娘が保育園に通っていたころの話です。娘は鉄棒やジャングルジムで遊ぶよりも、砂場やブランコで遊ぶのが好き。年中になって、新しいクラスでできた仲良しのお友だちと毎日楽しく遊んでいたある日、突然「保育園行きたくない」と娘がぐずり始めて……? 年中さんで登園拒否!その原因を聞いてみると? 保育園へ通う娘が年中のときの出来事です。初めてのクラス替えでAちゃんと仲良くなり、毎日遊ぶように。娘は自分の意見をはっきり言えない大人しいタイプ、一方Aちゃんは自分の意見をしっかりと言えるハキハキしたタイプです。Aちゃんの良いところを吸収してほしいと思いながら、私は見守っていました。 しかし、少しずつ娘が「保育園に行きたくない」とぐずる日が増えてきます。ある日とうとう泣きながら「保育園に行きたくない! Aちゃんと遊びたくない」と自分の気持ちをさらけ出しました。遊びの中でハキハキしたAちゃんに押され、自分の思いが伝わらずストレスが溢れてしまったのです。 先生に相談すると、Aちゃんと娘の間に入ってくれ、関係は改善。その後も先生は、娘が何か言いたそうにしていると言葉にしやすいようにサポートしてくれました。そのおかげで、発表会の劇の役決めではやりたい役に立候補するまでに成長。一方、合奏ではやりたい楽器があっても、「劇で自分の希望が通ったからと、楽器はお友だちに譲った」と気づかえるようになったのです。 小学生になった今は、相手を尊重する性格は変わらないものの、芯の強さが備わり頼もしくなりました。このまま成長してくれるよう、見守っていきたいです。 作画/Pappayappa著者:木村さち
2023年09月30日平凡だけど幸せな「お母さん」だったあかりさん。義両親との敷地内同居をきっかけに平和な毎日が崩れ始めます。専業主婦の鏡のような義母と亭主関白な義父は「夫は外で仕事をし、妻は家を守るもの」と言う古い価値観を持ち、あかりさんに押し付けます。義両親と接することが、次第にあかりさんのストレスになっていったのです。敷地内同居を始めて以来、義母は毎日のように料理を届けます。最初はありがたく受け取っていたあかりさんも、だんだんを差し入れを負担に感じるようになりました。 義母は義母で、“無理はしない”家事・育児をするあかりさんが理解できません。手入れが行き届いていない庭を見ては「近所の人にみっともないと思われる」と思い、手を出さずにはいられないのでした。妻が働きたいと思うようになったのは誰のせい? 義母の過干渉に疲れてしまったあかりさん。このままではダメだと思って出した結論は、働きに出ることでした。 しかし、子育てと家庭の両立には頭を悩ませている人が多いのも事実……。あかりさんも、資格を持っていないことや社会人経験の乏しさを振り返り、不安になりました。それでも一念発起したあかりさんは「まずは家族の理解から」と思い、夫と義母に気持ちを打ち明けました。 案の定、義母の反応はイマイチ。あかりさんが仕事をすることをよく思っていません。保育園に預けられるのはかわいそう、家事と両立できるのか、2人目は考えないのか? とニコニコしながらたたみかけるのでした。 仕事をしたいお母さんを苦しめる昭和の価値観のオンパレード! 保育園に預けることは悪いことではなく、家事は夫婦2人でやるもの、第二子のタイミングも夫婦で決めるものです。社会の価値観がアップデートされ、母親が働きやすい世の中になるといいですね。>>次の話著者:マンガ家・イラストレーター 龍たまこ
2023年09月30日今回は、かいさんちが長男しの君の授業参観に参加したときのお話です。歯磨きの授業を受けるしの君。授業中、奥歯の説明を聞いたしの君は、ある言葉に反応して……!? 息子の授業参観に参加するパパ 歯の王様、王様がいるってことは国があって城があって、民がいる……。 口の中に王国があるのか……。 いやいやいやいや、んなわけあるかいw ファンタジーな妄想w 先生の話に逐一ツッコミを入れて楽しそうに授業を受けていましたw著者:マンガ家・イラストレーター かいさんち
2023年09月30日私は子どもが生まれたとき、“いいお母さんになろう”と強い責任を感じていました。子どもの前ではしっかりしている姿を見せようと頑張っていますが、ズボラで自分に甘い所を隠しきれません。しかし、最近娘からバシッと叱られてしまったことがあり反省したので、そのときの出来事についてご紹介します。 こんな私が親になっていいのか?私の長所は真面目な所だと思います。子育てに直面し、“いいお母さんになろう”と妊娠中から育休が終わるまで、さまざまな育児本やネット記事を読みあさりました。一方、そんな私の短所はズボラで自分に甘い所です。 いろいろな情報を目にして取り入れようとするものの、なかなかその通りにはいきません。たくさん調べる割に実行には移せず、すぐに調べる癖だけが抜けなくなってしまいました。 授乳中もスマホで育児情報をチェック産後はSNSで同じ月齢の赤ちゃんを見ることにハマり、良くないと思いつつ授乳中もスマホいじりがやめられませんでした。娘が1歳、2歳のうちはまだ、絵本の影でスマホをいじっているのが見つかっても誤魔化せていました。 娘が3歳を過ぎると、次第にスマホに興味を示すようになりましたが、「これは目が悪くなるからダメだよ」と注意して取り上げていました。頭では、わが子が私の持っている物に興味を惹かれるのは当然なので、見えない所に置いておくべきと思うのですが、どうしても手放すことができないままでした。 5歳の娘に叱られて何も言えなかった5歳になった娘とは口喧嘩ができるようになりました。ある日、保育園から自宅に帰ってきて娘はタブレットで遊び、離れた所で私がスマホで仕事の申し送りをしていました。タブレットを使い過ぎないように設定しているタイマーの時間になると、退屈になった娘が「ママ、こっちへ来て」というので、「用があるなら○○ちゃんがママの所までおいで」と言うと、途端に喧嘩が勃発。 娘は「嫌! ママが来て」と譲らず、私も「ママはここにいたいの。○○ちゃんが来て」と応戦。会話の途中で私が無意識にスマホを触ったのを見て、「スマホ見ちゃダメ! ママはいつもスマホばかり。○○ちゃんはもうタブレットおしまいなのに」と娘に叱られてしまいました。その言葉に何も言い返せず、「本当にこんなママでごめんね」と反省したのでした。 初めての子育てで、育児について本やネットを読みあさっている私ですが、つい癖のようにスマホをいじってしまい、肝心の娘に向き合うことが疎かになってしまいました。娘も私のことをよく見ているので、娘と一緒にいるときは、本やスマホではなく娘とたくさん目が合わせるようにしたいと思います。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/ちひろ著者:コイデ フサコ
2023年09月30日ワーママで2人の子育てに奮闘中のミロチさんが、日常の出来事をマンガ化!この日は寝かしつける前のルーティーンが思うように進まず、ミロチさんは4歳のつむちゃんにイライラして怒ってしまいました。 やっと寝かしつけにたどりつき、横になると、つむちゃんが「おかあしゃん……」と声をかけてきました。素直なつむちゃんは、イライラさせたことを謝ってきたのです。娘の言葉に思わず涙ぐむミロチさんですが、心が折れる衝撃の展開が待っていて……!?育児で心が折れた話 お風呂から上がったあと、テレビから離れずなかなか着替えない娘のつむちゃんにイライラしたミロチさん。大声で怒りました。 なんとか寝かしつけにたどりついて、布団に横になると、つむちゃんがもぞもぞ近づいてきました。 「おかあしゃん……。つむたん、テレビ見ちゃって……、ごめんね」 素直なつむちゃんは、ミロチさんから怒られたことを、謝ってきたのです。 怒られたあと、ずっとこのことを考えていたのかな、と思ったミロチさん。思わず目には涙があふれ、 「お母さんも大きい声出しちゃってごめんね……」 とつむちゃんを抱きしめて謝りました。 するとつむちゃんは、 「大きい声ダメだよ。隣のお家の人に迷惑しちゃうよ?」「今日のごはん、おいちくなかったから気を付けて」「返事は『はい』でしょ」 と反撃してきました。どれもこれも、素直なゆえにでてきた言葉……。 とどめに「いびきかかないでね」と言われ、完全に心が折れてしまったミロチさんなのでした。 ◇◇◇子どもの素直さは素敵ですよね。けれど、ときに素直すぎて、ママの心が折れてしまった、傷ついてしまった……なんてこともありますよね。みなさんの、子どもって本当に素直だな、と思ったエピソードはなんでしょうか? 著者:マンガ家・イラストレーター ミロチ
