問題のあるルームシェアで"女の敵は女"を突破せよ - 『地獄のガールフレンド』
(=ワガママ)だと責められてしまう。
「私たち女は/誰も彼も大変てことにしてなきゃいられない/『自分だけ楽しい道を選んで』と反感を買ってしまわないように」
こうして女性は、自分と違う属性や、自分が選ばなかった道に進んだ女性を、むやみに羨んだり妬んだり、牽制し合ったりして、"女の敵は女"と分断させられる。分断"させている"社会や仕組みのほうに、問題の矛先はなかなか向けられない。
○"男から求められる"ことの甘美な誘惑とその闇とは
もうひとつ、この作品で考えさせられるのが、性的客体として求められることを欲してしまう、女性の欲望のあり方だ。
"なぜ女性向けの風俗店は一向に実現しないのか"について3人が話し合う場面で、加南は、女性の性欲が「『さわらしてもらう』ってトコに全然トキメキがない」「『やむを得ずさわりさわられ』っていうのにトキめく」という本音を語る。つまり、主体的に欲しているのは自分なのに、"男から求められている"という受け身の状況にしか欲情できない、というわけだ。
恋愛や性行為をめぐっては、"男性は支配的にリードし、女性は受動的にそれを受け入れるものだ"という、作られた性役割規範が蔓延している。