1人目の出産時は、車で20分の距離にあった実家で産後1カ月ほど過ごしました。しかし2人目出産時、上の子はすでに小学生。生活環境の変化は子どもの負担になると考え、里帰りはしない決断をしました。当時夫は朝早く夜遅い激務で、平日はほとんど戦力になりませんでした。退院直後から始まった赤ちゃんと小学生、2人のお世話を乗り切れた秘訣を紹介します。 赤ちゃんが寝ているときは自分も寝るまずは自分の体力回復が第一優先と割り切り、上の子が学校に行っている間は「赤ちゃんが寝たら自分も寝る」を徹底。家事は赤ちゃんが起きているときに済ませるようにしました。そして、再び赤ちゃんが寝たら、たとえ掃除や片づけが途中でもすべて放り出してひたすら寝る、ということを心がけました。上の子が帰ってくればすぐに宿題のフォローや習いごとの送迎があり、体を休める時間はありません。1人目の産後の経験から、睡眠時間の確保がメンタルの安定にもつながると感じていた私は、細切れであっても睡眠時間の確保を優先しました。 できないことは「できない」「しない」退院翌日、義両親が自宅を訪問したいと言ってきました。これがもし1人目の産後なら、内心は「体力的にキツイから遠慮してほしい」と思いつつも、「義両親の好意を無下にしては申し訳ない」と承諾していたと思います。しかし2人目のときは「無理です」とはっきり断りました。いくら「赤ちゃんの顔を見るだけ」と言われても、洗濯物が山積みになり、朝食の片付けも済んでいない部屋に義両親を通すのは気がひけます。また、自分自身もそれなりに身ぎれいにしなければと思うと、1分でも寝ていたい産後には負担が大きすぎたのです。幸い義両親は理解のある人々で、私の希望を優先してくれました。 手助けが必要なときはすぐにお願いする「こんなに自分ばかりが大変なのに夫は何もしない!」と一方的に不満をためてしまった1人目出産時の反省から、「上の子を連れて一日外出してきてほしい」「食事の支度(片付けまで)をしてほしい」など夫にやってほしいことを具体的にお願いしていきました。 「夫は仕事で疲れているから」という遠慮をしていては、産後という非常時を乗り切ることはできません。「言われなくてもやってよ!」と険悪になる前に、どんどんお願いしました。 夫にとっても具体的にお願いされたほうがやりやすかったようで、「どんどん言ってね」と友好的でした。こちらも「ありがとう」のひと言を添えることで、お互いやさしい気持ちにもなれました。 1人目のときよりも年齢を重ねている分、体力的な不安が大きかった2人目の産後でしたが、自分ひとりですべてをやろうとするのではなく「できること」「できないこと」をはっきりさせて周りを巻き込むことで乗り切りました。精神的には1人目のときよりもずっとラクに過ごせましたし、何より家族のきずなが深まりました。 監修/助産師REIKO著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。
2021年04月10日産後2カ月、初めての赤ちゃんを抱いて、私の祖父母が住む田舎へ出かけました。当時80歳代だった祖父母は、ひ孫に会える日を待ちに待っていました。そんな祖父母の喜ぶ顔を見るのが楽しみでした。そして、祖父母の家に到着すると、想像もしていなかった展開に……!? ※コロナ禍前の体験談です。 まさかのお祝いパーティ!?ひ孫に会って、祖父母はどんな顔をするんだろう……。私はワクワクしながら家へ入りました。玄関で「ただいま~!」と大きな声で言うと、出てきたのは祖父母だけでなく、近所に住む親戚たち総勢10人でした。 まさかのお祝いパーティが開催されました。どれだけ盛り上がっているんだとおかしくなりましたが、とても幸せな瞬間でした。親戚たちにとって、私の出産は大ニュースだったようです。 祖父母と親戚たちのパワーに圧倒された!当時80歳代だった祖父母は、年齢を感じさせないくらい元気でした。祖母は料理がじょうずで、私たちがくると聞き、大張り切り! ちらし寿司にお刺身、天ぷらなど、豪華な食事が食卓に並んでいました。 私の祖父母の家では「誰がこんなに食べるの?」というくらい料理が並ぶんです。そんな祖母の気持ちもすごくうれしかったです。「遠慮せずたくさんお食べ!」と、みんなにお祝いしてもらいました。一緒にいた夫は、祖父母と親戚たちのパワーに圧倒されていました。 心底幸せそうな笑顔を浮かべる祖父母心底幸せそうな笑顔を浮かべながら、ひ孫を抱く祖父母。私はすかさずカメラに収めました。ひ孫を腕に抱けるなんて想像もしていなかったようです。祖父母は「長生きできてよかった」と、口をそろえて話していました。 私自身、ひ孫を抱くなんて想像がつきません。改めて元気な祖父母はすばらしいと感じます。お祝いにきてくれた親戚たちのあたたかさにも触れ、心地のいい時間を過ごすことができました。そんな余韻を感じながら、私たち夫婦は自分たちの住む町へ帰りました。 現在、祖父は94歳、祖母は90歳になりました。畑仕事をするほど元気です。私の目標は、祖父母のように元気でいること。ひ孫を抱けるまで生きられたらいいなと思っています。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2021年04月09日江上敬子さんは、「ニッチェ」というコンビを結成しているお笑い芸人です。現在はバラエティー番組にレギュラー出演するほか、「ニッチェ江上敬子のダンナやせごはん~胃ぶくろをつかむ、嫁ラクレシピ!」「ニッチェ江上敬子ダンナやせごはん~かさ増し!レンチン!缶タン!編」など、料理本の出版もおこなっています。また、2015年9月には一般男性と結婚し、2020年9月5日に第一子を出産しました。 今回は不妊治療のお話を中心に、治療中につらかったことや、つらい時期の乗り越え方などを取材させていただきました! 不妊治療中の夫婦関係は真っ黒!? 溝はどんどん深まっていき…ー江上さんは不妊治療の上、出産されていますが、どのくらい治療を続けていたのでしょうか? 江上さん:トータルの期間は2年間くらいでしたね。結婚して、子どもが欲しいなと思ったときに、自分の体がどういう状態なのか知らなくてはいけないなと思い、検査を受けることにしました。 ーそこでの結果はどんなものだったのでしょうか? 江上さん:検査は旦那と2人で行き、旦那には何も問題がなかったんですが、私は卵子が育ちづらい体質なだけでなく、子宮内膜症が見つかり、妊娠しづらいことがわかったんです。まずはそこを改善するために、1年くらいの時間を費やしました。 ー実際不妊治療をおこなっているときに、「一番つらかった」と思うことはどんなことでしたか? 江上さん:夫婦間の認識の差ですね。あとは、比重です。子どもは2人で作るものなのに、どうしても女性の負担が大きくなってしまうなぁと。女性しか子どもを産むことができないからこそ、仕方のないことなのかもしれないですが、2週間に1度、遠い病院へ早朝に通い、仕事に行き、同じ時間に薬を飲み、おなかに注射をしていると、本当につらくて「なんで私だけ」と思ってしまうこともありました。さらに、BMIが高めだと妊娠しづらいということで、体重も8キロほど減らしました。その間、旦那は普通に生活をしているからこそ、どうしてもイライラしちゃうんですよね……。本当なら、そのすべての苦労を話して理解してもらえばよかったんですが、当時は自分から話す気力もなかったんです。男性にしてみれば、「言われないからわかんないよ! 」という感じだと思うのですが、心のどこかで「言わなくてもわかってよ! 」という気持ちがありましたね……。「2人で治療しているんだから、もう少し気を遣ってよ! 」みたいな感覚の差もあったりして……。なので、そういったお互いの認識の違いから、どんどん溝が深まっていって、そのころの夫婦の仲は最悪でした。 ーそのような夫婦間の溝は、どのように解消していったのでしょうか? 江上さん:話し合いもしたんですが、当事者同士はうまくいかず……。わが家では、お互い仲がいい友達に間に入ってもらい、話を聞いてもらうことにしたんです。旦那も私も、直接言えないようなことをその友達には言えますし、第三者がいるということで、ちゃんと冷静に言葉を咀嚼して考えることもできたんです。それからは少し落ち着きましたね。今思うと、そこが不妊治療最大の山場だった気がしますし、今思えば「言わずともわかってくれよ」と思わずに、もっと自分の気持ちを素直に言っていればよかったなと思いますね。 ーそういった治療に対する夫婦間の温度に悩む方は多いと思います。男性に不妊治療について理解をしてもらうのは、なかなか現実では難しいようですね。 江上さん:そうなんですよね。でも、これから2人の子どもが欲しいと思っているのに仲が悪くなったら意味がないと思います。私も夫婦関係の暗黒時代を切り抜けるために、意識的に実践していたことがあるんです。それはとにかくポジティブな将来のことを話すということでした。「子どもができたら、どんな漢字の名前にしようか」とか、「何を習わそうか」とか、そういった妄想を楽しむようにしていました。それだけで和むんですよ。自分たちの気持ちも前向きになりましたね。 「どこまでチャレンジするのか」を2人で決めることがすごく大切ー今は不妊治療に対しての保険適用化のお話もありますが、どう考えますか? 江上さん:すごく素晴らしいことだと思います。そこで諦めてしまう人もいると思いますし、実際に私のまわりにも、そういった夫婦が何組もいるんです。なので、なるべく早く実現化してほしいですね。私の希望としては、「今子どもが欲しい! 」と思っている人たち全員に、適応されるといいなと思っています。なので、1日でも早く可決してもらいたいですね。 ー 金銭的な問題で諦めるのは悲しいですよね。 江上さん:そう思います。また、不妊治療をおこなう際に絶対に大切なのは、「どこまでやるのか」を決めることだと思うんですよ。自分たちの中で期限というか、「ここまで挑戦しよう」という線引きをちゃんと決めるというか。それに、できることをやるだけやって無理だったら、諦めもつきやすくなると思うんですよね。 ー 不妊治療を受けるときに、事前に何か2人で決めていたことはあるんですか? 江上さん:金銭面や年齢などに制限があったので、私たちの場合は最初から“何回まで”と回数を決めていましたね。「この回数で挑戦してみて無理だったら、金銭的にも続けられないし、諦めましょう」という感じできちんと2人で話してから、治療を始めました。 ー 最初に不妊治療について、どういう方向性でおこなうのかを確かめておくということは大切なことですよね。ほかにも、治療でつらいときなどは「察して欲しい」と相手に求めるのではなく、今の状況や自分の思っていることを伝えることが大切だとおっしゃっていましたが、それもすごく大事なことだと思います。 江上さん:「察してほしい」という気持ちはわかるのですが、女性も男性も自分の言葉で説明するのが面倒なんでしょうね。でも何でかそう思っちゃうんですよね。ただ、その状態だといつかケンカになってしまうと思うので、ケンカになったときに「自分たちには何が足りなかったのか」ということを見直すことが大切だと思います。男性は男性なりに絶対悩むし、しんどいだろうし、どうしていいかわからないと思うんですよね。なので、女性も「自分ばっかり」って思わないようにするのは大事なんだなって、それは自分の経験を通してそう思いましたね。 ーそれでは、不妊治療を頑張っている人たちにメッセージをお願いします。 江上さん:まず、“1人じゃないよ”ということを伝えたいですね。今はSNSを駆使すると、同じ体験をしている人や、同じことで苦しんでいる人、喜んでいる人などがいっぱい見つかるんです。なので、そういう人たちとたくさん繋がって、一緒に頑張っていることを実感してほしいですね。手を出せば、絶対に握ってくれる人はいます。決して1人で抱え込まないでほしいですね。 今回は不妊治療に特化した内容を取材させていただきましたが、いかがでしたか? 不妊治療中の夫婦関係など、一歩踏み込んだ内容についても、江上さんはときに明るく、ときに真剣に話してくださいました。さて、次回はコロナ禍の妊娠・出産についてお話を伺っています。次回の配信もぜひ楽しみにしていてくださいね! PROFILE:江上敬子さん島根県出身の1984年9月17日生まれ。マセキ芸能社に所属しており、女性お笑いコンビ「ニッチェ」ではボケを担当している。著者:ライター 吉田可奈