2023年09月30日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。唯一の理解者である、“今のわたし”が当時のわたしちゃんの気持ちに寄り添います。テレビに出ている有名人を指差し、「夜になるとお母さんの首を絞めにくるんだよ」とわたしちゃんに話す母。「そんなことないと思う」とわたしちゃんが言い返すと、「本当に苦しいんだから」と、わたしちゃんの首を絞めるマネをしてきました。現実離れした母の被害妄想。わたしちゃんは、母と心を通わせることを諦め、どこか満たされない、寂しい気持ちを抱えるようになっていました。 母の奇行に心を閉ざし… 学校で運動会の玉入れに使用する玉を家庭で作ることになったとき。 病気のせいなのかは不明ですが、家事能力が低い母が作った玉は、俵型ではなく四角いものでした。 提出するのも恥ずかしさを感じていたわたしちゃんは、運動会当日、四角い玉が自分のものだとバレないかヒヤヒヤ。 「うちは、みんなと違うのかなぁ……って思うことがちょっとずつ増えたんだよね」 大人のわたしが、当時のわたしちゃんに語りかけます。 わたしちゃんは、自分の家は劣っている、恥ずかしい、知られたくないという感覚が強くなっていきました。 奇行を続けていた母の元へ、ある日、お隣さんが訪ねてきました。 「毎日毎日、いいかげんにしてください」 お隣さんからの苦情を受け、言い争いを始める大人たち。 「目の前で大人が言い合っていたら、それだけでも怖いよね。自分も含めて責められているような気がしちゃうよね……自分の家が迷惑をかけている罪悪感も、つらいよね」 大人のわたしが当時を振り返るように、わたしちゃんは、周りから非難される恐怖に常におびえるようになりました。 大人同士の口論に恐怖を覚え、「自分の家は周りに迷惑をかけている」と罪悪感を抱いたわたしちゃん。母は精神疾患を抱えているため、仕方のないことも多いのかもしれませんが、わたしちゃんは何ひとつ悪くありません。幼い子どもに罪悪感を抱かせてしまう状況に、心が痛みますね。このようなとき、周りの大人が、子どもの心をどのようにフォローすべきなのか、考えさせられます。>>次の話 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年09月29日今回は、次女のよっちゃんとかいさんちのお話です。かいさんちがお風呂に入っていると、扉を開けて「なんしよん?」と聞いてきたよっちゃん。すると、その数秒後、よっちゃんが再びやってくるのですが……? 娘とのやり取りを通して、パパが思ったことは…!? 遊ぼうって、大好きって言ってたじゃない。 パパ、いつもよりちょっと急ぎめでお風呂出たよ。 女心と秋の空……とはこういうことなんでしょうかw 見事に「もてあそばれ」ましたw きっと将来、魔性の女になることでしょうw著者:マンガ家・イラストレーター かいさんち
2023年09月29日私が育休中、育児から家事まですべて私に任せっきりだった夫。しかし、私が仕事復帰してから徐々にイクメンに大変身してくれました! そのきっかけとなった言葉や、夫がイクメンになっていった過程についてお伝えします。 いざ妻の仕事復帰長女が3歳、長男が1歳になるのを前に育休を終え、私は仕事に復帰しました。シフト制で帰宅は夜8時近くなり、土日関係なく出勤です。私の仕事復帰を前に、夫は不安にかられていました。夫が子どもたちを保育園に迎えに行き、家に帰ってきても、私はまだ仕事中なので誰もいません。おなかを空かせた子どもたちは私が帰宅するのを待てるはずはなく、夫が晩ごはんを食べさせなくてはなりません。さらに、休日は夫が2人の子どもと過ごさなくてはならないのです…⋯。 育児・家事の分担仕事復帰するにあたって、育児・家事を育休中のようにすべてをこなすのは不可能だと感じた私は、夫に育児・家事の分担を提案しました。長女の育休明けのときは私がすべてを抱え込んだため、手が回らない部分も多く、長女に対しても忙しいことを言い訳につい言葉が強くなったり、イライラした雰囲気を出してしまったり…⋯。 そんな苦い思い出から、夫が大事にしている自分時間の確保を認めたうえで、分担について話し合いをしたのでした。 イクメンへ大変身!仕事復帰後、メインのおかずは私が朝準備して温めるだけにしておきますが、みそ汁づくりやおかずの焼き加減などは夫に任せました。すると、あんなに不安がり面倒臭がっていた夫が、徐々にその生活に順応していきました。夫のモチベーションを上げるために、レシピを見せて「これおいしそう」とささやいてみたり、食事中は「おいしい!」「どうやって作ったの?」とベタ褒めしています。すると、夫は子どもたちにおいしいも物を食べさせたいと、私が休みの日も台所に立つようになりました。 夫がイクメンになった魔法のひと言徐々にイクメンへと変身を遂げた夫ですが、最もスイッチが入ったのはやはり子どものひと言がきっかけでした。妻のどんな褒め言葉も子どもの純粋な言葉にかなわないのでしょう。夫と1日を過ごした日、寝る前に長女がひと言。「お父さん、今日はすっごく楽しかった。また遊ぼ!」。よくありがちなひと言ですが、子どもたちが自分との時間を楽しんでいることに感動した夫は、この日を境にイクメンスイッチが入り、今日はどこに連れて行こうか、どんな楽しいことをしようかと、休日の朝はうれしそうです。 日ごろから私は、夫がいないときにも子どもたちに「お父さんのごはんはおいしいね」「今日はお父さんに何を読んでもらう?」と、夫とのつながりを感じるような言葉かけをしています。そうすることで、夫と子どもたちの距離が近くなり、父親へのプラスの言葉が自然と出てくるようになりました。ちょっとした夫への声かけや子どもたちの言葉が夫の育児へのモチベーションを高め、イクメンに変身するきっかけになりました。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/miyuka著者:佐藤はるの
