昔から仲の良い友人と、お互いの子どもを連れてダブル親子旅行へ行くことに。友だちの4歳の息子・Kくんと私の2歳の息子はこの日が初対面でしたが、すぐに打ち解けて仲良くなっていきました。しかし思わぬ事態に……? 初めての親子旅行で気づかされた子どもに対する私の態度とは旅行の途中に立ち寄った公園で、砂場遊びをすることに。私たちは近くのベンチに座り、話しながら2人を見守っていました。すると、テンションが上がった息子が、Kくんの目の高さへ砂を投げてしまったのです! 私はすぐさま「コラッ! 危ないでしょ!」と大きな声で一喝。幸いKくんの目に砂は入っておらず何事もなかったのですが、その後も息子は何度も危ない遊び方をしていたので、そのたびに私が大きな声で怒っていました。すると、次第にKくんまで萎縮し、私の顔色をうかがいながら行動するようになってしまったのです。友人がお手洗いに行っている間にKくんと話をしてみると、「あのね……怒るとびっくりしちゃって怖いんだ」と打ち明けてくれました。私はKくんに謝り、その晩、友人へもKくんを怖がらせてしまったことを謝ると、「うちは怒るときは淡々と話す方針だから、余計に怖く見えたのかも。家庭の方針の違いがこんなふうに子どもたちに影響を及ぼすとは思わなかったよね」と笑って話してくれたのです。 翌日、「昨日は怖い思いをさせてごめんね」とKくんと息子に謝ると、2人とも笑顔でうなずいてくれました。今回の件で、怒っているときの自分は子どもからすると想像以上に怖いんだなと実感。外では周りの人に配慮し、普段の息子への接し方も見直そうと感じた出来事でした。 作画/yoichigo著者:木村メイ
2024年04月01日ある日、保育園の0歳児クラスから仲良しのママ友と、互いの子どもたち(息子3歳3カ月と、ママ友の子3歳6カ月)を連れて家で遊ぶことに。私は生後6カ月の娘も連れており、ママたちが側で見守りながらマットで遊ばせていました。娘は、べーっと舌を出して遊ぶようになっていたころで、おもしろがって息子もマネして遊んでいたのですがこのことがきっかけで、ある事件が起こってしまい……?子どもの予想外の遊びに冷や汗! ある日、仲良しなママ友と、互いの子どもたちを遊ばせていたときのことです。娘がべーっと舌を出して遊ぶようになっていたころで、おもしろがって息子もマネして遊んでいました。 息子がべーっと遊ぶのを見て、ママ友の子もマネをしてべーっと舌を出すように。2人で同じことをするのが楽しかったようでキャッキャと舌を出して遊んでおり、ママたちは側でその様子を見ながらお話していました。 マネっ子しながら遊んでいるうちに、息子とママ友の子は見つめ合いながら舌をべーっとしだしたのです。そして突然ママ友の子が、息子の舌をベロっとなめてしまいました! そばで見ていた大人はびっくり! 「ダメダメ! 」と焦って止めるも、子どもたちは止められることをおもしろがってまたやろうとしていました。 その場は私とママ友で「そんなところをなめたらダメだよ!! 」と言い聞かせ、やめさせることに成功。その後は私のほっぺをベロンとなめることはあるものの(※)、子ども同士ではしていない様子。 他のお友だちにもおもしろがってしてしまうと、保育園のクラスでその遊びが広がってしまうかもしれないし、親からすれば感染症が広がる懸念やプライベートゾーンの観点からもしてほしくはない行動です。 子ども同士のすることなので止めさせるのは難しいですが、それ以降は「他の人の口をなめたらだめだよ」「お口は自分にとって特別な所! 遊びでなめたりせずに大切にしようね」と子どもに言い聞かせるようにしています。 ※感染症など口内感染してしまう恐れがあるので、注意が必要です。 作画/Pappayappa著者:山田あゆみ35歳2児の母。東京在住。ディズニーが大好きで、夢の国では童心に戻りはしゃぐ。
2024年04月01日私は現在29歳で独り身の会社員です。高校を卒業したのち東京の大学に進学し、そのまま東京で就職をしました。ある日、30歳を迎える節目を前に、高校の同窓会の案内が届きました。楽しみにしていたのですが、当日、性根の悪い3人組が私に文句をつけてきて……? 同窓会に合わせて帰省することに29歳で独身の私は、上京してからずっとひとり暮らしをしながら、仕事に打ち込んできました。刺激がたくさんある東京での暮らしは大好きです。一方で、のんびりとした地元の雰囲気も同じくらい好きなので、年に数回ほど地元に帰省しています。今回は高校の同窓会が開催されるらしく、日程を調整して帰省することにしました。 私には、社会人になった今でも仲よくしている幼なじみの女性がいます。同窓会前日、地元に着いた私は幼なじみと久しぶりに会ってランチをしました。自然と同窓会の話題になったとき、幼なじみが「あの意地悪トリオもくるらしいよ」と言います。 高校3年生のとき、東京の大学への進学で上京が決まった私に対して、さんざん嫌味を言ってきた女性3人組がいました。「東京に行くなんて気取ってるわね」とか「ガリ勉だからねー!」とか……いろいろと悪態をつかれて、どう言い返したらいいのかわからず、大変だったのを覚えています。 意地悪トリオにさっそく絡まれてしまい…幼なじみから「明日の同窓会にはあの意地悪トリオもくるらしいよ」と聞き、私は「まあ……あれから10年くらい経ったし、彼女たちも少しは大人になったんじゃないかな?」と返しました。だからといって彼女たちと積極的に話す気もなく、私たちは「明日はなるべく彼女たちと関わらないようにしよう」と決めて、その日は別れたのでした。 迎えた同窓会当日。会場に到着して幼なじみの姿を探していると……「やっほー! 久しぶりー!」と、満面の笑みでこちらに向かってくる3人組が見えました。そう、彼女たちこそが意地悪トリオ。会場に入って早々、嫌な3人組に捕まってしまいました。 適当に相づちを打ってすぐにその場を離れようとしたのですが、3人はこのあと私に逃げる隙も与えないまま、口撃をしかけてきたのです。 大勢の前でさんざんコケにされ!?久々に会うなり、3人は「あんたまさかまだ独身なの!?」「都会で会社員をしているのに30歳で独身なんて、完全に売れ残りじゃない! 欠陥でもあるのかしら」と言い放ったのです! 私は頭にきて「職場では30歳で独身なんて普通だし、今は仕事に打ち込んでいることが楽しいから」と言い返したのですが、必死に弁解していると勘違いされてしまいます。「みじめな言い訳はいいから!」と笑われ、怒りに震えました。 その瞬間、壇上で開会スピーチが始まり、3人は一旦静かになったのですが……。 恩師や幹事のあいさつが終わると、意地悪トリオは私の肩に手を置きながら、大声で「みなさん聞いてくださーい!」「この子、アラサーの独身なんですってー!」「誰かもらってあげてー!」と言い始めたのです。何事かと同級生たちが集まってきて、注目度は上がるばかり……。私は同窓会に呼ばれて出席しただけなのに、どうしてこんな目にあわなきゃいけないのかわからず、悔しくて涙が出そうでした。 幼なじみや他の友人たちが意地悪トリオに向かって「いい加減にしなさいよ!」「いつまでも学生じみたことやってないで!」などとフォローしてくれたのですが、意地悪トリオは「私は独身のこの子がかわいそうだから、この子のためを思って言ってあげてるのよ!」「彼氏もいないみたいだし」と、ますます調子に乗るばかり。 もう我慢なりません。「黙って聞いてれば言いたい放題ね……自分基準で物事を考えるのはやめてくれる? 幸せの形なんて人それぞれでしょ」「私にとって結婚は最優先の課題じゃないの! それに、お付き合いしてる人ならいるから放っておいて!」と、再び言い返します。それでも、意地悪トリオは「彼氏がいるなんて嘘言っちゃって! 強がってるだけでしょう?」と話になりません。 これでは楽しみにしていた同窓会が台なしです。するとそのとき、ある男性が現れました。 救世主によって意地悪トリオが撃沈!バンッ!と会場の扉を開けて入ってきたのは、私の彼氏でした。その姿を見て「あのイケメンは誰?」とつぶやく女性陣。世間でカリスマ社長として名が知れている彼の登場に、男性陣からも驚きの声が上がります。私の肩を抱きながら「ごめん……見ていられなくてつい入ってきてしまった」と告げる彼。実は、彼は地元のモール建設に携わっていて、その会議の日程が私の同窓会と重なったため、一緒に地元に来ていたのです。 意地悪トリオは「なんでこんなイケメンが売れ残り女と!?」「私のほうがお似合いよ!」「アラサーで結婚してないなんて魅力がないからでしょ!」と騒ぎ出します。