2021年04月09日私は、“会陰切開”に恐怖を抱きながら2人の男の子を出産しました。1人目は会陰切開をしたうえで出産し、「2人目の出産では絶対に切りたくない!」という気持ちを胸に5年後に再度出産に臨みました。2人目は会陰切開することなく出産! 1人目の出産と2人目の出産で違ったことは、素直に「怖いです」と伝えたことでした。 何もわからずに臨んだ1人目の出産私は1人目を妊娠36週2日のギリギリ早産で出産しました。陣痛が始まってから5時間で出産するという、初産にしてはスピード出産。私は痛みに強いほうなのか、便秘だと思い込みトイレでいきんでいたのを助産師さんに止められたのは、今では笑い話です。 赤ちゃんがおりてくるのも早く、陰部が中から押されるような感覚に、自分でも「いよいよだ」と感じたのを覚えています。初産ということもあり、会陰の伸びが悪く、医師から「ちょっと切ろうか」と言われ、会陰切開をすることになりました。 大きすぎる会陰切開の恐怖…会陰切開が自分の出産に必要な処置であることはわかっていました。会陰が裂けることを防ぎ母体のダメージを軽減したり、赤ちゃんがスムーズに出てきたりするための処置だということは頭では理解しているものの、やっぱり怖かったです。陣痛がきているときに切るから痛みは感じないとは言われましたが、意識しすぎたためか切開時に「ぱちん」と切られた感覚や痛みを感じました。 その後は「いきまないで」という助産師さんの指示のもと、息を小刻みに吸って吐いてを繰り返しながら、無事出産することができました。けれども、その後の陰部への麻酔や縫合時の違和感、産後の会陰の痛みを経験し、「もう次は切りたくないな」というのが正直な気持ちでした。 会陰切開の恐怖再び!初めての育児や仕事の再開でバタバタしているうちに5年が過ぎ、2人目を妊娠しました。5年ぶりの出産にドキドキしながら妊娠39週を迎え、今回は破水から始まる出産となりました。身支度を整えて病院に向かい、すぐに分娩室へと移動。それまでは冷静にいられたものの、徐々に出産時の痛みや陰部の圧迫感、会陰切開への恐怖がよみがえります。 「どうしよう……怖い」。それがそのときの気持ちです。正直、1人目の出産時は余裕がなく、「しっかりしなくちゃ」「なめられたくない」という若さゆえの意地がありました。でも、今回は素直に助産師さんに気持ちを打ち明けました。「すみません。会陰切開したくないです。怖いです……」。 声に出すことで払拭された私の不安助産師さんへ素直に自分の気持ちや希望を伝えると、すぐに会陰に触れたり伸びを見たりしてくれ、「この部分(肛門側を触れながら)が余裕がありそうだから」と、希望を受け入れてくれました。ただ、状況によっては会陰切開が必要な処置であることは再度説明を受けました。 そして、陣痛が強まりいざ出産。助産師さんは“余裕がある”と言っていた部分を広げながら、いきむタイミングを指示してくれ、そのサポートのおかげで切開することなく、3時間という早さで出産できました。もちろん、2人目の出産ということもあって会陰の伸びもよかったのかもしれません。でも、自分の気持ちは声に出して伝えないといけないんだな……とつくづく実感したのです。 不安が多く、デリケートな出産。何人ものお産をサポートしている医師や助産師さんに気持ちを伝えるのは、なんとなくハードルが高いと感じていました。でも、出産は自分だけのものです。私は、自分の気持ちを伝えることで最良のサポートが受けられました。勇気を振り絞って「会陰切開が怖い」と声に出したことで、自分だけの素敵なお産を経験できた、怖がりな私の体験談でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ののぱ監修/助産師REIKO著者:菅田ゆうり1歳・7歳の男児を育てるワーキングマザー。自身の体験をもとに、妊娠や出産、育児、仕事との両立についての体験談を中心に執筆している。
2021年04月09日私は2児のママですが、下の子を出産後は里帰り出産もなく、退院直後からワンオペ育児でした。2人育児がハード過ぎて徐々に母乳育児から遠ざかり、下の子が生後2カ月のころには完ミ育児に。そんな私が感じた「ミルク育児のメリット」をお伝えします。 ママが気兼ねなく服薬できる上の子の授乳では混合育児をおこなっていた私の実体験なのですが、母乳を飲ませている時期に風邪や病気にかかってしまった場合、服薬のことで非常に悩んだ記憶があります。 下の子が生後2カ月のときから私の疲れがピークに達し、目が腫れたり咳が止まらなかったりと心身の過労からくる症状に悩まされました。病院を受診しお医者さんに服薬をすすめられても、完ミ育児のおかげでお薬の種類で悩む必要はなかったです。子どもが2人になると横になって休んでる時間がほぼないので、さまざまな不快症状もお薬のおかげですぐに治ったのは本当にありがたかったです。 上の子と2人きりの濃密な時間を過ごせる私は退院直後から親戚などに頼れず、日中はひとりで育児をおこなっていました。上の子は、私の産後直後は特に退屈さと寂しさで情緒不安定になっていました。そこでいろいろな方に相談したところ、どの方からも「上の子と2人きりの時間をなるべく取りなさい」とアドバイスを受けました。 そして私は思い切って、上の子と濃密な時間を過ごすべく遊園地などの遠出を決行。上の子とおでかけの際は、下の子はパパに預けました。完ミ育児だからこそ、授乳のことを気にせず他の人に預けることもできたのです。そして、1日中ママと2人で過ごせる時間をたっぷり取ったおかげで、徐々に上の子の気持ちも落ち着いてきました。 下の子の生活スケジュールが整う下の子を完ミ育児にしたおかげで、授乳後は毎回「いくら飲めたか」が数値ではっきりとわかります。これが、下の子の生活リズムを整えるのに非常に役立ちました。 上の子のときは混合育児で育てていたので、一体どれだけ飲めたかが確認できず、オロオロして昼寝のタイミングを失い、気付けば夕方……なんてこともありました。 下の子はしっかりと飲んだ量が確認できるので、泣いていても「さっきは遊び飲みしていつもの半分量しか飲まなかったな」などと理由がわかり、そんなときは育児用ミルクを足したりと臨機応変な対応ができました。満腹になると良く寝てくれるので、自然と生活リズムが整いました。 赤ちゃんを育てていくうえでさまざまな授乳スタイルがありますが、2人目を出産後しばらくはどうするべきかと悩みました。そのなかで、「自分が本当に大切にしたいことは何か?」と考えたことで、授乳スタイルが定まったように思います。特に2人目以降の出産は上の子もいますので、人と比べたりひとつの方法にこだわったりすることなく、柔軟に対応することが大切だと学びました。 イラスト/おんたま監修/助産師REIKO著者:黒井夢乃二女の母。歯科衛生士資格あり。二女出産前まで歯科医院にて勤務。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年04月08日家の中でもずっと抱っこだったうちの娘。メインの抱っこひもとしては「エルゴベビー」を使っていたのですが、家の中ではスリングのようなセカンド抱っこひもをずっと使用していました。私にとっては、これがなかったら育児を乗り越えられなかった!というくらい活躍した「ベビーケターン」を紹介します。 産後の体につらい…24時間抱っこ生活うちの娘は生まれて病院にいるときからフロア中に響き渡る大声で泣き、家に帰ってきてからも抱っこをしていないとずっと泣いている泣き虫赤ちゃんでした。 理由もなく泣き続ける娘を抱いて、ひたすらスクワットをするように上下に揺れていました。いくら小さいとはいえ、毎日毎時間ずっと素手で抱っこしているのは産後の体に負担が大きく、家の中でも基本的にずっと抱っこひもをして生活していました。 洋服を着ているような付け心地そんな私の強い味方が「ベビーケターン」でした。「ベビーケターン」は、輪になった伸縮性のある2枚の布が重なって作られている、スリングのような抱っこひもです。 洋服を着ているかのような軽い着け心地で、そのまま座ったり寝転がったりしても苦しくなく、眠ってしまった赤ちゃんを抱えたまま快適に過ごすことができます。まるで素手で抱っこしているかのような着け心地なのに両手はあく、という優れものでした。 ベビーカーの収納に収まるコンパクトさ 「ベビーケターン」は腰ひもを裏返すと袋状になり、その中に全体を収納することができます。ベビーカーの下の狭い収納にも余裕で収まるコンパクトさです。 ねんねがヘタだった娘は、ベビーカーでお出かけしていても眠くなると抱っこをせがんで大泣きだったのですが、エルゴを持ち歩くとかさばるので、泣いた場合の保険として持ち歩くのにとても便利でした。丸まった布が急に抱っこひもになる姿を見た他のママから、「それなぁに? すごーい!」と驚かれることも多く、聞かれるたびに実演して紹介していました。 洋服感覚で付けられて、持ち歩きにも便利な「ベビーケターン」。1歳ごろまでずっと、洗濯する暇もないくらい大活躍でした。これがなかったら心身ともに健康には育児できていなかったと言っても過言ではありません。あまりに活躍したので、親しい友だちに子どもが生まれると、出産祝いに贈ることにしています。 ※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。 監修/助産師REIKO著者:わけ はるか2017年6月に長女出産。1歳を過ぎても夜泣きに悩まされ、アメリカの赤ちゃん専門の睡眠コンサルタントに相談をし、自身も睡眠コンサルタントになるべく資格取得中。
2021年04月07日―コロナ禍で妊娠・出産に不安を抱える妊婦さん、ご家族に届けたい動画です今年3月21日に全都道府県にて緊急事態宣言が解除されました。しかしながら依然として、新型コロナウイルスの感染予防の観点から母親学級が休止していたり、立ち会い出産や面会の制限をしていたりする産院が多くあります。ベビーカレンダーにも、出産を控えている妊婦さんたちから立ち会いなしでの出産に不安を感じているという声が多く届いています。妊婦さんたちの不安を少しでも解消できたら、そして少しでも安心して妊活や妊娠生活を送ってもらえたら……。そんな想いから、コロナ禍で立ち会いができない状況の中、陣痛から出産に臨む妊婦さんの様子をお伝えすべく、出産シーンの一部始終を撮影し、皆様にお届けすることにいたしました。 この考えにご賛同くださり、コロナ予防対策に細心の注意を払って撮影にご協力くださった愛知県の産婦人科「いしかわレディースクリニック」の院長をはじめスタッフの皆様、そして撮影をご快諾くださった産婦さんに心より感謝いたします。また、今回の出産に立ち会うことができ、どんな時代でも命の生まれる瞬間は尊く、そして力強いものであるということを改めて感じることができました。こんな時代だからこそ、医療現場の皆様の熱い想いに触れることもできました。妊娠中のみならず、これから妊娠を考えている方すべての皆様に見ていただきたい動画です。そして、この動画がママと赤ちゃん、ご家族、現場の最前線の産院、医師、スタッフの皆様の力になれれば幸甚です。 ▲取材時の感染対策 立ち会いはできないけれど…、決してひとりじゃない!リラックスして臨むには?コロナ禍での出産、リアルな現場の様子をお届け 出産ドキュメンタリー「禍中に生まれた、かわいい君と」ベビーカレンダーはこのたび4月7日(水)、公式YouTubeチャンネルにて、コロナ禍での出産に密着した出産ドキュメンタリー動画を公開しました。 昨年からベビーカレンダーに多く寄せられている、「コロナ禍での出産が不安」という声。