2023年09月29日1歳を過ぎてから喃語が多くなり「おしゃべりになるかも?」と思い、まったく心配していなかった息子の発語。しかし、1歳半健診の発語チェックでちょっと気になることがあると言われ、経過観察となりました。保健師さんからのアドバイスを試しても、あまり変化は見られず心配して試行錯誤するのですが……。 うちの子はおしゃべりが遅い!? 息子の1歳半健診の問診票を記入した際、その中の「意味ある単語を3つ話せるか」という発語チェックの項目が気になりました。なぜなら息子の発語は「ぱーぱー(パパ)」のひとつだけだからです……。 健診当日、保健師さんに発語について相談。こちらが話している内容を息子が理解している様子があることを伝えると、「それなら様子を見ましょう。絵本を読んだりたくさん話しかけたりしてみてくださいね」とアドバイスをもらいました。 帰宅後、いろいろと気になりネットで調べると「言葉の発達は個人差が大きい」と書いており、頭では理解したものの、息子のことが気になる私。日常の動作や物の名前を意識的に言葉に出して伝えるようになりました。そんなある日、私が「このシールをぺったんぺったんと貼るんだよ」と息子に話しかけると「ぺったん、ぺったん」と何度も口にします。とはいえ「ぺったん」は意味ある言葉ではないし……と、あまり気にしませんでした。 後日、私は1歳半健診の発語チェックに引っかかったことを職場のママ友に話しました。最近は「『ぺったん』ばかり言っていて……」と何気なく私が言うと、ママ友は「『ぺったん』って、言えるのってすごいよ!」と笑顔で褒めてくれたのです。私はそこで、息子の言葉が増えていたのに素直に喜んであげられていなかったと気がつきました。 それからも意識的に言葉をかけるようにすると、少しずつ発語の種類が増えるように。周りの子どもと比べると、息子の発語は遅いかもしれませんが、興味があるものを少しずつインプットしているようです。今は不安もなくなり、周りと比べずに見守れるようになりました。 作画/Pappayappa監修/助産師 松田玲子著者:山田なおこ
2023年09月29日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。唯一の理解者である、“今のわたし”が当時のわたしちゃんの気持ちに寄り添います。母の病状で特に目立っていた被害妄想により、毎日のようにお隣さんを攻撃していた母。あるとき、物干し竿に、「◯◯◯◯(お隣さん)出ていけ!」と書いた紙を吊るし、母は警察から注意を受けていました。「お母さんも自分も捕まっちゃっうんじゃないかと、怖かったんだよね」当時を振り返る、今のわたし。 警察に注意された出来事は、わたしちゃんの記憶に鮮明に残っており、母の言動は他の人から非難されることだとはっきり認識しました。 周りの目を気にするようになったわたしちゃんは……。 母の現実離れした被害妄想 現実離れした被害妄想も多かった母。 テレビに出ている有名人を見て、「寝てるときにお母さんの首を絞めに来るんだよ」と、わたしちゃんに話します。 「この人、すごく有名な人だよ。うちに来たりしないと思う」 あるとき、どう考えてもおかしいと思い、言い返したわたしちゃん。 すると母は、「わたしちゃんはまだ小さいからわからない! こうやってお母さんの首を絞めてくるんだよ」と言って、わたしちゃんの首を絞めるマネをしました。 「お母さんには話が通じないと思って、悲しかったよね」 大人になったわたしが振り返るように、わたしちゃんはこのころから、母と意思の疎通や心を通わせることを諦め始めました。 小学生に上がる前の記憶。 「お母さんのおっぱいを触ってみたい」 母に甘えたい気持ちから、母のおっぱいを頻繁に触っていたわたしちゃん。 「ちょっと! しょっちゅう胸を触りに来るのやめて!! うっとうしい」 わたしちゃんは、母の言葉にショックを受けます。 「お母さんに甘えたい」という当たり前の欲求が満たされないことが多く、わたしちゃんは、常に寂しい気持ちを抱えるようになっていました。 幼い子どもにとって、「母親と触れ合いたい」と感じるのはごく当たり前のこと。拒絶されてしまったわたしちゃんですが、大人になった彼女が振り返るように、このような出来事は、子どもの自己肯定感の低さにつながるのかもしれません。 家事、育児、仕事と忙しく動き回ることが多く、余裕がなくなってしまうことも多いですよね。しかし、幼い子どもとのスキンシップの時間は、何ものにも代え難いものであることも事実です。そのことを忘れないようにしたいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年09月28日普段は温厚なのに、車に乗るとイライラして運転が荒くなりやすい夫。家族で出かけた帰り道、子どもの泣き声と前をゆっくり走る車にだんだんと機嫌が悪くなっていきました。夫に運転の荒さを指摘すると……。 「子どものこと考えて!」夫の運転が怖い 普段は家事も育児も協力的な夫。大声を上げるようなことはなく、温厚なタイプです。しかし車の運転となると、イライラして運転が荒くなり、前をゆっくり走っている車がいればひとり言のように文句を言うことも。 子どもが生まれて、夫の運転で出かけた日の帰り道、あと少し走れば自宅というところで生後6カ月の子どもが泣き出してしまいました。早く家に帰りたいと思いましたが、前の車がゆっくり走るのです。子どもの泣き声と、前をのんびり走る車に徐々にイライラが募る夫は、明らかに機嫌が悪くなっていきました。 ようやく前の車が別の方向へ曲がったところで、急にスピードを出し始める夫。見通しのいい道路ではないため、私は不安に思いながらも、夫の威圧的な雰囲気にひるみ注意できませんでした。 それでも無事、帰宅した私たち。子どもを泣き止ませ、落ち着いたところで夫に「イライラする気持ちもわからなくはない。でも、あなたにとってかけがえのない存在を乗せていることを忘れないでほしい」と伝えました。すると夫はうつむき、しばらく沈黙。 その後、夫は気持ちの整理がついたようで「さっきはごめんなさい。イライラしたときに運転が荒くなることは、自覚していて……。直すから、気になったらまた教えてほしい」とこちらの気持ちを理解してくれたのです。 誰しも感情をコントロールしきれず、何かにぶつけてしまうことはあると思います。それでも大切なパートナーや家族がいる以上、お互いに気持ちの良い時間を過ごしていきたいもの。運転中はもちろん、今後はお互いに声をかけあいながら、うまく感情をコントロールしていきたいと思います。 作画/ひのっしー著者:宇山のぞみ
2023年09月28日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。母の病状で特に目立っていた被害妄想により、毎日のようにお隣さんを攻撃していて……。統合失調症の母。被害妄想から、いつも騒いでいる母の元で育った、わたしちゃんの日常は……。 毎日お隣さんに攻撃する母 わたしちゃんが物心ついたころにはすでに、統合失調症を患っていた母。幻覚や被害妄想で騒いでいる姿が、思い出せる一番古い記憶なのだそう。 母の病状で目立っていた被害妄想により、お隣さんへの攻撃が日常的におこなわれていました。毎日、風呂場の窓からお隣さんに向けて大声で怒鳴る母。 「誰にもわかってもらえない、助けてもらえない」 そう感じていたわたしちゃん。唯一の理解者といえる、大人になったわたしが当時のわたしちゃんにやさしく寄り添います。 「つらかったね。平和に静かに暮らしたかったよね」 さまざまなかたちでおこなわれる母の攻撃。物干し竿に、「◯◯◯◯(お隣さん)出ていけ!」と書いた紙を吊るした日、母は警察から注意を受けていました。 「おまわりさん来てる! お母さんが注意されてる! え、お母さん捕まるの?」 わたしちゃんの記憶に鮮明に残っている出来事です。このことで、母の言動は他の人から非難されることだと、はっきり認識しました。 そしてわたしちゃんは、周りの目を気にすようになるのでした。 幼少期の記憶をたどり、大人になった自分が当時の感情に寄り添う、わたしちゃん。「唯一の理解者である、今の自分」という言葉があるように、本当の意味で自分のことをわかってあげられるのは、自分しかいないですよね。 幼少期のつらい記憶にはフタをしてしまいがちですが、大人になった今、振り返り、当時の気持ちに寄り添ってみることも大切なのかもしれませんね。 