すると、彼が「いい女なんてどこにいるの?」「俺にとって彼女以上に魅力的な女性はいないよ」「それに今どきアラサーで未婚なんて普通でしょ」と一蹴。 彼の言葉を聞いて他の同級生たちもうなずいています。幼なじみや他の友人も口を揃えて、「ちょっとでも自分と違う人を見ると攻撃するの、昔から全然変わってないわよね」「ひとりじゃ何も言えないくせに、集団になると急に威勢がよくなって大人げないよ」と意地悪トリオを諭します。 言い返す言葉がなかったのか、3人は「あんたたち覚えてなさいよ!」とだけ言い残し、そそくさと逃げるように会場をあとにしたのでした。 後日談3人が去ったあと、彼を含めて私たちは楽しい同窓会を続けることができました。 それからしばらくして、幼なじみから聞いた話によると、意地悪トリオの1人は職場の男性絡みで問題を抱えていたようで、それが夫にバレて離婚。さらに3人は同じ職場だったらしく、1人が欠けてからは今までの威勢がすっかり消え去ったとのこと。これまで、さんざんいびってきた同僚たちと立場が逆転し、肩身が狭い思いをしながら仕事を続けているのだとか。自業自得ですね。 私はというと、同窓会が終わってから彼を両親に紹介しました。2人とも彼のことを気に入ってくれてとてもうれしかったです。仕事もプライベートも楽しんで、彼と幸せになりたいと思います! ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年03月31日今回は「17歳に結婚を迫った40歳男」を紹介します。主人公夫婦は、いつも強引で一方的な親戚に無理やりお花見の予定をこじつけられました。親戚は、40代の無職の従兄弟とのお見合いをさる魂胆があったのでした。娘は体調不良で急遽欠席し、両親もお見合いは断ったのですが…。後日、我が家に親戚と男が訪ねてきたのでした。にこやかに対応していた娘が…。20年以上親のスネをかじっている病気でもなく…年上なのは構わないけれど気持ち悪い妄想は…自分の心配を義兄は離婚を考えている聞いていないもし離婚になったら…笑顔でお見送り【次回予告】主人公は、健康なのに20年以上働かずにいる男にズバッと一喝しました。さらに親戚には「離婚を考えられている」ことを伝えます。なぜこんなことを知っていたのかと言うと…。イラスト:エトラちゃんは見た!※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(愛カツ編集部)
2024年03月31日バスや電車といった公共交通機関は、年齢や性別を問わず、多くの人が利用します。幼い子供や赤ちゃんを連れて乗車する親が、周りに気を配りながら目的地を目指す姿は、誰もが目にしたことがあるでしょう。電車で泣く赤ちゃんに、4歳娘が?幼い2人の子供を育てる、父親の青かんぱち(@tasorito)さんがX(Twitter)に投稿した内容に、反響が上がっています。ある日、4歳の娘さんと一緒に、電車に乗った青かんぱちさん。その際、同じ車両に乗っていた見知らぬ赤ちゃんが泣き出してしまったそうです。それに気付いた娘さんは、青かんぱちさんに「赤ちゃんが泣いてる」と話しかけてきたといいます。「どうしたんだろうね」と、青かんぱちさんが返答すると、娘さんはこう続けました。「まあ、仕事だからね。赤ちゃんは、泣くのが仕事だから」言葉が話せない赤ちゃんは、空腹感やオムツが汚れた不快感などを『泣く』ことで親に伝えます。健康な乳児でも1日に何時間も泣くことがあるので、いつしか「赤ちゃんは泣くのが仕事」と表現されるようになりました。しかし、その言葉の意味は、大人だからこそ分かるもの。わずか4歳でその言葉を口にする青かんぱちさんの娘さんは、達観した考えを持っているといえるでしょう!娘さんのひと言に、多くの大人が驚きと感動の声を上げています。・なんて大人な対応。そんな言葉、どこで覚えたの…!・娘さん、神!恐ろしい才能の持ち主だな。・人生何周目?4歳でそんな考え方ができるなんて、恐ろしい子…!・深い。感動しちゃったわ…。青かんぱちさんだけでなく、多くの大人を驚かせた、娘さんのひと言。その場に乗り合わせた多くの人たちが、娘さんと同じように考え、泣く赤ちゃんをほほ笑ましく思っていたことでしょう![文・構成/grape編集部]
2024年03月31日親が教えてもいないのに、子供が大人の言葉遣いや行動を真似することがあるでしょう。そんな時は「どこで覚えてきたのか」と驚きつつも、クスッと笑ってしまいますよね。5歳の娘が商品を物色する姿が…?5歳の娘さんを育てる、でら(@aerolitkurofune)さん。スーパーマーケット(以下、スーパー)へ行った日に、娘さんのある姿が気になったといいます。X(Twitter)に投稿された1枚をご覧ください。親方の風格がただよっている…!長靴を履いてズボンのポケットに両手を突っ込み、商品を厳選していそうな格好は、まさに大工の親方そのものです。街のコンビニエンスストアやスーパーで見かけるような風景に、既視感を覚えずにはいられませんね!でらさんも「大工さんが昼飯を買いに来たのか」とツッコミを入れています。大人顔負けな娘さんの姿を見た人からは、たくさんのコメントが集まりました。・きっと真剣な顔で菓子を選んでいるんだろうな~。想像するとかわいい。・カップ麺、おにぎり2個、缶コーヒーとたばこを買ってそう。既視感が強いです。・大工の親方が道具を吟味しているみたいで笑った!・将来、大物になる予感がする!でらさんいわく、娘さんが欲しくて見ていたのは、キャラクターがモチーフのグミだったとのこと。幼い子供の一丁前な姿は、多くの人の頬を緩ませたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年03月31日母親なので適合するんじゃないですか」思わず日本語で叫んでいた。しかし、医師は暗い面持ちでこう答えたという。「体力のない夕青ちゃんはおなかを開いた時点でアウトです」愕然とする千尋さんに、病院の副院長が懇々と諭した。「こどもホスピスで最期の時間をよりよく過ごしては――。見学だけでも行ってきてはどうですか」「ホスピス……」当時の千尋さんには「死を待つだけの場所」というイメージがあった。絶望した気持ちで、なすすべもなく夕青くんのそばでうなだれる千尋さん。しかし、夕青くんはぐったりしつつも、小さな声でこんなふうに言ったのだ。「おうち、かえろうか……」食べることもできず、話すことも少なくなっていた幼子の魂の訴えだった。■冷たくなっていくわが子に寄り添って……夕青くんにとって帰る家といえば鯖江市の実家。しかし、「もはやフライトに耐えられる状態ではありません」という医師の診断もあり、千尋さんは「治療を諦めるわけではありません」と医師たちには念を押したうえで、デュッセルドルフにあるこどもホスピス「レーゲンボーゲンラント」へ向かうことにした。「訪れた私たちを5~6人のスタッフさんが待っていてくれて。『私たちは全員看護師で、チームユウセイです。24時間夕青くんのお世話をするのでなんでも言ってください』と。まるで友人のような笑顔で出迎えてくれたのです」案内された部屋の扉には太陽と虹のイラストが描かれ「yusei」の名前入りプレートがかけられていた──。「この夜、3カ月ぶりに、夕青に『今日は楽しかったね』と声をかけてあげられました」闘病中は「治ったらね」といろんなことを我慢のさせ通しだった。久しく公園にも行っていなかったが、親子3人で施設内にあるプレイランドで遊ぶことができた。「縦に抱っこできたのも1週間ぶりでした。夕青の手形足形を取ることもできて。闘病中の3カ月間も手や足はちゃんと成長していたことがわかって。これもチーム夕青のメンバーが絵の具を用意してくれたんです」ふだんは家族だけで過ごさせてくれつつ、必要なときだけスタッフがスッとあらわれて、寄り添ってくれたのだという。4日目の夜半のことだった。「夕青の手をさすっていると冷たくなっていくのを感じて。『もうこの子は自分で体温調節をすることが難しいのだ』、そう思うといたたまれなくなり、部屋を飛び出して共用ダイニングの椅子に座り込んでいたんです。そうしたら、スタッフのひとりがさりげなくやってきて、私の斜め前の椅子にずっと掛けていてくれました。何を話すでもなく家族のように寄り添ってくれる。不思議なことに、その“名もないケア”を受けているうちに、夕青がもうすぐ逝ってしまうことを受け入れなくてはならない気持ちになったのかもしれません」最後の夜、千尋さんは夕青くんに寄り添い、「すごく幸せだね、ありがとう」という言葉をかけることができた。夕青くんは2019年1月10日の午前8時34分、1歳9カ月で旅立った。「夕青がホスピスで過ごせたのは5日間でしたが、亡くなった後もドイツの友人や日本の家族が訪れてゆっくりお別れができる部屋が用意されました。食べることなど忘れていたのに、『食べないと』と私たちにずっと温かいごはんを出してくれて。ホスピスを退去する日も『いつでも戻ってきて』と送り出してくれました」(取材・文:本荘そのこ)【後編】「すごくいいと思う!」がんでわが子を失った母たちが出会い“理想のこどもホスピス”作りが始まったへ続く
