高齢かつ子宮筋腫があり、自分には子どもと共に歩む人生などあり得ないだろうとすっかりあきらめていました。しかし、43歳でまさかの妊娠。以来いくつものまさかを乗り越えて、出産に至った体験談です。妊娠や出産はあきらめていた30歳を過ぎたころに受けた婦人科検診で、子宮筋腫が判明。それ以降、皮肉にも順調に筋腫は成長し、数も増えていきました。一生妊娠や出産、子育てにはご縁がないのだろうな……とあきらめていた43歳の春、まさかの妊娠!「何がなんでもこの子を産み育てたい!」と心の底から強く思いました。高齢で持病もあったため、かかりつけの産婦人科では手に負えず、近くの大学病院でお世話になることに。 ときを前後して、おなかの子の父親とはお別れし、ひとりで子どもを産み育てていく決意を固めました。「そうか、私は子どもが欲しかったけれど、結婚したいわけじゃなかったんだ」とそのとき気づいたのでした。 帝王切開に向け着々と準備妊娠34週の健診の日。筋腫がお産の妨げとなる位置にあり、赤ちゃんの頭が出てこられないとの診断を受け、帝王切開での出産が決まりました。予想はしていたけれど、やっぱりそうなるか……と思いながら話を聞いていました。 手術は妊娠38週の12月17日に決定。出産日に向けて心の準備も入院準備も抜かりなくしました。帝王切開で2人出産した先輩ママに、麻酔のことや術後の痛みなどを教えてもらったり、帝王切開用の産褥ショーツを買ったり、病院で帝王切開の流れのDVDを見たりしました。 「これで準備万全!」のつもりでしたが、思わぬところで苦戦。それは、入院や手術の際の家族の立ち会いです。夫がいれば問題にはならないと思いますが、なにせ私はシングル。高齢の両親は離れた地域に住んでおり、コロナ禍では移動もままなりません。職場の社長の奥様にお願いするところまで考えましたが、ダメ元で母に連絡してみたところ、なんとか来てもらえることになり、ひと安心。事なきを得ました。 おなかの子の生命力に驚きいよいよ手術前日。入院の準備をして母と病院へ。診察を受けると、先生の様子がなにやら変です。「いつごろ帝王切開って言われました?」などと質問しながら超音波検査をしていたのですが、普段の健診よりだいぶ長い気がしました。「どうしたんだろう? 何か異常でも!?」と、不安は膨らむばかり。 ようやく診察が終わり、別室で待機していた母も呼ばれて話を聞くと、衝撃のひと言が!「赤ちゃんの頭が筋腫を乗り越えて下がってきているので、帝王切開をする必要はなくなりました。陣痛が来るのを待って、普通分娩でいきましょう。今日は帰っていいですよ」。 「え……!? そんなことってあるの!?」と、思わず母と顔を見合わせました。おなかの子の生命力、外の世界へと向かおうとする力たるや、どれほど強烈なものなのか! と驚きました。 最高のクリスマスプレゼントに12月25日。何事もなく、自然分娩で娘を出産。私にとって人生で最高のクリスマスプレゼントとなりました。 妊娠や出産にはお母さんと赤ちゃんの数だけドラマがあるんだなと、身をもって実感しました。先輩ママさんたちからはさまざまなエピソードを聞いていましたが、まさか自分の身にもこれほど衝撃的な事件が起きるとは思いませんでした。娘がこの話を理解できる年齢になったら、「あなたは、いくつものまさかを乗り越えて今ここにいるんだよ」と伝えたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:ワダムギコ43歳にして第一子を妊娠・出産したシングルマザー。自称「遅れてきた母ちゃん」。 建築関係の仕事をしており、自分が携わって建てた保育園に娘を通わせるべく、絶賛保活中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月11日1カ月前、私は娘を出産。今は育児に奮闘中です。自己中&気分屋の夫は、育児をしようとせず……。そのくせ、私にあれやこれやと要求してくるのです。私が睡眠不足でフラフラになっていても、夫はまったく気づきません。そればかりか、行き届かない私の家事に対してあーだこーだ言ってきて……。私の生活を見ていれば、以前のように家事ができないことをわかりそうなものですが。 家事を分担したり、娘を見てくれたりすると助かるのですが、そんな気はないようです。娘は私たち2人の子どもなので、一緒に育児をすべきだと思うのですが……。 なぜ!?図に乗っていく夫ある日のこと。夫は会社の後輩を連れて帰ってきて、宅飲みを……したかったようなのですが。帰宅30分前にいきなり連絡をしてきて、しかもメッセージを送ってきただけだったので、私は気づかず……。散らかった部屋、食事の準備もしていない状態に、夫は恥をかかされたと大激怒。 後輩はこの状況にドン引きしていたと言っていますが、彼らがドン引きしたのは間違いなく夫の態度に対してです。口だけ達者で何もできない・やっていないことが丸わかりな状況でしたから。 結局は「明日から完璧にやっておけよ」と捨てゼリフを吐いて、夫は後輩たちと飲みに出かけました。 「家事と育児、それだけをやればいい」そう夫は言いますが、その2つがどれだけ大変なことなのか、まったく思い至らないようです。子育てを一緒にしようと伝えても、それは男の仕事じゃないとまで言ってきて……。もう話になりません。 変わらない夫。先輩ママに感謝「今日1日何していたんだよ?」「産後だからって甘えてゴロゴロするな!」夫が帰宅したわが家は、もぬけの殻。部屋は片付け前の状態だったため、夫はブチ切れているようです。私をののしるようなメッセージを送ってきたのですが……。「ダメな娘でごめんなさいね」返事をしたのは、私の母でした。 限界に達した私は、泣きながら母に連絡。娘の一大事だと、片道3時間かけて迎えにきてくれました。そして私は実家に戻ると、倒れるように眠ったのでした。 その間に夫から連絡がきて……母が夫を懲らしめてくれて……私は家に戻らずに済みました。母親の先輩として、私の状況をきちんと説明。 子どもと一緒に日中寝ていると、夫に散々嫌味を言われました。夜中に起きて授乳をしたり、泣き出した子どもをあやしたり。熟睡できないことがどれほどつらいものかを母に問われ、初めて大変なことだと認識したようです。 これからどうするかを考えて…夫に何を言っても駄目だと悟った母は、私との離婚を提案しました。私も内心それを望んで、母に助けを求めたのかもしれません。とにかくあのときは切羽詰まっており、無我夢中で助けを求めたことしか覚えていませんが。 母は、娘をここまで追い詰めた夫を絶対に許さないと言い放ったそうですが、もちろん私も夫の言動を許すことはできません。しかし大事なことなので改めてじっくり考え、当初の考え通り離婚を選択しました。夫は私の本気を感じたようで、最後には離婚届に判を押してくれました。 私たちは出産・育児が引き金となって離婚しましたが、それは単にきっかけにすぎなかったと思います。離婚後、夫の会社に勤める知人が教えてくれましたが、人間性の問題もあって会社での評判はよくないそうです。 私は今、実家で育児を頑張っています。おかげさまで心身の負担が減り、娘と一緒に穏やかな毎日を過ごせるようになりました。 ◇ ◇ ◇ 子どもの成長はかけがえのないもの。離婚前の生活は大変でしたが、これからは育児を楽しんでほしいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月10日出産予定日の1カ月前。私は実家に帰っていたので、おしるしが来て陣痛が激しくなった日の夜、夫に連絡をして病院へ行きました。駆けつけた夫をよそに、もう限界な私。すぐに分娩台に乗り、いよいよ出産となりました。しかし、立ち会いしていた「夫」にまさかの事件が起こりました。初めての出産で夫婦共に緊張初めての出産に、夫も私もドキドキ。「初めてだから立ち会いをしたい」と言った夫に、恥ずかしいながらも、一緒に闘ってくれる気持ちがうれしかったのを覚えています。 妊娠39週目でおしるしがあり、夜には陣痛も激しくなりました。ギリギリの意識の中、自宅で待機している夫に連絡し、私は母と一緒に病院へ。夫が来たころにはもう何もしゃべれないほどで、まったく歩くこともできず、助産師さんに分娩台に乗せてもらいました。そして、夫の手を握り、いよいよ出産のときがきました。 立ち会いしていた夫に異変が!?「もういきみたい! 気持ち悪い! つらい!」。そう思いながら、「息吐くよ〜。息吐いて〜。ふ〜、ふ〜」という助産師さんの声が聞こえます。「ふー! ふー!」。なんとか吐こうとするものの、うまく吐けません。うまく息も吸えず、とにかく苦しくてつらい。夫も一緒に「頑張れ! ふ〜! ふ〜!」と息を吐き、握る手に力が入りました。 助産師さん、夫、私、みんなで必死に息を吐きます。その後も「ふー! ふー!」と必死に息を吐いていると、いきなり、ぐん! と手が引っ張られました。「え!?」と思っていると、助産師さんの「大丈夫ですか!?」という声が。気づけば、握っていたはずの夫の手がなく、横にいた夫が床に……。なんと夫は、私に合わせて息を吐いているうちに酸欠になり倒れてしまったのです! 今となっては笑い話によく血を見て倒れるという話は聞いたことがありましたが、突然のことで衝撃を受けた私。出産の意識が一度削がれて、夫の心配をしていました。夫は意識はあったので、車椅子で空いていた陣痛室のベッドに運ばれていきました。今だからこそ笑って話せることですが、当時の私は「え!? あの人大丈夫なの!? でも痛い! 産まなきゃ! でもパパは!?」と軽いパニック状態でした。 その後、ひとりで最後まで頑張り、無事に長男が誕生しました。夫はベッドの上で産声を聞いて、「あー、生まれた〜」と安心したそうです。初めての出産でお互いに緊張していて、「妻は息も吐けない、俺がついていなきゃ!」と張り切った結果だったそうです。酸欠で倒れるなんて、息子もびっくりしたことでしょう。 緊張しすぎると誰しもいつもどおりにできないので、何事もリラックスするのが大事なんだなと思いました。今回はしませんでしたが、次回は分娩室にリラックス効果の音楽を流せないか相談したいと思います。 あとから聞いた話ですが、分娩室の前にいた母たちは夫が倒れた物音を聞いて、私に何かあったのかと慌てたそうです。しかし、車椅子で出てきた夫を見て「いや、お前かい!」みたいな空気になったそうです。 私は夫の名誉のために母には口止めしましたが、義母はいろいろな人に言っているそうで、義実家に行ったときには笑い話になっていました。夫は「もう立ち会いはしないよ!」と言っていました。 とにもかくにも、3人とも無事で本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:かりんとう1歳児の母。慣れないママ業も2年目に突入し、仕事と育児に追われながらも、息子の成長に毎日感動しています。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月09日2年前に結婚した夫はお金の使い方が荒く、注意しても聞く耳を持ってくれません。