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年09月27日私はコロナ禍で第1子となる男の子を出産。実家は遠方のためほとんど頼ることができず、初めての育児に戸惑う毎日でした。息子が生後10カ月のころから、すぐ叩いてしまうことをやめさせるために、何をすれば正解なのかわからず悩んでいました。そんな時期に息子と実家へ帰省することに。実母から言われた何気ない言葉が引っかかり、悔しく悲しい思いをした体験をご紹介します。 生後10カ月ごろから叩くようになった息子生後10カ月ごろから息子は私の顔を叩いたり、髪の毛を引っ張ったりするようになりました。「だめ! 痛い、痛いよ」と注意しても息子はへへっと笑い、叩くのが悪いことだとは思っていないような反応。 全力で泣きまねをすると今度は息子が泣いてしまい、いけないことだとわかってくれたかなと思ったのも束の間、またすぐに顔を強い力で叩いてきます。児童館では、息子が他の子に指1本触れないよう神経を研ぎ澄ましていました。私の育て方が悪いのではと悩み、検索魔になってしまう日も……。 息子と姉の子どもを比べる実母息子が1歳の誕生日を迎えたばかりのころ、息子と実家に帰省しました。姉も5歳と2歳の子どもを連れてちょうど実家に帰ってきていました。息子は私の母や父、姉も叩いてしまい、何か気に食わないことがあると激しくかんしゃくを起こすことも。その様子を見た実母は「お姉ちゃんの子どもはこんなこと1度もしなかったよ」と、帰省中に何度も何度も言ってくるのです。 そのときの私は神経質になっていたこともあり、母の言葉は「あなたのの育て方が悪いから……」と言われているように感じてしまったのです。悔しくてとても悲しい気持ちが何日も続きました。 月齢や子どもによって違うのが当たり前!現在息子は1歳7カ月になりました。1歳2カ月のころから少しずつ言葉がわかるようになり、叩いてはいけないということも理解してくれました。今でも何か嫌なことがあると肩を叩いてくることがありますが、ごめんねと謝るポーズをして叩いた肩をよしよししてくれます。 母に限らず、私自身も何かと周りの子と息子を比べてしまうことがありましたが、今はみんな違って当たり前と思えるようになりました。 これからくるイヤイヤ期で、また息子の育児について悩むことがあるかもしれませんが、「今はそういう時期なんだ」と割り切って、ひとりで悩みを抱えすぎないようにしようと思っています。また、今回の体験を反面教師に、悪気がなくとも誰かと比べるような言動には気をつけようと思ったのでした。 イラストレーター/ライコミ 著者:米久 熊代1歳児男児の母。人材会社や人事の仕事を経験し、夫の転勤を機に退職。現在はフリーランスとして前職関係の仕事とライターをしながら、プレママ・新米ママ向けブログを運営中。
2023年09月27日今回は、かいさんちの体験談です。まだ独身のころ、高校時代の親友から出産報告を受けたかいさんちは、親友という特別な関係ということもあり、奮発して6万円のお祝い金を渡してお祝いをしました。それから時は流れ、いつしかかいさんちも結婚して家族を持つように……。その後、出産や住宅の購入など節目を迎え、たくさんの人たちからお祝いをいただいたのですが、親友からお祝いをしてもらうことはなく、ずっとモヤモヤしたまま月日が流れていきました。あるとき、連休に地元に帰るタイミングでかいさんちは親友と久しぶりに再会することに。しかし、親友からお祝いの話題を切り出されることはありませんでした。それ以降もお祝いの件は完全にスルーされ、次第にかいさんちはこのことは"もうこのことは忘れよう"と、お祝いの件について蓋をするようになっていきました。 その数年後、親友と地元のショッピングモールに遊びに行くと、なんと親友も同じ場所にいたようで、突然連絡が来たかと思うと、すぐ見つかってしまいました。最初は親友に対して気を使っていたかいさんちでしたが、このタイミングで親友にお祝いの件について聞いてみることを決意。 すると、親友は「覚えてねぇわ」とひと言。さらに「そんなことより」と言うと、別の話題に変えようとしたのでした。親友の態度にかいさんちは静かな怒りを覚えて……? お祝いの話を出すと、「覚えてない」とバッサリ言われてしまって… 「お金じゃないけどお金なんじゃない?」 今回の話において「お金」というのは、「気持ち」だと思うんです。 独りよがりな考えかもしれません。 人によっては「だからなんなの?」となるかもしれませんが、あくまで私個人的には嫌な気持ちになった経験でした。 ただ、彼と過ごした日々は楽しかった記憶がたくさんあります。 "最後の最後にその楽しかった想い出の景色に好きじゃない色で色を塗られた"そんなイメージですかね。 私自身忘れてはいけないことを忘れてることがあるかもしれません。 ある意味、この漫画を描いたのは、自分への戒めでもあります。 ◇◇◇ 親友はお祝いの話は覚えていなかったようです。それにしてもだからといって、いきなり話題を変えようとするのではなく、本当に覚えていなかったとしても「申し訳なかった」という謝罪の言葉や、別の言い方もできそうだなと思ってしまいましたが……。かいさんちが言うように、「親しき中にも礼儀あり」というのは本当にそうだと思います。仲が良い関係だと時に甘んじてしまいがちですが、仲が良いからこそ相手に対する言動をきちんとわきまえたり、相手の気持ちを尊重するなどを忘れずにいたいですね。著者:マンガ家・イラストレーター かいさんち
2023年09月27日わが家には7歳の長男、5歳の次男、2歳の長女の計3人の子どもがいます。末っ子の娘だけ髪質が違い、家族で唯一の天然パーマ。自分のヘアセットすらあまりしてこなかった私は、娘の髪をうまく扱えずに大苦戦です。そんなとき困った私を救ったのは、美容師さんからのあるアドバイスでした。 素人に難しすぎ!娘の髪の扱いに悩む日々 わが家には7歳の長男、5歳の次男、2歳の長女がいます。長男と次男は私に似た髪質で直毛。乾かすだけでサラサラのストレートヘアになるので、娘が生まれるまでは、ヘアセットなどしたことがありませんでした。 しかし、娘だけは家族で唯一の天然パーマ。成長するにつれ、髪が伸びるとどんどんクルクルに。1歳を迎えたころ、伸びた髪が肩につくようになり、前髪も目に入っていたので散髪を試みますが、どう切ったらいいのかわからず断念……。2歳になった今でも散髪をしたことがありません。髪は肩の下まで伸び、水で濡らすと腰のあたりまであります。ツインのお団子を作っても左右で大きさが違い、ツインテールにしても高さに差ができて、このロングへアをどう扱ったらいいのかわからず悩みました。また、結び方が緩いのか時間が経つにつれ、どんどん乱れていってしまいます。困り果てて美容師の友だちに相談したところ、「子ども用のコンディショナーを使ってみたら!」と子ども用のコンディショナーがあることを教えてもらいます。さっそく購入して使ってみると、娘の髪はボリュームダウンしたうえにツヤツヤに! 翌朝も今までとは明らかにボリュームが違ったのです。試しにツインのお団子に挑戦してみると、髪が扱いやすいので、きれいなお団子が作れました。もっと早くプロに相談しておけばよかったと反省。これからもヘアケアをしながら、娘の髪をかわいくセットしてあげたいと思います。 作画/Pappayappa著者:江夏恭子
