コウの発達障害に気づかなかった私Upload By 丸山さとこ以前コラムでも書いたことがありますが、息子のコウは幼児のころ、”発達障害あるある”とされる行動が多い子どもでした。「物を並べる」「回転するものを長時間見つめる」「パニックになり壁に頭を打ちつける」などの行動をよくしていたコウ。『そういう性格なんだな』『それが好きなんだな』と捉えていた私は、息子に発達障害がある可能性を考えていませんでした。Upload By 丸山さとこ当時は本当にそう考えていましたし、その言葉に嘘はありません。ただ、今改めて振り返ってみると、正確には「(診断されるレベルの)発達障害がある可能性を考えたことはありませんでした」と書くべきだったのかもしれません。今回は、その辺りの少し複雑な心境について書いていこうと思います。コウの発達障害に気づかなかった私私は、自分自身が大人になってから医師に「発達障害のある可能性は高いが、就労と結婚をしているので検査は不要でしょう」と告げられるという経験をしています。コウが未就園児のころには『発達障害の特性はグラデーションである』ことを既に知っていました。ですが、そのことはコウに対する支援を探すきっかけにはならず、むしろ「積極的に情報を取りに行かない理由」になってしまいました。Upload By 丸山さとこ自分の経験から「発達障害がある傾向があって生活上つまずきを感じたとしても、つまずきの程度がよほど重くなければ、診断を受けることはないのだろう」と考えていたのです。2歳の誕生日を迎えたコウは、発語自体はあるものの会話のバリエーションは少なく、決まった形の問いかけ以外に答えることはほとんどありませんでした。そのため、公園でコウに話しかけてくれた近所の子から「この子はどうして話さないの?」「大きいけど赤ちゃんなの?」と聞かれたこともありました。この時点で、保護者によっては既に違和感を覚えるような状況だったのかもしれないな…と思います。Upload By 丸山さとこですが、私は前述の経験から「よく笑い、目が合うこともあり、(ある程度は)意思の疎通が可能なコウは、発達障害がある傾向があったとしても診断を受けるほどではないのだろうな」と思っていました。発達の凸凹自体は何となく認識していたものの、「彼の凸凹は得意・不得意の範囲とされるものであって、発達障害があるとはいえないのだろうな」と考えていたのです。2歳後半になり”セリフとして覚えた2語文”を話すようになったコウは、言葉による要求も行うようになってきました。それは”覚えたセリフ”をカードのように使っている状態だったので、「オウム返しを使って望ましい状況を再現しているだけ」と感じた私は『これで会話が成立していると言えるのだろうか?』という疑問を少し抱きました。Upload By 丸山さとこそれでも、私と話すときのコウは言葉での意思疎通が可能なため「コミュニケーションがとれている」と言えなくはない状態でした。しかし、コウの話せる文章が増えるほどに違和感が増えていきました。その後、児童館で人から話しかけられたコウが”話しかけられたセリフ”を延々と繰り返したことをきっかけに「これは何かあるのかもな」と薄っすら思い始めました。そして、3歳児健診でハッキリと息子に発達障害がある可能性を告げられたとき、『このくらいでも”発達障害がある可能性あり”として対応していくのか~!』『確かにほかの子どもと様子が違うからな~!』…という2つの気持ちを同時に味わっていました。”意外に思う心境”と”納得する心境”が一度にやってくる印象深い体験でした。Upload By 丸山さとこ私自身、発達障害にネガティブなイメージはなかったことから「発達障害がある可能性」と告げられたこと自体に対しては大きな戸惑いもなく、「コウは発達障害がある可能性が高く、支援が必要なのだ」と認識が切り替わりました。そこからの私は、コウの発達に関して改めて情報収集をしつつ、知能検査を受けたり療育園へ申し込みに行ったりするなどの”支援のための行動”を開始しました。不安や迷いがなかったのは、『ありのままのわが子を受け入れる愛情深い母親だから』ではありません。状況に対応するだけで手一杯だった当時は、「必要だ」とされることを「必要なんだな」と思うがままに取り入れていっただけの、流されるままに進んでいくような日々だったな~…と思います。Upload By 丸山さとこ家庭では以前から「コウに伝わるように」と意識して接していたことから、発達障害がある可能性を告げられてからも接し方が大きく変わることはありませんでした。しかし、改めてコウの様子を観察しながら「なるほど、確かに”発達障害あるある”な行動なんだな…!」と納得したりしていました。「すべて今だから言えることなんだろうな」と思う現在の私です1歳半健診で「反応が薄いのでちょっと様子を見ましょう」と言われたときや、2歳の健診で「コミュニケーションに不安があります」と心理士に言われたときなど、今になって振り返れば、コウの発達障害にもっと早く気づけたチャンスは何度もあったのだろうなと思います。3歳児健診まではハッキリと発達障害の名前を出されなかったことや、療育園を勧められなかったこともあって、息子の様子は「個性の範囲なのだろう」という判断をしていました。ですが、それについても、私の方から「気になるんです・心配なんです」と専門家の先生に伝えていたらハッキリと告げられていた可能性もあったかもしれません。Upload By 丸山さとこ早く気がつけばもっと選択肢があったかもしれないし、コウにとってより適切な環境を用意できたかもしれません。一方、2歳まで住んでいた自治体には通える療育園がなかったことから、実際には早く発達障害があることに気づいていたとしても焦るばかりだった可能性もあります。可能性をあげればキリはありませんが、それらはすべて「今だから言えることなんだろうな」と思います。Upload By 丸山さとここれからも、さまざまな可能性の山をかきわけて右往左往しながら選択をしていく中で、「こういう選択肢もあったのか!」「もっと早く考えていれば…」と思うことは山のようにあるのだろうなと思います。選ばなかった選択肢の結果が分からない以上、”ベストな選択だったのかどうか”という判断自体があとからできるようなことではないのかもしれません。それでも、定期的に足跡を振り返って検証をしつつ進んでいくことは大切なのだろうと思います。せめて、「いつでも予想外の展開や方向転換はあるのだろうな」という覚悟だけは持っておくといいのかな~と思う、予想外の展開に弱い私でした。(監修:三木先生より)とても良い振り返りですね。とてもバランスが難しいところなのですが、「まあこんなもんかな」と思って気楽にすることと、「この子にはこれが必要だ」と意気込むことは両方とも必要だと思います。そういう意味では、結果的にいいタイミングで気づかれたんじゃないかなと思いました。
2021年11月18日最初に「もしかしたら発達障害かな?」と感じたのは小学1年生のころUpload By かなしろにゃんこ。小学4年生のときにADHDと広汎性発達障害と診断を受けた息子のリュウ太。「もしかしたらうちの子って発達障害かな?」と感じたのは小学1年生のころからでした。リュウ太が小学校に入学してすぐに集団行動ができないことで担任の先生から相談がありました。教室が落ち着かなくて机に座っていられずにソワソワしたりイライラして鉛筆をかじってしまうことがあり、鉛筆はいつもボロボロでした。思い返すと「発達障害なのかな?」と感じたことはいろいろとありますが、「ん!?やっぱり変わってるかも」と思ったのはクラスの子とのコミュニケーション。小学校低学年から小5まで、息子は半端なく人づき合いが苦手でした。それはこんなことからでした。相手の反応は気にせず、話し続ける息子Upload By かなしろにゃんこ。息子は学校から帰ってくると「みんな僕の話を聞いてくれない! 無視する!嫌がって文句言われる!」と頻繁に愚痴を言っていました。私は、(この子ってみんなに嫌われているのかしら…?)と思い心配しました。担任の先生からの説明ではこうでした。「リュウ太くんは早口でまくし立てるように話すので相手が圧倒されてしまったり、突然自分が話したい話題を前置きもなしに長く話すので話された子は困ってしまって、逃げてしまうことがあるんです。話したいことをセーブしたり相手の顔色を伺って話すことは、年齢的にもまだできなくても仕方がないのですが、うまくいかないと感じた経験から少しずつ周りの子とのつき合い方を覚えていけるといいですね」担任の先生からそう聞いてから改めて息子を見てみると、相手の反応を見て“今聞いてもらえそうか?話題に興味がありそうか?”などを考えいないようでした。そんな様子を見て「コミュニケーションが下手すぎるな」と感じました。特に低学年くらいの時期はまだ相手の気持ちを尊重してつき合うなどは難しいのかもしれませんが、息子の場合は特に自分の話題やタイミングがまずかったんじゃないかな?と考えずに同じことを何度も繰り返すことが多くありました。それでさすがに「この子は自分以外の人の気持ちや状況を判断する力が乏しいかもしれない、これって発達障害なのかも?」と思うようになりました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。こんなことを小3のときに担任の先生に相談した際に「教育相談所にお話ししてみませんか?」と勧められました。そして、市が運営する生涯支援センターの教育相談所に息子と通うことになります。そこから相談員の方に「発達障害の心配があるのならクリニックで検査を受けてみるのもいいですよ」と勧められて、クリニックを受診しました。でも、発達障害があることが分かっても療育が進むわけではなく、息子の人づき合いの苦手感は高学年になっても続きました。Upload By かなしろにゃんこ。周りの子と趣味が合わないことでも浮いてしまいます。複数の子に混ざって雑談の輪に入っても流行りの話題についていけずうまく混じれない。ですので、輪の中でも仲の良い友達とだけ話そうとするので雑談の雰囲気を壊してしまい、結果仲間に入れてもらえなくなってしまいました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。息子に雑談の空気について聞いてみると、一人ひとりの会話を拾って返答することが結構難しかったのだそうです。だから一対一でつき合う関係が楽なんだ、と。趣味の幅を広げられるようになった中2のころからはいろいろな人と話せるようになったと言います。小学生時代は人間関係でつまづいてしまったときに「自分のやり方の何がいけなかったかな?」と考えて、成長するスピードが遅くて失敗続きの息子を見ては心配してハラハラしていました。勉強ができない心配よりも友達とうまくやれないことが一番心が痛かった母でした。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:初川先生より)お子さんが帰ってきて「みんな話を聞いてくれない!無視する!」と訴えたら、とても心配になりますよね。その後かなしろさんは担任の先生のお話を聞いて、リュウ太くん目線の出来事と、周りの子目線での出来事の見え方の違いに気がつかれたのですね。自分の言動に自覚的であることはなかなか難しいので反省して次に生かすことはとても難しいです。そのために、特別支援教室などでは、スキルとして「人の話を聞く」「自分の好きな話をする」ことをロールプレイやゲームなどを通して学び、その後、生活場面での実践へと至ります。さて、お子さんが人づき合いで苦戦しているのを見ているのは保護者としてハラハラしますし、つらくなることもあると思います。お子さんがそのことについて家でこぼした際に、叱咤激励するのではなく、苦戦を労いつつ、「一対一で話すほうが楽」の話のようにお子さんなりの工夫を聞いてみるのはとてもいいですね。お子さんなりに試行錯誤するのを見守るのはハラハラしますが、そうして身につけたスキルは一生ものだと思います(※あまりにもお子さんが苦戦していてつらそうな場合は、担任の先生や教育相談所の方など、教育・心理の専門家にぜひその旨ご相談くださいね)。
2021年11月08日学習障害(LD)/ 限局性学習障害・限局性学習症(SLD(Specific Learning Disorders))の治療法・療育法Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン学習障害って治療できるの?治療と聞くと薬物治療を思い浮かべる方もいますが、今のところ手術や薬物などで医学的な方法による根本的な治療法はありません。学習障害における治療とは子どもの将来を広げるための手助けのようなものです。学習障害のある人は多くの場合、教育面・生活面での環境調整や療育といった支援で困難さが軽減されます。学習障害のある人は脳機能の偏りのため特有の見え方・感じ方をしており、生活上や学習上、努力だけで乗り越えづらい困難があります。そのため日々過ごしていく上で、周りからのサポートが必要になってきます。まずは学校や地域の専門機関などの力を借りて専門家チームの検査・評価のもと、子どもの特性を理解しましょう。※現在は「限局性学習症」という診断名となっていますが、一般的には最新版DSM-5以前の診断名である「学習障害」と呼ばれることが多くあるため、ここでは学習障害と表記します。学習障害なのではと感じたらどこへ相談すればいい?専門機関とは子どもの場合、発達障害者支援センター、児童発達支援センター、児童発達支援事業所などを指します。大人の場合は発達障害者支援センター、障害者就業・生活支援センター、相談支援事業所へ行ってみましょう。まずは身近な相談できる専門機関に行ってみて、障害の疑いがある場合には専門医を紹介してもらうこともできます。また、家庭での対応も重要となります。子どもへの接し方は、子どものやる気や達成感を養い、うつ病や引きこもりなどのいわゆる二次障害を防ぐ上で大切な役割を担います。学習障害の発見が遅くなったり、誤った障害の理解により「自分は何をやってもできない」と子どもが思い込んでしまうことが原因となり、勉強意欲の低下、不登校などの二次障害と総称される症状や状態を引き起こしてしまう可能性も少なくありません。やる気、達成感を育てることは学習障害の子どもにとって最良の対応法といえるでしょう。学習障害の治療の判断基準は?いつから始めるべきなの?学習障害は知的発達に遅れがみられないことから、発見が難しくなります。そのため、実際に読み書きや算数などの学習が開始される小学校入学後に気づくケースが多くなっています。また英語だけに現れる学習障害の場合もあり、中学進学後に分かることもあります。このように特性のタイプや障害の程度によって症状に気づく時期が異なります。どのような症状があれば治療を行うべきなの?文部科学省の定義によると、学習障害(LD)とは、全般的な知的発達に遅れがないものの、「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算・推論する」能力のうちいずれかまたは複数のものの習得・使用に著しい困難を示す発達障害のことです。医学的な診断基準とされるDSMでは「学習障害(LD)」とされていましたが、最新版のDSM-5では、診断名が変更され、現在は「限局性学習障害/限局性学習症(SLD)」になっています。限局性学習障害の定義では障害内容は「読み」「書き」「計算」の3つに限定されます。このように読みに困難さがある人もいれば、読むことはできても、書くことに困難さがある人もいます。「学習障害」の状態や特性の現れ方は人によって異なります。子ども本人が学習に困難を感じていたり、同年齢の子どもと比べて著しく習得に遅れが見られるなど、子どもの様子から学習障害があるかもしれないと感じた場合は、まず学校や発達障害者支援センター、児童発達支援センター、児童発達支援事業所などで相談してみましょう。その後、専門家の検査により学習障害と判断されてから治療を行うのが一般的ではありますが、医師による診断がつかなかった場合や検査を受ける前であっても、その子に合った環境を整え、学習方法を見つけてあげることが大切です。治療を始める年齢は何歳?治療を終える判断基準は?学習障害があることに気づいたら、すぐにその子にあったサポートを進めることが望ましいです。学習障害にはいくつかタイプがあり、さらに一人ひとり、学習に得意不得意の偏りがあります。また、その人の現在の年齢によっても学ぶ内容は変わってきます。そのため、一人ひとりに適している治療や支援方法は異なると考えることができます。同様に、治療を終える判断もそれぞれです。通常学級で勉強をしながら、理解できなかった部分だけ通級指導教室で個別に指導を受ける方法もあります。学習障害の治療法・療育法早期発見・早期療育が望ましいとされる学習障害ですが、一体どのような治療法、療育法があるのでしょうか。今回はその方法についてご紹介していきます。◆学習障害の療育方法療育とは、社会的な自立をめざしてスキルを習得したり、環境を整えるアプローチのことです。このような療育は、発達障害を専門とする病院や公立・民間の児童発達支援事業所などで行われています。学習障害はその子の認知特性や苦手な部分によって、それぞれ直面する困難や課題が変わってきます。そのため、その子の特性に合わせた学習方法を獲得することが目的となります。療育法にはさまざまなものがありますが、学習障害の療育で最も大切なのは、その人に合った学び方や環境をつくることで、その人が困難を感じている分野に対する苦手意識を解消することです。苦手意識を持ってしまうと、その分野の学習に対して取り組む意欲がなくなり、困難は改善されないまま育ってしまいます。そのため、一人ひとりの子どもの成長速度や学び方に合わせて、できるだけ成功体験を増やしてあげることが大切です。つまり、子ども自身が「これなら学びやすい・学ぶことができる」という方法を探すということです。学校や療育施設などと連携し、学習方法を変えたり、環境を整えたりといった工夫を組み合わせ、さまざまな方法を試しながら、その子に合った学習方法を探していきます。・その子にあった覚え方や学び方を工夫する…クイズにして覚える、漢字のパーツを分けてパズルを作るなど・環境的な配慮をする…プリントはゴシック文字を使う、文字の色を変えるなど・代替手段を使用する…タブレットの音声読み上げ機能を使う、計算機を使うなど言葉や社会性など、それぞれの能力を習得する時期に近い段階で早期に療育を開始することで、障害による困難さが軽減されやすくなると考えられています。一般的に年齢が低い段階で、その子にあった療育を始めると、その後の社会適応力も高くなるといわれています。イラスト/かなしろにゃんこ。
