渡してくれた。■「特段親しくなかった」それでも引き受けた理由「僕が証人に立たないと、カズヤを守る人が誰もいなくなると思ったんです」。そもそも佐藤さんは土屋死刑囚が高校を卒業した18歳のときに出会っているが、証人として法廷に立った経緯を訪ねると、佐藤さんはこう答えた。「実は本人(土屋死刑囚)とは特段、親しい関係でもなかったんです」と続けて打ち明けてくれた。当時の佐藤さんは自立支援ホームには週に2回、夜間の寝泊まり要員として出向いてた程度で、顔を合わせることも少なければ、食事の機会など皆無だったのだという。ならばなぜ、深い付き合いのなかった佐藤さんが土屋死刑囚の情状証人を引き受けたのか。「カズヤが15歳までいた児童養護施設の施設長も、職場の元上司も、つまりカズヤの生い立ちを知っている人がみな、(証人として法定に立つことを)断ったんだよね」こうした事態を知らされたからだ。土屋死刑囚の親族以外に法廷に立った者は、佐藤さんただひとりだけだった。さらに佐藤さんは続ける。「ましてや僕はカズヤの事件の後に、(児童養護施設や自立支援ホームを)出た後の子どもたちの面倒を見なきゃいけないと思ってアフターケアのサロンを作ったくらいだから、(土屋死刑囚が殺人を犯したことに対して)責任は感じたんですよ。もっと早くに、カズヤが児相を出てすぐくらいに僕がアフターサロンを始めていれば、ひょっとしたらカズヤを救えたかもしれない。カズヤと関わってきた身として、できることはやろうと思ってね」そう言って視線を手元に注ぐ。いつの間にか、さっきまでの柔らかな笑顔が消えていた。佐藤さんは、一審の前橋地裁で証人に立って以降、何度も傍聴に足を運び、面会にも訪れた。そして傍聴席で、土屋死刑囚から決して語られることのなかった生育歴を知ることになる。■絶望の淵へ陥れた思春期の“いじめ”土屋死刑囚は幼いころに児童養護施設に預けられて以降、施設から通園・通学をしていた。小学校に進学したころ、彼の人生を狂わす出来事が起こる。同じ施設の生徒からの“いじめ"だ。「はじめは物を隠されることから始まり、後に暴力をふるわれるまでになった」と本人は証言している。また、量刑の参考となる情状鑑定書には、いじめのストレス発散方法として《我慢を続け限界になった際に窓ガラスを割る、(中略)物に当たったり、(中略)施設から抜け出したりなどの行動化で対処していた》とある。だが、そうした表現は周囲から酌んでもらうことはなかった。“理解してもらえない”という絶望感から、悲しみや恨みの思いが本人の心に芽生えてしまう。このころから人との関わりを避け、孤立することを好んで生活するようになる。さらに佐藤さんによると、「児相の頃がいちばん(土屋死刑囚に対するいじめが)ひどかったんじゃないかな。児相でいじめられて、学校でもいじめられて。家帰って安心するなんて場所がカズヤにはなかった。それも24時間、365日。いじめのことを先生に言ったら告げ口したからと余計いじめられて。先生にも言えなくなったから自分で抱えちゃって。それが中学卒業までずっと続くわけですよ。とにかく生きづらい。もう、おかしくならないわけがない」中学に入学し、野球部に所属するも、部内でのいじめが原因で休部。児相を出たくて県外の福島の高校に入学し、祖父母と伯母との4人暮らしで新生活を始めるも、伯母から食事を抜かれるなどの嫌がらせを受ける。土屋死刑囚は、こうした自らに降りかかってきた不運の原因を、ことごとく周囲の人間の責任にした。だが、いじめの原因を掘り下げていくと、土屋死刑囚が発端のトラブルも少なからずあり、本人にも非はあるようだった。本人の主張と、周囲の反応とのズレがみられるのだ。ただ、多感期に起きたいじめの被害は彼にとって相当なストレスであったことは間違いなかった。ひと息つく隙間も与えられないほどの極度のストレス下で、24時間、365日、自らを受け入れてもらえないという出来事は、彼を底知れぬ悲しみに陥れた。