2024年03月31日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。※この物語はフィクションです。イラスト:モナ・リザの戯言妊婦の嫁をイビる鬼畜姑主人公は夫と二人暮らしの妊婦です。妊娠9ヶ月に入ったタイミングで夫の長期出張が決まりました。妊婦が自宅で1人でいるのは不安だという夫の希望で、出張の間は義実家でお世話になることになった主人公。そして夫が出張へ向かうと、義母は嫁いびりをするようになったのです。義母は妊婦の主人公に毎日家事を押しつけ、大量のダメ出しをしてきました。なんとか耐えていた主人公は、ある日、同窓会にいく義母から送迎を頼まれます。さらに、真冬にもかかわらず「車で2時間待機ね」と命じられました。反論しても義母は聞く耳を持たないので、しぶしぶ了承しできる限りの防寒対策をする主人公。そして、ある計画を実行するのでした。義母を送り届けた後に出典:モナ・リザの戯言主人公は、おとなしく従うふりをして義母を送り届けます。それから30分後、主人公はお腹をおさえながら同窓会会場の店に乗り込み…。「お、お腹が…」と仮病を使って、店員に助けを求めました。問題さあ、ここで問題です。仮病を使った主人公に起きた異変とは?ヒント仮病だったはずですが…。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:モナ・リザの戯言正解は「本当にお腹が痛みだした」でした。義母を懲らしめようとわざと仮病を使った主人公。同窓会会場の店に乗り込み「お義母さんが車で待ってろって…」と話すと…。その場にいた全員が義母にドン引きし、白い目を向けます。その後、本当にお腹が痛みだした主人公は「今すぐ病院へ!」と言われ、病院に運ばれるのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。(lamire編集部)
2024年03月30日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。イラスト:エトラちゃんは見た!【漫画】子どもが熱を出したので病院に行くと…妊娠中の主人公は夫と2歳の息子と暮らしています。夫は仕事で忙しく、ほとんどワンオペで育児をする毎日。ある日の夜、息子を抱きあげると「身体が熱い…」と感じ…。なんと40度近い熱が出てしまっていたのです。次の日病院へ行くことにしました。医師から「数日安静にしていれば治る」と言われ安堵する主人公。診察室はパニックに出典:エトラちゃんは見た!するとその直後、突然主人公は倒れてしまいます。問題さあ、ここで問題です。主人公が倒れた原因とは何でしょうか?ヒント主人公は育児で忙しく、あまり休めていません。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:エトラちゃんは見た!正解は「寝不足と貧血」でした。その後、倒れた原因が寝不足と栄養不足による貧血と判明。医師から「旦那さんに迎えに来てもらってください」と指示を受け…。夫に連絡する主人公なのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2024年03月30日タレントの渡辺裕太が28日に自身のアメブロを更新。35歳を迎え人生初の人間ドックを受けた日のエピソードをつづった。この日、渡辺は「今日誕生日を迎え無事に35歳になりました!」と述べ「誕生日の今日は、、、人生初の人間ドックへ行ってみた!」と報告。「当日分かる範囲では無事に何事もなく健やかな身体でした」と人間ドックの結果を明かし「ありがとう!」とコメントした。続けて「噂のバリウム検査は」「噂通りの過酷さ」だったといい「炭酸ぐいっと飲んだあとにゲップ我慢しなきゃいけませんよって言われてる感覚で」と説明。「そのままあらゆる角度にぐるぐるぐるぐる。35歳にしての初体験で笑っちゃいそうだった」と述べ「あんまりこういうこと書かない方がいいかもしれないけど」「バリウムで家のトイレ詰まった」とハプニングを明かした。また「おい!どうすんだ!笑」といい「困ったもんだよ」「適切に処置します」と説明。「これ以上詳しい内容は、いつかバッタリ会った時にでも話させてください。笑」と冗談まじりにコメントし「そんなこんなで」「楽しい誕生日となりました!」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「お誕生日おめでとうございます」「人間ドックお疲れ様でした」「トイレ大変ですね」などのコメントが寄せられている。
2024年03月29日皆さんは、パートナーの言動で傷ついたことはありますか?今回は夫がモラハラ夫に豹変したエピソードと読者の感想を紹介します。イラスト:iwao.結婚して2ヶ月主人公は夫と結婚してまだ2ヶ月ほどの新婚です。夫と幸せな結婚生活を送れることを楽しみにしていました。しかしある日、主人公が仕事から帰ると「もう帰ってきたの?」と言う夫。その言葉を気に留めずに夕飯を作ろうとした主人公ですが…。夫のモラハラ発言出典:愛カツ夫が「お前が帰ってきたと思うとげんなりするんだよな」と言ったのです。その言葉に「なんでそんなことを言うの!?」とショックを受ける主人公。別の休日には、主人公が掃除をしていると夫に…。「休日なのに掃除機の音でくつろげないんだけど?」と文句を言われてしまいます。さらには「なんで休みなのにお前の顔を見てなきゃいけないの?」と言う始末。モラハラ夫に限界がきた主人公は思わず外に飛び出します。そしてコンビニの駐車場で「こんな惨めな休日をずっと過ごすの…?」と悲しくなるのでした。読者の感想幸せな結婚生活を送れると思いきや、夫のモラハラ発言に悩まされるなんて絶望してしまいますね…。結婚する前はモラハラな一面を隠していたのかもしれませんね。(30代/女性)結婚生活を楽しみにしていた主人公は、夫の言動にショックを受けたでしょう…。夫はなぜモラハラ夫になってしまったのか気になります。(40代/女性)※この記事はユーザーのエピソードをもとに作成しています。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。(愛カツ編集部)
2024年03月29日おうち料理研究家のみきママが27日に自身のアメブロを更新。16歳の次男が語学を学びに1人で海外へ出発したことを明かした。この日、みきママは管理栄養士を目指す自身について「4月から大学3年生になります」と報告し「今年はかなり本気でやらないとやばい」とコメント。「いきなり春休みの宿題がメールできてね、献立2つ考えて、栄養計算や塩分計算してレポートにまとめ提出だって」と述べ「1献立370円以内で、主菜に豆を使った料理、栄養バランスと塩分バランスも良いものです。難しー!」とつづった。続けて「1つ目の献立は、豆腐団子で黒酢酢豚+サバ缶でエビマヨ風サラダ+白滝でフカヒレ風スープ+豆乳黒ゴマプリンにしました!」とメニューを紹介し、料理が並べられた食卓の様子を公開。「黒酢を煮詰めて減塩にしました。サバ缶で和えるだけのエビマヨサラダにしました」とつづった。また「2つ目の献立は、卵と豆腐のかに玉+塩昆布とレンコンのシャキシャキ餃子+白滝のフカヒレ風スープ+豆乳黒ゴマプリン」と明かし「塩の代わりに塩昆布や黒酢を使ったり、白滝や豆乳を使ってカロリーを下げたり工夫しました」と説明。一方で「食べてみたらさ、パンチがない」といい、長男からも「うわ~、残念な味!!」と言われたそうで「塩分に変わる旨味を探したいと思います!」とコメントした。さらに、16歳の次男が「1人でアメリカに語学留学したい!!」と言っていたそうで「日曜日に1人でアメリカに行きました」と報告。「私の母も一緒に見送りに行ったんだけどね、すごい荷物で」と明かし「一緒に行く気ですか?」と冗談まじりにコメント。最後に「2週間後帰ってくるよ?」と母親の後ろ姿を公開し、ブログを締めくくった。