2023年09月27日わが家の一番下の息子は2歳半で、イヤイヤ期真っ盛り。特に夫の存在そのものが嫌なようで、夫がいるだけで一切しゃべらなくなり、目が合ったら泣くといった状態に。夫は夫で「男の子だから泣き虫はダメ!」と徹底抗戦。どんどん険悪になる2人をつなぎとめるために私が始めたことを紹介します。 夫の話を聞いていた息子息子が夫に泣いてばかりのことを散々叱られた次の日、一緒にお散歩に行くとどこかから子どもの泣き声が聞こえました。「誰か泣いてるねぇ」と私が言うと、息子がぽつりぽつりと話し始めました。 「○○(息子の名前)もいっぱい泣いたから怒られたねぇ。泣いたらだめだけど、おとさん怒ると○○泣いちゃうね」。たどたどしい言葉ではありましたが、息子が夫の言葉をきちんと理解していたことに私はとても驚きました。 夫の気持ちの変化夫が帰宅したあと、私は息子が話したことを夫にそのまま伝えました。夫もやはり驚いていて、「ちゃんと俺の話聞いてたんだ」とぽつり。最近、夫の叱り方が感情的になってきていて心配だったのですが、その日を境に息子が泣いていても、淡々と諭すようになってくれて安心しました。 きっと夫は、自分の言葉が伝わっているのか、叱ることに意味があるのか、どこか不安な気持ちがあって感情を抑えられていなかったのだと思います。 夫にもっと息子の成長を見せよう平日息子とほとんど会えない夫は、私のように息子の成長を感じ取ることがなかなかできません。そんな中で息子に泣かれて満足に対話もできないのは夫にとってとてもつらいことだと思います。 せめて、息子が日々ちゃんと成長していっている姿を見せてあげようと思い、私は毎日息子の動画を撮って夫に見せることにしました。取るに足らない動画ですが、息子の成長を2人で見て、毎日息子について話すことで、少し夫と息子の距離が縮まった気がします。 相変わらず息子は夫が苦手ですが、動画を見せるようになってから夫の息子に対する態度は確実にやわらかくなってきました。少しずつ息子が泣きやむことも増えてきたので、これからも私は息子の成長を夫に伝えられるよう頑張っていこうと思います。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~5歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/おもち著者:岩崎はるか2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院まで学んだ食についても執筆。
2023年09月27日夫と3歳の娘みーちゃん、1歳の息子はーくんと暮らす和栗ぐりさん。やさしいけれどギャンブル好きのお父さんは借金でお母さんを苦しめていました。限界を感じたお母さんは一家心中をしかけたほど……。お母さんのストレスの矛先はいつもぐりさんで、ぐりさんは弟と比べられては怒られ、家を追い出されることもしばしば。行き場を失ったぐりさんは、父方の祖父母の家へ歩いて行くように。ある日、父親と一緒に帰宅したぐりさんは、自分の夕食がないことに気付き、「お母さんに嫌われてるのかな……」と落ち込むのでした。ある日、お父さんから父方の祖父母の家で暮らしてはどうかと提案されたぐりさん。お母さんと大喧嘩をした日の夜をきっかけに家を出ました。約3カ月間、ぐりさんは父方の祖父母と楽しく暮らしました。そんな楽しかった記憶をもとに、明るい家庭を作ろうと思っていたぐりさん。でも、娘のみーちゃんが大きくなるにつれて次第に自我を持つようになると、ぐりさんの感情に変化が現れます。そして自分のお母さんを思い出しては、同じようにはなりたくない思い悩んで――!? お母さんは私のこと… 子どもたちに対する怒り方がわからないぐりさん。頭の中でどう怒ったらよいのかを考えてもわからず、いつも自己嫌悪に陥ってしまいます。いつしか自分の気持ちに蓋をして、無理やり平常心を取り繕うようになってしまったのです。 また、子どもたちに嫌われたくない、自分と同じような気持ちにさせたくないという思いが強かったぐりさん。いろいろ考えているうちに、自分のお母さんがぐりさんにだけ当たりが強く、弟には怒らなかったことを思い出しました。 自分のお母さんのようになりたくないと思ったぐりさんは、お父さんに相談することに。ぐりさんは娘のみーちゃんと息子のはーくんを連れて、お父さんに会いに行くのでした。 育児が怖くて仕方がないこと、お母さんのように怒りたくないことを正直にお父さんに打ち明けたぐりさん。そして、「お母さん、私のこと嫌いだったのかな?」とまっすぐに質問したのでした。 自分のお母さんのようになりたくないがために、イライラする自分の気持ちに蓋をしているぐりさん。けれども、ある臨床心理士さん曰く、子どもを叱るときに「そんなことされたらママは悲しい」などと、ママがどんな気持ちでいるのを伝えることは問題ないとのこと。完璧でいようと我慢してストレスをためているママよりも、リラックスして笑顔で過ごしているママでいてくれたら子どもたちはうれしいはず。ぐりさんが肩の力を抜いて自然体で子どもたちと関われるようになれるといいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター 和栗ぐり
2023年09月26日平凡だけど幸せな「お母さん」だったあかりさん。義両親との敷地内同居をきっかけに平和な毎日が崩れ始めます。毎日のように手料理を届ける義母や、絵に描いたような亭主関白の義父と付き合う中で、次第にストレスを感じるようになったのでした。主婦の鏡のような義母は料理じょうずで、家に遊びに行くとゴミがひとつも落ちていないようなキレイ好き。義父は亭主関白で、日々のお酌は当たり前。食事中妻がテーブルにつくことなく動いていても、一切気にしません。 そんな2人に共通するのは「夫は外で仕事をし、妻は家を守るもの」と言う古い価値観。義実家に呼ばれるたびに延々と義両親の価値観を押し付けられ、あかりさんはぐったりしてしまうのです。 周りの声が胸に突き刺さる 娘・未来ちゃんの歯科検診で虫歯を指摘されてしまったあかりさん。そんなときも、義母の「家庭のことは母親の責任」と言う主張が頭をよぎります。 しかし、未来ちゃんが生まれてすぐのころ、母親として頑張りすぎてしまった結果、心が不安定になったことがあるあかりさんは、頑張りすぎることの怖さを知っています。 頑張りすぎてはいけない。しかし頑張らないと厳しい世間の目……。あかりさんは「普通のお母さん」でいることの難しさを痛感したのでした。 子育てをしていると、母親に求められるものの難易度の高さに愕然としてしまうことはありませんか? 「お母さんなんだから…」という言葉は、ときに呪いの言葉のようにママたちを苦しめます。 これは相手には悪気がない分難しい問題です。せめて心の耳を塞ぎ、スルーできるようになると、少しは心が軽くなりそうですね。著者:マンガ家・イラストレーター 龍たまこ
2023年09月26日今回は、かいさんちの体験談です。まだ独身のころ、高校時代の親友から出産報告を受けたかいさんちは、親友という特別な関係ということもあり、奮発して6万円のお祝い金を渡してお祝いをしました。それから時は流れ、いつしかかいさんちも結婚して家族を持つように……。その後、出産や住宅の購入など節目を迎え、たくさんの人たちからお祝いをいただいたのですが、親友からお祝いをしてもらうことはなく、ずっとモヤモヤしたまま月日が流れていきました。あるとき、連休に地元に帰るタイミングでかいさんちは親友と久しぶりに再会することに。しかし、親友からお祝いの話題を切り出されることはありませんでした。それ以降もお祝いの件は完全にスルーされ、次第にかいさんちはこのことは"もうこのことは忘れよう"と、お祝いの件について蓋をするようになっていきました。 その数年後、親友と地元のショッピングモールに遊びに行くと、なんと親友も同じ場所にいたようで、突然連絡が来たかと思うと、すぐ見つかってしまいました。最初は親友に対して気を使っていたかいさんちでしたが、このタイミングで親友にお祝いの件について聞いてみることを決意。 すると、親友は……!? 親友が口を開いて言った言葉は…!? 「覚えてない」 「そんなことより」 一人で悩んだ数年間のモヤモヤと、それを晴らすために勇気を出して話した言葉を一瞬で消し去られました。 お前だから悩んだのに。お前だから勇気がいったのに。 全身が崩れ落ちるような気持ちでした。 ◇◇◇ 勇気を出して親友に聞いてみるとことにしたかいさんち。しかし、現実は想像していたよりも残酷なものでした。確かにしばらく前のことだったため、記憶が薄れてしまうこともあるかもしれないですが、仮に覚えていなかったとしても、もう少し言い方というのがありそうですが……。このときのかいさんちの心情は、絶望そのものだったのではないでしょうか。著者:マンガ家・イラストレーター かいさんち