2021年11月06日学習障害(LD)/ 限局性学習障害・限局性学習症(SLD(Specific Learning Disorders))の原因は?Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン学習障害の原因は、医学的にはまだはっきりとは解明されていませんが、以下のようなことが研究から分かってきています。※現在は「限局性学習症」という診断名となっていますが、一般的には最新版DSM-5以前の診断名である「学習障害」と呼ばれることが多くあるため、ここでは学習障害と表記します。Upload By 発達障害のキホン中枢神経は脳や脊髄、体のさまざまな部分の働きを指令する部分です。学習障害の症状は、情報を伝達し処理する脳の機能がスムーズに働いていないことで引き起こされると考えられています。◆見え方に偏りがある「視覚認知」の問題じっと見つめたり、視線を上手に動かすことが困難で、行を飛ばして読んだり黒板の文字を写すのが苦手な場合があります。見た情報を脳が処理する視覚認知の機能が弱く、文字を認識するのが難しいこともあります。また見え方に特性があり、文字がぼやける、黒いかたまりになって見える、逆さまに見える、歪んで見えるなど違った見え方になってしまうという人もいます。学習障害の症状・困難の理由を理解しようUpload By 発達障害のキホン◆音韻認識が苦手文字と音を結びつけるのが難しいため、音声を聞いて文字を書いたり、文字を見て即座に読み上げるのが難しいことがあります。◆書く動作が苦手文字を書くという動作自体が苦手です。脳内で身体に指示を出し手を動かすという伝達機能がうまくいっていないからだという説が有力です。文字を揃えて書く、バランスを考える、筆圧を調整する、文字間の距離感を取るなどが苦手です。そのため、筆算の際に桁がずれることも多くなり、間違えやすくなることもあります。◆ワーキングメモリーの弱さ一度にいろいろなことをするのが苦手で、聞きながら書く、読みながら意味を考えるなどが難しいこともあります。記憶するのが苦手な場合、漢字の形や読み方をなかなか覚えられないこともあります。記憶や推論することが苦手だと、数字そのものの概念、規則性、推論が必要な図形の領域を認識するのが難しかったり、文章題を読み、意味を理解することや、グラフや表、図形などからイメージすることが苦手だったり、算数障害につながることもあります。その子の困難の背景を考え、寄り添ってサポートを苦手さの理由や原因は一人ひとりのケースで違います。その子がどこに困難を感じているのか、またその理由はどこにあるのかを観察してみるとよいでしょう。環境を調整したり、やり方を工夫したりすることで対処法が見つかることがあります。現在は、見分けやすいチョークやユニバーサルフォント、音声読み上げ機能のある電子教科書、タブレットやキーボードなど、学習障害のある子をサポートする道具や機器もあります。その子がうまくいきやすい方法があれば、学校での合理的配慮を求めることもできますので、ぜひ、学習障害について理解を深め、サポートしていきましょう。イラスト/かなしろにゃんこ。
2021年10月31日「学習障害(LD)」「 限局性学習障害・限局性学習症(SLD(Specific Learning Disorders))」とは?Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン文部科学省の定義によると、学習障害とは、全般的な知的発達に遅れがないものの、「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算・推論する」能力のうちいずれかまたは複数のものの習得・使用に著しい困難を示す発達障害のことです。英語ではLearning Disabilityと呼ばれ、LDと略されることも多いです。学習障害(LD)、注意欠陥/多動性障害(ADHD)及び高機能自閉症について(文部科学省)医学的な診断基準とされるDSMでは「学習障害(LD)」とされていましたが、最新版のDSM-5では、診断名が変更され、現在は「限局性学習障害/限局性学習症(SLD(Specific Learning Disorders))」になっています。限局性学習障害の定義では障害内容は「読み」「書き」「計算」に限定されます。※「限局性学習障害・限局性学習症」が正式名称ですが、一般的に「学習障害」と呼ばれることが多くあるため、ここでは学習障害と表記します。学習障害の原因はいまだにはっきりとは解明されていません。有力視されているのは、先天性の遺伝要因にさまざまな環境要因が相互に影響し、脳の中枢神経系に何らかの機能障害が生じることが原因だという説です。親のしつけや養育方法、本人の努力不足が原因ではないことが医学的にわかっています。「読めるのに書けない」など苦手や困りごとは、人によって一部だけに極端に表れることもあれば、いくつか重複していることもあります。自閉スペクトラム症やADHD、協調性運動障害や感覚過敏などのほかの障害を合併している人もいます。特定の学習にだけ困難がある場合、周りから理解されにくく、「怠けている」などと誤解され、苦しんだり、不登校やうつなどの二次障害に陥ってしまう子どもも少なくありません。障害の名称や診断の有無などにこだわりすぎず、一人ひとりどのような特性や困りごとがあるか理解し、対処していくことが非常に重要になります。学習障害の3つのタイプと特徴・症状学習障害の困りごとには以下の3つのタイプがあります。症状や困りごとが全てあてはまる人はかえって少なく、特徴は人それぞれです。年齢によって困りごとや特性が変化したり軽減することもあります。複数のタイプが混じっていることもあります。※以下で紹介する症状・困りごとは年齢や学習の習熟度などによって、誰にでも見られるものもあります。当てはまるからといって学習障害であるとは限りません。◆読字障害(ディスレクシア)…「見た文字を判別し、音にして読むのが苦手」学習障害と診断された人の中で一番多く見られるタイプで、見た文字を判別して読んで理解したり、音にするのが苦手です。読むことに障害があると、結果として文字を書くことにも困難を感じる場合が多いため、読み書き障害と呼ばれることもあります。Upload By 発達障害のキホン◆書字表出障害(ディスグラフィア)…「文字を書くという動作が苦手」「文字が書けない」「書いてある文字を写せない」などの書く能力に困難があるタイプです。文字が読めるのにもかかわらず書けない場合もあります。Upload By 発達障害のキホン◆算数障害(ディスカリキュリア)…「算数、推論が困難」数字や数式の扱いや、考えて答えにたどり着く推論が苦手な学習障害のタイプを算数障害・ディスカリキュリア(dyscalculia)と呼びます。数字に関する能力にのみ障害がある人が多いため、算数の学習を始めてから発見される場合がほとんどです。「1」「2」「3」などの基本的な数字や、「x」「+」などの計算式で使う記号を認識することに困難をもっていることもあります。Upload By 発達障害のキホン
2021年10月24日発達障害のある子どもの障害受容についてUpload By スガカズ私、スガカズは、現在4人の子どもを育てているママです。・長男(中2 ASD、ADHD)・次男(小5 、ADHD)・長女(年長 、定型発達)・三男(年中、定型発達)次男はADHDがあり、通常学級に在籍していますスガカズ(以下、――)発達障害のある子どもの障害受容について相談したいです。わが家の次男はADHDがあり、通常学級に在籍しています。次男の3歳上の長男(ASD、ADHD)には小4のときに私が本人に障害告知をして、小5のときに他者(クラスメイト)に自分の障害について知ってもらう機会がありました。そのときには、クラスメイトに自然と受け入れてもらえたのですが、次男の場合は同じように受け入れてもらえるのか不安な部分があります。「次男ももう小5だし、障害告知をする時期が近づいているのかも…」と思ってはいるのですが、次男は他者の感情に敏感だったり、自己肯定感が低いところがあるので、自分の障害に対してネガティブに受け止めてしまうのではないかという懸念があります。また、友達とケンカをすることもあるので、「発達障害がある次男」を周りに受け入れてもらえるのだろうか?といった漠然とした不安があります。本人に障害告知をする前に親である私からできることはあるでしょうか?三木先生:次男くんは周りの子とどんな関係をもっていますか?Upload By スガカズーー毎年クラスに何人か仲良くしてくれるお友達がいるようです。低学年のころはうまくいかないことが起こると癇癪を起こすこともあったのですが、本人なりにクールダウンしたり折り合いをつけたりと努力している姿が見られますし、先生からもそのようにうかがっています。仮に友達と口論になったとしても、時間をおいて自分から謝る面も見られます。友達がいるのはよいのですが、一方で大人しいタイプの子からこわいと思われている面がありそうです。「クラスの女子が(仮にAさんとします)、オレのことこわがっているかも知れない。この前ちょっとぶつかったときに、Aさんは悪くないのに『ごめんなさい』って謝ってきたんだ。その子に昔なにかした訳じゃないんだけど。」と次男が言っていました。三木先生:なるほど。キャラが立っているほうが敵味方がハッキリしやすいですが、そういったタイプなんでしょうかね。ーーそうですね。敵味方がはっきりしているタイプだとは思います。周りのお友達も、次男が自分からいじわるするタイプではないと理解してくれているようなのですが、次男を苦手な子も一定数いるだろうと思っています。私からは、次男に「周りに優しく接したら女の子にもモテるんじゃない?」「どうしても言い合いになってしまった場合は、ライオンさんの声(大きい声)は出さないでね」とは言ってはいるんですが、まだ行動に落とし込むのは難しそうです。なので発達障害があると周りが知ったときに、「だから恐いんだ。もう関わらないでおこう」と思われるかも知れないなと…。「障害があるからしょうがない」と周りが思うのは、あながち間違いではない…?三木先生:障害受容って、「受容」に「障害」って名前がつくととたんに難しい問題になるんですよね。「障害があるからしょうがないね」っていうのはちょっと違うと思っていて…。「だから恐いんだ。もう関わらないでおこう」と思う気持ちを否定したり、だからと言って「障害があるんだからしょうがないよ」と「気持ちのついていかない受容」を強制するのも逆に差別になってしまいますよね。ーーそうですね。他者の気持ちを強制するつもりはありません。トラブルが起こったとしても次男が障害のせいにするのは避けたいと思います。ただ、過去に「しょうがないね」と思うことで解決した経験がありまして…。Upload By スガカズUpload By スガカズーー次男が小4のときに公園に1人で遊びに行った日がありました。しばらくして私が迎えにいくと次男がその日初めてあった男の子(仮にBくんとします)とケンカをしていました。きっかけは水鉄砲を次男だけ貸してもらえなかったという、子ども同士でよくありそうな理由だったのですが、Bくんとのやりとりを見たときに、次男と似ている発言も見受けられたため、「もしかすると次男と同じように、情緒に課題のあるお子さんかも知れない」と感じました。そのときBくんのことを知っている子が近寄ってきて「Bくんは〇〇小学校の特別支援学級に通っている子だよ」と教えてくれたんです。そのあと、次男とBくんは無事に仲直りしたのですが、家に帰ってきたときに次男は、「特別支援学級に通っている子だって分かったから、次会って同じような態度をとられても怒らないし、仲良くする」と言って納得しているようでした。これって事実(Bくんが特別支援学級に在籍していること)を知らないままだと、次男にとっていじわるな子で終わってしまったと思うんです。三木先生:確かにその時期(学童期)の子どもには「障害」という名前がついているほうが分かりやすいこともありますね。次男くんが納得したように、直感的に「そういうものだからそうしましょう」という考えで、世の中が平和になるわけですし、悪くはないと思います。ただ、それが当事者が開き直る場合だととたんに周りと仲良くできなくなってしまいますから、次男くんが自身の発達障害に対して、「しょうがないでしょ」とならないように保護者のほうで働きかけることは大事ですね。当事者も周りの人も、考えはその人によるし親が強制できるものではないし、強制するべきではないと思うので采配は難しいところですが。「周りに受容してもらう」ではなく、「自分の属性を理解して仲間を作る」Upload By スガカズ三木先生:次男くんのよいところは、「受容してもらえるであろう仲間」が何人かいることです。そこを掘り下げて、「周りは次男くんのどんな能力や人柄を気に入って仲間になっているのか」 「どうすれば理解・評価の幅を広げられるのか」を教えてあげるといいと思います。それによって「周囲の理解やサポート」という間接的なリソースをさらに獲得できるわけで、障害があろうとなかろうと受容してもらいやすい結果につながると思います。次男くんだけでなく外的要因もありますよね。おそらく今までのクラス編成がよかったり担任の先生に恵まれたり、あるいは家庭側でやってきた関わりの結果、彼の味方をしてくれる人たちを失わずに済んだこともあると思うので、今までの学校生活を振り返ってみましょう。ーー次男との話し合いで過去の物事を振り返るとき、「いい友達がいてよかったね。先生は次男のことよく理解してくれているね」といった結論に至ることはよくあります。ただ、先ほど言った大人しいお子さん(Aさん)の話なんかは、「自分は嫌われているかも」というネガティブな情報があるので、考えることは嫌みたいです。Upload By スガカズ三木先生:Aさんとの関係性は、本人が歩み寄れる努力をしたいと思っている問題なら、Aさんに直接「何がそんなに恐いの?」と聞くことも解決策の一つですね。例えばAさんが率直に「怒り方が恐くて」と理由を言ってくれたなら、共通理解ができます。その上で、次男くんが歩みよろうと思うのなら、学校や家庭、あるいは本人自身が「どうするべきか」考える機会ができます。あるいは、「分かってはいるけどできない(怒り方を変えられない)」という段階かもしれません。そうすると別の問題を解決する必要があります。「できない自分に対してどうすべきか?」という問題です。Aさんが「学校に行きたくなくなるほどの問題」なら解決すべき問題ですが、相手にそこまで迷惑でもなく「ちょっと嫌だな」くらいなのであれば、受け入れてもらうことを諦めて距離を取るのも一つの方法です。「あなたも苦手な子はいるでしょ?」「全ての人に受け入れられることは難しい」と教えてあげる、でいいと思います。ーーなるほど…。私は親なので「できるだけ仲間を増やしてほしいな」とどうしても思ってしまいますし、「障害のある次男を受け入れてもらえるにはどうしたらいいんだろう?」と漠然とした心配がありましたが、三木先生に言語化してもらえたことで情報がクリアになりました。Aさんとのことも、現在はクラスが違うので話す機会はほとんどないため、現時点で大きな問題ではなっていないようなのですが、同じような状況が今後発生したときの参考になりました。三木先生:人と共存する中で一番大変なのは小中学校の時期なんじゃないでしょうか。ただ、同じ地域に住んでいるだけなのに否応なく同じ教室に集められ、集団で生活させる訳ですから。大人になればなるほど属性が絞り込まれていくのでだんだん暮らしやすくなっていくはず。良くも悪くも、この先こんなに幅広く人と付き合う環境はなかなかないと思います。無理にその環境に合わせる必要はないですが、本人の意思と次男くんに合った環境整備をしつつその場、その場で寄り添ってあげれば次男くんも少しずつ成長していくんだと思いますよ。感想次男自身が自分の障害を前向きにとらえていけるように、障害告知するタイミングを大事にしたいと思っています。「障害」は三木先生がおっしゃるように、他者の考えを強制できるものではないと思うので学校など外の世界でどんなやりとりが行われるのか親は予想できません。「自分の属性を理解して仲間をつくる」ことをよく考えて寄り添っていき、次男自身がもう少し他者への理解も進む段階(おそらく小6あたり)で障害告知したほうがよさそうだなと感じました。執筆/スガカズ