立ち会いや面会が休止中のいま、ひとりで出産に臨むことに不安を感じるという方が多くいらっしゃいます。 そんな妊婦さんをはじめ、これから妊娠を考えている方々が少しでも不安を解消できるよう、コロナ禍における出産の現場を取材し、ドキュメンタリー動画を作成しました。 今回は、愛知県尾張旭市の産婦人科「いしかわレディースクリニック」協力のもと、新型コロナウイルス感染症対策を講じたうえで、1人のママの出産の様子を撮影させていただきました。破水後の入院から密着し、分娩までの過ごし方、和痛分娩での出産の様子、そして退院後に初めてパパと赤ちゃんが面会する様子までを記録。 コロナ禍のいま、これから迎える出産に不安を感じる方は、ぜひ心の準備としてご覧いただければと思います。また、この動画を通して、このような状況下においても、日々多くの尊い命が誕生しているという奇跡を、より身近に感じていただければ幸いです。 ▲常にそばにいながら、リラックスできる環境づくりをしてくれる助産師さん ▲吸入麻酔薬による和痛分娩 今回密着したご夫婦は、過去に人工授精や体外受精をおこない妊娠したのちに流産を経験。その後も長期間にわたり不妊治療を続け、諦めかけたそのとき、自然妊娠によって赤ちゃんを授かり、このたび第一子を出産されました。喜びが大きい一方でコロナ禍での妊娠生活には、不安もあったと言います。 「手洗い・うがいや、アルコール除菌を徹底して、感染しないようにするしかなかった。やれることはやりましたが、もし感染してしまったら、僕だけ別居かな、とも考えました」というパパ。また、出産に立ち会えない、産後の面会もできない状況で、「大変なときに助けてあげられない」というもどかしさを感じたそう。しかし、「頑張ってくれたぶん、今度はこっちが頑張るから、一緒に頑張りましょう!」とママに話し、改めてお子さんが生まれた喜びをご夫婦で分かち合いました。 ▲出産後、マスクをつけて赤ちゃんとの初対面 ▲退院後、パパと赤ちゃんの初対面 先生&助産師さんのコメント <尾張旭市 産婦人科 いしかわレディースクリニック 石川院長> コロナ禍における妊婦さんは、もちろん感染予防に関して十分留意していただくことが重要ですが、あまり極端に怖がる必要はありません。担当医の注意をよく聞いて、きちんと感染予防をしていただければと思います。 お産については、リラックスすることが非常に重要です。お産への恐怖や痛みなどで体に力が入ってしまうと、陣痛も不規則になりますし、産道も狭くなってしまいます。そのため、和痛分娩などで痛みがある程度緩和されると、分娩の促進効果もあると言われています。 コロナ禍での出産はどなたも不安だと思います。病院の方針に合えば、たとえば好きな音楽を聴きながら、好きな香りをかぎながらなど、なるべくご自身がリラックスして分娩できる環境を作ってもらうのは良いことだと思います。 <尾張旭市 産婦人科 いしかわレディースクリニック 助産師さん> 面会ができない、立ち会いができないというなかで、「とても不安」「なるべくそばにいてほしい」という妊婦さんがとても多いので、いつでも声をかけてもらうようにお伝えして、皆さんに安心して入院していただけるように援助をしています。どの施設でも、スタッフがついて、呼吸法を教えてくれたり、マッサージをしてくれたりすると思うので、「ひとりではない」ということを思っていただいて、お産に臨んでいただければと思います。 今回の出産ドキュメンタリー動画が、これから出産を迎えるご家族、妊娠を考えていらっしゃるご家族の不安を少しでも解消し、お力になれることを願っております。今後もベビーカレンダーでは、ママをはじめ、これからママになる女性たち、そしてそのご家族が不安に感じることを解消し、安心して出産に臨めること、育児を楽しめることを目指して、さまざまな情報を発信していきます。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2021年04月07日妊娠中、出産に備えて準備しておかなくてはいけないことはたくさんありました。陣痛が始まったとき、病院への移動手段を確保しておくこともその1つです。私が2人目を出産する際、あらかじめ複数の移動手段を準備しておいたことで、トラブルが発生したにもかかわらずスムーズに病院へ行くことができた体験談をお話しします。 2人目を妊娠! 病院への移動手段を検討現在わが家には5歳の長女と2歳の長男がいます。私は長女が3歳になるタイミングで、2人目となる長男を出産することになりました。1人目の出産の際は里帰りをしましたが、2人目のときは実家の都合が合わなかったため里帰りを断念。陣痛が始まったら夫の運転で病院へ向かうつもりで、入院の準備を進めていました。 しかし、夫の仕事と出産が重なることを懸念して、念のため他にも移動手段も設けることに。インターネットで検索していろいろ調べた結果、深夜でも対応してくれる陣痛タクシーがあったので、妊娠8カ月ごろに予約をしました。 陣痛が始まったのと同時に長女が発熱!出産予定日、朝から定期的におなかのあたりが痛くなることに気付きました。病院からは痛みの間隔が15分になったら連絡をするように言われていたため、出産が近づいてきていることを夫に告げ、いつでも家を出ることができるように待機。 そしてその日の夜10時ごろ、ようやく痛みの間隔が15分ほどになったため、寝ていた長女を一緒に連れて行こうと抱っこすると、体がとても熱いことに気付きました。慌てて熱を測ってみると、なんと39.5度もあったのです。 陣痛タクシーを利用して病院へ!熱を出した長女を新生児がたくさんいる病院へ連れて行くことはできず、必然的に夫は長女の看病のため留守番をすることに。電話帳に登録しておいた番号に電話を掛けて陣痛タクシーを呼ぶと、5分ほどで家の前に到着しました。 陣痛タクシーを予約した際、あらかじめ出産する病院を登録できたため、運転手さんに道案内をする必要もなく病院へ連れて行ってもらいました。念のため準備をしていた陣痛タクシーが役立ち、安心したのを覚えています。 幸いにも長女の熱は翌朝には下がり、小児科を受診した結果は風邪。病院に確認したところ、私の病室から出ないことを条件に連れて来ても良いと、許可をもらえることに。長男が誕生したのが入院した翌日だったということもあり、夫も長女も揃って長男を迎えることができました。出産というビッグイベントを迎えるためには、周到な準備が必要だということを実感した出来事です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO著者:柿本渚おしゃべり好きな5歳の女の子と甘えん坊な2歳の男の子の母。元エンジニアで現在はフリーライターとして活動中。育児、美容、自己啓発などさまざまなジャンルの記事を執筆している。
2021年04月06日画像出典:浜田ブリトニーさんのオフィシャルブログより 浜田ブリトニーさんは漫画家として活動する一方で、タレント活動をおこなったり、最近ではYouTube動画を配信するなど、幅広い分野で活躍中しています。そして、今年の1月には待望の男の子を無事出産。2歳の雫ちゃんと0歳の茶蔵(ちゃくら)くんのママになりました!前回の記事では、コロナ禍の妊娠・出産エピソードを中心にお話を伺いましたが、今回は最近生まれた第二子の息子さんについてのお話や、浜田さんにとって「子どもがいる生活」とはどういうものなのか、子育てをするなかで意識していることなどをインタビューさせていただきました! コロナ禍で生まれた新しい命! 第二子、茶蔵(ちゃくら)くん画像出典:浜田ブリトニーさんのオフィシャルブログより ー今年の1月21日に出産した男の子は“茶蔵(ちゃくら)”くんと名付けられましたが、とってもかわいいお名前ですね。名前の由来は何でしょうか? 浜田さん:ありがとうございます! 以前、飼っていた茶色いトイプードルが、“茶衣蔵(ちゃいぞう)”という名前だったんです。茶衣蔵は、今の旦那さんとお付き合いしていたときに、旦那さんのメンタルがちょっと弱ってしまったことがあったんですね。そのとき、元気になるようにとサプライズで飼い始めたんです。彼は茶衣蔵をすごくかわいがっていて、茶衣蔵の散歩のために早寝早起きになり、健康的な生活になったんです。それもあって、どんどんメンタルが復活しました! でも、それと同時にまだ3歳くらいだった茶衣蔵が亡くなってしまったんです。私と旦那さんが溺愛した茶衣蔵も、また家族の一員になれたらいいねという想いもあり、茶以蔵の名前から二文字をとって息子に“茶蔵”という名前を付けました。また、「チャクラ」という言葉はスピリチュアル的な意味も含まれているのですが、私自身スピリチュアルが好きなので、そういう意味も込めて名付けています。エネルギーポイントという意味らしいのですが、エネルギー溢れる人になって欲しいなぁと思って。 ーそうだったんですね。そんな想いのこもった茶蔵くんと一緒にいて癒される瞬間はどんなときですか? 浜田さん:全部かわいいんですが、首をなでるとニッコリするんですよ。もう表情が出て来て、触られるとくすぐったいのか、ニコッてするんですよね。 ーお姉ちゃんの雫ちゃんはもうすぐ3歳になりますが、赤ちゃん返りなどはありましたか? 浜田さん:それが、まったくなかったんです。もちろん、やきもちを焼かないように、雫が第一になるように気を回して接していました。例えば、雫が話かけてきたら雫のことを優先したり、構ってほしそうだったら、茶蔵より雫のほうに行くようにしていましたね。また、夫婦2人で茶蔵くんにつきっきりといった状況にならないよう、どちらかは雫ちゃんに集中するという感じでパパと協力していました。ただ、妊娠中から雫は「お姉ちゃんになるの」とずっと言っていて(笑)。その甲斐もあり、準備は万端だったようで、今は茶蔵のことをずっと抱っこしたり、なでたりといいお姉ちゃんをしています。 子ども優先が当たり前! でも、自分を優先することも大切画像出典:浜田ブリトニーさんのオフィシャルブログより ー子育てをしているなかで、気を付けているところはどんなことでしょうか。 浜田さん:雫はもうすぐ3歳になるので、動きや口グセなどをマネされても大丈夫なように気を付けています(笑)。例えば、物を持っているときにドアを足で閉めたりすると、すぐにマネをするんですよ。すごくよく見ていますし、聞いているので、ちゃんといい見本にならないといけないなと感じています。 ーあはは。人の振り見てわが振り直せ、ではなく、わが子の振り見て~という状態になっているんですね。 浜田さん:その通りです(笑)。あとは、イライラしたとしても、衝動で怒らないように気を付けています。自分の気持ちは怒らずに、ちゃんと伝えるようにしています。そのためには、心に余裕がないと難しいんですけど……。ただ、余裕をもって接するだけで、子どもも言うことをよく聞いてくれるんですよ。 ーそういった気づきがあったのは最近ですか? それとも、もともと肝が据わっているような性格だったのでしょうか。 浜田さん:実は、出産前はあまり子どもが好きではなかったんですよ。というのも、子どもと接すること自体が少なかったので、未知の世界だったんですよね。だからこそ、わからないものを理解するために、一歩距離を置いて接していたのが良かったのかもしれないです。 ー一歩距離を置いて接するとは、例えばどんな風にでしょうか? 浜田さん:そうですね。育児をしながら仕事をしていたことは、すごく良かったのかなと思います。また、雫のときは第一子というのもあり、初めての育児に悩んだり考え込むことも多かったのですが、茶蔵はその経験をもとにある程度しなくちゃいけないラインが分かっていたので、さらに肩の力を抜いて育児ができ気がしています。何でも子ども優先になってしまいがちですが、自分のことも優先するときはしないと、良い子育てってできない気がするんですよ。 ー自分の余裕がやさしさにつながっていくということですね。 浜田さん:そう思います。