2023年09月26日長女が6歳、次女が3歳のころ、第3子を妊娠しました。夫は仕事が忙しく、普段から子どものお世話は私に任せきり。私は自分の体を労わる暇もなく、大きなおなかを抱えながら子どもたちと遊んだり、お世話をしたりしていました。ある日、妊婦健診で医師から急に10日間の入院を言い渡され、そのまま入院することに。夫と長女、次女の生活が始まったのですが……。 急な入院が決定…子どもたちは? 妊娠9カ月のころ、妊婦健診にて医師から「切迫早産のため、10日間入院してください」と言われました。急に入院が決まり、家に帰ることなく病室に通された私。おなかの赤ちゃんのことが心配なのはもちろん、保育園で私の迎えを待っている長女と次女が寂しい思いをするのではないかと考えると不安になり、その場で少し泣いてしまいました。すぐに気持ちを切り替えて夫に電話し、10日間の入院や、入院中の子どもたちのお世話について伝えます。夫は驚きながらも「わかった。こっちの心配はしないで」と言ってくれました。 コロナ禍だったため高齢の実母や義母は呼ばず、保育園に預かり保育を申し込み、夫は仕事の時間を調整して子どものお世話を頑張ってくれたようです。子どもたちもお父さんの頑張りに応えるかのように、私とビデオ通話するときも泣かないで楽しそうに話をしてくれました。 10日間の入院生活が終わり、無事退院すると、それまで涙を見せなかった長女は「お母さんが帰ってこないかと思った」と号泣。次女はうれしそうにしながら抱っこをせがみ、夫からも「母子ともに健康でよかった!」と言われ、夫と子どもたちがよく頑張ったことが伝わってきました。 私が入院するまで、子どもの世話は私に任せきりだった夫ですが、今ではひとりで子どもたちの荷物の準備や朝の支度ができるようになりました。当時は大変でしたが、夫と子どもたちにもいい経験になったと思います。 作画/Pappayappa監修/助産師 松田玲子著者:田川ゆうこ
2023年09月26日夫と3歳の娘みーちゃん、1歳の息子はーくんと暮らす和栗ぐりさん。自身の過去を振り返りながら、どのように子どもたちに接していくかを模索しています。母親が一家心中を試みてからというもの、ぐりさんには常に死の恐怖がつきまとっていました。ほどなくして母方の祖父母の家にぐりさんたち一家は身を寄せることになり、穏やかに過ごしていましたが、ある日、ぐりさんは祖父の「ここはお前の家じゃない!」という怒声を聞いてしまいます。祖父母とお母さんの喧嘩は次第にヒートアップ。しばらくして、祖父母との同居は解消され、再び家族4人暮らしに。やがてぐりさんは、弟と比較されては怒鳴られ、たびたび家を追い出されることも。行き場を失ったぐりさんは、歩いて1時間半かかる父方の祖父母の家へ行っていました。 「お母さんに嫌われてるのかな……」と落ち込むぐりさんは、ある日、お母さんとの大喧嘩の末、とうとう家出をしてしまって――!? 窓から家出したあの夜 いつもお母さんの顔色をうかがい、「仲直り」というものを知らないまま育ったぐりさん。お母さんに怒られて追い出される日々が続いていました。 そんなある日、お父さんから父方の祖父母の家で暮らしてはどうかと聞かれました。その場では答えを出せなかったぐりさんですが、帰宅してすぐに荷物をカバンに詰め込み、押し入れに隠しました。そして、お母さんと大喧嘩をした日の夜、そのカバンを持って何も告げずに家を出たのです。 父方の祖母はぐりさんを泣きながら出迎えてくれました。母方の祖父母と暮らした日々のトラウマが一瞬よぎったものの、約3カ月間、ぐりさんは父方の祖父母と楽しく暮らしたのでした。 父方の祖父母と暮らした記憶をもとに、明るい家庭を作ろうと思っていたぐりさん。娘のみーちゃんが赤ちゃんのころは育児がつらかったものの、イライラすることはありませんでした。しかし、みーちゃんが大きくなって次第に自我を持つようになると、ぐりさんの感情に変化が現れます。 子どもの自我の芽生えは成長の証だとわかってはいても、子どもの自己主張に悩んだというママは多いのではないでしょうか。悩んだときは家族に相談したり行政などの子育て相談を利用したり、周囲に相談するとよいのかもしれませんね。誰かに話しを聞いてもらうことで、少しでも前向きに子育てと向き合えるといいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター 和栗ぐり
2023年09月25日私は里帰り出産をしました。実母は私の妊娠がわかってから大変喜んでくれ、出産を心待ちにしてくれていました。しかし、普段から家事を嫌う実母は特に料理が苦手で、私の産後の肥立ちを考え栄養バランスの良い食事を作ることや、頻繁に汚れる孫の肌着の洗濯などが重荷になっていったようでした。 日に日にイライラしていく実母産院から退院して3日を過ぎたころから実母の様子が変化していきました。家事をするたびにため息をつくのです。私は出産時に会陰切開をしていて、座ったときに特に痛みがあり、退院後も続いている状態でした。実母にすべて頼ってしまって申し訳ないと思いましたが、なかなか自分の思うように体を動かすことができなかったのです。 実母は私や孫の世話で疲れてしまったのだろうと思い、その後は自分でできることは自分ですることにしました。しかし、外出はまだ控えていたため、買い物は引き続き実母にお願いしていたのですが、それも負担だったようです。実母から買い物が大変だと毎日のように言われるように……。 今は実母に甘えていいの?生後1カ月を過ぎたころに、保健師さんの新生児訪問が実家でおこなわれることに。わが子は順調に成長していると話があり安心したのですが、保健師さんから「産後を実家で過ごせるのはとても恵まれている。自宅に戻ったら家事・育児で忙しくなるから、今のうちにお母さんにたくさん甘えなさい」と言われ、実母はその会話を笑顔で聞いていました。また、保健師さんは実母に「娘さんとお孫さんのお世話は大変だと思いますが、お任せしますね。お母さんがいれば私たちも安心です!」と言っていました。 早く自宅に帰ってほしいと言われ…保健師さんから言われた「今のうちにお母さんに甘えなさい」という言葉が気になっていました。現状、私は甘えることができないのです。実母が疲れないようにできるだけ家事をしていたので、私もどんどん疲れていきました。そのうちに、わが子も泣く頻度が増え、私は1日中抱っこすることが増えていきました。そして、実父から「母さんがおまえたちの世話でとても疲れている。早く自宅に帰ってほしいと言っている。母さんがおまえに面と向かって言えないから俺から言った」と告げられたです。 果たして実母の本心は?正直ショックを隠し切れませんでした。そして、同時にそれは実父からではなく、実母から直接話してほしかったと思いました。その後、実母と話をすることに。実母は「父さんは母さんを気づかって言ってくれたけど、まだ実家にいていいのよ」と言うのです。 しかし、実母の本心としては、きっとかなりの負担があったのではないかと思います。そのため、私は産後1カ月が過ぎたころ、自宅に戻ることにしたのです。 里帰り出産は、実家で気兼ねなく心身共に休めるものだと思っていました。しかし、私が年齢を重ねた分、実母も年齢を重ねたということ。実家への滞在中、実母の体力が以前よりなくなっていると感じました。今後、子どもの世話などで実家を頼りたくなることもあると思います。そのときは、実家によく相談をして、無理のない範囲でお願いしたいと考えています。 イラストレーター/まっふ 著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。