最近、クレジットカードの請求額がとんでもないことになっていて……。共働きとはいえ、湯水のようにお金を使っていい訳がありません。それにじつのところ、私のほうがはるかに稼ぎがいいのです。お小遣いはきちんと渡していますが、それ以上の金額をクレジットカード払いにしている夫を見て、モヤモヤしています。 最近、クレジットカードの利用明細を確認したところ、高級ブランド品の購入履歴が……。ホテルで宿泊した形跡もあり、不倫臭がぷんぷんします。1度カマをかけましたが、そのときはごまかされてしまいました。 当たってる!?女の勘私が勘を働かせて何度も不倫を追求しましたが、夫は妄想がすぎると鼻で笑ってきました。なかなか証拠を握れずにいたのですが、ようやく尻尾を出してきて……。夫ではなく、“不倫相手が”ですけれど。 なんと、夫の不倫相手という若い女性が家に乗り込んできて離婚を要求してきたのです。あんなに不倫なんてしていないと突っぱねていたのに……。夫はとうとう降参し、不倫を白状しました。「年下の彼女が妊娠した」「悪いけどお前は出てって」このマンションは私が独身時代に買ったものです。意味不明な発言に私は困惑。それに……。「は? 出てったのはあなたでしょ??」なんと女性は友人を連れて乗り込んできて、夫の私物をかき集めて持って帰っていったのです。 出てってと言われたけれど…夫は、共有財産がどういうものかを知らずにいたらしく……。独身時代に購入したものは、基本的には財産分与の対象外であることを初めて知ったようです。私たちの結婚生活は2年ほどなので、大した貯金もありません。そして、夫は不倫の慰謝料のことをすっかり忘れていたらしいです。いい気なものですね。 子どもができたのに慰謝料を支払うなんて無理だと、夫は逆ギレ。ですが、そんなこと私には関係ありません。家を出ていかなければならなくなったのは、彼自身の不貞が原因です。夫があまりにもごねるので、弁護士を入れて話し合うことに決めました。 それが数日後、夫はなんと離婚を撤回。私と離婚することに不安を覚えたと……。じつは、おなかの子どもが自分の子どもではないかもしれないらしいのです。また、彼女は夫との結婚を望まず、養育費だけを要求していると言います。 反省しているという夫に対して…自分が悪かったと反省している風の夫ですが、結局はこれまでの環境に戻りたいだけのよう。自分は特に何もせず、私が稼いだお金を使う生活に戻りたいと言っているわけです。あきれてものが言えません。 しかも今になって、私の本当の良さに気づいたと言うからびっくり。私としては何度かチャンスを与えたつもりですが、彼はそれをことごとく逃し、挙げ句の果てに不倫まで……。こんな救いようのない男は二度と支えません。 私はあくまで離婚を望み、結果として2人に慰謝料を請求しました。お金はもらいますが、今回のことは高い授業料を払った気分です。今は恋愛に前向きになることはできませんが、いつかお互いを高め合える相手に出会えたらいいなと思います。 ◇ ◇ ◇ 夫婦生活を顧みずに豪遊した結果、離婚を突きつけられても仕方がないですよね。夫の方は自分の言動をしっかり反省してほしいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月09日20代前半で結婚し、子どもはいなかった私たち夫婦。月日が経ち今は30代、周囲の友人たちにも妊娠・出産をする人が増えてきて、そろそろ妊活を……と思っていたところです。そんなある日、高校時代の友だちと集まることになりました。子どもがいない私と独身の友人に対し、デリカシーのない発言を繰り返す友人。それに対して、私は思わず……! デリカシーがなさすぎる! 友人が私に放ったひと言とは?20代で結婚した私。お互い夫婦の時間を大切にしたいとの思いから、妊活はしていませんでした。しかし、月日が経つにつれて周りの友人たちは、続々と妊娠・出産。年齢のこともあり、そろそろ妊活を考えなければと思っていました。 ある日、高校時代の友人4人で集まることに。独身はC子1人、子持ちはB美とA子の2人。結婚しているけれど、子どもがいないのは私だけでした。いろいろな話をするうちに、子育ての話に。「大変だね」と聞いていたら、突然子持ちの友人A子に「子ども産まないの?」と言われたのです。 この発言に私と独身の友人はあぜん。私は、「周りがどうこう言う必要はないと思うけれど」と言い返しました。するとA子は「だって今産まないと子どもが20歳になるころには、うちら50代後半よ!?」と言うのです。友人の考えを押しつけられ、沸々と怒りと悔しさの感情が溢れ出した私は、「ほしくてもできない人もいるわけだし、発言には気をつけたら?」と一喝。すると、A子はびっくりした様子で「え? そうだよね……。ごめん」と言い、その場は気まずい雰囲気になってしまいました。 後日、独身のC子からも、過去に「早く結婚したら?」、「幸せになりたくないの?」などとA子に言われたことがあると聞きました。ただ、私が一喝したことにより、それ以降A子からデリカシーのない発言はなくなったそうです。 早く子どもを産まないと……という焦りとプレッシャーから、私もつい感情的になりました。しかし、触れられたくないことがある人もいると思います。この出来事をきっかけに、私自身も周りに対する発言には、より気をつけたいと思うようになりました。 作画/becomachi85著者:山田日菜子30代後半の主婦。夫婦仲良く暮らしているものの、そろそろ子どもがほしいなと考える日々。趣味は某アイドルのLIVEに行って元気をもらうこと。
2024年05月09日私には現在3人の子どもがいるのですが、2番目の子は3,950gのビッグベビーでした。3,950gの赤ちゃんだったと言うと、壮絶な出産を思い浮かべて「大変だったね」と声をかけてくれる方が多いのですが、実は3人の中で一番ラクな出産だったのです。今回は、ビッグベビーの出産秘話についてお話しします。3,950gのビッグベビー誕生今から約5年前、27歳のときに出産予定日から4日遅れて3,950gのビッグベビーを出産しました。実際に陣痛が来たのが、出産当日の午前0時ごろ。ほんのちょっと陣痛が来ているなという感じだったのですが、すでに10分間隔。しかし陣痛が弱かったので結局朝イチに病院へ行き、そのまま入院しました。 昼以降も弱い陣痛が続いていたのですが、19時ごろに急激な痛みが襲ってきて、一瞬でピークに達し、分娩の準備が始まったのです。それから1時間もしないうちに、つるんと出産しました。 ビッグベビーのお産が一番ラクだった!?実際の分娩時間は16時間ですが、陣痛のピークから出産までは1時間ほどでした。実は、妊婦健診ではビッグベビーと言われておらず、赤ちゃんの大きさは3,200gくらいとのことでした。 しかし出産前に助産師さんがおなかを触った際にパンパン具合を感じたらしく、「相当大きいかもね」と言われ、初めてビッグベビーかもしれないと知ることに。大変なお産になる覚悟をしたのですが、結果的には1人目や3人目のお産よりもスムーズでした。 一番上の子のときは子宮口が全開大にならないうえ、酸欠で酸素マスクを付けてのお産でしたし、3番目は子宮口が6cm開いてからの進みが遅く、全開大になるまで5時間くらいかかり体力は限界に……。ですから2番目はビッグベビーではあったけれど、3人の中では最もラクな出産だったのです。 ビッグベビーだったが会陰切開なしで出産3,950gの赤ちゃんを自然分娩したので会陰は自然に裂けてしまっていると思っていたのですが、ほぼ裂けずに出産できました。腟の内側が2か所裂けていたのですが、縫う場所ではなかったとのことでした。 自分でもびっくりしたので担当医に尋ねたところ、分娩時に会陰部分が柔らかく伸びるタイミングがあるそうです。うまいこと会陰が一番伸び切ったタイミングに合わせていきんだので、大きく裂けずに出産できたということでした。 「ビッグベビーだとお産大変だよね? すごいね!」と周りから褒められるのですが、尊い命が誕生するということは、どのような出産であっても命がけだと思います。私の場合は出産予定日が遅れたり、出産直前でおなかの赤ちゃんが大きいかもと言われて不安を感じたりもしましたが、比較的スムーズな出産となり本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:小西なつみ6歳と5歳の男の子と2歳の女の子を育てる3児の母。フリーライターとして活動しており、子育て関連や福祉関連を中心に執筆を手掛けている。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月09日私は25歳の主婦。カフェを経営する夫と結婚してから5年、待望の赤ちゃんを出産しました。しかも双子!夫も大喜び。産院に私の両親もかけつけ、隣に住むB太おじさんも来てくれました。B太おじさんは昔奥さんを亡くしてからずっと一人暮らし。私のことを娘同然にかわいがってくれた人で、実業家でもあります。皆が祝福する中、義母は病室に入ってくるなり嫌味を言ってきます。「いつまで寝腐っているの? 私たちの時代は、赤ちゃんをおんぶしてでも働いたもんなんだよ!」と信じられない発言。隣にいた義父も早く帰りたそうにしています。「出産くらいでサボるな!」と義母出産から1週間後、私と双子は退院。すると義母が家にやってきて「かわいい孫のために子守に来てやったのよ。あんたはさっさと掃除洗濯を済ませて買い出しにいきなさい! 出産くらいでサボルんじゃないよ!」とありえないことばかり言います。その日はなんとか帰ってもらったものの、たまらず夫に相談すると、「明日も明後日も行くって、俺に電話してきたんだ」と。2人で話し合いの末、私は実家へ帰ることにしました。 事情を知った両親は、実家でゆっくり休ませてくれ、子どもたちの面倒を見てくれて、安心していたのですが…… あまりにもひどい義母に、とある作戦を決行!ある日、義母から電話が! 「どうせ私へのあてつけでしょ! かわいい孫に会わせないつもりなのね! 嫁は姑の言う通りにしなきゃいけないのよ!」とまくしたてます。 そこへ両親から事情を聴いたB太おじさんがやってきました。すべてを知ったB太おじさんは「お義母さんをギャフンと言わせてやろうじゃないか」と、夫にも協力してもらい、とある作戦を実行することに! B太おじさんは義父の会社の会長!?夫が義実家に行き、「母さんのせいで人生終わりだ! 父さん、妻の実家の隣に誰が住んでいるのか、当然わかっているよな?」と義両親に伝えます。そう、お隣のB太おじさんは義父が勤める会社の会長なのです。 「会長は妻を娘同然に可愛がってきた人だ。嫁いびりの件を妻から聞いて、相当お怒りのようだぞ! 会長から話があるようだから、すぐに実家に来るように伝えてくれって言われたんだ」と夫が言うと、慌てだす義両親。以前から借金があった義両親は、B太おじさんに雇ってもらえたおかげで今の生活があるのです。 「だから嫁いびりなんてやめとけってあれほど言っておいたのに!」