なので、基本的には子どもが好きなものを食べさせたりするけれど、自分も好きなものを食べたり、自分へのご褒美を買ったりと、子どもだけでなく、自分も甘やかすことも大事にしてます。 日々の成長が愛おしい…子どもがいるから強くなれる! 画像出典:浜田ブリトニーさんのオフィシャルブログより ー浜田さんは、子育てに関するYouTubeも配信されていますが、どんなきっかけだったのでしょうか。 浜田さん:雫のチャンネルは、ブログの読者さんが「動いている雫ちゃんの姿を見たい」というリクエストがあったので、アップをし始めました。今は茶蔵のチャンネルも開設したので、2人の成長する姿をこれからもアップしていこうと思っています。ブログを読んでくれている人はもちろん、離れて暮らしているお祖父ちゃんやお祖母ちゃんに今の姿を見せることができるのもすごくいいですよね。 ー反響はいかがですか? 浜田さん:小さなころから見てくれている人たちは「大きくなったね」とコメントをくれるので、一緒に成長を楽しんでもらえているようなんです。これからもこまめにアップしていきたいですね。 ー子育てをしているなかで、楽しいと思うのはどんなときでしょうか。 浜田さん:子どもって一緒に遊んでいると、どんどん成長しますよね。歩けるようになって、しゃべれるようになって……。その一瞬一瞬がすごくおもしろく感じるんです。スプーンを使えるようになったりとか、そんなちょっとしたことを家族で喜べるのはすごく楽しいですよね。改めて、人間ってすごいなって思います(笑)。 ーママになって変わった点は何かありますか? 浜田さん:より頑張るようになりました。子どもがいると、さらに頑張れちゃうんですよね。ちょっと難しい問題が起きたとしても、子どもの顔を見ると「よし、やってやるか! 」って思うんですよ。そんなときに、強くなったなと感じますね。 ーありがとうございました! 最後にメッセージをお願いします。 浜田さん:こんな時代になってはしまいましたが、だからこそ、応援してくれる人も多いと思うんです。今の時期を乗り越えて出産した母は、より強くなると思うんですよね。そして、この時代だからこその育児もあると思うので、一緒にさまざまな問題を乗り越えて、楽しく育児をしていきましょう! 浜田ブリトニーさん、この度は取材にご協力くださりありがとうございました! インタビューでは終始、明るく笑顔で対応してくださいました。コロナ禍の妊娠・出産は本当に大変なことも多かったと思いますが、無事に乗り越えられて本当に良かったです。これからも雫ちゃんと茶蔵くんの成長過程をYouTube動画を通して、陰ながら見守っていきたいと思います! PROFILE:浜田ブリトニーさん1979年4月7日生まれの千葉県県出身。日本の女性漫画家、タレントとして活動をおこなっている。株式会社PIECE EIGHT(ピース・エイト 個人事務所)に所属。著者:ライター 吉田可奈
2021年03月31日「結婚はタイミング」とよく聞きますが、本当にそう思います。私は18歳のときから11年付き合った彼がいましたが、タイミングが合わずに別れを選択。しかし、そのおかげで、今の夫に出会うことができました。 父を亡くした私に、立ち直る手助けをしてくれた彼18歳のとき、大学で知り合ったひとつ歳上の彼と付き合い出しました。彼とはフィーリングがとても合うし、すごくやさしい人。当時、父親を病気で亡くして人生のドン底にいた私は彼に救われました。今の私がいるのも、彼が立ち直る手助けをしてくれたからだと思っています。 私も彼も就活時期に入るころ、私は県外出身の彼に「彼の地元で就職してもいい」と伝えました。でも、彼は大学のある私の地元が気に入ったそうで「こっちで就職するから、いずれ結婚してここで暮らそう」と。そこで、2人とも私の地元で就職活動をし、私はいち早く内定をもらいました。しかし、彼はいつまで経っても本格的な就活をせず、卒業ギリギリになって、私の地元でも彼の地元もない県で就職。「しばらく働いて転職するから」という言葉を信じて、遠距離恋愛になりました。 出産も考え29歳の誕生日前に別れを決断その後、24歳のとき、私は転職を考えるようになり、彼の職場近くで職探ししようかと聞いてみました。でも、彼は「俺も絶対にそっちに帰るから!」と言われ、私は地元で再就職。しかし、これを機に彼も私の地元に住まいを移し、同棲を始めることになりました。 あとは彼の転職だけというタイミングで、私は「結婚したい」と伝えました。しかし、彼の返事は「すべてが整うまで待ってほしい」とのこと。ただ、彼がちゃんと転職活動する様子は見られず、それを不満に思う私。気づくと私は28歳になっていました。 実はその間、何回か彼から「結婚しよう」という話はあったのです。しかし、一度「すべてが整うまで」と言われて待っていた私は、彼が転職を決まるまでは結婚したくないと思い始めて……。それでも口先ばかりで行動に移さない彼にプツン。言葉では言い表せないほど大切な存在でしたが、30代を目前に出産を意識した私は、29歳の誕生日を前に、11年付き合った彼と別れる決心をしました。 積年の思いを手放したことで得られた出会い彼と別れた後は何もかもがポッカリなくなったようで、ただ仕事に打ち込むだけの日々が2年ほど続きました。そして、30歳を過ぎたころ、趣味のスポーツで知り合った人と付き合うようになり、31歳で結婚。夫は別れた彼と同じくらいやさしい人で、フィーリングも合い、一緒にいて安らげる人。そして子どもも授かりました。 私は、人生において、何かを得るためには何かを捨てなければならないときがあると思います。長年付き合った彼との時間、思い出、情、恩、築いてきたもの……。特に私は、亡くした父親の穴を埋めてくれた彼に大きく依存していました。手放すのは本当につらかったです。 ですが、それを手放したからこそ、今の夫と子どもに出会うことができました。別れた彼も最近結婚したそうで、やっぱりあのとき、傷ついてでも離れて良かったのだと思っています。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 文/さとこさん
2021年03月31日画像出典:浜田ブリトニーさんのオフィシャルブログより 浜田ブリトニーさんは漫画家として活動する一方で、タレント活動をおこなったり、最近ではYouTube動画を配信するなど、幅広い分野で活躍中しています。そして、今年の1月には待望の男の子を無事出産。2歳の雫ちゃんと0歳の茶蔵(ちゃくら)くんのママになりました!第二子となる息子、茶蔵くんの出産は、まさにコロナ禍での出来事だったとのことで、今回はコロナ禍の妊娠・出産についての浜田ブリトニーさんにいろいろとお話を聞かせていただきました! コロナ禍でも「立ち会い出産」で産みたかった画像出典:浜田ブリトニーさんのオフィシャルブログより ー今年の1月21日に男の子を出産されましたが、その後、体調のほうはいかがですか? 浜田さん:実は、ものすごくいいんです! 退院してからすぐに働いてしまうくらい快調でした(笑)。第一子の雫は自然分娩だったんですが、今回は破水から始まってしまったので、急遽帝王切開になったんです。帝王切開については、詳しく勉強をしていなかったので、心の準備がうまくできず、少し慌ててしまいました。 ー帝王切開はどうでしたか? 浜田さん:意識がしっかりとあるなかで、おなかを切っている感覚もわかるので、少し気分が悪くなってしまって……。でも、いざ赤ちゃんを見たらその気持ち悪さも吹っ飛びました! ーコロナ禍でほとんどの病院が立ち会い出産ができないなか、立ち会い出産ができる病院を選んだとお聞きしました。 浜田さん:最初は雫を出産した病院にしようと思っていたんですが、「立ち会いは諦めてください」と言われてしまったんです。少し悩みましたが、後悔のないように立ち会い出産ができる病院を探したところ、残念ながら近所にはなく……。でも、少し遠い場所に見つかり、そこで出産することに決めました。 ーそこまで立ち会い出産にこだわったのはどうしてでしょうか? 浜田さん:雫のときは旦那さんが立ち会って、生まれる瞬間にビデオカメラを回してくれていたんです。そのVTRがあることで、子どもたちが大きくなったときに“こんな風に生まれてきたんだ”と見てもらえたらいいなぁと思って。それに、旦那さんも立ち会いたいと言っていたので、できるなら立ち会い出産を選びたいと思っていたんです。 ー立ち会い出産をおこなう際、何か条件はあったのでしょうか? 浜田さん:病院側が用意した検温表を渡されて、1日1回検温をおこない毎日記入するように言われました。期間は出産予定日から逆算して3カ月ほどだったと思います。なので、その期間は毎日検温をおこなっていましたね。また、私が入院した病院では、立ち会う大人は1人までで子どもはダメでした。 手の消毒やマスクは必須! 帰宅後はお風呂へ直行!画像出典:浜田ブリトニーさんのオフィシャルブログより ー 妊活をされていたようですが、どのようにおこなっていたのでしょうか。 浜田さん:私はタイミング法を取り入れていました。あとは、体を冷やさないようにお風呂に入る時間を長くしたり、栄養が偏らないように好きなものをたくさん食べるようにしていましたね。このときだけは、ストレスのない生活を送るようにしていました。 ー無事妊娠したあとも、コロナ禍での妊娠、出産となるからこそ、大変なことも多かったと思います。 浜田さん:妊娠中は、とにかく感染しないように気を付けていました。もし感染してしまったら、今のかかりつけの産婦人科では出産できないと言われていたんです。さらに現実的な問題として、輸送された場合、金額的にも予定していたものよりも高くなると聞いていたので……。ただ、何よりもこれまでの病歴や、経過を知っている先生に見てもらいたいという思いがあったので、今までにないくらい感染には気を遣っていました。 ー1番気を付けていたのはどのようなことでしょうか? 浜田さん:基本的な手指の消毒やマスクはもちろん、家に帰ってきたらすぐにお風呂に直行して、できるだけ菌が入り込まないようにしていました。でも、それくらいかな。あまり根を詰めてもダメな気がしたので、おいしくて栄養のあるものを食べて、健康でいることを第一に考えていました。ちゃんとポイントは押さえるけど、やることをやったらもう気にしない! 悩んでも仕方ないですし。 ー浜田さんのポジティブ思考も、免疫力が上がりそうですよね。 浜田さん:あはは。そうかもしれないですね。妊娠中は“こうでなければいけない”“あまり働かないほうが良い”“突き詰めたら家から出ないほうが良い”と言われることも多いと思うんです。でも私は、ある程度出かけて仕事もして、リフレッシュするようにしていました。実はブログなどで、感染に気を付けすぎて息詰まっている妊婦さんから、相談が来ることも多かったんですよ。そのときは、「感染に気を付けながらも、散歩くらいはしたほうがいいよ」とアドバイスをしていました。 自分が「産みたい」と思ったら、それが産むタイミング!画像出典:浜田ブリトニーさんのオフィシャルブログより ー妊娠中に1番大変だったのはどんなことでしたか? 浜田さん:私の場合はマンガを描くという仕事柄、仕事を休めなかったんです。なので、つわりと戦いながらマンガを書くのはつらかったですね。さらに、締め切りを遅らせるわけにはいかないので、臨月まで仕事をしていたんです。マンガを描くときの体勢は前かがみになるので、同じ体制でいることがすごくつらかったんですよ。その後、「切迫早産になるから横になっていなさい」と言われ、かなり大変でした。 ー「コロナ禍で大変ななかでも妊娠したい!」「子どもを産みたい!」と思った理由を教えていただけますでしょうか。 浜田さん:コロナ禍ということで、やはり感染したらどうしようという心配はありましたが、高齢なのでいつ妊娠できるかわからないじゃないですか。だから、こんな時代でも「とにかく妊娠したい! 」という思いが強かったですね。感染しないように気を遣ったり、立ち会い出産ができる病院を探したりしなければならないといった苦労はありましたが、この状況下で赤ちゃんと、そして家族とともに一丸となって乗り越えられたというのは、良い経験だったと思います。コロナ禍であろうと妊娠して良かったです。 ーそうでしたか。いろいろと大変なこともあったかと思いますが、無事に乗り越えたことで家族の絆はより強まったのかもしれないですね。それでは、コロナ禍だからこそ、妊娠・出産に不安を抱いてしまう人も多いと思うのですが、それを乗り越えた浜田さんから何かメッセージをお願いいたします。 浜田さん:これまでとは違う状況ですが、どの時代も“母は強し”。産みたいと思ったときが産むタイミングだと思うんです。“この時代だからやめよう”“様子を見よう”ということではなく、自分から湧き出る“子どもが欲しい”“産みたい”という気持ちを尊重して、妊娠、出産に挑めば絶対に大丈夫だと思っています。応援していますので、一緒に子育てを頑張りましょう! さて、次回は浜田さんの子育て論についてや、1月に生まれた茶蔵(ちゃくら)くん、第一子の雫ちゃんについてもインタビューさせていただきました! ほかにも、ママになって変わったことについても取材しています。次回もお楽しみください! PROFILE:浜田ブリトニーさん1979年4月7日生まれの千葉県県出身。日本の女性漫画家、タレントとして活動をおこなっている。株式会社PIECE EIGHT(ピース・エイト 個人事務所)に所属。 著者:ライター 吉田可奈