2024年03月28日母が家に来たとき、3歳の娘を2人で遊ばせてました。すると娘は引き出しに興味を持ち、漁り出します。その様子を見守っていたところ、まさかの事態が!?そんな物、見せないでー!2人目の子どもを出産後、私の母が家へ手伝いに来てくれたときの話です。3歳の長女と私、母の3人で遊んでいると、ふいに長女が引き出しの中を漁りはじめました。すると、なんと長女はゴム製の避妊具を取り出したのです!長女はそれが何であるかわからずに、すぐに興味を失いポイッと手放しましたが、一連の流れを見ていた母は顔をひきつらせていて……。とても気まずい空気が流れ、私は気づいていないふりをし、「そういえばさぁ」と適当に話題を振ることしかできませんでした。 整理整頓が苦手な私ですが、いざ人が来たときに困らないよう、見られたくない物は子どもの手が届かない場所に隠しておかなければいけないなと痛感した出来事です。 作画/さくら著者:片田 ゆい
2024年03月28日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。【LINE】行方不明の夫からの訴えある日突然、主人公のもとへ夫の弁護士を名乗る男性から連絡が届きます。突然家を出て行った夫は、それ以来1ヶ月も行方をくらましていました。そんな夫の弁護士からいきなり「慰謝料を請求します」と言われ混乱する主人公。弁護士は夫が、主人公の家事放棄とモラハラを大きな理由として挙げていると説明。当然モラハラについてまったく身に覚えがなかった主人公は、反論しますが…。弁護士は、夫が証拠を提出していると言い「示談金5千万円を請求します」とあり得ない金額を提示してきたのです。主人公は動揺して「考えさせて」と話を保留にすることに。2週間後のこと…出典:Youtube「Lineドラマ」それから2週間後のこと、再び夫の弁護士から連絡がありました。「その後のご判断いかがでしょうか?」という弁護士に対し、主人公は「示談はお断りします」ときっぱり拒否。すると弁護士は「ど、どういうことだよ」と焦り始めます。問題さあ、ここで問題です。主人公が示談を断った理由とは?ヒント主人公は弁護士の正体を知っていました。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:Youtube「Lineドラマ」正解は「弁護士の正体が夫だとわかっていたから」でした。弁護士へ「あなた夫でしょ?」と問い詰める主人公。その後主人公は、夫の計画をすべて知っていることを明かすと…。夫であろう弁護士は、明らかに焦りだすのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2024年03月28日ミッドライフ(中年)とは40歳前後から50代前半までの時期を指し、多くの人が転換期を迎える時期で、ミッドライフクライシスとは中年の危機とも呼ばれ、中年の人が心の葛藤に悩まされることだそうです。人生を時間で例えるとすれば、大きく午前と午後に分けられ、45歳の私はまさに「人生の午後」を迎えようとしている私。最近、思い悩むことの種類が変わってきたような気がします。40代後半、変わりゆく自分45歳、体力の衰えや容姿の変化を顕著に感じるようになりました。朝は体がだるく、夕方も日中の疲労が蓄積されてより一層つらい。せめておいしいものを食べて元気を出したいと思っても、若いときのようにたくさん食べることができなくなりました。ただ、周りの若い同僚と一緒にいると、ついいつまでも自分も若いつもりになってしまいます。でも、よく考えれば私は同僚の母親世代に近い年齢であり、彼女たちとは聞いてきた歌も見てきたテレビ番組も違うのです。会社では自分も頼りたいのに頼られる立場になり、何とも言えない居心地の悪さと不安を抱え、その気持ちがどんどん大きくなったころ、私はさまざまな事情が重なったこともあって仕事を退職しました。退職により大きくなる不安と後悔仕事を辞めたばかりのころは解放感にあふれていたものの「このままでいいのか」「自分は間違っているのではないか」と漠然とした不安や恐怖を抱えるようになりました。その後別の会社に転職したのですが、前の仕事を辞めたという自分の選択が間違っていたのではないか、と少なくなった収入を見るたびに少しの後悔と、老後への不安が顔を出すように。更年期も重なる今、いつまで元気で家族と過ごせるか、といった健康面での不安もあります。言いようのない不安は家族とよくあるようなささいなことで喧嘩になったときなどに爆発します。前の仕事を退職したという自分の選択は間違っていたのではないか、取り返しのつかないことをしてしまったと退職を悔やむこともありました。このままではいけない、今を乗り越えないとこのモヤモヤを引きずったままおばあちゃんになってしまう。そう考え、私なりの対策を立てました。不安を減らすために私がおこなった対策は、持ち物の整理、人間関係の見直し、不安をノートに書き出すことの3つでした。持ち物を整理することで身辺整理にもなり、急に自分が動けなくなったときの身辺への心配を減らすことになりました。また、自分が本当に心を許せる友人だけと付き合っていこうと決め、ストレスになっていた人間関係をスリム化することにしました。最初は不安だった人間関係のスリム化は、いざおこなってみても寂しくなく、必要ない気づかいをする相手を減らすことができました。不安は具体的にノートに書き出し、言語化することで漠然とした不安感を減らしました。ただ、今の収入や老後についての不安は残ったままでノートに書き出すことですべてが解決したわけではありませんが、同じことをクヨクヨ考える時間は減った気がします。まとめ自分の年齢を3で割ると人生時間がわかる、と昔何かの本で読んだことがあります。私の年齢を3で割ると15時。ちょうど午後のお茶の時間です。走り続けてきた人生に立ち止まってひと息つきなさい、という時間なのでしょうか。今を悩むということは、将来のことを真剣に考えているから。無駄な時間ではなく、一生懸命生きている証拠だ、人生の午後を迎えた今、そう思うのです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/所 とうこ(45歳)高校卒業後、専門学校へ進学。看護師として20年以上のキャリアを持つ。趣味は映画鑑賞。
2024年03月28日これは第1子である息子が、1歳半のころのエピソードです。そのとき、わが家は息子と私たち夫婦の3人家族。息子がひとり歩きをじょうずにできるようになったことから、休日は3人で公園やドライブなど、さまざまな場所へ出かけていました。そこで私は、夫のある行動にヒヤッとさせられることになるのです……。 人気の家族風呂が30分待ちその日は、家族風呂に入りに行きました。人気の家族風呂のため、お風呂は順番待ち。また、駐車場も満車に近い状態でした。私たちは、車内で30分ほど待機することに。 ようやく順番が巡ってきたとき、私は助手席に座っていましたが、後部座席に置いてあるタオルや着替えなど荷物を取る必要がありました。 私は一度助手席から降りたあと、後部座席に移動。息子は待ち時間の間から運転席で夫に抱っこされており、2人ですぐに移動できる態勢で待っていました。しかし、息子がぐずり出したので、私は夫に「先に行ってていいよ」と伝え、夫と息子は先に車の外へ。 え…、息子はどこ!?私が後部座席で荷物を確認していると、夫も再び運転席に。私が「何してるの?」と聞くと、夫は「スマホを忘れた」と言いました。すかさず「え? 息子は?」と尋ねると、「そこで待ってる」と夫。 「いやいや! 1歳児がおとなしく待てるわけないでしょ!」と私が慌てて車から出ると、息子は数メートル先をひとりで歩き出していました。 夫に考えを改めるように注意私は息子をすぐさま捕まえました。息子にケガはなく、駐車場に動いている車がなかったことが幸いだったと思います。 私は「1歳児を過信したらいかん! ひとりにさせるなんてありえない!」と夫に厳しく注意し、夫は「ごめん……」と深く反省したようでした。 何度か行ったことのある場所だったので、私も油断していた部分があり反省しました。「息子から絶対に目を離さない。ひとりにしない」と夫婦で再認識。息子が6歳になった今でも、駐車場では絶対ひとりにしないように夫婦で努めています。 著者:都 うめこ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2024年03月27日北海道での活動を経て31歳で東京に進出。