2021年10月11日全品200円!安くて旨い居酒屋、実は…Upload By 桑山 知之名古屋市千種区にある歓楽街・今池。ディープスポットとして知られる町で、今年2月、明山さんは居酒屋「せんべろ元気」をオープンさせた。冷奴や枝豆といった定番メニューから、油淋鶏や唐揚げ、串カツといった本格料理まで、すべて200円という破格で提供している。もちろん、生ビールやハイボールなどの酒類も200円。「安くて旨い」と評判は上々だ。Upload By 桑山 知之それもそのはず。メニューは値段こそ安いが、同級生が経営する製麺所や食品会社、岐阜県海津市の有名串カツ店などから取り寄せた一級品を提供している。「まともにやったら回らない」。今池で生まれ育った明山さんの人脈があってこその価格設定である。飲み屋街の一角で、ありそうでなかった「昼から飲める」「安くて旨い」店。呑兵衛ならだれもがふらりと入りたくなる。実は、就労継続支援B型の事業所だ。義理ではダメ「福祉に甘えない」場所に明山さんには全盲の祖父がいた。鍼やマッサージの仕事で自立もしていたが、一歩外に一緒に出れば、周りからかわいそうな目で見られることが多かった。子どもながらに社会の偏見に対し、常に違和感を覚えていたことが、障害者福祉の世界に飛び込んだきっかけだった。2002年に福祉の専門学校を卒業後、愛知県内の社会福祉法人に就職し、4年ほど勤務した。2006年に子どもの放課後等デイサービスを運営する「ぜによ」に入社し、2019年4月からは代表を務めている。「児童デイサービス元気」の名称で3カ所のデイサービスを運営しながら、明山さんが重視している「自立のための教育」の一環として何かできないか模索し続けてきた。Upload By 桑山 知之「障害があろうとなかろうと、ちゃんと同じラインに立ったうえでやらなければいけないんじゃないかなと。福祉だからお店来てくれって、お店をやる以上は違うと思うんです」(明山さん)社会福祉法人に勤めていた際、作業所の利用者が山で切ってきた木を使って椅子や机を作っても、結局は安いものしか買ってもらえなかった。言わば「情け」でというのがほとんどだった。「福祉に甘えてはいけない」という思いが沸々と沸き上がった。Upload By 桑山 知之デイの先輩が働く姿が刺激に居酒屋「せんべろ元気」は新型コロナウイルスの影響を受け、営業時間や酒類の提供など不安定な要素もあるが、オープンから約半年が経ちじわじわと地元住民らから支持を集めている。店には現在、2人が働いている。そのうちの1人は、知的障害がある男性(20)。放課後等デイサービスに通っていた小学2年のころから彼が口にしていた「いつかラーメン屋で働きたい」という夢に向け、この店で修行中だ。Upload By 桑山 知之「今まで一緒にデイサービスで遊んでいた先輩がこうやって一生懸命働いているのは、めちゃくちゃ刺激になるんです。金銭教育、お金の使い方も学んで、働くとどうやってお金がもらえるのかという見本が目の前にある。毎年秋に施設で『ショップ元気』という、作ってきた製品を利用者が自ら販売の擬似体験をするイベントがあるんですけど、その進化版をやっているんです」(明山さん)就労継続支援B型とは、障害のある方が一般企業への就職が不安、あるいは困難な場合に、雇用契約を結ばないで軽作業などの就労訓練をおこなうことが可能な福祉サービスのことを言います。作業の対価である「工賃」をもらいながら、 障害や体調にあわせて自分のペースで働くことができます。参考:就労継続支援B型とは?作業内容や工賃の額、対象者、利用手続きなどを解説します | 仕事ナビかわいそうだから、頑張っているからといった“義理”ではいけない。福祉に甘えず、本当にその子が働ける姿を見てもらう。明山さんは、就労の場として接客などの経験を積ませながら、飲食業をはじめとするサービス業の関係者を招き、子どもたちの就職も後押ししていきたいと考えている。Upload By 桑山 知之「同居していた祖父は、鍼灸師として自立していたんです。福祉だからお客さんが来ていたわけではなくて、きっと人一倍の努力をしてお客さんを掴んでいたというか。だから、福祉というフィルターを通さずに社会で通用する人材を輩出していきたいですし、福祉と社会の垣根を取っ払っていくことが僕の使命です」(明山さん)取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生より)就労継続支援B型で地域で飲食店をされる場合、地域の方や同業者の理解や協力を得ることに対しては目に見えないご努力があったのかと思います。体調面から、夕方から夜にかけての方が働きやすいという方もいらっしゃることから、選択肢の広げ方としてはユニークな試みだと思います。地域の人たちの交流の場、生きづらさのある方同士の交流の場になっていくといいですね。出張の際にはぜひ行かせていただきたいです。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。
2021年09月30日癇癪を起こした息子をほったらかして家から飛び出しましたUpload By かなしろにゃんこ。こんにちは、かなしろです。ADHDと広汎性発達障害がある息子は、気性が荒く幼少期から癇癪持ちでした。過去に癇癪のときの息子の気持ちなどをコラムに書いたことがありますが、今回は私がしていた「息子が癇癪になったときの対策」についてお話ししたいと思います。息子がまだ3歳だったころ、遊びの中でうまくいかなかったとき息子は、頻繁にプンプン腹を立てていました。オモチャを投げたり、足を踏み鳴らしたりして、体全体で怒る息子の様子を見て「なんでこの子はこんなにイライラしているんだろう?」と不思議でしたし、怒っている子と同じ空間にいると、とってもイヤな気持ちになって子育てがつらく感じてしまっていました。ミニカーを並べて遊んでいて、思っていた場所に置けずにずれたりするとキーキー怒り出してしまう息子。そんな息子に「怒らないの、大きな声を出さないの、泣かない」などと私もついつい口を出してしまっていました。口を出すと息子はさらに泣いたり叫んだり、余計に怒ってしまいます。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。当時私は「癇癪」という言葉がどんな状態を表す言葉なのかよくわかっていませんでした。だから息子はうまくいかないとよく怒るけど、本人の経験不足から我慢が足りずに怒っているだけで、大きくなったら癇癪はなくなるものだと思っていました。しかし息子のうまくいかなかったときのイライラや爆発する怒りは、成長しても収まることはなく、「これが癇癪というものなのか!」と知りました。そんなある日、我慢の限界が来て…Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。癇癪持ちは治らない!おもちゃの線路がうまくはめられない、時間内にクリアしないといけないゲームは焦ってできない……など、できなかった場合「そんなこともあるよね」と諦めることができない息子。あるとき癇癪を起こした息子がイヤで、私は息子の視界から少し離れました。すると息子は、(なぜ母はいなくなったのか?)と気になったのでしょう。怒るのをやめてポカーンとしていました。少し離れたところから息子の様子を見ると、息子のさっきの怒りは鎮まっていました。これは効果がある、息子が癇癪を起こしたら離れるといいのかも!Upload By かなしろにゃんこ。それから、息子がうまくいかなくて怒っているときに離れることができない場所では、徹底的に「見ざる聞かざる言わざる」にしてみました。(もちろん、荒れた息子が人の迷惑になったり、危ない行動をとらないように視界の端で気にしながらですが)そうすると、干渉しないことで息子の場合は早く怒りが治まることがわかりました。私が機嫌をとろうとして関わると余計に荒れてしまう。息子自身沸きあがる自分の感情をどうしたらいいのか分からずに、戦っている形が「癇癪」なのかもしれません。癇癪に同調して寄り添う姿勢ももちろん大切だと思います。ですが、今まで息子が癇癪を起したときに、私が無理に止めるような関わり方をしていたせいで、怒りが長引いていたのかもしれないな、と思いました。Upload By かなしろにゃんこ。この経験をきっかけに、癇癪は息子自身の心の問題で、もしかしたら親が必要以上に干渉しなくてもいいのかもしれない。怒りや喜びなど、本人がいろいろな感情を味わい、それが成長につながっていくのかな、と思うようになりました。癇癪のときにどうしてほしかったか、その後成長した息子本人に聞いたコラムもありますので是非読んでみてくださいね。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:三木先生より)大人のコンディションが悪いときは、寄り添っても逆効果になってしまうこともよくあります。寄り添いと見守りを大人のコンディションによって使い分けるのはとても良い方法だと思います。つまるところ、「しんどいときは無理をしない」で良いのかもしれません。
2021年09月09日12歳から路上で靴磨き「あなたの靴に魂を…」Upload By 桑山 知之革好きの家庭に育った市原さん。母親がブーツを磨いているのを見て興味を持った。3歳のころから母子家庭で、母親は2人の子どもを養うために仕事を掛け持ちし、帰りはいつも遅かった。妹と母親の帰りを待つ間、市原さんは決まって母親の靴を磨いていたという。「寂しい思いもしたんですけど、お母さんの靴を磨いて、帰ってきたらすごく褒めてくれるというのが嬉しくて。そこで愛情に飢えていた分、褒められたときに愛情が満足したというか。その気持ちを覚えてから、野球のグローブとかスパイクもやり始まりましたね」(市原さん)小学4年のとある日の夜、テレビの特集を見て靴磨きという仕事があることを知った。中学1年から名古屋の高架下の路上で、通行人相手に靴磨きを始めた。「あなたの靴に魂を込めさせてください」とホワイトボードを掲げ、プロではないからと代金は取らなかった。中学時代は陸上部に所属。学校ではうまくなじめなかった。いじめにも遭った。そんなときは決まって、歯ブラシとスパイクを持って教室を抜け出し、体育館の裏でひたすらスパイクを磨いていた。なぜ生きづらいのかが、分からなかった。Upload By 桑山 知之パニックを機に発達障害が判明強みを靴磨きで岐阜市内の通信制の高校に進学し、週2日学校に通った。スーパーや居酒屋、ラーメン屋など、人間関係がうまくいかずアルバイト先を転々としながら、路上で靴磨きを続けていた。高校2年のとき、パニック障害に陥ってしまう。「休み時間に(クラスメートたちが)キャッキャしているのがすごくうるさくて耐えられなくて、暴れちゃって。ガラス割ったりとか、机ぶん投げたりとか。でも分からないんですよ、自分がなぜ暴れているのか。でも体が勝手に動いちゃって。先生4人がかりで押さえられて、僕には何が起きたのか分からない、何をしていたのかあまり覚えていない」(市原さん)Upload By 桑山 知之感覚過敏で周りの音や匂いに敏感なほか、人に見られることが特に気になった。医師からADHDとASDという診断を受けた。うつ病とパニック障害も併発していた。当初は布団から出ることができないほどだったが、母親に支えてもらいながら精神科に通院。約2年かけて日常生活ができるまでに回復した。そのときも、ひたすら靴を磨いていたという。やっと分かった「生きづらさの正体」と向き合うことで、自分の道が見つかった。持ち前の集中力と記憶力が、靴磨きで活かせる。発達障害の特性が、強みに生まれ変わった瞬間だった。高校卒業後、路上で靴磨きを続けていた市原さん。2017年12月、名古屋で有名な靴磨き専門店の主人に声をかけられ、弟子入りを決意した。朝5時半に起き、8時には出勤。深夜まで修業は続いた。帰宅後も一人、寝る間も惜しんで靴と向き合い続けた。発達障害の特性が、市原さんを支えていた。「命を削ってでも磨け」。師匠から教わった言葉だ。初デートで履いた靴、結婚式で履いた靴、亡くなった夫の靴――。客が持ち寄るそれぞれの靴には、さまざまな思いが詰まっている。「半端な気持ちではできない」と、どれだけ靴に魂を込められるのかに、強くこだわりを見せる。命を削ってでも…靴磨きに懸けた人生Upload By 桑山 知之岐阜県関市に今年4月、靴磨き専門店「LEON」をオープンさせた。岐阜県内で唯一の専門店だ。汚れ落としで使うクリームはすべて、知り合いの農家から直接仕入れたハチミツやオレンジなどを調合して手作り。靴を磨くのに使うネル布は、「感覚が変わってしまうから」と学生時代の体操服の切れ端を今も使用している。障害者手帳2級。今も不安で手の震えや動悸などの症状が出ることもある。やらないと気が済まない性格から、中途半端な出来栄えでは一切眠れない。「靴を見れば、その人の性格がわかる」。その技術に魅了された全国各地のファンから郵送での依頼を受け、60足以上を磨く日もある。「発達障害があるからこそ見える世界や、できることがあるんじゃないかなと。でも、普通の親は普通に育てようとして、その個性をつぶしているんじゃないかと思うんですよ。どんどん大人になって、個性がなくなっていく。最低限の礼儀礼節以外、僕のお母さんは制御しませんでした。あえてでしょうね。止めなかった。暴れたりもしましたけど、理由を聞いて何も怒らなかった。僕を自由にさせてやりたかったんだと思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之心も磨く職人に「僕にとって障害はギフト」完全予約制で、客と話をしながら靴を磨くスタイルのため、60分間という時間を確保。それでいて相場の半額の2000円という破格の安さだ。取材に際し、筆者もローファーを持ち込んだ。「桑山さん、サイズが合ってないですね。ゆるいんじゃないですか?」靴の使い方から性格まで、すぐに見破られてしまった。「主婦の方だったら旦那さんの悩みごととか。障害のある方は、どういう風に乗り越えてきたか聞かれたりします。完全予約制にしないとそういう風にできないんです。お客さんと会話して、お客さんの心も磨くのが靴磨きですから」(市原さん)現在、弟子を10人以上抱えている市原さん。岐阜県内の放課後等デイサービスなどで発達障害のある子どもたちにも、靴磨きを教えているという。Upload By 桑山 知之「僕にとって障害はギフトだと思っています。神様から贈られたというか、障害者って落ち込む必要はなくて。僕だってもし靴磨きと出合わなかったら、ずっとバイトを転々としていたと思います。そこに時間が掛かる人もいるかもしれないし、意外と近くにあったりする場合も多いかもしれません。例えばすごく掃除にこだわる人もいますけど、それを職業にすればいいと思うんです。私生活の一部が、僕は靴磨きだったので。何をモノにして認めてもらえるか。その中でずっと続けていたのが靴磨きだったんです。まさか職人になるとは思っていませんでしたけど……偶然ですけど、必然だったのかなって思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海監修:三木崇弘(児童精神科医)
2021年08月31日お手伝いカードで、お金を稼ぐことを学んだ娘。わが家では、2年前からお手伝いカードというものを導入しています。一回のお手伝いで、スタンプを一つ押し、20マス(一枚)で500円と交換というシステムです。小学5年生になる広汎性発達障害の娘は、このお手伝いカードを長い間続けていて、もう何度も欲しいものをお手伝いカードで貯めたお金で買っています。Upload By SAKURAお手伝いはたくさんしてくれるようになり、お金を稼ぐ大変さもわかったおかげか簡単に物をねだらなくもなったし、いいことだらけです。欲しいものがあるときは、頑張ってくれるけど…しかし・・・ずっと続けてはいるものの、お手伝いに対する意欲は、不安定。欲しいものがあるときは、自分からお手伝いを見つけて自主的に動いてくれますが、特に欲しいものがないときは言われたら仕方なくやってくれる・・・という感じです。Upload By SAKURA最初のうちは、これでも満足だったのですが、正直・・・もう5年生。中学生も近づいてきたこともあって、常に自主的に動くというお手伝いもしてほしいのが、本音です。察してほしい!でも…しかし、娘は特性上、察するというのが苦手で「状況を見る」「気を利かす」ということができません。Upload By SAKURA家庭内では、場合によって状況を伝えて「こんなときは、こうしてくれたら助かるんだよ」と、繰り返し教えるようにしていますが、なかなか自分から動くことはありません。Upload By SAKURA将来的にも、いつかは自分で気がついて、動くことが必要になってきます。その力を身につけるためにも、「察する」「自分から動く」という練習もしてほしいと思っていました。「察する」より先に「自分から動く」習慣づけ。夫に相談すると…Upload By SAKURA「察する」より、「自分から動く」の部分を習慣化したほうがいいと言われました。そこで、時間帯によって必要なお手伝いを理解してもらうため、「毎日やるお手伝い」を決めることにしました。いきなり複数のことを頼むと持続できないため、まず決めたのは、朝と夜、食事の前の支度のお手伝いでした。Upload By SAKURA朝ごはんのときは、「私が準備をしている間、マーガリンやジャムを出す」夕ごはんのときは、「私が準備をしている間、箸を並べる」この2つを、固定のお手伝いにすることにしました。これだけは、求めてしてもらうことではなく、自分から動いてほしい。そのことを娘に説明し、さっそく実行してもらうことにしました。朝は勝手にやってくれるけど、夕方は難しい。朝のお手伝いに関しては、起きたらやる・・・という習慣が身につきやすかったようで、何も言われずに、すぐに自分から動けるようになりました。Upload By SAKURAしかし、夕飯のときは…Upload By SAKURA時間が不規則なことや娘の自由時間なこともあって、ゲームをしていたり本を読んでいたり、テレビを見ていて、娘は忘れてしまうことがほとんどでした。声かけを繰り返し、パターンを覚えてもらう。何か…娘が思い出したり、気がついたり、習慣づける絵カードなどの工夫が必要かな~と考えたのですが、Upload By SAKURA夫からのアドバイスで、このお手伝いに関しては、補助アイテムを使うことはやめました。その代わり、気がつくようヒントは与えることにし、「あーさん?ママごはんの用意してるけど、何するんだっけ?」「あれ?何かない・・・」と言った声かけや、咳払いをして気がついてもらう・・・ということを繰り返しています。しかし、やはり察することが苦手な娘。なかなか気がつかず「え?なに?呼んだ?」と言ったり、こちらが何を言いたいかがわからず、硬直したりすることも多々あります。Upload By SAKURAただ、今は練習。この時間帯に私が何に困るか、何を手伝ってもらったら楽になるかを時間をかけて覚えてもらい、ここからパターンを増やして教えていければ将来的にきっと役立つと信じ、同じことを毎日繰り返しています。執筆/SAKURA(監修:井上先生より)お手伝いを自主的にお母さんや家族の状態を見て、察して行うことはとても困難な課題だと思います。SAKURAさんの実践のように、状況に寄らず具体的にするべきことを固定化するのも1つの方法です。さらにもう一歩踏み出すためには、お父さんの言われているようにカードなど視覚的な刺激ではなく、あえて言葉を使う方法があります。同じ言葉による指示でもいくつかのステップがあります。「箸を並べましょう」という直接的な指示⇒「お母さんが準備しているよ」などの間接的な指示⇒咳払いのような状況に注目させる非言語的・間接的な指示です。もちろん、お手伝いができたあとはたくさん褒めてあげることが大事になってきます。一生懸命なお母さんと、状況を客観的に見ながらアドバイスをされるお父さんの役割分担はとても素晴らしいと思います。