2021年03月30日毎朝ベッドから起き上がるとき、腟から空気が出ておならのような音がします。臭いはないのですが、「ブブブブ」という音は完全におなら。最初は本当におならなのかなと思っていたのですが、明らかに出てくる場所が肛門ではなく腟です。気になり、調べてみたら、この恥ずかしい現象は出産に関係しているということがわかりました。 “腟おなら”とは?ネットで「腟 空気 音」と検索したら、「腟おなら」という現象だとわかりました。ネットの辞書には「腟おならは腟内に空気が入り、それが外に出る際、屁のようになるさま」と書かれていました。 かかりつけの産婦人科へ行ったついでに、腟おならが出て困っていると相談してみたところ、子どもを出産したことを機に骨盤底筋に緩みが生じ、空気が中に入りやすくなってしまったことが原因だと言われました。私は2人の子どもを出産していますが、これらのことが起こるようになったのは次女を産んでからです。 腟おならは恥ずかしいおならであれば、肛門に力を入れれば止めることができます。しかし、腟おならはコントロールができません。私の場合、寝転がっていると空気が入り、起き上がるときに「ブブブブ」と音を出しながら空気が出てきます。隣に寝ている夫に聞こえているのではないかと思うと、とても恥ずかしいです。 でも「この音は『おなら』ではなく『腟おなら』だよ」とわざわざ説明するのも、それはそれでなんだか恥ずかしく……。夫も聞こえていないのか、気がつかないふりをしてくれているのか、何も言わないのであえてこのことには触れていません。 湯船では水が入るお風呂に入る際、足を伸ばしリラックスして湯船に浸かると腟の中に水が入ってしまいます。この水がとても厄介で、体を拭き、パンツをはいたあとに出てくることが……。最初は尿漏れかと思いましたが、臭いもしないので違うようです。 空気同様、水が出てきてしまうのも力を入れても防ぐことはできません。パンツが濡れてしまったら着替えなくてはならないためとても面倒です。 産婦人科の医師によると肛門や腟を引き上げるように力を入れると骨盤底筋を鍛えることができるそうです。腟おならは恥ずかしいので、1日に数回おこない腟をしめていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 監修/助産師REIKO著者:小川恵子5歳と1歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2021年03月30日川崎希さんは元アイドルで、AKB48グループに所属していたことでも知られていますが、昨年の10月に第二子となる女の子が誕生し、現在は2児のママとしてお子さんの育児に奮闘中です。また、その一方でご自身のアパレルブランドの経営をおこなっていて、最近では子育てママさんのために考案したマザーズリュックがSNSでも「高機能!」「使える!」など話題になっています。前回の記事では「不妊治療」がテーマでしたが、今回は「コロナ禍の妊娠・出産」を中心に取材させていただきました。ほかにも、子どもが生まれてから幸せだと感じることはどんなことなのかや、子どもが生まれてから変化した夫婦の関係性についてもお話を聞かせていただきました! コロナ禍の出産を乗り越え、昨年秋に長女が誕生!ー去年の10月に第二子となる娘さんをご出産されましたが、コロナ禍での妊娠・出産ということで大変だったかと思います。まずは、無事に娘さんを出産されたときのお気持ちを教えてください。 川崎さん:2人目ということで妊娠中に長男との生活もあったので、前回よりバタバタな妊娠期間でしたが、無事に出産できて安心しました。 ー娘さんが生まれたときのパパの反応はいかがでしたか? 川崎さん:長男のときもなのですが、とても感動していました。女の子ということでアレクは緊張しているというか、どう接したらいいか妊娠中からよく考えてたみたいで、長男のときとはまた違う気持ちなのかな? と思いました。また、妊娠中から女の子のお洋服をアレクが自ら選んだりするなど、ワクワクしている様子でしたね。 ーコロナ禍で妊活を躊躇している人もいますが、川崎さまはコロナ禍での妊娠・出産に対してどのように思っていましたか? 川崎さん:私が妊娠したのはコロナ禍になる直前で、まだ中国で新しい肺炎が確認されたみたいなニュースが出たくらいの時期だったので、まさか世界的に広まってしまう感染症になるとは思ってもいませんでした。なので、徐々に広がっていく様子がとても怖かったです。妊娠初期の診察で週数が増えるごとに病院の規制も厳しくなり、途中で妊活の病院から今の時期の妊活はおすすめできないというような通知もあったので、これから妊活を考えている方は、一旦治療を控えてしまった方も多かったのではないかなと思いました。コロナが妊娠や出産に対して、どのような影響があるかわからなかったので、とても怖かったです。 ーコロナ禍と事前に分かっていたら、妊活の時期はずらしていましたか? 川崎さん:私自身は妊娠できる時期の期限もあるので、もしこの時点で妊娠していなくても、できれば妊活を続けたい気持ちがあったと思います。コロナ禍での妊活については判断がとても難しいことだなと思いました。 面会は一切禁止! 孤独な入院生活はスマホが救ってくれたー妊娠生活を送る上で不安なことはありましたか? 川崎さん:妊婦でコロナにかかったという出産のニュースは、特に気になって見ていました。また、出産する病院に転院してすぐに、「立ち会いはできるか今のところわからない」と言われてしまって……。私は立ち会い出産をおこないたいと思っていたので、立ち会いができないと考えると、心細くはなりました。 ー コロナ禍での出産について教えてください。コロナ禍の出産は第一子の出産のときと比べるとどのような点が違いましたか? 川崎さん:長男のときの出産と比べると、マスクをしたままの出産だったり、入院中も一切誰とも面会できなかったりするなど、かなり違った出産になりましたが、なるべく前回と同じような環境だと落ち着けるのかなと思い、出産する病院と部屋まで長男のときと同じ環境にして、気持ちを落ち着けるようにしました。 ー今回の出産ではどんなことが大変だったのでしょうか? また、それについてはどのように思っていましたか? 川崎さん:陣痛中の立ち会いが基本的にはできなかったのですが、産まれる5分くらい前からの立ち会いだけ大丈夫だったので、産まれる瞬間にはアレクが立ち会えたことは本当によかったです。長男のときは陣痛中もずっといてくれたのですが、今回は病院の近くのレストランでずっと待機して、お産が近くなったら連絡し、急いで病院に来てもらう形になりました。病院に到着してすぐに産まれたので、間に合ってよかったです。 ーコロナ禍の妊娠・出産を経験して思ったこと、感じたことがあれば教えてください。 川崎さん:コロナ禍ではありましたが、毎日テレビ電話をしたり写真を送ったりして、スマホが発達してる時代でコミュニケーションを取れるものがあって、本当によかったなと思いました。スマホがなくて誰とも会わなかったら、すごく心細かったと思います。 ーお子さんが生まれてから、どんなことが幸せだと感じましたか? 川崎さん:何をしてても、疲れていても全部幸せだな〜と思います。子どもが昨日まで話してなかった言葉を話したり、おいしそうにごはんを食べていたり、日常のすべてが幸せだと感じていますね。 ー「子どもがいる生活って素敵」「子育てっていいなぁ」と思うときはどんなときですか? 川崎さん:子どもが笑って「楽しかった〜」と言っていたり、「楽しい」「うれしい」といった喜んでいる雰囲気が感じられると、とてもハッピーな気持ちになります。 子どもが生まれて変化した夫婦の関係性ー子育てをするようになり、川崎さんご自身が変わったなと思うこと、パパが変わったなと思うことは何かありますか? 川崎さん:早寝早起きで健康的になりました。やはり体力がないと子育てできないので、体力温存のためにも夜更かしせずに、子どもと同じタイミングで寝ることが多いです。 ーお子さんが生まれてから、夫婦仲はどのように変化しました? 川崎さん:子ども第一でケンカをしても子育てがあるので、数分で仲直りするという感じになりました。また、お互いに疲れていたら、夜のミルクをあげるのを交代したり、自然とお互いに協力して1人だけに負担がかからないようになってます。 ーこれからママになる方たちに何か一言、メッセージをお願いします! 川崎さん:子どもといる毎日は大変ですが、本当に楽しいし、うれしいことも多いです。こんな時代ですが、子どもと一緒に子育てを楽しんでくださいね! この度は取材にご協力くださり、どうもありがとうございました! 毎日の子育ては大変なことも多いかと思います。しかし、子どもの笑顔はもちろん、昨日できなかったことが今日できるようになるなど、うれしくて尊い瞬間が多いもの。育児に少し疲れたなと思ったら、ときには肩の力を抜いて、子どもと一緒に楽しみながら育児ができたらいいですね! PROFILE:川崎希さん1987年8月23日生まれの神奈川県出身。タレント活動をおこなうほか、自身のアパレルブランド(株式会社アンティミンス)を経営し、その代表取締役を務めている。