彼を照らす光が、絶望の名とともに遮断され、容赦ない虚無感が心を覆った。高校を卒業したころから、現実と向き合うことができなくなり、携帯電話の課金ゲームにはまってしまう。これがお金ほしさの強盗殺人への引き金となる。ゲームの世界は、自分の強さを発揮できた。ゲームを通じて出会うネット上のつながりの人からは、自分の力を認めてもらえた。この優越感を求めに求め、彼は生活費を削ってでも、借金をしてでもゲームをやり続けた。辞められなかったというほうが正しいだろう。それほど、彼は人に自分を受け入れてほしかった。存在意義をかみしめていたかった。いよいよ水道・電気・携帯電話も止められ、食べる物も底をつくという事態に直面した。水と砂糖だけでしのいでいた土屋死刑囚は空腹に耐えきれなくなり、とっさに思いついたことは「泥棒をするしかない」だったという。泥棒をするだけだったはずが、結果、無惨な殺人事件を犯してしまったのだ。■「第二のカズヤ」を生んではならない「誰かひとりでもカズヤに寄り添う人がいてればね」。佐藤さんは私を駅まで送る道すがら、たびたび口にしていた。悔しさをにじませながら放ったこの言葉が痛く胸に突き刺さる。佐藤さんは日々、さまざまな理由でセーフティーネットからはずされてしまった人(主に自立支援ホームなどから出た18歳以降の人たち)のアフターケアに尽くしている。それは「第2のカズヤを生まないため」だと教えてくれた。佐藤さんの教訓を、私は深く重く受け止めたい。私が訪れた10月の暮れ、前橋駅はすでに木々の葉が赤く染まり、街を鮮やかに彩っていた。冷たい風に吹かれ、西の太陽に照らされる紅葉の木々は誇らしげに輝いている。その風景の中に、佐藤さんのまじり気のない笑顔に照らされる土屋死刑囚の姿が重なる。“誰かひとりでも寄り添う人がいれば──”。私は帰りの電車内で、佐藤さんのこの言葉を何度もなぞった。日常的な人格の否定、孤独へ追いやられる虚無感は、これほどまでに人間を凶悪に仕立て上げてしまうものなのか。なぜ、誰も止めることができなかったのか。私はこの街に残された土屋死刑囚の軌跡に迫り続けることになる。PROFILE●河内千鶴(かわち・ちづる)●ライター。永山子ども基金、TOKYO1351メンバー。沖縄県在住。 これまでに地球5周、世界50か国以上を旅しながら、さまざまな社会問題を目のあたりにする。2013年から死刑囚の取材を始め、発信を続ける。連載に『死刑囚からの手紙』週刊金曜日。《ガラス越しの死刑囚》拘置所で会った彼が、一度だけ笑顔になった瞬間【第1回目】《ガラス越しの死刑囚》殺人事件の背景にあった、彼の孤独と貧困【第2回目】
2019年12月29日米国時間24日午後7時過ぎ、テキサス州立ハンツビル刑務所で1人の男の死刑が執行された。BBCアメリカやCNN、FOXなどの複数のメディアの報道によると、44歳でその生涯を終えたジョン・ウィリアム・キングは、史上最悪とも言われる憎悪犯罪の首謀者だった。約20年前の1998年6月、キングと2人の仲間は3人の子どもの父親である黒人男性ジェイムズ・バードJr.さんを誘拐した。人気のない道路へ移動すると、ピックアップトラックの荷台に彼の足首を繋ぎ、約5キロメートルにも渡り彼を引きずって運転した。3キロメートル時点ではまだ生きていたが、その後間もなく絶命。キングらは地元の黒人墓地に彼の遺体の一部を遺棄した。体の残りの部分は墓地の2キロメートルほど手前に無残にも落ちていたという。バードさんが狙われた理由はただ一つ、「黒人であるから」だった。キングは非常に不快な内容の絵柄をタトゥーとして体に刻み、自らレイシストであると公言していた。事件は憎悪犯罪として扱われ、キングは死刑を宣告された。キングは起訴された時から一貫して無罪を主張していたが、最高裁判所により最後の控訴も棄却され、死刑執行が確定した。キングの処刑を見届けたバードさんの妹クララさんは、「あの男は名を上げたかったんです。