2023年09月25日育児の合間にサクッと読めてクスッと笑える♪2児のママ漫画家・わかまつまい子さんのほっこりかわいい育児マンガをご紹介!今回は長女ちゃんが4歳の時のエピソードです♪「ちょっと待っててーお仕事のメールしてるから…」と言って、待って貰うことがしばしばあります。ご飯時、食べようとしない長女に、おもちゃのスマホ片手に見事真似されまして…。「誰としてんねんっ」と突っ込みを入れたら『僕ペンちゃん!』と言われました(笑)本当に子どもはよく見ており、毎度その使い所に驚かされます。下手なことできまへんわぁ(汗)
2023年09月25日平凡だけど幸せな「お母さん」だったあかりさん。義両親との敷地内同居をきっかけに平和な毎日が崩れ始めます。別の家に住んでいるはずなのに、ゼロ距離で接してくる義母……。あかりさんのストレスが、だんだんと募り始めたのです。あかりさんは「一緒に住むわけではないから大丈夫」と甘く考えて敷地内同居を決めました。しかし、新居での生活を始めてすぐのこと。義母は毎日何かにつけてあかりさんの家を訪ねてくるようになったのです。 義両親がストレス…でも夫にはいえないワケ 敷地内同居を始めたあかりさんのもうひとつのストレスが、時々招かれる義実家での食事でした。食事の支度や片付けをしなくてよいとなると、本来であればラクできるはずが、家に帰るとドッと疲れてしまいます。 昭和の価値観を、さも当たり前のように押し付ける義両親。専業主婦で小さな子どもを育てているあかりさんは、外の社会との接点が少ないため、義両親の影響を受けてしまいがちです。 妻として完璧に家事をこなし、夫をたてる義母を見ていると、感じる必要のない自己嫌悪に陥るのでした。 義両親は絵に描いたような亭主関白。夫婦の形も多様化する昨今では、時代錯誤と言ってもいいでしょう。しかし、それすら否定する義父の長い演説を聞いていては疲れてしまいますね。 義両親の愚痴を言う相手もいないとなると、さぞかしつらかったのではないでしょうか。スタートしてしまった敷地内同居。ストレスを溜め込まないように、何か他の方法で発散してほしいと願います。著者:マンガ家・イラストレーター 龍たまこ
2023年09月25日娘が1歳のころ、保育園の入園とともに私は小学校での給食調理のパートを始めました。入園して2週間経ったころから娘の行き渋りが始まり、慣れない調理の仕事も重なり私は毎日てんてこまい……。大泣きする娘の対応に追われ、パートに遅刻しそうになっていたある朝、忘れられない人物に出会うのです。 娘の登園渋りに心が折れそう… 毎朝大泣きする娘をなだめながら登園準備をし、保育園まで抱きかかえて送り届ける私。その日は、いつも以上にぐずるので、パートに遅刻しそうな時間になっていました。保育園に向かっている途中、心の余裕がなくなった私はだんだん涙が出てきます。 そのとき、ウォーキング中の60代くらいの中年女性が道の向こうからやってきました。髪はくるくるパーマで首には黄色いタオル、「極真空手」と書かれたビビッドピンクのTシャツを着た、とても個性的な印象です。私は「うるさいって怒られてしまうかも……」と、とっさに身構えます。すると、女性は「髪がくるくる! おばちゃんと一緒だね」と娘の天然パーマを見てひと言! さらに私へ「毎日大変よね。無理はしちゃだめよ!」と励ましの言葉までかけてくれたのです。私は疲弊していた心がだんだんと軽くなっていくのを実感しました。「ありがとうございます……!」とお礼を言い、怒られるかも……と思ったことを反省。無事、娘を保育園に送り届け、パートにもなんとか遅刻せずに到着して、すぐに気持ちを切り替えて調理に集中できました。 その後、娘の激しい行き渋りは次第になくなっていき、今では登園準備中に私を急かすほどです。私もいつか、元気がなさそうな人に出会ったら、パワーを分け与えられる人になりたいと思った出来事でした。 作画/Pappayappa著者:桐谷さゆみ
2023年09月24日夫と3歳の娘みーちゃん、1歳の息子はーくんと暮らす和栗ぐりさん。自身の過去を振り返りながら、どのように子どもたちに接していくかを模索しています。厳しいお母さんと無口でやさしいお父さん。そんな両親が喧嘩をし、「離婚しよう」と言い出すたびに、幼いぐりさんは必死で引き止めるのでした。ある日、借金の取り立てがやってきたあとにお母さんが一家心中をしかけます。お母さんが我に返り事なきを得たものの、その恐怖はぐりさんの心に深く根差してしまいました。ほどなくしてぐりさんたちはお母さん側の祖父母の家に身を寄せることに。転校先でも問題なく過ごしていました。しかし、ある日、祖父が「ここはお前の家じゃない!」とお母さんに怒鳴っていました。 祖父母の家を出て再び4人での暮らしが始まったぐりさん。幼いぐりさんは、きっと穏やかに暮らせると、また期待をしてしまうのですが――!? 私のせいだ… 母方の祖父母と同居して2年、いまだにぐりさんのお父さんは安定した職を見つけられず、同居生活にも暗雲が立ち込めていました。 ぐりさんのをおなかに宿したことをきっかけに、祖父母の反対を押し切って結婚した両親。ぐりさんは、祖父母と母親の喧嘩の原因は自分にあると思い込み、だんだんとふさぎ込むようになってしまいました。 また、祖父と母親の怒り方が似ていることに気付いたぐりさん。いつか自分も同じように自分の子どもを怒るのではないかと不安に駆られます。 しばらくして、祖父母との同居は解消。引っ越し先の二階建てのアパートで、家族4人穏やかな生活を送れると思っていたぐりさんですが、今度は家の中でも居場所を失ってしまいます。小学校に上がった弟と比べられ、家を追い出されることもしばしば。 行き場を失ったぐりさんは、歩いて1時間半かかる父方の祖父母の家へ行っていました。お父さんと一緒に帰宅したぐりさんは、自分の分の晩ごはんがないことに気付き、「お母さんに嫌われてるのかな……」と落ち込むのでした。 家庭に居場所がなく、ぐりさんはつらい日々を送っていましたね。もしぐりさんのお母さんのように自分が抑えられないなど、育児に悩んだときは児童相談所に相談するという方法があります。悩みを人に話したり、話を聞いてもらったりするだけでも心が軽くなるかもしれません。ひとりで抱え込まず、周囲のサポートを活用しましょう。 ■児童相談所全国共通ダイヤル育児や子育てに悩んだときなどの相談窓口です。全国共通ダイヤル「189」に電話をかけると、発信した電話の市内局番等から当該地域を特定し、管轄する児童相談所に電話が転送されます。子どもが虐待されているかもと思ったとき、自分の子育てがつらくて子どもにあたってしまうときなどに、専門家に相談することができます。電話番号:189(いちはやく) 著者:マンガ家・イラストレーター 和栗ぐり