「だ、だって……あ、あなただって暇があるなら嫁をつけて来いって……」と今さら言い合いを始めます。 顔面蒼白の義両親に顔面蒼白の義両親が実家に到着すると、怒ったB太おじさんがスタンバイ。謝る義両親に「謝る相手が違うんじゃないか? 子どもができて、心身ともに疲弊している母親を散々困らせるとは。君は嫁にマウントをとって、自己満足しているだけだ!」と義母を責めます。 タジタジになった義母は「私だってチヤホヤされたかったのよぉ~!」と観念。また、義父にも「傍観者も同罪だ! 君にも謝罪の必要がある!」と伝えます。顔面蒼白になった義両親はこれまでのことを私に謝罪してくれました。そしてその後、義父は地方への転勤が決まり、2人は引っ越していきました。 すっかり平和になった私たち。夫は家事育児をしてくれて、両親もサポートしてくれます。その上、B太おじさんも子どもたちを孫のように大切にしてくれて、ランドセルまでプレゼントしてくれました! 双子はたくさんの愛を受けて、立派に育ってくれています。 産後の嫁の体調を気遣うこともしない義両親、距離を置いて大正解でしたね! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月07日36歳で初めて子どもを授かった長谷川みはるさんは、妊娠6カ月目の妊婦健診で上の血圧が180を超えたことから、NICU(新生児集中治療管理室)のある大学病院へ緊急搬送となりました。その後、緊急帝王切開で501gの赤ちゃんを出産したみはるさん。今後赤ちゃんにさまざまな症状が現れる可能性もありますが、保育器の中で懸命に生きる姿に、みはるさん夫婦は一緒に乗り越えることを心に誓います。子どもの可能性ある未来が長く続くようにと願いながら、2人は赤ちゃんに「すず」と名付けました。翌日、出生届けを出すために病室を訪れた夫は……? みんなが応援しているよ!※NICU…「Neonatal Intensive Care Unit:新生児集中治療管理室」早産児や低出生体重児などハイリスクな赤ちゃんの治療やケアをする集中治療室 はじめは車椅子移動だったみはるさんも、体力が回復してきてNICUまで歩いて行けるように。また、母乳が出るように、看護師さんとマッサージを頑張ります。お見舞いに2人で訪れた義母と母も、小さい娘のことをかわいく思ってくれているようで、みはるさんは娘にみんなの声が届いている気がしてうれしく感じたのでした。 ◇ ◇ ◇ 小さいながらも懸命に生きるすずちゃん。 どんな形で生まれても、ママやパパにとってはもちろん、祖母にあたる母や義母にとっても、頑張って生まれてきてくれた赤ちゃんはかわいくて仕方ないものなのでしょうね。前途多難な道ではありますが、家族みんなからたっぷりの愛情をかけてもらえているようでよかったです。温かい家族の声に、すずちゃんもきっと元気をもらえたのではないでしょうか。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 >>次の話 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター いもやまようみん
2024年05月05日この記事では、2024年4月に妊娠・出産を発表した芸能人や有名人をご紹介! 妊娠・出産時期が自分と近い芸能人や有名人には、なんとなく親近感がわくものですよね。有村智恵さん、鈴木サチなど、多方面でご活躍中の方々からおめでたいニュースが届きました。俳優・タレントなど、7名の出産のニュースをお届けします。 出産発表小玉百夏(30歳)俳優 ※夫は野津山幸宏(27歳)声優出産発表:2024年4月2日(1人目・男児)ブログ・SNS:X(@wonderfulbaseba)有村智恵(36歳)プロゴルファー 妊娠発表:2023年11月22日出産発表:2024年4月11日(双子・男児)ブログ・SNS:Instagram(@chiearimura)栗原ジャスティーン(35歳)ライフスタイルモデル ※夫は栗原 嵩(36歳)アメリカンフットボール選手出産日:2024年4月21日(2人目)ブログ・SNS:Instagram(@justinekurihara)鈴木サチ(44歳)モデル妊娠発表:2023年11月28日(5人目)出産日:2024年4月24日(男児・3,684g)ブログ・SNS:Instagram(@sachi_suzuki)てんちむ(30歳)タレント・モデル・YouTuber出産発表:2024年4月26日(1人目)ブログ・SNS:X(@tenchim_1119)パパになった芸能人・有名人亀田和毅(32歳)ボクシング元世界2階級王者 出産日:2024年4月2日(2人目・男児・3,150g)ブログ・SNS:Instagram(@tomokikameda)村上健志(43歳)お笑いコンビ・フルーツポンチ出産発表:2024年4月6日(1人目)気になる芸能人や有名人はリストの中にいましたか? 同じくらいの妊娠週数だったり、わが子と近い月齢の赤ちゃんが登場したりする芸能人のブログには、マタニティライフや子育てのヒントがあるかもしれません。家事や子育ての息抜きにチェックしてみてはいかがでしょうか。
2024年05月05日長期出張中の夫を持つ私は、もうすぐ出産予定。しかし、近所に住む義姉は「心配だから」と言って、毎日のようにアポなしでわが家に押しかけてきます。そんなある日、私が里帰りする日にわが家の前に子どもたち5人を置き去りにしていったのです――。「わざわざ見に来てやってるんだからありがたく思ってね」と、毎日のようにアポなし訪問をしてくる義姉。つわりがひどい私ははっきりと迷惑だと伝えたのですが、義姉にはどこ吹く風。「家族なんだしこれぐらい普通でしょ?」とますます義姉の言動はエスカレートしていったのです。 ありがた迷惑「弟が長期出張中だし、心細いだろうと思って」と私を心配する素振りを見せつつ、毎日のようにわが家にアポなしでやってくる義姉。しかも、私の夫から合鍵を受け取っていたらしく、私の不在時にもわが家に上がりこんでいました。 出産する私のためにと両親が送ってくれた和牛や高級なお菓子を、無断で持っていく義姉。勝手に入って勝手に家のものを持っていくなんて、非常識にもほどがあります。 私がいくら抗議しても、義姉は聞く耳を持ってくれません。それどころか、「私ったら今朝ゴミをすっかり出し忘れちゃって!」「あなたのところは明日がゴミ回収日でしょ?家の前に置いておいたから代わりに出しておいてね」ととんでもないことを言い出したのです。 慌てて家の前を確認すると、大きなゴミ袋がいくつもありました。中身をよく見ると、まったく分別されていません。「分別されていないし、回収してもらえませんよ!」と言うと、義姉は「じゃあ袋から出して分別もしておいて」「近所に暇な妊婦がいるとすごく便利だわ~」と手をひらひら振りながら帰ってしまったのです。 理解のない夫義姉の横暴に限界を感じていた私は、義姉が帰った後すぐに夫に電話しました。 「どうしてお義姉さんに合鍵なんて渡したの!」「ここ最近毎日アポなしで来て、『やめてくれ』って頼んでるのに話を聞いてくれないのよ!」「冷蔵庫から食べ物も勝手に持って行っちゃうし……!」 私は義姉にされたことを並べ立てると、夫はふんっと鼻を鳴らしました。そして、「人の姉を盗っ人呼ばわりか?」「よくも旦那の姉にそんなことが言えたな、姉ちゃんは妊婦のお前を気遣って様子を見に来てくれてるんだぞ!」と私を叱ったのです。 「姉ちゃんから聞いたぞ、妊娠を言い訳に毎日寝てばかりなんだってな」「ずっとごろごろしていて部屋も汚いらしいし、そんなんで母親をやれると思ってるのか!」 ひどいつわりで苦しんでいるから横になっているだけなのに……。体調が良いときには家のことや産後の準備を進めて、さらに保育園の情報も集めているのに……と、悔しい気持ちでいっぱいになる私。 ぐっとくちびるを噛み締めたあと、私は「お義姉さんのアポなし訪問には耐えられないし、あなたはつわりの苦しさも理解してくれない」「こんなところで出産なんて絶対に無理です。私は実家に帰るからお義姉さんはもう来なくていいって伝えておいてください」とだけ告げて、私は電話を切りました。 置き去りにされた子どもたち3日後――。 私は夫に言った通り、里帰り出産をすることに。その日はかなり気温が高くなることが予想されており、私は午前中に家を発つつもりで準備を進めていました。 さぁいよいよ出発するぞ!というときに、義姉から連絡が。無視するわけにもいかないと思い、電話に出てみると――? 「あなたの家の前に子どもを5人置いておいたから!」「明日まで面倒を見てあげてね!」 突拍子もない義姉の言葉に、私はしばらくぽかんとしてしまいました。窓からそっと外の様子をうかがうと、まだ小さな子どもたちがうちの前で遊んでいます。 「うちの子とそのお友だちよ!」「本当は今日からわが家でお泊まり会をする予定だったんだけど、私に急用ができちゃって」「だからあなたにお願いすることにしたの!」 あまりに自分勝手な義姉。私がこれから実家に帰るのだと言っても、「わざわざ里帰り出産なんて必要ないわ、近所に私がいるんだから!」と聞いてくれません。 「何十年も前に出産した母親より、頼りになるのは現役ママの私よね」「夫もいなくてさみしいだろうから、家に遊びに行ってあげたのに」「食材だって一人暮らしじゃ余って腐らせるだけでしょう?だから食べるのを手伝ってあげたのよ」 まだまだ義姉の言い分は止まりません。 「臨月だからって怠けてるんじゃないわよ!」「今日は子供5人連れてきたからご飯と風呂よろしくw」「ご自由にどうぞ」「アンタは私の奴隷よw」 「里帰りになんて絶対に行かせない」という義姉に、もはやため息しか出ません。私は玄関の鍵がかかっていることを確認し、電話を続けながら荷物を持って裏口から家を出ました。 「家には鍵をかけました」「今日も日中はかなり暑くなるそうですから、子どもたちが熱中症になる前に早めに迎えに来てあげてください」「私は予定通り実家に帰らせていただきます」 「子どもを置き去りにして出かけようっていうの!?」「私には急用があるし、子どもたちはあなたの家の敷地内にいるんだからあなたが責任を取って面倒を見るべきだわ!」となんとか私に言うことを聞かせようとしてくる義姉。これでは埒が明きません。 「それじゃあ、責任を取って警察に通報だけしておきますね」「子どもたちがわが家の前に放置されてると伝えておきます」 その後――。 私はその後すぐに警察に通報。子どもたちは警察に無事保護されました。そして義姉は警察をはじめ、ママ友たちからかなり怒られた、疎遠になったと私に八つ当たりしてきましたが、私の知ったことではありません。 義姉はお泊まり費用としてママ友たちからもらったお金を、自分の懐に入れていました。面倒な子どもの世話は私に押しつけ、もらったお金で買い物しようと企んでいたようです。義兄のところにも警察からの連絡が行き、夫婦仲は最悪なものになっているそう。 一方、無事に里帰りした私は離婚の決意を固めていました。