ジェイムズは選ばれた標的であり、慈悲をかけられることはありませんでした」とコメント。キングは遺族を一顧だにせず、死の間際まで不遜な態度を崩すことはなかったという。その表情に後悔や反省の色は皆無だったとか。キングは薬液を注射されてから12分後に絶命した。バードさんのもう1人の妹ルーボンさんは「恐ろしい罪を犯せば、凄まじいペナルティを受けなければならない、というメッセージを世界に発信できたと思う」と語り、差別や憎悪と闘うために設立されたバード財団を通じて、働きかけを続けていくと決意を新たにした。共犯のローレンス・ラッセル・ブルワーは2011年に既に処刑されており、同じく共犯のショーン・アレン・ベリーは終身刑で服役している。
2019年04月25日「事件から離れて、自由に生きなさい」とは、母心ゆえの言葉だっただろう。だが長男は「そう簡単にはいかないんだよ」。確定死刑囚の母を持つ自分と結婚の約束をした女性もいた。姓を変え、獄中の母を見殺しにして、本当の幸せはつかめるのか。破談になったあとも、長男は「答え」を出せていない――。’98年7月25日。和歌山市園部地区で夏祭が行われ、住民らが協力して作ったカレーを口にした67人が激しい嘔吐や腹痛に襲われ、救急車で病院に搬送。小学生男児を含む4人が死亡した「和歌山毒物カレー事件」。やがて疑惑の中心に据えられたのが、近所に住む元保険外交員で4人の子どもを育てる主婦である林眞須美死刑囚(57)だった。また、夫の林健治さん(72)が元シロアリ駆除業者で、ヒ素を入手できる立場にいたことも報じられた。林死刑囚が、殺人未遂、詐欺容疑で逮捕されたのが同年10月4日。同時に、健治さんも詐欺容疑で逮捕された。残された4人の子どもたちは、このとき、長女は中3、次女は中2、長男が小5、末っ子の三女はまだ4歳だった。全員が、児童養護施設に保護された。その後、林死刑囚はカレー事件の殺人および殺人未遂容疑で再逮捕。さらに、林夫妻が以前より保険金詐欺で億単位の金を手に入れていた事実も判明。弁護側は無罪を主張したが、一審、二審は死刑判決。最高裁でも’09年4月に死刑が確定。同年7月に再審請求を申し立てたが、’17年3月に棄却されている。こうして彼女は、戦後日本で11人目の女性死刑囚となり、裁判を通じてなお、「動機は不明」のままであることも多くの憶測を呼び、事件は、平成の犯罪史に代表するものとなった。「なんとか、ここまで生きてこられました」絞り出すようにして語るのは、林夫妻の長男の信一さん(31・仮名)。身長は182センチあり、男性ファッション誌から抜け出してきたような端正な顔だちをしている。「施設にいたときは、林眞須美の子どもということで、ひどいいじめがありました。父が出所したのが、高校卒業の年。学校までマスコミが押しかけてきましたが、なんとか卒業しました。ただ、卒業後に行くあてがなくて。施設を出たら、寝泊まりする場所がない。駅の障害者用トイレや公園で野宿もしました」やがて姉のアパートに住所を移して、アルバイトを始めた。「居酒屋のバイトで、胸の名札を見て、林眞須美の子どもだと目ざとく気付くお客さんもいました。当然、その場で解雇です。『衛生上よくない』と、解雇理由を告げられたこともありましたね」母に、被害者についてどう思っているのかを尋ねたことがある。答えは、こうだった。「私も子ども持っている。子どもを失った親の気持ちはわかるし、気の毒だと思う。でも憎しみの対象として私に矢を射られても困る。私は、やってないんだから」実はかつて、真剣に結婚を考えたことがあったと、信一さんは記者に打ち明けた。恋人には、林健治、眞須美の長男だと、正直に告げた。相手はすべてを了解して交際が始まったが、一つだけ条件があった。「私の両親には、絶対にその事実を隠し通してほしい」やがて結婚を約束するまで進んだとき、信一さんの心が次第に揺らぎ始めた。婚約者は、「林家から籍を抜き、知らない場所で新たな人生を考えましょう」と言ってくれた。