2021年08月25日私には現在小学3年生の長男がいるのですが、発達障害であるADHD(注意欠陥・多動性障害)の診断が下りたのは小学校2年生のときでした。さらに3年生になった今年、自閉症スペクトラムの診断が下りたのです。私は、小学生になるまで長男の障害を見つけてあげられなかったことを後悔。乳幼児健診のとき、こうしておけばよかった! と思ったことをお話しします。 1歳半健診では育てにくさを伝えられずハイハイをし始めたころから活発な長男でしたが、1歳になるころには多動が目立ち始めていました。他の子とちょっと違うなと感じつつも、気にするほどでもないと思う中で、1歳半健診の日を迎えました。 1歳半健診の質問項目に「育てにくさを感じますか?」とあったのを見て、一瞬戸惑う私……。買い物先や支援センターでよく脱走し、かんしゃくがひどいことに悩んでいたからです。 しかし育てにくいレベルに入るのかわからず、悩みながらも「いいえ」にマルをしたのです。このとき「はい」または「わからない」にマルをしていれば、支援に繋がったのかなと思います。 3歳児健診でも育てにくさを伝えられず!その後長女が生まれ、育児に奮闘しているうちに年月が経ち、長男の3歳児健診の日を迎えました。3歳になるころにはお喋りもじょうずになり、手先も器用になってきていた長男。一方で相変わらずかんしゃくが酷く、2歳下の妹を叩いてしまうこともしばしば……。 しかし私は3歳児健診での問診票でも、「育てにくいですか」の質問に悩み、「いいえ」にマルを付けてしまったのです。さらにあらかじめ相談内容を固めていなかったため、悩みをどう伝えたらいいのかわからず健診は終了。私はまたもや悩みを伝えられないまま、健診をスルーしてしまったのです。 次男のおかげで保健師さんに相談でき…3歳児健診を過ぎると、市の乳幼児健診の場はありません。仕事が忙しくなったこともあり、日々の家事、育児をこなすだけで精一杯の私……。そして長男が小学校に入るころ、転機が訪れました。わが家に次男が生まれたのです。 育てやすい次男ですが体が小さく、4カ月健診で経過観察となってしまいました。おかげで市の保健センターから、よく電話がかかってくるようになりました。長男のかんしゃくに悩んでいた私は、すがるように保健師さんに相談することに! すぐに専門的な相談施設を紹介され、小学2年生になったころにADHDの診断が、さらに1年後に自閉症スペクトラムの診断が下りました。 長男の幼児期を振り返ると、後悔するのはやはり乳幼児健診で悩みを伝えられなかったことです。伝えるべきか迷う程度の悩みでも、困っているなら相談するべきだと思いました。今では主治医や臨床心理士さんに相談しています。次男が3歳児健診を迎えるときには事前に悩みをリストアップし、細かく相談したいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/みいの著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。
2021年08月17日娘が望む、放課後の過ごし方。前回の続きです。習い事(琉舞)前に、体調不良を訴えていた娘。娘には合っていなかったと感じ、やめることになりました。それから現在(小学5年生)まで、一つも習い事はしていません。今、習い事をまたやりたいか聞いてみたところ…Upload By SAKURA娘は、自宅でのリラックスタイムを大切にしたいようでした。私は、好きなことを習い事にすればそれ自体がリラックスタイムになると考えていたのですが、自宅で過ごす時間と、通う時間は違うようでした。好きな習い事=好きな時間になるわけではない?自分のときのことを思い出してみると…Upload By SAKURA私は、習い事の中に好きなこともあって楽しい時間として過ごせましたが、どういう時間が心地いいか、癒されるかは、人それぞれ。娘には、自分の好きなことを思う存分できる『自宅での時間』がリラックスタイムで、急かされずにゆっくりと過ごす生活リズムが、合っているのだと思いました。経験はさせてあげたい!しかし、娘の好きな時間を過ごして欲しいと思う反面、いろいろな習い事でいろんな経験をして、その中から自分の興味のあることを見つけて将来につなげて欲しいという気持ちがありました。Upload By SAKURA習い事をしないままだと、もしかしたら出合えないことがあるかもしれない…。親として、いろんなことを経験させてあげる役割を、どうやって果たせばいいのかという不安もありました。しかし、そのために、娘の望まない日々を過ごすのは、違う…。そこで私は、娘にこんな話をしました。Upload By SAKURAいつか興味のあることが出てきたら…発育の成長段階では、刺激も必要だし、いろんな人と関わることや経験を積むことはとても大事だと思います。しかし、成長するに従って、本人が心地よい時間の確保も大切。本人が嫌だと感じたり、自分の望む時間の過ごし方が出てきた場合は、その通りにしてあげることも必要だと感じました。リラックスした時間を過ごしていくうちに、本人が少しでも興味を持ったことは「楽しそう」という思いだけでは終わらせず、負担にならない程度に経験させてあげたい。親として、その中から将来につながるものを見つける手助けをしたいと思っています。
2021年08月11日暇な時間は、ちょっともったいない。また習い事を始めることに。前回の続きです。娘が小学生になる3か月前に、市外に引越しをしたわが家。それまで習っていたダンスとピアノは、遠くて通えなくなるため、やめることに。結果、習い事はゼロになりました。小学生になってからは、習い事より小学校に慣れることが優先だと考え、放課後をのんびり家で過ごしていたのですが…。小学1年生はまだ帰宅時間が早く、宿題も少ないため、放課後は結構暇。Upload By SAKURA入学から半年ほど経過したころ、家で暇を持て余す娘の様子を見て、そろそろ何か習い事を始めてみてもいいのではないかと感じるようになりました。新しく始めたのは、琉球舞踊!前回同様、個人指導のものか、集団指導のものか…運動系、文化系で迷っていたところ、親戚から琉球舞踊をすすめられました。Upload By SAKURAいろんな動画や写真を見せたところ、娘も「やってみたい」とやる気に。早速、琉舞を始めることになりました。ダンスを習っていたころよりは、人の話も指示も聞けるようになっていた娘は、思った以上にきちんと琉舞に取り組んでいました。Upload By SAKURA曲を聞けば身体も動くようになり、何度も発表会の舞台にも立ち、「これはずっと続けて、将来かなりの腕になるのでは!?」と、親として期待するようになってきました。順調だと思っていたら…習い事の日に体調不良?しかし、小学2年生になったある日…Upload By SAKURA琉舞の日になると、「お腹が痛い」「足が痛い」と、体調不良を訴えるようになったのです。「休む?」と聞けば『行く』というので、行かせると『楽しかった』と帰ってきました。原因は精神的なもの?最初は一時的なものだと思い、様子見て通わせていたのですが、一度気分が悪いと言った日に「じゃあ、今日は休んじゃおう!」と言ってみたところ…Upload By SAKURA休みだとわかった瞬間、娘は元気になりました。その態度を見たとき、「これは精神的なものだ」と確信しました。主人に相談すると…Upload By SAKURA主人も、私と同じように「嫌だと思っている状態で、無理やり続けることはない」という考えでした。「やめてもいいよ」と言うと…私は、娘の気持ちを再度、確認することにしました。Upload By SAKURA「先生に『やめます』って言ったから、もう行かなくていいよ」と報告すると、娘は…Upload By SAKURA初めて、やろうと思った理由や、嫌だったことを話してくれました。「やめたい」と言ったら、私に悪いと思ったのでしょうか。本心を聞けたことで、改めてやめてよかったのだと思いました。(続く)LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年07月28日障害のある作家たちの異彩を発信する展覧会「HERALBONY GALLERY in Tokyo -3rd Anniversary Art Exhibition- 」7月19日(月)から渋谷で期間限定開催!Upload By 発達ナビニュース障害のある作家たちの異彩を発信する展覧会「HERALBONY GALLERY in Tokyo -3rd Anniversary Art Exhibition- 」が2021年7月19日(月)~25日(日)の期間、渋谷スペイン坂の多目的スペース「no-ma」にて開催されます。主催のヘラルボニーは、福祉実験ユニット。障害という言葉の裏にある先入観やこれまでの常識を超え、福祉を起点に新たな文化を作り出し続けています。7月24日に設立3周年を迎えることを記念し、今回の展覧会を開催。展示では三重県にある障害のあるアーティストの支援等をする、特定非営利活動法人 希望の園に所属する作家、森啓輔の原画作品展示、ヘラルボニーの取り組みと活動の展示、ヘラルボニーが手掛けるアートライフブランド「HERALBONY」の出店があります。入場は無料。※7月22日~15:00、23日~14:00、7月24日~14:00は、チケット購入に限り来場可能アーティストが放つ「異彩」との出会いがここにある。3周年記念イベントとして、チケット制の有料イベントも開催します。2021年7月22日(木)、23日(金)はスペシャルイベントとして、常設展示のほか、ヘラルボニー代表や特定非営利活動法人 希望の園理事長のあいさつ、コンテンポラリーダンサーによるダンスパフォーマンスなどがあります。設立3周年、当日となる7月24日(土)にはヘラルボニーの「異彩」との出会いとこれまでの3年間、そして今後の展望をテーマに、創業メンバーによるトークイベントを開催します。(尚、緊急事態宣言発出に伴い、イベントの縮小及び一部内容を変更があります。詳しくは、公式ページからご確認ください。)【作品募集のお知らせ】「2021パラアートTOKYO」第8回国際交流展、受付は8月14日(土)までUpload By 発達ナビニュース「パラアート TOKYO」は、世界中から障害のある人による芸術作品を集めて、公益財団法人 日本チャリティ協会が開催する国際交流展。「才能は障がいを超え、国境を越える 」というスローガンのもと、障害のある人の芸術作品(パラアート)の感性、才能価値を世界へ発信しています。「2021パラアートTOKYO」第8回国際交流展の開催が決定し、作品を募集しています。期間は2021年8月14日(土)まで。世界にひとつしかない作品を応募してみませんか。【募集対象】国内外を問わず、障害のある方が制作した平面(書・絵画等)作品。子どもの部:10歳~17歳 / 大人の部:18歳以上【受付】2021年8月14日(土)まで Eメールinfo@paraart.jpまたは郵送【お問合せ先】(公財)日本チャリティ協会「2021 パラアートTOKYO」実行委員会事務局住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷 1-19 アーバン四谷 4 階TEL :03-3341-0803FAX :03-3359-7964E-mail: info@paraart.jp昨年開催した「2020 パラアートTOKYO」の全ての作品は、オンラインギャラリーで観ることができます。こちらもぜひご覧ください。発達障害のある人の困りごとにやさしく寄り添う「mahora」ノートが第30回日本文具大賞のデザイン部門、優秀賞を受賞!Upload By 発達ナビニュース「mahora」ノートは、発達障害がある100人の声を聞き、大栗紙工株式会社が一般社団法人UnBalance(アンバランス)と共に開発したノートです。お子さんがノートを使っているとき、なんだか書きにくそうだなと感じることはありませんか?視覚が敏感な場合、白い紙からの反射がまぶしく感じることがあります。特性によっては、罫線が見分けにくいために気づいたら書いている行がかわってしまっていたりすることも…。このような発達障害のある人たちが日ごろノートを使うときに感じているさまざまな困りごとの声から、「mahora」ノートは「光の反射を抑えたやさしい色の中紙」「見分けやすいオリジナルの罫線」「シンプルなデザイン」を採用。老舗ノートメーカーならではの高い技術により丈夫で書き心地よく、目にやさしいノートがうまれました。その機能とデザインで、「みんなが使いやすいノート」として、第30回日本文具大賞でデザイン部門優秀賞を受賞。既存のノートがなんだか使いにくいなと感じているすべての人におすすめのノートです。「書きにくい」が「心地いい」に。カラーとサイズ、全24種類から選べる「mahora」ノートは、以下WEBサイトから購入することができます。京都障害児教育研究センターによる夏季研究集会、8月1日(土)オンラインで開催。特別支援学校や特別支援学級の実践報告、ゲスト講師による講演から障害児教育について考えよう。Upload By 発達ナビニュース京都障害児教育研究センター(障教研センター)が8月1日(土) 10:00~15:40にオンライン学習会を開催します。内容は、実践報告とゲスト講師による講演。特別支援学校、特別支援学級の実践報告では、教育現場で大切にしたいことを考えます。講演で講師をつとめるのは、自閉症児の授業づくりについて研究、各地で講演をする三木裕和さんと、「書く」ことと子どもの育ちについて研究する川地亜弥子さん。発達の視点から子どもをみることを学ぶ講演です。支援者向けの内容ですが、どなたでも参加できるオンライン学習会です。〈詳細〉【日時・場所】2021年8月1日(日)10:00~15:40(途中入場・途中退場可)オンライン(Zoomを用いて行います)【対象】どなたでもご参加ください【講師】三木裕和さん(元鳥取大学地域学部)川地亜弥子さん(神戸大学大学院人間発達環境学研究科)【料金】1,000円(税込)【お問い合わせ先】mail : sho-ken@kyoto-fuko.comtel: 075-751-1645京都府教育会館障教研センター事務局LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年07月18日障害者手帳は3種類Upload By 立石美津子発達障害者手帳、これがあったらどんなにいいかと思いますが、残念ながら存在しません。障害があることを証明する手帳は次の3つのみです。・身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳つまり、知的障害を伴わない、あるいは軽度の発達障害の人のための “発達障害者手帳”というものは存在しないのです。発達障害がある場合、精神障害者保健福祉手帳の対象として分類されています。厚労省精神障害者保健福祉手帳の障害等級の判定基準について障害者手帳があると就活でも活用できる従業員が一定数以上の規模の事業主は、従業員に占める身体障害者・知的障害者・精神障害者の割合を「法定雇用率」以上にする義務があります。(障害者雇用促進法43条第1項)民間企業の法定雇用率は2.3%です。従業員を43.5人以上雇用している事業主は、障害者を1人以上雇用する必要があります。一般枠で企業就労するのが難しい場合、障害者雇用枠で就労することができますが、その際に障害があることを証明する手帳が必須となります。しかし…・視覚障害、聴覚障害、上肢下肢の欠損、体幹障害による歩行困難など身体障害がなければ、身体障害者手帳の対象とはなりません。・(自治体によって異なりますが)東京都の場合、知能指数が76以上だったら療育手帳の対象とはなりません。愛の手帳について | 東京都保健福祉局精神障害があると認めたくない保護者もいる一定の知能指数のため療育手帳対象に該当しない、身体障害もないため身体障害者手帳の該当にならないとなると…残るのは“精神障害者保健福祉手帳”となります。すると、「うちの子は発達障害。精神障害ではない!」と憤る親御さんを見かけたことがあります。これに対して私は心の中で「いやいや、そうじゃないのよ。知的障害のない発達障害児が、障害者雇用促進法のもと、法定雇用率でカウントされて企業就労するには、なんらかの障害者手帳が必要。今の制度上では、知的障害のない発達障害児は精神障害者保健福祉手帳が必要となるのに」と呟きました。知的障害がなくても療育手帳の対象になる地域も発達障害のある人は知的障害がなくても、社会生活を送るにあたって多くの困難を伴います。社会生活での困難と言う面では、知的障害、精神障害、身体障害がある人と同じだと言えます。そのため、知能指数が療育手帳の範疇以上の人に対しても、療育手帳を発行している自治体もあるようです。全国的にこれが広まればよいと感じます。Upload By 立石美津子自己申告制日本の福祉は自己申告制です。親がわが子の障害に気づいて積極的に動くことで取得できます。精神障害者保健福祉手帳について紹介しましたが、こちらが取得できない場合もあると思います。たとえ障害者手帳の対象とならなかったとしても、障害福祉サービス受給者証をとって、福祉とつながっている人だということを示す方法もあります。「精神障害者保健福祉手帳が必要?わが子には精神障害はないのに!」と憤るのではなく、福祉サービス、制度を活用することで、わが子の将来の選択肢を広げられるかもしれません。精神障害者保健福祉手帳で雇用枠での就労を目指したり、受給者証で福祉サービスを活用したり、支援者につながる機会を増やすことが、わが子を守ることにつながるのではないかと思います。