義姉だけでも厄介なのに、そんな義姉から守ってくれない夫と一緒にこれから子育てしていくのは無理だと思ったからです。 夫は離婚をしぶっていたものの、義両親が私の味方をしてくれたこともあって、最終的には離婚届にサインをしてくれました。すべて私の満足する条件での離婚となったため、とくに不安はありません。 実家の両親がサポートをしてくれるというので、適度に甘えつつ、子育てを楽しめたらいいなと思っています。もちろん義両親にも時々顔を見せに行こうと思います。今はただ、おなかの中の子が元気に生まれてくることが楽しみです。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月03日出産時を振り返ると、たびたび話題になるのがパパの振る舞いです。中でも、陣痛中のスマホ問題は切実……。出産から時間が経ってもなお、思い出すとイラッとするエピソードになっているようです。では、出産に立ち会うパパは、どのように過ごせばよいのでしょう? ベビーカレンダー公式インフルエンサー組織「ベビカレメイト」のママと開催した座談会で、話を聞きました。座談会では「陣痛時、必要以上のスマホ操作は好ましくない」と言う意見で一致。陣痛中、パパは手持ち無沙汰だったり、何をしていいかわからなかったりするのも頷けますが、ママは命懸けの出産に挑んでいます。陣痛の痛みを想像して…陣痛の長さや痛みは人それぞれ。それでも一定の間隔で痛みが訪れ、そのつらさは想像を絶するもの。数時間で分娩に進む人もいれば、日を跨いで痛みに耐える人もいます。 まずは、陣痛がいかに大変か、可能な限り想像し、自分ごとにするとよいでしょう。 スマホゲームや不要なネットサーフィンは控えるか、ママの了承のもと、おこなうのがベターと言えます。パパへのお願いでは、陣痛中のパパはどのように振る舞うのが良いのでしょう。座談会では、3つの意見が挙げられました。 ドラマのようにそばで応援痛みを代われない以上、パパにできることには限りがあります。しかし、その場にいるだけで、心強かったり一緒に出産に臨んでいる気持ちになったりするのは紛れもない事実です。 人生イチと言っても過言ではない痛みに向き合うママには、誠心誠意向き合ってほしいもの。妊娠・出産ドラマを視聴し「ドラマのように応援する姿勢」を研究しておくといいかもしれません。 親に出産の進行状況を連絡いざ陣痛が来たとなると、ママの両親も心配しているはず。パパには出産の進行状況を両親に連絡してほしいと言う意見も挙がりました。 痛みと痛みの間はママにとっては貴重な休憩時間。少しの連絡でさえ、思うようにはできないものです。事前に連絡先を交換するなどし、連携を取れるようにしておきたいですね。 写真を撮ってほしい最後に挙げられたのが、陣痛・出産時の写真を撮ってほしいと言う意見でした。出産時の写真は二度と撮れない貴重なショット。 陣痛に耐える姿はもちろん、産まれてくる瞬間など、どんな写真を残したいかは出産前に話し合っておくといいかもしれません。 逆に、写真を撮られたくない場合も事前に伝えておきましょう。また、院内での撮影は産院に確認しておくと安心です。出産に立ち会うパパの心得何より、陣痛は言い表せないほどキツいもの。一般的な腹痛とは異なります。パパにはそれをしっかり理解し、出産に向き合ってほしいのです。 そして、重要なのは、何があってもイラッとしないこと、後に引きずらないこと。陣痛のつらさのあまり、ママはひどいことを言うかもしれませんが、どれも陣痛の痛みがそうさせているのです。 意外と忘れられない出産時のパパとのエピソード。立ち会い出産をする人は、穏やかな気持ちで出産当日を迎えられるよう、事前に話しておくといいかもしれませんね。 ベビカレメイトのママたちの体験談が、これから出産を迎えるママの参考になることを願っています!
2024年05月01日私には7人の子どもがいます。第7子を出産するにあたり、上の子どもたちにも出産に立ち会ってもらうことを希望しました。近くに助産院がなく、自宅出産や助産院での出産は断念しましたが、子どもたちも立ち会いOKの病院に出合いました。出産当日、病院へ向かう途中に夫が取ったある行動に驚いたエピソードをお伝えします。※コロナ禍前の体験談です 子どもたちにも出産を見守ってもらいたい第7子の妊娠が判明したとき、私は上の子どもたちにも出産の大変さや素晴らしさを感じてもらいたいと思い、家族全員での立ち会い出産を希望しました。助産院にも問い合わせましたが、遠すぎるため自宅出産は不可。 しかし、幸い子どもたちも立ち会いOKの病院を見つけました。私は自然分娩を希望していたため、お産がいつになるかわからずドキドキする日々を過ごしました。 家族で病院へ! 夫の行動に驚き妊娠38週で早朝4時ごろに破水し、陣痛が始まりました。奇跡的に、4時30分ごろには子どもたちが全員起床。全員で車に乗り込み、病院へ向かいました。 ところが、病院まであと1〜2分というところで、なんと夫がコンビニに停車し、「朝ごはんのパン食べる人〜!」と子どもたちに呼びかけたのです。「わーい! 食べる食べるー!」と子どもたち全員と夫はコンビニ店内へ。 陣痛MAXの中、私は車内で待つことになり不安を感じましたが、幸い数分でパンの購入を済ませた家族が戻って来て、無事に病院へたどり着きました。病院の入り口で車椅子を広げて私を迎えてくれた助産師さんが天使に見えたことは言うまでもありません。 家族が見守る中、無事出産私はひと足先に分娩室へ。一方、夫と子どもたちは車内でパンを食べてから分娩室へ来てくれました。陣痛の最中だった私は、夫の行動が呑気すぎると思いましたが、実は夫が機転をきかせたゆえの行動だったのです。 朝早く起床した子どもたちに朝ごはんも食べさせずに立ち会いをさせたら、おなかが空いて誰かがグズりだし、夫がグズる子どもを連れて分娩室から出なければならなくなっていたかもしれません。 しかし、腹ごしらえをしたおかげかグズる子は1人もおらず、時折「お母さん頑張れ〜!」と応援しながら、あたたかく出産を見守ってくれました。そして、家族全員に赤ちゃん誕生の瞬間を見守ってもらい、私の希望が叶いとてもうれしい瞬間となりました。 立ち会い出産から3年経ちましたが、子どもたちは今でもそのときのことを話してくれます。赤ちゃんの誕生の瞬間に立ち会えたことは、子どもたちにとって貴重な経験となり、良い思い出となっているようです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:藤原ナオミ3男4女の母。ハワイ留学中に学生結婚。育児の合間を縫って英検1級・TOEIC970 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター こちょれーと
2024年04月30日「生理だと思ったら妊娠していた」という話はインターネットではよく見かけていましたが、「実際そんなことあるのかな?」と思っていた私。しかし、私自身がそのことを経験することになったのです。妊活中に起きたまさかの出来事をお話しします。 妊活中、周期通りに生理がきた3年ほど前の話です。当時妊活中だった私は、周期通りに生理がきて「今回も妊娠できなかった……」と落ち込んでしまいました。 ただ、生理にこれまでとの違いを感じたのです。私の場合、生理の1日目、2日目は経血量が多く、生理痛もあり、鎮痛薬を使うこともありました。しかし、そのときは「今回はいつもより経血量が少ないな。生理痛もちょっと軽めだな」と感じて……。ですが、いつも通り7日間出血があったので、「今回はたまたま軽めだったのかな」とあまり気にしていませんでした。 下腹部に痛みがあり病院へ生理が終わったころ、右の下腹部が急に痛くなりました。座っていても寝転んでみても痛みは治りません。今まで経験したことのない痛みだったため、心配になりかかりつけ医へ連絡したところ、「一度受診してください」とのこと。私と夫は痛みをこらえて病院へ行きました。 病院へ着いてから尿検査をし、診察室へ。婦人科の病気を今までしたことがあるか、最終月経、生理周期などを聞かれ、内診をしてもらいました。 尿検査で妊娠反応が陽性に!診察室へ再度入ると、医師から「尿検査で妊娠反応が陽性になっています」とまさかの言葉が! 私は、「生理がきたのに!?」と驚きを隠せませんでした。ただ、驚きとともに、とてもうれしかったことを覚えています。 医師に出血があったことを話すと、医師曰く「生理だと思っていたのは着床出血でしょう」とのこと。また、妊娠するとホルモンのバランスで卵巣が腫れてしまうこともあり、それが原因で下腹部が痛くなったのだろうとのことでした。 そして、腫れた卵巣がねじれる可能性があるため、しばらくは安静にするようにとの指示を受けたのです。 「生理だと思ったら妊娠していたなんて話、本当にあるの?」と疑っていた私ですが、まさか自分が同じ体験をするとは思っていませんでした。 今回は下腹部の痛みで病院への受診を決めましたが、痛みがなければずっと気がつかないまま過ごしていたのかもしれないなと感じます。体の異変を察知してすぐ受診して本当によかったなと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者/motj作画/ちゃこ 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター ちゃこ
2024年04月27日同時期に妊娠し、出産予定日が2カ月違いの友人がいました。出産したら、お互いに出産祝いを贈り合おうということになったのですが…。同時期に妊娠した友人と、出産祝いを贈り合うことに第1子を妊娠していたときのお話です。なんと、同時期に友人も妊娠! 友人の出産予定日は、私の出産予定日の2カ月ほど前でした。そこで、お互いに出産祝いを贈り合おうね!と、約束をしたのです。 そうこうするうちに、友人が無事に出産。私は、出産祝いに何をあげるか散々悩みましたが、姉からのアドバイスを参考に、必ず使うものであり、見た目のインパクトとかわいさを兼ね備えた「おむつケーキ」をプレゼントしました。 それから2カ月後、私も出産。後日、「おむつケーキ」を贈った友人から、お祝いをいただきました。「何だろう?」と開けてみると、なんと頂いたお祝いは「現金」だったのです。しかも、私が贈ったプレゼントの2倍の額でした…。 プレゼントを見た途端、私が思ったのは「産後で忙しくて、プレゼントを選ぶ時間がなかったんだろうな」ということと「正直現金の方がありがたいよな…」ということ。そして、このお祝いの差に焦りを感じ、「もしかしたらおむつケーキは迷惑だったのでは…」と友人への申し訳なさでいっぱいになりました。 さらに私は、産後の疲れもあってか、友人は「お祝いは現金が欲しかったよー」と遠回しに伝えるために現金をくれたのでは…?など、かなり後ろ向きな考えになってしまって…。というのも、これまで、贈り物をするときは相手の顔を思い浮かべて、相手の好きな物を自分なりに分析しながら、どれにしようか選んでいたので、現金を贈るという発想がまったくなかったのです…。 ともかく、これでは「不公平すぎて申し訳ない!」と思い、その友人には内祝いでかなり高額な物を贈ることに。すると、「こんなに高価なもの貰っていいの!?」と友人に驚かれてしまい、今度は「高価すぎて逆にモヤモヤさせてしまったか…」と、最後までスッキリしないお祝い交換となったのでした。 作画/加藤みちか著者:春田ちえり