「彼女の気持ちはうれしかった。でも一方で、本当にそれで幸せなのかという悩みが常にあった。そんなとき、先方のご両親に、うちの墓について聞かれたのをきっかけに、『実は』と、すべてを打ち明けました」すると、両親が「もう娘には近づかないでくれ」と言った。婚約者の彼女もまた、「あれほど言わないでとお願いしたのに。なぜ、話したの」と激しく彼を責めた。信一さんは、決して衝動的な行動ではなかったと、2年前の決断をふり返る。「事件から逃げることは可能だと思った。でも、そうすれば、母親がやったんだと、僕自身が認めたことにもつながる。和歌山を離れ、彼女と結婚して、新たな生活を始める。それが、母を見殺しにするような気もして」家族は、今も母親の無実を信じている。しかし、最高裁判決が出た直後、長女は父親の健治さんにこう漏らした。「泥船に乗った林家の6人のうち、1人を船に残せば、あとの5人は助けてやると言われたような気分」泥船に残す1人とは、もちろん林死刑囚を指す。昨年の面会時、信一さんに、その母が言った。「事件から離れて、自由に生きなさい」信一さんは答えた。「離れて自由にと言うけれど、そう簡単にはいかないんだよ」姉や妹にも、母は同じ言葉を伝えていた。姉は長男に言った。「お前も気をつけなさい。深入りすると、人生が台無しになるよ」信一さんは、自問自答する。事件から離れ、違う世界で別人として生きて、本当に幸せなのか。「ずっと考えてきたけれど、答えが出せない」だから、息子として、どうしても母に確かめたかったのだ。「お母さん、僕たち4人の子どもに申し訳ないという気持ちはあるの」母が、面会室のアクリル板の向こうで急に涙を浮かべた。「成長したあなたから、そんなことを言われるのがいちばんイヤだ。もちろん、すまないと思っている、申し訳ないと思っている。でも、もう取り返せない」信一さんは、自分に言い聞かせるように呟いた。「母が無実を訴え続けている以上、最後まで見届けるしかないと思うんです」10年前に母親の死刑が確定した4月21日が今年も訪れた。その数日後には、日本中が「令和」という新しい時代の到来に沸く。そんななか、平成の闇にからめとられたまま、重すぎる荷を背負って生きるしかない家族がいる。
2019年04月25日日本で最も重い犯罪といわれているのが、外患誘致罪。その法定刑は、「死刑のみ」と聞きますが、実際のところよくわからない、という人がほとんどではないでしょうか?外患誘致罪に該当する行為や、その法定刑、そして歴史上判例があったのかなど、詳細をあすみ法律事務所の高野倉勇樹弁護士に、解説して頂きました。 ■外患誘致罪とは?高野倉弁護士:「外患誘致の罪は、外国と合意して日本を攻撃させる行為を処罰するものです。日本国外から日本国の存立を危うくする行為を処罰する『外患に関する罪』の一種です。外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する。(刑法81条)とされています。ここでいう『外国』は日本が承認していない国でもよいとされていますが、領土・国民といった国家としての実質を備えている必要があります。テロ組織は『国家』にはあたりません。単に外国に『日本を攻めて欲しい』と伝えても外患誘致罪は成立しません。外国との間で、日本に攻め込む決意をすることに積極的な影響を与えるような合意(通謀)をすることが必要です。そして、外国が日本に武力行使をして初めて、外患誘致罪が成立します。ここにいう武力行使とは国際法上の『敵対行為』をいうとされています。例えば、外国の軍隊が日本の領土に不法侵入した場合や日本の領土を爆撃した場合に敵対行為があったといえます。日本に攻め込む合意が成立しても、実際に外国が攻め込まなかった場合には、外患誘致罪の未遂となります(刑法87条)。また、外国との間で合意をするための準備として謀議をしたり計画を立てたりした場合、外患誘致罪の予備または、陰謀として処罰されます(刑法88条)。