2021年03月27日なかなか計画通りには進まない不妊治療。仕事をしながらの通院は、困難を極めます。治療内容によっては早退遅刻、休暇も必要になることも。仕事仲間に打ち明けられず、両立にストレスを感じる人も少なくありません。 職場には知られたくないーー。そう思って、こっそり通院した女性の物語をお届けします。ケース2、下村豊華さん(42)の場合。 総合商社で正社員管理職の下村さんは31歳で結婚。34歳で稽留(けいりゅう)流産し、手術のために入院したタイミングで多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断され、35歳で不妊治療を開始。朝6時半に家を出て不妊治療後、出社する仕事との両立で体も心も疲弊してしまいます……。 友人の妊娠出産が喜べず限界にタイミング法での妊娠を待った通院から約2年が経ち、人工授精へステップアップしないかと医師からアドバイスされた。 周囲は出産ラッシュを迎えていた。地元の仲のいい友だちから来る妊娠・出産報告。友人が出産するたび、ベビーコーナーで離乳食の食器やチャイルドシートなどのお祝い品を奮発した。次第に友人との集まりには、子どもや赤ちゃんが増えていった。 「地元の友だちはみんな大好きだけど、さすがに会うのがつらくなっていきました。おめでとうって顔では笑っていても、心では笑えなくて。親友の1人がそんな私の様子に気付いてくれて、『今は無理しなくていいんだよ』って言われ、少し気持ちが落ち着きました」 そして豊華さんは、約2年続けた不妊治療の中断を決意する。 「限界だったと思うんですよね。基礎体温に一喜一憂して、生理が来るたびに『あぁ、まただめだった』って落ち込んで。これは本人しかわからない気持ちです。タイミング法だと夫との行為も義務的になってしまって、精神的にもつらかったです。何より仕事と通院の調整がもう限界でした。一度休憩したいって先生に伝えました」 まさかの妊娠、不妊治療していたことを職場に告白 通院を休んで少し経ったころ、基礎体温がだらだらと高い日が続いた。生理も来ていなかった。もしかして……。受診するとおなかには新しい命が宿っていた。36歳の時だった。 「治療をお休みしてすぐ妊娠したので驚きました。今思えばストレスもいけなかったのかな、と。私の場合、会社にだまって通院していたことが一番つらかったんだなって気付きました」 妊娠を機に不妊治療していたことを職場に打ち明けようと決めた。本当は子どもが欲しいのに授かれず、不妊治療に踏み切れない同僚や後輩が、ほかにもいるかもしれない。会社の雰囲気が一因になっているかもしれない。ここで私が不妊治療を打ち明けることで、なにか変わるかもしれない。 まずカミングアウトしたのは、同い年と5つ下の既婚の女性社員。聞けば2人とも子どもが授からずに悩んでいたという。豊華さんが不妊治療をすすめると、2人ともすぐに専門のクリニックに通い始めた。「私が産休に入るまでは全力でサポートするから」と応援した。 豊華さんが産休に入るとき、不妊治療で通院していた2人が産休の準備に入っていた。職場の空気が変わったと手応えを感じだ。 「まぁ、社長はあんまりいい顔してませんでしたが、周りの反応は意外とやさしくて祝福してくれました。本当によかったです」 40歳目前、2人目の不妊治療へ。職場に伝えて周囲に協力を依頼 豊華さんは、無事に第1子となる女の子を出産した。育休が明けて職場へ戻ると、管理職からは事実上外されていた。やりがいを感じていたメーカーとの交渉はほぼできなくなり、女性社員が多い営業事務の教育担当になった。 もう40歳目前。2人目の妊娠を急いでいた。多嚢胞性卵巣症候群が悪化していたこともあり、体外受精を目指した。 凍結技術の進歩により、体外受精の受精卵はいったん凍結保存するケースが多い。豊華さんも凍結保存を選んだ。通っていたクリニックでは、凍結保存した受精卵を融解して移植する場合、5時間ほどかかった(※通常1時間程度。クリニックにより大きく異なる)。 「その日は1日予定を入れないでください」とも言われたため、そうなると仕事を休まなければならない。もうごまかしは利かない……周囲の助けが必要だった。今度は最初から不妊治療を同僚にカミングアウトした。 「今度は体外受精なので、もう会社の協力がないと無理!って思ったんです。最初に治療のことを打ち明け、周囲に協力をお願いしました。その代わり、同じような人がいたら私も全力でサポートしますって伝えました。産後の異動は納得できませんでしたけど、女性が多い部署になったので、伝えやすかったです」 体外受精であっても、予定通りに進まない。1回目の移植は失敗、子宮のポリープ除去手術と予想外のことが続いた。そして2回目の体外受精で妊娠。 しかし切迫流産で1カ月の自宅安静を余儀無なくされた。会社を急に休むことも、長期で休むことも多くなったが、もうあの頃のような後ろめたさはなかったという。 「私のカミングアウトによって、後輩たちが続々と不妊治療を始めていました。だからお願い! 私、休むから!って堂々と言えたんです」 2020年7月、自宅から近い大学病院で無事に第2子となる男児を出産した。42歳だった。 必要なサポートは、制度よりも「周囲の理解」と実感会社の空気は変わったが、まだ課題は残る。豊華さんが打ち明けられたのは女性社員だけ。男性からの理解は得られる気がせず、伝えられなかった。会社が組織の制度として不妊治療を応援しているのではない。周りの女性社員たちが、個人としてサポートしてくれている段階だ。 2020年の菅内閣誕生で、不妊治療の保険適用が動き出すなど、追い風が吹いている。社会が、時代が変わってきた。でもサポート制度の整備を待つよりも、周囲の理解が深まることで、当事者も協力を仰ぎやすくなると感じている。 「仕事と不妊治療の両立は本当に難しいんです。会社にだまっていることが一番つらかったです。不妊治療をすることを恥ずかしがらず、職場や同僚の協力を得て治療に臨むことができれば、妊娠にも早くつながるような気がします」 今は育児休暇中の豊華さん。仕事はこれからも続けて、さらに会社を変えていきたいと考えている。 「復帰してからの新たな目標ができました。これからは社内の女性たちが不妊治療しても出産しても働きやすい環境を作っていきたいです。『私に続けー!』という気持ちです」 【調査概要】出産のタイミング・不妊治療に関するアンケート調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月28日(木)-2月3日(水) 調査件数:2,868名 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年03月27日出産を間近に控えた妊婦健診で、初めておなかの中の赤ちゃんの様子について「異常」と診断されました。生まれてから調べると「卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)」という病気であることが判明。病気がわかってから現在まで、定期的に大学病院で診察を受けています。今回は、この病気にまつわる出産までの体験と、現在の子どもの様子をお話ししたいと思います。 出産直前、エコー検査で異常ありおなかの中ですくすく育つ赤ちゃん。妊娠の経過は順調でしたが、出産を間近にひかえた妊娠33週目の健診のことです。超音波検査で「異常あり」と言われてしまいました。 よく聞くと「赤ちゃんの腹部に、通常では見られない影がある」とのこと。思いがけない診断結果に慌てふためいたものの、「生まれてからでないとしっかりした検査はできない」と先生に言われ、すぐにできることはありませんでした。 おなかの中の赤ちゃんがどのような様子なのか、病気なのか、苦しんでいるのではないかなどとさまざまな考えが巡り、その日からはとても不安な日々を過ごしていました。 超音波検査で4cmの卵巣嚢腫が見つかる出産予定日とほぼ同日、無事に出産しました。不安ななかでの出産でしたが、3,000gを超える元気な赤ちゃんで安心したことを覚えています。 しかし、ほっとしたのもつかの間。小児科の先生にお越しいただき、赤ちゃんの超音波検査を受けることとなりました。結果は「4cm大の卵巣嚢腫がある」とのこと。 悪性のものではないものの、大きくなると捻転してしまう可能性もあるとのことで、定期的に大学病院に通院することとなりました。 生後1年が経過…卵巣嚢腫は小さくなった 卵巣嚢腫というと大人の女性が抱える病気のイメージがありますが、赤ちゃんもかかることがある病気で、原因ははっきりわかっていませんが母親のホルモンバランスの影響という説があるそうです。 また、最近は超音波の技術が発達して、赤ちゃんの卵巣嚢腫が発見されることは少なくないそうです。ですが、小児科で「ママじゃなくて赤ちゃん?」と尋ねられることもあり、体験談も調べてもほとんど出てこず、孤独で不安な毎日を過ごしていました。 わが子は4cmの卵巣嚢腫がありましたが、出生後徐々に小さくなり、生後1年たった今、1.5cmまでになりました。完全になくなるまでは半年に1回、エコーで検査をしてもらいますが、「ここまで小さければ、ほとんど問題ないだろう」とのことで、現在は問題なく元気に過ごしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。作画/まきこんぶ監修/助産師REIKO著者:河相 さくら国内外問わず旅行が大好きな1歳女の子のママ。育休中に小学校英語指導者資格を取得。主に子育て・英語育児を中心に執筆中。
2021年03月26日川崎希さんは元アイドルで、AKB48グループに所属していたことでも知られていますが、昨年の10月に第二子となる女の子が誕生し、現在は2児のママとしてお子さんの育児に奮闘中です。また、その一方でご自身のアパレルブランドの経営をおこなっていて、最近では子育てママさんのために考案したマザーズリュックがSNSでも「高機能!」「使える!」など話題になっています。そんな育児も仕事も充実しているイメージの川崎希さんですが、実は不妊治療で苦労したり、昨年の出産はコロナ禍の出産だったので、戸惑ったりすることも多かったようです。今回は川崎さんの不妊治療の体験談を中心に、不妊治療で悩んだことやつらい時期をどのように乗り越えたのか……などを取材させていただきました。 きょうだいが欲しいという思いから不妊治療をスタートー2020年8月20日にオフィシャルブログで娘さんの妊娠を報告されていましたが、その時に「出産してからずっときょうだいができたらいいな〜と思っていた」と書いてあったのですが、きょうだいが欲しいと思ったのはどうしてでしょうか? 川崎さん:私がひとりっ子だったので、小さいときからきょうだいがいるのはいいな〜と思っていたからです。 ー息子さんを出産後、タイミングを見て妊活をされていたのですか? 川崎さん:息子を出産してすぐに次の子の妊娠を考えていたので、出産したその日に次の妊娠はいつから可能かお医者さんに聞いたりしていました。そして出産後、半年くらいしてから妊活のための通院をスタートしました。 ー川崎さんの場合、第1子も不妊治療で授かったとのことですが、それまでにかかった期間は約4年、第2子についても体外受精で授かったとのことを伺いました。第2子のお子さんを妊娠するまで、不妊治療はどれくらいの期間だったのでしょうか? 川崎さん:長男を出産して半年くらいで妊活をはじめたので、約2年半くらいだったとは思います。でも2年半ずっと通院をしてるわけではなく、気分転換のために通院せずに休む月もありました。 ー今回は体外受精を迷わず選択されたとのことですが、その理由を教えてください。 川崎さん:自然でできたらいいなとは思ったのですが、やはり妊娠できる期限が限られてる中で、ステップとしてはタイミング法や人工授精もありますが、以前に人工授精などを何回しても妊娠したことがなかったので……。自分の体質では、1番妊娠への近道が体外受精だったと長男の妊娠のときに思ったので、妊娠の可能性か高い体外受精にしました。 「まだ見ぬわが子に会いたい!」その一心で乗り越えた治療ー実際、不妊治療中の期間は苦しかったり、つらかったりすることも多かったと思います。川崎さんが一番つらいと思ったことはなんでしたか? 川崎さん:仕事との両立が大変でした。治療はあまり先のスケジュールまでわからず、ホルモンの数値を見て急にスケジュールが変更になることもあるので、仕事のスケジュールがあると調整が大変でした。あとは採血が多いので注射が苦手な私は毎回気合いを入れて通院していました。 ーそういったつらいことは、どのようにして乗り換えたのでしょうか? 川崎さん:子どもに会うことだけを考えると、治療などなんてことない! と思えて頑張れました。 ー不妊治療中、パパはどのように接してくれていましたか? 川崎さん:長女を妊娠するための治療中は長男をみていてくれたり、すごく協力的で助かりました。治療の内容などあまり詳しく説明したりはしませんでしたが、体調を気遣ってくれるなど、やさしくしてくれていました。 ー不妊治療中が保険適用化される話が出てきていますが、川崎さんはそのことについて賛成ですか?反対ですか? 川崎さん:私は賛成です。 ーその理由を教えてください。 川崎さん:不妊治療はすごく高額なので、金銭的な理由でできない方や数回でやめてしまう方もいると思いますし、私は20代から通院していましたが、体外受精は特に1回あたり50万近くする病院が多いです。そのため、かなり経済的な負担があると思います。国が少子化対策と言っていても、自然妊娠がなかなかできない方は通院するほうがいいと思うのに、今までなんで保険適用外なんだろうと思っていました。妊娠は年齢が低いときから通い始めれば年齢的に妊娠の可能性は上がるのに、若年層ほど貯蓄がないために先延ばしにしてしまうこともあると思うので、保険適用はいいことだと思います。 さて、次回は川崎さんが妊娠生活を送る上で感じた不安や、出産時に大変だったことなど、コロナ禍の妊娠・出産をテーマにインタビューさせていただきました! また、コロナ禍の妊娠・出産以外にも、子どもがいる生活についてや、子どもが生まれて変化した夫婦関係についても取材しています。次回もぜひお楽しみください! PROFILE:川崎希さん1987年8月23日生まれの神奈川県出身。タレント活動をおこなうほか、自身のアパレルブランド(株式会社アンティミンス)を経営し、その代表取締役を務めている。
