2023年6月11日 06:00
アフリカに「医」を届ける医師 内戦スーダンの村人たちとの交流秘話
まあ、それでもなんとかなるだろうって思って(笑)」
そんな肝の据わった妻がいたからこそ、川原は自分の道を進むことができたのだろう。
■マラリアから女の子の命を救ったことも。数年後、家族に彼女の結婚式へ呼ばれて
在タンザニア日本大使館の医務室で働く医務官として新生活をスタートさせた。邦人が多く、すぐになじむことができた。ゴルフやテニスなど、夫婦の趣味も見つけた。
「食べ物も、現地にはほうれん草がないから、おひたしはクレソンで代用。日本から持ってきた納豆菌と大豆を、熱をもった車のボンネットの上で発酵させて納豆を作ったりもしました。粘りは弱かったけど、そんな経験も楽しかったです」(佳代さん)
1年の予定だったタンザニアでの生活は3年半続き、その後、川原は熱帯医学を学ぶためにロンドンの大学に単身留学。
3人目の子どもを妊娠していた佳代さんと子どもたちは日本に帰り、1年ほど別々の生活をしていた。
02年、医務官としてスーダンへ異動することになり、家族は、再び新天地での生活をスタートさせたのだった。「タンザニアとの違いは、スーダンは内戦中で、日本人がほとんどいないところ。アメリカからはテロ支援国家に指定され、日本も欧米同様に、2国間援助をストップしている状況でした。