あれから約20年、北海道の大スターから国民的スターとなった大泉洋さん。50歳の節目の年に行われた「大泉洋リサイタル」の冒頭の映像を見て、これまでのことを振り返ったという。知らなかった人にも自分の曲を聴いてほしくなった。「僕の今までの音楽活動の流れを説明するVTRを作ってくれていたのですが、それを見ていたら、“ああ、こんなこともあったな”とだんだんと思い出してきて。リサイタルで僕が昔作った曲をファンのみなさんがとても喜んで聴いてくれるもんだから“まだ知らなかった人にも聴いてほしい”という欲が出てきてしまいました」北海道時代から今日に至るまで、請われるままに走り続けてきた。生誕50周年のメモリアルイヤーは、アルバムのレコーディングやリサイタルの準備もあり、怒涛の一年だったという。「ツアーが始まる直前の12月上旬まで時代劇の撮影をしていたので、本当に忙しかったです。30代は駆け抜けるように仕事をし続けたので、40歳のときにはすでに“もう少しじっくり仕事をしたい”なんて言っていたんですけど、まったく叶いませんでした(笑)。30代よりも40代のほうが圧倒的に忙しかったですし、50歳になったこの一年はさらに忙しくて。ついに体が追いつかなくなり、働き方を変えざるを得なくなりました(笑)」体のためには休んでもらいたいところだが、俳優、声優、タレント、歌手と、すべてがプロフェッショナルな「大泉洋」というジャンルを確立した彼を、世間はどうしても放っておかない。「歌手は勝手に僕が始めただけですけど(笑)。リサイタルがあまりにも楽しかったので、これからも歌の活動は続けていきたいですね。以前は僕みたいなやつが音楽活動なんて、という恥ずかしさからファンクラブのみなさんだけに向けた活動でしたが、50歳という節目を機に、やりたいことに正直に生きようと思えたんです。別に周りからどう思われてもいいやと。自分で過去に作ってきた曲も自信を持って世に出していこうと。これからも自分が尊敬するミュージシャンの方々にお願いして楽曲を作ってもらい、またツアーをしていきたいと思っています」とはいえ今後も仕事とプライベートのバランスをとりつつ「家族との時間も大切にしたい」と語る。「娘が成長するにつれて、一緒に出かける機会も少なくなりますからね…。バレンタインのときに、スタッフのみなさんからもらったチョコを家に帰って娘に見せたら、“あ!”という明らかに焦った顔をするわけですよ。『今日、バレンタイン?』『そうだよ』という会話のあとに狼狽しながら板チョコを持ってきて、『パパ、溶かすものない?』と言われたから『今からパパと作るの?』って。僕がもらうチョコを、娘と一緒に作りました(笑)。まぁ、そんなこともいつまでしてくれるかわからないので、娘とできることは今のうちに全部やっておこうと思います」50歳という節目を経て、ますます魅力を増す大泉さんの「最先端」を聞いたところ、「ドライヤーです」という意外な答えが。「最先端のドライヤーを使うようになったら、ヘアメイクさんに“シャンプー替えましたか?”と言われたんです。京都と大阪のホテルに置いてあったのを使って、良さを実感したので買いました。僕のくせっ毛は自分ではどうにもならないのですが、このドライヤーで乾かすだけでちょっとまとまるんです。いい買い物でしたね」おおいずみ・よう1973年4月3日生まれ、北海道出身。演劇ユニットTEAM NACSメンバー。『水曜どうでしょう』でブレイク。近作に大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、映画『月の満ち欠け』など。2020年~’22年に『NHK 紅白歌合戦』司会を3年連続で務め、’23年は歌手として初出場。ブルゾン¥253,000シャツ¥115,500ネクタイ¥61,600(以上Bottega Veneta/ボッテガ・ヴェネタ ジャパン TEL:0120・60・1966)※『anan』2024年3月27日号より。写真・伊藤彰紀(aosora)スタイリスト・九(Yolken)ヘア&メイク・西岡達也取材、文・石本真樹撮影協力・STUDIO BASTILLE(by anan編集部)
2024年03月27日子どもたちとスーパーで買い物をしていたとき、6歳の長男が「ママが好きな物があったよ!」と大声で言いながら、あるものを持ってきました。すると。その物を見た周りの人からクスクスと笑われてしまい……?や、やめてー!長男が6歳、次男が4歳くらいだったころのお話です。一緒にスーパーへ買い物に行ったとき、私が晩ごはん用の食材を選んでいる間に子どもたちはお菓子コーナーに行き、別れて買い物をするのが習慣でした。そんなある日、ふと子どもたちが大声で「ママー! ママが好きな、黄色のシールが貼ってあるお肉いっぱいあったよ!」と持ってきてくれたのです。黄色のシールとはつまり、値引きのシール。周りの人からはクスクスと笑われてしまい、買う予定ではなかったそのお肉を急いでカゴに入れて、買い物を済ませました。節約のために値引き商品を買うことはあるし、別に恥ずかしいことではないとはわかっていますが、いつも値引き商品しか買わない人だと思われて笑われたのかなと思うと、顔が真っ赤になるほど恥ずかしい気持ちに……。 そのあと子どもたちには、「ママは黄色のシールが貼ってある物は好きだけれど、必ずそれを選んで買っているわけじゃないから、わざわざ持ってこなくて大丈夫だよ、ありがとう」「でもそのシールが貼ってある商品を誰も買わないと、捨てられてもったいないからたまに買うようにしているんだよ」と伝えました。子どもたちが大きくなった今では、節約の大切さをわかってくれているようですが、子どもの純粋な発言で恥ずかしい思いをするのは嫌なので、子どもの前での行動には気をつけようと学んだ出来事です。 作画/赤身まぐろ著者:北明日香
2024年03月27日長続きするには「交際3ヶ月」が鍵!?仲良しカップルになるためのポイント♡付き合いはじめてからの3ヶ月は、ドキドキが最高潮ですよね。そして、価値観の相違や誤解が生じやすい時期でもあります。長く付き合っていくには、この「3ヶ月」が鍵となります。今回は、長く続く関係を築くためのポイントを紹介します。[nextpage title="O0w0O}0Q00_00n0000"]2人のルールをつくろう2人が守るルールを決めることで、トラブルを減らすことができるでしょう。例えば「飲み会に異性がいる場合は報告する」「相手の仕事のことに口出ししない」などです。お互いに納得できる束縛しすぎないルールを決めることが重要です。頻繁に会うようにしよう交際初期は会う回数を増やすことが大切です。2人の気持ちが高まりやすいこの時期に頻繁に顔を合わせることで、より心の距離を縮めることができます。短い時間でもいいので頻繁に会うようにすると、仲が深まりやすいでしょう。[nextpage title="0U00k…"]相手の「嫌いなこと」を把握しよう付き合い始めて3ヶ月以内にお互いの「嫌いなこと」や「不快に思うこと」を理解しておくことで、心地よい関係を築けるでしょう。お互いを理解することで、ストレスを減らし、快適な環境をつくりだすことができます。無理をしないようにしようどちらかが無理をするような関係は長くは続きません。お互いのペースを確認し、2人が心地よいと思えるペースを見つけましょう。焦らず、ゆっくりと進めていこう付き合いはじめは、ドキドキが最高潮に達する時期です。そのようなときは、気持ちが浮き立ち、つい無理をしがちです。相手への気遣いを忘れず、長く続く関係を築いていきましょう。(愛カツ編集部)
2024年03月27日娘が3歳の時。娘が何気なく言った言葉に私は取り憑かれてしまいます。これは、私が悩みに悩んだ「過保護」 問題のお話です。今となっては、当時の自分を「おバカだな」と振り返ることができますが、その頃はどこまでが過保護なのかわからなくなり振り回されてしまったのです。そんなおバカ者がどんな風に「過保護」問題を乗り切ったのか、ぜひ読んでください!娘の突然の質問にびっくり…なぜそんな言葉を?まだ3歳の娘が使った「かほご」という言葉。なんでそんな難しい言葉を知っているのか…わたしは一瞬フリーズしてしまいました。娘にこの言葉を教えたのは…よりによって、娘がその言葉を知るきっかけとなったのは、みかちゃんママでした。みかちゃんママとは、そのワードが出るだけでソワソワするくらい私からしたら苦手なママだったのです…。次回に続く 「うちのママは過保護なの? 」(全63話)は21時更新!