2021年07月01日×を嫌がり、100点にこだわる娘。広汎性発達障害の娘は、小学5年生。2年生から特別支援学級に在籍し、国語と算数の授業を特別支援学級で、それ以外の時間を交流学級で過ごしています。娘は、小学1年生のときから、宿題やテストに×をつけられることをとても嫌がっていました。特に、テストは100点でないと気が済まず、間違えたことに癇癪を起こしてしまったり、100点じゃないテストは「いらない」というほどでした。Upload By SAKURAそんな娘の特性、思いを汲んでくれた、特別支援学級の担任の先生。娘のテストは、×をつけず、いつも手元に返るときには100点にしてくれていました。久しぶりに返って来た、100点じゃないテスト。しかし娘は・・・2年生・・・3年生は、いつも100点のテストが戻ってきていて、私もすっかりそれが当たり前になってきていたのですが、4年生になって担任の先生が代わったときのこと・・・。4年生になって初めてのテストが、100点じゃない状態で返ってきました。Upload By SAKURA進級前の面談で「テストに×がつくと嫌がる」という話は、新しい担任の先生に伝えていたのですが、あれ?先生に伝わってなかったのかな?と思いながら、特にそのことに関しては触れず、テストの話を振ると娘は平気な顔で答えました。後日、担任の先生に「テストに×つけて、嫌がりませんでしたか?」と聞いたところ・・・Upload By SAKURA先生は、あえてそのこと(×を嫌がること)を知らないふりして×をつけたそうですが、娘は何も言わなかったそうです。学年が上がったこと・・・そして、担任の先生が代わったことで、娘も上手く切り替えができたのか、×がつくことを受け入れられるようになっていました。当時の気持ちを聞いてみたら・・・5年生になった今は、宿題に×をつけることも、テストに×がつくことも、まったく気にしなくなりました。この記事を書くにあたって、当時のことと、気持ちを聞いてみたら・・・Upload By SAKURA本人は、覚えていませんでした(笑)「なんでこんなことにこだわるの?」「いつまでこんなことするの?」と合わせることがめんどくさく感じることもありますが、そのとき特別こだわって嫌がるようなことも、時間が経てば大丈夫になったり、そのこと自体忘れている・・・ということもあります。Upload By SAKURAこだわっているときは、気の済むようにしてあげても、それがずっと続くとは限りません。成長と共に、いつの間にか大丈夫になることもあるので、ゆっくり付き合ってあげることも大切だなーと改めて感じました。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年06月23日「頑張れ、フツウになれ」死を考えていた学生時代Upload By 桑山 知之2019年5月、ドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』の取材で、筆者は初めて神山さんと出会った。「学校の先生が文字読めないなんて、悟られたくない。悟られちゃいけない」「どうやって死のう、ばっかり考えてましたね。『頑張れ頑張れ、フツウになれフツウになれ』って言われ続けると、そういうふうにならざるを得ない」彼は、文字が読めない教師。にこやかな表情とは裏腹に、これまで経験してきた生きづらさが言葉の節々からにじみ出ていた。岐阜市で生まれ育った、すぐに熱を出してしまう、体の弱い男の子。自分は文字が読めないと知ったのは、小学2年の道徳の授業だった。B4見開きのプリントの文章を読み、感想を書くという課題で、一時間経って読めたのはわずか3~4行だけだった。「ぼくはみんなと違う」――。それからは、どう叱られずに一日を過ごすかが神山少年の課題となった。教科書が丸々覚えられるようにと、3歳上の姉が音読してオープンリールのテープに吹き込んでくれ、擦り切れるまで聴いて授業に臨んだこともあった。それも小学校高学年になると、文量が増えて立ち行かなくなってしまう。Upload By 桑山 知之「先生たちにも『あいつはどうしようもないやつだ』って言われて。『学校に来る価値のない人間』とか『教室に入るな』とか、そういった言葉は日常茶飯事で。先生がそういう風にみんなの前で叱って、つるし上げたりすると、クラスの雰囲気もそうなって、いじめられました。みんなにバカにされていました」(神山さん)神山さんの母親は、端的に言えば世間体を気にしていたという。学校で何かがあると自宅に電話が入り、家に帰れば「あんたなんか産まなきゃよかった」「あんたのせいで近所も歩けない」と罵られた。中学、高校も含めて学生時代は「どうやって死のうか」とずっと考えていた神山さん。紆余曲折を経て選んだ道は、陸上自衛隊。活字とは縁遠い職業だった。つらい思いは自分で最後に…決断、そして教師へUpload By 桑山 知之18歳の神山青年は、2等陸士として京都・宇治市にある駐屯地にいた。誰も自分のことを知らないところへ行って、人生を再出発させる。体力に自信がある神山さんにとって、文字を使わないこの仕事はまさに天職だった。2年ほど過ごし、自衛隊の中で成人式をやってくれることになった。「上官が『今までの20年間をしっかりと振り返って、今後どう生きていくか人生設計を立てなさい』と話をしてくれて、考える時間もくださって。そこで、自分のようにあんなにつらい思いをするのは自分で最後にしよう、そういう教育者になりたいな、自分がそういう教育を変えていけるようにしたいなと思ったんです」(神山さん)Upload By 桑山 知之すぐに上官と相談して、夜間の短大に通い始めた。朝6時に起きて夕方まで訓練をやったあと、大学に行き、帰ってくるのはいつも23~24時だった。それでも、「同じ苦しみを抱えている子たちを放っておけない」という一心で頑張れた。そして23歳の頃、教員採用試験に合格した。しかし、教え子に対しては、なかなか自分の苦手さを伝えられずにいたという。「教科書は前日に丸暗記して、読んでいるフリをしていました。技術科の教師だったので、技術科の教科書と、自分が担任するクラスの道徳の授業ですね。行頭の文字とかキーワードだけで、そのあとの文章が出るように覚えたり。丸々暗記しようと思うと大変ですけど、段落の頭でその段落が思い出せるように、ブロックで覚えるのを毎授業やってました」(神山さん)27歳で知った自分はディスレクシアUpload By 桑山 知之自己の学習障害を隠したまま、神山さんは通常学級を6年間受け持った。そんなとき、NHKのとある番組でアメリカの小学校のことが報じられていた。それがディスレクシア(識字障害)だった。「そこではディスレクシアとかいう言葉は使われていなかったですね。読み障害とかそういう感じ。でもアメリカは移民の国なので、そういう子たちのプログラムで教育は保障できるっていう。その子たちの特性はこうです、というもの全部が自分に当てはまるから、本当に驚きました」(神山さん)その後、神山先生は特別支援学級を受け持つようになる。テレビでディスレクシアを知って「自分の中でつっかえていたものが取れた」ため、自分の苦手なこともすべてオープンに話した。劣等感を抱えている子どもたちの心に寄り添うことができた。Upload By 桑山 知之特別支援学級を5年間受け持ったあと、特別支援学校で17年間にわたり勤務。そして、主幹教諭という立場で3年間、岐阜市内の小中高などを回っていろんなアドバイスや支援をおこなった。いつしか神山さんの存在は全国各地で知られるようになり、講演依頼が絶えないほどになった。現在は、岐阜市内の小学校の用務員をやりながら、子どもたちや保護者らの相談を受けている。「日本の教育って無意識に人との比較をしてしまっているんですよね。人との比較で自分を評価することを学んでしまっているんです。それよりも、過去の自分と比べる方が自然かなって。もっと言えば、『あなたはそのままでいいんだよ』ではなくて、『あなたはあなただからいいんだよ』って僕は言いたいです」(神山さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2021年06月23日おしゃれが大好きな女の子。広汎性発達障害の小学5年生の娘は、おしゃれが大好き。幼稚園のときから、将来の夢はファッションデザイナーです。服や髪飾り、可愛い小物や布にも興味津々で、おしゃれな服を着るのも好きですし、自分でデザインをして描くのも大好きです。私の服装もよく見ていて、「可愛い」「こっちがいい」という話もよくします。Upload By SAKURAおしゃれが好きなのに、自分の身なりに興味なし?そんなおしゃれにうるさい娘なのですが、不思議なことに…自分の見た目は、全然気にしないところがあります。Upload By SAKURA髪がボサボサなのに、そのまま出かけようとしたり、肌着が出たまま学校に行こうとしたり。顔に何かついていたり、傷があったり、お腹がポッコリ出ていたり、姿勢が悪くても、まったく気にしません。幼稚園のころは、まだ幼いからそこまで気にしないんだと思っていたのですが、小学生になっても、見た目や服装のだらしなさが、直ることはありませんでした。鏡を見ていない!毎日毎日、髪の乱れや、ぐちゃぐちゃな服装を注意しても、自分からは絶対に直すことはない娘。発達障害の特性なのか「小学生なんだから、ちゃんとしなきゃ」という言葉は響きません。Upload By SAKURAなぜ見た目や服装を、きれいにしなければいけないか…絵カード…絵本…さまざまな方法で教えましたが、娘は変わりません。そのとき、気がつきました。娘は、鏡を見ないのです。自分の姿を確認しなくていい?私は主人と相談し、娘の部屋に姿見(鏡)を設置しました。そして「着替えたら必ずこの鏡で確認すること」と話しました。Upload By SAKURAしかし、娘はなかなか鏡を見てくれません。そこで、おしゃれな服を買ってあげたら、自分の姿を見るのではないかと思い、新しい服を購入しました。娘は大喜びで着替えましたが…Upload By SAKURA娘は、私に対して「どう?」と聞いただけで、そのまま遊び始めました。そこで、もう一つ気がつきました。娘は、おしゃれな服に興味はあるけど、その服を着た自分を、確認しないのです。よくよく思い出してみたら、娘は「顔に何かついているよ」と指摘したときも、「どこ?」と聞くだけで、鏡を確認しに行くことはありません。そこで、服が乱れている状態でスマホで写真を撮って見せてあげたのですが、娘は自分の服の乱れに全然気がつきませんでした。Upload By SAKURA本人は、めんどくさそうだけど、身だしなみは大事!どうやら娘は、頭の中で自分を想像しているだけで満足しているようでした。Upload By SAKURAこの会話をした後も、娘は鏡を見に行きませんでした。娘にとって、鏡はさほど重要なものではないようでした。と、いってもそのまま放置していては、だらしない恰好を外で見せることになってしまいます。現在私たちは協力し、ことあるごとに「鏡見てきてごらん」と娘に声かけをしています。Upload By SAKURA娘は毎回めんどくさそうに、鏡に向かっています。最近、ようやく洋服のシャツが出なくなってきました。でも、長い時間見ないため、学校出発直前に髪のボサボサを注意しなければならないことが多々あります。最近は、「顔を洗うときに、1分は自分の顔を見つめて」と言っています。娘は『えー…』と言いながら、無言で鏡の前に不機嫌そうに立っています。この声かけが、効果を見せるのかわかりませんが、気長に続けていきたいと思っています。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年05月25日「できるけど疲れる」ことがたくさんある筆者が吉川先生を知ったのは、2018年11月にNHK総合で放送された『発達障害って何だろうスペシャル』だった。千原ジュニアさんや南沢奈央さんらをMCに据え、スタジオには小島慶子さんのほか、筆者がテレビ取材もさせていただいた“トリプル発達障害”の漫画家・沖田×華さんも出演。そこでの吉川先生の発言に、思わず膝を打った。「発達障害のある方に関して『何かができるかできないか』っていうことだけで見ると、見誤るんですね。『できる』と『できない』の間に『できるけど疲れる』ことがたくさんある」(吉川先生番組内で)誤解を恐れずに言えば、吉川先生はちょっと異質的な存在だ。元々教員になりたかったが、学校教員の文化が自分に合わないことに高校時代に気づき、子どもの精神科医という道を選んだ。大学教員などを経て「自分は研究者向きではない」と感じたといい、現在では多くの発達障害当事者や養育者に支持されている。Upload By 桑山 知之「“正確さを犠牲にした分かりやすさ”っていうのを意識しているんです。専門の研究者って、正確さを大事にしなきゃいけない立場ですよね。正確さを犠牲にできないじゃないですか。でも僕は研究者ではないから、『誤解を招きかねないけど分かりやすい』ということがいくらか許される立場なんです。研究者になってしまうとできない表現や書き方ができるというのが、研究者ではない医者の特権かなと」(吉川先生)確かに、前述の「できるけど疲れる」ことがたくさんあるというのは、それに当てはまらないケースがあるのも事実だ。しかしながら、発達障害の苦しみを理解するうえでは非常に分かりやすい表現だといえる。福祉や法律といったあらゆる領域をまたいでいるからこその見識の深さを、自身は「ひとつの領域を突き詰めるというのがあんまりできなくて……」と謙遜する。Upload By 桑山 知之この子、発達障害かも?まずは「人手集め」から我が子にADHDや自閉症スペクトラム障害のような特性がみられた場合、多くの養育者はまず子どものことを理解しようと、発達障害の知識を蓄えることからスタートしてしまいがちだ。しかし、吉川先生によれば、まず「人手をできる限りたくさん集める」ことが入口として一番“無難”だという。「人手が足りないときに知識だけ集めたり、トレーニングだけ受けたりすると、わりとややこしいことになるんですよね。例えばこの子に何か新しいことを好きになってもらおうとすると、ちょっと演出しないと難しいよって。お母さんが歯磨きをしたあとに、すぐに僕もやる!ってなる子は歯磨きを覚えさせるのも難しくないんだけど、真似っこしたい気持ちが弱い子に対しては歯磨きって楽しいんだよっていうか、何かひと手間ふた手間かけないと歯磨きが好きにならないし、できるようにならないかもしれない。だから今、この子の子育てで何かを好きにさせるためにもできるようになるためにも、もっと言うと虫歯にさせたり怪我をさせたりしないためにも、余分に人手が要りますよねっていうところを共通認識にしていくことが入口なんですよね」(吉川先生)Upload By 桑山 知之あくまで順序としては人手、すなわちマンパワーを集めることが最優先事項。それがひと段落したあと、知識や技術を身につけていく。そのためにも、家族以外からサポートを受けることが精神的な支えになるそうだ。一般的には母親が先に気づいて父親はあとからついてくることが多いが、夫婦間だけでなく祖父母世代との間でも「足並みが揃うまでに時間がかかる」ことは多い。「早い時期に関わる支援者はつい子どもの特性とか子どもに対する関わり方をどんどん伝えたくなるんですけど、それよりも先にどうやってお父さんと足並みを揃えるのか、おじいちゃんおばあちゃんへの説明をどうしようか、っていう相談に応じていただいたほうがいいと思います」(吉川先生)Upload By 桑山 知之「できたら褒める」は要注意「挑戦したら褒める」にシフトをドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』を放送したのは2019年5月。発達障害は、ここ5年ほどの間に急速な認知が広がったように筆者は感じている。こうした中、人手を含めたリソースの供給などが追いついていないと吉川先生は話す。「社会の認め方もそうですけど、当事者やその身近な方の認め方も確実に変わってきているというのは、確実にそうですね。ただ、変わってきているのも、いいところも悪いところも両方あるかなって思っています。必要な方が援助にたどり着きやすくなったってことはあると思うんですが、急速に知識だけが広がってきたので、支援のためのリソースがまだ充分足りていない。文化の変化というか、そういう人たちがたくさんいるんだっていうのを含んだ“文化の成熟”っていうのも遅れているんじゃないかなと」(吉川先生)Upload By 桑山 知之吉川先生は、発達障害の有無にかかわらず子育てをする中でつい陥りがちなことがあると指摘する。それは、「できたら褒める」ということだ。「できたら褒められるっていうのを子どもが学びすぎると、大人が好きなのは完成と達成と勝利だけと思ってしまうんですよね。そうすると、どうせ達成できないから僕はやらない!ということになってしまう。発達障害のあるお子さんの中には、難しそうな課題は手を出さなくなる子が一定の割合でいるんです。どちらかというと、『挑戦したら褒める』作戦でいく方が、子どもを育てやすくなると思います」(吉川先生)Upload By 桑山 知之完成と達成にフォーカスするよりも、何かに取り掛かり始めたところで応援することに軸足を置いた方が育てやすいという。特に、きょうだいの中に発達障害と定型発達の子がいたり、知的障害のある子がいる場合、完成と達成を評価してしまうと他方への褒め方が見つからなくなる。それよりも、挑戦に対して「ナイストライ」「いいチャレンジだったね」と声を掛ける方が“辻褄が合いやすい”と吉川先生は話している。