この謀議・計画も、単に『攻め込んでもらおう』、『日本なんて外国に滅ぼされればいい』と仲間内で話をしていたというだけでは処罰されません。処罰に値する程度の危険性(具体性)をもった謀議・計画である必要があります。」 ■法定刑は死刑のみ高野倉弁護士:「外患誘致罪の法定刑は死刑のみです。日本において法定刑が『死刑のみ』とされているのは外患誘致罪だけ。国家の存立に重大な脅威を与える罪であることから死刑のみという異例の法定刑とされています。もっとも、酌量減軽(刑法66条)によって無期懲役や有期懲役に刑が減軽される可能性はあります。」 ■裁判例はない高野倉弁護士:「現在、外患誘致罪の裁判例はありません。明治時代に制定された旧刑法の時代から外患誘致罪は存在しますが、外患誘致罪で起訴された事件はありません。外患誘致罪の適用が検討された事例にゾルゲ事件というものがあります。ソビエト連邦のスパイとされたリヒャルト・ゾルゲについて、外患に関する罪の一種である間諜罪(刑法85条、現在は削除)の適用が検討されたようですが、見送られたようです。条文上、『敵国』に情報を流す行為が、処罰の対象になっていた日ソ不可侵条約を締結していたソビエト連邦は『敵国』ではないとして適用が見送られたとされています。いずれにせよ、外患誘致罪で裁判になった事件はありません。日本に攻め込むことについて外国との合意をしなければならないことから、外患誘致罪が成立することはまれと思われます。予備・陰謀であっても成立のハードルは極めて高いといえます。」 高野倉弁護士によると、外患誘致罪は日本に居住している人間が外国に対し積極的に『攻め込む』よう影響を与える行為とのこと。このような行動は日本に住むすべての国民に生命の危機を与え、同時に国家存亡にも影響を及ぼすことになりますので、『死刑』という極めて重い罪となるのも、致し方ないように思えます。実際のところ外患誘致罪になったケースはないようですが、今後このような人物が出ないとも限りません。外患誘致罪は『抑止力』として存在している法律なのかもしれませんね。 *取材協力弁護士:高野倉勇樹(あすみ法律事務所。民事、刑事幅広く取り扱っているが、中でも高齢者・障害者関連、企業法務を得意分野とする)*取材・文:櫻井哲夫(本サイトでは弁護士様の回答をわかりやすく伝えるために日々奮闘し、丁寧な記事執筆を心がけております。仕事依頼も随時受け付けています)*画像はイメージです(pixta)【法定刑は死刑のみ】外患誘致罪とは何なのか弁護士が解説はシェアしたくなる法律相談所で公開された投稿です。【法定刑は死刑のみ】外患誘致罪とは何なのか弁護士が解説はシェアしたくなる法律相談所で公開された投稿です。
2018年06月06日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する連載「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「死刑制度」です。世界は廃止が主流。加害者の人権をどう捉えるか。1989年~‘95年に起きた一連のオウム真理教事件。関連する刑事裁判がすべて終結し、麻原彰晃死刑囚をはじめ、死刑が確定した13人の刑の執行もまもなく行われるといわれています。日本の死刑の歴史は古く、5世紀の仁徳天皇時代からあり、現在の刑法に定められたのは明治40年です。しかし、世界では死刑制度は廃止の方向に進んでいます。1990年時点で、死刑制度のあった国は96か国、廃止国は80か国。2009年には死刑存置国は58か国に減り、廃止国は139か国に増えました。イギリス、フランス、ドイツなど、ベラルーシ以外の欧州諸国や南米諸国は廃止。アフリカでも廃止国が増えており、アメリカで死刑が存置されているのは一部の州のみです。中国も国際社会からの批判を受け、適用を厳格化することにしました。