2021年03月26日妊娠・出産・子育ての毎日を笑顔にする、ママと専門家をつなげるプラットフォーム企業、株式会社ベビーカレンダー(本社:東京都渋谷区、代表取締役:安田啓司、証券コード:7363、以下「ベビーカレンダー」)は、2021年3月25日、東京証券取引所マザーズ市場へ上場いたしました。 ※東京証券取引所での上場セレモニーは、新型コロナ感染防止対策として参加人数を最小限にしたうえで行われました。 これまでの皆様のご支援ならびにご厚情に御礼申し上げますと共に、今後とも引き続きのご支援・ご鞭撻を賜ります様、宜しくお願い申し上げます。尚、新規上場に関する詳細につきましては東京証券取引所のウェブサイトを、当社のIR情報について詳細は当社コーポレートサイトIRページをご覧ください。 東京証券取引所 URL:当社コーポレートサイトIRページ URL:ベビーカレンダーでは、妊娠、出産される方々やそれを支えていらっしゃる医療従事者の皆様、全てに満足いただきたい思いで、妊娠・出産に関するサイト「ベビーカレンダー」を運営し、産婦人科向けサービス「ベビーパッドシリーズ」を提供しております。 ご利用者の皆様にとって役に立つもの、価値のあるものを常に提供し続けていくことで、ご利用者およびその周りや社会全体が笑顔になっていくことが使命であると考えております。少子高齢化が加速する現代だからこそ、「赤ちゃんを産みたい」と思える情報を届けたい。ベビーカレンダーは、2021年3月25日(木)に、ママたちを取り巻く妊娠・出産・育児の課題や現状を総力取材した『ベビカレ特集』を公開しました。詳細は、以下のとおりです。【ベビカレ特集】「赤ちゃんを産みたい」と思える情報を届けたい。妊娠、出産、子育て……変動の多い女性のライフステージ。そのステージが変わるたび、さまざまな壁に直面するママたちの現状を社会に伝えることで、ママたちには「私だけじゃない」そう思ってほしい。 そして、ママ自身だけでなく家族や企業、ひいては社会全体にその実情を知ってもらいたい。子育て世代が安心して赤ちゃんを産み、育てることできる世の中にしていきたい。そんな思いで、ベビーカレンダーはベビカレ特集を立ち上げました。 「赤ちゃんを産みたいと思える世の中に。」をキーワードに、ベビーカレンダー編集部がママたちを取り巻く妊娠・出産・育児の課題や現状を取材、調査。特に、以下の8つのテーマに注目し、課題のあぶり出しや調査、取材をおこなっています。① わたしの子育て「子どもが欲しい」「子どもっていいな」そう思えるようなママたちのインタビュー記事をご紹介しています。 ② 不妊治療今の日本の不妊治療における課題や調査、体験者取材などさまざまな切り口で実情をお伝えしています。 ③ 妊娠出産現代女性の妊娠・出産における厳しい現実や認知調査など、ママたちのリアルな現状をご紹介しています。 ④ 子育てパパの育休、SNS利用状況、子連れ出勤など子育ての実態の調査結果レポートを公開しています。 ⑤ 防災・災害防災に関する意識調査、被災者の取材など、災害から子どもたちを守るために必要な情報をお届けしています。 ⑥ 教育・習いごと子どもの習いごと調査から読み解く、現代の習いごと事情を解説しています。 ⑦ イベント子どもの節句、乳がん検診の日など、年中行事やイベントに関する調査結果を発表しています。 ⑧ 出産動画ベビーカレンダー人気コンテンツ「出産ドキュメンタリー動画」を発表、解説記事を公開しています。 「私のように後悔してほしくない」-ベビカレ編集長の想い- ▲ベビーカレンダーでは二階堂編集長自身の不妊治療体験を赤裸々に公開している 「産みたいと思ったときに産める、そのための情報を」人生の決断はその人自身の手の中にあり、いずれの選択も尊重されるべきものです。けれど「産みたいときに産めるのか?」と尋ねられたとき、単純にYESと言えない現実があります。 私はずっと子どもが欲しいと思いながらも、30代を仕事に費やし40歳で離婚。45歳で再婚して、子どもを持たない人生がいよいよ現実的になったとき、残り少ない可能性にかけて不妊治療に挑みました。結果、願いは叶わず……。私のように後悔する人が少しでも減ってほしい。赤ちゃんを産むっていいな、子どもがいる毎日っていいな、と思えるような世の中になってほしい。そんな気持ちを込めて、私自身の振り返りも含めながら、ベビーカレンダーでは、「子どものいる生き方」や「不妊治療」など子育て世帯にまつわる問題を取り上げていきます。 ベビーカレンダー編集長 二階堂美和
2021年03月25日ベビーカレンダー編集部がおすすめの妊娠・出産・育児マンガをご紹介。この記事では、Twitterのフォロワー1.4万人超のちくまサラ@4y&8m(@chikumababy)さんの育児マンガをご紹介します。ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ 今回はTwitterのフォロワー1.4万人超のちくまサラ@4y&8m(@chikumababy)さん。2015年生まれのムーコちゃんと2019年生まれのナナオくんのママです。 ※「赤ちゃんが泣いているのに応じないとサイレントベビーになる」という育児論がありますが、「サイレントべビー」という医学用語はなく、医学的根拠も認められていません。※日本小児科学会では、テレビの長時間視聴による子どもの言語発達への影響とともに、テレビを見せるときの注意などに関する「乳幼児のテレビ・ビデオ視聴に関する提言」をおこなっています。著者:ちくまサラ@4y&8m2015.4.ムーコ♀と2019.5.ナナオ♂️の育児漫画や、育児の大変さを訴える漫画を描いています。Twitter:@chikumababyInstagram:@chikuma_sara著者:イラストレーター ちくまサラ長崎県在住、2児の母。ライブドアブログ公式ブロガー。自分のメンタルや、子供との向き合い方を考察した育児漫画、エッセイ漫画を中心に描いています。
2021年03月25日ベビーカレンダー編集部がおすすめの妊娠・出産・育児マンガをご紹介。この記事では、Twitterのフォロワー1.5万人超のちくまサラ@4y&8m(@chikumababy)さんの育児マンガをご紹介します。ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ 今回はTwitterのフォロワー1.5万人超のちくまサラ@4y&8m(@chikumababy)さん。2015年生まれのムーコちゃんと2019年生まれのナナオくんのママです。 著者:ちくまサラ@4y&8m2015.4.ムーコ♀と2019.5.ナナオ♂️の育児漫画や、育児の大変さを訴える漫画を描いています。Twitter:@chikumababyInstagram:@chikuma_sara著者:イラストレーター ちくまサラ長崎県在住、2児の母。ライブドアブログ公式ブロガー。自分のメンタルや、子供との向き合い方を考察した育児漫画、エッセイ漫画を中心に描いています。
2021年03月24日私は現在2児の母親ですが、第1子である長女の右足にあった赤い血豆のようなものが出産直後からずっと気にかかっていました。それが「血管腫」であると診断されてから、まだ乳児である長女の治療を決断した体験談をお伝えします。 入院中から気になった血豆のようなもの長女は難産の末に生まれた3,900gの大きめな子どもでした。そして生後2~3日ごろから、長女の右足の人差し指付近にある血豆のようなものが気にかかるようになりました。 長女を産んだ産院では小児科医の健診が入院中におこなわれるため、気にかかっていた血豆のことを相談したところ、小児科医から「血管腫」との診断が。そして「通常であれば、3歳ごろに消えていく子どももいるが、消えない子どももいる。しかし、それは形成外科の医師でないと正確な診断はできない」と言われました。 専門医へ受診を決めた理由血管腫と言われたときは、私はまだ産後間もなかったため、余裕がなく外出もままならない状態で、すぐに「じゃあ形成外科で詳しい診査を受けてみます」という気持ちにはなれませんでした。本格的に「形成外科の専門医に長女の血管腫のことを聞いてみよう」と思い立ったのは、長女が生後6カ月のころです。受診しようと思った理由は「もし、このまま消えなかったら、長女が将来的に見た目を気にするのではないのか」とか「どうせ治療するのならば、あまり記憶がないころに治療したほうが後々ラクなのではないか」と夫婦で考え、決めました。 血管腫の治療の決め手そして、いよいよ形成外科を受診し、専門医からも「血管腫」と診断されました。そして、小児科医と同様に「将来的に自然に消えることもあれば消えないままの子どももいる。治療はレーザーになるが、悪性ではないので治療するかどうかはお母さんに任せます」と言われました。私は受診したものの、いざレーザー治療といわれると「本当にこんな小さな子どもに痛い思いをさせてまでやるべきなのだろうか」と非常に悩むことに……。しかし、医師の「もし、レーザー治療を考えているのであれば、皮膚が柔らかい乳児のうちからおこなうと効果が出やすい」と助言を受けたことが治療を決断した決め手でした。 そして、長女は生後6カ月からレーザー治療を開始。母子分離でおこなうため、もちろん処置中はギャン泣きで、そのたびに切ない気持ちでいっぱいになりました。しかし、レーザー治療を4回ほど続けていくと、ものの見事に血管腫がきれいに消えたのです。結果がこんなにもわかりやすく出ると、今となっては早期に治療の決断したことをよかったと感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/まきこんぶ著者:黒井夢乃二女の母。歯科衛生士資格あり。二女出産前まで歯科医院にて勤務。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年03月24日出産後思ってた以上に大変だった!という、みいのさんの体験談をマンガ化した「産後ヤバイ話」を短期連載で紹介します。出産後に赤ちゃんと初対面して、個室に戻ると……。 「イヤな時期に入院しちゃったな…」 「本当は立ち会い出産もしたかったし、家族に見舞いに来てほしかった」 でも、そんな「今までの当たり前」も叶わない、現在の出産。 誰もいない、静まり返った産院の廊下を見て、「イヤな時期に入院しちゃったな……」と思ったみいのさん。 この時ならではの雰囲気が、みいのさんのメンタルに影響をしていくのでした……。 出産後間もないみいのさんをじわじわ追い詰めた「ストレス」とは? ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター みいの2020年6月に娘が生まれました。普段は企業の広告漫画を主に描いております!インスタでは子育てエッセイ漫画やイラストをアップします。コメントやイイねしてくださるととても嬉しいです!