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2021年05月17日新5年生!新しい学年のスタート!広汎性発達障害の娘は、10歳。4月から、小学5年生になりました。新しく始まった学年…、と言っても大きな変化はありません。娘は去年と同じく、引き続き特別支援学級の在籍。交流学級は、児童数も少なく、1クラスしかないので、クラス替えはありません。変わったことといえば、特別支援学級のメンバーが少し変わったことと、特別支援学級の担任が、新任の先生になったことでした。このような(人の)変化は全く平気な娘。(特別支援学級の)新しい先生にも、新しいメンバーにも、すぐ慣れて、始業式には、楽しい様子を報告してくれていました。毎年恒例の不安定が始まった。しかし、毎年、新年度はとても情緒不安定になる娘。去年は、長い休暇明けの新年度で、生活のリズムが崩れ、ちょっとしたことで泣くことが多くありました。今年もやってくるのだろうか…覚悟して構えていましたが、やはりやってきました。Upload By SAKURA今まで明日の準備は、娘に自分でやってもらい、あとからこっそりランドセルを確認していました。いつもは、私がチェックしてもしっかり準備ができていて、フォローすることは多くなかったのですが、新年度が始まってからは、「連絡帳を入れ忘れる」「薬を忘れる」「体操服を忘れる」ということが多く、補助なしでは忘れものだらけになる状態。以前は、連絡帳も自分でチェックできていたのですが、最近は、連絡事項を見忘れることが多くなりました。Upload By SAKURA今まで、し忘れていたことでも、あとから私が指摘すると「わかったー」という反応してくれていたのですが、情緒不安定なせいか、ちょっとした指摘で絶望し、泣き、パニックを起こすようになりました。Upload By SAKURA独り言は今までもあったのですが、その回数が極端に多くなり、ひどいときには、私がしゃべっていても自分の世界から抜け出せず、私の声に反応することなく、独り言を続けています。心の不安定が、身体に現れるようになり…そういった不安定さから、私とのやり取りがうまくいかなくなり、私も私でイライラ…。結果、衝突も増え、私と娘は言い合いばかりするようになりました。Upload By SAKURA私との衝突が増えたせいか、娘は精神的不安定な状態が身体にも現れるようになり、持病のアトピーが悪化したり、蕁麻疹が出たりするようになりました。肌がどんどん荒れていく姿を、私はただただ見ることしかできませんでした。状況を良くしたいけど…私が何か指摘するたび、ストレスから皮膚を掻きむしる娘。悪化しないようにするため、「言い過ぎないように言い過ぎないように…」と、私は自分に制御をかけるようになりました。そのうちに、私は娘のことに対応した後、目が真っ赤に充血するようになりました。Upload By SAKURA私はこの状況を少しでも良くするために、娘の不安定を解消しようと試行錯誤しますが、少し前から思春期&反抗期状態の娘に、療育グッズはもはや効きません。Upload By SAKURA毎年、何かしらありますが、今年は特に激しい気がしています。いつも、時間が経てば勝手に不安定から抜け出しているので、今はただ、嵐が過ぎるのを待っている状態です(笑)去年は5月末には元通りでしたが、今年はどうかな~…。
2021年05月12日不安で始まった、運動会練習。広汎性発達障害の娘は、現在小学5年生。これは、娘が小学1年生のときのお話です。娘が小学校に入学後、初めての運動会の練習が始まりました。私は、娘が無事、練習をこなせるか心配していました。小学校の運動会は、人数も多く、ほかの学年との合同練習もあります。幼稚園の運動会とは、雰囲気もやり方も違う練習…。練習時間も長いので、娘がその時間、最後まで集中できるか不安だったのです。Upload By SAKURAちゃんとやれてる?気になるけれど…娘は、運動会の練習がある日、いつもひどく疲れた様子で帰宅していました。ちゃんと指示は聞けている?動けている?そのことが気になり、練習の様子を聞いてみるのですが、Upload By SAKURA「疲れた」「暑かった」というだけで、具体的な話がなかなか聞けません。先生からの報告や電話も特になかったので、「きっと、きついけどきちんとやっているのだろう」と思っていました。指示を聞けてなかった。ある日、用事があって小学校に行った際、担任の先生にばったり会いました。私は気になっていた、運動会の練習について、聞いてみることにしました。Upload By SAKURA娘は、「朝礼台に注目」という先生からの全体への指示に反応できず、一人、違う方向を向いてボーっとしているということでした。耳で指示を聞きとることが苦手な娘ならではの、行動だと私は思いました。なぜ見れない?私は、帰宅後、早速娘に話を聞いてみることにしました。Upload By SAKURA私は、娘が朝礼台の意味が分かっていないのかと思ったのですが、娘は朝礼台のことはわかっていました。そうなると…Upload By SAKURA私は、娘が言葉だけの指示だけでは、長く指示を聞いていられないのかもしれないと思いました。そこで、娘の脳内に指示のイメージが浮かびやすいよう、絵カードをつくることにしました。絵カードは、直前に見せる!私は、「朝礼台に注目」という言葉と、朝礼台に注目している人の絵を描きました。Upload By SAKURAしかしこのとき、娘はまだ特別支援学級に在籍しておらず、担任の先生に絵カードを渡して見せてもらう…というのは、さすがに気が引けます。娘一人のために、そんな対応を要求することは無理だと思いました。でも…絵カードなら少しは効果があるかもしれない。なんとかして活用できないか…。そう考えた私は、毎朝、登校前に朝礼台の絵カードを見せることにしました。Upload By SAKURAさらに、娘の体操服入れにその絵カードを入れ、娘が着替えるときに自然と目に入るようにしました。Upload By SAKURAこれを数日繰り返したところ、担任の先生から『朝礼台見られるようになりました』と言われるようになりました。運動会当日に確認してみると…そしてやってきた運動会当日。本当に見られるようになっているのか、気になっていた私は、ドキドキしながら開会式を見守りました。娘は「朝礼台に注目!」という掛け声で、朝礼台の方をさっと見ることができるようになっていました。Upload By SAKURAしかし、その集中力は、長く持ってはいませんでした。目が少しずつずれていき、身体がふらふら。最終的には、完全に目が下に向いていました。話している先生を最後まで見ることはできませんでしたが、最初の掛け声に対しては、さっと反応できている姿を見て、絵カードは、役に立ったと実感しました。暑い中で先生の話を聞いている間、ずっと目線をそらさず、じっと立っているというのは、(私も経験がありますが)難しいもの。今、それを求める必要はないと感じました。現在小学5年生になった娘。去年(4年生)の運動会では、「朝礼台に注目」の声かけにも難なく反応できるようになっていて、先生を見ていられる時間も以前より増えました。最近では、成長からか本人が絵カードを「いらない」と拒否するようになり、絵カードの活躍する場がほとんどなくなりましたが、これまで絵カードにはたくさん助けられました。絵カードを見てくれるうちに、たくさん活用できてよかったと感じています。
2021年04月28日いじめで引きこもりに…「半分死んでいた」飲食関係の会社で働く父親と、元保育士の母親のもとで育った古橋さん。6歳上の姉とともに暮らしていた。中学1年の10月ごろから不登校になった。原因は、小学生時代から続いたいじめだった。「人がもうダメになって。小学校6年の終わりにいじめが始まったんです。小学校の人たちと縁が切れて、中学校に入ったら中学校で縁ができた人たちにもいじめられて……。あぁ、ちょっと無理、ってなって。自分の中で、引きこもりになるってことはすごくいけないことをしたっていう、人を殺すよりもいけないことをしたって考えていました。当時は、信号の赤を渡ったら地獄に落ちるぐらいの勢いで凹んでいたから。だからもう引きこもりになるってことは死ぬっていうか、半分死んでいるみたいな。生きてはいるけど。なんか死んではいないだけって感じで捉えていました」(古橋さん)Upload By 桑山 知之よく忘れ物をする子供だったという古橋さん。引きこもっている間に、自閉症スペクトラム障害だと診断を受けた。19歳の頃、鬱のため通院もしたが、なんとか苦しみを乗り越え、愛知県内にある通信制の高校や放送大学を卒業した。その後、就労支援のサービスを受け、エクセルやワードなどの資格を取得。2019年、晴れて貸し会議室などを運営・管理する会社にパートとして就職した。業界大手の一流企業だ。「その会社は時給社員っていう肩書きがある会社でした。社員だけどパートっていう、契約社員でも正社員でもなかった。営業の人が使う情報を入力して、資料を作成するような仕事ですね。そういったところでVBA(ビジュアルベーシック・フォー・アプリケーションズの略。Microsoft Officeに含まれるアプリケーションソフトの拡張機能のこと)を 使って、メールの下書きが自動で作れるようにしたりしていました」Upload By 桑山 知之襲い掛かった“コロナショック”就職から1年余りで週4日勤務、時給900円。手取り月収はおよそ7万円。決して裕福な生活こそできないが、それでも古橋さんは「正社員のような長時間労働は自分には難しいだろう」と、無理をせずに仕事に励んでいた。しかし、世界的なパンデミックの波が、古橋さんを襲った。「去年の春からコロナが流行って、不要不急の業務はやめるってことになって、お休みになったんです。それからずっと自宅待機になって、結局9月に退職しました。貸し会議の業界自体がお客さんを集めて運営するようなものなので……。人が集まれない状態ですから」(古橋さん)Upload By 桑山 知之「密を避ける」という時節柄、部屋に人が集まって会議をするという需要は激減した。自宅待機中、古橋さんは雇用調整助成金のおかげで給料のうち6割は支給されていたものの、「会社も運営が難しくなって人員を減らさないといけなくなり、その関係で切られた」という。現に、古橋さんと同じ立場であるパートは全員退職していた。「そりゃショックでしたよ。でも、しょうがないかなっていう思いが強かったですね。だってコロナの状況でしたし。なんでこうなったのかっていうのも、自分のせいじゃないってわかるし。じゃあ、就職活動頑張らなきゃなって」(古橋さん)Upload By 桑山 知之コロナと距離「自分を受け入れてほしい」元々は正社員志望だったという古橋さんだったが、飲食関係の中小企業で正社員として働く父親が朝から仕事に出て、翌日未明の2時や3時まで自宅に戻らない姿を見て、子どもながらに「これは無理だ」と悟った。社会情勢の影響を受けるのは経済面などで「弱い立場」の人間であることが多い。旧来の“当たり前の幸せ”すらまともに享受できない現代において、新型コロナウイルスは、こうした社会と市民との距離をはっきりと顕在化させているのではないかと筆者は思う。「いま、社会に望むことはあるか」との問いに、古橋さんはこう即答した。「そりゃあ自分を受け入れてほしいってことじゃないですか。社会に出て、パートナーを得て、家族ができて、成功できればなって。社会に受け入れられるっていうのは、僕はその2つだと思います」(古橋さん)社会との距離をあぶり出した、新型コロナウイルス。引きこもりで通信教育だったため友達作りの場が不足していた古橋さんは、親以外に相談相手がいない。取材中も「僕たちには相談相手が必要だ」としきりに話していた。古橋さんに愛情を注ぎ続けていた母親は、取材時にガンで入院中だった。その後、3月18日に息を引き取ったという。Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之正しいからおもしろい行き着いた“適者生存”古橋さんは、去年11月から再び就労支援のサービスを受け始めた。幸い、以前も担当していたスタッフが在籍しており、また受け持つことになったそうだ。古橋さんがいま大切にしていること。それは「正しくないとおもしろくない」ということだ。「別に誰かに正しさを教えられたわけじゃないけど、自分の中でいつのまにか形成されたこだわりなんです。正しくないと楽しくないし、おもしろくないんです。正しくないよりは正しいことを楽しく感じますし」(古橋さん)Upload By 桑山 知之図書館に行っては歴史や社会、政治、自然科学といった専門書ばかりを読み漁る。その中で、ある言葉と出会った。いまの古橋さんの心を支えているという。「自分が最近好きな言葉が『適者生存』で。適しているから生き残るっていう意味らしいんですけど、実はそうじゃないんですよね。生物学の本に書いてあったんですけど、『生き残ってるのがすべて適者なんだ』って考え方なんです。適してないものは滅ぶんじゃなくて、すでに滅んでるんだって。だから、発達障害があるってことは環境に適していないっていうことではなくて、『生きているってことはすでに適している』っていう意味で適者なんだって」(古橋さん)Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年04月25日注意するときは、絵カードで。広汎性発達障害の娘は、現在小学5年生。小さいころは言葉のコミュニケーションが苦手で、言葉でなかなか伝わらないときは絵カードをよく活用していました。3歳~4歳ぐらいのころは、買い物に行くとき、スーパーに入る前に…Upload By SAKURA『お菓子は、買いません』『ママから離れません』『走りません』の絵カードを見せてから、中に入るようにしていました。視覚優位な娘は、言葉で説明するより、絵で見せる方が理解も早く、しっかり守ることもできました。そんな娘が、幼稚園に通っているときのお話です。先生の指示に、反応できない。幼稚園に娘のお迎えに行ったとき、先生から、「おやつ、着替え、移動などの声かけ時に、一人、その場から動かず、みんなが移動した後に、先生が迎えに行ったり、お友達から手を引かれて行動したりしている…」という話を聞きました。Upload By SAKURA娘は、先生のいうことを無視していたわけではなく、先生が言ったことの意味がわからなかったのでしょう。みんなが動いたら、一緒に動く…という周りの行動を見て考えることも苦手だったので、どうしていいかわからず、その場に残っていたのだと思います。娘の特性がわかっている私には想定内だったのですが、園の中では、やはり一人先生の言うことを聞かない子として映ります。私はそのことで、娘が周りに輪を乱すと思われたり、孤立したりしてしまうことが心配でした。絵カードをつくり、持たせてみた。私たちは、幼稚園に入園するときに、言葉でのコミュニケーションが苦手なこと、絵で描くとわかりやすいことは伝えていたのですが…Upload By SAKURA娘一人のために、『絵を描いて説明してください』というのは、なかなか言いづらい…。そこで私は、先生から聞いた話から、園生活の1日の中で指示されるだろう言葉を絵にしたカードをつくり、娘のリュックの中に入れました。使われた様子はなし…翌日、早速先生に、絵カードのことを説明しました。しかし数日経っても、使ってみたという報告はない…。Upload By SAKURA出過ぎた真似だっただろうか…使ったかどうか確認したり、何度もお願いしたりするのも気が引ける…先生も忙しいから、わざわざ見せる時間がないよね…と自分を納得させ、そのままリュックの中に入れ続けました。いつの間にか、娘が…しばらくすると、娘がリュックの中のカードに気がつきました。当時、少しずつしゃべれるようになっていたこともあって、自分でカードを見ながら、一つひとつ確認するようになりました。Upload By SAKURAそれ以降、先生の指示に固まっているという幼稚園からの報告はなく、どうなったのかなと気になりつつ、そのままにしていました。遅れてはいるけれど、先生からの指示に反応できるように!それからしばらく経ったころ、幼稚園に早めに迎えに行き、帰りの会をいつもより長い時間みていると…Upload By SAKURA先生の指示にワンテンポ遅れるものの、なんとかついていこうとしている娘の姿を見ることができました。園でカードを使用してもらった訳ではありませんでしたが、つくったカードを見てことばを確認していたことで、娘自身がその言葉に反応できるようになっていたようでした。意図せぬところで、効果を発揮した絵カード。私の場合、先生が使うことはありませんでしたが、言葉での指示を聞くのが苦手だという子は、絵カードを持参していくのもいいかも!わが家のように、意外なところで効果を発揮するかもしれません。