2024年03月26日大学時代から恋愛を謳歌していた莉緒さん(仮名・22歳)。念願の小学校教員になるも、教室の雰囲気は悪くなるばかり。そんな時、指導係の敦也先生(仮名・38歳)がとても親身になってくれて。これを機に莉緒さんは彼を一人の男性として意識するようになり、やがて二人は不倫関係に。しかし、突然莉緒さんは敦也先生から別れを告げられてしまいます。いつしか不倫に本気になっていた莉緒さん。他に交際していた男性たちと別れた事実を言い出せぬまま、敦也先生に捨てられてしまって…。職場で彼と顔を合わせるのはつらいけれど、今は仕事に邁進するしかないと思ったのだとか。見知らぬ女性が突然授業参観で不倫を暴露…「数日後、授業参観がありました。初めて保護者と顔を合わせるということもあり、私はとても緊張していて。算数の授業で、子どもたちに『りんごが3つとみかんが2つ…合わせていくつになりますか?』と問いかけることに。すると、ある生徒が『4つです』と答えたので『惜しい!違います、正解は5つです』と説明を始めたのですが…。急に見知らぬ女性が『既婚者と付き合っていたあなたの方がよっぽど間違っているじゃない』と大きな声を出したのです。さらに黒板に私と敦也先生の不倫の証拠写真を張り出して…何事かと思っていると、その女性は『敦也の妻(凛子さん・仮名・37歳)です、公私ともに夫がお世話になりました』と私に言い放ちました」なんと元不倫相手の妻が保護者に混じり授業参観に参加していたのです。「その後はもう修羅場でした。凛子さんは『夫の様子がおかしいと思いスマホにGPS機能をつけた結果、莉緒先生の部屋で二人が密会を重ねていたことがわかりました』『これが証拠写真です』とみんなの前で不倫を暴露。続けて『しかも莉緒先生は他に数人の男性とも付き合っていて…それを知った夫は私の元へ帰って来たんです』と話すと、気が済んだのか彼女はその場を去って行って。その後教室は大騒ぎ…収拾がつかなくなり私は校長先生に呼び出しを食らって強く叱責されたのです。元不倫相手の妻からの思わぬ復讐に私は完全にメンタルをやられてしまいました」莉緒さんは、この出来事を機にしばらく休職することにしたそう。仕事を休み心の回復を図るも…意外な訪問者が現れて…「私を心配した母が少しの間うちに来ることになりました。もちろん、自分の不倫が原因で仕事を休むことになったとは母には内緒にすることに。気分転換にと二人で散歩へ出かけ帰宅すると、ドアの前に誰かが立っていて…顔を見るなり『私のパパを奪わないで』と幼い子が言ったかと思うと、今度は女性が『子どもの受験のためにも夫とは離婚しませんから』と母の前で言ってのけて…。元不倫相手の妻が娘(史果さん・仮名・12歳)を連れて、私へさらなる仕返しをしにやって来たのです。その場の雰囲気で母は私の不倫を察知した様子。『相手の子どもまで巻き込んで…不倫するなんて恥ずかしいと思わないの!』と怒鳴ると、母はそのまま帰ってしまいました」その後、莉緒さんは両親に絶縁されてしまいます。「私は精神的なショックから、職場に復帰することなくそのまま退職しました。すべて自分が悪いのだけれど、元不倫相手の妻の復讐がトラウマとなり教壇に立つことはもうできないと思って。凛子さんから慰謝料を請求されるも、他に何のスキルもないので職探しは難航しています。家賃も払えなくなり、実家も頼れないので友人の家に転がり込んだのですが…。私が不倫していたとわかると『それが理由なら協力することはできない』とその場で友人に追い出される始末。もう踏んだり蹴ったりで…今頃になって不倫に走ったことをとても後悔しています」新生活の大変さから逃れるため不倫に陥った莉緒さん。周りの人から見放されることになっても、相手が既婚者とわかって交際していたのだから「身から出た錆」と言えますね。身勝手に人の家庭を壊そうとすると、それ相応の罰を受けると覚えておきましょう。©NanSan/Adobe文・菜花明芽
2024年03月26日子どもが1歳のとき、かかりつけの病院に連れて行きました。衝撃の発言が!抱っこして待っていたのですが、待ち時間が長いために、子どもがじゃれてきました。抱っこから膝に降ろしたり、床に立たせたりしていたのですが、横に座ったおばあさんが、にこにこしながら話しかけてきました。あまりにも表情が和やかで、優しそうだったのですが、言われた内容はこうでした。「子どもってほんとに嫌ね。うるさいったらないわ。よくそんなの連れて来られるわよね。わたしは見るのも嫌だわ」それを笑顔で言い切り、横目でいやらしくこちらを見ました。けっこう自然な声の大きさで、周囲の人も聞こえていたと思います。おばあさんにとっては嫌だったようなので謝罪しました。子どもがきょとんとしていたのが何だかかわいそうで悲しくなり、診察が終わって車の中で泣きました。 ◇◇◇ 今回のことを教訓に、子どもを連れ病院へ行くときは車内で待たせてもらうなど、お互いに辛い思いをしないようにしたいと思いました。 作画/ぽよ母著者:チューリップ40代、8歳の女の子を育てている母。ケアマネージャー。趣味は小説書き、お散歩。
2024年03月26日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。※この物語はフィクションです。イラスト:レイナの部屋【ブラックわーるど】無職男を青ざめさせた1本の電話主人公は実家で長年ひきこもっている50歳の無職の男性です。父は数年前に亡くなり、母が働き家計を支えていました。ある日「今日は夜勤だから」と主人公に声をかけ出社した母。数時間後、電話がかかってきたため主人公がでると…。電話の相手は「主治医が急いでご家族を呼ぶようにと」と言ってきたのです。まさかの連絡出典:レイナの部屋【ブラックわーるど】母が仕事中に倒れてしまったと聞いた主人公は指示された病院へ駆けつけました。そこで主人公はある状態の母と対面することになります。問題さあ、ここで問題です。母はどうなったでしょう?ヒント母は生活に疲れきっていました。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:レイナの部屋【ブラックわーるど】正解は「亡くなった」でした。主人公が到着したときには、もう母は息をひきとっていました。母の死によって主人公は突然社会に放り出されてしまいます。今まで何もしてこなかった主人公は途方に暮れるのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。(lamire編集部)
2024年03月26日皆さんは、パートナーの発言に驚いた経験はありますか?今回は浮気をしていた夫のエピソードとその感想を紹介します。イラスト:しのささむつ10歳年下の夫10歳年下の夫と結婚して1年が経つ主人公。夫は結婚後、突然仕事を辞め、働かずに家でゲームばかりしていました。主人公が注意し、夫はようやく仕事を見つけ働き出します。ある休日、夫が「仕事したいなぁ」と言って外出しました。以前は働きたくないと言っていた夫の変化に戸惑う主人公。すると後日、突然謝罪してきた夫が「他の女の子と遊んじゃって…旦那にバレちゃって…」と言い出し…。夫からの衝撃発言出典:愛カツ主人公は夫の衝撃発言に「浮気してたってこと!?」と驚きました。さらにその直後、夫は「俺と一緒に謝りに行ってほしい…!」と主人公に言ってきたのです。夫の要求に「はぁー!?」と開いた口が塞がらない主人公なのでした。読者の感想夫が浮気していただけでもショックですが、さらに浮気相手が既婚者だったとは信じられないです。夫の要求に唖然とする主人公に共感しました。自分がやったことですので、1人で謝りに行ってほしいですね。(20代/女性)主人公に限らず、浮気相手の旦那さんも衝撃を受けたことでしょう。せっかく仕事が見つかったにもかかわらず、夫の浮気で愛想が尽きてしまいそうです。(40代/女性)※この記事はユーザーのエピソードをもとに作成しています。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。(愛カツ編集部)
