2019年11月14日 06:00
横浜流星支えた笑わない父 反抗期は鉄拳制裁、挫折時代は激励
(テレビ関係者)
横浜が育った地元でも、そのやんちゃぶりは有名だったようだ。小学生時代の横浜と同級生だった娘を持つある母親はこう語る。
「空手をしていたので絶対にけんかはしませんでしたが、いつも男友達と一緒にいて、学校でいろんないたずらをしていたそうです。地元のことはかなり大切に思っているそうで、3年前の成人式にも参加して、偉ぶることなく気さくに昔の仲間と話をしていたといいます」
そんな横浜を育てた実母(44)は優しい人と評判だ。
「お母さんは、流星くんに似てとても美人。空手の大会には必ずついてきて、サポートしていました。流星くんが芸能の賞を取ったときに『おめでとうございます』と言ったら、にこやかに『ありがとうございます』と言ってくれましたよ」(前出・同級生の母)
しかし、母と対照的に父はかなり厳格なようだ。地元の知人はこう語る。
「お父さんは15歳のときから大工をしていて、めったに笑わない寡黙な人です。12年前には、自ら一軒家の自宅を建てていました。家庭ではかなり厳しかったそうで、流星くんが反抗期のときは、殴って制することもあったといいます。しかし、流星くんはそんなお父さんのことをとても尊敬していて、小さいころの夢は『大工になること』だったそうです」