2023年09月24日平凡だけど幸せな「お母さん」だったあかりさん。義両親との敷地内同居をきっかけに平和な毎日が崩れ始めました。義両親や世間から感じる“昭和の価値観”に苦しめられながら、母として、妻として、そして女としての幸せを模索するのですがーー。「お母さんみたいになりたくないなぁ…」子どものころ、平凡な母を見てそう思っていたあかりさんでしたが、結婚して子どもが生まれ、気付けば自分も平凡なお母さんになっていました。それでも、かわいい娘と真面目な夫に囲まれた毎日は幸せで、満足していたのです。 しかし、夫・平太の両親との敷地内同居を始めたことで、あかりさんの心境に変化が訪れます。平凡で幸せなお母さんだったはずなのに… 義実家の敷地に家を立てるということは、土地代が浮くということ。建物にお金がかけられたりローンが減ったりし、とても魅力的です。 同じ家に住むのは無理でも、敷地内とはいえ別の家なら……と思い、あかりさんも安易に敷地内同居を選択しました。 しかし物理的な距離は心理的距離を縮めます。何かにつけてやってくる義母を、あかりさんは負担に感じるようになったのでした。 良かれと思ってやっている義母でしたが、嫁にとってはありがた迷惑でしかありません。嫁姑が良好な関係性を築くためには、適度な距離を取ることが必要不可欠ですね。著者:マンガ家・イラストレーター 龍たまこ
2023年09月24日夫と3歳の娘みーちゃん、1歳の息子はーくんと暮らす和栗ぐりさん。自身の過去を振り返りながら、どのように子どもたちに接していくかを模索しています。ぐりさんの育った家は貧しく、母は早朝から働きに出ており、父は船の仕事でなかなか帰ってきませんでした。さらに、父がギャンブルで作った借金をめぐり、たびたび両親は大喧嘩。そして、ついにぐりさんは両親の殴り合いの喧嘩を目の当たりにしてしまいます。ある日、ぐりさんの家に借金の取り立てがやってきます。限界を迎えたお母さんはクッションに火をつけました。ぐりさんは「これ、一家心中ってやつじゃん」とすぐに思い当たりますが、恐怖で言葉が出てきませんでした。しばらくして、我に返った母親が鎮火。無事だったぐりさんですが、その恐怖はなかなか忘れられませんでした。 やがて、お母さんの祖父母と同居することになりったぐりさんたち。これからは平凡な日が続くと思ったぐりさんだったのですが……。祖父母との同居生活ならきっと… 時は遡って――。 結婚当初のぐりさんは、夫に対して何の不満もなく、一生喧嘩などはしないと思っていました。しかし、娘が生まれてからはどうしても不満が溜まってしまいがちに。もし夫婦喧嘩になったらどうしようという不安から、ぐりさんは不満を飲み込み、がんばり続けるのでした。 時は遡って――。 母親が一家心中を試みてからというもの、夕食にハンバーグが出たら「最後の晩餐だから奮発したの?」と疑い、お出かけしたら「このまま車ごと海に……」「山に捨てられる?」と死の恐怖につきまとわれていたぐりさん。 しかし、ほどなくしてぐりさんたちは母方の祖父母の家に身を寄せることに。転校先でも問題なく過ごしていました。しかし、ある日、祖父の「ここはお前の家じゃない!」という怒声を聞いてしまい、呆気に取られてしまいます。 旦那さんに不満を言えないぐりさん。幼いころ両親が激しく喧嘩する様子を見ていたぐりさんにとって、話し合いは喧嘩に発展するもの、というイメージがあるのかもしれませんね。けれども自分の意見や状況を夫婦で互いに伝え合うのは大切なこと。自分だけががんばればいいと我慢せず旦那さんに状況を伝えて話し合い、夫婦二人三脚で育児に取り組めるようになれるといいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター 和栗ぐり
2023年09月23日三姉妹を育てるアラフォーママの花さん。ママになってから一度、看護師復帰するも人間関係に悩んで退職。しかし、夫が転職しそうな予感……。そして、これから三姉妹にかかるお金のことを考えると、家計を支えるためにも再度復帰しようと決意します。就職活動に行き詰まっていたところ、「らくだクリニック」時代の先輩に出会います。どうやって勤務先を見つけたか聞いたところ、看護協会の求人サイトとハローワークを活用したとのこと。ハローワークにビビッときた花さんはすぐに訪ねるも、希望に合う求人はなく……落ち込んでしまいます。ハローワークに行くも希望にあった勤務先が見つからず、行き詰まってしまった花さん。職種関係なくアルバイトをやってみようかとも考えますが、自分に向いているとは思えず、看護師に絞って働ける場所を探そうと就活を再スタート。しかし、該当する求人はなく……。そんなとき、従姉妹で看護師のひろちゃんが自分の勤務先に来る?と誘ってくれたのですがーー。 周りは焦らなくていいと言うけれど… 従姉妹のひろちゃんからの誘いに心がざわついた花さん。これまでひろちゃんが話していた職場のグチを思い返すと、自分には無理だ……という結論に。「やっぱり無理そう」と断ると、「言うと思ったw自分に合う所が見つかるといいね」と励まされました。 求人が見つからない事、ひろちゃんのお誘いを断った事を夫に話します。こうなったら常勤で働こうかなと思い、採用された場合をイメージ。夜勤をやったり、勉強会に参加したり、意外にも家庭と仕事を両立できたーという事になるかもよ!と持ちかけますが、夫は冷静にそうはならないと首を横に振ります。 焦って無理な選択をするより、気長に待とうという夫。みんな焦らなくていいと言ってくれるけど、ずっとこのままだったらどうしよう……と花さんは悩みます。想像したら不安になり、求人検索したところ、条件に合った勤務先が出てきました。魅力的な求人ですが、働くのは育休の社員が復帰するまで。採用されたとしても数カ月後にはまた就活することを考えると……、迷いつつもハローワークへ向かうのでした。 結婚生活やお付き合いが長くなると、自分の性格を相手の方がよく分かっている場合がありますよね。花さんの場合、急いで勤務先を決める必要はありませんが、毎日求人とにらめっこするという宙ぶらりな状態も辛いものがありますよね。希望条件にあった求人が見つかるといいのですがーー。著者:マンガ家・イラストレーター 秋やま花
2023年09月23日おなかの赤ちゃんが逆子のため帝王切開で出産した私と、普通分娩での出産を経験した友人。ともに出産を乗り越えた友人から、「帝王切開ってラクだよね」と、まさかの発言が……。 友人の心無いひと言に困惑… 長男を妊娠中、8カ月ごろに逆子と診断されて帝王切開での出産を経験しました。初めての帝王切開は予想していた以上にハードで、産後はおなかの傷が痛くて起き上がるのも歩くのも大変です。 出産して3カ月が経ち、同時期に出産をした友人2人とランチをする機会がありました。話題はお互いの出産について。私は帝王切開だったので、普通分娩を経験した2人とはあまり話を合わせられませんでしたが、帝王切開の体験談は2人とも興味深そうに聞いてくれます。しばらく話していると、友人のひとりから突然「でも、帝王切開ってラクそうだよね」と驚くべき発言が。「なんで……?」と聞くと、友人いわく「陣痛と出産時の痛みはとにかくすごい!」とのことです。普通分娩の痛みは私にはわからないので、何も言い返せませんでした。その後は終始、友人の心ないひと言にモヤモヤしながらも時間になったので解散。 解散直後にもう1人の友人から電話がありました。「帝王切開だって、怖さとか不安があったよね。さっきのことは気にせずに、これからも一緒に子育てを楽しもうね!」と私を気づかう言葉をかけてくれたのです。私はその言葉にすごく救われました。自身が傷ついたこの体験から、誰かと出産体験談を話すときには、相手の気持ちを考えながら話すように十分に配慮したいと思います。 作画/yacco監修/助産師 松田玲子著者: 田中 里奈
2023年09月23日