2024年04月25日私と同じ時期に妊娠していた友だちA子から「お互いの出産祝いの金額をそろえよう」と提案された私。A子の出産後、私は提案された金額通りの出産祝いを贈ります。しかし、私の出産後には……? お祝いの予算ってそろえなきゃだめ?私の出産後、A子は数人の友だちとお金を出し合って出産祝いを用意してくれました。とてもうれしかったのですが、内祝いの準備をしていた際に、いただいた出産祝いの品はA子が提案してきた予算の半額にも満たないことが判明。祝いの品の金額にこだわるつもりはありませんが、事前に予算を提案されていたこともあり、私はモヤモヤしてしまいます。遠回しにA子に電話で話を振ってみると「じ、実は私個人からも贈ろうと思ってたお祝いがあって〜」と言われ、後日おむつやおしり拭きの消耗品を追加で贈ってくれました。本当に最初から追加で買うつもりだったのかは不明ですが、結果的に同じくらいの金額になったので気持ちはスッキリしました。 出産などのお祝いは、本来は気持ちが大切だと思います。しかし今回は、予算をそろえようという話になったたことで、普段なら金額について考えないのにモヤモヤしてしまうことに。予算を決めて贈るのは私には合っていないと感じました。今後お祝いを送る際は、自分が心から贈りたいと思うものを、金額を気にせず選びたいと思います。 作画/yoichigo著者:永田えみ
2024年04月24日結婚してすぐに、義母から子どもを急かされていた私たち夫婦。3年にわたる不妊治療の末、第一子を妊娠しました。やっと義母のお小言から解放されると思ったのも束の間、今度は「性別はわかったのか」と問いただしてきて、そして挙句には……。 義母の決めつけ私の顔つきや妊娠してからの様子を見て、「絶対男の子が生まれる!」と決めつけた義母。私たち夫婦は性別関係なく子どもがほしいと思っていたので、顔を合わせるたびに「男の子だ!男の子だ!」と言ってくる義母にウンザリしていました。 「おそらく女の子だろう」と医師から言われたので、そのことも伝えたのですが、一切聞く耳を持ちません。 さらに、出産後に着せるベビー服を買いに行くときについてきた義母は、「私が買ってあげるから」と言って、恐竜などが描かれた服を購入していました。 前々からおなかの中の子どもの性別を勝手に決めつけられて、不快だった私。義母に言われたことを正直に夫に話すと、夫も怒っていました。 出産間際まで「絶対に男の子!私の買ったお洋服を着せてね!」と連絡をしてきた義母。 しかし、医師から告げられていた通り、生まれてきたのは元気な女の子でした。 男の子が生まれてくると思い込んでいた義母はあからさまにがっかり。未だに「男の子だと思っていたのに……」と愚痴をこぼしています。 性別がどちらであっても、健康に育ってくれることが私たち夫婦の一番の望み。夫と相談して、義母とは適度な距離を保って、じょうずにお付き合いをしようと思っています。 イラスト/きりぷち 著者:大野さとこ
2024年04月24日私は、3歳の女の子と生後3カ月の男の子を育てています。2人目の出産の際、健診で「陣痛かもと思ったら、間違ってもいいからすぐに病院へ来て」と言われていました。2人目の出産ということもありますし、健診時にすでに子宮口が5cm開いていたこともその理由。しかし、実際に陣痛が来たとき、義母の予想外の行動で「すぐに病院へ」行けなくなってしまったのです……。深夜に陣痛開始妊娠39週0日の深夜1時ごろにおなかが張り始め、30分ほどで10分間隔に。すぐに夫を起こして病院に電話をしました。病院は家から30分。夜中なので長女は寝ています。 深夜に陣痛が来た場合は近くに住む義母に連絡し、病院へ行っている間、わが家に来て長女を見てもらうことになっていました。夫が義母に連絡すると、深夜ながら「すぐに向かう」との心強い返事をもらえました。 まだ!? 義母が来ない!義実家からわが家までは車で3分。義母が来るまでに私と夫はバタバタと病院に持って行く物などを最終チェックし車に積んでいました。しかし、待てどもなかなかこない義母。「お義母さん遅いね……」と話し、夫が義母に連絡しますが電話に出ません。 だんだんと「まだこないのかな!?」と痛みでイライラが増しながら待つこと30分、やっと義母が到着しました。このときすでに陣痛の間隔は2~3分。遅くなった理由を聞く余裕もなく、義母が着いてすぐに長女を任せ、急いで夫と病院へ向かいました。 遅れたその理由に驚き病院に着いて内診をすると「子宮口8cm! 着替えてそのまま分娩台に乗って!」と言われ、到着から30分ほどで元気な男の子を産みました。その後、入院中に夫と電話しているときに「そういえば……」と、出産のときに義母が遅れた理由を教えてくれました。 実は義母は、「もしかしたら救急車に乗って病院に行くかも」と思って自分の身支度をしていたのだそう。パジャマを着替え、シャワーを浴び、化粧をして軽く食事をしてから来たのだということでした。「陣痛が始まったらすぐに病院へ」ということは事前に義母にも伝えていたのですが、義母が自分の身支度に時間をかけていたことにとても驚きました。 夫が聞いたところによると「すぐに病院へとは言っても、陣痛は時間がかかるものだから焦ることではない」と義母は考えたようです。なぜ義母が「自分が救急車に乗るかも」と思ったのかは謎……。無事に出産を終えた今では話のネタにしていますが、そのときの私はすぐに義母が来てくれると思っていただけに、かなりイライラしてしまった出来事でした。 著者:水田 真理2児の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので楽しめるよう、創意工夫している。
2024年04月22日当時3歳の長女を育てていたとき、第2子の妊娠が判明し、私は長女に報告する瞬間を密かに楽しみにしていました。そして、報告の時期を見計っていたところ、義母の勝手な行動によって私の楽しみを壊される結果となったのです。 第2子妊娠! 長女にはまだ内緒第2子を妊娠し、私は妊娠の判明と共に始まったつわりと闘っていました。長女のときと同じように2カ月は体調の悪い日々が続くだろうと予想。おそらく近くに住む義両親にお世話になることも多いと思い、まだ妊娠9週でしたがその段階で義両親へ妊娠を報告することに。 一方で長女はかなりおしゃべりなので、私が妊娠したと話したら通っているこども園の先生などに話してしまう可能性がありました。妊娠初期のため流産の可能性がまだ高い時期だったので、長女にはまだ伝えずにいました。 義母が長女に言っちゃった!私がつわりで体調を悪くしているので、つわり期間中は週末、夫に長女をお願いしていました。同時に義実家に長女が行く頻度も増えました。そんななか、義実家に遊びに行っていた長女と夫が帰ってくると夫の表情が曇っています。どうしたのか聞いてみると、「義母が長女に妊娠のことを教えてしまった」とのこと。「え……」それを聞いて私はショックでした。 もちろん義父母には「長女にはまだ伝えないで」とお願いしてありました。しかし義母は孫だけが妊娠を知らないことを「かわいそう」だと思ったそうです。仲間外れになっている長女を見ているのが嫌で、妊娠のことを言ってしまったとのこと。それが妊娠11週のときのことでした。 悔しい……楽しみにしていたのに私は密かに娘に妊娠のことを伝えるのを楽しみにしていました。「どんな反応をするかな?」「喜ぶのかな? 嫌がるのかな?」「教えるときに動画でも撮ろうかな?」など……。けれどそんな想像ももう意味がありません。 その後義母から私に「○○(娘)ちゃんに妊娠のことを話したら喜んでいましたよ」とメッセージが届きました。それを見て一層悲しくなり、悔しい気持ちに。しばらくは長女が私のおなかに向かって「赤ちゃん」と言うたび、悔しい気持ちが消えませんでした。 幸い長女は私の妊娠のことをそこまで大きなことと受け止めていなかったようで、こども園で先生に言ってしまうことはありませんでした。妊娠を報告するときに、長女に伝えない理由をきちんと話し、しっかりと義父母に念を押しておけばよかったと思った出来事です。 作画/ぐら子著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2024年04月22日なっぱさんは第二子を妊娠中でも容赦ない上の子のお世話に奮闘し、ついに出産予定日3日前になりました。夜中に破水したなっぱさんはすぐに産院へ行き、そのまま入院することに。陣痛が始まり、なっぱさんは“サムライポーズ”や「ギギギ」と発するいきみ逃しでひたすら耐えます。そして、陣痛開始から2時間後、子宮口が5cmまで開いたため分娩台へ移動することに。するとそこにべじ太さんがナイスタイミングで到着し、医師も到着。 しかし赤ちゃんはなかなか出てきません。赤ちゃんが生まれたあとの楽しい時間をイメージしながら、最大級の「ギィィィィ」でいきむなっぱさんは……! ついにこの瞬間が。分娩台に上がってからもなかなか生まれる兆しのない赤ちゃん。私は、必死の形相でラストスパートへ向けていきんだのでした。 出産最大級の山場を迎え、いきみ逃しの「ギギギ」にも限界を感じたなっぱさん。あとは気力で乗り越えようと、べじ太さんに手を握ってもらいます。 そして破水から5時間、陣痛開始から3時間後の午前6時8分、ついに元気な男の子が誕生したのでした……! 産後の入院を経て退院したなっぱさん。久しぶりに会うべじ子ちゃんが自分を忘れていないか心配でしたが、「お母さん待ってたよ~」と、入院する前よりおしゃべりがじょうずになっているべじ子を見てなっぱさんはうれし涙を流します。 べじ子ちゃんと赤ちゃん、尊い2人の命に感謝し、4人家族になった喜びを感じるなっぱさんなのでした。 ついに無事出産を終えたなっぱさん! 本当におめでたいですね……!コロナ禍の当時は、ひとりで出産する方も多かったでしょう。普段とはイレギュラーな状況下での出産は、ママも不安でいっぱいだと思いますが、赤ちゃんと2人で必死に闘った出産経験は、かけがえのないものになったのではないでしょうか。4人家族となり、これから大変なこともあるでしょうが、なっぱさん家族が今後も楽しく幸せに暮らせることを願いたいですね。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年04月21日不妊治療をしている私たち夫婦のもとに、実妹から妊娠の報告がありました。心から喜んだのもつかの間、なんだか実妹の様子が気になり……。妹は授かり婚で、結婚相手は会社を経営していると話します。夫の職業と同じ分野だったので、なんだか親近感を持ちました。ただ義弟になる彼は裕福らしく、サラリーマンの私の夫とは違いそうですが……。 