2023年2月19日 06:00
91歳の現役記者 赤ちゃんをおんぶして取材にいそしみ、今年で40年
『お豆腐8円、こんにゃく8円』なんてつぶやきながら、集金に回ったものです」
あとでわかるが、これが涌井さんの記者修業の第一歩となった。
「静岡から上京したばかりで、道なんて、わからないでしょう。だから、主人に地図を描いてもらって、それを頼りに歩きました。そうやって、迷い迷いしながら、中野区の道路を、それこそ裏道まで覚えていったんです」
結婚から15年。3人の娘もでき、母親業と新聞制作の助手をしながら、あわただしい日々を送っていたとき、思いがけない出来事が起きる。
「主人が、勤めていた新聞社の社長との意見の相違があって、独立することになるんです」
こうして、夫婦2人で『週刊とうきょう』を創刊。’74年1月だった。この前年には、中野駅前のシンボルともいうべき中野サンプラザも開業していた。
「“週刊”でもないし、“東京”でもないわけですから、看板に偽りばかりですよね(笑)。でもね、主人も最初は中野区以外の取材もするつもりだったし、当初は月3回発行したことも。それでも月2回になったのは、主人の体調のせいも。もともと糖尿もあったりで丈夫じゃなかったから、私から、『お父さん、無理しないで月2回でゆきましょう』と」