学童で遊ぶ子供たち 大人がハッとさせられたことは…【きしもとたかひろ連載コラム】
ゴールに向かってやらないと意味のないような気がする。
子どもたちが意味のわからないあそび(あくまで僕には意味のわからないという意味)をしているのを眺めながら、どこに向かって行くんだろう。と考えていた。どこに向かうにしても楽しそうだなあと思った。あれ?どこかに向かわなければいけないんだっけ?と考えた。
そもそもあの夏祭りが完成形なんだろうか?夏祭りがゴールで、そこに向かうまでの活動は「準備期間」なんだろうか。
きっとそうじゃないよね、と思い直した。はじめの折り紙でもう完成しているんだ。
その日その時に夢中になっているその瞬間が、どこに向かっているでもないけれど、そのいまで完成している。
それがどんどん広がって形を変えていく。あの夏祭りは、その日々がたまたま積み重なって、たまたま目に見えるものになっただけだった。
未完成のものを完成に近づけようとすると足りないピースを埋めることを考えてしまうけれど、もう完成しているものが形を変えて育っていくと思うと、その時その時の姿を大切にできるような気がする。
夏祭りが恒例となった何年目かの夏、進捗を尋ねると「まだ全然準備できてへんねん、へへへ」