多くの国が死刑制度を廃止にした主な理由は、人権的な問題と、実は死刑が凶悪犯罪の抑止力にはならないと証明されたからです。国連人権理事会は、日本政府にも死刑制度の廃止や一時停止の勧告を行いましたが、政府は世論が求めていないからと、検討する構えを見せていません。平成26年度の内閣府の世論調査によると、80.3%の人が「死刑もやむを得ない」と答えました。「死刑は廃止すべき」が9.7%、「わからない、一概にいえない」が9.9%。「やむを得ない」と答えた人のうち5割以上の人が、その理由を「被害者やその家族の気持ちがおさまらない」「凶悪な犯罪は命をもって償うべき」としています。そして、「死刑を廃止すると、凶悪犯罪が増える」と考える人が57.7%いました。しかし一方で、袴田事件や名張毒ぶどう酒事件といった死刑判決が確定した事件が、再審でのDNA鑑定により冤罪だったことなど、問題も複数起きており見過ごせません。日弁連は、人権擁護の観点から死刑制度廃止を訴え続けていて、再来年、国連犯罪防止刑事司法会議が日本で開催されるまでに、進展を見せたいと考えています。加害者とはいえ、人が人を殺してもよいのか。終身刑ではなく、死刑でなくてはならない理由は何か?みなさんはどう思いますか?堀潤ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。新刊『堀潤の伝える人になろう講座』(朝日新聞出版)が好評発売中。※『anan』2018年5月23日号より。写真・中島慶子題字&イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2018年05月16日映画『教誨師』(きょうかいし)が、2018年10月6日(土)より、有楽町スバル座ほかにて公開される。俳優・大杉漣、最後の主演作は死刑囚の改心に尽力する“教誨師”の物語本作の主演とエグゼクティブプロデューサーを務めたのは、2018年2月に惜しくも急逝した俳優・大杉漣。主演の大杉が演じる“教誨師(きょうかいし)”とは、受刑者の心の救済につとめ、彼らが改心できるよう導く人。本作では、主人公の教誨師・佐伯と6人死刑囚たちによる、教誨室という限られた空間の中で展開される会話劇から浮き彫りになる人間の本質を、“死”の側から描き出す。あらすじプロテスタントの牧師、佐伯保(大杉漣)。彼は教誨師として月に2 回拘置所を訪れ、一癖も二癖もある死刑囚と面会する。無言を貫き、佐伯の問いにも一切応えようとしない鈴木。気のよいヤクザの組長、吉田。年老いたホームレス、進藤。よくしゃべる関西出身の中年女性、野口。面会にも来ない我が子を思い続ける気弱な小川。そして自己中心的な若者、高宮。佐伯は、彼らが自らの罪をしっかりと見つめ、悔い改めることで残り少ない “生” を充実したものにできるよう、そして心安らかに “死” を迎えられるよう、親身になって彼らの話を聞き、聖書の言葉を伝える。しかし、意図せずして相手を怒らせてしまったり、いつまで経っても心を開いてもらえなかったり、苦難の日々が繰り返される。それでも少しずつ死刑囚の心にも変化が見られるものの、高宮だけは常に社会に対する不満をぶちまけ、佐伯に対しても一貫して攻撃的な態度をとり続ける。死刑囚たちと真剣に向き合うことで、長い間封印してきた過去に思いを馳せ、自分の人生とも向き合うようになる佐伯。そんな中、ついにある受刑者に死刑執行の命が下される...死刑囚6人との火花散る対話教誨師・佐伯と対話する死刑囚役は、光石研、烏丸せつこ、古舘寛治といったベテラン俳優、五頭岳夫、小川登、映画初出演となる劇団“柿喰う客”の玉置玲央ら若手俳優が担当。「自己中心的な若者」「家族思いで気の弱い父親」「心を開かない無口な男」など、それぞれ様々なパーソナリティーと思いを持つ死刑囚たちが、激しい対話で火花を散らす。また、監督・脚本には死刑に立ち会う刑務官を描いた『休暇』や『アブラクサス祭』の脚本、『ランニング・オン・エンプティ』の監督を務めた佐向大。