私たち夫婦は不妊治療をしており、つらい時期も協力して乗り越えてきました。まだ実を結んでいませんが、あきらめずに続けています。 出産後から妹の様子がおかしく…妹から妊娠報告の連絡があったとき、ご主人になる彼はとても忙しかったそうです。妹は彼と付き合い始めたとき、理想の人を見つけたと自慢げだったのですが……。会わせてもらえませんでした。 半年後、妹は出産。娘の顔を早く見てほしいと連絡してきました。ですが、話をしていたら様子がおかしくなってきて……。私の不妊治療の話を急に持ち出し、もうやめたらどうか、お金の無駄だし何よりも夫が付き合わされてかわいそうだと言うのです。 妹はわが家の事情など何も知りません。姉妹といえど夫婦のことには口を出してほしくないのですが、なぜか妹はあれこれとやかく言ってきて……。 出産直後なので、ホルモンバランスの乱れで気持ちが不安定になっているだけかもしれません。とにかく妹が話したいことがあると言うので、翌日産院へ行くことにしました。 夫が不倫!?と驚いたのも束の間産院に行くと、なんとそこには夫の姿が。しかも、看護師さんにパパと呼ばれていて……。突然のことに頭が混乱。妹の話したいことというのは、こういうことだったのでしょうか。「妹の子どもの父親が自分の夫だったとはね」「慰謝料、請求するから」私はいたたまれなくなって、産院を出ようとしました。「待ってくれ」「これには訳があるんだ」夫が産院にいた理由、それは夫のいとこ=妹の夫を探すためでした。 妹の結婚相手は夫のいとこでした。妹は夫のいとこを街で見かけ、夫と勘違いしたようです。彼らの父親は双子なので、いとこ同士の2人は容姿がとてもよく似ているのだとか。昔からよく兄弟と間違われていたと言います。 優秀な遺伝子がほしいと思っていた妹は、色仕掛けでいとこを誘惑。いとこはいとこで間違われていることを利用し、妹をうまく引っ掛けたようです。じつはこのいとこ、結婚詐欺で捕まったことがあるそうで……。私の妹に手を出していることがわかった夫は、産院に行けば必ずいとこが姿を現すと踏んだみたいです。 お見舞いに現れない私を待ちかねて妹が連絡してきたので、事の一部始終を話したのですが、まったく意に介しません。連絡をとっているうちに、いとこが産院に到着。妹は自分が間違っていたことを知り、恐怖におののいたようです。 金銭問題が発覚!!事態は急展開じつは妹は結婚相手に貯金をすべて渡しており、その額500万円。株で増やしてやると言われたそうです。その上、彼が受取人になった生命保険にも入っていると……。困った妹は、私に助けを求めてきました。 人の夫を奪おうとしたくせに、こんなときだけ姉妹面してきて……。頭にきている私は、縁を切ると宣言。自分で警察を呼びなさいと伝えると、泣いて謝ってきました。 その後、産院は大騒動になったようです。悪事がバレたとわかったいとこは逃走し、それを追いかけようとする妹。両方の親が駆けつける、とんでもない事態になりました。妹が預けたお金はギャンブルに消えており、手元に戻ってくることはなかったそうです。 また、妹はこれまでの経緯を知った両親から絶縁されました。姉の夫を寝取ろうとしたなんてとんでもない!と両親からも激怒されたのです。これ以来、妹とは音信不通に。 私はこの騒動の後に妊娠。今は家族3人幸せに暮らしています。 ◇ ◇ ◇ 姉のことを妬ましく思う気持ちがあったのかもしれませんが、妹はこれまでの言動を省み、一児のママとして新たな人生を歩んでほしいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月20日なっぱさんは第二子を妊娠中。妊娠中も上の子のお世話に奮闘し、ついに出産予定日3日前になりました。夜中に破水したなっぱさんはすぐに産院へ行き、そのまま入院することに。陣痛が始まり、ネットで検索したいきみ逃しのポーズ“サムライポーズ”で陣痛に耐えていたなっぱさん。しかし午前4時になっぱさんを襲った最大級の陣痛にはサムライポーズもまったく効かず、次は「ギギギ」と声を発しながらいきみ逃しをすることに。その後、内診があり子宮口が5cmまで開いていることがわかりました。なっぱさんの陣痛との孤独な闘いはようやく終わりを迎え、ついに分娩台に移動することになったのです。 さあ来いっ分娩台に上がってからも「ギギギ」と発しながらいきみ逃しをしていると……? 子宮口が7cmまで開き、もう少しで赤ちゃんが生まれるというナイスタイミングで夫のべじ太さんも分娩室に到着しました。分娩室に医師がやってきて出産はラストスパートへ!赤ちゃんの心拍が下がってしまうので呼吸をするように医師から指示されますが、いきみ逃しに必死だったなっぱさんはうまく息が吸えません。赤ちゃんが生まれてからの楽しい日々を想像し、「ギィィィィ」と絶叫しながら必死にいきむなっぱさんなのでした。 べじ太さんがギリギリで立ち合いに間に合ってよかったですね。これまで陣痛とひとりで闘ってきたなっぱさんですが、そばで見守ってくれるべじ太さんの存在は何より心強いでしょう。赤ちゃんもなっぱさんもラストスパート!あとひと息、頑張ってほしいですね。 >>次の話 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年04月20日36歳で初めて子どもを授かった長谷川みはるさんは、夫・たかしとレストランを営んでいます。20代から続く高血圧が心配だったものの、妊娠中はつわりもそこまでなかったため、問題なく働いていました。しかし、妊娠6カ月目の妊婦健診で上の血圧が180を超えたことから、NICU(新生児集中治療管理室)のある大学病院へ緊急搬送となりました。すぐに赤ちゃんを取り上げなくてはならない状況かと思われましたが、薬の投与もあって血圧は落ち着き、その日の出産は免れます。しかし、連日予断を許さない状況が続き、ついに入院から1週間経ったある日、緊急帝王切開をすることになったのです。夫が面会に来ていた最中の、突然の宣告。医師の「今から」という言葉にみはるさんは、不安で胸がざわつきます。 実感のない出産に戸惑う心…※はるえ→みはる ※NICU…「Neonatal Intensive Care Unit:新生児集中治療管理室」早産児や低出生体重児などハイリスクな赤ちゃんの治療やケアをする集中治療室※今度考えられる→今後考えられる ※はるえ→みはる 緊急帝王切開で無事出産を終えたみはるさん。看護師さんの両手のひらに収まる大きさの赤ちゃんは501g。産声もあげられないほど小さな体でした。すぐさまNICUの保育器に移された赤ちゃんでしたが、小さな体で懸命に生きようと頑張る姿に、みはるさんは自分もリハビリを頑張ることを心に誓ったのでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◇ ◇ ◇ 小さな体で多数の症状を抱えながらも懸命に生きようとする姿に、思わず涙があふれた方も多いのではないでしょうか。赤ちゃんの心拍数が上がらず危険な状態での緊急帝王切開でしたが、なんとか生まれてきてくれてよかったです。 >>次の話 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター いもやまようみん
2024年04月19日私が第1子を出産中にかけられた助産師さんからのある言葉。この言葉は今でも育児につまずいたときに思い出して、私の励みになっています。出産は赤ちゃんと母親だけができる経験私は第1子の出産の際、出産予定日よりも3週間前に破水してしまい、急きょ入院することになりました。1日待って陣痛が来なければ、陣痛促進剤を打って出産すると言われていましたが、入院後すぐに陣痛が始まり、バタバタと分娩台へ。 分娩台へ乗ってから数時間が経ったころ、これまでに味わったことのない痛さに、助産師さんに「もうおなかを切ってほしい」「無理です」など、つい弱音を吐いてしまいました。 すると、50代くらいのベテランであろう助産師さんが、こう言ったのです。 「この出産はお母さんと赤ちゃん2人だけが経験できるもの。赤ちゃんを取り上げる私たちや立ち会う父親も、見守ることはできても、痛みや大変だった思いまでは残念ながら共有できない」。 そして、「赤ちゃんとお母さんが一緒に頑張るから、この子の人生が始まるんだよ。今、お母さんが頑張らないと10カ月おなかで大切に育ててきたこの子の大切な人生が始まらないよ!」と活を入れられました。 この言葉を聞いて私は「弱音を吐いている場合じゃない!」と気合いが入ったことを今でも覚えています。それからは泣き言を言わず痛みに耐えました。 活を入れられてから、1時間ほどで生まれてきてくれた息子。あのときの感動は今でも忘れません。今でも、育児でしんどくなったときは、助産師さんの言葉を思い出し、初心にかえるようにしています。 このときに生まれた息子は今年で5歳。今でも育児でたくさんイライラしたり悩んだりすることはありますが、悩んだときはこの助産師さんの言葉を思い出して、「子どもにとって母親は私だけだ」と自分に言い聞かせると心がスッと落ち着き、息子と向き合うことができています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ミロチ著者:なかまる あゆみ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月18日初めての妊娠で、ひどいつわりを経験をした私。仕事を早退、欠勤することもあったのですが、夫は妊婦は病人じゃないと言ってきて……。夫は、自分のことしか考えない、わがままな人でした。私にもおなかの子にも関心がないようで、妊娠に関わることにも本当に無知。つわりすらよくわかっていない状況でした。 とにかく私が仕事を休むことに対して批判的で、いくら具合が悪くても仕事や家事をやらせようとします。さらには体がうまく動かないのに、車を運転して義実家に荷物を取りに行けとまで言われました……。もう限界!!私は夫の横柄な態度にどんどん抑圧され、心身ともに疲弊していくように。無理がたたったようで、ある日私は会社で倒れ、緊急搬送される事態になりました。幸いその日のうちに帰宅することができましたが、ひとりで帰るのは不安……。「夫に迎えに来てほしい」と連絡したのですが、「自分で勝手に帰ってこい」と言われておしまいでした。そして私や赤ちゃんを心配する様子もありませんでした。 医師からはしばらく安静にするよう言われましたが、夫は許してくれず、病院に担ぎ込まれた翌日も、普通に出勤せざるを得ませんでした。そんな私を見て、会社の人はみんなびっくりしていました。 家事は女の仕事と勝手に決め込み、皿洗いひとつしてくれない夫。収入が低いなら家事もやるのが当たり前だろうと横暴な態度で出てきたので、すこし言い返すと、大黒柱に向かってはむかうな、追い出すぞと逆に脅されてしまいました。生まれた勇気数日後、私の姿は自宅にありませんでした。帰宅後朝のままになっている部屋を見て、怒った様子の夫から連絡が。そこで私は休職したこと、もう家事もしないことを告げました。