2021年04月14日まだまだ発生するパニック。広汎性発達障害の娘は、小学4年生。来月には5年生になりますが、パニックはまだまだ発生しております。特に多いのが、宿題に関する忘れ物のパニック。プリントや教科書を忘れると、この世の終わりかというくらい泣いてしまいます。Upload By SAKURA娘にとって忘れものは、この世の終わりに匹敵するほどの悲しみなのです。国語の教科書を忘れて、宿題ができない!つい先日も帰宅後、音読の宿題をしようとして、国語の教科書を忘れたことに気がつきました。Upload By SAKURAこんなとき、感情的に「仕方ないでしょ!」と言っても、娘にはあまり効果がありません。Upload By SAKURAこういうとき、私はいつも娘にどうしたいかを聞くようにしています。Upload By SAKURA希望を聞いても、叶えられないこともある。娘は、学校に教科書を取りに行きたいと言いました。しかし、この日は学校の後に放課後等デイサービスに通った日だったので、このときすでに夕方の6時すぎ...学校も閉まっているだろうし、この時間から学校に物を取りに行くことはさすがにできません。私は娘にそのことを説明しました。Upload By SAKURAどうしたいか聞きはしますが、叶えられないこともあります。一つひとつ娘の要求が不可能なことを説明していくと、今度は謝り始めます。Upload By SAKURAこの『ごめんなさい』は、私に対する謝罪ではなく、ミスをした自分が許せず、発している言葉。娘は『ごめんなさい』と言った後は、黙り込んでしまいました。できることを提案。そこで私は、一つ提案しました。Upload By SAKURA提案は、受け入れてほしいという思いよりは、ただ「こういう方法もあるよ」と教える感じでするようにしています。無理強いはもちろんしません。最終的には、時間がかかっても、娘に決めてもらいます。学校で先生に説明して...次の日、私はいつもより早く娘を学校に送りました。念のため事の経緯を連絡帳には細かく書いていましたが、まだ娘の気持ちが凹んでいたので、学校の中まで付き添いました。教室に行く途中、去年まで娘の特別支援学級の担任をしてくれていた先生にばったりあったので、経緯を説明。Upload By SAKURA娘の特性をよく理解している先生のおかげで安心した娘は笑顔になり、私は学校を後にしました。パニックが起きた後、自分で抜け出せるように。宿題を忘れるぐらい...と思われるかもしれませんが、娘にとって宿題を忘れるということは許せないこと。その気持ちが、パニックを起こしてしまいます。ただ、人生、予想外の事態はつきもの。パニックが起きないように回避することもできますが、自分でそこから抜け出す力を身につけるのも必要なことだと、私は思っています。パニックが起きたとき、そこからどうするかを自分で見つけることができるようにすることは、娘の将来に必要なことです。今はできる限りのサポートをして、同じようなシチュエーションで練習をして、娘の経験にしたいと思っています。
2021年03月10日社会の常識を疑う…兄の自由帳に書かれた“謎の言葉”筆者がヘラルボニーという存在を初めて知ったのは、とある意見広告だった。2019年12月当時の背景としては、内閣府が「桜を見る会」の招待者名簿を廃棄した問題について、安倍晋三首相(当時)は、名簿をシュレッダーで廃棄した人物は「障害者雇用の職員で、短時間勤務だった」と答弁したのだった。そうした中、東京・霞が関の弁護士会館の前に掲示されたのがこの意見広告だ。「この国のいちばんの障害は、『障害者』という言葉だ。」Upload By 桑山 知之29歳、岩手県出身の一卵性双生児。4歳上に、重度自閉症と重度知的障害のある兄・翔太さん(33)を持つ。崇弥さんと文登さんは、保育園から小学校、中学校、高校までをともに岩手県で過ごし、その後は別々の道を歩んでいた。Upload By 桑山 知之文登さんは東北学院大学(宮城・仙台市)に進学後、大手ゼネコンに就職。一方、崇弥さんは東北芸術工科大学(山形市)の企画構想学科へと進学した。そこで放送作家を軸にマルチに活動する小山薫堂さんのゼミに所属。卒業展示では、社会の“常識”を疑う「常識展」を企画した。インドと日本の水を比べるものや、駅に花を植えることに心からの喜びを感じているホームレスなど、常識を問うさまざまな作品を並べた。その主軸こそが、自らの兄だった。「常識展っていうタイトルやアイデアの出発点も、兄貴がかわいそうではないという伝え方をしたいっていうところから入っているので。障害=かわいそう、とか、障害=欠落、というものをそうではないという世界観を提示したいって思って。だから兄貴を題材にすると決めて最初からスタートしていました。昔からそういうのを提示したい思いはありましたね」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之現在の屋号「ヘラルボニー」。一度耳にしたら忘れない“謎の言葉”に出合ったのは、この卒業展示の制作のため実家を訪れたときだった。「兄貴の部屋の押し入れをバーッて探していたんですよ、いろんなものを。母親もよく残していたなと思うんですけど、何十冊も自由帳とか絵日記とかあって。けっこう絵日記も世界観がおもしろいものが多くて、これなんかフォントおもしろいですよね」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之「障害者だって同じ人間なんだ」中学時代に母とすれ違いも2人が幼いころから、自閉症の兄とともに福祉団体に遊びに行くのが毎週末の決まり事だった。そこでは、自閉症に限らずダウン症や精神障害などさまざまな人が集っていた。2人にとっては、そこで“障害”というものはあまり関係なく接しているのが当たり前だった。ただ、小学4年のころに覚えた違和感を、文登さんは作文に綴っていた。「団体の人と土日一緒に出掛けていたときに、目線とか……同い年ぐらいの人が指を差して、僕らの兄の集団を笑っていたんです。それに対して腹が立って。小4ながらに自分の中で思ってた感情っていうものがけっこう多くあったんだろうなって。僕ら双子の中でのフツウの感覚と、社会側のフツウの感覚のズレみたいなものとか、単純に『兄をバカにすんなよ』っていう思いもそこに乗っかっているのかなと」(文登さん)Upload By 桑山 知之2人はやがて中学校に進学し、卓球部に所属した。兄は県内の特別支援学校へと進学。しかしここで、関係性は一度悪化してしまったという。「僕らの中学校は自閉症スペクトラムのことを『スぺ』って言ったりする子がいて、『お前、スぺの教室行けよ』みたいな。自閉症=欠落、スぺ=欠落みたいな風な使い方をするような中学校だったんです。試合の応援にも母親が兄貴をよく連れてきていたんですけど、僕もすごい兄貴が応援に来ることにアレルギーが起きるようになったんですね。それで母親に『兄貴連れてこないでよ』ってすごい言っていたんですけど、母親はしきりに『隠すことじゃないよ』って逆上するわけですよ」(崇弥さん)「自分たちの心の弱さから、小4のころはふざけんなよって言えても、中学ぐらいになって言えなくなってしまう自分もけっこういて。『スぺ』っていうものが蔓延して、スぺのきょうだいだって思われるのがすごく嫌になってしまった時期があって」(文登さん)Upload By 桑山 知之障害者の兄がいることは決して恥ずべきことではない。そんな思いから、部活を引退するまで母親は兄を連れて試合に応援へ駆けつけ続けたのではないかと2人は推測する。しかし、地元から200キロ離れた高校へ進学すると、自然にこの“すれ違い”はなくなった。「周りから言われることを避けるために、兄貴を迫害することによって自分を守っていた」と崇弥さんは振り返る。「中学時代も、兄貴のことを嫌いになったりとか、兄貴のことを大切に思ってない、ではないんですよね。兄貴のことはずーっと大切で、好きな状態はずっと今も思っていて。ただ、中学のころは防衛本能が働いていたっていうか……。高校に上がると、その当時の友達とかもいなくなったので、環境が変わったので普通に兄のことも言えるようになったんですよ。なので、自分で過ごしている環境ってすごく大事なんだろうなってホント感じますね」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之子育てに正解はないという。「もしかすると正解は『ずっと連れて来るもの』って書かれるかもしれないけど…」としながら、きょうだいにはきょうだいの生活があり、親としてはその立場を考えるのもアリではないかと崇弥さんは語った。文登さんはそれを「逆張りだ」と笑いながら、親子で話し合う場の必要性を思案していた。前身ブランドからヘラルボニーができるまで崇弥さんは、小山薫堂さんが代表を務めるオレンジ・アンド・パートナーズという広告会社に4年半勤務した。かつて薫堂さんが住んでいた東京・赤坂のアパートも紹介してもらい、住んでいたという。社会人2年目の夏、岩手へ帰郷した際、衝撃を受けた。「岩手県にある『るんびにい美術館』(岩手・花巻市)っていう、それこそ知的障害のある作家が描いた作品が展示されている、社会福祉法人が運営している美術館がありまして。そこに行ったときにものすごい衝撃を受けて、これはおもしろい!っていう風に思ったんです。一発目に文登に電話をかけて、『なんかやろう!』って。何かを立ち上げようと」(崇弥さん)あの衝撃からちょうど1年後、2人はヘラルボニーの前身となるブランド『MUKU』を立ち上げた。ラッパーの晋平太さんを介して、『見えない障害と生きる。』にも出演したGOMESSさんに依頼し、楽曲も誕生した。見た人を惹きつけるプロダクトはすぐに話題となった。しかし一方で、崇弥さんはもどかしさを感じていたという。「当時は副業だったので、もっと全然いけるのに……っていつも思っていたんですよ。もっとコミットしたら絶対にいけるのに、でもこんなにリソースを割けないから悔しいなっていつも思っていて」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之そこから2年後の2018年7月、謎の言葉「ヘラルボニー」を掲げた会社を設立した。翌年には経済誌『Forbes』が選ぶ「世界を変える30才未満の30人」に双子起業家として選ばれたほか、先述の意見広告でも一大ムーブメントを巻き起こした。建設現場の仮囲いを期間限定のミュージアムと捉えたプロジェクトも話題を呼んだ。そして何より、障害のある作家がつくるアートを生かした製品は、飛ぶ鳥を落とす勢いでファンを獲得し続けている。その大きな要因として、「着想の出発点」が違うからだと筆者は思う。「時代に後押しされているというのはものすごく感じます。もともとSDGsやりたいとかそういう思いで始めたわけでは全然ないけれども、社会側がSDGsっていう文脈を持ってきてくれているし、ダイバーシティやりたいって思ってダイバーシティって言ったこともないけれども、社会側がダイバーシティ&インクルージョンっていう文脈をウチに紐づけてくれるし。社会側が色んな文脈をウチの会社にありがたいことに紐づけてくれたっていうところがすごくある」(崇弥さん)「10年前やっていたら全然違う結果になっているだろうけれども、今っていう時代にやれているからこそっていうのもあるだろうなと。僕ら双子揃って運が良くて、いろんな方に恵まれているというか、自分たち双子としては大したことないんですけど、関わってくれている皆さんが本当に素晴らしい人が多いんです」(文登さん)Upload By 桑山 知之異彩放つ活躍数字で語れる会社に人気セレクトショップ『TOMORROWLAND』での製品販売や、吉本興業とのコラボブランド『DARE?』など、ヘラルボニーの躍進は止まらない。今年度の売り上げは1億円を超えるという。もちろん、アーティストへの還元も忘れない。「正直ホント数字面ではまだまだなんで。数字で語れる会社になれたらいいなってすごい思いますね。あそこは数字も素晴らしいよね、障害のある作家にもめっちゃ還元するよね、っていう会社になりたい」(崇弥さん)「今後の目標設定とかもすべて透明化させたいなと来期から思っていて。障害のある作家さんにどれぐらいバックしていて、これまでどれだけバックしてきたか、みたいなところとかも全部見える化して、それに対する社会的なインパクトとかもつくっていきたいなと」(文登さん)Upload By 桑山 知之兄・翔太さんは現在、岩手県奥州市にある就労継続支援施設(B型)「わかくさ」で、コーヒーのパック詰めや空き缶つぶしをしている。週に3回はグループホーム、残りは自宅で暮らしているという。きっと弟2人の“異彩を放つ”活躍を、誇らしく感じているだろう。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月21日フツウの学生時代から一変就職先から告げられた「辞めてほしい」名古屋市で生まれた石橋さんは、義務教育を経て高校に進学した。成績がすこぶる優秀だったというわけではないが、勉学でつまずいたり、校内で問題を起こしてしまうようなタイプではなかったという。「学生時代を振り返ったんですけど、特になくて。例えば先生に呼び出されるようなタイプでもないですし、赤点を取っていたタイプでもなかったんです。何人かの友達に『学生時代、俺ってどうだった?』って聞いてみたんですけど、別に普通だって」(石橋さん)大学受験にも合格。「困っている人の役に立てれば」と、医療・福祉系の学部を選んだ。より広い視野で社会福祉を学ぼうと、セミナーに参加するため米・ハワイの大学まで足を運ぶなど、向学心はむしろ人一倍強かった。そんな石橋さんが異変に気付いたのは、愛知県内の病院に就職してからだった。「普通の人と比べると物覚えが遅いとか、向こうから指摘をされて。これだけミスもあるし、病院としては正直辞めてほしいっていう話がありました」(石橋さん)Upload By 桑山 知之「グレーゾーンかもしれない」就職後に自閉スペクトラム症の診断石橋さんの就職先は、病院にある「医療相談室」だった。ソーシャルワーカーとして、入院患者や家族の希望を聞き取るほか、家族間や金銭的な悩みなどにも応えるといった、あらゆる問題を調整する業務にあたっていた。複数の入院患者のことを同時並行で進めなければならず、またそれが次から次へと続くわけだが、石橋さんが受け持つ患者の数は先輩と比べて少なかったという。「先輩たちは10人とか15人を同時に担当していたんですが、僕は正直なところ5人でも回せていなかったんです。5人分の困りごと、例えばこの人はこれが困っている、家族さんの背景はこうで、この家族さんにはここの支援機関だとか。人によって別のところと話さなきゃいけないし、この人は市役所のこの部署と話さなきゃいけないしとか、同時にやっていくのが困難だったっていうのは確かにあります」(石橋さん)Upload By 桑山 知之そして就職から半年以上が経ったある日、石橋さんはパニック発作を起こした。「当時、僕がパニック発作って分からなくて、病院に行っても原因が分からなかったんです。それで、精神科に行ってみたら、それはパニック発作ですねって言われて。もしかしたら発達障害があるかもしれない、“グレーゾーン”かもしれないって」(石橋さん)「次に何をしなきゃいけないのか、複数が同時に来ると分かんなくなってしまう」という、自閉スペクトラム症の特性のひとつとされる「同時処理困難」があった石橋さん。困っている人の役に立ちたいと夢見た医療の道だったが、促されるような形で退職したのだった。Upload By 桑山 知之職場からの「キミがいなくなっても困らない」――ミスをまとめた書類も発達障害はグラデーション状に広がっており、白か黒かといったはっきりとした判別が難しい。むしろ中間部分である「グレーゾーン」の方が多いとも言われている。自身も当事者であるライター・姫野桂さんの著書『発達障害グレーゾーン』(扶桑社)などにもあるように、発達障害の傾向はあっても、診断までは出ないというケースは全国的にも多く見られている。今回インタビューに応じてくれた石橋さんは、精神科にかかった後、自閉スペクトラム症の診断こそ出たものの、日常生活では特に困難さがあるわけではなかった。自分のことを周囲にどのように理解してもらうかを悩んだ末、勤務先の病院にも、障害のことを思い切って打ち明けた。すると、衝撃的な言葉が返ってきた。「(勤務先の病院に)言われたのは『キミがいなくなっても病院は次の人が入ってくるんだから、病院としては困らない』と。日本全国で大学卒業する人が誰もいないんだったら別だけど、そんなことはない。毎年入ってくるんだから、キミがいなくなっても病院としては困らないって。使えないから切ればいいっていうのは理解できるんですけど…」(石橋さん)石橋さんを辞めさせるためなのか、勤務先では石橋さんの仕事上のミスや当時の状況を事細かに同僚が書き起こし、ファイルにまとめていた。「何度も同じミスがあり、すべてに他者の確認作業と修正が必要」「他の作業をしていると、やることが抜ける」「相手の置かれている状況が想定できない」――。石橋さんは、退職を選ばざるを得なかった。Upload By 桑山 知之誰も取りこぼしたくない実体験を通して知った弱者の気持ち現在、石橋さんは再び職に就くためにLITALICOワークスで就労移行支援を受けようとしている。そこには、昔からブレずに抱いている思いがある。「誰も取りこぼしたくないっていうのはありますね。社会的に不利に追い込まれてる人とか、そういう人が不利益を受けるんじゃなくて。ひとり親、障害者、高齢者、親がいないお子さん……。そういう人たちが不利な状況になりやすい社会にはしたくないなって思うので、そういう人たちも幸せを感じられるような世の中にしていきたいなっていうのは漠然とありますね」(石橋さん)かつての勤務先で自身の発達障害を打ち明けても相手にされず、辞めるよう促された過去。石橋さんの心の中で、より強い思いが湧き上がった。「そういったことを言われた経験を踏まえて思いましたね。弾き出されるときって、こんなに露骨に弾き出されるんだなって。実体験としてすごく思いました。だからこそ社会の中で誰ひとり取りこぼしたくないし、自分の力が役に立てる場所でやっていきたいです」(石橋さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月17日切り替えが苦手で集団行動が遅れがちUpload By スガカズ長男はWISC-IVの結果で処理速度が低いことがわかっています。また、注意散漫、過集中といった特性もあり、学校で次の行動に移るときに時間がかかります。なかなか次の行動に移れないとき(特に教室を移動する授業)は、クラスメイトや先生が声をかけてくれることがあるのだそうです。学校で見かけた長男とクラスメイトのトラブルUpload By スガカズ1年前のある日、私は当時小3だった次男の忘れ物を届けに学校へ行きました。すると廊下で小6の長男がクラスメイト2人となにやら揉めていました。クラスメイトに何か言われており手をひっぱられています。長男は何も言わず泣きそうになりながら拒んでいました。体操服に着替えていること、授業の始まりを知らせるチャイムが鳴っていたことから、「長男の行動が遅れているからクラスメイトが呼びに来たんだな」と理解しました。