2021年03月23日■前回のあらすじ無事、息子が誕生! 出産前「産まれたら泣くかも」と思っていたけど、実際の感想は…。出産後、主治医の先生から実は帝王切開を考えてたと聞き驚きました。わたしは総合病院で産んだのですが、大きな病院で人員と設備が整っていたから、自然分娩を選択したと言われました。帝王切開がだめで普通分娩が良いというお話では全くなくて、母子の状態やいろいろなリスクを考慮して、この時は普通分娩が良い、適当であると先生は判断されたのだと思います。どんな分娩方法であれ出産は命がけだし、産後はとんでもなく辛いし、子どもへの愛情は変わらない!!!お産中は食事どころじゃなかったものの、終わった途端お腹が減って…。ゼリー飲料はバッグに入れてたのですが、ご飯系は用意しておらず…、ぬるいゼリーをすすって朝まで耐えました。出産の痛みは忘れたけど、死にたいと思うくらい壮絶ハチャメチャな体験だったのは忘れてない!夜な夜な赤ちゃん期の写真見ては、可愛いな~この頃のはる君をもう一度抱っこしたい…と思うけど。イヤイヤ期と赤ちゃんのコラボなんて想像しただけで私のキャパ超えなので、まだ2人目は考えられません。でも赤ちゃん可愛いよなあ~。さて、出産レポは、これで完結です。最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!!本記事はあくまで筆者の体験談で、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年03月22日1人目は妊娠を希望してから3カ月ほどで授かったので、2人目もすぐに妊娠できるだろう、2歳差で出産できれば、と考えていました。でも、希望通りにはいかず、周りのママたちはどんどん妊娠し、なんだか取り残されたような気持ちになっていました。そんな私が2人目を授かるまでの経過をお伝えします。 タイミング法で妊活当時、1人目の子どもは1歳8カ月でした。育休中に2人目を授かりたく、断乳をしてタイミングをはかり、自分たちなりに妊活をしていました。1人目のときのようにすぐに授かるだろうという気持ちがあったのですが、なかなか授からない自分に焦りを感じ始めました。 子連れ可能の不妊治療専門の病院を探して初回の予約を取り、まだ小さい子どもと満員電車に乗って片道1時間ほどの病院へ通い始めました。検査でも大きな問題は見つからず、「1人目が自然妊娠なら2人目もタイミングでみていきましょう」といった方針のようでした。 半年ほど通いましたが、妊娠することはできないままでした。長いときで4時間ほど子どもと病院にいることがあり、「このままこんなふうに時間を過ごしていていいのか」と疑問に思い、通院をやめ、仕事に復帰しました。仕事をすることによって気が紛れるようになりましたが、復職後も自分たちなりにタイミングをとることは続けていました。 やはり2人目が欲しい!仕事に復帰して10カ月ほど経ったとき、「やはり2人目が欲しい。でも、自分たちだけではどうにもならないのではないか?」と思い、もう一度別の病院に通ってみることに決めました。仕事をしながらの通院で子連れで受診はできない病院だったので、夫の協力はとても大切でした。 再度、初期の検査から始めてプロラクチンというホルモンが高いこと、排卵はあるけれどホルモンのバランスが悪いことなどがわかりました。また、夫も精液検査をし、実際に2人で精子の動きを見ながら説明を受け、少し元気がないことがわかりました。どちらか一方ではなく、私たち夫婦は2人とも授かりにくい原因があったことを初めて知ったのです。 次のステップへタイミング法を2周期試して授からず、排卵を促す薬を使用しながら次のステップである人工授精をすすめられました。少し迷いはありましたが、タイミングをはかっても授からないのならば次のステップに進んでみたいという気持ちでトライしました。ただ、平日の実施は仕事の関係もあり難しかったので、排卵が土日に重なったときだけという条件でトライすることに決めました。 1度目の結果は残念な結果でした。しかし、その次の月、運良く土曜日に排卵が重なりそうだったのでもう一度トライしたところ、見事受精しました。新しい病院に通い始めて4カ月目のことです。心拍を確認するまでは心配でしたが、日に日に大きくなるおなかをなでながら成長を楽しむことができました。 もう一度通院してよかった!仕事をしながら、子どもを育てながらの妊活、病院通いは大変なこともありました。でもあのとき、病院にもう一度通い始めてよかったと思っています。先のことはわからないけれど、だからこそ今しなければ後悔すると思ったのです。 今月、待望の2人目の男の子を出産しました。とてもかわいいです。悩んでも仕方がないこともたくさんありますが、悩んだからこそ選ぶことができることもあると思います。私はいま「あのとき、あの選択をしてよかった」と思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:古川 詩織4歳、0カ月の2児の母。現在は育休中。
2021年03月22日登場人物おかめ:息子の成長記録にと日々育児マンガを描いている。夫:普通のサラリーマン。最近の悩みは『息子のパパイヤ期』おまめ:2015年夏に生まれた我が家の長男。プラレールとトミカに夢中。最近の欲しいものは『プラレールのレール』前回のあらすじ妊娠糖尿病での入院生活もようやく終わり、苦労半面良かったこともいろいろありました。そして旦那さまからのまさかの言葉に嬉しさが…。出産までのドキドキ…編集後記妊娠糖尿病での入院生活を終え、新たな日常へ戻ったおかめさんでしたが、お腹は既にとても大きく、二人目の出産を間近に控えていました。おまめくんのときは早めに生まれたことですし、二人目も早いかもしれないと予定日が近づくにつれドキドキソワソワな様子のおかめさん。予定日を過ぎたときには、少し焦りもあったかと思います。そのときはいつやってくるのか、誰しもがとてもドキドキしますよね。その緊張感や焦りは、出産前ならではのことでしょう。そして予定日を過ぎ、ようやく生まれたこまめちゃん。こまめちゃんが生まれたという知らせを聞いたとき、編集部一同拍手で喜びました。ご出産おめでとうございます!妊娠糖尿病などにより思うようにいかない妊娠生活だったこともあり、無事に出産を終えこまめちゃんとやっと会えたときは、喜びや嬉しさもひとしおだったのではないかと思います。新たな家族を迎えたおかめさん。お兄ちゃんになったおまめくんと妹のこまめちゃんと過ごす新生活、とても楽しみですね!ぜひ次作もご覧ください。(ままのて編集部)妊娠糖尿病に関する漫画はこちらおかめさんからのメッセージ今回、なぜ育休や産休ではなく、退職を選んだかについてお話します。実は一人目のおまめのとき、保育園に入れたいと考え、当時の職場を休職扱いにしてもらいました。ですが、自身の住んでいる場所が保育園激戦区に加えて、引っ越しや里帰りなどで忙しく、保活の準備ができないまま出産となりました。休職明けの仕事の忙しさなども積み重なった結果、かなり出遅れての保活スタートになってしまい、当然入園することができませんでした。保活失敗によるストレスでかなり落ち込み、今でもトラウマのようになっています。今では、産後でヘトヘトななか無理して園見学や説明会、役所への相談に行かなくても良かったのではないかと思うこともあります。おまめのときにわたしには産後すぐに保活をする体力が無いのだとわかったので、今回は休職ではなく退職を選びました。育児と仕事・保活の板挟みを避け、少しでも心に余裕を持って保活を始めたいと考えています。今のところは下の子も年少の時期に幼稚園へ入園させて、そのタイミングでまた求職活動をしようと考えています!上の子との2人育児にもなるので、自分が一番どうしたいかを選択しました。妊娠・育児に関するお役立ち情報発信中!ままのてのTwitter・Instagramをフォローすると、最新マンガの更新情報をご確認いただけます。ぜひチェックしてみてください!過去のエピソード著者情報
2021年03月22日■前回のあらすじ立ち会い出産をすると意気込んだのも束の間、吸引分娩となり立ち合い不可に。もう一刻も早く産みたい気持ちに…。分娩室の様子などはあまり覚えてないので、イメージで描いてます…! 吸引されていたけど、吸引する器具の記憶は全くなしで…。そして、出産前にSNSで出産レポを読み漁っていたので、目だけはとじまいと思っていました。長いこと描き続けてましたが、ようやく産まれました!私自身、産まれたら泣くかもと思っていたけど、それよりもようやく終わったという気持ちの方が先でした。次回に続く本記事はあくまで筆者の体験談で、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年03月21日初めての妊娠はわからないことだらけです。妊娠判明から常にネット検索ばかりで、不安でいっぱいでした。あれ?と思った陣痛中も、変わらずネットで調べてばかり。これは陣痛なのか、前駆陣痛なのか……。痛みのなかでもお金のことを考え、前駆陣痛だったら余計な病院代がかかってしまうと、ひとり深夜に病院へ連絡するかどうか悩んでいました。 あれ?と思った深夜の陣痛深夜12時ごろ、帰りの遅い夫が夕食を食べていました。なんだかおなかの痛みがいつもと違うような感じがしたので、私はアプリで陣痛のような痛みの間隔を計り始めたのです。夫は次の日も仕事なので先に寝室へ。もし陣痛じゃなかったらと思い、おなかの痛みのことは伝えませんでした。 でもだんだんと痛みの間隔が短くなり、気付いたら5分間隔に。そんなとき、私が寝室にこないのが気になって夫が起きてきました。経緯を伝えると、「とりあえず病院に電話しなさい」と言われ、病院に電話することを決心したのです。初めてのことでも陣痛の始まりってわかるんだなと、今となっては思います。 病院への電話病院に電話してみると、初産で家が近く、声が元気という理由で、1時間後に痛みが続いていたらまたかけ直すよう言われました。やはりこれは前駆陣痛なのかと思い始め、陣痛の間隔を計りながら、携帯で調べていました。1時間経っても痛みは続いており、3分間隔になっていたのです。 このぐらいからどんどん不安になり、前駆陣痛でもとりあえず見てもらおうという気持ちになりました。再度病院に電話をし、間隔を伝えたら「きてください」とのことでした。 病院に着いてから病院に着いたのは朝の5時ごろです。着いたら分娩室に案内されました。病院の館内見学の際に、陣痛室と分娩室が分かれているのを聞いていたので、もう生まれるのかと一気に恐怖心が襲ってきたのを覚えています。分娩台に横になり、子宮口の開き具合と分娩監視装置で陣痛の間隔を見てもらうと、やはり前駆陣痛ではなく陣痛でした。 痛くて、「まだ? いつ生まれるの?」と先生に尋ねていたのを覚えています。先生は「お昼の12時ごろには生まれると思いますよ」とやさしく教えてくれました。結果、生まれたのは、朝の7時49分。初産なのにすごく早く生まれたのです。「もし2人目を妊娠して出産するときは、もう少し早く病院にきてください」と助産師さんに言われました。 初めての陣痛で、前駆陣痛なのか判断に迷いましたが、夫の言葉で病院に電話してよかったです。我慢していたらどんどん増す痛みに動けなくなっていたかもしれません。不安があったらお金の心配などはせず、すぐ病院に行こうということを学びました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:仙頭 遥奈1歳男児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年03月21日■前回のあらすじついに医師からの分娩室GOサイン。“立ち会い出産はしない”と決めていた夫でしたが、心境に変化があったようで…。夫の分娩室滞在時間、約5分…。助産師さんは申し訳なさそうに言ってたけど「あー水飲めなくなっちゃったなー」くらいにしか思わなかった思い出。わたしが産んだ病院では吸引分娩だと立ち合い不可でしたが、これも病院によって違うみたいですね!次回に続く本記事はあくまで筆者の体験談で、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年03月20日■前回のあらすじ地獄の陣痛中、不思議な幻覚に見舞われ…。しかしついに子宮口は全開。いよいよ分娩台へ!もし夫が病院に来るのギリギリになってたら、産みの苦しみを見てもらうために入室してもらおうと思ってたけど、これだけ見せたからもういいかーって、この時は思いました。結局立ち会うことになりましたが…!次回に続く本記事はあくまで筆者の体験談で、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年03月19日■前回のあらすじ早く分娩台に行きたい一心で、拷問のような内診に耐えるも、優しい助産師さんから衝撃の提案が…。子宮口が9センチになっても、なぜかいきみたいと感じなかったのは、赤ちゃんの向きが正しくなかったからなのかな…?「いきみたくなったら教えてね」と言われてたのですが、内診して欲しがゆえに、嘘をついて気を引いてしまいました…。この辺りから気絶を繰り返し記憶が飛び…、何かの器具の音が幻聴幻覚を引き起こした事は未だに忘れられない…。もう気力も体力も使い果たしたと思っていたのに「分娩室GO」の指示を聞いた途端やる気がみなぎりました! 人間すごい! やればできる!次回に続く本記事はあくまで筆者の体験談で、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年03月18日■前回のあらすじ陣痛が強くなり、呼吸が乱れ出したため酸素マスクを付けることに。するとある記憶が蘇り…。内診が拷問だったけれど、何よりも早く分娩台に行きたすぎて内診を懇願していました。母と夫がそれぞれ腰をさする係、尻を押す係になってくれてたのですが、今考えたら何時間もよく付き添ってくれたよなあ~と思います。その時は、1秒も手を止めないで! 離れないで! と思ってたけど(笑)。導尿というものが痛いと聞いていたけど、陣痛の方が数万倍痛かった。そりゃそうか。助産師さんって毎日こんな仕事して本当、凄い…(語彙力)。次回に続く本記事はあくまで筆者の体験談で、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年03月17日ヲタママだっていーじゃない!
4人の子ども育ててます
子育て楽じゃありません