2014年7月6日 21:00
30代にして訪れた遅い反抗期~その中で得た「財産」とは?~【スマイルコンシェルジュ・たきれいこさんインタビュー第1回】
初舞台は 3 歳の時。場所は、老人ホームでした。
祖父の知り合いに老人ホームの代表をしている方がいて、その方に頼まれて歌うことになったのです。曲は、日頃から口ずさんでいた森昌子さんの「先生」。アグネス・チャンさんも好きでよく歌っていましたね。
小学校に入ると、当時キャンディーズやピンク・レディーが流行っていた時期ということもあり、女の子 3 人でトリオを結成。
私が歌作りと振り付けを担当し、休み時間になると、階段上の踊り場をステージにして、ライブを披露していました。
他の友達には階段に座ってもらって、歌の途中で鉢巻きを紙テープみたいに投げて盛り上げて! というところまで指導して(笑)。
楽しそうに当時を振り返るたきさんですが、明治文学を扱う編集者の父親、英語の教師をしていた母親はともにしつけに厳しく、「夜遊びなんてもってのほか。34 歳で初めて社会に出るまで、夜に世の中が賑わうことも知らなかった」というくらい、厳格な家庭で育ってきました。
当時は、自身の家庭環境がいかに厳しいか周囲と比べることもなかったので、反抗期はありませんでしたが、社会に出ると一変。
離婚を機に、突然母親に対する否定の気持ちが生まれ、「戸惑った」