2024年03月26日世の中、義母をきらいなお嫁さんがたくさんいるようですが、私は義両親が大好き! しかしどうにもこうにも義姉が苦手です。義姉は自称キャリアウーマンの39歳。「結婚は人生の墓場」が口癖です。結婚に興味がないのか、ただ単に結婚に縁がない義姉の負け惜しみなのか、微妙なところですが……。そんな義姉が突然結婚することになりました。義父が知り合いに頼み込んでお見合いをセッティングした結果、トントン拍子に決まったとのこと。 あの義姉と結婚なんて……一旦どんな相手なのでしょう。急な結婚式40代に突入する前に式を挙げたいという義姉の希望もあり、2カ月後に結婚式を挙げることが決まりました。それ以降「結婚式の準備が忙しい!」が義姉の口癖に。あれだけ結婚に興味はないと言っていたのに信じられません。 しかし2カ月後の2月は、私が住む地域では雪が降る日も珍しくありません。結婚式への夢を膨らませている義姉に、「雪のケースも考えて……」とアドバイスしましたが、まったく響かず……。 「今まで散々私のことを行き遅れだと言ってきたやつを見返すために、最高の式にする!」と燃えている義姉を見ると、不安しかありません。 新郎はノータッチ?結婚式の準備を手伝えと言われて、幾度となく義姉の家を訪ねましたが、気になるのは婚約者。義妹になる私が手伝っているというのにノータッチ。一度も顔を見せません。 そんな婚約者のことを「私の好きにさせてくれる素敵な人」という義姉を信じ、着々と準備を進めていました。 義姉は他にはないガーデンウエディングを計画しているよう。苦手な義姉といえど、結婚式は良いものです。私もドレスを新調し、楽しみにしていました。 前代未聞の結婚式結婚式当日、まさかの大寒波が到来し、朝から猛吹雪です。もちろん日程の変更はできません。寒さに耐えながら結婚式場に行くと、ガーデンウエディングをする気満々の義姉が待っていました。 室内の披露宴会場はありきたりだから嫌なのだとか。極寒の中ウエディングドレスで立っている義姉は、まさにウエディングハイ。寒いという感覚さえ麻痺しているようでした。 厄介だったのはここからで、義姉はゲストにコートを脱ぐように指示。みんながコートを着ていたら写真が映えないからという理由で、雪の降る中ドレス1枚にさせられました。見返すどころか…みんながあまりの寒さに悲鳴をあげる中、1人の男性が叫びました。「もう結婚はやめだ!」声の主は新郎でした。この2カ月、義姉に振り回され続けた結果、前代未聞のスノーウエディングになってしまい、ついに我慢の限界がきたようです。親族を引き連れてさっさと帰ってしまい、それにつられてどんどん招待客も帰ってしまいました。 見返すどころか、後世に語り継がれるような結婚式をした義姉。今後こそ、結婚への興味を失くしたかもしれません。 結婚式は自分が主役になって輝く日でもありますが、これまでお世話になった方や友人たちに、自分の晴れ姿を見てもらう日でもあります。その招待客につらい思いをさせるなんて、いくらなんでもやりすぎでしたね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年03月26日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。※この物語はフィクションです。イラスト:モナ・リザの戯言20年ぶりに元夫が現れたワケ夫と7歳の長女、そして3歳の次女と暮らす主人公。あるとき夫は、次女に1人でラーメンを作らせ火傷を負わせます。それでも反省しない夫に主人公は愛想を尽かし…。離婚したのち、1人で2人の娘を育てあげました。離婚後20年が経ったある日、突然家族の前に元夫が現れます。復縁を求める元夫出典:モナ・リザの戯言なんと主人公に復縁を申し込んできたのです。しかもその理由が「逃げた再婚相手の子どもを一緒に育ててほしい」というもの。あまりに身勝手な理由に言葉を失う主人公。問題さあ、ここで問題です。「復縁して子どもを一緒に育ててほしい」と頼む元夫。主人公に断られた後に放った衝撃発言とは?ヒント20年経っても元夫の身勝手さは変わっていません。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:モナ・リザの戯言正解は「子どもだけでも引き取ってくれないか?」でした。元夫は「復縁が無理なら…」と言った直後…。「子どもだけでも引き取ってくれないか?」と無責任な言葉を吐いて、呆れてものも言えない主人公なのでした。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。(lamire編集部)
2024年03月26日タイでは観光業に従事するために数千頭ものゾウが飼育されているといいます。そんなタイではゾウを国の大切な動物として尊重し、ケガをしたり、高齢で働けなくなったりしたゾウを保護している人たちがいます。自然保護活動家のセンドゥアン・チャイラートさんが設立した『セーブ・エレファント・ファウンデーション』は、アジアのゾウが自然の中で自由に暮らせるように支援している団体です。人間のために働き続けた『おばあさんゾウ』2024年1月、『セーブ・エレファント・ファウンデーション』によって1頭のメスのゾウが保護されました。ソンブーンおばあちゃんと呼ばれる87歳のゾウは80年以上、人間のために働き続けたそうです。幼い頃に森で捕獲されたソンブーンおばあちゃんは家族から引き離され、人間に奉仕するために訓練を受けました。ショーに出演したり、路上での物乞いやパレードで歩かされたりしながら、長い距離を移動し、夜は道路脇で眠る生活。その後はパタヤで30年以上に渡って、ゾウ乗り体験のために毎日8時間働かされていました。『セーブ・エレファント・ファウンデーション』は、そんなソンブーンおばあちゃんを救出することにしたのです。おばあさんゾウがついに自由になれた瞬間こうして、ソンブーンおばあちゃんがチェンマイにある『セーブ・エレファント・ファウンデーション』の保護区へ引っ越しをする日がやってきました。高齢のゾウの救出には、移動を含めたあらゆる面で細心の注意が必要なのだとか。スタッフたちの献身的なケアにより、約24時間かけてソンブーンおばあちゃんは無事にゾウの保護区へ到着しました。ゾウの中でも、特に足首の弱い年老いたゾウは、コンクリートの床の上で短い鎖に足を縛られて眠ることに耐えられないのだそう。ソンブーンおばあちゃんは、生涯このような状況に耐えてきましたが、ようやく安らぎを得たのです。保護区に着いた後、長旅と苦しかった生活に疲れ果てたソンブーンおばあちゃんは、用意された砂の山を見つけるや否や、倒れるように眠ってしまいました。到着したばかりのゾウは通常、被害妄想や信頼の欠如のために横になるまで数週間かかるのだとか。その常識をくつがえしたソンブーンおばあちゃんは、いかに疲れ切っていたかが分かります。ソンブーンおばあちゃんの自由への旅を記録した動画をご覧ください。@saveelephantfoundation Grandma SomBoon (Ja) Rescue Story Share from our founder Every time news reaches us about an elderly elephant in need, we act promptly, disregarding their trauma and frailty. Despite the challenges in rescuing aged elephants, we carefully navigate each step, ensuring a safe journey to freedom. The process is demanding, requiring meticulous care in every aspect, from relocation to addressing risks. Our commitment intensifies upon reaching their new home, involving rigorous efforts in nutrition-rich cooking and persistent care for age-related symptoms. SomBoon, much like many rescued elephants, was captured over 80 years ago, torn from the wild and family, trained to serve humanity for decades. As she weakens, we believe she deserves the freedom she was denied. With little time left, we aim to provide her with the love, happiness, and freedom she missed for eight decades. In her twilight years, we strive to compensate for the experiences SomBoon lost, ensuring she receives the care and services she deserves today. ทุกๆครั้งที่มีคนส่งข่าวมาว่าช้างแก่ต้องการความช่วยเหลือ พวกเราไม่เคยรีรอที่จะไปช่วยพวกเขามา ถึงแม้ว่าพวกเขาจะอยู่ในสภาพ บอบช้ำอ่อนแอขนาดไหน แต่เมื่อมีโอกาสหยิบยื่นอิสรภาพให้กับพวกเขา พวกเราจะทำทันที การช่วยเหลือช้างแก่ไม่ใช่เรื่องง่าย