それを聞いた夫は、お決まりのセリフを……。「妊娠は病気じゃないんだぞ?」「つわりごときで休むな!」「言いたい事はそれだけ?」「は?」私は、自分と子どもを守るため、家を出ました。もう何を言われても平気でした。私には応援してくれる人たちがいますから。 体調不良の私を無理やり出勤させる異常な夫に、会社の人はドン引き。「夫とは絶対別れたほうがいい」と言ってくれました。私の職場にはみんなで助け合う気風があり、仲間に対し、親身になって思いやる人たちばかり。話を聞いてもらううちに私の気持ちには変化が表れ、勇気が生まれました。 子どもが生まれた後も、きっと夫は変わらない。そう確信した私は、義実家に助けを求めることに。義父は夫を絶対家に入れないと息巻き、義母は絶縁を考えたようです。そして、私は義実家でお世話になりながら出産することになりました。私が義実家に避難していることを知った夫は、無理やり連れ戻そうとしましたが、義父母も義きょうだいもみんな私の味方と知り、諦めた様子。私の中では、このまま離婚するつもりでいました……。クズ夫に制裁を…家を出て半年が過ぎたころ、夫は「いつになったら戻ってくるのか」と連絡してきました。そろそろ子どもも生まれるのではないかと尋ねてきたので、笑ってしまいました。出産予定日も把握していなかったなんて、私たちに興味がないにもほどがあります。とっくに生まれていることを告げると、夫は激怒。自分には知る権利があると、いまさら父親ヅラをしてきました。 実は、出産したことを夫に伝えるべきかどうかを義家族と事前に話し合っていたのですが、「夫に知らせる必要はない」という結果になったため黙っていたのです。夫がそばにいることのメリットを考えたのですが、皆無。私を心身ともに追い詰めるデメリットを超えるメリットなんて、ありませんでした。 私は、夫から連絡があったことを義両親に話すと、義父が間に入ってくれました。夫に離婚と養育費の定期的支払いを約束させ、夫と私を引き離してくれたのです。その後、実の家族に見放された元夫は、後々遺産だけは受け取れるようですが、今は家族の誰とも連絡を取り合えず、ひとり寂しく生きているようです。 そして、私は義父の探してくれた部屋で、子どもと2人、新生活を開始。義父母は、孫にメロメロのすべての面で本当に良くしてくれますし、義きょうだいもとても親切で本当にありがたいです。感謝しきれませんが、孫に会わせ続けることが1つの恩返しになればいいなと思っています。 妊娠は病気じゃないと息巻いた夫でしたが、妊娠や出産は一つの生命を誕生させるとても大変で過酷なことではないでしょうか。それを知らずに妻への配慮も思いやりもない夫とは一緒にいる意味を感じることができませんよね。ただそんな中、義家族や会社の人たちが妻の味方となってくれて本当によかったです。これからは生まれきたお子さんと一緒に思いやりが溢れる環境で、幸せな人生を送ってほしいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月18日突然かかってきた電話は、夫の浮気相手からのものでした。浮気相手の女性は、なんと夫より20歳も下の大学生。話を聞くと、妊娠していると言うのです。私は夫を問いただすことにしました――。「今すぐに離婚してください!」と電話をかけてきた若い女性。それは夫の浮気相手でした。彼女は夫にベタ惚れな様子。そして、「私と彼が運命の赤い糸で結ばれているのは事実なんです!」とどうやら脳内はお花畑状態……。 夫の浮気相手は大学生聞けば、大学4年生で22歳とのこと。夫は42歳なので……歳の差なんと20歳。なんだか、頭痛がしてきました……。 「彼への愛の大きさは、オバさんのあなたには負けません!」「シミシワまみれのオバさんでも受け入れてくれる人はいます!だからどうか今度はその人と幸せな結婚生活を送ってください!」と大学生。 「あの……喧嘩を売っているつもりなのかしら?」と聞くと、「え?純粋に奥様を励ましてあげようと思って……」「だって、旦那さんのおかげで生活できているようなものでしょう?離婚した後が不安にならないように……」との返事が。 さらに、「できるだけ早く離婚してくださいね」「実は妊娠していまして……もちろん、彼との子どもです♡」と続けた彼女。ますます頭が痛くなってきました……。 夫の言い分その日の晩――。 夫を問いただすと、意外にもすんなりと浮気を認めました。 「どう言われても俺はこの愛を貫く!」「年齢なんて関係ない!あの子のいない人生なんてもう考えられないんだ!」と夫も脳内お花畑状態でした。 「浮気のことは申し訳ないと思っている」「だから、慰謝料として貯金はすべてお前に渡すよ」と夫。そこまで彼女のことを思っているなら……と、私も離婚に同意。次の休日に私が役所に提出しに行くことになりました。 タワマンは私のもの1週間後――。 私が役所に行った帰り、浮気相手の大学生から連絡が。 「早く離婚届を出してください」「早くそのタワマンからも出て行ってくださいね」と浮気相手。 「あなたはもう彼の人生に必要ないの!」「負け組女は離婚してタワマンから出て行け!」「ここ私の実家ですけど?」「え?」 浮気相手は、私たち夫婦が暮らすタワマンの名義が元夫になっていると思い込んでいたそう。しかし、これは私の実家。つまり私が出て行く理由はないのです。 「どうしてもこのタワマンがほしいっていうなら売るように両親に話してみるけど……」「元夫は平均的な年収だからローンはかなり厳しいし、地価も上がってるし……」と言うと、浮気相手は寝耳に水だったよう。 「生活費は彼が持っているって言ってたし、年収1000万円くらいは余裕であるんじゃないんですか!?」と聞かれたので、「そもそもうちは共働きよ」「生活費は元夫持ちだったけど、このタワマンの維持管理費やその他雑費は全部私が出しているの」と答えました。 「年収が1000万もなくて、タワマンも手に入らないなんて……これじゃ私の計画が……!」と不穏なことを言っていましたが、無視して私はやり取りを終えました。もう離婚は成立していますし、私には関係ないことですから。 その後――。 離婚届が受理されたことを知った元夫は、用意していた婚姻届をすぐさま提出。しかし、お金目当てだった浮気相手は入籍を知って豹変したそう。運命の赤い糸やら真実の愛やらはどこへ行ったのでしょうか。元夫は毎日罵られ、物を投げつけられているらしく、私に半泣きで何度かヨリを戻したいと連絡をしてきました。もちろん私はお断りです。 私は両親と一緒にタワマンで、今は穏やかに暮らしています。これを機に仕事に精を出して資格取得など、これまでできなかったことに挑戦したいと思います。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月17日私は兼業主婦。双子を帝王切開で出産しました。夫は出産後、一度だけ病院にお見舞いに来てくれましたが、それ以降は顔を見せませんでした。出産後、体調もまだ本調子ではない中、一人で退院の準備をして、夫と義母が暮らす家へと帰りました。 帝王切開は出産じゃない!?義母の暴言家に帰ると、義母は孫を見て大喜び! しかしその喜びもつかの間で、寝ている子どもたちに声をかけて起こしては、2人が泣き始めるとすぐに私に丸投げ。洗濯、夕食の準備、掃除まで、すべて私の仕事になっていました。 夫もこの状況に対して無関心で、育児も家事も一切手伝ってくれませんでした。 私は体調が悪いと伝えても、義母は「私は痛い思いをして息子を生んだのよ! 帝王切開は出産じゃない!」とありえない言葉を言い放ち、家事の一切を私に任せきり。私の疲労はどんどん溜まっていきました。 限界を迎えて義母の厳しい態度は徐々にエスカレート。ある日私が双子と一緒に寝落ちしてしまったところを義母に見つかり、「楽して産んだんだから休んでないで働け!」と激怒されたのです。 その言葉に我慢ができなくなった私は、泣きながらに母に連絡しました。そして母のアドバイスを受けて、離婚に向けて動き出すことにしたのです。 そして数日後のある夜、義母と夫が寝静まった隙に、母に迎えに来てもらい、双子を連れて実家へ帰りました。 母親激怒! 離婚へ翌朝、私たちがいないことに驚いた夫と義母は、すぐに実家へ押しかけてきました。その2人に母は、「帝王切開も立派なお産です! おなかを切ったのに楽なわけがないでしょう!?」と激怒! 双子を生んだばかりの私に家事を強要したことや、義母のひどい言葉を叱り、夫と義母に厳しく説教しました。 私はその場で夫に離婚を宣言。離婚すると、2人があてにしていた私の収入がなくなるので渋られましたが、知ったことではありません。これまでの冷遇を録音した音声を証拠として慰謝料を請求し、無事離婚できました。 私は両親の支えを受けながら、双子を育てつつ、職場復帰する予定です。離婚は私にとって自由を取り戻すための大きな一歩。これからは信頼できる家族に囲まれて、自分の人生を歩んでいきます。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月16日2024年3月に発足したベビーカレンダー公式インフルエンサー組織「ベビカレメイト」のママをお招きして、座談会を実施しました。ママが集まると話題になるのは、三者三様の出産エピソードトークです。ベビカレメイトのママが体験した出産体験談を聞いてみると、とてもとても後悔していることがあると言います。それは無痛分娩をするかしないか、という選択。通常分娩に挑んだそうですがーー。私は通常分娩で産む!通常分娩と無痛分娩、どちらがいいか尋ねられて、ベビカレメイトのママが選んだのは「通常分娩」でした。強い痛みがあるということはわかっていたけれど、挑んでやろうと意気込んでいたそうです。 産院のスタッフさんから「いつでも切り替えられるように、無痛分娩の承諾書にサインをしておけば?」と再三すすめられても断固拒否! 頑なにサインをしないまま、出産を迎えました。いざ出産!いざ陣痛が始まると、あまりの痛さに気絶寸前……。瞬時に通常分娩派から無痛分娩派に寝返って、「無痛分娩はしない」と決めていた自分の判断を深く深く後悔したそう。 陣痛の波がおさまったわずかな合間を見てナースコールを押し、無痛分娩への切り替えをお願いしたのでした。 しかしあれだけ拒んでいた無痛分娩に切り替えるとなると、ちょっとした気まずさも残ります。無痛分娩への切り替えは、小声でこそっと伝えたそうです。陣痛中、まさかの…これで無事無痛分娩に切り替え……というわけにはいきません。本来であれば事前に見ておくべきだった、無痛分娩についての説明動画を視聴する必要があります。 すでに陣痛が始まっているからといって、DVDをスキップはできず、陣痛に耐えながら見たのだそうです。 産院のスタッフさんのいうことは聞く、備えられるものは備えておく……。今後出産をするママは、ぜひこの教訓を活かしてほしいと話していました。 ◇ ◇ ◇ この教訓は出産のみならず、子育てや仕事などすべてに言えることかもしれませんね。ベビーカレンダー編集部にとっても、良い学びになりました!