長男は次の行動に移るときに無理やり促されるのを嫌います。私はクラスメイトとのやりとりを見て「長男にとって大事な経験だ。今私が間に入るよりも、後で話を聞いてアドバイスした方が冷静に話し合える」と思い、後ろ姿を見つめていました。「病気(障害)だから仕方ない」長男の発言に腹を立て…Upload By スガカズ放課後、長男が帰ってきたので私は廊下でのやりとりについて聞きました。概ね私の予想通りで、体育館に行く途中で考えごとをしていたそうで動きが止まっていたそうです。長男がなかなか動こうとしないので、クラスメイトが「早く来て!」「遅い!」と強い口調で促していたそうです。「それは大変だったね。注意されていたとき、あなたはどんな気持ちになったの?」と聞くと、「オレは、できることとできないことの差がハッキリしている。だけどクラスの女子が無理やりオレをひっぱって連れて行こうとしたんだ」「オレ、病気だから行動がゆっくりでも仕方ないのに!」と怒り口調で答えました。私は長男が強めに促されてイヤだった気持ちは理解しますが、「仕方ない」という言葉に腹が立ち、思わず長男を叱ってしまいました。「障害だからいいでしょ」と許してもらおうとしたり、「仕方ない」からといって諦めたりするのは間違っていると思います。大事なのは、「障害に対して自分がどう向き合えばいいか」「言ってくれた相手とトラブルにならないためにどうしたらいいか」を考えて行動することだと言いました。このとき長男は「言われたのは自分の方なのに」と納得した様子ではありませんでした。どうすれば分かってもらえるのか?と考えたときに、長男に促す側の気持ちを体験してもらうことだと思いました。無視されたり開き直られたらどんな気持ちになる?Upload By スガカズUpload By スガカズその日の夜、きょうだいが全員そろったときに長男に話しかけられました。私は話しかけられていることを理解していましたがそれに反応せず、きょうだいの相手をしていました。何度も何度も話しかけていたのに長男は無視されたので、私に怒りました。怒っている長男に対して私は、「今、どんな気持ち?」と聞きました。子どもたちに話しかけられても対応できないときに「ごめんね」「ちょっと待ってね」「〇〇の後話きくね」と言うように私は気をつけていること、「〇〇だから仕方ないでしょ」という風に言ってないこと、もし「仕方ないでしょ」と言われたり無視されたらどんな気持ちになる?と長男に言いました。「…イヤな気持ちになる…」と長男は答えました。クラスメイトが声をかけてくれる(行動を促してくれる)のはありがたいことで、その行動に対して何も言わずに嫌がったり怒ったり「病気だから仕方ない」と言うのは間違っているともう一度言いました。Upload By スガカズその後聞いていなかったときや無意識で起こったことに「ごめん!」というセリフが出たり言葉で説明したりする場面が見られるように。私は素直に反応してくれたことが嬉しくて「気づいてもらえてお母さんうれしいよ」と言いました。もちろんすべてが好ましい反応にはなりませんが、気をつけようと思い言葉に出すことは、より良い生活を行うために必ず必要になってくることで、一歩前進したと言えます。中1の現在、できないことに対して「自分で解決策を考える」姿も…Upload By スガカズ中1になった現在は、どうしてもできないことに対して、考える場面も見られます。できない理由を言葉にして、私にお願いすることもあります。「どうしたらいいのか分からない」と、そのままにしてしまう場面も沢山ありますが、自分の障害を「仕方ない」と諦める前に、人に相談したり自分なりの案を試してほしいと思います。
2021年01月04日一人息子は発達障害夢はお寿司屋さん上口さんが30歳の頃、男の子を出産した。名前は悠樹くん。平成元年生まれで、偶然にも筆者と同い年だ。当時は今から30年以上前、今ほど発達障害への認知や理解は進んでおらず、典型的な症状でなければ見過ごされることが多かったという。今では発達性協調運動障害(DCD)という存在も知られるようになったが、悠樹くんが通っていた保育園では「手足の協調的な運動が難しい」と言われていた。段差に気付かず転んでしまうことは日常茶飯事で、穴に落ちてしまったり、保育園でのハサミを使った工作もとても苦労していた。しかし検診に連れていくとそれほど問題視はされず、「長い目で見ましょう」とあまり指摘されなかった。「ずっと親としては気になっていたんです。本を読んでみたり、発達障害者支援センターに相談に行ったりしてました。例えば、小学校に入ると集団登校ってありますよね。うちの子だけがどこかちょっと外れてるんですよ。ちょっと外れた動きをして、一生懸命高学年の人が手をつないでとか」(上口さん)Upload By 桑山 知之違和感を覚えながらも、しばらくやり過ごした。元々、底抜けに明るい子だった悠樹くんだったが、できないことが生活の中で多いことから、少しずつ暗くなっていった。学力こそ低くなかったものの、生きづらさを確かに抱えていたのだった。「小学5年のときに(診断を)受けました。あのときはもう混み合ってて、1年ぐらい待ってようやくWISCを受けて、ADHDとアスペルガーの混合型っていう、今だとまた違った診断名なんでしょうけど、その頃はそう診断されましたね」(上口さん)中でも特に辛かったのが発達性協調運動障害だという。近年その認知は徐々に広がっているが、これまでは「不器用」「運動音痴」という言葉で見過ごされてきたことが多い。悠樹くんにとってできないことも多々あったが、一方で悠樹くんは料理が大好きだった。家庭科の成績はいつも良く、時には上口さんに手料理を振舞った。悠樹くんの夢はお寿司屋さん。特に手先の技術を要する職業だった。Upload By 桑山 知之大学入学直後、拒食症に…上口さんによれば、中学ではいじめにも遭ったという悠樹くん。それでもなんとか高校へ進み、キャンパスライフを夢見て愛知県内の大学へと進学。一人暮らしを始めた。しかし、入学から1カ月後の5月には下宿先から一歩も出られなくなってしまった。「とにかく夢いっぱいだったので、スーパーでアルバイトもして、サークル活動もして。それで単位を取らないといけないじゃないですか。必修科目だとかいろんな履修登録をしないといけないんですね。それがうまくできなくて呆然となって、学校の中で自分一人でポツンといるような気持ちになって、それでもう学校も行けなくなって、バイトも辞めちゃって。結局、体重が30kg台になったときに、もう持たないと思って(悠樹くんを)家に連れて帰りました」(上口さん)Upload By 桑山 知之料理があれだけ大好きだった悠樹くんが、拒食症になってしまったのだった。「僕は何にも役に立ててない」と自分のことを責めもした。それでも程なくして、働く母親の上口さんを支えるため、「これからは僕が毎日夕飯をつくってあげる」と意気込んだ。その明るい性格から、買い物先の八百屋や近所の美容院の人からすぐに気に入られていたという。しばらくして余裕が生まれると、悠樹くんは自身が通っていた保育園でアルバイトを始めた。「うちの子はアルバイトをやってもすぐクビになるというか、なかなか合格しないんですよ。そうしたら、自分が行ってた保育園がおいでって言ってくださって。大学の中にある保育園なんですけど、そこで調理の経験をして、それをボランティアで半年ぐらいしてるうちに、今度は『僕、栄養士になりたい』って」(上口さん)Upload By 桑山 知之幸せな専門学校生活から一転、鬱に栄養士になるために名古屋・栄にある専門学校へ通い始めた悠樹くん。これまでと違い、同世代だけではなく少し年齢が上の“人生の先輩”がいたこともあり、「息子の人生の中で一番幸せだった」期間は1年以上続いたという。「初めて友達っていう存在がいっぱいできて。みんなで飲みに行って、今日まだ帰ってこない!って。親としてやっと普通の悩みっていうか。あれは嬉しかったですね。すごく楽しく過ごしていました。あのまま行けばよかったってすごく思います」(上口さん)クラスメイトには自身の発達障害についても打ち明け、周囲や先生は悠樹くんを受け入れてくれた。しかし、専門学校2年で実習が始まると、壁にぶち当たった。病院での厨房実習だった。運動障害によって真っ直ぐ歩けないため色んなものにぶつかった。手先が器用でなく、作業をすべてやり直しもした。きっと強迫観念もあったのだろう。「もう僕はできない、働けない」と落ち込み、悠樹くんは実習1日でドロップアウト。学校に行けなくなり、鬱状態に陥って自殺未遂を繰り返した。ベランダに飛び降りるための椅子が置いてあったり、紐が結び付けてあるなどした。夜中に自殺してしまうのではないかと、上口さんは悠樹くんの部屋の前で一夜を過ごしたこともあった。Upload By 桑山 知之「もう9年前ですね。その日は私が出張中で。だから私は現場にいなかったんですよね。(出張先は)京都だったので、何で日帰りしなかったのかなって思うんですけど、一泊しちゃったんです」(上口さん)2011年5月、悠樹くんは自宅マンションのベランダから飛び降りて自ら命を絶った。21歳だった。悠樹くんの携帯電話に残された遺書には、こう記されていた。「発達障害の人たちが生きやすい社会を願って」。Upload By 桑山 知之息子の自殺当事者が生きやすい世の中に「こんなことをお話ししていいのかわからないんですが、私はうちの子を育てながら『この子いつかいなくなる』って思ってたんですよ。電車の階段を落ちて骨折したり、自転車に乗ったら倒れちゃって病院で脳の検査とか、そんなことがしょっちゅうあったんです。『この子っていつまで一緒にいてくれるんだろう』って思ってました。だから、それが現実になったんだなって」(上口さん)悠樹くんの死後、「何かをやらないと潰れてしまう」と感じた上口さん。その中で、発達障害の当事者会に参加した。悠樹くんの話をすると周りは皆、親身に耳を傾けてくれた。県外にも足を運び、大阪でNPO法人「発達障害をもつ大人の会(DDAC)」広野ゆい代表(48)と出会った。Upload By 桑山 知之「広野さんの言葉で『自分が動いちゃいけない。自分と周りの環境があってその一番真ん中に自分がいなきゃいけない』っていうのがあって。引き寄せられて自分が動いたらいけないって言われて、なんかすごく救われたんですね。周りでいろんなことが起こるけれども、そこから動かないで距離を保ちましょうっていうことだと思うんですよね。私の場合は、悠樹の思い出との距離」(上口さん)当事者同士の交流が必要だと改めて感じた上口さん。実家を売り、駅近の物件を購入。こだわったのは、発達障害の当事者が集まりやすく、そして働きやすい居場所。「やめた方がいい」「無謀だ」と言われてもあきらめなかった。上口さんは2014年3月、ブックカフェ「Co-Necco」をオープンさせた。Upload By 桑山 知之「うちは職員も3分の1は障害のある方々で、発達障害や精神障害や身体障害などいろんな障害のある方々なんですね。最終的な目標は、障害者が対等に、それぞれの得意なことを生かした働き方っていうのかな、そんな職場をつくりたいですね」(上口さん)お店を開きたかったという悠樹くんの夢。上口さんが、悠樹くんの思いを形にして早6年半以上。定期的に開く交流会なども好評で、愛知県内だけでなく全国から“居場所”を求める客であふれる。決して無謀なことではなかった。「子どもを亡くす親って、何か子どものためにやりたいって思うもんなんです。そのときに、なんとなく当事者会が一番しっくり来た。自分も当事者ですからね、子どもを亡くしたっていう当事者ですから」(上口さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月06日コロナ以降、社会を取り巻く生活環境は激変した。不安やストレスを抱えた夫や妻が“ある日突然”、統合失調症や双極性障害、そしてうつ病といった精神疾患を発症するケースが増えているという。「コロナ禍という環境が原因だと断定できる統計資料はまだありませんが、“夫が急変してしまった”という配偶者からの相談件数が増えているのは確かです」こう語るのは、杏林大学保健学部作業療法学科の助教で、「精神に障害がある人の配偶者・パートナーの支援を考える会」(配偶者の会)の代表を務める前田直さん(41)。同会は、精神に疾患がある人の配偶者やパートナー同士が話し合える場として、’16年6月に設立された相談支援組織だ。これまで相談を受けたのは400人以上。そのうち6割は女性で、主に30〜50代からの相談が多いそう。前田さんによると、当事者を支え続ける配偶者やパートナーたちが直面する苦労や困難は、想像を絶するものだという。では、コロナ以降、妻たちからどのような相談が寄せられているのか。相談者の了承を得た案件の一部を紹介しよう。■統合失調症を発症した夫の配偶者A子さん(40代)の場合「被害妄想から“暴走”に……」コロナ禍で在宅勤務になった夫。ある日突然「近所の○○から悪口を言われている」という被害妄想を口にするようになった。それまで夫は普通に会社に通っていたが、リモートワークとなり、家にこもるようになってから、A子さんに対し「どうにかしろ!」と何度も怒るように。A子さんは繰り返される夫の言動を否定しないように、毎日耐えたが、自分自身が精神的に追い込まれるようになり、ついに我慢も限界に。離婚も考えたが、子どもがいるので、これからどう生きていけばいいのかわからない。〈前田さんからの助言〉「コロナによって生活の場が家だけとなり、社会と分断されたことが発症の要因だったのかもしれません。家庭内での距離をうまく取ることも大事です。1日の中で顔を合わさない時間を作ることも対処法の1つとなります」■うつ病を発症した夫の配偶者B子さん(50代)の場合「優しかった夫が暴言を……」会社勤務を続けている夫。7月ごろからだんだん口数が減り、会話をしなくなった。それまでは優しかった夫だったが、態度が急変。家では常にイライラした状態で、家族に対して不平不満をぶつけるように。これはうつ状態かもしれないと思ったB子さんは、精神科で診察を受けることを勧めたが、夫は拒否。その後も夫の状態は改善されないまま。症状がさらに悪化することにおびえながら、なんとか日常生活を送っていたB子さんだったが、どう向き合えばいいかわからなくなってしまった。〈前田さんからの助言〉「夫に病院に行ってもらいたいとき、まずは精神科ではなく一般外来で内科の受診を勧めてみてはいかがでしょうか。治療は早期から受けるのがベターですから、“眠れないならちょっと診察を受けてきたら?”と促すのも手です」■統合失調症が再発した夫の配偶者C子さん(50代)の場合「突然、怒りのスイッチが……」もともと統合失調症を抱えていた無職の夫。自粛生活が長期化する中、徐々に精神状態の波が激しくなった。体調が悪いときには「こんなにつらいのはオマエのせいだ!」とC子さんに暴言を吐いたり、当たり散らす頻度が増える。どこで怒りのスイッチが入るかわからず、解決法がわからない。〈前田さんからの助言〉「毎日30分〜1時間ほど別々の部屋で過ごすようにすると、夫はその間、怒りを誰にもぶつけられず、気持ちがいったんクールダウンすることもあります。たとえば、ヨガやストレッチなどの趣味に費やすといった、自分が1人になれる時間を持つことは非常に重要です」精神疾患を持つ人の配偶者たちにとって大事なことは、“自分は孤独じゃない”と知ることだと前田さんは言う。もし、自分の夫がコロナで精神疾患になってしまったら……。まずは前田さんの助言を参考にして、必ず同じ立場の人たちがいることを思い出そう。「女性自身」2020年12月1日・8日合併号 掲載
2020年11月26日年々難易度の上がる、娘の疑問への説明。広汎性発達障害の娘は、9歳(小学4年生)です。わが家では、娘に対して、物事の理屈や、意味を説明することが、よくあります。小さいころは、娘が知っている少ない数の言葉で説明することが難しかったのですが…Upload By SAKURA小学生になってからは、学年が上がっていくたび、質問の内容も、説明の難易度も上がっていき…Upload By SAKURA頭をフル回転させねば、説明しきれないことが、増えていきました。ごはんが遅かった娘が、言った言葉。引っかかったけれど…娘はごはんを早く食べるのが苦手。私たちは、娘のやる気を出させようと、娘の食事のときに、30分以内に食べ終わったら、ゲームをしていいという約束をしています。ある日、娘が約束した時間までに、ごはんを食べ終わらなかったときのこと…。Upload By SAKURA私はすぐ、その言い方が引っかかりました。しかし、娘の言った言葉に対して、私の引っかかりを、どんなふうに話せばいいか…考えがまったくまとまりませんでした。動いた夫!私も絵でサポート!どう話していいか、考えがまったく浮かばなかった私が固まってしまったとき、夫が話し始めました。Upload By SAKURA何も発言できなかった私は、せめて手助けを…と、白い紙を手に取り、会話を聞きながら夫の話を図にして、2人ところに持っていきました。Upload By SAKURAなぜ、嫌な感じに聞こえる?夫の上手な説明。Upload By SAKURA娘への説明はわが家では、必要不可欠。しかし、すべてを私一人で対応することはできません。いつもは私がメインで娘の対応をしていますが、実は説明も説得も夫の方が上手。しかし、普段夫は私のやり方を優先してくれ、特別前に出ることはありません。夫は、私の脳が思考停止になりつつあるときに、私の様子を見てそれを察し、進んで説明をかって出てくれます。私は、夫の気づかいと、行動力と、説明力のおかげで、年々難易度が上がっている娘への説明を、なんとか乗り越えられています。娘への説明も、夫婦二人三脚。夫も同じ気持ちなようで…Upload By SAKURAこういうことを2人で対応するたび、子育て、療育というのは2人で乗り越えるものだと強く感じ、夫がいつも協力的であることに、感謝しています。これから、娘が中学生…高校生と、進級するたび、言葉を駆使してしなければいけない、大変な説明もあるでしょう。引き続き、夫と二人三脚で頑張っていきたいと思います。
2020年11月25日