その膨大なセリフ量とユニークな内容から、主演の大杉に「役者にケンカを売ってるのかと思った」と評された脚本と共に、限りある命を持つ者同士の魂のぶつかり合いを描き出す。作品情報映画『教誨師』(きょうかいし)公開日:2018年10月6日(土) より、有楽町スバル座、池袋シネマ・ロサ他にて全国順次公開出演:大杉 漣、玉置玲央、烏丸せつこ、五頭岳夫、小川 登、古舘寛治、光石 研エグゼクティブプロデューサー:大杉漣、狩野洋平、押田興将監督・脚本:佐向大©「教誨師」members
2018年04月15日先日、惜しくも急逝した大杉漣が主演とエグゼクティブプロデューサーを務め、6人の死刑囚と向き合う男を描いた映画『教誨師』が、10月6日(土)より公開されることが決定した。“教誨師”とは、受刑者に対して道徳心の育成や、心の救済につとめ、彼らが改心できるよう導く存在。大杉さん演じる主人公・佐伯は、死刑囚専門の教誨師である牧師。独房で孤独な生活を送る死刑囚にとって、教誨師はよき理解者であり、話し相手。真剣に思いを吐露する者もいれば、くだらない話に終始したり、罪を他人のせいにしたりする者もいる。皆、どこかで道を誤ったり、ちょっとしたボタンの掛け違いによって取り返しのつかない過ちを犯した者たち。佐伯は彼らに寄り添いながらも、自分の言葉が本当に彼らに届いているのか、死刑囚たちが心安らかにその時を迎えられるよう導くことは正しいことなか苦悩する。その葛藤を通して、佐伯もまた、はじめて忘れたい過去と対峙し、自らの人生と向き合うことになる――。全編約2時間、ほぼ教誨室での会話劇ながら、役者たちの緊張感あふれる演技の応酬によって浮かび上がる人間の本質。時にユーモアも交えながら、“死”の側からとらえた強烈な“生”を描き出す物語となる。大杉漣が「役者にケンカを売ってるのか」と評した会話劇佐伯役を務める大杉さんは、その膨大なセリフ量とユニークな内容ゆえ、「役者にケンカを売ってるのか」と評したほどのオリジナル脚本を我がものにし、死刑囚専門の教誨師という複雑な人物像を圧倒的な存在感で体現。本作が最初にして唯一のプロデュース映画にして、最後の主演作となった。また、佐伯が対話する死刑囚役には、光石研、烏丸せつこ、古館寛治といったベテラン俳優や、本作が映画初出演となる劇団「柿食う客」の玉置玲央。監督からコメント到着「全く心の整理がついていません」監督・脚本は、死刑に立ち向かう刑務官を描いた『休暇』や、うつの僧侶を主人公にした『アブラクサスの祭』の脚本、監督作『ランニング・オン・エンプティ』で知られる佐向大。「3年前、小さな喫茶店で、この企画を一番最初に話したのが大杉さんでした」と佐向監督。「『いいね、やろうよ』。そのひと言をきっかけにこの作品が生まれました」と明かし、「私にとって主演俳優以上の存在だった大杉さんの訃報を前に、全く心の整理がついていません。ただ、これだけは言えるのは、人生は限りがある。だからこそ、かけがえのない時間を、かけがえのない仲間とともに、どんなお仕事でも遊びでも手を抜かず、一瞬一瞬を精いっぱい全力でやられていた方だったのではないか。あの優しさ、包容力、エネルギーはそんなところからきていたのではないか。いまはそんな気がしています」とコメント。「この作品で大杉漣という役者の凄みを改めて目の当たりにしました。おそらく皆さんも同じ思いを抱くのではないかと思います」と語っている。『教誨師』は10月6日(土)より有楽町スバル座ほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)