2024年04月15日長男を出産する前に流産を経験。二度目の妊娠生活はかなり慎重になっていました。それを見た夫に、驚きの提案をされた出来事です。 また流産するのでは…と心配な日々長男を出産する前に流産を経験。そのことがあり、長男を妊娠してから仕事を辞めました。 そして、また流産するのではないかと心配する毎日。ほぼ家に引きこもっていました。 しばらくして、体がだるくて何もできない日が続いたときのこと。夫から「妊娠は病気じゃない!体を動かした方がいい!」と言われ……。 とてもショックで、夫は自分が経験していないからそんなことが言えるんだ!と思いました。 私の様子を見た夫は妊娠について調べ、後日謝ってくれたのですが……。「言葉は取り消せない。二度と忘れないから」とだけ言いました(笑)。ことがあってから、妊娠や出産の大変さ、体調の変化、手伝って欲しいことをきっちり伝えるようになりました。今は長男を含めて3人の子が産まれ、夫は子育ても家事も積極的にやっています。 ◇ ◇ ◇ 「妊娠は病気じゃない!」と言う前に、妻の体調や気持ちにもう少し寄り添ってほしかったですね。夫婦であっても相手の立場を考え、発言には気をつけたいですね。 イラスト/さくら著者:匿名希望
2024年04月13日ママ特化型バラエティ『夫が寝たあとに』は、藤本美貴さんと横澤夏子さんが赤裸々にママトークを繰り広げるバラエティ番組。共感が止まらないと話題です。そんな2人は3児のママ。3度の妊娠・出産を振り返り「妊娠・出産あるある」についてしゃべり倒します。 立ち会い出産は気が散る!?立ち会い出産をしたという藤本美貴さんと横澤夏子さん。 横澤さんは、陣痛に耐える妻と共に息遣いが荒くなっていた夫を思い返して「何フラフラになってんだよ!」と笑います。対する藤本さんも夫である庄司智春さんに、「安産」と書かれたうちわでひたすらあおがれ、応援されていたというエピソードを披露しました。 2人に限らず、出産に立ち会ったもののスマホを触っていて気に障った、妻を見て痛い気分になっている夫に興醒めしたなどの話も耳にします。そんな話を聞いていると、立ち会い出産は気が散るのでは?と思う人もいるのではないでしょうか。夫が立ち会う意味はある?しかし藤本さんと横澤さんは、立ち会えるなら立ち会ったほうがいいと話します。立ち会い出産は“一緒に出産を頑張った”という実感が湧くのだそう。 また、夫には陣痛の痛みが引いているときの話し相手として、そばにいてほしいと言います。ただでさえ時間がかかる出産、ひとりでただ耐えるよりも一緒に入れくれる人がいたほうが、時間が過ぎるのが早いというのも頷けます。 出産はママにとって想像し難いほどにキツいもの。同じ気持ちになることは難しくても、寄り添うことに意味があるはずです。パパにお願いしたいこと番組内ではパパへのお願いも……。それは、何回目の出産でも新鮮な気持ちでいてほしいということ。 人生で初めてわが子の誕生に立ち会ったときの、感動や喜びはひとしおだと思います。しかし、第二子以降になると緊張感や感謝の気持ちが薄れてしまい、それが言動や行動に出てしまう人もいるそうです。藤本さん・横澤さんは、それではいけないと話していました。 何回目の出産でも、ママや赤ちゃんは同じくらい頑張っているはず。立ち会うパパも同じ気持ちでいてほしいですね。 見逃し無料配信動画サービスのTverでは、2024年4月14日(日)1時00分まで4月6日放送回の『夫が寝たあとに』を見ることができます。
2024年04月09日私は今、第二子を妊娠中です。幼稚園の娘が赤ちゃん返りをして大変なのですが、夫は出戻った幼馴染の女性に頼られ、うちのことは二の次で……。私がもうすぐ臨月になるというのに、夫は相変わらず幼馴染のところにばかり顔を出しています。幼馴染の家のことを手伝ったり、一緒に食事に行ったり。 夫の幼馴染はSNSのフォロワー数が多い、インフルエンサー気取りの女性です。たまに彼女の投稿をのぞくと、一緒に食事をしている夫の姿を見かけることも。そんな時間があるのなら、家のことをしてほしいのですが……。 とくに、娘の心のケアは急を要する事態。私が出産間近ということで、娘はいろいろな不安を抱えているのです。ですが、夫の優先順位は私たちより幼馴染のほうが上のようで……。幼いころから夫は彼女を助けてきたらしく、何か頼まれると断れないようなのです。 予定日間近に起こった悲劇いよいよ出産予定日が近づいてきました。いつ生まれてもおかしくない状況なので、週末は家にいてほしいと夫に頼みました。しかし、いまだ夫は幼馴染優先の日々です。離婚後、自分の親とギクシャクしている彼女には頼る人が自分しかいないと……。 そうだったとしても、私たち家族にも夫は必要です。幼馴染を大切にすることは理解できますが、それも大概にしてもらわないと困ってしまいます。 そんな話をすると夫は機嫌を悪くし、私のことを冷たい人間かのように言います。そんなやりとりを繰り返していたら、予定日前最後の休日になりました。その日は娘が朝から微熱を出し、私の体調も優れず、なんだか嫌な予感。しかし夫の元には、幼馴染からいつものSOS信号が……。 せめて娘を病院へ連れて行ってからにしてほしいと頼みましたが、風邪だから大丈夫だろうと勝手な判断をし、さっさと出かけてしまいました。 帰るコールが来たのは、もう夜もすっかり更けたころ。「子守り任せて悪いな」「幼馴染だからアイツを放っとけなくて」夫が出て行った後、娘は高熱が出て、私は陣痛が始まり……。ひとりではどうにもならず、幸い義母に連絡がついたので最悪の事態だけは避けられました。「熱は下がったか?」「あの子はもういないよ」慌てふためく夫に、娘が高熱で病院にいることを告げました。義母がきてくれなかったら、私たち母子はどうなっていたかわからなかったことも添えて……。 家族を優先すると誓った夫それから夫は慌てて帰ってきたようですが、家はもぬけの殻。私とも連絡が取れなくなり、右往左往したそうです。私はいよいよ出産する段階で、スマホを見ていなかったので仕方ないですね。 義母と連絡を取り合ったそうですが、夫はかなりしかられたそうです。ですが、大騒ぎだったあの日も、その翌日も、夫は幼馴染と食事をしていました。それも、とても楽しそうに! 彼女の投稿をチェックしていたら、そんな写真が上がっており……。 私は夫に離婚を宣告。陣痛中に、あんなにみじめで腹立たしい気持ちになるなんて思ってもみませんでした。私が動けたら、娘をすぐ病院へ連れていけたのに……。悔しかったです。 平謝りし、これからは必ず家族を優先すると誓う夫でしたが、私はそれを信じられず……。やり直しても前のようには暮らせません。放っておけない幼馴染と、どうぞお幸せに。 幼馴染と会わなくなり…その後夫は離婚を拒みましたが、両家の両親を交えて何度も話し合い、やっと別れることができました。離婚でひどく落ち込んだ夫は、幼馴染と会わないようになり……。 夫が使えなくなると、別の男友だち、しかもまた既婚者を呼び出すようになった幼馴染の彼女。再びいざこざを起こしたようで、ネット上は大いに荒れたそうです。それを知った元夫は、今では彼女のアンチ発言までするようになり……。どの口がそんなことを言うのか、そんな元夫の姿を見てドン引きしました。 離婚したことに後悔はありません。子どもたちにはたっぷり愛情を注ぎ、楽しい家庭を築いていきたいと思います。 ◇ ◇ ◇ 夫は幼馴染から頼られて舞い上がっていたのかもしれませんが、もう少し周りの状況を冷静に見てほしかったですね。後悔することのないよう、いま何を優先すべきなのかを考えて行動したいですね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月08日4人の子ども育ててます
子育て楽じゃありません
良妻賢母になるまでは。