ทุกขั้นตอนของการดูแลตั้งแต่การขนย้ายล้วนแต่มีความเสี่ยงที่ต้องทำงานอย่างระมัดระวังและต้องมีความละเอียดอ่อนในการทำงานเพื่อช่วยเหลือพายายช้างไปสู่เป้าหมาย และเมื่อมาถึงบ้านแล้วพวกเราต้องยิ่งทำงานหนักในการดูแล การทำอาหารที่เหมาะสม และการดูแลรักษาอาการป่วยจากโรคชราอย่างต่อเนื่อง ยายสมบูรณ์ เหมือนช้างแก่หลายตัวที่พวกเราช่วยมา เธอถูกจับมาจากป่า มาฝึกเพื่อรับใช้มนุษย์หลายทศวรรษ ในวันที่เธออ่อนแรงเธอสมควรที่จะได้รับการปลดปล่อยให้เป็นอิสระ เธอมีเวลาเหลือเพียงน้อยที่จะได้มีโอกาสได้สัมผัสถึงความรัก ความสุขและอิสรภาพ นี่คือสิ่งที่พวกเราต้องการหยิบยื่นให้พวกเขา ในวัยชราของยายช้างพวกเราจะทำทุกอย่างที่ดีที่สุดเพื่อให้ยายช้างได้รับสิ่งที่เธอขาดหายและสูญเสียไปในช่วงแปดสิบกว่าปี และวันนี้พวกเราจะบริการทุกอย่างในสิ่งที่ยายสมบูรณ์ควรได้รับ #SomBoon #Ja #ElephantNaturePark #SaveElephantFoundation #LetElephantsBeElephants #อนุรักษ์ช้างและสิ่งแวดล้อม ♬ original sound - Save Elephant Foundationこれらの動画や写真には「人間のためにつらい思いをさせてごめんね」「やっと自由になれてよかった」「涙が止まらない」などの声が上がっています。保護された時のソンブーンおばあちゃんは痩せて、肌が乾燥し、目はぼんやりとして歯も欠けていたのだとか。体がボロボロになるまで人のために働き続けたソンブーンおばあちゃんは、もう足を鎖でつながれることはありません。今は川で水浴びをしたり、おいしいごはんやおやつを楽しんだりして毎日を過ごしているといいます。87歳にしてついに自由になれたソンブーンおばあちゃん。安住の地で元気に長生きしてほしいですね。[文・構成/grape編集部]
2024年03月25日長男が、2歳半ごろのお話です。長男はクレヨンで絵を描いたり、ぬり絵が大好きでした。不思議だけど…当たってる!ある日「ママね、君がおなかにいるとき痛い痛いだったよ」と話すと、長男が「僕も首、痛い痛いだったよ」と話してくれました。そのとき私は、長男の首にへその緒が一重に巻かれていたと言う産婦人科の先生の説明を思い出しました。しっかりと胎内記憶が残っていた話です。また、ぬり絵を長男がしているときに、「緑が好きなのね」と言うと、長男が「僕、おなかにいるとき、赤かった、白かった」と話してくれました。おそらく、赤のときは太陽の光を浴びているとき、白のときは雨や曇りのときを、おなかにいるときに感じたのかなと思いました。 ◇◇◇ この出来事を通して、胎内記憶は本当にあるのだと、思うことができました。最初にわが子から聞いたときには、不思議な出来事だなぁと思うばかりで信じられない気持ちでしたが、産婦人科の先生から聞いた話ともリンクするので胎内記憶をしっかりと受け止めました。 作画/てる子著者:井上千尋40代、子どもたちも大学生になり、ようやく、あとひと息かなと思う今日この頃です。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月25日45歳を過ぎ、白髪の増加に歯止めがききません。周りを見れば、みんな白髪なんてないように見えてしまいます。一体どうしたらいいの? そんなふうに悩む私と白髪との格闘と、きれいなママだと思われていたい私の奮闘をお伝えします。白髪との付き合いは30代から私が本格的に白髪を意識しだしたのは30歳ごろからでした。第1子を出産したのが32歳のときなのですが、そのころには白髪が生えていました。私の髪の毛は結構しっかりとした太くて硬い黒色の直毛です。なので、白髪もしっかりと太く、黒髪に混じってキラッと光ります。そのたびに毛抜きで抜いては、目立たないようにしていました。そして、まだおしゃれ染めで白髪はごまかせていましたし、ヘアアレンジを楽しむ余裕もありました。30代後半からの白髪染めデビュー35歳を過ぎたころからこめかみあたりに白髪が増えてきました。毛抜きで抜くのも限界で、このまま抜き続けたらハゲになってしまう、と言いようのない恐怖を感じていました。39歳で第2子の出産を迎えたとき、私はおしゃれ染めを諦めて白髪染めを選択しました。そのころには白髪を抜くことはやめました。白髪染めを使った直後はストレスが軽くなるのですが、1週間もするともうわずかに白いものがこんにちはと顔を出してきます。大体1カ月もすればしっかりと白髪が復活し、髪の毛をアップスタイルにする勇気も奪われてしまいました。白髪が加速する40代ネットで調べてみたところ、40代の白髪率は髪の毛全体の20%程度だそうで、だいぶ目立つようになるというコラムを見つけました。私の白髪率はもう少し高い気がします。このまま50歳を迎えたら、私の髪の毛はどうなってしまうのでしょうか? グレイヘアにはまだ早いし勇気がありません。まだ子どもに「お母さんはきれい!」と思われていたいです。現在、私の白髪染めの頻度は2カ月に1回程度で、そのたびに美容師さんに嘆いています。最近、眉毛に白髪が1本生えているのを見つけて絶望しました。そういえば母親も白髪が多くて、子どものころ抜くのを手伝わされた記憶があります。そして、今の母親の髪の毛はグレイヘアです。まとめ母親が30代後半から40代にかけて白髪が増えていたこともあり、私の白髪は遺伝だったのかなと思います。くよくよしても仕方なかったんだ、と開き直りました。今はこまめにリタッチしてごまかしつつ、うまく白髪と共存していく道を探っています。こんなに悩んでる時期を越えて、早く白髪染めでごまかすのはやめて、グレイヘアのおばあちゃんになりたいです。きっと無理して染めている今よりも私に似合う気がします。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/所 とうこ(45歳)高校卒業後、専門学校へ進学。看護師として20年以上のキャリアを持つ。趣味は映画鑑賞。
2024年03月25日5歳の息子は、自分のペースやルールで物事に挑戦したいタイプ。鉛筆の持ち方やひらがなの読み書きの練習など、横から「こうするんだよ」と少しアドバイスをすると、「もうしない」と言って怒ってやめてしまうことに悩んでいました。そこで、ママ友に相談してみると……。 息子に合った教育方法に気づけたきっかけは? 息子は幼稚園でひらがなを書く練習に苦戦しているようで、参観日に先生から「おうちでも時間があるときに練習してみてください」と言われました。私は「はい」と言いつつ、いざ教えようとするとすぐ怒って練習をやめてしまう息子に、どうやって練習してもらえば良いのかわからない……と、絶望していました。そこで、ママ友に相談してみることに。「子どもに何か教えようとすると、怒ってしてくれないんだよね。娘ちゃんは、ひらがなの練習はどうしてる?」と聞くと、「タブレットを使ってるよ。一対一じゃなかなか難しいよね。」とのこと。 そこで、ママ友がおすすめしてくれたタブレット教材を購入してみることに。すると息子は、「これ何? やってみたい!」と興味津々! その教材は、問題を解くごとに「その調子!」、間違った場合も「もう一度やってみよう!」など音声が流れるため、息子もやる気を維持できるのか、根気強く挑戦するように。また、アラーム機能もついていて、毎日時間になると一緒に学習しようと声をかけてくれるため、毎日練習する習慣が身につきました。 私はタブレットが励ましたり褒めたりしているのを聞いて、自分は必死に教えようとするあまり、「こうするのよ」と指示だけ出して、息子をしっかり褒めてあげられてなかったんだと反省。ついあれこれと言ってしまいがちですが、やはり褒めることも大事。タブレットはまだ早いと思っていましたが、子どもの接し方について学ぶきっかけになってよかったです。 鉛筆を正しく持つ練習も、タブレット学習のあとにするように習慣化しました。すると、息子も私のアドバイスに素直に応えてくれ、正しくきれいに持てるようになったのです。タブレットのおかげで、積極的に息子のことを口に出して褒めようと思えることができました。そして、これからも息子が楽しく学べる環境を整えていこうと心に決めた出来事です。 作画/yacco著者:井島りほ
2024年03月24日