2018年03月15日俳優・間宮祥太朗が映画初主演を務め、2004年に発生した「大牟田4人殺害事件」について、自らの殺人を武勇伝として語り、現在も死刑囚として投獄中の次男が記した手記をモチーフに、映画界を揺るがせた26歳の小林勇貴が映画化した『全員死刑』。この度、本作の本予告編とポスタービジュアルが公開された。借金を抱え困窮した生活を送っていた4人のヤクザ一家が、近所の資産家の金を奪おうと、無謀な計画で1人を殺害したことをきっかけに、連続殺人へと狂い咲いて行く様を実行犯の次男の目線で描いた本作。今回到着した予告編では、その次男・タカノリ演じる間宮さんをはじめ、タカノリの彼女役の清水葉月、タカノリの両親役の六平直政と入絵加奈子らが登場。ロープで首を絞めるシーンや車で人をひくシーンなど衝撃的な場面がちりばめられているが、どこかコミカルでスピード感満載の予告編となっている。また、エンディングテーマは映画音楽が初となるメタルコアバンド「HER NAME IN BLOOD」の「Answer」が起用されている。あわせて公開されたポスタービジュアルは、これまで『冷たい熱帯魚』をはじめ数々の“けしからん”ビジュアルを手掛けてきた高橋ヨシキのデザイン。鬼の形相で人を殺める間宮さんの表情は衝撃的なもので、役者としての新たな一歩を踏み出した彼の本気度が伺い知れるようだ。間宮さんは「映画はひとつの娯楽ではありますが、自分にとっては想像力を培う肥料であり、様々な教訓を与えてくれるものでもありました。他人の生きる様を浮き彫りにして、それを観ることに没頭する時間。終わった後は自分の人生やいまの世の中の何かに置き換えたり、時によっては変化のきっかけになったりします。僕は自分の仕事柄以前に映画が有意義な娯楽として必要なものであって欲しいです。多様な価値観が散乱して、多様な映画があって欲しい」と映画自体について熱く語る。本作については「基になっているのが実在の事件ということもあって、お話を頂いたときは自分の中でしっかりと納得出来なければ断ろうとも考えましたが、監督と会って話をさせて頂く内、強い信頼と覚悟を持ってこの作品に参加する意志が固まりました」と、よく考えた上で出演を決定したと明かし、「初商業映画の監督と映画初主演の俳優で戦いました。映画『全員死刑』宜しくお願い致します。この作品で主演させて頂いたことをとても誇らしく思っています」とコメントしている。また胸割りタトゥー姿の間宮さんと、間宮さん&毎熊克哉の凶悪コンビが死体を前に、不敵な笑みを浮かべる撮り下ろしショットがセットになった“けしからん”特製ポストカード2枚組の特典が付いた本作の前売券が、8月26日(土)より発売開始される(数量限定)。なお、26日(土)から1週間、ポレポレ東中野では公開を記念して小林勇貴監督の過去作が一挙上映。劇場では予告やビジュアルがお披露目されるほか、前売券も販売される予定だ。『全員死刑』は11月18日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷・テアトル新宿ほか全国にて公開。(cinemacafe.net)
2017年08月25日俳優の間宮祥太朗が主演を務める映画『全員死刑』(11月18日公開)の場面写真が7日、公開された。同作は2004年に福岡・大牟田で発生し、被告である家族4人全員に死刑判決が下った「大牟田4人殺害事件」の次男が記した手記をモチーフに、26歳の小林勇貴監督が映画化。家族想いのタカノリ(間宮)は、借金を抱えた組長の父・テツジ(六平直政)とヒステリックな母・ナオミ(入絵加奈子)、愛する彼女・カオリ(清水葉月)を守る為、姑息な兄サトシ(毎熊克哉)と共に、近所の資産家一家の現金強奪を計画したが、息子を殺してしまったことからエスカレートしていく。間宮は、背中から胸に掛けてパックリと割れたタトゥー姿に挑戦。色気と狂気をたたえた表情で、リアルなタトゥーを再現した。『孤高の遠吠』などで数多くのヤンキーに取材を重ねてきた小林監督のこだわりが詰まっているという。また、銃を手にする姿や、彼女を押し倒す姿など刺激的な場面も多く、爽やかなイメージとは違った姿を見せた。(C)2017「全員死刑」製作委員会
2017年08月07日